ようやく今年の内に済ませるべき仕事をすべて終えた。残るは餅つきやら注連縄作りやら家庭内の作業のみとなる。
iTuneのインターネット・ラジオ局に、JAZZRADIO.com - Bossa Novaというボサ・ノヴァ専門チャンネルがあったので聴いてみた。真冬にボサ・ノヴァは不似合いに決まっているが、今年のように暗い話題ばかり続いた年末にボサ・ノヴァは気分が軽くなってとてもよろしい。
本来ならば、大地震と津波で亡くなったひとが多いのだから国を挙げて喪に服すべきところであろうけど。
2011年12月23日金曜日
身に滲みてしまった訳文
だいぶ、更新をズル休みしていました。
一昨年に購入したまま積読になっていた新潮文庫「ダブりナーズ」J・ジョイス、柳瀬尚紀訳を枕元に置いておいて、少し読んでみた。先ず、お気に入りの「エブリン」を読んでみたが、どうも若い頃に先に読んだ、同じ新潮文庫の安藤一郎訳「ダブリン市民」のなかの「エブリン」の文章が残っていて、それが邪魔をして読み進められない。
柳瀬訳が良くないとか、そういうのではなく、先に読んだ安藤訳が身に滲みて、体の中にまで入ってしまっているのでどうしようもない。
これはカフカの断片もそうであって、たとえば角川文庫の「ある流刑地の話」本野亨一訳のなかにある「観察」という断片集も、この本野訳が身に滲みこんでいて、多分、他の訳を読んでもすんなり体の中に入って来ないかもしれない。
今日の夕食は、母親はSuperばあさん仲間と焼肉レストランで外食、妻は低血圧でめまい吐き気ということで、ひとりさびしく(嘘、ひとり楽しく)十割蕎麦で鴨なんばんならぬ、鶏なんばん。
近所の家から時々、ダシ取り用の削ったカツオブシの袋を複数回いただいて、これがたくさんあるのでしっかりとダシを取り、返しとあわせて少し味を調整し、鶏肉と自家菜園の下仁田ネギとで温かい蕎麦にした。
ゆで立てだと温かくてもちゃんと蕎麦の味がしますので、おいしい。
妻には、お餅があったので寝たまま食べることが出来るように、焼いて海苔を巻いたのとインスタントのクリームスープを届けておきました。
おや、夜になったら治ったんですか。つくづく、夜型人間ですね。
一昨年に購入したまま積読になっていた新潮文庫「ダブりナーズ」J・ジョイス、柳瀬尚紀訳を枕元に置いておいて、少し読んでみた。先ず、お気に入りの「エブリン」を読んでみたが、どうも若い頃に先に読んだ、同じ新潮文庫の安藤一郎訳「ダブリン市民」のなかの「エブリン」の文章が残っていて、それが邪魔をして読み進められない。
柳瀬訳が良くないとか、そういうのではなく、先に読んだ安藤訳が身に滲みて、体の中にまで入ってしまっているのでどうしようもない。
これはカフカの断片もそうであって、たとえば角川文庫の「ある流刑地の話」本野亨一訳のなかにある「観察」という断片集も、この本野訳が身に滲みこんでいて、多分、他の訳を読んでもすんなり体の中に入って来ないかもしれない。
今日の夕食は、母親はSuperばあさん仲間と焼肉レストランで外食、妻は低血圧でめまい吐き気ということで、ひとりさびしく(嘘、ひとり楽しく)十割蕎麦で鴨なんばんならぬ、鶏なんばん。
近所の家から時々、ダシ取り用の削ったカツオブシの袋を複数回いただいて、これがたくさんあるのでしっかりとダシを取り、返しとあわせて少し味を調整し、鶏肉と自家菜園の下仁田ネギとで温かい蕎麦にした。
ゆで立てだと温かくてもちゃんと蕎麦の味がしますので、おいしい。
妻には、お餅があったので寝たまま食べることが出来るように、焼いて海苔を巻いたのとインスタントのクリームスープを届けておきました。
おや、夜になったら治ったんですか。つくづく、夜型人間ですね。
2011年12月11日日曜日
寒!
今朝7時過ぎの浅間山です。
このところちょっと頭痛などしているので、この寒さが額にしみます。
この寒さが影響した訳ではないだろうが、今日の午後になって「ネットワークケーブルが接続されていません」と表示されて、インターネットに接続できなくなった。LANケーブルがLANポートにきちんと差し込まれているにもかかわらずである。
しかも妻のパソコンや私の古いデスクトップはちゃんとつながっているので、このパソコンに問題があることが判る。
LANケーブルのどこかが断線したかと、別のLANケーブルに差し替えてみたがつながらない。どうもLANポート自体に不具合が生じているらしい。
再起動やら、静電気の排除など、いろいろ試したがダメだった。
仕方なく、USB・LANアダプタというものを購入して来た。1980円。
LANポートの代わりにUSBポートに差し込んでLANケーブルを差し込めるアダプタということです。
一応、CD-Rでソフトをインストールしてハードとして認識させ、さっそくLANケーブルをUSBポートから接続した。
おお、ネットにつながりました。
また、このXPパソコンが生き延びました、(^_^.)
2011年12月1日木曜日
部分で全体を
小説というものが、ある意味、ひとりの生き方なり、ひとつの家なり社会なり世界なりの全体を提示するものであるとして、だからこそ徒労といえるほどに夥しい言葉を費やしてひとつの物語が生じる。
物語、それは確たる視点を以って描かれた人間、時制、世界のひとつのまとまりではある。しかしそれさえも実は単なるコンベンション(約束事)に過ぎないのではないか。
たとえば、ひとりの人間がいつでも同じ人間であるか否かと考えてみると、私自身も含めて誰もかもが、どうも怪しい。ひとりの人間に百の顔を見ることだってあり得ないことではない。見るたびに、会うたびにどこか違うのである。やさしく見えたひとがとても怖く見えたりして。となるとひとりの人間がひとつの確固たる人格やアイデンティティを保有している、確固たる時制や世界を所有している、ひとつの統一された人生としての物語を生きている、などとは考えられないのではないか。
どうも怪しいことばかり考えているので、ますます正統な小説から遠ざかってしまいます。
ま、部分を描いて全体を暗示できればいいくらいに考えましょう。

昨年も同じことをしたが、妻がキムチの材料に芹を購入して根の部分を捨てたので、拾って小さな器にさして水を入れておいたら芽が出て来て茎や葉がぐんぐん伸びはじめた。
実は芹のてんぷらで蕎麦を食べるのもおいいしいのだが、それはこんなに伸びない地の芹の方が風味が強くておいしい。
物語、それは確たる視点を以って描かれた人間、時制、世界のひとつのまとまりではある。しかしそれさえも実は単なるコンベンション(約束事)に過ぎないのではないか。
たとえば、ひとりの人間がいつでも同じ人間であるか否かと考えてみると、私自身も含めて誰もかもが、どうも怪しい。ひとりの人間に百の顔を見ることだってあり得ないことではない。見るたびに、会うたびにどこか違うのである。やさしく見えたひとがとても怖く見えたりして。となるとひとりの人間がひとつの確固たる人格やアイデンティティを保有している、確固たる時制や世界を所有している、ひとつの統一された人生としての物語を生きている、などとは考えられないのではないか。
どうも怪しいことばかり考えているので、ますます正統な小説から遠ざかってしまいます。
ま、部分を描いて全体を暗示できればいいくらいに考えましょう。
昨年も同じことをしたが、妻がキムチの材料に芹を購入して根の部分を捨てたので、拾って小さな器にさして水を入れておいたら芽が出て来て茎や葉がぐんぐん伸びはじめた。
実は芹のてんぷらで蕎麦を食べるのもおいいしいのだが、それはこんなに伸びない地の芹の方が風味が強くておいしい。
2011年11月28日月曜日
だれも住んでいない街
川沿いの道から山手へと私は歩いていた。
かつてはこの町一番の繁華街だったこの通りも、いつの間にか店をたたんだ商店が続くシャッター通りになり、そして今ではその後継者も管理者も居なくなった古い商店が一軒、また一軒と取り壊されて更地となり、とうとう更地通りになってしまった。
直線にして数百mの商店街の道路上にまったく人影が見えない。
朝の9時頃は介護サービス施設のデイ・サービス送迎車ばかりが行き交っているが、その一時間後は人影もなく、犬や猫の姿さえ見えないゴースト・タウンというか、人間はだれも住んでいない町になってしまうのだ。そのゴースト商店街を通りぬけてさらに歩き続けると、やがて昭和四十年代に造成分譲された住宅地にさしかかる。住民はその当時もっとも稼ぎの多かった公務員や会社員だが、その彼らが子育てを終えてからはずいぶんひっそりしてしまって、碁盤の目のように整然とした道路には人影もなければ犬や猫の姿もない。
そういえば、この団地に中学時代の恩師が住んでいるはずだったが、生死の消息は耳にしたことが無い。
どこからかカナカナの鳴く音が聞こえ、私は軽トラックも入れない狭い路地に迷い込んでいた。
「何だかな......」
そういう声に導かれるようにして、私は一軒の古びた木造一階建ての家の木製の引き戸の玄関に足を踏み入れていた。
「こんなあばら家ですから遠慮せずに上がって下さい」
という声に呼び込まれるようにして、私はそのあばら家の玄関から居間を通過し、その奥の寝室に入っていた。八十歳なのか九十歳なのか百歳なのか判断出来そうもない老人がベッドに横たわっていた。私がベッドの横に置かれたパイプ椅子に腰を下ろすと、酸素を補給する透明なチューブを鼻の下に固定している老人はつぶやいた。
「あとはもう死ぬだけですな。これ以上生きていてもしようがない」
「あれ、金沢先生じゃありませんか」
「いや、わしは金沢じゃなくて小池だ」
「ああ。小池先生でしたか。それじゃ、人違いですね」
「君は自分の担任の名を忘れたのか、相変わらず記憶力が悪いな」
「私の担任は金沢先生でした」
「今日は山下さんが来ない日でね」
「誰ですか、山下さんって」
「ヘルパーの山下さんに決まってるだろ。お前もこの間挨拶したじゃないか」
「え?」
「私はあまり頻繁に来られませんが、よろしくお願いしますって言ってたじゃないか。お前が帰ったあとでな、山下さんはなかなか優しそうなお子さんですねなんて世辞を言っておったぞ。お前は見た目がいいから得をしている」
いつの間にか私は、老人の教え子から息子になっていた。
私は椅子から立って言った。
「それじゃ、帰ります」
「帰る前に、わしを死なせてくれんかな」
応えずに玄関から庭先へと出て、ふと振り返ると玄関の右端に「小池忠正」という表札がぶら下がっていた。
かつてはこの町一番の繁華街だったこの通りも、いつの間にか店をたたんだ商店が続くシャッター通りになり、そして今ではその後継者も管理者も居なくなった古い商店が一軒、また一軒と取り壊されて更地となり、とうとう更地通りになってしまった。
直線にして数百mの商店街の道路上にまったく人影が見えない。
朝の9時頃は介護サービス施設のデイ・サービス送迎車ばかりが行き交っているが、その一時間後は人影もなく、犬や猫の姿さえ見えないゴースト・タウンというか、人間はだれも住んでいない町になってしまうのだ。そのゴースト商店街を通りぬけてさらに歩き続けると、やがて昭和四十年代に造成分譲された住宅地にさしかかる。住民はその当時もっとも稼ぎの多かった公務員や会社員だが、その彼らが子育てを終えてからはずいぶんひっそりしてしまって、碁盤の目のように整然とした道路には人影もなければ犬や猫の姿もない。
そういえば、この団地に中学時代の恩師が住んでいるはずだったが、生死の消息は耳にしたことが無い。
どこからかカナカナの鳴く音が聞こえ、私は軽トラックも入れない狭い路地に迷い込んでいた。
「何だかな......」
そういう声に導かれるようにして、私は一軒の古びた木造一階建ての家の木製の引き戸の玄関に足を踏み入れていた。
「こんなあばら家ですから遠慮せずに上がって下さい」
という声に呼び込まれるようにして、私はそのあばら家の玄関から居間を通過し、その奥の寝室に入っていた。八十歳なのか九十歳なのか百歳なのか判断出来そうもない老人がベッドに横たわっていた。私がベッドの横に置かれたパイプ椅子に腰を下ろすと、酸素を補給する透明なチューブを鼻の下に固定している老人はつぶやいた。
「あとはもう死ぬだけですな。これ以上生きていてもしようがない」
「あれ、金沢先生じゃありませんか」
「いや、わしは金沢じゃなくて小池だ」
「ああ。小池先生でしたか。それじゃ、人違いですね」
「君は自分の担任の名を忘れたのか、相変わらず記憶力が悪いな」
「私の担任は金沢先生でした」
「今日は山下さんが来ない日でね」
「誰ですか、山下さんって」
「ヘルパーの山下さんに決まってるだろ。お前もこの間挨拶したじゃないか」
「え?」
「私はあまり頻繁に来られませんが、よろしくお願いしますって言ってたじゃないか。お前が帰ったあとでな、山下さんはなかなか優しそうなお子さんですねなんて世辞を言っておったぞ。お前は見た目がいいから得をしている」
いつの間にか私は、老人の教え子から息子になっていた。
私は椅子から立って言った。
「それじゃ、帰ります」
「帰る前に、わしを死なせてくれんかな」
応えずに玄関から庭先へと出て、ふと振り返ると玄関の右端に「小池忠正」という表札がぶら下がっていた。
2011年11月27日日曜日
ちょっと強めの決意
どうも私の書くものは解りにくいらしい。自分でもそれが判っているからあまり書きたくないのだが。
昔、小学生の頃、めったに学校を休むことがなかったが、たまたま風邪で一日休んで寝ていて、布団のなかで、一日休んだだけで明日も明後日も休んでしまって、ずっと学校へ行かなくなる自分を想像し、翌日まだ熱が十分に下がらないのに無理に登校したことがあった。そうしないとずっと学校を休んでしまうような気がしたからだった。
こういうブログも、毎日書いていると毎日書くのが当たり前になるし、書かないでいると書かないのが当たり前になる。ブログだけでなく小説も、書けば書くのがあたりまえにあんり、書かなければ書かないのが当たり前になる。
どちらも人間にとっては生のささやかな習慣の一種なのであって、それを破るのにはちょっと強めの決意が必要になる。
先日、ネットショップにダッタンそば粉を注文した。この春から毎晩お湯に溶いて飲んでいたが、いつの間にか飲むのを忘れていて、十日ほど前に頭痛がして血圧を計測したら下が95だった。これはいけないと思って冷凍庫に入っていたダッタンそば粉を再び飲み始めたが、もうあまり無いので1kg入れを1袋注文した。仮に一回に5gを溶いて飲むとして、1kgあれば200日分なので十分である。インスタントコーヒーのビンに入れた残りはガスバリア袋に入れて口を固く閉じ、冷凍庫で保存しておく。
心筋梗塞で死ぬのは構わないが、脳梗塞で生きながらえるのは御免なので、とりあえず毛細血管を強化しておきたいと考えてのことだが、もうそんなことを考える歳になってしまった。
昔、小学生の頃、めったに学校を休むことがなかったが、たまたま風邪で一日休んで寝ていて、布団のなかで、一日休んだだけで明日も明後日も休んでしまって、ずっと学校へ行かなくなる自分を想像し、翌日まだ熱が十分に下がらないのに無理に登校したことがあった。そうしないとずっと学校を休んでしまうような気がしたからだった。
こういうブログも、毎日書いていると毎日書くのが当たり前になるし、書かないでいると書かないのが当たり前になる。ブログだけでなく小説も、書けば書くのがあたりまえにあんり、書かなければ書かないのが当たり前になる。
どちらも人間にとっては生のささやかな習慣の一種なのであって、それを破るのにはちょっと強めの決意が必要になる。
先日、ネットショップにダッタンそば粉を注文した。この春から毎晩お湯に溶いて飲んでいたが、いつの間にか飲むのを忘れていて、十日ほど前に頭痛がして血圧を計測したら下が95だった。これはいけないと思って冷凍庫に入っていたダッタンそば粉を再び飲み始めたが、もうあまり無いので1kg入れを1袋注文した。仮に一回に5gを溶いて飲むとして、1kgあれば200日分なので十分である。インスタントコーヒーのビンに入れた残りはガスバリア袋に入れて口を固く閉じ、冷凍庫で保存しておく。
心筋梗塞で死ぬのは構わないが、脳梗塞で生きながらえるのは御免なので、とりあえず毛細血管を強化しておきたいと考えてのことだが、もうそんなことを考える歳になってしまった。
2011年11月15日火曜日
苦手なSNSですが
アカウントを取得したまま、使い方も分からず「友だち」検索も出来ないでそのまま放置してあったFacebookに少し「友だち」が増えた。
TwitterにせよFacebookにせよ、そうやってひととつながるのが下手な私には苦手なのだけど、さてどうなることやら。
そういえば先ほど、いつもの海外の視聴サイトに行ってBill Evansの Waltz for debby というアルバムを聴きはじめ、何気なく曲名が表示されているその真下に目をやって驚きました。
Facebookのソバの花を背景にした私の写真が表示されていて、コメントを書き込めるようになっているではありませんか。
すごい。
ということで、ちょっとコメントを書いて、それからFacebookを開いてみたら、コメントがちゃんと表示されていました。
でも、なんだか少し怖いですね。自分のパソコンがどこまでも追跡されている感じで。
TwitterにせよFacebookにせよ、そうやってひととつながるのが下手な私には苦手なのだけど、さてどうなることやら。
そういえば先ほど、いつもの海外の視聴サイトに行ってBill Evansの Waltz for debby というアルバムを聴きはじめ、何気なく曲名が表示されているその真下に目をやって驚きました。
Facebookのソバの花を背景にした私の写真が表示されていて、コメントを書き込めるようになっているではありませんか。
すごい。
ということで、ちょっとコメントを書いて、それからFacebookを開いてみたら、コメントがちゃんと表示されていました。
でも、なんだか少し怖いですね。自分のパソコンがどこまでも追跡されている感じで。
2011年11月13日日曜日
恐るべきWord
ようやくボランティアでレイアウトしている雑誌のレイアウトが終了。月曜日には印刷会社へデータを送る段取りになる。
それにしてもWordは怖い。託された原稿のほとんどはWordでひとりだけtxtファイルだが、Word原稿のひとつに矢印の図形を使ったものがあった。それをWordで開いたのだが、どうもその図形が納得できないのでぎりぎりだが執筆者に確認を入れさせてみた。するとやはり、図形が90度回転してしまっていて、縦の矢印が横に、横向きの矢印が縦になっていた。
恐るべきWord! 同じWordを使っていながら、それぞれのパソコンに接続されているプリンタが異なるとレイアウトが崩れることがあるのだ。
ちなみにそのことに気づいた私は、途中から一太郎に乗り換えました。
それにしてもWordは怖い。託された原稿のほとんどはWordでひとりだけtxtファイルだが、Word原稿のひとつに矢印の図形を使ったものがあった。それをWordで開いたのだが、どうもその図形が納得できないのでぎりぎりだが執筆者に確認を入れさせてみた。するとやはり、図形が90度回転してしまっていて、縦の矢印が横に、横向きの矢印が縦になっていた。
恐るべきWord! 同じWordを使っていながら、それぞれのパソコンに接続されているプリンタが異なるとレイアウトが崩れることがあるのだ。
ちなみにそのことに気づいた私は、途中から一太郎に乗り換えました。
2011年11月10日木曜日
佐久間慶子『川向こうの預言者』
「繋」6号(大阪府・10月10日発行)
雑誌を送っていただいてすぐに読み始めたのだったけれど、じきに日常の多忙に紛れて中断し、この頃になってようやく読了した。
ただし、末尾に「それぞれの修行編・了」と記されているので、そうか、これで終わりではなく、更に別の編が続くのだなと思うと感想が書きにくくなったが、楽しみが先送りされてわくわくもし、以下、思うがままに書き残しておこうと思う。
先ずは、「百花繚乱...」といい「川向こうの預言者」といい、佐久間さんて何てデフォルメされた存在としての人間を描くのが上手なんだと感心した。
そしてこの二作を拝読しながら、1932年にアメリカで制作・公開された『フリークス』 (Freaks)という映画を思い出した。
この映画は文字通りの肉体的畸形を負っている彼や彼女たちが主人公であったのだが、佐久間さんの「川向こうの預言者」に登場しているのは、そういう肉体的・物理的畸形を負った彼や彼女たちではない。
いや、やや常識的数値を超えた肥満や痩せである彼女や彼が登場してはいるのだが、そんなことは問題ではない。これに近い肥満や痩せは現実に存在している。
問題は、記録する者として選ばれた「わたし」が直面した、この宗教団体とも邪宗とも言えないほどの小さな怪しい宗教グループの構成員のひとりひとり、すなわち肥満体の「預言者デブリ」、あるいは今にも死にそうに痩せた「修行者ガリリ」、あるいはアリアドネーさながら独特の迷宮ダンスを踊る「神の踊り子フルフル」、意味があって無い言葉を発し連ねる「空洞詩人カラン」、そんな彼らがどことなくだが、決定的に普通の人間ではないことである。
彼らは、映画「フリークス」の彼らのような肉体的・物理的畸形としてのフリークスでは決してない。けれども、彼らは人間という名の存在としては不確かな、畸形=フリークスである。
にもかかわらずである。そんなフリークスな彼らが何と生き生きと描かれていることか。私が佐久間慶子さんを賛嘆するのは、このような現実には在りない畸形=フリークスとしての人間を活写していることである。
一人でも多くの書き手=読み手に読んで欲しい小説であることは間違いない。
雑誌を送っていただいてすぐに読み始めたのだったけれど、じきに日常の多忙に紛れて中断し、この頃になってようやく読了した。
ただし、末尾に「それぞれの修行編・了」と記されているので、そうか、これで終わりではなく、更に別の編が続くのだなと思うと感想が書きにくくなったが、楽しみが先送りされてわくわくもし、以下、思うがままに書き残しておこうと思う。
先ずは、「百花繚乱...」といい「川向こうの預言者」といい、佐久間さんて何てデフォルメされた存在としての人間を描くのが上手なんだと感心した。
そしてこの二作を拝読しながら、1932年にアメリカで制作・公開された『フリークス』 (Freaks)という映画を思い出した。
この映画は文字通りの肉体的畸形を負っている彼や彼女たちが主人公であったのだが、佐久間さんの「川向こうの預言者」に登場しているのは、そういう肉体的・物理的畸形を負った彼や彼女たちではない。
いや、やや常識的数値を超えた肥満や痩せである彼女や彼が登場してはいるのだが、そんなことは問題ではない。これに近い肥満や痩せは現実に存在している。
問題は、記録する者として選ばれた「わたし」が直面した、この宗教団体とも邪宗とも言えないほどの小さな怪しい宗教グループの構成員のひとりひとり、すなわち肥満体の「預言者デブリ」、あるいは今にも死にそうに痩せた「修行者ガリリ」、あるいはアリアドネーさながら独特の迷宮ダンスを踊る「神の踊り子フルフル」、意味があって無い言葉を発し連ねる「空洞詩人カラン」、そんな彼らがどことなくだが、決定的に普通の人間ではないことである。
彼らは、映画「フリークス」の彼らのような肉体的・物理的畸形としてのフリークスでは決してない。けれども、彼らは人間という名の存在としては不確かな、畸形=フリークスである。
にもかかわらずである。そんなフリークスな彼らが何と生き生きと描かれていることか。私が佐久間慶子さんを賛嘆するのは、このような現実には在りない畸形=フリークスとしての人間を活写していることである。
一人でも多くの書き手=読み手に読んで欲しい小説であることは間違いない。
きれいは汚い、汚いはきれい
読みかけのまま中断していた小説を読了。感想を書きたいのだがまだ続きがあるらしいし、一種の存在論としてのフリークス(畸形)という論じ方になるので、書き方が難しく、簡単には書けそうもない。
それにしても、女性がこういう小説を書くというのはある種の脅威であり、また刺激的だ。彼女が書いた小説も十二分にフリークスな小説でいったいどんな評価をされているか気にかかっている。

昨日、今日の寒さにもかかわらず、庭の片隅で咲いているアイスバーグという名の白薔薇。
この端正かつ純白な美しさと、畸形的存在としての人間。
今更ながら、ハムレットのなかの「To be, or not to be」に負けず劣らずの、シェイクスピアの『マクベス』のなかの「きれいは汚い。汚いはきれい」という魔女たちのセリフが思い出される。
人間は天使でありつつ悪魔である。そのせめぎあいを書いてこそ文学。
それにしても、女性がこういう小説を書くというのはある種の脅威であり、また刺激的だ。彼女が書いた小説も十二分にフリークスな小説でいったいどんな評価をされているか気にかかっている。
昨日、今日の寒さにもかかわらず、庭の片隅で咲いているアイスバーグという名の白薔薇。
この端正かつ純白な美しさと、畸形的存在としての人間。
今更ながら、ハムレットのなかの「To be, or not to be」に負けず劣らずの、シェイクスピアの『マクベス』のなかの「きれいは汚い。汚いはきれい」という魔女たちのセリフが思い出される。
人間は天使でありつつ悪魔である。そのせめぎあいを書いてこそ文学。
2011年11月9日水曜日
貧者に不可欠のツール
2011年11月8日火曜日
ストレス
ようやく自分たちの雑誌が出たと思ったら、ほかの雑誌のレイアウトが待っていた。
何か、ストレスを感じる。多分、原稿の依頼の仕方が下手なのだと思う。今は誰もがパソコンを使って書く時代なのだから、字数・行数・段組・頁数などをきちんと伝えて依頼すればいいのに、アバウトな依頼をするから、さあ収拾がつきません。
そういえば、あるひとの小説を読みかけのままソバの収穫やらにまぎれて中断していた。続きを読もう。
何か、ストレスを感じる。多分、原稿の依頼の仕方が下手なのだと思う。今は誰もがパソコンを使って書く時代なのだから、字数・行数・段組・頁数などをきちんと伝えて依頼すればいいのに、アバウトな依頼をするから、さあ収拾がつきません。
そういえば、あるひとの小説を読みかけのままソバの収穫やらにまぎれて中断していた。続きを読もう。
2011年11月7日月曜日
2011年11月4日金曜日
発送作業
ようやく雑誌の発送作業が出来た。個人発送分、会で発送する分をメール便で明日発送。
とはいえ、新しい雑誌にして表紙をカラー化したのを機会に発行部数を減らしたので、送付先はかなり絞った。
まだ、web版をアップどころか、まだファイルが出来ていない。といっても、これもHTML版はやめてpdf版だけなので、一太郎からpdfに書き出しするだけなので、そう時間はかからない。でも、今日は朝からずっと体を動かし放しなので、明日にしよう。
とはいえ、新しい雑誌にして表紙をカラー化したのを機会に発行部数を減らしたので、送付先はかなり絞った。
まだ、web版をアップどころか、まだファイルが出来ていない。といっても、これもHTML版はやめてpdf版だけなので、一太郎からpdfに書き出しするだけなので、そう時間はかからない。でも、今日は朝からずっと体を動かし放しなので、明日にしよう。
2011年10月31日月曜日
焼きがまわって来ました
最近は差し込み印刷で直接封筒に宛名印刷していたが、プリンタが封筒の場合は自動給紙ではなく一枚ずつ手差しで給紙しなければならず、面倒なので以前のラベル用紙への印刷に切り替えようとした。かつて手慣れたWordの差し込み印刷ウィザードでさっさと作成するつもりが、躓いた。
何度も何度もやり直したがうまくいかず、ネットで検索して確認したら、差し込みするExcelファイルのデータの一行目からアドレスを入力していて、いわゆる「郵便番号」、「住所1」、「住所2」、「氏名」などの先頭行の区分けがされていなかったのが原因だった。
あまり使わないので、うっかりしていた。
ということでようやく宛名ラベルの印刷が終了。それを明日の晩に貼って、明後日発送の段取りです。
そのレーザー・プリンターのトナーがそろそろ終わりらしいので、ネットと実店舗で価格を比較してみたら、ネットの方が送料無料でなおかつ千数百円安い。
無論、以前リサイクル品を試してみて懲りたので、品物はメーカー純正品でなければいけません。
何度も何度もやり直したがうまくいかず、ネットで検索して確認したら、差し込みするExcelファイルのデータの一行目からアドレスを入力していて、いわゆる「郵便番号」、「住所1」、「住所2」、「氏名」などの先頭行の区分けがされていなかったのが原因だった。
あまり使わないので、うっかりしていた。
ということでようやく宛名ラベルの印刷が終了。それを明日の晩に貼って、明後日発送の段取りです。
そのレーザー・プリンターのトナーがそろそろ終わりらしいので、ネットと実店舗で価格を比較してみたら、ネットの方が送料無料でなおかつ千数百円安い。
無論、以前リサイクル品を試してみて懲りたので、品物はメーカー純正品でなければいけません。
2011年10月30日日曜日
不可逆な会話
「お客さん、何だか、一週間が7日だったり、8日だったり、10日だったりしません?」
行きつけのバーで、まだこの店に雇われママとして勤め始めて半月もしないミナという子が、カウンター越しに妙に親しげな表情で私に言った。この店に毎晩通っているのは私だけだから。
「それは、ロシア民謡の『一週間』や、ビートルズの『8days a week』や、五月みどりの『一週間に十日来い』の世界じゃない?」
「何それ? わたしはそんなの知らないけど、時間がきちんと同じペースで刻まれているなんて、わたし、とても信じられないの。時間て、もっと気まぐれに早く進んだり、停止してしまったり、猛烈なスピードで可逆不可能な進み方をしたりする」
「可逆不可能な進み方?」
「そう、可逆不可能な進み方」
「それはややこしい言い方だ。簡単に不可逆といえばいいのに」
「言い方の違いなんてどうでもいいの。何だかな、昨日はとても早く過ぎ去ってしまったのに、今日は亀みたいに遅いのよ時間が経つのが。この頃というか、二十歳過ぎたら妙に時間の進み方がめちゃくちゃになってしまったわ。小学生や中学生や高校生の頃って、時間が過ぎるのが遅くて遅くて、早く大人になりたかったのに、今じゃ一年があっという間で、急な坂道を転げ落ちるみたいに歳を取って、そしてあっという間に婆さんになっちまうのよわたし」
カウンターの向こうでそう言い放つミナはまだ21歳のはずだったが、何だかほんとうに婆さんのように見えた。髪は白いし、両瞼の下はくすんで小皺がいっぱいだったし、そのくたびれ果ててたるんだ頬の皮膚や肉のさらに奥に、私は人体の頭蓋骨をイマージュしてしまったくらいだった。
「あんただってそうよね。若ぶった身なりをしてはいるけれど、ほら、やだね、入れ歯がはずれて飛び出しそうだし、さっきからずっとポケットに手を入れて何を探してるのよ。もうお勘定して帰りたいの?」
若者の姿も幼児の姿も絶えて見えなくなったこの更地通りに、かろうじて一軒だけ残っているバーで毎晩繰り返されている不可逆な会話が、こうして夜な夜な反復されるのだ。
行きつけのバーで、まだこの店に雇われママとして勤め始めて半月もしないミナという子が、カウンター越しに妙に親しげな表情で私に言った。この店に毎晩通っているのは私だけだから。
「それは、ロシア民謡の『一週間』や、ビートルズの『8days a week』や、五月みどりの『一週間に十日来い』の世界じゃない?」
「何それ? わたしはそんなの知らないけど、時間がきちんと同じペースで刻まれているなんて、わたし、とても信じられないの。時間て、もっと気まぐれに早く進んだり、停止してしまったり、猛烈なスピードで可逆不可能な進み方をしたりする」
「可逆不可能な進み方?」
「そう、可逆不可能な進み方」
「それはややこしい言い方だ。簡単に不可逆といえばいいのに」
「言い方の違いなんてどうでもいいの。何だかな、昨日はとても早く過ぎ去ってしまったのに、今日は亀みたいに遅いのよ時間が経つのが。この頃というか、二十歳過ぎたら妙に時間の進み方がめちゃくちゃになってしまったわ。小学生や中学生や高校生の頃って、時間が過ぎるのが遅くて遅くて、早く大人になりたかったのに、今じゃ一年があっという間で、急な坂道を転げ落ちるみたいに歳を取って、そしてあっという間に婆さんになっちまうのよわたし」
カウンターの向こうでそう言い放つミナはまだ21歳のはずだったが、何だかほんとうに婆さんのように見えた。髪は白いし、両瞼の下はくすんで小皺がいっぱいだったし、そのくたびれ果ててたるんだ頬の皮膚や肉のさらに奥に、私は人体の頭蓋骨をイマージュしてしまったくらいだった。
「あんただってそうよね。若ぶった身なりをしてはいるけれど、ほら、やだね、入れ歯がはずれて飛び出しそうだし、さっきからずっとポケットに手を入れて何を探してるのよ。もうお勘定して帰りたいの?」
若者の姿も幼児の姿も絶えて見えなくなったこの更地通りに、かろうじて一軒だけ残っているバーで毎晩繰り返されている不可逆な会話が、こうして夜な夜な反復されるのだ。
2011年10月29日土曜日
文芸誌「出現」3号出来
指定通り、本日、印刷会社から納品。先ずは早速、同人の皆さんへの送本分を荷造りし、宅配便で発送する準備。個人の皆様への献呈分は封筒かラベルへの差し込み印刷が、プリンタのトナーを買って来ないと出来ないので、明日か(明日は忙しいので)明後日以降に。

そういえば一個、ミス発見。奥付の発行所住所の番地が2346-4になっていた。創刊号からずっと(泣)。北九州のWさんが雑誌を発送したら帰って来ましたとメール下さったのは、この発行所住所だったからと、今になって気づきました。ウァーン・゚・(ノД`)ヽ(゚Д゚ )ナクナ
そういえば一個、ミス発見。奥付の発行所住所の番地が2346-4になっていた。創刊号からずっと(泣)。北九州のWさんが雑誌を発送したら帰って来ましたとメール下さったのは、この発行所住所だったからと、今になって気づきました。ウァーン・゚・(ノД`)ヽ(゚Д゚ )ナクナ
2011年10月27日木曜日
未だに生まれてはいない悪女のために
この片田舎の小さな街を川下から川上に向かって歩いてゆくと、旧市街のゴーストタウンを通り過ぎ、やがて新しいショッピングセンターに囲まれた新幹線駅に至る。
歩き疲れて駅横に設置されている公園のベンチで、駅前の自動販売機で買ったアルミ缶入りの無糖コーヒーを飲んでいると、いったん目の前を通過したミニスカートの少女がくるりと向きを変え、戻って来て言った。
「ねえ、おじちゃん、わたし、財布を無くしちゃった。お金貸してちょうだい」
見れば幼い顔つきでどう見ても中学生だった。
「携帯持っていないの?」
「持ってるよ」
「それじゃ家に電話してお母さんに持ってきてもらったら?」
「そんなの居ねえよ」
「じゃ、お父さんだ」
「昼間から酒飲んでいるか、女を連れ込んでいるかで、来る訳ねえし、お金もねえし、近いうちに天罰下って死んでしまうだろうし、わたしにはまともな両親がいないし」
「そうか、それは失礼したね」
「そうだよ、かなり失礼だよな。わたしのいちばん痛いところばかり突いて来てさ。この落とし前、どうつけてくれるのさ」
アイラインとつけ睫毛で強調され過ぎな怖い瞳でぐっと睨みつけながら、少女はベンチの隣に腰を下ろした。パンツ丸見えにならない程度に短いスカートから、太ももが生々しく露出している。
「ところで、何円必要?」
「へ、見かけによらず物分りのいいおじちゃん」
「その、おじちゃんはやめてくれないかな」
「だってどこから見てもおじちゃんだし、名前知らないし」
「そうか、そうだな」
「三万円」
「え? 中学生が三万円ってちょっと欲張り過ぎと思うけど」
「中学生じゃねえよ、高校二年生だよ、童顔だからってバカにするんじゃないよ」
「それは失礼しました」
「ほんと、失礼」
「ただ三万円くれとは言わない。好きにしていいよ」
「淫行罪に問われるのは嫌だから、一万円あげる」
「ただ貰うのはやだよう。わたしのささやかなポリシーに反しているし」
「難しいお嬢ちゃんだね」
「わたしはお嬢ちゃんじゃないよ。嫌われ者のハキダメ菊だよ」
「へえ、ハキダメ菊を知っているのか」
「掃き溜めの鶴ならまだ救われるけど、あのチンケなハキダメ菊なんてかっこ悪いよな。生まれて来た意味ないし」
「一万円でいいのか、三万円欲しいのか?」
「そりゃ、三万円に決まってるじゃん」
私はズボンの後ろポケットから財布を出し、一万円札を出した。
「おじさんも貧しい身の上なので三万円は無理なので一万円で我慢出来る?」
「我慢出来る、ありがとう」
「結構、素直なんだね」
「そう、わたし、ほんとうは素直なんだ。おじちゃん、案外、解っているんだね」
「それじゃ、これで、お家に帰ろう」
「おじちゃんは帰りたいお家があるんだ」
「一応ね」
「一応でも二応でも三応でも、帰りたいお家があるのは羨まちい限りでちゅ」
とふざけた口調で応答する少女の顔をまじまじみつめているうちに、どうも彼女が高校生でも中学生でもなく、小学校六年生のように見えて来て困った。
「思ったより可愛いね。名前を教えてくれない?」
「ミオだよ。未だに生まれないって書く」
「いい名前だ」
「良くないよ。良くないし、いったい誰が名づけたのかさえ判らないし、わたしのほんとうの父親が誰で、母親が誰なのかさえ判らないし、わたしはそれを知りたいんだよ。突然姿を消してしまったお母ちゃんが、わたしの実の父親は悪魔だったって言ってたけね。今の父親も、結構な悪魔だとわたしは思ってる。わたしにすべての悪いことを強要する悪魔。酔うと言うんだよね、存在と現象はすべて意識的であらねばならないとか、善であるためにはすべては意識的であらねばならない。ただし、それを言うなら悪であるためにもすべては意識的であらねばならない。そんなことを言いながら、わたしにこんな風に物乞いさせるんだから、この上なくアホだし、あんなの父親じゃないし、それくらいだったらわたし、橋の下に棄てられていた子の方がましだし」
と言いながら少女は私の手から一万円札をひらりと掠め取り、ベンチから立ち上がってその短いスカートからはみ出しているお尻のきわどい曲線を右に左に動かしながら、駅とは反対の方角へと去って行った。
まだ緑の少ない新設の公園のどこからか、カナカナだか蜩だか判らない鳴き声が聴こえて来た。私も駅に背を向け、再び歩きはじめた。
歩き疲れて駅横に設置されている公園のベンチで、駅前の自動販売機で買ったアルミ缶入りの無糖コーヒーを飲んでいると、いったん目の前を通過したミニスカートの少女がくるりと向きを変え、戻って来て言った。
「ねえ、おじちゃん、わたし、財布を無くしちゃった。お金貸してちょうだい」
見れば幼い顔つきでどう見ても中学生だった。
「携帯持っていないの?」
「持ってるよ」
「それじゃ家に電話してお母さんに持ってきてもらったら?」
「そんなの居ねえよ」
「じゃ、お父さんだ」
「昼間から酒飲んでいるか、女を連れ込んでいるかで、来る訳ねえし、お金もねえし、近いうちに天罰下って死んでしまうだろうし、わたしにはまともな両親がいないし」
「そうか、それは失礼したね」
「そうだよ、かなり失礼だよな。わたしのいちばん痛いところばかり突いて来てさ。この落とし前、どうつけてくれるのさ」
アイラインとつけ睫毛で強調され過ぎな怖い瞳でぐっと睨みつけながら、少女はベンチの隣に腰を下ろした。パンツ丸見えにならない程度に短いスカートから、太ももが生々しく露出している。
「ところで、何円必要?」
「へ、見かけによらず物分りのいいおじちゃん」
「その、おじちゃんはやめてくれないかな」
「だってどこから見てもおじちゃんだし、名前知らないし」
「そうか、そうだな」
「三万円」
「え? 中学生が三万円ってちょっと欲張り過ぎと思うけど」
「中学生じゃねえよ、高校二年生だよ、童顔だからってバカにするんじゃないよ」
「それは失礼しました」
「ほんと、失礼」
「ただ三万円くれとは言わない。好きにしていいよ」
「淫行罪に問われるのは嫌だから、一万円あげる」
「ただ貰うのはやだよう。わたしのささやかなポリシーに反しているし」
「難しいお嬢ちゃんだね」
「わたしはお嬢ちゃんじゃないよ。嫌われ者のハキダメ菊だよ」
「へえ、ハキダメ菊を知っているのか」
「掃き溜めの鶴ならまだ救われるけど、あのチンケなハキダメ菊なんてかっこ悪いよな。生まれて来た意味ないし」
「一万円でいいのか、三万円欲しいのか?」
「そりゃ、三万円に決まってるじゃん」
私はズボンの後ろポケットから財布を出し、一万円札を出した。
「おじさんも貧しい身の上なので三万円は無理なので一万円で我慢出来る?」
「我慢出来る、ありがとう」
「結構、素直なんだね」
「そう、わたし、ほんとうは素直なんだ。おじちゃん、案外、解っているんだね」
「それじゃ、これで、お家に帰ろう」
「おじちゃんは帰りたいお家があるんだ」
「一応ね」
「一応でも二応でも三応でも、帰りたいお家があるのは羨まちい限りでちゅ」
とふざけた口調で応答する少女の顔をまじまじみつめているうちに、どうも彼女が高校生でも中学生でもなく、小学校六年生のように見えて来て困った。
「思ったより可愛いね。名前を教えてくれない?」
「ミオだよ。未だに生まれないって書く」
「いい名前だ」
「良くないよ。良くないし、いったい誰が名づけたのかさえ判らないし、わたしのほんとうの父親が誰で、母親が誰なのかさえ判らないし、わたしはそれを知りたいんだよ。突然姿を消してしまったお母ちゃんが、わたしの実の父親は悪魔だったって言ってたけね。今の父親も、結構な悪魔だとわたしは思ってる。わたしにすべての悪いことを強要する悪魔。酔うと言うんだよね、存在と現象はすべて意識的であらねばならないとか、善であるためにはすべては意識的であらねばならない。ただし、それを言うなら悪であるためにもすべては意識的であらねばならない。そんなことを言いながら、わたしにこんな風に物乞いさせるんだから、この上なくアホだし、あんなの父親じゃないし、それくらいだったらわたし、橋の下に棄てられていた子の方がましだし」
と言いながら少女は私の手から一万円札をひらりと掠め取り、ベンチから立ち上がってその短いスカートからはみ出しているお尻のきわどい曲線を右に左に動かしながら、駅とは反対の方角へと去って行った。
まだ緑の少ない新設の公園のどこからか、カナカナだか蜩だか判らない鳴き声が聴こえて来た。私も駅に背を向け、再び歩きはじめた。
2011年10月26日水曜日
レーモン・クノー・コレクション
レーモン・クノー・コレクション全13巻が水声社から刊行される。
全巻購読予約するとおまけがつくという。むむむむ。
先ずは『地下鉄のザジ』と『サリー・マーラ全集』を2冊同時に刊行。10月1日頃配本。続いて「聖グラングラン祭」が10月28日配本。
『サリー・マーラ全集』 欲しいが、3500円+税、か。
全巻購読予約するとおまけがつくという。むむむむ。
先ずは『地下鉄のザジ』と『サリー・マーラ全集』を2冊同時に刊行。10月1日頃配本。続いて「聖グラングラン祭」が10月28日配本。
『サリー・マーラ全集』 欲しいが、3500円+税、か。
2011年10月24日月曜日
電子カウンタ
川沿いの道から山手の町へと、私は歩いていた。
かつてはこの町一番の繁華街だったこの通りも、いつの間にか店をたたんだ商店が続くシャッター通りになり、そして今ではその後継者も管理者も居なくなった古い商店が一軒、また一軒と取り壊されて更地となり、とうとう更地通りになってしまった。
直線にして数百mの商店街の道路上にまったく人影が見えない。
朝の9時頃は介護サービス施設のデイ・サービス送迎車ばかりが行き交っているが、その一時間後は人影もなく、犬や猫の姿さえ見えないゴースト・タウンというか、人間はだれも住んでいない町になってしまったのだ。。
いつからこの町はこんなゴーストタウンに成り下がってしまったのだろう。
奇妙な物体が、私の目に入った。
「電子カウンタ」という文字が印刷されたプラスティック製の筐体である。その中央の窓にデジタル表示されている数字は3321。ちなみにその「電子カウンタ」が設置されているのは、更地通りのほぼ真ん中に位置する、かつては大きな書店だった家のアルミ製の引き戸の横だった。その「電子カウンタ」はおそらくそのアルミ製の引き戸が開けられる度にカウントされているのだろうが、いったい何のために設置されているのだろう?
そのアルミ製の引き戸が勢いよく引かれて、ひとりの老婆が姿を現した。
「聞いて下さい。わたしは監禁幽閉されているんです。狂ってもいないのに狂っていると言われて、十四の歳からずうっと。ちょっと変わったことを言っただけなのに、父も母も私が狂っていると思って学校にも行かせてくれないんですよ、ひどいと思いません? こんな親を親に持った私はこの世でいちばん不幸な人間と思って、助けて下さいよ。あれ? あなたは小学校でわたしの隣の席だったヨッチャンじゃない? わたし、ヨッチャンが好きだったのに、あなたしらばっくれていたわね。いいえ、そのことを恨んじゃいないわ。ねえ、憶えている? 校庭の隅のプラタナスの樹。あのまあるい実を取ってって言ったらヨッチャン、あなた、あのプラタナスの樹によじ登って採ってくれたじゃない。わたしはあなたと結婚したかったのに、両親が封建的なものだからあんな男と一緒にさせられて、つまらない人生を送ってしまったわ。ねえヨッチャン、わたしともう一度やり直さない?」
その背後から五十歳前後の女性が顔を出して、言った。
「済みません、母はアルツハイマーなものですから言うことがおかしいんです」
そして老婆はアルミ製の引き戸の向こうへ引き込まれ、その引き戸も閉められてしまった。
「電子カウンタ」の数字がひとつ繰り上がって、3322になっていた。
かつてはこの町一番の繁華街だったこの通りも、いつの間にか店をたたんだ商店が続くシャッター通りになり、そして今ではその後継者も管理者も居なくなった古い商店が一軒、また一軒と取り壊されて更地となり、とうとう更地通りになってしまった。
直線にして数百mの商店街の道路上にまったく人影が見えない。
朝の9時頃は介護サービス施設のデイ・サービス送迎車ばかりが行き交っているが、その一時間後は人影もなく、犬や猫の姿さえ見えないゴースト・タウンというか、人間はだれも住んでいない町になってしまったのだ。。
いつからこの町はこんなゴーストタウンに成り下がってしまったのだろう。
奇妙な物体が、私の目に入った。
「電子カウンタ」という文字が印刷されたプラスティック製の筐体である。その中央の窓にデジタル表示されている数字は3321。ちなみにその「電子カウンタ」が設置されているのは、更地通りのほぼ真ん中に位置する、かつては大きな書店だった家のアルミ製の引き戸の横だった。その「電子カウンタ」はおそらくそのアルミ製の引き戸が開けられる度にカウントされているのだろうが、いったい何のために設置されているのだろう?
そのアルミ製の引き戸が勢いよく引かれて、ひとりの老婆が姿を現した。
「聞いて下さい。わたしは監禁幽閉されているんです。狂ってもいないのに狂っていると言われて、十四の歳からずうっと。ちょっと変わったことを言っただけなのに、父も母も私が狂っていると思って学校にも行かせてくれないんですよ、ひどいと思いません? こんな親を親に持った私はこの世でいちばん不幸な人間と思って、助けて下さいよ。あれ? あなたは小学校でわたしの隣の席だったヨッチャンじゃない? わたし、ヨッチャンが好きだったのに、あなたしらばっくれていたわね。いいえ、そのことを恨んじゃいないわ。ねえ、憶えている? 校庭の隅のプラタナスの樹。あのまあるい実を取ってって言ったらヨッチャン、あなた、あのプラタナスの樹によじ登って採ってくれたじゃない。わたしはあなたと結婚したかったのに、両親が封建的なものだからあんな男と一緒にさせられて、つまらない人生を送ってしまったわ。ねえヨッチャン、わたしともう一度やり直さない?」
その背後から五十歳前後の女性が顔を出して、言った。
「済みません、母はアルツハイマーなものですから言うことがおかしいんです」
そして老婆はアルミ製の引き戸の向こうへ引き込まれ、その引き戸も閉められてしまった。
「電子カウンタ」の数字がひとつ繰り上がって、3322になっていた。
部分を描いて全体を示す
自分の同人誌がまだ出来てこないのに、別の雑誌のレイアウトを開始した。まずはひとつずつ片付けてゆくほかないし、うんうんうなっても前へ進めない創作と違って、すでに定型となっている作業フローに従ってパソコンで作業をしてゆけばいいので、精神的には楽である。
創作について言えば、どうも私は普通の小説のような「統一された人格・物語・時制」などを嫌う傾向がある。言ってみれば、連続テレビ小説的な主人公=「統一された人格」が生まれてから死ぬまで、あるいは何らかの成功を為すといった=統一された物語性や時制といったものが、私にはまさに怪しい仕組みというか、からくりにしか見えないのだ。
すべてがそんなにうまい具合に統一されているはずもない。
などと怪しからんことばかり考えているのでまともな小説が書けなくなり、人間という存在も社会も時間も、すべてが部分、あるいは断片としか把握できない。
そんな私の物を書くことの出立がカフカの「観察・国道のこどもたち」という断片にあったのを思い出してみれば、小説らしい小説を書くことに強い抵抗を持ってしまうのは生来の悪癖として自分で我慢するほかない。昔から正統派の作家を避け、二流、三流、亜流の作家にばかり夢中になってきた報いでもある。
しかしこの頃、部分を描いて全体を示すという方法もあるのだと気づいた。全体など書かなくてもいいのだ。
創作について言えば、どうも私は普通の小説のような「統一された人格・物語・時制」などを嫌う傾向がある。言ってみれば、連続テレビ小説的な主人公=「統一された人格」が生まれてから死ぬまで、あるいは何らかの成功を為すといった=統一された物語性や時制といったものが、私にはまさに怪しい仕組みというか、からくりにしか見えないのだ。
すべてがそんなにうまい具合に統一されているはずもない。
などと怪しからんことばかり考えているのでまともな小説が書けなくなり、人間という存在も社会も時間も、すべてが部分、あるいは断片としか把握できない。
そんな私の物を書くことの出立がカフカの「観察・国道のこどもたち」という断片にあったのを思い出してみれば、小説らしい小説を書くことに強い抵抗を持ってしまうのは生来の悪癖として自分で我慢するほかない。昔から正統派の作家を避け、二流、三流、亜流の作家にばかり夢中になってきた報いでもある。
しかしこの頃、部分を描いて全体を示すという方法もあるのだと気づいた。全体など書かなくてもいいのだ。
2011年10月22日土曜日
あるいは三つの無言の悲しみ
私は、今日の夕方、小さな児童公園の公孫樹の木の下で木製のベンチに腰掛けてしばらく休息していた
すると、背後の住宅街の方からピアノで奏でられるフォーレの『無言歌』が聴こえて来た。それは私が偏愛している曲だった。この曲を聴いているだけで、こんな自分をも肯定出来るような穏やかな心持ちになれた。
「どうもこの頃、妻の目つきが怪しいんです。こう向き合って夕食を食べていますでしょ。するとですね、向き合っているにもかかわらず、彼女の視線が私を透過して私の背後のはるか彼方を見ているような目つきをしているんです」
1mほど間隔をあけた右に設置されている隣のベンチから男の声がした。
誰と話しているんだろう。ベンチには男ひとりしか座っていない。
男と顔が合った。三十代後半か四十代前半かと思われるが、ずいぶん額が広い。
ひょいと会釈してからまた口を開いた。
「あのピアノを弾いているのが私の妻なんです」
「ほう、なかなかお上手で。私もこの『無言歌』は大好きなんですよ。奥様が『無言歌』を弾かれるなんて、なんとも羨ましい」
「ピアノもですが、人間的にもとても魅力的なひとだったんです、瞳を大きく開いて情感たっぷりな話し方をする」
「魅力的なひとだった?」
「この頃はどうも、ひとが変わったというか、あるいは病的になったというか、情緒的になったというか、神経に棘のようなものが出来ているらしいんです」
「そうですか? あの『無言歌』を聴いている限り、神経の棘など感じさせませんが」
「昨晩など、夕食後居間でテレビを視てくつろいでいたらですね、後ろに立っていた妻が私の首に手をかけようとしていたんです。妻の細くて長い指が私の首を絞めるような形で接近してきているのが、サイドボードのガラスに映って見えたんです。思わずぞっとして、立ち上がってトイレに行く振りをして自室に戻ってしまいました。今朝も、顔を合わせないうちに散歩に出てしまい、この時刻になっても家に帰る気がしないんです。帰宅不安症候群と私は勝手に名づけているんですけどね」
と言いながら男は苦笑した。こういうその場しのぎな苦笑を、私は嫌いだ。
もう夕暮れである。
足元には、かなり離れている三連のブランコが長い影を引いていた。
ピアノがショパンの『夜想曲ハ短調』を奏で始めた。同じ遺作で有名な『夜想曲嬰ハ短調』ではなく、ただのハ短調の方である。もともとが夜想曲であるから何となくしっとりとした哀愁を感じさせる曲なのだが、男の妻の鍵盤の上を走る両手の動きは、ゆったりと滔々とした悲しみのようなものに変換され、私のなかにまで入り込んできた。
何となく意地が悪くなった私は男に向かって言った。
「そうは言っても、もう少ししたらお家に帰られるんでしょ」
「そうですね。もう帰らなくちゃいけませんね」
男はベンチから立ち上がって私に頭を下げ、すたすたとピアノの音が聴こえて来る方向に去って行った。
私は思わず、無言のまま両手で彼の首を絞める真似をした。
私の目には、男は強い夕焼けのなかのただの黒い影に過ぎないのだった。
すると、背後の住宅街の方からピアノで奏でられるフォーレの『無言歌』が聴こえて来た。それは私が偏愛している曲だった。この曲を聴いているだけで、こんな自分をも肯定出来るような穏やかな心持ちになれた。
「どうもこの頃、妻の目つきが怪しいんです。こう向き合って夕食を食べていますでしょ。するとですね、向き合っているにもかかわらず、彼女の視線が私を透過して私の背後のはるか彼方を見ているような目つきをしているんです」
1mほど間隔をあけた右に設置されている隣のベンチから男の声がした。
誰と話しているんだろう。ベンチには男ひとりしか座っていない。
男と顔が合った。三十代後半か四十代前半かと思われるが、ずいぶん額が広い。
ひょいと会釈してからまた口を開いた。
「あのピアノを弾いているのが私の妻なんです」
「ほう、なかなかお上手で。私もこの『無言歌』は大好きなんですよ。奥様が『無言歌』を弾かれるなんて、なんとも羨ましい」
「ピアノもですが、人間的にもとても魅力的なひとだったんです、瞳を大きく開いて情感たっぷりな話し方をする」
「魅力的なひとだった?」
「この頃はどうも、ひとが変わったというか、あるいは病的になったというか、情緒的になったというか、神経に棘のようなものが出来ているらしいんです」
「そうですか? あの『無言歌』を聴いている限り、神経の棘など感じさせませんが」
「昨晩など、夕食後居間でテレビを視てくつろいでいたらですね、後ろに立っていた妻が私の首に手をかけようとしていたんです。妻の細くて長い指が私の首を絞めるような形で接近してきているのが、サイドボードのガラスに映って見えたんです。思わずぞっとして、立ち上がってトイレに行く振りをして自室に戻ってしまいました。今朝も、顔を合わせないうちに散歩に出てしまい、この時刻になっても家に帰る気がしないんです。帰宅不安症候群と私は勝手に名づけているんですけどね」
と言いながら男は苦笑した。こういうその場しのぎな苦笑を、私は嫌いだ。
もう夕暮れである。
足元には、かなり離れている三連のブランコが長い影を引いていた。
ピアノがショパンの『夜想曲ハ短調』を奏で始めた。同じ遺作で有名な『夜想曲嬰ハ短調』ではなく、ただのハ短調の方である。もともとが夜想曲であるから何となくしっとりとした哀愁を感じさせる曲なのだが、男の妻の鍵盤の上を走る両手の動きは、ゆったりと滔々とした悲しみのようなものに変換され、私のなかにまで入り込んできた。
何となく意地が悪くなった私は男に向かって言った。
「そうは言っても、もう少ししたらお家に帰られるんでしょ」
「そうですね。もう帰らなくちゃいけませんね」
男はベンチから立ち上がって私に頭を下げ、すたすたとピアノの音が聴こえて来る方向に去って行った。
私は思わず、無言のまま両手で彼の首を絞める真似をした。
私の目には、男は強い夕焼けのなかのただの黒い影に過ぎないのだった。
2011年10月20日木曜日
また哀しき聖母
道楽で栽培しているソバの脱穀をしていたら、小柄の老婆が畑のなかへ入って来た。
「タイヘンだね」
「いや、好きでやっていることだからタイヘンじゃないですよ」
「少し分けて欲しいんだけど」
「え、まだ葉や茎やゴミが混じっているから、篩ったり唐箕にかけたりしないと」
「いえ、私が欲しいのはそば粉」
「それじゃ、粉になるまでまだ半月くらいかかりますよ」
「静岡に送ってやりたいから」
「静岡って?」
「娘がいるんです、沼津に」
「それじゃ、製粉が済んだら電話しますから番号を教えて下さい」
「電話はね、嫁がいるから。あんたの電話を教えて。私の方から電話する」
「電話番号を書く紙とかボールペン、持ってます?」
「無いから、また明日来ます」
「え、明日ここに来るかどうか判りませんけど」
「嫁がね、私が入院している間に、着るものをみんな鋏で切っちゃった」
「ええ?!」
「まだ背中に痣が残ってるんだよ」
そういうと、老婆は背中の後ろで布製のお買い物袋を担ぐような格好でそば畑の東側の小路を南に向かって行った。
そういえば、八月にそばの種まきをしている時にも畑に入って来た老婆がいたが、それが彼女だった。その時のやり取りはこうだった。
「西瓜を売って下さい」
「同じ畑だけど、その西瓜を作っているのは私じゃなくて別のFさんなんですよ。ほら、そこに直売の看板が立っていて、次の販売日は6日って書いてあるじゃないですか。明後日、また来てみて下さい」
「今日、西瓜が欲しいの」
「それじゃ、看板に携帯電話の番号が書いてあるでしょ。電話してみて下さい」
「電話はダメなんだよ」
「電話が無いんですか?」
「電話はね、嫁が出ちやうからダメ電話できないのさ」
「そんなこと無いでしょ」
「嫁がね、私が入院している間に、着るものをみんな鋏で切っちゃった」
「ええ?!」
「まだ背中に痣が残ってるんだよ」
そういうと、老婆は背中の後ろで布製のお買い物袋を担ぐような格好で畑の東側の小路を南に向かって行ったのだった。
彼女もまた、年老いてくたびれ果てた哀しき聖母なのかもしれなかった。
「タイヘンだね」
「いや、好きでやっていることだからタイヘンじゃないですよ」
「少し分けて欲しいんだけど」
「え、まだ葉や茎やゴミが混じっているから、篩ったり唐箕にかけたりしないと」
「いえ、私が欲しいのはそば粉」
「それじゃ、粉になるまでまだ半月くらいかかりますよ」
「静岡に送ってやりたいから」
「静岡って?」
「娘がいるんです、沼津に」
「それじゃ、製粉が済んだら電話しますから番号を教えて下さい」
「電話はね、嫁がいるから。あんたの電話を教えて。私の方から電話する」
「電話番号を書く紙とかボールペン、持ってます?」
「無いから、また明日来ます」
「え、明日ここに来るかどうか判りませんけど」
「嫁がね、私が入院している間に、着るものをみんな鋏で切っちゃった」
「ええ?!」
「まだ背中に痣が残ってるんだよ」
そういうと、老婆は背中の後ろで布製のお買い物袋を担ぐような格好でそば畑の東側の小路を南に向かって行った。
そういえば、八月にそばの種まきをしている時にも畑に入って来た老婆がいたが、それが彼女だった。その時のやり取りはこうだった。
「西瓜を売って下さい」
「同じ畑だけど、その西瓜を作っているのは私じゃなくて別のFさんなんですよ。ほら、そこに直売の看板が立っていて、次の販売日は6日って書いてあるじゃないですか。明後日、また来てみて下さい」
「今日、西瓜が欲しいの」
「それじゃ、看板に携帯電話の番号が書いてあるでしょ。電話してみて下さい」
「電話はダメなんだよ」
「電話が無いんですか?」
「電話はね、嫁が出ちやうからダメ電話できないのさ」
「そんなこと無いでしょ」
「嫁がね、私が入院している間に、着るものをみんな鋏で切っちゃった」
「ええ?!」
「まだ背中に痣が残ってるんだよ」
そういうと、老婆は背中の後ろで布製のお買い物袋を担ぐような格好で畑の東側の小路を南に向かって行ったのだった。
彼女もまた、年老いてくたびれ果てた哀しき聖母なのかもしれなかった。
2011年10月19日水曜日
1982年のTina Turner
久しぶりにYou TubeでTina Turnerを検索してみたら、Tina Turner Proud Mary Live 2009 があった。まだまだ元気だ。1939年11月26日生まれだから、まだ72歳というか、もう72歳というか、でもまだ迫力があります。
ただし、私が好きなのは画像が鮮明ではないが、1982年のこの動画。この時43歳。
ただし、私が好きなのは画像が鮮明ではないが、1982年のこの動画。この時43歳。
2011年10月18日火曜日
やれやれ
同人誌の編集レイアウト、ひと晩置いてまた目を通したらまだ細かいミスがあった。いやだなあ。
この最後の詰めの作業がいちばんいやな感じ。どんなに見てもまだどこかにミスがあるのではないかと思うと、夜も眠れなくなるのです。
出力見本、データを書き込んだCD-R、発注書、すべてそろった。明日宅配便で発送の予定。残るは代金振込みだけ。
この最後の詰めの作業がいちばんいやな感じ。どんなに見てもまだどこかにミスがあるのではないかと思うと、夜も眠れなくなるのです。
出力見本、データを書き込んだCD-R、発注書、すべてそろった。明日宅配便で発送の予定。残るは代金振込みだけ。
2011年10月17日月曜日
どちらも大切
パソコンの不調も編集ソフトのトラブルも言い訳に過ぎないのだけど、ようやく同人誌3号の編集レイアウトが今夜、ほぼ終了した。あとはこのデータをCDに焼いたり出力見本を印刷して印刷会社に発送すればいい。
ソバだの何だの非文学にうつつを抜かしているように見えるかもしれないが、私にとって文学も非文学もどちらも大切なのだ。いさぎよくどちらか一方を選びなさいと言われても、その手の二者択一には私は乗らない。生きることも書くこともどちらも大切。そのどちらかを選び、他方を棄てるなんて出来るわけがありません。
ソバだの何だの非文学にうつつを抜かしているように見えるかもしれないが、私にとって文学も非文学もどちらも大切なのだ。いさぎよくどちらか一方を選びなさいと言われても、その手の二者択一には私は乗らない。生きることも書くこともどちらも大切。そのどちらかを選び、他方を棄てるなんて出来るわけがありません。
2011年10月4日火曜日
2011年10月2日日曜日
青空
今日は、自家用米の稲刈りです。自家用米といっても、男ひとり、女ふたりで二人前くらしか消費量は要りませんから、大いに余ってしまいますが、水田が一枚ありますので仕方ありません。その上、明日は今年だけ病気のTさんのピンチヒッターで作っている水田の稲も刈らなければなりません。家族の皆様、ご協力感謝いたします。
しかし、年々、コンバインでの刈り取りを委託する家が増えて、刈ってはぜ棒に架け天日で乾燥するという水田が少なくなっています。まあ、江戸時代とあまり変わらないやり方なので、TPP云々の時代にますます置いてきぼりということなのでしょう。自家用だから構いませんが。
それにしてもまあ、何という青空。もたもたと作業しながら空を仰いでバタイユを想起したり、ジェット機の轟音を聞きながら「サクリファイス」を想起したり、誰にも感づかれないからいいようなものの、危なく、怪しいおじさんではあります。
たまたま長男が一泊二日で帰宅しましたが、手伝いもせず500ccにまたがってどこかへ遊びに行ってしまいました。新幹線駅へ送る前に「これ、飲んで」とカナディアンクラブ・ブラックラベルを一瓶置いて行きましたが、少しは気が咎めたんですね。おとうさんはこの頃千円そこそこの安いバーボンしか飲んでいないのでした。
2011年10月1日土曜日
断片だからこそ
買ったまま厚くて通読できていないフェルディナンド・ペソアの「不安の書」と、ル・クレジオの「地上に見知らぬ少年」を枕元に置いている。2冊で厚さ7,5cmあって、就寝前に少し読むくらいではなかなか前へ進めない。進めないが、このふたりの文章に触れているとなぜかカフカの断片に思いが飛ぶ。カフカの小説ではなく、小説としての結構も、散文詩としての結構も備えていない、文字通りの断片へ。
断片だからこそ信じられ、受け入れられる声のようなものがある。全体を現しているような、統一された世界を現しているような、そういう一種のありえない虚構を、もう我慢できないのかもしれない。
ペソアとクレジオ。このふたりの書くものにはポエジーがあるが、シオランにはポエジーは無い。その分、とても窮屈で、時々もういない彼の頭を小突きたくなる。
断片だからこそ信じられ、受け入れられる声のようなものがある。全体を現しているような、統一された世界を現しているような、そういう一種のありえない虚構を、もう我慢できないのかもしれない。
ペソアとクレジオ。このふたりの書くものにはポエジーがあるが、シオランにはポエジーは無い。その分、とても窮屈で、時々もういない彼の頭を小突きたくなる。
2011年9月29日木曜日
OUT
校正がすべて戻って来たので、いよいよ最終レイアウト作業に入らなければならない。自家用米の稲刈りだの、ソバ刈りだの、脱穀だのが控えているので、早くに印刷所送りにしなければ。
自分のものはただのフラグメントをそのまま放り出す感じ。
ひとつの統一された人格の主人公であるとか、ひとつのまとまった時間の流れであるとか、小説としてのまとまりを一切欠いていて、もう物書きとしてOUTである。あえて言えばカフカの断片みたいのを書きたい? あれは小説ではないよな。
自分のものはただのフラグメントをそのまま放り出す感じ。
ひとつの統一された人格の主人公であるとか、ひとつのまとまった時間の流れであるとか、小説としてのまとまりを一切欠いていて、もう物書きとしてOUTである。あえて言えばカフカの断片みたいのを書きたい? あれは小説ではないよな。
2011年9月26日月曜日
2011年9月20日火曜日
2011年9月17日土曜日
ほくほくとやれやれとおお
先日の一泊二日の在来種見学ツアーの見学先で、実は思いがけず、小さめながらもマツタケを3本頂戴してしまいました。そこで今日はマツタケご飯と思いましたが、母は面倒くさそうだし妻は帰りが遅いしで、結局は自分でネットでレシピを調べて、京都の料亭の料理長のレシピで出汁などを作り、マツタケを薄切りにして炊き込んでみました。香りを楽しみたければ細かく刻み、味を楽しみたければ大きめにスライスしてと書かれていたので、微妙にその中間を狙った欲張りな切り方をしました(て、どんな切り方?)。
数年に一度くらいしか食べませんので、味を忘れないようにメタボを恐れずしっかりと食べておきました。
いただいたKさん、おいしくいただきました。ありがとうございました。
個人的理由で何かと遅れがちで焦るばかりだが、ようやく同人誌3号の表紙レイアウト作業が終了した。用いるフォントサイズなど、基本的なデータをメモしておけばいいのだが、生まれつきいい加減な性格なのでやることがアバウトで、あとで後悔します。
校正刷りの送付も明日にはしたいものですが、明日は土曜日?
Hさんの隠しページをのぞいてみたら、おお、寒いうちにお送りした「福耳」という中辛唐辛子の種が無事発芽成長して、ついに収穫され、それで青椒肉絲を作られた模様。
そうか、福耳で青椒肉絲は確かにピーマンより格段おいしいかも。
我が家の家人たちはあまり辛いものに強くないので収穫せずにどんどん大きくなった「福耳」はスーパージャンボで、それゆえにちょっと固めだが辛味も強い。明日の夕食は我が家も福耳を使った辛目の青椒肉絲を作って、ビールなどいただきましょう!!
数年に一度くらいしか食べませんので、味を忘れないようにメタボを恐れずしっかりと食べておきました。
いただいたKさん、おいしくいただきました。ありがとうございました。
個人的理由で何かと遅れがちで焦るばかりだが、ようやく同人誌3号の表紙レイアウト作業が終了した。用いるフォントサイズなど、基本的なデータをメモしておけばいいのだが、生まれつきいい加減な性格なのでやることがアバウトで、あとで後悔します。
校正刷りの送付も明日にはしたいものですが、明日は土曜日?
Hさんの隠しページをのぞいてみたら、おお、寒いうちにお送りした「福耳」という中辛唐辛子の種が無事発芽成長して、ついに収穫され、それで青椒肉絲を作られた模様。
そうか、福耳で青椒肉絲は確かにピーマンより格段おいしいかも。
我が家の家人たちはあまり辛いものに強くないので収穫せずにどんどん大きくなった「福耳」はスーパージャンボで、それゆえにちょっと固めだが辛味も強い。明日の夕食は我が家も福耳を使った辛目の青椒肉絲を作って、ビールなどいただきましょう!!
2011年9月12日月曜日
没にすればすっきりするのだが
自分が編集発行人を務める文芸同人誌の3号のレイアウトを終了し、プリントアウトした。
近日中に一泊二日で外泊することがあるので、万一眠れない場合には校正作業をするのがいちばんなので、鞄に入れて行こうと思い印刷にかけたのだった。
そのうち、自分のがいちばん気に入らない。没にすればすっきりするのだが、同人数が少ないのでそれが出来ないのがつらい。
近日中に一泊二日で外泊することがあるので、万一眠れない場合には校正作業をするのがいちばんなので、鞄に入れて行こうと思い印刷にかけたのだった。
そのうち、自分のがいちばん気に入らない。没にすればすっきりするのだが、同人数が少ないのでそれが出来ないのがつらい。
2011年9月11日日曜日
すれからしの言葉しか出て来ない
午後、ほんとうに久しぶりに新幹線駅近くのショッピングセンターへでかけた。ふだんは混雑を嫌って足を向けないのだが、久しぶりに行って驚いた。土日の旧商店街はそれこそゴーストタウンで老人の姿さえ見えないのだけど、ここには子どもたちや若者、都会風のお姉さんたちまでガヤガヤしている。スターバックスもここにはあって、何と満席に近い。
妻の勧めで綿パンを一本買ったが裾直しが一時間後だというので、食料品を買うのに付き合って、さらにふたりで書店で時間調整していて、結局以下の2冊を購入してしまった。
「地上の見知らぬ少年」J・M・G・ル・クレジオ 河出書房新社 2800円「信州蕎麦ごのみ」山口美緒 信濃毎日新聞社 1400円
ル・クレジオの本は発行されたことを知った時から欲しいと思っていたので、よかった。書き出しからして泣かせる。
ガーン。すれからしの言葉しか出て来ない私に比べて、何と無垢な言葉かと打ちのめされてしまいそう。
腰巻にはこういう言葉が印刷されている。
小説の起源を遡ってゆくと叙事詩に行き当たるというのが実感される小説だ。
追記
訳者あとがきによれば、本書は「海を見たことがなかった少年」と並行して書かれた長編エッセイである、と。
へえ、そうだったんですか。
小説であれエッセイであれ、ル・クレジオの思考や感性の動くままに書かれたエクリチュールであることに間違いはない。ジャンル分けなど無意味な領域の、純度が極めて高いエクリチュールである。
妻の勧めで綿パンを一本買ったが裾直しが一時間後だというので、食料品を買うのに付き合って、さらにふたりで書店で時間調整していて、結局以下の2冊を購入してしまった。
「地上の見知らぬ少年」J・M・G・ル・クレジオ 河出書房新社 2800円「信州蕎麦ごのみ」山口美緒 信濃毎日新聞社 1400円
ル・クレジオの本は発行されたことを知った時から欲しいと思っていたので、よかった。書き出しからして泣かせる。
いつまでも、どこまでも、ぼくはあなたに話していたい。ただ単に言葉でしかない言葉ではなく、大空にまで、彼方にまで、海にまで至るような言葉で。
ガーン。すれからしの言葉しか出て来ない私に比べて、何と無垢な言葉かと打ちのめされてしまいそう。
腰巻にはこういう言葉が印刷されている。
どこか私でもあり、おそらくはあなたでもあります。あてもなくぶらつき、理屈抜きでものごとを見つめる人なのです――ル・クレジオ
小説の起源を遡ってゆくと叙事詩に行き当たるというのが実感される小説だ。
追記
訳者あとがきによれば、本書は「海を見たことがなかった少年」と並行して書かれた長編エッセイである、と。
へえ、そうだったんですか。
小説であれエッセイであれ、ル・クレジオの思考や感性の動くままに書かれたエクリチュールであることに間違いはない。ジャンル分けなど無意味な領域の、純度が極めて高いエクリチュールである。
2011年9月10日土曜日
花を折る理由
忘れ物を取りに行って、たまたま暗くなる寸前のソバ畑に行った。
花は満開で小さな白い花がびっしり咲いており、その畑全体のソバの花の満開が少しの風でゆらゆら揺れている。さらにもう一陣の風が吹いた。
なぜか、首筋がぞっとした。少し先に、棒切れを振り回して、道路際のソバの花や茎を切り落としている女性の姿が見えたのだった。肩よりまだ先に伸びた髪を振り乱して、私が丹精して育てているソバの茎や花を切りおとしている。
私は背後からそっと近寄り、女性が棒を振り回している右手が静止した瞬間を狙って、両手で女性の手首をつかまえた。
「何をしているんですか」
言いながら、私は彼女の顔を見た。女性も私の顔を見た。そして、「あ、ごめんなさい」と言った。
女性は知らない人ではなかった。同じ町内に住んでいて、確か私の妻と同じ高校を卒業しているはずだった。
「なぜ、こんなことをするんですか?」
「済みません、赦して下さい」
「私のそば畑だと知っていて私のそばを棒で叩いて傷めていたんですね」
「そうじゃないんです」
「私がK子の夫だと知っていて故意にですよね」
��つづく)
2011年9月7日水曜日
2011年8月31日水曜日
今更ながら
今更ながら、YouTubeで「東日本大震災」「福島原発」などで検索してみれば、新聞テレビなどの報道がいかに表面的かがよくわかる。個人が必死の思いで撮影しアップロードした映像は圧倒的にリアルで、慄然とするほど旧約聖書的世界でさえある。
2011年8月29日月曜日
音も映像もない真っ暗闇の中で
原稿締め切りまであと三日。とても間に合いそうもない。
相変わらずColombe Frezonと稲葉喜美子の歌を聴きながらなので、これがいけないのかもしれない。
音も映像もない真っ暗闇の中で書くべきだろう。
それにしても、ストーリー性や時間の連続性に頼らず、むしろ逆らって小説を書くというのは、やはり私のような才能の乏しい者には無謀な試みなのだと思わざるを得ない。
風車に向かって突撃するパラノイア。
相変わらずColombe Frezonと稲葉喜美子の歌を聴きながらなので、これがいけないのかもしれない。
音も映像もない真っ暗闇の中で書くべきだろう。
それにしても、ストーリー性や時間の連続性に頼らず、むしろ逆らって小説を書くというのは、やはり私のような才能の乏しい者には無謀な試みなのだと思わざるを得ない。
風車に向かって突撃するパラノイア。
2011年8月26日金曜日
何も書かずに終わった理由
またぞろ枕元にシオランの本が置かれていて、夜中にふと目が覚めた時などにワンセンテンスだけ読んだりする。
自分のことを、外見はそうでもないのだが(ぷふっ)、中身がネガティブ過ぎると思う。
ソクラテスが何も書かずに終わった理由。そう?
自分のことを、外見はそうでもないのだが(ぷふっ)、中身がネガティブ過ぎると思う。
みずからの正体を照らす明知の光を警戒すべきである。自己を深く知ることは、私たちのなかに棲む魔神の気分を殺ぎ、活力を麻痺させてしまう。ソクラテスが何も書かずに終わった理由は、そこに求めるべきであろう。 (出口裕弘訳「生誕の災厄」紀伊国屋書店 1976年)
ソクラテスが何も書かずに終わった理由。そう?
2011年8月25日木曜日
ちょっと臆して
夏前に参加していたネット上のボランティア作業での大きなミスが発覚。自分の脳の老化を思い知る。
来月の半ば頃、在来種のソバの栽培地を尋ね、栽培の様子を見たり、在来種のソバで打たれたソバを食べるという、いわば蕎麦ツアーに誘っていただいた。数人でこじんまりとした一泊二日のツアーだが、私のようなヘボなソバ吉などが参加してもいいだろうかと思うようなすごいメンバーで、蕎麦を打たれる方も超一流。ちょっと臆してしまいます。
来月の半ば頃、在来種のソバの栽培地を尋ね、栽培の様子を見たり、在来種のソバで打たれたソバを食べるという、いわば蕎麦ツアーに誘っていただいた。数人でこじんまりとした一泊二日のツアーだが、私のようなヘボなソバ吉などが参加してもいいだろうかと思うようなすごいメンバーで、蕎麦を打たれる方も超一流。ちょっと臆してしまいます。
2011年8月23日火曜日
やはり書くのが嫌いなのかもしれない
本当は、やはり書くのが嫌いなのかもしれない。
今夜はこれだけ書いたが、明朝読み返すとまた「削除」かもしれない。
小説などというのは結局は虚構、嘘の積み重ねである。そうでなくて、あったことをあったように書くのは、やはり小説ではなくノンフィクション、あるいは歴史なのだとしか思えないのだけど、こんなことに足元をすくわれているのだから満足な小説など書けるはずもなかろう。
今夜はこれだけ書いたが、明朝読み返すとまた「削除」かもしれない。
「助けてください」
年齢は二十前か過ぎか、身長は170cmくらいあるが異様に痩せている棒みたいな女が小路から道路に飛び出して来て、いきなりしがみついて来た。その触感は肉より骨を感じさせて、典型的な摂食障害かと思われた。女が飛び出して来た小路からてっきり怖い男が現れるかと緊張したが、誰も追って来はしなかった。......
小説などというのは結局は虚構、嘘の積み重ねである。そうでなくて、あったことをあったように書くのは、やはり小説ではなくノンフィクション、あるいは歴史なのだとしか思えないのだけど、こんなことに足元をすくわれているのだから満足な小説など書けるはずもなかろう。
2011年8月21日日曜日
2011年8月19日金曜日
法的責任
ある方が福島の原発から25kmの村に行かれて、その際に撮影された写真を何枚か添付したメールを、今日いただいた。
住民のほとんどが避難して、田畑が草に覆われている光景に胸がいたむ。
老人を中心に200人ほどがあえて帰宅し生活しているという、そのことにも胸がいたむ。
自分の家や村、町、市に住めずに避難先で暮らしているひとたちの不自由を思うと、それも胸がいたむ。
原発での必死の放射能封じ込め作業や被害をこうむった住民や産業への補償の大きさを考えると、まだ口に出していってはいけないことなのかも知れないが、国民にこれだけ大きな犠牲を強いている東電の法的責任は問われないのだろうか? 想定外の事故のせいにして済ます訳にはいかないだろう。
現実の出来事があまりに大きすぎると虚構は愚にもつかない影絵のようなものに成り下がってしまい勝ちだが、何とか、この現実に拮抗出来、さらに現実をいい方向に動かしてゆくような「虚構」って無いものだろうか。
住民のほとんどが避難して、田畑が草に覆われている光景に胸がいたむ。
老人を中心に200人ほどがあえて帰宅し生活しているという、そのことにも胸がいたむ。
自分の家や村、町、市に住めずに避難先で暮らしているひとたちの不自由を思うと、それも胸がいたむ。
原発での必死の放射能封じ込め作業や被害をこうむった住民や産業への補償の大きさを考えると、まだ口に出していってはいけないことなのかも知れないが、国民にこれだけ大きな犠牲を強いている東電の法的責任は問われないのだろうか? 想定外の事故のせいにして済ます訳にはいかないだろう。
現実の出来事があまりに大きすぎると虚構は愚にもつかない影絵のようなものに成り下がってしまい勝ちだが、何とか、この現実に拮抗出来、さらに現実をいい方向に動かしてゆくような「虚構」って無いものだろうか。
2011年8月15日月曜日
静かすぎる旧盆
他所ではまだつづいているのだろうか。わが町で夕食後に盆踊りの民謡が聞こえなくなって、もう何年くらい経つだろう。各町内で行われていた盆踊りも参加者の減少でポツリポツリと無くなって、最後まで残っていた商店街主催の盆踊りが参加商店数の減少で運営困難になり、取りやめになってからはお盆の夜が静寂に包まれて、お盆のような気がしない。
あまりに静かなのでYouTubeで木曽節を探して検索した。
ひとりで聴いてもなんとなくさびしいが、少しはお盆のような気がしてくる。
田舎の衰退はどこまで進むのだろう。
あまりに静かなのでYouTubeで木曽節を探して検索した。
ひとりで聴いてもなんとなくさびしいが、少しはお盆のような気がしてくる。
田舎の衰退はどこまで進むのだろう。
2011年8月4日木曜日
あえて痩せた土地を耕そうとするバカ者
どうもしかし、ストーリーに寄りかからないという姿勢は小説の豊穣に背を向けるということではないか。それもただの偏狭にすぎないのではないかという疑念にさいなまれる。
あえて痩せた土地を耕そうとするバカ者。当然痩せた小説しか書けない。
あえて痩せた土地を耕そうとするバカ者。当然痩せた小説しか書けない。
2011年8月2日火曜日
まんじゅう怖い
この地慣例の8月1日のお墓参りであり、老母が朝早くからまんじゅう作りに精を出している。
甘いあんこばかりじゃ嫌ですというと、それじゃ自分であんこじゃないあんを作れという。仕方ないので、信州名物の「おやき」風のナスあんを作ることにした。と言っても丸ナスの代わりにたまたま収穫してきた米ナスをさいころ状に切り、豚ひき肉と混ぜ、味噌で味付け。かつてはそれをフライパンで炒めたが油があると包みにくいし、どうせ蒸すのだからナスなど生でも良かろうと、適当にこねて饅頭の皮に包んでみた。まんじゅう作りに手を出してみたのは生まれて初めて。
頭に黒いゴマが乗っているのがナスのまんじゅう、何も無いのがあんこのまんじゅう。ゴマが乗っている方が私の作。味噌に辛い南蛮味噌を混入させてみたが、あまり辛すぎず、まずまずの味。

でもどうしてこんなにたくさん?
うーん、まんじゅう怖い(意味が違う)。
そのまんじゅうを何個か、花と共に持って三人で菩提寺の墓と母の実家の墓に参ってから帰宅。妻はそのまま実家の墓参りに。
甘いあんこばかりじゃ嫌ですというと、それじゃ自分であんこじゃないあんを作れという。仕方ないので、信州名物の「おやき」風のナスあんを作ることにした。と言っても丸ナスの代わりにたまたま収穫してきた米ナスをさいころ状に切り、豚ひき肉と混ぜ、味噌で味付け。かつてはそれをフライパンで炒めたが油があると包みにくいし、どうせ蒸すのだからナスなど生でも良かろうと、適当にこねて饅頭の皮に包んでみた。まんじゅう作りに手を出してみたのは生まれて初めて。
頭に黒いゴマが乗っているのがナスのまんじゅう、何も無いのがあんこのまんじゅう。ゴマが乗っている方が私の作。味噌に辛い南蛮味噌を混入させてみたが、あまり辛すぎず、まずまずの味。
でもどうしてこんなにたくさん?
うーん、まんじゅう怖い(意味が違う)。
そのまんじゅうを何個か、花と共に持って三人で菩提寺の墓と母の実家の墓に参ってから帰宅。妻はそのまま実家の墓参りに。
2011年7月30日土曜日
何言ってんのさと言われるのがオチ
Firefoxが重くなってアンインストールして以来ブラウザはSleipnirを使っていたがそのSleipnirもこの頃少し重い。それでCtrl Alt Deleetを押すとタスクマネージャーが数十も起動して身動き取れなくなるという、いわばタスクマネージャー・スパイラルに陥る。
そこで、以前インストールしたが使い勝手に戸惑いを感じてアンインストールしてしまったGoogle Chromeを再びインストールした。ついでにSleipnirのお気に入りをInternet Explorer 8ととGoogle Chromeのブックマークに同期させて同じにした。
いつも使っているSleipnirでBloggerのブログに画像をアップすると画像が表示されないという不具合がたまたま生じるのだが、Google Chromeで投稿すると不具合が生じない。これまた不思議。
蕎麦とルバーブがらみの記事を別ブログに移行したら、このブログに書くことが無くなった。
本が読めなかったり創作を書き進められないのだから、当然だが書くことが無い。
無いけれど、考えていない訳ではない。
あったことをあったこととして書くのは小説ではない。あったことをあったこととして書くのは歴史家の仕事であったりノンフィクションやドキュメンタリーの作家の仕事である。
小説家はやはり、虚構としてありもしないことをいかにもありそうに書かかなければならない。
......なんて書いても、何言ってんのさと言われるのがオチですが。
エピソードのひとつとして、ゴーストタウンにひとり住む老婆を描こうとしているのだけど、なかなうまくいかない。では老いた爺さんにしてみたらどうかと思うが、同性だとどこかに自分が出てしまうのだな、これが。
そうそう、題名の候補として「epeisodion」がある。エピソードのギリシャ語。人間の生き様もひとつひとつがepeisodionにすぎないという視点ですが、何だかな。
う、アゴタ・クリストフが亡くなったってほんと?
前野曜子の歌声、久しぶりだが、やはり松田優作に負けず劣らずかっこいい。なぜ死んじゃった?
そこで、以前インストールしたが使い勝手に戸惑いを感じてアンインストールしてしまったGoogle Chromeを再びインストールした。ついでにSleipnirのお気に入りをInternet Explorer 8ととGoogle Chromeのブックマークに同期させて同じにした。
いつも使っているSleipnirでBloggerのブログに画像をアップすると画像が表示されないという不具合がたまたま生じるのだが、Google Chromeで投稿すると不具合が生じない。これまた不思議。
蕎麦とルバーブがらみの記事を別ブログに移行したら、このブログに書くことが無くなった。
本が読めなかったり創作を書き進められないのだから、当然だが書くことが無い。
無いけれど、考えていない訳ではない。
あったことをあったこととして書くのは小説ではない。あったことをあったこととして書くのは歴史家の仕事であったりノンフィクションやドキュメンタリーの作家の仕事である。
小説家はやはり、虚構としてありもしないことをいかにもありそうに書かかなければならない。
......なんて書いても、何言ってんのさと言われるのがオチですが。
エピソードのひとつとして、ゴーストタウンにひとり住む老婆を描こうとしているのだけど、なかなうまくいかない。では老いた爺さんにしてみたらどうかと思うが、同性だとどこかに自分が出てしまうのだな、これが。
そうそう、題名の候補として「epeisodion」がある。エピソードのギリシャ語。人間の生き様もひとつひとつがepeisodionにすぎないという視点ですが、何だかな。
う、アゴタ・クリストフが亡くなったってほんと?
前野曜子の歌声、久しぶりだが、やはり松田優作に負けず劣らずかっこいい。なぜ死んじゃった?
2011年7月28日木曜日
個に還らざるを得ず
たとえば、「文芸同人誌」というキーワードを登録しておけば、ブログで書かれた記事から「文芸同人誌」というワードを収集してくれていたのがgooのRSSリーダーだったのだけど、そのウェブ版もアプリ版も今年の5月末でサービス終了になってしまったので使えなくなってしまいました、ウァーン・゚・(ノД`)ヽ(゚Д゚ )ナクナ。
無ければ不自由なので、同じようにキーワードを登録しておけば記事を拾っておいてくれるソフトを探したのですが、なかな見つからない。HeadLine readerがいいかと思ってシェアウエアのお試し版をインストールしてみたが、Sleipnirに組み込んでいるフリーウェアのHeadLine Reader Liteとはどうも使い勝手が違う。HeadLine Reader Liteにはキーワード検索の機能は無いし......。
残るはLivedoorのRSSリーダーか、「はてなアンテナ」しかない?
あまり長くつぶやかなかったが、Twitterを退会してアカウントを返上した。おそらく寄る年波のせいかどうか、どうも私にはミクシやらfacebookやらtwitterやら、こんな風に横につながるウェブ上のシステムがとても居心地悪いのだ。
無ければ不自由なので、同じようにキーワードを登録しておけば記事を拾っておいてくれるソフトを探したのですが、なかな見つからない。HeadLine readerがいいかと思ってシェアウエアのお試し版をインストールしてみたが、Sleipnirに組み込んでいるフリーウェアのHeadLine Reader Liteとはどうも使い勝手が違う。HeadLine Reader Liteにはキーワード検索の機能は無いし......。
残るはLivedoorのRSSリーダーか、「はてなアンテナ」しかない?
あまり長くつぶやかなかったが、Twitterを退会してアカウントを返上した。おそらく寄る年波のせいかどうか、どうも私にはミクシやらfacebookやらtwitterやら、こんな風に横につながるウェブ上のシステムがとても居心地悪いのだ。
2011年7月27日水曜日
人称を一回も書かないで
スパムメールが多すぎるので、gooメールのアドレスを変更した。addressを売られたのだろう、中国語のメールもかなり多いしアダルト系のメールも多くて鬱陶しい。
一ヶ月間旧アドレスでもメールを受信するというサービスは受けず、旧アドレスは一切受信しない設定にした。大事な皆様にはアドレス変更のメールをお送りしなくては。
これでしばらくは静かかな。
視点は一人称だが、その人称を一回も書かないで書き通すことが出来るかどうか。
一ヶ月間旧アドレスでもメールを受信するというサービスは受けず、旧アドレスは一切受信しない設定にした。大事な皆様にはアドレス変更のメールをお送りしなくては。
これでしばらくは静かかな。
視点は一人称だが、その人称を一回も書かないで書き通すことが出来るかどうか。
低徊
YouTubeにアップロードされているRobert JohnsonとLed Zeppelin の「Travelling Riverside Blues」を飽きずに聴いている。自分が書こうとしているものに「Travelling Riverside Blues」と仮題がついているのだけど、オリジナリティをみずから放棄するようなものなので変更したい。変更したいが何も考えつかないので 「Travelling Riverside Blues」を聴きなおしている。
2011年7月26日火曜日
往ったり来たり
何か忘れていると思ったら、書きかけをプリントアウトすることを忘れていた。
どんな書きかけでも翌日はプリントアウトし、赤ペン片手に読み返す。ダメな部分は削除したり書き足したり、どんどん直す。それをまたパソコンのワープロソフトに戻し、赤の入った部分を修正して、また書き進む。その繰り返し。
要するにデジタルとアナログの間を毎日往ったり来たりする。
考えてみれば、ワープロソフトというのは単なる筆記用具、パソコンのHDDはその記録装置に過ぎないのだから、やはり印刷された文字というアナログの状態で何度でも読み返し、確認しながら虚構の世界を描出してゆくべきだろう。デジタルだけでは決して文学は成立しない。
どんな書きかけでも翌日はプリントアウトし、赤ペン片手に読み返す。ダメな部分は削除したり書き足したり、どんどん直す。それをまたパソコンのワープロソフトに戻し、赤の入った部分を修正して、また書き進む。その繰り返し。
要するにデジタルとアナログの間を毎日往ったり来たりする。
考えてみれば、ワープロソフトというのは単なる筆記用具、パソコンのHDDはその記録装置に過ぎないのだから、やはり印刷された文字というアナログの状態で何度でも読み返し、確認しながら虚構の世界を描出してゆくべきだろう。デジタルだけでは決して文学は成立しない。
2011年7月24日日曜日
即時ブロック
twitterに「月に何十万稼げる」とか、妙なフォロアーが付いて妻が大騒ぎしていた。要するにスパムである。メールでスパム、ブログにはコメント・スパム、twitterにだってスパムが現れても不思議は無い。スパムの報告やブロックの機能があるので、ここでこうやってブロックすると教えてブロックした。といってもまたこういうフォローが付くだろうし、少々いたちごっこになるかもしれない。それにしても、こういうスパム・フォローを放置しておくと、普通にフォローしあっているひとへの足がかりになって迷惑かもしれないので、自分のTwieerにスパム・フォローが入ったら即時ブロックするべきかもしれない。
明朝は、恒例の8月1日の墓参を控えてのお墓掃除を6時から。
明朝は、恒例の8月1日の墓参を控えてのお墓掃除を6時から。
2011年7月22日金曜日
無理な相談
久しぶりに一太郎を起動させてファイルを開いてみた。相変わらず3ページ目で止まったまま。Wordだと文字数がすぐに判ったが、一太郎はどこにと思って探すと、「ツール」の4番目に「文章の文字数」があった。スペース含めないで2126文字。スペース含めても2206字(泣)。
いやいや、これを十倍すれば50枚、二十倍すれば百枚なのだから、がんばろうze。
今回はハチャメチャにフリージャズ風で乗り切ろうと思って書き出したのだが、ハチャメチャにフリージャズ風を持続することは至難であることが判っただけ。
ということで、ボランティア作業から解放されてから昔懐かしいEarly Timesのイエロー・ラベルを買って来てチビチビ聞こし召しているのだけど、どうしてお店ごとにこんなに値段に差があるのか不思議。今は、皆、そうか。
とにかく、そろそろ足踏み状態から脱却しないといけませんけど、どうも書くものがまともじゃないもので、ついつい気が重くなってしまい勝ちなのです。
やはり、「小説の原点は泣いて笑って感動して」という風な、皆様に分かりやすく好かれる小説を私も書いてみたいとつくづく思わないでもありませんが、正直、私には無理な相談ですna。
私が書きたいのはそういう多勢に読まれて分かっていただいて感動していただける間口の広い小説などではなく、間口が狭くて数人しか通れなくてもいいから、奥行きというか人間という存在に遠近感のある小説なのです。
久しぶりに血圧を測定してみた。126:86で絶好調。上が120台ということは、やはりダッタンソバ湯が効いているのであろう。
いやいや、これを十倍すれば50枚、二十倍すれば百枚なのだから、がんばろうze。
今回はハチャメチャにフリージャズ風で乗り切ろうと思って書き出したのだが、ハチャメチャにフリージャズ風を持続することは至難であることが判っただけ。
ということで、ボランティア作業から解放されてから昔懐かしいEarly Timesのイエロー・ラベルを買って来てチビチビ聞こし召しているのだけど、どうしてお店ごとにこんなに値段に差があるのか不思議。今は、皆、そうか。
とにかく、そろそろ足踏み状態から脱却しないといけませんけど、どうも書くものがまともじゃないもので、ついつい気が重くなってしまい勝ちなのです。
やはり、「小説の原点は泣いて笑って感動して」という風な、皆様に分かりやすく好かれる小説を私も書いてみたいとつくづく思わないでもありませんが、正直、私には無理な相談ですna。
私が書きたいのはそういう多勢に読まれて分かっていただいて感動していただける間口の広い小説などではなく、間口が狭くて数人しか通れなくてもいいから、奥行きというか人間という存在に遠近感のある小説なのです。
久しぶりに血圧を測定してみた。126:86で絶好調。上が120台ということは、やはりダッタンソバ湯が効いているのであろう。
2011年7月21日木曜日
今夜も怪しい作業
海外の視聴サイトに置かれているCDなどを録音するのに大体はこのソフトのフリーウェア版を使っているのだけど、フリーウェア版なので連続して録音できる曲数が8曲、連続録音時間が90分以内という制限がある。便利に使わせていただいているが、もっとほかに制限の無いフリーウェアは無いかと検索したら、灯台下暗し、音声ファイルを編集するためにインストールしてあったこのソフトが曲数制限も時間制限も無く、ハードディスクに余裕がある限り、録音できるのでした、(^_^)
ということでファイルの保存先をパソコン内ハードディスクではなく、外付けHDDにフォルダを作成し、そこを指定して、早速テスト録音してみました。うーん、ファイル名の付け方が単純なのとファイル形式が WAVEだけなのが不満......。でも音質はいいし機能もすごいし......状況に応じて使い分けさせていただきます。
あれ? 一ヶ月前にこんな曲がアップされていた。即録音。
ということでファイルの保存先をパソコン内ハードディスクではなく、外付けHDDにフォルダを作成し、そこを指定して、早速テスト録音してみました。うーん、ファイル名の付け方が単純なのとファイル形式が WAVEだけなのが不満......。でも音質はいいし機能もすごいし......状況に応じて使い分けさせていただきます。
あれ? 一ヶ月前にこんな曲がアップされていた。即録音。
2011年7月20日水曜日
昏倒爆睡の日々
夕食後に昏倒してそのまま爆睡といった日々が続いて、気がついたら一週間も更新しないでいた。ソバなど個人的趣味を別ブログに移転させたせいもあり、毎日書くことが無くなったということも影響していて、多分、今後は更新頻度はこれまでのようには行かない。
同人誌の方の締め切りは、他にも今月末に間に合わない方が居られたので一ヶ月延期した。
ほんとうはネット接続をやめて、書けるまで集中すべきであろう。
同人誌の方の締め切りは、他にも今月末に間に合わない方が居られたので一ヶ月延期した。
ほんとうはネット接続をやめて、書けるまで集中すべきであろう。
2011年7月14日木曜日
2011年7月12日火曜日
見放されております
2011年7月11日月曜日
2011年7月8日金曜日
そろそろ
笑ってやってください。
このとんでもなく怪しい道楽と、パソコンを使ったふたつのボランティア作業から、ようやく解放された。
しかし後が無い。背後は崖っぷちである。
さてどうする?
構成や人物のイメージも無しにいきなり書き出すという方法も無いことはないが、それではあまりに乱暴すぎる。
換骨奪胎的私小説だとだまされてくれる? かな。
外見はいかにも私小説だが実はまったくの虚構って。
どうせ書くなら、Jazzを聴きながら少し酔っ払って書くのってどうだろう。
今だから自白しますが、昔、一度だけですが、一作書き終えるまで毎晩深酔いしない程度に聞こし召しながら書いたことがありました。
このとんでもなく怪しい道楽と、パソコンを使ったふたつのボランティア作業から、ようやく解放された。
しかし後が無い。背後は崖っぷちである。
さてどうする?
構成や人物のイメージも無しにいきなり書き出すという方法も無いことはないが、それではあまりに乱暴すぎる。
換骨奪胎的私小説だとだまされてくれる? かな。
外見はいかにも私小説だが実はまったくの虚構って。
どうせ書くなら、Jazzを聴きながら少し酔っ払って書くのってどうだろう。
今だから自白しますが、昔、一度だけですが、一作書き終えるまで毎晩深酔いしない程度に聞こし召しながら書いたことがありました。
2011年7月7日木曜日
2011年7月5日火曜日
百科全書的漂流死(??)
まだパソコンでしているボランティア作業が終わらないが、ようやく、あと160件ほどのウェブサイトで終了になる。かなりきつい作業ではありますが、いろいろ勉強になったり目からうろこが落ちるようなことを知ることが出来たりしています。
それからもうひとつのボランティア作業ももうちょっとで手を離れます。個人誌のレイアウトですが、表紙のイメージが決まらないで困っていたのですが、昨夜遅く閃いて一気に表紙デザインを済ませました。ちょっとセンセイショナル過ぎてダメだわなと思っていたのですが、今日依頼者に見せたら簡単にOKが出ました。でも、Cs134とかI129とか妙な記号が浮遊していて......危ないなあ。
それにしても、早く文学に戻らなければ、このまま「百科全書的漂流死(??)」してしまいそう。
それからもうひとつのボランティア作業ももうちょっとで手を離れます。個人誌のレイアウトですが、表紙のイメージが決まらないで困っていたのですが、昨夜遅く閃いて一気に表紙デザインを済ませました。ちょっとセンセイショナル過ぎてダメだわなと思っていたのですが、今日依頼者に見せたら簡単にOKが出ました。でも、Cs134とかI129とか妙な記号が浮遊していて......危ないなあ。
それにしても、早く文学に戻らなければ、このまま「百科全書的漂流死(??)」してしまいそう。
2011年7月1日金曜日
2011年6月25日土曜日
ブログの更新がままなりません
ネットでのボランティア作業に時間が取られ、どうにもブログの更新がままなりません。
そのボランティア作業も、作業をしやすくするためにネット上のデータをExcelにコピーして行っているのですが、数日前に60件、今日は55件、作業中のExcelデータを、保存せずに閉じてしまい、消失してしまいました。
見たら、Excelの自動保存のチェックが外れていましたので、自動保存されるようにチェックを入れました。
そういえば、ずっと以前、定期的に「保存しますか」と訊かれて鬱陶しいので、自分で自動保存しないようにしてしまったのでした。
そのボランティア作業も、作業をしやすくするためにネット上のデータをExcelにコピーして行っているのですが、数日前に60件、今日は55件、作業中のExcelデータを、保存せずに閉じてしまい、消失してしまいました。
見たら、Excelの自動保存のチェックが外れていましたので、自動保存されるようにチェックを入れました。
そういえば、ずっと以前、定期的に「保存しますか」と訊かれて鬱陶しいので、自分で自動保存しないようにしてしまったのでした。
2011年6月19日日曜日
2011年6月18日土曜日
夜がもっと長ければいいのに
ふたつのボランティア作業が重なって、夜の余暇がすべて吸収されている。ひとつはいつもの薄い雑誌のレイアウトで、本文はすでにレイアウトが済んで校正に出ているし、あとは表紙のイメージが残っているだけなので、じきに片がつくはず。
問題はもう一方で、ネット上のイベントの裏方なのであと一ヵ月後の開会までは毎晩パソコンとにらめっこになる。ボランティア・スタッフがちょっと少ない感じがする。
という訳で更新が少ないかもしれませんし、原稿締め切り、またパスできないし......夜がもっと長ければいいのに。
問題はもう一方で、ネット上のイベントの裏方なのであと一ヵ月後の開会までは毎晩パソコンとにらめっこになる。ボランティア・スタッフがちょっと少ない感じがする。
という訳で更新が少ないかもしれませんし、原稿締め切り、またパスできないし......夜がもっと長ければいいのに。
2011年6月16日木曜日
この頃、夜が短い
毎月15日の夜恒例の赤提灯からまっすぐ帰れず、5名でスナックに流れたのはいいのだけど、歌いたくないと言っているのにカラオケを歌わされた。仕方ないので「川花火」を歌おうとしたら無いというので、金子由香利の「時は過ぎ行く」を歌ったが、出だしから音程がとれず、悲惨。
むやみに夜にする作業が増えて、まとまった時間が取れないなか、書き出しのイメージだけは何とかしようと必死。
今回は主人公は男である。書き出しはパソコンなり読書なりしている隣で、なにやらわめいている女性がいる。
何だかな、安吾の「竹薮の家」の冒頭場面の女の罵倒が耳の中で反響して真似になってしまいそうなので、何とか変えなくては。
そうじゃないとますます、奇を衒ってアトラクションのモンタージュをしたがっているようで、いやらしい。
むやみに夜にする作業が増えて、まとまった時間が取れないなか、書き出しのイメージだけは何とかしようと必死。
今回は主人公は男である。書き出しはパソコンなり読書なりしている隣で、なにやらわめいている女性がいる。
何だかな、安吾の「竹薮の家」の冒頭場面の女の罵倒が耳の中で反響して真似になってしまいそうなので、何とか変えなくては。
そうじゃないとますます、奇を衒ってアトラクションのモンタージュをしたがっているようで、いやらしい。
2011年6月13日月曜日
2011年6月11日土曜日
好事魔多し
今年のソバ栽培の助っ人をお願いしてあったM君がもう二月も腹痛に苦しんでいて、ようやく病院の診察を受けたという。家まで行って腹痛の原因が判明するまで病院へ通うように言って来た。
それにしても、助っ人無しであの広い畑、どうしよう。Tさんが必要なだけの収穫があればいいのだから、思い切って面積縮小するほかないか。そのTさん、今日、整形外科を無事退院して帰宅。しばらく休養してから、いよいよ本来の治療が始まる。
ウェブ上のイベントのボランティア作業、いつもの雑誌のボランティア編集作業など、夜なべ仕事が多くなりましたので、ブログ更新を少し怠るかもしれません。
それにしても、助っ人無しであの広い畑、どうしよう。Tさんが必要なだけの収穫があればいいのだから、思い切って面積縮小するほかないか。そのTさん、今日、整形外科を無事退院して帰宅。しばらく休養してから、いよいよ本来の治療が始まる。
ウェブ上のイベントのボランティア作業、いつもの雑誌のボランティア編集作業など、夜なべ仕事が多くなりましたので、ブログ更新を少し怠るかもしれません。
2011年6月9日木曜日
それは小説じゃないだろうという声
久しぶりに小説用のテンプレートを開いてみた。昔は紙の原稿用紙の向こうに書きたい光景が最初から見えていたものだが、今では何も見えない。きちんと楽譜を書いてから書き始めたものだったが、今では、人物像だけをイメージし、あとは何の構成も予見もなしに書き出そうとする。だから難破する。
小説からストーリーを排除したら、それは小説じゃないだろうという声が聞こえて来そう。お説の通りですと認めて引き下がる?
そうか、Twitterでもうひとつアカウントを取得し、そこで140文字ずつ小説を書き続けるという、そういう危ない方法も考えられないことはない。
たとえば「私」という「一人称」で私が「私小説」を書くとすれば、浮気が妻にバレて展開されるその確執や修羅場を描くなどという、気色悪く古色蒼然とした「私小説」などには決してならない自信はある。そういう外側に展開されるストーリーではなく、思考や感覚のロマン。それがめざす小説なのだけど。
それはこの上なく理解しがたく、されがたい。
今夜もフランスの某視聴サイトにアクセスし、 Bill evans: turn out the stars/the final village vanguard recordings june 1980 を聴く。といってもこのアルバム、58曲入りで総演奏時間が6時間37分。録音ソフトもフリーウェア版では録音しきれないからただ聴き放し。というか、ひと晩で全曲聴くのは不可能なので、ほぼBGMな感じで、聴きながらパソコンでは別の作業をしている。
ぎゃ、30粒ほど播いたギガンテス・ジャイアント・ホワイト・ライマビーンズという豆の種が、低温のためほとんど腐って発芽せず、芽が出たのはわずかに二つだけ。ふた株でも種子用は確保できると前向きに考えよう。
T中さんから12日にrhubarb研究会どう? という電話。OKの返事をしておく。といっても二人だけの研究会。
小説からストーリーを排除したら、それは小説じゃないだろうという声が聞こえて来そう。お説の通りですと認めて引き下がる?
そうか、Twitterでもうひとつアカウントを取得し、そこで140文字ずつ小説を書き続けるという、そういう危ない方法も考えられないことはない。
たとえば「私」という「一人称」で私が「私小説」を書くとすれば、浮気が妻にバレて展開されるその確執や修羅場を描くなどという、気色悪く古色蒼然とした「私小説」などには決してならない自信はある。そういう外側に展開されるストーリーではなく、思考や感覚のロマン。それがめざす小説なのだけど。
それはこの上なく理解しがたく、されがたい。
今夜もフランスの某視聴サイトにアクセスし、 Bill evans: turn out the stars/the final village vanguard recordings june 1980 を聴く。といってもこのアルバム、58曲入りで総演奏時間が6時間37分。録音ソフトもフリーウェア版では録音しきれないからただ聴き放し。というか、ひと晩で全曲聴くのは不可能なので、ほぼBGMな感じで、聴きながらパソコンでは別の作業をしている。
ぎゃ、30粒ほど播いたギガンテス・ジャイアント・ホワイト・ライマビーンズという豆の種が、低温のためほとんど腐って発芽せず、芽が出たのはわずかに二つだけ。ふた株でも種子用は確保できると前向きに考えよう。
T中さんから12日にrhubarb研究会どう? という電話。OKの返事をしておく。といっても二人だけの研究会。
2011年6月7日火曜日
矛盾
しばらく前に、背景に音楽が流れている小説を書いたが、紙の雑誌では音楽は再生できない。それが電子ブックでは出来る。技術的にはとうにクリアできているのだが、クリアできないのが音楽著作権。プロでもないアマチュアが誰にも読まれないマイナーな小説に使う曲の著作権料を支払えるはずもない。ただし、自分で作成して自分で読み、曲を再生するだけだったら実現可能だ。
そう、どのように理解されがたい小説も、自己内だけだったらあっさり実現可能だと、今、気づいた。
でも、自己内だけということは無いも同然ということ。
他者に読まれてこそ小説であり、文学なのだ(泣)。
そう、どのように理解されがたい小説も、自己内だけだったらあっさり実現可能だと、今、気づいた。
でも、自己内だけということは無いも同然ということ。
他者に読まれてこそ小説であり、文学なのだ(泣)。
2011年6月6日月曜日
短くても山蕗
ずっと低温傾向だったので予測はしていたが、やはり今年の山蕗はまだ細く短く、収穫適期ではなかった。短いが、きゃらぶきの佃煮にするのにどうせ5cmくらいに切るのだから短くてもいいやと、ばあさんたち欲を出して夢中で採り続け、ついでに野生のミツバまで収穫。
私はといえば、写真を撮ったり、ソバを叩いて脱穀するちょうど良い角度と太さの枝を発見してノコギリで切断したり、山の空気を十分吸ったり......。
猪の足跡いっぱいの湿地。
そういえば、十年ほど前に喉を痛めて高熱を発した時、この光景そっくりのせせらぎに丸木を並べた小さな橋が架かっていて、そこにふたりの小人が腰掛け、素足を水に入れながぶらぶら楽しそうに話をしている夢を見、目覚めたら熱が劇的に下がっていたのだった。それを家族に話したら笑われただけだった。この手の話は誰にも話さず自分だけの秘密にしておくべきである。宇宙人に遭遇しても誰にも言ってはいけない。言うと嘘になってしまう。
この場所を少し北側に進んでいったら不意に茶色の丸いものが跳ね上がったのでビックリ。休息していた二ホンジカのこどもが私の気配に驚き、飛び跳ねて逃げていったのだった。猪でなくてよかった。
昼食の時の頭上。
おまけ:
画像はきれいではありませんが、小さな流れが生まれている音を録音してみました。途中、おばちゃんの声も混じっています。
2011年6月5日日曜日
災厄と悪意
われわれの新しい同人誌の2号の発行日が2011年3月15日。東日本大地震の発生が3月11日。
どうも、地震だけでなくあれだけの大津波の実況まで目の当たりにして、しかも原子力発電所の(官房長官曰く)「爆発的事象」(後日ほとぼりが冷めてから「メルト・ダウン」と発表)という、麻生太郎氏いうところの「未曾有(みぞゆう:正しくはみぞう」の災厄を経験させられたので、その圧倒的な現実に虚構が軽く空々しく思えてしまったのか、いつもなら同人から感想が書き込まれるのだが、今回は私自身を含めて誰ひとり仲間の作品に感想・批評を書き込んでいない。私自身もそうなのだから、書き込みがないことを非難するのではない。
「現実は小説より奇なり」と言われてはいるものの、われわれの想像力を超えた災厄を、官僚や学者のように「想定外」と言って済ますことは出来ない。われわれは、どうしても貧弱な想像力を総動員してもこの災厄を超えなければならないのだ。それも言葉を以ってして。
3号の原稿締め切りは7月末のはずだが、そう同人に声をかけていいものだろうか?
日曜日に、老母を含めた姥捨会の面々3名を載せて山へ芝刈り、いや、山蕗採りに連れて行かねばならない模様。うーん、みんな、山へ捨てて来ちゃうぞ~。
月曜のローカル紙三面に「山菜採りの老婆3名が行方不明」なんちゃって、(^_^;)
どうも、地震だけでなくあれだけの大津波の実況まで目の当たりにして、しかも原子力発電所の(官房長官曰く)「爆発的事象」(後日ほとぼりが冷めてから「メルト・ダウン」と発表)という、麻生太郎氏いうところの「未曾有(みぞゆう:正しくはみぞう」の災厄を経験させられたので、その圧倒的な現実に虚構が軽く空々しく思えてしまったのか、いつもなら同人から感想が書き込まれるのだが、今回は私自身を含めて誰ひとり仲間の作品に感想・批評を書き込んでいない。私自身もそうなのだから、書き込みがないことを非難するのではない。
「現実は小説より奇なり」と言われてはいるものの、われわれの想像力を超えた災厄を、官僚や学者のように「想定外」と言って済ますことは出来ない。われわれは、どうしても貧弱な想像力を総動員してもこの災厄を超えなければならないのだ。それも言葉を以ってして。
3号の原稿締め切りは7月末のはずだが、そう同人に声をかけていいものだろうか?
日曜日に、老母を含めた姥捨会の面々3名を載せて山へ芝刈り、いや、山蕗採りに連れて行かねばならない模様。うーん、みんな、山へ捨てて来ちゃうぞ~。
月曜のローカル紙三面に「山菜採りの老婆3名が行方不明」なんちゃって、(^_^;)
2011年5月31日火曜日
2011年5月29日日曜日
強敵bot
雨模様だし、少し時間に余裕があったので蕎麦打ち。今回は慎重に加水したので柔らかくなりすぎず、まずまずの出来。さる蕎麦店主のブログにも気温が上がってくると加水を控えめにすると書かれていた。真冬の感覚のままだと失敗する。
Twitterを始めた(三度目か四度目)が、フォローをむやみにしないつもりでいて、それでは少しさびしいのでフェルナンド・ペソアbotとTristanTzarabotをフォローしたが、botは設定された時間間隔で定期的にツィートしてくるので、もう負けそう。やはりbotはフォローしない方がいいらしい。
「蕎麦百景」読む。知りたかった情報がさりげなく書かれていてうれしい。
そういえば、「唐箕」応札しておいたら、誰も入札しなくて落札してしまった。落札代金は安いが、送料がちょっと高い。少し下駄を履かせられているのか。
Twitterを始めた(三度目か四度目)が、フォローをむやみにしないつもりでいて、それでは少しさびしいのでフェルナンド・ペソアbotとTristanTzarabotをフォローしたが、botは設定された時間間隔で定期的にツィートしてくるので、もう負けそう。やはりbotはフォローしない方がいいらしい。
「蕎麦百景」読む。知りたかった情報がさりげなく書かれていてうれしい。
そういえば、「唐箕」応札しておいたら、誰も入札しなくて落札してしまった。落札代金は安いが、送料がちょっと高い。少し下駄を履かせられているのか。
2011年5月28日土曜日
備忘
ほとんどは競り負けることが多いので、唐箕のオークションもウォッチングしていただけだったが、オークション終了2分前になっても誰も入札しないので入札してみたら、そのまま落札してしまった。4,800円。ソバの収穫時に欠かせない農機具なので、この金額で入手出来れば良しとしておこう。
管理機のVベルト装着がうまくいかないと思ったら、ベルトのサイズが1インチ大きかった。B40ではなく、B39だとピッタリで装着したら異常なく作動した。やれやれ。
ことのついでに、ひどくひび割れていつパンクするか分らないタイヤも、ネットで検索したら自動車用ではなく農業機械や荷車用のタイヤ専門のネットショップが見つかり、適合するタイヤとチューブをめでたくオーダー出来た。
これで、古い管理機ではあるがロータリーの爪、Vベルト、タイヤと、問題のある部品を交換出来て、多分、私がソバ栽培するであろう十年くらい、管理機が壊れるか、私が壊れるか、どちらが先かというくらい、十分に使える。
管理機のVベルト装着がうまくいかないと思ったら、ベルトのサイズが1インチ大きかった。B40ではなく、B39だとピッタリで装着したら異常なく作動した。やれやれ。
ことのついでに、ひどくひび割れていつパンクするか分らないタイヤも、ネットで検索したら自動車用ではなく農業機械や荷車用のタイヤ専門のネットショップが見つかり、適合するタイヤとチューブをめでたくオーダー出来た。
これで、古い管理機ではあるがロータリーの爪、Vベルト、タイヤと、問題のある部品を交換出来て、多分、私がソバ栽培するであろう十年くらい、管理機が壊れるか、私が壊れるか、どちらが先かというくらい、十分に使える。
Ghostly down town blues
今日、町内だが滅多に通らない小路を通ったら、またSホテルの道路を挟んだ家がいつの間にか取り壊されて更地になっていた。まだ草も生えていなかったので、つい最近取り壊されたのだろう。
わが家のある町内は、かつては町いちばんの商店街だったが、今ではシャッターを下ろした店と更地ばかりの町になってしまった。その通りには、若者やこどもの姿どころか老人の姿さえも見えない。野良猫の姿さえ見えない。T郎君が真夜中に狸が二匹手をつないで道路を横切って行ったのを見たという(嘘?!)。猪がT酒造の看板を倒してメイン・ストリートを駆け抜けたという(嘘~)
そういう半ば死んでしまった町を舞台に、Robert Johnson の「Traveling Riverside Blues」をぱくったと非難されそうですが、 「Ghostly down town blues 」てなタイトルの小説を、J・ジョイスかV・ウルフかW・フォークナーみたいにストーリーに寄りかからずに描写あるいはエクリチュールとして書けたらなあと思うんです。
が、さて。こう書きとめるだけで、99%いやほぼ100%は着想倒れに過ぎません。ウァーン・゚・(ノД`)ヽ(゚Д゚ )ナァ、ナクナョ
わが家のある町内は、かつては町いちばんの商店街だったが、今ではシャッターを下ろした店と更地ばかりの町になってしまった。その通りには、若者やこどもの姿どころか老人の姿さえも見えない。野良猫の姿さえ見えない。T郎君が真夜中に狸が二匹手をつないで道路を横切って行ったのを見たという(嘘?!)。猪がT酒造の看板を倒してメイン・ストリートを駆け抜けたという(嘘~)
そういう半ば死んでしまった町を舞台に、Robert Johnson の「Traveling Riverside Blues」をぱくったと非難されそうですが、 「Ghostly down town blues 」てなタイトルの小説を、J・ジョイスかV・ウルフかW・フォークナーみたいにストーリーに寄りかからずに描写あるいはエクリチュールとして書けたらなあと思うんです。
が、さて。こう書きとめるだけで、99%いやほぼ100%は着想倒れに過ぎません。ウァーン・゚・(ノД`)ヽ(゚Д゚ )ナァ、ナクナョ
2011年5月27日金曜日
意識の流れではなく
先日、ただで頂戴してきた中古シバウラ管理機のVベルトのカバーを外してみたら、Vベルトに数ヶ所亀裂が入っているのに気づいた。ただちにベルトが切れるということはないと思うが、いずれ切れるはずなので、Vベルトを買って来て交換しようとしたがサイズが不明なのでネットで調べてB-40というサイズらしいと見当をつけ、購入。エンジン側のプーリーのそばにVベルトをセットするのに邪魔な金具があって、そのままでは入らない。その金具を取り付けているナットを緩めてようやく交換できたが、狭い場所で、スパナを動かすのも難儀。ようやく取り付けた。これで、残る問題はひび割れだらけのタイヤ。年式がかなり古いので新品でも中古でも探すのが難しそう。
そういえば、そろそろモーターとギヤヘッドを入手しておいても良い時期になってきた。
先日蕎麦店の店主のブログで、気温が高くなると加水率を下げないといけないと書いてあった。なるほど、寒い頃と同じ加水だと柔らかくなりすぎてしまい、二度無惨な蕎麦を打ってしまったのだったが、そういうことだったのか。近日中に、加水を下げて試してみたい。
もう少しで仕事に追われなくなるが、さて小説と思っても、まだ目が活字を受け付けない。活字を前にしても目が開いていられないのだ。目薬を買って来なくては。
相変わらず、J・ジョイス、V・ウルフ、W・フォークナーの3人が目の先をチラチラしているが、かといって「意識の流れ」を目指しているのではない。正確に言おうとすれば、「意識の動き movement」だ。
あ、こんなところに!!
そういえば、そろそろモーターとギヤヘッドを入手しておいても良い時期になってきた。
先日蕎麦店の店主のブログで、気温が高くなると加水率を下げないといけないと書いてあった。なるほど、寒い頃と同じ加水だと柔らかくなりすぎてしまい、二度無惨な蕎麦を打ってしまったのだったが、そういうことだったのか。近日中に、加水を下げて試してみたい。
もう少しで仕事に追われなくなるが、さて小説と思っても、まだ目が活字を受け付けない。活字を前にしても目が開いていられないのだ。目薬を買って来なくては。
相変わらず、J・ジョイス、V・ウルフ、W・フォークナーの3人が目の先をチラチラしているが、かといって「意識の流れ」を目指しているのではない。正確に言おうとすれば、「意識の動き movement」だ。
あ、こんなところに!!
2011年5月25日水曜日
久しぶりに透きとおった青空
今年の五月は、というか、3月11日以降はなぜか風景が霞んでもやもやした毎日ばかりだったが、今日の雨上がり後は久しぶりに空の高さ、山の遠さを実感できる透きとおった青空となった。
予定では明日だったが、仕事の都合で今日の午後、田植え開始。先ずはTさんの水田から。初めての乗用田植え機操作なので、最初のひと通りでいきなり蛇行したが、以後は先ず先ず。

夕方までにわが家の自家用米水田も何とか終了。機械で植えられない隅などは明日以降にするとして、田植え機を水洗いしTさんが入院中で留守なのでわが家の倉庫に保管。運転していただけなのに腰が痛い。
Tさんに無事田植えが済んだと電話したいが、入院中の人の携帯に電話していいのだろうか?
朝、雲間に見えた浅間山が冠雪して真っ白だったが、雲が多すぎて写真が撮れなかった。夕方、思い出してお手軽に家の裏から撮影したので幾重にも電線が映りこんでいるし、絵が暗い。
田植えを始めたくらいの時刻だったらきれいな冠雪風景が撮れたのに......。

予定では明日だったが、仕事の都合で今日の午後、田植え開始。先ずはTさんの水田から。初めての乗用田植え機操作なので、最初のひと通りでいきなり蛇行したが、以後は先ず先ず。
夕方までにわが家の自家用米水田も何とか終了。機械で植えられない隅などは明日以降にするとして、田植え機を水洗いしTさんが入院中で留守なのでわが家の倉庫に保管。運転していただけなのに腰が痛い。
Tさんに無事田植えが済んだと電話したいが、入院中の人の携帯に電話していいのだろうか?
朝、雲間に見えた浅間山が冠雪して真っ白だったが、雲が多すぎて写真が撮れなかった。夕方、思い出してお手軽に家の裏から撮影したので幾重にも電線が映りこんでいるし、絵が暗い。
田植えを始めたくらいの時刻だったらきれいな冠雪風景が撮れたのに......。
2011年5月24日火曜日
ピアノの、音の雫
久しぶりにaccujazz.comにアクセスして、New Orleans channel、それからPiano jazz channelを聴いていたら、あれっと思う曲があり、曲名を見ると「my spanish heart」、Chick Coreaだった。そこでmucicMeで検索してみたら彼のアルバムが37枚あり、そのなかに「my spanish heart」というアルバムがあったのではじめの5曲ほどを聴いてみた。
こちらはyouTubeの「my spanish heart」
ピアノの、音の雫。
それにしても録音ソフトをシェアウェア版に変えないとフリーウェア版では制限があって邪魔な感じ。
こちらはyouTubeの「my spanish heart」
ピアノの、音の雫。
それにしても録音ソフトをシェアウェア版に変えないとフリーウェア版では制限があって邪魔な感じ。
2011年5月22日日曜日
再三再四、ビューヒナー
以前もこのブログで書いたが(しつこい)、久しぶりに、丁寧に半透明のセロファンで包まれた「ゲオルク・ビューヒネル作品全集 ダントンの死 外四篇」(青木重孝訳・白水社・昭和16年9月25日発行)を開く。裏表紙内側に「書籍賣買 泰西堂書店 早大グラウンド上」という右書きのラベルが貼られていて、私の蔵書の中では新関良三さんの「希臘悲劇全集」より古い稀覯本だ。無論、表記は旧仮名遣いなのだが、これが実にいい。
この作品集のなかの「ヴォイツエック」という劇の中でただの脇役に過ぎない老婆が語る「ひっくりかえった瓶」のエピソードが忘れられない。
このエピソードの中の「可哀想なこども」は私だ。
この旧訳をもう一度ここにコピーペーストします。
この作品集のなかの「ヴォイツエック」という劇の中でただの脇役に過ぎない老婆が語る「ひっくりかえった瓶」のエピソードが忘れられない。
このエピソードの中の「可哀想なこども」は私だ。
この旧訳をもう一度ここにコピーペーストします。
マリー お婆さん、何かお話をして!
子供たち おばあさん、おばあさん、お話をしてよ! しつ! お婆さんお話をするのよ。しつ。お話をしてよ、おばあさ
老婆 昔々......
��子供たち老婆の周りに立つたり、しゃがんだりする。マリーも交る)
昔々、可哀さうな子供がゐた、
お父さんもお母さんもゐなかつた、
みんな死んだのだよ。
そして世の中には誰もゐなくなつた。
みんな死んだ。
そこでその子は探しに出かけた。
晝も夜も。
ところがこの世にはもう誰もゐなかつたので、
天に昇ろうとした、
するとお月様がその子を優しくごらんになつた、
ところがその子がやっとお月様の所へ行つてみたら、
それは一本の腐つた木だつたとさ。
そこで今度はお日様のところへ出かけた、
そして着いてみるとそれは萎んだ向日葵の花だった、
今度はお星様の所へ行った、
ところがそれは串刺しにされた小さな金色の蚊だつたとさ、
ちやうど鵙(もず)がリンボクの棘へ蚊を刺しておくやうにだよ、
そこでもう一度この世へ歸らうとしたら、
この地球はひつくりかえつた瓶(かめ)だつたとさ――
そしてほんたうに獨りぼつちになつて、
坐つたまま泣いてゐた、
今でもそこに坐つてゐるんだよ、
ほんたうに獨りぼつちでなあ
��青木重孝訳『ゲオルク・ビューヒネル作品全集 ダントンの死 外四篇』白水社・昭和16年、より)。
2011年5月21日土曜日
両刃の刃
昨日の早起きが癖になってしまったのか、今朝も5:00頃目が覚めてしまい、仕方なくキャベツ、グリーンボール、桃太郎トマトなどを植えに自家菜園へ行こうとしたら老母がついて来た上に、菜園入り口で母方の従姉の旦那さんであるKさんとも遭遇。実はKさんちの分として2kgほど馬鈴薯のキタアカリを播いてあるので、こうしてKさんがたまたま除草などに来てくれる。馬鈴薯の除草は、先日、入手した中古管理機の試運転で馬鈴薯の除草はしてしまったので、Kさんはトマトやキャベツを植えてくれた。
先日コシアブラを頂戴したヤッちゃんが、母親がお礼をしたのに恐縮して今度は岩魚を6尾、まだ生きているのを持ってきてくれた。ヤッちゃんが釣ったのではなく、いただきもののおすそ分けである。早速、今朝の朝食で塩焼き。おいしい。
以前もこのブログに書いた話題だが、生田耕作さんがB・ヴィアンの「屠殺屋入門」の解説の最終行で、
何としても読んでみたいのだが、実は「ピエール・マッコルランの「La Maison du retour écœurant(反吐の家)」(初版1912年)にはまだ日本語訳が無い。
原文はOPEN LIBRARYというインターネット・アーカイブにあり、プレーン・テキストやPDF、ePubなどで読むことができる。(うわ、まだ今年の4月30日にアップされたばかり?)
試しにプレーン・テキストとPDFをダウンロードしてみた。こちらは201KBだが、PDFの方はファイルサイズが何と8MB超であまりにサイズが大きいので不審に思って開いてみた。ぎょっ、フランスで出版された本をそのまま表紙から本文すべてスキャニングした画像ファイルをPDF化したものであった。表紙の装丁まで見えて、これは実にうれしい。本文もちゃんと読める。iPadを持っていればPDFやePubファイルを読める訳だが、残念ながら私はフランス語が出来ない。単語30くらいしか覚えていない。ウァーン・゚・(ノД`)ヽ(゚Д゚ )ナクナ
だれか翻訳してくれないだろうか。
そうか、こういう時にtwitterでつぶやいて拡散を図ればいいのか。なるほど、そういう場合にフォローが多い方がいいという訳か。しかし、私はあまりフォローするのもされるのもあまり大勢にしたくない。
うーん、twitterのフォローはまさに両刃の刃でありますな。
先日コシアブラを頂戴したヤッちゃんが、母親がお礼をしたのに恐縮して今度は岩魚を6尾、まだ生きているのを持ってきてくれた。ヤッちゃんが釣ったのではなく、いただきもののおすそ分けである。早速、今朝の朝食で塩焼き。おいしい。
以前もこのブログに書いた話題だが、生田耕作さんがB・ヴィアンの「屠殺屋入門」の解説の最終行で、
......また「北京の秋」をはじめ、ヴィアンの諸小説と、マッコルランの『反吐の家』の類縁関係は注目に値する。と書かれている。
何としても読んでみたいのだが、実は「ピエール・マッコルランの「La Maison du retour écœurant(反吐の家)」(初版1912年)にはまだ日本語訳が無い。
原文はOPEN LIBRARYというインターネット・アーカイブにあり、プレーン・テキストやPDF、ePubなどで読むことができる。(うわ、まだ今年の4月30日にアップされたばかり?)
試しにプレーン・テキストとPDFをダウンロードしてみた。こちらは201KBだが、PDFの方はファイルサイズが何と8MB超であまりにサイズが大きいので不審に思って開いてみた。ぎょっ、フランスで出版された本をそのまま表紙から本文すべてスキャニングした画像ファイルをPDF化したものであった。表紙の装丁まで見えて、これは実にうれしい。本文もちゃんと読める。iPadを持っていればPDFやePubファイルを読める訳だが、残念ながら私はフランス語が出来ない。単語30くらいしか覚えていない。ウァーン・゚・(ノД`)ヽ(゚Д゚ )ナクナ
だれか翻訳してくれないだろうか。
そうか、こういう時にtwitterでつぶやいて拡散を図ればいいのか。なるほど、そういう場合にフォローが多い方がいいという訳か。しかし、私はあまりフォローするのもされるのもあまり大勢にしたくない。
うーん、twitterのフォローはまさに両刃の刃でありますな。
2011年5月20日金曜日
さすがに一日が長い
さすがに一日が長いし、疲れるし、眠い。
先日、妻の実家から借りて(いただいて?)来た中古管理機のロータリーの爪を、新しいものに交換しようと注文しておいたが、それが届いた。そこで爪の交換をしようとしたが、爪を固定しているナットとボルトが錆びて固着し、まったく緩まない。仕方なくワイヤブラシで錆を落とし、KURE5-56を噴射して放置。また明日。気長にKURE5-56が浸透するのを待つほかなし。
2011年5月16日月曜日
どちらも病膏肓
創作メモに、小説の題名をたとえば「無言歌」と書き付けた、それだけでもう書き遂せない感じがしてしまう。
プロのピアニストが、案外、思いれたっぷりな余りテンポが遅くなってしまうのに比べ、こんな風に軽快に弾いてくれる方がこの遺作にはふさわしいのではないかと思う。
同じ遺作でも映画やCMに使われて有名になり過ぎてしまった「嬰ハ単調と」より、この、ただの「ハ短調」の方が私は好きだ。
それもこれくらいのテンポがベスト。
これも久しぶり。
全てをDLして繋げてCDに収めておきたいところですが、そんな時間がありません。
プロのピアニストが、案外、思いれたっぷりな余りテンポが遅くなってしまうのに比べ、こんな風に軽快に弾いてくれる方がこの遺作にはふさわしいのではないかと思う。
同じ遺作でも映画やCMに使われて有名になり過ぎてしまった「嬰ハ単調と」より、この、ただの「ハ短調」の方が私は好きだ。
それもこれくらいのテンポがベスト。
これも久しぶり。
全てをDLして繋げてCDに収めておきたいところですが、そんな時間がありません。
2011年5月14日土曜日
今日的事象
Tさん、本日先ずは整形外科に入院、16日手術。
昨日午前中に発注したデジタルカメラが、今日届いた。早くて結構だが、SDカードと液晶保護フィルムを買いに行く時間がない。いっしょに注文すればよかったが、後の祭り。
コンパクト・デジタル・カメラにしてはやや大きいが、それでも胸ポケットに収まる大きさでこれまでの2つに比べていちばん小さい。
テストで少し撮影してみたが、やはり腕が悪い。

あの時、「爆発的事象」とこの国の官房長官は聞き慣れない妙な言い回しで説明したのだったが、やはり「炉心溶融的事象」であったことが今になって判明。
やはり政府も東電も原子力危険不安院的事象であります。
何だか、実は被爆していたのに、後になってあなたは被爆的事象に遭遇していましたとか、死んだ後であなたは被爆死的事象にありましたなんて、事後説明をされたりしそうな、嫌な感じがいたします。
今さらながら、ニーチェの「存在と世界は美的現象としてのみ是認される」という、一種のアンチ・テーゼを思い出さざるを得ません。彼、ニーチェの言うことはやはり正しかったのかもしれません。
昨日午前中に発注したデジタルカメラが、今日届いた。早くて結構だが、SDカードと液晶保護フィルムを買いに行く時間がない。いっしょに注文すればよかったが、後の祭り。
コンパクト・デジタル・カメラにしてはやや大きいが、それでも胸ポケットに収まる大きさでこれまでの2つに比べていちばん小さい。
テストで少し撮影してみたが、やはり腕が悪い。
あの時、「爆発的事象」とこの国の官房長官は聞き慣れない妙な言い回しで説明したのだったが、やはり「炉心溶融的事象」であったことが今になって判明。
やはり政府も東電も原子力危険不安院的事象であります。
何だか、実は被爆していたのに、後になってあなたは被爆的事象に遭遇していましたとか、死んだ後であなたは被爆死的事象にありましたなんて、事後説明をされたりしそうな、嫌な感じがいたします。
今さらながら、ニーチェの「存在と世界は美的現象としてのみ是認される」という、一種のアンチ・テーゼを思い出さざるを得ません。彼、ニーチェの言うことはやはり正しかったのかもしれません。
2011年5月13日金曜日
原始生活
このところずっと、少しずつ就寝時刻と起床時刻が早まってゆき、夕食後は昏倒して眠るばかりで、原始生活に近づいている。
毎晩、読書できずに蕎麦の実の写真が掲載されている雑誌をながめているうちに眠っているありさま。あと半月の我慢。
ネットでコンパクト・デジタル・カメラを発注。
実際に撮影された写真をたくさん見て、先日書いた2機種とは別のものになった。描写力とか言われていますが、最後は自分の目を信じるほかなく、被写体にいちばん質感が感じられた機種を選んだ。
先に書いた2機種より価格が安いのは皮肉だが、レンズが明るく、写真が美しい。
今年こそ、カメラを全部持って北八ヶ岳へ行きたいのだけど。

町内のYちゃんからコシアブラを頂いた。柔らかくておいしそうだが、天ぷらのほかに調理法があるのだろうか。
毎晩、読書できずに蕎麦の実の写真が掲載されている雑誌をながめているうちに眠っているありさま。あと半月の我慢。
ネットでコンパクト・デジタル・カメラを発注。
実際に撮影された写真をたくさん見て、先日書いた2機種とは別のものになった。描写力とか言われていますが、最後は自分の目を信じるほかなく、被写体にいちばん質感が感じられた機種を選んだ。
先に書いた2機種より価格が安いのは皮肉だが、レンズが明るく、写真が美しい。
今年こそ、カメラを全部持って北八ヶ岳へ行きたいのだけど。
町内のYちゃんからコシアブラを頂いた。柔らかくておいしそうだが、天ぷらのほかに調理法があるのだろうか。
2011年5月9日月曜日
今夜も怪しくユリシーズ
古書検索をしているうちにこんな検定ごっこウェブに迷い込んでしまい、ついでに検定を受けてみたら三問正解して認定証をもらった。
といってもまだ誰も受けていなくて、全国でひとりしか受験していないうちの1位です、Wahaha。
カナダのN君からメール。散歩しながら近所の林の中で「行者にんにく」をお買い物袋いっぱいに採取し、醤油漬けにして食べているのだという。うらやましい。
でも、そちらでは野生の植物を採取すると逮捕されるんじゃなかったっけ?
夕方、ルバーブの花蕾切除のため、まっすぐ帰宅せず、菜園へ寄る。緑茎系の株の花蕾はすべて取り去らねばならないが、花蕾が異常に多い茎もあって見落としするかもしれず、油断できない。
Saint DriftとUnisonous Tragedy種、及びN君から種を貰った彼の近所の家の品種名も知れない種から育った5つの株だけ、花を咲かせて種を採る予定。緑茎系とは交配させたくないのである。

左が色は真紅だが茎が細くて短いUnisonous Tragedy(同音の悲劇)、右がやや真紅だが気温や水分・栄養の吸収次第で緑っぽくなる茎もあって首まで真紅でしかも太くて長い株を探索中のSaint Drift(聖なる漂流)。
そういえば、ネットショップから撤退してしまったらしいアメリカ北西部の高嶋弟似のショップ・オーナーであるが、iofferという別のオークション・サイトで出品しているのを発見。私が昨年購入したUnisonous Tragedyの種60粒が、6個も出品されていた。
そのうち5つはオークションだが、ひとつは260円。
全部まとめてオーダーしちゃいたい気分だが、このiofferというオークション・サイトがどんなサイトなのかを検索してみなければ。
といってもまだ誰も受けていなくて、全国でひとりしか受験していないうちの1位です、Wahaha。
カナダのN君からメール。散歩しながら近所の林の中で「行者にんにく」をお買い物袋いっぱいに採取し、醤油漬けにして食べているのだという。うらやましい。
でも、そちらでは野生の植物を採取すると逮捕されるんじゃなかったっけ?
夕方、ルバーブの花蕾切除のため、まっすぐ帰宅せず、菜園へ寄る。緑茎系の株の花蕾はすべて取り去らねばならないが、花蕾が異常に多い茎もあって見落としするかもしれず、油断できない。
Saint DriftとUnisonous Tragedy種、及びN君から種を貰った彼の近所の家の品種名も知れない種から育った5つの株だけ、花を咲かせて種を採る予定。緑茎系とは交配させたくないのである。
左が色は真紅だが茎が細くて短いUnisonous Tragedy(同音の悲劇)、右がやや真紅だが気温や水分・栄養の吸収次第で緑っぽくなる茎もあって首まで真紅でしかも太くて長い株を探索中のSaint Drift(聖なる漂流)。
そういえば、ネットショップから撤退してしまったらしいアメリカ北西部の高嶋弟似のショップ・オーナーであるが、iofferという別のオークション・サイトで出品しているのを発見。私が昨年購入したUnisonous Tragedyの種60粒が、6個も出品されていた。
そのうち5つはオークションだが、ひとつは260円。
全部まとめてオーダーしちゃいたい気分だが、このiofferというオークション・サイトがどんなサイトなのかを検索してみなければ。
2011年5月8日日曜日
宗旨替え
高倍率ズーム機を探しているうちに、ズーム機とは正反対、画質優先のCOOLPIX P7000と、OLYMPUS XZ-1に遭遇してしまった。うーん、ズーム機はやめておこうかな。
価格.comの最安価格はCOOLPIX P7000は32200円
OLYMPUS XZ-1は45598円。
2月5日より継続してダッタンそば粉を飲み、ほぼ3ヶ月、血圧を測定してきたが、昨夜をもって血圧測定はやめることにした。
ルチンが水溶性なので、案外即効的で、飲んだ日は110台、飲まないと120台とほぼ10~15くらいの差があることが判った。血圧は降圧剤と血管拡張剤が効いていることもあって安定しているので、毛細血管の強化に期待してさらにダッタンそば粉を飲むことは継続いたします。
価格.comの最安価格はCOOLPIX P7000は32200円
OLYMPUS XZ-1は45598円。
2月5日より継続してダッタンそば粉を飲み、ほぼ3ヶ月、血圧を測定してきたが、昨夜をもって血圧測定はやめることにした。
ルチンが水溶性なので、案外即効的で、飲んだ日は110台、飲まないと120台とほぼ10~15くらいの差があることが判った。血圧は降圧剤と血管拡張剤が効いていることもあって安定しているので、毛細血管の強化に期待してさらにダッタンそば粉を飲むことは継続いたします。
2011年5月7日土曜日
忙中機械2
朝、八時過ぎに運送会社の支店へ電話して3日発送の荷物が未だに届かないと苦情と伝票番号を伝えた。そのまま仕事に出たら、一時間後に家から電話があり、昼頃までに届けますという連絡が入ったという。昼に帰宅するとちょうど顔なじみの下請けの配達専門のおじさんが荷物を持って来た。
「すみませんね、遅くなって。私も二日休んでいて、今日は何だか遅配の荷物ばかりで、あっちへ行って謝り、こっちへ行って謝りで、厭になっちゃいますよ」
うーん、社員だったら怒ろうと思っていたのに、このおじさんでは怒れなくなってしまいました。
ということで、昼食後に早速燃料コックの交換。ネジひとつと燃料ホース二本を緩めておいて新しい燃料コックに交換接続するだけなので5分で終了。ついでなのでロータリーの爪も箱から出してみたら、現在付いている爪の消耗の度合いがひどいことが判ったので、これも交換することにした。左右5本ずつ、10本。こちらの方が時間がかかって、約30分。
これで今年のソバ栽培や自家菜園も支障なく行なえるはず。
午後、Tさんから携帯に電話が入って、これからどうだと言う。田植え機の操作のことである。行かないわけにはいかない。エンジン始動から様々なレバー操作を教わる。最後にTさんのトラクターで耕してふかふかしている畑で実際に田植機を動かしてみた。まあ、曲がったりして上手には植えられないにしても、何とか植えられそうな気がして来た。
これまで代かきも田植えもみなTさん任せだったが、今年から自立の方向を考えないと。
その後、近所のMさんという女性と3人でお茶。Mさん、Tさんの入院中にTさんの畑のトマトの腋芽かきくらいしてくれればいいのだが、出来ないという。え、出来ないって??
田植え機の置き場所がなくシャッターがなく屋根だけの場所に置くというので、無用心なので家の倉庫に保管することにした。トラクターまで盗まれる時代である。
「すみませんね、遅くなって。私も二日休んでいて、今日は何だか遅配の荷物ばかりで、あっちへ行って謝り、こっちへ行って謝りで、厭になっちゃいますよ」
うーん、社員だったら怒ろうと思っていたのに、このおじさんでは怒れなくなってしまいました。
ということで、昼食後に早速燃料コックの交換。ネジひとつと燃料ホース二本を緩めておいて新しい燃料コックに交換接続するだけなので5分で終了。ついでなのでロータリーの爪も箱から出してみたら、現在付いている爪の消耗の度合いがひどいことが判ったので、これも交換することにした。左右5本ずつ、10本。こちらの方が時間がかかって、約30分。
これで今年のソバ栽培や自家菜園も支障なく行なえるはず。
午後、Tさんから携帯に電話が入って、これからどうだと言う。田植え機の操作のことである。行かないわけにはいかない。エンジン始動から様々なレバー操作を教わる。最後にTさんのトラクターで耕してふかふかしている畑で実際に田植機を動かしてみた。まあ、曲がったりして上手には植えられないにしても、何とか植えられそうな気がして来た。
これまで代かきも田植えもみなTさん任せだったが、今年から自立の方向を考えないと。
その後、近所のMさんという女性と3人でお茶。Mさん、Tさんの入院中にTさんの畑のトマトの腋芽かきくらいしてくれればいいのだが、出来ないという。え、出来ないって??
田植え機の置き場所がなくシャッターがなく屋根だけの場所に置くというので、無用心なので家の倉庫に保管することにした。トラクターまで盗まれる時代である。
2011年5月6日金曜日
忙中機械
Tさんの入院日が近づいて来ているので、慌しい。今日は、双方忙しい中を時間調整して、午後、Tさんのトラクターの通常のロータリーを代かきローターに付け替える方法を実地で教えてもらった。列車の車両連結に似ているが、慣れないと一回ではロータリーを連結出来ない。だが、置いてあるロータリーの連結部分の角度の微妙な違いで、簡単に連結できることが判った。外して置く時に出来るだけ水平な場所に置かないと、後で連結する時に苦労する。田植え機の使い方も教わる予定だったが、時間がなくてまた明日ということになった。
ほんとうにTさんの代りに田植えが出来るのか、それも、例年の15aが倍の30a、(ーー;)。
昨年、ソバ栽培用に入手した中古の管理機の燃料コックのゴム製のパッキンが劣化し、ガソリンがもれるようになったので、ネットで検索してメーカー純正の燃料コックを発見した。パッキンとプラスティック製のカップだけでもいいのだが、燃料コックそのものを交換することにして注文することにした。ついでにだいぶ痩せてきている管理機のロータリーの爪も検索したらあったので、1セット注文した。それが2日のこと。発送したというメールがあったのは3日だが、4日どころか今日になっても届かない。ネットで荷物を追跡すると、未だに福知山支店を出たまま当地の支店に届いていない。いったい、どこまで行ってしまったのか? 明日の朝、支店に電話を入れてみよう。
ほんとうにTさんの代りに田植えが出来るのか、それも、例年の15aが倍の30a、(ーー;)。
昨年、ソバ栽培用に入手した中古の管理機の燃料コックのゴム製のパッキンが劣化し、ガソリンがもれるようになったので、ネットで検索してメーカー純正の燃料コックを発見した。パッキンとプラスティック製のカップだけでもいいのだが、燃料コックそのものを交換することにして注文することにした。ついでにだいぶ痩せてきている管理機のロータリーの爪も検索したらあったので、1セット注文した。それが2日のこと。発送したというメールがあったのは3日だが、4日どころか今日になっても届かない。ネットで荷物を追跡すると、未だに福知山支店を出たまま当地の支店に届いていない。いったい、どこまで行ってしまったのか? 明日の朝、支店に電話を入れてみよう。
2011年5月2日月曜日
高嶋兄弟の弟似のアメリカ人オーナー
rhubarbの芽が伸びて来た。Saint Drift種が様々な形質なのに比べて、Unisonous Tragedy種は茎葉が細く短いという欠点と対照的に色は真紅で実に惜しい。

もう少し種を入手して播いてみたいと思い、ネットで海外のショップに注文しようとしたら、ショップ自体が閉鎖されている訳ではないが、商品がまったく掲載されなくなっていた。4月末にマイナス評価が二件続いたので凹んでしまっているのか。残念。高嶋兄弟の弟似のアメリカ人オーナー、元気を出して復活してほしい。
原発事故と核戦争では背景が異なりはするが、外付けHDDに保存してある、Tarkovskyの「サクリファイス」日本語版を見直した。
主人公と魔女と言われるマリアが抱き合い、明らかに浮遊している場面があり、昔見たP・P・パゾリーニの「テオレマ(定理)」を思い出した。あの映画で確かに女中が浮遊したはずだった。youTubeで検索してみたが、途中で根負けして諦めた。また後日検索してみよう。
もう少し種を入手して播いてみたいと思い、ネットで海外のショップに注文しようとしたら、ショップ自体が閉鎖されている訳ではないが、商品がまったく掲載されなくなっていた。4月末にマイナス評価が二件続いたので凹んでしまっているのか。残念。高嶋兄弟の弟似のアメリカ人オーナー、元気を出して復活してほしい。
原発事故と核戦争では背景が異なりはするが、外付けHDDに保存してある、Tarkovskyの「サクリファイス」日本語版を見直した。
主人公と魔女と言われるマリアが抱き合い、明らかに浮遊している場面があり、昔見たP・P・パゾリーニの「テオレマ(定理)」を思い出した。あの映画で確かに女中が浮遊したはずだった。youTubeで検索してみたが、途中で根負けして諦めた。また後日検索してみよう。
2011年5月1日日曜日
2011年4月28日木曜日
スマートすぎるアマリリス
暮れにお歳暮としてチューリップの球根とアマリリスを鉢にセットしたものをいただいたので、チューリップは菜園の多年生の花ばかりの一角へ植え、アマリリスは年を越してから水を遣りはじめた。暖房している室内に置き放しにしておいたが、寒いうちはなかなか芽が出ず、出ても伸びが鈍かった。
それが4月になってぐんぐん伸び、ようやく開花開始。
ずっと室内にいたので、ひょろひょろ、むやみに長い。花首までほぼ1mある。


それが4月になってぐんぐん伸び、ようやく開花開始。
ずっと室内にいたので、ひょろひょろ、むやみに長い。花首までほぼ1mある。
2011年4月25日月曜日
ミクロがマクロになる
読書、相変わらず進まず。
右手首の痛みも取れないのでパソコンのマウスも使えない。
で、夜、何をしているかというと、拡大鏡でソバの実を観察している。
ソバの実をながめていると気持ちが落ち着くという自分の奇妙な性癖に気づいた。完璧な種子フェチである。
小さなひと粒を拡大鏡でじっと観察していると、妙な言い方だがひと粒のソバの実というミクロがもっと大きなマクロになってくる。
ミクロがマクロにという経験は細密画をじっと見ている時にも感じた。
大袈裟に言えばミクロなものが存在そのものや宇宙全体として感じられたりする。
小説もそうなのだろう。些細なことを考えたり感じたり、動揺したり感動したりする一個の人間を仔細に観察すれば、人間という存在やこの世というマクロも見えて来る。
小説もそういうミクロとマクロが=で重合されるようなパースペクティブを背後に持って書かれなければならない。〈 何を言っているのやら......(ーー;) 〉
メモ:当県のソバの新しい奨励品種にタチアカネ(旧・桔梗3号)という品種が平成21年に認定されているのを知った。種は入手可能なのだろうか。
右手首の痛みも取れないのでパソコンのマウスも使えない。
で、夜、何をしているかというと、拡大鏡でソバの実を観察している。
ソバの実をながめていると気持ちが落ち着くという自分の奇妙な性癖に気づいた。完璧な種子フェチである。
小さなひと粒を拡大鏡でじっと観察していると、妙な言い方だがひと粒のソバの実というミクロがもっと大きなマクロになってくる。
ミクロがマクロにという経験は細密画をじっと見ている時にも感じた。
大袈裟に言えばミクロなものが存在そのものや宇宙全体として感じられたりする。
小説もそうなのだろう。些細なことを考えたり感じたり、動揺したり感動したりする一個の人間を仔細に観察すれば、人間という存在やこの世というマクロも見えて来る。
小説もそういうミクロとマクロが=で重合されるようなパースペクティブを背後に持って書かれなければならない。〈 何を言っているのやら......(ーー;) 〉
メモ:当県のソバの新しい奨励品種にタチアカネ(旧・桔梗3号)という品種が平成21年に認定されているのを知った。種は入手可能なのだろうか。
2011年4月23日土曜日
まだ下の畑にいません
夕方、帰宅前に菜園へ寄って諸々観察。
東の端には採種用に株を残してあるオヤマボクチが芽吹いて柔らかな葉を広げはじめており、また畑の西南の隅には見慣れない植物を発見。そういえば、昨年5月に5ポット購入してきて植えた「行者にんにく」ではありませんか。1本消えて、4本発芽していました。ホースラディッシュと混在していて、負けてしまうかな。
ルバーブもだいぶ芽をふき、茎が賑やかになってきたが、かんじんのSaint Drift種がだいぶ消滅している。緑茎種は株の消滅など滅多にないのに、やはり赤は弱い。ただし、特に株が消えている二通りがあり、そこは最初にSaint Drift種を植えた時にある有機質肥料を多めに散布した場所で、株の消滅は二回目となる。原因はむしろその辺りにあるのかもしれない。移植適期なので、少し株の植え替えて畝を整理したいのだが時間がない。
同じ菜園に5種類のルバーブを植えてあるので、緑茎系は蕾を摘んで花を咲かせず、Saint Drift、ジャーマン・ワイン、Unisonus Tragedyの3種類だけ花を咲かせたい。ことにSaint Driftは海外から種を購入する道を閉ざされてしまったので、今ある株での自家採種と播種を繰り返し、突然変異株を見つけ出すほかない。中途半端なグラスキンズ・パーペチュアルはすべて廃棄してもいいような気がする。
今年はソバの種の選抜育成を始めようとしていたり(?!)、趣味の園芸が忙しい。
早く仕事をやめて「下の畑にいます」と書いた小さな木の板を置きたいものです。
先日の飲み会でいっしょだったK子さんのお宅に石臼があると聞いたが、やはり漬物石に使用しているというので、見せて下さいとも言えなかった。
ん? そういえばM君も「昔、家は穀屋だった」とか言っていたような......だから石臼があるというニュアンス? 大勢いると皆の話に十分に応答出来ていない自分がよく判ります。
そういえば、電動化に必要なモーター、定価9250円が7860円、モーターの回転を減速させるギヤヘッド1:100が定価12500円のところ10620円。送料も考えると20000円。中古は見つけられないだろうから、夏には購入しよう。
もう過去の人ではあるが、クルト・レーデル指揮の曲はyouTubeにも3曲しかアップされていない。そのうちの一曲がこれ。
ところがKurt Redelで検索したら305件もヒットした。
血圧117-76と絶好調。右手首、腱鞘炎か、マウスを動かすのに痛い。仕事のせいか、パソコンのせいか? インドメタシンとモーラス・テープで手当て。
東の端には採種用に株を残してあるオヤマボクチが芽吹いて柔らかな葉を広げはじめており、また畑の西南の隅には見慣れない植物を発見。そういえば、昨年5月に5ポット購入してきて植えた「行者にんにく」ではありませんか。1本消えて、4本発芽していました。ホースラディッシュと混在していて、負けてしまうかな。
ルバーブもだいぶ芽をふき、茎が賑やかになってきたが、かんじんのSaint Drift種がだいぶ消滅している。緑茎種は株の消滅など滅多にないのに、やはり赤は弱い。ただし、特に株が消えている二通りがあり、そこは最初にSaint Drift種を植えた時にある有機質肥料を多めに散布した場所で、株の消滅は二回目となる。原因はむしろその辺りにあるのかもしれない。移植適期なので、少し株の植え替えて畝を整理したいのだが時間がない。
同じ菜園に5種類のルバーブを植えてあるので、緑茎系は蕾を摘んで花を咲かせず、Saint Drift、ジャーマン・ワイン、Unisonus Tragedyの3種類だけ花を咲かせたい。ことにSaint Driftは海外から種を購入する道を閉ざされてしまったので、今ある株での自家採種と播種を繰り返し、突然変異株を見つけ出すほかない。中途半端なグラスキンズ・パーペチュアルはすべて廃棄してもいいような気がする。
今年はソバの種の選抜育成を始めようとしていたり(?!)、趣味の園芸が忙しい。
早く仕事をやめて「下の畑にいます」と書いた小さな木の板を置きたいものです。
先日の飲み会でいっしょだったK子さんのお宅に石臼があると聞いたが、やはり漬物石に使用しているというので、見せて下さいとも言えなかった。
ん? そういえばM君も「昔、家は穀屋だった」とか言っていたような......だから石臼があるというニュアンス? 大勢いると皆の話に十分に応答出来ていない自分がよく判ります。
そういえば、電動化に必要なモーター、定価9250円が7860円、モーターの回転を減速させるギヤヘッド1:100が定価12500円のところ10620円。送料も考えると20000円。中古は見つけられないだろうから、夏には購入しよう。
もう過去の人ではあるが、クルト・レーデル指揮の曲はyouTubeにも3曲しかアップされていない。そのうちの一曲がこれ。
ところがKurt Redelで検索したら305件もヒットした。
血圧117-76と絶好調。右手首、腱鞘炎か、マウスを動かすのに痛い。仕事のせいか、パソコンのせいか? インドメタシンとモーラス・テープで手当て。
2011年4月22日金曜日
気が遠くなる
昨夜は二次会で96歳でバーでカラオケを唄うスーパー爺さんと相席になった。いまだに運転免許証を所持していて、しかも免許の種類が大型2種である。更新されているのが不思議。おそるべし。
今夜も疲れて読書は進まず。活字を見ていると気が遠くなるのだから情けない。
2月10日に購入したT在来種、もう少し量が欲しくて一昨夜に注文しておいたら、昨日発送で今日届いた。今回は50mlを4袋。前回同様に脱穀したまま萼や茎なども混じった状態なので、少しずつ両手に挟んで揉み、ゴミを落とし、精製した。合計で190g。

また、久しぶりにmusicMeやDEEZERに入ってあれこれ検索。やはり前者の方が圧倒的にアップされているアルバム数も、試聴できる曲数も多い。
トム・ウェイツの「ブルー・ヴァレンタイン」、10曲を聴いてしまった。
今夜も疲れて読書は進まず。活字を見ていると気が遠くなるのだから情けない。
2月10日に購入したT在来種、もう少し量が欲しくて一昨夜に注文しておいたら、昨日発送で今日届いた。今回は50mlを4袋。前回同様に脱穀したまま萼や茎なども混じった状態なので、少しずつ両手に挟んで揉み、ゴミを落とし、精製した。合計で190g。
また、久しぶりにmusicMeやDEEZERに入ってあれこれ検索。やはり前者の方が圧倒的にアップされているアルバム数も、試聴できる曲数も多い。
トム・ウェイツの「ブルー・ヴァレンタイン」、10曲を聴いてしまった。
2011年4月20日水曜日
ひと粒として同じ文様は無い
「残雪研究3」と「戦後派作家たちの病跡」、なかなか、ひと晩1編、一章のペースで読み進められず。後者は、取り上げられた四人の作家の作品をそれぞれ中途半端にしか読んでいないので、通読にはかなり時間がかかるだろう。今夜、ようやく礼状を書けたので明日投函できる。
などと考えながら、なぜか「カラマーゾフの兄弟」の3兄弟のことなど考えている。
自分は誰にいちばん近いんだろう、と。アリョーシャでは絶対ないし、ミーチャでもない。どちらかといえばワーニャがいちばん近いのだろうけど、それがとても厭な感じ。いっそミーチャになってしまった方が楽なのかもしれないと思う。
T在来の玄ソバ、2月に入手した2袋では少し少ない。種子生産用だけだったら十分だろうが、少し食用に作りたくなったので、50ml入り500円を4袋、追加オーダー。
Tさんと共同栽培したソバ畑、Tさんが病気治療に入っているため今年は共同栽培ではない。誰か応援を頼んで凌ごうかと思ったが、ひとりでは負担が重過ぎるので栽培を断念。Tさんにその旨を伝えた。元々その畑を借りているTさんは困ったらしいが、とにかく27アール(891坪)もある畑は大きすぎてひとりでは手に負えない。Tさんの水田も代理で耕作しなければならないのだし。
個人的に花園2,3,4号地でN在来を栽培し、N在来は元々の菜園の余地で栽培すればいいが、常陸秋そばを栽培する場所がなくなった、さて......。
T在来の種を拡大鏡で見ていたら、その美しい文様に感動してしまった。ソバの皮は食用にはならない。かつては枕の素材になったが今は無用の長物であるのだけど、美しい。
しかも、ひと粒として同じ文様は無い。まるで人間みたい。

不意に、右手首が痛みだした。
仕事のし過ぎか、マウスの使いすぎか、インドメタシン塗布剤を塗り、母親のモーラステープを勝手に頂いて貼ったら、痛みが失せた。
明日は1月末に蕎麦会をした同級生たちと、久しぶりの飲み会。
当地はまだ桜は未開です。
などと考えながら、なぜか「カラマーゾフの兄弟」の3兄弟のことなど考えている。
自分は誰にいちばん近いんだろう、と。アリョーシャでは絶対ないし、ミーチャでもない。どちらかといえばワーニャがいちばん近いのだろうけど、それがとても厭な感じ。いっそミーチャになってしまった方が楽なのかもしれないと思う。
T在来の玄ソバ、2月に入手した2袋では少し少ない。種子生産用だけだったら十分だろうが、少し食用に作りたくなったので、50ml入り500円を4袋、追加オーダー。
Tさんと共同栽培したソバ畑、Tさんが病気治療に入っているため今年は共同栽培ではない。誰か応援を頼んで凌ごうかと思ったが、ひとりでは負担が重過ぎるので栽培を断念。Tさんにその旨を伝えた。元々その畑を借りているTさんは困ったらしいが、とにかく27アール(891坪)もある畑は大きすぎてひとりでは手に負えない。Tさんの水田も代理で耕作しなければならないのだし。
個人的に花園2,3,4号地でN在来を栽培し、N在来は元々の菜園の余地で栽培すればいいが、常陸秋そばを栽培する場所がなくなった、さて......。
T在来の種を拡大鏡で見ていたら、その美しい文様に感動してしまった。ソバの皮は食用にはならない。かつては枕の素材になったが今は無用の長物であるのだけど、美しい。
しかも、ひと粒として同じ文様は無い。まるで人間みたい。
不意に、右手首が痛みだした。
仕事のし過ぎか、マウスの使いすぎか、インドメタシン塗布剤を塗り、母親のモーラステープを勝手に頂いて貼ったら、痛みが失せた。
明日は1月末に蕎麦会をした同級生たちと、久しぶりの飲み会。
当地はまだ桜は未開です。
2011年4月18日月曜日
あれこれ
このところずっとテレビがうるさいので消して、入手したN在来のソバの実の選別を毎晩少しずつ行なっていて、今夜、一応、第一次選別が終了した。見た目で明らかに在来種ではないと判断できる、大粒で稜のはっきりしたものは明らかに改良種が交配したものと思われるので必ず除外し、ほかに皮が剥けたものや異形のものも除外。
今後、さらにこの選別したなかから特にこの在来種の特徴が出ていると思われる形のものを少し拾い出し、これを来年度のための採種用とする。この夏に食用として播くのはその残り。
何とも細かい根気の要る作業だったが、見ていると改良種のように一律な形や風貌ではなく、結構それぞれに個性があって選別も楽しい。だが採種用に選別しているものは思いのほか共通した形質になった。小粒で稜が明確でなく丸い。
それからもう一種類、T在来。これは50gほどしか無いが、皮を剥いて実を噛んだ際の苦味、えぐみがこれほど強烈なのはないと思う。産地の県の試験場の研究データのPDFを見ると、味覚センサーでの数値が「苦味」、「苦味コク」、「旨味」、「旨味コク」すべてが他県の品種と比較してダントツに高いのである。
今年は採種用での栽培だが、来年度、食用に生産して粉になったらどんな風味となるか、今から楽しみである。
ただし、ソバは他家受粉であるのでミツバチなどによる交配を避けるため、それぞれを出来るだけ(出来れば2km以上)離れた場所で栽培しなくてはならない。
将来的には、N在来とT在来を同量混合して播種し、交配させてみるのも面白いかもしれない。それが私のオリジナル・ソバであったりして、wahaha。
残雪研究、毎晩一作ずつ読んでいる。
昨夜までに、「芸術家たちと、ロマンチシズムを読んだ町長の爺さん」(鷲巣益美・訳)と「奇妙な大脳損傷」(富岡優理子・訳)を読んだ。
小説7編、評論1編、論文3編。合わせて11の夜を楽しめるのです。
��それにしても、「残雪研究・第三号」、執筆者すべて女性で男性がひとりもいないのは男の端くれとしては少しさびしいのですが、こんなに女性が頑張っているはうれしいので、差し引きすれば相当に嬉しい)
それから江場さんに送っていただいたパトグラフィ。井上光晴の虚言症、早く読みたいのだけど、先ずは第1章をきちんと読んでからでないと4人 の作家のパトグラフィ各論に入れない。そういう構造になっている。
今後、さらにこの選別したなかから特にこの在来種の特徴が出ていると思われる形のものを少し拾い出し、これを来年度のための採種用とする。この夏に食用として播くのはその残り。
何とも細かい根気の要る作業だったが、見ていると改良種のように一律な形や風貌ではなく、結構それぞれに個性があって選別も楽しい。だが採種用に選別しているものは思いのほか共通した形質になった。小粒で稜が明確でなく丸い。
それからもう一種類、T在来。これは50gほどしか無いが、皮を剥いて実を噛んだ際の苦味、えぐみがこれほど強烈なのはないと思う。産地の県の試験場の研究データのPDFを見ると、味覚センサーでの数値が「苦味」、「苦味コク」、「旨味」、「旨味コク」すべてが他県の品種と比較してダントツに高いのである。
今年は採種用での栽培だが、来年度、食用に生産して粉になったらどんな風味となるか、今から楽しみである。
ただし、ソバは他家受粉であるのでミツバチなどによる交配を避けるため、それぞれを出来るだけ(出来れば2km以上)離れた場所で栽培しなくてはならない。
将来的には、N在来とT在来を同量混合して播種し、交配させてみるのも面白いかもしれない。それが私のオリジナル・ソバであったりして、wahaha。
残雪研究、毎晩一作ずつ読んでいる。
昨夜までに、「芸術家たちと、ロマンチシズムを読んだ町長の爺さん」(鷲巣益美・訳)と「奇妙な大脳損傷」(富岡優理子・訳)を読んだ。
小説7編、評論1編、論文3編。合わせて11の夜を楽しめるのです。
��それにしても、「残雪研究・第三号」、執筆者すべて女性で男性がひとりもいないのは男の端くれとしては少しさびしいのですが、こんなに女性が頑張っているはうれしいので、差し引きすれば相当に嬉しい)
それから江場さんに送っていただいたパトグラフィ。井上光晴の虚言症、早く読みたいのだけど、先ずは第1章をきちんと読んでからでないと4人 の作家のパトグラフィ各論に入れない。そういう構造になっている。
2011年4月16日土曜日
本日頂いた本
庄田秀志「戦後派作家たちの病跡」3月10日 勉誠出版発行 3800円
著者は精神科医で、つい先日まで独立行政法人国立病院機構・小諸高原病院院長だったが、作家としては江場秀志さん(第9回すばる文学賞)。
井上光晴、島尾敏雄、三島由紀夫、安部公房の病跡研究が試みられている。
発行日が3月10日だったのだけど、翌日東北地方東海岸を襲った災厄を慮って今日まで発送を控えておられたという。
そういえば、わが誌も3月15日を発行日としていたが、3月10日には雑誌が届いており、発送しようとして大地震が発生し、やはり発送を戸惑ったのだった。無神経な私は逆に挨拶文を抜いて発送してしまったのだったが、こういう細やかな気配りで送っていただくと自分の乱暴さに呆れ、恥ずかしくもなる。
二十代の頃、三島由紀夫と太宰治のパトグラフィ(病跡学)を読んだ記憶があるので、読ませて頂くのが楽しみだが、単なる作家論や評論ではないので、読み通すのにかなり難儀であろうことは覚悟しなければならない。自己自身や人間という存在について病まない作家などありうべくもなく、そういう視点で読めば読まないこともなかろうと、ここでも乱暴な思考で前へ。
江場さん、ありがとうございます。そうそう、今からお礼の手紙を書こう。
2011年4月13日水曜日
至福
昨夜作成しておいたPDFファイルをフォルダに入れて、リンクを張った。それを今夜アップロードし、ようやく2号のウェブ版をネット上に置くことが出来た、ほっ。何と印刷会社から雑誌が届いてから一ヶ月にもなる。何と怠惰なこと。
今回から作品はPDFファイルのみとし、横書きのHTML版はやめた。ファイルを二重に置くことのサーバーへの負荷と、小説を横書きにすることの意味を考えてのことである。
思えば3月15日の発行日前に大地震大津波に襲われ、様々な意欲が殺がれた。何とか再び歩きはじめよう。
夕方、ホームセンターに寄り、これを購入。通常はゴミを吹き飛ばしたり、吸い込んだりする電動工具なのだが、これを用いていよいよ、秘密の実験開始である。
もしも成功したら、全国のソバ吉君たちが泣いて喜ぶことになるが、多分、そううまくは事が運ばないだろう。
ブヴァールとペキュシェはふたりで奇妙な実験に情熱を注いだが、私はひとりでアホなことをしている。
ポストに「残雪研究 第三号」が入っていた。
お願いしないうちに送っていただいたことになります。ありがとうございます。
本文168頁、小説7編もふくめて、すべて残雪のこと。至福であります。
今夜から早速読みます。
今回から作品はPDFファイルのみとし、横書きのHTML版はやめた。ファイルを二重に置くことのサーバーへの負荷と、小説を横書きにすることの意味を考えてのことである。
思えば3月15日の発行日前に大地震大津波に襲われ、様々な意欲が殺がれた。何とか再び歩きはじめよう。
夕方、ホームセンターに寄り、これを購入。通常はゴミを吹き飛ばしたり、吸い込んだりする電動工具なのだが、これを用いていよいよ、秘密の実験開始である。
もしも成功したら、全国のソバ吉君たちが泣いて喜ぶことになるが、多分、そううまくは事が運ばないだろう。
ブヴァールとペキュシェはふたりで奇妙な実験に情熱を注いだが、私はひとりでアホなことをしている。
ポストに「残雪研究 第三号」が入っていた。
お願いしないうちに送っていただいたことになります。ありがとうございます。
本文168頁、小説7編もふくめて、すべて残雪のこと。至福であります。
今夜から早速読みます。
2011年4月12日火曜日
今? (ーー;)
にこにこしてとてもいい顔をして「持って来て」というから届けたのに、あったから要らないという電話がかかって来た。だから、ひとり暮らしの高齢者は怖い。
つべこべ言っても仕方なく、明日、さっさと引き取りに行った方がすっきりする。
こういう些細な出来事でも小説のディテールにはなるのでしっかり記録しておかねばならない。こういうディテールできっちり支えられた小説は、たとえそれが掌編であってもかなりな現実味を獲得する。
またまた偏愛書の一冊である井上光晴の「だれかの関係」(こんなに安いの?! 泣)を開いている。
「りんご」、「お菓子の時間」、「ナイヤガラ」、「海辺のシチュー」、何度も読んですっかり頭に入っているのだけど、また読み返したくなる。
この40の短編、いや掌編集は昔、「文學界」が井上光晴に数年ずっと書かせて掲載したものをまとめた単行本で、文庫化もされていないと思う。
それから、やはり「文學界」が十二ヶ月連続で丸山健二の短編を掲載した、それをまとめたのが「水に映す」。これにも「バス亭」とか「青い帽子の女」とか、すごい短編があった。
昔の「文學界」はそれでもいい仕事をしていたものだ。
今? (ーー;)
つべこべ言っても仕方なく、明日、さっさと引き取りに行った方がすっきりする。
こういう些細な出来事でも小説のディテールにはなるのでしっかり記録しておかねばならない。こういうディテールできっちり支えられた小説は、たとえそれが掌編であってもかなりな現実味を獲得する。
またまた偏愛書の一冊である井上光晴の「だれかの関係」(こんなに安いの?! 泣)を開いている。
「りんご」、「お菓子の時間」、「ナイヤガラ」、「海辺のシチュー」、何度も読んですっかり頭に入っているのだけど、また読み返したくなる。
この40の短編、いや掌編集は昔、「文學界」が井上光晴に数年ずっと書かせて掲載したものをまとめた単行本で、文庫化もされていないと思う。
それから、やはり「文學界」が十二ヶ月連続で丸山健二の短編を掲載した、それをまとめたのが「水に映す」。これにも「バス亭」とか「青い帽子の女」とか、すごい短編があった。
昔の「文學界」はそれでもいい仕事をしていたものだ。
今? (ーー;)
2011年4月10日日曜日
仕事中の着想
どちらかといえば頭脳労働派ではないので、体を動かしていないと脳の働きも鈍くなるらしく、冬の間は寝太郎状態である。
それが、このところむやみに体を動かしているので、脳も動き始めたのか、仕事中に小説の構想や細部が浮かんでくることがある。今日も着想があったのだが、仕事を続けて書き留めなかったため、細部の半分くらいは雲散霧消してしまった。
仕事中の着想は、仕事を休止してでもノートにメモすべきである。
危ないので、記憶に残っている少しだけでもメモしておこう。
仮の題名は「episode」あるいははったり気味に「epeisdion」。
「私」に関するエピソードの連続。そのそれぞれ、連関があるようでない。
そして舞台は現代ではなく、一種の近未来小説。
「私」とはだれのことか。
様々な人間が「私」について語るが、そのどれも同一人物のようには思えない。
一種の「私」の迷宮を書く。
��それにしても、ストーリーに寄りかからない小説が可能かどうか。突きつめてゆくとそれは小説ではなくなってしまうような)
久しぶりに、前野曜子が参加していたRicky & 960POUNDの「ABURAZAME」を全曲聴いた。まさに前世紀後半の歌である。
その12曲目。
それが、このところむやみに体を動かしているので、脳も動き始めたのか、仕事中に小説の構想や細部が浮かんでくることがある。今日も着想があったのだが、仕事を続けて書き留めなかったため、細部の半分くらいは雲散霧消してしまった。
仕事中の着想は、仕事を休止してでもノートにメモすべきである。
危ないので、記憶に残っている少しだけでもメモしておこう。
仮の題名は「episode」あるいははったり気味に「epeisdion」。
「私」に関するエピソードの連続。そのそれぞれ、連関があるようでない。
そして舞台は現代ではなく、一種の近未来小説。
「私」とはだれのことか。
様々な人間が「私」について語るが、そのどれも同一人物のようには思えない。
一種の「私」の迷宮を書く。
��それにしても、ストーリーに寄りかからない小説が可能かどうか。突きつめてゆくとそれは小説ではなくなってしまうような)
久しぶりに、前野曜子が参加していたRicky & 960POUNDの「ABURAZAME」を全曲聴いた。まさに前世紀後半の歌である。
その12曲目。
2011年4月9日土曜日
Tatiana Romanova
Tatiana Romanova といえば007「ロシアより愛をこめて」のボンドガールであったダニエラ・ヴィアンキ演じたロシアの女性スパイの名前であるはずだが。
あれ? このYouTubeの歌は? 歌手は?
いや、Tatiana Romanova といえば、ロマノフ朝最後の皇帝ニコライ2世とアレクサンドラ皇后の第二皇女のことであり、007はそれを女スパイの名を借りたのでしょう。ちなみにこの映画公開の年に私は生まれた(嘘)。
うわ、検索していたら「The Women Of Bond: Then And Now」などというページにたどりついて、2008年のダニエラ・ビアンキの写真を見てしまいまちた、(ーー;)。
それにしても、ロマノフ朝最後の娘たちの画像がこんなにYouTubeにたくさんアップロードされているとは驚いた。
2011年4月7日木曜日
暴走じいさん
どうもフォークリフトの運転が下手になった。一年中操作していれば腕は落ちないだろうが、仕事が春先に集中するので、それ以外の時期は下手になる。今日もリフトをもう少し下げればいいのに、まあ大丈夫だろうと上まで上がりきっていないシャッターの下を通過したら、リフトの最上部がシャッターの下の端にひっかかり、ガーンという音と共に少し曲がった。足で押したら曲がりがかなり直って一応そのままシャッターが使えることが判って安堵した。完全に壊していたら修理にどれくらいの費用がかかったのだろう(汗)。
そういえば今日、かなりの高齢者が車でわが家に来た。うちの母親が生まれた村のおじいさんなのだが、「モモちゃん、元気?」などと言いながら小さく鼻歌など唄っている。
帰ってから母親にそのひとの歳を訊いたら「96歳」だという、ひえ~。96歳で免許証を更新していて、軽トラックを結構飛ばす暴走じいさんなのである。たまたま、かなり歳下らしい奥さんを助手席に乗せて車を走らせているのを見るが、のろのろ運転ではなく結構なスピードを出していて、あきれる。
耳は少し遠いが頭脳明晰で足腰もしっかりしていて、私が知る八十代より若々しく元気だ。ちなみにこの暴走じいさん、剣道八段の師範でもある。
どうせ長生きするのだったらああなりたいものだが、しかし草臥れないものかな?
久しぶりに、Zette Maroto唄うJ・プレヴェールの「La romance」を聴く。
J・プレヴェール、ボリス・ヴィアン、レーモン・クノー、みんな親しく、パタフィジック協会のメンバー。羨ましい時代。
♪ たえまなく小人が歌っていた
ぼくの頭のなかで小人が歌っていた
青春の小人が
短靴の紐をぷっつり切った
祭りの小屋のいっさいが
とつぜん跡かたもなくなった
この祭りの沈黙のなか
この祭りの砂漠のなか
ぼくは聞いた きみのこのましい声
きみの裂かれたかぼそい声
こどもっぽいひとりぽっちの声
遠くからぼくを呼ぶ声
ぼくは胸に手を当てた
そこには
血にまみれゆれ動いていた
星をちりばめたきみの笑いのガラスの破片が七つ。♪
そういえば今日、かなりの高齢者が車でわが家に来た。うちの母親が生まれた村のおじいさんなのだが、「モモちゃん、元気?」などと言いながら小さく鼻歌など唄っている。
帰ってから母親にそのひとの歳を訊いたら「96歳」だという、ひえ~。96歳で免許証を更新していて、軽トラックを結構飛ばす暴走じいさんなのである。たまたま、かなり歳下らしい奥さんを助手席に乗せて車を走らせているのを見るが、のろのろ運転ではなく結構なスピードを出していて、あきれる。
耳は少し遠いが頭脳明晰で足腰もしっかりしていて、私が知る八十代より若々しく元気だ。ちなみにこの暴走じいさん、剣道八段の師範でもある。
どうせ長生きするのだったらああなりたいものだが、しかし草臥れないものかな?
久しぶりに、Zette Maroto唄うJ・プレヴェールの「La romance」を聴く。
J・プレヴェール、ボリス・ヴィアン、レーモン・クノー、みんな親しく、パタフィジック協会のメンバー。羨ましい時代。
♪ たえまなく小人が歌っていた
ぼくの頭のなかで小人が歌っていた
青春の小人が
短靴の紐をぷっつり切った
祭りの小屋のいっさいが
とつぜん跡かたもなくなった
この祭りの沈黙のなか
この祭りの砂漠のなか
ぼくは聞いた きみのこのましい声
きみの裂かれたかぼそい声
こどもっぽいひとりぽっちの声
遠くからぼくを呼ぶ声
ぼくは胸に手を当てた
そこには
血にまみれゆれ動いていた
星をちりばめたきみの笑いのガラスの破片が七つ。♪
2011年4月5日火曜日
そうだった
いよいよ疲れてきた。本業、副業、趣味の園芸、みんな一度に発狂したように忙しくなる。そうでなくても忙しいのに、二種兼業の副業にTさんの水田15アールが加わるのだから、本当に大丈夫なのだろうか。Tさん、何だか歩き方が頼りなくなって来た。
いよいよ、5月末まで無休である。
先日届いた本2冊もまったく開けない。そうでなくても長編を読める時期ではないので、短編集を買うべきであった。
本日の血圧113-79。うたた寝直後に計測した1日夜は107-72、昨夜は105-74だった。うたた寝直後は血圧が下がっていて血圧測定には不適当であるらしい。やはり、同じ時刻に同じような状況で計るように心がけないと正確ではない。
いずれにしてもだいぶ安定しているのは確か。測定開始した頃は120-80台だったのが、最近はすっかり110-70台が多い。
最近また、眠る時にiPodのイヤホンを耳に差し込んだままバッハを聴きながら眠っているが、電源を切らずに眠りに落ちているらしく、バッテリー切れになっていることがしばしば。耳と頭に良くないのでイヤホンで聴くのはやめたほうがいいのだが、ついつい。
土曜に長男が一泊で帰宅。大型バイクの車検が切れたままなので、車検に出すための帰宅らしい。
あえて執拗に訊くと、彼の勤務場所や宿舎は停電しないらしい。
そうだった。当然のことながら、計画停電から外されている施設があるのだ。電車が止まろうと、信号が消えてしまっても、たとえば首相官邸が計画停電されたら困るものね。東電は東電本社自体を計画停電しないであろうし。
いよいよ、5月末まで無休である。
先日届いた本2冊もまったく開けない。そうでなくても長編を読める時期ではないので、短編集を買うべきであった。
本日の血圧113-79。うたた寝直後に計測した1日夜は107-72、昨夜は105-74だった。うたた寝直後は血圧が下がっていて血圧測定には不適当であるらしい。やはり、同じ時刻に同じような状況で計るように心がけないと正確ではない。
いずれにしてもだいぶ安定しているのは確か。測定開始した頃は120-80台だったのが、最近はすっかり110-70台が多い。
最近また、眠る時にiPodのイヤホンを耳に差し込んだままバッハを聴きながら眠っているが、電源を切らずに眠りに落ちているらしく、バッテリー切れになっていることがしばしば。耳と頭に良くないのでイヤホンで聴くのはやめたほうがいいのだが、ついつい。
土曜に長男が一泊で帰宅。大型バイクの車検が切れたままなので、車検に出すための帰宅らしい。
あえて執拗に訊くと、彼の勤務場所や宿舎は停電しないらしい。
そうだった。当然のことながら、計画停電から外されている施設があるのだ。電車が止まろうと、信号が消えてしまっても、たとえば首相官邸が計画停電されたら困るものね。東電は東電本社自体を計画停電しないであろうし。
2011年4月4日月曜日
意地の悪い神の暴虐
ようやくネット上も少し静かになって来た。
すっかりマンネリですが、久しぶりにyouTubeにまたまたこのお気に入りの曲を聴きに行きました。
「この曲を母の葬儀に使わせていただきました」などというコメントが目に入った。(私の葬儀は「無限カノン」でお願いしますよ、奥様)
とはいえ、今はむしろ同じタルコフスキーならこの映画の方がふさわしい。これに「ぼくの村は戦場だった」を加えれば、彼はもう映画の神様である。
この度の大地震、大津波、原発の炉心からの放射能漏れなど、意地の悪い神の暴虐としか考えられないような災厄は、この事態を誰かのせいにしてを声高に批判するのではなく、むしろ、こうして静かに描かれ、語られるべきだろう。
その役割を、まだ担うだけの力を小説は持っている。
そう思わずにはいられない。
この映像、すごいと思いません?
そうでした。私が書きたかったのは、こんな風に、静かだが確かな光景でした。
すっかりマンネリですが、久しぶりにyouTubeにまたまたこのお気に入りの曲を聴きに行きました。
「この曲を母の葬儀に使わせていただきました」などというコメントが目に入った。(私の葬儀は「無限カノン」でお願いしますよ、奥様)
とはいえ、今はむしろ同じタルコフスキーならこの映画の方がふさわしい。これに「ぼくの村は戦場だった」を加えれば、彼はもう映画の神様である。
この度の大地震、大津波、原発の炉心からの放射能漏れなど、意地の悪い神の暴虐としか考えられないような災厄は、この事態を誰かのせいにしてを声高に批判するのではなく、むしろ、こうして静かに描かれ、語られるべきだろう。
その役割を、まだ担うだけの力を小説は持っている。
そう思わずにはいられない。
この映像、すごいと思いません?
そうでした。私が書きたかったのは、こんな風に、静かだが確かな光景でした。
2011年4月3日日曜日
2011年4月2日土曜日
脳の回転が空回り
昨夜、不穏当なことを書いたような気がしたので、今朝になって記事を未公開扱いに変更。
本日は仕事上でトラブル続発。ひとつは異なった品物が届けられていたことが今日になって判明。当該製品は福島県の工場のものであって、本来の製品をあらためて届けさせるのはほぼ不可能か、出来ても時間がかかりすぎて間に合わない。
続いて、宅配便で届いた別の製品の数が72×10と少ない。確か、72×12、オーダーしてあったはず。72×2を追加して送るように電話したが、127がひとつしかないという。それでもいいから送るように言って電話を切る。直接顔を合わしたときに注文してあったものなので、注文書など書面の証拠が残っていない。相手は、こちらが間違えて発注したように思っているのではないか。こちらのメモ帳には必要数を概算した864という数字が残っている。72×12=864である。
何とも、関係者一同の脳の回転が空回りな4月馬鹿な1日でした。やれやれ。
昨日時間がなくて冷蔵庫に入ったままの「寒ざらし蕎麦」を試食してみた。やはり、十割で見事につながっていて、つるっとして喉越しがいいし、甘味も少々感じるが、風味がまったく薄い。
いったいぜんたい、どういう考え、どういう目的であれほどの微粉にするのか? 製粉したのは市の西の方角の個人の精米所で、結構評判がいいらしいが、これほどの微粉は腑に落ちない。
製粉を業としている場合、「あのうちで碾いたソバ粉は繋がりが悪くてダメだ」という評判を恐れ、必要以上に「つながりのいい粉」を碾いてしまうのだろうか?
明日は、この「寒ざらしソバ粉」に「自製の甘皮粉」を混ぜて打った方の蕎麦を試食してみる予定。
TwitterとFacebook、ふたつのアカウントを削除し、完全撤退。どうも私にはこういうの、合わない。(合うわけないか)
本日は仕事上でトラブル続発。ひとつは異なった品物が届けられていたことが今日になって判明。当該製品は福島県の工場のものであって、本来の製品をあらためて届けさせるのはほぼ不可能か、出来ても時間がかかりすぎて間に合わない。
続いて、宅配便で届いた別の製品の数が72×10と少ない。確か、72×12、オーダーしてあったはず。72×2を追加して送るように電話したが、127がひとつしかないという。それでもいいから送るように言って電話を切る。直接顔を合わしたときに注文してあったものなので、注文書など書面の証拠が残っていない。相手は、こちらが間違えて発注したように思っているのではないか。こちらのメモ帳には必要数を概算した864という数字が残っている。72×12=864である。
何とも、関係者一同の脳の回転が空回りな4月馬鹿な1日でした。やれやれ。
昨日時間がなくて冷蔵庫に入ったままの「寒ざらし蕎麦」を試食してみた。やはり、十割で見事につながっていて、つるっとして喉越しがいいし、甘味も少々感じるが、風味がまったく薄い。
いったいぜんたい、どういう考え、どういう目的であれほどの微粉にするのか? 製粉したのは市の西の方角の個人の精米所で、結構評判がいいらしいが、これほどの微粉は腑に落ちない。
製粉を業としている場合、「あのうちで碾いたソバ粉は繋がりが悪くてダメだ」という評判を恐れ、必要以上に「つながりのいい粉」を碾いてしまうのだろうか?
明日は、この「寒ざらしソバ粉」に「自製の甘皮粉」を混ぜて打った方の蕎麦を試食してみる予定。
TwitterとFacebook、ふたつのアカウントを削除し、完全撤退。どうも私にはこういうの、合わない。(合うわけないか)
2011年3月30日水曜日
30mmくらいは浮いている
いよいよ仕事が繁忙期に入って来たが、微妙に大地震、大津波の影響が感じられる。まだ表面化はしていないが、関係する工場の生産が停止して来ない品物が判明。需要期の当用に間に合わないものも出て来るかもしれない。
Tさんの家に打ち合わせに行って、ふと庭に目をやると赤松と一位の間に何と石臼がふたつも。
ところが、このふたつが上臼、下臼ではなく、ふたつとも上臼。下臼は凹みがないので漬物石に身をやつしているのかもしれないが、療養中のTさんに下臼の行方を訊ねるのはやめておいた。
目に入った上臼のひとつは33cm、もうひとつは30cmだが、30cmの方は形も悪く、溝もあるかなきかの状態で使い物になりそうもない。
とりあえず33cmの方を、先に妻の実家から救出して来た33cmの下臼に合わせてみようと借りて来た。電動化は繁忙期を過ぎてからなので、今は倉庫に重ねてながめているだけ。先に漬物石の身の上から救出して来た30cm物は、芯棒の固定に古いセメントを使って固まらず失敗したので、22mmの鉄パイプに20mmのシャフトを入れ、22mmのパイプと芯棒の穴との間の若干の隙間は布かテープを巻いて処理し、穴の下から丸い木の棒を叩き込む。碾き割りをするために上臼を若干浮かせたい場合は、上臼の穴と芯棒の間に百円玉など、金属の丸い板を挟んでみるか、穴の下に叩き込んだ木を上げ下げすることで間隔を調整したい。
それでとりあえずは一尺の手碾き臼の再生終了となるが、6月になるまでは、落ち着いて作業する時間がない。
今日はまた、Nさんの家で寒中の水に十日ほど晒した玄ソバを乾燥、製粉したという「寒晒しソバ」の粉を1kg強、頂戴した。皮が混じらず、色白なのでむきみを碾いたものかと思うが、皮むき機があるのだろうか? かなりの微粉なので十割でも簡単に打てそうなソバ粉だが、見るからに風味が無さそう。粉がふわっとしているのは電動の石臼で碾いたものかもしれないが、おいしいところを捨ててしまったのか。お湯で溶いて蕎麦湯にしてみた。味は弱いがまったくしないでもない。残念なことに、香りはほとんどしない。好みが違う感じがする。
そういえば、同人誌のWeb版の製作とアップロードをすっかり忘れていた。そうでなくても木の芽時、春の狂騒に心身が30mmくらいは浮いている感じで、少し気をつけなければいけない。
Tさんの家に打ち合わせに行って、ふと庭に目をやると赤松と一位の間に何と石臼がふたつも。
ところが、このふたつが上臼、下臼ではなく、ふたつとも上臼。下臼は凹みがないので漬物石に身をやつしているのかもしれないが、療養中のTさんに下臼の行方を訊ねるのはやめておいた。
目に入った上臼のひとつは33cm、もうひとつは30cmだが、30cmの方は形も悪く、溝もあるかなきかの状態で使い物になりそうもない。
とりあえず33cmの方を、先に妻の実家から救出して来た33cmの下臼に合わせてみようと借りて来た。電動化は繁忙期を過ぎてからなので、今は倉庫に重ねてながめているだけ。先に漬物石の身の上から救出して来た30cm物は、芯棒の固定に古いセメントを使って固まらず失敗したので、22mmの鉄パイプに20mmのシャフトを入れ、22mmのパイプと芯棒の穴との間の若干の隙間は布かテープを巻いて処理し、穴の下から丸い木の棒を叩き込む。碾き割りをするために上臼を若干浮かせたい場合は、上臼の穴と芯棒の間に百円玉など、金属の丸い板を挟んでみるか、穴の下に叩き込んだ木を上げ下げすることで間隔を調整したい。
それでとりあえずは一尺の手碾き臼の再生終了となるが、6月になるまでは、落ち着いて作業する時間がない。
今日はまた、Nさんの家で寒中の水に十日ほど晒した玄ソバを乾燥、製粉したという「寒晒しソバ」の粉を1kg強、頂戴した。皮が混じらず、色白なのでむきみを碾いたものかと思うが、皮むき機があるのだろうか? かなりの微粉なので十割でも簡単に打てそうなソバ粉だが、見るからに風味が無さそう。粉がふわっとしているのは電動の石臼で碾いたものかもしれないが、おいしいところを捨ててしまったのか。お湯で溶いて蕎麦湯にしてみた。味は弱いがまったくしないでもない。残念なことに、香りはほとんどしない。好みが違う感じがする。
そういえば、同人誌のWeb版の製作とアップロードをすっかり忘れていた。そうでなくても木の芽時、春の狂騒に心身が30mmくらいは浮いている感じで、少し気をつけなければいけない。
2011年3月27日日曜日
河っ淵を巡り歩くブルース
Led Zeppelin も悪くはないが、Robert Johnson のオリジナルはギターも歌唱もプリミティブなのが断然にいい。
このタイトル、日本語でどう表記したらいいのだろう。
「河っ淵を巡り歩くブルース」? 何となく違います。無理に翻訳せずに、原語で済ますのがいちばんぴったりな気がします。
何だか意味もなく無闇に主人公が歩き回るのを描いた小説を仮に歩行小説と呼ぶならば、「草枕」の大先生か、百鬼園先生、下っては「ボリス・ヴィアンのいきどほり」などという歌を唄いながら芥川賞をも簒奪してしまった歌手兼詩人兼小説家の町田康の三人を嚆矢としたい。
「Travelling Riverside Blues」
突発性発疹のように訳も解らず発生した妻のヒステリーにあきれ果て、私は何も持たず、財布も携帯電話も持たずに家を出た。
帰る家を失ってしまった私は、途方に暮れながらもとりあえずは東に向かって歩き始めた。川の流れに沿った道路をひたすら歩く。
きちんと道路の右側の歩道を歩く私の前方に、歩く度に左右両腕を90度ずつ交互に振り上げ、振り下げる老人がいて、私はその活力に感嘆する。あのひとの奥さんは特別養護老人ホームに入所していると聞いたが、まだ亡くなったというお悔やみ欄の記事は目にしていない。
そのおじさんの向こうから、髪がほぼ白髪の老女というにはやや失礼かもしれない女性が、その右手に真紅の薔薇や黄色いダリアや小手毬やら冬以外のすべての他人の家の庭に咲く花を手折って持ち、「これ、あんたにあげるよ、ほら、貰って頂戴よ」と止むことなく反復してつぶやいている。この地での彼女の呼び名「狂女グレート」であるらしい。
その反対側の歩道を左側通行して来た小学生低学年であるらしいこどもが、ランドセルを思いっきり強く車道に放り上げながら叫んだ。
「ぼくのママは気が狂っています。夜中に誰でもない誰かに電話して一晩中わめいていますし、お父さんはもう三年も家に帰って来ません。いや、そうじゃなくて、ぼくにはお父さんなど居ないのです。仮に居たとしても犬や猫ほどの愛情も共感も感じられない父だっりするので、ぼくは彼を死んでもぼくの父親などと思わないことにしているんです」
そんな健気な小学生も経時的に私の世界の時の流れの背後に通過してしまい、ついには川だけが存在し、その上空には一切の色も形も動きもない虚空だけが展開していた。
(備忘メモ)
2011年3月26日土曜日
あなた
そこは林間の山荘のような建物であり、喫茶店でもレストランでもなかったが、二階に上がるとテーブルと椅子がいくつもあり、ほとんどの席にひとが座っていた。私はひとつだけ空いている席に座ろうとしたが、その席の椅子が妙に小さくて狭いので座るのを断念して一階に下り、玄関横のテーブルひとつにソファが入り口以外の三方向に置かれている部屋に入った。
そして誰も座っていないソファに腰を下ろした。二階の席ではみんながコーヒーを飲んでいたが、待っていても誰も注文を取りにこないところをみると、やはり喫茶店ではないらしい。
テーブルの上には紙が散乱していたが良く見ると鉛筆画らしかった。何枚も重なりながらずれている紙のいちばん上には、人魚のような女性が水中から半身を現わしているような、シンクロナイズド・スウィミングの選手が水中から出現したような感じで描かれていた。いや、水中ではなく紙の平面から女性の半身が立ち現われているのだった。顔のほとんどは長い髪に覆われて見えないが、女性のおなかの辺りに丸い太陽のようなものが描かれ、その太陽の中にさらに人間の目のようなものが描かれていた。太陽は女性の背後にあるのか、内部のにあるのか、判断がつかなかった。
「あなた、その絵、好き? 嫌い?」
誰もいないと思っていたのに、テーブルの向こうから声がして、若い女性がむっくりと起き上がり私に向かって言ったので、驚いて声も出ず相手の真正面の顔をみつめた。短髪の中学生か高校生のような面立ちの少女だった。私が答えられないうちに彼女はさらに言った。
「わたし、十日ほど前に食べたリンゴの種を蒔いたの。あなた、リンゴが幾日で発芽するか、ご存知?」
「こんな寒い時期にリンゴの種を蒔いても温度不足で発芽しないと思いますよ」
「ええ? あなた、ほんとうにそうなの? こんな風に芽が出て大きくなって、庭に植えたらリンゴがなればいいのに、芽が出ないの?」
少女は重なった紙の下の方から一枚を抜き出し、立ち上がってソファの方へ回って来て、その絵をテーブルの上に置いた。リンゴの芽かどうかは判断できないが、植物の双葉が開いて、ややひょろひょろした茎が、やはり土からではなく紙から立ち上がっていた。
少女は私の頬に触れそうなくらい顔を接近させて言いながら、この寒いのにノースリーブの腕を私の手の甲に摺り寄せ、言った。すべすべと滑らかで柔らかく温かい彼女の腕が私の手に吸いつくような性的感触を甦らせたが、彼女は私のこどもよりさらに若く幼く純粋な眼をしていた。
「こんな風にリンゴが発芽して来たら、あなただってうれしいでしょ」
「しかし、もう少し暖かくならないと発芽しないでしょう」
「そんな風にあっさり残酷に私の夢を否定しちゃって、あなた、植物学でも専攻されたの? わたし、あなたみたいに自信たっぷりなひと、大嫌いだわ」
そんな風に(!!)あなたあなたと続けて言われているうちに、ふとこの「あなた」という語感が偏綺館の断腸亭先生の「濹東綺譚」に登場する女性の口振りにそっくりなのに気がついた。
見ると、そういう彼女も腰から下が無くて、ソファから直接上半身が立ち上がっているのであった。
そして誰も座っていないソファに腰を下ろした。二階の席ではみんながコーヒーを飲んでいたが、待っていても誰も注文を取りにこないところをみると、やはり喫茶店ではないらしい。
テーブルの上には紙が散乱していたが良く見ると鉛筆画らしかった。何枚も重なりながらずれている紙のいちばん上には、人魚のような女性が水中から半身を現わしているような、シンクロナイズド・スウィミングの選手が水中から出現したような感じで描かれていた。いや、水中ではなく紙の平面から女性の半身が立ち現われているのだった。顔のほとんどは長い髪に覆われて見えないが、女性のおなかの辺りに丸い太陽のようなものが描かれ、その太陽の中にさらに人間の目のようなものが描かれていた。太陽は女性の背後にあるのか、内部のにあるのか、判断がつかなかった。
「あなた、その絵、好き? 嫌い?」
誰もいないと思っていたのに、テーブルの向こうから声がして、若い女性がむっくりと起き上がり私に向かって言ったので、驚いて声も出ず相手の真正面の顔をみつめた。短髪の中学生か高校生のような面立ちの少女だった。私が答えられないうちに彼女はさらに言った。
「わたし、十日ほど前に食べたリンゴの種を蒔いたの。あなた、リンゴが幾日で発芽するか、ご存知?」
「こんな寒い時期にリンゴの種を蒔いても温度不足で発芽しないと思いますよ」
「ええ? あなた、ほんとうにそうなの? こんな風に芽が出て大きくなって、庭に植えたらリンゴがなればいいのに、芽が出ないの?」
少女は重なった紙の下の方から一枚を抜き出し、立ち上がってソファの方へ回って来て、その絵をテーブルの上に置いた。リンゴの芽かどうかは判断できないが、植物の双葉が開いて、ややひょろひょろした茎が、やはり土からではなく紙から立ち上がっていた。
少女は私の頬に触れそうなくらい顔を接近させて言いながら、この寒いのにノースリーブの腕を私の手の甲に摺り寄せ、言った。すべすべと滑らかで柔らかく温かい彼女の腕が私の手に吸いつくような性的感触を甦らせたが、彼女は私のこどもよりさらに若く幼く純粋な眼をしていた。
「こんな風にリンゴが発芽して来たら、あなただってうれしいでしょ」
「しかし、もう少し暖かくならないと発芽しないでしょう」
「そんな風にあっさり残酷に私の夢を否定しちゃって、あなた、植物学でも専攻されたの? わたし、あなたみたいに自信たっぷりなひと、大嫌いだわ」
そんな風に(!!)あなたあなたと続けて言われているうちに、ふとこの「あなた」という語感が偏綺館の断腸亭先生の「濹東綺譚」に登場する女性の口振りにそっくりなのに気がついた。
見ると、そういう彼女も腰から下が無くて、ソファから直接上半身が立ち上がっているのであった。
2011年3月25日金曜日
こんな風に言葉は
相変わらずモーターについて検索。またディスクグラインダーの中古と新品の価格調査。ホームセンターにも行ってみたが、高いの安いの、その価格の差の激しいこと。
DIY用は数千円と安い。素人が石を磨いたりペンキ塗りの前の錆び取りをする程度の使い方なので、中古でもDIY用でも一向に構わない。
Twitterは誰かにフォローされ、誰かをフォローしてこそTwitterなのであるけれど、誰にもフォローされず、だれもフォローしていない私のTwitterは微妙にTwitterではない。
それが今夜うっかり以下のようにツイートしてしまった。
協力という言葉がこんな風に使われてはかわいそうであるが、言葉は常に道具として使われるという側面を持っている。
たとえばかつてブログで書いたことがあったが、私は450坪ほどの小さな水田を先祖から受け継いで所有している。小さな水田と書いたが、水田など所有しないひとから見たら決して小さくない面積であるのかもしれない。
そこで私は「自分で食べる米くらいは自分で作っています」と言えば殊勝であるけど、同じ行為を「ひとが食べる分までは作らないのです」と言ってしまえば何とも傲慢な言葉になってしまうのである。
このように、単なる伝達手段としての言葉はその持つ本来の意味を換骨脱退される宿命を負っている。
言葉には意味の伝達手段としての機能と、純粋な言語表現としての機能の両方を持ち合わせているのだ。
そういえば最近RSSリーダーに登録させていただいた怪しくも頼もしいお兄さんの本日のブログに以下くだりがあった。
除染などという難しい言葉を使ってはいても実態は水で洗うのが主であるらしいので、このお兄さんの言うことには同感であるが、洗ってもすべての放射能が除染できるわけではない。また野菜は洗えるが水は洗えない。洗えないがヨウ素は半減期が短い。むしろ半減期が長いセシウムの方が怖い。それよりも原子炉そのものの溶解の方がもっと怖い。
ここでも除染という言葉が、水で洗うだけなのに使う者に都合よく使われ、いかにも除染すれば放射能が無くなるかのように使われている。正しくは、除染しても落とせない放射能があり、長い間に人体に悪影響を及ぼすはずなのである。
野菜や人体に付着した放射性物質は洗い流せても、人体や野菜に浸透した放射能は洗い流せないし除染など出来ないのである。
にもかかわらず除染という言葉はその事実を隠蔽する役割を担わされているのである。
悲しいことに、こんな風に言葉は、いつでも冒され、犯され、侵されてしまう宿命にある。
DIY用は数千円と安い。素人が石を磨いたりペンキ塗りの前の錆び取りをする程度の使い方なので、中古でもDIY用でも一向に構わない。
Twitterは誰かにフォローされ、誰かをフォローしてこそTwitterなのであるけれど、誰にもフォローされず、だれもフォローしていない私のTwitterは微妙にTwitterではない。
それが今夜うっかり以下のようにツイートしてしまった。
被爆するのが自衛隊員であったり協力企業の社員であったり、東電の社員は原発敷地内にいないのだろうか? 危険な現場作業はすべて協力企業任せ? 下請企業と言わずに協力企業とはこれいかに?
協力という言葉がこんな風に使われてはかわいそうであるが、言葉は常に道具として使われるという側面を持っている。
たとえばかつてブログで書いたことがあったが、私は450坪ほどの小さな水田を先祖から受け継いで所有している。小さな水田と書いたが、水田など所有しないひとから見たら決して小さくない面積であるのかもしれない。
そこで私は「自分で食べる米くらいは自分で作っています」と言えば殊勝であるけど、同じ行為を「ひとが食べる分までは作らないのです」と言ってしまえば何とも傲慢な言葉になってしまうのである。
このように、単なる伝達手段としての言葉はその持つ本来の意味を換骨脱退される宿命を負っている。
言葉には意味の伝達手段としての機能と、純粋な言語表現としての機能の両方を持ち合わせているのだ。
そういえば最近RSSリーダーに登録させていただいた怪しくも頼もしいお兄さんの本日のブログに以下くだりがあった。
放射能で、汚染された、かわいそうな野菜たち
洗えば、何も問題ないのにと
思っているのは、ヒロさんだけだろうか・?。
空気中に、舞っている
放射能を浴びた、分子が
雨によって、地表に落ちただけである。
洗い流せば、問題ない。
データーを出さなければ
隠ぺいだ と言われるし
出せば、すぐに
パニックになる
日本人の
悪いところである。
除染などという難しい言葉を使ってはいても実態は水で洗うのが主であるらしいので、このお兄さんの言うことには同感であるが、洗ってもすべての放射能が除染できるわけではない。また野菜は洗えるが水は洗えない。洗えないがヨウ素は半減期が短い。むしろ半減期が長いセシウムの方が怖い。それよりも原子炉そのものの溶解の方がもっと怖い。
ここでも除染という言葉が、水で洗うだけなのに使う者に都合よく使われ、いかにも除染すれば放射能が無くなるかのように使われている。正しくは、除染しても落とせない放射能があり、長い間に人体に悪影響を及ぼすはずなのである。
野菜や人体に付着した放射性物質は洗い流せても、人体や野菜に浸透した放射能は洗い流せないし除染など出来ないのである。
にもかかわらず除染という言葉はその事実を隠蔽する役割を担わされているのである。
悲しいことに、こんな風に言葉は、いつでも冒され、犯され、侵されてしまう宿命にある。
2011年3月23日水曜日
小説を書かない=書けない
これまでそれこそが小説と思われてきた形の小説でもなく、これまでそれこそがと詩と思われてきた形の詩でもないものが書きたい。
それは多分、人間の言動を外側から客観的に描写するといった、文学の王道としての小説ではなく、一個の人間の思考や感覚の動きを極めて正確に描写、いや表現するエクリチュール(叙述)の方法。
もっとも近似しているのはジョイス、ウルフ、フォークナー、多分、この三人? 小説的的ロマンは人間の外側だけにあるのではない。
それは多分、人間の言動を外側から客観的に描写するといった、文学の王道としての小説ではなく、一個の人間の思考や感覚の動きを極めて正確に描写、いや表現するエクリチュール(叙述)の方法。
もっとも近似しているのはジョイス、ウルフ、フォークナー、多分、この三人? 小説的的ロマンは人間の外側だけにあるのではない。
この深重なコンプレックスの海
エディプス・コンプレックスは子が父親に抱くコンプレックス(観念複合)であり、エレクトラ・コンプレックスは娘が父に抱くコンプレックス(観念複合)であるのだろうが、そう簡単に決めつける訳にもいかない。
第一、これまでの日本人は、コンプレックス(complex)という言葉に「劣等感」という意味を直結させてしまうことが多かった。
なぜ、コンプレックス(complex)が「劣等感」なのか?
古代ギリシャでテーバイの王にまでなったエディプスは、実は父を殺害し母を妻とするという苦渋の存在であった。
なぜ、エディプス父を殺さねばならなかったのか?
なぜ、エディプスは母を妻としなければらなかったのか?
なぜ、エレクトラは母を殺害しなければならなかったのか?
その疑問に対する答えは無い。
無いけれど、息子が父殺し、娘が母殺しの宿命を負っているのは間違いない。
息子が母を殺害し、娘が父を殺害する事例が仮にあったとしても、それはエディプス・コンプレックスやエレクトラ・コンプレックスの反照に過ぎないと判断して構わない。
同じような思考をしてみれば、この度の「東北関東大震災」についても答えは無い。
なぜ、彼らの家が命がかくも簡単に失われたのか?
なぜ、津波に巻き込まれて行方知れずになったり死んだりしたのが、私ではなく彼らだったのか?
答えは無い。
だから私は、この深重なコンプレックス(観念複合)の海に沈まざるを得ない。
第一、これまでの日本人は、コンプレックス(complex)という言葉に「劣等感」という意味を直結させてしまうことが多かった。
なぜ、コンプレックス(complex)が「劣等感」なのか?
古代ギリシャでテーバイの王にまでなったエディプスは、実は父を殺害し母を妻とするという苦渋の存在であった。
なぜ、エディプス父を殺さねばならなかったのか?
なぜ、エディプスは母を妻としなければらなかったのか?
なぜ、エレクトラは母を殺害しなければならなかったのか?
その疑問に対する答えは無い。
無いけれど、息子が父殺し、娘が母殺しの宿命を負っているのは間違いない。
息子が母を殺害し、娘が父を殺害する事例が仮にあったとしても、それはエディプス・コンプレックスやエレクトラ・コンプレックスの反照に過ぎないと判断して構わない。
同じような思考をしてみれば、この度の「東北関東大震災」についても答えは無い。
なぜ、彼らの家が命がかくも簡単に失われたのか?
なぜ、津波に巻き込まれて行方知れずになったり死んだりしたのが、私ではなく彼らだったのか?
答えは無い。
だから私は、この深重なコンプレックス(観念複合)の海に沈まざるを得ない。
ただの筋力不足
本日代休の妻が、明日から車を運転して出勤できるかどうか、ちょっと車を運転してみたいというので、まだ松葉杖を使っている彼女を乗せて、昼休みに近くの市営グラウンドの駐車場へ行った。こういう場合に助手席に乗るのは仮免許の練習以来でちょっと怖い。
少し運転してみた結果、明日は自分で運転してみることになった。右足の骨のひびではなく、太ももが痛いというが、それはただの筋力不足であります。
今日になって「足首も捻挫していた」とか言い始めましたが、え? 今頃気づいたの? (ーー;)
通勤ラッシュ時に痛い右足でアクセルやブレーキを踏む動作が大丈夫か心配で、送ってゆく方が気が楽だがいつまでも送迎しているわけにもいきません。
帰宅したらM君が市内の蔵元の限定純米酒を一本届けてくれた。いつもごちそうさまです。
事情を話して今年のソバ栽培の手助けを依頼したら、種蒔きから脱穀まで一連の作業をしてみたいというので助かりました。
そろそろ、モーターの選定をしなければならない。モーターが決まらないとモーターのシャフトと駆動シャフトをつなぐカップリングが決まらない。素人には難しいので、中古モーターは諦めて、モーターとカップリングは新品で進めることにした。あとは台と供給装置。台は難しくないが、供給装置はじっくり考えないとどうしていいのか分らない。
少し運転してみた結果、明日は自分で運転してみることになった。右足の骨のひびではなく、太ももが痛いというが、それはただの筋力不足であります。
今日になって「足首も捻挫していた」とか言い始めましたが、え? 今頃気づいたの? (ーー;)
通勤ラッシュ時に痛い右足でアクセルやブレーキを踏む動作が大丈夫か心配で、送ってゆく方が気が楽だがいつまでも送迎しているわけにもいきません。
帰宅したらM君が市内の蔵元の限定純米酒を一本届けてくれた。いつもごちそうさまです。
事情を話して今年のソバ栽培の手助けを依頼したら、種蒔きから脱穀まで一連の作業をしてみたいというので助かりました。
そろそろ、モーターの選定をしなければならない。モーターが決まらないとモーターのシャフトと駆動シャフトをつなぐカップリングが決まらない。素人には難しいので、中古モーターは諦めて、モーターとカップリングは新品で進めることにした。あとは台と供給装置。台は難しくないが、供給装置はじっくり考えないとどうしていいのか分らない。
2011年3月20日日曜日
2011年3月18日金曜日
同人誌発送
ご挨拶の文章をと思いましたが、文面整わず、雑誌のみ封入という、いつもの素っ気ない発送です。ご容赦下さい。
また、メール便ですので、あるいはお手元に届くまで一週間近くかかるかもしれません。 時間に余裕のある時にご一読下さればさいわいです。
2011年3月14日月曜日
旧約聖書的あるいはギリシア悲劇的
とにかく今は目に焼きつけ、胸に刻み込むだけ。
自然災害の圧倒的な暴虐は、さながら旧約聖書的あるいはギリシア悲劇的な災厄を現前させている。
この時期に不謹慎極まりないが、完璧なWeb文芸誌というものを夢想している。
Web上だけで存在する文芸誌であるから、同人制を敷く必要も無く、まして締切日を設ける必要も無い。印刷製本などに経費がかからないから、同人費なども不要。
小説が書けたら原稿を送信していただく。
それをWeb上にアップロードする。
感想や批評もWeb上で行なう。
それでWeb文芸誌がうまく機能するのかどうか? やってみなければ解らない。
自然災害の圧倒的な暴虐は、さながら旧約聖書的あるいはギリシア悲劇的な災厄を現前させている。
この時期に不謹慎極まりないが、完璧なWeb文芸誌というものを夢想している。
Web上だけで存在する文芸誌であるから、同人制を敷く必要も無く、まして締切日を設ける必要も無い。印刷製本などに経費がかからないから、同人費なども不要。
小説が書けたら原稿を送信していただく。
それをWeb上にアップロードする。
感想や批評もWeb上で行なう。
それでWeb文芸誌がうまく機能するのかどうか? やってみなければ解らない。
2011年3月13日日曜日
2011年3月12日土曜日
2011年3月11日金曜日
2号出来ました
やはり、同人誌の2号が宅配便で届いた。安い、早い、うまい......じゃなくて、いい印刷会社である。この頃はお互いを理解して発注から印刷納品までがスムーズになった。
心配していた表紙の印刷、今回はイメージ通りで大満足。
あとはこちらのデザイン・センス次第ということ。
早速、同人と今号から設けた「招待席」での執筆者への発送荷造りを完了して、明日発送となります。
続いて一部ずつお送りする封筒の宛名の差し込み印刷をしたが、うっかり差し込み印刷に設定した封筒より大きい封筒を使ったらしく、宛名はともかく発送人の住所などの印刷場所が随分上に上がってしまって、妙なレイアウトになってしまったが、封筒がもったいないのでこのまま使用することに。それは明日にするとして、今夜はこれまで、ふう。明日こそはweb版の作成にかかろう。
感想を書かなければいけない作品が3つ。そのうちのひとつは、あまりに時間が経ち過ぎていて、あきれられていることだろう。
心配していた表紙の印刷、今回はイメージ通りで大満足。
あとはこちらのデザイン・センス次第ということ。
早速、同人と今号から設けた「招待席」での執筆者への発送荷造りを完了して、明日発送となります。
続いて一部ずつお送りする封筒の宛名の差し込み印刷をしたが、うっかり差し込み印刷に設定した封筒より大きい封筒を使ったらしく、宛名はともかく発送人の住所などの印刷場所が随分上に上がってしまって、妙なレイアウトになってしまったが、封筒がもったいないのでこのまま使用することに。それは明日にするとして、今夜はこれまで、ふう。明日こそはweb版の作成にかかろう。
感想を書かなければいけない作品が3つ。そのうちのひとつは、あまりに時間が経ち過ぎていて、あきれられていることだろう。
2011年3月10日木曜日
人間の些細な言動を
まさにピアノの、音の雫。
エリック・サティとビル・エヴァンスのピアノは、われわれ人間の心の水面に落ちる音の雫ではないかと思う。
誰しも人生に一度くらいは何かに物狂いすることがあるのだから蕎麦狂いも決して悪くははないが、この頃つくづく、短くてもいいからピュアな小説が書きたくなっている。
ピュアな小説という言い方は一種の形容矛盾である。小説は猥雑な存在である人間を鏡のように映し出す猥雑な言語芸術であって、ピュアであるはずもない。にもかかわらず、どうも最近そういう猥雑であるべき小説にうんざりしている自分に気づいて、ギョッとしたりしている。
小説は人間の些細な言動まで如実に描いてこそ成立する散文芸術なのだろうけど、どうもそれが今風に言えばウザったい。むしろ、些細なものを削って削って残ったものだけ書き留めておきたい。
って、それって小説としては痩せることであって、むしろ「詩」に近づくことじゃないの?
何故?
今夜の血圧、120-80。脈拍60。
測定を始めてからほぼ120台と80台に安定している。
やはり、ダッタンそば粉飲用前の測定をある程度してから始めるべきであった。が、以前はこれほど安定せず、上がったり下がったりしていた。今でもやや高めに振れる時は、おおむね肉体的ストレスより精神的ストレスが加わった時の方が多い。結構鈍感な人間だと思っていたが、案外、精神的ストレスに弱いことが判った。やはり、男の方がストレスに弱い。
そういえば、明日は10日である。編集した文芸同人誌2号を10日に配達されるように発注しておいたが、さて、本当に明日届くかどうか。ミスがないか、表紙はどれだけイメージした色合いで印刷されるか(そう考えるもの一種のストレス。ソバ&蕎麦のことを考えているとストレスが雲散霧消してしまうのは何故?)。
発送準備や封筒の宛名印刷もしなければならないが、Web版をまだ作成してなかったことを思い出した。発行日が15日なのでそれまでにアップロード出来るようにファイルを用意してリンクも処理しておかなければ。
測定を始めてからほぼ120台と80台に安定している。
やはり、ダッタンそば粉飲用前の測定をある程度してから始めるべきであった。が、以前はこれほど安定せず、上がったり下がったりしていた。今でもやや高めに振れる時は、おおむね肉体的ストレスより精神的ストレスが加わった時の方が多い。結構鈍感な人間だと思っていたが、案外、精神的ストレスに弱いことが判った。やはり、男の方がストレスに弱い。
そういえば、明日は10日である。編集した文芸同人誌2号を10日に配達されるように発注しておいたが、さて、本当に明日届くかどうか。ミスがないか、表紙はどれだけイメージした色合いで印刷されるか(そう考えるもの一種のストレス。ソバ&蕎麦のことを考えているとストレスが雲散霧消してしまうのは何故?)。
発送準備や封筒の宛名印刷もしなければならないが、Web版をまだ作成してなかったことを思い出した。発行日が15日なのでそれまでにアップロード出来るようにファイルを用意してリンクも処理しておかなければ。
2011年3月1日火曜日
2011年2月28日月曜日
終了
ようやく作業終了。もう無いと思っていたのに、まだ訂正する部分を数ヶ所発見した。そのひとつは何度もやり直した表紙の文字入れで、カタカナでラと入力したはずがタになっているのを発見。何度もやり直しして気持ちがへろへろになっていたせいか、その時は気がつかなかった(冷汗)。
先に焼いたデータCDを捨てては焼き、結局、3枚目になってしまった。
明日、代金を振り込んでからデータCDと出力見本を宅配便で発送するのみ。
発行日は3月15日。
先に焼いたデータCDを捨てては焼き、結局、3枚目になってしまった。
明日、代金を振り込んでからデータCDと出力見本を宅配便で発送するのみ。
発行日は3月15日。
2011年2月27日日曜日
今日は狸!!
昨日に引き続いて、今日は狸を目撃。ブルーシートに隔てられた1mほど向こうを、何かが歩いてゆくので猫かと思ったが、振り返って視界に入ったその後姿が猫でも犬でもない。向こうも振り返ってこちらを見た。「何見てんだよ」といった表情で私を見ていたが、紛れもなく狸である。わが家の家庭菜園から50mくらいしか離れていない場所なので、あるいはわが家の食べごろになったスウィートコーンやイチゴを食べてしまった狸と同一人物、いや同一狸である可能性が高い。車にカメラを取りに行く間もなく、狸は悠然と土手のニセアカシアの林の向こうに姿を消した。
田舎とはいえ結構町に近い場所なのだけど、いよいよわが町が荒野になる日も近いのかもしれない。もっとも狸は人家に近い場所に住まいを構えるらしいが。
何にしてもこの通りはシャッター通りから更に進化(?)して更地通りになりつつあるので、そのうちに猪も鹿も熊も現われるかもしれない(ははは)。
表紙ファイル、昨夜ようやく完成したつもりだったが、試しに印刷してみたらフォントが細くて文字がきれいではなかったので、フォントのウェイト3をウェイト7に変えてもう一度文字を入れ直し、これでようやくOK。
本文ファイルもまた、出力してみたら何ヶ所か行数が足りなくなっているページを発見。どうしてこうなるの?(パソコンってやーね)
とりあえず行間を同じに指定し直して行数が揃った。これでもう一度見直してから、いよいよプリンタ・ファイルに変換、データをCD-Rに焼いて発送すれば良し。
田舎とはいえ結構町に近い場所なのだけど、いよいよわが町が荒野になる日も近いのかもしれない。もっとも狸は人家に近い場所に住まいを構えるらしいが。
何にしてもこの通りはシャッター通りから更に進化(?)して更地通りになりつつあるので、そのうちに猪も鹿も熊も現われるかもしれない(ははは)。
表紙ファイル、昨夜ようやく完成したつもりだったが、試しに印刷してみたらフォントが細くて文字がきれいではなかったので、フォントのウェイト3をウェイト7に変えてもう一度文字を入れ直し、これでようやくOK。
本文ファイルもまた、出力してみたら何ヶ所か行数が足りなくなっているページを発見。どうしてこうなるの?(パソコンってやーね)
とりあえず行間を同じに指定し直して行数が揃った。これでもう一度見直してから、いよいよプリンタ・ファイルに変換、データをCD-Rに焼いて発送すれば良し。
2011年2月26日土曜日
白鳥
表紙画像の文字入れが気に入らないので最初からやり直した。素人なのでどこまでも方法がabout。作ってはやり直し、作ってはやり直し。
あ、そうだった、グリッド(方眼)を表示すれば作業しやすかったのだ。今頃思い出して......トホホ、もう一度やり直す?
昼間、車で走っていて目撃。このあたりでは白鳥はあまり見かけないので珍しい。白鷺もいた。

あ、そうだった、グリッド(方眼)を表示すれば作業しやすかったのだ。今頃思い出して......トホホ、もう一度やり直す?
昼間、車で走っていて目撃。このあたりでは白鳥はあまり見かけないので珍しい。白鷺もいた。
2011年2月24日木曜日
うふふ
一応、本文全ての原稿ファイルをつなげて編集後記のページまで作成したが、やはりぴったり8の倍数という訳にはいかず、うーん、何とも半端な頁数であること。埋め草で埋めるにも頁が多すぎる。まあ、8の倍数でなくても本にはなるのでそこまでこだわらなくてもいいのだけど、印刷代金は8の倍数で計算されるので、貧乏人編集係としては気持ちが動揺するのであります。
創刊号から企画を考えてはいたが間に合わずスタートしてしまったけれど、2号で巻頭に「招待席」という名のゲストの作品を掲載する場を設け、そこに載せる作品をある方にお願いして了承していただいた。頁数は2頁または4頁。稿料はお出しできないのでこの蕎麦吉編集係の「手打ち蕎麦券」3枚でいかがとお願いしたら、ユーモアの通じる方でOKをいただいた。うふふ。
3号はだれにお願いしようかな。
創刊号から企画を考えてはいたが間に合わずスタートしてしまったけれど、2号で巻頭に「招待席」という名のゲストの作品を掲載する場を設け、そこに載せる作品をある方にお願いして了承していただいた。頁数は2頁または4頁。稿料はお出しできないのでこの蕎麦吉編集係の「手打ち蕎麦券」3枚でいかがとお願いしたら、ユーモアの通じる方でOKをいただいた。うふふ。
3号はだれにお願いしようかな。
2011年2月23日水曜日
落とし穴
校正がすべて戻って来たので、赤ペンが入ったところを修正。
いよいよ掲載順を決めて最終的なレイアウト作業の開始である。パソコンでのレイアウトは、どんなに慣れても、というか、慣れれば慣れるほどに落とし穴に落ちる可能性があるので、ここから先が慎重さを要求される。しかも、ひとりでの作業はミスを見落としやすいので、毎回冷汗である。どうか、落とし穴に落ちませんように。
雑誌の風通しを良くするために、ちょっとある企画を立てた。相手の方の返信次第。ダメだったら時間が無いので次号からということにする。
いよいよ掲載順を決めて最終的なレイアウト作業の開始である。パソコンでのレイアウトは、どんなに慣れても、というか、慣れれば慣れるほどに落とし穴に落ちる可能性があるので、ここから先が慎重さを要求される。しかも、ひとりでの作業はミスを見落としやすいので、毎回冷汗である。どうか、落とし穴に落ちませんように。
雑誌の風通しを良くするために、ちょっとある企画を立てた。相手の方の返信次第。ダメだったら時間が無いので次号からということにする。
2011年2月22日火曜日
また?
久しぶりに、パソコンの電源が入らない症状が出た。
バッテリーを交換してすっかり治っていたので、また始まったかと蒼くなった。今、パソコンが不調では困るのである。決算書や申告書作り、同人誌の編集、パソコンが無いと困るのです。やはり、早いところもう一台増やして2台の体勢にしてネットワークを組んでおかないと危ないです。デスクトップのMeがまだ生きてはいますが、今の時代にはちょっとパワー不足で。
念のため、コンセントからの電源を切り、バッテリーだけで駆動してゼロまで放電し、それから充電し直したら、また普通に電源が入るようになった。
たまたま放電すればいいのかな? 何だか解りません。
バッテリーを交換してすっかり治っていたので、また始まったかと蒼くなった。今、パソコンが不調では困るのである。決算書や申告書作り、同人誌の編集、パソコンが無いと困るのです。やはり、早いところもう一台増やして2台の体勢にしてネットワークを組んでおかないと危ないです。デスクトップのMeがまだ生きてはいますが、今の時代にはちょっとパワー不足で。
念のため、コンセントからの電源を切り、バッテリーだけで駆動してゼロまで放電し、それから充電し直したら、また普通に電源が入るようになった。
たまたま放電すればいいのかな? 何だか解りません。
2011年2月21日月曜日
言葉の酸素不足
今日は妻に実家へ届けるため、今にしては珍しく6人家族なので1kgの蕎麦打ち。珍しく気持ちが集中してきれいに切れ、打粉を落としても切れてパラパラ落ちる蕎麦がほとんど無い。いつもこうだと気分がいいのだが。
今年の夏から半年の間、ウェブ上で蕎麦の万博が開催されるというメール着信。ちょうど蕎麦の種蒔き準備の頃にスタート出来るので、それから冬の蕎麦打ちまで、専用の蕎麦ブログを設置して参加しようかな......(ーー;) 蕎麦を3種類も栽培してみようなんて、正気の沙汰ではありません、てへっ。
夕食後、昨日届いた知人の句集を読む。これはと思う句を書きとめながら読み進めたが、途中で書きとめるのをやめた。素人が評を述べるのはおこがましい上に、やはり俳句に対する苦手意識が頭をもちあげて来たから。
五七五、17音と、五七五七七、31音とで、どうしてこんなに違うのだろう。なぜか31音にはつき合えるが、17音にはつき合えない。あまりに言葉が少なすぎて窒息しそうになるというか、言葉の酸素不足で過呼吸に陥りそうになる。
それにしても読んだまま感想を書かずに日一日と過ぎている作品があって、困ったものです。
発送した校正が戻ってきたら出来るだけ早く印刷会社に渡して、3月半ばまでには発行にこぎつけたいもの。
今年の夏から半年の間、ウェブ上で蕎麦の万博が開催されるというメール着信。ちょうど蕎麦の種蒔き準備の頃にスタート出来るので、それから冬の蕎麦打ちまで、専用の蕎麦ブログを設置して参加しようかな......(ーー;) 蕎麦を3種類も栽培してみようなんて、正気の沙汰ではありません、てへっ。
夕食後、昨日届いた知人の句集を読む。これはと思う句を書きとめながら読み進めたが、途中で書きとめるのをやめた。素人が評を述べるのはおこがましい上に、やはり俳句に対する苦手意識が頭をもちあげて来たから。
五七五、17音と、五七五七七、31音とで、どうしてこんなに違うのだろう。なぜか31音にはつき合えるが、17音にはつき合えない。あまりに言葉が少なすぎて窒息しそうになるというか、言葉の酸素不足で過呼吸に陥りそうになる。
それにしても読んだまま感想を書かずに日一日と過ぎている作品があって、困ったものです。
発送した校正が戻ってきたら出来るだけ早く印刷会社に渡して、3月半ばまでには発行にこぎつけたいもの。
2011年2月17日木曜日
備忘
午後、ちょっとTさんの家に寄ってみた。ちょうど居合わせたMさんといっしょに3人でお茶。またまた蕎麦の話になってしまったので、今年は品種を変えることを伝えておいた。いずれにしても、今年はひとりでTさんの分まで栽培しておかなければならない。刈り取りと脱穀は同級生に応援を頼む予定でいるが、あの弥生時代さながらの作業、来てくれるかな?
2号校正刷りの発送準備完了。
結局、今回は(も)自作はパス。重病である。
その後、表紙データの作成。相変わらずの、コラージュともいえないフリー画像の張り合わせだが、ややあざとく、あくどい感じもするがまあ、仕方ないかなと許容範囲内としておく。
2号校正刷りの発送準備完了。
結局、今回は(も)自作はパス。重病である。
その後、表紙データの作成。相変わらずの、コラージュともいえないフリー画像の張り合わせだが、ややあざとく、あくどい感じもするがまあ、仕方ないかなと許容範囲内としておく。
2011年2月14日月曜日
古書検索
古書店から、先日注文した長友大「ソバの科学」が配達された。面白くてもう読んでしまった。他家受粉や短柱花と長柱花の受粉についての記述や、雌蕊の柱頭が発達しない衰弱花について書かれた部分が面白かった。原因はそれだけではないが、高温だと衰弱花が多くなるというので、夏播きの場合、早播きは蕾が高温にさらされて衰弱花が多くなり、収量が落ちる。早播きは収量が上がらないといわれているのが、科学的に証明されている。
しばらく前に家人が「手塚富雄訳の『ファウスト』を読みたいので探して」というので検索して「ファウスト 悲劇第一部」を注文し、じきに本が届いたのだったが、今夜になって第二部を自分で注文しようとしたら品切れか絶版で無いという。まさかと思いつつ検索してみると本当に新本が無い。
仕方なく古書検索したが、あれ? 第二部がまた上巻下巻に分かれて2冊の構成なのでした。
それぞれ検索して見たが、結構高い。
あれこれ検索をつづけて、第二部下巻は安いのが見つかり、第二部上巻はAmazonにしか見当たらないのでそれを注文した。手塚訳が品切れとは困ったものだと思いますが。
しばらく前に家人が「手塚富雄訳の『ファウスト』を読みたいので探して」というので検索して「ファウスト 悲劇第一部」を注文し、じきに本が届いたのだったが、今夜になって第二部を自分で注文しようとしたら品切れか絶版で無いという。まさかと思いつつ検索してみると本当に新本が無い。
仕方なく古書検索したが、あれ? 第二部がまた上巻下巻に分かれて2冊の構成なのでした。
それぞれ検索して見たが、結構高い。
あれこれ検索をつづけて、第二部下巻は安いのが見つかり、第二部上巻はAmazonにしか見当たらないのでそれを注文した。手塚訳が品切れとは困ったものだと思いますが。
2011年2月12日土曜日
フォント(本当)に泣いた
せっかくの歩行者天国も雪のためにひとの往来まばら。
夕食時に物差しで庭の雪を計ったらちょうど20cm。うむ、明日の朝は雪かき作業。いや、庭の雪は軽トラに積んで捨てにいかないとダメかもしれない。放置しておくと庭がぬかるんですごいことになるので。
そろそろ校正刷りを発送しなければならないのだけど、一作、すごい原稿があって最後まで手を付けないでおいたが、何かと手作業で訂正しなければならない場所が多すぎて、時間がかかる。
先ずはなぜか本文のフォント(字体)がひとつではなく、その上、その大きさもあちこちで変わっていて、頭がクシャクシャしてきます。しかもこのパソコンにはインストールしてないフォントを使っていてルビまで振ってあるのに、そのルビがこのパソコンのフォントに変換される際に文字化けしてしてしまい、読めませんがな~(泣)。
じっと我慢の子でようやく最後まで何とか形にしたので、あとは校正刷りで出して本人が気に入るように赤ペンを入れてもらうほかありません。
どうか、提出原稿の使用フォントは普通のMS明朝、MSゴシックくらいにして下さい。ほんとはテキストファイルがいちばんいいんですが。本文の明朝以外に他のフォントをいくつも使われるのは疲れますyow。
夕食時に物差しで庭の雪を計ったらちょうど20cm。うむ、明日の朝は雪かき作業。いや、庭の雪は軽トラに積んで捨てにいかないとダメかもしれない。放置しておくと庭がぬかるんですごいことになるので。
そろそろ校正刷りを発送しなければならないのだけど、一作、すごい原稿があって最後まで手を付けないでおいたが、何かと手作業で訂正しなければならない場所が多すぎて、時間がかかる。
先ずはなぜか本文のフォント(字体)がひとつではなく、その上、その大きさもあちこちで変わっていて、頭がクシャクシャしてきます。しかもこのパソコンにはインストールしてないフォントを使っていてルビまで振ってあるのに、そのルビがこのパソコンのフォントに変換される際に文字化けしてしてしまい、読めませんがな~(泣)。
じっと我慢の子でようやく最後まで何とか形にしたので、あとは校正刷りで出して本人が気に入るように赤ペンを入れてもらうほかありません。
どうか、提出原稿の使用フォントは普通のMS明朝、MSゴシックくらいにして下さい。ほんとはテキストファイルがいちばんいいんですが。本文の明朝以外に他のフォントをいくつも使われるのは疲れますyow。
2011年2月1日火曜日
さよなら文学また来て詩学
文学がらみの出会いよりも蕎麦がらみの出会いが充実してしまって、すっかり本末転倒なこの頃ですが。
ですが仕方ない。
仕方ないけれど、蕎麦狂いした者同志がこんなにも簡単に親密になれるのに、文学狂いした者はどうしてこんなに誰とも親密にならない(正確には、なれない)の?
どうして?
自分が書いたものだけが大事で、他者が書いたものにはまったく関心が無く、読みもしなければ感想も書かない。
さういふひとにわたしはなりたくないのだけれど、なんだかさういふひとにすこしずつちかづいていることを少しは自覚してはいて、それで困っているんですが、さて............。
ドストエフスキーは文学と一杯の紅茶を秤にかけた。一編の小説も書けないくせに、私は生意気にもその向こうを張って、文学と一枚のざる蕎麦を秤にかけている。
さよなら三角またきて四角ならぬ、さよなら文学また来て詩学。
ですが仕方ない。
仕方ないけれど、蕎麦狂いした者同志がこんなにも簡単に親密になれるのに、文学狂いした者はどうしてこんなに誰とも親密にならない(正確には、なれない)の?
どうして?
自分が書いたものだけが大事で、他者が書いたものにはまったく関心が無く、読みもしなければ感想も書かない。
さういふひとにわたしはなりたくないのだけれど、なんだかさういふひとにすこしずつちかづいていることを少しは自覚してはいて、それで困っているんですが、さて............。
ドストエフスキーは文学と一杯の紅茶を秤にかけた。一編の小説も書けないくせに、私は生意気にもその向こうを張って、文学と一枚のざる蕎麦を秤にかけている。
さよなら三角またきて四角ならぬ、さよなら文学また来て詩学。
2011年1月29日土曜日
豊かな散文としての小説
とうとう、あと三日で原稿締め切り。
多くの言葉がdeleteキーかBackspaceキーにかき消されてしまい、一向に前へ進めない。これでは、短編というより掌編になってしまうのではないか。筒井康隆氏の、あの、ごくごく短いショートショートが思い出される。
その先の言語芸術は短歌俳句しかないではありませんか。
でも、そんな風に痩せてはいけなません。
多くの言葉を費やしてこそ、豊かな散文としての小説は形作られる。
小説は、言葉を倹約したり、制限してはいけない。多くの言葉で、微に入り細にわたって存在と現象を描き出さねばならない。
多くの言葉がdeleteキーかBackspaceキーにかき消されてしまい、一向に前へ進めない。これでは、短編というより掌編になってしまうのではないか。筒井康隆氏の、あの、ごくごく短いショートショートが思い出される。
その先の言語芸術は短歌俳句しかないではありませんか。
でも、そんな風に痩せてはいけなません。
多くの言葉を費やしてこそ、豊かな散文としての小説は形作られる。
小説は、言葉を倹約したり、制限してはいけない。多くの言葉で、微に入り細にわたって存在と現象を描き出さねばならない。
2011年1月25日火曜日
記事削除のお知らせ
父の命日だが、平日なので母親を墓参りに連れてゆく。お墓のあるお寺まで十分ほどなので、花を買って墓参して、それでも一時間はかからない。
砕石のうえに落ち葉がさっぱり見当たらず、だれか掃除したのだろうか。それとも風がどこかへ運んで行った?
このブログはレンタル・ブログではなく、レンタル・サーバーを借りて自前で設置したブログなのですが、とても安価なレンタル・サーバーを借りているので、書き込んだ際や再構築する際に動きが重くなりすぎましたので、過去記事をばっさり削除しようと考えています。
自分が書いたものですので、一応、削除する前に記事をエクスポートしてバックアップは取りますが、ブログ上では記事は消えます。多分、今月末に、とりあえずは2008年以前の記事を削除いたします。
砕石のうえに落ち葉がさっぱり見当たらず、だれか掃除したのだろうか。それとも風がどこかへ運んで行った?
このブログはレンタル・ブログではなく、レンタル・サーバーを借りて自前で設置したブログなのですが、とても安価なレンタル・サーバーを借りているので、書き込んだ際や再構築する際に動きが重くなりすぎましたので、過去記事をばっさり削除しようと考えています。
自分が書いたものですので、一応、削除する前に記事をエクスポートしてバックアップは取りますが、ブログ上では記事は消えます。多分、今月末に、とりあえずは2008年以前の記事を削除いたします。
2011年1月22日土曜日
希望の火
ウォールナットオイル、到着。
早速、麺棒に塗ってみる。かなり滑りが良くなりそう。
自作した駒板の下面にも塗ってみた。
また、蕎麦を打ってみたくなった。
一度、ねずみ大根を使って越前の「おろし蕎麦」の真似してみたいし。日曜日に家人が出かけるらしいので、M君を呼んでいっしょに食べようかな。
もう一冊、蕎麦がらみの本を検索した。新本もあるが12600円。古書で結構と思って探したが、本職の蕎麦打ち職人のバイブルのような本なので、古本屋に売り払うような不心得者はいないようで、一冊しかヒットせず。
その一冊、値段は安いがかなり状態が悪い。悪いが活字が読めない訳でもなさそうなので思い切ってオーダー。
書き出していた小説、ほぼ難破。
私のような極めつけのネガティブは小説など書かない方がいいのかもしれない。
誰もが希望の火を見たくて小説を読むのであって、絶望の火など目にしたくもないに決まっている。
小説が希望という光を提示するものであると規定するならば、私などが小説を書く余地などまったく無いことになってしまう。
そうか、ベッシー・スミスとジャニス・ジョプリンの「Careless Love Blues 」を聴き比べて初めて、苦手だったジャニス・ジョプリンやビリー・ホリディが解ったような気がする。
早速、麺棒に塗ってみる。かなり滑りが良くなりそう。
自作した駒板の下面にも塗ってみた。
また、蕎麦を打ってみたくなった。
一度、ねずみ大根を使って越前の「おろし蕎麦」の真似してみたいし。日曜日に家人が出かけるらしいので、M君を呼んでいっしょに食べようかな。
もう一冊、蕎麦がらみの本を検索した。新本もあるが12600円。古書で結構と思って探したが、本職の蕎麦打ち職人のバイブルのような本なので、古本屋に売り払うような不心得者はいないようで、一冊しかヒットせず。
その一冊、値段は安いがかなり状態が悪い。悪いが活字が読めない訳でもなさそうなので思い切ってオーダー。
書き出していた小説、ほぼ難破。
私のような極めつけのネガティブは小説など書かない方がいいのかもしれない。
誰もが希望の火を見たくて小説を読むのであって、絶望の火など目にしたくもないに決まっている。
小説が希望という光を提示するものであると規定するならば、私などが小説を書く余地などまったく無いことになってしまう。
そうか、ベッシー・スミスとジャニス・ジョプリンの「Careless Love Blues 」を聴き比べて初めて、苦手だったジャニス・ジョプリンやビリー・ホリディが解ったような気がする。
2011年1月19日水曜日
あった、あった!
どこにも見つからず、いつか削除してしまったのだと思い込んでいたムンクの「αとΩ」のノルウェイ語原文に英訳が対訳の形で掲載されていたウェブページのファイルが見つかった。フォルダの中にフォルダがあり、さらにその中にフォルダがあってといった感じでファイルが奥深いところに潜んでいたので判らなかっただけなのだった。
あって良かった。ネットでさんざん検索してもこの文章の原文と英訳がなかなか見つからなかった。宝物である。
以前同人誌に掲載した時の印刷は満足できるものではなかったので、出来るだけきれいな印刷で自分用の冊子を1冊、手作りしようと思っている。
創作、まったく進まず、蒼くなる。
「小説書きかけ」というフォルダの中にあるはずの書き出し十行ほどのファイルも行方不明だったが、ようやく見つかった。またどこぞのフォルダに入れては危ないので、ファイル単独でデスクトップに置いておこう。
というか、いくつかの書き出しを皆ダメにしてしまったので、これで押してゆくほかないのです。主人公の名前は「出海(いずみ)」。彼女のユリシーズな日々を淡々と書くべし。題名はまだ決まらないが、今回は出来るだけ短くしたい。
ここ何年かソバを共同栽培したTさんが入院している。しばらく前に簡単な手術のために入院したのだが、麻酔が効きすぎたのか血圧が下がりすぎて(最高血圧が58!)、手術は中止になってしまい、明日、また手術なのだという。奥さんはアルツハイマー症候群で介護施設に入所してしまったし、ふたりのこどもは都会で暮らしているし、入院するのも自分ひとりで車を運転して入院するのだし、タイヘンである。
そのTさん、ほかに腰と右足に痛みがあり、今年から水田の耕作を大幅に減らすことになった。借りて作っていた水田を地主に変換するので、天日干しのためのハゼ棒を入れてある小屋を片付けてほしいと頼まれていたので、今日決行した。午前だけでは終わらず、午後3時までかかった。
今年はソバの共同栽培もできるかどうか。
あって良かった。ネットでさんざん検索してもこの文章の原文と英訳がなかなか見つからなかった。宝物である。
以前同人誌に掲載した時の印刷は満足できるものではなかったので、出来るだけきれいな印刷で自分用の冊子を1冊、手作りしようと思っている。
創作、まったく進まず、蒼くなる。
「小説書きかけ」というフォルダの中にあるはずの書き出し十行ほどのファイルも行方不明だったが、ようやく見つかった。またどこぞのフォルダに入れては危ないので、ファイル単独でデスクトップに置いておこう。
というか、いくつかの書き出しを皆ダメにしてしまったので、これで押してゆくほかないのです。主人公の名前は「出海(いずみ)」。彼女のユリシーズな日々を淡々と書くべし。題名はまだ決まらないが、今回は出来るだけ短くしたい。
ここ何年かソバを共同栽培したTさんが入院している。しばらく前に簡単な手術のために入院したのだが、麻酔が効きすぎたのか血圧が下がりすぎて(最高血圧が58!)、手術は中止になってしまい、明日、また手術なのだという。奥さんはアルツハイマー症候群で介護施設に入所してしまったし、ふたりのこどもは都会で暮らしているし、入院するのも自分ひとりで車を運転して入院するのだし、タイヘンである。
そのTさん、ほかに腰と右足に痛みがあり、今年から水田の耕作を大幅に減らすことになった。借りて作っていた水田を地主に変換するので、天日干しのためのハゼ棒を入れてある小屋を片付けてほしいと頼まれていたので、今日決行した。午前だけでは終わらず、午後3時までかかった。
今年はソバの共同栽培もできるかどうか。
お
私の好きなEden Brent姉さんのThe Making of "Ain't Got No Troubles" という動画がyouTubeにアップされていた。新アルバム「Ain't Got No Troubles」を出したYellowDogRecords がアップロードしているので、宣伝用動画である。
そうそう、私はこのYellowDogRecords のウェブから彼女の"Ain't Got No Troubles" をダウンロード販売で購入したのだった。日本でもCDを買えるようになったが、DL販売はとても安かった。
と思ったら、Amazonに2500円の日本国内発売版のほかにインポート版が1637円、Amazonのダウンロード版が1500円、1曲150円ではありませんか。
しかも、こんな紹介文が......。
いよいよ、Eden Brent姉さん、ブレイクです。
��分23秒、楽しめます。
乗りの悪いおじさんだからこそ、陽気で乗りのいいお姉さんのピアノと歌に魅かれるのでした。
インターネットがあればこそミシシッピー・ローカルだったお姉さんを知ったのでしたが......。
そうそう、私はこのYellowDogRecords のウェブから彼女の"Ain't Got No Troubles" をダウンロード販売で購入したのだった。日本でもCDを買えるようになったが、DL販売はとても安かった。
と思ったら、Amazonに2500円の日本国内発売版のほかにインポート版が1637円、Amazonのダウンロード版が1500円、1曲150円ではありませんか。
しかも、こんな紹介文が......。
ミシシッピ発、今、全米で最も注目される女性ブルース・ピアニスト&シンガー、エデン・ブレントのニューアルバムが日本リリース!2008年の前作『ミシシッピ・ナンバー・ワン』がブルース・ミュージック・アワードを受賞し、乗りに乗る彼女が、本作の全曲でギターを奏でるコリン・リンデンをプロデューサー(メイヴィス・ステイプル、カサンドラ・ウィルソンなど)に迎え、ご機嫌なローリング・ブギー・ピアノにのせて渋い歌声を聴かせる!他にも、ベースにミーターズのジョージ・ポーターJR、オルガンにジョン・クリアリーなど豪華メンバーが参加。ニューオーリンズで録音された雰囲気も満載の強力作。
いよいよ、Eden Brent姉さん、ブレイクです。
��分23秒、楽しめます。
乗りの悪いおじさんだからこそ、陽気で乗りのいいお姉さんのピアノと歌に魅かれるのでした。
インターネットがあればこそミシシッピー・ローカルだったお姉さんを知ったのでしたが......。
2011年1月18日火曜日
それぞれ、タイヘン
先日注文しておいたムンクの画文集が届いた。主に「生のフリーズ」が中心なので無いかと思ったが、αとΩの訳文、あった。
あったが、絵は2枚目のmoonrize一枚だけで、文章は簡単な改行があるだけで3ページにぎっしり組まれていて、拍子抜けした。
もともとのαとΩは、19枚の絵一枚一枚にそれぞれ文章が付けられて、まさにムンクの絵と言葉が一体化しているものなので、こういう風に文章だけ提示されてもダメ、かといってさる美術館のウェブのように絵だけ並べられていてもダメなのでR。
今夜は珍しく同人のひとりから電話、もうひとりからメール。ひとりは7日に入院されて今日ようやく退院されたとのこと。
みんな、それぞれ、タイヘン。
あったが、絵は2枚目のmoonrize一枚だけで、文章は簡単な改行があるだけで3ページにぎっしり組まれていて、拍子抜けした。
もともとのαとΩは、19枚の絵一枚一枚にそれぞれ文章が付けられて、まさにムンクの絵と言葉が一体化しているものなので、こういう風に文章だけ提示されてもダメ、かといってさる美術館のウェブのように絵だけ並べられていてもダメなのでR。
今夜は珍しく同人のひとりから電話、もうひとりからメール。ひとりは7日に入院されて今日ようやく退院されたとのこと。
みんな、それぞれ、タイヘン。
2011年1月16日日曜日
電子ブック自炊
昨日は蕎麦会だったが、場所がのん兵衛宅だったので蕎麦前のお酒の時間が長く、今夜はまた15日定例の赤提灯であまりの寒さに熱燗の酒、と珍しく二日連続で日本酒を結構飲んでしまいました。
飲むと書けない。これが困ります。
これまでに試作した電子ブックがフォントがきれいでなかったり、パソコンで読み込む場合のフォントの表示が小さすぎて読みにくいのが気にかかって、フォントやら元々のワープロ・ソフトのレイアウトやフォントの設定などをいろいろ変え、かつて同人誌に発表した「アルファとオメガ」の試訳を使って試行してみた。
��epub形式での日本語表示はフォントの表示が今このブログで見るのと同じフォントであり、印刷された本のフォントに比べるとあまりにお粗末すぎる。フォントなどどうでもテキストとして読むことが出来れば十分と言う考えであればいいのだろうが、だったらかつての青空文庫のようにテキストだけ置いておけば済むことである。日本語表記を電子ブックにするのに許容範囲のフォントの美しさが保てるのは、現時点ではという注意書き付きになるが、残念ながら画像形式しかないのではないか)
その結果、ふたつの結論。
1 小説は一段組みである程度、字数と行数を抑えて組んだ方が電子ブックとして読みやすい。
2 小説のような文字物は、先ずはWordや一太郎などのワープロソフトから、先ずはPDFファイルに書き出し、それを更にAcrobatの書き出し機能を用いて1頁ごとにjpgなどの画像ファイルに変換する。その1頁ごとの画像ファイルを電子ブック作成ソフトで書き出しすると電子ブックが出来、それをどこぞのサーバーに置いて、アクセス、ダウンロードしてもらう。
ただし、この手順で電子ブックを作成してもフォントが汚かったり、小さすぎて読めない場合がある。
そこで、1のようにレイアウトを大きめに組むことが必要になるし、PDFから画像に書き出しする際の解像度の設定が欠かせない。解像度を大きくすればフォントがきれいに表示される。が、ファイルサイズは大きくなる。そこで適切な解像度とはどれくらいか考えてみると、やはり印刷で使われる解像度、350dpiとか400dpiくらいは確保しなければならないようだ。
電子ブックを読もうというひとだったら、まさかダイヤルアップ接続であるひとはいないだろうし、win98なひともいないだろうと考え、ある程度ファイルサイズが大きくなるのはやむを得ない、そう考えないと前へ進めない。
この1と2を踏まえて「アルファとオメガ」の電子ブック版を試作してみたら、まずまず、フォントもムンクの絵もきれいな電子ブックが出来た。著作権というか、画像の版権の問題があるので、公開は出来ず個人的に楽しむ電子ブックでしかありませんが。
そういえば、自前で電子ブックのファイルを作る行為を「自炊」というのだそうだ。うーん、まさに自炊とはいい得て妙。
もうひとつそういえば、PDFファイルも立派に電子書籍の範疇に入っているらしい。
だったら、雑誌風な二段組をやめ、表紙をカラー化して単行本風な一段組みレイアウトにした方が読みやすいし体裁もずっときれいになるかもしれない。
次からそうしてみよう。
飲むと書けない。これが困ります。
これまでに試作した電子ブックがフォントがきれいでなかったり、パソコンで読み込む場合のフォントの表示が小さすぎて読みにくいのが気にかかって、フォントやら元々のワープロ・ソフトのレイアウトやフォントの設定などをいろいろ変え、かつて同人誌に発表した「アルファとオメガ」の試訳を使って試行してみた。
��epub形式での日本語表示はフォントの表示が今このブログで見るのと同じフォントであり、印刷された本のフォントに比べるとあまりにお粗末すぎる。フォントなどどうでもテキストとして読むことが出来れば十分と言う考えであればいいのだろうが、だったらかつての青空文庫のようにテキストだけ置いておけば済むことである。日本語表記を電子ブックにするのに許容範囲のフォントの美しさが保てるのは、現時点ではという注意書き付きになるが、残念ながら画像形式しかないのではないか)
その結果、ふたつの結論。
1 小説は一段組みである程度、字数と行数を抑えて組んだ方が電子ブックとして読みやすい。
2 小説のような文字物は、先ずはWordや一太郎などのワープロソフトから、先ずはPDFファイルに書き出し、それを更にAcrobatの書き出し機能を用いて1頁ごとにjpgなどの画像ファイルに変換する。その1頁ごとの画像ファイルを電子ブック作成ソフトで書き出しすると電子ブックが出来、それをどこぞのサーバーに置いて、アクセス、ダウンロードしてもらう。
ただし、この手順で電子ブックを作成してもフォントが汚かったり、小さすぎて読めない場合がある。
そこで、1のようにレイアウトを大きめに組むことが必要になるし、PDFから画像に書き出しする際の解像度の設定が欠かせない。解像度を大きくすればフォントがきれいに表示される。が、ファイルサイズは大きくなる。そこで適切な解像度とはどれくらいか考えてみると、やはり印刷で使われる解像度、350dpiとか400dpiくらいは確保しなければならないようだ。
電子ブックを読もうというひとだったら、まさかダイヤルアップ接続であるひとはいないだろうし、win98なひともいないだろうと考え、ある程度ファイルサイズが大きくなるのはやむを得ない、そう考えないと前へ進めない。
この1と2を踏まえて「アルファとオメガ」の電子ブック版を試作してみたら、まずまず、フォントもムンクの絵もきれいな電子ブックが出来た。著作権というか、画像の版権の問題があるので、公開は出来ず個人的に楽しむ電子ブックでしかありませんが。
そういえば、自前で電子ブックのファイルを作る行為を「自炊」というのだそうだ。うーん、まさに自炊とはいい得て妙。
もうひとつそういえば、PDFファイルも立派に電子書籍の範疇に入っているらしい。
だったら、雑誌風な二段組をやめ、表紙をカラー化して単行本風な一段組みレイアウトにした方が読みやすいし体裁もずっときれいになるかもしれない。
次からそうしてみよう。
2011年1月14日金曜日
2011年1月12日水曜日
眼低手低
そういえば年末年始に休めなかった長男がこの三連休に来ていたのだったが、今日の午後、戻って行った。たとえ3℃でも5℃でも暖かい場所の方がいいだろう。アメダスで見ると今朝も-11.8℃。
まさか、昨年夏の猛暑の裏返しで猛烈寒波が一ヶ月以上続くんじゃないでしょうね。
データCDと出力見本の発送準備が完了したので、明日宅配便で印刷会社に向けて発送。
さて、これで当面の課題は片付いたので、少し創作に集中しなければ。
しかし、眼高手低ならまだしも、極めつけの眼低手低なので、今回も、パス?
いや、眼低手低は眼低手低なり、下手は下手なりに、土壇場まで頑張らなくては。
まさか、昨年夏の猛暑の裏返しで猛烈寒波が一ヶ月以上続くんじゃないでしょうね。
データCDと出力見本の発送準備が完了したので、明日宅配便で印刷会社に向けて発送。
さて、これで当面の課題は片付いたので、少し創作に集中しなければ。
しかし、眼高手低ならまだしも、極めつけの眼低手低なので、今回も、パス?
いや、眼低手低は眼低手低なり、下手は下手なりに、土壇場まで頑張らなくては。
2011年1月11日火曜日
「百花繚乱 呵呵大笑」佐久間慶子
「繋」4号(吹田市)所載 デジタル文学館に転載
娼婦の子らしい双子姉妹、「うみみ」と「そらら」が墨東の娼館「百花繚乱」の前に三、四歳で捨てられ、その経営者であるイチおじさんとトミママに拾われてからの十年間(それも1949年からの)を描いている。だからといってコテコテのリアリズム小説ではなく、とんでもなくスラプスティックで、到底ありえないことまで現前させてしまう創作力の実に強い小説だ。
読みはじめてじきに目についたのは、四字熟語の頻出と、句点でバンバン改行してゆく文体だった。
四字熟語の多用もどうやら意識的になされているらしく、句点での改行もこれだけ頻繁なのだから意識的である。その上、センテンスも長い。これは主人公のひとりである「うみみ」の語り言葉であることも関係している。
たとえば57頁上段5行目、「手をつないで吹き抜けホールの......」から7行と一字が続き、句点で改行して字下げ、「あたしたちはそろって笑顔になって、」で、また句点改行し、「ありがとぉ」という会話が入ったかと思うと、「トミママに教え込まれた、笑顔は天下無双、双子なら倍増計画、」ここでまた句点改行、さらに「舌足らずにくり返す「チョコ、だぁいすき、ありがとぉ」
「トミママがおねえさんたちに、若いうちは甘ったれ口調も効果覿面と教えているのをまねするのだ。
と、ここでようやく読点にお目にかかることができる。その間、何と16行。それでいて読みにくくないのは、句点でバンバン改行し、さらにふたつ三つ連続してまるで泥濘の庭に置かれた踏み石を思わせる四字熟語を、ポンポンポンと跳んで一気に駆け抜けさせるような文体だからだ。
どうもしかし、句点改行の改行マークを削除して、会話のカギカッコも削除して、ベタで、読点があるところまで延々読み続けて行っても、案外すらすら読めるのではないか。
��などと考えていたら、昔読んだ野坂昭如のへらへら長いセンテンスの小説を思い出した。彼が現代の女性に生まれ変わったら、こんな小説をぐいぐい書いたかもしれないなどと、どこまでも好き勝手な妄想が走り出す)
��9頁下段、11行目。
最初の一行はうみみとそららが「三、四歳というところだね」の頃のことだが、次の二行で何と体が六、七歳、頭が十一、二歳になっている。たった数行の間にである。
作者にとって、この作品では句点改行と四字熟語がすごい武器になっているのである。しかも、「体は自給自足で六、七歳になって、頭のなかは時期尚早の十一、二歳」なんて、娼館の女の子たちの成長を象徴的に表現していて、実に憎いくらい巧い。
ほかに、
��3頁2行目 「......、あたしとそららも強迫観念のラムネの日日がつづいた」
��4頁最終行 「......、ひつしかない椅子は主客転倒して」
など、ただの言葉遊びや語呂合わせではなく、新しい意味やポエジーまで感じさせるするような四字熟語も見受けられる。
それから娼婦ユリリの常連であるブライハ(無頼派)という作家から、坂口安吾の「街はふるさと」という未完の小説を思い出させられた。この作品の登場人物たちの優しさと「街はふるさと」の人物たちのやさしさが同じなのである。いわば底辺に生きるひとたちの無碍なやさしさ。これは「百花繚乱 呵呵大笑」を支える魅力である。
また、小さい女芸人たちが百花繚乱でショーをする場面などは、映画「フリークス」を思い出させてくれるし、うみみとそららが新人娼婦たちを守るためにベッドの下に潜んでいて、性質の悪い客から娼婦を守るためにその尻に噛み付く場面など、体を張ったドタバタをそのままスラップスティックに描いて笑えもした。(ブコウスキーの「パルプ」なんかを思い出したりして)
同様に、ヒモにビール瓶で殴られたチヨヨのためにヒモを退治に行ったみみ、そらら、トミママだったが、うっかりトミママの下になったままのヒモが翌朝に圧死していて、その死体を片付けるためにスミッコが知り合いのゴミ屋のじいさんに処理を頼むことになる。そのゴミ屋のじいさんは耳が聞こえなくて、字が読めないし、書けない。しかも死体で遊ぶというネクロフィリアでもあるから、ますますブコウスキー張りであるし、その死体の片付け方がまたすごい。
��9頁下段
この場面も実に即物的でスラップスティックな描写というか、うみみの語り。
そう、語りだから厳密には描写ではないのですが、こういう虚構世界を語る=騙るためにはこういう語りの文体はかなり強力です。
やがて甘いものばかり食べ続けたトミママは部屋から出られないほど肥満してしまうが、このトミママの甘いものばかり食べるのはやはり欲求不満の解消ではなかったかと思われます。イチおじさんが百花繚乱から始まって大歓楽ビル群を経営するようになったことで、トミママは足りない何かを埋めるかのように甘いものを食べ続けたのでした。
そしてトミママが死んだ。しかも死んだ娼婦の赤ん坊を自分の性器のなかに入れるように指示してから。娼婦たちがたくさん集まってトミママを崇め、唄う。その唄がまたいいのだが、それは実際に読んでいただいた方がいいので引用しません。
快作であり、読むひとによっては怪作でもありうる小説だが、こういう小説を書けるひとはそうはいない。
よくもこのような一筋縄ではいかない小説を書かれたものと、感心いたしました。
娼婦の子らしい双子姉妹、「うみみ」と「そらら」が墨東の娼館「百花繚乱」の前に三、四歳で捨てられ、その経営者であるイチおじさんとトミママに拾われてからの十年間(それも1949年からの)を描いている。だからといってコテコテのリアリズム小説ではなく、とんでもなくスラプスティックで、到底ありえないことまで現前させてしまう創作力の実に強い小説だ。
読みはじめてじきに目についたのは、四字熟語の頻出と、句点でバンバン改行してゆく文体だった。
四字熟語の多用もどうやら意識的になされているらしく、句点での改行もこれだけ頻繁なのだから意識的である。その上、センテンスも長い。これは主人公のひとりである「うみみ」の語り言葉であることも関係している。
たとえば57頁上段5行目、「手をつないで吹き抜けホールの......」から7行と一字が続き、句点で改行して字下げ、「あたしたちはそろって笑顔になって、」で、また句点改行し、「ありがとぉ」という会話が入ったかと思うと、「トミママに教え込まれた、笑顔は天下無双、双子なら倍増計画、」ここでまた句点改行、さらに「舌足らずにくり返す「チョコ、だぁいすき、ありがとぉ」
「トミママがおねえさんたちに、若いうちは甘ったれ口調も効果覿面と教えているのをまねするのだ。
と、ここでようやく読点にお目にかかることができる。その間、何と16行。それでいて読みにくくないのは、句点でバンバン改行し、さらにふたつ三つ連続してまるで泥濘の庭に置かれた踏み石を思わせる四字熟語を、ポンポンポンと跳んで一気に駆け抜けさせるような文体だからだ。
どうもしかし、句点改行の改行マークを削除して、会話のカギカッコも削除して、ベタで、読点があるところまで延々読み続けて行っても、案外すらすら読めるのではないか。
��などと考えていたら、昔読んだ野坂昭如のへらへら長いセンテンスの小説を思い出した。彼が現代の女性に生まれ変わったら、こんな小説をぐいぐい書いたかもしれないなどと、どこまでも好き勝手な妄想が走り出す)
��9頁下段、11行目。
トミママは動じず、あたしとそららの手をとって、階段をあがる。
そんな風に、酒池肉林の社交クラブ百花繚乱であたしとそららは、(句点改行)
昼夜兼行の日日成長、体は自給自足で六、七歳になって、頭のなかは時期尚早の十一、二歳になった。
最初の一行はうみみとそららが「三、四歳というところだね」の頃のことだが、次の二行で何と体が六、七歳、頭が十一、二歳になっている。たった数行の間にである。
作者にとって、この作品では句点改行と四字熟語がすごい武器になっているのである。しかも、「体は自給自足で六、七歳になって、頭のなかは時期尚早の十一、二歳」なんて、娼館の女の子たちの成長を象徴的に表現していて、実に憎いくらい巧い。
ほかに、
��3頁2行目 「......、あたしとそららも強迫観念のラムネの日日がつづいた」
��4頁最終行 「......、ひつしかない椅子は主客転倒して」
など、ただの言葉遊びや語呂合わせではなく、新しい意味やポエジーまで感じさせるするような四字熟語も見受けられる。
それから娼婦ユリリの常連であるブライハ(無頼派)という作家から、坂口安吾の「街はふるさと」という未完の小説を思い出させられた。この作品の登場人物たちの優しさと「街はふるさと」の人物たちのやさしさが同じなのである。いわば底辺に生きるひとたちの無碍なやさしさ。これは「百花繚乱 呵呵大笑」を支える魅力である。
また、小さい女芸人たちが百花繚乱でショーをする場面などは、映画「フリークス」を思い出させてくれるし、うみみとそららが新人娼婦たちを守るためにベッドの下に潜んでいて、性質の悪い客から娼婦を守るためにその尻に噛み付く場面など、体を張ったドタバタをそのままスラップスティックに描いて笑えもした。(ブコウスキーの「パルプ」なんかを思い出したりして)
同様に、ヒモにビール瓶で殴られたチヨヨのためにヒモを退治に行ったみみ、そらら、トミママだったが、うっかりトミママの下になったままのヒモが翌朝に圧死していて、その死体を片付けるためにスミッコが知り合いのゴミ屋のじいさんに処理を頼むことになる。そのゴミ屋のじいさんは耳が聞こえなくて、字が読めないし、書けない。しかも死体で遊ぶというネクロフィリアでもあるから、ますますブコウスキー張りであるし、その死体の片付け方がまたすごい。
��9頁下段
トミママがきっぱりいって、スミッコの全身通訳に、おじいさんはうなづくと、
床に置いた背負いカゴをひっくり返し、大量のゴミを放り出してから、ヒモ男の硬直死体を引き寄せて、くるりと返して背中を上にすると、腰を片足にのせ、腕と足をつかんで、
ばっきん、と二つ折り、
「わっ!」「ええっ?」チヨミとミキミキがびっくりすると、
「背中とお尻がくっつく形じゃないとカゴに入らないんだよ」とスミッコが説明して、
おじいさんは両腕を背中側にばきっ、ばきっ、
膝もばきっ、ばきっ、と足先がお尻にくっつくように折り曲げて、......(以下省略・まだ8行続きます)。
この場面も実に即物的でスラップスティックな描写というか、うみみの語り。
そう、語りだから厳密には描写ではないのですが、こういう虚構世界を語る=騙るためにはこういう語りの文体はかなり強力です。
やがて甘いものばかり食べ続けたトミママは部屋から出られないほど肥満してしまうが、このトミママの甘いものばかり食べるのはやはり欲求不満の解消ではなかったかと思われます。イチおじさんが百花繚乱から始まって大歓楽ビル群を経営するようになったことで、トミママは足りない何かを埋めるかのように甘いものを食べ続けたのでした。
そしてトミママが死んだ。しかも死んだ娼婦の赤ん坊を自分の性器のなかに入れるように指示してから。娼婦たちがたくさん集まってトミママを崇め、唄う。その唄がまたいいのだが、それは実際に読んでいただいた方がいいので引用しません。
快作であり、読むひとによっては怪作でもありうる小説だが、こういう小説を書けるひとはそうはいない。
よくもこのような一筋縄ではいかない小説を書かれたものと、感心いたしました。
2011年1月10日月曜日
ようやく頭がすっきり
夕方からようやく頭がすっきりしてきたので、血圧計で計ったら下が100を切れて90になっていた。この分だと明日には70~80くらいに下がるだろう。
Lydwine.さんからデジタル文学館の最新作の校正ミスをメールで知らせていただいた。ありがたい。私はO型で、と書くと他のO型の皆さんが気を悪くされるかもしれないので、血液型とは無関係にかなり杜撰な性格である。何をしても完璧ということはない。必ずどこか、何か、間違えている。雑誌発行でもミスがあって当たり前だった。
今回、なんと14ヶ所もミスを発見していただいた。やはりひとりの目よりもふたりの目である。
その作品「百花繚乱 呵呵大笑」の感想をLydwine.さんがすでに今日、ご自身のブログに書き込みされた、ので、こちらにも転載させていただいた。
私も書きたいのだけれど、その前に書かなければならない感想をようやく書いたので、そちらをとりあえずはアップ。
Lydwine.さんからデジタル文学館の最新作の校正ミスをメールで知らせていただいた。ありがたい。私はO型で、と書くと他のO型の皆さんが気を悪くされるかもしれないので、血液型とは無関係にかなり杜撰な性格である。何をしても完璧ということはない。必ずどこか、何か、間違えている。雑誌発行でもミスがあって当たり前だった。
今回、なんと14ヶ所もミスを発見していただいた。やはりひとりの目よりもふたりの目である。
その作品「百花繚乱 呵呵大笑」の感想をLydwine.さんがすでに今日、ご自身のブログに書き込みされた、ので、こちらにも転載させていただいた。
私も書きたいのだけれど、その前に書かなければならない感想をようやく書いたので、そちらをとりあえずはアップ。
「銀座線」16号、感想
「銀座線」16号(東京)
「一つと一人若しくは二人」岡田四月
読後、時間を置いたが、この作品は妙に強く印象に残っていた。
リアリズムの小説を規範としているひとには、実に「ありえない」小説である。
私は、前に住んでいた地区のゴミ捨て場で手足首が切断された胴体を拾って(いや救い出して)来て、越して来たばかりのアパートの二階で胴体と同居、胴体を洗ったり拭いたりしている。それだけではない、勝手に「姉さん」と呼び、胴体に話しかけたりするのだが、首から上が無いはずの「姉さん」がたまたま不機嫌に返事をする。短いくても会話が成立する。この不機嫌な胴体との会話が実にいい雰囲気を出している。
こうして、あり得ないことをいかにもありそうに書く、それこそがフィクション(虚構)の力であってこういう不思議な小説を成立させる。明らかに、リアリズムの小説とは別の読み方が必要である。
結末で、気晴らしに外出した私が公園へ足を踏み入れた時、
この結末の文章は、胴体が存在するという目に慣れない世界を描き出したこの短編をギュッと引き締めており、その違和感のようなものの重みを感じさせていて、とても良かった。
「朝の来ない夜」 石原惠子
ひとつの家庭が描かれている。
問題は父親である。大学病院の精神科に通い、睡眠導入剤だけでなく、安定剤や抗うつ剤まで処方してもらうようになっていた母が、とうとう入院せざるをえなくなったのも父のせいである。この父は経済観念がほとんどない。そして見栄っ張りで、今はほとんどアルコール中毒。こういうひとが夫であったり父親であったりすると妻や子は迷惑である。
あったことをあったように書くリアリズムの小説で、あり得ないことはひとつも書いていない。
(読みながら、従姉夫婦のことを連想していた。従姉も数年前から抑うつが強まってメンタル・クリニックに通っているのだが、その夫が実に妻の意見を聞かず、一方的に自分の考えだけを通したがるひとで、自分の通りにならないと怒る、怒鳴る。それが70代後半になって身体だけでなくメンタルな面にまで衝撃を与えるようになり、抑うつにとらわれて身動きが出来なくなった。たまたま会った時、従姉はこういった「私が具合が悪い、その半分以上があのひとのせいだよ」)
案外、こういうタイプの困った夫、父親は多いのである。外に出ると他人には調子よく対応するくせに、身内とのコミュニケーション能力がまったく無い。こういう風通しの悪い父親を描いてゆけば、「朝の来ない夜」という題名はまさに必然に思える。こんな父親がいたら朝が来るという希望など持てない。捨てられたら捨てたい。まして書きたくもない。が、事はそう簡単ではない。
kitaohiさんが「救いがないのが気にかかる」、あるいは「小説らしく人生の否定につながらないようにして欲しかった」と書かれている。私もそう思うが、なかなかそうは問屋が卸さなくて、「救いのない人生」や「人生の否定」と闘うべく、そのなかの不合理の客観化をめざして書かれるのが小説なのであって、だからこの作品はまさにひとつの家庭の裏側=夜を描いた作品として、書かれた通りに読み、受け止めるべきだと思う。
「半分神様」河井友大
15号で記憶していた作者だが、今号は失礼ながら中身より先に題名にころっと参ってしまった。「半分神様」!! どんな神様?? とわくわくしながら読み始めた。
前作同様、時間と空間はリアルな世界を形成していない。いつだかどこだか判らない場所だが、恋文の代筆を仕事としているアケミが持っている本(ほとんどいただき物)に『嵐が丘』、『源氏物語』、「アンナ・カレーニナ」などがあるのだから、少なくとも20世紀以降ではあると思うのだが、アケミの祖母、セイがかまどに火をつけて作る料理は「鶏肉の香草焼きとレンズ豆のスープとパンという献立。しかも住人のほとんどは字が書けない、読めない。
うーん、時代や場所を特定しようとするのはやめておきましょう。勝手に、核戦争か何かでいったん人類のほとんどが滅亡した後の、復活しはじめた世界あたりを想起して、読み進めます。
すると「オレンジ」という魚が登場する。正式名称は「オレンジトリケランス」というのだが、この魚を食べると老化現象が見られなくなる、つまり、食べていると寿命が延びる不老不死の魚であるらしい。
ただし、そのようにオレンジを食べていれば老化せず、死なない世界から「あの山」に行ってしまうひとがいる。アケミの祖母も行ってしまった。「あの山」へ行ったひとはみな「いい人」で、「半分神様みたいなひと」なのだという。
やがて「オレンジ」の漁獲量が減り、誰もが入手できる物ではなくなって来た。
アケミにアケミ宛の恋文を依頼する若い男が現われた。彼は工面してアケミに「オレンジ」を届け続けた。それを知った隣人たちや周辺のひとびとがついにその「オレンジ」狙うようになった。
彼らに追われて、アケミと男は「あの山」に向かって走り出す。
うーん、これでは感想と言うより要約に過ぎない。それだけ読者として単純に楽しんで読んでしまったんですね。
寓話的といえば寓話的だが、かといって寓話的だけでは済まされない作品です。
「一つと一人若しくは二人」岡田四月
読後、時間を置いたが、この作品は妙に強く印象に残っていた。
リアリズムの小説を規範としているひとには、実に「ありえない」小説である。
私は、前に住んでいた地区のゴミ捨て場で手足首が切断された胴体を拾って(いや救い出して)来て、越して来たばかりのアパートの二階で胴体と同居、胴体を洗ったり拭いたりしている。それだけではない、勝手に「姉さん」と呼び、胴体に話しかけたりするのだが、首から上が無いはずの「姉さん」がたまたま不機嫌に返事をする。短いくても会話が成立する。この不機嫌な胴体との会話が実にいい雰囲気を出している。
こうして、あり得ないことをいかにもありそうに書く、それこそがフィクション(虚構)の力であってこういう不思議な小説を成立させる。明らかに、リアリズムの小説とは別の読み方が必要である。
結末で、気晴らしに外出した私が公園へ足を踏み入れた時、
中央にいた四人の男の子が一斉に私を見、目が合うや、わあと跳ねて、走って、出ていってしまった。私は反射的に彼らを追った。ほとんど追い縋るように。なぜ、逃げるの。そう言いたい気持ちがあったのだろうか。息を切らしながら、思いを巡らした。そうだ、反応にもいろいろある。私が拒絶されたんだ。そんなに凄い形相をしてたのか。自分ではわからなくなってるのかもしれない。いっそ身の毛もよだつ何かになってしまえばいい。......以下つづく
この結末の文章は、胴体が存在するという目に慣れない世界を描き出したこの短編をギュッと引き締めており、その違和感のようなものの重みを感じさせていて、とても良かった。
「朝の来ない夜」 石原惠子
ひとつの家庭が描かれている。
問題は父親である。大学病院の精神科に通い、睡眠導入剤だけでなく、安定剤や抗うつ剤まで処方してもらうようになっていた母が、とうとう入院せざるをえなくなったのも父のせいである。この父は経済観念がほとんどない。そして見栄っ張りで、今はほとんどアルコール中毒。こういうひとが夫であったり父親であったりすると妻や子は迷惑である。
あったことをあったように書くリアリズムの小説で、あり得ないことはひとつも書いていない。
(読みながら、従姉夫婦のことを連想していた。従姉も数年前から抑うつが強まってメンタル・クリニックに通っているのだが、その夫が実に妻の意見を聞かず、一方的に自分の考えだけを通したがるひとで、自分の通りにならないと怒る、怒鳴る。それが70代後半になって身体だけでなくメンタルな面にまで衝撃を与えるようになり、抑うつにとらわれて身動きが出来なくなった。たまたま会った時、従姉はこういった「私が具合が悪い、その半分以上があのひとのせいだよ」)
案外、こういうタイプの困った夫、父親は多いのである。外に出ると他人には調子よく対応するくせに、身内とのコミュニケーション能力がまったく無い。こういう風通しの悪い父親を描いてゆけば、「朝の来ない夜」という題名はまさに必然に思える。こんな父親がいたら朝が来るという希望など持てない。捨てられたら捨てたい。まして書きたくもない。が、事はそう簡単ではない。
kitaohiさんが「救いがないのが気にかかる」、あるいは「小説らしく人生の否定につながらないようにして欲しかった」と書かれている。私もそう思うが、なかなかそうは問屋が卸さなくて、「救いのない人生」や「人生の否定」と闘うべく、そのなかの不合理の客観化をめざして書かれるのが小説なのであって、だからこの作品はまさにひとつの家庭の裏側=夜を描いた作品として、書かれた通りに読み、受け止めるべきだと思う。
「半分神様」河井友大
15号で記憶していた作者だが、今号は失礼ながら中身より先に題名にころっと参ってしまった。「半分神様」!! どんな神様?? とわくわくしながら読み始めた。
前作同様、時間と空間はリアルな世界を形成していない。いつだかどこだか判らない場所だが、恋文の代筆を仕事としているアケミが持っている本(ほとんどいただき物)に『嵐が丘』、『源氏物語』、「アンナ・カレーニナ」などがあるのだから、少なくとも20世紀以降ではあると思うのだが、アケミの祖母、セイがかまどに火をつけて作る料理は「鶏肉の香草焼きとレンズ豆のスープとパンという献立。しかも住人のほとんどは字が書けない、読めない。
うーん、時代や場所を特定しようとするのはやめておきましょう。勝手に、核戦争か何かでいったん人類のほとんどが滅亡した後の、復活しはじめた世界あたりを想起して、読み進めます。
すると「オレンジ」という魚が登場する。正式名称は「オレンジトリケランス」というのだが、この魚を食べると老化現象が見られなくなる、つまり、食べていると寿命が延びる不老不死の魚であるらしい。
ただし、そのようにオレンジを食べていれば老化せず、死なない世界から「あの山」に行ってしまうひとがいる。アケミの祖母も行ってしまった。「あの山」へ行ったひとはみな「いい人」で、「半分神様みたいなひと」なのだという。
やがて「オレンジ」の漁獲量が減り、誰もが入手できる物ではなくなって来た。
アケミにアケミ宛の恋文を依頼する若い男が現われた。彼は工面してアケミに「オレンジ」を届け続けた。それを知った隣人たちや周辺のひとびとがついにその「オレンジ」狙うようになった。
彼らに追われて、アケミと男は「あの山」に向かって走り出す。
うーん、これでは感想と言うより要約に過ぎない。それだけ読者として単純に楽しんで読んでしまったんですね。
寓話的といえば寓話的だが、かといって寓話的だけでは済まされない作品です。
2011年1月9日日曜日
もっと温暖な土地で
昨夜は珍しく夕食後に頭痛。さてはと思い血圧計で計ってみると、案の定、下が107。私の場合、最低血圧が100を超えると頭痛がするので、何もせずに就寝。
今夜は頭痛はないが計測すると下が115とか、とんでもない数字。
ボランティア編集の表紙デザインをしただけで何もしないことにする。あとは寝て音楽でも聴いていよう。
昨日より今日と、寒気がすごい。アメダスで見ると今朝は-12.2℃。体感温度は-15℃くらい。血管も縮む。
O君は松原湖にワカサギ釣りに行っているらしい、ぶるぶる。
もっと温暖な土地で暮らしたい。
今夜は頭痛はないが計測すると下が115とか、とんでもない数字。
ボランティア編集の表紙デザインをしただけで何もしないことにする。あとは寝て音楽でも聴いていよう。
昨日より今日と、寒気がすごい。アメダスで見ると今朝は-12.2℃。体感温度は-15℃くらい。血管も縮む。
O君は松原湖にワカサギ釣りに行っているらしい、ぶるぶる。
もっと温暖な土地で暮らしたい。
2011年1月7日金曜日
いよいよ天然自然のものが入手しがたく
夕食後、昨夜から作業していた推薦作をアップロード。
内容的にも表現的にもタイヘン面白く、しかも一言では形容出来ない作品。私が好きな作品、作家をごった混ぜにしたような快作、ただし、見ようによっては怪作であるかもしれず、まじめなリアリズム作品しか読まないような読み手には物議の対象であるかもしれない。
私などはところどころぷっと吹き出しながら読んだり、映像化不可能な場面に圧倒されたり、久しぶりに刺激的な読書で楽しかったのですが、さて反応はいかに。
私も、しばらく時間を置いたら感想が書けるかな? いや、書きたい。
今回はスキャナーでテキスト・データ化したので、一応点検はしたものの雑誌の校正同様ひとりでは限界があり、読み取りミスの見落としがまだあるかもしれません。
「ブライハ」という登場人物名を、OCRソフトはすべて「プライハ」と読み取り変換していたので、ひとつひとつ訂正したのですがまだ見落としがある可能性大(発見した方はお教え下さい)。
母親が芹を採りに行きたいというので、車に乗せて一時間半ほど山の方へドライブしてみたが、自生している場所が見つからず、その昔、台湾芹とかバンカ芹とか呼ばれていたクレソンを少し採取して帰宅。
途中に、湧き出している清水を汲みやすいようにパイプで道路際まで引いて来てある場所があった。近所の老婦人たちが時々お茶用にポリタンクやペットボトルで汲みに来ているのだという。容器を持っていなかったので水は持ち帰らなかったが、今度ペットボトルを持参して汲んで来てみよう。無論、コーヒーとお茶用で沸騰させての飲用に限定。
以前、蓼科山の麓の湧水地でやはり水汲みのひとたちが行列を為している場所があったが、保健所の「この水から大腸菌が検出されました。飲用にご使用の場合は沸騰させてお使い下さい」という高札が立ったら、その後は水を汲んでいるひとを見かけなくなった。相当深い地層から湧いている泉でない限り、沸騰させた方が安全です。山に鹿や猪も多くなったことだし。
いずれにしても、いよいよ天然自然のものが入手しがたくなりました。
そういえば、Hさんに辛い「バナナ南蛮」の種をお送りしなくていけないのだった。
思い出したが吉日、また忘却してしまわないうちに封筒に入れて宛名書きしよう。
ついでの悪口雑言=Twitterなるもののアカウントを取得したまま一度もつぶやかずにアカウントを返上した、偏屈でだらしないおじさんの言い草。
職業作家は少しはTwitterしているが、文芸同人誌で書いているひとのTwitterはあまり見当たらない。むしろ詩人は、思潮社がTwitter連詩なる危ない企画をした所為かTwitter花盛り、というかTwitterしないと仲間はずれになってしまいそうだからTwitterしているみたいな。
せわしなく落ち着きなく、一日に十回も二十回もツゥィートする暇があったら、一編でいいからきちんとした詩を書いたらいいのでは? と考えたりすること自体が老化現象か、やれやれ。
内容的にも表現的にもタイヘン面白く、しかも一言では形容出来ない作品。私が好きな作品、作家をごった混ぜにしたような快作、ただし、見ようによっては怪作であるかもしれず、まじめなリアリズム作品しか読まないような読み手には物議の対象であるかもしれない。
私などはところどころぷっと吹き出しながら読んだり、映像化不可能な場面に圧倒されたり、久しぶりに刺激的な読書で楽しかったのですが、さて反応はいかに。
私も、しばらく時間を置いたら感想が書けるかな? いや、書きたい。
今回はスキャナーでテキスト・データ化したので、一応点検はしたものの雑誌の校正同様ひとりでは限界があり、読み取りミスの見落としがまだあるかもしれません。
「ブライハ」という登場人物名を、OCRソフトはすべて「プライハ」と読み取り変換していたので、ひとつひとつ訂正したのですがまだ見落としがある可能性大(発見した方はお教え下さい)。
母親が芹を採りに行きたいというので、車に乗せて一時間半ほど山の方へドライブしてみたが、自生している場所が見つからず、その昔、台湾芹とかバンカ芹とか呼ばれていたクレソンを少し採取して帰宅。
途中に、湧き出している清水を汲みやすいようにパイプで道路際まで引いて来てある場所があった。近所の老婦人たちが時々お茶用にポリタンクやペットボトルで汲みに来ているのだという。容器を持っていなかったので水は持ち帰らなかったが、今度ペットボトルを持参して汲んで来てみよう。無論、コーヒーとお茶用で沸騰させての飲用に限定。
以前、蓼科山の麓の湧水地でやはり水汲みのひとたちが行列を為している場所があったが、保健所の「この水から大腸菌が検出されました。飲用にご使用の場合は沸騰させてお使い下さい」という高札が立ったら、その後は水を汲んでいるひとを見かけなくなった。相当深い地層から湧いている泉でない限り、沸騰させた方が安全です。山に鹿や猪も多くなったことだし。
いずれにしても、いよいよ天然自然のものが入手しがたくなりました。
そういえば、Hさんに辛い「バナナ南蛮」の種をお送りしなくていけないのだった。
思い出したが吉日、また忘却してしまわないうちに封筒に入れて宛名書きしよう。
ついでの悪口雑言=Twitterなるもののアカウントを取得したまま一度もつぶやかずにアカウントを返上した、偏屈でだらしないおじさんの言い草。
職業作家は少しはTwitterしているが、文芸同人誌で書いているひとのTwitterはあまり見当たらない。むしろ詩人は、思潮社がTwitter連詩なる危ない企画をした所為かTwitter花盛り、というかTwitterしないと仲間はずれになってしまいそうだからTwitterしているみたいな。
せわしなく落ち着きなく、一日に十回も二十回もツゥィートする暇があったら、一編でいいからきちんとした詩を書いたらいいのでは? と考えたりすること自体が老化現象か、やれやれ。
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