久しぶりに小説用のテンプレートを開いてみた。昔は紙の原稿用紙の向こうに書きたい光景が最初から見えていたものだが、今では何も見えない。きちんと楽譜を書いてから書き始めたものだったが、今では、人物像だけをイメージし、あとは何の構成も予見もなしに書き出そうとする。だから難破する。
小説からストーリーを排除したら、それは小説じゃないだろうという声が聞こえて来そう。お説の通りですと認めて引き下がる?
そうか、Twitterでもうひとつアカウントを取得し、そこで140文字ずつ小説を書き続けるという、そういう危ない方法も考えられないことはない。
たとえば「私」という「一人称」で私が「私小説」を書くとすれば、浮気が妻にバレて展開されるその確執や修羅場を描くなどという、気色悪く古色蒼然とした「私小説」などには決してならない自信はある。そういう外側に展開されるストーリーではなく、思考や感覚のロマン。それがめざす小説なのだけど。
それはこの上なく理解しがたく、されがたい。
今夜もフランスの某視聴サイトにアクセスし、 Bill evans: turn out the stars/the final village vanguard recordings june 1980 を聴く。といってもこのアルバム、58曲入りで総演奏時間が6時間37分。録音ソフトもフリーウェア版では録音しきれないからただ聴き放し。というか、ひと晩で全曲聴くのは不可能なので、ほぼBGMな感じで、聴きながらパソコンでは別の作業をしている。
ぎゃ、30粒ほど播いたギガンテス・ジャイアント・ホワイト・ライマビーンズという豆の種が、低温のためほとんど腐って発芽せず、芽が出たのはわずかに二つだけ。ふた株でも種子用は確保できると前向きに考えよう。
T中さんから12日にrhubarb研究会どう? という電話。OKの返事をしておく。といっても二人だけの研究会。
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