2007年2月28日水曜日

Barcallores

 フォーレのピアノ曲集の3枚目に収められている「舟歌」第1番から第13番まで聴こうとしたが、例によってディスク・ドライブの回転音が気になってダメなのでWindows Media Playerでパソコンにwmaファイルで取り込んだ。パソコンというものは、何とも便利なものです。音楽でも映像でもテキストでもデジタル・データはすべて、こんなしろうとでも取り込めるのですから。
 これでもう、CDは不要で、パソコン内のwmaファイルのアイコンを開けば演奏が始まる。ブーンという回転もなく、静かで、これで、聴きながら書くということが可能になります。
 ショパンの舟歌やら、チャイコフスキーの舟歌やら、舟歌ばっかり、(^_^)v

 「フロイト先生のウソ」、なかなか読み進められず。
 ネットでJ・プレヴェールがらみの記事とCD1枚、本一冊ばかり追っている。
 Googleのイメージ検索窓に「Jacques Prévert」と入れて検索すると、プレヴェールの写真とかがごっそり並んで、楽しい。
 
 ISBNコードから書籍を検索できるフリーのソフトがあったのでインストールしてみたが、かんじんのデータ・ベースが日本書籍協会すなわちBooks.or.jpのものであったので、結構ヒットしない本があり、速攻でアンインストールした。
 本当に正確に書籍の在庫、品切れ、絶版などが判るサイト、またはデータ・ベースはないものでしょうか。

2007年2月27日火曜日

ふたりのHさん

 たまたまHさんという難解な小説を書いた作家の本の古書価格をリサーチしていたら、期待に反してあまり高価格でないのは出版回数が多いので納得だが、妙なものが目についた。
 作家のHさんから、(別のやはりイニシャル)Hさんに当てられた葉書10枚が52,500円という驚きの価格で売り出されているのである。
 (画像まで付いているので文章も少しは読めてしまう。(ーー;)
 宛先のHさんは私には旧知のひとであるが、なぜこういう形で流出したか、考えると何かとても居心地が悪い。
 この作家Hさんの葉書、書簡はほかにも古書店に出ていて、葉書一枚が12,000から15,000円しているのである。

2007年2月25日日曜日

ひとつの夢想

 ほんとうに夢想である。
 「文芸同人誌案内」の姉妹(兄弟?)サイトとして「全国文芸同人誌・作品アーカイブス」といったウェブサイトを立ち上げたいという夢想が数年前から脳内を駆け巡っている。
 これだけインターネットが盛んな時代に、なぜ純文学の書き手は印刷媒体に作品を掲載するだけで満足しているのか? なぜ、もっと他者に読まれ、批評される方策を考えないのか? なぜ、自分の作品が読まれることばかり念頭にあって、なぜ、他者の作品をもっと読もうとしないのか?
 
 広告を否定しなければ、無料のウェブ・スペースがあるのだから「全国文芸同人誌・作品アーカイブス」は技術的にはいつでも可能である。
 優れた作品を厳選して掲載したい気もするが、優れた作品を選考するには多くの優れた読み手を必要とするし、時間的負担も生ずる。それは多くの困難を伴うので、条件は下記の四点程度とする。
 「印刷された文芸同人誌に掲載された作品である」ことを唯一の掲載条件とし、自薦他薦を問わない。
 作品をテキスト・データでメールに添付送信、またはフロッピーなどで送ることが出来ること。50枚以内の短編はスキャニングによるテキストデータ化も可能なので同人誌の送付も可。
 長編のアップ・ロードは長い目で見れば負担になるであろうから、一応は400字詰め原稿用紙換算で100枚、あるいは130枚くらいに限定。
 通常のHTML版とPDF版の二種類のファイルをアップ・ロード。


 それにしても運営がむずかしいだろうなあ、とは思います。
 

心のウソ

午前中に『フロイト先生のウソ』を7&Yで受け取る。
 帯に二行《フロイトはマルクスよりも多大な損害を人類に与えた》とありますが、さて……。
 若い頃から、私はフロイトに対して「強い反発」と「抗えない大肯定」という両極の間を、ブランコのように行ったり来たりしている。
 フロイトがコカイン中毒だったという本を読み、また今回の「フロイト先生のウソ」を読み、さらにその振幅の度合いは増す。これでラカンを読んだらもっと乖離がひどくなるだろう。
 一人の人間のなかでさえこれだけフロイトに対する評価や判断がアンビバレンツなのだから、《フロイトはマルクスよりも多大な損害を人類に与えた》などと書かれたとしてもやむをえないか。

 さて、先ずは第二部「心のウソ」の五章から一章へさかさま読みすることになる。
 第五章は「多重人格」。多重人格障害などというものはそもそも存在しないという視点からの考察であるから興味津々である。それでは何なのだと考えると、案外フロイトの「ヒステリー」が何となくだが視野に入ってくるのが妙だ。
 フロイトから離れようとしてまたフロイトに戻ってしまうのは宿命か。
 明日は、何をさておいてもラカンの入門書を探しに行かないと。




 先日、mixiなどのSNSの訪問者数、ページビューが減り始めたという記事を読んだが、SNSもブログも昨年の後半を境に、ピークを過ぎたような気がしている。
 私がRSSリーダーに登録している50くらいのブログも、一ヶ月以上更新されないものや、更新頻度が落ちてきているブログが増えている。
 うち一名は病院で手術を受けて入院中だがどうやら退院も近い様子で喜ばしいが、ほかに2名は心配してメールを送信したが返信なし、更新もなし。ほかにも消息が知れず気にかかるひとが居る。どうしているか貧しい想像力では及びもつかない。

 考えてみれば、ブログというのはかつても書いたことがあるが、マジックミラーに囲まれた部屋の中でひとり自己の感情や思考や脳の中身をさらけ出しているようなもので、案外、本数が少なくて太い神経の持ち主でなければ続かないのかもしれない。
 それに、常に本を読み、社会や自己を観察し、感じ、考えて、自己のなかに蓄積するものがないとブログも書き続けられはしないのだ。

微妙な計算とプレゼン

 以前、Lydwineさんが書かれていた同人誌印刷に関することで、ページの表と裏に印刷された文字の微妙なずれについて、不意に思い出して気になったので「O」と「木曜日」の任意のページをガラス窓にあてて透かしてみた。肉眼ではそれほどひどくずれているようには見えない。
 それでも正確な行間の数値をきちんと計算してみようと思い立った。

わが誌の書式の概略はこうである。

アプリケーション Word2003
用紙 A5
縦書き、二段組
余白 上 15mm 下 15mm 左 15mm 右 15mm
フォントサイズ、9.5pt
(Wordではデフォルトでは、9pt,10pt,10.5ptとなっていて9.5ptは不可能に見えるが、手入力で9.5と数値を入れるとOKとなる。ただしそのままだと書式をクリアした場合など9.5というポイントまでクリアされてしまうので、9.5ポイントで作成したらそれをテンプレートとして保存する。そうすれば、いつでもそのテンプレートを開けば9.5ポイントの書式が使える)
文字数 26字
文字間 これは上下の余白を調整することで時間を詰めたり広げたり出来る、一応、9.4pt
行数  22行
行間
これが本日の問題である。
 先ずはA5用紙の幅、148mmから左右の余白を引く。この場合は左右15mmずつなので30mmを引く。148mm-30mm=118mm。その118mmを22行で使うので1行のmmは、118÷22=5.3636mm。
 このままmmで指定出来ればいいのだが、Wordは文字間、行間の指定はptである。
 そこで1ptが何mmか調べると、Wordの場合、1pt=0.3527mmとある。
5.3636mm÷0.3527mm=15.2pt

という結果から行間には15.2ポイントという数値を入力。

 なぜ、このような細部にこだわるかというと、Wordは文字数と行数を入力すると、文字間と行間を自動で設定してくれるのだが、その行間のポイント数と行数を乗じたものが余白を引いた紙幅とぴったり一致すればいいが、そうでない場合は最終行に余った数値がプラスされて行間が広くなるようなのである。以前はことにA4見開き2頁でレイアウトしていたので、そこで生じるズレが2倍になっていた。
 次号から新たに依頼する予定の印刷所ではA5でレイアウトするようにということなので、次号からA51ページ立てのレイアウトとなるので、この際、きちんと左右にズレが生じないレイアウトにしておきたいのである。
 また、左右の余白については綴じ代側の数値を多くとっていたが、100ページくらいの雑誌では左右同じ15mmでよかろうという判断から同じ数値にしてみた。




 パソコンでプレゼンテーションをどのように作り上げるのか、その実際を一度経験してみたいと思ったが、あいにくとPower Pointは持っていない。
 そこでフリーのソフトがないかと探しているうちに、Open Officeというフリーでオープンソースの総合ソフトを思い出した。サイトへ行って確認してみると、ワープロのWriter、表計算のCalc、図形描画のDrawソフトのほかに、Impressというプレゼンテーションソフトが入っていた。ほかにもデータベース、数式エディター、ホームページ作成HTMLエディターも備えているようです。これが全部フリーでオープンソースというのがすごい。しかもMSのOfficeと互換性があるとか。
 早速ダウンロード&インストール。
 プレゼンテーションは案外簡単にサンプルを作成できましたが、作ってもプロジェクターが無いことには始まらないのでここで終了し、ワープロ・ソフトであるWriterを起動してみました。Wordとどれくらい違いがあるか、ことにレイアウトがどれだけ思う通りに指定できるか、いろいろ試行してみました。
 頁(書式)設定でことに大事な字間設定がちょっとうまくいかない部分がありますが、エクスポート機能でPDFファイルへの書き出しが出来るのは魅力です。
 もう少し、時間をかけて研究してみましょう。

2007年2月24日土曜日

迷走

 昨日から現実生活でゴタゴタ。親戚間の電話往来頻繁。
 密葬もいいが、それでは多くの人に亡くなったという認識が為されないではないか。
 大げさにする必要はないが、別れの焼香くらいはあってもいいだろう。
 
 今日はまた、午後、仕事上の同業の組織の解散会。当然、酒なのだが、車では行かれずJRで行く予定だったが、酒を飲まないひとが車を出してくれたので助かった。いろいろな業界団体の組織がガタガタになっている。
 
 そんなこんなで、今日7&Yに入荷しているはずの『フロイト先生のウソ』を受け取りに行かれず。
 フロイトやユングに眉唾しながら、なぜかジャック・ラカンも気になってネット、Wikipediaなどで検索。家人が一冊所有しているというが、送付されてきた多くの詩集の平積みにまぎれて発見できず。
 ひとの本はあてにせず、新書の入門書を一冊、これは田舎書店でも棚にありそうなので、明日書店で探して見る予定。
 いまさらではありますが、文学から離れた迷走ではあります。

 「汝自身を知れ」が、「汝自身の空(くう)なるを知れ」でもあるとして、では空を知ったその先は?

2007年2月23日金曜日

禁断の扉なんちゃって

 廣津里香詩画集『黒いミサ』を探し出すために、戸棚のような場所へ古い本を平積みにしたまま放置してあった、その戸を開いた。
 古井由吉の『杳子・妻隠』、『櫛の火』が出てきた。無論、当時の単行本である。ぱらぱらめくってみて、あ、この頃の古井由吉はこんなによかったのだと再確認。村上春樹に通じるものを感じたりして……。
 それからミシェル・レリスの本がなぜか4冊、桃源社版の澁澤龍彦集成が4巻(全巻揃いではないのか?)、同じく澁澤編集の立風書房『暗黒のメルヘン』。ホレス・ウォルポールの『オトラント城奇譚』まで出てきた。
 それから自分でも驚いたのが、第二版ではあるけれど澁澤龍彦訳、薔薇十字社刊のジュール・シュペルヴィエル『ひとさらい』(本邦初訳)が、函を包むセロファンは変色しているものの、帯も購入当時のまま、出現したのには驚いた。買ったことも持っていることも失念して、しばらくまえにジュール・シュペルヴィエルの文庫本『海に住む少女』を読んだのに、それでも思い出さなかった。購入したまま読んでないのです。積読もこれだけの歳月になると自分のことながら感心してしまいます。
 この機会に是非読みましょう。
hitosarai.jpg
 ちなみに検索してみたところ、大和書房版もあり、薔薇十字社版の方は4000円から20000円。でも数は結構出ています。

2007年2月22日木曜日

タブブラウザはブログ書きに最適

 今夜はタブブラウザSleipnirでブログを書いて見た。
 そしてブログを書くのにタブブラウザが便利ということが判明した。なぜかというと、ブログを書いているタブのほかに、リンク先などを検索するのに別のタブを複数開いてリンク先のURLをコピーし、それからまたブログを書いているタブへ戻ってペーストという作業がごく自然に出来る。
 別のタブでMP3やWMAなどを聴きながらということも出来る。
 以前はタブブラウザというとむやみにタブが開きすぎてうるさいと思って敬遠していたが、そうでもない利点に納得しました。
 そういえばFirefoxもタブが開けるし、IE7にもタブ機能がついたのでした。しかし後者はベータ版の時に入れてみてひどい目に遭ったので、ちょっと入れる気にならないのです。
 IE6、Firefox、Sleipnirと三つもあってちょいとややこしいですが、もうしばらく使って慣れることにします。

 明日の午後一時は、焼香のみだが、親子二代にわたってお世話になった秋山さんの葬儀。こうして知っているひとがひとりずつ居なくなって、娑婆が狭くなっていきます。

ルイス・キャロルのたくらみ

ルイス・キャロルの『スナーク狩り』の原文を載せているLiterary.org-Tha Online Literature Libraryというウェブ・サイトをみつけた。
��と思ったら元のテキストはProject Gutenbergのものと断り書きがあった。時間に余裕があれば、Project Gutenbergにどんな作家、作品が収録されているか、ゆっくり巡回してみたいものだ)

 といっても『スナーク狩り』については、いい翻訳(原典対照 ルイス・キャロル詩集―不思議の国の言葉たち (ちくま文庫)
があるので、またぞろ自分で翻訳してみようなどという気にはさらさらならない。
以下は最終の4連。
"It's a Snark!" was the sound that first came to their ears,
And seemed almost too good to be true.
Then followed a torrent of laughter and cheers:
Then the ominous words "It's a Boo-"

Then, silence. Some fancied they heard in the air
A weary and wandering sigh
Then sounded like "-jum!" but the others declare
It was only a breeze that went by.

They hunted till darkness came on, but they found
Not a button, or feather, or mark,
By which they could tell that they stood on the ground
Where the Baker had met with the Snark.

In the midst of the word he was trying to say,
In the midst of his laughter and glee,
He had softly and suddenly vanished away---
For the Snark *was* a Boojum, you see.

 以前も書いたが、ほんとうに声に出して読みやすい。

 それにしても、これも以前書いたことだが、登場人物の名前のイニシャルがすべてBというのもルイス・キャロルの意識的なたくらみだろうが、どこかにそのことについて言及した論文などないものだろうか?

2007年2月21日水曜日

フロイト先生のウソ

 昨夜は不意のお誘いで久々の夜の外出となり、帰宅が遅くなりました。


 数年前に、『危ない精神分析―マインドハッカーたちの詐術』という本と、『フロイトはコカイン中毒だった―虚構の神話』という本を読んだことがあり、ちょっと調べたいことがあって検索していたら、また面白い本をみつけた。

フロイト先生のウソ (2003年1月の刊であるが、知らなかった)

freud.jpg

出版社/著者からの内容紹介
多重人格者なんて存在しない。心理学のウソをあばく!
精神病や神経症は心理療法で治るのか? 人間心理のメカニズムはそんなに単純ではない。フロイト以降の通説、俗説を一刀両断する

内容(「BOOK」データベースより)
アダルトチルドレン、買い物依存症、燃え尽き症候群…心の不調を感じたら専門家のカウンセリングを受けるのが常識といわれる。しかし、その常識、ちょっと待っていただきたい。あなたは“心理学業界”の術中に陥ってはいないか。「心理療法にはおまじない以上の効き目はない」と喝破し、“業界”から目の敵にされた著者の問題の書。


 面白そうというか、先の二著も痛烈な反精神分析、反フロイトの書だったが、そのからみもあるので7&Yに注文。

2007年2月20日火曜日

怪しいと思ったら

 RSSリーダーのキーワードに「文芸誌」を登録してあるのだが、なぜか「文芸誌」という言葉などどこにも見当たらないにもかかわらず、アダルトなページへのリンクが張ってある怪しいブログが頻繁にひっかかってしまう。
 ヘンだなと思ってブラウザの「編集」→「すべて選択」を実行して見たら、ありゃありゃ、妙に余白の多いページだと思っていたら、何と、そこにずらずらっと人名やらさざまな言葉が書き込まれているではありませんか。それも「白背景」にフォントカラー白で書かれているので、ちょっと見には真っ白なのですよ。
 余りに多いので確認はしませんでしたが、多分「文芸誌」という言葉も書き込まれているのでしょう。
 これは明らかにRSSリーダーなどのキーワード検索にひっかかるように意識的、故意に仕掛けられているものです。半ば感心、半ばあきれ返ってしまいました。よくもまあ、考えるものですね。

2007年2月19日月曜日

下界は雨

 一昨日は天気がよかったのでカモシカのこどもばかり五頭の集団と遭遇したが、今日はまたかような光景の中をドライビング。
 
tatesina070218.jpg

 使用していなかった掲示板を使えるように整備して、誰もが入ってはかなわないので一応パスワード制限をかけることにしたが、それも考え物なのでそのまま放置してもう少し考えよう。
 ついでにブラウザSleipnirをまたインストール。今回は使い方が呑みこめるまでそのままにしておこう。標準ツールバーに「ページの日英翻訳」と「ページの英日翻訳」ボタンがついていることに気づいたので、アホウながらこのブログを日英翻訳にかけてみた。一見、結構な英語になっているように見えるが、さて? あ、よく見たらExcite翻訳=BizLingoでしたが、英日はともかく日英はセンテンスが短くて単純な文体だとそこそこ英文になりますな。

2007年2月18日日曜日

惰眠

 ここ数日、頭が重いような、眠いような。
 眠っても眠っても眠いので、読み書きする意欲が相当減退。
 脳の血流が相当停滞しているのか、この地方でいちばんの総合病院のホームページで脳ドックについて読んでみました。
 脳ドックは日帰り出来るようだが5万円近くかかる。瞬時にそれで買える本のことを考えてしまいました(^_^;)

2007年2月17日土曜日

2005年3月18日のメモ

 情動性の強い人物は小説にインパクトや波を立ててくれて興味深い存在かもしれないが、現実に身の回りにいたら、ただただ疲れるだけである。
 たとえば情動性の強い母。それを娘が客観的に見ている。それだけで小説が書けると思って、以前メモをしておいた。
 村上春樹が、やはり簡単なメモをプリントアウトしておき、それを引き出しに一年とか数年とか入れておいて、やがて書き始めると案外一気に書いてしまうとインタビューで語っていたので、なんとなくメモを出して読み直してみた。
 これは多分、井上光晴の短編集『誰かの関係』に収められた「お菓子の時間」のような作品を念頭に置いていたと思うのだが、情動性の強い母親という点で井上光晴の作品のような微妙なバランスをとりにくい事が明らかだ。
 本来は理知が情動の無限定な発動にブレーキをかけていて平穏な生活ができるはずだが、情動がクーデターを起すと理知などというものはどこかへ雲散霧消してしまう。
 そうなると家族、友人、知人、だれ構いなく騒動に引きずり込んでしまうのだが、困ったことに理知がどこかへ消し去られてしまっているので当人には周囲に迷惑をかけているなどという簡単な認識さえ出来ない。
 娘はそれを客観的に見ているので、そんな母親の狂態を見てひそかに苦悩している。 
 そこから先、娘は母をどう処遇するか。その選択肢が案外多すぎて、メモのまま放擲しておいた。
 家を出るとか、母を刺すとかいった「行動」的な選択肢は小説としてすでにあまりに古典的すぎ、今では恥ずかしくて使えない。母以上に情動的に生きるというのも昔流行った小説のタイプである。そういった典型的な行動的選択肢ではない選択肢が欲しい。
 少なくとも、この娘には自分が現にかく在るという現象や理由を「母親のせい」にだけはして欲しくない。人間の存在理由は「他者」の下にあるのではなく、「自分自身」のなかにあるのだと、そういう認識に至る方向性だけは確保したい。
 人間というのは、何かにつけて自分の現在在《あ》る姿を「ひとのせい」にしたがるものだから、これが結構むずかしい。いずれにしても認識によって母を乗り越えるという方向性でしか解決の方法はないような気がするが、ただそのまま書いては素っ気なく、つまらないものになってしまう。


 あれから、ほとんど前進していませんね。
 今日はまた午前中にすずらん峠往復ドライブ。帰宅後、夕方のTVニュースを見たら、女神湖手前を北に入った林道で東京で行方不明の女性の遺体が発見されたと。だいたいの場所の見当はついたが、また日曜日にあそこを通るんですが……。

2007年2月16日金曜日

 先日入手したフォーレの歌曲集を聴きながら、ギリシア悲劇などにも想いを馳せつつ思い知った。
 やはり、「神は死んだ」と誰かが叫んだ以前と以後とでは、世界それ自体が、同じように見えていても実は別物なのだ、と。
  
 毎月15日定例の赤提灯の飲み会から帰宅後、フォーレの歌曲集から1曲をwmaファイルにしてパソコン内に保存。これでいちいちCDを入れなくてもwmaアイコンをダブルクリックするだけで聴ける。物を書きながら聴ける。My Musicフォルダを開いたら、いつ取り込んだか、ボリス・ヴィアンの「僕はスノッブ」の全曲がそこに保存されていたので何曲か聴いた。
 ちなみにヴィアン自身の声はあまりいい声とは言えません。
 ヴィアン作詞のシャンソンを聴きたいと思って検索したが、試聴が出来ない。残念。
 
 そういえば以前もここで紹介したが、ジャック・プレヴェール作詞のシャンソンを集めたCD、あれも欲しい。
 ↓この豪華な顔ぶれが歌っているシャンソン全部がプレヴェール、これを買わないと後悔するw。
1. 枯葉(イヴ・モンタン)
2. 愛し合う子どもたち(ジュリエット・グレコ)
3. 魔性 驚異(ミシェル・アルノー)
4. 子どものための歌、冬(フレール・ジャック)
5. 校門を出たら(イヴ・モンタン)
6. 書取り(フレール・ジャック)
7. 二匹の蝸牛葬式に出かける(リス・ゴーティ)
8. そして祭りはつづく(セルジュ・レジアニ)
9. 割れた鏡(イヴ・モンタン)
10. ウタ(イヴ・モンタン)
11. 五月の歌(ファビアン・ロリス)
12. 昼も夜も(フランソワ・ル・ルー)
13. 雪掻き人夫のクリスマス(カトリーヌ・ソヴァージュ)
14. ブロードウエイの靴磨き(イヴ・モンタン)
15. ノックしてる(カトリーヌ・ソヴァージュ)
16. あんたがねてるとき(エディット・ピアフ)
17. ひまわり(イヴ・モンタン)
18. 私は私 このまんまなの(ジュリエット・グレコ)
19. キスして(ジュリエット・グレコ)
20. 心の叫び(エディット・ピアフ)
21. 一生が首飾りなら(リオ)
22. 夏だった(リオ)
23. 恋歌(ゼット)
24. 昼間通りと天国通りの街角で(リオ)
25. バルバラ(イヴ・モンタン)
26. 枯葉(コラ・ボケール)


2007年2月15日木曜日

幻のボリス・ヴィアン傑作戯曲

 デジカメやスキャナーの画像を収納している「画像」フォルダのサイズがだいぶ大きくなって来たので、少し整理をしていたら、ボリス・ヴィアンの『屠殺屋入門』を初めの見開き4頁分をスキャンした物が仮想フォルダから出て来た。
 文芸誌「海」1970年11月号「特集 ボリス・ヴィアンの世界」に生田耕作訳で掲載された。後年、奢灞都館(サバト館と読む)から単行本で出たが、今や希少本でなかなか見つからないし、たまたま出てきたと思ったら何と3万円(!)もしていて、にゃんとその古書店がまた私の不倶戴天の敵である「古本H堂」なのでR。ウァーン・゚・(ノД`)ヽ(゚Д゚ )ナクナ
 と思ってもう一度検索したら、もう売れてしまったのかヒットしませんでした(泣く)。
 と思って別の検索をしたら、新たに18,000円のがヒットしました! これは買い時、でも18,000円! ああ、頭がヘンになりそう~~です。って、でも取り敢えずは手持ちの、酸化しつつある総合文芸誌『海』で読めるのだから、そんなに欲しがらなくてもいいんですが……私、実は、B・ヴィアンとA・ジャリのオタクなのでした、(*^_^*)

 以前も書いたが、ジャリの『ユビュ王』に迫って決して負けていない、ヴィアンの最高傑作戯曲であるにもかかわらず!早川書房の「ボリス・ヴィアン全集」にも収録されていないのが不思議なのである。 いずれにせよ、この題名のままでは再刊も復刊もありえないが。
 

 画像をクリックすれば拡大表示されます。

tosatuyanyumon1.jpg

tosatuyanyumon2.jpg


 そういえば、RSSリーダーにキーワードを拾われて見に行った、どうやらフランスにお住まいの女性のブログに
……ボリス・ヴィアンは 妻をサルトルに寝取られた。
日々の泡には ジャン・ソオル・パルトルという哲学者が登場するが、サルトルの大著『存在と無』(レートル・エ・ル・ネアン)は、綴りを変えて『文字とネオン』(ラ・レットル・エ・ル・ネオン)になっている。
ボリス・ヴィアンのささやかな抵抗である。……
という記事があった。
 知っている人は知っているが、知らない人は知らないエピソードである。こういう風にストレートに書かれてしまうとなぜか酷薄な気分になってしまう。その最初の妻が美人なのです。
 古い記事ですがここに、そう思って見ればとても悲しい一枚の写真。


 先日入手したフォーレの歌曲集を聴きながら、ギリシア悲劇などにも想いを馳せつつ考えたのは、やはり、「神は死んだ」と誰かが叫んだ以前と以後とでは、世界それ自体が、同じように見えていても実は別物なのだ。
  若いひと並みに、ipodが欲しくなりました)

久しぶりに

 山川方夫の『親しい友人たち』(講談社文庫・絶版)を枕元に置いている。23篇の掌編、短編が収録されていて、すんなり入眠出来ない時などにちょっと読むのに適している。
 この本を読んでいて、誰かの書くものと同じ感触があると思ったが、先ほどこのブログではなくウェブサイトの方のトップページで紹介している中嶋たかし『二十一の物語―ある官能小説家の余技』だと判った。山川の「カナリヤと少女」と『二十一の物語―……』には同じ最上のリリシズムが流れている。
 そうか、中嶋氏も山川方夫を愛読していたのかもしれない。彼は福岡で塾の講師をしているはずだが、それ以上詳しいことは知らない。『二十一の物語―……』を送ってくれたのは才能ある小説の書き手だったが、彼女も体調を崩して福岡に戻ったままだ。今となってはふたりとも連絡の取りようがない。
��それにしても九州、福岡には優れた書き手を生む土壌があるようだ)

 

2007年2月14日水曜日

Crossroads Blues=十字路の憂鬱?

asama070213.jpg (クリックすれば原寸表示)

 駅東の信号が赤なので停車したら浅間山が見えた。信号が長いのですかさずパシャ。ちょっと浅間が遠かった。
 いつもは山だけ写していますが、たまにはこういう町なかからのショットもいいかなと。
 今はこの手のカメラでも結構鮮明に写りますね。しかも、写り具合をいろいろ調整も出来て、しかも簡単な動画も残せる。

 それにしても暖冬です。どこでこのしっぺ返しに遭うか、それが問題です。

 またロバート・ジョンソンの曲を試聴し、一枚CDを購入したいと数多い中から見当をつけたが、できれば1枚でなく3枚購入した方が得なので、もう2枚探してからにする。
 ギターひとつで歌っている、1930年代の録音であるからこその、実にシンプルなBlues。もともと21曲しか残されていなくて、同じ曲の別録音も含めて41曲しか残っていない。
 それほどギターが上手でなかった青年が忽然と姿を消し、再び現れた時には、悪魔に魂を売り渡して手に入れた、と噂されるほどギターの腕を上げていたという。
 
Crossroads Blues
Terraplane Blues
Walkin' Blues
32-20 Blues
Kind Hearted Woman Blues(優しい心根の女のブルース?)
Preachin' Blues (Up Jumped The Devil)
Traveling Riverside Blues
Milkcow's Calf Blues
Me And The Devil Blues
Traveling Riverside Blues

2007年2月13日火曜日

消息

 昨年末からか、今年になってからか、RSSリーダーに登録している50くらいのブログのうち、更新されないブログが相当に増えたような気がする。

 三年前から愛読していたブログでさえ、1月終わりころから全く更新されなくなった。このひとは、一昨年夏にも家を追い出され神社の床下に一ヶ月くらい暮らしたくらいのひとなので、またホームレスになっちまったかと心配である。あの時はブログに「大丈夫?」とかコメントを書き込むと、図書館のパソコンから「大丈夫です」とかレスがあって妙に楽しくはあったが、実際はコンビに裏手のゴミ箱から拾ってきた弁当を二日も食べていると中毒が心配になったり、中学生に神社の床下から引きずり出されて乱暴されたり、結構スリリングであった。しかし、今は冬でホームレスはきついだろうし、彼もまた今は小説を書くのに集中しているのだろうと類推している。さる商業誌の文学賞の最終選考の3作品に残った人物なので、いよいよ腹をくくって書き始めたのだろうと。

 今日、やはり危惧していた通り、詩のようなものを送りつけられてしまった。デジタル文学館を投稿サイトと勘違いして紹介したブログを見てのことと思うが、挨拶も自己紹介もなく「詩のようなもの」だけが送信されて来た。
 名前とアドレスは入力されていたが、嘘かほんとか、アドレスは名だたるW大学内である。
 一応、「こちらは投稿サイトではありません」という断り書きに、ビューヒナーの「ダントンの死」の中の昔話を添えて返信しておいた。
 そして、メールフォームに「挨拶も自己紹介も無いメールはスパムか不審メールと判断して開かず削除します」という一文を追加した。

2007年2月12日月曜日

音の無い場所で書く?

 午前11時頃、明日かと思っていたHMVの品物が配達される。
 フォーレの歌曲集もピアノ曲集もCDが4枚。やはり輸入盤は格安であるが、当然のことながら日本語表記ではない。仕方なくHMVから日本語タイトルをコピーしてケースに収まる大きさにプリントアウトした。
 音楽CDをパソコンで聴くこともあるが、たいていは気に入った曲だけパソコンに移して再生するくらいでCD全部を聴くことは先ずない。
 このノートパソコンは安物のせいか、CDの駆動装置の音がブーンブーンとうるさくて、ものを書きながら聴くのには適さないのです。
 そこで、一昔前のCDラジカセを引っ張り出したが左のスピーカーの音が出ない。CD、FM、カセットなどの切り替えスイッチをガチャガチャやっているうちに左右から音が出るようになった、何ですかこれ。
 それでようやくフォーレを少し聴いてみる。Nさんおすすめの「「この世のすべての魂」(このCDのHMVのノートでは「この地上ではどんな魂も」)を聴いてみた。これは、休日の朝食後に聴くのが最適。ソプラノの二重唱、いいです。
 それからピアノ曲集の舟歌をいくつかと、「3つの無言歌」を3曲全部聴く。フランス語では「無言歌」をRomances Sans Parolesと書くのを知りました。

 今はグールドの「フーガの技法」をかけています。数日前にパソコンで聴いてみた時にはチャチな音でこれは聴けないと思い、ヘルムート・ヴァルヒャのオルガン盤にしようか、弦楽にしようかと迷いましたが、図体のデカイCDラジカセで再生してみたら、まあまあいいではありませんか。あとはCDラジカセと自分の間の距離をどれくらいとるかとボリュームの調整です。うるさすぎず、さりとてあまり聴こえなくてもいけない。
 いちおう、「フーガの技法」でいきます。本当はクルト・レーデルの「音楽の捧げもの」の最後の「無限カノン」だけをパソコン内にwmaかMP3で取り込んで、HTMLファイルにそれを貼り付け、再生をrepeat指定にしてブラウザで再生すれば、閉じるまではずうっと同じ曲が流れっぱなしになる。バッハ、ショパン、グールド、何人かのお気に入り曲をそうしてHTMLにしておいて、たまたま開くHTMLを替えればいい。
 (おお! ある中古ショップで955円の中古CDを発見しました。)

2007年2月11日日曜日

カード嫌いの不都合

 昨夜のうちにHMVより「在庫確保と代金払い込み依頼」のメールが着信していた。
 頑固にカード嫌いを通している身の上なので不自由きわまりないですが、ローソンでの支払いにチェックを入れておいたので、早速ローソンに行き、Loppiなる端末で支払い手続きをする。これで明日発送、明後日配達となるか。
 しかし、今になって3つ目のCDの選択をRobert Johnsonにすればよかったと後悔。仕方ないので「試聴」を聴いたが、ちょっと短すぎる。
 やはり音楽もネットでダウンロードする時代ではありますよね。
 VECTORでパソコン・ソフトをダウンロード販売で購入する時もコンビニ払いを選ぶのですが、ここは猛烈に早いです。コンビニで支払いを済ませて自宅に戻り、パソコンを起動してメーラーを開くと「お支払いありがとうございます……」と言うメールが着信していて、購入したソフトのアクセス・キーが記されているのですぐにインストール出来てしまいます。
 
 《カード嫌いだとAmazonのマーケットプレイスに出た古書も買えないのですよw、(ーー;)  》

2007年2月10日土曜日

脱力

 今日は昼間の仕事がややハードだったせいか、脱力&眠い。

「The Habit of Being : Letters of Flannery O'Connor」 (1979年. サリー・フィッツジェラルド編)の翻訳がいよいよ出る。
「The Habit of Being 」の Beingを「人生」とせずに「存在すること」としているが、この方がいい感じだ。「人生の習慣」ではあまりに真っ当すぎます。
存在することの習慣 フラナリー・オコナー書簡集
著者/訳者名 サリー・フィッツジェラルド/編 横山貞子/訳
出版社名 筑摩書房 (ISBN:978-4-480-83643-4)
発売予定日 2007年02月22日
予定価格 4,410円(税込)

 価格もさることながら、あちこちのウェブショップで「予約」制をとっているのが気にかかる。余りのんびりしていると買いそびれるかもしれない。

 Lydwineさんのパソコンがどうなったか、私も昨年五月にハードディスクがクラッシュした身の上ですから、とても心配です。

2007年2月9日金曜日

雑事雑念猛烈多忙

HMVにIDを登録。
「フォーレ歌曲全集」 アメリング(S)スゼー(Br)ボールドウィン(p)(CD4枚)
「フォーレピアノ作品集」 ジャン=フィリップ・コラール(CD4枚)を注文。
輸入CDを3つオーダーすれば25%引きに釣られて
「グレン・グ-ルドをめぐる32章」(Gould 32 Short Films About G.gould)のサウンドトラック版を追加。

合計でCD9枚だからお買い得ではあります、(^_^.)

2007年2月8日木曜日

一喜百憂

 今日も☆レコードからは音沙汰なし。ネットで3日もあれば品物が届いてしまう時代に、二日も音信がないのは致命的。しかもサイトに行って検索してみれば、いまだにミュンヘン・プロ・アルテ室内楽団の『音楽の捧げもの』があるのである。腹が立って来た。

 家人に頼まれた岩波文庫のノヴァーリス『青い花』がメール便で到着。表紙にセロファンをかけ、丁寧な包装なのがうれしい。
 同じ『青い花』でもレーモン・クノーの本が見つからない。出るのは『地下鉄のザジ』ばかりと思っていたら、あった。あったが、それはまたしても、2月1日に書いた、私の探している本ばかり持っていて高価な価格を付ける不倶戴天の敵であります女性店主のネット古書店でありました。価格は14,000円なのでありますmmm。
 『はまむぎ』と『イカロスの飛行』はまだ入手できそうなので、今年のうちに何とかしないと。

 と書いて、もう一度クノーの『青い花』を検索したらもうヒットしない。誰かが買ってしまった?
 ああ、ネットなどやめてしまえば、こんなことに一喜一憂せずに読み書きだけに専念できるのに、とほほのほ。

2007年2月7日水曜日

音楽の技法&文学の技法

 やはり、昨夜の☆レコードから在庫確認メールが来ない。数日かかることもあるという断り書きはあるが、要するに自分のところには在庫が無いのでメーカー、または仕入先の在庫確認に数日もかかるということだろう。だったら100%、無い。
 仕方ないのでG・グールドの『フーガの技法を』かけてみた。グールドは『フーガの技法』を1番から9番までしか弾いていないが、これはちゃんとオルガンで弾いている。
 『フーガの技法』というと先頃のレーモン・クノーの『文体練習』を思い出してしまいますが、視点の固定が厭だとか駄々をこねていたら、ポリフォニーだの対位法だの音楽用語ばかりが頭の中をぐるぐる回り出してしまいました。
 未読ですがオルダス・ハクスリーの『恋愛対位法』もどうやら対位法を用いて当時としては実験的な試みをしたようですが、余り長い小説を読んでいる時間がないので、今はパスいたします。
 ポリフォニーだなんていっても、余り視点が多くなると読者だけでなく作者自身も混乱しそうですので、ここはせいぜい対位法を念頭に置くくらいでしょう。
 (でも過去に二つの視点同時進行のヘンな小説を書いたことがあったっけ(ーー;)、あの手は使えない訳だ)

 そういえばまた、グールドが製作したラジオ・ドラマ「北の理念」を思い出してしまいました。
 『グレン・グールドの世界』というNHKで放送された番組のビデオ・テープを探し出して、久しぶりに見ました。動物にも音楽が解ると言って動物園の象の前でグールドが歌を歌ったら、こちらを向いていた象横を向いてしまって、カメラがライオンや白熊の映像に切り替えられてしまったり、楽しい番組でしたが、フーガとか対位法についてグールドが解りやすく離していて、これも実に勉強になります。
 それから『北の理念』というラジオ・ドラマは同時に複数の人間がしゃべるのです。
 小説であれが出来ないか? まさか。
 どうも、グールド自身が同時にふたつ、みっつのことを進行させることができたようです。

 グールドのDVD、みんな欲しい。まだあるかどうか、検索開始!
 (うふふ、洞窟書房に並べてしまいました)
 

2007年2月6日火曜日

初午祭

 うっかりしていたら、今日は近くの稲荷神社の初午祭でした。わが家の前の道路は朝から夕方まで自動車が通行止めになり、歩行者天国です。昔に比べれば、人出が少なくなりました。

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町の東はずれの、川沿いの崖っぷちに懸崖造りで建てられた神社で、小学生時代は雨が降ると家を追い出され、この神社の拝殿や神楽殿で遊んでいたものです。

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眼下の川原では陽が落ちる頃に古い達磨の奉焼祭が行われます。

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* * * * * *

 昨夜のブログを書いた後でさらに検索を続行していたら、あるショッピング・サイトにクルト・レーデル指揮のバッハ「音楽の捧げもの」の新品CDがヒット。まさかと思いつつ行ってみると確かにある。そのまま注文すると、すぐに受注メールが自動返信されて来た。
 明日になって、「申し訳ございません。ご注文のお品は在庫がございませんでした。データベースの不具合により品切れ表示がされていませんでした」とかいうメールが来る確率70%くらい。30%は売れ残りがあったと言う可能性。

2007年2月5日月曜日

ネットで楽しく迷子

 HMVのウェブサイトに行ったら面白くて、あれこれ検索しているうちに時間が過ぎ、ここへ戻ってくるのが遅くなった。輸入版が多いので内容の確認に時間がかかるのである。
 クルト・レーデルの「音楽の捧げもの」が廃盤なのは間違いないので、中古しかないのを再確認。

 このブログの11月2日の記事に書いたことだが、フォークナーに「納屋は燃える(Barn Burning)」があり、村上春樹に「納屋を焼く」がある。
 最近、《納屋を焼く》や《納屋は燃える》での検索が目に付くと思っていたら、テレビ・ニュースで報道されていたが、東広島で複数の納屋に放火される事件があったらしい。フォークナーはともかく、村上版はこの放火事件と違和感がない。《焼く》と《燃える》ではまったく違うのである。

2007年2月4日日曜日

あっちこち、お門違い

 ブログではなく文学サイトの方がたまたまリンクを張られていることがあり、昨夜も張られたばかりのリンクを発見したが、どうもお門違いのサイトに張られて迷惑な感じ。ここ。こんな記事を読んで原稿を送りつけられたら困りますね。アフリエイトのために作られたサイトで中身は仕方なくでっち上げている感じがしないではありません。メールアドレスの表示もなけれればコメント、トラックバックすべて受け付けない設定になっています。
 ネットは自由なリンクから成り立っているという理念もありますので、放っておきましょう。
 昨夜、絶妙のタイミングで添付ファイルも送れるメール・フォームを設置したばかりだし。といっても実は同人のひとりに自宅でネット接続できていないひとがいて、ネットカフェなどから苦しんで添付ファイルを送信してくるものですから、ほとんど彼のために設置したようなものです。
 添付ファイルは一応、文学ウェブですから、doc(Word)、jtd(一太郎)、txt(テキスト)に限定しました。あ、pdfも指定しておこう。ほかにも、jpg、zip、lzh、mp3なども添付出来ますが、そういう必要が生じた時だけ設定を変えて有効化させることにします。
 自分でdocファイルを送信してみました。設定ファイルで日本語ファイル名でもOKという設定にしておいたのですが、送信出来ませんでした。それでファイル名が半角英数のファイルを添付したら送信出来ました。

 数えてみたらRSSリーダーに登録してあるブログが50を超えてしまっていて、また少々整理しなくてはいけませんが、それにしても最近、全体に更新が滞り勝ちな傾向にあるような気がします。結構マメだったブログが半月も更新されていないというのが複数あるのです。
 ブログを書き続けるのは意外とタイヘンなことで、勉強せずに書き続けているとやがて書き手の頭は空っぽになってしまいます。

 で、つまらないのでフランス在住の方のブログをひとつ登録。フランス在住の方とお近づきになればヴィアン、ジャリ関係の情報が仕入れられるとか、動機が少し不純でR(?)。

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 午後、7イレブンで7&Y発送のフラナリー・オコナー「賢い血」(須山静夫訳、ちくま文庫、620円+税)を受け取る。「1999年、第一刷」だがまだ在庫がある。十年がかりか。けれどもうそろそろ危なそうなので確保しておこうと。 オコナーの長編は二作だが、もう一作が1971年に出たまま再版されないので超入手困難。とにかく確保できる本は確保しておかないと。ビューヒナーみたいに高い本を買ったら文庫本が出たみたいな悲哀もありますが、それはまあ仕方ないこと。

 視点をひとつに固定することについて、自分が相当強い不信感を抱いていることが判明。もう自分の頭が完全に小説向きでないと観念せざるを得ず。これも相当に厄介なお門違い。 

2007年2月3日土曜日

今夜も逸脱

 メールフォームのCGIをあちこち見て回っているうちに、添付ファイルまで送れるメール・フォームを発見し、思わずダウンロードしてしまいました。
 現在、ネット環境になくてネット・カフェから原稿をメール添付して送信してくる人がいるものですから、つい、あ、こんなのがあったら便利、とか思いまして。
 それをCGIサーバーにアップロードしてパーミッションも変更し、テスト送信してみたら文面が文字化けしていたり、いろいろ調整に手間取ってしまいましたが、一応は完成しました。それをふたつのサイトとひとつのブログにリンクを張って終了。
 本当はメールなどほとんど来ないので不要なのですが、それでもたまたま海外からとか、同人として参加したいとか、可能性としてそういう大事なメールが来ない訳でもないので、リンクを張っておくのです。
 ただ、このメールフォームは添付ファイルも送信できるという優れものなので、その機能も設定したいのですがデフォルトではないので、自分でHTMLを書き換えしなくてなりません。それが良くわかりませんので、また明日。 
 
 配偶者が「セロリと大根とニンジンのピクルス」、「チーズのオリーブ・オイル漬け」とやらを買って来ました。「チーズのオリーブオイル漬け」は、にんにく・バジル・唐辛子にごく普通のプロセスチーズのサイコロ切りが漬けてあるもので晩酌のおつまみに最適ですが、はたと閃いたのが「セロリと大根とニンジンのピクルス」ならぬ、「セロリとヤーコンとニンジンのピクルス」。先日の「セロリとヤーコンとニンジンの醤油漬け」もいいですが、ピクルスはもっといいかもしれません。

2007年2月2日金曜日

落胆の海の底

 仕事中にちょっと時間が空いたのでBオフと古○市場に寄ってみた。
 期待はしていなかったが、案の定、購入意欲をそそるもの無し。
 田舎は純文学系の本はきわめて少ない。たまたまブログに掘り出し物を記されているひとがいるが、うらやましい限り。

 ネット上では、Amazonに長いこと探していた本がようやく登場したが、何と30,000円という価格が付けられている。いくら何でも買えませんよね、意地でも買いませんよね、ウァーン・゚・(ノД`)ヽ(゚Д゚ )ナクナ。
 ほかにも、欲しくて検索していた本が現れたが、日本の古本屋で10,000円、スーパー源氏で13,000円。このスーパー源氏の13,000円のを持っているネット古書店は、私が検索する先々で遭遇する不倶戴天の敵である。まるで私が欲しい本を知っていて、先回りして買ってしまっているみたいで、悔しいような、よく勉強している感心させられるような、でも、泣けてきてしまいます。このネット古書店、経営者名を見たら女性でした。参りました。

 気晴らしにここへ行ってみたり、ここへ行ってみたり。前者にはフラナリー・オコナーの家の写真が見られたり、Gift Shopまであっていろいろ思いもかけないグッズが並んでいた。これにはフラナリーも草葉の陰で苦笑いしていそうです。

2007年2月1日木曜日

いつから

 そういうことになったのか、ウィルスバスターが同じ家庭内なら3台まで同一のシリアル番号でインストール出来ると書かれているのに遭遇。
 そんな通知いただいていませんが、意識的にこっそり告知しているのでしょうか。
 ネットに繋がっている3台のうち、このパソコンだけにウィルスバスターが入っていて、古いデスクトップと配偶者のノートパソコンには入っていない。配偶者のメールアドレスはプロバイダのウィルス検索を契約してあるが、それだけでは心配だったので、これ幸いとウィルスバスターをインストールしてみました。
 それでもう時間切れになってしまいました。