2007年9月30日日曜日

腰が痛い

070929inekari.jpg


 本日は突然、自家用水田の稲刈り。次の土日を予定していたんですが、7日に伯母の法事があるのを思い出し、急遽本日決行いたしました。
 相変わらずコンバインではなく、江戸時代と変わらぬハゼを作っての天日乾燥ですが、年々コンバイン派は増えていて、五年後くらいには相当珍しい光景になってしまうのでは。
 
 毎年書いているかもしれませんが、自家用米を作っていて、「せめて自分が食べるお米くらいは自分で作ります」といえば殊勝に聞こえますが、「人の分までは作りません」といえばものすごい傲慢になってしまいます。
 表現の仕方によっては、同じ行為でもまったく意味が変わってしまいます。
 これ、一事が万事。


 留守番を嫌がる母親が稲刈りについてきて、いっしょに作業をするものだから、面白がってデジタルカメラの動画撮影機能で撮影した。八十うん歳のスーパーばあさんの動きを見てもらうには動画が一目瞭然でよろしいかと。
 帰宅後、movファイルのままでは70MBもあり、またQuick Time Playerでなければ見ることが出来ないので、mpegファイルに変換した。するとファイルサイズも5MBちょっとに。
 それを2編、関東に住む弟に添付ファイルで送信したら、メーラーの設定がファイルサイズを限定しているらしく、はじかれてしまった。そこでやむなく、自分が借りているホームページ・スペースにアップロードしておき、そのURLをメールで知らせ、動画を見てファイルもダウンロードしてもらうことにしました。
 こんなくらいだったら、ブリーフケースにアップロードした方がよかった、(-_-;)  (あ、一度にアップロードできるファイル容量の上限が5MBだということですので、ひとつで5MBを超えているから、ここにはアップできないですね)
��??? そういえば、ソバ栽培記録写真を弟に見せるために借りたGoogleのウェブアルバム、Picasaにはビデオのアップロード機能もあるし、ファイルサイズの容量制限もないではありませんか。よし、Picasaにアップロードしてみよう。しかし、ADSLは下りに比べれば上りが遅いので、アップに時間がかかるだろう。やはり、この夏、フレッツ光の勧誘が来た時に加入して置けばよかったか)

 それにしても腰が痛い。半端な者ばかり3名で午後4時終了だからよしとしておきましょう。


 締め切りまであと一日!!
 まだ3頁で停止したまま動かない。
 久々に…… ウァーン・゚・(ノД`)ヽ(゚Д゚ )ナクナ

2007年9月29日土曜日

これはこれ

 「32 Short Film About Glenn Gould」につづいて、「Glenn Gould:Russian Journey」ファイル6分割と、「Glenn Gould : Bach Partita 6」ファイル3分割をダウンロード。
 こうなったら、やはり分割された動画ファイルを繋げるソフトも必要だ。フリーソフトがあったはず。いざVectorへ。

 しかし、雨が降りませんな=キノコが出ません=(泣)

2007年9月28日金曜日

感激

 今日はめでたくstage6を見ることが出来るのですが、いやあ、すごいです。
 画像がきれいだけじゃなくて音質もよくて、外付けのスピーカーをつけておいた甲斐がありました。こちらにもGouldがアップされています。
 しかも見るだけでなくダウンロードもボタンひとつで出来てしまい、それを「DivX Player」で再生したり、CD-RWやDVDに書き込み出来るようにさえなっているのです。その上、stage6には何と一時間半もの映画やテレビドラマまでアップされているではありませんか。©はどうなってしまっているんでしょう。
 ただし、画質、音質がいい分、ファイルサイズがデカイ。5分44秒の歌が何と57,7MBもある。うかつに映画やテレビドラマなどをダウンロードすると、パソコンがフリーズしそうです。

 やはり、ネットは時間や空間(国の相違)を超えるばかりでなく、法律さえ超えてしまうアナーキーさを所有しているのです。怖ろしくもあり、頼もしくもあり。

 DivXを入れたので、動画ファイル変換ソフトのmpegでなくて高画質なaviやwmvなどへの変換もできるようになったかもしれない。ということは、Windows Media Playerで見ることが出来る。

 昔、小説を一編書く間ずっとヘッドホンで音楽を聴きつづけていたことがあったが、今回はどうもうまく行かない。スピーカーから流しているせいか? やはりMP3プレイヤーを購入すべきか。

2007年9月27日木曜日

あいかわらず

 ダウンロードした動画ファイルの拡張子が.flvでWindows Media PlayerでもQuick Timeでも見れず、FLVプレイヤーというものをインストールしないと見れなかったり、デジタルカメラの動画撮影機能で撮ったファイルは.movファイルでQuick Timeで見れてもWindows Media Playerでは見ることが出来なかったり、どうも互換性がないので面倒くさい。
 一般的なWindows Media Playerで見られるファイルに変換出来ればと思って、フリーの動画ファイル変換ソフトをダウンロードした。しかし、wmaやaviには何度試みても変換できない。コーデックがどうとかで、要するに変換できないようだ。ただしそれより画質は落ちるmpegだったら変換出来た。画質が悪いということはファイルサイズはそう大きくならないということなので、とりあえずはmpegでいこう。
 YouTubuではなくstage6とかいう動画サイトは画質がものすごくいいというので行ってみた。確かに画像がきれいだ。ただし、このパソコンではスペックが間に合わないのか、ダウンロードしようとすると、固まってしまう。どんなに画質が良くてもこれではダメだ。Glenn Gouldの画質のきれいな動画があって残念なのだが、最新のパソコンを持っている人でないと見ることが出来ない。YouTubuでもかまいませんが。
 そういえば32 Short Films about Glenn Gouldの32編をすべてダウンロードしたつもりだったが、20番目がない。アップされていないのだ。そのかわりに32 Short Films about Elliott
なんていう1編が混じっている。仕方ないので20だけ抜きでCD-Rに焼いておこう。


 イギリスの種苗会社のカタログをネットで申し込んだら、来た。ただし分厚いカタログではなく、表紙込みで50ページの簡単なものだった。これならネットで見るオンライン・カタログの方がずっといい。


 締め切りまであとわずかだが、未だに停滞したままなのでもう間に合わないだろう。
 書いている自分が面白くないのだから仕方ない。これはもう頑固な病気である。
 あったことをあったように書くことも胡散臭いが、虚構にも別の胡散臭さがつきまとい、やっていられないという気分になってしまうのである。

在るものも在らざるものも見えるゆゑ殉ひてゆくべきものあらぬ

かく在らむかく在らざらむその<かく>が春の嵐に紛れてゆきぬ
                    「風に帰らむ」より
  
 

MYソバ畑より

070926asamayama.jpg

浅間山も何となく秋の気配

070926sobanomi2.jpg

ソバも白い花が少なくなり、だいぶ実の形が目立ってきました。

070926sobanomi3.jpg

珍しく立っている茎

070926sobanomi.jpg

褐色になったソバの実を少し、手で捥いで来ました。一粒、皮を剥いてみたら白いソバの実が出て来ました。これを挽けば更科、皮も少し混ぜれば田舎蕎麦風。
やはり少し石臼で手で挽いてみたいのですが、家にあった石臼は昨年大事な場所を割ってしまい、使い物にならなくなりました。どこかの家に石臼が無いか、あちこち声をかけてみよう。

来月半ばには刈り取り作業になるでしょう。

YouTubeで、Gouldの動画のすべてをダウンロードし、大橋純子の2曲をダウンロードし、ZARDの動画を見、聴きまくる。

2007年9月26日水曜日

歌っても踊ってもいけません

 昨日のS文化賞受賞者の歌集をぱっと開いたら
童話より童話へわたる少女ゐていずれは童話ならぬ世界へ
 という一首が目に飛び込んできました。
たった31音のなかに童話という言葉が3回も使われているのは、定型詩としてはむしろ絶対にしてはいけないことなのでしょうが、あえて意識的に、戦略的に3回使われているのでしょう。

 童話より童話へわたる少女ゐて
 いずれは童話ならぬ世界へ

 こう分かち書きすると立派な2行詩ですらあり、人間という存在への、今様に言えば痛い、けれども優しい想像力に満ちた歌ではあります。

そんなことを考えているうちに、また、『原典対照ルイス・キャロル詩集』(高橋康也・沢崎順之助訳 ちくま文庫)のなかの「ぼくの妖精」を思い出してしまいました。
 ぼくの妖精
ぼくについている妖精が
眠っちゃいけないって言うんです
あるとき怪我をして叫んだら
「泣いたりしてはいけません」

つい楽しくてニヤリとすれば
笑っちゃいけないって言うんです
あるときジンが飲みたくなると
「ものを飲んではいけません」

あるときご飯が食べたくなると
「ものを食べてはいけません」
勇んで戦に馳せ参じたら
「喧嘩をしてはいけません」

悩み疲れてぼくは訊く
「していいこと なにかあるの?」
妖精しずかに答えていわく
「質問してはいけません」

《教訓》汝……すべからず


 それならさしづめ、私の場合はこう言われるだろう。
 「歌っても踊ってもいけません!」
 なぜ?
 少なくとも散文を書く者はディオニュソス的であってはならない。
 そう思うだけ。

2007年9月25日火曜日

残念ですがいよいよ

 この地域出身、在住者限定の賞でしたが、25年で終わることになりました。
24sakubunkasyo.jpg

2007年9月24日月曜日

恐怖のなんばん味噌2007

 昨年は7月3日にブログに書いているが、今年は今日、恐怖のなんばん味噌製造にいそしむ。

 手順は昨年と同じだが、味付けに砂糖はやめて味噌と味醂だけにする。
 以下今年は横着をして写真で。

bananananban1.jpg bananananban2.jpg

 中辛バナナなんばんを洗って、切って、種を出し、適当に刻む。


bananananban3.jpg nanbanmiso1.jpg

 
 辛味成分を含む油煙を吸い込んでしまうとクシャミ、咳、鼻水などが出てタイヘンなので、低姿勢、及び腰でバナナなんばんを炒めてから、味噌を適当量投入。

nanbanmiso2.jpg nanbanmiso3.jpg

 
 味醂で味を調整し、出来上がり。
 これをいろいろなものに付けて食べます。今は米ナス、丸ナス、秋茄子などの焼きナスに付けると最高。



 明日は午後二時からこの地域のS文化賞の受賞式で、訳あって今は書けないが、ある事情によって久しぶりに出席しようという気持ちになり、配偶者とふたりで出席のハガキを出しておいた。
 ところが、Y書林のS田さんの奥様のお父様が亡くなられ、明日の一時から告別式となった。おふたりには私の父親の告別式で焼香に来ていただいているので、綱渡りになるが礼服を着て行って焼香させていただき、車で着替えて受賞式会場に直行という形になる。

2007年9月23日日曜日

ようやく草退治

が終了したので、写真を撮影できるようになりました。デジカメ忘れて携帯カメラ。


070922hatake1.jpg

手前から、野沢菜、落花生、発芽したばかりのほうれん草、ヤマゴボウ、ニンジン、ナス。


070922hatake2.jpg

手前から、キャベツ、ねずみ大根、下仁田ネギ。



 小説はとばくちで混乱したまま、なかなか前へ進まず。
 ひたすらグールド製作ののラジオ・ドラマ『The Idea of North』と、バッハの「王の主題による各種のカノン」をイメージし続ける。
 『The Idea of North』が収録されているVIDEOがあるのだが、新品は無論無く、結構高いので欲しいが躊躇。
 かつてNHKで放映された浅田彰がグールドを解説した番組のビデオテープを久しぶりに見てみた。
 YouTubeで検索したら、おお、『The Idea of North』の出だし部分を3分22秒聴くことが出来ました。ひょっとすると『32 Short Films about Glenn Gould』のうちのほとんどを、ここで見ることが出来る? あ、数えたらぴったり32のファイルがあるではありませんか! Wha! ここは宝庫です、すごい(けど、著作権問題を考えれば、これでいいのだろうか、YouTube)
 ああ、すべてダウンロードしてしまいたい~~~~。
 とりあえずは32のうちの10をダウンロード。
これはラジオ・ドラマなので音だけ聴いて下さい。

 それからかつて放送されたあの場面も。(これはビデオに収録してありますが)

 とりあえずはダウンロードしたflvファイルを自分が見れればいいのだから、先ずは、flvファイルを直接開いて見ることが出来るFLVプレイヤーをダウンロードしよう。
 ありゃ、The Life and Times of Glenn Gouldなんていう番組まで5つに分割されてアップされています。
Original Air Date: March 13, 1998.Life and Times is Canada's premier biography series on CBC Television
 思わず5つ全部ダウンロード。 

2007年9月22日土曜日

血の巡りが悪い

  昨夜、カナダのN君からメール着信。以前の予告通りに11月前半の2週間、帰省するという。東京からはやはり同級生のU君の車でこちらに向かい、3人で温泉で一泊、痛飲する計画とのこと。
 さて、どこの温泉がいいのやら。

 どうも頭のなかの血の巡りが悪い。肩と首筋にインドメタシンを塗ってみる。例の熱鍼治療器のお世話にならないとダメか。そんなに凝っているとは思えないが。頭が悪くなったのは歳のせい? ですよね。

2007年9月21日金曜日

落胆

 13日に見てきた釈迦シメジの様子を見に行ったが、落ち葉や枯れ枝で覆われたそこにはすでにシメジは無し。その後雨が降っていないのでそんなに成長していないはずだし、どうも踏み潰されたような、採られたにしては汚い感じ。
君ィ、山に入ったら、ようく足元を見て歩きなさい、ってば!

 その周囲にヤマドリタケが7~8本見られ、出初めのサクラシメジが6本ほど固まらずに散発的に生えていた。それでてっきりサクラシメジが出始めたかと思い、群生して出るはずのもう少し奥の山に入ってみたら、キノコの姿がまったく見られず。毒キノコさえ見当たらない。3ヶ所見たがすべてキノコの気配なし。
 この真夏のような暑さ。もう少し気温が下がって雨が降らないとキノコも出られないだろう。と思えばサクラが狂い咲きしたというニュース。

 インストールタイプのアプリ版Goo RSSリーダーをアンインストールし、代わりにWEB版のGoo RSSリーダーを借り、キーワードを登録しなおした。もともとGoo RSSリーダーは通常のRSSリーダーとして使ってはおらず、キーワード専用のRSSリーダーとして使っている。
 

2007年9月20日木曜日

念のための備忘

 Rhubarb forcerというのが名前。一昨日、写真つきで紹介した、女王陛下の国の家庭菜園で愛用されているらしい、植木鉢のようで植木鉢でない蓋付きの焼き物の名前である。日本語にすると「Rhubarb促成栽培器」とでもいうのか。Rhubarb自体、寒さに相当強いので霜除けや凍結防止だけが目的ではなく、促成栽培が目的なのである。焼き物で光線を遮るのがミソ(というか大ヒント)であろうか。(念のための備忘)

Rhubarbforcer.jpg

 しかしまあ、何とも珍妙な形。
 大きさは直径40cm、高さ60cm。
 日本の大きな瓶をひっくり返して被せておいてもいいような気がするが、この蓋は、時々、状況に応じて開けてあげなさいという意味なのだろうか。
 なるほど、こんなことが書かれていた。
Forcing rhubarb
ダイオウを促成栽培すること

Rhubarb crowns are traditionally planted in winter but need to be left for two or three years to establish before they can be forced. Put the forcer over the crown in winter and keep the lid on to protect it. Once the crown starts to shoot, We recommends taking the lid off to encourage the stems to grow towards the light.
彼らが促成栽培することができる以前確立するべき2あるいは3年間左である冬しかし必要に伝統的に植えられたダイオウ株。冬には株を越えて強制者を置いて、そしてそれを保護することを抑制せよ。一旦株が撃ち始めれば、光へ茎が大きくなることを奨励するために、ふたを取り外すことを勧める。

When a crown has been forced, leave it to rest for a year to recover. If you're serious about forcing rhubarb, you'll need two crowns to force in turn. A mulch of well-rotted manure in autumn when the leaves have died back will help them recover.
株が促成栽培されたときに、回復するためにそれを1年の休息に委ねよ。もし真剣にダイオウを促成栽培すれば、あなたは、今度は促成栽培するべき2つの株を必要とするだろう。葉が後ろの状態で死んだときに、よく腐らせられたことの根覆いが秋に肥料をやるAは、彼らが回復するのを手伝うだろう。

Seakale is forced in a similar way. Buy seakale as root cuttings or thongs and plant them in spring. Leave them to grow for at least a year before forcing in the same way as rhubarb. Seakale plants don't need to rest between forcings, but after three years it is usually a good idea to replace them. You can do this by taking root cuttings from the spent plants.
Seakaleは、よく似た方法で促成栽培される。根切り抜きまたは皮ひもとしてseakaleを買って、そして春に彼らを植えよ。ダイオウと同様に促成栽培する前に少なくとも1年のために大きくなるのを彼らに任せよ。Seakale植物は、促成栽培することの間で休む必要がない、しかし、3年の後で、それは、大概よい彼らを取り替えるというアイデアだ。あなたは、過ごされた植物から根にとって切断を要することによってこれをすることができる。
��注 … 日本語訳は、思わず笑える機械翻訳のまま)


 ちなみに三番目の段落に出てくるSeakaleというのは、ハマナ(浜菜?)で、青汁の原料であるkaleのようにキャベツに似た植物らしく、これもチコリやホワイト・アスパラガス、Rhubarb同様に根から出てくる芽を軟化して食用にする作物ということです。

2007年9月19日水曜日

あれ?

 コルタサルの小説を読み返したくなって家の中を探しまくったが、国書刊行会の『遊戯の終わり』と岩波文庫の『悪魔の涎・追い求める男 他八篇―コルタサル短篇集』しか見つからなかった。
 同じ国書刊行会の『遠い女 ラテンアメリカ短篇集』がどうしても見つからない。ネット古書店から購入した記憶は間違いなくあるのだが。
 などと書くと、本の整理も出来ないだらしのない人間みたいに思われてしまいますが、まさにその通りかも。不用の雑誌と単行本を整理して、何とか平積みを解消すればいいのですが……。
 そのかわりにメキシコの作家、フアン・ルルフォの『燃える平原』が出て来た。これは古書検索をしていて偶然に表紙・本文ともに汚れとかでムチャクチャ安い出物があったので確保したまま、やはり読まずに平積みのそのまた下敷きになっていたもの。
 あれ? この作家名、どこかで見た名前だなと思ったら、Lydwineさんが再版されたと書かれていた、岩波文庫『ペドロ・パラモ』の作者でした。
 しかもこの2冊しか発表できなかった寡作の作家。ずるずると何年も締め切り原稿を提出せず、編集人としてのみ余命を過ごして来た身にはずいぶん痛い共感を抱かずにはおられない作家ですが、少なくとも今月中は読まない=(正確には)読めない=そんなことはしていられない……。

2007年9月18日火曜日

何を言ってるのか判りますか

 相変わらず、タブブラウザSleipnirで付属の日英翻訳Biz Lingoと翻訳ソフト「王様の翻訳」の両方を使い分け、Googleの検索先を英国または米国に限定したりして、ネットサーフィン。Manchester Evening Newsの記事などを読んだり、検索ワードを工夫したら新たに興味深いサイトが見つかっって、早速bookmark。

 それにしても、このYouTubeの動画、この人物が何を言っているのかまったく聞き取れなくて(ーー;)



 ただし、終わりの方で、キッチンの生ごみ処理用に販売されているプラスティック製のコンポスト容器に似たものを伏せているのは、何をしようとしているのか解ります。「Forcing=促成栽培」のためです。多分、早春に伏せるのだと思います。

 どうもプラスティック製ではなく焼き物のようです。
forcedRhubarb.jpg

2007年9月17日月曜日

ヤマメとアマゴ

 夕方、近所の渓流釣りの好きなH樹君から、ヤマメを10尾ほど頂戴した。早速、大きめな3尾を塩焼きにして、先週、高知、徳島に出張した弟がひと箱送ってくれた「すだち」を絞ってかけ、おいしくいただきました。ごちそうさま。残りはとりあえず冷凍庫へ。
 それにしても、側面にオレンジ色の点々があるのと無いのがあるので不思議に思って検索すると、なるほど、オレンジ色の点々が無いのはヤマメだが、点々があるのはアマゴだという。ヤマメとアマゴの違い、渓流釣りをする人には常識であろうが、釣りをしない者には目からウロコが落ちる発見であります。これまでは全部ヤマメと思っていましたので、今後は、これはヤマメ君、これはアマゴ君と正しい認識をして頂戴することが出来ます。



 YouTubeにGlenn Gouldの動画があるかと行ってみたら、結構あって入り浸りになってしまった。 しかもこういう動画をダウンロードするフリーソフトも探して、ひとつダウンロードしてみたが、ファイル形式がflvという見たこともない形式。flvファイルをそのまま再生するPlayerをダウンロードするか、flvファイルをWindows Media Playerなどで見ることが出来るファイル形式に変換するソフトをダウンロードするかのいずれかだが、面倒なので今夜はやめた。
 YouTubeの動画のURLのwww.youtube……にohaを入力してwww.ohayoutube……とすればダウンロードできるというので、Glenn Gouldが動物園の象の前で歌う動画で試してみたら本当にダウンロードできた。
インターネットというものは、時空を超えさせるだけでなく、法も国境も無にしてしまう力を持っているものだなあとつくづく思い知らされた。

2007年9月16日日曜日

いよいよ花の盛りは過ぎ

0709150soba1800px.JPG

 倒伏したまま、花の盛りは過ぎました。

070915sobanomi800px.jpg

 花が散って実がつきはじめています。成長が早いです。それにしても台風さえ来なかったら……。まあ、収穫作業が困難になっただけで収穫が見込めない訳でもないし、よそのソバもみんな寝てますし。




 今夜は15日なのでこれから赤提灯へ……。多分、酩酊&撃沈。

2007年9月15日土曜日

ポンパ! (と一度だけ言ってみる)

 昨日購入した、うっかり手に取れば染まってしまいそうな表紙カバーがモリアオガエルみたいな色の本を、今、読み終えた。

 どうも人間というのは何を読むのにも自分に引きつけて読まざるを得ないが、私がいちばん身につまされたのは167ページの3行ちょっと。
 すべてはまぼろしだ。
 この世界のすべてが、もうすでに書かれてしまったもので、いまさら自分に何ができるだろう。できるのはそれを読むことだけだ。
 その書物から顔を上げること。そしてはるか天空をふり仰ぐこと。



 「ポンパ」と叫べば死ぬのではなく姿を消せる、というなら私も「ポンパ」と言ってみたいところだが、この小説の終わり近く、ポンパの張本人が書いた文章に「ポンパはすでに使い過ぎた。ポンパをやめよ。ポンパを投げ捨てよ」と書かれている。
 後に追記や付録があるものの、
叔父の行方は依然として判らない。…
というのがこの小説の一応の終わりで、行方は判らないまでも、ポンパにうんざりしてポンパをを捨てた叔父は、多分どこかでポンパもアサッテもないごく普通の生活をしているのであろうと思われる。
 ポンパもアサッテも、初めてのそれは世界中を敵に回してもいいくらい衝撃的で感動的であるが、二度、三度と繰り返してゆくうちに徐々に擦り切れてゆき、しまいにはポンパでもアサッテでもなくなってしまう。チューリップ男だって、ずっとチューリップ男ではいられないに決まっているのである。人生の一回性を考慮するまでもなく、チューリップ男がひとりきりのエレベーターの中で逆立ちしたり、チューリップの真似をしたり、性器を露出したりして意味があるのは、一回限りなのである。

 いつもは一冊の小説を読むのに十日も半月もかかる私が、この小説を買った日も含めて二日で読んだのには本人がいちばん驚いている。なぜか。
 アサッテの人である叔父というキャラクターにも注目したが、「私」が叔父の日記を使いながら小説を書くという構造が面白かったからである。無論、こうして作者らしき人物が小説の登場して何ごとか言ったりする小説が目新しい訳ではない。これまでも書かれている。
 第一、ここの書かれている「私」を作家自身とイコールなどと思って読むのは、小説が単にあったことをあったように書くものではなく、作中に書かれているように作為で成り立つものだとすれば、「私」はむしろ作家自身ではないと考えるのが妥当だ。
 それに、ここでの「私」が作者自身であれば、単にあったことをあったように書く小説に成り下がってしまうではないか。

 私自身も、書かれる人物たちだけでなく、書く人物を「わたし」として登場させようと試みたことがあった。しかも、その「わたし」が男性では書き手である「私」と同一視するような人がいるだろうから、「わたし」は女性に設定したのだった。だから、メタフィクションそのものを狙った訳ではないが、人称を固定して書き続けることに胡散臭さや苦しみを感じていた時期なので、それを回避する方法として書かれる人物たちを俯瞰して書く人物を、書く私とは別に設定、登場させようと目論んだのでした。結局は挫折して、日の目を見ていませんが。(深いため息) 

��今夜はいったんここでアップ)
 それにしても、読んでいる最中か、読了直後かに、ひとりでこっそり「ポンパ」とつぶやいてみる読者こそ、この小説の最良の読者であろう、な。
 あ、夕食後に疲れていったん眠った配偶者が起きてきたので、目の前で「ポンパ」と言ってみた。
「え? 何かおいしいものでも買って来たの?」 
 だって。
 これは手ごわいぞ……(ーー;)

2007年9月14日金曜日

気になる場所へ

 仕事で外に出たついでに書店へ寄って「アサッテの人」を購入。第一刷からちょうど一ヶ月後の第四刷。
 カバー全体が緑色で、何だかモリアオガエルみたいな本なので、いつもはカバーをかけてもらわないのだが、今日はつい、「お願いします」と言ってしまった。

 さらにそのまま十分ほど車を走らせ、支道へ右折して7~800mほど入った場所で車を停車。舗装道路から山の斜面に入ってわずか7~8歩の場所で足元に目を凝らす。

070913syakasimeji1.jpg

070913syakasimeji2.jpg

 釈迦シメジ(センボンシメジ)。大きめの株がふたつと、小さい株がひとつが、まだ誰も来ていないらしく、この状態で露出していた。まだシメジ自体は小さいので今日は採れない。このまま帰るのもどうかと思われ、あまり大袈裟にではなく落ち葉をかけて隠す。しかし、何となく隠してありますよという感じが否めない。あまりに道路に近い場所なので、隠しても無駄なのだけど仕方ない。次回来るまでに採られないか、採られてしまうか、運次第。少なくともふたりはこの場所を知っているのである。ひとりは私のキノコの師匠だが、もうひとりは一度車を止めてその場所を覗き込んでいたのを目撃したことのある人物である。一度は、多分、彼が落ち葉で隠したであろう釈迦シメジを、私が先に頂いてしまったことがある。どちらも、お互いに油断できないのである。
 ほかに本シメジの出る場所も覗いてみたが、まったく気配なし。例年、9月下旬以降なのでまだなのだろう。
 
 ↓ これはすぐ近くにあったアカヤマドリだが採らず。ピントがキノコの向こうに行ってしまっている。

070913akayamadori.jpg

2007年9月13日木曜日

アラビーとリュラビー

 どちらも、わが「偏愛図書室」入りが確実な本ですが、ジェイムス・ジョイスの『ダブリン市民』のなかの「アラビー」と、ル・クレジオの『海を見たことがなかった少年』のなかの「リュラビー」が、似たような題名なのでどちらがどのような内容だったか混乱してしまって、本が見つからないのでネットで検索したら、こんなページに遭遇してしまった。「原書で読もう―原書と読もう―翻訳しよう」というサイトで、ヴァージニア・ウルフの短編が4つ、ジョイスの作品が「アラビー」を含む3編、対訳で読めるようになっている。ウルフは青空文庫で読める作品とダブっているが、それでも対訳で比較しながら読んでみるのも、こういう短い作品だから案外気楽に出来る。
 今は無理ですが、お気に入りに入れておいて、後で読んでみよう。

2007年9月12日水曜日

名無しの豆

nanashimame.jpg

 この豆、町内の整骨院の先生がポケットから10粒ほどを「作ってみない?」と出してくれたもので、5~6年前から母親が作っているが名前が判らなかった。整骨院の先生も知らない。他にこの豆を作っている人たちに聞いても誰も知らない。みんな知らないのである。煮豆にすると花豆より皮が薄く、柔らかく、豆の味も舌触りも絶妙なので、以後毎年作っているが、母親は勝手に名無し豆とか鬼豆などと呼んでいる。
 それにしても名前が判らないものを食べるというのは、どこか落ち着かないし、ひとにあげる時にも名前が判らない名無しの豆では都合が悪い。とはいえ、ネットで検索するにしても名前が判らないのだから難しい。昨年、千葉に住む弟とふたりがかりで検索したが見つからなかった。
 昨日、またある家でこの豆を干しているのを見て名前を訊ねてみたが、やはり知らないという。
 そこで再度検索にチャレンジした。豆の図鑑などから絞ってゆくほかはないが、なかなかヒットしない。
 外国から来た豆ではないかと英語で検索してみた。莢の写真しかなかったが、どうもリマビーンとかライマビーンと呼ばれる豆がそうらしいと見当をつけた。リマ豆という名が日本のサイトにあった。
新大陸系の豆。名前はペルーの首都リマにちなんだもので、日本ではライマビーン、ライマメなどやや名前に混乱がある。原産地は南米。世界中で食べられているのに、なぜか日本にはほとんど入ってこない豆らしい。本には「シアン化合物の濃度が濃い」「青酸を含む系統がある」などの記述があるが、詳細は不明。白色のものが多く大小さまざまだが、クリスマスライマビーンズchristmas lima beansなど模様のついたものもある。

というのが
http://hiyokomame.com/mamechishiki.htm
のリマ豆についての記述にありました。

 ペルーの首都リマが名前の由来でリマビーン、英語読みでライマビーンということらしい。ただしこのサイトのリマ豆は形は似ているが白くて模様がない。模様がある種類もあると書かれているのでchristmas lima beansと入力してGoogle検索すると、おお、Christmas Lima Beansというのがあり、クリックすると出ました。アメリカはアイダホ州の「パーセル山農場」のウェブサイトです。
「クリスマス・リマ(ライマ)・ビーン」だったんですか、なるほど、なかなか素敵な名前であります。
 あまりに美味しい豆なので皇帝豆と呼ばれたというのもうなづけます。 何せ、きめこまかい豆の中身の舌触りが性的といえるくらい快楽原則に沿っておりますから、ね。
 江戸時代だか明治時代だかと、終戦直後に日本に入ってきたらしいですが、なぜか定着しなかったようです。多分、自由にお砂糖が使えない時代だったからではないでしょうか。日本人は甘い煮豆が好きですからね。
 ちなみに、平成5年からライマビーン=アルプスこまち、という名前でO町市が特産品にしようと栽培しているようです。


��以上、11日に書いて、下書きのままアップし忘れ)
 締め切り間近になりますと、無意識に文学話題を避けているようでありまする......(ーー;)

2007年9月11日火曜日

not guaranteed to be true to type

 Movable Type4.0は、新規インストールは問題ないようですが、アップグレードは動作に問題が生じるようです。プラグインの問題のようですか、よく分からない場合はやめておけということでしょうか。まったく懲りないですね。

 またネットでRhubarbの検索です。
Rhubarb can be grown from seed or as plants purchased from your local garden centre. Rhubarb grown from seed will take a year longer to produce stalks, and even then, the plants are not guaranteed to be true to type. We recommend buying one-year-old plants, known as ‘crowns,' that have been divided from strong, disease-free plants. 。


先ずはタブブラウザSleipnirの標準ツールバーに組み込まれている英日翻訳(実はExcite翻訳)の結果。
種子、または、地元の庭センターから購入された植物として大黄を育てることができます。 種子から育てられた大黄は茎を生産するには1年より長い間、かかるでしょう、そして、その時でさえ、植物は、タイプするために本当になるように保証されません。 私たちは、強い、そして、無病気の植物から分割された‘王冠'として知られている1年ものの植物を買うのを勧めます。

次はIBMの「翻訳の王様」の翻訳結果。
ダイオウは、種(たね)から、またはあなたの地元の庭中心から買われた植物として栽培することができる。種(たね)から栽培されたダイオウは、茎を生じるのがより長い1年を要するだろう、そしてそれでもなお、植物は、典型的だと保証されない。我々は、強い、病気がない植物から分けられた1年前に作られた‘王冠として知られていた装置のものを買うことを推薦する。
 「庭中心」って文字通り「ガーデンセンター」の方が判りやすい……機械翻訳そのままでめちゃくちゃですが、まあだいたいの意味は判りますから気にせず前へ進みます。
 無料のExcite翻訳の方が購入ソフトよりましなような気がしますが、
and even then, the plants are not guaranteed to be true to type.
 ここだけは翻訳ソフトの方がいいですね。 
Excite翻訳
  そして、その時でさえ、植物は、タイプするために本当になるように保証されません……何を言っているのか不明。×。

翻訳の王様
  そしてそれでもなお、植物は、典型的だと保証されない……文意が理解できる。○


 やはり、種(たね)からだとその種(しゅ)の典型だと保障されないとありますから、同じ株から採れた種(たね)でありながら、緑やら赤やら太いのやら細いのやら、形質がバラバラになるのですね。
 販売されている野菜の種(たね)などはどの種(たね)からもほぼ揃った作物が出来ますが、Rhubarbはどうも違うのです。
 早い話が、たとえばかなり優秀なRhubarbの株があるとします。この株で咲いた花から種(たね)を実らせてそれを播種しても、その優秀な形質をそっくり受け継いでいる種は1%、2%といった確率で、ほかはご先祖の様々な形質を再現していろんな姿形、内容になってしまう。
 結局、Rhubarbは、どの株からも同じ形質の作物を作るという現代の栽培法からだいぶはずれていて、種(たね)からの増殖が実に不自由という今どき珍しい前近代的作物ではあります。
  と考えていて、はたと、あ、人間もそうではないかと思い当たり、大いに苦笑い。人間も親の良い形質ばかりを受け継げばいいですが、兄弟でもバラバラ、出てもらいたくない遺伝的形質まで発現しちゃって、……考えてみれば人間も増殖については前近代的なのですが、人間が、売られているトウモロコシみたいにどれも区別がつかなくては困るので、まあ、こういう野生の雑種状態でいいんでしょうね。東大出のひとの子どもが全員東大へ行けて、ボケナスのこどもがみんなボケナスでは不公平ですし。

2007年9月10日月曜日

記事消滅

 性懲りも無く、またMovable Typeを4.0にしようとして、アップグレード自体は成功したのですが、うまく動作しない点があったのでこのブログの設定をいろいろいじっているうちに大失敗、8月30日から9月8日までの記事が消滅しました。データベースが最新のものではなく、10日前にバックアップしたものと入れ替わってしまったのが原因です。
 その10日間にコメントを書き込んでいただいた皆様、申し訳ありません。




 その後、サーバー内を探したところ記事自体はみつかりましたので、コピーペーストで復活させますが、頂いたコメントもコピーペーストでの復活ですので、投稿日時が今日の時刻になってしまいます、ご容赦を。

2007年9月9日日曜日

ブログ独立計画

 あるブログに、本当にお気に入りのブログはリンクを張らずにお気に入りにだけ入れてひとりでこっそ楽しむと書かれていた。確かに、その方がいいのかもしれない。
 好きなブログは多くの人の目に触れさせたいと考え、リンクを張るのも人情。好きなブログはだれにも知られず自分だけこっそり浸っていたいと思うのも人情。この二つの人情に挟まれて懊悩するのは、ある意味、致し方ない。
 しばらく前のS社のM氏のブログといい、直近のお気に入りブログの閉鎖といい、悄然とするものがある。 
 そこで、しばらく怠っていたが、またブログ検索やRSSリーダーのキーワード登録を使って、ネット・サーフィンならぬブログ・ユリシーズを再開した。
 なぜか? まだ見ぬ書き手を探して、なんて言ってはカッコつけすぎ。ただ話の通じるひとを探しているだけ。

 それから、どうもこのブログを設置しているレンタル・サーバーが重くなってきました。二人分のブログを運用していて、しかも私がむやみに画像をアップするものだから、もう容量の三分の一を超えています。
 そろそろ居候をやめて、また容量の大きいレンタル・ブログに戻るか、それとも自分専用のレンタルサーバーを借りるかの、ふたつにひとつ。

おそるおそるMYソバ畑へ

 午後、行ってみました。
 やはり、ほとんどが倒伏していました。
 台風の眼の西側でしたので、台風が南から進んでくるにもかかわらず暴風雨は巻いて真北から吹き付けて来ました。そのため、ソバたちはお行儀良く南向きに倒伏していました。倒伏防止の手立てをちょっとしておきましたので、ベタベタに倒伏せず、JAのソバ畑がぐしゃぐしゃなのに比べればずっとましなようです。
 日が経てばある程度起き上がるかと思いますが、茎が曲がったまま起きてL字型になってしまいますので、機械刈りはほぼ絶望的で、手刈りになるでしょう。
 
070908_soba4800px.jpg

(クリックで拡大)


 下は、倒れて裂けた茎をナイフで切断した断面のマクロ撮影。
 ストローのように中空です。だから裂けやすいし、倒れやすいんですね。

070908_sobakuki1450px.jpg

2007年9月8日土曜日

台風一過

今朝のわが家の畑ちかくの公園内の状況(携帯カメラ)。


taihuutouboku.jpg


 ソバ畑が気にかかります。あれだけの風雨にさらされたら、みんな倒伏しているかもしれません。(ーー;) 怖くて様子を見に行けない。壊滅状態でないかと想像しています。

多少はその気

またぞろ自分の好きな短編集を目の前に置きはじめた。

 日野啓三『天窓のあるガレージ』、井上光晴『だれかの関係』、丸山健二『水に映す』

 読むわけではない。
 一種のイメージトレーニングである。多少は書かなければいけないという気にはなっているらしい。





 と書きながらじきに行き詰まって、ジョン・レノンの「God」と「Happy Xmas (War Is Over) 」と「 Imagine 」の3曲だけを繰り返し、しつこいほど聴く。
 「God」ではdon't believe、don't believeだけが耳に入ってくるだけだが、それだけで十分。「Happy Xmas (War Is Over) 」はクリスマス・ソングが大っ嫌いな私が唯一聴くことのできるクリスマス・ソング。まったく季節はずれだが、素っ頓狂な私にはどこかふさわしい。

「God」

God is a concept,
By which we can measure,
Our pain,
I'll say it again,
God is a concept,
By which we can measure,
Our pain,
I don't believe in magic,
I don't believe in I-ching,
I don't believe in bible,
I don't believe in tarot,
I don't believe in Hitler,
I don't believe in Jesus,
I don't believe in Kennedy,
I don't believe in Buddha,
I don't believe in mantra,
I don't believe in Gita,
I don't believe in yoga,
I don't believe in kings,
I don't believe in Elvis,
I don't believe in Zimmerman,
I don't believe in Beatles,
I just believe in me,
Yoko and me,
And that's reality.
The dream is over,
What can I say?
The dream is over,
Yesterday,
I was dreamweaver,
But now I'm reborn,
I was the walrus,
But now I'm John
And so dear friends,
You just have to carry on,
The dream is over.



HAPPY X'MAS(War is over)



2007年9月6日木曜日

たった31音

 あるソバ好きの人物に見てもらうためにソバ栽培記録の写真をYahooフォトにアップしたが、どうもインターフェイスがすっきりしないのと使い勝手もしっくり来ないので、GoogleのPicasaウェブアルバムを借りて写真をアップロードし、撮影月日やコメント入れた。これで順次、写真をアップしていけば栽培記録になる。

 今夜は読みかけのままだった歌集を読み通そうと思っている。一頁に3首だから簡単そうだが、実はそうでもない。1首ごとに立ち止まるのだから案外時間がかかる。たった31音で構成されている1首が、1篇の短編ほどのイマージュを湛えていることだってあり得るのだ。数万、十万の語彙を費やしてもなお何も表現できない散文書きに比べて、31音で表現してしまう歌人は胃がジリジリ焼けてくるほどカッコ良すぎるのだ。

 縄跳びの少女のゑがく輪のなかに海ふかぶかと暮れてゆくかな 原田千万


2007年9月5日水曜日

毎度

070904sobanohana1.jpg  070904sobashikayoke.jpg


 台風、雨降りとなると一週間くらい遅れてしまうので、仕事をやりくりして夕方またそば畑へ。パイプ支柱を立てて6段ほど糸を張る。ただの気休めかもしれないが、念のための鹿除けである。収穫間際に夜陰に乗じて鹿が集団で来てソバの実を食べつくすのだそうです。

 それにしても接写したソバの花は可憐。わずかな風でも揺れるので撮りにくいですが。(クリックで800×600に拡大表示)
 あまりにかわいいので、このソバの花の画像をデスクトップの壁紙にしてみました。収穫まで毎日このまま楽しみます。
 デスクトップのスクリーン・ショットはこんな感じ。
  ↓

desktop.jpg

切羽詰まれば詰まるほど

 このところどうも頭の中が植物のことばかりでよろしくないが、実は41号の締め切りが今月末である。
小学校、中学校と、夏休みが終わりそうになって宿題をしなければならないのに、なおさら他のことに夢中になって、結局、宿題が登校日に間に合わなかったのは典型的な回避行動であったのだが、現在の状況もほとんど同じ回避行動であり、この歳になっても、ほとんどまったく進歩していないのであります。
 ウァーン・゚・(ノД`)ヽ(゚Д゚ )ナクナ (くさい芝居)
 切羽詰まれば詰まるほど、まったく無関係なことに夢中になるんですから困ったものです。

2007年9月4日火曜日

「機械屋の憂鬱」アップロード

 昨日、デジタル文学館に、ひわきさんに推薦いただいた井本元義さんの「器械屋の憂鬱」(「季刊午前」36号)をアップロード。
 散文長詩と銘打たれているが、カフカにも散文詩に近い作品、断片があるし、内田百閒にも随筆だか小説だか境目がない作品が多くある。デジタル文学館は作品と読者が遭遇する場所でありさえすればいいので、こういうボーダー上の作品もだし、小説だけにこだわらず評論なども推薦があれば載せてゆきたいと考えています。

秘密の記事

 朝食前に、「Gkaskinsの永遠」を12本定植。春播きではなく7月の播種なのでそろそろ植えないと幾ら寒さに強くても越冬できないということも考えられる。
 
glaskins1.jpg  glaskins2.jpg
 

 左、期待の「Glaskinsの永遠1号」君、右、「Glaskinsの永遠2号」君。

 うまくいったら、Euripides's Crimsonとか名前を付けてあげますが、ハハハ、間違ってもRed Euripidesなどとは付けません。機械翻訳で「共産主義者のエウリピデス」と訳されるに決まっていますから。
 本当に期待できるのはこの2本だけ。50蒔いて2つだけ。この確率だと、20本欲しい場合は500粒の種を播いてみないと出現しない訳で、ああ、気が遠くなります。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるというか、数が多い方が理想の個体との遭遇の確率も高くなるというもの。来年はもう少し増やしてみよう。
 それにしても、こんなにそれぞれの形質が違えば固有の名前が付けられた固定種というよりも、野原に生えているただの雑種に近い。自分で選抜しているうちに死んでしまいます。

 そういえば、先週温泉帰りに寄った玉さんの農場で、配偶者が丸いズッキーニを2個買って、それが生でスライスしてドレッシングをかけただけでおいしかったので、来年は同じ丸いズッキーニを作ってというお達し。何という種類だったのだろう。確か、イタリアの野菜種を通販しているサイトがあったはずだが、あれ? 見つからない。いろんな形や色のズッキーニが並んでいて楽しかったがお気に入りに入れておけばよかった。
 あ、Greeneggという種類でした。国内の種苗会社からGoldyという黄色い皮の丸ズッキーニとコンビで発売されています。だとすれば、これはもうスーパーマーケットとか直売所とか、あちこちで売られてますね。

greenegg.jpg

2007年9月3日月曜日

蕎麦はまだ花でもてなす山路かな 芭蕉

 行く度にぐんぐん成長していて驚きます。前回はちいさな蕾でしたが、もうこんなに咲き始めています。向こうに見える丸くなったビニールシートは、雨が降るとプルーンの実が裂果するので木全体を覆っての雨除けです。

070902sobahatake.jpg


 こちらはソバの花のマクロ撮影。四分咲きか五分咲き? こうして間近に見るとかわいいというか、可憐ですね。

070902sobanohana.jpg


 これは畑を貸してくれたお宅のプルーン。完熟寸前まで木に置きますのでおいしいのです。周囲はリンゴとプルーン畑が多いです。

070902prune.jpg


 しかし、また鹿の足跡を発見。しかも、ソバのなかを歩いて横切った痕跡が残っていました。あまり歩き回られるとそばが倒れて機械刈りが出来なくなります。
 四方ぐるりとネットを張る訳にもいかず、絹さやいんげんを栽培した時のパイプ支柱を貸してくれるというので、鹿の来る山側を中心に、「はっ鳥君」という防雀糸を3段か4段、張り巡らすことに決定。近日中に仕事をやりくりして糸を張ることにしました。

 デジタルカメラの動画撮影機能でソバ畑を撮影してみましたが、パソコンに取り込んだ動画はmovというマック向けのQuick Time Playerで再生できますが、Windows Media Playerでは再生できないので、シェアウエアの変換ソフトをダウンロードし、試用版ですが5分以内なら変換可能ということですので、Windows Media Playerで再生できるwmvファイルに変換してアップロードしてみました。movで11,6MBあったものがwmvでは2,75MBとだいぶファイルサイズが小さくなりましたが、画質は悪くなりました。また、ダイヤルアップの方には見えないかもしれません。
 (ファイルサイズが大きすぎるのに画像がいまいちなので削除しました)

2007年9月2日日曜日

小説を断念した後のささやかな愉しみ

 いわゆるリアルな世界ではなくネット世界を舞台にした小説を書こうと数年前から考えているのだけれど、ちっとも前へ進まない。
 ハンドルネーム・blue eyes=青木眸と男ふたりの人物イメージはできているのだが、どうにもネガティブすぎて身動きがとれない。男のひとりが怪しい教祖になってしまったのでますます制御不能になってしまった。
 グレン・グールドがプロデュースしたラジオ番組「北へ」、あるいはバッハの「王の主題による各種のカノン」のような、ポリフォニックな小説。それは人称を固定した書き方では不可能なので、結局は章ごとに人物=視点が入れ替わって当然だろう。
 ジョイスだって「ユリシーズ」はひとりの人物に視点を固定せずに書いた。しかも彼はこう言っている。


……わたしの物語に、灰だめや古びた雑草や臓物の臭いが立ちこめているとしても、それはわたしの責任ではありません。わたしのきれいに磨かれた鏡で、アイルランド人たちに自身を見させることを阻むようであるなら、あなたはアイルランドの文明の流れを遅らせることになると痛感しております……
 と嘯ける図々しさ。
 そうなのです。『ユリシーズ』に下品な部分が描かれていたとしても、それはジョイスが責めを負うべきものではなく、きれいに磨いた文学の鏡に映っただけなのだ。 ジョイスはただそれを書いただけなのだ、と。つべこべ言う必要はない。作家は現実を映し出す鏡であればよろしいのだ。


 午後、母親を連れて自家菜園へ。家に居ては足が痛い、腰が痛いと騒々しいくせに畑に行くとどこも痛くないらしい動きをしていて苦笑してしまう。
 でんすけ西瓜の蔓上げをし、総太り大根とねずみ大根の種まきをし、草刈機で西側のRhubarb二列を、太くて長い優れた株ひとつだけを残して刈り払い、ミニ管理機で耕起してしまう。50粒播いた「Glaskinsの永遠」の中から、本当に見込みがありそうなのはたった二株だけ、甘く見ても十株を植える場所を作るため。Rhubarbは、種では50が50すべてが親の形質を受け継ぐのではなく、それぞれが勝手な形質を以って成長を始める。それを身にしみて理解したので、種子からの増殖は断念せざるを得ず、株分けに軸足を移す。無論、種子も理想の個体を探すためにはまだ探索を続けるが、それは千分の一、万分の一の個体探しのためであって、理想の個体が見つかったら株分けに勤しもうと思うが、これは実は、老年になって小説を断念した後のささやかな愉しみ。

 明日、またMyソバ畑に行ってみよう。もう花が咲いているか、楽しみ。
 ドストエフスキーの「一杯の紅茶さえあれば、世界がひっくりかえってもかまわない」という心境に酷似している。小説よりもソバの花が大事、と言ってはいけないのでしょうか?

 あ、alzheimerさんも、宮沢賢治の「眼にて云ふ」について書かれました! 

2007年9月1日土曜日

快食怪眠

 毎日、何を食べておいしいし、眠っても眠っても眠いし、調子が良いのか壊れたのか?
 いつタバコをやめたのか忘れてしまったので、このブログ内検索をしてみたら、ありました。2005年7月5日の記事でした。ということは、まだ2年と2ヶ月にもならないんですか。ずいぶん経過したような気がするんですが……これではまだ偉そうにできませんね。

 締め切り一ヶ月前だというのいうのに、すでにおひとりの原稿がメール添付で着信。かと思えば別の同人がファイルが添付されているメールを開いてしまい、ウィルスに感染、ほぼ書きあがりに近い原稿を失ってしまったとブログに書かれているのを読んだ。外付けのハードディスクやCD-RWでなくても、USBフラッシュ・メモリのように小さくても1GBの容量を持つ記録媒体があるのだから、小説の書きかけなどのデータはパソコン本体でない場所にも必ず保存すべきである。
 そういえば、一太郎には「保存」する際に「別の場所に保存」というのがあって、これを使っていつも本体と外部と記録媒体両方に保存していれば、ウイルス感染やハードディスクのクラッシュなど万一の際に安心である。
 一太郎ついでに書きますが、送られてきた原稿がWordファイルと一太郎ファイルと二種類なので何気なくアイコンを見ていて気づいたのですが、Wordファイルが232KBなのに比べて一太郎ファイルは98KB。Wordと一太郎でこんなにファイルサイズが違うのは驚きでした。

 それにしても、同じ雑誌の同人の間でウイルス感染があってはいけないので、一度、同人のウイルス対策がどの程度なされているか、簡単なアンケートで把握しておいた方がいいのかもしれない。
 同人から来たからと何の疑問も無く添付ファイルのあるメールを開いたらウィルスメールだった、そういう可能性も無いとは言い切れません。