2007年5月30日水曜日

毎度お馴染み

哀しみはきはまりの果て安息に入ると封筒の中ほの明るし   浜田到


 (検索にかけてみたら、浜田到ってもう忘れ去られた歌人なのでした。塚本邦雄さんに光を当てられて一瞬の光芒を放って哀しみの海の海面下に沈んだ歌人? いや、短歌界ではいまだに著名な歌人だと思いますが。時は百代の過客にして……ひともその言葉も忘れ去られるのは必定。悲しいですね)
 でも、この歌好きだなあ。哀しみが極まりの果てに安息に入ると封筒の中がほの明るいんですよ! ね、あなた。
 (追記:名前を間違えていました。(^_^;) 浜田至ではなく浜田到でした)


 ところで、勝手にBookmarkさせていただいているchloeさんのブログに、藤枝静男の『空気頭』とミシェル・レリスの『オーロラ』を読まれたと書かれていた。
 『空気頭』は、日本的私小説と超虚構小説というむしろ敵対するもの同志が合体した、日本だけでなく世界にも珍しい、いわば怪物デミウルゴスの小説。
 だれか、『空気頭論』を書きませんか?
 それからミシェル・レリス。なぜか、『オーロラ』、『癲癇』(どちらもオバQならぬ小田Qさんの思潮社刊で、ダンボールを使った函入り)、『成熟の年齢』、『夜なき夜、昼なき昼』(どちらも今は無き、懐かしの現代思潮社刊……今は現代思潮新社)の4冊が手元に。
 ミシェル・レリス。カフカのようでカフカでない。カフカでないようでカフカのような、詩に限りなく近い散文を書き、限りなく散文に近い詩を書いたシュール・レアリスト?
 クロエさんは『オーロラ』をアブサンをなめながら読んだという。大正解。昔、アブサンをなめずに飲んで腰を抜かしたことがあります。安い軽井沢倶楽部などストレートで飲みながら、詩に限りなく近い散文または限りなく散文に近い詩を、読んでみましょう。
 気が狂ったように、難解な翻訳書が洪水のように出版された1970年前後。
 思い出すのも忌々しく、また同時に輝かしくもある矛盾に満ちた時代でした。

 Nさんの家で長年生活をともにして来た犬のハチが一昨日亡くなったという。
 人であれ、犬であれ、身近な存在が命尽きるまで付き添うタイヘンさは同じである。
 今まであたりまえにいた者がどこにもいない、悲しみ以外に何もない空っぽ。
 供養は「忘れない」こと。
 せめて自分が生きている間は、自分の脳裏に彼らが生きて泣いたり笑ったりしていた時の表情を忘れないこと。

euripides君の奇妙な情熱4

 奥の手が通じませんでした。
 昨夜依頼した輸入代行業者から断りメールが着信。金額が少ないし、面倒な品物なせいだろう。
 仕方なく、その品物専門の輸入代行業者らしきHPを発見して依頼メールを入れたが、やはり音沙汰なし。やはり金額が少ないので代行業者に振り向きもされないのか。ブランド物のバッグなどだったら飛びついてくるだろうけど。

 諦めて、自分でアメリカまで行って購入、カバンに忍ばせて来る(密輸?)か、それとも友人、知人にアメリカ在住の身内や知人がいたら買って送っていただく(密輸?)か、そのどちらかしかない。

 それにしてもアメリカという国はよその国に対してはFreeであることを要求するくせに、自国のガードは世界一固いということが身に沁みて解りました。さすがは世界の警察国家を自認するだけのことはあります。ヨーロッパなんてネット販売で何の障害もなく郵送してくれるのにね。アメリカは証明書が必要だのうるさいったらありゃしません、世にも稀な単純思考の大統領閣下!

 お、とか書いているうちに、その品物専門の輸入代行業者から返信があり、入手可能だと。ただし、量は何キログラムかと。キログラム! 試作用なのでキログラムなんて要らないんですが……、自分でアメリカまで出向いて密輸(?)する費用だと思えば1kg購入してもその方が安いような気もして、見積もりをお願いしてしまおうか。

 ああ、これでは、パノス・カルネジス『石の葬式』に登場するネクタリオ君に負けず劣らずの、奇妙な情熱に浮かされているだけ。
 あるいは風車に向かって突撃する、あの笑えるほどに本気な人物。

2007年5月29日火曜日

あ、こういう奥の手がありました

 ここ一週間ほどずっと検索し続けた物を、ようやくネット上のアメリカ合衆国のサイトで探し当てたが、国外には送ってくれないと判ったので半分諦めかけた。
 そこで閃いたのが代行輸入業者。検索して、会員登録してオーダーしてみました。ロサンジェルス在住の日本人の方が運営されている輸入代行会社であり、振込先も日本の銀行なのでまあ大丈夫かなと。(やはりクレジット・カードを持たないと、こういう場合につらいものがあります)
 この試みでダメだったら、完全に諦めて全面撤退するつもりです。
 決して怪しい医薬品などを個人輸入しようとしているのではありません(念のため)。
 (あ、フランス在住の日本人の方が営む輸入代行会社ないかな? 探してみよう)

 そういえば別の試み(これはむしろ道楽)に関連して、「ソバ、条件に合わせたつくり方と加工・利用」が本日7イレブンに届くとのメールが着信したので早速、受け取りに行った。
 考えていた栽培法が書かれていた。ということは、あまりエキセントリックな栽培法ではない訳で、安心。T屋さんに笑われたものだから、一時は断念しようと思ったのだけど。

 ああ、今日も非文学に足を踏み外したままでした(泣いて反省。ちょっと嘘っぽい)。
 明日からはまじめに文学にいそしむつもりでございます(怪しい)。 

2007年5月28日月曜日

ねえ君、こんなことに熱中しないで小説を書きなさいってば

 先日、得意先の青年からいわゆる加工用トマトの苗をいただいた。少しでいいですと言ったのに、5×5の連結ポットに植えられているものをひとついただいてしまったので、合計で25本。それにしてもこの地方特有の火山灰土の、酸度矯正をしていないらしい赤土に仮植されたトマト君たちの泣きたいほどの栄養失調気味の姿形。
 このところ目覚めの早い老人を乗せて毎朝のように早朝の家庭菜園に行っているので、植えるのは簡単だがもう空いている場所がそれほど無いので、無理をして狭く植えたのだが13本しか植えられなかった。
 昨年の夏から秋にかけてトマト煮込み料理にはまったので、今年はそれ用のトマトが栽培できて喜ばしいのだけど、トマトケチャップとかトマトピューレとかホールトマトとか、そこまでのめりこむ気はないのですけど。
 緑のズッキーニ2本、黄色1本、計3本は少ないような気がするが、ほかに長ナス、大長ナス、米ナス、きゅうり、トマト、ミニトマト、ゴーヤ、オクラ、ピーマン、甘とう美人、パプリカ、ヤーコン、でんすけ西瓜、アンデスメロン、坊ちゃんかぼちゃ、ほっこり133カボチャ、モロッコいんげん、千葉半立ち落花生、スイートコーン、枝豆、長ネギ、下仁田ネギ、黒田五寸ニンジン、レタス、グリーンボール、小松菜、杓子菜、大根、こかぶ、ちょろぎ、などなど、ほかに多年生でアスパラガス、蕗、筍、こごみ(クサソテツ)、ワラビ、ルバーブ、イチゴ、茗荷など。茗荷は今、新芽が出始めているところだが、これを茗荷竹と呼び、土の中の白い部分を薄くスライスして鰹節と醤油をかけ、これを熱々のご飯に載せて食べると最高である。昔、子供の頃に「茗荷を食べるとバカになる」と言われた。ほんまかいな。
 そういえば22日に15アールの水呑農業由来の自家用米水田の田植えをした。といっても植えたのは水呑農業の兄貴分のT屋さんで、私は田植え機に乗ったT屋さんに苗箱の苗を手渡ししただけ。
  7&Yから明日の10:00にソバの本が入荷というメール着信。そろそろ、種苗店に「信濃1号」の種を注文したり、播種機「種まきゴンベエ」を注文しないと。
 こういう余計なことをしているから忙しいのであって、本業と読み書きだけにしておけばいいのに、分かってはいますがダメですね。これも過活動?

 ねえ、書くことこと生きることと、どっちが大事って二者択一を迫られたら、あなた、どうします?
 私小説作家の場合、書くこと=生きることなのでこの二者択一はまったく無意味なのですが、生きることと書くことに矛盾、分裂を生じている書き手にとっては深刻な問題であります。
 私の答え?
 もちろん、書くことより生きることを選びます。
 昔、若かった頃に、好きだった女性を口説いたら言われました。
 「euripides君が汗を流して働く工事現場の労働者だったら結婚してあげてもいいけど、そうじゃないものね」
 因みに彼女は早朝にA旗新聞の配達などをしていて、もとより私などの歯が立つ女性ではないのでした。
 ウァーン・゚・(ノД`)ヽ(゚Д゚ )ナクナ

2007年5月27日日曜日

今夜も砂男がやって来る

 YouTubeで何回も見た町田町蔵「ボリス・ヴィアンの憤り」が、今夜は見つからない。検索方法が違うのか、もう下ろされてしまったのか、残念でした。
 やけくそになって森田童子を検索したら、「ぼくたちの失敗」のほかに「たとえば僕が死んだら」があった。
 ああ、このなつかしき陰々滅々。
 (ひょっとするとこの年にJ・プレヴェールが亡くなったのではなかったかな? あ、済みません。その翌年の1977年でした)

 そうこうしているうちに、ヴィアンがへんてこなギターを弾きながら唄う姿を発見。すでにCDで承知していますが、意外と高めの声です。
 向こうを向いているヴィアンがいきなり振り向いて顔を見せ、歌います。一ヶ所、すごい巻き舌に。彼が持っている妙チクリンなギターに注目!

 (あれ? このヴィアン、インタビューに英語で答えていません? 聞き手が英語だから英語で答えた? この映像の出所は? mmm)




 仕事の疲れがいよいよ回復しがたいほどに蓄積。例年そうなのだが、この疲れ、6月ひと月かけてようやく解消できるので7月になったら普通になります。
 その上、ここ数夜、あることの情報収集のためにアメリカ、カナダのサイトを見て回っていて何も読めず、書けず。
 それにしてもウェブ翻訳は相変わらず笑える。「翻訳の王様」というお金を出して買ったソフトもあるが、Googleやらポータル・サイトのウェブ翻訳とあまり変わり映えしない。Redというだけでいきなり共産主義者って出るのだけは勘弁して欲しいんです……アメリカ英語のお里が知れるというか、またぞろ、「敵か味方か」という単純思考しか出来ない、あの史上まれな現職単細胞大統領を想起してしまうではあ~りませんか。
 Redは「赤」でいいんです。そんなに先回りしなくて結構!


 「照葉樹」3号、2作読んで、もう一作。Lydwineさんの作品とともに感想を書かなければならないのだが、この睡魔、何とか退治しないと。
 睡魔といえば、E・T・A・ホフマンの『砂男』を思い出した。
 坊や、ほら、早く眠らないと砂男がやって来るよ


 一昨日、7&Yに「ソバ 条件に合わせたつくり方と加工・利用」(農文協、1500円)を注文。8月初めの播種に備えて、すっかりマジである。

2007年5月25日金曜日

済みません

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海外サイトを夢中でさまよっておりますので、更新はお休みさせていただきます。

2007年5月24日木曜日

思いがけず

 夕方6時過ぎに電話があり、出ると涼しげで若々しい女性の声。
 おお、何と「照葉樹」のryoさんではありませんか。
 旅行のことがブログに書かれていましたが、県内、蓼科山の向こうのS湖畔のホテルにご宿泊なのだそうです。お送りした同人誌が届く前に出られたようで、旅先からのお礼の電話でした。仕事が忙しくない時期だったら車を飛ばして一時間くらいですから、半日くらいご案内できるんですが、残念でした。

 眠くて午後9時30分に昏睡、赤ちゃん睡眠をする。(ということで、この記事は後書き)

2007年5月23日水曜日

看板を探し出した

 どこにしまったか所在不明だった看板を探し出した。
 たまたま、使わせていただきます。


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2007年5月21日月曜日

見ないと損の夕焼け

 ひわきさんのHPやryoさんのブログで、檀一雄の忌日が「花逢忌」だと知った。
 能古の島というのは彼が住み、『リツ子 その愛』、『リツ子 その死』を書いた、あの場所なのだろうか。
 
 檀一雄といえば、安吾とのからみもあるが、太宰に、井伏大先生を待たせた挙句にその事を非難した檀一雄に向かって、「待つ身が辛いか、待たせる身が辛いか」というあの有名なせりふで逆襲した一件と、その苦渋の体験が生きて作品となった「走れメロス」、そして、檀が疎開していた佐藤春夫を訪ねた時のことを書いたエッセイ『佐久の夕映え』を思い出す。
 そのなかで檀一雄は「見ないと損の夕焼け」を見せようと、小さな坂を下駄を鳴らして下ってゆく佐藤春夫の姿を描写しているが、その小さな坂こそ、私の伯母が嫁いだ家の前の、軽トラックが通るのもやっとの狭い坂道だった。あそこに佐藤春夫が窮屈な生活を強いられていたと思うと感慨が深い。
 彼が疎開し住んでいた借家は「聴雪の家」と名づけられ、ずっとそのままの姿で保存されていたが、ある年の或る日、仕事で通りかかったら消滅していて、更地になっていた。
 ショックだった。
 「見ないと損の夕焼け」も「聴雪の家」も消えて無くなってしまい、今は檀一雄の「佐久の夕映え」のなかにのみイメージが生きて存続している。
 今となってはそんな美しい夕焼けも見ることが出来るかどうか。
 かつての少年時代のはかない早口遊びのように、「見れば損の(架空の)飛行機」しか飛んでいない。
 
 「花逢忌」。そういえば、私は檀一雄の『花筐』という単行本を持っている。なぜか好きな小説集だ。
 

あの手この手の奇手奇策

 同人の皆さんから40号が届いたというメールが着信し始めたので、夕食後に、ウェブ版をアップロード。

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 表紙です。

 それから、いよいよ県内の同人誌、9誌に協会の規約通り5部ずつ送付する手筈を整えなくてなならないのだが、今号は166ページと厚く、5部だと1kgを超えてしまう。メール便は2センチまでしか送れないので、今回は郵便局から冊子小包で送らなくてはならないと思っていた。1kg超は450円である。
 それにしても普通のクラフト封筒ではうまく送れそうもないし、破れそうだし、面倒だから宅配便で送っちゃおうかなどと悩んでいるうちに、あ!
 ひとつの封筒で送ろうとするから無理があるのである。
 先ずはA4サイズの角型号の封筒に、A5の同人誌を2冊ずつ重ねて横に二列に入れると、同じ厚みでぴたっと収まり、きちんと封が出来る。これで厚みも2センチ以内でクリアし、メール便送料160円なり。残る1冊はA5用の封筒に入れてメール便で送ると80円。合計で240円。冊子小包1kg超より210円もお得。
 宛名シールと封筒が一誌に二つ必要だが、ひとつの封筒に5部入れて封をするよりずっと楽である。
 前号は薄かったのでA4用封筒に横にして3冊、2冊入れて送ったが、その後、一誌が真似をして同様の手口で送って来た。良い子の皆さんは真似をしないでね(って)。
 (こんなことを書くとただのケチみたいに思われてしまいますが、会の出費を可能な限り抑えたいだけなのです)

 夕方、仕事上の取引会社に勤めているT中さんから電話。一昨年、彼にルバーブの苗を分けてあげたのだが、ジャム製造会社が欲しがっているので20kgほど出荷したという。euripidesさんはどうしましたかというので、家族にあんなものを植えてと邪魔にされるので来月暇が出来たら草刈機で刈ってしまおうと思っていたというと、そんなことしちゃダメ、ダメと言われる。
 それでは、明日の朝早起きして自家菜園に行き、放置したまま花盛りの花茎を切って捨てないと。種子を作るために栄養を取られてしまうので、茎を利用するためには花茎を切り捨てる必要があるのでした。
 それにつけても、欲しいのは皮だけでなく芯まで赤い赤茎種。カナダのnarusawa君、早く赤茎種の種をgetして下さいよw。
 二階堂麦焼酎のCMの向こうを張って、嗚呼、幻の「わが青春のルバーブ焼酎」(本人以外意味不明)。

 おやすみなさい。 

2007年5月20日日曜日

生きることと書くことに境界のないひと

 4月6日に亡くなられた武井さんの最後の作品集が遺族の手によってまとめられ、「偲ぶ会」で配られたはずだが、仕事を休めず欠席した私にまで送られて来た。二作、収録されているが、どちらも同人誌で既読の作品である。
 ほぼ一貫して自分のこと、しかも自分が関係した女性のことばかり書いて来た、いわゆる典型的な私小説の書き手だった。周囲の人間もそれと判るひとが結構登場させられたが、つまらない男に過ぎなかった私は幸いなことにその災難を逃れた。
 書くことと生きることに境界も径庭もないひとだったので、書かれた作品を批評するとなると、どうしても主人公(=書き手自身)の生き方にまで批評が及ぶのは仕方ない。
 私小説というものはそういうものである。
 生き方まで批評されるのが嫌なら、私小説など書かない方がいい。
 ところが、当人ではなく、その北海道に住む友人であり同人でもある人物が、私の批評に噛みついてきたのだった。
 いわく、書き手のプライバシーにまで踏み込んで批判するのは、隣の家の中を覗き込むN野県民のいやらしさであると。
 はあ? アホ。
 「私小説」の書き手がみずから進んで「私」をさらして書いているのだから、その時点で私小説の書き手にプライバシーなど無いのだということが、どうして分からないのだ?!
 しかも、N野県民のいやらしさと書いているが、北海道在住とはいえ、自分だってN県生まれのN県育ちで、そんなことを言えば天に唾して自分の顔にかかるようなものではないか。
 と、私は怒ったが、私小説作家は友人を支持するという手紙をよこした。私は、しばらくしてからその同人誌の同人から会員へ格下げを願い出た。

 そのふたりともここ数年の間に黄泉の国へ行ってしまい、ここに書いたことも今となってはなつかしい思い出だが、同人誌の世界には案外、こういう、生きることと書くことに境界のないひとが多い。人間としては嫌いではないが、物書きとしては私には苦手である。(こういうことを執拗に書くから、反私小説派と目されて憎まれるのである)

 

2007年5月18日金曜日

同人誌40号

 午前10時過ぎ、クロネコのドライバーから電話。これから代引きの荷物を届けますとの予告電話。
 やはり、発送案内もなく、いきなり来ました、記念の40号。
 表紙はまあイメージ通り。本文レイアウトはやはり欲張りすぎてやや窮屈な感じがするが、これは自分でしたこと。印刷製本に文句は無い。特に製本業からスタートした会社なので、製本はなかなかよろし。
 しかも、印刷製本代が安っ! これまでの地元印刷所も相当安かったのだが、それより6~7割の価格。しかも組版代、用紙代、印刷代など明細も細かく書かれていて、この上なく明朗会計である。
 連絡がマメでないのが欠点だが、それはそれが普通と呑み込んでしまえば気にならないだろう。
 
 昼休みに早速、文芸同人誌案内やブログで交流いただいている皆さんに先行してメール便で発送。近い方は日曜日に、遠い方は月曜日に配達されるでしょう。
 (と、とりあえずご報告)


 と、同人そっちのけでは叱られてしまうので、夜になって、同人への発送準備を一気に済ます。
 今号はちょっと厚めなので郵送が面倒になり、すべて宅配便に。しかし、底面がA4サイズくらいの箱を探しておくべきであった。一人に一部送るのと違って、部数が多いので荷造りがタイヘン。印刷所から直接送ってもらうことが出来たら、その方がいい。
 明日からは発送作業はゆっくり。
 今号は20周年記念の40号でもあり創刊号からの総目次を掲載したので、かつて肩を並べて走った同人の皆さんにもお送りしたいと考えている。

 同人の皆さんのお手元に本が届くはずの日曜の夜には、Web版の方もアップロードしないと。
 表紙画像も、それまではアップロードはお預けにしましょう。

かわいそうな魚たち

 いよいよ17日である。
 が、印刷所から、今日、発送しましたというメールは無い。
 発送できなかったのか、それとも明日いきなり配達されるのか? 見当もつかない。ちょっと悩ましい印刷所である。

 夕方、知人がヤマメ2尾とウグイ17尾を生きたまま発泡スチロールの箱に入れて届けてくれた。
 わァ、また川魚の時節到来である。
 キノコの師匠が今は川に入り浸っているのです。
 わが家の女性陣ふたりは生きたままの魚をさばかないので、昔から私の仕事である。生きたままの魚は厄介である。生きたまま包丁の刃を入れるのはむずかしいので、水を払ってしばらく放置、お亡くなりになってからハラワタを出す。
 どうもしかし、この作業はどれだけ経験しても馴染めない。まな板の上に魚たちをずらっと並べると、魚たちの目がこちらを恨めしそうに見ているのである。
「どうして、わたしたちはあなたに食べられなくてはならないのですか?」と言っているような……mmm。
 イエス・キリストに食べられたガリラヤ湖の魚たちのことを想起せざるをえないのです。イエスに食べられること自体が恩寵であると考えれば、整合しないでもないが、ただの田舎のおじさんに食べられる魚たちは、ただかわいそうなだけである。 

 疲労が目に来て、パソコンのモニタはともかく活字を追って読むのが困難になっている。
 三日くらい赤ちゃん睡眠で爆睡しないと回復しないか。

 HMVからCD到着。
 「心やさしい女のブルース」、「テラプレイン・ブルース 」、「蓄音機ブルース 」、「32-20型ブルース 」、「死んだ小えびのブルース 」、「四辻ブルース 」、「ウォーキン・ブルース 」、「説教ブルース 」、「川辺を旅するブルース 」、「ハネムーン・ブルース 」、「子牛のブルース 」
 ブルースとつく題名だけ眺めているだけでも楽しい。
 そういえば、ボリス・ヴィアンには「○○のジャバ」というのが結構ある。
「原子爆弾のジャバ」、「火星娘のジャバ」おまわりの靴のジャバ」などがある。
 ちなみに私も自作の中で「ブラック・ペッパー・サンバ」なる架空のサンバを登場させたことがあるし、このブログでも「黄昏のルバーブ・ジャム・ブルース」などという題名だけを書いたこともある。遊びであるけれど、こういうの、結構、楽しい。

2007年5月17日木曜日

疲労蓄積にもかかわらず

 今朝はまた5:30より「でんすけ西瓜」10本とアンデスメロン5本の植え付け。
 マルチフィルムは前もって張ってあったので、植えるのは穴を開けて植えるだけ。トンネルを作り、遅霜対策に不織布をかけ、さらのそのうえに有孔ポリを張り、横に直径10センチほどの風通しのための穴を開けて終了。
 昨年は同じ床にカボチャまで植えて懲りたので、今年は西瓜、メロンだけ。カボチャのつるが元気が良すぎておとなしい西瓜にのしかかってしまい、西瓜が日陰になって成らなくなってしまうのである。
 
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 Lydwineさんより送っていただいた「木曜日」23号(発行・日本ジャーナリストセンター・上野ゼミ)、メール便で本日配達。本文ページも前号よりずっと目当たり良く、表紙の印刷もきれいに出ている。美女と蛸。北斎?
 いわゆる印刷のプロでなく、しろうとが自分のパソコンでここまでレイアウトできるのである。感心。 

2007年5月16日水曜日

一週間

 フォントの問題が解決し、「ほかに問題は無いので進めます」メールがあって、以後、何の音沙汰も無いまま一週間過ぎたので、昨夜、印刷所に問い合わせメールを入れてみた。
「印刷代金を用意する都合もありますので、40号の仕上がり、発送はいつになるかお知らせ下さい」
 今朝9時頃に返信があった。
「お世話になります。納期は今日の印刷予定になっていますので、5月17日発送になります。宜しく御願いいたします」
 フーン、この一週間、ほとんど進んでいなかったのだ。あ、表紙の印刷を外注していたのかも知れない。

 今夜は15日定例の赤提灯なので、この記事の公開を日時指定にしておいて留守中にアップするように設定しておいたのに、アップされていなかった。先日はうまく作動したのに、よく解りません。
 赤提灯では同年代3名が残り、話題が盛り上がって帰宅がずいぶん遅くなりました。
��ということで、後書き日記となりました)

 今朝のコゴミ(クサソテツ)の赤ちゃんたち。
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 このくるくるっと巻いたところを摘んで、さっと茹でて食べてしまうのです。
 埴谷さん言うところの「ガリラヤ湖の魚」や「チーナカ豆」の気持ちがよく解ります。
 「何で、ぼくたち、こんなおじさんに食べられなきゃいけないんだよ~」と言っているのが聞こえて来るような気がいたします。ごめんね、きみたち、生まれ変わったらジャイナ教徒になりますからお許しを。

2007年5月15日火曜日

タバコを吸わせる悪魔

 先ほど、HMVからRobert Johnsonの輸入盤CD2枚組が用意できたので、ローソンのコンピューター端末Loppiでインターネット受付をし、代金支払いをするようにというメールが入った。やせ我慢してカードを持たないとこういう時不便。Robert Johnsonの音源は2種類しかないので、輸入廉価版でもその2種類の音源すべてが収録されているのだからよかろうと思ってオーダーしたものだった。ちょっと時間がかかって、昨日、オーダー日時タイムアウトで、オーダーをキャンセルされますか、まだお待ちになりますかというメールが来たばかり。無論、待ちますと返信。待ってよかった。
 二年前にタバコを吸うのをやめた日に、Robert JohnsonのCrossroad Blues が頭の中でがんがん響いていて、多分あの時「タバコを吸わせる悪魔」と決別したのだった。Robert Johnsonのあの甲高い声自体が悪魔の声を想像させないでもないが……。
 早くiPodを入手しなくてはならないが、忙しすぎてY電機に行っている時間が無い。価格ドットコムで調べておいてネットで購入する方がいいか。すべてに横着になりつつある。
 誰もいない公園とかで寝転んで「Crossroad Blues」 とか「螺旋のカノン」とかフォーレの「無言歌」とかを聴きながら、コルタサルの「続いている公園」など読む。ささやかな夢。


 時間をやりくりして、農機具を販売しているディスカウント店に寄り、手押し式播種機「たねまきゴンベエ」が置かれているかどうか調査。あった。ネットで調べた価格より三千円ほど高いが、作物の種ごとに替えるアタッチメントがひととおりそろっており、蕎麦用も在庫があるのを確認。ひとつ1,800円。大根用とか野沢菜用とか、大きさの異なる種子に合わせたアタッチメントが必要になるが、とりあえずは蕎麦用でいい。
 本体はネットで購入し、アタッチメントだけここで買ってもいい。
 蕎麦は種まきしてから75日で収穫できるというから短期決戦である。


 今夜は早めにパソコンの電源を切って、先日送っていただいた同人誌を読もう。

2007年5月13日日曜日

秋篠の仏に蝉の屍(し)を預け

 二十一歳の年の暑い夏の日に、京都・奈良を旅行しました。
 ひとりでか、ふたりでかは忘れました。
 何日めかに浄瑠璃寺から柳生の里へ回りました。
 田んぼの畦道を歩いていたら、足元に蝉が落ちて転がっていました。
 まだブルブルと体を震わせていました。
 反射的に蝉を拾い、半袖シャツのポケットに入れました。
 柳生十兵衛が剣の修行をした場所とかを歩き、それからまたバスに乗って次は秋篠寺に向かいました。拝観料を徴収している小さな建物の窓口に、若い坊さんと、その奥さんらしい人が並んで座っていて、しかも奥さんの胸にはかわいい男の赤ちゃんが抱かれていました。三人がこっちを向いてニコニコしているのです。
 技芸天像を拝観して寺の出口に向かいました。ふっと胸ポケットに手をやると、蝉はもう動かなくなっていました。そこに石仏がありました。そこに蝉のしかばねをそっと置き、誰にも見られなかったのを確認して一目散に、夕暮れの西大寺駅へ向かいました。

 ふっと思い出して、あの親子三人の今を想像したりします。
 

ギョ、ギョ、ギョエテか、ビューヒネルか

 野坂昭如氏出演のCM、「ソ、ソ、ソクラテスか、プラトンか、♪♪~みいんな悩んで大きくなった♪♪~」を思い出してしまいました。
 「ギョエテとは俺のことかとゲーテ言い」という有名な川柳がありますが、ビュヒナーも同じことを言うかもしれません。
 昨年古書検索でビューヒナーの本を検索しまくっている時に、どこでだったか、ゲオルク・ビューヒネルというのがゲオルク・ビューヒナーのことだと知ったので、面白半分でゲオルク・ビューヒネルで古書検索をかけてみた。
 すると、ゲオルク・ビューヒネル作品全集『ダントンの死、他四篇』(青木重孝訳・昭和16年9月25日、白水社刊、一圓八十銭)がヒットしたのです。
 1000円ちょっとだったので掘り出し物と思い、速攻で注文し、入手しました。
 新訳もいいですが、戦前お翻訳の旧仮名遣いはなかなかいい雰囲気があり、今や宝物です。
 二階堂麦焼酎など飲みながら読んだら、最高でしょう。
 まさか、ビューヒナーがビューヒネルだなんて、戦後の人間には思いもよりません。
 こんな風に検索の妙のようなものが確かにあって、だから古書検索はやめられないのです。 

 先日、地元書店に行ったところ、いつもはベストセラーしか置いてない翻訳書の棚に、マルケスの復刊がずらっと並んでいるのは当然のことだが、フラナリー・オコナー書簡集『存在することの習慣』があってびっくりした。こんな田舎書店に配本されるはずもない本があったのです。あ、岩波と同じで筑摩書房は創業者が長野県出身なので県内の書店には特に配本しているとか、そんなことはないでしょう。
 その書簡集がこちらを向いてじっと見ているんです。その時は持ち合わせがなかったのでそのまま店を出ましたが、それ以来あの本の表情が気になって気になって。(て、本に表情があるかどうか)
 夕方、仕事をしまってから書店へ行って彼女を獲得して来ました。(本は女性名詞でしたか?)

 それにしても、何年か前にフロリダの大学に通っている方とフォークナーのことで何度かメールをやり取りし、その中で、今のアメリカではフォークナーでさえ読まれていないが、もうひとりもっと読まれるべき作家として彼女がフラナリー・オコナーの名をあげていた、それが最初の記憶。
 そして何年か後にNさんのエッセイで火をつけられて実際に小説を読み始めた。
 あの、善か悪か、敵か味方かというような単純思考しか出来ない大統領を産んだ国家に、これだけ人間の悪、否定的側面を注視してやまない作家がいたのか、それも女性で、と感心した。
 Nさんはフラナリーの作品に光明を見るらしいが、私は光明を見出せないケースの方が多い。たとえば『善人はなかなかいない』のどこに光明が見えるだろう? 光明などこにも見出せない世界になおも私たちは生きている、いや、それでも私たちは生きることが出来る。
 それが恩寵でもあり、(またそういう存在が存在すると仮定しての話ですが)神への反逆でもあります。フラナリーも書くことで恩寵と反逆の背反を同時に行なったのではないでしょうか。恩寵が反逆であり、反逆が恩寵であるような……と書いて、あ、サドを想起してしまいました。

 今日は「S野作家」の主宰者であった「T井久さんを偲ぶ会」の日。
 

2007年5月12日土曜日

ひつくりかえった瓶(かめ)

 ちょっと寒いと思ったら山に雪……これでは3月の光景。右は早朝の菜園での収穫、アスパラガスとこごみ。(クリックで2倍に拡大表示)

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 こごみは以前知人から10株ほど頂戴して畑の真ん中に植えたのですが順に消滅して行き、最後の一株になった時に、もっと畑の隅で半分日陰になる場所がいいと言われて場所を移したところ、爆発的に株が増殖し、この時期になるとしばらくはこういう風に収穫できて楽しめます。といっても、さっと湯通しして鰹節と醤油でいただくか、洋風にドレッシングでいただくくらいですが。正式にはクサソテツの新芽をこごみというのですが、人間は羊歯類の新芽を食べちゃうんですね。昨年植えた蕨も元気に増殖中で、顔を出した芽を数えたら30本くらいありました。
 などと書くと相当の山の中に住んでいるように思われるでしょうが、長野新幹線S平駅まで車で5分の場所なんです。が……市の中心に牧場があったり、かなり広い工場跡地があったり、町の西半分は大型ショッピングセンターが大賑わい、町の東半分の旧商店街はすっかりゴーストタウンと、何かアンバランス極まりない、ヘンな市ではありまする。

 本日、「照葉樹」3号、メール便にて到着。しかし、本当に一日くらい届くの遅くても、厚さ1cm未満は80円というメール便の価格設定は文芸同人誌にかかわるものには驚異的である。封書と同じ価格で同人誌が送れるのだから利用しない手はありません。
 ところで、わが誌の新しい印刷所は、月曜日以降、また音無しの構え。何日頃仕上がる予定ですとか、そういうきめ細かい対応はないの? 仕事を始めるとそれだけに没頭しちゃうタイプなのでしょうか?
 ま、来週みたいですね。


 クロエさんが昨年6月に「ヴォイツェク」のさびしい童話について書かれ、引用されていますが、私もこの童話に感銘を受け、昨年5月30日に書きました。同じ場所で歩みを止め、ひとりの孤独なこどもをみつめた方がいたと知り、うれしくなりました。旧記事を未読の方のために、その記事をもう一度ここにコピーペーストします。

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 その価格に毎日煩悶懊悩、幾度となく心臓麻痺を起こしそうになりながら(!!)、本日ついに入手。顔面蒼白です。
 発行2006年5月30日(すなわち本日)。
 早速27日にご紹介いたしました「ヴォイツェク」の老婆の昔話を読んでみました。
 先ずは昭和16年発行の旧訳をもう一度ここにコピーペーストします。

マリー お婆さん、何かお話をして!
子供たち おばあさん、おばあさん、お話をしてよ! しつ! お婆さんお話をするのよ。しつ。お話をしてよ、おばあさん!
老婆 昔々……
��子供たち老婆の周りに立つたり、しゃがんだりする。マリーも交る)
昔々、可哀さうな子供がゐた、
お父さんもお母さんもゐなかつた、
みんな死んだのだよ。
そして世の中には誰もゐなくなつた。
みんな死んだ。
そこでその子は探しに出かけた。
晝も夜も。
ところがこの世にはもう誰もゐなかつたので、
天に昇ろうとした、
するとお月様がその子を優しくごらんになつた、
ところがその子がやっとお月様の所へ行つてみたら、
それは一本の腐つた木だつたとさ。
そこで今度はお日様のところへ出かけた、
そして着いてみるとそれは萎んだ向日葵の花だった、
今度はお星様の所へ行った、
ところがそれは串刺しにされた小さな金色の蚊だつたとさ、
ちやうど鵙(もず)がリンボクの棘へ蚊を刺しておくやうにだよ、
そこでもう一度この世へ歸らうとしたら、
この地球はひつくりかえつた瓶(かめ)だつたとさ――
そしてほんたうに獨りぼつちになつて、
坐つたまま泣いてゐた、
今でもそこに坐つてゐるんだよ、
ほんたうに獨りぼつちでなあ

��青木重孝訳『ゲオルク・ビューヒネル作品全集 ダントンの死 外四篇』白水社・昭和16年、より)。



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 河出書房新社新装版「ゲオルク・ビューヒナー全集」では以下の通り。

老婆 [じゃみんなおいで、子供たち!――] むかしむかし、それはかわいそうな子供がいたんだよ、お父っつあんもおっ母さんもいなくてね、みんな死んでたんだよ、この世にはもう誰もいなかったのさ。みんな死んでたんだよ、だからその子は出かけてって、夜も昼もさがしたのさ。だがね、この世には誰もいなかったので、その子は天にのぼろうと思ったんだよ。するとお月様がやさしく照らして下さった、やっとその子がお月さまのとこまで来てみるとね、それは腐った木のかけらだったのさ、こんどはお日さまのとこへ行こうとした、その子がお日さまのとこまで来てみるとね、それは枯れたひまわりだったのさ、こんどはお星さまのとこまで来てみたら、それはちぃいちゃな金色(きんいろ)の油虫だったのさ、まるでもずがすももの棘にさしとくように、串刺しになっていたんだよ、仕方がないのでまた地上に帰ってみるとね、それはひっくり返った壺だった、だからその子はほんとにひとりぽっちになって、そこに坐って、泣いたんだよ、いまでもその子はそこに坐って、ほんとにひとりぽっちでいるんだとさ。 (内垣啓一訳・河出書房新社2006年)。

 なぜか、先に戦前の青木訳を読んでしまったせいか、旧仮名の旧訳の方に妙な親近感を覚え、愛着さえ感じてしまっているのは、私だけの特異現象なのでしょうか?
 前者が詩のような改行をし、後者が散文として改行なしで進んでいる、それだけの違いだけでなく、酷薄な昔話らしさを前者により感じてしまうのです。

 ほかに岩淵達治訳、岩波文庫「ヴォイツェク ダントンの死 レンツ 』が出ている。定価 840円

2007年5月11日金曜日

euripides君の奇妙な情熱、蕎麦栽培計画怒濤の実践編

 ようやく書いて投稿したはずの記事が、アップロードされませんでした。
 おそらく、投稿ボタンではなく確認ボタンを押してそのままブラウザを閉じてしまったのが原因だろうと思います。自分がいけないんです。
 がっかりして寝てしまおうと思いましたが、気を取り直して……。

 6日に携帯電話のカメラで撮った菜園の写真二点です。
 今年はこれまで経験したことがないくらい玉ねぎの茎葉が立派であるので、大豊作の予感。しかも昨年秋に苗が余ってもったいないとばかりに植えまくったので500本くらいあるのではないか。玉ねぎ500個? その手前はレタスとグリーンボール・キャベツ15株ずつ。その左手は落花生を播いたばかり。向こうに見えるのは毎度おなじみルバーブ。右の写真はその白く可憐なルバーブの花。

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 蕎麦栽培の経験者をつかまえてはいろいろ訊き、またネットで調べもしている。
 いちばんのポイントは、当地で最適な播種時期と、10アール当たりの播種量。
 訊いても素直に教えてくれない人が多いのは仕方ないか。
 親しい知人で昨年初めて蕎麦を栽培したTさんは正直に教えてくれた。Tさんは昨年8月7日に播種。播種量は10アールあたり4kgだという。「土用の土を三日被ればいい」という蕎麦播種にまつわる言い伝えはもっと標高の高い(1000m?)地域のことで、このあたりでは八月に入ってからでいいという。借りる畑の所在地を言うと3~4日前、つまり8月3~4日頃が良かろうと言う。
 Tさんは種を手で播いたという。ネットで検索すると手押し式の播種機「ゴンベエ」で播いているケースが多い。播種機の方が一律に播けていいだろうし、楽なような気もするので、どこかで播種機「ゴンベエ」を借りなければ。蕎麦の品種は「信濃1号」、1kg千数百円するらしいが、これも知り合いの種苗店で購入予定。
 大体の作業イメージは把握出来て来た。
 問題は収穫作業の刈り取り、乾燥、脱穀作業である。これは一人では無理。無職で優雅な生活を送っている同級生のM君や従姉のご主人Kさんなどに動員をかけよう。というか蕎麦で釣ろう。
 周囲は林檎園だし、仕事が休みの日に弁当持参でみんなでのんびり作業などしたら楽しいだろう。
 このブログをお読み下さっている蕎麦好きな方、秋に石臼挽きの蕎麦粉が出来上がるのを楽しみにお待ち下さい!!


 フラナリー・オコナーの作品についてのNさんの「光明」という言葉に、「螺旋のカノン」を聴いている時のような眩暈を感じた。
 光明が無いことが光明であるような、そういう逆説的光明は無いのだろうか?
 考えているうちに、かつて悩まされた、「救いがないことがむしろ救いである」という逆説的言辞を思い出した。
 「救われる」ことで、人間は人間でなくなる。
 人間であり続けるためには、むしろ「救いがない」状況を是認すること。
                        (堂々巡り、あるいは「螺旋のカノン」)
 

2007年5月10日木曜日

植木鉢と人間の差異

 フラナリー・オコナーの『ゼラニウム』を読む。昨夜は風呂上りに缶ビールを飲んだだけで昏睡してしまい、2ページも読めなかった。まったく、だらしがない。
 さて、『ゼラニウム』を読み始めてじきにあれっと思った。ダッドリー老人が娘に引き取られてニューヨークのアパート暮らしをしている。そして向かいの建物の窓の外にゼラニウムの鉢が出されるのを待っている。
 老人が娘に引き取られてニューヨークで暮らす話は『よみがえりの日』(全短編・下巻に収録。または『フラナリー・オコナー短編集 善人はなかなかいない』1998年筑摩書房刊収録)でも書かれており、変奏曲のようなものであるが、やはり作品として別物であり、それぞれ独立している。
 『ゼラニウム』で窓から転落するのはゼラニウムが植えられた植木鉢。
 『よみがえりの日』で階段から転落しそうになって手すりに妙な引っかかり方をして死んでしまうのはタナー老人。
 そしてどちらの作品にも黒人とのトラブルが絡んでいて、背後に他者への強烈な悪意を感じないではいられない。
 
 ボリス・ヴィアンのCD『ぼくはスノッブ』をiTunesでパソコン内に取り込む。
 ただしこうして次々とCDを取り込んでゆくと結構な容量を使用する。となるとやはりryoさんのようにiPodを入手してそちらにファイルを移動させて聴いた方がよさそうな気がする。都会の電車、バスの中で、若者の多くがiPodなどにつないだ小型ヘッドフォンで頭を挟んでいるのを快く思っていなかった私だが、ああやって外界を遮断するのもたまには悪くないかなと考えを変え始めている(年寄りのたわごとです)。

2007年5月9日水曜日

ネットの海のはるか彼方にいるあなたへ

 仕事で外出時に7イレブンに寄り、「フラナリー・オコナー全短編・上下」を受け取る。
 今、まじまじと二冊の目次を眺めて上機嫌。
 先ずは初期作品の「ゼラニウム」を読んでみよう。確認もせずに書いてはいけないが、確か大学在学中の作品であったような記憶が。
 (目次通りに読まないのは昔からの悪い癖)

 本日、深謀遠慮からあえてブログ名は記さないが、あるブログとネットが通じ相互リンクとなった。直流式の電流が交流式になったようなもので、これでいろいろ以心伝心となるととても楽しいし、これがネットの醍醐味というか、効用である。
 ネットの害も様々あるが、そのすばらしさは年齢・職業・性別・貧富(?)・居住地・地位・名誉などとはまったく無関係に、書かれた言葉によってのみ、その方の思考と感覚が理解、感受され、まさに理想の交流が望めることである。
 つまらん属性は棚上げされて、その方が何を考え、何を感じてその文章を書かれているかが、日本中、世界中に張り巡らされたネットの細い回線の彼方から伝達されてくる。
 「ネットの海をユリシーズ」などと言えばかっこよすぎるが、人間として共感出来る声を発している方を探すために、私は時間があれば様々な検索をし続ける。
                              (やはり、かっこつけすぎ) 

2007年5月8日火曜日

ようやく面付け開始?!

 長かった連休が明け、印刷会社からメールが着信。
フォントも無事届きました。
問題ないようなので、すすめさせていただきます。
 やはり原始アナログの飛脚の方で届いたものをインストールしたらしく、メール添付やサーバーにアップしたものは、はじかれたり通じなかったりのようだ。が、いずれにしても当方が本文に使用しているメインのフォントが相手方のパソコンにインストールされたのは、めでたしめでたし。
 と、実はこれでようやくスタートラインに立ったようなもの。
 フォントでの躓きはこの印刷会社での印刷の初回である今号だけなので、次号からは円滑に進むだろう。
 いよいよ面付け開始となれば、40号もあと一週間もすれば宅配便で届く、Wahhahha!
 (私はNoストレス、No虎馬の脳天気人間)。

 7&Yから、先に注文してあった「フラナリー・オコナー全短編、上下)が、明日最寄のセブン・イレブンに入荷というメール。
 これは連休も仕事をしていたことへの褒美である。一気通読でなく、ゆっくりじっくり、超スローペースで1篇ずつ吝嗇に読み進めたい。もう新作が書かれることのない作家であるから。

 カウネットにレーザープリンタのトナーを注文。今日発送で、明日配達。物は試し、純正品でなくリサイクル品を頼んでみた。どこか純正品に劣るところがあったら、次回からまた純正品に戻せばいい。
  

 今朝は朝飯前に家庭菜園へ。なぜか豆作りに異常な情熱を燃やす老母のためにモロッコいんげん栽培のためのネットと、きゅうり栽培用のネットをふた張り、張る。
 またここ数年絶好調の「でんすけ西瓜」と「桃太郎トマト」栽培のための床作りとポリマルチ張り。
 半立性の落花生の種まき、1dl一袋(約60粒)。
 あらかじめ播いておいた枝豆の苗20本ほどと、とうもろこし「おひさまコーン」の苗30本ほど植える。
 われながら超人的である。
 それから、相変わらずのルバーブ、しばらく前に花観賞用を除いてすべて切り取ったつもりだったが、今朝見ると蕾だらけなので携帯カメラでパシッ。
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 ちなみにルバーブの花、満開になると昨年の画像ですがこんな感じです。
 そういえば、昨年書いた「ルバ酎」ですが、不味くて飲めず、まだビンに入っています。
 おまけにもうひとつ。昨年の6月だったか、この借りている畑の片隅にワラビらしきものが生えていたので、根をもうちょっと畑の中へ植えなおしたら、爆発的に増殖中である。
 もう一週間くらいで採取できるかも。
   

2007年5月7日月曜日

話はとんでもない方向へ

 今日、さるお宅で、3反(約900坪)の畑を高齢化で耕作できない家から作ってくれと言われて借りたのだが、半分は果樹であるプルーンを植えた。もう半分は空いているので蕎麦を作らないかと声をかけられた。
 (そういえば、いつだったか、畑を借りて蕎麦を作りたいと夢のようなことを言ってしまった……それを覚えていたのだ)
 あっさり断っては「あいつも心にも無いことばかりしゃべって」などと人間性を疑われかねない。
 トラクターとか管理機などは近くの農機具小屋においてあるから勝手に使っていいということで、先ずは種まきまでは一人でも出来そうだが、問題は収穫作業で、これは一人では出来ないだろう。早期退職の同級生などに声をかければ、ひとりやふたりは都合がつくだろう。
 しかし、蕎麦など一度も栽培したことが無い。
 第一、狭い家庭菜園だけで、450坪などという畑は耕したことがない。
 種まきは七月末か八月初旬のようなので、それまでにあちこちで栽培手順などを聞けばいい。と少し、気持ちが傾いてきている。本当は一人か二人を誘って、仲間で共同で栽培すればいいのだが、さて……無職で暇なM君をこき使うという手もある。
 種まきから収穫まで75日だという。やってみたいとは思うが、いかがなことになるか、わが家の女性二人に反対されそうな気もするが、彼女たちには一切手助けはしてもらわないつもり(蕎麦も食べさせないぞw、嘘嘘)

 まだ花びらを落とさない山桜が見えることがある。山桜でもほぼ真っ白な山桜と、ほのかに桜色のとがあるが、真っ白な山桜はなぜか酷薄で、何かが出て来そうな気配。
 今日の雨で久しぶりに根まで水分が届いたのか、芽吹いた唐松の萌黄色が目に鮮やかに沁みた。

 すばる文学賞作家である江場秀志さんから頂戴した、森島章人さんの『月光の揚力』という歌集を探しに行って見つからず。
 代わりに目に入ったのが『アンリ・ミショー詩集』(小海永二訳・彌生書房・1977年初版)。
 (wha、この本、Amazonで57400円です。それじゃ、「みじめな奇蹟」は幾ら? 1000円~3000円……意外) カフカのあの断片を思わせる散文詩がたくさん。
 アンリ・ミショーなんか読む柄ではないが、文字を追っていると胸が破れそうな表現がそこかしこに。
 全文、読み通そう。

2007年5月6日日曜日

今夜はひたすら

 AcrobatおよびPDF、PDF/Xについて検索、ネットサーフィン。
 やはり印刷発注にPDFは欠かせない。
  ヴァージョン5を最新の8にアップグレードしたいが、20,000円ちょっと超える。

2007年5月5日土曜日

テスト

 今夜はひとつ実験をしてみた。

 先日来、印刷会社に添付送信しようとして送れない購入和文フォントを、購入したままの「フォント.exe」ファイルではなく、自分のパソコンにインストールした和文フォントの、「フォント.ttc」だけをコピー、それを、そのフォントがインストールされていない配偶者のパソコンのメールアドレスに添付送信してみた。
 容量が大きいので数十秒の時間がかかったが、無事送信。
 そして無事受信。
 添付ファイルもちゃんと付いていてデスク・トップに保存。
 Windowsの「スタート」→「コントロール・パネル」→「フォント」と選択して行き、「ファイル」→「新しいフォントのインストール」をクリック。
 和文フォントの場所を指定してOK。
 Gyahaha、あっさりとインストール出来てしまいました。
��そ、そんな…これだと誰のパソコンにもこのフォントがインストール出来てしまうではありませんか。私、お金出して買ったフォントなんです…って、実は自分じゃなくて会の会計からですが)

 ということは、最初からフォント・ファイルだけを単体で送れば良かったのでした。
 印刷屋さん、フォントを送れって言っているのに訳が分からず、インストーラ付きのフォントソフト全体を送ろうとして済みませんでした、お間抜けちゃんは私でしたァ、
 と、ここでもう一度印刷会社へフォント・ファイルを単体で添付し、事情を説明して送信。
 連休明けには面付け、製版、印刷、製本と進むことでしょう。と、ひとりで勝手に夢想。
 残る心配は表紙の2色刷り。これまでは墨一色で来ましたから、初体験なのです。
 それにしても九州の同人誌の表紙デザインのセンスはなかなかのものです。感心します。

 まさにパソコンのブラック・ボックス内は真っ暗闇でございました。

2007年5月4日金曜日

思いっきりアナログ

 今朝になって、印刷会社からメール自体は届いても添付ファイルははじかれてしまうようなので、CDRで送ってくださいというメールが入った。
 どうも、いろいろ説明しても通じないようなので、相手の言うとおりCDRに焼いて宅配便の配達時刻「午前」で送り出した。
 明日の昼までには配達されるだろう。
 飛脚の昔からの、思いっきりアナログな輸送手段である。春樹風に、「やれやれ」

 さて、なぜ、添付ファイルがはじかれるか、当初は容量が大きくてはじかれるのかと思っていたが、ふと閃いた。ファイル・タイプに問題ありなのではないか、と。実はメール添付で送ろうとしていたのはフォントだが購入したもので独自のインストーラー付きというか、拡張子がexeなのである。どうも、exeという拡張子でセキュリティ・ソフトにはじかれているのではないか、とどこまでも当て推量。
 でもまあ、相手方がネット入稿までは対応出来ていないことが判ったので、それならそれなりにお付き合いすればいい。CDだってメール便なら80円で配達されますし、三日くらいかかってもいいです。どうせ年に2回の発行ですからあせっても仕方ありません。

 そういえば、Y書林のS田さんの俳句同人誌は月間であるからすごい。今日も、事務所横を通ったら、車が3台路上駐車していたが、多分、発送作業に借り出されたメンバーだろう。彼のブログに3日発送作業って書いてありましたから。で、ご本人の車は無し。中学へサッカーのコーチにおでかけのようでした。彼の雑誌は紙版の宅配便入稿でほぼ一週間で雑誌が出来てくる。しかも相当安かった。紹介しますよと言ってくれたが、同じ印刷所では都合が悪いことがあるので、独自に探した。
 当初第一候補だった東京の印刷会社はネット入稿の体勢は万全だったが、どうも仕事ぶりが数をこなして稼いでいる感じがして直前に今の会社に変更したのだった。この会社、実は関西である。私、なぜか学生時代の友人4人のうち3人が関西出身という、偏った友人形成でありました。嫌いなところがあるのにいつのまにか友だちづきあいしていたというような、妙な友人形成。

 ずっと私のブログにお付き合いいただいている方には毎度おなじみの画像のアップです。
 気温マイナス10℃の厳寒にも負けず、今年も生きていました。
 題して、私の机の上の小さな森。

 上は四年生のもみじの林。
 下は昨年生えたばかりの二年生のケヤキの子たちの小さな森。

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2007年5月3日木曜日

トラブル勃発

 4月25日にわが社に無いフォント2種類をメール添付で送るようにというメールがあったので、すぐに2種類のフォントを別々に添付送信したのだったが、今朝になって二つのうちのひとつが届いてないというメールが着信。
 ええっ?  ガ━━(゚Д゚;)━━━ン!!
 一週間も放っておかないで、もっと早くに言って下さいよ~。
 何の音沙汰もないので無事にフォントが届いて製版・印刷・製本と順調に進み、2日発送、3日配達という当初予定の流れを信じていたのですよw。
 仕方なく、もう一度メールに添付して送信したが、未だに着いたとも着かないとも音沙汰がない。一方の英字フォントはファイルサイズが小さいから届いたのか、残るひとつは購入したフォントだが7MBではファイルサイズが大きすぎるのか、それともメーラーの設定で容量を指定してそれ以上大きなメールは受信しない設定になっているのか、とにかく相手方に届いていない可能性大である。
 ちなみにWindows標準のMS明朝・MSP明朝のセットのファイルサイズを見てみたら似たようなファイルサイズで、異様に大きい訳ではない。
 
 そこでメール添付を諦めて、このブログをアップロードするために借りているレンタルサーバーの隙間に、そのファイルを直接アップロードし、そのURLをメールで知らせてダウンロードしてもらう方法を取ってみた。サーバーにアップロード後、自分でそのURLにアクセスしてみたら、そのファイルを保存あるいは実行できることが判った。
 さて、この方法が相手方に通じるか? 
 これでもダメだったら、ファイルをCDに焼いて速達で郵送というアナログな手段しかありませんわな(泣く)。
 WordファイルのほかにPDFファイルを送ったのだから、それを使ってくれればいいのに、何か、そうできない理由があるのか?

 これでは「木曜日」さんや「照葉樹」さんより早い発行はありえない。まあ、それではあまりに順調すぎた。いずれにしても連休に入ってしまったのだからあせっても仕方ありません。
 当方も多忙につき連休が明けるまで頭空っぽ状態。

2007年5月2日水曜日

夜来香(イエライシャン)の香り

 二男の麻疹罹患騒動で世田谷のある駅からアパートまでの小路を歩いている時、沈丁花の香りがしてふっと、そういえば最初にアパート探しに来て世田谷線沿いを歩いている時も沈丁花の香りがして同じことを感じたのだったが、中国の女性作家、残雪の『カッコウが鳴くあの一瞬』のなかの「天国の対話」の書き出しの一行を思い出してしまった。
 夕べまた夜来香(イエライシャン)の香りがした。あなたがこのことを教えてくれてから、これでもう五度め。
 この書き出しがなぜか気に入っている。小説をこんな風に書き出せたらいいなあ、と思う。夜来香(イエライシャン)の香りがどんな香りかも知らない癖にである。
 夜来香が咲いた様子はこんな感じで、まるで黄色いヒトデが空から降って来る感じで思わずくすくす笑ってしまいました。

 同人誌発送のための宛名ラベルの宛先を逐一検討しながら、ラベルをプリントアウト。
 その後で、大事な人の名前が落ちているのを発見。
 昨年の6月に、このパソコンのHDが物理的に壊れて大事な宛名ラベルが消失し、以前のラベルから復旧したのでどうも大事な人が抜けていたり、どうでもいい人が残っていたり、結局はもう一度印刷し直し。
 
 ryoさんが「薄雪鳩が鳴いた夏」を読んで下さったという。
 ここに登場する薄倖の女性は実際に薄倖だった従姉のイメージを借り、薄雪鳩は亡き父親がかつて実際に飼っていた鳥だった。
 北と南の両方の窓を開け放った夏の日の午睡の、微かな意識の揺らぎのはざまにポッポポー、ポッポポーというのどかな薄雪鳩の声だけが聴こえ、あの頃の私はなぜかそれだけで十二分にしあわせだったような気がする。

2007年5月1日火曜日

暴露

 いつからかbookmarkに入っていたあの超有名な同人誌のブログ。ウェブ上に公開されているものだから、ここで紹介しても叱られないでしょう。

 ryoさんの情報では、本日F県某所で物書きが集結したガーデン・パーティが催された模様。F県名うての書き手たちが、海鮮、スペリアブ、焼き筍などをつまみに豪快に飲み、かつ口角泡を飛ばして語る姿が彷彿として、羨ましいことこの上なし。その写真もアップされているが、惜しいかなピントが合っていなくて、Kさんほか人物の表情まで見えません。

 昨夜は、相変わらず「螺旋のカノン」を繰り返し聴きながら、ブログ記事の過去ログを2004/4/26~2005/5/5までテキストファイルに収めた。一日分ずつのコピーペーストなのでほんとうに辛気臭い作業だが、記事を確認しながらコピー&ペーストをしていて、結構同人誌の埋め草(主に一頁か半頁のもの)に使えそうな記事がたくさんあったので、よかった。
 しかし、「螺旋のカノン」。音階が上がってゆくのだからカノンは螺旋をぐるぐる上昇してゆくのだろうけど、その螺旋を描きながら神の国あるいは天井へ上昇してゆくことの幻惑感と、その上昇から不意に失墜するのではないかという微かな不安と恐怖。

 You Tubeで、Tina Turner のProud Maryの関連で「BEYONCE TINA TURNER TRIBUTE」というのがあった。
 Tina Turner と、人類を敵か味方かでしか分けられないという、USA史上もっとも単純思考な大統領夫妻が並んで見ている前で、BEYONCEがProud Maryを歌う。
 でも、やっぱり、Tina Turner の方がいい。