2007年11月30日金曜日

Oyamabokuchi,once more.

 oyamabokuchiの種を、毛やら花弁の名残りやらを排除してみたら、あれ? ちょっと色の変わったものがあったので選別してみた。
 
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 これは普通の種。ほとんど90%以上がこの色。


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 こちらは種自体が紫がかっている。さて? これだけ色が違うと明らかに別種ではないか? 仲間に葉場山火口(ハバヤマボクチ)というものがあるらしいが、それが混入したか? でも、その種が紫色と書かれている情報を得ているわけではないので、皆目見当もつきませんがもう少し調べてみましょう。
 キク科ヤマボクチ属に、「oyamabokuchi」、「キクバヤマボクチ」、「ハバヤマボクチ」、「ヤマボクチ」の4種あり、蕾や花を見ると区別もつきませんが、葉の形が明らかに違います。「oyamabokuchi」はゴボウに似た葉ですが、ほかは菊の葉のように切れ込みがはっきり入っています。ネット上の植物図鑑でも、花、茎、葉などの写真はありますが、残念ながら種の写真までは載っていませんので、結局、この紫色の種が何なのかは不明のままです。種を播いて、葉の形がどうなのか、見るのが楽しみです。

 いずれにしても、ちょっと面倒ですが紫の種は別に保存し、播種も区分けして行なわなければなりません。




 「ブヴァールとペキュシェ」、ようやくパリから田舎へお引越し。
 て、まだ第1章ではありませんか。
 いよいよふたりの、奇妙で絶望的な学問とその実践が始まります。
 ブヴァールとペキュシェって、19世紀の小市民的中途半端なインテリ型ドンキ・ホーテなのでは?

2007年11月29日木曜日

超有名なNora

 sunameriさんも内田百閒先生も泣いて喜びそうなピアニスト猫、Nora。
 す、すごい! あの猫ならぬ手つきと、カメラ目線でこちらを睥睨せんとする、あのショパンよりも確たるピアニストの目つき。
 にゃんと、終わり際にバッハをデュエットで弾いておりますよwww。



Views: 6,991,261 !! You Tubeの大スターではありませんか。
「鍵盤の上の猫」というCDまで発売されているらしいです。

2007年11月28日水曜日

1365頁

 手も足も出ないことは判っていても、発売以来ずっと気になっていた「ジャン・メリエ遺言書」を古書検索してみた。
 新本価格が31500円のところ、24000円、25000円など4点がヒット。
 う~む、半額くらいになりませんか。
 といっても1365頁という驚異的厚みを考えてみると、文庫本さえ通読できずに停滞している今の私には猫に小判&豚に真珠そのものでしょう。

 さあ、その文庫本を再び(みたび?)、開きましょう。
 そういえば、同人誌の作品の感想も書かずに時間ばかりが経過……ジリジリ。

2007年11月27日火曜日

oyamabokuchi騒動終了

 11月20日の記事に写真を載せたoyamabokuchiの枯れた葉を揉んだもの、それを23日に鍋に入れました。


 071122oyamabokuchi_nabe.jpg


 ここに水を満たし、適当に重曹を入れ、途中でアクで真っ黒になったお湯を捨てて新しい水でさらに煮、ひたすら煮つづけること、延々6時間。
 その後は、葉脈の折れたものや葉の表面が揉まれて細かいゴミのようになったものを洗い流し、葉裏の白い繊維だけを残すように、洗い続ける。だが、洗っても洗ってもゴミは出つづけ、気が遠くなるような精製作業。
 完全に真っ白になるのは不可能なので、途中で諦めて水分を抜き、乾燥させる。
 以下が、その完成品。なんだか、とても怪しい風体をしていて、こんなものが蕎麦のつなぎに? という感慨しか持てません。夏に緑の葉を摘んで作ったものはやや緑がかっていますが、枯葉を使用したので若干、茶色がかっています。

071128oyamabokuchi_kanseihin.jpg
 (クリックで拡大)

 手もみしたものが鍋一杯にあったのに、精製したら情けないくらい少なくなってしまいました。
 1g単位で計れる秤がないので5g単位で計れる秤で軽量すると10g強。5gでそば粉1kg打てる量なので、これで2kgの蕎麦が打てる計算。
 あの根気比べのような作業でなんとこれだけ。といっても本来は夏に緑に葉を採種して一ヶ月以上陰干しするという本来の方法ではなく、急な思いつきで枯れた葉を採取しての作業だったので、これくらいで満足すべきか。もっとも2回目採取の分はまだようやく昨夜、夜なべで煮込んで、今夜はまたゴミを洗い流す作業をずっと繰り返し、明日乾燥の予定であります。この2回目の方が量は多いと思います。

 やれやれ、これでoyamabokuchi騒動も終了、近日中にこれを使って10割蕎麦を打ってみて話題終了といたします。あ、種も採取していま乾燥中ですので来年春には種蒔きする予定ですが。山での自生が減少しているようですので、栽培方法を探ります。
 それにしても、この多大な労苦。売っているならば買った方が得なような気もいたします。
 

2007年11月26日月曜日

精神が荒廃すると人間性は

 タルコフスキーの最後の映画(遺作)である「サクリファイス」だけが予告編しか見ることが出来ず、中古DVDは17,000円などという法外な値段が付いていて手も足も出ず、こんな田舎のレンタル・ショップにあろうはずもなく、明日にも一応、界隈のレンタル・ショップを片っ端にのぞいて見ようと思うのだけど、すでに自分がレンタル・ビデオ店に似つかわしくないという自意識の井戸に落ち込んでいるオジサンとしては、足も気持ちも重いことではあります。

 それにしてもです、この一作以外はすべてネット上にアップロードされているという事態をどう捉えたらいいのか?
 亡命者の著作権など、だれも保障してくれないのだろうか。いや、だからこそかえって、この遺作を除くすべての映画を、自宅に居ながらというはなはだ横着な状況で彼の映画を支障なくパソコンで鑑賞できるのだから、むしろこのアナーキーなインターネット世界に感謝すべきか。
 ただ一作見ることが出来ない遺作は、亡命先の資本主義体制化で製作されたので皮肉にも著作権でガードされている模様である。(先日も書いたが、つくづく、著作権などというのは資本主義世界ならではの怪しい権利ではあります)
タルコフスキー、『サクリファイス』を語る という文章を読んだ。―物質が荒廃しても生き延びられるが、精神が荒廃すると人間性は滅びる―というサブ・タイトルつきである。
 この文章はいい。ここで彼は自分が宗教的人間であることを率直に告白している。確かにそうだと思う。その上、少年時代に音楽家希望だった彼は、映画音楽にもその感受性を十二分に発揮している。
 私には、バッハ好きには無限定に共感してしまう悪い癖がある。
 タルコフスキーの映画にバッハの音楽が流れているだけで、私はタルコフスキーを全面的に支持してしまうのである。
 「惑星ソラリス」にはBWV639、 「サクリファイス」にはマタイ受難曲からBWV244Aria
 アンドレイ・タルコフスキーは、映画監督になる以前に宗教的人間であり、音楽的人間であったのですよね。

2007年11月25日日曜日

粗忽者

 昭和30年代くらいからわが家にある家庭用小型金庫、現金はあまり入っていないが、書類や通帳が少しはあり、今朝も通帳を確認することがあって一度金庫を開け、そして閉めた。時間をおいてもう一度金庫を開ける必要が生じて、開けようとしたら、開かない。ダイヤルと鍵を併用するタイプなので、ダイヤルが動いてしまうと鍵が動かなくなるのだが、鍵は動くにもかかわらず開かない。ダイヤルを、右に4回、左に3回、右に2回、左に1回と数字を合わせながら試してみたが、やはり、鍵が動くのに金庫の扉は開かない。さては、壊れたか。
 どうしても開かないので、鍵屋さんを呼んだ。来て5分もしないうちに開いた。我が家の金庫、どうやら銀行の通帳が挟まってしまい、そのせいで鍵は動いても扉が開かなかったらしいのだけれど、なるほどそういう方法があったのか。
 ということで、自分の粗忽な閉め方が原因で、出張料プラス作業代金=3000円でした。

 午前は野沢菜を漬けるお手伝い。3人暮らしなのでたくさんは要りません。
 

2007年11月24日土曜日

冬ごもりの前に

 今日は半日は家庭菜園の野菜の収穫、最終ラウンド。
 家族全員(3名)総出演、といっても1名は八十ん歳、もう1名はめったにこんなことをしないお嬢ちゃま、結局一人前なのは残る1名だけ~~ (ーー;) 。

 大根などは上部が凍っていた。
 貯蔵用大根、野沢菜、長ねぎ(タキイのホワイトツリー)、下仁田ねぎ(鍋、煮物用、別名「殿様ねぎ」)、白菜、キャベツなど。キャベツは初めて栽培してみたが、白菜に準じた作り方でほぼできることが判明。ただし、アブラナ科野菜での無農薬栽培は難易度95%。
 これで、ほうれん草、冬菜などをのぞいてすべて収穫、ほっ。

 午後はまた山へ。先日午前中に行った時に3ヶ所ほど自生地を発見したが、仕事のためお昼までに帰宅しなければならなくて、二ヶ所め、三ヶ所めは種の採取だけで、かんじんの葉の採集がまったく出来ずに帰ってしまった。
 その葉を採取する、といっても半分以上はすでに枯葉。枯れて破れて、裏は降雨の際の跳ね返りの泥がついている葉など集めていて、知らない人が見たら「変」に見えるでしょう。「あのおじさん、何してるんでしょ、ちょっと変」、(^_^;)
 結構、もう一度精製作業をするだけの量が集まった。
 11月15日に採取して来たわずかな葉での試験的精製の方がきれいに出来、一昨日の2回目精製の方が不純物除去がうまくいかなかった。やはり乾燥と揉みをきちんとしないと後の工程で手こずってしまうことがよく判った。基本に忠実、と残るすべてが根気。
 ついでにまた種も採集。

071123oyamabokuchi_seeds.jpg


 来年春に播種してみるつもり。
 隣のN県の農業試験場で発芽試験などしていて、その成果がネット上で読めますので、参考になります。乾燥したままでは発芽率が悪いらしく、ある保存方法だと発芽率がぐっと良くなるらしい。
 また、種と飛行するための羽毛の分離方法も書かれていて大いに参考になります。

大作

 「デジタル文学館」に自分の雑誌の同人、wさんの300枚もの長編を自分を推薦者としてアップロード。
「終わりの夢」
 ただこの作品は同人誌発表ではなく、地域のローカル新聞紙上に連載された作品なので、デジタル文学館の狭義の趣旨からはちょっとはずれる。けれども同人誌の書き手の優れた作品をアップロードするという観点ではまったく問題ない。(たったひとりしかいないデジタル文学館司書がいうのだから間違いない(爆)
 テキスト・データさえあれば300枚もの大作もアップできますよというアピールでもあり、また作品自体もなかなかの出来なので、埋もれさせておくのは惜しいので読んでいただきたいと思い、別の場所にアップロードはしてありましたものを、作者の了解を得てデジタル文学館に移転アップロードしました。
 デジタル文学館のために借りているホームページ・スペースに、1ファイルの最大容量が500KBまでという規約がありますので、ファイルを分割してのアップロードになりました。
 HTMLファイルが章ごとに6ファイルに分割、PDFファイルはひとつでは500KBを超えそうだったのでふたつに分割。
 印刷してもA4に2頁ずつ印刷しても50枚を超える作品ですのでお気軽には読めませんが、ひとりでもふたりでも読んでいただける方に出会うことができたら、「デジタル文学館」の存在意義もあるといものでしょう。

2007年11月23日金曜日

怪しい精製作業ではなく

 昨夜からoyamabokuchiの精製作業をいろいろ試行しております。根気仕事で時間がかかります。いちばん大事なのは、いかに不純物を取り除いてきれいな茸毛(じょうもう)だけにするかですが、どの作業のどこにキーポイントがあるが、大体つかめて来ました。
 おおむねこんな手順です。
 当地は降りませんでしたが、11月の降雪、すごいですね。雪が降らないうちにもう一度山に行って素材を集めておきたいので、明日、行って来ます。

転居

 メール便が一通戻って来た。総会で面識を得た県内S誌のT沢さんにその際手渡すのを忘れた前号と今号とをあわせて2冊送ったのだったが、住所そのものが何年も前のバックナンバーに発見したものなのであえなく返送。仕方ありません。
 そういえば前号もO誌のT山君に送ったものが戻って来てしまった。メール便は郵便局のように転居先を把握できないので、転居即返送となる。弱点である。

2007年11月21日水曜日

火口(ほぐち、ぼくち)

 実は日曜日にoyamabokuchiが自生している場所を、何と市内のとある山中に発見していたのでした。
 ただしここに書くのはどうかとためらっていたのでした。
 あまりにマイナーすぎる話題ですし、あまりにも文学から離れたままですし……。
     (ええい、書くことも読むことも、生きることも日常も等価!)


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 枯れてはいますが、結構たくさんの葉が採取できました。しかも枯れていて好都合で、緑の葉だったら幾日もかけて乾燥させなければいけませんが、もうすでに乾燥状態で、すぐに葉を揉むことが出来ました。

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上の葉を揉んだものが↓。

oyamabokuchi_mondaha071120.jpg

 モグサに似ていると思いませんか?
 実はoyamabokuchiの火口(bokuchi)は、かつて火打石で火を作る時に↑のもじゃもじゃに着火させ、それから竃などへ火を移したという、昔の生活必需品だったのです。それが精製されて蕎麦や餅のつなぎにも使われていたという訳です。ことに、水田の無い畑作だけの山間地では粟などで餅を搗いたのですが、粟だけでは粘りが無く餅にならないのでつなぎとして精製したもじゃもじゃを使用し、粟餅を食したということです。それが蕎麦のつなぎに使われるとそば粉10割で打てるのだそうで、だからこそこの植物探しに狂奔したのでした。
 この手もみしたもじゃもじゃの精製作業は、重曹を入れたお湯で半日くらい煮て、葉の表の茶色い部分など夾雑物を水で洗い流し、白い繊維質だけを取り出します。
 ただし、あまりきれいに茶色い部分を取り除かない方が、蕎麦の仕上がりが田舎蕎麦風に黒っぽくなるようです。
 精製作業が終わったら、とにかくこれで一度、自分だけで10割蕎麦を打ってみます。
 
 やれやれ、来年は花の時期に山へ行ってみることにします。
 花はアザミに似ていますが、キク科。葉っぱはゴボウの葉に似ていますがキク科。

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2007年11月20日火曜日

馬車がカボチャになる時刻

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 今日は、三日連続の強烈な霜で慌てた林檎園を営む親戚のお手伝いで、急遽、午後半日、林檎採りのお手伝い。林檎が凍ってしまうような低温も2回まで、3回以上凍ると味や食感が落ちるのだそうです。
 慣れない仕事は疲れます。が、こういう仕事、好きだなあ。
 私は元来が頭脳労働派ではなく肉体労働派なので、ますます脳天気に、アホになります。
 世界が滅亡しようが一杯の紅茶、世界が滅亡しようが一個の林檎が大事。
 おかげさまで、わが家は林檎を購入したことがありません。感謝。


 夜は言うに言われぬ作業をいろいろしていて、あっという間に、まもなく午前零時。
 わが家ではこの時刻を「馬車がカボチャになる時刻」と申しております。
 馬車がカボチャになる時刻以降まで起きていると、寝坊して明日の仕事に差しつかえたり、心身の調子が悪くなったり、書いてもろくな小説にならなかったり、ろくなことはありません。
 そんな甘いことを言っているから小説が書けないのだと、私のなかのもうひとりの私が言いそうな雰囲気ですが、生憎と私はそういった別の私を所有しないタイプでありますので、馬車がカボチャに、御者がねずみに戻らないうちにとっとと眠ることにいたします。皆様、おやすみなさい。
 

2007年11月19日月曜日

レッド・データ・ブック

 ブログ検索というか、ブログ・ポータルのTechnorati Japanの「人気の検索ワード」で、夕方は5位だった「文学フリマ」が今は4位に上がっている。あれ?今度は6位に下がっています。
 750件のブログ記事が収集されていて、「文学フリマ」というWordすべてを拾っているのでこの催しに触れただけの記事もあるが、フリマに参加した人の記事、見に行った人の記事などをパラパラ拾い読みしてみた。当然、既読のLydwineさんの記事もあるが、ほかにもフリマの状況がうかがえる記事があって、なかなか面白かった。会場の写真をアップされている方もおり、しかもプライバシーに配慮してこちら向きの顔にはひとつひとつに「へのへのもへじ顔」を貼り付けてあったりして、そのアイディアには笑えました。また、手書き原稿のコピーを持って乗り込んでいるらしい旧世代の方に関する記事もあって、思わず頑張れ!旧世代と叫んでしまいましたwa。
 しかし、いわゆる純文学系というか文章系というか、そういう系列の雑誌とライトノベル系やらファンタジー系、SF系などとの比率はどうなのだろう? 
 純文系はレッドデータブックに登載間もないだろうけど、他のジャンルに揉まれた方が活性化していいのかもしれません。

 などと書けばたちまちTechnorati Japanの検索ワード「文学フリマ」に取り込まてしまうかなという怖れがありますが、Technorati にping送信していないから大丈夫?

山歩きのせいで読書進まず

 午前中は車で山歩き。どうもこの近辺の里山にはオヤマボクチ群生は期待できないようだ。もうちょっと標高の高い草原。今日の午後など、浅間山に雪が降っているのが見えたので、もう探索は無理で、来年回しかもしれない。
 また標高2000mくらいの中くらいの山歩きもいいかもしれない。
 昔、山歩きをした時の靴はどうしたんだっけ? 捨てたような気もするが。

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天気が良いと山歩きが気持ちが良くて、だけど......頭がバカになります。


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 それにしてもこの別荘、怖いですね。清水寺みたいな懸崖造りで、谷側に華奢な鉄骨だけで支えられて建っています。右下は猛烈に深い谷なのですが、この別荘で夜、眠れるでしょうか。スリリングな、夏向きな別荘であります。
 チャップリンの映画を思い出します。The Gold Rush (黄金狂時代)のあの山小屋です。





 午後は自家菜園の五寸ニンジン、ヤマゴボウ(モリアザミ)、ヤーコンなどの根菜類の収穫。
 ニンジンは簡単に抜けるが、ヤマゴボウに手こずる。しかもスーパーマーケットで売っているような、お箸くらいのすんなりスマートなのはごくわずかで、太すぎるもの、根が3本、5本と分かれてしまっているものが多い。右側の3本くらいがスーパーで売れるくらいの太さ(細さ)。
 太すぎるのは播種期を遅らせるか、播種密度をもっと細かくするかで対応するほかないが、根が分岐してしまう原因は何か? 
 、ヤマゴボウ、しろうとには栽培が難しい。が、この味と香りが何ともいえません。生でお味噌など付けて食べたら最高ですが、火を通した料理に比べてOnaraの発生が猛烈で、これが困ります。でも、おいしい。

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 それから、ヤーコンは大豊作。家人たちはヤーコンは要らないとか言っていたので、豊作でため息。新しい料理法、、食べ方を探索しなくては。

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 ひっくり返され、写真を撮られ、このヤーコンのあられもない姿、(ーー;)

 あと収穫すべきは、貯蔵用大根、ねずみ大根、下仁田ネギ、長ネギ、野沢菜くらい。ほうれん草、春菊などはまだそのまま。野沢菜も昨日、今朝と二回強い霜が降りたので、来週あたりが採り頃か。

2007年11月18日日曜日

間抜けな試みシリーズ

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 左が、わが家が菜園を借りている地主のBさんのねずみ大根。右がわが家のねずみ大根。
 Bさんのは明らかに坂城町のねずみ大根の形質がそのまま出ているが、我が家のは違う。確か、中之条系とあったような気がするが。
 Nさんにお送りしたねずみ大根も坂城町のとは違って松本から岐阜方面で栽培されているねずみ大根のようだったので、申し訳ない気がします。
 ひとくちにねずみ大根と言っても、系統がかなりあるんですね。

 このBさんから頂戴した2本、もう一度畑に植えて、来年春に花を咲かせて種を採取できないか? ダメでもともと、やってみよう。

2007年11月17日土曜日

また最初から

 私が道学者くさくなったというんですか! それも齢をとった徴でしょうか。そのくせ自分では間違いなくぎりぎりの感情に奔っているつもりですがね。もう時には矢も盾もなく人類を罵りのめしてやりたくなります。いやこれはいつか、たとえ十年先のことになろうとも、構想の大きなある長編小説でかならずやって見せますよ。

      1952年、フロベールが愛人ルイズ・コレにあてた手紙より


 ここに書かれている構想のある大きな小説が『ブヴァールとペキュシュ』で、フロベールはこの一作を書くために1500冊以上の医学、生理学、園芸・農業、化学、歴史、考古学、宗教、哲学、政治、教育學などの書物を読破したという。ううむ、それは敵いません。



フロベールは人も知るとおり、《芸術家は自然における神の如く、その作品に自己の姿は見せてはならぬもの、人間は無、作品がすべて》であることを信条とした作家である。

      『ブヴァールとペキュシュ』(岩波文庫・鈴木健郎訳、まえがきより

 私小説というのはまさにこの逆説から成り立っているわけで、それはそれで恐るべし。

 

精製シミュレーション

 夜、昨日採取して来たoyamabokuchiの枯葉を用いて、葉裏の綿毛(茸毛・じょもう)を取り出す精製作業のシミュレーションをしてみた。
 その結果、乾燥させた葉をよく揉むのが大事なポイントで、あとは炭酸水素ナトリウム(重曹)を混ぜたお湯で延々煮て、それからさらに茸毛以外の不純物を根気良く洗い流すこと。
 そのようにして精製乾燥させたoyamabokuchiは、1kgあたり6000円くらいするという。もっともそば粉1kgに対してoyamabokuchiは5~6gだというから、10回蕎麦打ちするとしても50~60gあればいいことになる。
 種の方はもっと乾燥させて、ひとつずつが自然に飛び出すのを待つことに。

 それにしても、ネットで検索してみればすでにoyamabokuchiを種から播いて育てているひとが結構おいでになられて、参考になります。

 明日は沢庵を漬け込むという。総太り大根のほかに、Nさんの真似をしてねずみ大根も漬けてもらえるよう、10本抜いておいた。年寄り一人にさせるわけにもいかず、どうせ手伝わなくてはならないのだけど。
 奥様はといえば、明日はアイルランド共和国軍の略称に似た名前の詩誌の合評会のため、一泊で名古屋へ。残業続きでお疲れでしょうから、ごゆっくりどうぞ。

2007年11月16日金曜日

Get オヤマボクチ

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おお、雪です。

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ありました、こんなところに、ありました。
左の写真が花の後の種で、右中央の茶色の葉が、枯れていますが目的の葉。
花を見ればアザミのようで、葉を見ればアザミのようなギザギザの切れ込みがなく、むしろゴボウの葉に似ている。ゆえにヤマゴボウとか、ごぼうっぱとか、ごんぼっぱなどと呼ばれている。科もアザミ科ではなくキク科である。
 (食用にされているヤマゴボウはモリアザミで別物)  

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 同じく、左が種。この種を来年の春に播いて畑に植えると、山に行かなくてもoyamabokuchiの葉が手に入るのではないかという目論み。ネットで検索しても、栽培にチャレンジしている方が複数いますし、本場のI市富倉地区でも山での採取は非効率的なので畑で栽培しているようです。
 右は葉の表と裏。裏側の白い網目のような繊維が蕎麦のつなぎとなります。本来は8~9月頃に青い葉を採取し、精製加工、繊維質だけを取り出します。それが蕎麦のつなぎになるわけです。

071115oyamabokuchi_tane_zenbu.jpg
 これが採取して来た種すべて。数百粒とか1000粒とか、あるのだろうか。


 あ、今夜は定例15日の赤提灯でした。
 

超簡単、男にも作れる「そば和菓子」(爆)

sobakashi1.jpg sobakashi2.jpg

そば粉大匙4、小豆の缶詰・小(210g)をよく混ぜる。


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それをラップで包んで電子レンジ(強)で3分半


sobakashi5.jpg  sobakashi6.jpg


熱いうちに簀(すのこ)に巻き、冷めてから輪切りにする。

京都「俵屋吉富」の「雲龍」にはさすがに勝てませぬが(!!)、そこそこ田舎和菓子風にはなっていると思いますよwi。試食は明日です。

             (昔、千葉の義妹から教わったレシピを再現)

2007年11月15日木曜日

いざ

 今日のうちに仕事をやりくりしておいて、明日の午前、半日を空けた。
 ネット検索であたりをつけておいた標高1700m~2000mの山岳地帯へ、表向きはデジカメをぶら下げての紅葉狩りということで、久々の山岳ドライブ。
 その真の目的は、昨日の記事を読まれている方には明々白々、(^_^;)

oyamabokuchi1.jpg これが→こうなっているはず oyamabokuchi2.jpg




 昨日書いた、フロベールの「ブヴァールとペキュシュ」をまた手元に引き寄せた。まだ、ブヴァールとペキュシュが知り合った場面までしか読んでない。岩波文庫で、薄めだが3冊に分冊されている。

 小説を書くことが厭になったり、書かずに済ませられるようになった訳ではないのです。ただ、実際に書き始めてみると、それが気に入らないだけ……。

2007年11月14日水曜日

今夜も文学から遠く離れて

 今夜は遅れていた同人誌の個人発送分の発送作業を済ませ、十割蕎麦のからみで「oyamabokuchi(漢字表記は何と雄山火口)」の検索に没頭。
 してみると、何、どうも私の生活範囲にも自生している模様で、しかも今はおそらく種を持ったまま枯れる途上にある。しかもネットで検索すると、この地方のある山へ登る登山道の、あるポイントの両側にoyamabokuchiの花が咲いていたと書かれている記事に遭遇。車で一時間はかからないだろうから行ってみたい。行ってoyamabokuchiの種をちょっとだけ採取したい。
 またまた文学から遠く離れて奇妙な研究に熱中しつづけるネクタリオ君か、フロベールの「ブヴァールとペキュシュ」の世界ではないか。
 

2007年11月13日火曜日

怪しい動きに腹立ち紛れ

 いちばん有名な、あの動画サイトがおかしい。
 見ることは出来るが、ダウン・ロード・ソフトでダウン・ロード出来なくなった。(ダウンロード・サイトではまだダウンロード出来る)
 さては著作権問題で仕様を変えてダウンロード出来なくするという計略か?
 国境も法律も超越してしまおうとしているネット世界では、すべてのコンテンツはパブリック・ドメインでしかなく、著作権など所詮は資本主義世界でしか通用しない甚だエコノミックな権利でしかないと思うのだけど、ね! そういう意味からも このお方の本日のブログ記事に注目!! 
 私も、著作権70年延長に反対!






 Windows Media Playerがおかしい。
 うっかりWindows Media Player11にアップグレードしたら、デジカメで撮影したmovファイルをwmvやaviファイルに変換したものの映像が表示されない。そこでWindows Media Player10に戻そうとしたら出来ないのである。マイクロソフトの陰謀である。

 ということで、今夜も同人誌の個人発送分の発送作業が出来ず、(おおいに泣く~)

2007年11月12日月曜日

雨降りなので

 雨降りなので発送作業が捗って、同人宛て、県内各誌への5部宛発送、批評関係、図書館など、会の名前での大部数発送があらかた済んだ。引き続いて個人分もと思ったが緊張の糸が切れたので、また明日ということに。こちらはすべて1部ずつだから作業は楽であるが。

 雨降りなので、午後三時過ぎから、老いた母親の手を煩わせて蕎麦打ち。力の要る捏ねる作業だけを交替し、あとは写真を撮ったり、デジカメの動画撮影機能で動画を撮影したりした。ただし、動画はファイルサイズが大きいので、もう少し切ったり張ったりしてファイルサイズを小さく出来るまで、ここにアップロードするのは断念。
 昨年の石臼挽きとちょっと感触が違うような感じはしたが、一応は新蕎麦である。女ふたりに男ひとりで、二八蕎麦で都合5合の蕎麦粉から作られたものをほとんど食べてしまったのは、明らかに私の食べすぎである。食べ過ぎて、気が遠くなって、眠くなってしまった。
 蕎麦すいとんの話をしたら、配偶者が新幹線駅東口の○笛ではなく、西口の○衛門で食べたことがあり、美味しかったので作ってみたいと言う。うーん、上手に出来ますか、少し間を置いてから、是非、お願いいたします。ダシが勝負ですぞ。

2007年11月11日日曜日

41号ウェブ版がほぼ出来て

 41号のHTML版とPDF版の作成が終了し、リンクを張り、ファイルや画像をアップしたが、まだINDEXのページや41号目次のページの更新作業はしないので、サイトでの表示はこれまでと同じで40号までのまま。少なくとも同人の手元に41号が届くまで、あるいは15日発行なのでそれまで更新作業を待つ必要があるのです。

 それにしても、Wordのdocファイルから直接HTMLというのはどうしてもWordの書式が付いてまわってレイアウトが崩れるので、Wordファイルを先ずtxtファイルに保存しておいて、そのtxtファイルをHTMLに流し込むようにするという手順を踏まないといけない。Wordの改行行頭字下げのインデントにいたづらされてしまい、字下げされている場所と字下げされていない場所が混在してしまうのだ。どちらか一方だったら手の打ちようもあるが、混在しているとひとつひとつ字下げを手作業で修正するはめになるが、そんな辛気臭い作業は出来ません。
 要するに、txt化でWordの書式を改行以外すべてふるい落としてしまえばいいのである。

 さて、今夜はあとは、音楽と軽井沢倶楽部。
 あ、まだ文学賞がらみの頭の痛い問題が……。一応、文書を作成してみよう。

文芸誌の41号印刷版が出来

 ソバ粉を引き取ってからネットでオーーダーしてあった昨日の温泉での写真をカメラ店で受け取って帰宅。すると宅急便で同人誌41号が運び込まれて来ました。やはり10日で出来ましたか。 
 早速、発送準備に入らなければ。
 頁割り負担金の計算をして、同人それぞれの負担金額を算出。それを文書にしていっしょに同封して送らなければならない。前号で会計がかなり逼迫していたので頁800円にしたら、今度は残高が多くなってしまったので、頁600円に調整値下げ。頁500円にもどしても良かったような気もしますが、まあ、少しは余裕を持たせていただきましょう。
 ウェブ版の作成も早くしなければ。15日が発行日ですので。

ソバ粉が出来

 今日は製粉所へソバ粉を受け取りに行く日。10時頃車で行ってみると、すでにレジの前に用意されていました。
 帰宅して、弟の家など、本日のうちに発送すべきソバ粉を荷造りし、宅急便で発送。
 わが家も新蕎麦を今日というのは難しいので、明日の楽しみにする。石臼挽きはおいしいので、ソバ粉100%でダシのきいた「すいとん」をしてみたいのですが、とにかく、先ずは蕎麦打ちでしょう。
 蕎麦を打って食べて、それで非文学きわまりないソバの話題はおしまいとなります。

2007年11月10日土曜日

三人だけのクラス会

 昨夜は、客室数12のこじんまりとした宿に宿泊。満室だったが、団体客皆無なので静かで快適だった。
 忘れないうちにN澤君にRhuberbの種を50~60粒くらい頂戴する。U田君とはお互いの結婚式に出席しあって以後初めての再会だからとても懐かしい。夕食の席でビール、冷酒、部屋に戻って焼酎に切り替え、ボトルが空くまで飲んで、午前1時。N澤君は下戸で少ししか飲めないので、ふたりで空けたということになります。

 今朝は温泉に浸かってから宿の近くを散歩。

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 カメラのキ○ムラ・ネットプリントサービスで今回の写真の焼付けを注文。
 明日、店舗へ行けば出来上がっている。

2007年11月8日木曜日

パンク老詩人

 昨夜、チャールズ・ブコウスキーを検索していて、どこかでブコウスキーがらみの映画が4作日本で公開されているというような記事を読んだが、一夜経ったらその記事自体が見つからない。
 今夜検索しても以下の3作しかないが、あと1作は何なのだろう? 
『バーフライ』 "Barfly" 1989年
『つめたく冷えた月』 "Lune Froide" 1991年
『ブコウスキー:オールドパンク』 "Bukowski : Born into This" 2002年
 『つめたく冷えた月』は、監督のパトリック・ブシテーは未知 だったが、原作ブコウスキー、製作リュック・ベッソンの名があったので見ている。他の2作は見ていない。
 『ブコウスキー:オールドパンク』 はドキュメンタリーのようだ。映画『バーフライ』の原作は『詩人と女たち』かな? あ、シナリオがブコウスキーで、主演はミッキー・ローク とフェイ・ダナウェイではありませんか。見てみたいです。

��もう一作、ありました。「酔いどれ詩人になるまえに」  で、これがいちばん新しい。あれ?「ありきたりな狂気の物語」も映画化されているようです)

 ブコウスキーは、確かに歳をとってもパンクだったが、詩から出発した作家だけあって、パンクで猥雑ではあったけれど、子どもみたいな純真を隠し保護するためのパンクであったような気がしてならない。ブコウスキー自身が好きであるらしく、自作の小説『パルプ』にとうとうその幽霊を登場させてしまったセリーヌも猥雑極まりないくせに純真。
 純真なひとって、時に、逆説的なくらい猥雑になったり攻撃的になりません?

またしても男子厨房

 昨夜は結局、「冥途」を開いてしまった。これはもう読んだ作品ばかりなのだが、読み出すとどうもいけない。百閒には歩行小説とでもいうべき作品が複数あって、歩いているうちにいつの間にか異空間にはいってしまうような小説がある。町田康にも歩いていて妙な場所に行ってしまう小説がある。
 とても面白い。
 しかしまた百閒にはまるとほかの本が読めなくなるので、これでやめておかないと。

 今日は母親が茶飲み友だち5名で近隣の温泉へ一泊。配偶者もサービス残業で遅いので、夕食に指令どおりの鍋の準備。それだけではまだ時間が余ったので、スーパーへ車を走らせセロリを一株購入し、その足でほぼ暗くなった自家菜園にまわり、もう一度強い霜が降りたら葉がダメになるであろうヤーコン芋を手探りで2本掘り、五寸ニンジンを数本抜き、スコップで数年ぶりに栽培したヤマゴボウ(モリアザミ)を5本ほど抜いてから帰宅。
 それらを洗って刻んで軽く一時間ほど塩漬けしておいてから、塩水を絞り、それから醤油に味醂を少々混ぜ、昆布ダシを入れて「ヤーコンとセロリニンジン、山牛蒡の醤油漬け」を製造。これは一昨年だったか仕事上の得意先で頂戴して美味しかったので覚えたレシピ。
 ヤーコンはともかく、セロリ、ニンジン、山牛蒡はそれぞれ味と風味に個性があり過ぎるくらいあるが、醤油漬けだと案外相互干渉せずに個性を保っていて、それぞれが美味しい。ヤーコンが今のところシャキシャキしているだけで無個性だが、越年すると中身が黄金色になって甘みも増し美味しくなるのだけれど、保存が難しい。乾燥気味だと萎れ、湿度が多いと白いカビに取り付かれて腐ってしまう。

2007年11月7日水曜日

失敗

 記事を書いて、下の2冊の文庫の表紙画像をアップロードしたのですが、かんじんの記事をアップロードしないうちにブラウザを閉じてしまい、記事が消えてしまいました。
 もう一度書く元気がないので、画像だけアップしておきます。
 この2冊について書いたのでした。

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 ファン・ルルフォの短編集、「燃える平原」を読んでから「ペドロ・パラモ」を読む予定でしたが、「燃える平原」にどうも抵抗があって読み進められないので、明日から「ペドロ・パラモ」にしようと思ったり。

山の見置きと女の見置き?

 まだ小さかったので2日に採らずに置いて来たナラタケを、今朝、カッパを着て採りに行ってみたら、あ~らら、みんな採られてしまいました。で、わずか数株残っていた取り残しを少々採集。

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 帰宅して老母に告げると、したり顔で曰く「やっぱり昔の年寄りが言った通りで、山の見置きと女の見置きは出来ないっていうからね」
 つまり、山のキノコ、山菜は小さいからこの次に来て採ろうと思っても誰かに取られてしまう。女性も、美しいな、かわいいなと思ったらその場で声をかけないと、この次会った時になんて思っていると、誰かに先に取られてしまうという意味合いらしい。 なるほど、わが人生を振り返っても思い当たることばかり、(ーー;) 
 「見置き」などという言葉は辞書にはないですが、見つけても取らずにそのまま置いておく状態をいうのでしょう。

 午後は仕事上のお客さんが来て応対、帰ったら入れ替わりにカナダのN澤君が来て雑談。気がついたら暗くなっていた。いよいよ、明後日8日は3人組で温泉一泊。

2007年11月5日月曜日

精神の働きそのものが小説

 昨夜は、「黄色い雨」を残り25頁くらいにしてあえなく入眠、今朝5時ごろ目が覚めたので続行して朝のうちに読了。
 やはり、主人公はまだ死者ではないが、この小説の時制ではベッドの上に横たわっているだけである。だから、ここに書かれていることは、最初から最後まで、彼の脳内で再生される過去から現在までの出来事なのである。外側からの客観的な視点から描かれているのではないので、死んだ人が亡霊となって部屋の暖炉の周りにいたりするが、主人公には亡霊が見えるのである。
 山間の小さな村で、次々と村人が村を去り、残ったものは死に、最後まで主人公と残っていた妻は粉引き小屋で首をくくって死ね。ついに、雌犬と主人公だけの生活になるが、やがて主人公はその雌犬をも撃ち殺して、ほんとうに村でひとりだけの孤独な存在となり、迫り来る死を待っている。

 昔、私は、主人公がベッドの上で寝ているだけの小説を書こうとして果たせなかった。
 「黄色い雨」もまたそういう小説である。
 小説は外側から人間の言動を描くのが一般的であるが、内側から精神の働きを描くだけで小説にならないかと考えた。いわゆる内的独白とは違う。人間の行動を描かず、精神の働きそのものが小説であるような内的ロマン、そういう小説。
 そういう小説が書けないので、私は歌を忘れたカナリアになってしまった……??

意味も無く
Matthew Passion
意味も無く
みんな夢でありました
陰々滅々、聴いているだけで死にたくなるような、昔、昔の歌。

2007年11月4日日曜日

最後の人間

 製粉所へ玄ソバ持ち込み。水分計で水分13%とまあまあ。挽き賃は高いが熱で風味を損なわれない電動石臼挽きに真空パックをオプションで依頼。1週間、次の土曜日には引き渡しになる。


 「黄色い雨」ちょうど真ん中あたりまで読み進む。(疲れたのでちょっとブログ)
 今日のローカル紙にまた「高齢化率50%以上の限界集落」についての記事があり、ある地方事務所管内で、「限界集落」どころか、高齢化率100%の集落が四ヶ所あった、と。おそらく小さな集落ではあろうが、高齢化率100%というのは、要するにその集落の全員が65歳以上ということだ。
 その最後の人間が「黄色い雨」の主人公。
 自分が、この家の、この地域の、この地上の最後の人間だったら……こんな風かもしれず。
        (「黄色い雨」の影響で、このブログ内のあるコンテンツをひそかに復活。)


 思うところあって、文学サイトの方の掲示板を廃止した。閲覧、書き込みがほとんど無いのと、県内の同人誌は別に紹介する場所があるので、二重に紹介するのもどうかと思い。
  

 同人誌、印刷所にデータを渡して仕事が済んだと思っていたが、考えてみたらウェブ版の作成を忘れていた。といってもテンプレートがあってそれにテキストを挿入して整形し、リンクを張るだけなので、ひと晩でできてしまう。15日までに作成しよう。

2007年11月3日土曜日

誰が語っている?

 いよいよ、「黄色い雨」。
 第1章、~だろう、~だろうが多すぎて閉口したが、2章から先はさすが詩からスタートしたひと、渋滞することなく読める。
 ただし、第1章の最後の文章、
私はまだ服を着ており、苔に覆われ、鳥に食い荒らされた姿で彼らを正面からじっと見つめるだろう。
と、第2章始まりの行、
そうだ、彼らは服を着たまま横たわっている私を見つけるだろう。私は彼らを真正面から見つめるだろう。

 このリフレインには参った。どうも、私が書きたかった状況に似ているのだ。死者の視点で書かれている?
 ま、どうせ書けなかったのだし、読者としてすなおに読みましょう。案外、ハイスピードで読めそう。

山のこびとたち

 今年はキノコが採れず半ば諦めていたが、そろそろ時期だと思って仕事で出たついでにちょっと回り道。
 
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 お、おお~、あちこちの切り株の周囲にナラタケが出始めていました。けどまだ豆粒くらいで採るのはちょっと早いので、やむなく落ち葉などで目立たぬように隠して、また3日後、6日後くらいのペースで行ってみることにして山を下りました。びっしり並んで出ていて、まさに山のこびとたちって感じです。
 遅いキノコなので、昨年はまだ早いと思って行かないでいたら相当量のナラタケが茶色になって腐って採れなかったので、今年は何度でも偵察に行きます。

 それからもう一ヶ所。まだ早いのか、誰かに採られたか、ムラサキシメジが一度食べるくらい採れました。
 
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 この間1時間20分ほど。

2007年11月2日金曜日

ネットにつながらず。

  「照葉樹」」4号、3作、読了。ただしすぐにきちんとした文章が書けるかどうか。

 「狼たちの月」が映画化されていることを知り、検索した。確かに映画化はされているが、映像そのものは、Google VideoでもStage6でも予告編さえ発見できなかった。まだまだマイナーなのか。ただし、作者自身が写っているテレビ番組はいくつかあった。

2007年11月1日木曜日

バッハオルガン全集を全部聴こう

 先日、「マタイ受難曲」といっしょに購入したH・WALCHAの「バッハオルガン全集」、直接CDで聴くとドライブの回転音が耳障りでどうもいけない。そこでいったんiTuneに読み込ませたものを聴くことにした。どうせ買ったのだから全曲聴こうと思う。
 今夜は「6つのコラール」。
 バッハの音のパッセージというのは、やはり螺旋の階段である、それも神に一歩ずつ近づくための。
 しかし、CD10枚で2,000円切れているのですから、お買い得であります。ただし当然ですが困ったことに輸入盤は日本語解説がない。解説など無しにただ聴けばいいので、必要も感じませんが。

 またYouTubeで「Bach Organ」と検索すると、600を超える有名無名のオルガン奏者がバッハを演奏する動画がアップロードされていて、実に楽しい。ことに、無名というか、普通のオルガン奏者が自分でカメラをオルガンの横に置いてみずからの演奏を撮影したものをアップロードしている動画がたくさんあり、両手両足の動きが良く見えて実に楽しい。
 事実、Tarkovskyの「惑星ソラリス」に使われていた「BWV639」など誰が演奏してもそんなに違わないのが不思議。
 

 今夜はさる同人誌の小説を二編読み、さらに
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 この本の、結構長めな訳者解説を読んでしまった。本文より先に解説を先に読むのは悪い癖である。
 その後、本文を目で当たったら、なるほど素晴らしい描写、あるいは叙述(エクリチュール)であるらしい。
 (目当たりで小説の良し悪しを判断してしまうのはもっと悪い癖であるが、書き出しの、見開き2頁の目当たりでの判断というのは案外正確なものである。)
 
 いわゆるストーリー・テリング=物語るのではなく、あたかも憑依した巫女が語るように叙述する(または描写する)。
 ストーリー・テリング=物語る小説はエンタテインメントに過ぎないのかも知れず、むしろ小説の真骨頂は叙述(または描写)にある。
 しかも書き手はその叙述の主体などでは決してなく、むしろ憑依した巫女同様に、叙述する媒体であるにすぎない。
 作家などと言うのもおこがましい。
 小説の書き手は、単に、叙述する媒体に過ぎない。
 叙述する媒体はむしろ無名性、匿名性に身を置くべきである。
 そういう考えに立てば、虚構にまとわりつく、ある種の「嘘」をついているという疑念にも足をすくわれず、再び書くことも可能なのではないか? ひたすら叙述のみに徹して。
 
 くどいけれども、自分が願っているような小説を書きたいのなら、決して物語ろうとするな。描写、あるいは叙述に徹すること。