朝食後、Tさんから電話があり、チェーンソーを持って来られないかと。ちょうど良い運動不足解消である。半日ほど玉切りをする。
どうもしかし、真っ直ぐに切れない。斜めに切れていってしまうので、なぜかと考えているうちにTさんとチェーンソーの持ち方、構え方が反対であることに気付いた。Tさんは右手で前のバーを握り、左手は後方のアクセル・レバーを握っている。が、私はその反対で、左手左足が前、つまり左利きなのでした。それで切り口が斜めに曲がる。試しに右利きの体勢で試してみたら、結構真っ直ぐにきれるではありませんか。
調べてはみませんが、左利き用のチェーンソーなんて無いでしょうね。あっても野球のグローブのように高い。字を書くのとお箸など細かい作業が右利きなんですが、力の要る作業は左利き。両刀使いなんです。
そういえば、蕎麦包丁は左利き用があるようです。さいわい、蕎麦を切るのは右利きでした。
iPodのバッテリーが切れたのでUSB接続して充電していて、何気なく見たら725曲入っていた。いつのまにそんなに。いちばん多いのはTom Waitsの72曲。それからバッハ、男女2,3人ずつのジャズメン。
明日は、気が乗らないが、近在の温泉へ行って地域のある組織の日帰り新年会。
2010年1月31日日曜日
2010年1月30日土曜日
新しいぶどう酒は新しい革袋へ
だれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。そんなことをすれば、ぶどう酒は革袋を破り、ぶどう酒も革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。
これは聖書に書かれているらしいが、どうも文学も同じような気がしてならない。擦り切れた皮袋が破れてしまうのならまだしも、古いだけで丈夫な皮袋に入っていて外部との交流を絶たれていたら、酸素欠乏で腐ってきてしまったりして。
25日に喉がヒリヒリしたのをドラッグストアの売薬で無理に抑え込んだが、どうも喉ではなく鼻へ移ったようでまた薬を飲みはじめた。モグラたたきではないが、どこかを叩くとほかに出ようとする。
2010年1月29日金曜日
解剖台の上
昨夜、待っていた最後の校正結果が、メールで着信。早速、赤の入った6個所を修正する。
それから、すでに完成していた表紙だが著作権が気にかかるので使うのを断念。新たな画像を作成してそれに差し替えることにするが、フリーの画像を探すのに時間がかかってしまい、画像作成は結局今日になってしまった。慣れたPaintShopでさくさくと進めたいところだが、あまりしたことのない切り抜きがあるので、あえてGimpで挑戦。
ようやく完成したが、シュールレアリストたちがお手本としたロートレアモンの「解剖台の上のミシンとこうもり傘の出会い」のように、現実にはあり得ないものをコラージュ出来れば面白いのだけど、まだ未熟。
レイヤーの使い方がまだ下手。これを自在に扱えるようになったらと思う。
30日には同じ印刷会社から先行して編集した詩誌が届くはずなので、それと入れ替えに印刷会社にデータと出力見本を送って、それで落着。
それから、すでに完成していた表紙だが著作権が気にかかるので使うのを断念。新たな画像を作成してそれに差し替えることにするが、フリーの画像を探すのに時間がかかってしまい、画像作成は結局今日になってしまった。慣れたPaintShopでさくさくと進めたいところだが、あまりしたことのない切り抜きがあるので、あえてGimpで挑戦。
ようやく完成したが、シュールレアリストたちがお手本としたロートレアモンの「解剖台の上のミシンとこうもり傘の出会い」のように、現実にはあり得ないものをコラージュ出来れば面白いのだけど、まだ未熟。
レイヤーの使い方がまだ下手。これを自在に扱えるようになったらと思う。
30日には同じ印刷会社から先行して編集した詩誌が届くはずなので、それと入れ替えに印刷会社にデータと出力見本を送って、それで落着。
2010年1月27日水曜日
2010年1月26日火曜日
人間もこんな風にリフレッシュ
いろいろ調べているうちに、このノートパソコンのバッテリーがリチウムイオン電池ではなく、ニッケル水素電池であることが判明し、しかも後者はメモリ効果といって自分の電池容量を記憶してしまうことがあり、それも間違ったところをゼロと記憶してしまうことがあるらしい。
簡単に言えば、10のうち5以上を自分の容量と勘違いして記憶する。だから5になるとバッテリゼロの警告を出すのだが、実際にはまだ5~1までの半分の電気が残っている。
いずれにしてもバッテリーリフレッシュの方法が判ったので試してみた。
パソコンを起動する際にメーカー名のロゴが表示されたらF2ボタンを押すと、セットアップユーティリティ画面が表示されるので、「バッテリ」を選択。それからバッテリーがフル充電されるのを待ち、100%充電されたらACアダプタをはずす。するとバッテリーの電気が放電され、完全に放電されたら自動的にコンピュータの電源が切れる。そしたらまたACアダプタをつなぎ、バッテリーステータスライトが消える(充電し終わる)のを待つ。
ここで、なるほどと思ったのが、バッテリーを放電していてモニター上ではじきにバッテリーゼロになったのだが、それから50分くらい電源が切れなかった。つまりまだゼロではなかったということなので、やはりこのバッテリーは自分の容量を間違って記憶していた模様。
このバッテリーのメモリ効果はリチウムイオン電池にはないそうなので、旧式なニッケル水素電池に限った現象のようだが、リチウムイオン電池にもバッテリーリフレッシュの機能はある。
どうやら、一ヶ月に一回くらいはACアダプタをはずしてバッテリだけで駆動し、放電してしまって、それからACアダプタをつないで充電ということを行なうのがバッテリのためにいいらしい。
人間もこんな風にリフレッシュ、出来ればいいのだけど。
それにしても、検索してみるとバッテリやACアダプタがらみでノートパソコンの電源が入らない、入りにくいという現象、私だけでなく相当多い。メーカーに問い合わせると「バッテリーは消耗品ですから交換してください」と言われるようですが。
昼食後から喉がヒリヒリ。家にあったうがい薬でうがいをしてみたが、夕方になってもまだヒリヒリ。仕方なく薬局に行き、スプレータイプの喉の消毒薬と喉用の風邪薬を購入、早めの手当てをした。ほかに生姜湯を作って飲み、マスクをかけた。さて、ストップできるか。
編集後記と大事なお知らせのページを書き、これで雑誌編集は終了。あとはもう一編校正が帰ってくるのを待って掲載順に並べてゆくだけ。
簡単に言えば、10のうち5以上を自分の容量と勘違いして記憶する。だから5になるとバッテリゼロの警告を出すのだが、実際にはまだ5~1までの半分の電気が残っている。
いずれにしてもバッテリーリフレッシュの方法が判ったので試してみた。
パソコンを起動する際にメーカー名のロゴが表示されたらF2ボタンを押すと、セットアップユーティリティ画面が表示されるので、「バッテリ」を選択。それからバッテリーがフル充電されるのを待ち、100%充電されたらACアダプタをはずす。するとバッテリーの電気が放電され、完全に放電されたら自動的にコンピュータの電源が切れる。そしたらまたACアダプタをつなぎ、バッテリーステータスライトが消える(充電し終わる)のを待つ。
ここで、なるほどと思ったのが、バッテリーを放電していてモニター上ではじきにバッテリーゼロになったのだが、それから50分くらい電源が切れなかった。つまりまだゼロではなかったということなので、やはりこのバッテリーは自分の容量を間違って記憶していた模様。
このバッテリーのメモリ効果はリチウムイオン電池にはないそうなので、旧式なニッケル水素電池に限った現象のようだが、リチウムイオン電池にもバッテリーリフレッシュの機能はある。
どうやら、一ヶ月に一回くらいはACアダプタをはずしてバッテリだけで駆動し、放電してしまって、それからACアダプタをつないで充電ということを行なうのがバッテリのためにいいらしい。
人間もこんな風にリフレッシュ、出来ればいいのだけど。
それにしても、検索してみるとバッテリやACアダプタがらみでノートパソコンの電源が入らない、入りにくいという現象、私だけでなく相当多い。メーカーに問い合わせると「バッテリーは消耗品ですから交換してください」と言われるようですが。
昼食後から喉がヒリヒリ。家にあったうがい薬でうがいをしてみたが、夕方になってもまだヒリヒリ。仕方なく薬局に行き、スプレータイプの喉の消毒薬と喉用の風邪薬を購入、早めの手当てをした。ほかに生姜湯を作って飲み、マスクをかけた。さて、ストップできるか。
編集後記と大事なお知らせのページを書き、これで雑誌編集は終了。あとはもう一編校正が帰ってくるのを待って掲載順に並べてゆくだけ。
2010年1月25日月曜日
2010年1月24日日曜日
パチパチパチ......?!
同人誌の創刊号から40号までの総目次は40号に印刷したので、その後の45号までを追加する作業中、何か微かにパチパチパチというような音が耳に入って来た。振り返ってみれば、その音がこのノートパソコンのACアダプター本体の内部から聞こえて来ているらしいので、あわててWindowsを終了させ、ACアダプターをコンセントから引き抜き、パソコンからも切り離した。
パソコン本体のバッテリーのあたりがかなり熱い。過充電というか、充電用の電流が過剰に流れすぎてACアダプターが悲鳴を上げていたのかもしれない。バッテリー自体が年季が来ているらしく、ACアダプターを接続しないでバッテリーだけでパソコンを動かしていると30分も持たない。もうひとつ所有していたACアダプターをつないだ。そして、自宅の机の上で使うだけだったらAC電源だけで使うのも可能なので、とりあえず、バッテリーを外した。バッテリーが無くて困るのは、不意に停電になった時に作業中のデータがバックアップされないことだけなので、しばらくはバッテリー無しで様子をみる。ただし。大事なデータ(ファイル&フォルダ)は外付けのHDDにも逃がしておくことにした。さいわい一太郎にはファイルの保存で「二ヶ所に保存」というオプションがあって、このパソコンのHDDと外付けのHDDを指定しておけば安全である。
ことに近々印刷会社に入稿予定の同人誌の編集データはそうする必要がある。そうしておけば、このパソコンがクラッシュしても、別のパソコンに外付けHDDを接続すれば遅滞無く編集作業が続行出来る。校正が戻ってこないのは、いつ出ますかと急かした方のみ。あと一作戻ってくればじきに編集作業が終わるので、それまでクラッシュしませんように。
このパソコン、購入して4年半。もう限界なのか、まだ大丈夫なのか、判断はむずかしい。
YouTubeでエウリピデスの「バッコスの信女たち」を検索したが、今のところ見るべき動画は見つからない。あることはあるが、ドラマではなくダンスの形式が多く、どうもしっくり来ない。天才が言葉で紡いだイマージュをそんなに簡単に演劇化や映像化できる訳もない。コルタサルでさえ、「バッコスの信女たち」自分流に書こうとしてエウリピデスにはるかに及ばなかった。コルタサルが非力なのではない。エウリピデスが非凡なのだ。
演劇史上の評価はソポクレス、アイスキュロス、エウリピデスの順らしいが、私のなかではエウリピデス、ソポクレス、アイスキュロスだ。
パソコン本体のバッテリーのあたりがかなり熱い。過充電というか、充電用の電流が過剰に流れすぎてACアダプターが悲鳴を上げていたのかもしれない。バッテリー自体が年季が来ているらしく、ACアダプターを接続しないでバッテリーだけでパソコンを動かしていると30分も持たない。もうひとつ所有していたACアダプターをつないだ。そして、自宅の机の上で使うだけだったらAC電源だけで使うのも可能なので、とりあえず、バッテリーを外した。バッテリーが無くて困るのは、不意に停電になった時に作業中のデータがバックアップされないことだけなので、しばらくはバッテリー無しで様子をみる。ただし。大事なデータ(ファイル&フォルダ)は外付けのHDDにも逃がしておくことにした。さいわい一太郎にはファイルの保存で「二ヶ所に保存」というオプションがあって、このパソコンのHDDと外付けのHDDを指定しておけば安全である。
ことに近々印刷会社に入稿予定の同人誌の編集データはそうする必要がある。そうしておけば、このパソコンがクラッシュしても、別のパソコンに外付けHDDを接続すれば遅滞無く編集作業が続行出来る。校正が戻ってこないのは、いつ出ますかと急かした方のみ。あと一作戻ってくればじきに編集作業が終わるので、それまでクラッシュしませんように。
このパソコン、購入して4年半。もう限界なのか、まだ大丈夫なのか、判断はむずかしい。
YouTubeでエウリピデスの「バッコスの信女たち」を検索したが、今のところ見るべき動画は見つからない。あることはあるが、ドラマではなくダンスの形式が多く、どうもしっくり来ない。天才が言葉で紡いだイマージュをそんなに簡単に演劇化や映像化できる訳もない。コルタサルでさえ、「バッコスの信女たち」自分流に書こうとしてエウリピデスにはるかに及ばなかった。コルタサルが非力なのではない。エウリピデスが非凡なのだ。
演劇史上の評価はソポクレス、アイスキュロス、エウリピデスの順らしいが、私のなかではエウリピデス、ソポクレス、アイスキュロスだ。
2010年1月23日土曜日
感謝
午後、数十年前のクラスメイト4名の蕎麦会。このくらいの人数だと話題が割れなくて、とても親密に話が出来る。午前中にささっと打った蕎麦を持って行って、会場を提供してくれたクラスメイト宅でまた蕎麦を打つ予定だったが、先に酒が入ってしまったら面倒になって打たず終い。持参した蕎麦をゆでた。薬味は会場を提供してくれたO君が採ってきた八ヶ岳山麓のワサビと、私が栽培したねずみ大根。そしてそばつゆは別の同級生が持参した「返し」から作ったつゆという最強の布陣。
「お、蕎麦の味がする」というのはM君の第一声だが、皆、喜んでくれた。
昼間の酒をこんな風にゆったり呑めるのは幸せというものだろう。
先日のGimpに続いて、「解像度変更君」というフリーウェアのソフトをDLした。インストールしない(レジストリに書き込まれない)タイプなのでなお結構。早速ウェブ用の72dpiの解像度の写真をもっと上げてみた。無論、限度はあるので、一応300dpiに設定してみたが、結果は155dpi。しかし、画像ファイルのプロパティを見ると300dpiと表示されている。
いずれにしても印刷が少しでもきれいになればいいのだが、複数枚の画像をコラージュする場合など、それぞれの解像度がバラバラであるよりは同じであるのが望ましいので、このフリーウェア、使わせていただきます。
こういうことがあると、インターネットというのは持たない者にも分け与えてくれる天使の仕組みだとつくづく感謝してしまいます。(同時に悪いことも出来る仕組みでもありますが)
しかし、まだGimpをうまく使いこなせないので、ついPaintShopで画像を開いてしまう......。
この頃流行しているTwitterなるものに初めてアクセスしてみた。どうも訳がわからないので登録してログインしてみたが、それでも訳がわからない。140字でつぶやくのだそうだが、それが結構難しい。いろいろ検索してみたが、なぜか私の検索ワードはまったくヒットしない。ネットでは検索上手なつもりでいたが、Twitterではよほど検索下手らしい、(ーー;)
案外、俳句・短歌など一句、一首ずつ書き込んでゆくのに適しているような気もして、それもいかなと。ただし俳句は無理。あまりに言葉が少なすぎるし、窒息死しそう。三十一文字の方が肌に合う。
「お、蕎麦の味がする」というのはM君の第一声だが、皆、喜んでくれた。
昼間の酒をこんな風にゆったり呑めるのは幸せというものだろう。
先日のGimpに続いて、「解像度変更君」というフリーウェアのソフトをDLした。インストールしない(レジストリに書き込まれない)タイプなのでなお結構。早速ウェブ用の72dpiの解像度の写真をもっと上げてみた。無論、限度はあるので、一応300dpiに設定してみたが、結果は155dpi。しかし、画像ファイルのプロパティを見ると300dpiと表示されている。
いずれにしても印刷が少しでもきれいになればいいのだが、複数枚の画像をコラージュする場合など、それぞれの解像度がバラバラであるよりは同じであるのが望ましいので、このフリーウェア、使わせていただきます。
こういうことがあると、インターネットというのは持たない者にも分け与えてくれる天使の仕組みだとつくづく感謝してしまいます。(同時に悪いことも出来る仕組みでもありますが)
しかし、まだGimpをうまく使いこなせないので、ついPaintShopで画像を開いてしまう......。
この頃流行しているTwitterなるものに初めてアクセスしてみた。どうも訳がわからないので登録してログインしてみたが、それでも訳がわからない。140字でつぶやくのだそうだが、それが結構難しい。いろいろ検索してみたが、なぜか私の検索ワードはまったくヒットしない。ネットでは検索上手なつもりでいたが、Twitterではよほど検索下手らしい、(ーー;)
案外、俳句・短歌など一句、一首ずつ書き込んでゆくのに適しているような気もして、それもいかなと。ただし俳句は無理。あまりに言葉が少なすぎるし、窒息死しそう。三十一文字の方が肌に合う。
2010年1月22日金曜日
それならルバーブワイン
明日の蕎麦会にルバーブジャムをお土産に持って行こうと冷蔵庫から取り出した残りを、ミネラルウォーターで割ってルバーブ・ジュースもどきにしておいて、それで少しずつ焼酎を割ってみたのだったが、懸念していた酸味は意外と薄れてしまっていて、甘みと草っぽいに匂いが鼻につく。いろいろ割合を変えてその都度試飲してみたが、おいしいと思えるようにはならなかった。何年前だったか、わが町の酒倉がトマト焼酎なるものを発売してネットショッピングでだいぶ売れたらしいが、ルバ酎(ルバーブ焼酎)はちょっと無理があるか。
そこでまた翻訳ソフトのお世話になりながらRhubarb Wineの検索。レシピも簡単にみつかったが、Wineになるまでに6ヶ月~8ヶ月くらいかかるらしい。第一、これがもしもアルコールになるなら密造酒になってしまう。1,8Lくらい試験してみるくらいだったらいい? いや、こういうところに書くからいけないのであって、書かずに黙って試験すればいいのである。
隣の県のワイン工場の工場長をしている同級生がいるので、そのうちに会いに行ってRhubarb Wineについて訊いてみよう。
2010年1月21日木曜日
自分の管理画面に入れない
詩誌のデータCDと出力見本を発注書をつけて宅配便で発送。表紙の用紙について確認したいことがあったので印刷会社に電話をかけたが、明日データが配達されれば30日には本になって届けられるという。やれやれ、これでひとつ片付いた。残るは自分の雑誌。既にメールでお二方から訂正個所が送信されてきたが、先ほどひとり、バタバタしていて来週になるというメール。え? いつ発行になりますかって急かせたのは誰?(泣)
しばらく前から、プロバイダの無料CGIサーバーに自前で設置して、同人誌の同人だけが入れるように設定している「オンライン例会室(掲示板)」のレイアウトが崩れてしまったり、「セキュリティうんぬん......」とブロックされて 管理画面に入れなくなってしまった。
一瞬、ウィルスバスターの、現在流行中のウェブサイトに埋め込まれるウィルス、GUMBLAR(ガンブラー)防御のためかなと思った。が、いろいろ試行しているうちに、ウィルスバスターのフィッシング詐欺をチェックする機能のせいらしいと判ったので、フィッシング詐欺をチェックする機能をOFFにしてみたら、レイアウトの崩れも解消され、管理画面に入ることもできるようになった。
同人だけが入れるようにIDとパスワードを入力するようにしてあるので、そのIDとパスワードを求める仕組みがフィッシング詐欺をチェックする機能にひっかかってしまうらしい。面倒なので、「フィッシング詐欺をチェックする機能」はOFFにしたままにしておこう。
それにしても怖ろしいのはウェブサイトに埋め込まれるウィルス、GUMBLAR(ガンブラー)。やみくもに海外のウェブサイトを渡り歩いているので、普通のひとよりヤバイのであります。
しばらく前から、プロバイダの無料CGIサーバーに自前で設置して、同人誌の同人だけが入れるように設定している「オンライン例会室(掲示板)」のレイアウトが崩れてしまったり、「セキュリティうんぬん......」とブロックされて 管理画面に入れなくなってしまった。
一瞬、ウィルスバスターの、現在流行中のウェブサイトに埋め込まれるウィルス、GUMBLAR(ガンブラー)防御のためかなと思った。が、いろいろ試行しているうちに、ウィルスバスターのフィッシング詐欺をチェックする機能のせいらしいと判ったので、フィッシング詐欺をチェックする機能をOFFにしてみたら、レイアウトの崩れも解消され、管理画面に入ることもできるようになった。
同人だけが入れるようにIDとパスワードを入力するようにしてあるので、そのIDとパスワードを求める仕組みがフィッシング詐欺をチェックする機能にひっかかってしまうらしい。面倒なので、「フィッシング詐欺をチェックする機能」はOFFにしたままにしておこう。
それにしても怖ろしいのはウェブサイトに埋め込まれるウィルス、GUMBLAR(ガンブラー)。やみくもに海外のウェブサイトを渡り歩いているので、普通のひとよりヤバイのであります。
2010年1月20日水曜日
神をも畏れないブラック・ボックス
これまで表紙データが中途半端な形だったのを、今回から用紙設定に「A4プラス背表紙の幅」を追加して、その仕様に表紙データを入れてみた。Wordではテキストボックスの位置の制御などが思い通りに設定できなかったが、一太郎だとストレスなくレイアウトボックスの位置制御ができて、案外簡単に表紙データが作成できた。次回からは号数などのテキストの書き換えと表紙に使う画像の張替えと背幅の数字を変えるだけで済んでしまう。
昨日の記事にLydwine.さんからコメントをいただいたが、フルカラーの表紙も同じ手順でいいようだ。オフセット印刷の場合、C(青)、M(赤)、Y(黄)、K(黒)の色の3原色+黒、つまりでCMYKでカラー印刷をするのだけど、Wordや一太郎などのワープロソフトはRGBという光の3原色でデータが作られる。しかし、印刷会社の方で3原色RGBからCMYK4色フルカラーへの変換をしてもらえるらしい。いちばんの問題は、これまでのモノクロ表紙からフルカラー表紙に変えた場合の料金差であるけれど、仮りにA5版100頁200部として、従来のモノクロ表紙で65,980円、フルカラー表紙では86,140円。その差20,160円。
無論、これはすべて自分で編集レイアウトして、しかもそのデータをデジタル・データの形で印刷会社に送ることが出来てこその料金である。データを送って、印刷と製本だけを発注するのでこの価格なのであって、旧来の、手書きの原稿の入力から印刷会社にお願いするような方法では、この2倍3倍の費用がかかってしまうのも仕方ない。
仕事の疲労+訳の解らない文章を書くことに由来する個人的疲労の総計に押し倒され、夕食後の長いうたた寝からようやく復帰し、生き返った配偶者がふと言う。
「現代は、パソコンを自由自在に扱えなくては何の仕事も出来ないわね」
仰せのとおりです、奥様。
パソコンが扱えなくても生きてはいけないことはないですが、肉体労働で安い賃金をかせぐか、田舎での自給自足生活くらいしかあり得ないでしょうね。
パソコンは、実に「神をも畏れないブラック・ボックス」なのであります。
昨日の記事にLydwine.さんからコメントをいただいたが、フルカラーの表紙も同じ手順でいいようだ。オフセット印刷の場合、C(青)、M(赤)、Y(黄)、K(黒)の色の3原色+黒、つまりでCMYKでカラー印刷をするのだけど、Wordや一太郎などのワープロソフトはRGBという光の3原色でデータが作られる。しかし、印刷会社の方で3原色RGBからCMYK4色フルカラーへの変換をしてもらえるらしい。いちばんの問題は、これまでのモノクロ表紙からフルカラー表紙に変えた場合の料金差であるけれど、仮りにA5版100頁200部として、従来のモノクロ表紙で65,980円、フルカラー表紙では86,140円。その差20,160円。
無論、これはすべて自分で編集レイアウトして、しかもそのデータをデジタル・データの形で印刷会社に送ることが出来てこその料金である。データを送って、印刷と製本だけを発注するのでこの価格なのであって、旧来の、手書きの原稿の入力から印刷会社にお願いするような方法では、この2倍3倍の費用がかかってしまうのも仕方ない。
仕事の疲労+訳の解らない文章を書くことに由来する個人的疲労の総計に押し倒され、夕食後の長いうたた寝からようやく復帰し、生き返った配偶者がふと言う。
「現代は、パソコンを自由自在に扱えなくては何の仕事も出来ないわね」
仰せのとおりです、奥様。
パソコンが扱えなくても生きてはいけないことはないですが、肉体労働で安い賃金をかせぐか、田舎での自給自足生活くらいしかあり得ないでしょうね。
パソコンは、実に「神をも畏れないブラック・ボックス」なのであります。
2010年1月19日火曜日
問題解決
昨日書いた、詩誌の挿絵(写真)の件、朝のうちに問い合わせメールを出しておいたらじきに返信があった。
それによると、挿絵の枚数やベタ無しというのは、これまで使っていた格安パックゆえの制限であり、別の1ランク上のパックであれば挿絵の枚数やベタ無しという制限はありませんとのこと。何だ、そうでしたか。あっさり、解決。よかった。今回はそのパックで発注するということで一件落着。
ついでに、表紙をフルカラー印刷にするとどれくらい高くなるか、そのカラー印刷の表紙データはどのように作成するのかも見てみた。イラストレーターとかフォトショップなどでの作成については書かれているが、プリンタ・ファイルの場合のことが書かれていない。普通にカラー写真やカラーの文字などで作成してプリンタ・ファイルに出力し、それを送ればいいのだろうか。またメールして訊いてみよう。
ボランティア作業である詩誌のレイアウトがほぼ終了。
本文64頁表紙4頁で68頁。懸案の詩と写真のレイアウトも何とか体裁が整ってほっとした。表紙デザインもちょっとあくどいがインパクトはあり。以後は編集発行人による校正待ちで、それを待ってデータをCDに焼き、出力見本の作成して印刷会社に送るのみ。
と言っているうちに自分の同人誌の同人から校正済みの連絡メールが一通着信。訂正個所が少ない場合はメールでとお願いしておいたが、題名変更と訂正は2ヶ所だけだったので即刻訂正。
同時というのは無理があるが、一週間くらいの時間差でこちらも印刷所に送稿したいもの。
それによると、挿絵の枚数やベタ無しというのは、これまで使っていた格安パックゆえの制限であり、別の1ランク上のパックであれば挿絵の枚数やベタ無しという制限はありませんとのこと。何だ、そうでしたか。あっさり、解決。よかった。今回はそのパックで発注するということで一件落着。
ついでに、表紙をフルカラー印刷にするとどれくらい高くなるか、そのカラー印刷の表紙データはどのように作成するのかも見てみた。イラストレーターとかフォトショップなどでの作成については書かれているが、プリンタ・ファイルの場合のことが書かれていない。普通にカラー写真やカラーの文字などで作成してプリンタ・ファイルに出力し、それを送ればいいのだろうか。またメールして訊いてみよう。
ボランティア作業である詩誌のレイアウトがほぼ終了。
本文64頁表紙4頁で68頁。懸案の詩と写真のレイアウトも何とか体裁が整ってほっとした。表紙デザインもちょっとあくどいがインパクトはあり。以後は編集発行人による校正待ちで、それを待ってデータをCDに焼き、出力見本の作成して印刷会社に送るのみ。
と言っているうちに自分の同人誌の同人から校正済みの連絡メールが一通着信。訂正個所が少ない場合はメールでとお願いしておいたが、題名変更と訂正は2ヶ所だけだったので即刻訂正。
同時というのは無理があるが、一週間くらいの時間差でこちらも印刷所に送稿したいもの。
2010年1月18日月曜日
相変わらず、妙なせめぎ合い
午前11時過ぎ、Tさんからオヤマボクチ蕎麦に入れるオヤマボクチの量を確認する電話があり、標準はソバ粉1kgに5gらしいが、4gでいいと思うと返事をした。これからそば打ちをするのだという。出かけて来ませんかと誘われたが、すぐに行っては邪魔なので午後1時半ごろ行ってみた。母屋ではなくスチール製のガレージ兼倉庫の奥に蕎麦打ち台を置いて、ちょうど切り始めるところだった。やはり、二八のようにリズミカルに切ることができない。Tさんが少し切ってみてというので替わって切ってみたら、オヤマボクチ蕎麦特有の刃に粘りつく感じがほとんどないし、オヤマボクチ蕎麦としてはまあ切りやすい方だと思った。無論、二八に比べれば切りにくい。ちょっと包丁が短く(刃渡り25cmかと思うが)、軽い。そのせいか、麺体のたたみ方も10cmちょっとくらいの幅で狭過ぎるような気がした。
蕎麦切り終了後、母屋に上がってお茶をいただく。奥さんが認知症なのでTさんがお茶の支度をしてくれるのだが、もう恐縮しないことにした。奥さんも私が行くとニコニコするのだが、相変わらず「何の歌が好き?」と訊かれるので、Tさんとの会話の間にその返事も行なわなければならない。この頃、ずいぶん訊かれる間隔が短くなって1分もしないうちにまた訊かれる。居る間に何十回も訊かれるが、奥さんがうれしそうに訊くので応えない訳にはいかない。
詩誌の表紙レイアウトが完成し、発行人に出力見本を見せたところ、一発でOKだった(ほっ)。引き続いて詩と散文6篇、目次、編集後記などもすべてレイアウトし、出力して発行人に渡した。これで校正が終わるまでしばらくは安心と言いたいところだが、ひとつ詩だけでなく写真とのコラボレーションがあり、その写真の扱いが悩みの種。思わず、詩人は言葉だけで勝負しなさいと苦言を呈したくなるが、じっと我慢我慢。前々号でもWordのレイアウト枠を多用してフォントとポイントの違う複雑なレイアウトを制御するのにひどく苦労したので、つい愚痴を言いたくなるのでした。 しかし、この写真、背景がベタなのが二枚あるので、明日、印刷会社に電話してダメなのか、それともパック料金ではなく別料金を納めれば印刷してもらえるのか、訊いてみよう。
こんなに安くていいのというような印刷料金なので、このあたりで妙なせめぎ合いが生じるのは仕方ない。印刷代金は安く、でもきれいな雑誌を作りたい、のです。
蕎麦切り終了後、母屋に上がってお茶をいただく。奥さんが認知症なのでTさんがお茶の支度をしてくれるのだが、もう恐縮しないことにした。奥さんも私が行くとニコニコするのだが、相変わらず「何の歌が好き?」と訊かれるので、Tさんとの会話の間にその返事も行なわなければならない。この頃、ずいぶん訊かれる間隔が短くなって1分もしないうちにまた訊かれる。居る間に何十回も訊かれるが、奥さんがうれしそうに訊くので応えない訳にはいかない。
詩誌の表紙レイアウトが完成し、発行人に出力見本を見せたところ、一発でOKだった(ほっ)。引き続いて詩と散文6篇、目次、編集後記などもすべてレイアウトし、出力して発行人に渡した。これで校正が終わるまでしばらくは安心と言いたいところだが、ひとつ詩だけでなく写真とのコラボレーションがあり、その写真の扱いが悩みの種。思わず、詩人は言葉だけで勝負しなさいと苦言を呈したくなるが、じっと我慢我慢。前々号でもWordのレイアウト枠を多用してフォントとポイントの違う複雑なレイアウトを制御するのにひどく苦労したので、つい愚痴を言いたくなるのでした。 しかし、この写真、背景がベタなのが二枚あるので、明日、印刷会社に電話してダメなのか、それともパック料金ではなく別料金を納めれば印刷してもらえるのか、訊いてみよう。
こんなに安くていいのというような印刷料金なので、このあたりで妙なせめぎ合いが生じるのは仕方ない。印刷代金は安く、でもきれいな雑誌を作りたい、のです。
2010年1月17日日曜日
やれやれ
先ず、ソバ粉500gに中力粉100の外二八。水300ccを2回に分けて加水した後、さらにスプレーで加水30cc、合計330ccで55%。
これを伸して、切って、写真のようにお持ち帰り用パックに2人前ずつ入れ、酸素を通さない真空パック用のポリとビニール2層の袋に入れ(そうでないと、蕎麦が乾燥してしまうし酸化もしてしまう)、シーラーで封をする。これで、冷凍庫で冷凍保存しておいて、一週間とか、一ヶ月とか、時間経過を見て試食してみる。これで、風味に劣化がなければ、食べたいときにはいつでも蕎麦が食べられるという計算ですが、無論、味にうるさい方にはとんでもない邪道です。
道具を終いかけて、まてよ、どうせ道具を出したのだからと、もう一度オヤマボクチ蕎麦を打つことにした。
ソバ粉500gにオヤマボクチ2g、水250ccで、いつもは分割加水だが、試みに一度に全量加水してみた。すると、オヤマボクチ蕎麦はもっと水を多く必要とするはずなのに、結構手に粘りつくかつかないかのギリギリ。スプレーでの加水が不要となったのでそのまま練りに入ったが、30分捏ねても硬くならず、まずまずの感触なので、そのまま延しに突入した。それが結構伸びて2mm以内1,5mmくらいの薄さになったので、そのまま四十五分ほど放置乾燥。薄く延せたので、切るのもサクサクで、あの粘って切れなかった昨年の悪夢が嘘のよう。
いつもこんな感じで打つことが出来ればいいのだが、しかし、オヤマボクチ蕎麦は時間がかかるのでいつでも気軽に打てる蕎麦ではない。やれやれ。
これも3パックに分けて2パックは冷凍、1パックは試食用に冷蔵。
横で、今夜の夕食はその蕎麦という声がしたので、二八蕎麦3人前を冷凍ではなく冷蔵庫に入れた。寒いのでてんぷら蕎麦か山菜蕎麦にしようと意見が一致。冷凍庫から昨年春のワラビとコゴミを出して自然解凍させておく。
これで終了と思ったら、道具を片付けてまもなく高校の同級生から電話があり、一週間後に蕎麦会をやるので都合はどうかと。今のうちはやりくりできるのでOKの返事をした。そして思いついて会場を引き受ける同級生の家へ冷凍庫に入れたばかりのオヤマボクチ蕎麦2パックを味見用に届けておいた。彼もまた昨年蕎麦を栽培して十数キロの玄ソバを収穫したらしい。彼の蕎麦打ちを横で見ていよう。
校正刷り発送。メール便なので県内の方には普通便、県外の方には速達で発送。やれやれ。
2010年1月16日土曜日
相変わらず寒い
校正刷り発送準備。せっかちな方が居られて「いつ発行になりますか」と請求されたので慌てる。 まだ締め切り後半月しか経っていないのですが......汗。しかも詩の雑誌も同時進行中で、ミスを犯してはいけないので、十分に気をつけなくては。
夜、近くの赤提灯へ無尽に出かける。
年代の近い3人で最後まで残って雑談。
寒いのでダウンの入ったいちばん厚いジャンパーを着て行ったが、帰路、坂口安吾の「木枯らしの酒倉から」とチェーホフの「すぐり」をなぜか思い出しながら、四、五百メートル歩いただけで酔いが醒めてしまった。
2010年1月14日木曜日
ノイローゼの文学
相変わらず、ネットで検索。もっとまじめに英語を覚えておけばよかった。
同じようなルバーブ狂いのおじさんのブログを発見。世界のどこにもブヴァールとペキュシェみたいな人物はいるもので、なぜか安堵。
そういえば、RSSリーダーに登録している方の記事に同じフロベールのボヴァリー夫人のことが書かれていた。同様に買ったまま積読状態なのを思い出し、読まなければいけないなと思いつつも、最近はどうも男女の間のことを書いた小説が読めなくなっているので積極的に探し出す気にはならない。
若い頃にはチェーホフのカーチャにすっかり入れ揚げていたくせに、この頃はカーチャみたいな女性が目の前にいたら真っ先に逃げ出すだろうし、眉に唾を付けて一切の言葉を真に受けないだろう。太宰の「トカトントン」をノイローゼの文学と言ったのは尊敬していたHさんで、聞いた当時は内心かなり反撥をしたものだった。その伝で言えば、カーチャでさえも、ただの心を病んでいる女性に過ぎなくなる。翻って、文学は医学ではないのだし、もともと病んでいる人間を描くものだからいいではないかという考えも成り立つ、のだけど。
数年前に亡くなったTさんが「女に興味が無くなったらお終いだぜ、小説も書けなくなる」と言っていたのを思い出す。Tさんのような私小説は決して書かないつもりなのだけど......意味深長。
HさんやTさんのように、こちらの胸の奥まで沁みてくるようなことをいうひとが居なくなってしまった。
また聴いてしまおう。本家のトム・ウェイツよりも洗練されてかっこいい。
あれ、ダイアナ・クラールの動画がまた増えています。
同じようなルバーブ狂いのおじさんのブログを発見。世界のどこにもブヴァールとペキュシェみたいな人物はいるもので、なぜか安堵。
そういえば、RSSリーダーに登録している方の記事に同じフロベールのボヴァリー夫人のことが書かれていた。同様に買ったまま積読状態なのを思い出し、読まなければいけないなと思いつつも、最近はどうも男女の間のことを書いた小説が読めなくなっているので積極的に探し出す気にはならない。
若い頃にはチェーホフのカーチャにすっかり入れ揚げていたくせに、この頃はカーチャみたいな女性が目の前にいたら真っ先に逃げ出すだろうし、眉に唾を付けて一切の言葉を真に受けないだろう。太宰の「トカトントン」をノイローゼの文学と言ったのは尊敬していたHさんで、聞いた当時は内心かなり反撥をしたものだった。その伝で言えば、カーチャでさえも、ただの心を病んでいる女性に過ぎなくなる。翻って、文学は医学ではないのだし、もともと病んでいる人間を描くものだからいいではないかという考えも成り立つ、のだけど。
数年前に亡くなったTさんが「女に興味が無くなったらお終いだぜ、小説も書けなくなる」と言っていたのを思い出す。Tさんのような私小説は決して書かないつもりなのだけど......意味深長。
HさんやTさんのように、こちらの胸の奥まで沁みてくるようなことをいうひとが居なくなってしまった。
また聴いてしまおう。本家のトム・ウェイツよりも洗練されてかっこいい。
あれ、ダイアナ・クラールの動画がまた増えています。
2010年1月13日水曜日
立ち止まってはいけない
この頃しきりに同人誌の原点へ立ち還りたいと考えている。
そのために、長いこと発行し続けてきた同人誌を終刊しようとさえ考えている。
ひとつの死が新たにひとつの生を生む、のではないかと考えて。
客観的に見れば、20世紀はともかくこの21世紀初頭では、すでに文学などほぼ「死に体」にあると判断されても仕方ない状況にある。
誰も本気で小説など読まない時代。ブラッドベリの有名な小説のように文学書が人間社会のためにならない書物として焚書されるのならまだしも、文学や小説が一顧だにされない時代がいよいよ到来したのかもしれない。
日本で「文学の死」について正面から臆することなく書かれたのは佐々木基一さんかと思われますが、こういう認識を現代日本の作家、評論家、読者のどれだけがしているのだろうか。
あったことをいかにもあったように書くリアリズムの小説も、無かったことをいかにもあったように書く虚構の小説も、胡散臭ささにおいては同列であった。
そういう認識を獲得するのにかくも長い時間を必要としてしまった。
むしろ、自分が書くもので食えないアマチュアであるからこそ、編集者や評論家や読者の読みや意見などを気にせず、自分が思うがままに書いていいのが同人誌なのではないか。
自分が書くものが自分以外のひとに理解されないからといって、立ち止まってはいけない。
そのために、長いこと発行し続けてきた同人誌を終刊しようとさえ考えている。
ひとつの死が新たにひとつの生を生む、のではないかと考えて。
客観的に見れば、20世紀はともかくこの21世紀初頭では、すでに文学などほぼ「死に体」にあると判断されても仕方ない状況にある。
誰も本気で小説など読まない時代。ブラッドベリの有名な小説のように文学書が人間社会のためにならない書物として焚書されるのならまだしも、文学や小説が一顧だにされない時代がいよいよ到来したのかもしれない。
日本で「文学の死」について正面から臆することなく書かれたのは佐々木基一さんかと思われますが、こういう認識を現代日本の作家、評論家、読者のどれだけがしているのだろうか。
あったことをいかにもあったように書くリアリズムの小説も、無かったことをいかにもあったように書く虚構の小説も、胡散臭ささにおいては同列であった。
そういう認識を獲得するのにかくも長い時間を必要としてしまった。
むしろ、自分が書くもので食えないアマチュアであるからこそ、編集者や評論家や読者の読みや意見などを気にせず、自分が思うがままに書いていいのが同人誌なのではないか。
自分が書くものが自分以外のひとに理解されないからといって、立ち止まってはいけない。
2010年1月12日火曜日
曲がっていた
昨年末に町内の金物店で購入した麺棒の動きがどうも良くないような気がして、先日、ふと平らなテーブルの上に寝かせてのぞいてみたら、両端はテーブルに密着しているが、中央が3~4mmくらい離れていた。棒を半周ほど回すと、今度は中央がテーブルに着いて両端が3~4mm浮いている。何これ? 要するに曲がっているのである。これでは巻き棒には使えるが、蕎麦の延しには使えない。しかも、家に以前からある使い慣れた麺棒もテーブルの上において転がしてみるとスムーズには転がらない。やはり曲がっているのである。
仕方なく、今度はホームセンターへ出かけ、90cmの麺棒をレジの台の上で転がしてみてごろごろっと転がるのを確認して購入して来た。ついでに100番と、240番の布ヤスリも買い、それで、ざっとヤスリ掛けをし、潰したクルミを入れた布で磨いておいた。
それを使って、今日は家族2名が朝から外出して誰もいないのをいいことに、10時過ぎからまた自分用の十割蕎麦を打ってみた。普通は一人前ソバ粉100gが標準であるらしいが、私の場合は150gが標準なので300gで2食分。
ソバ粉300g(60メッシュ)、水、165g(55%)。こね鉢は先日カシューで塗装したものを使用。延し板も少量打ちなので30cm×90cmの板で細長く延す。


やはり、つなぎ無しだと端にひび割れが生じるので気持ちがあせって、二八ほど薄く延せないのと、狭い板の上なのでこれでぎりぎり。


これを二回分に分けてポリ袋に入れ、道具まで片付けて40分で終了。

昼食に、早速、一人前を茹でてみた。
二八ほど薄く延すことが出来ないのでやや厚めで、切るのも、細く切ると蕎麦が切れてしまうような気がしてつい幅が広くなるので、蕎麦としては太めで見た目はよろしくない。まるでうどんのよう。蕎麦はやはり細めで柳腰な感じがいい。
それから、初心者の特徴として、切り始めの右側に比べ切り終わりの左側の方が切り方が乱雑。情けないことに集中力が続かないのである。
食感。確かに雑味がなくピュアな風味。だが風味がやや弱く感じられるのはやはり60メッシュで篩われて甘皮の粗めの粉が排除されたせいか。
荒挽きを混ぜればつながらなくなるし、混ぜなければ風味が薄くなるし、いっそ荒挽きを混ぜて二八または一九にした方がいいのか。
さるところにボリス・ヴィアンの「屠殺屋入門」が2冊出ているが、9,800円と15,000円。と思ったら別の場所にも1冊、9,000円。Amazonに至っては5冊が11,000円から16,500円。
再版の可能性ゼロなのでどんなに高くても仕方ないとは思うが、私が探していた時にはこんなにぞろぞろ見つからなかった。一年、二年、検索し続けていてようやく見つかったものだ。
景気が悪いので高額な稀覯本が売りに出るのであろうか。
仕方なく、今度はホームセンターへ出かけ、90cmの麺棒をレジの台の上で転がしてみてごろごろっと転がるのを確認して購入して来た。ついでに100番と、240番の布ヤスリも買い、それで、ざっとヤスリ掛けをし、潰したクルミを入れた布で磨いておいた。
それを使って、今日は家族2名が朝から外出して誰もいないのをいいことに、10時過ぎからまた自分用の十割蕎麦を打ってみた。普通は一人前ソバ粉100gが標準であるらしいが、私の場合は150gが標準なので300gで2食分。
ソバ粉300g(60メッシュ)、水、165g(55%)。こね鉢は先日カシューで塗装したものを使用。延し板も少量打ちなので30cm×90cmの板で細長く延す。
やはり、つなぎ無しだと端にひび割れが生じるので気持ちがあせって、二八ほど薄く延せないのと、狭い板の上なのでこれでぎりぎり。
これを二回分に分けてポリ袋に入れ、道具まで片付けて40分で終了。
昼食に、早速、一人前を茹でてみた。
二八ほど薄く延すことが出来ないのでやや厚めで、切るのも、細く切ると蕎麦が切れてしまうような気がしてつい幅が広くなるので、蕎麦としては太めで見た目はよろしくない。まるでうどんのよう。蕎麦はやはり細めで柳腰な感じがいい。
それから、初心者の特徴として、切り始めの右側に比べ切り終わりの左側の方が切り方が乱雑。情けないことに集中力が続かないのである。
食感。確かに雑味がなくピュアな風味。だが風味がやや弱く感じられるのはやはり60メッシュで篩われて甘皮の粗めの粉が排除されたせいか。
荒挽きを混ぜればつながらなくなるし、混ぜなければ風味が薄くなるし、いっそ荒挽きを混ぜて二八または一九にした方がいいのか。
さるところにボリス・ヴィアンの「屠殺屋入門」が2冊出ているが、9,800円と15,000円。と思ったら別の場所にも1冊、9,000円。Amazonに至っては5冊が11,000円から16,500円。
再版の可能性ゼロなのでどんなに高くても仕方ないとは思うが、私が探していた時にはこんなにぞろぞろ見つからなかった。一年、二年、検索し続けていてようやく見つかったものだ。
景気が悪いので高額な稀覯本が売りに出るのであろうか。
2010年1月11日月曜日
現実にはあり得ない光景を
Gimpでの選択ツール、ことにPaintShopにはない選択ツールである「ファジー選択」、「色域選択」、「電脳はさみ」、「前景抽出選択」の使い方がすぐにはのみ込めなくて悪戦苦闘。これは実際の写真を使って何回でも試行してみるほかはない。
それで何をするのかって? ルネ・マグリットの絵のような現実にはあり得ない光景を作ってみたいのです。あったことをあったように書く(描く=写す)のも悪くはないでしょうけど。
編集作業で難題発生。自分の同人誌の方ではないが、誌と写真のコラボレーションの原稿があり、その写真にベタ(黒ベタ塗り)のあるものが2枚。最近依頼している印刷会社の安価なパック料金では挿絵や写真はベタがあるものは不可なのである。泣けて来ますが、2枚は使わないことにする。いや、一応、印刷会社に問い合わせメールを出してみるべきか? 「追加料金を課せられてもいいですが、ベタのある写真、使えませんか?」と。
大体、詩という言語芸術は言葉だけで勝負すべきであって、写真だの朗読だの印字やフォントの配置などに頼るのは邪道だと思うのですが、その誌の編集発行人ではなく、ただのボランティア作業をしている身としては、黙ってできる範囲で対応するほかない。
あいかわらず、アルチュール・ランボーの四行詩「 L'etoile a pleure Rose」にメロディが付けられ、唄われているのを飽きもせずに聴いている。
同じように唄おうとしても音痴気味で音階がつかめないしフランス語の発音がうまく出来ないし、切ない。
それで何をするのかって? ルネ・マグリットの絵のような現実にはあり得ない光景を作ってみたいのです。あったことをあったように書く(描く=写す)のも悪くはないでしょうけど。
編集作業で難題発生。自分の同人誌の方ではないが、誌と写真のコラボレーションの原稿があり、その写真にベタ(黒ベタ塗り)のあるものが2枚。最近依頼している印刷会社の安価なパック料金では挿絵や写真はベタがあるものは不可なのである。泣けて来ますが、2枚は使わないことにする。いや、一応、印刷会社に問い合わせメールを出してみるべきか? 「追加料金を課せられてもいいですが、ベタのある写真、使えませんか?」と。
大体、詩という言語芸術は言葉だけで勝負すべきであって、写真だの朗読だの印字やフォントの配置などに頼るのは邪道だと思うのですが、その誌の編集発行人ではなく、ただのボランティア作業をしている身としては、黙ってできる範囲で対応するほかない。
あいかわらず、アルチュール・ランボーの四行詩「 L'etoile a pleure Rose」にメロディが付けられ、唄われているのを飽きもせずに聴いている。
同じように唄おうとしても音痴気味で音階がつかめないしフランス語の発音がうまく出来ないし、切ない。
2010年1月10日日曜日
意欲のある書き手
同人誌の作品ごとのレイアウト、終了。
といっても、同人誌用に作成した文書スタイルを登録してあり、それを呼び出してテキストを挿入し、題名と作者名のフォントを大きくするだけなのでそう時間はかからない。Wordで編集していた時代には度々制御不能になったりストレスを感じながら編集レイアウトしていたものだが、一太郎に乗り換えてからはまったくストレスなしで、快適に編集作業が出来る。
それにしても、今号はこれまでの半分のページで薄い。こういう時には私自身が書かなければいけないだけど、もう数人くらいは同人を増やす努力をした方がよさそう。雑誌のリニューアルも考えているのでなおのこと、意欲のある書き手が欲しい。(そういう私自身がいちばん意欲を失っているのは間違いない、(ーー;) )
無論、こういう時代であるから地域にこだわるのはナンセンスで、メール添付で原稿が送れるひとだったら、居住地はどこでも構わない。日本語で書かれた文学作品でありさえすれば、アメリカ在住でもフランス在住でもケープタウン在住でも構わないのだ。
冷蔵庫に保存して三日めの十割蕎麦を昼食に茹でてみた。打った日と茹で上がりは同じ。コシ、喉越しも風味も、そう劣化してはいない。オヤマボクチ蕎麦が時間がかかっても思い通りに打ち上がらないのに比べれば、十割蕎麦の何とシンプルなことか。ただし、まだ少しは切れてしまうので工夫が必要。二八蕎麦を打って一食ずつ酸素を通さないポリ・ナイロン二層の袋に封じ込め、冷凍庫で保存したものがあるので、これも近々茹でて試食してみなければならない。冷凍したものを自然解凍してから茹でるか、冷凍のまま茹でてみるか? 前者が自然ではあろうけど。
といっても、同人誌用に作成した文書スタイルを登録してあり、それを呼び出してテキストを挿入し、題名と作者名のフォントを大きくするだけなのでそう時間はかからない。Wordで編集していた時代には度々制御不能になったりストレスを感じながら編集レイアウトしていたものだが、一太郎に乗り換えてからはまったくストレスなしで、快適に編集作業が出来る。
それにしても、今号はこれまでの半分のページで薄い。こういう時には私自身が書かなければいけないだけど、もう数人くらいは同人を増やす努力をした方がよさそう。雑誌のリニューアルも考えているのでなおのこと、意欲のある書き手が欲しい。(そういう私自身がいちばん意欲を失っているのは間違いない、(ーー;) )
無論、こういう時代であるから地域にこだわるのはナンセンスで、メール添付で原稿が送れるひとだったら、居住地はどこでも構わない。日本語で書かれた文学作品でありさえすれば、アメリカ在住でもフランス在住でもケープタウン在住でも構わないのだ。
冷蔵庫に保存して三日めの十割蕎麦を昼食に茹でてみた。打った日と茹で上がりは同じ。コシ、喉越しも風味も、そう劣化してはいない。オヤマボクチ蕎麦が時間がかかっても思い通りに打ち上がらないのに比べれば、十割蕎麦の何とシンプルなことか。ただし、まだ少しは切れてしまうので工夫が必要。二八蕎麦を打って一食ずつ酸素を通さないポリ・ナイロン二層の袋に封じ込め、冷凍庫で保存したものがあるので、これも近々茹でて試食してみなければならない。冷凍したものを自然解凍してから茹でるか、冷凍のまま茹でてみるか? 前者が自然ではあろうけど。
2010年1月8日金曜日
コラージュ、この厄介な表現方法
写真などを編集加工する画像編集ソフトは長いことPaint Shop Proを使って来たが、Paint Shop Pro 7でヴァージョンは停まったまま。なぜかというと、その後この会社が買収されてしまってヴァージョンアップの案内などがまったく来なくなり、古い顧客がまったく無視されてしまったからだった。
使い慣れているソフトを捨てて新しいソフトの使い方を覚えるのは面倒なのだけれど、ついに重い腰を上げて、Gimp(ギンプ)というフリーだが結構機能の充実しているらしい画像編集ソフトをダウンロードし、インストールした。ついでに主だったプラグ・インもダウンロードし、組み込んだ。
なぜ重い腰を上げたか、それは画像を切り抜いてコラージュしたいがため。
ただし、コラージュというのは実はきわめて厄介な表現手法であって、自分が撮影した画像だけを使うのならまだしも、そうでない場合は常に著作権というものがつきまとうし、そのような「切り張り」が「表現」あるいは「芸術」足りえるかという芸術論的問題にもつきまとわれる。
とにかく、もう少しGimp(ギンプ)というソフトの使い方を習熟しなければ。
使い慣れているソフトを捨てて新しいソフトの使い方を覚えるのは面倒なのだけれど、ついに重い腰を上げて、Gimp(ギンプ)というフリーだが結構機能の充実しているらしい画像編集ソフトをダウンロードし、インストールした。ついでに主だったプラグ・インもダウンロードし、組み込んだ。
なぜ重い腰を上げたか、それは画像を切り抜いてコラージュしたいがため。
ただし、コラージュというのは実はきわめて厄介な表現手法であって、自分が撮影した画像だけを使うのならまだしも、そうでない場合は常に著作権というものがつきまとうし、そのような「切り張り」が「表現」あるいは「芸術」足りえるかという芸術論的問題にもつきまとわれる。
とにかく、もう少しGimp(ギンプ)というソフトの使い方を習熟しなければ。
2010年1月7日木曜日
奥様!!
同人誌の編集作業少しずつ。今号は近年になく薄い雑誌になりそう。
今夜は表紙デザインを敢行。問題を解決できなかったのでちょっと危うい面もあるが、出来に関して、個人的にはまんざらでもない。
いよいよ原点へ立ち還る作業開始。
それにしても、親戚で購入したまま使わなかったパソコンを要らないかと訊かれて、わが奥様は要らないと断ってきたそうな。
このパソコンの電源周辺の挙動が怪しいので、古いパソコンでも編集専用に使えるではありませんか!! どうして私に相談せずに自分ひとりの判断で断ってしまうんですか、奥様!!
ウァーン・゚・(ノД`)ヽ(゚Д゚ )ナクナョ~
今夜は表紙デザインを敢行。問題を解決できなかったのでちょっと危うい面もあるが、出来に関して、個人的にはまんざらでもない。
いよいよ原点へ立ち還る作業開始。
それにしても、親戚で購入したまま使わなかったパソコンを要らないかと訊かれて、わが奥様は要らないと断ってきたそうな。
このパソコンの電源周辺の挙動が怪しいので、古いパソコンでも編集専用に使えるではありませんか!! どうして私に相談せずに自分ひとりの判断で断ってしまうんですか、奥様!!
ウァーン・゚・(ノД`)ヽ(゚Д゚ )ナクナョ~
2010年1月6日水曜日
ほっと一安心
二八と十割を250gずつ2回、同じ条件で打ってみた。延し板は大きいものを出すのが面倒なので例の30×90cmの集成材の切り板を使い、縦長に延した。幅30cmはやや狭い感じで、少し延しにくい。これは延し板ではなく切り板(まな板)なのだから仕方ないが200gとか300gくらい打つのだったら45cm×90cmくらいがいいのかもしれない。
結果。二八はやや柔らかすぎ、十割はやや硬めで延している間に少しひび割れが発生したので、二八ほど薄く出来ず切るのも太めになってしまった。加水率が、二八が56%、十割が54%で、これでは逆。標準55%というところか。
ただし、十割でつなぎ無しでも先ず先ずの出来なので、自分用には十分。 二八は近所の二人暮らしのお宅へ、暮れにちょっと世話になった事柄があり、そのお礼として届けた。このようにパックに入れてポリで密封すれば、遠隔地へクール宅急便などで送ることも可能となる。
待っていた友人からの年賀状が届いて、ほっと一安心。
「去年は山登りを2回。1回は途中でギブアップ。2回目は倍の時間がかかってしまいました」
2010年1月5日火曜日
行きたい、聴きたい
まだ本格的に仕事始めにならないうちに、補修して塗料を塗ることはできないものかと、ネットで検索してみた。
子供のころから漆や銀杏にかぶれた記憶があるので、漆は論外。さりとて化学塗料も使いたくないと思っていたら、カシュー塗料という、カシューの実から絞った油脂が原料の塗料がいいらしい。明日、早速ホームセンターへ見に行ってみよう。
うまく塗れたら、これも外径40cmなのでそば打ちに使えます、(^_^)。
さる文学賞の受賞作家で精神科医でもあるEさんからの年賀状に、この4月にわが市のホールで第〇〇回日本病跡学会を主催しますとのペン書き。くわえて「案内、ポスターを送ります」と。
4月は繁忙期ではあるが、できれば聴講したい。学生時代に、少し太宰や三島や芥川に関するパトグラフィを読んだだけですが、行きたい、聴きたい。
2010年1月4日月曜日
突きつけられた鏡
ある友人からの賀状を待っている。学生時代の後半にもっとも時間を共有した友人だが、元日に届いた年もあり、こちらの賀状が届いてから出したのか6日、7日ころに届いたこともあり、まだ待っている。
ただし、一昨年の年賀状に「胃から肺へ転移しました」という一文があり、昨年のものには「体力が無くなったので風邪をひいたり、年末には入院しました」と書かれていたので、年賀状が来ないと気にかかって仕方ない。ひとり住まいなので心配になって、電話をかけてみようと古い年賀状を見たが、住所だけで電話番号は記されていなかった。待つしかない。
もうひとり、学生時代の前半にもっとも時間を共有した友人からも「2008年12月に胃の手術をやり、無事一年が過ぎ、現在体重15kg軽くなり63kg。元気に働いてがんばっています」と。いつもは印刷だけで味気なかった年賀状しかくれなかったが、今年は身に沁みる。
そういう年代にさしかかったという自覚があまり無いところへ突きつけられた鏡。
困ったことに、パソコンを使っての同人誌の編集レイアウトがふたつ重なってしまった。どちらも12月末が締め切りなのだから、仕方ない。
ミスが無いように集中し、気をつけて進めよう。
自分の同人誌の方に使いたい画像があるのだが、著作権をクリアできそうもないので諦めざるを得ない。アメリカの芸術家に、あなたの作品をタダで使わせてくださいと交渉する語学力も図々しさも、持ち合わせていないのだけど、ダメで元々、英文メールをかいてみようかな。
ただし、一昨年の年賀状に「胃から肺へ転移しました」という一文があり、昨年のものには「体力が無くなったので風邪をひいたり、年末には入院しました」と書かれていたので、年賀状が来ないと気にかかって仕方ない。ひとり住まいなので心配になって、電話をかけてみようと古い年賀状を見たが、住所だけで電話番号は記されていなかった。待つしかない。
もうひとり、学生時代の前半にもっとも時間を共有した友人からも「2008年12月に胃の手術をやり、無事一年が過ぎ、現在体重15kg軽くなり63kg。元気に働いてがんばっています」と。いつもは印刷だけで味気なかった年賀状しかくれなかったが、今年は身に沁みる。
そういう年代にさしかかったという自覚があまり無いところへ突きつけられた鏡。
困ったことに、パソコンを使っての同人誌の編集レイアウトがふたつ重なってしまった。どちらも12月末が締め切りなのだから、仕方ない。
ミスが無いように集中し、気をつけて進めよう。
自分の同人誌の方に使いたい画像があるのだが、著作権をクリアできそうもないので諦めざるを得ない。アメリカの芸術家に、あなたの作品をタダで使わせてくださいと交渉する語学力も図々しさも、持ち合わせていないのだけど、ダメで元々、英文メールをかいてみようかな。
2010年1月3日日曜日
不思議な感覚
一泊の予定を二泊した二男が午前中にさっさと帰京。仕事の他にやりたいことがあって、むしろそれが生きがいとなっている彼にしたら、最大の親孝行であろう。
読書初めというわけでもないが、手元に置いたまま一向に読み進められないル・クレジオの短編集2冊のうち、「春その他の季節」を少し読む。5編すべての主人公が女性。
男性作家が女性を描いているのを、男性である自分が読んでいる不思議な感覚。性差というのはやはりあるのである。それを縮めようとして、男性作家は女性を描く。では女性作家が男を主人公にどんな小説を書いただろうかと考えて、たちまち行き詰まった。V・ウルフや残雪、アゴタ・クリストフとか、読んだ女性作家の数が少なすぎる。
昨年のアメリカ大統領のChangeに倣うのではないが、今年はマンネリを排して新しい出発点に立とうと思う。多少の軋轢が生じても仕方ない。
そんなことを考えていて、確たる理由や確信があるのではなく、漠然と、また筆名に戻ろうかと思っている。実に感覚的。
かつて小説を書きはじめた頃、生きる自分と書く自分は別もののような気がして筆名を使ったのだったが、途中でそれも変だと思い、本名に戻した。しかし、本名に戻してからの方が作品が書けなくなった。名前だけの問題ではなく、ほかにもっと根本的な問題があるのだが、それでも今はまた、生きる自分と書く自分は別ものという方がしっくりするような気がする。書く時には実人生で諸々背負っているものはすべて背中から下ろして、単一に書く自分だけで挑んだ方がいい。
あいかわらず、「Poéte & Chansons― Arthur Rimbaud」を聴き続けている。
しかし、ランボーの詩よりもさらに、北アフリカで貿易商人として生きた後半の人生の方にこそ、私の想像力や共感は強まる。
私は、実人生であまりに物分りが良くなり過ぎた。
それが書くことにも影響してしまい、それ以上書き進められないほどつまらない小説になってしまうのだ。
今年は物分りの悪い人間になって、もっと物分りの悪い小説を書こう。
読書初めというわけでもないが、手元に置いたまま一向に読み進められないル・クレジオの短編集2冊のうち、「春その他の季節」を少し読む。5編すべての主人公が女性。
男性作家が女性を描いているのを、男性である自分が読んでいる不思議な感覚。性差というのはやはりあるのである。それを縮めようとして、男性作家は女性を描く。では女性作家が男を主人公にどんな小説を書いただろうかと考えて、たちまち行き詰まった。V・ウルフや残雪、アゴタ・クリストフとか、読んだ女性作家の数が少なすぎる。
昨年のアメリカ大統領のChangeに倣うのではないが、今年はマンネリを排して新しい出発点に立とうと思う。多少の軋轢が生じても仕方ない。
そんなことを考えていて、確たる理由や確信があるのではなく、漠然と、また筆名に戻ろうかと思っている。実に感覚的。
かつて小説を書きはじめた頃、生きる自分と書く自分は別もののような気がして筆名を使ったのだったが、途中でそれも変だと思い、本名に戻した。しかし、本名に戻してからの方が作品が書けなくなった。名前だけの問題ではなく、ほかにもっと根本的な問題があるのだが、それでも今はまた、生きる自分と書く自分は別ものという方がしっくりするような気がする。書く時には実人生で諸々背負っているものはすべて背中から下ろして、単一に書く自分だけで挑んだ方がいい。
あいかわらず、「Poéte & Chansons― Arthur Rimbaud」を聴き続けている。
しかし、ランボーの詩よりもさらに、北アフリカで貿易商人として生きた後半の人生の方にこそ、私の想像力や共感は強まる。
私は、実人生であまりに物分りが良くなり過ぎた。
それが書くことにも影響してしまい、それ以上書き進められないほどつまらない小説になってしまうのだ。
今年は物分りの悪い人間になって、もっと物分りの悪い小説を書こう。
2010年1月1日金曜日
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