2007年12月31日月曜日

遅々として

 昨日、「胡壷・KOKO」6号掲載の小説3作を読了。ただし、感想を書くまでにはもうちょっと時間が必要で、書く前にもう一度読むことになるかも。年々頭が悪くなって、感想を書くのに時間がかかるようになってきた。これでも昔は読んですぐに、バンバン感想を書いたものですが。

2007年12月30日日曜日

ひとりでバンザイ一唱

 二時間半かけて石臼でソバを挽いてみた。挽くのは結構だが、篩う作業がタイヘンだった。最初は皮を除くための粗目の網だが、次は40メッシュ、最後に60メッシュ。60メッシュの細かい網からふわふわと降りてくるソバ粉が結構風で舞って、周囲から頭のてっぺんまで粉を被って白くなる。家の中でしないでよかった。
 石臼の使い方としては、一回転ごとに少量の蕎麦を穴に落としてやること。一度に大量に入れれば粗いまま石臼の外へ飛び出してしまうし、蕎麦を落とさずに回転だけさせていると、細かくはなるが皮まで粉になる分が多くなってしまう。石臼でのこうした挽き方は、「挽きぐるみ」といって皮が粉になったものが混じることで、黒っぽい田舎蕎麦風になるのだが、出来れば皮の混入は少ない方がいい。
 どうしても篩い残った粗い粉が出るので、それは別に打ち粉として別の袋に保管することにした。製粉所より歩留まりは悪いが、とにかく2Kgくらいの石臼手挽きのソバ粉が完成。3~4人分で500g使用するとして4回分。
 これで打った蕎麦でも風味が薄く感じられたら、その原因は乾燥させすぎということで納得し観念しよう。


 これまでは製粉だけは自分の手ではなかったが、これで一応、種蒔きからソバを打って食べるまで、すべて自分の手で行なったことになる。ひとりでバンザイ一唱。
 これで本年血迷いましたソバ栽培騒動も落着です。あすからまじめに文学生活できるでしょうか?
 いや、来年は怒濤のきのこ栽培計画が待っていますね。原木は用意できたし、電気ドリルはあるし、あとは4種類の駒菌と駒菌を打ち込む穴を開ける専用ドリル・ビットを購入するだけ。メーカーによって駒菌の直径が異なり、8.5mmと9.2mmの二種類があるらしいが、8.5mmのメーカーに決定。

 さて、一曲聴いてから読みかけの小説に戻ります。



2007年12月29日土曜日

冬も体を動かそう計画

 
 今年度の仕事すべて終了し、あとは家のこと、個人的なことだけして越年。
 40メッシュと60メッシュの篩を入手。(ちなみに40メッシュだと1インチ(25.4mm)の幅に40本の細かさで線が張られている)
 サンプルに少し石臼で玄ソバを挽いてみたものを、先ずは、家にあったメッシュは不明だが2mm目くらいの篩で皮を取り除き、次にいきなり60メッシュで篩ってみた。
 一応、ソバ粉の感じにはなっている。
 粉を少しなめてみて、噛んでみると、やはり砂のようなものを噛んだジャリッとした感触があった。そういえば、石臼で挽いてみた玄ソバは、来年度の種用に残しておいたもので、石抜きや磨き作業をしていないものだった。念のため沸騰させたお湯で「そばがき」を作って食べてみたら、やはり、毎回ではないがたまたまジャリッと来る。これでは蕎麦にならない。
 残っている玄ソバの精選作業にかかる。玉ねぎなどが入っているオレンジ色の網の袋に玄ソバを入れ、口を縛っておいてビニールシートの上に置き、靴を脱いで靴下のまま場所を替えつつ踏み続ける。そうすると、三角形の蕎麦の実の稜線にあたる部分の皮の端などが擦れて取れるし、皮についている泥、埃なども落ちる。(来年度は収穫精選の最後にネットに入れて水洗いし、乾燥した方がいいのかもしれない。
 それをさらに2mm目の篩で篩い直し、目で見て砂、小石などの異物がないか点検。
 これでようやく、明日は石臼による原始製粉作業に入れる。(冬も体を動かそう計画の一環であります)
 30日か31日に二男が帰省してきたら、この自家製粉したソバ粉でそばを作ってみよう。
 先日のうどんのような蕎麦、翌日の昼食時に長男が「おばあちゃん、夕べのお蕎麦、まだある?」と訊いたそうである。お父さんが全部食べてしまいました、

インターネット性二重人格症候群

 県内の同人誌、3誌が5部ずつ到着。表紙をスキャンし、その画像と目次を発行状況のページにアップ。3誌一度にアップはちょっときつい。
 しかし、どこも相互批評には消極的というか、他誌の人間には文句を言われたくないという人が多くて、もう諦めました。いつぞやなど、わが家に電話をかけてきて一時間も文句を言った人がいて、ああいうひととは相互批評など到底成立しない。
 意外な人まで、誉められている分には穏やかな人ですが、ちょっと批判的なことを言われると人が変わったように抗議してきて、なはは、うんざりですw。

 それから、実際に合った印象と違う性格をネットではむき出しにするひとがおります。私はこういうひとを「インターネット性二重人格症候群」と勝手に名づけていますが、結構ね、ふだんはおとなしいけれどお酒を飲むと乱暴者に豹変するのと同じで、パソコンを開いてネッにつながるとむやみに自己肯定他者否定が激しくなるんですね。やれやれ。

2007年12月28日金曜日

立派に蕎麦キチ君

 昨年、再生しようとして大事な部分を欠いてしまった石臼を、先日閃いて強力なセメントで補修してみたら、成功して割れた部分がくっつきましたので、今日、回してみたら何とも回転させるのに重いこと。これでは使えないかと思ったが、昔、実際に石臼を使ったことのある母親の言では、いちばん重くて挽きにくかったのは炒った大豆でキナコを挽く時で、潰れた大豆が石臼に張り付いてなかなか挽けなかったけど、ソバは粒が小さいし、押しつぶすだけでパッと粉になるくらいだから、石臼を回すのは楽ではないか、と。
 物は試しなので来年の種用に保存してある玄ソバを少し穴に落として回してみた。
 お??
 おお?!!
 空で回した時よりずっと軽く回るではありませんか。
 上臼と下臼の間にソバの粒が入ることによって、それらがコロの役割を果たすのか、回転がものすごく軽くなっているのです。
 ということで、今年の製粉所での石臼挽きソバ粉の風味にひそかに不満と不信感を抱いている私としては、一度自分で石臼で挽いたソバ粉で蕎麦を打ってみたいものと考えているのであります。 
 そのためには何種類かの篩(ふるい)が必要で、皮などを選別する粗い篩は家にあるもので間に合うでしょうが、40メッシュと60メッシュくらいの細かい篩は探してこないといけません。少なくとも60メッシュのものは絶対に必要。
 年内に探しておいて、正月休みに手動で石臼挽きをいたしますぞ。
 (と、人間に対してもこれくらいの好奇心が残っていたらいいのですが、どうも人間への関心が相当に薄れてしまい、失望から絶望への途上にあるようで、それが小説書けん、感想書けん、の元凶かも、泣)

わがままな職人

 父が生前親しくしていただいていた方が亡くなり、今日12時30分の葬儀に参列、焼香。父が腰椎を癌細胞にやられて自立歩行がまったく出来なくなってから、お孫さんの運転で父に会いに来てくれた。いい人を絵に描いたようなひとで、斎場の写真も実にいいお顔だった。99歳、善人なおもて往生を遂ぐ。さよならS之助さん。
 

 自分が編集発行人である同人誌の感想を書いてようやくアップロードした。ビリである。これでようやく、ほっ。
 どうも、わがままになって、「いつでも」は感想が書けないので困っている。「気が向かないと」書けないのだ。
 昔、仕事でつきあいのあった儀助おじさん、建築の基礎やブロック塀を積む仕事をしていたのだが、このひと、風が吹けば丁張の糸が揺れて仕事にならないとか、寒ければセメントが凍ってダメだとか、何かと口実をつけては仕事を休むわがままな職人だった。
 今の私は、その儀助おじさんそっくりではありませんか!!
 小説を書かない(正しくは書けない)だけでなく、感想さえも簡単には書けなくなっている!!
 由々しき事態です。

 ホフマンスタール、「チャンドス卿の手紙」の言葉が口の中で腐れキノコとなり、意味を失うという、あれほど強烈ではありませんが、自分の言葉に不信感を抱いているのは事実でしょう。
 どんどん書けるひとが、裏山鹿。
 さて、どうやって、反撃、するか。

2007年12月27日木曜日

小筆と麺切り台

 ようやく年賀状の宛名書き終了。ここ数年、パイロットの「小筆」という万年筆型の筆ペンの硬筆の方を使っている。筆字は下手くそなのだが、要するに他の筆記用具のような筆圧を必要としないので楽、それだけの理由です。万年筆はふだん使っていないので、インクの出は悪くなっているし、滑らかさも欠いて来ていて使い物にならない。
 案外、B4版の大きな原稿用紙に「小筆」で書くのもいいかもしれない。

 今夜、二度目のソバ打ち決行。oyamabokuchiをつなぎにした10割ソバであるが、前回は切るのは製麺機を使ったが、今回はそば切り包丁と駒板を使って切ってみた。
 ガーン。幅を狭く切ると途中で切れてしまいそうで、どうしても幅が広めになってしまう。もっと薄く延ばさないとこれではうどんである。
 しかもオヤマボクチを使っているのでコシがあり、老いた母親にはちょっと食べにくいようだが、ただし、長男は良く食べてくれ、作った分は完食。
 むう、やはり手で切るのはむずかしい。二男が帰省したら作る3回目は、製麺機で切ることにした方がよさそう。冒険は自分だけの時にしよう。
 さるお店で「麺切り台」を発見。刃を上下させると設定した幅で包丁が左へ移動していって麺がどんどん切れてゆくという優れもの。ネットだと3万前後するが、店舗で見た物は18,800円だった。欲しいような、欲しくないような……。
 。

 さあ、読書と感想文が控えている。
 実は、このところずっと、編集発行人をやめた方がいいではないかという疑念に苛まれ、凹んでいる。
 ひと様にはいかにもやる気がなさそうに見えるであろうとは思いますが、さて……。

2007年12月26日水曜日

泥縄式年賀状作成

 今夜は崖っぷちで、泥縄式年賀状作成。家族2名分を先に作成し、自分のものを最後に。
 めったに使わないカラープリンタ、どうもミスばっかりで先へ進まず、レイアウトは変になるし、軌道に乗ったのはつい先ほど。
 あとはインク切れ、用紙切れに気をつけながら読書していればいいはずですが。
 それにしても、A3タイプでなくていいから、もうカラープリンタを買い換えないと。縁無し印刷のプリンタが出る直前の古いタイプなので余白が大きすぎる。しかも余白が均等でない。仕方なくセンタリング機能で中央に印刷したが、やや縮小されている。泣ける。
 来年は新しいカラープリンタを購入して、雑誌の表紙の二色印刷やフルカラー印刷に挑戦してみたい気もしています。「胡壷」6号のひわきさんの表紙デザイン、コラージュとのことですが、今回は二色刷りながら出色の表紙で、おおいに刺激を受けました。


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 今日で仕事はすべて片付くはずだったが、ひとつ、明日まで持ち越しになってしまった。まったくもう、である。
 明日はデスクワークをする振りをしながら、年賀状に筆ペンで宛名書き。と思ったら、インク切れで午前十時開店を待ってインク・カートリッジを買いに行かないと。ハガキも印刷ミスした分を交換してこないと。

2007年12月25日火曜日

何となく年末年始の準備

 昨夜はFirefoxのbookmarkにある「ブログ」フォルダをうっかり削除してしまったら、sageに登録してあった「ブログ」すべても消えていた。bookmarkにある「ブログ」フォルダとsageの中身はリンンクしていて同一のものであったのだ(泣)。
 仕方なく、少々古いがSleipnirのHeadline-Readerに登録されているブログをエクスポートし、Firefoxのsageにインポート、と思ったがなぜかインポートできず、ひとつずつ登録しなおしして、ようやく復活。
 Sleipnirをやめて、FirefoxとIE7だけにしようと思ったのが失敗だった。IEはほとんど使わないのだから、Sleipnirでウェブを、Firefoxでブログをというこれまで通りの分業でいいのだとおもうことにしよう。

 今日は振替休日ということで、朝食後、年末年始に備えて包丁研ぎをした。私以外に包丁研ぎをするものが居ないのである。ふだんはめったにしないので「包丁が切れない」という苦情が絶えないが、簡易シャープナーみたいなもので刃先だけ研いでいるようです。たまにはきちんと研がないといけません。
 菜切り包丁、文化包丁、柳葉包丁、ついでに買ったままうまく切れずに二度くらい使ったまま放置してあった蕎麦切り包丁を出し、これも研いだ。事前に、砥石の凹みを修正するために平らなコンクリートの上で水をかけながら擦って平らにし、それから研いだので、よく研げたのか、親指の腹で刃に触れるとシャリーンというような音がした。おお、まじめに研げば研げるものだと感心しました。
 なかなか良さそうなので、これで一度蕎麦を切ってみようと思いました。それには駒板が必要であるから自作しようとホームセンターへ板材を買いに行った。しかし、板がなかなか高い。蕎麦打ち用品が陳列されている棚に行ってみたら、既製品を買う方が安いことが判明、1380円のを購入して帰宅。長男が2週間の休暇で一昨日帰省して来たので、蕎麦でも食べさせてあげようかと。彼は、まだ箸を持てない頃から手づかみで蕎麦を食べていたくらいなので、結構、蕎麦にはうるさい。

 その後、老母が芹を採りに行きたいというので、四駆の軽トラで山へ。年末年始に芹がないとダメな母親である。昨日の雪が残っているし、道幅は軽トラぎりぎりでかなり怖い山道だが、四輪駆動にしてさらにロー・ギアのままで何とか登坂。清水が流れ出ている場所に芹があり、母狂喜して一時間ほど採取。

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 そのうちのごく一部。これも蕎麦の薬味に使えないことはない。芹蕎麦である。芹の天ぷら蕎麦も悪くはない。七草粥は無理でも、芹を入れた粥も良さそうだ。


 帰宅後は、注連飾りのうちの「ごぼう注連」というものを生まれて初めて自作してみた。ネットで調べたら20本の藁を3つ使って作るとあったが、それでは太くなりすぎ、また捻りにくいので15本ずつに減らしてみたら、まあまあ、そこそこの形にはなった。
 普通の縄などは右巻きに捩るが、注連縄の場合は左巻きに捻るのだそうで、なるほど。
 紙垂(しで)の作り方はネットで検索したら解りやすい図解があってこれもクリア。芹を採りに行った山で松の枝も少々頂いてきたので、今年は自作の注連を飾ることが出来る。


 あとは静かに小説を読む。
 ……干し海老を使った冬瓜のスープ……という記述があったので、我が家の倉庫に眠る姫冬瓜の様子を見にいったら、まだ何ともなくて正月に使えそう。長男、二男、どちらも居るうちに一度作ってみよう。
 今夜は別の小説。
 しかし、まだ年賀状を印刷してないことに気づき、蒼くなる。

2007年12月23日日曜日

やはり雪

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原木の切り出し決行

 天気予報では明日の午前中は雪が降るらしいので、午後、チェンソーと燃料、その他を車に乗せ、急遽山へ。といっても車で10分の距離。高速道路のPAから直線距離だと500mくらいの場所。里山である。
 コナラのほどよい太さ(細さ)の木で幹が真っ直ぐなものを選んで伐採開始。細めの木だが、練習のため一応受け口を作り、追い口から切ってみた。ほぼ狙ったとおりの方向に倒れたが、あまり木が混みあっていない場所で切ったにもかかわらず、やはり先端が別の木にひっかかり地上に倒れてくれない。仕方なく、人力で全力で引っ張ってようやく着地。

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 5本伐採し、運びやすいように180cmに玉切りしたら20本、長さ90cmの原木サイズで40本分になってしまったので終了。切るだけだったら楽ですが、斜面を下るとはいえ、これを道路まで運び出す作業はきつくて息は切れるし、冬でも汗びっしょりになります。まさに、痩せたソクラテスになるためのいい運動です。それにしても生の木はほんとうに重い。
 最後に腰を下ろして一休みしていて、目の前にコナラとは違う樹種が立っていて、横に点や筋の入った独特の樹皮の模様から「山桜」であると判断。桜はナメコに最適の樹種である。まさかこの山にあるとは思わなかったが、コナラを切るのと違ってちょっと逡巡。毎年、遅咲きの山桜に目を楽しませてもらっているので、それを切るとなると心理的抵抗が生じているのです。
 落ち着いて周囲を見回すと、ほかにも山桜の木があり、しかもひとつの株から5本も幹が伸びているではありませんか。そこで、そのなかの1本、他の幹と接近していて窮屈そうな幹を切ることにしました。一本で原木サイズ9本分ありました
 これで、シイタケ、ナメコ、ヒラタケ(以前の信州シメジ)、クリタケの4種類の菌が植えられそうです。

2007年12月22日土曜日

今宵悲憤慷慨怒髪天到七転八倒阿鼻叫喚

 今日のローカル紙に県内の文学を回顧する記事が掲載された。しかし何か変である。今年度に交替した新会長が書かずに前会長が書いているのだが、今年発行された単行本への言及はあっても、かんじんの県内の同人誌掲載作にはまったく触れられていない。こんな回顧があるだろうか? どの同人誌が五十余年、この同人誌が三十余年とか、誌齢ばかりが強調されているが、何より必要なのは各誌に掲載された優れた作品への評であろう。
 それ抜きで何の回顧? 
 まさか、今年発行された各誌の作品を読んでいないのでは? と、私は今宵悲憤慷慨怒髪天到七転八倒阿鼻叫喚なのであります。
 もう脱退すべき、かな? 

 そういえば、ほかにも怒髪天到なことがあって……。唯我独尊な物書きって、この言い方自体が形容矛盾で在りえないのですが、こういう在りえない物書きが、存在するのですね。
 こういうひとが偉そうに文学を語るなんて、(ーー;) うんざり、やってられませんよw。
 ああ、私も、すべての組織から離れて、ひとりで考え、感じ、書いて、生きてゆくべきなのでしょうか。
 ずいぶん忍耐強くなった私ですが、もう、堪忍袋の緒を切っていいんでしょうか?!

 もうひとつ。
 小説がいちばん存在感を示していた19世紀の小説の傑作はどれもこれも犯罪者が主人公でした。ドストエフスキーが書いた人物なんて全員が犯罪者か変質者か狂人でした。
 でも、この21世紀のとばくちにあって小説を書いている職業作家のどれだけが、犯罪者や変質者や狂人を主人公にしているでしょう? ちまちまとした常人? それも否定はしませんが、鏡のなかの自分を見せられているだけな感じで、面白くないですよね。そんな文学、こちらから引導を渡してしまいたいんですが……。
 

2007年12月21日金曜日

人間も休眠打破(できない?)

 11月29日に書いたoyamabokuchiの種、冷蔵保存処理するのを忘れていたので、本日実行。

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 不織布を袋にして、普通のと紫色の種を別々に入れる。タッパーの底に水分を加えて湿らせたピートモスを敷く。

oyamabokuchiinpeatmoss.jpg  oyamabokuchihozon.jpg
 その上に不織布入りの種を置き、更にピートモスをいっぱいに詰め、蓋をして冷蔵庫の隅に来年3月の播種まで保存する。
 ただ乾燥した種を播いても発芽率30%くらいだが、こうしてほど良い湿気を与えつつ冷蔵保存しておくと休眠打破され、発芽率が向上するのだそうです。
 人間(ことに私)も休眠打破できる方法ってないのでしょうか。

2007年12月20日木曜日

樵見習い

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 午後、思いがけず仕事が早く片付いたので、エンジン・チェンソーを持って、菜園横の竹薮に生えていたニセアカシアが9月の台風で傾いたままだったのを試し切り。
 他に何もない場所ならいいが、竹やほかのアカシアにひっかかってなかなか素直に倒れてくれない。難しいものである。根元の直径、たかが40cmくらいなのだが、それでも倒れる時には自分の方に倒れてこないか、バウンドして撥ねられないか、結構怖い。それに生の樹木がこんなに重いものだとは思わなかった。確かに下敷きになったり頭を直撃されたら、死にます。
 チェンソーの刃を挟まれることがあるので、その際に使う楔も大小二個くらいずつ必要。刃も替え刃をひとつ用意しておいた方がいい。本体の軽量化のために燃料タンクとチェンソーオイルを入れるタンクが小さすぎ、じきに終わってしまうので、燃料タンクとチェンソーオイルの容器、刃を研ぐヤスリなど工具一式をひとつの箱にまとめて入れておく必要がある。
 それから、山で飲むコーヒーを何とかしたい。
 あんな細めのアカシアを2本切っただけで汗びっしょりで、理想的な全身運動である。真冬の体力強化&スリム化計画にもってこいではありませんか、(^_^) 。
 
 N商事のT中さんが、年を越したらクルミの木を切るので、電話したら取りにおいでと。クルミの木は信州シメジ(ヒラタケ)の菌を植えるのに最適なのだそうです。ナメコは山桜がいいそうだし、クリタケは栗木、コナラが一般的だけど、なぜか唐松の間伐材でもびっしり出るそうです。この4種類くらいはやってみたいものです。配偶者の実家でシイタケ菌を植えた原木を10本ほど所望されてしまいました。コナラの木、2本分だから簡単ですが。


 

ネットの構造

 今年の後半、RSSリーダーに登録しているブログの多くが更新頻度がだいぶ遠くなっているが、ブログもそろそろ衰退期に入ったかもしれない。
 私自身も、こうしてネット上に自己の脳のなかの思考や感情の動きをさらすことに疑義を感じないことはない。
 以前も書いたが、ブロガーはマジックミラーの内側にいて、ミラーの向こう側から誰が見ているのかは判らない。向こう側にいる人は「匿名性という名の天狗の隠れ蓑」をまとっているので安全であり、ブロガーだけがひとり、見える箱の中に実在しているのである。

 いろいろ調べものが多くて、それに時間を取られている。案外、ノンフィクションのひとたちがいい仕事をしているではないか。
 いずれにしても、ちょっとすることがあるので、このブログも更新頻度が落ちるかもしれません。


 ある雑誌を待っていたが届かない。定期購読を申し込んである訳ではないので、必ず来るとは限りませんが。

2007年12月19日水曜日

単行本二冊

 16日には、三木ふみ「北沢喜代治――人と作品」(屋上の会発行・非売品)。屋上を創刊、信州文芸誌協会立ち上げの立役者であった北沢喜代治さんの、文字通り人と作品を的まとめた労作。北沢さんの作品が読めないのが残念だが、古書検索すればまだ入手可能な小説集あり。
 今日は軽井沢の塩川治子さんから第三歌集「霧ものがたり」(角川書店、2,700円)。
 小説を書かれ、短歌もされているので、羨ましい。
 言葉によって地を這い、泥にまみれ、骨を切られ、肉をえぐられる小説にくらべて、31文字一行で屹立する短歌が、私にはとてもかっこよく潔く凛々しいものに見える。
 しかし、小説のように叙述することも、短歌のように歌うことも出来ない自分がよく見えている。

 

2007年12月18日火曜日

吉良上野介みたいな心境

 県内の同人誌に所属されている方だが、表のサイトに3年で4570回アクセスされている。
 すごい数字です。一年で1500回超。ひと月1270回。
 今日は各ページを忙しく20回のアクセス。なんだかバタバタ家探しされている感じで、私は赤穂浪士に探されている吉良上野介みたいな心境です (ーー;)
 そんなに頻繁に各ページが更新されている訳ではないので、もう少しお静かに、品良くおいでくださいませ。

2007年12月17日月曜日

4つの林檎

 昨夜は定例15日の赤提灯だったが、忘年会のためいつもより盛り上がり、帰宅後轟沈。


 今夜はDead Sea AppleとApple of Sodomが同じ林檎を指しているのか確認するためにGoogleで英語で検索。アイスランドにDead Sea Appleという名のロックバンドがあるらしく、その記事が多くて閉口したが、
Apple of Sodom
(Dead Sea Apple) A fruit, said to grow on or near the site of the biblical Sodom; it turns to smoke and ashes when plucked. (New Catholic Dictionary)
 と書かれているので、同一なのだろう。木から摘んだとたんに煙と灰になって消えてしまう、妖しくも儚くいかにもフィクショナルな林檎ではあります。
 それにしても、一度、旧約の創世記から通読しないといろいろがチンプンカンプンで困ったものです。
 若い頃に読むつもりで買ったものの、あの人名ずらずらが落語の寿限無と同じで気が遠くなってしまい、ダメなのでした。


 死海の林檎(ソドムの林檎)、残雪の「廊下に植えた林檎の木」、そして久坂葉子にかじられた「りんご」。それから芥川の「蜜柑」に負けず劣らずの井上光晴の掌編「林檎」。都合4個の個性ある林檎。そこにBlue eyes。相変わらず固定したまま発展しないイマージュ。

 昨日、ホームセンターへ行った折にシイタケほかの駒菌がすでに陳列されているのを確認。500個入りではなく、シイタケ400個入り1480円、他のきのこは100個入り398円。しかし100個では原木3本くらいしか菌を植えられないので問題外。普通は500個入りのはずなので、後日、他に2店ほどまわってみる予定。
 クリタケ、ナメコはシイタケのような長木栽培ではなく、太めの木を短く30cmくらいに切って、立てて埋める方式のほうが良さそう。クリタケ用の原木は切りたてよりも時間をおいて乾燥していた方がいいというので、今日、切り出しに行くつもりだったが、あまりに寒風きびしいので暖かい日に延期。
 午後、近所のH君の新しいパソコンの設定やら古いパソコンからのデータ引越しやらをしてやって3時間ほど費やす。自分が持っていたCD-RW書き込みソフトをインストールしたり、彼の家ではネット接続できないのでMSオフィスのアプリケーションのオンライン認証が受けられず、仕方なく彼の新パソコンを自宅に持ち帰り、家でネットにつないで認証を受けた。そうしないと、WordやExcelを50回だか起動すると使えなくなってしまう。なんとも面倒で、したたかなMSの戦略。

2007年12月15日土曜日

危ない

 パソコンの動きが重くなって来たので、iTuneとPicasaをアンインストールした。この頃、音楽、画像、動画ファイルのダウンロードなどが激しかったので、もうそろそろ下ろしてもいいだろう。音楽、画像、動画ファイル自体も相当削除した。
 それからこのブログのテンプレートをいじっていたらレイアウトが崩れてしまったので、慌ててバックアップしてあるテンプレートをコピー&ペーストしたら、当然のことながらBookmarksやウェブへのリンクが消えてしまった。相互リンクの方、申し訳ありません。タグの書き方を思い出さないので、また後日、書き足します。この際だから、相互リンク以外のブログ、ウェブはリンクを張らないことにしました。

2007年12月14日金曜日

迷走好奇心

 ドストエフスキー、バフチンがらみで検索。一冊はAmazon以外に古書では見つからなかったり、あっても新刊と同じ価格だったり、これはネットで新刊でオーダーした方が良さそうだが文庫で606頁。もう一冊は叢書ウ二ベルタシスの一巻ですでに新刊は無し、これもAmazonに一冊あったが価格が6420円! カードを持たない旧人類にはAmazonの古本は購入できない決まりになっているのでいずれにしても買えないのです。意地でもカードを持ちませんぞ(って、不自由ですね)。他を検索したらたくさんヒットしていちばん安いのが1,800円。こちらは、オーダーすべきか迷っている。ウ二ベルタシスは歯ごたえ十分で難しそうで、しかも404頁。

 それからしろうとのキノコ栽培記事を検索して読みまくっている。ソバにはソバキチ、キノコにはキノコキチの方がおいでになって、初心者には実に興味深い記事がある。なかには栽培できるキノコすべてにチャレンジされている「ブヴァールとペキュシェ」みたいな方もいて、苦笑い。
 それからキノコの種菌メーカーを検索、4社ほどお気に入りに入れておく。
 
 本日の昼休みに、木を切らせていただけることになった山の偵察。山としてはそれほど広くないが30アール(ほぼ1000坪)ほど。南が道路に面していて、北と東は隣地との境がおおむね把握できたが、西の境界線がまったく判らない。所有者本人も判らないというのだからお手上げである。まあ、西の境界の方には近づかず、東半分の方で伐採すればいい。ネットで見つけた「きのこ栽培に適した樹種一覧表」を手に樹種を見てみたが、どうやらほとんどが「コナラ」のようで、シイタケ、ナメコ、クリタケには最適らしい。カラープリンタではなくモノクロレーザープリンタで印刷したので微妙な違いが判りにくいが、ミズナラではないだろう。大木は少なく、まさにきのこ栽培の原木にぴったりの太さのものが多い。
 目見当で一本で6~7本の原木が採れそうなので、5本伐採すれば30本の原木になりそう。とりあえずは早めに切って乾燥をしておかなければならないクリタケ用原木で、シイタケ、ナメコ、ヒラタケは1月か2月の暖かい日にでも切ろう。
 これ、実は冬場の運動不測解消になかなか効果がありそうです。
 それにしても、結構木を盗むひとっているんですね。この山も100坪くらいごっそり盗伐されたということですし、そういえば配偶者の実家にも山があるのですが、やはり勝手に木を切られたり、稲の育苗用に赤土まで掘って盗んでいく者がいるようです。
 山なんて見捨てられていますから、誰が木を切っていようが不審には思われない訳ですね。
 

2007年12月13日木曜日

これはすごい

JxEuro2008
欧州6か国語(英語・フランス・ドイツ・スペイン・ポルトガル・イタリア)と
日本語の相互翻訳。専門辞書がついて、更に翻訳精度がアップ!


2007年12月12日水曜日

じきに眠くなる

 HMVで購入した「マタイ受難曲」をあちこち順不同に聴いているうちに、ドイツ語は皆目分からないし、どうも聖書の「マタイ傅福音書」を受難曲の解説文と並行して読まないとダメなような気がしてきて、開くは開いたのだがじきに眠くなるので、ほとんど先へ進めない。
 そうこうしているうちに「ヨハネ受難曲」もネットの動画サイトにアップロードされているので、flvファイルをダウンロードしてmp3ファイルに変換した。
 ということは「ヨハネ傅福音書」も読むことに? 
 それにしても聖書って、どうしてこんなに眠くなるんだろう。

 「小説書きかけ」フォルダをと「創作メモ」ファイルを、毎日開くことにした。
 近未来物になるのだろうか、資本主義体制が崩壊する小説が頭の中に。これはJ・オウエルの「1984」、ソヴィエト崩壊の逆ヴァージョン。

 クリタケ栽培のノウハウをネットで検索。ありがたいことに、ありがたい情報が居ながらにしてたくさん得られる。クリタケ栽培はキノコ栽培のなかではかなりマイナーである。それというのも、近代的工場で行なわれるキノコ栽培の主流であるオガクズ培地での栽培がクリタケの場合はまだ確立されていなくて、シイタケと同じ原木栽培ということになり、しかも、シイタケが温度調節すれば通年栽培が可能であるのに比べて、クリタケは原木自体を山や畑に伏せ、発生までに年数がかかる上に発生時期が天然クリタケと同じ11月初旬に限定されてしまう。ゆえに営利栽培に向かない。
 ま、私は営利栽培でなく自分が食べるためと言う原始衝動栽培だから、そんなことには構いません。春に菌を原木に打ち込むべく、今から準備を開始しよう。(って、また始まった~ブヴァールとペキュシェの轍を踏む)

2007年12月11日火曜日

アナログな生活

 弟から庭先に成った柚子が送られて来たので、秋に収穫してコンテナに入れ倉庫に保管しておいた姫とうがんを思い出し、先日、取り出してみたら、皺にもならず、腐りもせず、ほぼ収穫時と変わらぬ姿だった。
 土曜日に、またまたお気に入りの「昆布ダシそぼろあんかけ柚子風味」を作ってみました。おいしい。
 なるほど、ほんとうに冬まで貯蔵がきくのですね。このあたりは夕顔は栽培してもとうがんは栽培しない土地柄なので、実際に作って食べてみないと判らないのでした。この分だとお正月にも食べられるではありませんか、(^_^)

 今日は仕事で出かけたついでに親戚に寄って山林の場所と面積を確認し、木を切っていいかと訊ねた。まったく手入れなどしていない山なので好きに切っていいという。まあ、そんなには要らないのだが、シイタケやくりたけ、なめこの菌を植えつける原木50本くらいと薪少々。
 夕方、購入してきたエンジンチェーンソーの試運転。さすがに電動とは違ってパワーがある。うーん、むやみに木を切ってみたくなりましたwha(ジェイソン、ジェイソン)。しかし、エンジンチェーンソーは使い方をきちんと身に着けないと危険ですから、まじめに使いましょう。

 小説を書くには、その間、ネット接続を控えないとダメなようです。
 後戻り出来ないことは解っていますが、やはり、アナログ生活にあこがれますね。山小屋で薪ストーヴなどという生活でなくても、ネットもテレビもなく、本を読んだり文章を書くほかないアナログな生活。

2007年12月10日月曜日

物書きはどうしたらいいのでしょう

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 先ほどちょこっと検索していたら、この本が76,000円で出ていた。ガーン。すごい時代になってしまいました。ウァーン・゚・(ノД`)ヽ(゚Д゚ )ナクナ
 今年の農家の玄米1俵(60kg)あたりの売り上げが13,000円で、10アール作っても10俵、13万円、そこからさらに苗代金、耕運、代かき、田植えなどの作業料金、肥料農薬代、土地改良区の水使用料、収穫時のコンバイン作業代、もみの乾燥料、JAの手数料などを引いていったら、数万円くらいしか残らないというのに、本一冊が76,000円だなんて! いったい全体、どうなってしまったんだろう! (号泣、嘘)

 土日は旧商店街には人間はおろか、猫の子一匹見当たらないというすごい光景ですし……。
 こんな時代の、こんな不合理をも如実に映し出すことが出来る「言葉の鏡」になるためには、物書きはどうしたらいいのでしょう。
 といいながら今日、ホームセンターにエンジンチェーンソーを見に行った。ネットとリアルと両方検索調査したが、結局、足元のホームセンターがいちばん安いし、ホームセンターには出ないはずのメーカーのものがあってしかもネットより安いので仕方ない。
 世界中が安いものに目の色を変えている時代の流れにNoと言って背を向けなければいけないのだが、悲しいかな私もひとの子? 

 行ったついでにチェーンソーの目立てをするヤスリを購入し、切れなくなった電気チェーンソーの目立てをしてみた。うーむ、切れ味が良くなりました。メンテナンスはきちんとしましょう。

2007年12月9日日曜日

またしてもソバの話で(恐縮)

 午前中、仕事でY田さんのお宅にお伺いしていて、ふとY田さんが5年ほど蕎麦打ちしていることを知り、用件そっちのけで蕎麦についての情報交換。こちらは無論、Y田さんが知らなかったoyamabokuchiについて、Y田さんは個別に丁寧にソバ粉を挽いてくれる製粉所について、またその製粉所の主人の話として、玄ソバの水分率は17%くらいの方が風味が損なわれないと。え? 17%! 確か、私が今年行った製粉所で受け付けた青年が計ってくれた時は、13%台と14%台だった。
 乾燥しすぎだったのか。
 そのせいで、若干風味が薄く感じられるのだろうか。
 しかも今年の場合は他の人の玄ソバといっしょに挽かれてしまったので、本当の意味でのMy ソバ粉ではない。うーむ、ひとのと混ぜられてたまるものか。来年はY田さんに教わった製粉所に替えよう。

 それから、昨年、石臼を再生しようとしていて、取っ手を入れる穴の上部を誤って叩き、その部分が割れて使い物にならなくなってしまい、そのまま放置しておきましたが、最近になってセメントで補修すれば使えるようになるかもしれないと思いつき、今日、小袋の砂入セメントを買ってきて補修してみた。穴の部分には似た大きさの木材を入れておいた。
 これでソバ粉が挽けたら混じりっけ無しのMy ソバ粉である。ただし石臼の目立てをしないとダメかもしれないが、電気ドリルに回転式のカッターを装着して何とかやってみよう。

 あ、同人のY本さんにソバ粉を送るのを忘れていた。蕎麦打ちではなく、「蕎麦がき」にして食される模様。

 「ブヴァールとペキュシェ」、なんか、うんざりして来ました。ヨーロッパ人はやることが徹底しています。

 

2007年12月8日土曜日

オークションに向かない性格

 午後、十数年寝たきりの叔母のインフォームド・コンセント (informed consent) につきあうため、隣の市の病院へ。鼻からチューブに問題ありなので、いよいよおなかに穴をあけて直接胃へという説明。
 近頃の病院では、先の見える病人の入院に際しては、さりげなく医師に最終局面での対応の仕方を訊ねられるが、かの家ではとことん手を尽くす方を選んだようだ。わが家の父の場合は「自然」をお願いしたので、点滴以外のチューブを身体につながれることはなかった。
 どちらを選ぶか、相当にな悩む問題ではあるけれど、どちらが良いとか、悪いとか、そういう問題ではない。

 一昨日書いたヤフオクでの希少な文庫を競らずに相手に落札させた一件が、まだ後味悪く思い起こされてくる。山尾悠子の「夢の棲む街」がスタート価格1,000円だったので1,000円と入札したら、翌日に1,100円で応札があった。このまま放置していたら、なんと1,100円で相手に落札してしまった。相手は自動入札じゃなかったし、締め切り時刻ぎりぎりに1,200円と入札したらこちらに落ちたんでしょうね。そういう術策を弄するのも似合わないし……なんともオークションに向かない性格(ため息)。
 どこで古書検索してもこんな価格では入手できませんが、セドラーかネット古書店の方か、なるほど、こうして落札したものを5,000円、6,000円で売って稼いでいるのですね。(と、感心している場合ではありません)

 カナダのN澤君よりメール。向こうでoyamabokuchiを日本語ヤフー検索して見つけた記事を知らせて来てくれたのだが、すでにチェック済みの記事でした。その後のこちらのoyamabokuchiについての進行状況を書いて返信する。(彼にはこのブログを教えてないので)
 彼も来年はカナダのソバでマニトバ種というのがあり、それを隣人所有の畑を借りて栽培するとのこと。うーむ、盛り上がりますね。

2007年12月6日木曜日

寒い夕景

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 (クリックで拡大) いよいよただただ寒いだけの、気が重い季節が始まります。

 ヤフオクで希少な文庫を入札して観察していたら、誰かが応札したので、どうしようか。こういう風にひとと競うのは好きじゃないからやめておこう。
 それに、その希少文庫が収まっている作品集成が県立図書館にあることを突き止めたので、それを市立図書館経由で借りた方がいいのかもしれない。オークションの残り時間はあと1:30分。
 それからエンジンチェーンソーも入札しようかと気持ちが動いたが、5000円以上の品物は有料プレミアム会員でないと入札できないと判明したので、これも取りやめ。オークションにはなじめませんな。



 

2007年12月5日水曜日

知的好奇心のドン・キ・ホーテ

 地質学、考古学、歴史学……文学……。二人組の関心の趣くところ、結局百科全書的なのだけれど、この作品のために千何百冊もの参考文献を読破したフロベールって、すごいですね。
 でもなんだか、うんざりしてきました。まだ2巻、3巻が残っています。
 やはりふたりは、ちょっと間の抜けた知的好奇心のドン・キ・ホーテなのだろうか。時にはスラプスティックなドタバタ・ナンセンス喜劇に近い場面にさえ遭遇いたします。
 

 私はといえば、なぜかネットでエンジン・チェーンソーなど見てまわっておりました。電動は持っておりますが、電源のない場所では使えないし、力がありません。
 

2007年12月3日月曜日

ブヴァールとペキュシェと、もうひとりの暴走

 今日は日中の穏やかな時間に畑へ。Rhubarbの葉を片付け、コゴミ(クサソテツ)の枯葉を燃やして今年の作業は終了。先日、山から採取してきたoyamabokuchiの根を植えたあたりに掘り返した跡と狸らしき足跡あり。夏にスィートコーンを器用にもいで食べてしまったのと同一狸か。oyamabokuchiを植えるためにちょいと邪魔だった独活の根を二株ほど退かしたのだが、どうやら取り除き損ねた独活の根を掘って食べようとしたらしい。足跡に4つか5つの指のような形がはっきり。
 などと書くととんでもない山の中に住んでいるような感じですが、新幹線駅に車で5~6分の場所に住んでいるのです……狸って結構町に近い場所に住んでいるようです。先日も交通事故死した狸を見ましたし。

 ブヴァールとペキュシェ、農業や園芸、造園だけでなく、化学だけでなく、薬学や医学にまで首をつっこみ始めた。それも書物を読んでは怪しげな薬を作ったり、医師の真似事をしたりとむやみに積極的に実践するので、実に危ないのである。たとえば
 熱を下げれば炎症はおさまるという論法から、脳膜炎にかかっている一人の女を、天上の梁に吊るした肱掛椅子に坐らせて、ふたりがかりのありったけの力で、それを揺っているところへ、折悪しく帰って来た病人の亭主に外へ叩き出されたこともある。
 更に、彼らは体温計を尻の穴に挿入する新式検温法を採用したが、これは神父の憤激を買うところとなった。(鈴木健郎訳・岩波文庫『ブヴァールとペキュシェ』第3章より)

 私はあちこちでぷっと噴き出してしまいました。ブヴァールとペキュシェ、このふたりの好奇心のかたまり、完全に暴走である。この調子で10章まで進むのか?
 この遺作でフロベールは何を書きたかったのだろう。

 ヤフーオークションに、ある希少な作家の希少な文庫が1,000円で出ていた。まだ入札者がいないので、一応、スタート価格の1,000円で入札しておいた。他にだれか入札者が現われたらさらに競るのかどうか、自分でも見当がつかず。(古書検索してわずかにヒットしたものの価格は、文庫で3,000円、単行本で7,000円)。

 試みに、昨日打った蕎麦の三分の一ほどを発泡スチロールの平箱に入れたまま布テープで密封し、一日経過した本日夕方に茹でてみた。短く切れてしまうこともなく、コシも昨日同様、味と風味もほとんど変化がないことを確認した。さすがはoyamabokuchi。

2007年12月2日日曜日

九割九分五厘

 本日夕刻、いよいよoyamabokuchiをつなぎに用いた蕎麦打ちを開始。
 ソバ粉500g、乾燥oyamabokuchiを2,5g、水300ccを用意。
 たとえ2,5gでもつなぎが入っているので、十割蕎麦ではなく、九割九分五厘蕎麦? でもそれだったらソバ粉も500gではなく、497,5gでなければなりませんが、アバウトで十割蕎麦と言ってもいいんでしょうね。

 乾燥oyamabokuchiはあらかじめ小さな鍋で煮て、水分を絞って団子状にしておく。
 ソバ粉500gを捏ね鉢に入れ、水を少しずつ回しながら落とし、指先でかき回す。280ccまでいって後は残そうか迷いつつ、300ccの水をすべて使ってしまったが、捏ね始めてじきに、しまった、柔らかすぎではないかと思った。柔らかすぎて掌にくっつきそうである。少し、ソバ粉を追加して捏ねつづける。ところが捏ねてゆくうちに、だんだん固くなってくるではないか。強力粉を使った二八ソバでは最初は固めで捏ねるにつれて柔らかくなるのだが、oyamabokuchiがつなぎだと逆である。どうも、柔らかいと思ってソバ粉を少し足したのがよくなかったようだ。これでは固すぎて延ばせなくなるではないかと思い、今度は何回か両手に水をつけて(手水)、それで捏ね続けた。
 oyamabokuchiをつなぎにする場合、捏ねは30~40分であるというが、40分はきつい。とうとう30分で止めた。
 麺棒での延しは、まだ固めだったのでやや苦しかったがなんとか延ばし終えた。切るのは邪道だが母親同様にイタリアの製麺機インペリアル。ただしやや細めなので、本当はもう0,5mmか1mmくらい幅が欲しいような気もする。刃を上下させると麺を切りながら台が移動してゆく「麺切り機」があるが、価格が3万円近い。
 ところで、通常の蕎麦打ちの場合は蕎麦が風邪を引くのでそんなことはしないのだが、oyamabokuchiがつなぎの場合は切る前にしばらく乾かすのだそうだ。確かに、つなぎが強力なので風邪をひいてひび割れてくる心配はなさそう。

 茹でてすぐに食べる。ねずみ大根、刻み海苔、ワサビ。
 やはり十割蕎麦はおいしい。oyamabokuchiがつなぎだと蕎麦がかなり固めと聞いていたので心配したが、食べてみるとほどよいコシとのど越しで、固いものに弱い老いた母親もまあまあ食べられる限度内の模様でほっ。
 実は自分ひとりで蕎麦打ちするのは人生で二度目。十数年前に両親が年末年始に弟の家に滞在していたことがあって、あの時年越し蕎麦を打ってみたことがあったが、それ以来二度目である。
 いつまでも母親をあてにしている訳にはいかないので、この際、自分で打てるようになってしまおう。
 あと二、三回打ってみればコツも判ってくるだろう。出来れば、つなぎをoyamabokuchiだけでなく、長いも(とろろ)も使って打ってみたいもの。3月頃まで、毎月1~2回のペースで試してみましょう。

 あ、自分で打ったので写真を撮りそこねました。

2007年12月1日土曜日

夢見る者は現実に復讐されるという定理

 といっても、19世紀の話で、またフロベールの遺作「プヴァールとペキュシェ」の主人公ふたりのことなのだが、第2章に入ってふたりはいよいよ農業、園芸、造園などを実際に行なうようになる。それもことごとく失敗。なぜか? 彼らは農業、園芸、造園の実際を知らず、研究(書物から知識を得て)試行しているだけなのである。だから失敗する。要するに収入が発生しないのである。
 そのあげくに第2章の終わりでは「プヴァリーヌ」なる名前の蒸留酒を製造しようとして失敗、蒸留器が炸裂してしまう。
 ペキュシェの第2章締めくくりの言葉。
 「おそらくわしらに化学の知識がないからだろうよ」
 ということで、次の第3章はふたりの化学のお勉強が待っているらしい。
 このふたりの、真摯だが成功しない言動が、おおいに笑えて、同時に泣ける。
 (今年、蕎麦栽培やoyamabokuchi精製に嵐のように夢中だった自分がプヴァールとやキュシェと重なって来て、もう一度笑えて泣けてしまうのですが……

 もともとこの田舎暮らしはプヴァールの叔父の遺産が入ってきたことで現実化したものだが、遺産があるうちは収入が発生しない試行も結構だが、遺産がそう無制限にあるのでもない。どうなるのだろう。

2007年11月30日金曜日

Oyamabokuchi,once more.

 oyamabokuchiの種を、毛やら花弁の名残りやらを排除してみたら、あれ? ちょっと色の変わったものがあったので選別してみた。
 
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 これは普通の種。ほとんど90%以上がこの色。


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 こちらは種自体が紫がかっている。さて? これだけ色が違うと明らかに別種ではないか? 仲間に葉場山火口(ハバヤマボクチ)というものがあるらしいが、それが混入したか? でも、その種が紫色と書かれている情報を得ているわけではないので、皆目見当もつきませんがもう少し調べてみましょう。
 キク科ヤマボクチ属に、「oyamabokuchi」、「キクバヤマボクチ」、「ハバヤマボクチ」、「ヤマボクチ」の4種あり、蕾や花を見ると区別もつきませんが、葉の形が明らかに違います。「oyamabokuchi」はゴボウに似た葉ですが、ほかは菊の葉のように切れ込みがはっきり入っています。ネット上の植物図鑑でも、花、茎、葉などの写真はありますが、残念ながら種の写真までは載っていませんので、結局、この紫色の種が何なのかは不明のままです。種を播いて、葉の形がどうなのか、見るのが楽しみです。

 いずれにしても、ちょっと面倒ですが紫の種は別に保存し、播種も区分けして行なわなければなりません。




 「ブヴァールとペキュシェ」、ようやくパリから田舎へお引越し。
 て、まだ第1章ではありませんか。
 いよいよふたりの、奇妙で絶望的な学問とその実践が始まります。
 ブヴァールとペキュシェって、19世紀の小市民的中途半端なインテリ型ドンキ・ホーテなのでは?

2007年11月29日木曜日

超有名なNora

 sunameriさんも内田百閒先生も泣いて喜びそうなピアニスト猫、Nora。
 す、すごい! あの猫ならぬ手つきと、カメラ目線でこちらを睥睨せんとする、あのショパンよりも確たるピアニストの目つき。
 にゃんと、終わり際にバッハをデュエットで弾いておりますよwww。



Views: 6,991,261 !! You Tubeの大スターではありませんか。
「鍵盤の上の猫」というCDまで発売されているらしいです。

2007年11月28日水曜日

1365頁

 手も足も出ないことは判っていても、発売以来ずっと気になっていた「ジャン・メリエ遺言書」を古書検索してみた。
 新本価格が31500円のところ、24000円、25000円など4点がヒット。
 う~む、半額くらいになりませんか。
 といっても1365頁という驚異的厚みを考えてみると、文庫本さえ通読できずに停滞している今の私には猫に小判&豚に真珠そのものでしょう。

 さあ、その文庫本を再び(みたび?)、開きましょう。
 そういえば、同人誌の作品の感想も書かずに時間ばかりが経過……ジリジリ。

2007年11月27日火曜日

oyamabokuchi騒動終了

 11月20日の記事に写真を載せたoyamabokuchiの枯れた葉を揉んだもの、それを23日に鍋に入れました。


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 ここに水を満たし、適当に重曹を入れ、途中でアクで真っ黒になったお湯を捨てて新しい水でさらに煮、ひたすら煮つづけること、延々6時間。
 その後は、葉脈の折れたものや葉の表面が揉まれて細かいゴミのようになったものを洗い流し、葉裏の白い繊維だけを残すように、洗い続ける。だが、洗っても洗ってもゴミは出つづけ、気が遠くなるような精製作業。
 完全に真っ白になるのは不可能なので、途中で諦めて水分を抜き、乾燥させる。
 以下が、その完成品。なんだか、とても怪しい風体をしていて、こんなものが蕎麦のつなぎに? という感慨しか持てません。夏に緑の葉を摘んで作ったものはやや緑がかっていますが、枯葉を使用したので若干、茶色がかっています。

071128oyamabokuchi_kanseihin.jpg
 (クリックで拡大)

 手もみしたものが鍋一杯にあったのに、精製したら情けないくらい少なくなってしまいました。
 1g単位で計れる秤がないので5g単位で計れる秤で軽量すると10g強。5gでそば粉1kg打てる量なので、これで2kgの蕎麦が打てる計算。
 あの根気比べのような作業でなんとこれだけ。といっても本来は夏に緑に葉を採種して一ヶ月以上陰干しするという本来の方法ではなく、急な思いつきで枯れた葉を採取しての作業だったので、これくらいで満足すべきか。もっとも2回目採取の分はまだようやく昨夜、夜なべで煮込んで、今夜はまたゴミを洗い流す作業をずっと繰り返し、明日乾燥の予定であります。この2回目の方が量は多いと思います。

 やれやれ、これでoyamabokuchi騒動も終了、近日中にこれを使って10割蕎麦を打ってみて話題終了といたします。あ、種も採取していま乾燥中ですので来年春には種蒔きする予定ですが。山での自生が減少しているようですので、栽培方法を探ります。
 それにしても、この多大な労苦。売っているならば買った方が得なような気もいたします。
 

2007年11月26日月曜日

精神が荒廃すると人間性は

 タルコフスキーの最後の映画(遺作)である「サクリファイス」だけが予告編しか見ることが出来ず、中古DVDは17,000円などという法外な値段が付いていて手も足も出ず、こんな田舎のレンタル・ショップにあろうはずもなく、明日にも一応、界隈のレンタル・ショップを片っ端にのぞいて見ようと思うのだけど、すでに自分がレンタル・ビデオ店に似つかわしくないという自意識の井戸に落ち込んでいるオジサンとしては、足も気持ちも重いことではあります。

 それにしてもです、この一作以外はすべてネット上にアップロードされているという事態をどう捉えたらいいのか?
 亡命者の著作権など、だれも保障してくれないのだろうか。いや、だからこそかえって、この遺作を除くすべての映画を、自宅に居ながらというはなはだ横着な状況で彼の映画を支障なくパソコンで鑑賞できるのだから、むしろこのアナーキーなインターネット世界に感謝すべきか。
 ただ一作見ることが出来ない遺作は、亡命先の資本主義体制化で製作されたので皮肉にも著作権でガードされている模様である。(先日も書いたが、つくづく、著作権などというのは資本主義世界ならではの怪しい権利ではあります)
タルコフスキー、『サクリファイス』を語る という文章を読んだ。―物質が荒廃しても生き延びられるが、精神が荒廃すると人間性は滅びる―というサブ・タイトルつきである。
 この文章はいい。ここで彼は自分が宗教的人間であることを率直に告白している。確かにそうだと思う。その上、少年時代に音楽家希望だった彼は、映画音楽にもその感受性を十二分に発揮している。
 私には、バッハ好きには無限定に共感してしまう悪い癖がある。
 タルコフスキーの映画にバッハの音楽が流れているだけで、私はタルコフスキーを全面的に支持してしまうのである。
 「惑星ソラリス」にはBWV639、 「サクリファイス」にはマタイ受難曲からBWV244Aria
 アンドレイ・タルコフスキーは、映画監督になる以前に宗教的人間であり、音楽的人間であったのですよね。

2007年11月25日日曜日

粗忽者

 昭和30年代くらいからわが家にある家庭用小型金庫、現金はあまり入っていないが、書類や通帳が少しはあり、今朝も通帳を確認することがあって一度金庫を開け、そして閉めた。時間をおいてもう一度金庫を開ける必要が生じて、開けようとしたら、開かない。ダイヤルと鍵を併用するタイプなので、ダイヤルが動いてしまうと鍵が動かなくなるのだが、鍵は動くにもかかわらず開かない。ダイヤルを、右に4回、左に3回、右に2回、左に1回と数字を合わせながら試してみたが、やはり、鍵が動くのに金庫の扉は開かない。さては、壊れたか。
 どうしても開かないので、鍵屋さんを呼んだ。来て5分もしないうちに開いた。我が家の金庫、どうやら銀行の通帳が挟まってしまい、そのせいで鍵は動いても扉が開かなかったらしいのだけれど、なるほどそういう方法があったのか。
 ということで、自分の粗忽な閉め方が原因で、出張料プラス作業代金=3000円でした。

 午前は野沢菜を漬けるお手伝い。3人暮らしなのでたくさんは要りません。
 

2007年11月24日土曜日

冬ごもりの前に

 今日は半日は家庭菜園の野菜の収穫、最終ラウンド。
 家族全員(3名)総出演、といっても1名は八十ん歳、もう1名はめったにこんなことをしないお嬢ちゃま、結局一人前なのは残る1名だけ~~ (ーー;) 。

 大根などは上部が凍っていた。
 貯蔵用大根、野沢菜、長ねぎ(タキイのホワイトツリー)、下仁田ねぎ(鍋、煮物用、別名「殿様ねぎ」)、白菜、キャベツなど。キャベツは初めて栽培してみたが、白菜に準じた作り方でほぼできることが判明。ただし、アブラナ科野菜での無農薬栽培は難易度95%。
 これで、ほうれん草、冬菜などをのぞいてすべて収穫、ほっ。

 午後はまた山へ。先日午前中に行った時に3ヶ所ほど自生地を発見したが、仕事のためお昼までに帰宅しなければならなくて、二ヶ所め、三ヶ所めは種の採取だけで、かんじんの葉の採集がまったく出来ずに帰ってしまった。
 その葉を採取する、といっても半分以上はすでに枯葉。枯れて破れて、裏は降雨の際の跳ね返りの泥がついている葉など集めていて、知らない人が見たら「変」に見えるでしょう。「あのおじさん、何してるんでしょ、ちょっと変」、(^_^;)
 結構、もう一度精製作業をするだけの量が集まった。
 11月15日に採取して来たわずかな葉での試験的精製の方がきれいに出来、一昨日の2回目精製の方が不純物除去がうまくいかなかった。やはり乾燥と揉みをきちんとしないと後の工程で手こずってしまうことがよく判った。基本に忠実、と残るすべてが根気。
 ついでにまた種も採集。

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 来年春に播種してみるつもり。
 隣のN県の農業試験場で発芽試験などしていて、その成果がネット上で読めますので、参考になります。乾燥したままでは発芽率が悪いらしく、ある保存方法だと発芽率がぐっと良くなるらしい。
 また、種と飛行するための羽毛の分離方法も書かれていて大いに参考になります。

大作

 「デジタル文学館」に自分の雑誌の同人、wさんの300枚もの長編を自分を推薦者としてアップロード。
「終わりの夢」
 ただこの作品は同人誌発表ではなく、地域のローカル新聞紙上に連載された作品なので、デジタル文学館の狭義の趣旨からはちょっとはずれる。けれども同人誌の書き手の優れた作品をアップロードするという観点ではまったく問題ない。(たったひとりしかいないデジタル文学館司書がいうのだから間違いない(爆)
 テキスト・データさえあれば300枚もの大作もアップできますよというアピールでもあり、また作品自体もなかなかの出来なので、埋もれさせておくのは惜しいので読んでいただきたいと思い、別の場所にアップロードはしてありましたものを、作者の了解を得てデジタル文学館に移転アップロードしました。
 デジタル文学館のために借りているホームページ・スペースに、1ファイルの最大容量が500KBまでという規約がありますので、ファイルを分割してのアップロードになりました。
 HTMLファイルが章ごとに6ファイルに分割、PDFファイルはひとつでは500KBを超えそうだったのでふたつに分割。
 印刷してもA4に2頁ずつ印刷しても50枚を超える作品ですのでお気軽には読めませんが、ひとりでもふたりでも読んでいただける方に出会うことができたら、「デジタル文学館」の存在意義もあるといものでしょう。

2007年11月23日金曜日

怪しい精製作業ではなく

 昨夜からoyamabokuchiの精製作業をいろいろ試行しております。根気仕事で時間がかかります。いちばん大事なのは、いかに不純物を取り除いてきれいな茸毛(じょうもう)だけにするかですが、どの作業のどこにキーポイントがあるが、大体つかめて来ました。
 おおむねこんな手順です。
 当地は降りませんでしたが、11月の降雪、すごいですね。雪が降らないうちにもう一度山に行って素材を集めておきたいので、明日、行って来ます。

転居

 メール便が一通戻って来た。総会で面識を得た県内S誌のT沢さんにその際手渡すのを忘れた前号と今号とをあわせて2冊送ったのだったが、住所そのものが何年も前のバックナンバーに発見したものなのであえなく返送。仕方ありません。
 そういえば前号もO誌のT山君に送ったものが戻って来てしまった。メール便は郵便局のように転居先を把握できないので、転居即返送となる。弱点である。

2007年11月21日水曜日

火口(ほぐち、ぼくち)

 実は日曜日にoyamabokuchiが自生している場所を、何と市内のとある山中に発見していたのでした。
 ただしここに書くのはどうかとためらっていたのでした。
 あまりにマイナーすぎる話題ですし、あまりにも文学から離れたままですし……。
     (ええい、書くことも読むことも、生きることも日常も等価!)


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 枯れてはいますが、結構たくさんの葉が採取できました。しかも枯れていて好都合で、緑の葉だったら幾日もかけて乾燥させなければいけませんが、もうすでに乾燥状態で、すぐに葉を揉むことが出来ました。

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上の葉を揉んだものが↓。

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 モグサに似ていると思いませんか?
 実はoyamabokuchiの火口(bokuchi)は、かつて火打石で火を作る時に↑のもじゃもじゃに着火させ、それから竃などへ火を移したという、昔の生活必需品だったのです。それが精製されて蕎麦や餅のつなぎにも使われていたという訳です。ことに、水田の無い畑作だけの山間地では粟などで餅を搗いたのですが、粟だけでは粘りが無く餅にならないのでつなぎとして精製したもじゃもじゃを使用し、粟餅を食したということです。それが蕎麦のつなぎに使われるとそば粉10割で打てるのだそうで、だからこそこの植物探しに狂奔したのでした。
 この手もみしたもじゃもじゃの精製作業は、重曹を入れたお湯で半日くらい煮て、葉の表の茶色い部分など夾雑物を水で洗い流し、白い繊維質だけを取り出します。
 ただし、あまりきれいに茶色い部分を取り除かない方が、蕎麦の仕上がりが田舎蕎麦風に黒っぽくなるようです。
 精製作業が終わったら、とにかくこれで一度、自分だけで10割蕎麦を打ってみます。
 
 やれやれ、来年は花の時期に山へ行ってみることにします。
 花はアザミに似ていますが、キク科。葉っぱはゴボウの葉に似ていますがキク科。

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2007年11月20日火曜日

馬車がカボチャになる時刻

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 今日は、三日連続の強烈な霜で慌てた林檎園を営む親戚のお手伝いで、急遽、午後半日、林檎採りのお手伝い。林檎が凍ってしまうような低温も2回まで、3回以上凍ると味や食感が落ちるのだそうです。
 慣れない仕事は疲れます。が、こういう仕事、好きだなあ。
 私は元来が頭脳労働派ではなく肉体労働派なので、ますます脳天気に、アホになります。
 世界が滅亡しようが一杯の紅茶、世界が滅亡しようが一個の林檎が大事。
 おかげさまで、わが家は林檎を購入したことがありません。感謝。


 夜は言うに言われぬ作業をいろいろしていて、あっという間に、まもなく午前零時。
 わが家ではこの時刻を「馬車がカボチャになる時刻」と申しております。
 馬車がカボチャになる時刻以降まで起きていると、寝坊して明日の仕事に差しつかえたり、心身の調子が悪くなったり、書いてもろくな小説にならなかったり、ろくなことはありません。
 そんな甘いことを言っているから小説が書けないのだと、私のなかのもうひとりの私が言いそうな雰囲気ですが、生憎と私はそういった別の私を所有しないタイプでありますので、馬車がカボチャに、御者がねずみに戻らないうちにとっとと眠ることにいたします。皆様、おやすみなさい。
 

2007年11月19日月曜日

レッド・データ・ブック

 ブログ検索というか、ブログ・ポータルのTechnorati Japanの「人気の検索ワード」で、夕方は5位だった「文学フリマ」が今は4位に上がっている。あれ?今度は6位に下がっています。
 750件のブログ記事が収集されていて、「文学フリマ」というWordすべてを拾っているのでこの催しに触れただけの記事もあるが、フリマに参加した人の記事、見に行った人の記事などをパラパラ拾い読みしてみた。当然、既読のLydwineさんの記事もあるが、ほかにもフリマの状況がうかがえる記事があって、なかなか面白かった。会場の写真をアップされている方もおり、しかもプライバシーに配慮してこちら向きの顔にはひとつひとつに「へのへのもへじ顔」を貼り付けてあったりして、そのアイディアには笑えました。また、手書き原稿のコピーを持って乗り込んでいるらしい旧世代の方に関する記事もあって、思わず頑張れ!旧世代と叫んでしまいましたwa。
 しかし、いわゆる純文学系というか文章系というか、そういう系列の雑誌とライトノベル系やらファンタジー系、SF系などとの比率はどうなのだろう? 
 純文系はレッドデータブックに登載間もないだろうけど、他のジャンルに揉まれた方が活性化していいのかもしれません。

 などと書けばたちまちTechnorati Japanの検索ワード「文学フリマ」に取り込まてしまうかなという怖れがありますが、Technorati にping送信していないから大丈夫?

山歩きのせいで読書進まず

 午前中は車で山歩き。どうもこの近辺の里山にはオヤマボクチ群生は期待できないようだ。もうちょっと標高の高い草原。今日の午後など、浅間山に雪が降っているのが見えたので、もう探索は無理で、来年回しかもしれない。
 また標高2000mくらいの中くらいの山歩きもいいかもしれない。
 昔、山歩きをした時の靴はどうしたんだっけ? 捨てたような気もするが。

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天気が良いと山歩きが気持ちが良くて、だけど......頭がバカになります。


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 それにしてもこの別荘、怖いですね。清水寺みたいな懸崖造りで、谷側に華奢な鉄骨だけで支えられて建っています。右下は猛烈に深い谷なのですが、この別荘で夜、眠れるでしょうか。スリリングな、夏向きな別荘であります。
 チャップリンの映画を思い出します。The Gold Rush (黄金狂時代)のあの山小屋です。





 午後は自家菜園の五寸ニンジン、ヤマゴボウ(モリアザミ)、ヤーコンなどの根菜類の収穫。
 ニンジンは簡単に抜けるが、ヤマゴボウに手こずる。しかもスーパーマーケットで売っているような、お箸くらいのすんなりスマートなのはごくわずかで、太すぎるもの、根が3本、5本と分かれてしまっているものが多い。右側の3本くらいがスーパーで売れるくらいの太さ(細さ)。
 太すぎるのは播種期を遅らせるか、播種密度をもっと細かくするかで対応するほかないが、根が分岐してしまう原因は何か? 
 、ヤマゴボウ、しろうとには栽培が難しい。が、この味と香りが何ともいえません。生でお味噌など付けて食べたら最高ですが、火を通した料理に比べてOnaraの発生が猛烈で、これが困ります。でも、おいしい。

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 それから、ヤーコンは大豊作。家人たちはヤーコンは要らないとか言っていたので、豊作でため息。新しい料理法、、食べ方を探索しなくては。

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 ひっくり返され、写真を撮られ、このヤーコンのあられもない姿、(ーー;)

 あと収穫すべきは、貯蔵用大根、ねずみ大根、下仁田ネギ、長ネギ、野沢菜くらい。ほうれん草、春菊などはまだそのまま。野沢菜も昨日、今朝と二回強い霜が降りたので、来週あたりが採り頃か。

2007年11月18日日曜日

間抜けな試みシリーズ

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 左が、わが家が菜園を借りている地主のBさんのねずみ大根。右がわが家のねずみ大根。
 Bさんのは明らかに坂城町のねずみ大根の形質がそのまま出ているが、我が家のは違う。確か、中之条系とあったような気がするが。
 Nさんにお送りしたねずみ大根も坂城町のとは違って松本から岐阜方面で栽培されているねずみ大根のようだったので、申し訳ない気がします。
 ひとくちにねずみ大根と言っても、系統がかなりあるんですね。

 このBさんから頂戴した2本、もう一度畑に植えて、来年春に花を咲かせて種を採取できないか? ダメでもともと、やってみよう。

2007年11月17日土曜日

また最初から

 私が道学者くさくなったというんですか! それも齢をとった徴でしょうか。そのくせ自分では間違いなくぎりぎりの感情に奔っているつもりですがね。もう時には矢も盾もなく人類を罵りのめしてやりたくなります。いやこれはいつか、たとえ十年先のことになろうとも、構想の大きなある長編小説でかならずやって見せますよ。

      1952年、フロベールが愛人ルイズ・コレにあてた手紙より


 ここに書かれている構想のある大きな小説が『ブヴァールとペキュシュ』で、フロベールはこの一作を書くために1500冊以上の医学、生理学、園芸・農業、化学、歴史、考古学、宗教、哲学、政治、教育學などの書物を読破したという。ううむ、それは敵いません。



フロベールは人も知るとおり、《芸術家は自然における神の如く、その作品に自己の姿は見せてはならぬもの、人間は無、作品がすべて》であることを信条とした作家である。

      『ブヴァールとペキュシュ』(岩波文庫・鈴木健郎訳、まえがきより

 私小説というのはまさにこの逆説から成り立っているわけで、それはそれで恐るべし。

 

精製シミュレーション

 夜、昨日採取して来たoyamabokuchiの枯葉を用いて、葉裏の綿毛(茸毛・じょもう)を取り出す精製作業のシミュレーションをしてみた。
 その結果、乾燥させた葉をよく揉むのが大事なポイントで、あとは炭酸水素ナトリウム(重曹)を混ぜたお湯で延々煮て、それからさらに茸毛以外の不純物を根気良く洗い流すこと。
 そのようにして精製乾燥させたoyamabokuchiは、1kgあたり6000円くらいするという。もっともそば粉1kgに対してoyamabokuchiは5~6gだというから、10回蕎麦打ちするとしても50~60gあればいいことになる。
 種の方はもっと乾燥させて、ひとつずつが自然に飛び出すのを待つことに。

 それにしても、ネットで検索してみればすでにoyamabokuchiを種から播いて育てているひとが結構おいでになられて、参考になります。

 明日は沢庵を漬け込むという。総太り大根のほかに、Nさんの真似をしてねずみ大根も漬けてもらえるよう、10本抜いておいた。年寄り一人にさせるわけにもいかず、どうせ手伝わなくてはならないのだけど。
 奥様はといえば、明日はアイルランド共和国軍の略称に似た名前の詩誌の合評会のため、一泊で名古屋へ。残業続きでお疲れでしょうから、ごゆっくりどうぞ。

2007年11月16日金曜日

Get オヤマボクチ

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おお、雪です。

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ありました、こんなところに、ありました。
左の写真が花の後の種で、右中央の茶色の葉が、枯れていますが目的の葉。
花を見ればアザミのようで、葉を見ればアザミのようなギザギザの切れ込みがなく、むしろゴボウの葉に似ている。ゆえにヤマゴボウとか、ごぼうっぱとか、ごんぼっぱなどと呼ばれている。科もアザミ科ではなくキク科である。
 (食用にされているヤマゴボウはモリアザミで別物)  

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 同じく、左が種。この種を来年の春に播いて畑に植えると、山に行かなくてもoyamabokuchiの葉が手に入るのではないかという目論み。ネットで検索しても、栽培にチャレンジしている方が複数いますし、本場のI市富倉地区でも山での採取は非効率的なので畑で栽培しているようです。
 右は葉の表と裏。裏側の白い網目のような繊維が蕎麦のつなぎとなります。本来は8~9月頃に青い葉を採取し、精製加工、繊維質だけを取り出します。それが蕎麦のつなぎになるわけです。

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 これが採取して来た種すべて。数百粒とか1000粒とか、あるのだろうか。


 あ、今夜は定例15日の赤提灯でした。
 

超簡単、男にも作れる「そば和菓子」(爆)

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そば粉大匙4、小豆の缶詰・小(210g)をよく混ぜる。


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それをラップで包んで電子レンジ(強)で3分半


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熱いうちに簀(すのこ)に巻き、冷めてから輪切りにする。

京都「俵屋吉富」の「雲龍」にはさすがに勝てませぬが(!!)、そこそこ田舎和菓子風にはなっていると思いますよwi。試食は明日です。

             (昔、千葉の義妹から教わったレシピを再現)

2007年11月15日木曜日

いざ

 今日のうちに仕事をやりくりしておいて、明日の午前、半日を空けた。
 ネット検索であたりをつけておいた標高1700m~2000mの山岳地帯へ、表向きはデジカメをぶら下げての紅葉狩りということで、久々の山岳ドライブ。
 その真の目的は、昨日の記事を読まれている方には明々白々、(^_^;)

oyamabokuchi1.jpg これが→こうなっているはず oyamabokuchi2.jpg




 昨日書いた、フロベールの「ブヴァールとペキュシュ」をまた手元に引き寄せた。まだ、ブヴァールとペキュシュが知り合った場面までしか読んでない。岩波文庫で、薄めだが3冊に分冊されている。

 小説を書くことが厭になったり、書かずに済ませられるようになった訳ではないのです。ただ、実際に書き始めてみると、それが気に入らないだけ……。

2007年11月14日水曜日

今夜も文学から遠く離れて

 今夜は遅れていた同人誌の個人発送分の発送作業を済ませ、十割蕎麦のからみで「oyamabokuchi(漢字表記は何と雄山火口)」の検索に没頭。
 してみると、何、どうも私の生活範囲にも自生している模様で、しかも今はおそらく種を持ったまま枯れる途上にある。しかもネットで検索すると、この地方のある山へ登る登山道の、あるポイントの両側にoyamabokuchiの花が咲いていたと書かれている記事に遭遇。車で一時間はかからないだろうから行ってみたい。行ってoyamabokuchiの種をちょっとだけ採取したい。
 またまた文学から遠く離れて奇妙な研究に熱中しつづけるネクタリオ君か、フロベールの「ブヴァールとペキュシュ」の世界ではないか。
 

2007年11月13日火曜日

怪しい動きに腹立ち紛れ

 いちばん有名な、あの動画サイトがおかしい。
 見ることは出来るが、ダウン・ロード・ソフトでダウン・ロード出来なくなった。(ダウンロード・サイトではまだダウンロード出来る)
 さては著作権問題で仕様を変えてダウンロード出来なくするという計略か?
 国境も法律も超越してしまおうとしているネット世界では、すべてのコンテンツはパブリック・ドメインでしかなく、著作権など所詮は資本主義世界でしか通用しない甚だエコノミックな権利でしかないと思うのだけど、ね! そういう意味からも このお方の本日のブログ記事に注目!! 
 私も、著作権70年延長に反対!






 Windows Media Playerがおかしい。
 うっかりWindows Media Player11にアップグレードしたら、デジカメで撮影したmovファイルをwmvやaviファイルに変換したものの映像が表示されない。そこでWindows Media Player10に戻そうとしたら出来ないのである。マイクロソフトの陰謀である。

 ということで、今夜も同人誌の個人発送分の発送作業が出来ず、(おおいに泣く~)

2007年11月12日月曜日

雨降りなので

 雨降りなので発送作業が捗って、同人宛て、県内各誌への5部宛発送、批評関係、図書館など、会の名前での大部数発送があらかた済んだ。引き続いて個人分もと思ったが緊張の糸が切れたので、また明日ということに。こちらはすべて1部ずつだから作業は楽であるが。

 雨降りなので、午後三時過ぎから、老いた母親の手を煩わせて蕎麦打ち。力の要る捏ねる作業だけを交替し、あとは写真を撮ったり、デジカメの動画撮影機能で動画を撮影したりした。ただし、動画はファイルサイズが大きいので、もう少し切ったり張ったりしてファイルサイズを小さく出来るまで、ここにアップロードするのは断念。
 昨年の石臼挽きとちょっと感触が違うような感じはしたが、一応は新蕎麦である。女ふたりに男ひとりで、二八蕎麦で都合5合の蕎麦粉から作られたものをほとんど食べてしまったのは、明らかに私の食べすぎである。食べ過ぎて、気が遠くなって、眠くなってしまった。
 蕎麦すいとんの話をしたら、配偶者が新幹線駅東口の○笛ではなく、西口の○衛門で食べたことがあり、美味しかったので作ってみたいと言う。うーん、上手に出来ますか、少し間を置いてから、是非、お願いいたします。ダシが勝負ですぞ。

2007年11月11日日曜日

41号ウェブ版がほぼ出来て

 41号のHTML版とPDF版の作成が終了し、リンクを張り、ファイルや画像をアップしたが、まだINDEXのページや41号目次のページの更新作業はしないので、サイトでの表示はこれまでと同じで40号までのまま。少なくとも同人の手元に41号が届くまで、あるいは15日発行なのでそれまで更新作業を待つ必要があるのです。

 それにしても、Wordのdocファイルから直接HTMLというのはどうしてもWordの書式が付いてまわってレイアウトが崩れるので、Wordファイルを先ずtxtファイルに保存しておいて、そのtxtファイルをHTMLに流し込むようにするという手順を踏まないといけない。Wordの改行行頭字下げのインデントにいたづらされてしまい、字下げされている場所と字下げされていない場所が混在してしまうのだ。どちらか一方だったら手の打ちようもあるが、混在しているとひとつひとつ字下げを手作業で修正するはめになるが、そんな辛気臭い作業は出来ません。
 要するに、txt化でWordの書式を改行以外すべてふるい落としてしまえばいいのである。

 さて、今夜はあとは、音楽と軽井沢倶楽部。
 あ、まだ文学賞がらみの頭の痛い問題が……。一応、文書を作成してみよう。

文芸誌の41号印刷版が出来

 ソバ粉を引き取ってからネットでオーーダーしてあった昨日の温泉での写真をカメラ店で受け取って帰宅。すると宅急便で同人誌41号が運び込まれて来ました。やはり10日で出来ましたか。 
 早速、発送準備に入らなければ。
 頁割り負担金の計算をして、同人それぞれの負担金額を算出。それを文書にしていっしょに同封して送らなければならない。前号で会計がかなり逼迫していたので頁800円にしたら、今度は残高が多くなってしまったので、頁600円に調整値下げ。頁500円にもどしても良かったような気もしますが、まあ、少しは余裕を持たせていただきましょう。
 ウェブ版の作成も早くしなければ。15日が発行日ですので。

ソバ粉が出来

 今日は製粉所へソバ粉を受け取りに行く日。10時頃車で行ってみると、すでにレジの前に用意されていました。
 帰宅して、弟の家など、本日のうちに発送すべきソバ粉を荷造りし、宅急便で発送。
 わが家も新蕎麦を今日というのは難しいので、明日の楽しみにする。石臼挽きはおいしいので、ソバ粉100%でダシのきいた「すいとん」をしてみたいのですが、とにかく、先ずは蕎麦打ちでしょう。
 蕎麦を打って食べて、それで非文学きわまりないソバの話題はおしまいとなります。

2007年11月10日土曜日

三人だけのクラス会

 昨夜は、客室数12のこじんまりとした宿に宿泊。満室だったが、団体客皆無なので静かで快適だった。
 忘れないうちにN澤君にRhuberbの種を50~60粒くらい頂戴する。U田君とはお互いの結婚式に出席しあって以後初めての再会だからとても懐かしい。夕食の席でビール、冷酒、部屋に戻って焼酎に切り替え、ボトルが空くまで飲んで、午前1時。N澤君は下戸で少ししか飲めないので、ふたりで空けたということになります。

 今朝は温泉に浸かってから宿の近くを散歩。

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 カメラのキ○ムラ・ネットプリントサービスで今回の写真の焼付けを注文。
 明日、店舗へ行けば出来上がっている。

2007年11月8日木曜日

パンク老詩人

 昨夜、チャールズ・ブコウスキーを検索していて、どこかでブコウスキーがらみの映画が4作日本で公開されているというような記事を読んだが、一夜経ったらその記事自体が見つからない。
 今夜検索しても以下の3作しかないが、あと1作は何なのだろう? 
『バーフライ』 "Barfly" 1989年
『つめたく冷えた月』 "Lune Froide" 1991年
『ブコウスキー:オールドパンク』 "Bukowski : Born into This" 2002年
 『つめたく冷えた月』は、監督のパトリック・ブシテーは未知 だったが、原作ブコウスキー、製作リュック・ベッソンの名があったので見ている。他の2作は見ていない。
 『ブコウスキー:オールドパンク』 はドキュメンタリーのようだ。映画『バーフライ』の原作は『詩人と女たち』かな? あ、シナリオがブコウスキーで、主演はミッキー・ローク とフェイ・ダナウェイではありませんか。見てみたいです。

��もう一作、ありました。「酔いどれ詩人になるまえに」  で、これがいちばん新しい。あれ?「ありきたりな狂気の物語」も映画化されているようです)

 ブコウスキーは、確かに歳をとってもパンクだったが、詩から出発した作家だけあって、パンクで猥雑ではあったけれど、子どもみたいな純真を隠し保護するためのパンクであったような気がしてならない。ブコウスキー自身が好きであるらしく、自作の小説『パルプ』にとうとうその幽霊を登場させてしまったセリーヌも猥雑極まりないくせに純真。
 純真なひとって、時に、逆説的なくらい猥雑になったり攻撃的になりません?

またしても男子厨房

 昨夜は結局、「冥途」を開いてしまった。これはもう読んだ作品ばかりなのだが、読み出すとどうもいけない。百閒には歩行小説とでもいうべき作品が複数あって、歩いているうちにいつの間にか異空間にはいってしまうような小説がある。町田康にも歩いていて妙な場所に行ってしまう小説がある。
 とても面白い。
 しかしまた百閒にはまるとほかの本が読めなくなるので、これでやめておかないと。

 今日は母親が茶飲み友だち5名で近隣の温泉へ一泊。配偶者もサービス残業で遅いので、夕食に指令どおりの鍋の準備。それだけではまだ時間が余ったので、スーパーへ車を走らせセロリを一株購入し、その足でほぼ暗くなった自家菜園にまわり、もう一度強い霜が降りたら葉がダメになるであろうヤーコン芋を手探りで2本掘り、五寸ニンジンを数本抜き、スコップで数年ぶりに栽培したヤマゴボウ(モリアザミ)を5本ほど抜いてから帰宅。
 それらを洗って刻んで軽く一時間ほど塩漬けしておいてから、塩水を絞り、それから醤油に味醂を少々混ぜ、昆布ダシを入れて「ヤーコンとセロリニンジン、山牛蒡の醤油漬け」を製造。これは一昨年だったか仕事上の得意先で頂戴して美味しかったので覚えたレシピ。
 ヤーコンはともかく、セロリ、ニンジン、山牛蒡はそれぞれ味と風味に個性があり過ぎるくらいあるが、醤油漬けだと案外相互干渉せずに個性を保っていて、それぞれが美味しい。ヤーコンが今のところシャキシャキしているだけで無個性だが、越年すると中身が黄金色になって甘みも増し美味しくなるのだけれど、保存が難しい。乾燥気味だと萎れ、湿度が多いと白いカビに取り付かれて腐ってしまう。

2007年11月7日水曜日

失敗

 記事を書いて、下の2冊の文庫の表紙画像をアップロードしたのですが、かんじんの記事をアップロードしないうちにブラウザを閉じてしまい、記事が消えてしまいました。
 もう一度書く元気がないので、画像だけアップしておきます。
 この2冊について書いたのでした。

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 ファン・ルルフォの短編集、「燃える平原」を読んでから「ペドロ・パラモ」を読む予定でしたが、「燃える平原」にどうも抵抗があって読み進められないので、明日から「ペドロ・パラモ」にしようと思ったり。

山の見置きと女の見置き?

 まだ小さかったので2日に採らずに置いて来たナラタケを、今朝、カッパを着て採りに行ってみたら、あ~らら、みんな採られてしまいました。で、わずか数株残っていた取り残しを少々採集。

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 帰宅して老母に告げると、したり顔で曰く「やっぱり昔の年寄りが言った通りで、山の見置きと女の見置きは出来ないっていうからね」
 つまり、山のキノコ、山菜は小さいからこの次に来て採ろうと思っても誰かに取られてしまう。女性も、美しいな、かわいいなと思ったらその場で声をかけないと、この次会った時になんて思っていると、誰かに先に取られてしまうという意味合いらしい。 なるほど、わが人生を振り返っても思い当たることばかり、(ーー;) 
 「見置き」などという言葉は辞書にはないですが、見つけても取らずにそのまま置いておく状態をいうのでしょう。

 午後は仕事上のお客さんが来て応対、帰ったら入れ替わりにカナダのN澤君が来て雑談。気がついたら暗くなっていた。いよいよ、明後日8日は3人組で温泉一泊。

2007年11月5日月曜日

精神の働きそのものが小説

 昨夜は、「黄色い雨」を残り25頁くらいにしてあえなく入眠、今朝5時ごろ目が覚めたので続行して朝のうちに読了。
 やはり、主人公はまだ死者ではないが、この小説の時制ではベッドの上に横たわっているだけである。だから、ここに書かれていることは、最初から最後まで、彼の脳内で再生される過去から現在までの出来事なのである。外側からの客観的な視点から描かれているのではないので、死んだ人が亡霊となって部屋の暖炉の周りにいたりするが、主人公には亡霊が見えるのである。
 山間の小さな村で、次々と村人が村を去り、残ったものは死に、最後まで主人公と残っていた妻は粉引き小屋で首をくくって死ね。ついに、雌犬と主人公だけの生活になるが、やがて主人公はその雌犬をも撃ち殺して、ほんとうに村でひとりだけの孤独な存在となり、迫り来る死を待っている。

 昔、私は、主人公がベッドの上で寝ているだけの小説を書こうとして果たせなかった。
 「黄色い雨」もまたそういう小説である。
 小説は外側から人間の言動を描くのが一般的であるが、内側から精神の働きを描くだけで小説にならないかと考えた。いわゆる内的独白とは違う。人間の行動を描かず、精神の働きそのものが小説であるような内的ロマン、そういう小説。
 そういう小説が書けないので、私は歌を忘れたカナリアになってしまった……??

意味も無く
Matthew Passion
意味も無く
みんな夢でありました
陰々滅々、聴いているだけで死にたくなるような、昔、昔の歌。

2007年11月4日日曜日

最後の人間

 製粉所へ玄ソバ持ち込み。水分計で水分13%とまあまあ。挽き賃は高いが熱で風味を損なわれない電動石臼挽きに真空パックをオプションで依頼。1週間、次の土曜日には引き渡しになる。


 「黄色い雨」ちょうど真ん中あたりまで読み進む。(疲れたのでちょっとブログ)
 今日のローカル紙にまた「高齢化率50%以上の限界集落」についての記事があり、ある地方事務所管内で、「限界集落」どころか、高齢化率100%の集落が四ヶ所あった、と。おそらく小さな集落ではあろうが、高齢化率100%というのは、要するにその集落の全員が65歳以上ということだ。
 その最後の人間が「黄色い雨」の主人公。
 自分が、この家の、この地域の、この地上の最後の人間だったら……こんな風かもしれず。
        (「黄色い雨」の影響で、このブログ内のあるコンテンツをひそかに復活。)


 思うところあって、文学サイトの方の掲示板を廃止した。閲覧、書き込みがほとんど無いのと、県内の同人誌は別に紹介する場所があるので、二重に紹介するのもどうかと思い。
  

 同人誌、印刷所にデータを渡して仕事が済んだと思っていたが、考えてみたらウェブ版の作成を忘れていた。といってもテンプレートがあってそれにテキストを挿入して整形し、リンクを張るだけなので、ひと晩でできてしまう。15日までに作成しよう。

2007年11月3日土曜日

誰が語っている?

 いよいよ、「黄色い雨」。
 第1章、~だろう、~だろうが多すぎて閉口したが、2章から先はさすが詩からスタートしたひと、渋滞することなく読める。
 ただし、第1章の最後の文章、
私はまだ服を着ており、苔に覆われ、鳥に食い荒らされた姿で彼らを正面からじっと見つめるだろう。
と、第2章始まりの行、
そうだ、彼らは服を着たまま横たわっている私を見つけるだろう。私は彼らを真正面から見つめるだろう。

 このリフレインには参った。どうも、私が書きたかった状況に似ているのだ。死者の視点で書かれている?
 ま、どうせ書けなかったのだし、読者としてすなおに読みましょう。案外、ハイスピードで読めそう。

山のこびとたち

 今年はキノコが採れず半ば諦めていたが、そろそろ時期だと思って仕事で出たついでにちょっと回り道。
 
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 お、おお~、あちこちの切り株の周囲にナラタケが出始めていました。けどまだ豆粒くらいで採るのはちょっと早いので、やむなく落ち葉などで目立たぬように隠して、また3日後、6日後くらいのペースで行ってみることにして山を下りました。びっしり並んで出ていて、まさに山のこびとたちって感じです。
 遅いキノコなので、昨年はまだ早いと思って行かないでいたら相当量のナラタケが茶色になって腐って採れなかったので、今年は何度でも偵察に行きます。

 それからもう一ヶ所。まだ早いのか、誰かに採られたか、ムラサキシメジが一度食べるくらい採れました。
 
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 この間1時間20分ほど。

2007年11月2日金曜日

ネットにつながらず。

  「照葉樹」」4号、3作、読了。ただしすぐにきちんとした文章が書けるかどうか。

 「狼たちの月」が映画化されていることを知り、検索した。確かに映画化はされているが、映像そのものは、Google VideoでもStage6でも予告編さえ発見できなかった。まだまだマイナーなのか。ただし、作者自身が写っているテレビ番組はいくつかあった。

2007年11月1日木曜日

バッハオルガン全集を全部聴こう

 先日、「マタイ受難曲」といっしょに購入したH・WALCHAの「バッハオルガン全集」、直接CDで聴くとドライブの回転音が耳障りでどうもいけない。そこでいったんiTuneに読み込ませたものを聴くことにした。どうせ買ったのだから全曲聴こうと思う。
 今夜は「6つのコラール」。
 バッハの音のパッセージというのは、やはり螺旋の階段である、それも神に一歩ずつ近づくための。
 しかし、CD10枚で2,000円切れているのですから、お買い得であります。ただし当然ですが困ったことに輸入盤は日本語解説がない。解説など無しにただ聴けばいいので、必要も感じませんが。

 またYouTubeで「Bach Organ」と検索すると、600を超える有名無名のオルガン奏者がバッハを演奏する動画がアップロードされていて、実に楽しい。ことに、無名というか、普通のオルガン奏者が自分でカメラをオルガンの横に置いてみずからの演奏を撮影したものをアップロードしている動画がたくさんあり、両手両足の動きが良く見えて実に楽しい。
 事実、Tarkovskyの「惑星ソラリス」に使われていた「BWV639」など誰が演奏してもそんなに違わないのが不思議。
 

 今夜はさる同人誌の小説を二編読み、さらに
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 この本の、結構長めな訳者解説を読んでしまった。本文より先に解説を先に読むのは悪い癖である。
 その後、本文を目で当たったら、なるほど素晴らしい描写、あるいは叙述(エクリチュール)であるらしい。
 (目当たりで小説の良し悪しを判断してしまうのはもっと悪い癖であるが、書き出しの、見開き2頁の目当たりでの判断というのは案外正確なものである。)
 
 いわゆるストーリー・テリング=物語るのではなく、あたかも憑依した巫女が語るように叙述する(または描写する)。
 ストーリー・テリング=物語る小説はエンタテインメントに過ぎないのかも知れず、むしろ小説の真骨頂は叙述(または描写)にある。
 しかも書き手はその叙述の主体などでは決してなく、むしろ憑依した巫女同様に、叙述する媒体であるにすぎない。
 作家などと言うのもおこがましい。
 小説の書き手は、単に、叙述する媒体に過ぎない。
 叙述する媒体はむしろ無名性、匿名性に身を置くべきである。
 そういう考えに立てば、虚構にまとわりつく、ある種の「嘘」をついているという疑念にも足をすくわれず、再び書くことも可能なのではないか? ひたすら叙述のみに徹して。
 
 くどいけれども、自分が願っているような小説を書きたいのなら、決して物語ろうとするな。描写、あるいは叙述に徹すること。
 

2007年10月31日水曜日

ヽ(^。^)ノ

 同人誌41号、編集作業、もう一度印刷原稿に当たってレイアウトミスがないか点検。最後に発行年月日を入れるため、印刷会社に入稿から出来上がりまでの日数を確認。1週間から10日との返事。余裕を持たせて11月15日を発行日とする。
 本文データ、表紙、表紙で使う画像、それとフォントを2種類入れてCD-Rに焼き、A5用紙に出力した本文とともに封筒に入れ、宛名を書いた。それほどファイルサイズも大きくないのでメールに添付して送信してしまえばいいのだが、レイアウトの崩れがないか確認するためにはこちらのプリンタでA5用紙に出力したものが必要なので、結局はオンラインだけでは済まないのです。
 フォントは、題名用に使用していたお気に入りのフォントが、PDF化する際に普通のフォントなら出来る「フォント埋め込み」が出来ないことが前号発行後に判明したので、別のフォントに変更することにした。さらに念のためCDにいっしょに入れておいた。印刷会社に無いフォントだったらフォントも送ってインストールしてもらうことになるので。
 これで、明日宅配便で発送すれば任務終了。
 しかし、いつもそうだが、まだどこかにミスが隠れているような気がしてならない。これは編集人固有の強迫観念だろう。とにかく、今夜は(安いけどおいしい)軽井沢倶楽部でも飲もう。ヽ(^。^)ノ


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 「照葉樹」の水木さんから4号を送っていただいた。県内の「橋」も5部到着。
 「照葉樹」は印刷所を替えたということだが、お、おお、裏表紙にISBNのバーコードが印刷されているではありませんか、すごい。ISBNが印刷されている文芸同人誌って、ありましたっけ?
 編集作業も終わったことだし、動画サイト入り浸りも一時休止だし、フリオ・リャマサーレスやフアン・ルルフォに入る前に読ませていただきましょう。

 それにしても九州の同人誌は活気があって羨ましい。当県などはもう瀕死の気配。

ソバ乾燥作業終了

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 こちらはソバの実のマクロ撮影。

 ソバの実もだいぶ乾燥してきたようなので、今日でおしまいとし、玄米用の紙袋に入れた。20kgが2袋。23kgが1袋。合計63kg。風選を3回もしたらずいぶん減ってしまったが、製粉しての歩留まり70%とすると、1kg真空パックが44袋も出来てしまう。多分、半分以上玄ソバのまま売ってしまわないと、そんなに蕎麦ばかり食べてもいられないだろう。
 そうそう、このブログ常連の方で蕎麦粉所望の方がおられましたらメール下さい。お送りいたします。
 蕎麦打ちしたことがなくても、熱湯でかきまぜて作る「そばがき」や、出汁を十分とった鍋に緩く水で溶いたそば粉を落としての「そば雑炊」とか、寒天と混ぜての「蕎麦羊羹」とか、美味しいですよ。

 蕎麦打ちも十割蕎麦などにこだわらなければ誰にでも出来ます。
 ちなみにわが家でも切るのはイタリアの製麺機インペリアルを使いますし、つなぎもoyamabokuchiだの長いもだのとこだわらなくても、普通の小麦粉でなく強力粉を用いれば初心者でも立派につながって、おいしい二八蕎麦が出来上がります。近日中に製粉所に持ち込みいたします。


 刈り取り以後の収穫作業がタイヘンでしたが、タイヘン勉強になりました。