2011年10月24日月曜日

部分を描いて全体を示す

 自分の同人誌がまだ出来てこないのに、別の雑誌のレイアウトを開始した。まずはひとつずつ片付けてゆくほかないし、うんうんうなっても前へ進めない創作と違って、すでに定型となっている作業フローに従ってパソコンで作業をしてゆけばいいので、精神的には楽である。

 創作について言えば、どうも私は普通の小説のような「統一された人格・物語・時制」などを嫌う傾向がある。言ってみれば、連続テレビ小説的な主人公=「統一された人格」が生まれてから死ぬまで、あるいは何らかの成功を為すといった=統一された物語性や時制といったものが、私にはまさに怪しい仕組みというか、からくりにしか見えないのだ。
 すべてがそんなにうまい具合に統一されているはずもない。
 などと怪しからんことばかり考えているのでまともな小説が書けなくなり、人間という存在も社会も時間も、すべてが部分、あるいは断片としか把握できない。
 そんな私の物を書くことの出立がカフカの「観察・国道のこどもたち」という断片にあったのを思い出してみれば、小説らしい小説を書くことに強い抵抗を持ってしまうのは生来の悪癖として自分で我慢するほかない。昔から正統派の作家を避け、二流、三流、亜流の作家にばかり夢中になってきた報いでもある。
 しかしこの頃、部分を描いて全体を示すという方法もあるのだと気づいた。全体など書かなくてもいいのだ。

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