2001年1月21日日曜日

真冬の岬へ

このところの寒波で小気味良いくらい寒い。
真冬になると能登半島のゾウゾウ鼻とかの小さな岬を思い出す。岬の突端に立つと気持ちが引き締まる。ギーレライエの岬やポルトフィーノの岬で回心や哲学的発見をしたキルケゴールやニーチェのように壮大ではないが、岬に立つと人間の小ささ、自分の小ささが実感できてとても気持ちいい。
真冬の岬へ行きたい。

2001年1月18日木曜日

日本文学の特異な時代

牧野信一の「ゼーロン」、「西部劇通信」、坂口安吾の「風博士」、「霓博士の頽廃」などを読み返すと、あの時代にこのような小説が書かれたことに驚嘆する。尾崎翠の「第七官界彷徨」もそうである。
妙に前後と切れているというか、日本的な私小説の規範とはまったく別の論理で創作が試みられた、かなり突出した時代であった。西洋かぶれという変な言葉があったが、モダンボーイ・モダン・ガールが出現したくらいだから、戦争突入前夜の日本人のわずかな精神の輝きであったのだろうと推測する。

2001年1月17日水曜日

睡眠と標高差

すごい寒波で菅平とか野辺山はマイナス20度以下とか。
このあたりもマイナス十数度か? 
ここは標高ほぼ700メートルだが、たとえば東京で眠っているひととぼくは、700メートルも標高差がある。眠りにつきながらそんなことを考え、くすくす笑うことがある。

2001年1月16日火曜日

反語的命題

ニーチェがその著「悲劇の誕生」で……存在と現象は美的現象としてのみ是認される……と記したのは、ひとつの素朴で大きな命題であった。この反語的命題に応えられる人間は未だにひとりも現われない。

存在と
現象は
美的現象としてのみ
是認される

2001年1月1日月曜日

とうとう21世紀

とうとう21世紀に入ってしまった。
永井荷風は五十代で自分を老人と自覚していてそのことに違和感があったが、最近、違和感どころか強い共感を覚える。
21世紀も新年もあまりめでたいともうれしいとも思えないのは、老人の域に入った証左である。むしろいろいろなことがネガティヴにしか見えないで困っている。もっとポジティヴに見える眼鏡があったら手に入れたい。
1月2日時代はどんどん悪化している。日本中の商店街から人影が消え、大型ショッピング・センターに人が集中している。
生産、流通、小売、消費者一致して、一円でも安いことを目標に怒涛の行動をする時代になった。
いよいよ、大資本主義(大法人主義)の時代の始まりである。個人経営は農業、商業、工業すべてが消滅する。
と、ここまで書いていてふと映画「ロボコップ」を思い出した。あのサイボーグ警察官を開発製造した巨大資本が都市まで支配しそうになる光景である。
何か、企業買収や合併やらが進行するその先に、少数企業の独占支配が経済だけにおさまらず政治にも及ぶのは必死である。
たんなる、SFの読みすぎでしょうか?