今更ながら、YouTubeで「東日本大震災」「福島原発」などで検索してみれば、新聞テレビなどの報道がいかに表面的かがよくわかる。個人が必死の思いで撮影しアップロードした映像は圧倒的にリアルで、慄然とするほど旧約聖書的世界でさえある。
2011年8月31日水曜日
2011年8月29日月曜日
音も映像もない真っ暗闇の中で
原稿締め切りまであと三日。とても間に合いそうもない。
相変わらずColombe Frezonと稲葉喜美子の歌を聴きながらなので、これがいけないのかもしれない。
音も映像もない真っ暗闇の中で書くべきだろう。
それにしても、ストーリー性や時間の連続性に頼らず、むしろ逆らって小説を書くというのは、やはり私のような才能の乏しい者には無謀な試みなのだと思わざるを得ない。
風車に向かって突撃するパラノイア。
相変わらずColombe Frezonと稲葉喜美子の歌を聴きながらなので、これがいけないのかもしれない。
音も映像もない真っ暗闇の中で書くべきだろう。
それにしても、ストーリー性や時間の連続性に頼らず、むしろ逆らって小説を書くというのは、やはり私のような才能の乏しい者には無謀な試みなのだと思わざるを得ない。
風車に向かって突撃するパラノイア。
2011年8月26日金曜日
何も書かずに終わった理由
またぞろ枕元にシオランの本が置かれていて、夜中にふと目が覚めた時などにワンセンテンスだけ読んだりする。
自分のことを、外見はそうでもないのだが(ぷふっ)、中身がネガティブ過ぎると思う。
ソクラテスが何も書かずに終わった理由。そう?
自分のことを、外見はそうでもないのだが(ぷふっ)、中身がネガティブ過ぎると思う。
みずからの正体を照らす明知の光を警戒すべきである。自己を深く知ることは、私たちのなかに棲む魔神の気分を殺ぎ、活力を麻痺させてしまう。ソクラテスが何も書かずに終わった理由は、そこに求めるべきであろう。 (出口裕弘訳「生誕の災厄」紀伊国屋書店 1976年)
ソクラテスが何も書かずに終わった理由。そう?
2011年8月25日木曜日
ちょっと臆して
夏前に参加していたネット上のボランティア作業での大きなミスが発覚。自分の脳の老化を思い知る。
来月の半ば頃、在来種のソバの栽培地を尋ね、栽培の様子を見たり、在来種のソバで打たれたソバを食べるという、いわば蕎麦ツアーに誘っていただいた。数人でこじんまりとした一泊二日のツアーだが、私のようなヘボなソバ吉などが参加してもいいだろうかと思うようなすごいメンバーで、蕎麦を打たれる方も超一流。ちょっと臆してしまいます。
来月の半ば頃、在来種のソバの栽培地を尋ね、栽培の様子を見たり、在来種のソバで打たれたソバを食べるという、いわば蕎麦ツアーに誘っていただいた。数人でこじんまりとした一泊二日のツアーだが、私のようなヘボなソバ吉などが参加してもいいだろうかと思うようなすごいメンバーで、蕎麦を打たれる方も超一流。ちょっと臆してしまいます。
2011年8月23日火曜日
やはり書くのが嫌いなのかもしれない
本当は、やはり書くのが嫌いなのかもしれない。
今夜はこれだけ書いたが、明朝読み返すとまた「削除」かもしれない。
小説などというのは結局は虚構、嘘の積み重ねである。そうでなくて、あったことをあったように書くのは、やはり小説ではなくノンフィクション、あるいは歴史なのだとしか思えないのだけど、こんなことに足元をすくわれているのだから満足な小説など書けるはずもなかろう。
今夜はこれだけ書いたが、明朝読み返すとまた「削除」かもしれない。
「助けてください」
年齢は二十前か過ぎか、身長は170cmくらいあるが異様に痩せている棒みたいな女が小路から道路に飛び出して来て、いきなりしがみついて来た。その触感は肉より骨を感じさせて、典型的な摂食障害かと思われた。女が飛び出して来た小路からてっきり怖い男が現れるかと緊張したが、誰も追って来はしなかった。......
小説などというのは結局は虚構、嘘の積み重ねである。そうでなくて、あったことをあったように書くのは、やはり小説ではなくノンフィクション、あるいは歴史なのだとしか思えないのだけど、こんなことに足元をすくわれているのだから満足な小説など書けるはずもなかろう。
2011年8月21日日曜日
2011年8月19日金曜日
法的責任
ある方が福島の原発から25kmの村に行かれて、その際に撮影された写真を何枚か添付したメールを、今日いただいた。
住民のほとんどが避難して、田畑が草に覆われている光景に胸がいたむ。
老人を中心に200人ほどがあえて帰宅し生活しているという、そのことにも胸がいたむ。
自分の家や村、町、市に住めずに避難先で暮らしているひとたちの不自由を思うと、それも胸がいたむ。
原発での必死の放射能封じ込め作業や被害をこうむった住民や産業への補償の大きさを考えると、まだ口に出していってはいけないことなのかも知れないが、国民にこれだけ大きな犠牲を強いている東電の法的責任は問われないのだろうか? 想定外の事故のせいにして済ます訳にはいかないだろう。
現実の出来事があまりに大きすぎると虚構は愚にもつかない影絵のようなものに成り下がってしまい勝ちだが、何とか、この現実に拮抗出来、さらに現実をいい方向に動かしてゆくような「虚構」って無いものだろうか。
住民のほとんどが避難して、田畑が草に覆われている光景に胸がいたむ。
老人を中心に200人ほどがあえて帰宅し生活しているという、そのことにも胸がいたむ。
自分の家や村、町、市に住めずに避難先で暮らしているひとたちの不自由を思うと、それも胸がいたむ。
原発での必死の放射能封じ込め作業や被害をこうむった住民や産業への補償の大きさを考えると、まだ口に出していってはいけないことなのかも知れないが、国民にこれだけ大きな犠牲を強いている東電の法的責任は問われないのだろうか? 想定外の事故のせいにして済ます訳にはいかないだろう。
現実の出来事があまりに大きすぎると虚構は愚にもつかない影絵のようなものに成り下がってしまい勝ちだが、何とか、この現実に拮抗出来、さらに現実をいい方向に動かしてゆくような「虚構」って無いものだろうか。
2011年8月15日月曜日
静かすぎる旧盆
他所ではまだつづいているのだろうか。わが町で夕食後に盆踊りの民謡が聞こえなくなって、もう何年くらい経つだろう。各町内で行われていた盆踊りも参加者の減少でポツリポツリと無くなって、最後まで残っていた商店街主催の盆踊りが参加商店数の減少で運営困難になり、取りやめになってからはお盆の夜が静寂に包まれて、お盆のような気がしない。
あまりに静かなのでYouTubeで木曽節を探して検索した。
ひとりで聴いてもなんとなくさびしいが、少しはお盆のような気がしてくる。
田舎の衰退はどこまで進むのだろう。
あまりに静かなのでYouTubeで木曽節を探して検索した。
ひとりで聴いてもなんとなくさびしいが、少しはお盆のような気がしてくる。
田舎の衰退はどこまで進むのだろう。
2011年8月4日木曜日
あえて痩せた土地を耕そうとするバカ者
どうもしかし、ストーリーに寄りかからないという姿勢は小説の豊穣に背を向けるということではないか。それもただの偏狭にすぎないのではないかという疑念にさいなまれる。
あえて痩せた土地を耕そうとするバカ者。当然痩せた小説しか書けない。
あえて痩せた土地を耕そうとするバカ者。当然痩せた小説しか書けない。
2011年8月2日火曜日
まんじゅう怖い
この地慣例の8月1日のお墓参りであり、老母が朝早くからまんじゅう作りに精を出している。
甘いあんこばかりじゃ嫌ですというと、それじゃ自分であんこじゃないあんを作れという。仕方ないので、信州名物の「おやき」風のナスあんを作ることにした。と言っても丸ナスの代わりにたまたま収穫してきた米ナスをさいころ状に切り、豚ひき肉と混ぜ、味噌で味付け。かつてはそれをフライパンで炒めたが油があると包みにくいし、どうせ蒸すのだからナスなど生でも良かろうと、適当にこねて饅頭の皮に包んでみた。まんじゅう作りに手を出してみたのは生まれて初めて。
頭に黒いゴマが乗っているのがナスのまんじゅう、何も無いのがあんこのまんじゅう。ゴマが乗っている方が私の作。味噌に辛い南蛮味噌を混入させてみたが、あまり辛すぎず、まずまずの味。

でもどうしてこんなにたくさん?
うーん、まんじゅう怖い(意味が違う)。
そのまんじゅうを何個か、花と共に持って三人で菩提寺の墓と母の実家の墓に参ってから帰宅。妻はそのまま実家の墓参りに。
甘いあんこばかりじゃ嫌ですというと、それじゃ自分であんこじゃないあんを作れという。仕方ないので、信州名物の「おやき」風のナスあんを作ることにした。と言っても丸ナスの代わりにたまたま収穫してきた米ナスをさいころ状に切り、豚ひき肉と混ぜ、味噌で味付け。かつてはそれをフライパンで炒めたが油があると包みにくいし、どうせ蒸すのだからナスなど生でも良かろうと、適当にこねて饅頭の皮に包んでみた。まんじゅう作りに手を出してみたのは生まれて初めて。
頭に黒いゴマが乗っているのがナスのまんじゅう、何も無いのがあんこのまんじゅう。ゴマが乗っている方が私の作。味噌に辛い南蛮味噌を混入させてみたが、あまり辛すぎず、まずまずの味。
でもどうしてこんなにたくさん?
うーん、まんじゅう怖い(意味が違う)。
そのまんじゅうを何個か、花と共に持って三人で菩提寺の墓と母の実家の墓に参ってから帰宅。妻はそのまま実家の墓参りに。
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