2001年9月22日土曜日

てんやわんや

ブッシュ氏のテロ行為報復の大号令に気を取られているうちに、はたと気がついたらNIMDAというコンピューター・ウイルスが数日で大感染しはじめてエライ騒ぎに。実はこの頃パソコンの調子があまり良くないのでひょっとしてと不安になった。前回のTROJ-SIRCAMだかはウイルス・バスターのパターンファイルをアップデートしたばかりだったので無事ブロックされたが、心配である。ホーム・ページを持っているのに感染したら訪れて下さる皆さんまで被害が及ぶことになる。それで昨夜ウイルス・パターンを更新しようとしたが、相当に混雑しているのかうまく繋がらなかったり、繋がっても途中で切断されてしまったり、今朝になってようやく更新できた。で、検索したところ感染はしていなかった。
それにしてもウイルスの検索に何でこんなに時間がかかるのか、まじまじ見ていたら「RESTORE」というフォルダのファイル検索が延々と続いている。何だこれはと思ったら、WINDOWS98にはなかったがMeに新しく加わった機能で、何かあった時に復元するためにらしいがなんと400MBものファイルが保存されている。どうりでハード・ディスクが窮屈になった訳だ。親切なような、お節介なような……。
MIMDAというウイルスはIE(インターネット・エクスプローラー)の脆弱性を狙ったものということで、ことにIEの5.01と5.5がいけないらしい。マイクロ・ソフトのサイトからSP2をダウンロードして補強しなくてはならないようだ。いっそ6.0にしてしまった方がいいような気もするが、6.0はWEBページによっては機能通りに表示されないことが確認されているとか……やれやれ。疲れる。9月23日
3日ほどもの書きを停止してウイルス「PE_NIMDA.A」の対策に追われ、ようやく昨日何とかしたと思ったら、今日になってプロバイダーから対策のためのメールが。「遅い! こんなのんきなことをしていたら感染してしまうではないか。ただし、プロバイダーはIISを使用していないらしいので、プロバイダーから感染する心配はないと分かっただけでもよかった。IEが問題の5.5だったのであせりました。これでようやく下手な小説に戻れるってもの(すごいスランプで、実は書きたくない)。

2001年9月17日月曜日

ひとをしてこのような悪を為させるもの

5000、6000の命を奪うことは無論のこと「悪」である。だからといってただちに「悪いやつらを滅ぼせ」というのはあまりに単純すぎる。「盗人にも一分の理」というが、彼らテロリストがおびただしい命を奪っても得ようとしたのは何だったのか。

それにしても、もっと人間が想像力豊かであれば。
映像は、直截であればあるほど、人間の想像力を貧しくするような気がする。
文学こそ他者への想像力を豊かにしてくれるものと思うのだが、もうそういう文学は死んでしまったような気もするし。
ふと、埴谷さんが小説のなかで言及している「大審問官」と、イエス・キリストに食べられたガリラヤ湖の魚のことを思い出してしまった。(この頃、思考が老化している)

2001年9月12日水曜日

9・11

昨日、アメリカで壮絶なテロあり。
テレビは終日貿易センタービルに旅客機が突っ込む場面と崩壊するシーンを放映。
J・F・ケネディ暗殺事件以来、われわれは大きな事件や事故をほぼリアル・タイムで見ることが出来る。
ちっぽけな想像力を働かせる以前に現実の映像が、否応なく目に入って来る。想像力がむなしくなる瞬間である。
言葉も、小説も、文学も、崩れ落ちてゆく貿易センタービルの姿、そこにいた大勢の犠牲者の前には無力である。
彼らがなぜあのように死ななければならなかったか? 答が無い。

2001年9月8日土曜日

現代創作心得

「文學界」で河野多恵子さんが連載されている「現代創作心得」が最初から面白くてずっと楽しみにしている。「文學界」が待ち遠しいなんて絶えてなかったことで、それくらい面白い。プロ・アマ関係なしに、小説の実作者だったらいつでも悩む問題が毎号扱われている。
7日発売の10月号では「一人称小説と三人称小説」について書かれている。それに呼応する、単元描写と複元描写という言葉を用いて実にそうだそうだと思われることが書かれていて、読んで楽しい。こういうことをきちんと考えずに書くひとは案外多いような気がする。
ちなみに、9月号は「筋」についてであり、これにも興味深いことがたくさん書かれていたが、断然に面白かったのは、昭和2年発行の「新潮」2月号の合評をはさんでの、谷崎潤一郎と芥川龍之介の間の「話の筋論争」である。
芥川は余り「筋」に重きをおいてはいけないと考え、谷崎は自分が創作するにしても他人のものを読むにしても、うそのことでないと面白くないと言う。
いやはや、昭和のはじめにもこの問題を悩んでいたのだなと共感と感慨しきり。

他にも10月号は評論特集があり、三本の評論が並んでいて、三本ともに結構面白い。

2001年7月27日金曜日

ワープロのフォーマット

スタインベックの短編集が見つからないまま、かつてジョージ・オウエルの「1984」と「動物農場」について書いた文章を探しはじめたが、これも見つからない。パソコンどころか、初代のワープロで書いたものなので、たとえばフロッピーがあってもフォーマットが1DD形式なので、当のワープロがすでに市の埋め立て地の地中深くにある以上は読み出せない。暑い夏のさなかにもう一度初めから書き出すのはつらい。

2001年7月25日水曜日

なんとか夏ばてから回復

スタインベックの短編で「白いうずら」というのがあって、読み直したいと思ったがかんじんの本が見つからない。文庫本なのでどこにまぎれたか? 見つからないとなおさら読みたくなる。明日、もう一度探してみよう。

2001年7月20日金曜日

しろうとDTP

ふう。ようやく、しろうとDTPが終わった。いずれにしてもWINDOWS・WARDでDTPはタイヘンだ。かといってページ・レイアウト・ソフトは高い。それにCPUやメモリーももっとUPしなくてはきつい。何度も再起動しながら、騙し騙しの作業。テキストだけだったら楽なのだが、写真や表紙絵などの画像が入って、しかもそれが印刷用なのでファイルサイズがむちゃくちゃ大きくなる。で、パソコンが止まりそうになる。
今日も友人からの手紙にこう書かれていた。
「時間を有効に使って、小説をたくさん書いて下さい」
うーん。ほんとうはぼくは小説を書くのが好きじゃないのかもしれない、と思った。自分が書いたもの、書くものに対してとてもネガティブだし。何がいやだって、自分が書いたものを読むことほどいやなことはない。こういう人間が書くこと自体、無理のかたまりだ。
この頃、ちょいとメンタルなエネルギーが低下しているようだ。今夜は早く寝よう。

2001年7月12日木曜日

気がつけば不思議

小学校時代に何が嫌いといって「日記」ほど嫌いなものはなかった。夏休み、冬休み、最後まで残っていたのが日記。仕方なくまとめて、しなかったことをいかにもしたかのように書いた。泳いだとか、カブトムシを捕ったとか、何ちゃんと遊んだとか。つまり、日記とは実際にしたことを書かなければいけないと思っていたのだった。三日坊主どころか、一日で休みのすべてを書いて澄ましていた。(昔から嘘つきだったのだ)
そんな人間がここではずいぶん長く続いている。
遅まきながら、永井荷風の「断腸亭日乗」を読んでから日記が単なる行動記録でないことを了解した、その賜物か?

人間を外側から書く小説は、一個の人間の言動を書くことで人間の真の姿を描き出そうとする。人間を内側から書く小説は、一個の人間の思考や感覚の働きを描くことで真の人間の姿を描き出そうとする。
前者は小説のオーソドックスであり、後者は「意識の流れ」に代表されるタイプの小説。
どちらから攻めるにしても、本当の人間の姿、本当の世界を提示できればいいのだと思う。

個を描いて個を描くに終始しては誰にも理解、共感されない。
徹底して個を描くことで、すべてのひとに通じる存在としての共通項を獲得しなければ、文学が持つ普遍的価値はありえない。
「文学」なり「小説」、それを構成する「言葉」は、誰ひとり同じではないという固有の姿を描きつつ、それを、同時に、同じ人間として共有する存在のエレメントとして提示しなければ、文學とか小説は存在の通底器(ブルトンの言う)、水準器にはなりえないだろう。

暑いので汗を流し、缶ビールを飲んでパソコンの電源を入れたのが間違いの元で、かなり青臭いことを書いてしまった。やはり、今日ぼくは仕事した、暑かったとでも書いた方が無難だったような気がする。
明日の晩には削除したくなるだろうことが、ほぼ確実。

2001年6月29日金曜日

なんてこった

メインのパソコンのWARDが起動しなくなってずいぶん経つ。インストールしなおしたり、いろいろ試みたがどの方法もダメ。仕方なく文章は旧型のノートパソコンで書いていた。亀みたいに遅くて、書く気が失せた。遅れていた雑誌がようやく発行になり、あちこちへの発送準備がすべて終わったので、いよいよ本腰を入れてWARDを使えるようにしなくてはと思っていて、ふとひらめいた。もともと入っていたWARD98を下ろし、WARD2000をインストールしたのが事の始まりだった。ところが2000に気に入らないところが見つかたので、また2000を下ろして98に入れ替えた。するとWARD98がまったく起動しなくなった。それでバカバカしいがもう一度98を下ろして2000をインストールしてみた。なんと、一発で起動して文章が書けるではないか! 万歳! なんてこった。大事なシステム・ファイルを削除してしまったのか、それともMS社の陰謀か(?)は分からずじまいだが、いずれにしても98はあきらめて今後は2000でいくほかはないだろう。もうこういう非文学的なことに頭を煩わせるのは、やめにしたい。

2001年6月15日金曜日

倒れ死すべき

永井荷風の『濹東綺譚』の結末は、…草稿の裏にはなお数行の余白がある。筆の行くまま、詩だか散文だか訳のわからぬものを書してこの夜の愁いを慰めよう…という言葉の後に以下のような詩で飾られ閉じられている。

残る蚊に額さされしわが血潮。
ふところ紙に
君は拭いて捨てし庭の隅。
葉鶏頭の一茎立ちぬ。
夜ごとの霜の寒ければ、
夕暮れの風をも待たで、
倒れ死すべき定めも知らず、
錦なす葉の萎れながらに
色増す姿ぞいたましき。
病める蝶ありて
傷つきし翼によろめき、
返り咲く花とうたがふ鶏頭の
倒れ死すべきその葉かげ。
宿かる夢も
結ぶにひまなき晩秋の
たそがれ迫る庭の隅。
君と別れしわが身ひとり、
倒れ死すべき鶏頭の一茎と
並びて立てる心はいかに。

この短い詩のなかに、「倒れ死しすべき」という言葉が三回使われている。このリフレインはすごい。
しかも、最終の二行には感歎する。

倒れ死すべき鶏頭の一茎と
並びて立てる心はいかに。

朔太郎の「枯れ菊」と、荷風の「鶏頭」にはぐうの音もない。これはしかし、ある程度の年配にならないと実感できないか。

2001年6月14日木曜日

書けない「藤枝静男論」

『空気頭』と『田紳有楽』を中心に「藤枝静男論」を書きたいと思ってから、もう数年経つ。
藤枝静男は「私小説」と「虚構小説」のふたつの頭をもつデミウルゴスである。「私小説」と「虚構小説」の両極に引き裂かれた稀有の作家である。と思っているのだが、まだそれをきちんと書き通す自信がない。

2001年6月12日火曜日

緑の葉に白い蝶

あちこちで山ボウシの花が咲いている。広がった緑の葉に白い蝶がびっしりとまっているように見えるが、近寄ると十字の花びら。ハナミズキとそっくりでどこが違うのか、知らない。明日、デジタル・カメラで撮ってみよう。
今日も本が読めなかった。

2001年6月11日月曜日

パソコン・ストレス

いやはや、このところパソコンがらみのことばかりで、文学を遠く離れてしまった。
そもそもの発端はWARD2000とWARD98が原因だった。98より2000の方が進化していると思ってインストールしたのはよかったが、使ってみるとたまたま動きが鈍くなったり挙動不審になったり、あげくのはてに「システム・リソース」がなんたらかんたら…しかも文芸誌O(オー)印刷版の方の編集レイアウトでルビを振るのに不都合な点が発覚した。98はルビの位置を標準の位置のほかに、-1とか+1とか寄せたり遠ざけたり自由に設定出来た。なのにである。2000にはその機能がない! ために行間がそこだけ広くなってしまう。はなはだみっともない。腹が立った。で、2000から98へ、ヴァージョン・アップならぬヴァージョン・ダウンを決行した。だがその時、どうやら削除してはならないシステム・ファイルを削除してしまったらしい。で、ヴァージョン・ダウンしたWARD98が起動しなくなった。他のアプリケーション・ソフトにはまったく異常がない。WARD98だけが開かない。仕事やら何やらで大幅に遅れていた文芸誌O(オー)印刷版の編集レイアウトがもう少しで終るところだったのに。重ねてホーム・ページのINDEXのページの画像は6個も行方不明になるわ、これはもうパニックである。(教訓…むやみにアプリケーションやシステムをいじるな)で、仕方なくフロッピーにファイルをコピーし、Windows95でしか動かない古いノート・パソコンに移して作業を続行した。が、とにかく動きが遅い。いらいらいらいらしながら、それでも今夜レイアウト作業を終え、版下までプリント・アウトした。早速、明日、印刷所に持ち込んで、それでほんとうにやれやれ。ん? そうじゃない。WARDの使えないパソコンをどうする?
1 トラブルの多いWARDを見捨てて、一太郎など他のワープロ・ソフトに寝返る。
2 書くのはエディターを使い、編集レイアウトにはPage Makerとかの専門ソフトを使う。(欠点1…ソフトが高い)
3 使いなれたWardを使うために、Windowsを再セット・アップする。(欠点2…そのためにはデータ・ファイルをバック・アップしなくてはならないが、大容量記憶装置がないからMOなりCDRWなりを購入しなくてはならない)

2001年6月9日土曜日

パソコンのブラックボックス

INDEXのページのContentsを示す画像が6つも行方不明になっていたが、管理人のパソコンではすべて表示されていたので、まったく気づかなかった。調べた結果、ローカルのフォルダには存在していたがプロバイダーのサーバーのイメージ・フォルダには無かった。FTPで転送されているはずが、されていなかったのだ。どうしてそうなったかは分からない。タイム・スタンプのずれのせいか? デフラグの際の表示が笑ってしまった。
「このドライブのエラーがチェックされたのは7×××日前です」そんな二十年以上前には、パソコン持っていなかったぞー。
やれやれ。だが、とにかく一件落着。
とうとうホーム・ページのサイズが4MBを超えた。ここの容量は10MBであるから、もう少しで半分になりそう。

なぜか疲れた。缶ビールを飲みながらグレン・グールド演奏の「フランス組曲」と「イギリス組曲」を聴いて(これは楽しい)、それからNHKで放送されたグールドのドキュメンタリーを録画したテープを久々に出して、彼が動物園の象たちの前で歌う場面を見よう。動物にも音楽が解るとグールドは本気で信じていた。(?)
このヴィデオ・テープと埴谷さんを取材した「死霊の世界」は宝物だ。そういえば、埴谷さん、毎晩、毎晩、ワインを結構飲んでいたなァ。明日、ワインを買いに行こうっと。

2001年5月31日木曜日

ヴァージョン・アップも考え物

パソコンを使って同人誌の編集レイアウトをしているのだが、本格的なレイアウトソフトは使わずにWARDで済ませて来た。が、WARD98を2000に変えたらどうも怪しい動きをする。メモリーを増設してとりあえずは十分なはずなのにメモリが不足などという表示が出たり、98だったら何でもなかったことなのに強制終了させられたりさんざんである。いっそ98に戻そうかとさえ思う。だが、98にも納得のいかない動きはあった。ルビは98の方が位置を微妙に調整できてよかったが、2000ではそれが出来ない。ヴァージョン・アップも考え物だ。

2001年5月30日水曜日

この沈黙は不在の向こうに生きのびる

昨夜は頭痛と倦怠感と眠気に襲われて20:00には床に入ってしまった。「馬葡萄の焼酎+ブランデー漬け」を飲み、赤ん坊と同じくらいの睡眠時間をとったら、なんとか元気回復。

久しぶりにE・M・シオランの『生誕の災厄』をぱらぱらめくっていて、ふと、次のような言葉が目にとまった。
……あらゆる罪を犯した。父親となる罪だけを除いて。うーん。おれは、シオランが犯さなかった罪まで犯してたんだ、と。
でもまぁ、「毒をくらわば皿までも」という言葉もあり、結婚しないつもりが結婚し、子供を作らないつもりが作ってしまい、「なしくずしの死」ならぬ「なしくずしの生」である。

人間の生を否定し去ろうとする現象や思念。
戦うよりうなづいてしまう方がずっと楽だし、理にも適っているような気がするのだけど。

あるホーム・ページの掲示板で、ホーム・ページの名の由来を質問されて、ウェブ・マスターがF・サガンの同名の小説をあげ、更にその題名の元であるPaul Eluardの詩の原詩と訳を掲げられているのを見て、Paul Eluardをなつかしく思い出した。安東次男訳の「愛すなわち詩」しか読んでいないのだが、今でも忘れないでいるフレーズがいくつもある。

……ぼくらの眼はたがいに光と   光を投げ返す、それは
もう相手を見わけられなくなった沈黙だ
この沈黙は不在の向こうに生きのびる

……ぼくの手からおまえの眼へ
沈黙が旅をする

……ひとつの貌が 世界中の名に応えること
それがほんとうに必要だった

今夜はポエジーにどっぷり浸かって眠れそうだ。

2001年5月28日月曜日

冷める憤り

枯れ菊や日々にさめゆくいきどほり

同人誌の埋め草に何回か書いた萩原朔太郎の句。その直筆の色紙を飯田市のHさんが所有している。
それを拝見した時に同行した友人と帰路交わした会話
「あれ、いいな。ほしいね」
「まさか、Hさんちに泥棒に入るわけには」
「借りてコピーしようか?」
「コピーでもいいですね」

枯れ菊と、日々にさめゆく憤り。
どんな憤りか?

生きていることの、様々な不都合と憤り。

2001年5月27日日曜日

自分に厳しく他者には優しく

だいたいがひとって、自分に優しく他者に厳しい視線を所有していることが多い。同一の視線で自己も他者も見ることができるひとは少ないと思うのだが、作家はそれができないと困る。同人誌で私小説を書くひとの作品を読んでいてそう思うことが多い。どうも自分に優しすぎる。他者には結構冷静客観的な視線を向けているくせに、対象が自分になるととたんに甘くなる。
小説を書くときは反対だと思う。ことに私小説のように作家自身が作品内に顔を出す場合は、自分には厳しく、他者には優しい視線を向けないと。
うーん。なんか訳の分からんことを書いている。脳の働きが悪い。

2001年5月22日火曜日

愛の位相(異相?)

人間の愛というのはおかしなものである。いや人間そのものがちょっとヘンなのかも知れない。
「わたしはあなたを愛してます」とはいうものの、どうも眉唾な気がする。
正確には「わたしは、わたしを愛してくれるあなたを愛してます」と。
だから相手が自分を愛さない場合は愛さない。愛が相対的なんだ。それどころか憎んだりもするし、あげく殺したりもする。うーん。結局は相手を愛しているんじゃなくて、自分を愛してるだけなんだ。

2001年5月20日日曜日

ありがとう

「真実」とは何だろう?
「真実」が必ずしも人を生かすものではなく、むしろ反対に人が生きることを邪魔するものだとしたら?
気づかぬ振りをしてそっと通り過ぎる?  小説なんか書かず読まず、何も考えず、感じずに?
(正確には覚えていないが、狂歌にこんなのがあった。
ひとの子は寝て起きて食って厠行き子は親になり子は親になり)

「ミリンダ王の問い」(平凡社・東洋文庫)にはこう書かれていて、ニーチェも「悲劇の誕生」でそれを拝借して命題としている。
……「人間にとって至善は?」……「生まれなかったこと。次善は、今すぐ死ぬこと」
うーん、生きるのも死ぬのも同じくらい難しい。

……悲しみはきはまりの果て安息に入ると封筒のなかほの明るし……浜田到5月21日同人誌やホームページのレイアウトをする関係から、それらの行間・字間がとても気にかかる。プリント・アウトされた原稿やネット上に公開された小説などを読むのに、もっとも閉口するのが行間・字間のバランスがまったく考慮されていないケースである。
字間が間延びしていて行間が狭い、これが最悪で読みにくいったらありゃしない。気が弱いから口に出して言わずにじっと我慢して読むのだが、ほんとはつらい。
とはいえ、雑誌のレイアウトもホーム・ページのレイアウトも誰にも教わらずに自己流・無手勝流でやっているのだから、あまりひとのことは言えない。

ボリス・ヴィアンの「赤い草」とチェーホフの「名の日の祝い」を読み直したいと思いつつ、日が過ぎている。あの時代にチェーホフが女性の視点であのような小説を書いたことは驚きである。フェミニスト・チェーホフ。

また就寝前に荷風の「断腸亭日乗」を少しずつ読みたい。
埴谷さんの「死霊」も気にかかっているが、あれを読むと妙に眠気が。頭が悪いせいでそうなのかと思いこんでいたが、ふとそうではないような気がした。実は埴谷さんの文章は小説の文章としてはかなりの悪文なんだと。悪文であっても「死霊」の価値はちっとも下がらないのだけど、バッハの無限カノンみたいに果てしない文章はやはり眠気を誘う。

しかし、それにしてもひとは自我から抜けられないものだな、と。
こうして書かれる文章のすべてが僕の影であって、僕自身ではないのだ。
「kojimaさんが書くものはものすごくネガティヴだ。けれども、背後に確固たるポジティヴを所有していなければ、ネガティヴな世界は書けない」と、長いつきあいの年下の文学友だちは言ってくれた。
それだけじゃないんだけどね、ありがとう。

2001年5月1日火曜日

純文学アーティストリング

トビさんという方が最近始められたウェブリング「純文学アーティストリング」に参加することになった。
ネット上でずいぶん肩身の狭い思いをしている純文系ホームページの輪である。
「文学サイト長野」も当初は「純文学WEB」を標榜した。今更「純文学」などという恥ずかしくもある言葉を敢えて用いるのには理由がある。インターネットは今や個人のあらゆる表現を可能にして盛んであるが、「文学」、「小説」というカテゴリーで検索しても、たいがいは楽しい、明るい、面白いといったホームページが圧倒的に多い。
だからこそ、純文学を冠することになる。

2001年2月6日火曜日

いやいや頭を向けて

原稿締切のことを考えるといても立ってもいられないので、しばらくこの洞窟から出なくてはならない。
小説という形式は死んだというか、過去のものだなと思いつつとぼとぼと暗がりから日の差す方へ。ボリス・ヴィアンの「赤い草」を想起しつつ、書きかけの小説へいやいや頭を向けて。

2001年1月21日日曜日

真冬の岬へ

このところの寒波で小気味良いくらい寒い。
真冬になると能登半島のゾウゾウ鼻とかの小さな岬を思い出す。岬の突端に立つと気持ちが引き締まる。ギーレライエの岬やポルトフィーノの岬で回心や哲学的発見をしたキルケゴールやニーチェのように壮大ではないが、岬に立つと人間の小ささ、自分の小ささが実感できてとても気持ちいい。
真冬の岬へ行きたい。

2001年1月18日木曜日

日本文学の特異な時代

牧野信一の「ゼーロン」、「西部劇通信」、坂口安吾の「風博士」、「霓博士の頽廃」などを読み返すと、あの時代にこのような小説が書かれたことに驚嘆する。尾崎翠の「第七官界彷徨」もそうである。
妙に前後と切れているというか、日本的な私小説の規範とはまったく別の論理で創作が試みられた、かなり突出した時代であった。西洋かぶれという変な言葉があったが、モダンボーイ・モダン・ガールが出現したくらいだから、戦争突入前夜の日本人のわずかな精神の輝きであったのだろうと推測する。

2001年1月17日水曜日

睡眠と標高差

すごい寒波で菅平とか野辺山はマイナス20度以下とか。
このあたりもマイナス十数度か? 
ここは標高ほぼ700メートルだが、たとえば東京で眠っているひととぼくは、700メートルも標高差がある。眠りにつきながらそんなことを考え、くすくす笑うことがある。

2001年1月16日火曜日

反語的命題

ニーチェがその著「悲劇の誕生」で……存在と現象は美的現象としてのみ是認される……と記したのは、ひとつの素朴で大きな命題であった。この反語的命題に応えられる人間は未だにひとりも現われない。

存在と
現象は
美的現象としてのみ
是認される

2001年1月1日月曜日

とうとう21世紀

とうとう21世紀に入ってしまった。
永井荷風は五十代で自分を老人と自覚していてそのことに違和感があったが、最近、違和感どころか強い共感を覚える。
21世紀も新年もあまりめでたいともうれしいとも思えないのは、老人の域に入った証左である。むしろいろいろなことがネガティヴにしか見えないで困っている。もっとポジティヴに見える眼鏡があったら手に入れたい。
1月2日時代はどんどん悪化している。日本中の商店街から人影が消え、大型ショッピング・センターに人が集中している。
生産、流通、小売、消費者一致して、一円でも安いことを目標に怒涛の行動をする時代になった。
いよいよ、大資本主義(大法人主義)の時代の始まりである。個人経営は農業、商業、工業すべてが消滅する。
と、ここまで書いていてふと映画「ロボコップ」を思い出した。あのサイボーグ警察官を開発製造した巨大資本が都市まで支配しそうになる光景である。
何か、企業買収や合併やらが進行するその先に、少数企業の独占支配が経済だけにおさまらず政治にも及ぶのは必死である。
たんなる、SFの読みすぎでしょうか?