文学がらみの出会いよりも蕎麦がらみの出会いが充実してしまって、すっかり本末転倒なこの頃ですが。
ですが仕方ない。
仕方ないけれど、蕎麦狂いした者同志がこんなにも簡単に親密になれるのに、文学狂いした者はどうしてこんなに誰とも親密にならない(正確には、なれない)の?
どうして?
自分が書いたものだけが大事で、他者が書いたものにはまったく関心が無く、読みもしなければ感想も書かない。
さういふひとにわたしはなりたくないのだけれど、なんだかさういふひとにすこしずつちかづいていることを少しは自覚してはいて、それで困っているんですが、さて............。
ドストエフスキーは文学と一杯の紅茶を秤にかけた。一編の小説も書けないくせに、私は生意気にもその向こうを張って、文学と一枚のざる蕎麦を秤にかけている。
さよなら三角またきて四角ならぬ、さよなら文学また来て詩学。
0 件のコメント:
コメントを投稿