2009年3月30日月曜日

そういう話題は

 二十歳前後からつきあいがある親友からメールをいただいた。
君のブログを読んでいてふと感じたことだが、自分が今まさに書こうとしている小説がつまらなくて結局は書き遂せないというのは、君がいわゆる埴谷さんの「不可能性の文学」にどっぷりはまっているからであって、そのことをこのブログで正直に書いてしまうのは、そうでないひと=「可能性の文学」に則って小説を書いておられるひとにとってはネガティブすぎて、書く気のあるひとの創作意欲を殺ぐだけではないのか。密かにそのように感じ、危惧しています。いかがなものでしょうか?
 
 わあ。
 自分でもそう思っていたので、このブログで自分の創作について書くのはやめることにしました。
 そういう話題は自分のなかにだけとどめ、外には出さないのが大人の姿勢なのかもしれません。

2009年3月26日木曜日

チャンドス卿さながら

 珍しく更新が滞っているので一心不乱に小説を書いていると思われているかもしれませんが、そうではなく、仕事の遅れが表面化し、追われて疲れて更新できないだけでした。
 小説の方は月内に仕上がるはずもなく、またもや両手を挙げて降参必至です。ホフマンスタールのチャンドス卿さながら、わたしの頭の中ではぎりぎり「小説という形式に対する概念」が壊れているので、どうにも書き通すところまで行きません。
 存在や世界がバラバラなのだから小説もバラバラでどこがいけない? と、開き直りたいのだが、ひとさまに読んでいただくためにはある程度の統一性は必要なのも理解できない訳ではない。
 いや、単に才能が無いだけなのかもしれないので、もうじたばたせずに書かない宣言をしてとっとと編集人に徹すべきか。
 書かない者が編集発行人なんて、といわれたら? 

 と、ほぼあきらめかけたら、レオン・ブロアの「絶望者」を読みたくなった。どこまでも趣味的である。以前、市立図書館で借りたまま読まずに返したことがあったが、古書で1200円のを発見。

 配偶者に良いことがあったので、夕方、いつもより高いワインを1本購入しておいた。先日帰省した長男が400ccオートバイで出かけてどこぞの牧場で買ってきたチェダーチーズを置いていったので、それを肴にささやかに祝杯。
 そういえば、薩摩から黄麹、黄金千貫使用のいも焼酎2本が届く。これも早速試飲してみよう。



 ヤフオクに、蕎麦がらみで私が死ぬほど欲しい機械が10000円スタートで出た。新品で購入すれば二十数万円の機械であるが、プレミアム会員にならないと4999円以上の入札が出来ない!!
 
 本日、家裁より通知書あり、すべて終了。一応、証明書貰っておこう。それで決着。やれやれ。

2009年3月22日日曜日

存在のある状態を描写

 こんなペースではとても間に合わないが、スタイルは固まった。また「天窓のあるガレージ」のスタイル。
 解りにくく、小説ともいえず、一瞬の場面のみの連続。
 人物はみな「私・わたし・あたし」で一人称を逆手に取っての換骨奪胎。
 でも、いつ難破するか。こんなのは小説ではないと考えると一気に意欲が減衰する。
 小説でなくてもいい、存在のある状態を描写する、それだけでいいじゃないか、と思え。

 あるいは、ものを書くという行為は人間という不合理きわまりない存在の言動や描写する「イタコ」の所業のようなものではないのか?! 物言えぬ存在に代わってイタコする。

2009年3月21日土曜日

090320niwasakiwasabi.jpg 寒さで茎葉がすっかり枯れていた庭先ワサビだが、ふとみるとずいぶん新しい茎葉が広がりはじめている。
 そういえば、先日播いて発芽したワサビの種は、その後の温度管理が高すぎたらしく、5本くらいを残して消滅。落胆。寒さに強いくらいなので、電熱は不要だった。

 午後、家庭菜園へ。管理機で耕運したり、豆狂いな母親が「モロッコいんげん」やら「ライマ・ビーンズ」やら「何とかささげ」を播くことができるよう、パイプ支柱を立ててトンネルを2列作った。ネットを張るのはまた折を見て。
 畑のワサビも青々とした葉を見せていたし、オヤマボクチも新しい芽、葉を展開しはじめ、ルーバーブも丸い包から葉をのぞかせていた。ほんとうに半月くらい早い。

2009年3月20日金曜日

やはり、小説で

 三つの場面を同時進行で書いてみたりして。
 いや、まだ、四つ、五つと増えてゆく可能性あり。
 というか、そうやって増殖していかなければ、あるのは、再生産的閉塞しかないのだ(ってば)。
 
 満足に小説が書けないくせにiPodでバッハやジャズを聴いていたり、部屋が明るいので集中できないのだと明かりを消して電気スタンドにしてみたり、難儀やね。
 やはり、小説で「北の理念」?
 (小説は大説ではなく、どこまでも小さく説く「小説」なのだ、ということを思い起こしさえすれば少しはこのあまりに卑小な試みも否定せずにいられるかもしれず、ふう)

2009年3月19日木曜日

もう何もしないで

 このところ、バッハ コレギウム ジャパンのバッハばかり聴いている。それも最近はマタイ受難曲ではなく、カンタータ。すごい数です。病院にでも入院しないと全部は聴くことができないくらい。
 もう何もしないでこれを聴いていたい。

 言葉という鏡を挟んでの「わたし」と「私」。
 何か、へぼなメタフィクションめいてきて意欲が失せてしまいそう。もう時間もありませんし......。

 

2009年3月17日火曜日

これはやはり一種の

 忙しくなってきた。いよいよ春の狂騒のはじまり、はじまりだが、その前に明日はもう一度家裁へ。これでおしまいになる。

 エデン・ブレントにもう一枚、2003年に出た「Something Cool」というアルバムがあるはずだが、これが見つからない。HMVにもタワーレコードにも無い。どうもこのひと、ミシシッピー・マイナーなひとなのか。ミシシッピーの綾戸智絵さんなどと言ったらおふたりとも気分がよろしくないだろうから、言うのは一度だけにしておこう。
 30秒試聴サイトが見つかって、曲名などは確認出来た。YouTubeにアップされている「南アフリカ」がそうらしい。あれこれ探してみているうちにMySpace Musicに2曲収まっているのを発見。「南アフリカ」はYouTubeの方はどこかのライブ演奏で音質はいまひとつよろしくないが、CDの方はスタジオ録音なので音がクリア。

 それにしても、短編はおろか、掌編も危なそう。
 エディターを開いてはいるんですが、書いても書いても気に入らない。 これはやはり一種の病気のようです。
 

2009年3月15日日曜日

Bien Vian

 昨夜は妙な時刻に目が覚めてしまって、仕方なく手元にあったB・ヴィアンの「心臓抜き」を広げたら最後まで読んでしまった。これで三読か四読。「日々の泡」より「心臓抜き」、「北京の秋」より「赤い草」。

 アンリ・サルバドールの「Chante boris vian」というCDを発見。全14曲だがどうも好みではない。むしろカトリーヌ・リベイロの「Chante boris vian」の方が聴ける。
 「Boris vian chante boris vian」は19曲だが、手持ちのCD「J'suis snob」と被っていない曲が何曲あるか調べてみなければ。
 さらに入手済みのS・レジアニの「「Chante boris vian」のほかに、Magali Noëlという歌手の「Chante boris vian」もある。
 それにしても「ボリス・ヴィアンの憤り」は何度聴いても末期中年には歌詞が聴き取れない。が、ボリス・ヴィアンおたくとしては気に入りましたa。
 「憤り」が似合うのは誰よりもボリス・ヴィアンと萩原朔太郎であります。
 
「枯れ菊や日々に冷めゆく憤り」(萩原朔太郎)

 ほかにアメリカはミシシッピーのエデン・ブレントという女性の「ミシシッピー・ナンバー・ワン」というCDの13曲を全部聴いた。

2009年3月14日土曜日

iTune狂い

 Inventaireというタイトルで、ジャック・プレヴェールの詩に曲を付けたシャンソンが多数収録されている3枚組みの輸入盤CDがある。1枚めはシャンソン、2枚めはレジアニなどの詩の朗読、3枚目はプレヴェール自身の朗読。
 1枚目の15曲目に「ボリス・ヴィアン」という曲が入っている。歌い手はStephane Varegues。
 面倒なのでituneに1枚めと2枚めとそっくり入れてしまい、それをiPodに同期させたが、1曲ずつでないと、聞く順番がランダムには聞けないので不自由きわまりない。もういちど曲ごとに入れ直さなければならないが、時間がないのでしばしこのまま。
 それにしてももう400曲近く入っているのだが、まだまだ入る。便利なものです。

2009年3月13日金曜日

壊れゆく大資本主義

 昨日、今日と頭痛がする。あるいはまた最低血圧が100を超えたかと計測してみたら92であった。通常、朝、一錠だけ降圧剤を飲んでいれば何の異常もないのだが、さては和歌山から送っていただいた晩柑オレンジを昨日も今日も食べたので、薬が効かないのか。グレープ・フルーツは降圧剤を効かなくしてしまうというけれど、柑橘類はなんでも良くないのかもしれない。調べてみよう。
��* グレープフルーツが降圧剤を効かなくするにではなく、その反対であの苦味の成分のせいで降圧剤が効きすぎて血圧が下がりすぎるとのこと。オレンジ、ミカンにはその成分は無いらしい)
 私の場合、最低血圧が100を超えると必ず頭痛が信号のように現われる。それも決まって午前9時過ぎ、10時頃から頭が痛くなるのだった。
 降圧剤を飲むようになってから、肩こりがまったく無くなった。ということは、肩こりは血圧のせいだったということになる。

 ルイ・アームストロングとかそれ以後の「セント・ルイス・ブルース」は洗練されてしまって、フォークナーの「あの夕陽」には似つかわしくないが、ベッシー・スミスのそれはリズムもゆったりしていて、重くてピッタリだ。
 YouTubeにアップされている、お酒を飲みながら唄うベッシー自身の数少ない動く画像もいいが、もう少し音質のよい「セント・ルイス・ブルース」はないものかと、あれこれ試聴サイトを探したら、あったので録音した。帰ろうとしたら、「ウーマンズ・トラブル・ブルース」なんてタイトルのブルースがあったので、これもついでに録音した。フォークナーを読むときにはベッシー・スミスのブルースを低めに流しているとイメージぴったり。
 しかし「イエロードッグ・ブルース」とか、ブルースの題名は実に面白い。小説の題名を「ウーマンズ・トラブル・ブルース」とかにしたい、くらい。

 それにしても、壊れゆく大資本主義を小説で書こうという、向こう見ずで生きのいい青年はいない?
 

2009年3月12日木曜日

聖徳太子ではないので

 人生でもっとも退屈で無駄な作業をようやく終了。少しは肩の荷が軽くなった。というよりも聖徳太子ではないのだから、せいぜい平行してする仕事はふたつかみっつくらいにしたい。それ以上は無理です。

 ベッシー・スミスの「バック・ウォーター・ブルース」や「ケアレス・ラブ・ブルース」を聴いていたら、同じiTuneのなかにEden Brentの「ケアレス・ラブ」も入っていた。ブルースがあるのと無いのと、別の曲かと思ったが、検索してみたら同じ曲だった。有名な歌手が大勢歌っているスタンダードではありませんか(無知......)。
 ついでに「ア・グッドマン・イズ・ハード・トゥ・ファインド」(間抜けなカタカナ表記ですが、海外からのスパム除けです)も聴いた。試みに例の試聴サイトへ行って見たら、フルトラックの曲が山のよう。

 昨日、デジタル文学館に推薦作があり、テキスト・データを添付して送信していただいたので、今日のうちにアップロード。今にしては珍しく若い方々の創刊号であるらしいので、今後に期待。
 

2009年3月11日水曜日

ほかに優先すべきこと

 先日かなり古いエッセイを送らせていただいたN村さんから、便箋3枚のお手紙を頂戴した。

 戦後の日本文学界では、典型だ、リアリズムだ、なんだかんだと、いわば小説の作法に関するものが論じられてきたけれど、かんじんのその内容について論じられたことが、なんと少なかったことか
 というくだりに大いに共感。いわゆる外観や衣服ばかりが論じられて、内容が論じられない。確かにそうである。

 それから、ベストセラーをめざして書かれるエンターテインメントの小説でない限り、面白さなどは優先しなくてもいいのである。もっとほかに優先すべきことがある。




090310kakimochi.jpg

 この冬に製造した「かきもち(おかき)」の乾燥が済んだらしいので揚げてみたら、どうやら成功らしい。
 以前、「かきもち(おかき)」を搗いてくれる製菓店があったのだが、いつの間にやら閉店してしまったので、いつだったか母親が人づてに製法を聞いて「かきもち」を作ってみたことがあったが、それは長いもや里芋をすりおろして混ぜるという方法で、その量の加減が難しく、膨らみすぎて中が空洞になったり、逆に膨らまずに固すぎたり、思い通りには出来なかった。
 ところが、仕事先で自家製の「かきもち(おかき)」を頂戴して、市販のもののようによく出来ていたので製法を訊いたら、「ただお餅を搗いて、伸して、切って、干すだけ」って、ええ?? 
 そこで、1月末の暇な日に電動餅つき機で搗いて、伸して、切って、干してみた。急激な乾燥はひびが入るので、布をかけて徐々に乾燥させるようにとの助言も聞いてその通りにしたが、油で揚げればひびが入るので、あまり気にしなくても良さそうだ。
 写真では砂糖醤油をからめてあるが、揚げたてに粗塩を振ればお酒のつまみにもよさそう。
 (うーん、これもほかに優先すべきことがある話題でした、泣)

 * (昨夜、書いたままアップロードを忘れていました)

2009年3月10日火曜日

雑事の春のはじまり

 いよいよ、仕事もプライベートも創作も追われてする体勢となった。また、体が二つ、三つ欲しい時期になってきた。その上、頭が働かない、眠いで、往生極まりそう。
 今年はどうもあまり運勢がよろしくないようで、歓迎できないことがつづけて起こる。今日はまた自分の住民票と戸籍謄本を取る。降りかかる火の粉は振り払わねばならないが、3人分そろえて、これが片付けば万事めでたし。あと、半月ほどの辛抱か。
 
 今夜、ようやく、土曜日の姪の結婚式で撮影したデジタルカメラの写真を整理した。やはり、オートではシャッター・スピードが遅いのか、新郎新婦の動きについてゆけず、ピントがあっていない写真が多い。専門のカメラマンのほかに、当方の親戚で2名が一眼レフで撮影していたのでいいだろう。
 新婦の左目が赤目になっている一枚があったので、画像処理ソフトでの赤目修正機能を使ってみた。簡単に修正できた。やはりパソコンはすごい。
 遊びついでに配偶者の写真を、少しだけ横幅サイズを縮めてみた。気持ちほっそりとして本人喜ぶだろうが、ふだんも鏡のせいにしているくらいだからこれを見せてはいけない。保存せずに終了した。

 新訳の『ダブリナー』、悪くないが、今は通読するだけの時間が無いので後回しにする。
 確定申告が済まなければどうも落ち着かないが、まだ決算書の段階。会計ソフトを使ってのことfだからさっさとすればいいのだが、万事ぎりぎりまでしないのは悪い癖である。
 

2009年3月7日土曜日

書店と庭

 午後、雨の中を書店へ。『ダブリナー』、購入するか悩みつつパラパラ。
 だいぶ、印象が違う。書き出しが記憶に残っている「エヴリン」を開いて少し読んでみる。解りやすくイメージのはっきりとした訳文で、今、初めてこの作品を読む若者にはいい翻訳だろう。だが、私にはやはり、イメージがこんなにはっきりしていないにもかかわらず、最初に読んだ訳の方がなじみがある。でも一応購入。
 文庫棚から単行本の翻訳書コーナーへ行ってみると、相変わらずその少なさにがっかり。僅かに新潮社のクレストブックスとマルケスのシリーズが目立つくらいで、あとは文学というより読み物ばかり。マルケスの『十二の遍歴の物語』が目に入ったが、これはあるので買わない。クレストブックスで何冊か読みたいものがあったが、明日の出費が大きいので買わずにパス。明日はまったく土地勘の無い麻布。

 雨が降ったので不意にではないだろうが、庭のモミジの木の下に植えておいたワサビが、その茎も葉もほとんど凍み枯れていたはずなのが、一部若い芽や葉が出て青々としていた。
 県内で、畑で陸ワサビとして栽培している光景を見たことがあって、冬の凍み対策で稲藁を敷き詰めていた。それを怠ったので全部凍みて枯れてしまうかと危惧したが、どうやら大丈夫らしい。
 去年の今頃は山を駆け巡っていたのだった。

2009年3月6日金曜日

有ったことも無かったことも

 新潮文庫の「ダブリン市民」が新訳に変わって、柳瀬尚紀訳の「ダブリナー」となったようだが、さて......。
 初めて読んだ訳は、初恋の相手にも似て捨てがたいものがあるのだが、さりとて颯爽と現われた新顔も無視はできない。明日本屋に行ってみよう。実は、明後日、姪の結婚式のため新幹線に乗らなければならないのだが、道中を共にする本が見つからなくて困っていたので、丁度よかった。

 エディターを起動させたまま、一字一句も進まず、前野曜子の歌十数曲を聴く。名の知れた「別れの朝」のほかにも、結構いい曲がある。彼女の跡を継いだボーカルが、メリハリの利いたある意味意識的でくどい唄い方をするのに比べ、彼女はどうしてこんなに天然自然素直でありえ、そして、にもかかわらず、なぜ、酒で身を滅ぼしたのか?
 彼女が若くして亡くなったのは知っていたが、酒が過ぎて肝臓を壊して亡くなったという詳細は知らなかった。感性に優れている者は往々にしてセルフ・コントロールのすべを知らず。そう考えると、少しは、感性の鈍い自分を肯定できないこともない。あるいは愚鈍であることが生き延びる秘訣であるのかもしれない。

 見るに足らないものを、あえて見る必要があるのか。聞くに足らないものを、あえて聞く必要があるのか。書くに足らないことを、あえて書く必要があるのか。生きるに足らないことを、あえて生きる必要があるのか。
 これは私の考えではなく、私が書こうとしていまだに数百字のまま先へ進めない短編の主人公が考えていること。あまりに原理主義的すぎて、自縄自縛で前へ進めない。自爆寸前である。
 小説は面白くなければならないというテーゼを背負って書いている知人がいるが、私の書くものなど彼の目には明らかに小説失格であろう。だが私にはストーリーや展開の面白さなどどうでもいいのだ。
 日本語でいう叙述、フランス語でいうエクリチュール。
 あるいは、有ったことも無かったことも、読者に、抗いようもなく、否応もなく現前させる強力無比な話法。
 そうか、力んで大袈裟に考えずに、自分なりのダブリン市民を書こうとすればいいのだけれど、それが難しい。 

2009年3月4日水曜日

イメージ雲散霧消

 先日隣の席に座っていたN村さんが、別れ際に、私が以前別に所属していた同人誌に書いたエッセイを読みたいと言われたので、帰宅後、その同人誌の何号だったかを確認したら3号だったので、号数を書いてハガキでお知らせしておいたら、今日、メーラーを開いたらN村さんからウェブ・メールの方にメールが着信していた。(そういえばいつだったか、酒の席で「シマちゃん、私だってメールアドレスあるんだから」とか言っていましたが、なぜか、酔っ払うと私がシマちゃんなる人物になってしまうようです。ま、N村さんも酔っ払うとかわいいおばちゃんになってしまいますが。)
 返信の内容は、本来なら雑誌があるはずだが、数年前に大掃除をして5年以上前の雑誌は処分してしまったのでみつからない。こちらの誰かにあたって探しますとのこと。
 そのエッセイが、たまたまテキスト・ファイルでパソコンの中にあったので、添付ファイルで送りますと先触れしておいてから二通目で添付送信した。シベリアに強制連行された経験のある、複数の作家の作品について書いたエッセイである。
 すると、メールしか出来ないという返事で、どうやら添付ファイルなど保存も開くこともしたことがないらしい。先日もご自分を後期高齢者と言われていたので、まあ、メールをされるだけでも大したものなのですが。
 仕方ないので、同人誌用の二段組のレイアウトにテキストを流し込み、題名などのフォントを太く大きくしてから印刷、封筒に宛名を書いて投函するばかりにした。
 すると、もう一度メールを開いたら読めましたというメールが着信。ふえ~(泣)。テキストファイルは縦書きじゃないから、封筒の方、明日、投函しておこう。


 2月18日に書いたワサビの種、電熱線の上に箱播きで播種しておいたら、なんと発芽を始めていた。発芽率は30%くらいかもしれないが、たくさん播種したので、100本くらいはあるだろう。
 配偶者の実家の梅が2本植えてある畑の横を、河岸段丘の段丘のあたりから清水が湧き出して流れている。あそこに植えられたらいいのだが。そういえば、配偶者の兄さんが肩を痛めて梅の剪定ができないので代わりに剪定してと言われている。様子を見ながら行ってみよう。剪定も急がないといけない。
 

 ちょっとイメージが輪郭を伴ってはっきりしてきたような気がしていたが、また雲散霧消してしまったような感じ。メビウスの輪のような短編(掌編)をイメージしていたのに......書けるか書けないか、微妙ですので、当分、創作についてはあえてここでは触れないことにいたします。

2009年3月2日月曜日

壊す不自然、壊れる自然

 18:30頃帰宅。
 ここにはあまり多くは書けないが、場合によっては退会の心積もりも少しは抱きつつ出かけて行ったのだけど、懸案だった賞の枚数制限だけは撤廃できたので、残る課題は目を瞑っても仕方ないかと自分のなかで妥協。前進も出来ず、さりとて後退、離脱も出来ない中途半端さ。

 会議終了後声をかけられて、車のため飲み屋での懇親会に出られない男三人だけでドトール・コーヒーに入り、コーヒーとホット・ドッグで鬱陶しくも怪しい懇談を一時間ほど。
 




 壊すというのはどこまでも人為的な不自然さがつきまとうが、壊れるのを待てばそれは自然であるということになる。
 壊すのは壊すという行為の主体があって壊される客体があるのだが、壊れるのは客体がみずから壊れる、つまり自壊することである。
 破壊して作り直すのと、自壊するのを待って作り直すのとどっち? 




 今夜からいよいよ、Édith Piafの検索に入る。彼女の歌もだが、あのフランス語の発音がすごい。巻き舌 Piaf !!  いや、喉がすごいのだ。
 それにしても、いまだにÉdith PiafのCDが2008年に14枚も出て、2009年3月1日までにすでに3種4枚のCDが出ているという事実もすごい。


2009年3月1日日曜日

下手ほど道具を選ぶべし

 昨夜、また長男が新幹線で帰宅。400ccバイクの引き取りに来ただけなのだが、たまたま今日、T屋さんから蕎麦切り用のまな板を頂戴したので、蕎麦打ちをしてみた。ソバ粉500g小麦粉100gという、いわゆる外二で打ってみるのは初めて。
 これまで使っていたまな板はホームセンターで売っていた安物で、どうも中国製で、しかも桐の張り合わせらしく、切るたびに刃が板に食い込んでしまい、切りにくいことこの上なかった。桐は柔らかくてまな板には向いていないだろうに、なぜ? そこでしかたなく、またホームセンターで適当な厚みと幅、長さの板を見つけて来ようと考えていたのだが、T屋さんが余分にあるから一枚あげるというので、素直にいただいてきた。大工のN島さんの作である。
 そのまな板で切ってみると、おお、サクサクきれいに切れるではありませんか。
 弘法は筆を選びませんが、下手ほど道具を選ぶべし、包丁もまな板もきちんとしたものを使わないと蕎麦も切れないという、単純原理を再確認したのでした。蕎麦も、これくらいの出来だったらよそ様に上げてもいいかなと思う出来。
 ただし、ソバ粉への皮の混入が多すぎて色黒なので、もう少し篩い方を替えてみるか、それとも何とか皮むきする方策を考えなければ。

 忘れていた。明日は県内の同人誌の団体の役員会。もう幾日か忘れたままだったら無断欠席していたところだった。
 しかし、行けば行ったで何か言いたくなってしまうし、行かない方がいいような気もする。行っても、発言を控えて黙っていよう。何かいえば、それじゃおまえがやってみろとか、薮で蛇を突く感じがするので。
 いずれにしてもただの親睦団体であるとしたらいつまでもいる必要はないのだけど。