2009年11月30日月曜日

 ウェブサイトのファイルにあたらしいデータを書き加えて保存したつもりが、なぜかINDEXファイルが上書きされてしまい、しかもそれを知らずにアップロードしてしまったので、かんじんのファイルが消えてしまいました。
 バックアップファイルを探したら一年前のものしかなく、要するに今年一年分のデータを書き足さなければならなくなりました。そんな気力、ありませんので当面放置します。ウァーン・゚・(ノД`)ヽ(゚Д゚ )ナクナ

2009年11月28日土曜日

発見

 あれ~、Myspaceのこのページ。何度も見に来ているはずだが、右に試聴できる曲が6曲並んでいて驚いた。気がつかなかったのか、最近試聴できるようになったのか。Boris Vianの「La Rue Watt」以外の曲はすべて初めて聴くことが出来た曲。早速iTune→iPodへ。彼女の曲やCDがなかなか検索にかからないと思ったら、レーベルがインディーズだからか。CDが一枚ン百円でアメリカから入手できたのも、インディーズゆえの在庫一掃処分だったのか。
 4曲は「Annick Cisaruk Chante Barbara」から、「La Rue Watt」は「Annick Cisaruk」というCDから、もう一曲は「Camille c」というCDから。「Camille c」というCDは初耳。Camille cというのはどうやらカミーユ・クローデルのことらしい。

2009年11月27日金曜日

ボリューム・コントロール

 最近、録音ソフトで録音したファイルを再生していて、どうも音が割れているような気がした。
 パソコンのボリューム・コントロールの設定が制御できていない。そしたら、録音ソフト自体にも録音のコントロールというパネルがあった。それでその設定も生きていることが判ったのでそちらを低めに調整し、パソコンのボリューム・コントロールを優先するようにした。このソフトを使い始めた頃はパソコンのボリューム・コントロールだけでうまくコントロールできていたはずだったので、多分、この設定でいいのだろう。
 音が割れているPoete & chansonsシリーズのうちの10曲ほどを録音しなおしてみた。OK.
 それから、「Blood money」というCDのなかでトム・ウェイツが「 A good man is hard to find」を歌っているのが判ったので聴いた。ほかに7曲。トム・ウェイツの曲がますます増えてゆく。


2009年11月25日水曜日

昨夜の続きで

 Colombe Frézinという歌手を検索した結果、Poetes & chansonsシリーズの中だけでもシャルル・クロスの「くんせいニシン」(!!)のほか2曲、マックス・ジャコブの曲3曲、アルチュール・ランボー2曲、ロベール・デスノス2曲、ジャン・コクトー1曲、ヴィクトル・ユゴー1曲、ジャン・リシュパン1曲を唄っていた。
 ほかにCaliseという歌手が唄っている曲を6曲。

 マックス・ジャコブについて少し検索。

2009年11月24日火曜日

詩には散文的背骨、散文には詩的背骨が無いとつまらないのだな

 今日は、家人の運転手でまた和田峠越え。昨年のこと思い出し、タイヤをスタッドレスにはき替えて出発したが、今回は降雪無し。
 会場の隅の席に座らせてもらったが、講演があまりに散漫で眠くなってしまった。それにしてもこういう会場に若者の姿が見えなくなって久しい。
 懇親会には出席しなかったので、18時には帰宅。

 またPoete & Chansonsシリーズの「Arthur Rimbaud」20曲を聴く。その8曲目、「 L'etoile a pleure rose」が気に入ったので繰り返し聴く。歌い手はColombe Frézin。どんなひとなのか少し検索。
 お、このシリーズを出している会社のウェブサイトを発見。Poete & Chansonsシリーズの全容が判明したのだが、何と、ピエール・マッコルランまであるのには驚きました。でも試聴サイトには見当たらず、残念。

 今日も自分の日ではなかったような散漫な一日だったが、詩には散文的背骨、散文には詩的背骨が無いとつまらないのだな、となぜかしみじみ思った。(と書いている本人自身が意味不明......)
 

2009年11月22日日曜日

言葉に対するテンションがプツン

 どうも集中できない。他のことになると偏執と言っていいくらい集中してしまうのに。
 私小説的リアリズムも眉唾だが、虚構にも眉唾。どうも身が入らないのはそういうことらしいが、重症、いや重病である。
 私のなかで言葉に対するテンションがプツンと切れてしまったような。いや言葉の向こうに居たはずの人間への関心が失せたといった方が正確か。




 昨夕、暗くなってから家の入り口でドドドドドとエンジン音がしたと思ったら、代休を取った長男が途中遊びながら帰ってきたらしい。また前触れなしである。
 仕方なく、今夜は彼に初めての新ソバを食べさせるべく、蕎麦打ち。といっても十割やオヤマボクチのつなぎは嫌がるので、普通に二八ということで時間はかからない。道具の準備や後片付けの時間をのぞけば、蕎麦打ちそのものは急がずに打っても40分か45分くらい。水回しをしているとかすかに緑色をしていて、新ソバを実感できるのだけれど、茹で上がりは緑色を感じるところまではいかない。駒板を使って切るのもだいぶ慣れてきて以前よりきれいに切れるようになってきた。
 先日、スーパーマーケットで購入した見切り品のワサビを冷凍しておいたものを数センチおろしてみた。下ろし金の細かい方で下ろしたら、生を下ろしたのと辛味、風味はほとんど変わらない。しまった。5~6本あったので、買占めておけばよかった。

091121sobakiri.jpg

 もう少しでひと様に食べていただけるだけの蕎麦になりそう。
 いよいよ、あとは十割とオヤマボクチ蕎麦か。
 このところソバ栽培を今年始めたひとふたりと話す機会があったが、ふたりとも二八を打たずにいきなり十割蕎麦を打ちたいというのに唖然。まあ、粉がいい粉だったら打てないこともありませんし、お好きにどうぞ。


2009年11月21日土曜日

頼もしい相棒

 いよいよ家庭菜園も大根、人参、ネギ、野沢菜、白菜を収穫して終了となり、空いた場所を耕運するだけとなり、午後ちょっと時間が出来たので、パイプ製の小さな小屋から耕運機を引っ張り出して耕運しようとしたら、何と、エンジンはかかって動くのだが、耕運するためのロータリーが回転しない。
 回転をONとOFF切り替えるレバーを動かしても切り替えが作動しないのか、それを確認するためには上部についているカバーを外す必要があるのだが、これが車付属のスパナでは緩む気配がない。家から工具一式を持ってきて、ようやくネジ4本を外し、見れば何と油と土埃で固まっていて切り替えが作動しないのでスプレー式の汚れ落しを噴射して清掃。ようやく切り替えレバーが動作するようになった。こんな場所は初めてメンテナンスしたくらいなので、中古で購入して二十年近くの、積年の汚れであった。
 それにしても、ディーゼル・エンジンというのは故障知らずだとは言われているものの、いくら使用頻度が少ないにしても、よくも壊れないものと感心する。8馬力で力もあり、私の道楽に文句も言わず付き合ってくれる頼もしい相棒なので、もっと大事にメンテナンスしなくてはいけない。
 ロータリーの刃がだいぶ痩せて来ているので来年当たりは交換した方がいいかもしれない。


2009年11月20日金曜日

しつこいようですが

 やはり、Le tziganeはPia Colomboに限ります。


 
 
 あれ? そのPia ColomboがLe métèqueを唄っているではありませんか。
 Le métèqueといえばGeorges Moustakiの歌ですが、Pia ColomboのLe métèqueは、「その男ゾルバ」を連想するチターらしき弦の伴奏が実に素敵ではありませんか。
 You Tubeで検索してみましたが、ありませんでした。
 

2009年11月19日木曜日

秋冬いっしょ

 ねずみ大根の産地である坂城町で辛味大根フォーラムが開催されたというローカル・ニュースが流れていた。
 昨日、「ねずみ大根」と「からいね大根」を収穫して、葉を少し残して切り落としたのを乾燥させておいた。それを今日、発泡スチロールの箱に入れて一階部分がブロック積みの倉庫内に保管した。「ねずみ大根」は種をいただいたのがやや遅かったので、だいぶ小ぶりだが、辛味大根を楽しむのは自分ひとりだけなのでかえってこの方が使い勝手がよさそうだ。
 ワサビとともにソバの薬味に欠かせない。そういえば、やはり昨日、母親の運転手でスーパーマーケットに行ったが、売れないワサビが199円に値下げされていたので一本買ってしまった。しかもそれを真空パック用の袋に密封して冷凍庫に入れてみた。ソバを打った時に少しずつ摩り下ろしてみたらどうであろうという実験。

091118niwamomiji.jpg
 例年、あまりきれいに紅葉せずに落ちてしまうわが家の庭のモミジが、今年はまずまずの色合い。真っ赤にはならず、緑、黄色、赤と混在している。あと一週間もしないうちに枝だけになってしまう。

 その一方で、夕方になって雲が晴れたら浅間山はすっかり冬景色。冬は寒いだけなので嫌いです。
091118asamayugure.jpg


 10月末に案内があったウイルス・バスター2010だが、そろそろいいかと思ってヴァージョン・アップした。
 2009より速いとか軽いとか書かれていたが、パソコンのスペックが低いせいか、実感はない。しかし、自分が設置した同人誌の掲示板CGIに入れなくなってしまった。調べてみると、2010のセキュリティの有害サイト規制にひっかかってしまったらしい。パスワードで同人以外は入れないようにしてあるのが有害(=いけない)のか? 掲示板のURLを規制から外すように登録すればいいのだが、この頃は英語サイトを彷徨して歩くことが多いので有害サイト規制自体が足枷になるかもしれず、思い切って無効にした。

2009年11月17日火曜日

ソバ栽培最強最大の敵

ソバにはアレロパシー(Allelopathy)といって、ある植物が他の植物の生長を抑える物質(アレロケミカル)を放出したり、あるいは動物や微生物を防いだり、あるいは引き寄せたりする効果があり、雑草があまり生えないと聞いていたのだが、三年前にソバ栽培を始めてからずっと、とある草に悩まされている。
 その草はこれ。
hakidamegiku.jpg

 他の草は発生を抑えられているようだが、このハキダメギクだけはアレロパシーがまったく効かないでぞくぞくと生える。ソバとハキダメギクだけが生えている状況になるが、ハキダメギク、結構草丈も長く、分枝力も旺盛で、どちらかといえばソバが負けるくらい。
 ソバを播いた畦の間は管理機で耕運して発芽したものを除草すればいいのだが、ソバが生えている部分は管理機でかき回せないのでそのままにしておいたら、それがソバと同じくらい伸びてしまった。これではソバの生育の邪魔になり、収量も減る。
 結局、管理機のロータリーを土を跳ね上げる式の刃に替え、ソバの周囲に生えたハキダメギクに土をかけてしまうという方法しか考え付かない。
 ハキダメギクはソバ栽培最強最大の敵である。掃き溜めの菊というその名前は、牧野富太郎博士が不意に問われ、掃き溜めに生えていたその印象そのままに瞬間的に応えて命名されたらしい。

2009年11月16日月曜日

シビアでハード・ボイルドな小説

 今日は朝から町内で維持管理している小さな神社の注連縄作りに参加し、引き続いて慰労会。夜は毎月15日恒例の赤提灯へ。一日2回の酒席はちょっと疲れる。
 帰宅後、酩酊したまま、またトム・ウェイツの3枚組みCDの2枚め、20曲を聴きながらiTuneに取り込む。
 これらの曲を遠い背景に流しながら、フラナリ・オコナーの短編のようにシビアでハード・ボイルドな小説を書けたらいいのだけど。
 狼が野太く吼えているような歌声から英語の歌詞を聞き取るのは困難なので、英語の歌詞を検索して曲順に並べて印刷しようと思ってる。なぜか、著作権管理にきびしい日本と違って、英語圏では歌の題名にLyricと付記して検索するとすぐに見つかるので、それをコピー・ペーストし、印刷すれば簡単にできてしまう。
 たとえば昨日のHouse Where Nobody Lives

2009年11月15日日曜日

ドラ声が嫌いじゃないひと(?)へ


 思わずプッと噴きだしてしまうようなトム・ウェイツの悪声、ダミ声、ドラ声、嫌いじゃないひとは少ないだろうけど......。
 ひょっとしてこの歌の「House」も神の家とか教会? それともただの誰も住まない空き家?





2009年11月14日土曜日

無論、語り手=主人公は死者

 ノラ・ジョーンズが新しいアルバムを出したという新聞記事を見て、例の海外の試聴サイトに行ってみたが、13曲入りのアルバムはまだアップされていなくて11/16まで待てという表示。あと3日待てばいいので、試聴出来るシングル曲の2曲だけを聴いた。そのまま帰るのはもったいないので、彼女がそのアルバムを作るにあたってイメージしたというトム・ウェイツのMule variationsというアルバムを試聴した。その1曲目は「Big in japan」というアブストラクトな曲。3曲目には私の好きな「Hold On」、そして5曲目の「House where nobody lives」と、13曲目の「Georgia lee」、15曲目の「Take it with me」というバラードが耳にとまって何回も反復して聴いてしまった。
 世をすねたドラ声の狼が吼えているような、けれども美しいメロディのトム・ウェイツの、この上なくアンビヴァレンツなバラード。
 彼の曲を全曲iPodに入れようかとさえ思った。
 一瞬、トム・ウェイツって、音楽の世界に生まれ変わったブコウスキーみたいと思ったが、時間的に二人の誕生と死が整合しない。

 「House where nobody lives」
 「誰も棲んでいない家」。
 一瞬、そういう題名の小説が書けるような気がした。
 そう、無論、語り手=主人公は死者だ。

 あれ、16曲目の「Come on up to the house」もずいぶん楽しい曲ではありませんか。「Come on a my house」じゃなくて「Come on up to the house」って、どう訳したらいいんでしょう?

��youTubeにありました)



 

それじゃ困るんです

 昨夜から今朝まで12時間以上ネットに接続できない状況が続き、その後も途切れることがあった。あまりに長かったので、NTTとプロバイダの障害情報を見たが、何も書かれていない。こういう場合、インターネットのどこで切れていたのかまったく判らないので、困ったものです。長い停電と同じでつながるまでじっと受身で待つほかありませんが。

 7&Yから今日入荷というメールが着信していたので、10時以降7イレブンに行って季刊文科46を購入して来た。首都圏の書店でも見つからないということなので、田舎の書店にあるはずもなく、10日の夜に注文して13日に届いたのはネット書店の恩恵である。速いのはAmazonだが、こちらは1500円以内は送料が必要なので、1500円以内の時やあまり急がない時は7&Yを使う。
 それで早速、〈同人雑誌の現場から〉という欄に掲載されている「文芸同人誌案内」のひわきさんの「同人誌内循環」という文章を読ませていただいた。他の二つの同人誌の主宰や編集人の方の文章も併せて読んだ。それぞれの視点で書かれており、同じ同人誌の埒内に立つ者としてはどの文章にもうなづけてしまう。
 どうもしかし、いつからこんなに商業誌に書くひとと同人誌に書くひとの間に垣根が出来てしまったのだろう。以前は、プロもアマも文学という名のひとつの地続きの場に立っていたような気がするのだけど。今はこんなに遠く分け隔てられているんですね。で、どちらの出来事も他人事? それじゃ困るんです。



2009年11月13日金曜日

~~しなくっちゃ

 「寒くなってきたからそろそろ人参を採らなくっちゃ」と老母がいうから自分が採りに行くのかと思うと、そうではない。動く気配はまったくない。
 わが家の場合、これは一種の命令文である。
 解りやすく「そろそろ秋も終わりなので人参を収穫しなさい」とか「お願いだから人参を収穫してきてね」というのだったら判りやすいが、そうではなく、どこまでも「そろそろ人参を採らなくっちゃ」という自分に言っているのか誰に言っているのか不明な文言である。
 なぜか、こういう言い方をわが家の二人がする。決して私に命令もお願いもしない。「~~しなくっちゃ」なのである。

091112ninjin.jpg

 で、気の弱いわたしは仕方なく仕事を放り出して一時間ほど人参の抜き取り。いつもは右のコンテナに入っている五寸人参だけなのだが、今年は味が良いといわれる左の「スーパー尺人参」という種類を1袋、初めて播いてみた。つまり播種量が倍なので、収量も倍。コンテナ4つ分。こんなに要らないので、また、あちこち配って歩かないと......(ーー;)。



2009年11月11日水曜日

おっかない(怖い)目をしたひと

 同人誌「胡壷・KOKO」を発行しながらウェブサイト「文芸同人誌案内」を運営されているひわきさんが、「季刊文科46号」に「同人誌内循環」という文章を書かれたというので、地元の書店に入ってみたが、無かった。かつて版元が近くにあったときには必ず置いてあったのだったが、今はどうも注文しないと入手できない模様。しかし、こういう時代なので書店に頼むよりネットで注文した方が早い。しかも7イレブンだったら送料の負担なしで、数日のうちに着く。ということで、速攻でオーダー。かつてはそれでも書店を大事にと思っていたのだけど、書店に勤めているお譲様たちの余りの知識の無さに閉口し、以後はネットで本を買うことに躊躇しなくなった。単に本という物を買うだけだったら、AMAZONや7&Yの方が即物的にずっと優れている、悲しいけれど。




 Tさんの認知症の奥さんは私が行くとニコニコして「こんな可愛い目をした人はどこにもいない」という。言いながら顔を動かし、自分の旦那さんに向かってはこういう。「おっかない(怖い)目をしてる」と。自営の仕事をしながら認知症の奥さんの世話をし、炊事、洗濯、掃除、家事全般をこなしている、頭が下がるTさんなのだが、奥さんの目にはそういう風に見える。おそらく、どういう場面でか怒ったことがあったのだろう。以来、「おっかない(怖い)目をしたひと」になってしまったのだ。
 私がTさんとしゃべっていると奥さんが言う。
「euripidesさん、それだけしゃべれれば大丈夫だ」 
「家でおしゃべりでうるさいって言われてます」
「euripidesさんは何の歌が好き?」
「石原裕次郎の赤いハンカチ」
 なぜか、混乱してはいけないと思ってずっと「石原裕次郎の赤いハンカチ」と繰り返している。たまには変えた方がいいのだろうか。


2009年11月9日月曜日

見なければよかった?

 Google Mapのストリートビューで、気にかかっていたパリのワット通りを見て、涙が出てしまった。
 ボリス・ヴィアンがレーモン・クノーと歩いたLa Rue Watt(ワット通り)のことを書いた詩がシャンソンになっているのだが、そのワット通りの現在は、まるで上部を高速道路に覆われたかつての旧甲州街道さながらで、高速道路の工事中なのだった。
 これではまるで、似て非なる惑星ソラリスの光景ではありませんか。
 見なければよかった?
 いや、当時からコンクリートむき出しの通りだったのかもしれない。
 そう考えれば泣かずに済む、よ、ね。

2009年11月8日日曜日

ようやくスタート地点

 緯度や標高などについて検索しているうちに、こんな面白いページに迷い込んでしまった。google map上でクリックするとその場所の標高が判ったり、地図上の道路をたどってゆくと二つの地点の距離が判ったり、いろいろ便利。後者は通勤手当の申請に必要な距離計算が実際に走ってみなくても地図上で出来る。使えなかったのは「あなたが今いる場所を当ててみます」。これは県庁所在地が表示されてしまった。IPアドレスではんだんしているらしく、必ずしも正確に把握できないようだ。ほかにも日常生活で使えそうなアイテムがかなりあるので「お気に入り」に加えてておいた。




 Tさんにソバの製粉を40kgも頼まれてしまったので、午後、とりあえず20kgを製粉した。磨きから製粉、そして1kgずつ計量してガス(酸素、空気など)を通さないガゼット袋に入れ、脱酸素剤を入れてシールをするまでに3時間かかった。何とも厄介な作業である。ただし、ここまできちんとして冷凍保存しておけば、来年の真夏でも風味を失わない蕎麦を打てるので仕方ない。
 昨年の粉が、磨きが足りなかったのと粗挽きを混ぜたせいでつながりが悪かったのを反省し、磨きは十分にし、篩いも80目(約64メッシュ)より粗いものは混ぜないことにした。昨年は、微粉は風味が薄く、粗挽きの方が風味があると思い込んで粗挽きを混ぜたのだったが、どうも粉が細かい、粗い、それで風味が薄い、濃いというのではないのではないかと思いはじめた。微粉になりやすい玄ソバの中心はもともと風味が薄く、甘皮の部分は風味が強いが微粉になりにくい。つまり一番粉、二番粉と篩ってなお粗く残っているのは風味が強い甘皮の部分が多いので、それで粗挽きが美味いということになる。ただしこの甘皮は小麦のフスマ同様、粉になりにくい。ことに個人の石臼や製粉機で甘皮を微粉にするのは難しいのだが、少し頑張って甘皮が64メッシュを通るまで反復して臼にかけてみた。それでも篩い残るものがあるが、それはオヤマボクチ蕎麦のときに混ぜて使えばいいので別の袋に保存する。
 そうやって甘皮を挽き込んだソバ粉で先日打った蕎麦は、粗挽きを混ぜなかったので良くつながったし、風味もよかった。
 やはり、「粗挽きだから風味がある」のではなく、「甘皮だから風味がある」、「甘皮だから簡単に細かくは挽けない」のであった。
 三年目にしてようやくスタート地点に立った感じ。製粉会社に依頼した一年目の粉は微粉でよくつながったが風味がまるでなかった。あれは多分、甘皮の部分を挽き込んでくれず、一番粉、二番粉中心の粉だったのかもしれない。

2009年11月4日水曜日

おお寒い

091103asamahatsukansetsu.jpg

 浅間山初冠雪。午前中は雲に阻まれて撮影できず、この写真は午後。見ているだけで、おお寒い。
 菜園に見回りに行ってみたら、落花生とヤーコンの葉が凍みて萎れていた。




091103nezumidaikon.jpg 地主のBさんからいただいて播いた「ねずみ大根」、播種時期が遅かったのであまり大きくなっていないし、お尻がねずみ大根特有のふくらみになっていない。あるいは純粋なねずみ大根の種ではなかったのかもしれない。
 だが、蕎麦の薬味にするほどに辛ければ、小さい方が一度に使い切りとなってかえって重宝である。




 要するに、今の日本の状況を描写提示できるだけの人物、主人公をイメージできない。
 しかも、笑えることに、男を主人公にしたとたんに、そこへ多かれ少なかれ自分の影が投影されてしまう理不尽に自己撞着してしまう。その自己撞着を回避するためには、主人公を自分からもっとも遠く離れた存在である女性にする必要がある。
 ということで、チエーホフのカーチャなどをイメージしたりしているのだけど、それがどうしても軽く浅く影の薄い存在になってしまうのでうんざり。やはり、ヴィアンのウルフとか、ホフマンスタールのチャンドス卿とか、ビュヒナのレンツとか、男の主人公で書くべきなのか?
 こんな、何とも厄介で面倒な手続きを経なければ小説が書けないなんて、やっぱり物書きに向いていないのだろうと類推せざるを得ず。
 おお寒い、ぶるぶるじゃよ。





2009年11月3日火曜日

「彼」や「彼女」の背中

091102kouen.jpg 091102rhubarb.jpg
 わが家の菜園の隣の公園とrhubarb。
 一眼レフを持っていってみたが、あまりいい写真は撮れない。
 いよいよ明日の朝は零度以下に下がるらしいが、旱魃の影響で大根、野沢菜の生育が遅れているので、あと半月ほどは温かい日が続いてほしい。




 今夕は収穫祝いを兼ねた新ソバ会。何のことはない、私にソバを打たせておけば自分が楽という、ただそれだけの理由。
 自分だけではないのでオヤマボクチ蕎麦はやめて、普通に二八。60メッシュを通ったものだけで粗挽きを混ぜていないので十割でも十分いけると思うが、それもまた自分だけの時の楽しみにとっておこう。

091102sobauchi.jpg 091102sobakakudai.jpg

 そば殻の抜き方など少しは上手になって来たか、蕎麦の見た目自体が劇的にきれいになった。味も家人ふたりが文句も言わずに残さず食べたので合格だろう。
 あの篩い残った甘皮を徹底的に挽いた粉、さてどう使ったらよいのか。あれをすべて60メッシュを通るほど細かく挽いて混ぜたらいいのだけど。 




 やはりシャンスラードとミナの小説の方が落ち着きがいい。
 一人の人間の背中に張り付くにしても、その背中が一人称か三人称かで、ずいぶん変わる。「春その他の季節」では「あたし」や「私」の背中に張り付かせられるのだが、どうも居心地が悪い。
 「彼」や「彼女」の背中の方がいいのはどうしてだろう。
 
 今夜のPoetes & chansonsはRobert Desnosの19曲。

2009年11月2日月曜日

ひとりの人間の背中に張りついた小説

 温泉行きやら雨降りで山積していた仕事がようやく片付き、本日の午後は玄ソバ20kgの製粉作業。
 その結果、1番粉4,0kg、2番粉4,2kg、3番粉6kg=14,2kg。これで歩留まり71%。その他に64メッシュの篩いを通らないソバ殻や甘皮の砕けたものが3,6kg。歩留まりから考えても3番粉までとしておくべきであろうが、この粗い4番粉をなめてみると、そばの風味が強く、また蕎麦掻きのようなねっとりした感触もあり、捨てるに惜しいような気がして、更に反復して臼にかけたりふるいに掛けたりして出来たのが2,5kgの4番粉。
 粉を生のままなめてみると、そばの風味、甘み、ねっとり感が抜群である。捨てるのは惜しい。先ずは蕎麦掻きにして味見してみよう。

091101sobakohikaku1.jpg 091101sobakohikaku2.jpg
(左の写真の左の袋が60メッシュを通った1番から3番粉を混合した普通のソバ粉。右の袋は甘皮などを更に根気良く臼に掛け、篩ったもの。こちらの方が色が白くなく、ソバ殻の星も多い。右の写真は左の写真の一部を拡大したもの)

 いずれにしても、この4番粉を混ぜるとソバのつながりが悪くなる可能性があるので、自分用専用の秘密の粉にしておいて、オヤマボクチ蕎麦にするときに混ぜたらいいのではないか。
 ソバ殻とサナコ3,3kgで合計20kg。これで、自家製粉の手順もまずまず呑みこめた。


 いよいよ気温が下がってきたせいか、rhubarbがいよいよ赤味を増してきた。やはり、6月初めに一度収穫したら、消耗する8月9月は収穫せず、11月、霜が降りる直前に収穫すべきかもしれない。いずれにしても常温でも出来るだけ赤い株を探すのが肝心。来春播種用に更にまた海外の種苗会社へ10袋追加注文してしまった。これで同じ会社へ5回目の注文、ほぼ狂っています。
 これまでの経験から、もっとも有望と思える品種でさえ、300の種から1~3本くらいしか残せる株が無い。
 (お、22.32に発送しましたというメールが着信。日曜日なのに、すごい)

 あいかわらず、ル・クレジオと丸山健二のエクリチュール。
 前者の「春その他の季節」は、「海を見たことがなかった少年」の世界に通じている。こういうひとりの人間の背中に張りついた小説でいいのだと思うようになって来た。
 

2009年11月1日日曜日

旧式

 野暮用や雨降りに阻まれてまだ出来なかった自家用水田の脱穀を、昨日の午後からようやく開始。

091030inedakkoku.jpg

 親戚からタダでいただいてきたが、キャブレターやらエンジン調整とパンクした左タイヤの交換(タイヤ1本で19,000円は高い!!)などで結局は5万何がしかの修理代をかけた自走式脱穀機を使って、家族3人だけでのんびり脱穀したので一日半かかった。
 それにしても、コンバインでの収穫が年々増えて、天日で乾燥させて脱穀という旧式な方法はめっきり減った。まあ、わが家は籾から精米できる自家用精米機があって、自家用分は籾のまま貯蔵していますので、できる間はこのスタイルでいこうと思っていますが。