娼婦の子らしい双子姉妹、「うみみ」と「そらら」が墨東の娼館「百花繚乱」の前に三、四歳で捨てられ、その経営者であるイチおじさんとトミママに拾われてからの十年間(それも1949年からの)を描いている。だからといってコテコテのリアリズム小説ではなく、とんでもなくスラプスティックで、到底ありえないことまで現前させてしまう創作力の実に強い小説だ。
読みはじめてじきに目についたのは、四字熟語の頻出と、句点でバンバン改行してゆく文体だった。
四字熟語の多用もどうやら意識的になされているらしく、句点での改行もこれだけ頻繁なのだから意識的である。その上、センテンスも長い。これは主人公のひとりである「うみみ」の語り言葉であることも関係している。
たとえば57頁上段5行目、「手をつないで吹き抜けホールの......」から7行と一字が続き、句点で改行して字下げ、「あたしたちはそろって笑顔になって、」で、また句点改行し、「ありがとぉ」という会話が入ったかと思うと、「トミママに教え込まれた、笑顔は天下無双、双子なら倍増計画、」ここでまた句点改行、さらに「舌足らずにくり返す「チョコ、だぁいすき、ありがとぉ」
「トミママがおねえさんたちに、若いうちは甘ったれ口調も効果覿面と教えているのをまねするのだ。
と、ここでようやく読点にお目にかかることができる。その間、何と16行。それでいて読みにくくないのは、句点でバンバン改行し、さらにふたつ三つ連続してまるで泥濘の庭に置かれた踏み石を思わせる四字熟語を、ポンポンポンと跳んで一気に駆け抜けさせるような文体だからだ。
どうもしかし、句点改行の改行マークを削除して、会話のカギカッコも削除して、ベタで、読点があるところまで延々読み続けて行っても、案外すらすら読めるのではないか。
��などと考えていたら、昔読んだ野坂昭如のへらへら長いセンテンスの小説を思い出した。彼が現代の女性に生まれ変わったら、こんな小説をぐいぐい書いたかもしれないなどと、どこまでも好き勝手な妄想が走り出す)
��9頁下段、11行目。
トミママは動じず、あたしとそららの手をとって、階段をあがる。
そんな風に、酒池肉林の社交クラブ百花繚乱であたしとそららは、(句点改行)
昼夜兼行の日日成長、体は自給自足で六、七歳になって、頭のなかは時期尚早の十一、二歳になった。
最初の一行はうみみとそららが「三、四歳というところだね」の頃のことだが、次の二行で何と体が六、七歳、頭が十一、二歳になっている。たった数行の間にである。
作者にとって、この作品では句点改行と四字熟語がすごい武器になっているのである。しかも、「体は自給自足で六、七歳になって、頭のなかは時期尚早の十一、二歳」なんて、娼館の女の子たちの成長を象徴的に表現していて、実に憎いくらい巧い。
ほかに、
��3頁2行目 「......、あたしとそららも強迫観念のラムネの日日がつづいた」
��4頁最終行 「......、ひつしかない椅子は主客転倒して」
など、ただの言葉遊びや語呂合わせではなく、新しい意味やポエジーまで感じさせるするような四字熟語も見受けられる。
それから娼婦ユリリの常連であるブライハ(無頼派)という作家から、坂口安吾の「街はふるさと」という未完の小説を思い出させられた。この作品の登場人物たちの優しさと「街はふるさと」の人物たちのやさしさが同じなのである。いわば底辺に生きるひとたちの無碍なやさしさ。これは「百花繚乱 呵呵大笑」を支える魅力である。
また、小さい女芸人たちが百花繚乱でショーをする場面などは、映画「フリークス」を思い出させてくれるし、うみみとそららが新人娼婦たちを守るためにベッドの下に潜んでいて、性質の悪い客から娼婦を守るためにその尻に噛み付く場面など、体を張ったドタバタをそのままスラップスティックに描いて笑えもした。(ブコウスキーの「パルプ」なんかを思い出したりして)
同様に、ヒモにビール瓶で殴られたチヨヨのためにヒモを退治に行ったみみ、そらら、トミママだったが、うっかりトミママの下になったままのヒモが翌朝に圧死していて、その死体を片付けるためにスミッコが知り合いのゴミ屋のじいさんに処理を頼むことになる。そのゴミ屋のじいさんは耳が聞こえなくて、字が読めないし、書けない。しかも死体で遊ぶというネクロフィリアでもあるから、ますますブコウスキー張りであるし、その死体の片付け方がまたすごい。
��9頁下段
トミママがきっぱりいって、スミッコの全身通訳に、おじいさんはうなづくと、
床に置いた背負いカゴをひっくり返し、大量のゴミを放り出してから、ヒモ男の硬直死体を引き寄せて、くるりと返して背中を上にすると、腰を片足にのせ、腕と足をつかんで、
ばっきん、と二つ折り、
「わっ!」「ええっ?」チヨミとミキミキがびっくりすると、
「背中とお尻がくっつく形じゃないとカゴに入らないんだよ」とスミッコが説明して、
おじいさんは両腕を背中側にばきっ、ばきっ、
膝もばきっ、ばきっ、と足先がお尻にくっつくように折り曲げて、......(以下省略・まだ8行続きます)。
この場面も実に即物的でスラップスティックな描写というか、うみみの語り。
そう、語りだから厳密には描写ではないのですが、こういう虚構世界を語る=騙るためにはこういう語りの文体はかなり強力です。
やがて甘いものばかり食べ続けたトミママは部屋から出られないほど肥満してしまうが、このトミママの甘いものばかり食べるのはやはり欲求不満の解消ではなかったかと思われます。イチおじさんが百花繚乱から始まって大歓楽ビル群を経営するようになったことで、トミママは足りない何かを埋めるかのように甘いものを食べ続けたのでした。
そしてトミママが死んだ。しかも死んだ娼婦の赤ん坊を自分の性器のなかに入れるように指示してから。娼婦たちがたくさん集まってトミママを崇め、唄う。その唄がまたいいのだが、それは実際に読んでいただいた方がいいので引用しません。
快作であり、読むひとによっては怪作でもありうる小説だが、こういう小説を書けるひとはそうはいない。
よくもこのような一筋縄ではいかない小説を書かれたものと、感心いたしました。
書く人・読み人ネットで、Lydwine.さんの批評とともに、興味深く拝読いたしました。
返信削除さっそくの反響、推薦者としても嬉しく思います。どうもありがとうございました。
いえいえ、Lydwine.さんの緻密な批評に比べると、私のは大雑把で乱暴で恣意的でいけません。私のはあまり気にしないで下さいと佐久間さんにお伝え下さい。
返信削除今後も、われわれの目が届かない関西のすごい書き手をご紹介いただければ幸いです。