2008年9月26日金曜日

がんばってくれているソバ

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 雨降りが多く、今日は突風のようなものも吹いて心配だったが、倒伏の様子は前回と変わりなく、最初に倒伏した東側の3列だけにとどまっている。運転中に目にするどこのソバよりも丈が長いのだが、よく倒れないでがんばってくれていると感心。やはり畝間を広くとったのがよかった。


2008年9月25日木曜日

気色悪い

 今夜も、、iPodで軽快な音楽を流しながら、30分間、速歩で妻を尾行(ウォーキング)し、帰宅後にソバ粉二匙をお湯に溶いて飲んだ。

 同人誌の39号に掲載した翻訳になぜかアクセスが重なって、気色悪いのでHTML、PDF両ファイルをいったんサーバー上から削除。

 脱酸素剤対応のマチ付きのガゼット袋を、小口で10枚単位、100枚単位で販売している通販サイトをようやく発見し、テスト用に100枚と脱酸素剤10個入れを10個注文。普通のポリ袋では酸素などはある程度通してしまうらしいので、脱酸素剤対応の袋でないと効果が無いのだという。
 やれやれ、これで、一応、自家製の混ぜ物無しのソバ粉を、脱酸素剤入り真空パックという形で保存できる。




2008年9月24日水曜日

道を間違えた

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 春に芽を挿しておいて根が出たので畑に植えておいたら、こんな風に大きくなったので鉢植えにして庭へ。5鉢くらいはよそに上げた。
 やはりこういうことの方が性に合っているようだ。





備忘;
 病人、いよいよ衰弱。モルヒネ使用開始。
 

2008年9月22日月曜日

誰が最初に唄った?

 妻の、夜の短時間ハイスピード・ウォーキングに同道するのにiPodが欠かせなくなった。iPodで音楽を聴きながらだったら、歩くのがまったく苦痛ではない。
 今夜はまたiPodにNorah Jonesの「Turn On Me」、「My Dear Country」など5曲を入れた。「Bessie Smith」という題名の曲があり、Norah Jonesが唄っているものがあり、これもiPodに同期した。
 検索してみると、この「Bessie Smith」という曲、ボブ・ディランとか複数の歌手が唄っているが、誰が最初に唄ったのだろう? (どうやら、Bob Dylan and The Bandらしい。The Bandのメンバーが作詞している)


see bessieしか聴き取れないのが情けない。



2008年9月21日日曜日

「胡壷 KOKO」第7号

胡壷・KOKO」7号


koko7.jpg 同人の作品として
「鍵(キー)」 桑村勝士
「JUST」 ひわきゆりこ
「レバー」 納富泰子

ほかに‐KOKO・別枠‐として、内外の同人の競作
「帰郷」 井本元義
「爺さん」 磯野ひじき
「アニキ」 鯵沢圭
「資源管理型麻雀」 鰯藤吾朗

筆名のなかの《磯野ひじき》に《鯵》に《鰯》という海がらみの文字に、思わず(^_^;)
北海道の詩人、猫またぎ鯖夫氏をおもいだしてしまいました。

2008年9月20日土曜日

ソバと台風

 昨年9月6日の台風でソバ栽培一年生なのにすべて倒されて、刈り取りに苦労し、その割りに収量が少なかったので、昨夜の台風にビクビクしていたが、雨風ともそう強くは無く安堵。それでも現場まで行ってこの目で確かめないと。

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 どうやら花盛りは先週だったようで、すでに花が実になってきていました。ソバって成長が早い。

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 そうそう、こんなことばかり書いているので私の職業が農業だと思われている方がいましたが、ソバ栽培は家庭菜園同様の趣味・道楽です。田舎では趣味でも結構これくらいの畑にソバを播く人がたくさんいます。
 ソバ畑の向こうに白いシートがかけられているのは、収穫時のプルーンの樹です。収穫時に雨にあたるとプルーンの実にひびが入って割れてしまい商品にはならないからです。
 勧められて、プルーンを4kgくらい自分で収穫し、頂戴してきました。ソバの刈り取り時期まで若い樹ですが2本ほど収穫しないで残しておいてくれるそうです。樹上完熟プルーンです。
 

2008年9月19日金曜日

聴きながら歩く。

 創作は相変わらず迷走気味ながら少し進む。しかし、こんなペースではとても今月末の締め切りには間に合わないだろう。

 夏に亡くなった叔母の家の従兄弟の奥さんが、彼岸に来られないからといって仏壇の父に線香をあげに来てくれた。血圧が降下剤を飲む・飲まないの境界線上にある従兄弟は、毎日一回、ソバ粉をお湯に溶いて飲んでいるという。
 早速真似をしてソバ粉をお湯で溶いて飲んでみた。しばらく続けてみようと思う。

 妻がメタボリック対策に夕食後に歩きたいと言う。そんなこと嫌だが、護衛しなくてはならないので同道。100曲以上入れてあるiPodを胸に入れ、ランダムに再生させてそのリズムに負けず、聴きながら歩く。
 

散文なのに韻を踏んでいたりして

 今夜も夕食時にソバ粉をスプーンで2杯マグカップに入れ、熱湯を注いで溶かして飲んだ。濃い蕎麦湯といった感じでまずくはないので続けられるかもしれない。
 それから今夜も、夕食後に妻と町内の歩道のある道路を猛烈な早足で15分歩いた。

 ちょいと気になることがあって検索したら、欧州版の青空文庫であるProject Gutenberg にJ・ジョイスの「ユリシーズ」が全編アップされているのが判ったので、テキスト版をダウンロードしてファイルを開いてみた。英文がすらすら判読できる訳ではないが、でもすごい。散文なのに韻を踏んでいたりして。

 スペースを含めて4500字。

2008年9月17日水曜日

お知らせ

  このブログの更新を、同人誌の編集が終わる(10月半ば)頃まで、非公開とさせていただきます。
 原稿執筆のためではなく、絶望的に書けないであろうことから、暢気そうにブログなど書いていては申し訳ありませんので。


2008年9月16日火曜日

StaticでHard-boiledな小説?

 ここ数日完全に動きを停止し、難破船と化してしまった下手くそきわまりない創作を、乗り上げてしまった暗礁から脱出させるべく、そのBGMをBillie HolidayでもNina Simoneでもなく、India Alieの「Strange Furuits」に変更しました。(小説を書くのにBGMなんて脳天気なものですが......)
 なぜIndia Alieかというと、Billie HolidayやNina Simoneよりもstatic(静的)でHard-boiledな歌唱だから。
 ストーリーなどどうでもいいではないかとばかりに、過剰な情動は排除して、static(静的)でHard-boiledな描写だけで成立している小説を書きたいと願っているから、あえてIndia Alieなのです。
 小説は「散文」なのですからどこまでも叙情を排し、StaticでHard-boiledな叙事に徹しなければなりません。「叙事」を小説の身の丈に合わせていえば、即ち「描写」。
 その描写も、人間のフィジカルなAction(言動)を外側から描くだけでなく、メンタル(精神)の動きを専ら描写するのであってもいいはずだ。
 19世紀から20世紀中盤までは、小説とは、人間の言動を外から描く叙事であったが、21世紀は人間の精神の動きを内側からStaticかつHard-boiledに描く叙事であってもいいのではないか。というか、われわれにはもはやそういう「精神の運動=ロマン」を描写する方法しか残されていないのではないかと思う。人間の「行為=言動=ストーリー」が「ロマン」であった時代はすでに終わっている。
 そうそう、それから私は、一人称と三人称が=である小説を書きたいのだった。そう、ストーリーだけでなく、人称さえもどうでもいいのです。ストーリーも人称も超えた小説を私は書きたい。それが書けなければ、もう書こうとするのはやめようじゃないかとさえ思う。(とてつもない誇大妄想です)

 書きかけの原稿の題名も変更しましたが、それは発行まで伏せることにした。書いたら完全にネタバレです......。
 これまでに誰かが書いたり、自分が書いて来たのと似たような小説、単なる再生産の小説なんて、書きたくないですよね。そんなものを書くのだったら、書かずにただ生きている方がまし。そう思いませんか。 思わない? そんなら君と話をしない(汗)。



 えーと、もしも更新が途絶えたら、額に鉢巻して、そこに(ローソクじゃない)鉛筆を挿しまくって鬼のような顔でパソコンに向かっているか、小説を書くのを諦めて趣味の菜園に没頭しているかのどちらかだとお思い下さい、ませ。



オヤマボクチの花を見ていると

 連休なので、これまで葉を乾燥し揉んで保存してあったオヤマボクチの、多分これが今年最後の精製作業を、昨夜から二日がかりで決行した。
 昨夜は、わが家にある最大の鍋でも間に合わない量なので、2回に分けてぐつぐつ煮て、今日になってそれを洗って、〇〇して精製。何とも、ガス代と水道料のかさむ作業ではあります。

 乾燥して、後日軽量した結果205gあり、100gずつ2袋真空パックにし、残る5gは前に精製した分と合流させる。
 この夏精製した量を合計すると、10年分くらいはありそう。

 午後になって共同栽培のそば畑を見回り、さらに自家菜園に回って、昨年秋に植えたoyamabokuchiの花を見たり、今年春に植えたwasabiの草むしり。

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 オヤマボクチの花を見ているとルドンの目玉
Redon_eye-balloon.jpg を思い出し、わが眼をえぐったオイディプースを思い出し、バタイユの眼球譚を思い出してしまう。
 昨年の「ルドンの黒」展、見に行かなくて大後悔。せめてカタログくらいはと思い、二男に入手指令メールを入れておいた。来週、ジョン・エヴァレット・ミレイ展を見に行く予定なのでその時買ってくれるという返信あり。二男は昨年実際に「ルドンの黒」展を見ているという。お父さんは裏山鹿。
 (あの~、帰省した時に寝てばかりいないで、そういう話をお父さんとして下さい
 それにしても在庫僅少なので一週間ひやひやして待つことにはなります。

 wasabiは、消えた株、大きく成長した株、消えもせず大きくもならない株の三様に分かれたまま、変化なし。残っている株だけでも来春の茎葉の醤油漬けに十分間に合うだろう。

 

2008年9月14日日曜日

難破船から振り落とされそうになりながら

 今月末が締め切りの原稿を書き始めてまだ数枚というのに、もう暗礁に乗り上げて、難破しそう。(筒井康隆氏のあの実況中継文学を思い出してしまいます、がな......)

 昔、音楽を聴きながら小説を書いてはいけないかと思い、クルト・レーデル指揮・ミュンヘン・プロ・アルテ室内管弦楽団演奏のバッハ「音楽の捧げ物」を聴きながら、ある小説を書いた。
��余談ですが、私のお葬式にはバッハの「音楽の捧げもの」のなかの「王の主題による無限カノン」か「王の主題による各種のカノン」、あるいは「マタイ受難曲」のアリア「Erbarme dich」にしていただきたいと奥様にお願いしてあるのですが、さて、私の願いを理解して下さっておいででしょうか?? 奥様!! )
 また、お酒を飲んで小説を書いてはいけないかと思い、書き始めから「了」に至るまで、毎晩、明日ウイスキーを飲みながら、ある小説を書いた。実に不謹慎であるが、そんなことは実は書いた本人が自白しなければ判らない。

 難破船の上で、今回の締め切りをパスしようかどうしようか、悩んでいるような顔をしながら、実はRadioIOのVocal Jazz、またはReal Jazzをしっかり聴いている、なんだかどこまでも怪しく胡散臭いeuripides君ではあります。

2008年9月12日金曜日

ひとつの綺想として

 昔、二段組の上の段と下の段で、別の視点で別の人物を描いたことがあった。
 今、同じように二段組の上と下で、同一人物を外側からと内側からと同時に描いてみたい、そういう綺想にとらわれたが、今はそんな小説の構想を広げている余裕は無いのでメモするにとどめておこう。
 
 どうにもつまらないことを考えるものだ。
 G・グールドのポリフォニーの影響が大きすぎる。

 存在と世界は、一個の視点では到底捉えきれない。多分もう、固有で単一な物語など成立しえない地点まで、私たちは来てしまっているのだ。。
 可能な限りの、ありとあらゆる視点を動員しなければ存在と世界を表現しえない。
 「私」というひとつで固有の視点からのみ語られた「私小説」が胡散臭いのと同様、三人称の彼であれ、固有名詞であれ、ひとつの固有の視点からのみ語られてゆく物語など、やはり眉に唾を付けずに読むことは出来ない。書き手としても読み手としても、この上なく不幸です。

 まだ題名さえ貰えなかった未生の小説に、『様々な場所にあなたはいて』、あるいは『様々な場所に彼はいて』という名が冠せられ、同人誌の二段組のレイアウトでようやく見開き2頁までイマージュ。ということは、一人称、二人称、三人称jの、その果てには四人称がありうる?
 体裁だけJ・ジョイスの真似して、段落ごとの改行はしても段落内の改行一切無しというのは、無謀ですよ、君。




 市内のY書林から塚本邦雄の「残花遺珠 知られざる名作」という本が出ているのを思い出した。
 特別サイン本は高価なので、そうじゃない普通の版がまだ在庫があるかどうか、メールを入れてみよう。




 詩人のHさんから配偶者に葉書が届き、詩誌のレイアウトやフォントにまで触れて下さり、なおかつ文末に「ご主人によろしく」と、いつものありがたい言葉が記されていた。
 十年か、もっと前に、Hさんとマツタケ山の小屋で宴会をした。マツタケは美味しかったし、お酒もうまかったし、楽しかった。

この白い花を見ると

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 5週間目のソバ畑。とうとうあれだけ広かった畝間もふさがって見えなくなって来た。それにしても長くなりすぎ。

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 この白い花を見るとわくわく。

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 あれ、赤い花が......。





備忘;
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 プーリーが届いて、ようやく製粉機組み立て終了。中古モータを探しておいて自分で組み立てたので、完成品のほぼ半値。種の余りの玄ソバを少し入れて試運転してみたら、思ったより音も静かだし、荒挽きも早い。モーターが規格より出力の大きいのを使ったので心配だったが、大丈夫、壊れはしないようだ。
 思ったとおり、製粉能力が高い機械の方が金臼に熱を持たない。小さな機械で時間をかけてだらだら製粉している方が熱を持つ。熱を持たないよう工夫して挽けば、石臼挽きに決してひけをとらないだろうと思うのだが。

 
篩の規格について

 1メッシュ=1インチ(2,54cm)あたりのふるいの目の数
 1目=1寸(3,03cm)あたりのふるいの目の数
 1目で0,838メッシュ

 20目=16,7メッシュ
 30目=25  メッシュ
 40目=33  メッシュ
 60目=50  メッシュ
 80目=66  メッシュ


 昨年、40目と60目を買ってしまったが、60目では確かに粗かった。粗挽きブームではあるけれど、下手くそには細かいそば粉の方が打ちやすいだろう。
 これを見ると30目と80目が必需品だ。 

2008年9月11日木曜日

ソバ吉パンダ1号

 昨夜、「桃」を読んだ。なるほど、確かに桃が大きな役割を果たしている。
男から女への性的干渉を「単なる果物に過ぎない桃」がみごとに象徴している!!
 ただし、人物が普遍というより個の内側にとどまっている感じがして損をしている。もっとも、この作家はもともと個を内側から書くのが身上なのだから、「桃」だけの問題ではない。作家自身の理念であり、身の置き方であるから、決して否定は出来ない。
 個からどうやって普遍へ通底するか、小説を書く者、皆が悩まされる問題です。単に個を描いただけだったら、コテコテの私小説と何ら変わらない......。
 小説という言語表現形式そのものが、書き手であったり読み手であったりする「私」と「他者」を繋ぐ通底器であったり、交流式の電流であるべきで、そうでない小説は要らない。

 夕方、30cmのアングルの不足分を買いに行ったが、黒の30cmが1本しかなく、やむを得ず、泣く泣く白い塗装のを4本購入してきて、夕食後、組み立てた。(ホームセンターが品揃え豊富なんて嘘です。私が欲しいものは無いものばっかり)
 白黒混じって、これではまるでパンダです。あ、そうか、この製粉機、ソバ吉パンダ1号という名前にしよう。
 それから上部に30cm×60cmに切った板を載せ、電機ドリルで6ヶ所に穴をあけてボルトで固定。実際に製粉機を載せ、モーターのプーリーと製粉機のプーリーが一直線になるように位置を決めてから、製粉機の四隅にある固定用の穴にあわせて板にも穴をあける。そして10mmの太さのボルトで固定。ただしプーリー側にVベルトの鉄製カバーを付けるようになっていて、そのカバー固定用の穴が小さいらしく10mmのボルトが入らない。明日また、8mmくらいのボルトを探してこなければならない。

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 とにかくこれでモーター側のプーリーが届きさえすれば、Vベルトをかけて張りを見ながらモーターを固定し、あとは中央上部に36リットル入りのホッパーを付ければ、それで組み立て完了となる。(それにしても左側のモーターがバカでかくて、重い。リサイクルショップのおやじに、出力750Wでいいものを、たいして変わりないよと相当古いらしい1000Wの新古品を押し付けられてしまった、そのオヒトヨシな結果)
  
 さて。あれからもう一週間過ぎてしまった。明日はまた時間を作ってソバ畑の様子を見に行って来よう。どうも、車を運転中にあちこちで見るソバよりも、自分のソバの方が丈が長いような気がするし、茎に赤味がなく、異様に青々しているのが気にかかっている。昨年の倒伏に懲りて今年は完全に無肥料なのだが、以前耕作していた地主が花を栽培し、後に彼岸桜などの花木を栽培していたというので、どうも残留蓄積していた肥料分が多いのかもしれない。
 どうか、あと一ヶ月ほど、強い雨風に打たれませんように。


2008年9月10日水曜日

空気頭

 夕方、仕事を終えてから、ホームセンターへ材料買出し。
 昨夜、30cm×40cmの紙を用意し、その上に製粉機とモーターを置き、製粉機側のプーリーを設置してVベルトをかけ、ベルトがピンと張った状態にしてみたら、モーターが40cmよりはみ出していた。45cmでもギリギリすぎるようなので、50cmは必要か。ただ、ホームセンターで販売しているアングルは30cm、45cm、60cmで50cmはない。切断すればいいのだが、多少の余裕があってもいいので30cm×60cmで製作することに決定。
 30cmのアングル4本、60cmを4本、ボルト類4種類、移動に楽なようにキャスター4個、モーターに繋ぐ150V、15Aの電線を5mとコンセント一個。スイッチはつけずにコンセントをさしたら電源ONということにする。
 夕食後、アングルの組み立てを始めて?? 四隅の柱となる30cmのアングルが4本足りないではありませんか。台がしっかりするように下にもアングルを入れるのだけど、入れないにしても6本は必要で4本では足りない。この空気頭は、どんな計算をしたのか? 仕方ない、明日、4本買い足そう。
 まだ揃わない唯一の部品である、モーター側のプーリーは、知り合いの農機具店に電話して訊いたところ、在庫は無いが取り寄せできるというので注文。3日ほどで来るという。
 鉄製の台の上に板を張ってそこにモーターと機械を設置する予定だが、板は、近所の木工所を経営していた家からいただいたラワン合板に片面だけ塗装を施した板があり、この方が反りがでないと思うので、これを使用する。

 本来なら書いている時刻に猛烈な睡魔来襲、読み書き、まったく出来ず。この頃、睡眠中、午前3時~4時頃に断眠するせいか。

2008年9月9日火曜日

耳に胼胝

 古書店より、それぞれ、「悲惨物語」、「彼が彼女の女だった頃」が到着。前者はとりあえず確保しただけで読むのは先になるだろうが、後者には『桃』という果物の名が題名になった小説があり気になる。芥川龍之介に『蜜柑』があり、井上光晴に『林檎』と『ナイヤガラ』があるので、『桃』も気になるのであります。

 それから、本日午前、製粉機が三つの梱包で配達された。
 夕方、本体にモーターの動力を伝えるためのVベルト・A-46と、モーター側のプーリー・63(2 1/2吋)A1を探しにゆく。
 プレス加工を業とする従姉のご主人にプーリーの事を聞きに行ったら、これでいいんじゃないかと不要のプーリーをひとついただいてしまったが、帰宅してモーターのシャフトに合わせてみたら、モーターシャフトの出っ張りに合うだけの溝が無く、使えないことが判明。
 Vベルトは簡単に見つかったが、プーリーは溝のあるA1の2,5インチはあったが、シャフトの太さが目的の19mmより細いものしかなかった。後日、機械・工具専門店か農機具店にあたってみるか、この店で取り寄せてもらえないこともないので、Vベルトだけ購入して帰宅。
 夕食後、製粉機とモーターの大きさを測り、並べて固定する台の大きさを考える。平面図は30cm×40cmでよさそうだが、高さが問題。出来れば将来電動篩機をセットしたいので、高さをそれにあわせておかなければならない。計測と計算の結果、高さは313mmと出たが、多少はどちらかの下に下駄を履かせればいいことなので高さ30cmでよかろうかと、最後はアバウトな結論。
 30cm×30cm×40cmの台。無論木製ではいずれグラグラしてしまうだろうから、やはりホームセンターで鉄製のL字のアングルを購入し、30cmと40cmにカッターで切断、ボルトで組み立てて、上部の製粉機とモーターを置く面だけ厚めの板を固定する。
 いずれにしても、プーリーを探し出してVベルトを製粉機とモーター双方のプーリーにかけてみなければ台の製作に入れない。紙を30cm×40cmの大きさに切り、その上に製粉機とモーターを置き、実際にプーリーとVベルトで繋いでみればいいかもしれない(どこまでもしろうとの発想であります)。
 それから、水分計を検索してみたが、価格が4桁のものはなく、5桁だった。昨年は水分13,9%とか14,1%とか、乾燥させすぎたらしく、そのせいか風味が薄かった気がするので、できれば15~16%くらいにとめておきたい。米もそうだが、穀物というのはどうも水分15~16%がベストなのかもしれない。

 締め切りを間近に控えてなお書くことだけに専念できない、この往生際の悪さ。
 あれもしたい、これもしたいで、結局は何ひとつし遂せないまま......。
 過活動は緩慢な自殺行為? って、君、耳に胼胝が出来ています、よ。 



 土曜から二泊三日の外泊を終えて病院へ戻る彼を、妻子とともに病室まで送る。
 先月、同室の入院患者が外泊させられ、病院に帰ってきて三日めに亡くなってしまったのを見ているので、自分も外泊で帰宅したら死ぬと懼れ帰宅を拒んでいたらしかったが、二晩ともぐっすり眠れたらしく、本人も苦笑していた。退院は無理と実感もしたらしく、今回の外泊は結果としてよかったのかもしれない。それにしても、酸素チューブと痩せた体は傷ましい。

2008年9月7日日曜日

とほほのほ

 Isabelle Adjani という女優が「バッコスの信女たち」のように憑依した女性を演じたのを見たのは、あるいはB級映画だったのかもしれない「Possession」という映画。
 その Isabelle Adjani が歌を歌っていて、しかもこんな歌まで歌っていたなんて、とほほのほ。
 「Possession」と「カミーユ・クローデル」、映画二作のなかのIsabelle Adjani だけで十分としておきましょう。え? 彼女の歌手デビューをプロデュースしたのはセルジュ・ゲンズブールだって?! ウァーン・゚・(ノД`)ヽ(゚Д゚ )ナクナ

 ん? Camille ClaudelIsabelle Adjani 、容貌まで似ているじゃありませんか。


その気にならなければまるで死者のよう

 今日も、不意の電話で呼びつけられてS病院へ。一人暮らしゆえに知らん顔はできず。
 肺に蓮の花が咲く病気のクロエと違って、肺に水が溜まるのが、なかなか止まらない。それが無ければ酸素は必要としても退院できるのだが、退院しても3階でのひとり暮らしはきびしい。男やもめが病気になったら悲惨である。やはり、男は先に死ぬべきだ。

 いまだにA5版・22行26字二段組のレイアウトに題名と22行26字一枚分だけ。
 その気になれば狂ったように書きますが、その気にならなければまるで死者のように一言も発することが出来ないという、極端かつ厄介きわまる性格。
 「日々の泡」のような「赤い草」のような、「心臓抜き」のような、「北京の秋」のような小説を書きたい............。

 また、Bach Collegium Japan のSt. Matthew Passion(Matthäus-Passion), BWV 244 Aria : Erbarme dich (Alto)に聴き入ってしまった。神は神でしかなく、人間は人間でしかない悲しみに、深く重く沈むのみ。




 お取り置き商品ですので発送は8日になりますというメールがあったのに、「今日、発送しました」というメールが着信。?? 
 月曜には配達になるだろう。モーターを製粉機の下に置くか、横に置くか、出来れば下にレイアウトする方がコンパクトでいいのだが、本体が来てみないと判断できない。

2008年9月6日土曜日

Ne Me Quitte Pas

 雨が多かったので、朝、朝食前に山へ偵察。

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 かわいい釈迦しめじ一株だけ。もう一株発芽始めの株があったが、誰かに踏み潰されていた。どうもここは、ことしも競争が激しそう。その奥の山にも行ってみたが、キノコは見えず。

 夜、今夜もBessi Smithの予定だったが、Nina Simoneにして26曲、聴く。Ne Me Quitte Pasというフランス語で歌っているシャンソンがあり、これもなかなか。(画面右側のプレーヤーの再生ボタンを押す)
 それにしても、画像と音楽の保存はパソコン本体でなく、外付けのハード・ディスクにしないと、パソコンの動作がどんどん重くなって来た。
 そういえば、Don`t Let Me Be Misunderstood別ヴァージョンがあるのを発見。
 まったく別な歌い方で一瞬唖然としたが、これはこれで明るくていい。

 

 いよいよ、製粉機を注文。8日に発送という返信。
 取り付けるモーターが100V、200V兼用なので、結線の仕方に若干不安があるが、電線ごとに色が違うので、その色で分ければいいのだろう。製粉機を載せる台を作る必要があるが、ホームセンターで売られている鉄製のアングルを切断し、ボルトで止めればいいだろう。プーリーとVベルトは製粉機が来てから。

2008年9月5日金曜日

上には上、似たようなひと

 シナランバー、配達される。いっしょに注文したシナロールテープで小口を張るときれいな延し板に変身。120cm×91cmでなく、91cm×91cmにしておいてよかった。一度に1kgを延す技量もなく、500gが適量とすればこの大きさでちょうどいいだろう。
 午後、菊用の植木鉢を買いに行きたいという母親を乗せてホームセンターへ行き、まな板売り場の前を通ったら桐のまな板で26cm×45cmのものが498円。安過ぎると思ったが、蕎麦切り専用でほかには使わないので、気にせず購入。帰宅して見たらmade in China。

 自宅に電動篩機がセットされた最新式の製粉機を備え、播種から蕎麦打ちまで全工程を自分でしているすごいひとのブログを発見した。このひと、自家栽培のソバ粉と水だけでつなぎ無しの十割蕎麦を打っている!!
 上には上がいるものと感心しながら記事を読んでいって驚いた、何と、同じ市内の住人であり、また、その名前にどこかで見覚えがあると記憶をたどってみたら、私もいただいたことのある県内のN文学賞の二次予選通過者のなかにありました。
 ソバ吉であったり、小説を書こうとしたり、似たようなひとがいるものですね。

 昨夜、入札した短編集「彼が彼女の女だった頃」(赤坂真理・講談社)が落札したというメールが着信。あれれ、明日、代金を払い込まないと。

 夕食後、ちょっと「無料試聴@Last. fm」へ入ったらそのまま帰れなくなり、先ほどまで入り浸り。Melody Gardotの曲を公式サイトからのとあわせて9曲、Last. fmでBessi Smithの曲を6曲DL。
フルトラック試聴できないはずの「A Good Man is Hard to Find」までDL出来たのはラッキー。
これでまた戻ります。

2008年9月4日木曜日

小説の力の源は

 ぼくはある日、


 と書いたまま、原稿はまったく前へ進まず。

 よく考えてみれば、昔は起承転結をきちんと決めて書いたものだったが、いつからか、どう終わるのか見通せないまま書き出すようになっていた。自分がどこへ行こうとしているのかも判らないままに電車に乗ったり、船に乗るようなもので、心もとない。
 ただし、最初からどこに行くのか判っている旅に出たいとは思っていないので、それでいいのだけれど。
 「ぼく」ひとりでは発展性が無いのでル・クレジオのシャンスラードとミナを想起したのだったが、映画「ボニーとクライド」も連想される。自分たちが誰なのか、どこへ行くのか、判らない若者?
 いや、むしろ老人にした方がいいのだろうか。
 シャンスラードとミナ、ボニーとクライドが現代まで生きながらえて、この時空をさまよう。もう先が無い老人ふたりのあてどない暴走? おお? これも一種の「ユリシーズ」じゃありませんか。

 そんな小説、書けませんよ。

 むしろもっと強く書きたいと思っているのは、現代の「バッコスの信女たち」なのだけれど、これを書くと女性に総スカンを食らうこと必定なので、これも書けません。J・コルタサルも現代の「バッコスの信女たち」を書いたが、あれではまだ甘い。
 なんて、書けない小説ばかり......(泣)。
 荒唐無稽な神話であってもいいのだ。
 小説の力の源は、あったことをあったように書くという単純なリアリズムにあるのではなく、あろうはずもないことさえさもありそうに書いてしまうという強力な想像力にある。

 (相当に誇大妄想な記事なので、明日の朝には恥ずかしくなって、多分、削除)




 サドの「悲惨物語」を古書検索したら、600円から45000円という価格差にあきれながら、最安値の福岡県の古書店に注文した。九州の古書店はおおむね価格設定が良心的。
 版元は昔懐かしい「現代思潮社」。

 そういえば赤坂真理さんはどうしているのかと検索してみたら、新刊はなかったが「彼が彼女の女だった頃」が目についたがすでに絶版。探したらさるオークションに出品されていたので入札。
 「LOVE&SEXをめぐるナイン・ストーリーズ」というのがキャッチコピー? ナインストーリーズなんて、使っちゃいけませんよ。
 赤坂真理さん、もうコラムやエッセイだけで、小説は書かないのかな? 

2008年9月3日水曜日

播種後一ヶ月

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 これは隣のプルーン。昨年の10月13日にソバの刈り取りをした時、取り残しの完熟プルーンをみんなで食べましたが、甘くておいしかった。来月まで残っている?


2008年9月2日火曜日

初めに

 固有(オリジナル)の小説など自分のような凡才に書けるはずもないという諦念と、その出発点が意識的確信犯的パクリ作業であることを証しておくために、本文手前に以下の引用をする。
 "あなたは本のこのページを開いた。二、三ページめくってみて、表題や、著者の名や、出版社の名をぼんやりと眺め、それから多分、小説の冒頭にたいがいつけてある、あの引用符で囲んだ文句を探しただろうが、そんなものがついているのは、体裁がいいということと、著者が誰か自分より重要な人物を引き合いに出すことで少しは自分を保護できるせいなのだ。今度の場合、こう書いてあったってよかったかも知れない。「私は諸君のうちの一人、一粒の種だ、諸君のうちの一人なのだ......輝き(ブリヤン)......打ち震え(ヴィブラン)......灼熱している種(ブリュラン)だ......"ぼくはある日、
       「愛する大地」ル・クレジオ、豊崎光一訳(1969年、新潮社刊)、冒頭より引用


 それからおもむろに
 ぼくはある日、
 という書き出しから一歩前へ踏み出したりして......。(ん? また一人称......? きつい)




 締め切りが今月末に迫っておりますので、このブログの更新が途絶えがちになるかと思います。どうか、RSSリーダーにご登録いただいて、更新があった時だけお出で下さいますようお願い申し上げます。
 

想像力貧困の証明

 今、私がいちばん欲しいもの ソバの播種から蕎麦打ちまでの工程で素人がもっとも手が出せない領域が「製粉」の工程であるが、ブラックボックスめいていていちばん信用できない工程でもある。昔から、精米所や製粉所はごまかしが多いことで有名である。私が昨年製粉を依頼した製粉会社にも中国産を混入しているのではないかという噂がつきまとっている。石臼製粉を謳いながらロール製粉したものを渡されたとしても判らない。疑い出せば限(きり)が無いが、頭は悪いがタバコをやめて以来敏感になった舌の味蕾が、昨年の秋以来、ひそかに風味や甘みが薄いと訝しんでいるのでした。(これくらいだったら、かつて父親が毎年玄ソバを持ち込んでいた、あの性質が悪く油断ならない個人の田舎精米所で挽いたソバ粉の方がずっと風味や甘みがあった......)


 この製粉というブラックボックス的領域を解決するために、多分、近々にこの製粉機のオーダーを出してしまいそう、です。
 石臼での製粉がブームでありますが、あえてロール(金臼)式の機械製粉を選択したのは、その一時間あたりの抜群な製粉能力の注目してのことです。
 「金臼式製粉は熱を発生して粉の風味が失われる」というのが電動石臼派の専らな意見ではありますが、十五秒で5kgの玄ソバを処理できれば熱を発生するはずもなかろうと思って。
 これも必需品なのだが、ちと高いのでこれは来年度の仮題としておこう。

 さあ、明日から書くことに専念?1?
 ル・クレジオの「テラ・アマータ(愛する大地)」に登場するシャンスラードとミナをイメージの根底に置きながら、強烈に常識からはみ出した若い男女をイメージしているのだけれど、このふたり、なかなか常識からはみ出してくれないのですよ(それはもちろん、私の想像力貧困を証明しているだけなのです、けどね)。


2008年9月1日月曜日

印刷媒体での再版が望めない作品は

 先日このブログにコメントをお寄せいただいた紺野さんが、ご自身のブログで入手困難な本について書かれていおられ、そのなかに「左川ちか全詩集」があって、思わずまたあれこれ検索してみたら、つい半月ほど前にYオークションに出品落札されたばかりで、落札価格は22,500円でした。
 昭和初期は尾崎翠がいたり安吾が「木枯らしの酒倉から」や「風博士」、「蜺博士の廃頽」を書いたり、面白い時代ですが、左川ちかもこの時代のひと。J・ジョイスやV・ウルフなどを読んでいてかなり日本的でない詩を書いている。
 私は実はこの全詩集についてはもう入手は諦めている。なぜかというとたまたまネット上に全詩集の中身がアップロードされていて、そこからテキストをダウンロードしてしまっているからである。早世されていて著作権は消滅しているので違法ではないし、こうしてアップされているのは助かりますが、何とも複雑な気持ちです。
 またいつだったか書いたと思いますが、大手拓次の詩も青空文庫で読めるのはもちろん、大手拓次の窓というWeb Siteには拓次の詩集「藍色の蟇」の内容は無論、北原白秋の序文、萩原朔太郎の跋文までアップされていて、実にうれしい。
 印刷媒体での再版が望めない作品は著作権さえクリアできればネットで、そういう動きは止められないだろう。パブリック・ドメインはネットに乗ってこそ活用できる。

 カテゴリの「パタフィジック倶楽部」と「マニエリスム倶楽部」の記事をすべて「偏愛図書室」に統合したいのだけれど、さて。今、そんなことをしている場合ではない。いよいよ、締め切りまで正味一ヶ月となりました。尻に火が点けばいいのですが、それさえもまだ、とほほ。

小人閑居して......

 春に仕事の得意先であるMさんから昨年に続いて加工トマトの苗をいただいた。昨年は狭い場所に植えて失敗したが、今年は生育旺盛ではっきり言って実が生り過ぎ。とにかく収穫して来たものをなんとか加工せねばならないので、ネットで調べた。トマトソースかピューレだが、ソースだとニンニク、玉ねぎなどが必要だが、あいにくニンニクが無いので、ピューレに決定。
 鬼の居ぬ間に何とやら、奥さまは詩のセミナーとかで二泊三日の旅に出ていて、今夕帰宅予定ですので、製造するならそれまでに。
 ヘタを取って湯剥きして、切るのは面倒だから掌でぎゅっと潰してわが家で一番大きい鍋へ。しかし、ぎゅっと潰す時にトマトの種やら液体がこちらに飛ぶことがあって、シャツのあちこちに付いていますがな。
 それから2/3になるまで煮詰めて塩を適当に加えて終了。種が目立つが面倒だから裏漉ししない。冷めてから真空パック用の袋に詰め、液体で真空パックはできないので、空気を出来るだけ押し出しながら普通にシールして、出来たのがこんな感じで1kg前後の物が6袋 ↓。
 これを冷凍保存いたします。
 やれやれ、加工トマトを植えるのは今年で最後にしておきましょう、ブヴァール君、いやペキュシュ君。

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