2009年1月30日金曜日

オヤマボクチ栽培総括

 昨年は、山の急斜面を駆け巡り、種を播いて菜園に植え、すっかりオヤマボクチ狂いの一年でした。

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夏、いよいよ蕾。

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最後の収穫、乾燥作業

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��月15日 アザミの親分のような花。

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��0月22日
春に種を播いて植えた一年生の苗を都合により植え替え。黒のポリフィルムで床を被覆。


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乾燥した葉を揉み、茎や葉の表の葉緑素などを篩い落とす。

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精製できたオヤマボクチの茸毛。いくら何でもこれは多すぎます。


2009年1月29日木曜日

匿名小説

「黒馬」36号、林さんの追悼文ふたつ。「照葉樹」6号は二人誌。二人でも同人誌が出し続けられる。同人が多ければ良いものではなく、どんな作品を書いたか、書こうとしているか、それが大事。早速、読み始める。

 久しぶりに、セルジュ・ゲンスブールの「La chanson de Prevert」を聴いた。セルジュ・ゲンスブールがJ・プレヴェールばかり歌っているCDがあるのだが、これが値引きされた価格がオンライン価格3582円、3枚以上まとめ買いで994円値引きされて1枚2986円、などと悩んでいるうちにある場所に彼の歌が何十曲も置いてあるのを発見、oh! これだけの数があったら、J・プレヴェールのほかの歌も混じっているのかもしれない。
 それとは別に、J・プレヴェールの詩に曲を付けたシャンソンを集めた4枚組みCDのなかに、そのものずばり、「ボリス・ヴィアン」という3分ほどの曲がある。誰が歌っていて、どんな歌なのか聴いてみたいのだが、まだ入手できない。
 セルジュ・レジアニにもChante Boris VianというCDがあり、輸入版がAMAZONに出ているが6309円なので手も足も出ません。
 J・プレヴェールにBoris Vianという題名の詩があるのかどうか。ちょっとフランスのサイトまで検索に行ってみよう。歌い手くらいは判りそうなものです。セルジュ・レジアニかな。
 (アルファベット名前をそのまま表記すると、どうもその記事に海外からのスパムが入る確率が高くなるので、カタカナ表記にすることにしました)

 「家畜人ヤプー」沼正三、「O嬢の物語」ポーリーヌ・レアージュ。どちらも匿名の作家によって書かれた。どちらも猥褻その他裁判にかけられそうな内容であるから、作者が名を秘匿しているのには納得がゆく。近年、その作品から受けるイメージを壊してしまうような貧相な写真まで発見されてしまったロートレアモンの「マルドロールの歌」も、以前はイジドール・デュカスという名前だけで、どんな人物だったのか判然としなかった。
 こんな風に誰が書いたか判らない小説が書けたら面白いのだけど。
 

2009年1月28日水曜日

あまりにも情けない

 一昨日の夜にオーダーを入れた二軒の古書店より、それぞれ冊子小包が到着。早い対応に反応して、こちらも今日のうちに郵便局へ行ってATMのペイジーで代金を振替。
 J・M・G・ル・クレジオの第三短編集である「ロンドその他の三面記事」(白水社1991)と、第四短編集である「春その他の季節」(集英社1993)。

 自分がかつてどのようなものを書こうとしていたのかさえ忘れそうになっているのに気がついて、自分の書いたものを置いてある場所に行ってみた。
 私のウェブページはいつの間にかおかしな構造になってしまって、玄関(INDEX)からこの裏口(ウェブログ)まで入って来ることは出来ないが、裏口から玄関へは出て行ける。その途中の隠し部屋のような場所に過去の産物が置いてある。
 そこを久しぶりに見に行って、もうそろそろこの部屋も閉じてしまった方がいいのではないかと思った。部屋そのものを無くしてしまうか、ドアを隠してしまうか。

 ま、しばらくは読むことと書くことだけにしておかないと、あまりに気が多くてさまざまな行為に拡散してしまう自分があまりにも情けない。
 バッハのオルガン曲、結局30曲DL。この教会のオルガン、癖がなくて心地よい。
 ヘルムート・ワルヒャの「バッハオルガン曲全集」という10枚組のCDも買ったままで、まだ全曲通して聴いてないので、1枚ずつ、順番にiTunesに取り込むことにしよう。そうしないと、入院でもしない限り全曲通して聴けないだろうから。

2009年1月27日火曜日

ハーグのベツレヘム教会にいる気分

 今夜は、音楽フォルダに貯まっていたmp3ファイルをiTunesに入れたり、それをさらにiPodを同期させたりしていた。250曲を超えていて、全部通して聞くには15,9時間必要。これらの音楽ファイルが入ったフォルダがすでに500MBを超えているので、外付けHDDにフォルダごと移動。
 曲名やデータの確認のために、たまたま、以前、タルコフスキーの映画「ソラリス」を見て知ったバッハのBWV 639を弾いているオルガニストがyouTubeに13ほどアップロードしている動画を確認しに行って、あちこちメチャクチャにユリシーズしているうちに、何とそのオルガニストのウェブサイトへ飛んでしまった。
 YouTubeにアップされている動画で演奏されているのは、オランダ、ハーグのベツレヘム教会のオルガンであり、左サイドバーにリンクされている「MP3&VIDEO」というページを見ると、そこにアップされている13の動画のタイトルをクリックすると、そのままYouTubeに飛ぶようになっている。しかもそれだけでなく、動画ではないがMP3ファイルがたくさん置いてあって、バッハのだけでも35くらいある。そこにMP3を置いてある、ということはどういうことなのか?
 ダウンロードしなければ聴くことが出来ないのだから、ダウンロードして構わないということではありませんか、ヤッホー!! 。バッハの曲は全部、ありがたく、ダウンロードさせていただきます。
 さらに、左サイドバーに「PHOTO」というリンクがあるのでクリックしてみると、13の教会のオルガンの写真がアップされているのですが、サムネイル画像をクリックすると表示されるばかでかいサイズの教会内部のパイプオルガン、すごい迫力です。すっかりハーグのベツレヘム教会にいる気分になって、わははは、楽しい、うれしい(貧乏人の空想旅行......(ーー;) 
 英語版ではなくHOMEに戻ってみると、「The Organ Web Ring 」なんてのがあります。ひょっとしてヨーロッパ中の教会やオルガン奏者のウェブリングだったりして......楽しみです。


2009年1月26日月曜日

早く、夏にならないかな

 今日は家人ふたりとも所用で外出。市立図書館にル・クレジオの本がどれだけあるか、横着をして自宅でのんびりネットで蔵書検索していたら、郵便局の車が停まってACアダプターが代引きで届いた。
 さっそくACアダプターを交換してWindowsの終了と起動を繰り返してみた。一度も電源が入らないことがなかったので、これで大丈夫らしい。考えてみたら、コードを足に引っ掛けられてダメになったのは二度目、かつて98ノートに時にも一度あったのを思い出した。コタツの上にパソコンを置くのは危険きわまりない。寒いばかりの高冷地にいると、早く、夏にならないかなと思う。

 市立図書館にはル・クレジオの本は6冊だけ。「オニチャ」、「メキシコの夢」、「海を見たことがなかった少年」、「砂漠」、「向う側への旅」、「大洪水」。
 仕方なく、またネットで古書検索した。ノーベル賞受賞効果で「調書」が昨秋出て、2月にまた「砂漠」が再版されるらしいが、相変わらず古書価格が高い。「愛する大地」、ある古書店では4000円だったのが別の古書店では800円だったので思わず一冊オーダーしそうになってしまった。
 今夜はとりあえず、欲しい短編集を2冊(どちらも1000円以下)見つけ出し、それぞれの古書店に在庫確認を依頼するメールを出して終了。




 海外から入るコメント・スパム、やはり今日も英文というか、アルファベット表記が検索されて入られた模様。

2009年1月25日日曜日

またまた奇妙な

 別にウェブショップを開業するわけではないが、フリーのウェブショップCGIソフトを実際にサーバーにアップして稼動させてみた。何とか買い物カゴに入れて注文ボタンを押して、「ご注文ありがとうございました」と表示されるところまで進んだのだが、最後のsendmailで受注メールが自分のメールアドレスに入るはずなのが、自作自演で自分がオーダーして自分で受注するという変則的な発注&受注テストなので、受信したメールが注文した私への確認メールなのか、受注した私への確認メールなのか、判然としない。別々のアドレスを使っているのだからそれぞれのアドレスに1通ずつ、計2通着信するはずだが、1通が来ない。やはり、まだヘンである。
 あ、そうか、配偶者のアドレスで注文してみれば判りやすいと思って、注文者の名を配偶者の名で騙ってオーダーしてみた。すると、発注者である配偶者のアドレスと、受注者である私のアドレスの両方に、文面は同じだが確認メールが着信した。
 一応、正常に稼動しているらしいですね。

 それから、ウェブショップ用のCGIであるから、無料で差し上げる=すなわち0円という設定が出来ない。実はそういう場面も想定しているのだが出来ないのはつらい。どこかに、「システム上、価格が入ってしまいますが、この品物は無料です」と、妙な断りを入れればいい?

 ということで、これがわが仮想ウェブショップ(リンク、外しました)です。遊んでオーダーしていただいてもいいですが、まだわが誌以外の雑誌はお送りできる体勢ではありませんので、それだけはご承知の上でどうぞお遊び下さい。

 本日は父の命日なので墓参。風がなかったので、菩提寺の南向きの墓地はおだやかで暖かかったが、供えた花はひと晩で凍ってしまう。

2009年1月23日金曜日

やれやれ

 以前ほどではないが、まだパソコンの電源が入らない時があるが、配偶者のACアダプタにつなぐとすぐに電源が入るので、電源不良の原因はパソコンの電源コネクタ側ではなく、ACアダプタ側にあると判断し、新しいACアダプタを購入することに決めた。しかし、メーカーのウェブ・ショップのどこを探してもACアダプタにたどりつけない。このメーカーは新品を売ることだけに熱心で、こういう細かいサポートがまるでダメなのだ。次回、買い替えはこのメーカーではなく、県内に主力工場やサポート拠点があるメーカーにするつもり。配偶者のパソコンがそのメーカーなのだけど、私のより古いのに一度も故障しない。
 仕方なくメーカー純正品を諦めてネットで検索してみた。先週大型電器店に行った際に見た、各社共通に作られている聞いたことのないメーカーのACアダプタは4,780円であったが、ネットでNECの純正品がかなり安い価格で置かれているのをを発見。
 DC出力が1,9V=3,16Aだからメーカーが異なっても使えるはずであるので、即オーダーを入れておいた。そのショッピングサイトのポイントが782ポイントあったので、それを使用するとちょうど送料と代引手数料になる。

2009年1月22日木曜日

自分への牽制

 FLVプレイヤーという、動画サイトで使用されているflvファイルを見るフリーソフトに、flvファイルをドラックしても動画が再生されなくなってしまった。ネットで検索してみると、どうやらFlash Playerを最新のヴァージョン10にアップデートしてしまったのがいけなかったらしいので、Flash Player9を探し出して来てヴァージョン・ダウンしたら再生されるようになった。パソコンを使用中にいろいろ、ヴァージョン・アップを迫られますが、ウィルス対策ソフト以外は慌ててすぐにはしない方が賢明らしい。

 イメージトレーニングのため、常識的思考の関節を外すために、しばらく「赤い草」と「心臓抜き」、「屠殺屋入門」、「帝国の建設者」など、百閒先生の一冊、「文学におけるマニエリスム」、「黒いユーモア選集」などを手元に置く。早い話がつまらないものを書くんじゃないという、自分への牽制である。
 (ちなみに、「屠殺屋入門」と「帝国の建設者」は戯曲である。先日発表の直木賞作家のひとり、何と後輩であった。直木賞作家であるけれども、その創作姿勢は真摯である。見習わなくてはいけません)



 それにしても、この唄を編曲し歌っているZülfü Livaneliという人は誰? 検索してみよう。
 Cordoba
 Uzakta tek başına
 という歌い出し。コルドバ。ひょっとして「ジプシー歌集」か? ああ、ロルカ詩集が見当たりません。
 わ、Zülfü Livaneliはトルコの歌手で、彼がロルカの歌をトルコ語で歌っているらしい。
 
 海      ガルーシア・ロルカ

 海は
 蒼空のルシフェル
 光たらんとして
 堕ちた
 天空
    (種村季弘訳)


 すでに何十回も引用しますが、この詩、好きだなあ。
 そういえばTさんがロルカのことを書いた文章がネット上にあったような記憶が......。見に行ってみようっと。

2009年1月21日水曜日

そして頭をかかえこみ

 YouTubeではなく、それよりも少し早く開設されたというフランスのDailymotionという動画投稿サイトに、フランス3チャンネルの「ジャック・プレヴェール」という題名の番組を6つに分割アップロードしたらしいものを見た。フランス語は聞くも読むもまったくダメだが、映像を見ているだけでも楽しい。

 彼の詩の、「朝の食事」とか「伝達」とか「花屋で」には曲がつけられていないのだろうか? 調べてみよう。
 それにつけても、以前も書いたかも知れませんが、このCDが切実に欲しい。
 それから、このCD「12 Chansons Pour Zette」が欲しいです。どうしたら買えるんでしょう? どなたかフランス在住の人を探して買って送っていただくとか......いや、自力でネットショッピングしなければいけませんよね。

朝の食事

彼はコーヒーを注いだ カップのなかに
彼はミルクを入れた コーヒーカップのなかに
砂糖を入れた ミルク・コーヒーのなかに
小さな匙でかき混ぜた

彼はミルク・コーヒーを飲んだ
コーヒーカップを置いた
あたしには何もいわずに 一本のタバコに火をつけた
煙で輪を作った
彼は灰を落とした 灰皿のなかに

あたしには何もいわずに
あたしを見ずに 彼は立ち上がった
帽子を被った
レインコートを着た

雨だったから 彼はでかけた
雨のなかをひとこともいわずに あたしを見もせずに

そして 頭をかかえこみ
あたしは泣いた
     (「プレヴェール詩集」嶋岡晨訳・飯塚書店刊より引用、さらに恣意的に改行)



 明日はここからスタート。


2009年1月20日火曜日

忘れていた青とうと冬瓜

 夕方、母が手芸店とスーパーマーケットへ連れていってほしいというので車を運転してゆく。この頃は郊外型の店だけになって町内の店が無くなってしまっているので、車を運転できない老人は難儀をする。手芸店とスーパーマーケット内を同行。毛糸って高いものですね。
 スーパーマーケットの野菜売り場を通過中、高知産の茗荷が目に入ったら瞬間的に夏の思い出が甦り、冷凍庫のなかでコチコチになっている激辛青とうがらしがフラッシュバックした。迷わず、茗荷、キュウリ、ナスを購入。
 帰宅して早速、それら4種類を刻んだものをタッパーに混ぜ、、昆布ダシに醤油、酒、味醂を適当に合わせたものを上からかけて冷蔵庫へ。ちょっとつまみ食いしてみたら、辛い、おいしい。
青とうがらしは手でじかに触らないようにしてできるだけ細かく刻んだ。刻みが粗いと舌が火傷したように熱く痛くなる。
 そういえば、夏に製造した南蛮味噌のことも、冬瓜のことも忘れていた。
 冬瓜は倉庫内でダンボール箱に入れ、使わなくなった布団や毛布をかけてあるので、存在さえも忘れていた。明日、出してみてよう。

 書きかけのもの、いったん放棄して、別のものを新たに始めることに決める。
 何でこんなにネガティブなのかなあと思うついでに、フォークナーの「サンクチュアリ」のあとがきを再読。時間はかかったが「八月の光」を読んだのだから、これも読めない訳はない。しかも結構会話が多く読むのに難渋な文体とかではなく、要するに「ポパイ」が受け入れられないだけなのかもしれない。短編の「あの夕陽」を読むつらさやフラナリー・オコナーの短編群を読む難渋感にも似ている。
 読者に強く何かを迫る小説。何を?




2009年1月19日月曜日

ふたりの3月10日生まれ

 まだ不安は抱えながらも、電源問題が落ち着いたのでテキスト・エディターを開いて少し書き直しつつ書き進め。とはいえ、削除しつつなのでほんの十数行しか前へ進まず。とにかく、ひとにほめられる小説ではなく、自分が書きたいように書くというわがまま一途に進めたいのだけど、小心者なのでそれが実に困難で、じきに読みやすくだとか解りやすくだとか考え始めるからいけない。

 ボリス・ヴィアンの1920年3月10日という生年月日を見て、あれ? 生年は2年違うが月日は亡き父と同じではありませんか。

boris.jpg father17.jpg
 もっと似ている写真があるのだが見つからない。顔はともかく、目が似ているような気がして......。

ボリス・ヴィアン原子爆弾のジャバ

2009年1月18日日曜日

電源問題解決(??)

 パソコンの電源が入らない問題、ようやく原因がつかめた。電源ボタンではなく、ACアダプターとパソコンのコネクタの接触不良のようです。ACアダプター自体は付属のLEDが緑色に点灯していましたので問題ないと思って見過ごしていましたが、コネクターの接触がまあまあの時は電源が入り、接触不良の時には電源がまったく入らない。お天気屋な訳がこれで納得です。
 いろいろ言っているうちに、家族のひとりが、しばらく前にACアダプターからパソコンにつながっている電源コードを足に引っ掛けたことがあると自白。ぎゃ、そうだったのかと、ますます納得。
 これからは、電源が入らなかったらコネクタをそっと動かしたり回したりすれば大丈夫のようです。そのことが判明してから、5回ほど試みて5回電源が入りますので、ほっとしました。
 まだ4年半ほどなので、もう少しがんばってほしいのですが、いったいACアダプター側のコード(電線)のダメージが原因なのか、それともコネクタ側のピンなどの損傷が主原因なのか、そのあたりはまだ良く判らない。明日になったらまた電源が入らないとか......(ーー;)

 ということでご機嫌なまま、YouTubeに入り、検索中にGeorges Moustakiの"Ma Solitude"に遭遇。ついでに"Le Meteque"も聴いた。
 あ、かんじんのSerge Reggianiの歌を聴かないで閉じてしまったので、もう一度。
Serge Reggiani - とりあえずはMa LiberteL'absenceと、レジアニのMa Solitude
 

2009年1月17日土曜日

もう少し、原因究明

 いよいよ今日は電源ボタンを押すという通常の方法では電源がまったく入らなくなった。
 しかし、家族のパソコンでメーカーのサポートページを検索していて、ある方法で電源を入れられることが判ったので、電源が入りwindowsも起動して、こうして書いている。
 だがいちいちこの特殊な電源の入れ方をするのはタイヘンである。できれば簡単に電源ボタンを押すだけで起動させたい。
 もう少し、原因究明。

 念のため、旧式のデスクトップにメールアカウント三つの設定と、Sleipnirのお気に入りとRSSのフィードをすべてエクスポート&インポートしておいた。これで、取りえずネットで外界との接触はできる。
 問題は仕事で使っているアプリケーション、これをどうするか? これもデスクトップに移しておいた方が安全かもしれないが、この時期、デスクトップで仕事は足元が寒くていやであります。

2009年1月15日木曜日

模写でなく描写

 Lydwine.さんの1月12日の記事である「物語」「人間」「描写」考を読んで、そうなんだよなと激しく共感し、つい書く手が止まった(いや、正確には、もうずっと以前から止まっていたのだけど......)。
 確かに、今となっては「物語」も「人間」もどこか胡散臭くて、そのあたりに重心を置いた小説など、プロアマかかわりなく読めたものではないし、恥ずかしくて書けるものでもない。

 だからひたすら描写するほかないのだが、かといってVIDEOカメラを回して映るものすべてといった方法を取ったのでは、それも描写ではなく現実世界をただ模写したにすぎないのではないか?
 
 ほんとうの描写って?(と思わず蹲る......というか、実はこの十年くらいずっと書けずに蹲っているばかりで......すみません)

録音と編集

 11月初めにこれまで使っていた携帯電話が壊れて交換し、その後自分で作成した着信音を入れるという作業で必要なサウンド編集ソフトをインストールしたままだった。アンインストールしようかと思ったが、ちょっと起動してみた。
 そして「開く」でどんなファイルが開ける(編集)できるのかを見たら、wav,cda,ogg,csvとあり、mp3が開けない(編集できない)。それじゃ仕方ないからアンインストールしてしまおうと思ったが、少し検索してみたら、別の場所からdllファイルをふたつダウンロードし、解凍、インストールをし、それらをサウンド編集ソフトのフォルダ内にコピー&ペーストすればmp3も編集できるようになるという記事があった。
 そこで、早速実行。
 おお、ほんとうにmp3が開きました。
 冒頭に5秒ほど空白が入ってしまっている曲のファイルを開いて、先頭の5秒を削除してみた。出来た、何と便利な。しかも音を聴きながらだけでなくサウンドの波形を見ながらなので正確に編集できる。しかもフリーのソフトである。このソフトがあれば、インターネットラジオなどで流れている曲を10曲くらい連続で録音しておいて、後でそのなかの気に入った曲だけ切り出したりも出来る。
 その録音するソフトもヴァージョンが新しくなっていたので最新のものに入れ替えておいた。パソコン上で再生されている音声なら大体は録音できてしまうという......これもフリー・ソフト、すごい。


2009年1月13日火曜日

吼えすぎて声が出なくなった狼の唄

 夕食後、3時間ほどノート・パソコンの電源入らず。いよいよ最期の時期が迫っているのかもしれないので、ようやく電源が入ったところで「ID、各種設定記録帳」というB6版のメモ帳に、メール・ソフトThunderbirdに設定してある3つのメール・アカウントのサーバー名やユーザー名、SMTPなどを記録。パソコンがクラッシュしてパソコンが新しくなるのは仕方のないことだが、各種設定をメモしておかないと苦労する。だから、どんなサイトのIDやパスワードでも、みんな手書きでメモしておく。

 久しぶりにオーヴァー・ザ・ラインのウェブサイトをのぞいたらオーヴァー・ザ・ライン・レコード・プレイヤーというネット上のプレーヤーに置かれている10曲がすべて入れ替えになっていたので、10曲全部聴いた。
 それから調子づいてTom Waitsの歌をまたしてもラストエフエムYouTubeで聴きまくり。吼えすぎて声が出なくなった狼が地の底でうなっているような悪声で、初めて聴いた時にはこれでもミュージシャンかと吹き出してしまったのだが、それが今ではなぜか、かっこよく聞こえてくるのが不思議。



 この曲は「Hold On」

 結局、この狼のドラ声に魅せられて、20曲も、今夜は音だけ抜く作業に没頭。
 それにしても、You Tubeにこうしてアップロードされている音や映像は、確かに著作権を無視してアナーキーでさえあるが、このように音楽に写真や動画を組み合わせたネット上のファイルが、実は新たな表現行為として自己主張し始めているのではないか。
 たとえば、粘土アニメという映像を付与されたこの曲
 ね、インターネットという貧者のメディアに乗って、実は新たなデジタル表現が生まれようとしているのではありませんか。(なんて考えるのはちょとオーバー......凹)

 Tom Waitsに夢中になった勢いで、書きかけのものに「眠れない夜はトムを待たない」などというふざけた仮題を付与した。
 その上、主人公の部屋やiPodにTom Waitsのドラ声を流し放しにしようという怪しいアイディアが浮かんだ。なんとまあ趣味的なこと。これでは到底最後まで書き遂せるはずもなかろうと。開き直ざるを得ず。


2009年1月12日月曜日

陰謀でもあるまいが

 正確な時期は覚えていないが、フリーのテキスト・エディターであるTera Padをヴァージョンアップさせた時なのか、それともWindows XPのSP2を入れた時なのか、テキスト・ファイルのアイコンをダブルクリックすればTera Padが起動してテキストを開いていたものが、開かなくなった。ファイルの関連付けがうまくいかなくなってしまったのだった。以来、仕方なくダブルクリックは諦めて、デスクトップに置いたTera Padのショートカット・アイコンにテキストファイルをドラック&ドロップしていた。
 寒くて外に出る気がしないし、あれこれ検索してみたら同じ症状の人が結構いるようであちこちに似たような質問があった。
 そこで、書かれている解決策をあれこれ試みた。要するにテキスト・ファイルをTera Padで開くための関連付けが出来ないのだ。TXTファイルを右クリックして「アプリケーションで開く」を選んでもTera Padを指定できないのは以前から承知していた。
 同じことなのだが、「コントロール・パネル」から「フォルダ・オプション」へ進み、ここで「ファイルの種類」を開き、TXTファイルを選択してこれを開くアプリケーションとしてTera Padを指定し、OKを押して閉じればいいはず。なのだが、それでもTXTファイルをダブルクリックして開くのはTera Padではなく、相変わらず「メモ帳」によってである。何度試みても同じである。なぜこれほど頑固にTXTファイルを開くアプリケーションをメモ帳に独占させておこうとするのか、まさかM社の陰謀でもあるまいが......。
 そこで、あるところに書かれていた記事に注目。
 いったん「ファイルの種類」に登録されている「TXTファイル」を削除し、それからまた新規に「TXTファイル」を作成し、それを開くアプリケーションにTera Padを指定した。すると、これでようやく関連付けが出来たようで、テキスト・ファイルのアイコンをダブルクリックするとTera Padで開くようになった。
 やれやれ、これで数年越しの課題がひとつ解消した。

 一太郎やワードでは面倒なので、下書きの段階ではTera Padで書く方が早い。ほかに縦書きのテキスト・エディターもインストールしてあるのだけど、どうも慣れているTera Padを開いてしまう。小説を書くのなら、縦書きのエディターに慣れた方がいいので、我慢してしばらくそちらを開いてみようか。原稿用紙レイアウトはかえって邪魔で、テキストだけが表示される方がいいのでレイアウトを変えてみよう。


こんなにどうする

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 正月早々に精製したオヤマボクチが乾燥した。計量してみると165g。5gでソバ粉1kg分だから33kg分。少ないようだが結構な量。昨年のうちに精製した分もあり、こんなには要らないが真空パックにしてフリーザーに入れておけばいいだろう。


2009年1月11日日曜日

そろそろじっと我慢して

 ジョルジュ・リブモン=デセーニュ(Georges Ribemont Dessaignes; 1884年-1974年) のことを調べたが情報が少ない。
 しかし、フランスのドゥ・マゴ賞 (Prix des Deux Magots) の受賞者を見ると、第1回のクノーの翌年に受賞している。
第1回 1933年 レーモン・クノー Le Chiendent (『はまむぎ』)
第2回 1934年 ジョルジュ・リブモン=デセーニュ Monsieur Jean ou l'Amour absolu (「ジャンあるいは絶対の愛」)
 絶対の愛ってどこかA・ジャリの匂い芬々なのだけれど、ジョルジュ・リブモン=デセーニュ は絵も描いて版画もしているらしいので一筋縄ではいかない。しかも、彼の詩や散文の翻訳はネット上でもあまりみつからない。

 井上光晴の掌編「お菓子の時間」(「だれかの関係‐40の短編集」昭和60年・文藝春秋刊)を再読、いやこれで五読か十読か、何読めなのか判らない。
 単行本でたった6頁の短い作品。
 このスタイルのもっと向こうに自分が書いてみたい形があるような気がするのだけど、それは幻想であって、ほんとうはそうではないのかもしれない。
 フォークナーの「八月の光」、あるいは途中で読むのを挫折した「サンクチュアリ」、あるいは短編集のいくつかに見られる狂気や暴力。そろそろじっと我慢して、「サンクチュアリ」を読むべきなのかもしれない。あのポパイを乗り越えないと、F・オコナーが書いたものの本質にも迫れないだろうし、これから書こうとするものも書けないに決まっている。
 (アメリカの作家って結構バカにしてきましたが、フォークナーとF・オコナーだけはバカにできません。単純に好きなのはフィッツジェラルドだったりして......Wahaha。




「あなたは他者を破壊し、自分をも破壊してやまないわね」

 左利きの母は携帯電話を左の耳にあて、右手で唇にルージュを塗りながら、その合間にそんな占いババのようなことを大声でわめいていた。また、始まった。ドレッサーの鏡に向かっている母の髪は長く、これじゃまるで魔女そっくりだし、食事や睡眠のサイクルがめちゃくちゃな上に薬漬けで、すっかり頬がこけてしまった母はまるで女装したイエス・キリストのように貧相で、ふと死相そっくりと感じさせもする。母はまったくパンドラの箱から出てきたとしか思えない。こんな母親から生まれたのだから、わたしもまたパンドラの箱の中にいて飛び出す時期を窺っているにすぎない子なのだろうか。
 わたしもまた母に似てあのように淫乱かつ天上天下唯我独尊な女なのかもしれない。そう思うとむやみに不安になって、わたしは健人の携帯に電話した。朝食もほったらかしで、親子で男に電話している朝の光景なんて、何てすてきで、何て愚かしいのだろう?  

 Wha! また? いかにもつまらないので、こんな書き出しはDelete。これじゃ明晰すぎる。

 すでに人生の下り坂をごろごろ転がり始めた身としては、何らかの賞を得たいとか、だれかに認められたいとか、作家として認められたいとか、それはもはや邪魔なことでしかない。
 「ああ、よく、ここまで書いたね」、と、読む自分が書いた自分に率直に言える、そういう小説を1篇でも書きたい。1篇でも書けたら、こんな人生、十字路で遭遇する悪魔と交換してもちっとも惜しくないのだけど。

 小説(散文)であろうがなかろうが、詩であろうがなかろうが、ひとつのエクリチュールでありさえすればいいのではないか? 小説などではなくただの叙述(エクリチュール)であると、そう思えばもう少し気楽に書けるような気がしないでもないのだけどね。

在るべき姿を語リ続けること

 本日、民放でブータンを取材した番組を放映していた。家人が見ていたので、見るともなく目に耳に入ってきた情報に考えさせられた。
 日本の衆愚政治よりブータンの賢人政治の方が素晴らしいではないか、と。
 ただし、こういう賢人がどこにでもいる訳ではない。
 それが何故? と思うのだが、結局、それは教育=毎日、うるさいほど「在るべき姿」を語リ続けることしかない。
 蓋し、戦後の日本人で「在るべき姿」を語ったひとはきわめて少ない。少なすぎる。

2009年1月10日土曜日

雪の日のソ・バ・吉

 あいにくと朝から雪降り。降雪量はたいしたことはなさそうだが、出鼻をくじかれた感じ。

 訪問先のT屋さん宅で二時間近く蕎麦談義したせいもあり、夕方、諦めかけていたオヤマボクチ蕎麦にチャレンジ。T屋さんはオヤマボクチだけでなく布海苔も少し入れるという情報を得たらしいが、出来ればこれ以上余計なもの入れたくないと思う。
 一時間ほど早く、夕方4時頃、自分で挽いた粗挽き混じり300gに水55%を計量し、オヤマボクチ1gを小さい片手鍋で煮立て、だいたいのお湯を捨てていきなりソバ粉に混ぜ、さらに水を2回に分けて加水。オヤマボクチが吸っていた水分まで合わせると57~58%くらいの加水率で、さすがにこねるのに掌にべたつく一歩手前で、やがて例のエロティシズムを感じる柔らかさが感じられるようになってきたので、これはいいぞと思った。が、こねつづけているうちに少しずつその柔らかさから遠のき、延しに入ってみると意外と硬くて伸びてくれない。むむ、難しい。1mmの厚さまで伸びたと思って切り始めたが、途中で物差しをあててみると2mm近くあった。これではまだ厚いが、硬くなってしまってこれ以上薄く出来ない。。
 テレビ放映を見たT屋さんが、打ち手が中途でもたまたま微量の水を加えていたというのがヒントになる。まだ加水の技術が未熟なのである。
 茹でてみた結果は先ず先ず。蕎麦の風味は結構残っていたし、硬すぎて食べられないほどではない。しかし、やや太めなものは少しモチモチ感がでてしまっている。このモチモチ感、ひとによっては喜ぶが、私はいやだ。それより歯切れのよさを優先したい。(ならば普通の二八や十割を食べていればいいのに......天邪鬼)
 やはり、オヤマボクチ蕎麦はコシがあるのを通り越して硬くなってしまうので、厚くてはダメなのである。出来る限り薄く延し、その分、幅は広めでも構わない。厚みと幅が同じ普通の蕎麦をイメージしていてはダメなのである。もう少し研究してみよう。

 
 

2009年1月9日金曜日

末期的

 A5版12ページのささやかな私製中綴じ本を作ることになって、一太郎でA4に2ページの設定でレイアウトし、さて印刷という段になって、中綴じ用の印刷指示が出来ないことが判明。あわててWordにレイアウトを移し、6,7,4,9,2,11と印刷し、裏返して8,5,10,3,12,1と印刷した。
 後で考えたら、一太郎でA5で1ページずつレイアウトしておいて、印刷の段階でA4にA5を2ページずつと指定すればよかったのだった。あわててはいけない。

 虚構の方は、どうも一太郎を開いて真っ白なまま、あるいは数行書いては消している状態。
 テキストエディターの31文字の方も毎日はきつい。多分、歌集を手元にたくさん積んでおいて、それらを読みながらでないと、いきなり無から始めるのは無謀。別にどこかに発表するわけではなく、ふと31音で歌ってみたいと思っただけなので、模倣になってもいいのである。

 昨年春に使用した後、ガソリンとオイルを抜き、刃も目立てしておいたチェーンソーにガソリンとオイルをいれ、エンジンをかけてみた。一発で始動した。手始めに、自家菜園の南側で日当たりを悪くしているニセアカシアを切ろうという心積もり。そこでチェーンソー作業に慣れておいて、今年も楢山に入ってみたい。シイタケやクリタケは一度に菌をたくさん植える必要も無く、毎年少しずつでいい。ただエンジンを切った後の静けさがたまらなくいいのである。誰も居ない、自分だけ、それがいいというのだから、もう末期的ではあります。

2009年1月8日木曜日

体が死ねば脳も死ぬ

 先日、弟に喪中なのに年賀状を出したのかと言われたが、私は一年間の服喪は0親等の夫婦か1親等の親、子だけで、2親等の兄弟は喪は三ヶ月と承知していたので、ほかにも理由はあるが、あえて年賀状を出したのだった。むずかしいものです。

 まだ仕事も本格化せず、体がなまって来た。私は、体と動かさないと頭も動かなくなってダメになってしまうという、きわめて原始的構造タイプなのでじっとしていると実に具合が悪い。
 体を動かしたい。体が死ねば脳も死ぬ、そんな強迫観念さえいたします。
 昨年の今頃、シイタケなどの原木を生まれて初めてチェーンソーを使って切り倒したのだったが、訳あって今年はその山には入れそうもないと思っていたところ、今年もまた同じ山に入れそうである。

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 写真は昨年12月22日のもの。見ていると体が疼きます(何とも単純な肉体派!)。
 T中さんはついに三十何万円かのエンジン駆動の薪割り機を導入、すごい。カナダのN君の実家の屋根にも薪ストーブの太目の煙突が立っているが、薪ストーブはN君がカナダから送ったものらしい。

 今日の午前中は事務的な仕事を少ししてから、レーザープリンタで試し刷りしたものやら印刷ミスしたものやらを散らかしてあったものを片付け、書籍は書籍、同人誌は同人誌で整理した。 
 それから、今年は一冊ノートを用意し、毎日一度は開くことに決めた。開いて何を書くのかというと、恥ずかしながら五七五七七なのです。五七五はあまりに短すぎるし、枯れすぎだし、瞬間芸に近すぎる。 五七五七七だと歌える。歌を唄えない私が唯一歌えるのは五七五七七なのかもしれません。とりあえずは「31文字365日」というtxtファイルをデスクトップ上に作成し、一首書き込む

 それから、システムの復元をオフにしたらハード・ディスクが4GBほど軽くなったので、またGoogle Earthをインストールし、久しぶりに鳥になって浅間山の噴火口上空を飛んで楽しんだ。
実際にはこんなことは不可能なのに、コンピュータが展開する仮想世界はすごい。Googleのストリート・ビューも暇な時に遊ぶと面白い。Google Mapに学生時代のアパートの住所を入力して、地図が表示されたらストリート・ビューに切り替えると、わあ、懐かしいアパートの前の道路を歩いている気分になれるではありませんか。ついでに息子たちの住所も入力してストリート・ビューしてしまいました。二男のアパートなどは一階なので思わず目の前のドアをノックしてしまいそうです。
 このGoogle Mapのストリート・ビューを使って、私はまだ訪問したことのない甥のアパートの外見や何階のどの部屋まで確認できてしまいました。Google Mapのストリート・ビューがプライバシー侵害を問題とされているのも頷けないこともありません。

2009年1月6日火曜日

たまには図書館へ

 先ほど、隣でパソコンをいじっている方が「アサッテの人」という本、知っている?」と訊くので、本棚の何段目の右から何冊目にあると答えたら、相当驚いたらしい。
 ふふふ、ただの惚けたおじさんと思っていたら......大間違い(大正解?)ですよ。

 今日はオヤマボクチ精製作業がようやく終了。やはり流体選別法を2回繰り返してようやく不要な茎葉のあらかたが除去できたが、それでも最後の仕上げ作業は手で少しずつ水道水をシャワー出しして微細なゴミを洗い流し、ようやく終了。異常に時間がかかります。
 これが乾燥したら、もう一度オヤマボクチをつなぎにした蕎麦打ちに挑戦してみよう。粗挽きを混ぜて加水率も多めに。

 今年はブログの更新を少し控えて、書けても書けなくても一太郎を起動して小説用縦書きの文書スタイルを開こう。開けば何か書くだろう。書いたらとりあえずは保存しておけばよい。
 全員がモラルや常識を外れた家族。

 一年ちょっと前に「ガルシア・ロルカ全詩集」について書いたことがあったが、今、気まぐれに古書検索してみたら2巻セットで安値12,000円、高値28,000円で、手も足も出ず、市の図書館からまた借りてこよう。まだ仕事は本格的に始められないし、そうだ、明日は久しぶりに二階の山室文庫にも上がってみよう。

 

2009年1月5日月曜日

徒労と呼び水

 ここといって行くところもなく、これといってすることもないので、昨日から、たっぷり時間のかかるオヤマボクチ精製作業をした。昨年の最後に収集した葉を乾燥させたまま、簡単に揉んだだけの、前処理を省略したものを、年明けに流体選別法で精製する予定だった。
 しかし、すぐに気づいたのは、前処理して葉脈や葉の表の葉緑素のある部分などを除いたものは嵩が減っているが、前処理をしないものはとにかく嵩ばる。大鍋でも一回では無理と判った。それで結局二日がかり。その上、さすがに不要な茎葉が多いだけに流体選別法でも1回ではきれいにならないことが判明。
 前処理を丁寧にするか、最後の精製で手がかかるか、いずれにしても気の長いひとでないと務まりません。(オヤマボクチ蕎麦が気に入ったように打てないので情熱が冷めかけており、こんなに精製しても使わないかもしれないので、ほとんど徒労に近い作業なのですが)
 そういえば、今日は妻の次兄が実家に帰省する日と聞いていたので、朝のうちに二八で500gの蕎麦を打っておいて、午後、届けた。




 本日は昨日、一昨日と打って変わってパソコンの電源君のご機嫌はなはだよろしく、最終工程まで終わってデータをCD-Rに焼き、明日発送できるように荷造りまで済ませる。
 最後が電送ではなくアナログな宅配便というのが笑えるが、データだけでは間違いに気づかないので、プリントアウトしたものを出力見本として送らなければならないので、データを電送したとしても結局同じなのである。

 年末から坂口安吾の「風博士」、「霓博士の廃頽」、「木枯らしの酒倉から」、「竹薮の家」と、百閒先生の短いけどメビウスの輪のように捩じれ歪んでいる掌編をざっと再読。何となく、書かなければいけないと思っているものをイメージしての読書なので、要するに昔の手押しポンプの呼び水のようなもの。あまりに使わなかったポンプなので呼び水をしても無駄かもしれない。
 そういえば、Lydwine.さんが残雪の「天国の対話」の書評を書かれた。うーん、すごい。さすがに精密な読み。私などは読んで圧倒されて、ひとにはあまり読ませたくないので、その書き出し以外には言及しなかったのだけど。

2009年1月3日土曜日

事始め

 母親は弟家族と温泉へ行き、二男も寒い田舎に閉口して夕方早々に新幹線で帰京していってしまい、二日からふたりだけの静かな夜で、怪しい作業をするには何とも好都合な事始の日の夜であります。

 パソコンの「システムの復元」を私はハード・ディスクに膨大なファイルを溜め込むのを嫌って「オフ」にしてあるのだけれど、いつだったかWindows XPの上書きインストールをしたことがあって、どうやらその時からデフォルト設定の「オン」に戻ってしまっていたらしいので、「コントロールパネル」→「システム」から入って、再び「オフ」にした。すると、なんとハード・ディスクの使用量が劇的に4GBくらい減った。
 近所の同い年のT朗ちゃんは、パソコンのハード・ディスクの90%くらいが使われていて、重くて仕方ないという。パソコンは原則的にハード・ディスクの50%以上を占有されたら重くなります。
 「システムの復元」をオンにしているからどんどんファイルを蓄えてそうなるのであって、オフにすれば軽くなると言っているのに、怖がっていまだにそのままらしい(新しいパソコンを買いなさい)。

 それから、Firefoxのプラグインであるsageを削除して後継のsage-Tooを入れたら、おお、登録してあるブログの更新確認スピードが早くなった。

 ただし、夕食後にパソコンの電源に臍を曲げられてしばらく立ち往生した。年末年始、ずっと電源は一発で入っていたのだけど、どうにも不可解。しかし、いずれ電源がまったく入らなくなる日があるだろうことはもう覚悟しており、最期の日までつきあおうと思っているので、データは毎日バックアップを続けている。しかし、万一このパソコンがクラッシュしても、今の、このメーカーのは買わないつもり。国内の、サポートNo,1のところにいたします。

 一太郎でのレイアウト作業、大詰め。パソコンがクラッシュしないうちにデータをCD-Rに焼いてしまわなければ。それにしてもWordには余計な書式が付き過ぎ。ルビとか図とかがなければ、Wordファイルをテキスト・ファイルに変換・保存しなおして、それをテンプレートに流し込むほうがずっとすっきり。ただし、この方法も問題が無いわけではない。
 

新年早々、(ーー;)

 昨年秋に千葉に住む弟に新ソバ粉を送ったのだったけれど、大晦日にそれを使ってソバ打ちしたところ、ソバがまったくつながらず悲惨な結果に終わったことを、電話で新年の挨拶をかけてきたついでに口にした。
 む、やはり。
 風味優先で粗挽きを混ぜたので懸念はしていたが、まさに懸念通り、蕎麦はつながらず無惨な形態に成り下がってしまったらしい。
 しかも、弟の子(甥)もそのソバ粉で蕎麦打ちをしたらしいが、結果はやはり×だったらしい。

 明日にでももう一度、残っている玄ソバを挽いて、60メッシュのフルイで篩って誰が打ってもつながる粒子の細かいソバ粉を製造して送ってあげないと......(ーー;)
 

2009年1月2日金曜日

いよいよ2009年

090101hatsumoude1.jpg 不況その他あまりおめでたくも無い年の明けなのですが、まずまずは穏やかで明るい元日なので、配偶者の発案で近くの神社へ長男をのぞく4名で初詣。この写真のなかに、老母、配偶者、二男の後姿が映っておりますが、私はカメラのこちら側でシャッターを押しただけ......。

 ここは、幼い頃からその境内を駆け回って遊び、雨降りには拝殿の畳敷きの部屋で相撲を取ったりして遊んだり、冬には、罰当たりにも拝殿の屋根に登り、枯れた松葉を集めて尻の下に敷いて銅葺きの屋根を滑って遊んだ記憶のある神社であるし、神楽殿ではもっと不遜な遊びをした記憶もある稲荷神社なので、何となく真摯に詣でる気分にはならず。
 正月よりも初午の方が賑やか。





2009年1月1日木曜日

性的なエロティシズムを感じるほどの

 大晦日ということで、ソバ畑を貸していただいたお宅にお礼の蕎麦をお届けするために、朝食後から蕎麦打ち。6人家族なので、二八で500gずつ2回打つ。
 先日、大阪の蕎麦専門製粉会社のホームページで、粉の種類ごとの特徴や加水率が表示されているのを見て、やはりこれまではまだ水が少なかったのだと思い、思い切って55%で試みたところ、実にこねやすく、まとまりやすく、しかも掌で性的なエロティシズムを感じるほどの柔らかさを感じた。
 多分、この感触を忘れてはいけないのだと思う。
 蕎麦打ちをするおばあさんたちが「耳たぶくらいの柔らかさ」というのは耳にしていたが、私の貧相な耳たぶでは柔らかさは感じない。蓋し今日の柔らかさはまさにそうなのかもしれない。
 これまでになく薄く延すことができ、また細めに切ることが出来た。

 夕方17:51発で長男が帰京し、東京駅発17:44で二男が帰省。高崎の向こうあたりで列車がすれ違ったのだろう。
 二男帰宅と同時に長男以外の4人でささやかなお歳取り。やがて二男が「蕎麦は?」という。今夜は蕎麦はないというと落胆した様子なので、仕方なくビールを飲むのもほどほどに、またしても二八で500gの蕎麦打ち。
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 蕎麦に明け暮れ、オヤマボクチやワサビを探して山を駆け巡った一年で、それはそれで楽しい時間でしたが、来年は文学一途にしたいものです。
 みなさま、健康で良いお年をお迎え下さい。