2008年7月30日水曜日

饅頭怖い、青唐辛子怖い

 県内同人誌団体の会報が届いたので、同人に発送。ある意図が見え見えの編集で呆れた。目や頭が汚れますな。(もう、わしゃ、知らん。これは、だれにも解らないひとりごと)

 デジタル文学館掲載の件でN沢さんにワープロで失礼ながら手紙。
 N沢さんに推薦を受けながらその後音沙汰のないN溝さんには葉書か電話で督促をしないと。 お酒を飲む話だったらすぐに乗ってくる人なんだけど、この手の話には乗ってこないほど文学に執着しない性格?......(ーー;)

 創作のイメージをつかむために、あえて川村二郎訳ではなく青木重孝訳のゲオルク・ビューヒネル(ビューヒナー)の「レンツ」と、コルタサル「遊戯の終り」、マルケス「十七の遍歴の物語」などの短編からいくつかをつまみ食いしながら再読。皆様にはまたかと思われてしまいますが、自分の規範に近い小説に何度でも戻るのです。
 それも、iPodでビリー・ホリディではなく、Nina Simeneでもなく、India arie のStrange Ftuitを延々反復して聴きながらという、かなり危なく怪しい読書。最後に、毒消しのため「マタイ受難曲」の《Erbarme dich》を1回、聴く。
 いくら散文であるとはいえ、弛緩した文章は嫌いなので、文章にある程度のテンションを与えるため、短くても構わないから、叙述のきっちりしたものをイメージ。というかエクリチュールがすべて、であってもいい訳だ(これも自分に言っているだけのひとりごと)。




 22日に書いた自己流・「青唐辛子の味噌漬け」を、今日、冷蔵庫のタッパーウェアから出し、ちょっと火で炙ってから、びくつきながら少し齧ってみた。う~む、確かに、鼻水が出ました。これだけじゃ食べられませんが、輸入の牛タンは嫌なので、さて何と一緒がいいのでしょう? 
 しかし、このげきからの青唐辛子、暑さに弛緩した頭に渇が入ります。シャキーン!!
 しかし、まだほんとうに辛くなるのはこれからだと思う。唐辛子の類は雨が多い時や雨上がりに採取すると辛味がうすいと言う。旱魃気味な時が辛味を増す。窒素が多いと辛味が薄くなるような気もする。8月、9月はもっと辛くなるだろう。
 夕方畑に行って数えたら一本に50本くらいの青唐辛子がぶら下がっている。それが4本。今、生っているだけで200本? う~む、......饅頭怖い、青唐辛子怖い。 
 どうしよう。加工方法を検索しよう。
 goo・RSSリーダーのキーワードに「青唐辛子」を登録したら31件、「青唐辛子の味噌漬け」では6件検出。とりあえずは、生のまま味噌漬けにするか、炒めて唐辛子味噌にしておくか。
 あ、そのまま冷凍保存して、水で解凍してもいいらしい。

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 ゴーヤー、5本、初収穫。明日は早速チャンプルーといきましょう。辛いのやら苦いのやらでワイワイしているうちに夏も通り過ぎてゆきます。
 あ、いよいよソバの播種もカウントダウン。予定は8月7日だが、今年は畑が2ヶ所なのでT屋さんとの共同ソバ畑の作業を優先。家族があきれています。 

2008年7月29日火曜日

順序が違う

 RSSリーダーに登録しているブログのなかで、更新されるものがあまりに少なくなって来たので、少し、生きのいいブログを追加。プロの作家などは入れないことにしていたが、信念を曲げて作家、評論家のブログも登録。

 昨日は火葬場から告別式、葬儀、直らいと一日のほとんどを費やす。どうもしかし、いつも思うことながら、この地では先に火葬してしまって、告別式、葬儀が後になるのが妙。普通、火葬場が最後なのではないか。
 それにしても、通夜といい、直らいの席といい、坊さんがいつまでも酒を飲んでいて席を立たないので、客が誰も帰れないので閉口した。ついに斎場の係がタクシーを呼んで強制退場させ、ようやくお開き。何だかなあ。天台宗のお経って始めて身にしみて聴いてみたが、気だるい読経で眠くて困った。あれはダルな坊さんのせいか?

 葬儀の疲れか、歳のせいか、パソコンのディスプレイを見ているだけでむやみに眠くなり、卒倒しそう。
 三人の歌い手のStrange Fruitと日本の歌手の歌数曲ををiTuneからIpodに同期したらパソコンを閉じ、久しぶりに原典対訳L・キャロル詩集を読もう。偏愛する「スナーク狩り」ほか数編の詩。
 


2008年7月27日日曜日

日常をこなしつつ

 叔母の納棺、通夜。リュウマチで手足が動かなくなり十三年間寝たきりで、顔と胴体だけになって、それでも生きている限りは人間であった。
 映画「ジョニーは戦場へ行った」を思い出していた。
 体が滅びても意識が生きていれば存在していると言えるのか? 意識が滅びても体が生きていれば存在していると言えるのか? などとつまらないことを考えつつ、叔母の頬を拭いた。死ぬも無、生きるも無。
 



創作メモ;
 存在としてきわめつきの悪でありつつ、きわめつきの善でもあり、また存在として闇であり同時に光でもある、矛盾した人物。悪魔も天使もかつては同じひとりの人物であったという、そういう人物造形。
 法でもモラルでも縛ることが出来ない存在。
 その解りやすい形は、犯罪として顕現しないまでもインモラルなアクション。

2008年7月26日土曜日

あたふた

 暑い。

 デジタル文学館に31作目をアップロード。作者から掲載誌のほかにテキストデータを同封していただいたが、メディアがMOでした。残念ながらMOドライブを持っていないので使用できず、掲載誌からスキャニングしてデータ化。
 



 夕方5時頃、13年間寝たきりだった叔母が亡くなったという連絡があり、とりあえず駆けつけた。
 日程は明日の朝、市役所が開くまで決まらないが、おそらく葬儀は27日。

2008年7月25日金曜日

オヤマボクチの精製歩留まりについての比較研究


��月19日の山採りの葉、採取し乾燥した876枚で精製された茸毛が120g。
��月6日採取、T屋さんの畑に昨年植え付けられた二年生のオヤマボクチの葉、344枚で精製された茸毛が105g。 

山採りでは1gの茸毛を得るのに7,3枚の葉を要した。
畑で栽培されたものは1gの茸毛を得るのに3,27枚を要した。

 早い話が茸毛100gを得るのに山採りでは730枚、栽培物では327枚で済むという、驚くべきデータ。ちなみに葉の大きさは栽培物が特に大きい訳ではなく、どちらも大きい葉、小さい葉が混在しており、データに出る差はわずかと思われる。
 手にした段階で明らかに葉の厚みの差異を感じたので、比較するためのデータを記録しておいたのだったが、これほど違うとは予測しなかった。 
 理由として考えられるのは、畑で栽培されたものは光線、風を遮るものがないので葉が厚くなり、裏の茸毛も厚みがある。それに比べ、山で自生するものは、5月はじめはともかく採取時期の6月後半から7月になると、周囲に存在する樹木の葉が若干でも展開して日光を遮り、また風通しも悪くなるので葉が薄くなる。
 いずれにしても、栽培された葉の方が精製の歩留まりが2倍以上というのは、予想を超えた数字であったので、ここに記録しておく。

                        (後日アップ記事)


2008年7月24日木曜日

本格あってこそ

 昨日、蜂に左ひじの辺りを刺された。すぐにキンカンを塗って、何とか収まったはずだったが、今日になって少し腫れ、熱を持ち始めた。保冷材をあてて冷やす。

 9月末締め切りまであと2ヶ月と一週間ほど。すでに同人のある方は書き始めておられる様子。しかも「断章を重ねてゆくというスタイル」だという。むむ、本格を書かずに変格、いや破格を書いてしまった私、すらすら書けない病気を抱えている私としては気が気ではないが、まだまだ人物のイメージすら湧いて来ない。
 今回は「Strange Fruit」をイメージ・ミュージックにしようかと、Billie Holiday とNina Simone、India Arie の3曲をあらためて聴きなおし、3曲ともDLした。India Arie も捨てがたいが、やはり一曲にしぼるとなるとNina Simoneか。動画に使われている写真が小説を書くのにはイメージが強すぎるので、音声ファイルだけ分離して歌だけ聴いた方がいいだろうと思いつつ見ていて、ふと木にぶら下がったそのStrange Fruitの映像に、垂水さんの小説「中有の樹」(「照葉樹」5号)が重なった。
 無論、ぶら下がり方に決定的な相違があり同一視できるものではないが、ぶら下がっているというイメージは同じである。

 本格あってこその変格・破格であるのは当然なので、今回は変格・破格をやめ、視点をひとりに固定し、ストーリーから入らず人物から入りたいのだが、これがまた難題。時代を背に負う人物などと大きく考えようとすると人物が自然に悪の領域に滑り込んでしまいそうになるのはなぜ? いっそ一度くらい大きく滑り込んでしまってもいいような気もする。

クリタケなど原木伏せこみ

080723kuritakenadohusekomi.jpg 梅雨明けまでにシイタケを除くクリタケ、ナメコ、ヒラタケの3種類の原木を伏せなければいけなかったが、梅雨明けになってしまった。畑の南側の竹薮やアカシアの日陰になる場所で、向こうの黒いネットはワサビの日除け。
 日中は暑くて作業にならないので、昨日、今日の朝食前に二日がかりで伏せこみ作業をした。
 いちばん奥からクリタケ、ナメコ、手前の二区画がヒラタケ。クルミの木をたくさんもらったせいで、ヒラタケが多すぎる。クリタケをたくさん植えればよかった。来年はクリタケ菌をたくさん植えよう。
 これで乾燥しないように莚(むしろ)か藁束などで覆っておかなければならない。莚はホームセンターで売っているが輸入もので向こうが透けて見えるほど薄い。2枚3枚重ねて使わないと効果ないと思うが、さて、どうしたものか?
 

2008年7月23日水曜日

痛い、熱い、辛い

gekikara&banana.jpg
 また「げきから」と「バナナなんばん」が採れた。それで前回、初収穫の「げきから」をHさんのコメントの影響を受けて味噌のなかに漬けておいたのを思い出したが、ただ突っ込んでおいただけなので、ネットで検索して味噌に酒、味醂、醤油、(ついでにガーリックパウダー微量)などの調味料を混ぜ、前回のと今日のと、細めの金串であちこちつついてから二つ切りにし、味噌の中に埋め込んだ。ついでに、辛味を比較するために「バナナなんばん」も一個、これは種を抜いて縦に八つ切りにしたものをさらに横に二つに切って漬けてみた。
080722aotougarashimiso.jpg

 それにしても「バナナなんばん」とはいかにも怪しげな名前で、ネットで検索するとやはりハンガリアン・ホット・ワックスが正しい品種名なのかもしれない。第一、ハンガリアン・ホット・ワックスという名前の方がずっとダンディ。バナナなんばんじゃ、いったい辛いんだか甘いんだか判らないような名前じゃありませんか。見た目がバナナみたいな色合いと形という安直な命名。
 この地のローカルの種屋さんが袋詰めしたものには「中辛」と表示されているが、今、切り口をちょっとなめたら「痛い、熱い、辛い」。これが中辛?
 隣に「げきから」が入っているので、これはもう発汗作用が暑さを吹き飛ばしてしまいます。

 そういえば、今朝、中辛の「福耳」を従姉にあげてしまったら、自分のお気に入りが無くなってしまったわが家の奥様は終日、雷が落ちそうなくらい不機嫌でした、桑原桑原、食べ物の恨みは怖いですw。

2008年7月22日火曜日

酸欠と高温と食害

 この春に専用に借りた畑のオヤマボクチが梅雨時からつぎつぎに株が消えてゆき、梅雨が明けたから安堵していたら、枯れてゆく株があるのでいささか気が滅入っている。
 梅雨時に酸素欠乏で根腐れになるのは解るが、梅雨が明けてなお枯れてゆくのはなぜ? と思って、今日、試みに黒いマルチフィルムを破って、中の土に手を入れてみた。熱い。地温が高すぎる。標高1000m前後の日当たり良く水捌けの良い斜面に自生するオヤマボクチの根が、こんなに地温が高くていいはずがない。明日の朝、黒いマルチフィルムすべてを剥がしてしまおう。
��ちなみに、昨秋に山から採取して来てマルチフィルムを張らずに菜園の東端に植えておいたoyamabokuchiは、一本も枯れることなく芽を出し、茎や葉を伸ばし、蕾さえ付けている。やはりマルチフィルムなど張らずに植えた方がいいのかもしれない。さる農業試験場のデータでは黒いマルチフィルムを張ると葉の収量が2倍と書かれていたが、それも状況に応じたものであろう。むしろ、山に自生しているオヤマボクチの生育環境をイメージして、それに沿った方がよさそうだ)

 昨年、菜園のトウモロコシが狸君たちに食べられて全滅だったので、もっと自宅に近いオヤマボクチ畑の隅に2度に分けて播種した。その1回目のトウモロコシが、祇園祭で行けなかった間にカラスに突かれて全滅してしまったので、すべて根元から切って草を積んで堆肥化している場所に積み上げた。
 もっと山に近い、イノシシや鹿の食害にネットを張りめぐらせて対抗している皆さんの心中が、少しは解りました。

 

 6月に購入したフード・プロセッサーが壊れた。カッターの刃の内部の、モーターの回転を受ける部分が金属ではなくプラスティックで出来ていて、それが欠けてしまったのが原因。まだ購入間もないので保証書を付けて購入店舗に持ち込み。修理が終わって戻って来るまでoyamabokuchi精製作業は停止。
 このように、かつては金属で作られていたものが安い樹脂製に代わっているので、どうも平成の日本製は昭和四十年以降の日本製ほど故障知らずではない。
 壊れたら買い替えすればいい、ただの消耗品に成り下がってしまったのですね。
 先日配達されたばかりの真空パック器も、1回だけは真空パックできたが2回目以降は真空にならずにシールするだけなので、あきれ果てて返品交換手続きをした。
 安いことを追求すればこうなることは目に見えています。もはや日本のメーカーだからといって信頼せず、もっとグローバルな視点で選択するようにした方がいいのかもしれません。

2008年7月20日日曜日

祭事部副部長と旧ブログ削除作業

 朝、第1回目の神輿に付き添って区の公民館前まで帰り、ビールと昼食をいただいてさて家に帰ろうとすると、2回目の付き添い者で休養で来られなくなった人がおり、君は祭事部の副部長なので2回目も出てくれ、と。やむなくいったん家に戻って汗びっしょりのTシャツを着替えてもう一度神輿の付き添い。この旧繁華街にある区は、近年、隣組の組長も高齢化がはなはだしく、神輿の付き添いにも耐えられないひとが多いので、未だとりあえず歩行に差しつかえない者は最初から2回の付き添いに組み込まれているのに、さらにもう一回? 
 連続で2回歩いて、山の急斜面の上り下りより疲れましたよ(いつも車なのでこんなに歩いたのは久しぶり)。

 夜、このブログの、今年の3月以前の古いURLの方をついに削除した。ただし、すべて削除してしまうと、この新しいブログにインポートした記事にリンクされている画像まで削除されてしまう。
 もうすでに重いので、今年、昨年くらいの記事はともかく、それ以前の記事はすべて削除という選択肢もあるのだが、それ以前のHTML日記やCGI日記やレンタルブログなどのログ保存が不十分になった苦い記憶があるので、記事削除は今回はやめて、画像だけを旧居候サーバーに残すことにした。画像全部で58MBだから、これくらいは我慢してもらいましょう。ということで、めでたく画像だけを残して旧ブログ自体は消滅いたしました。
 

2008年7月19日土曜日

行者ニンニクと祇園祭

 カナダのN君が行者ニンニクの種が入手できるかとメールを寄越したので、検索し、通信販売で種を買える農場のウェブサイトのURLを教えたら、予約購入しておいてと返信が来た。
 5月に従姉の家に寄った時、「行者ニンニク要らない?」と尋ねられて「要らない」と答えたことを思い出し、午前中に従姉の家の前を通ったので寄ってみた。そして行者ニンニクの種はいつ頃採取出来るのか尋ねてみると、「ちょうど、今」という。庭の隅に案内されて行者ニンニクを見ると、確かに、ニラに似た形の花火型の花房に黒い種が付いていた。かくかくしかじかで種が欲しいというと、うちのはこれだけしかないけど、裏の家の庭にもっとたくさんあるといいながら、裏の家の庭に案内してくれた。たしかにたくさんの行者ニンニクに種が付いている。従姉はそれを採りはじめた。
「あれ? 断らなくていいの?」
「どうせ、昼間は留守だ。どうせ、このままこぼれてしまうんだからいいよ」
 なるほど、いわれるままに花火型の花房をむしりとり、両手一杯くらい採取。従姉の家でお茶をいただいて帰宅。

 午後、今年は役員のため、区の神輿組み立てに出る。宮神輿のほか、樽神輿を一基作る。どちらもこども神輿。
 役割分担表では、19日と20日、1回ずつ神輿について区内を巡ることになっている。

2008年7月18日金曜日

Strange Fruit

 ビリー・ホリディやニーナ・シモンのStrange Fruitだけでなく、ダイアナ・ロスとかいろんな歌手のものを聴いているうちに、インディア ・アリーという歌手のStrange Fruitの、その歌い方に足が止まった。先日偶然知ったOver The Rhineの女性ボーカルに声も歌唱法も似ているような気がした。気に入ったのでダウンロードし、India Arie についてあらためて検索してみたが、他の曲は普通だった。

インディア ・アリーのStrange Fruit
 インディア ・アリーのがバランスがよく、こちらの精神を撹乱されずに聴いていられます。
 こちらの気力が充実している時はビリー・ホリディもニーナ・シモンもいいんですが、弱気になっている時はいけません。
 それにしても、動画に、Strange Fruitと言い換えせねばならなかった黒人の私刑された死体、その写真がモンタージュされていて、目をそらさずにじっと見つめるほかありません。

2008年7月17日木曜日

批評が機能しない時代に、敢えて

 長野ペンクラブの事務局をみごとにこなされている金児さんが、ご自身のブログ金児至誠堂で「信州文芸20」掲載作について、ここ数日連続で書かれている。
 別に嫌味でも何でもなく、同人誌に小説を発表している人の多くは、自分が書きたいものを書いて同人誌に掲載された、それだけで満足しているらしいし、自分の書いたものには感想、批評を言って欲しいけれども、自分はひとの書いたものは読まない、感想、批評も言えない、言いたくない。
 だが書くことと読むことは、いわば創造の無限スパイラルなのであって、書くことと読むことが相互に照応しあい、干渉しあってこそ、さらに書くことと読むことへリンクしてゆく。
 そうでなければ、何のための創作であり、読書、批評であるのか。
 と半ば絶望しつつ、半ば怒りつつ、金児さんの、ご自分の目できちんと読み、なおかつ言葉は少なく厳選されてご自分の思考と感性をもって感想を書かれる行為に賛同し、いたく感動しました。

書かなくっちゃ

 デジタル文学館に、せめて県内の書き手の作品をもう少しアップロードしなければと思い、先の総会で策略をめぐらして1人推薦を頂戴し、3人分は根回しをしたはずだったが、未だに音信が無い。
 あらためて推薦を依頼したり、催促したり、強迫したり、明日は3通の手紙を書かなければならない。この頃メールばかりで、手紙の書き方を忘れた。まして手書きなんて......書ける?

 そういえばこのブログのカテゴリに「偏愛図書室」を設けておきながらずっと放置してきた。ゆっくりでも少しずつアップしていかないと。
 ジョージ・オウェルの「1984」と、ミラン・クンデラの「冗談」を併せてアップしたいけれど、読み返さないと書けないのがネックとなり、つい放置してしまうのですね。

 それから、前回は評判悪かったので(嘘、大方は無反応で、評判にさえなりませんてば)、次回は固定焦点カメラでばっちり描写しようと画策中。「レンツ」でいくか、ヨーゼフ・ロートでいくか、それとも......(書けもしないうちに手の内を明かすなんて......aho)

Horse Radishの実生

080716horse_radish.jpg 今朝、朝食前に畑ワサビの草むしりをしていて、あれ、これなあに?
 見たことがある葉の形。ひょっとするとHorse Radish(西洋ワサビ、ワサビダイコン。北海道では山ワサビとも言うらしい)の実生ではないか。実は、ある人物が数年前にわが家の家庭菜園に黙ってこっそりHorse Radishを一株植えた。昨年の秋にその人物が自白した。今、畑ワサビを植えてある場所である。この春にワサビを植える際に邪魔なので数メートル離れた場所に移植した。その種がこぼれ、発芽したものではないか。ほかにも、この近くに小さいのが二株生えている。
 それから、もともとの株に子のような株がいくつも出来ていたので、3週間ほど前にそっと切り離し、葉を切ってポットに植えておいたら7株すべて根付いたようだ。
 まさかWasabia Japonicaと交配するようなことはないだろうが、同じアブラナ科なので、念のため、これらも含め、少し場所を離して植え替えしておいた方がいいだろう。

 そういえば、いよいよ「げきから」が十数本初収穫となったので、無謀にも、Hさんのコメントにあった「青唐辛子の味噌漬け」にチャレンジ。ただし、どうも唐辛子は成り初めや雨が多い時期は辛味が強くないようなのでちょうどいいのかもしれない。
 中辛の「福耳」も今日は7~8本採れたし、バナナ南蛮も数本がバナナ色になってきたので楽しい。「福耳」はまだ噛んで二、三秒おいてからふわ~っと辛味がやってくる感じで、あまり辛味に耐性の無いわが家には最適種かもしれない。

2008年7月15日火曜日

丸ズッキーニ物語・感謝篇

080714goldy.jpg

「あれ? 左のお兄ちゃん、ちょっと髪の毛が多いでちゅね」
「そうさ、3日から5日で一人前になってしまう丸ズッキーニの世界では、一日先に生まれていれば相当なお兄ちゃんだし、髪の毛が多いのもあたりまえさ」
「へえ、ぼくたちも明日はお兄ちゃんくらいカッコよくなれるんでちゅか?」
「まあな。あらあ、おい、おまえたち、後ろを振り向いちゃダメだぞ。(まったく、長い連中はいつでも横になっていちゃついていて、これだからおれ、あの長い種族、嫌いなんだよw)」

��あれ?お兄ちゃんの頭は「ブラック・エッグ」調ではありませんか)




 丸ズッキーニ、「グリーン・エッグ」、「ゴールディ」、そして今年は作らなかった「ブラック・エッグ」の発売元の社長でありますKANDAさんから、丸ズッキーニのレシピ(PDFファイル)を送っていただきました。
 4つのレシピがあり、プリントアウトして奥様に見せたら、「あら、おいしそうね、全部作ってくれるの? 楽しみだわ」って。
 ふん、やってやろうじゃありませんか!! 
 

自分の声が聞こえるよう

 今夜、もう一度Glenn Gould - Extasisを見直していて、12/12、つまり最終章で以下の言葉に遭遇して大感激。
グールドは複数の旋律が絡み合う曲を好んだ。
形式が自己の形式を絶えず問うているからだ。
自分の声が聞こえるよう複数の声が必要だった。

 実に、そうなのだ。「私」の声がひとつでは客観化できない。複数あってこそ「私」なのだ。
 というか、客観化できない「私」は「私」ではない。

 続けて、Glenn Gould: The Alchemist を見る。

2008年7月14日月曜日

Glenn Gould三昧

 今日は、昨夜に引き続いてThirty Two Short Films about Glenn Gouldを見た。
 これはドキュメンタリーではなく、グールドに関するエピソードやら何やらで製作されたショートフィルムの数32編が分割アップロードされているので、ダウンーロードするのが面倒になって、いっそ見てしまった方がいいだろうということで。
Thirty Two Short Films about Glenn Gouldの17編めはラジオ・ドキュメンタリ「北の理念」成作風景を写したショート・フィルム。むろん、ここに映っているグールドは俳優であります。
優れたバッハ演奏家であったグールドはラジオ・ドラマでもポリフォニーをめざした。
 モノフォニーの小説と、ポリフォニーの小説。普通は圧倒的にモノフォニーの小説が多い。どちらが優れているとかではなく、ポリフォニーの小説もどうですかという話だが、慣れないひとは混乱するだろうな。(次回はモノフォニーで、深い井戸を掘る??)




 雨続きで、今年借りたoyamabokuchi畑が予想通りに水捌けが悪く、草退治に入れないでいたら、ジシバリ(地縛り=この地では「相撲取り草」ともいいます)が大発生していてえらいことに。oyamabokuchiも酸素欠乏で根腐れになりだいぶ枯れたが、55枚収穫し、昨日の山採りの葉といっしょに乾燥させることにした。
 チコリがだいぶ大きくなり、何株か茎が立って来た。多分、そのうちに蕾が出来てきて、あのHeavenly blueな花が咲くだろう。チコリの根でコーヒーだかが出来るとかどこかに書いてあったが、さて。やはり芽の軟白が目標であります。
 
 カナダのN君が行者ニンニクの種が欲しいというので買えるところを検索し、連絡したら返信にRhubarbの写真とヤーコン、茗荷の写真が添付されてきた。ヤーコン、茗荷はともかく、Rhubarbの写真が羨ましく赤い。これが日本に来ると緑になってしまうのです、ウァーン・゚・(ノД`) 。
 日照、気温、土壌の酸、アルカリ、何かが悪戯しているのだと思いますが、究明できません。

↓ 添付写真

2008-7-12 rhubarb 001.jpg 2008-7-12 rhubarb 002.jpg
��クリックで拡大表示します)
 右の写真、色がよく判るようにと「こかぶ」と一緒の写真。うう、こんな風に赤くならないのですよ(泣)。


2008年7月13日日曜日

個人ではなく集団として嫌い

 あまりに暑いので仕事は午前だけで切り上げ、午後になって先日の深山幽谷へ行ってみたが、山もさして涼しくはなかった。水が流れている渓谷まで降りれば涼しいのかもしれないが、車まで戻るのに登るのがあまりにタイヘンなのでおりることを断念。舗装されていない上に石ころを敷き詰めたような、河原を走っているような林道の途中の、oyamabokuchi群生地でもう一度採取できるように取り残しておいたのだったが、行ってみると、あらら、だれかが根こそぎ採って行ってしまいました。
 仕方なく新しい場所を探して別の林道を巡っているうちに、また群生地発見。山の中で、自分は勘がいいとひとりで自画自賛。624枚。


 今夜は動画サイトで
Glenn Gould - On The Record
Glenn Gould - Off The Record
Glenn Gould - Extasis
などを見て過ごしている。
 分割アップロードされているのでちょっと見にくい。
(ダウンロードしちゃいます? って誰に?)
Glenn Gould - Extasisの初めの場面で、32歳でコンサートを止め、スタジオ録音だけするようになってしまった彼が言っている。誤解されやすいだろうな。
「私は聴衆が嫌いだ。個人ではなく集団として嫌いなんだ。聴衆は悪の力だ」


Glenn Gould-Extasisは12ファイルに分割アップロードなので、パソコンを使わない時にダウンローダーでダウンロードさせた。Glenn Gould-On the RecordsとGlenn Gould-Off the Recordsはどちらも4分割なので手作業でダウンロード。まだflvファイルのままだが、とりあえずはFLVプレーヤーで見ればいいのでファイル変換は暇な時に。(全部で276MB。パソコンの外に保存しなければ)





2008年7月12日土曜日

端正にまとまり、一貫した作品

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 これは、HさんとNさんのおふたりに見ていただくためにアップした自家菜園のワン・ショット。
 「げきから」が目に見えて大きくなり始めました。中辛の「福耳」も成長が早く、すでに5本ほど採って食べましたが、まだ成り始めのせいか、梅雨時で水分が多いと辛味が出ないとも言いますし、タキイの「あまとう美人」ではないかと思うくらいの太長で、辛味もまだありませんでした。とうがらしは旱魃気味の方が辛味が強くなると言うので、梅雨明けを待ちます。でも「げきから」は怖いです、Hさん、Nさん。
 あ、昨年製造してあった「なんばん味噌」がまだあるので、Hさんに教わったひき肉とネギを炒めて......明日の夕食は、うふふ。 




 ようやく42号の感想の自分の分をアップして、同人全員の作品評がまとまった。ビリから2番目のT居さんが、昨夜、メール添付で感想を送信してきた後に電話をかけてきて「おれがいちばん最後ですか」と言うので、「いや、T居さんじゃなくて私が最後です」と返答。編集発行人がもたもたしていてビリな方が、皆さんが安心できます(って、遅すぎる自分を擁護する後付の理由にすぎませんが)。




 やはり昨夜、カナダのN君がメールで行者ニンニクの種が欲しいと言って来た。行者ニンニクは普通は苗や球根で流通しているが、種もないことはない。ただしカナダへ種を持ち込むと税関で没収されないか。それに発芽させるのに一工夫必要なようである。wasabiの種も欲しいとかいうので、wasabiの種は乾燥に弱いのでそれは無理だと、水の中で莢を腐らせて種だけになったwasabiの種の写真を添付送信した。ついでにoyamabokuchiの葉の乾燥中の写真と、精製して茸毛だけになったものを撮影した写真も添付。彼は昨年秋に帰国した際に中学時代の恩師の家を訪ね、ソバ打ちをする奥様からoyamabokuchiを5gほど分けてもらって帰国、向こうでソバ打ちをしているセミプロの知人にoyamabokuchi蕎麦を打ってもらって食べている。
 今年は狂ったように、自生と栽培したものとoyamabokuchiの葉を集めまくったので、この秋に彼に持たせる分は十分にある。(あ、また葉が大きくなっているだろうから、今月中にもう一度山へ行かなくては)
 そういえば、今日、昨年借りたMy Soba Farmに行って、雑草と昨年こぼれた蕎麦のみが発芽して花盛りなのをトラクターで耕して来た。昨年秋以来のトラクター運転なので、エンジンのかけ方、運転の仕方を忘れていた。道路を走るのにもう少し高速で走れるはずだが解らないので亀のようにゆっくり前進で厭になりました。種まきは8月7日~10日の予定。
 昨年は畝幅が狭かったのと土に残留していた肥料分が多かったので猛烈に倒伏した。これを反省し、今年度は畝幅を1m前後にするつもり。その方が日当たりや風通しが良く、茎が太く丈夫になり、分枝もして花もたくさんつくので、結果として品質アップ、収量アップにつながる模様。




 とか現を抜かすばかりでなく、次の締め切りが9月末なので、もう構想を練らないといけません。今回はわがまま放題に小説という形式にさからう怪しい作品を書いたので、次は端正にまとまり、一貫した作品を書かなければなりません(よ、君ィ)。
 いずれにしても、書くぞ、書くぞと公言しておかないとズルをしそうな自分の性格を承知した上での公言です。(ーー;)
 

 私的事情によりLydwine.さんがブログ更新休止宣言をされた。余儀ない外的事情によるもので、Lydwine.さんの内的事情ではないと思われるので、いずれの復帰を待てば良い。
 
 世間一般の話だが、ブームだったブログもいつのまにか下火である。
 Firefoxのsage に登録したブログが、整理してもまだ40近く残っているが、そのうちほぼ毎日更新されているのは5つくらい。もう登録を外した方がいいのではないかと思うブログの方が数は多い。ブログの更新をやめた彼や彼女は、今、どうしているのだろう? 毎日ブログを更新していた時よりもまっとうな生活をしているのだろうか? いや、不確かな想像はやめておこう。
 ブログを毎日更新するのは、よほどタフな心身の持ち主か、おでこにキの字が刻まれている人物か、暇をもてあましている人物くらいである。私はそのどれかにわずかにひっかる程度。
 マラソンランナーは走れるだけ走る。倒れたらそれでおしまい。
 

2008年7月11日金曜日

すべてを承知した上の確信犯

 今回私が書いた、一人称の破片を並べるという怪しい作品。
 その書き出しである「私・0」が、実は坂口安吾のファルスについての優れたエッセイである「ピエロ伝道者」の書き出しのパロディにすぎず、最終の「私・16」もまた、度々、ここに書いて来たJ・ジョイスの『ユリシーズ』の最終章「ペネロペイア」の、あの句読点を極端に排除した文体の模倣=パロディにすぎないということに気づいている方がおられるだろうと思う。

砂時計

 デジタル文学館
29作目に続いて30作目をアップロード。
 雑誌からのスキャニングだがA4二段組見開き二頁を一枚の画像としてスキャンしたものが5枚とちょっと。OCRソフトでテキスト・ファイルに変換し、HTMLファイルと縦書きPDFファイルを作成し、アップロード。拙速粗忽なのでどこかにミスがあるやも知れないが、見直しは明日。
 いただいた単行本の著者略歴に1922年生まれとあり、今でも現役で小説を書かれていることに感嘆と敬服。

 しばらく前から探していた砂時計の3分計がようやく見つかった。
 長男の勉強机の中にしまってあった。
 長男というのは、人間でも物でも何でも、すべて自分の物と思い込んでしまうような節があります。
 
 





 備忘;
 今日も午後病院へ行ってみた。
 午前中はよかったというが、感染症を予防するための注射(点滴?)により悪寒、吐き気などに襲われている最中。
 心臓や肺に水が溜まるのが、放射線治療の副作用なのか、あるいは病気そのものに起因するのか? いずれにしても、当初宣告された短すぎる余命を、はるかに超えているのは確かだ。

2008年7月10日木曜日

富貴蘭が咲いた

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 富貴蘭の蕾が4つついていたが、開いた。
 しろうとでは咲かせるのが難しいというのに、なぜか、わが家に来て二度目の開花。 
 鼻を近づけると何ともいえないいい匂いがする。
 こういう匂いをかぐと、残雪の「天国の対話」の書き出しをすぐに思い出してしまう。ああいう書き出しで、するすると書き始めたいものだ。
夕べまた夜来香のかおりがした。あなたがこのことを教えてくれてから、これでもう五度め。
   『カッコウが鳴くあの一瞬』近藤直子訳・河出書房新社1991年






 *備忘
 午後、Sの手術立会いのためS総合病院へ。心臓を包んでいる心嚢という袋に溜まってしまった水を抜く手術。説明は予定通りの時刻だったが、先に行なわれている手術の遅延で手術室入りは2時間50分遅れ、17:50分。手術室から出てきたのがほぼ19:00。抜き出した水の量、530cc、これだけの量が心臓と心膜の間にあったら、さぞ苦しかろうと思う。
 帰宅20:00。
 

2008年7月9日水曜日

梅雨が明けないうちに

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 昨年秋に植えたオヤマボクチに薹が立って、ついに蕾が出現。八月にはアザミの親分みたいな花が咲くだろう。
 今年専用の畑を借りて植えたオヤマボクチは、水捌けが悪いのを危惧していた通り、150株植えたうち30株が酸素欠乏による根腐れで枯れ、消滅。オヤマボクチのためには、早く梅雨明けして欲しい。

 そういえば、梅雨が明けないうちに、春に菌を植えたキノコ4種類をそれぞれ何とか伏せなければいけなかった。シイタケはホダ木を立てておくが、クリタケ、ナメコ、ヒラタケは皆、土に半分埋めるように伏せなくてはならない。先日、アカシアや竹の木陰で独活が数株ある場所を開墾し、場所は確保してあるのだが、ここ数日の高温多湿で多汗症の私は赤ちゃん並みに背中が汗疹になってしまって、だから汗をかく仕事を避けたいのであります。
 クリタケ、ナメコは長木栽培で寝かせて伏せればいいが、ヒラタケは短く切って立てて伏せ、木口から発生させないとダメだとT屋さんは言う。だとすれば90cmの原木を30cmずつ3つに切るという作業を、この暑いのにしなけれならないが、さて。
 

発表を前提としないで

 長男に頼まれていた眼鏡の修理に上田市まで行ったが、無料であっという間に修理が済んだので、助手席のお方が軽井沢のセゾン美術館まで行こうというがそれには時間が少なすぎるので隣町のメルシャン美術館へ。事前に調べてなかったので、何を展示しているのかも知らず、入ってみるとウィリアム・モリス展。19世紀産業革命時代にデザインを職業とした先駆者で、詩や物語も書いている。ステンド・グラス、テキスタイル、壁紙などの文様、家具などが展示されていた。
 ミュージアム・ショップを通っていったん庭へ出ないと本館へ行けないようになっていたが、庭の芝生のあちこちに種類の異なる食べられそうもないキノコが散在していて、思わず、最近知ったある方の庭を思い出してひとりでニコニコ。

 帰路、ミュージアム・ショップで思いついて一筆箋を購入。この頃、何も書かずに雑誌を発送したりして、実はかなり心がいたんでいたので。
 でも、買っても買っても一筆箋が無くなってしまうのはなぜ? 
 そういえば和歌山県立近代美術館に田中恭吉の一筆箋があったはずと思ってウェブサイトを訪ねてみたら、ネットによる通信販売はしていませんでした。お、田中恭吉の「五月の呪い・Tシャツ」が3,900円だったのが2,000円に値下げされています。和歌山まで買いに行くのはタイヘンです。

 午後、1/25,000の地図を2枚買うために町内の書店へ。思いついて文〇界の一番後ろの記事を見た。同人誌評で取り上げられない小説を目指したLydwineさんの閉口した顔が、一瞬、目に浮かんだ。
 わが誌は巻頭のハチャメチャな作品が災いして撃沈したと思ったが、よく考えてみたら発行が5月20日なので今月ではないようですが、まあ、撃沈必至と観念しています。実は私も、同人誌評で取り上げられない小説or感想が書きにくい小説(非小説)を目指していたので、やはりあれを巻頭に持っていったのは暴挙愚挙で、もっと読みやすく、批評しやすい作品を前に置くべきでした。 同人の皆様 、ごめんなさい。
 次回からは発表を前提としないで小説を書くように心がけるつもり。??

2008年7月8日火曜日

ストーリーに寄りかからない小説

 今回、ストーリーに寄りかからない小説が書きたくて、人間という存在を、「私」という一人称の絶対的個の、その内側に身を置いて描写だけに徹するという方法で、ああいう部分を積み重ねてゆく。実はまだつづけて100人分くらい書いてゆくつもりでした。

 われわれは、部分を見ることは出来ても全体を見ることは出来ない。それなら、はっきり見えた部分だけを提示し、部分で全体を暗示する、それでいいのではないか。

 しかし部分の集積だと軽くなってしまうし、ストーリーから遠ざかろうとすればするほど動的ではなくなって、小説には見えなくなってきますね。
 それが、何か、ひどく損なような気がしてきました。
 やはり、ストーリーに乗って分りやすい小説を書いた方がいいのでしょうか。

2008年7月7日月曜日

私が「デジタル文学館」を始めた訳

 訳があって「小説」、「投稿サイト」で検索してみたら、あきれるほどありますね。
 個人運営から相当なデジタルコンテンツ運営会社などの法人運営まで、ケータイ小説投稿サイトまで含めれば、ありすぎて閉口仕ります。
 
 そういえば、過去にも私のところに小説だけでなく絵や詩など芸術全般の投稿サイトを始められた女性から案内があり、リンクをお願いしたいというので了承したことがあったが、なぜか、この運営者、運営する投稿サイトの更新がぱたっと途絶えてしまうのである。それでリンクを外してしまったのだったが、忘れた頃になってまたリンク云々というメールを寄越したので、お断りした。どのような事情があってサイトを放置されていたかは判らないが、無責任である。いちいちメールを寄越さないまでも、少なくともサイトのINDEXに、申し訳ありませんがこういう事情により更新が滞っていますくらいの告知はすべきであろう。
 インターネットというのは実は幾らでも私的に利用できるけれども、全世界の人類が使える公器でもあるのです。その公器を使って情報発信しているかぎり、そういう最低限度な責務は果たしてもらわないと困るのであります。
 さらに、話は遠く迂回してしまいますが、先日、ある人物から「入会希望」という件名のメールが届きました。数年前に入会希望のメールを寄越したので、例会(合評会)の日時を案内するメールを送信し、なおかつその号を郵送した。にもかかわらず、彼は例会(合評会)に顔を見せなかった。忘れた頃になって、またメールが来た。例会(合評会)の日時を知らせた。しかし、それでも彼は来なかった。
 二度あることは三度あって、また「入会希望」のメールが来たが、その際の失礼については一言も無い。私はこういうひとには、意地でも返信しない。
 こんな人物を仲間にしたいと思います? こんな人物の書いた小説、読みたいと思います? 思いませんよね。

 と、ぶつくさぼやいておいてから、さて、冒頭の「小説投稿サイト」の話題に戻ります。
 インターネット上には個人運営から法人運営まで様々、たくさんの「小説投稿サイト」が存在します。
 今年になってからも、何とかいう法人運営の「小説投稿サイト」からもメッセージ・ボックスにメッセージが入っていて、そのサイトを見に行ってみましたがどうということはありませんでしたので、メッセージ自体も削除してしまいました。ケータイ小説を出版したら売れたという現象に乗って柳の下の泥鰌を狙って開設された「小説投稿サイト」としか思えないのでした。
 インターネット上では、独自のサーバー(あるいはレンタル・サーバーであっても)さえ持っていれば、あとの経費はそうかけなくても「小説投稿サイト」など運営できます。百万、一千万、一億円などという資本を投下しなくても、運営できるのです。現に私は「デジタル文学館」を無料レンタル・サーバーを借りてゼロ円で運営しています。ひわきさんの「文芸同人誌案内」も然り。
 生物兵器や毒ガス兵器が「貧乏人の核兵器」といわれ、インターネット上のウェブサイトが「貧乏人のメディア」といわれることがありますが、まさにいい得て妙な呼称であります。
 インターネットは、今や、ネットに接続するだけの基本的(インフラ)整備には若干の月額基本料金がかかりますが、インターネット上でウェブサイトを展開するのに費用はいっさい必要ないのです。ちょっとだけのスポンサーへのリンクさえ気にしなければ、個人でも法人に負けないウェブ運営が可能な時代なのです。

 で、私は「デジタル文学館」を経費ゼロ円で開設し、全国の印刷された文芸同人誌に掲載された秀作をインターネット上で読めるべくアップロードを開始した。
 それは、「文芸同人誌案内」で知り合った皆さんの協力=推薦があってこそ広がる性質の、実は言葉にしてしまえばあまりにも日本的で恥ずかしい「純文学」という呼称の、アナログ=紙媒体一途からの脱却、すなわち、いかにも怪しいインターネットというデジタル媒体との二足のわらじを履くという、一種ルビコン河に賽を投げる行為に等しかった。
 
 ここで立ち止まって振り返ってみれば、かくしてアップ・ロードされた「デジタル文学館」の作品群と、あきれるほど多い個人運営&法人運営の「小説投稿サイト」にアップロードされた作品群の間に差異や径庭は無いのだろうか?
 それは、歴然とあるのです。
 ただネット上にアップされただけの小説は、実は、いつでも書き換え可能で削除さえも可能な、いわばパチンと弾けて消えてしまうシャボン玉と同じくらい仮想(ヴァーチャル)なのです。
 それに引き換え、旧式でアナログで非効率な、「貴重な森林資源を伐採し、それを粉砕したチップから漉かれた紙に数百部印刷製本されたにすぎない文芸同人誌」に掲載された小説は、書き換えも不可能で、削除も不可能な潔いメディア(表現媒体)なのであります。
 インターネット・ネットは、匿名性やハンドル・ネームに身を隠した一種の「天狗の隠れ蓑」の世界であり、マジック・ミラーに囲まれた取調べ室に過ぎないような側面を持っているのですが、印刷された文芸同人誌に掲載された小説はそれとは異なり、印刷発行された時点で書き換えや訂正、削除も不可能な、厳然とした言語表現=エクリチュールとなるのです。
 それがいかに稚拙であれ、いかにつまらない小説であれ、自己満足に過ぎないのであれ、現に生き、考え、感じ、ベストセラー無縁、名誉も地位も無縁な位置で、それをみずからの言葉で表現しようとする偉大な文学のアマチュアの表現行為をこそ、私は世界中の誰もがアクセスできるインターネット上に展開したかったのです。
            


��ああ、今夜もインターネットの海の波間や底に浮いたり沈んだりしながら、さよなら三角また来て四角、ブクブク......泡々)。

2008年7月6日日曜日

丸ズッキーニ物語・天地無用篇

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「あれ? ひとりヘンなひとがいます」
「ほんと、髪の毛を立ててちょっとかっこつけてる感じよね」
「あのひと、わたしたちとはさかさまだわ」
「何言ってんだ、ヘンなのはおまえらの方じゃないか。全員で逆立ちししちゃって」
「......」


2008年7月5日土曜日

ふたりのゲオルク

 ひとりは、知るひとぞ知る『レンツ』を書いたゲオルク・ビューヒナー。
 もうひとりはゲオルク・ハイム。
 彼の『狂人』という小説を一編読んだだけなのだが、その異様な切迫感だけが今でも意識の海の底の底に残って、眠っている。
 奇しくもこの二編、同じ本、川村二郎編「ドイツ短編24」(集英社)に収録されているのです。
 昭和46年発行の古々しい本ですが、日本の古本屋などで検索すると相当数ヒットしますので、入手困難な本ではありませんし、買って損はないと思います。

 文学というものが、マスとしての人間、あるいはミニマムとしての人間の双方、両極性を、見、感じ、共感し、考えるリアルな言語表現システムであると想定するなら、あるいは文学は人間という存在の自己矛盾、自己撞着に寄り添い伴走してくれる稀有な芸術であると想定するなら、このふたりのゲオルクは見事にわれらの伴奏者ではないかと思うのです。

 物書きというのは、一人称、二人称、三人称、すべてを通底するもの=存在としての共通項を探索しながら、同時に誰とも共通しない=存在としての個(性)を提示すべきではないでしょうか?
 単に身過ぎ世過ぎのために書く職業作家でもなく、名を知られたくて書くのでもなく、なぜ、われわれのような不合理極まる存在が誕生し、生き、そして死んでいかなければならないのか?
 そこまできちんと書かないで、何のための文学、何のための小説だろう。そうでない文学や小説など、今、ただちに滅びてしまっても一向に構わない(などと考えるのは不遜?!)。



流体選別法

 いよいよ、オヤマボクチ精製の本番でありますが、どうもタイヘンな根気仕事で、精製本番も大鍋でひたすら煮て、洗い流しながら不純物を除くという、とにかく必要なのは最初から最後まで根気だけという単純作業でいやになります。
 ソバ栽培の刈り取り以降の脱穀選別作業同様、根気だけで成立するような、原始時代や縄文時代と一向に変わらない手作業なのです。
 何とか、もう少し楽に早くきれいに精製できないものか、ずっと考え続けて、今日、仕事で車を運転中に一瞬の閃光。電柱にぶつかりそうになりました。

 夕食を終え、キッチンが片付いて誰も居なくなったのをこれ幸い、さっそく大鍋を出して試行開始。真夏並みに暑いので上半身裸のオジサンが大鍋の中をのぞいている様は物狂いしてるとしか言いようがありません(ーー;)です。
 先ずは炭酸水素ナトリウム(ただの重曹)を適当に投入して煮込み、アクが出て真っ黒な色になるので、一度水を換え、さらに煮続けること二時間。
 これまでいろいろ調べ、、昨年秋に初めて精製した際には、この後、ひたすらキッチン用のステンレス製の網のザルを使ってゴミ(茎や葉のかけら)を除去したものだが、それでもゴミが残った。あれではどうもすっきりしない。
 なんとか、もっときれいに精製する方法はないか? 
 ごく普通に家庭にある機器を用いてある処理をします。その後で、ステンレス製の網のザルを用いて水で洗い流すのは同じです。蛇口の水をシャワーにして強く流すと、見る見る不純物が洗い流されて、オヤマボクチの茸毛だけになってゆくのは感動的でさえあります。
 いわば「流体選別法」とでも名づけられるべき方法でありますが、ここに詳細は書けません。特許申請できるかもしれません(笑&冗談)。
 ですが、私にとって天才的、画期的方法なのです。この方法が一般的に行なわれているか、いないか、調べてみる必要があります。
 とにかく、99%以上不純物を除くことができて、きれいな精製オヤマボクチが出来ました。乾燥したら画像をアップすることにします。

2008年7月4日金曜日

残雪、入荷お知らせメール

 そういえば、7月後半に残雪の「暗夜」が出るのだったと思い出し、「洞窟書房」に並べて自分でオーダーしようと検索し、棚に並べたら、あれ、発行がまた8月上旬にずれ込んでいる。
「暗夜/戦争の悲しみ」残雪、バオ・ニン/著 近藤直子、井川一久/訳 、河出書房新社 価格:2,625円
 7月後半と8月上旬ではそう違いがないのでまあいいかと、予約を入れておこうと思ったらまだ予約が出来ない。
 仕方なく、入荷お知らせメールを依頼しておいた。これなら忘れていてもメールで知らせてくれるので、折り返しオーダーすれば安心。残雪の小説が7編収録されるので、うれしい。

 早く自分の作品評をまとめてアップしなければ。



2008年7月3日木曜日

うっかりEnterキーを一度押しただけなのに

 このブログのコメント機能をいったん停止して、復活させたつもりが復活していなかったことが今夜判明し、猛烈にあせってようやく復活させることが出来たのだけれど、その間、Lydwineさんやkairouさんのブログのコメント欄を借りて、まるで業務連絡のように書かせて頂いていた。

 でも、
 Lydwineさんやkairouさんに発破をかけるようでいて、
 実は単に自分の尻を叩いているに過ぎない煽動的言辞が、
 うっかりEnterキーを一度押しただけなのに消えてしまいました......。
  


2008年7月2日水曜日

オヤマボクチ精製・前処理メモ

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 乾燥したオヤマボクチの葉の茎に繋がっている太い葉脈を取り除き、それからある機械にかけて5分間回転させる。
 すると、葉の表面の葉緑素の多い部分が粉茶のように粉砕され、葉裏の白い毛(茸毛)と分離されるので、それを篩(ふるい)にかける。


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(篩はホームセンターで売っている園芸用ふるいの3枚付属する網のうちのいちばん細かい網目3mmを使用。中くらいの網で試したが茸毛まで落ちてしまい、いちばん細かい3mm目が最適と判明)

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篩った茸毛(じょうもう)をマクロ撮影したもの。まだ白い毛のなかに緑の葉の破片や茎の筋が残っている。これをさらに乾燥させ、フードプロセッサーにかけて篩にかけるという作業を数回繰り返すと、不純物が徐々に少なくなり、精製の前処理はこれで終了となる。この綿のような状態のものを作り溜めておき、最後に、昨年秋に試みたように、鍋で重曹を入れて煮てアク抜きをし、さらに水を替え、数時間ひたすら煮てから水にさらし、不純物を洗い流す。不純物が減ってほぼ白い茸毛だけになったら、脱水、乾燥して作業終了。
 昨年のように乾燥した葉を手揉みしていたのでは非効率的だったが、フードプロセッサー使用でこれだけ精製前処理がうまくいくとは思わなかった。フードプロセッサー様々である。こんなくらいならリサイクル・ショップに行って業務用のを見つけてくればよかった。




そういえば、仕事で近くまで行ったので、昨年、ソバを栽培した畑を久々に訪問。雑草が心配だったが、貸主が一度トラクターで耕運しておいてくれたので、昨年こぼれたソバの実が発芽、成長して花が咲いてはいたものの、雑草はまだ小さかった。近いうちに一度、トラクターを借りて耕しておかなければならない。8月10日ごろの播種までに2回。

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 長男、二男ともに7月1日より任地が変わった。
 危ない職種ばかり選んでいた長男が、一転して実に堅実な職種に変り、安堵。
 また、先週電話をかけてきて、勤務地が決まらなければ馘首だの、電気代が払えないだのと暗い口調でつぶやいていた二男は、数日前にまた電話をかけて来て勤務先が天王洲アイルの外資系企業に決まったといい、打って変わって、別人のように弾んだ口調。
 ふうむ、お父さんには君の気持ちが丸見え。
 ええかっこしいの君がかっこいいお姉様たちと並んで出勤する姿を想像して、お父さんは羨ましい限り。

2008年7月1日火曜日

感想・批評は必ず文章で書く

 今夜も差し迫った作業を終えてからはiTunesでJazzを流している。Jazzだけで82ストリームとあるが、同じ局でビットレートが違うだけのものがあるので、実際はざっと数えて56局くらい。radioioだけでもradioio BIG BAND、radioio Smooth Jazz、radioio Standrds、radioio Vocal Jazz、radioio Real Jazzと5局ある。今はradioio Standrds。ほんのわずかなCMのほかは絶え間なく流れていて、ほんとうにご機嫌。

 さて、いよいよ同人誌の作品評を仕上げなければならない。
 今風な言い方をすれば、同人誌の合評会をリアルな会議室で行なってきた時代が、少し懐かしい。あの頃は、まだ文章化しないで合評会の席でいきなり感想、批評を言うこともあった。アドリブである。
 やがて、地元会員の減少と遠隔地のネット会員の加入で、自然に、合評までがインターネットを通じて行なわれるようになった。そうなると、全員が掲載作について文章化することが自然な形で必須となった。
 ただし、これがけっこうきつい作業なのである。雑誌が出来た段階で一度読んでいるが、文章化するとなるともう一度読む必要がある。作品の全体と細部の両方を見て、いいところ、よくないところ、両方きちんと指摘しなければならない。
 むろん、そう完璧に書けるものではないが、こういう作業も小説を書くのと同じくらい大切。というか、創作と批評は右足と左足です。どちらかが動かないとたちまち転んでしまいます。
 あるいは、創作と批評はお互いを嘘偽りなく反映しあう鏡。どちらが欠けても存在と世界は映し出す合わせ鏡たり得ない。

 なんちゃって、えらそうに......(汗)。
 のんきそうにJazzなど流している場合ではありません。



追記
 先週の会合の席でNペンクラブのN沢さんにK同人会のN溝さんの旧作をデジタル文学館に推薦していただいたのだけど、旧作なので本人も雑誌を所有しているか不明だったので連絡を待っている。しかし音沙汰がない。お酒を飲む話だったらすぐに返事が来るひとなのだが、どうも今さらデジタル文学館などどうでもいいようなお人柄ではある。本人からの雑誌入手は困難なので、Y岡編集長にお願いしてみようかと考えている。それからS誌の若手に同誌のおふたりの秀作推薦を依頼したが、これも音沙汰なし。やはり県内同人誌は無理でしたか。みんな、おうちに帰ったら忘れてしまったみたいですよ、ウァーン・゚・(ノД`)ヽ(゚Д゚ )ナクナ
  それでは先ず、ウェブや掲示板で連絡の取れる全国の文芸同人誌に「デジタル文学館」への推薦依頼状を毎週1通くらいのペースで送信することにいたしますか。

冷汗三斗

 「冷や汗三斗」、普通に読むと、「ひやあせさんど」だが、四字熟語になると冷汗三斗(れいかんさんと)と読む。音で「レイカンサント」などと聞いても何のことかちっとも判りません。
 なんてのんきなことをいっていられなかったのは、一昨夜、スパム対応のためコメント機能を一時的にはずしていたのだが、昨夜、様子を見るつもりでコメント機能を復活させようとしたら、何回試みても復活しないので、冷~~~~。
 そのまま一夜を越し、先ほどようやく復活。どうもコメントする際の認証うんぬんがブレーキをかけていたらしく、認証不要にチェックを入れたらコメント機能が生き返りました(ほっ)。
 これに懲りて、スパム・コメントは手作業でまめに削除することとし、ブログの設定はいじらないようにいたします。




 それにしてもこの頃、パソコンの動きがかなり重くなってきた。ファイル・サイズがMB級の画像ファイルと音楽ファイルがごろごろしているので仕方ないが、少しお掃除しないといけません。
 ただし音楽ファイルは元のファイルを削除するとiTunesからも消えてしまうので要注意。