2007年6月30日土曜日

また、見つかった、何がって?

 永遠さ。
 本日めでたく、「Rimbaud(ランボー) の永遠」ならぬ「Glaskins(グラスキン)の永遠」が配達されました。
 やはり、最初の注文はメール・アドレスを怪しまれてはじかれたのでした。
 それにしても何かと注文の多いネットショップで、A4用紙に8ポイントの文字でびっしり、ウェブメールの注文はお受けしませんだの、メールやFAXでの質問には応じられないから電話で質問せいだの、その電話も午前10時から午後5時までにせいだの、どちらが客か判らなくなってしまいます。
 おかげで半月、損をしました。半月の差は、とても大きいです。
 失敗するかもしれません。ウァーン・゚・(ノД`)ヽ(゚Д゚ )ナクナ
 
 今日は、なぜか、届かないものが届く日で、予約しておいたのに結局届かなかった「文芸○潮、17号」がメール便で届いて、わが目を疑った。もう発行からひと月経過してますし、すでに知人に送っていただいて目を通してしまいましたので、もう要りませんよ。(一ヶ月経って書店からの返本があったので送ってきたのかとか、田舎者はなめられているのかとか、勘ぐってしまいますがな)
 仕方ないので、「手を尽くして他のルートから入手し、もう読んでしまいました」と書き添えてメール便で返送することにしました。

 ここ数日Wordの自動字下げについてあれこれ調べ、得るものがあった。もうすこし詳しく知りたいと思って,以前購入したWordのリファレンス本を探したが見つからないので、明日の昼間探そう。代わりに「編集者のパソコン入門」とかいう怪しいタイトルの本が目についたので開いてみたら、あれえ、「ワープロソフトにおける検索」とか「置換」とか、書かれているではありませんか。1996年の発行でデータは古いけれど、基本的な流れは今も変わらない。これも読んでみよう(買った時に読まなかったの? 自問)。
 テキストエディターにも検索と置換の機能がある? え? ちょっとTera Pad、開いてみてみましょう。
 あ、ありましたが、簡単な検索と置換なのか、よくわかりません。
 
 そういえば、Word騒動で忘れていましたが、一太郎の解説も買って来なければ。

2007年6月29日金曜日

いくつもの怪

 一昨日の夜、ある稀覯本をもつネット古書店に問い合わせメールを入れたが未だに返信がない。今風の言葉で言えばシカトされたか、スパムメールと間違えて開かずに捨てられたか、まだパソコンが起動されず受信自体がなされていないのか???? 

 Thunderbirdの送信済みトレイや受信トレイを見て確認するまでもないが、6月16日に「Glaskinsの永遠」をオーダーし、直後に「ご注文承りました」という自動返信メールが来た。が、そのままずっと音沙汰なし。もう一度ウェブの隅々まで見て回ると、どうもメールアドレスがプロバイダ支給のものでないとオーダーを受けないと書いてあるではありませんか。そういえば、プロバイダのちゃんとしたドメインだがtasogare.jpなんていかにもあやしいドメイン名なので、これではじかれたかと思い、支給されたアドレスでもって注文数を倍にし、再度オーダー・メールを入れて見た。すると、すぐにまた自動返信メールが来たが、これでは前回と同じで品物が発送される保証はない。
 と思っていたら、夕方、その会社から宣伝用のメールマガジンが着信していた。今度は客と認識されたのでしょうか? おいおい、これでメルマガばっかりうるさく届いて、注文した品物が来なかったら怒って直接抗議に参上いたしますよ。ああ、胃が痛い。

  Wordでは、最初の段落で行頭に全角空白を入力すると、次の段落からは自動的に一文字下がった位置から入力開始となる。ところが、こうして入力した文章を「メモ帳」などにコピーすると、段落の先頭にあった字下げがなくなってしまう。これはワードが行う段落の自動字下げが、空白によるものではなく、文字の表示位置を移動する「インデント」機能によるものだからである。
 
2 Wordでインデントによる自動字下げをしないように設定する方法

 この自動インデント機能が最初から働かないようにするには、次項のように設定する。
 
「ツール」メニュー→「オートコレクトのオプション」→「入力オートフォーマット」タブ→「行の始まりのスペースを字下げに変更する」のチェックを外す→[OK]で、自動字下げが働かない。

 注* ただし、設定したらいったんWordを終了し、再起動しないと設定が機能しない。これは、改行自動字下げ機能を働くように戻す場合も同様で、いずれもWordの再起動が必要。
 

 そうこうしているうちに、「Wordで文章をコピーしたら行頭の字下げが消える場合の対処方法」という文章を発見。
 このインデントによる自動字下げを解消して全角空白に置き換えるには、まず「一括オートフォーマット」機能を使い、
「書式」メニュー→「オートフォーマット」→[オプション]ボタン→「オートコレクト」画面で、「一括オートフォーマット」タブの「行の始まりのスペースを字下げに変更する」のチェックを外す→[OK]→[OK]で行頭のインデントによる字下げを一括してクリア(削除)する。

 次に「置換」機能を使って、
「編集」メニュー→「置換」→「オプション」→「ワイルドカードを使用する」にチェック→「検索する文字列」に半角で「^13」と入力→さらに「置換後の文字列」に半角で「^13」に続き全角の空白を入力して、[すべて置換]ボタン→[OK]押して閉じると、段落の先頭に1文字分の全角空白が入る。
 あとは必要に応じて不要な空白を削除するなどしてレイアウトを整える。
 「段落の先頭に空白を入れる」とは、「改行記号の次に空白を入れる」ということなので、「改行」を「改行+全角空白」に置換すれば、行頭に全角空白を挿入できることになる。
    (注)「^13」は改行を指定する特殊記号。ちなみに「^」は、日本語入力をオフにした状態で、ひらがなの「へ」が書いてあるキーを押して入力する。
 
 普通の文章であればこれで作業終了だが、小説の場合、2番の作業をすると会話の「   」でくくった行の頭にまでスペースが入って一字分下がってしまう。
 そこであちこち調べまわったら、ありました。
 もう一度「置換」機能を使って、

「編集」メニュー→「置換」→「オプション」→「ワイルドカードを使用する」にチェック→「検索する文字列」に全角で《□「》のように、スペースと「、を入力→さらに「置換後の文字列」に《「》を入力して、[すべて置換]ボタン→[OK]押して閉じると、カギカッコの上のスペースが消えのみになる。


 以上、Wordで書かれた小説原稿の、改行字下げがスペースとインデントによる字下げの混在を解消する方法でした。
 Wordの「置換と検索」という機能、あまり使ったことがありませんでしたが、これ便利ですね。もう一度、Wordのマニュアル本を読みなおしてみます。
 今回参考にしたのはこのサイトの「検索と置換」のページでした、感謝します。

 と、大幅に書き換えました、

2007年6月28日木曜日

猥雑

 日曜日にタマネギを収穫。例のプラスティックのコンテナに八分目くらい入れたのが6箱。どうも数が400~500個あったらしい。苗が余ったので後から植えたものまですべて物になってしまった。紫タマネギも80個くらいある模様。どれほど血液さらさらになるかは知りませんが、そうタマネギのスライスばかり食べられません。
 女二人、男一人の家庭でこんなに要る訳もないので、先ずはいつも川魚を頂戴する釣り名人のお宅に電話したら、従姉は東京のお友達のところへ遊びに行っているという。帰って来てからでいいからタマネギ一箱持ちに来てもらうことになった。30日には千曲川の鮎釣りが解禁になるので、名人、タマネギなど持ちに来られなくなる。

 「突囲表演」、今日配達された。

totuihyoen.jpg

 新刊価格より高いのだけど、入手困難なのだから仕方ありません。
 東京あたりでは古書店の店先の均一本のワゴンのなかにあったりするらしいが、田舎暮らしでそれを入手するのは無理。それとインターネットの普及で、ネットで古書を販売しないまでも、ちょっと価格の付けにくい本はネットで検索すればずらっと古書価格を見ることが出来る時代であるから、結構、どこでもそこそこいい価格を付けているのである。
 ただし、「廊下に植えた林檎の木」はebook-offで「ん百円」で購入したのだけど、発見した時にはうれしさの余り心臓がバクバクし、気が狂うかと思いました。
 「突囲表演」は表題作一編のみ。短編集と違って改行少なく文字びっしり。夏の読書にはちょっと暑苦しそうだし、またジョイスの「ぺネロペイア」を想起してしまった。圧倒されそうです。


 ということで、以前も一度使った写真でのお遊びを再現。
左がジェームス・ジョイスで、右はヴァージニア・ウルフです。


joyce100px.jpg           verginiawwolf.jpg
「あ、ヴァージニアさん、         「ジェームス!
わ、私が猥雑なのじゃなくて、     あなたって、
現実が猥雑なだけです。        どうしてそんなに猥雑なの?!
私はそれをただ              わたし、
言葉の鏡に                あなたのそういうところが
反映させているだけなのです。     嫌いなのよ。」
そ、そんなに
きつくみつめないで
下さいよw 」

2007年6月27日水曜日

優柔不断

 朝、ルバーブの細くて柔らかそうなのを2本採って来て、薄く切ってサラダに混ぜようとしたら、それはそれで自分専用にするようにと女性家族ふたりに抗議された。ふん、酸っぱいのがそんなにお嫌ですか(-_-;)?  美容と健康によろしいのですけど……。

 「ホフマン全集Ⅰ」と「ルイス・キャロル詩集・不思議の国の言葉たち」(筑摩書房・1977年版の単行本の方)到着。

carrollpoems.jpg hoffmannzynsyu1.jpg

 「キャロル詩集」は文庫本のように原典対照と書かれていないので訳文だけかと思ったが、原文も左ページに印刷されていた。(文庫本と単行本と2冊持ってどうする?)
 For the Snark was a Boojum,you see.
 (さよう、スナークは、たしかに、ブージャムだったのだ。)
 これはお気に入りの長編ナンセンス叙事詩「スナーク狩り」の最終行。
もうすでに書いたことで恐縮ですが、この長編ナンセンス叙事詩、実は、登場人物全員の頭文字がBなのです、おお、怖。
 ホフマン全集の方は入院でもしなければ読めないかもしれないが、本を読める程度の入院ってあるのだろうか?

 いちばん待ち望んでいる本は今日は届かず。考えてみたら西日本なので翌日配達は無理、明日だろうが、これで入手困難でジリジリしていた3冊のうちの1冊が片づく。しかももう一冊も手の届く範囲に入って来ているのだが……、悩みます。確認したら、まだ、あります。

 高校時代に所属していた運動部のOB会を立ち上げるという、一学年上の先輩からの電話。今さら先輩、後輩などというのは居心地悪そうで、困りものです。
 また、学生時代の専攻科のクラス会の連絡も来た。
 どうも、いよいよ時間をもてあまし、自分をもてあます年代に突入しそうなので、皆が似たようなことを考えるのか? 
 わしゃ知らん~~てば。

2007年6月26日火曜日

久しぶり

 一昨日の記事にからんで残雪の『蒼老たる浮雲』を久しぶりに開いた。この本は残雪の最初の邦訳で、「蒼老たる浮雲」、「山の上の小屋」、「天窓」、「わたしの、あの世界でのこと――友へ――」の4篇が収録されている。
 それで「天窓」を読んでみたが、いやはや、なんとも残雪らしくすごい。この家族の書き方などは「廊下に植えた林檎の木」同様、リアリズムでは決して書けない。静かに魑魅魍魎を客観描写するとかえって凄みが出る。
 内田百閒の、生きているんだか死んでいるんだか判らない女性との道行きを書いた何篇かの小説も、もうちょっと先へ進むとこういう光景が広がっているのかも知れない。これから蒸し暑くなるので、こういういう傾向の小説を読むのに最適かもしれません。

 この『蒼老たる浮雲』と次に出た『カッコウが鳴くあの一瞬』、『黄泥街』は地元書店で新刊で買ったが、他はみなネットで検索して苦労して入手した。『廊下に植えた林檎の木』と訳者の近藤さんの本『残雪――夜の語り手』は時間はかかったが安価で入手できたが、『突囲表演』はちょっと高め。こんなくらいなら新本の時に買っておけばよかったが、まだいいだろうとたかをくくっているうちに品切れ、絶版となってしまうのです。

 表紙はここにアップしてありました。

 一太郎2007が届いたので早速インストール、といいたいところだがうっかりウィルスバスターを切らないでいたら見事にインストール失敗。2度目に無事インストール。
 あれこれ試してみる。Wordと違ってまごつくところもあり、Wordにはない便利な機能もある。
 また一太郎を使っている同人の実際の原稿ファイルでルビが振ってあるものをWordで開き、10.5ポイントで書かれているフォントサイズを9.5ポイントに変更した場合、ルビのサイズは変更されず、あらためてひとつずつ手作業で修正しなくてはならないのだが、一太郎ではフォントサイズを変更するとルビもそれなりに小さくなって、手作業での修正は不要である。(これは間違いでした。ルビ付きの親文字のフォント・サイズを変更しても、ルビのフォントサイズは自動的には変わりません)
 ということは、今後はルビがあるなしにかかわらず、一太郎は一太郎でフォントサイズなどは変更し、ほぼレイアウトを済ませてからWordに移行すればいいのかもしれない。だとすると、やはり一太郎インストールは正解なのかもしれない。
 Wordと一太郎の両刀遣いはタイヘンだが、便利なこともありそうなので一冊一太郎の本を手元に置かないといけませんね。

2007年6月24日日曜日

懐かしの高円寺

 かつて創土社というところでホフマン全集が企画され、書店に全巻予約を入れておいたのだったが、なぜか3巻ほど配達された後はまったく届かなかったのでその時点で倒産したのかと思っていた。
 Lydwineさんがブログでホフマンの本のことを書かれていたのを読んで、連鎖的にそのことが思い出され、試みに検索してみたらあれ? 全巻刊行されたみたいである。なぜ、全巻、配本されなかったのだろう? 昔のことだからもう時効ですが。
 持っていない第1巻の「ホフマン全集1 カロ風幻想作品集」が高円寺のT丸書店にあったのでこれもオーダー。カロはジャック・カロ。
 しかし懐かしい古書店ではあります。昔、冬樹社版の「坂口安吾全集」を探して神田と中央線沿線の古書店をさんざん探して歩いた時に時々立ち寄ったお店でした。

 RSSリーダーに配偶者のブログが更新表示されていたので見に行ったら、にゃんと、坂口安吾の「ピエロ伝道者」のことを書いていた。そ、それって、私が放り出しておいた私の安吾全集から書いていますよね、むむむ、私のお気に入りからパクらないで下さいませ、奥様ァ。

久しぶりの古書検索

 意地を張って高値を付けられたものにはじっと我慢していたが、とうとう『突囲表演』をオーダーした。価格的にはAmazonのマーケットプレイスにもうちょい安いのが出ているが、ここはクレジットカードを持たない前近代的貧者には買えない仕組みになっている。
 こうなると意地でも買わない。
 と思っていたのだが、それとは別に何年も検索を続けていた稀覯本がついに現れていた。だがこれもAmazonのマーケットプレイスである。などとのんきに書いている間に誰かに買われてしまうだろう(泣)。
 その戯曲が掲載されている記帳な雑誌が手元にあるので、単行本は諦めてもいいのだ。そうでなくてもAmazonの本は高値であるから、もうあまりのぞかないようにしよう。(実は、安い本もある、泣)

 あとは、これの第6巻。予告通りに刊行されると来年4月の発行となる。楽しみです。(これは買いそびれないようにしないと)。そうだ、久しぶりに近藤さんのウェブをのぞいて見よう。
 Wha! すごい!  行けば絶対いいことありますので、残雪ファンの方は必ず行くべし!

 そういえば、たまたま「スナーク狩り」で検索して来られる方がいる。ルイス・キャロルの長編ナンセンス叙事詩である。翻訳が少ないので皆さん検索されるのだろう。
 あらためて検索してみたら、手元にある「原典対照ルイス・キャロル詩集 不思議の国の言葉たち」はちくま文庫だが、それ以前に1977年初版の単行本「ルイス・キャロル詩集 不思議の国の言葉たち」が出ていた。単行本には原典対照の文字が無いが、どうなのだろう。文庫本の方は原文と訳文が並んでいてとても便利なのだけど。単行本の方、650円というのがあったからこれもオーダーしておいた。
 検索される方、「原典対照ルイス・キャロル詩集 不思議の国の言葉たち」(文庫)と「ルイス・キャロル詩集 不思議の国の言葉たち」(単行本)がありますのでお気をつけ下さい。
 いずれにしても、「スナーク狩り」が読めるのはこの本のほかには現代詩手帖のルイス・キャロル特集だけです。ルイス・キャロルの詩が原文と訳文と並んで読めるなんて最高じゃないですか。

carrolsisyu.jpg

 近藤直子さんのウェブにアップされていた残雪の「天空の青い光」を、そのままでは横書きで読みにくいので、早速コピーして先ずはTera Padにペーストしてtxtファイルで保存。
 それをさらにコピーしてWordのA4見開き2段組の雑誌スタイルのテンプレートにペーストしてファイル保存。
 さらにそれをPDFファイルに書き出しして保存。それを印刷にかけ、今夜、床の中で読む。
 近藤さんが日大の教え子たちに訳させた残雪の小説が4篇、ウェブサイトに掲載されている。こういう風に残雪を訳して卒業していった学生たちが羨ましいし、またこうしてネット上で読ませていただけることに、現代に生きる幸せを感じます。
 

2007年6月22日金曜日

この、敬服すべき自分離れ

 坂口安吾が小林秀雄を論じた「教祖の文学」に、なぜか宮沢賢治の『眼にて言ふ』という詩が長々と引用されている。これが全文かどうかは宮沢賢治全集に当たって見なければ判らないが、とにかく、「教祖の文学」から孫引きしてしまおう。(ふたりとも、喜ぶべきか悲しむべきか、著作権切れになってしまっている)
   『眼にて言ふ』

だめでせう
とまりませんな
がぶがぶ湧いてゐるですからな
ゆうべからねむらず
血も出つゞけなもんですから
そこらは青くしんしんとして
けれどもなんといい風でせう
もう清明が近いので
もみぢの嫩芽と毛のやうな花に
秋草のやうな波を立て
あんなに青空から
もりあがって湧くように
きれいな風がくるですな
あなたは医学会のお帰りか何かは判りませんが
黒いフロックコートを召して
こんなに本気にいろいろ手あてもしていただけば
これで死んでもまづは文句もありません
血が出てゐるにもかゝわらず
こんなにのんきで苦しくないのは
魂魄なかばからだをはなれたのですかな
たゞどうも血のために
それを言へないのがひどいです
あなた方から見たら
ずゐぶんさんたんたるけしきでせうが
わたしから見えるのは
やっぱりきれいな青ぞらと
すきとほつた風ばかりです

 この引用の、もうちょっと後。
文学とは生きることだよ。見ることではないのだ。
 無論これは、坂口安吾が小林秀雄に向けて言った言葉。
 
 それにしても、宮沢賢治のこの詩におけるというか、臨終が迫っての離人感、自分離れはすごい。生きてこういう自分離れを達成できたら、つまらない小説など書かなくても済むのだけど………………………………………………ねっ!

インターネットの怪

 またぞろデジタル文学館などというウェブサイトを始めてしまったが、常に頭を離れない光景がある。
 二年前にあるマイナーな作家がマンションから飛び降り自殺した。たまたま、その作家自作のホームページをお気に入りに入れてあったので驚いたが、しかし、ホームページのあちこちに尋常でない文章を見ていたので、半ばはやはりとうなづけないこともなかった。彼は死なざるを得なかったのだ。
 問題は、残されたホームページの方である。管理者が死亡したにもかかわらず、ホームページは更新されないまでも、相変わらず彼が著名な作家と並んで撮影した写真などが表示されている。
 このホームページのサーバー利用料は銀行口座から引き落としされているのだろうが、だとすれば、預金残高ゼロになるか、解約されない限り、ホームページは管理者不在のまま生き続けるのだ。これをわが身に重ねると、今夜は蒸し暑いはずだがちょっと背中が寒くなってくるが、私の場合はじきに口座に残高が無くなるので、金の切れ目が縁の切れ目とばかりに管理しているホームページは全部消えるだろうから、自分が死んだ後のことまで心配する必要はなかろう。
 そんな暗いことばかりではない。この方も亡くなられたが別にサイト管理者がいたので、今でも存続していて、当時の日記とか裏表まで読めるのである。
 たったひとりの理解者もいないケースと、たったひとりでも理解者いるケース。
 「たったひとり」の相違がこんなにも大きいのだ。

 そういえば、 今日も「Glaskins の永遠」は配達されなかった。
 土曜日にオーダーしたのになぜ? 
 自動返信メールが届いたまま、以後は音沙汰なし。
 まさか、あの会社が倒産したまま、ホームページだけが生きていたりして……。怖っ。ウァーン・゚・(ノД`)ヽ(゚Д゚ )ナクナ
 

 ふと、藤枝静男の『空気頭』のある場面と、内田百閒のどの短編だったかの場面がそっくりなような気がして、確認したいのだが内田百閒の短編の題名が思い出せないし、筑摩の「内田百閒集成」のどの巻だったのかも忘れてしまっている。
 妙に蒸し暑いので百閒先生の涼しい掌編を読みたいのだけど、さて、どこにあるのか?
 先生はなぜか女性と並んで歩いている小説が多いのだが、あれも不思議だ。
 女性と並んで歩いているうちに、いつの間にか妙な場所や場面に至っている。
 あの手法、是非とも頂戴して自家薬籠中のものにしてしまいたいのだけど、難易度が相当に高そう。 そういえば町田町蔵氏ならぬ町田康氏も歩いているうちに妙な場所や場面に至っている小説を複数書いていますね。あ、あのひと、現代の百閒先生だったりして。Wha! 大発見。

2007年6月21日木曜日

改行字下げの怪

 このところデジタル文学館にアップロードする作品の元原稿からHTMLファイルを作成したり、PDFファイルに書き出しするためにWORDの同人誌レイアウト・テンプレートに流し込んだりすることが多いのだが、また悩ましい問題に遭遇している。
 以前から、自分の同人誌の編集レイアウトでも悩まされていることでもあるが、それが改行字下げというお化けなのである。
 通常、WORDでは自分で設定を変えない限り、デフォルトではEnter・キーを押すと自動的に次の行は一次下がるようになっている。ところが、この自動の改行字下げにたまたまスペース・キーで一字空けているのが混在している原稿が、まま見られるのである。
 この混在が困る。スペース・キーか、自動字下げか、どちらか一方にして欲しいのです。
 なぜか。
 WORD原稿をWORDでいじっている分には困らないのだが、これをたとえばWORDからHTMLファイルへ、またはテキスト・ファイルに変換してさらにHTMLやPDFファイルへ流し込みをする際に、自動字下げがされなくなってしまうのである、スペース・キーで字下げした方は字下げされている。
 それが混在していると、結局はすべての字下げを手作業でいちいち確認しなくてはならない。
 自分の同人誌でもずっとこの作業をして来た。WORDというのは案外厄介なワープロ・ソフトなのである。一太郎はどうなのだろう?

 デジタル文学館に、今日も推薦作が二作。ありがたい。

2007年6月20日水曜日

備忘

 女王陛下の国のウェブをあちこちさまよっているうちに、何とこの国の中央部にRhubarb Triangleなる地帯が存在することを発見。
 あのアヘン栽培の三角地帯でもなく、バミューダ・トライアングルでもなく、Rhubarb Triangleなんて、何と素晴らしい!
 どうやらその三角地帯は、昨夜収集した写真のように暗室で軟化をする本場であるようだ。ということはやはり問題は「光線」だったのです。あの真っ赤な輸入冷凍物は立川の独活まがいの青瓢箪、いや、赤もやしだったのだ。はあ、謎が解けて少しがっかりですが、明日は女王陛下の国の「Glaskins の永遠」が配達されるでしょうね。わくわくしながら待っています。

2007年6月19日火曜日

歌を忘れたカナリアの、思考の螺旋階段ぐるぐる

 アントシアニンについて検索していたらこんなページに迷い込みました。
 紅葉のメカニズムについて読んでいると楽しい。昔から生物学とか化学、嫌いではありませんでしたし、たとえば人間はなぜ怒るかというメカニズムについて考えるのと同様に興味をそそられます。Rhubarbの茎がなぜ緑色だったり赤だったり、同じ食用ダイオウなのにどこでどう赤と緑に分かれるのか? 人間がどのようなメカニズムで女と男に分かれるのか、染色体云々という説明ではまだ納得できないでしょう。なぜ、染色体が一本多かったり少なかったりでこんなに人生が異なるのでしょう?
 
 そういえばメルシャン軽井沢美術館はそろそろ展示が替わったかと思ってウェブサイトに行ってみたら、まだ『生きる喜び 素朴絵画の世界 アンドレ・ボーシャンとグランマ・モーゼス展』でしたが、7月14日から『印象派とその源流展』のようです。
トロワイヨン、ジェームス・スミスやエドワード・ウェイトの風景画からセザンヌ、ピサロなどの印象派、そして、ユトリロ、キスリングなどエコール・ド・パリの作家、さらにはクリムト、シャガールなど近代絵画の巨匠の作品を東京富士美術館所蔵の珠玉のコレクション48点で紹介します。
って、全部、東京富士美術館所蔵? そっくり借り物なのは仕方ないですが、めちゃくちゃなラインナップであります。まあ、クリムトを一枚見るだけでもいいから、行ってみよう。ついでに12年物のウィスキーを頂戴したいので、運転手を確保しないといけません。
 
 「Glaskins の永遠」、土日が終わって営業日になったが、在庫なしの連絡が無いところをみれば、あるのだろう。数日中に配達されるか。

 デジタル文学館にかまけている間に、レーモン・クノーの『青い花』をクロエさんが探し当てたとブログに書かれている。
 おめでとう。
 羨ましい。
 例の20,000円のはまだ売れずにありますが、意地でも買いません(忸怩)。ウァーン・゚・(ノД`)ヽ(゚Д゚ )ナクナ

2007年6月17日日曜日

時代の恩恵にすなおに感謝

 文芸同人誌「木曜日」のよこいさんの推薦で、「季刊遠近」の難波田節子さんの『太陽が眠る刻』デジタル文学館へのアップロードが実現した。
 日本で小説を書こうとしたら逃れようもない私小説的リアリズムの呪縛からいとも簡単に飛翔して、難波田さんは、天上無窮の虚構を自由自在に構築されている。
 こういう作品をここにアップロードできることはこの上ない喜びであり、プロではないからこそ現実的対価がまったく無くても書き続けることが出来る、純粋至上の創作行為がここにある。
 また、こうして届いたばかりのテキストをすぐにアップロードできるのは、テキストをデータでいただけるからである。ワープロであれパソコンであれ、いったん入力されたテキスト・データは今や宝物である。
 雑誌掲載であれ、単行本化であれ、ホームページ・アップロードであれ、デジタル・テキストさえあれば加工成形が実に簡単である。あんな小さなフラッシュ・メモリに入れて持ち歩くことも出来る。さらにウェブにアップロードすれば、アメリカ在住であれフランス在住であれ、日本語が読めるひとであってネット環境にさえあれば世界中のどこからでも読める。
 こういう時代の恩恵にすなおに感謝したい。
 

 「季刊遠近」は今は亡き久保田正文さんを師とする同人誌だが、久保田正文さんは飯田市出身であり、われらの信州文芸誌協会創設にかかわり、長く会長を務められた林俊さんの親友でもあられる。
 また、佐々木基一さんが亡くなられた後、林さんとともに長野文学賞の最終選考委員を務められもし、一度、授賞式会場でお目にかかったこともある。
 まさにわれらの父親の世代であり、反発しつつも抗えない精神性を所有していた世代であった。その世代の支えを失って、われらの文学はどこへ行こうとしているのだろうか?

taiyounonemurutoki.jpg

ベンチやブランコに孤独がある?

 いったい今がいつ、どんな季節なのか判らなくなるような、季節はずれの青空。浅間山の皺までくっきり見えて、突然、視力が回復したような気分。
 デジカメを持って外出したが、何も撮れず。昨年の「ベンチの孤独」に似た写真を撮ろうと、ブランコを狙って「ブランコの孤独」に挑戦したがまったくダメ。もっとズームを使って背景をぼかしてみたらよかったのかもしれない。
 何だか、安吾が小林秀雄の……美しい「花」がある。「花」の美しさといふものはない……ということばについて書いていた「教祖の文学」を思い出した。
 いったい、ベンチやブランコに孤独があるのか?

 今夜は、デジタル文学館用にB6版書籍の見開きで16頁分、つまり8枚をデスクトップ・パソコンに接続されたスキャナーで画像取り込み。そのビットマップの画像ファイルをフラッシュメモリーに保存し、ノートパソコンに移動してOCRにかけられるように準備。今夜はここまで。OCRにかけるのは明日。
 ただし、この作者は亡くなっているので、もう一度遺族の了承を確認しないといけない。それも明日、電話で。



以下は、自分自身のための備忘録。今後はこういう備忘はこの追記の方に書こう。
 相変わらず、Google翻訳と独自の翻訳ソフトを併用しながらネットサーフィン。
 アメリカ・カナダは諦めてヨーロッパをさまよう。あれこれ検索しているうちに、灯台下暗し的な意外なサイトで日本の輸入代理店を知り、そこに「永遠のグラスキンズ」があるのを発見。とりあえず2袋オーダー。税込み525円×=1,050円。他に送料と代引き手数料が加わるが、イギリスから送ってもらうよりはずっと安上りだし、10,000円以下は郵便局での代引きだという、安堵。
 その後はanthocyaninを検索。
 どうも暗室で軟化しているらしい、重要な証拠写真に遭遇したので、躍起になってダウンロード。
 わ、画像のサイズが1200×1600で大きくはっきりと見える。(これは誰にも見せません)
 やはり光線が関係しているようなので、段ボール箱で光を遮断、または減光する試験、やってみる価値はあるかもしれない。
 しかし今さらながら機械翻訳は参考にしかならないというか、参考にもならず、笑いすぎてひきつけを起こしそうな怪訳が出現する。 先ほどもあまりのナンセンスにおなかを抱えて笑っていたら、家の女性陣ふたりに狂ったかと怪しまれたようだ。(ーー;) 

2007年6月16日土曜日

酩酊中のため手短に

 毎月15日定例の赤提灯から帰還。
 この会も若い人が入らず、高齢化のため、今夜はわびしい話ばかり。
 10歳年下の奥さんを亡くしたばかりのSさんなどは、話しながら涙を流していた。

 今日、文○思潮が届いた。といっても編集部からではなく、たまたま今号に掲載されて5部手元に送本されたA川さんに私のぼやきが聞こえて送って下さったのだ。感謝。あ、お礼を書き込まなくては。
 
 デジタル文学館はようやくアップロードのラッシュが過ぎた。これで推薦はあまり殺到しないだろうから、次はゆっくりと作業しよう。万年筆手書き派にしてこてこての私小説派の作品のスキャニングが控えている。作品を絞りきれない。こてこての私小説か、それからふわっと離れた佳品か、個人的には後者だが、ご本人は天国でも地獄でもない中空から、「違う、それじゃない。生きた=愛した=書いた、と三拍子そろったのにしてくれ」って言っているような気がする。そうだよなあ、女性が出てくる小説じゃないと、Tさんらしくないし、それが鬱陶しくもあり、泣かせるなあ。
 

2007年6月15日金曜日

竹林に座す

 本日はデジタル文学館に4作をアップロード。さすがに疲れました。どこかにミスがあるかも。
 アップロードが具体化している作品がまだ3作。ほかにもアップしたい作品がありますが、そんなに自分で推薦する訳にもいかず、悩みます。
 とにかく推薦者を増やしたい。


 早朝、家庭菜園に隣接した破竹の竹林に、タケノコを探して入って行った。どうも先客が採取して行ったらしく収穫は僅か。
 それにしても竹林の中に入ると不思議な感覚に陥る。
 宇宙の中心にいるような、胎内にいるような、自分がかぐや姫になったような。
 朝の光が自分に向かって降り注いで来るのだ。
 だからこそ、自分が宇宙の中心にいるような錯覚に陥ってしまうのだろう。
 思わずそこに、座り込んでしまう。
 一次元、二次元、三次元、四次元。
 すべてが統合されて私の目の前にある。


��なんちゃって、竹林の狸か狐に化かされたのかな? また、坂口安吾の『竹薮の家』のあの書き出しを思い出してしまったではありませんか……。
「ばかばか、おまえなんか首くくって死んでしまえ!」でしたっけ? 小説でもアトラクションのモンタージュが可能だと、この『竹薮の家』で納得しました。
 そういえば、安吾のエッセイ『ピエロ伝道者』の書き出しのこの一行が好きです。)
空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。



 今日の夕食に、先月、あるお方から頂戴したまま仕事に忙殺されて放置してあった「せんべい汁」を、老母に任せる訳にもいかず、残業続きの配偶者にさせる訳にも行かず、致し方なくみずから調理に及び、牛蒡・ニンジンのささがきなどしながら鶏肉・豚肉・キャベツ・ねぎなど適宜鍋に投入して完成。七味唐辛子など振って、美味しくいただきました。
 なぜ? 小説を書くことよりもこういうことの方が楽しいのだろう。

2007年6月14日木曜日

これぞ雲泥の差:雲に包まれたクロエと土埃に追われた私

 何とか仕事をやりくりして、午後、ソバ栽培予定地へ直行し、先日操作レクチュアを受けたばかりのトラクターに颯爽と跨る。これで人生3度目のトラクター運転である。
 いやいや、それにしても古くて小さな赤いトラクターだなあ。
 とりあえずは教えられた通りに余熱をかけてからディーゼル・エンジンを始動。背後のロータリーを回転させて、いざ出陣、いやそうじゃなくて、いざ前進。
 生えている草のほとんどがハコベでした。酸性土壌の目印となるスギナが生えていなくて良かったです。スギナが群生していたら石灰を撒いて耕運しなくてはならないのですが、助かりました。
 かくて使用前・使用後ならぬ、耕運前と耕運後の写真をトラクターに跨ったまま一枚パチリ。向こうにお行儀良く整列しているのはソバ栽培予定地を半分貸してくれたひとのプルーンの木。花の時期に霜凍害に遭遇したので、あまり実が付いていません。

sobasaibaichi.jpg

 しかし、十数年耕作されずに草退治のためにトラクターで荒っぽく掻き回されて来たらしく、畑が微妙にデコボコ波打っているではありませんか。
 しかもですw、そんなに土が乾燥している訳でもないのに、背後から猛烈な土埃が追いかけて来るではありませんか。思わず、ボリス・ヴィアンの『日々の泡』のなかの、コランとクロエを包んだ虹色の雲を想起してしまいましたが、私はちっともファンタジックではなく、ただの土埃に追いかけられ放しでした(泣く)。
 コランとクロエ、あるいはル・クレジオのシャンスラードとミナ。
 裏山鹿。
 私には不幸なことにクロエもミナもいなかった。
 などと、赤いトラクターならぬオレンジ色のトラクターの運転席で妄想激しい私なのでしたが、最後にはトラクター運転のコツもつかみ、次回は波打った畑を平らに耕運する自信がついたのでした。
 畑がデコボコ波打っていては、苦心して入手した人力播種機「種まきごんべえ」君を押すのに難儀するのが目に見えていますから、何としても平らにしなくてはなりません。
 (ああ、全身、埃まみれでんがな。と、何ともリアルに非文学) 

2007年6月13日水曜日

遅ればせながら「照葉樹」3号、感想その1

「鳴らない電話」水木怜

 この作品は、女性主人公一人称である「私」の、私を捨てた「あなた」に向けてのひとり語りで形成されている。
 読み始めてじきに、ジェームス・ジョイスの『ユリシーズ』の最終章である「ぺネロペイア」を思い出してしまった。
  『ユリシーズ』の主人公のひとりであるブルームの妻モーリーの、あの句読点が異様に少ない一人称独白体である。

その「ぺネロペイア」の書き出しを、引用する。
Yesだって先にはぜったいしなかったことよ朝の食じを卵を2つつけてベッドの中で食べたいと言うなんてシティアームズホテルを引きはらってからはずうっとあのころあの人は亭しゅ関ぱくでいつも病人みたいな声をだして病きで引きこもっているみたいなふりをしていっしょけんめいあのしわくちゃなミセスリオーダンの気を引こうとして自ぶんではずいぶん取り入っているつもりだったのにあのばばあと来たらみんな自ぶんと自ぶんのたましいのめいふくを祈るミサのため寄ふしてあたしたちにはなんにも残さないなんてあんなひどいけちんぼあるかしら

 以後まだこの調子で文庫本で110頁くらい蜿蜒と続くので(!)、このあたりで止めておきます。
 句読点は無いわ、漢字と仮名が混じっているわで、当初はまごついて読めませんが、慣れるとおいしいクサヤの干物(意味不明なフレーズで済みません)、やがてはモーリーの孤独な日常世界と精神世界の全体像が浮かんでくるのです。
 ジョイスはやはり天才であるし、ヴァージニア・ウルフにその地を這うような卑小な人間描写が嫌われた理由ものみ込めるというもの。


 などとあらためて思い出しながら、惜しい、ジョイスそのままという訳には行かないが、水木さんも句読点を無くして改行もせずに「私の言葉」だけを紡ぐことに専心したらと痛切に思った。
 小説としての体裁を慮るあまりお行儀がまだ良すぎるのです。
 リアリズムの作法などかなぐり捨てて「私」の内面に徹底的に入ってしまえばよかったのではないでしょうか。
 「私」がもっともっとお行儀悪く、「あなた」への恨みつらみ嫌味を言うのに特化して、「私」がモーリーみたいに蜿蜒しゃべり続けたら、すごい小説になっただろうな、というのが単純率直な感想です。
 
 ただ、水木さんが2号、3号と、同じような作品を再生産することを潔しとせず、手を変え品を変えて書き続けておられる姿勢には、大いに共感、感動し、次号を待ち望むものであります。
 でもこれだけ異なった小説を書ける水木さんって器用=貧乏に陥る可能性が無きにしも非ず、かも知れません。
 自分が本当に書きたいのはどんな小説だったのか、翻ってみたらいい小説が書けるのかも知れません。

ウァーン・゚・(ノД`)ヽ(゚Д゚ )ナクナ

 文○界のバックナンバーを借りようと思い、市立図書館が開くのを待って雑誌が展示されている棚に行った。○潮はあるが文○界は見当たらない。カウンターで尋ねると文○界といっても聞いたことも見たこともないような顔をしていて、まったく通じない。やがて隣にいた女性がパソコンで検索し「昭和53年まではありますが、以降はありません」
 って、54年以降は市立図書館なのに文○界を購入していないということ? 何ということ! 絶望的であります。
 このS市の文化程度が知れますな。文化果つるS市に暮らす不幸。
 肩を落として帰宅、B春の直販部のフリーダイヤルに電話し、該当する号の在庫を確認すると「あります」という返事。一冊欲しかったので、その場で注文しました。
 

 今日配達されたPR誌「電脳生活」で、Google Docs & Spreadsheets なるものを知ったのでGoogleのIDを取り、Docs & Spreadsheets にログインしてみた。ブラウザ上でWord文書やExcelファイルをアップロードできて、しかもブラウザ上で複数の人間がアクセスして編集作業が出来、さらにそれをダウンロードしたり、PDFなどにエクスポートできるというのだから、俄然目の色が変わったのです。
 それでさっそくWordのdocファイルの、しかもA4横縦書き見開き2ページ、二段組のレイアウトのものをアップロードし、ブラウザ上で開いてみた。
 ありゃりゃ、ただのA4縦に横書きになってしまいまちた。これではPDFに書き出す意味が無いです(大失望!)。
 ただし、Wordやテキストファイルをアップロードできて、それを別々の場所に住む複数の人間が文書にアクセスして編集作業が出来るというのは、いずれ活用場面があるかもしれない。(同人誌の原稿置き場、ですね。校正はここでしていただくとか……無理?)

 表のサイトの掲示板に、先日の総会の集合写真をアップした。
が、考えてみたら……あっ?!(汗々)。
 合評会の第2分科会の参加者で撮影した写真を、カメラのキタ○ラにネットでオーダーしたらたちまち焼けましたというメールが届き、受け取りに行きました。2Lサイズで注文してしまったら、定型封筒に入らない。メール便にします。

2007年6月12日火曜日

うれしい

 早速、デジタル文学館への推薦をおふたりからいただいた。ありがたい。
 秀作アーカイヴスというサブタイトルにふさわしい作品が提示されて、背中がぞくぞくしてきました。
 昨日の文芸誌協会総会会場で、亡くなった科野作家主宰の娘さんのご主人であるS田さんとお話しし、代表作一編を選ぶのは難しいが、「デジタル文学館」に小説を載せることには同意をいただいた。こてこての私小説作品の登場も面白いではないかと思われる。


 同じ「デジタル文学館」という名のコンテンツを表のサイトの方に残したままだったので、そちらを「信州の同人誌・秀作アーカイブス」と改題した。こちらは県内版。(まったく、何を考えているんだか……)

 また、わが誌の40号についての感想、批評が、今日はお三方から封書2、ハガキ1(細かい文字でびっしり)を頂戴。いつもいただく皆さんだけに、ほんとうに頭が下がります。
 全文を入力しておいて、同人専用の「オンライン例会室」にアップするか、7月に予定の合評会にまとめてプリントアウトして持参するか、どちらがベストか?

 このブログを設置しているレンタルサーバーの今後一年間の料金請求書と、ウィルス対策ソフトの今後一年分の料金請求書が同じ日に配達された。
 レンタルサーバーは実は配偶者の名義なので、今年は彼女に支払いしていただこう。昨年の申し込み時は私が支払い。ブログを居候しているので一年ずつ交代でいいでしょう。
 このレンタルサーバー、安いけれど一年間不都合やイライラはまったく感じなかった。

 いろいろ一段落ついて来たので、書かずに残っている感想を書きたいと思うのですが、さて……。

2007年6月11日月曜日

簡単すぎる日記

 文芸誌協会の総会に出席した。
 昔、初めてこの会に出たころ、まだ若かったので何とつまらない会だとうんざりした。
 だが、ある時、あ、別に自分の席にずっと座っていなくてもいいんだ、自分から話をしたい人のところへ行けばいいんだと理解して、ビール瓶や徳利を片手に会場を移動することを覚えたら、楽しい会になった。以後、私は話したいひとのところへまっすぐに行く、話したくない人がきたら逃げる(それは嘘!)。

 「デジタル文学館」のINDEXのページから「テスト版」というスクロール文字をはずした。
 見切り発車である。
 文芸同人誌に発表された秀作を、誰でも、どこからでも、いつでも読める仮想書庫を作りたい、ただそれだけ。

2007年6月10日日曜日

水呑早朝作業

今朝の収穫=こかぶ、大根、レタス(もう、少し過熟気味)、グリーンボール、薹(トウ)の立ったタマネギ4個(中心が固いのんで除いて調理する)。400本くらい植えて薹(トウ)の立ったのが4個というのは、抽薹率1%だからなかなか好調である。

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 それからアンデスメロンとでんすけ西瓜のつるがトンネル内いっぱいに延びて来たので、トンネルの両サイドを開放し、敷き藁をする。

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 ポリを止めているのは洗濯ばさみ。ポリフィルムの屋根は夏まで残す。株元が雨に当たるとそこからタンソ病など、葉の病気が始まるので雨よけである。でんすけ西瓜をうえた場所は、戦前、遊郭の経営者の個人持ちの弓道場の的場であったので、川砂がそのまま残っていて水捌けがよく、西瓜栽培にはもってこいの場所である。

 午前十時頃、あいにく雨が降ってきてしまったが、ソバ栽培予定地まで行って、ほんの五分ほど、トラクターの運転を教わる。あまり大型でないので安心。
 ま、ゆっくり運転すれば大丈夫でしょう。
 昼頃、ソバの種、信濃1号が届く。1kg袋が5つ。ほんとうにこんなに播種できるのかいな? 

2007年6月9日土曜日

「や」の字か? ドンキホーテ? それとも蓼食う虫?

 昨夜は眠くて早々と赤ちゃん睡眠で爆睡。今日はまたHTMLエディターであれこれ苦心惨憺の連続でブログ更新ならず、いつもの後書きで書いてしまいます。
 デジタル文学館を手直ししたが、どうにもカッコがつかないし、Lydwineさんに示唆していただいた他薦方式がうまくいくかどうかも解らず、でもファイルを更新してしまった。どうにも、自分がミニ・ドンキホーテのような気がしてなりません。

 そういえば今日、例の先日T中さんとふたりで納めたルバーブがジャムになったと言って、T中さんがかわいい瓶入りのルバーブ・ジャムをひとつ届けてくれた。
 道楽で種を播き、遊び半分に植えた物が製品になるなんて感激ですね。
 それにしても、しばらく前に気づいていましたが、ルバーブといい、ソバといい、どちらもタデ科の植物なのですよね。私は蓼食う虫なのかも知れません。

 昨日の日付でこっそり「や」の字を」書き込んでおこうと思う。
 「や」はお相撲さんの休場を示す「や」である。
 「ややややややややや」などとならないように気をつけよう。

2007年6月8日金曜日

「や」は「休場」の「や」です。
今後もありますのでよろしく。

2007年6月7日木曜日

翻訳ソフトだって面白い

 ウェブ上に無料翻訳ツールがあるのに翻訳ソフトなどを買うのはバカだ、と息子に笑われたが、しかし、少しずつ使ってみると、なかなか便利な面もある。使い方を知らないだけで結構いろいろな機能がある。
 未知の単語の読みを知らない、うまく発音できない単語はスピーカーのアイコンを押せば発音してくれるし、マウス翻訳を選択すれば、マウスを置いたセンテンスひとつずつを読み上げて翻訳してくれる。翻訳文も選択すれば読み上げてくれる。この読み上げ機能、男性の声ばかりで女性の声が無いのが不思議。
 無論、機械翻訳だから、怪しい個所は随所にあるが、大体意味が判ればいいのでこだわらない。
 ただし、cultivarという言葉の意味がこの翻訳ソフトの辞書には収録されていないらしいので、googleの辞書で調べてみると「栽培品種」と出ていたので、これを辞書に登録した。
 どうも、このように自分で使いこなしながらカスタマイズしてゆくと、翻訳ソフト自体が成長するようである。
 ウェブページは閲覧中に右クリックして翻訳を選択すれば数秒で翻訳してくれる。これも怪しい個所はあるが、それは自分で訳し直せばいいことである。
 いずれにしても、このところ北米のページを見て回ることが多いので欠かせないソフトではある。

 
 午後、雷鳴とともに降雹。野菜がだいぶクシャクシャになった場所もあるようだ。我が家の周囲は大豆くらいの大きさだったが、場所によっては降り初めにウズラの卵大のが落ちてきたという。当たったら痛いし、斜めに降って来たのが当たって窓ガラスが割れた家もあるらしい。
 
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2007年6月6日水曜日

おっちょこちょい

 表のサイトの方の「デジタル文学館」を独立させたいような気がしていて、無料のところを探していたらfc2が無料な上に広告は一番下にテキスト一行だけで、しかも容量が1GBもあるというのでついうれしくなって借りてしまった。
 借りてしまったら、仮のページを作ってみたくなった。
 その仮のページがここ
 たまたまMy pictureフォルダにあった画像をそのまま使ったら何かとても鬱陶しく感じるのは、並んでいる本が鬱陶しい本ばかりのせいか? もっと涼しい画像を探そう。
 このブログの常連さんだけに覗き見していただきますが、あくまでも仮のページです。

2007年6月5日火曜日

山へ柴刈りに(嘘々)

 今日は仕事を休みにして、わが家のお転婆ばあさんを連れて山へ柴刈りに(嘘々)、山蕗を採りに蓼科山の麓へ。最初の目的地は、他の草に負けて山蕗がほとんど姿を消してしまっていたので、更に奥山へ。
 今年は冬から降雪降雨が少なく旱魃気味で、しかも低温気味だったので山菜の類の成長が良くないと言われており、収穫は期待できないと思っていたが、あるひとから得た情報を頼りに初めての場所へ行ってみたら、おお、ありました。
 適度な木立と草生のなかに柔らかそうで茎の長い山蕗が群生しているではありませんか。
 お転婆ばあさん、歳も忘れて無我夢中で採り続けました。やあ、よかった、一日で親孝行終了しました。採れないと、また後日、山をさまよわなくてはなりませんので。
 午後一時半頃、帰宅。山蕗を整理して、ご近所や親戚に配ってまわって一日が終了。
 お転婆ばあさんは明日は大鍋を使っての「きゃら蕗」の煮込みでタイヘンですが、自分が好きなので苦にしないどころか、それを少しずつポリ袋に封入してフリーザーに入れ、何とチビチビ出しては解凍し、一年中食べているのです。何とも「きゃら蕗」の好きなお方です。(何と、当年とって86歳、元気過ぎて、子供の私の方が先に参ってしまいそうです)

 播種機「種まきごんべえ」到着。その播種機構を点検。なるほど、なかなかの優れものであるが、実際に使用してみないと評価は出来ない。

 カナダのN君よりメール。考えてみたら3種類のRhubarbを同じ場所に植えたら交配してしまう心配があるので、1種類植えただけで定植作業を停止しているという。
 純粋種の種が欲しいわけではなく、赤茎系の種子が欲しいだけなので、赤茎系同士の交配はあまり気にしない、むしろ交配して困るのは緑茎系なので、緑茎系が近くに無い場所に植えて欲しいという返信を入れた。(何か、気の遠くなるような話)。

 さて、明日は感想文を書こう。

 Y書林のS田さんの「第6回朗読火山俳」のポスターが出来たらしい。今日、招待状が届いていた。何か、年々大きい会場に移っているところを見れば、盛況なのですね。今年からは春でなく7月だから行けるかな。
 

2007年6月4日月曜日

植物と魚類(チーナカ豆とガリラヤ湖の魚)

 カナダのN君より、昨日購入した、German Wine,Candian Red,Strawberry Redの3種類のRhubarbの写真が添付されてきた。その一枚。(mmm、表皮は赤いが芯まで赤いとは思えませんね。輸入品の冷凍Rhubarbは芯まで赤いのですが……)

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 販売単位がRootという表示だけに、種をまいた一年生のポット苗などではなく、やはり株分けしたであろう大きな株の鉢植えである。
 なるほど、これでは海外へ送るのは不可能であるが、しかし、遺伝的形質をそっくり同じまま増殖させるのは、こういう株分け(根分け)、あるいはバイオテクノロジーを駆使したメリクロン培養しか方法はない。
 種では、いわゆるF1(一代交配)ならばいいが、そうでない場合はどうしても茎の形や色などが揃わない。だから私の菜園のものも茎の太いの、細くて本数の多いの、茎がほとんど緑のもの、かなり赤っぽいものとばらつきが相当ある。しかも品種など表記されていなくて、種袋の表示はただのRhubarbであった。

 しかし、気候、温度や光線の量も赤い色のつき方に影響を与えるらしい。
 50%遮光すると赤みが強くなるとか、ヨーロッパでは日本の独活のように室(ムロ)栽培して赤くしているという不確定情報もある。
 品種だけでなく、そういう気候、土壌、栽培方法の違いによる色の変化も調べてみなければならないだろう。
 そこそこ赤味のある株に大きなダンボール箱を被せてしばらく遮光し、茎の赤味の変化を観察してみる価値はあるだろう、ねえ、ネクタリオ君。

 翻訳ソフト、大活躍である。varietiesに「変化」という訳語が表示されて気に入らないので、辞書ツールにある単語登録で「 varietiy」を「品種」と登録したら、ようやく「変化」とは出なくなった。なるほど、自分で辞書を整備しないといけないのだ。
 (そういえば、仏日翻訳ソフトってあるのだろうか、検索してみようっと) 

 お昼近く、従姉の夫であるK内さんがやって来て、車の中から発泡スチロールの箱を抱えて玄関へやって来た。
 川釣りの天才、大漁のようで、またガリラヤ湖の魚到来である。天才、水ごとドッと家の発泡スチロールの箱に移し替えた。すごい数である。天才が帰ったあと、から揚げ(すずめ焼き?)にするためには背開きという彼の助言に従って、先ずは水を払って自然死(ちっとも自然じゃありませんが)していただき、それからおもむろにめったに使わない柳葉包丁を取り出し、いざ、背開き作業開始。
 実は背開きにするなんて生まれて初めてなのです。何匹目かに左手親指の付け根あたりを包丁の刃先が滑り、かすかに傷。危ない危ない。
 骨に沿って包丁の刃先を入れていけばよいので、それはまあむずかしくはないのだが、難題は、背開きにしていくと最後に残るお魚さんの顔(頭)である。これをどうやって半分に切り分けるのか。人間で言えば背後から後頭部に包丁を入れて開くようようなものである(何?この喩えは……)。切ろうとしても切れるものではない。結局、左手の親指と人差し指でお魚さんの東部を両側から挟むようにして支え、上部から一気に押し切りするしかないことが判った。いちばん大事なのは包丁の切れ味。
 繰り返してゆくうちに、刃先がどのあたりを動いているか判るようになり、だんだん作業が早くなったが、それでも最後には腰が痛くなった。数えてみたらちょうど60尾であった。
 捌かずに食べるだけの家人たちは「おいしい」とか言ってから揚げをバリバリ食べるのですが、かんじんの私はあまり手が出ないのです。

 ネット上で少し反省することあり。少し静かにしよう。
 ある方のメールで、三浦哲郎の「短編集モザイクⅢ わくらば」を購入したまま未読なのを思い出し、文庫を発掘。ぼちぼち体も楽になってきたので、手元に置いて読もう。
 あまりキテレツな小説書こうとしないで、こういう短編を書く職人になってしまったらいいのだと、つくづく思う。(お前は、いったい何でそんなに身の丈に合わないことを夢想しているのだ?)

 ヤフーオークションの出品者から、入金を確認、今日発送のメール着信。明日「種まきごんべえ」君が届く。うれしい。
 いよいよ後には退けない。世間ではそんなこと無理だといわれていることに挑戦、ドンキホーテが風車に向かって突撃であります。ほとんど趣味の領域を逸脱していますが、何か、生まれた時からずうっと逸脱しているような気もしますので、まあ、いいか、ねえ、ネクタリオ君、Hoh!(ため息)。
 
さらば少年、それからの闇 百枚の扉の奥には、マルドロール
                    歌集『月光の揚力』(森島章人)より


2007年6月3日日曜日

デジタル文学館

 Lydwineさんの小説『重力のお友だち』を、ご本人からPDFとDOCファイルを添付ファイルで送信していただいて、先ほど表のサイトの「デジタル文学館」にアップロードしました。通常のHTML版と縦書きPDFの二種をアップしました。PDF版は掲載紙である「木曜日」のレイアウトそのままですので、プリンタにかけていただけば、印刷版の「木曜日」を読むのと同じ気分になれます。

 そういえば昨日、三好市から第三回富士正晴全国同人雑誌賞の応募要項が郵送されてきた。
 賞は望むもおこがましいですが、40号は新しい出発の号でもあるので記念に送っておこう。メール便で80円なので気軽に出せてしまいます。

2007年6月2日土曜日

相変わらず激しく逸脱

 写真はわが家の菜園近くにある公園の木々。
 カメラは水平なはずだが、映っている樹木がみな西に傾いている。海岸の松でもないのになぜ?
 中央の木など「おっとっと」と声を出しそう。
 これは携帯カメラなので、もう一度デジカメで撮りなおしたい。
 (私、実は昔から様々な樹木のフォルムを撮り溜めしたいというひそかな願望を持ち続けているのです)

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 わが家の前の道路で、このところずっと電線を引く工事が続いている。CATVはとうに終わっているはずだし、怪しいと思って監督のようなひとに「まさか、光ケーブルじゃないでしょうね」と訊ねると「そうです」とあっさり。八月には開通するらしい。と、今日になってNTTから光勧誘のひとが来た。インターネットは早いし、光電話は安いという。が、光電話、つい先日も大規模な不通事故があったのでは? まあ、しばらく模様眺めです。それに、高いです。

 ヤフオクに播種機「種まきごんべえ」の新品が出ていて、9000円ほど安いのでIDを取得して落札した。カードを持たないので、明日、ぱるるの口座間振替で代金を払い込みする予定。
 また仕事で外回りに出たついでにソバ栽培予定地の様子を見に行ったが、先日案内されて見た時には草など無かったのに、ハコベが真っ青で青くなってしまいました。近いうちにトラクターで耕運しないと。でもトラクターって二十年位前に一度運転したことがあるだけなのです。近いうちに練習しに行こう。
 今回勉強して判ったことですが、ソバにはアレロパシーといって雑草の発芽と生育を抑制する力があるようです。だから、いったんソバを播いて発芽させてしまえば雑草退治に腐心しなくても良さそうです、ラッキー。
 そういえば、昨年畑での栽培に失敗したワサビにもアレロパシーがあって、他の植物を周囲に生えさせないのでした。
 植物にもすごい処世術が備わっているもので、感心してしまいます。

 それにしても、ソバ作り、タイヘンのようで。倒伏しやすい、刈り遅れると実がこぼれてしまう、機械刈りがむずかしいので手刈り。
 でも機械刈りに挑戦です。ソバ作りに詳しい人に話すと笑われます。
「そんな、ソバは倒伏しやすくて稲刈り機でなんか刈れる訳がねえ。それに結束して放り出すたんびにソバの実がこぼれちゃって、いくらも収穫できねえぞ」
 と言われると、かえって天邪鬼な性格にボーっと火が付いてしまいます。
 それでは、種まきごんべえ君の力を借りて稲と同じ30cm幅の筋播きを決行することにいたします。
 品種はもちろん信濃1号、種子は知り合いの種苗店に4~5kgを依頼。
 播種は8月初め。刈り取りは75日後というから10月後半。
 畑は林檎やプルーンが植えられた果樹園に囲まれていて人目につかないので、ドンキホーテが無謀な機械刈りに挑戦するのにもってこいの場所です。
 
 もしもこのブログを読まれていて、蕎麦好きでみずから蕎麦うちをする方(あるいはしてみたい方)、乞うご期待!
 

「負けないで」が負けちまったのには、哀しみを感じないではいられません

 特別にファンでもなかったのですが(嘘? 怪しい……見栄っ張り!)、ニュースを見て、瞬時に、事故ではなく自死と直感した。
 政治家の自死にはちっとも心痛まぬが、「負けないで」が負けちまったのには、心底、哀しみを感じないではいられない。

 ねえ、きみ、何で
 負けないはずのきみが
 負けちまったの?
 
 きみを支える
 誰も
 何も
 無くなってしまったのかい?
 それならそれで仕方ない
 けどね

2007年6月1日金曜日

お待たせしました、『重力のお友だち』の感想

 それにしても、拝読してからものが言えるまで時間がかかりすぎ~~

『重力のお友だち』よこい隆(「木曜日」23号)
 
 純文学の多くの小説は視点がひとつ(一人)に固定されていることが多く、それが作品の信頼性を保障しているように考えられているが、実はそんなのは錯覚的神話にすぎなくて、前世紀には視点を固定せずに書かれた傑作がたくさんある。
 この『重力のお友だち』も作品の視点はひとつだが、それが登場人物の誰かに固定されている訳ではない。
 ある時は母親の頭の上から母親のことを描写し、カズくんの上空からカズくんの行状を描写し、更には、登場まもなくカズくんに蹴られ、運悪く打ち所が悪くてそのまま死んでしまった、死後のコータロウの山中での転変の様子までを読者の眼前に差し出している。
 現代小説が拘束されている「視点」という重い問題の重力から、この作品は自由であり、自由自在に人物を上空から語っている。
 かつて丸山健二がやはり死者の視点というか、死者の頭の上に視点を据えて書いた小説があったが、あれでさえ固定焦点レンズであった。が、『重力のおともだち』は、固定焦点ではなく母親、カズくん、コータロウ、あるいはチンピラであれ海辺でしゃがみこむおねえちゃんであれ、誰でも自由自在に書ける多重視点の小説である。
 この試みが、私にはかえって新鮮だった。無論、このことは作者自身が承知して行なった確信犯的創造行為である。

 ことに、母親とカズくんの書き方はスカスカというか(うふふ)普通であるが、コータロウの部分が出色である。
 コータロウが地球の重力の涯にまで転がってゆく様子まで目に浮かんでくる。
 また、冒頭に置かれた「コツンンン、コツンンン」という聞きなれないオノマトペが何事が起こっているのかととわれわれをattractする。それが更にリフレインされる。
 母親とカズくんと三人で暮らしていた日常が裂け、地球の深淵が開かれてゆく音なのかもしれない。

 コータロウの身体は、カズくんの周囲を二度回って勢いがつくと、頭と地球儀をまえにして、フワリと宙を飛んだ。すこし傾げた。脛に木の幹があたった。とたんにバランスをうしなったコータロウは、つぎの幹に頭を打ちつけた。細く尖った枝が、絶えずコータロウを突いた。腐葉土の枯れた音がコータロウの身体を包み、コータロウは、名もしれぬきのこをなぎ倒しながら、急な傾斜を転がって落ちていった。地球は丸いから、どこまでもまっすぐにいけば、もとのところに戻ってくるのだと、カズくんはコータロウに言ったのだった。毛布の外には、冴え冴えとした闇。

 コツンンン……

  コツンンン……
               (199頁下段後ろから9行目から12行)

 晴れたままの山のなかは、陽を浴びた木々や土が水分を吐き出して、純白の靄がユラユラと立ちのぼっていた。コータロウの身体は、微小な生き物たちの忙しい作業場と化していた。生き物たちは瞬間ごとに増殖しているまたそれよりも大きな生き物たちは入れ替わり立ち代り、コータロウを少しずつ運んでいく。しだいにコータロウは、蓑をすり抜けて、地に滲みだし、溶けていく。微小な生き物たちの活動で蓑のなかは熱を帯び、山から立ちのぼる靄に紛れて、コータロウの蓑からも白い湯気が起こっていた。蓑のなかで、発する熱にもむらがあり、かすかな気流が立っている。気流はコータロウに寄り添う地球儀に雲を起こし、雨を降らせる。

 野犬が、匂いを嗅ぎつけている。
                   (204頁下段後半)


 ここの斜体にも要注意!
 気流はコータロウに寄り添う地球儀に雲を起こし、雨を降らせる。
 この表現に何か感じません? 
 
 薄汚れた野犬が、蓑の上から、コータロウに鼻をすりつけ、そのたびヒクヒクと鼻梁に皺を寄せる。もちろん、お母さんもカズくんもそれを知らない。野犬が毛布を咥えて首を振ると、コータロウの頭が地球儀に当たって音を立てた。そのとたん、野犬は足を滑らせ、傾斜を転げ落ちていった。コータロウはまた取り残された。       (206頁下段1行目から)

 コータロウの死体の腐敗もこのように描写されれば美しくさえある。何もリアルに腐敗を描写すればいいというものでもないのである。
 また、斜体にしたもちろん、お母さんもカズくんもそれを知らない。に注目!
 前の文章にいきなりこれを突っ込んでくるよこいさんの度胸というか、図々しさというか、超絶技巧というか。これって、映画の技法でいうところのモンタージュじゃありませんか? 

 ところで、一点だけ個人的好みから出る不満を言わせていただけば、次の2行は絶対に作品の終わりにこそ置いて欲しかったです。

 やがてコータロウは、眼に見えぬ小さな生き物たちに分解され、昆虫たちに運ばれて、地球に溶けていった。      (206頁下段、13~14行目)
 



 文芸同人誌案内の掲示板にも投稿してこようっと。(あ、よこいさんにPDFファイルを送信してもらって、表のサイトのデジタル文学館にアップ・ロードしようかな)