2008年1月31日木曜日

夜なべ

 久しぶりにスキャニング。A4見開きで14枚と半分。
 1枚ずつでなく、連続で読み取りをして認識結果を保存すればファイルひとつにまとめられることが判っていたので、試してみた。Ctrlキーを押しながら15のファイルを選択してから認識結果を保存すれば、それぞれのテキスト・データがひとつのファイルにまとめて保存されてしまうという便利な機能。これを使わぬ手はありません。
 今回の場合、これまでのように1枚ずつ認識結果を保存していたのでは15のファイルができてしまう。こんなにあったのではテキスト・エディターでコピペ、あるいはファイル挿入してひとつの文書にまとめる際に、間違えてしまいそうで気を使ったが、こうしてスキャニングの段階で15の認識結果をひとつにファイル保存できれば楽である。
 出来上がったテキスト・データを一太郎のテンプレートに流し込み、それをさらにPDFファイルに出力。同じくHTMLのテンプレートに流し込み、整形して横書き版も一応は出来上がり。

 同人に文芸誌協会・会報を送る準備。
 印刷所に送るボランティア編集のレイアウト・データ、画像ファイルなどをCD-Rに焼いて、プリントアウトしたものも1部入れ、メール便速達扱いで発送。
 しかし、この印刷所、なぜメール添付でデータを送らせてくれないのだろう。CDかMOで送って下さいって。データ自体は画像ファイルまで含めて14,4MBなのだからADSL以上だったらどうということはないのに。

 あ、CDドライブのプロパティの「書き込み」の「CDドライブの書き込みを有効にする」をoffにしておかないと、そのうちにCD-RWが使えなくて慌ててしまうかもしれない。忘れないうちに戻しておこう。
 

2008年1月30日水曜日

プチ・鬼の霍乱

 昨夜は右肩甲骨内側の膏肓(こうこう)が凝り固まって血流が悪くなり、背中痛、肩痛、首痛、頭痛となったので、入浴剤を2袋入れてじっくり入浴し、その後、膏肓にインドメタシンを塗り、さらに温湿布を張って就寝。やや背中がカチカチ山気味ではありましたが、やがていつのまにか眠ってしまいました。
 で、まあ、今日は少しは楽に。とはいえ終日寒い上に雪なのでデスクワークを決め込んで外に出なかったせいか、まだ血の巡りがよくないです。
 どうも体を動かさないと頭の調子も悪くなる「単純肉体労働タイプ」であるらしく、チェーンソーでも振り回している方が頭の回転もよくなるようです。仕方なく、今夜も入浴剤のお世話になります。

 デジタル文学館に推薦作を二作いただいて、一作はHさんよりメール添付でテキスト・データをいただいたので先ほどアップロード。
 縦書きPDFファイルもWordではなく一太郎で元原稿を作成しておき、PDFファイルに書き出ししたが、どうも、ほんとうに、Wordより一太郎の方が簡単明快率直で、今日までのWordレイアウト崩れとの戦いはいったい何だったんだろう(シクシク……うれし泣き)
 (今日になって印刷所より返信あり。一太郎でもヴァージョン12まで対応できますって……うちのは一太郎2007ですが、ファイルの拡張子は同じjtdなので大丈夫でしょう)

 もう一作は、あ、しまった。この同人誌は手元にありました。もう推薦者に連絡してもポストに投函してしまったかもしれない。何とも、気づくのが遅すぎます。(ーー;)
 
 

 県内の同人誌の協会の、枚数制限50枚の文学賞に、57枚の作品を出してきた確信犯の同人誌あり。
 おもしろい。
 けれど、わが誌も前回うっかり54枚と2行の作品を出してしまい、県庁所在地の同人誌代表に50枚を一行たりとも越えてはならないと言明され、あえなく作品を文学賞候補から引っ込めた経緯あり。
 前回はダメだったが今回はOKでは不合理すぎる。
 敵は本丸=規約改正にあり。

2008年1月29日火曜日

万事控えめが生き方のコツです、って?

 何につけても物好きな性格なのでLydwineさんとこで話題の占星術をのぞいてみた。
 生年月日を入力すると。
 こんなん出ました。
 ⇓
室宿・手段を選ばぬ星
 ギャあっ、これって、最悪ではありませんか。

 この宿に生まれし人、
自信にあふれ強引な性格
善にも悪にも強く、性格は剛猛
自信がありすぎて傍若無人な行動が多い。
親分気質で面倒見が良く、社交性もあるが他人の気持ち、立場を解せぬ癖あり。
基本的に他人にはあまり関心がなく、自然と他人を思いやる気持ちに欠けがち。
知らぬまに人を傷つけたり、ないがしろにしている事が多い。
非常に頑固で他人の意見など一切聞き入れないが、やりたいようにやらせればそれなりの結果を出す人です。
楽天的で無邪気、性格がサッパリしているのであまり憎まれる事はないが、正直すぎて軽率な面があり、うっかりしてボロを出し他人の感情を害す。
秘密を守るのが苦手で、噂など言いたい放題だが、言った事に責任はとらないし、すぐに忘れる。
基本的に自分以外には興味がなく、友人は多いが親友は少ない。
自己中心的で人徳に欠ける星。
★物質星
精神の星ではなく、他人の心理や感情には興味がない。
現実的な事にしか関心がなく、お金や物がないと寂しい人。
なかには、物質欲のかたまりのような人や相手から奪う事のみを考える人もいる。

 うう、みんな図星。なァるほど、こういう星の元に生まれてたんですか……だから、こんなにも、どこからどこまでギャップばかりの人生になってしまったのですね。ショックで、「病膏肓に入る」になってしまいました。
 万事、控えめが生き方のコツです、って?  はい、しばらく寝込みます。
 

2008年1月28日月曜日

寒い夜、光と影

 昨夜と今夜、二晩続けて夕食後にお客様。今夜は、農業の師匠であるT屋さんご夫婦。何かと思ったら、前日家の母親がレシピを教えたそば饅頭が出来たからとわざわざ届けに来てくれたのだった。上がっていただいて団欒しながら、早速、試食。奥さんの健康状態が良くないのでT屋さんが家事もほとんどされているのだが、男が初めて作った蕎麦饅頭にしては上出来で、餡は市販のものらしいが、川が固すぎず、ふわふわになりすぎず、感心。一家三人で絶賛し誉める。
 で、あとはまたソバ談義。T屋さんは一昨年から、私は昨年からの、にわかソバ吉2名の話はなかなか尽きず、楽しい。

 深夜、ひとりになってから、次号の原稿締め切りまで二ヶ月、ということが頭の中をよぎる。
 いつも最初から諦めている訳ではないが、結果あまりにネガティブになってしまうのが嫌さに書くのを諦めてしまう。
 ひとを生かしめてこその文学であって、ひとを生かしめない小説など犬も食わない。
 悩みますな。

 せっかくの日曜だが外はあまりに寒いし、何もしないでいるのもどうかとまた蕎麦打ちして、配偶者の実家へ届ける。
 前回あたりからだいぶ進化してきて、延しもかなり薄くなってきたし、切るのも落ち着いて切れば幅が一定に揃ってきた。
 留意すること。
��、打ち粉は必要なだけにしてこまめに。
��、麺捧の滑りと回転が良くなるように、クルミを購入してきて布製に袋に入れ、その油を麺棒に塗ってからしまう。
��、切る際に麺を6枚にたたむと厚すぎて切りにくいので、4枚で横長になるようにたたむ。
��、蕎麦切り包丁は、使用後必ず研いでおく。
��、Oyamabokuchiをつなぎにする場合、延して切る間に干す時間が一時間、これは絶対に必要。
�� 水回しについては、出来るだけ柔らかめで、手に粘って付かないぎりぎりに柔らかめに。その方がおいしい。(特にコシが強い蕎麦が好きな場合は別)

2008年1月27日日曜日

貧乏性に拍車

 地中に埋める電熱線で、「100V・500W・62m」より短くてW数も少ないものがないかとネットで検索したら、「100V・250W・31m」という規格のがあったので、知り合いのお店へ行ってみた。ありました。3780円。これでちょうど1坪くらいの面積というので、畳2枚分の温床が出来ます。昨年の晩秋に山を駆け回って入手した貴重なoyamabokuchiの種とか、N君が採種してきてくれたCanadaのRhubarbの種とか、いろいろ、またいたずらするのに必要。というか、ここは寒いのでこういう種子が自然に発芽するのを待っていたら、5月になってしまいます。
 
 帰宅途中、電熱線の下に断熱材として使う発泡スチロールの90cm×180cm×1cmの板を買うためにホームセンターに寄った。1枚460円を2枚購入。
 出入り口にシイタケなどの原木や駒菌植え込み済みの原木が並べられていたが、原木が580円、植え込み済みの原木は748円だった。高いか安いか、原木を運び出す苦労を考えると安いかもしれない。でも、上手に管理して菌を回さないと出ないと思うんですが、大丈夫?

 なんでも自分でやってみないと気が済まないのは、ただの貧乏性にすぎない。
 これでも自分がやっていることの不毛性には気がついているので、相変わらず上巻だけでストップしているフロベールの『ブヴァールとペキュシェ』、多分、このまま読み進められないだろうと見限りそうだ。このふたりは、私よりもさらにさらなる不毛性に血道をあげている。

寒!!

 今朝の最低気温、マイナス13℃ってほんと? ぶるぶるっ.


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 (画像クリックで拡大表示)

2008年1月26日土曜日

ソフト乗り換え

 昨夜は、書こうとしたらネットに繋がらない状況がずっと続いて断念、後書きです。

 手元にある同人の旧原稿を用いての一太郎でのレイアウトは意外とやりやすく、そこそこ出来上がったのでPDF書き出しまでやってみた。
 Wordでは段組の切り替えはセクション区切りしてからそのセクションごとの段組指定となるが、一太郎はセクション区切り」のような面倒な作業無しに任意の場所で(ページの真ん中でも)段組を変えられる。つまり、ページの途中まで一段組みで来て、真ん中で二段組に変更できるのである。こんなに簡単? Wordばかり使ってきたものにはある意味感動的でさえあります。Hさん、ありがとうございます。

 印刷所からまだ返信が来ないが、一太郎でもいいですよという返事だったら、次号から一太郎で編集レイアウトすることにします。
  一太郎の方がずっと簡単で、今までWordで苦しんできたのは、あれは何だったのだろう? 無駄な努力?(泣)

2008年1月25日金曜日

一太郎で練習

 昨日、Wordでセクションで区切って一段組みから二段組へ変更すると、セクション区切りの手前のページのレイアウトがなぜか崩れて下に下がってしまう奇妙な現象について書いたら、Hさんがご自身が編集レイアウトされた自作の一太郎ファイルをメール添付で送って下さった。
 それを早速、見させていただいたり、自分でも一太郎の「文書スタイル」の設定(Wordではページ設定)などをしてみた。
 どうも一太郎の方が便利だなあ。多分いいとは思うが、印刷所に一太郎でもいいか念のため確認しておこう。
 ということで、実際にあるテキストを使って、一太郎での編集レイアウト練習をしてみよう。
 

生き仏に蕎麦

 今日は父の命日だが、昨日降った雪が残っていて、菩提寺境内の坂道を上った場所にある墓に参るのは老いた母親には酷なので墓参はしないことにした。
 その代わりに、仏壇に花を供え、蕎麦好きだった父のために蕎麦を供えようと(とは、ただの言い訳で自分=生き仏のためみたいですが)、夕方早めに帰宅。
 十割がどうもうまく打てないので、1割だけ小麦粉を使い、oyamabokuchiもやや少なめに使用。
 30分みっちり捏ねて、できるだけ薄く延ばし、それからoyamabokuchi蕎麦固有の作業だが紙の上に広げて一時間ほど干し、それから包丁で切った。やはりこれくらい干した方が切りやすくなる。
 まだ若干幅が広いが今日は駒板無しで切ってみたのでこんなものだろう。

 茹でてみるとまだ太いが、これまででいちばんよく出来たので写真を撮った。ねずみ大根のおろしとワサビ、刻み海苔の三種の薬味だけで食べてみた。
 年寄りにはoyamabokuchi蕎麦はコシがありすぎて食べにくいらしく、自分が打つ二八蕎麦の方がいいという。まあ、二八と交互にすればいいでしょう。
 最近下手な蕎麦の連続にうんざりしていた奥様は、職場の女性だけで海鮮料理店で急遽お食事会とのことで体よく逃亡。

 いずれにしても、もっと薄く延ばし、もっと幅を狭く切れるようにならないと。

2008年1月24日木曜日

solitudeとisolation

 セルジュ・ゲンスブールがジャック・プレヴェールを唄っています。



 セルジュ・ゲンスブール、ジャック・プレヴェール、ボリス・ヴィアン、レーモン・クノー。
 みんな、同じ時代にサンジェルマン・デ・プレで顔をあわせ、夜を徹して話し、呑み、笑い、そして生きた。
 実に羨ましい。

 今、この時代、私も含めて、人はみなsolitude(=孤独)であるか、isolate(=孤立)であるかのどちらかであらざるを得ない。

 いや、人間という妙チキリンな存在自体が原初からそうなのだった。
 ひとはみな、solitudeであるか、isolateであるかのいずれでしか在りえない。

 前にも書きましたが、solitudeとisolationの微妙な差異について言及したのは、存在と世界のポリフォニーを熟知していたかの天才ピアニストなのですが、現代に生きる作家こそ存在と世界のsolitudeとisolationを描くべきであろう。
 というか、それ以外に物書きの存在理由などない、はずなのですが、 さて?

Word 対 一太郎

 ボランティアのパソコン編集作業がほぼ終了。常識的には出来たファイルをネットで添付して送信すれば済むのですが、印刷会社が小さいせいかデータ送稿はCDかMOでと書いてあってネット送稿には対応できないようなので、仕方なくCDに焼いて郵送するのです。
 ミスがないか、もう少し点検してOKだったらCDに焼かないと。そのCDに焼くのが、WindowsのCDRに焼く機能がCD-RWのパケットライトソフトと競合するので、その都度切り替えなければならないのですが、通常はCD-RWしか使っていないので、CDRに切り替えるやり方を忘れてしまっていて思い出すのに少し時間がかかるのです。そうそう、マイコンピュータを開いてCDドライブのプロパティを開き、「書き込み」タブの「このCDドライブの書き込みを有効にする」にチェックを入れるのでした。ふだんはこのチェックを外しておかないとCD-RWのパケットライトソフトが使えなくなってしまいます。面倒くさい。

 今回はまた、一段組みと二段組が繋がる頁のレイアウトが崩れるWordの奇病が発現して、仕方なく、一段組みと二段組は別ファイルに切り離しました。
 そういえば、一太郎ではどうなるか、ちょっと試してみます。一太郎でレイアウトが崩れないなら乗り換えますぞ~。

2008年1月23日水曜日

もうひとりのフリオ

 フリオ・リャマサーレスのインタビュー映像があったと思って検索したら確かにありましたが、39秒ほど。
 もっと長いかと思っていましたので、なあんだとがっかりして戻ろうとし、ふと右サイドバーの関連映像が並んでいる場所に、同じフリオでもフリオ・コルタサルという文字を発見。あらためてフリオ・コルタサルを原語で検索したら、わあ、すごい数の動画がアップされているではありませんか。
 Google Videoには2時間2分のコルタサル、インタビュー番組(モノクロ)がアップされていました。これは貴重な映像ですが、英語の字幕もなくスペイン語でちんぷんかんぷんなのが切ない。Infoseekマルチ翻訳のスペイン語翻訳でタイトルくらいは見当がつきますが……。
 また、YouTubeにも「フリオ・コルタサル」というタイトルで9つのファイルに分割アップされ、これも合計75分の映像。映像によるコルタサルの評伝のようなものらしく、言葉が理解できなくても見てはいられます。その「フリオ・コルタサル・パート1」がこれです。パート9まであります。
 さらにコルタサルの幼少時代からのフォトモンタージュ。それから数が多いのが「続いている公園」を映像化したものが、アニメからオペラまで含めて10以上ありました。ただし見るに堪えないものもあり、まあまあ原作に忠実なのは、この「Continuidad de los Parques(続いている公園)」
 でも文章で読んだ方がずっと、「続いている公園」の時空のねじれが感得できたのを思い出しました。コルタサルの小説は映像化しない方がいいです。

 そういえば、キーワード登録に早速ヒットした記事から知りましたが、1月25日発売でフリオ・コルタサル、野谷文昭訳「愛しのグレンダ」(岩波書店)が出ます。これは確実。
 また相乗効果を狙ってか、品切れ中の『コルタサル短篇集 悪魔の涎・追い求める男 他8篇』〈岩波文庫〉が、2008年3月14日頃重版の予定という記事も一件、目にしました。

 夕方、書店に行って、県道だけでなく山の中の市道、町道、村道まで詳細に描き込まれていて、それでいてあまり厚くなく軽い県内道路地図を購入。1:25000の地図と併せて見るととてもいい。

2008年1月22日火曜日

アンテナ復活

 昔、熱が出て学校を一日休むと、次の日も次の日も休んでしまってもう学校に行かれなくなくなるのではないかという不安感があった。ブログも一日休むとずるずる休んでもうどうでもいいやと放り出すかもしれないという予感を抱えている。

 昨夜からずっと、いろいろな検索をしつづけているが、どうも物足りない。
 昨年前半にGooのRSSリーダーをアンインストールしてしまってキーワード登録から新しいブログを発見することがなくなった。Web版のRSSリーダーをいろいろ試してみたが、ログインタイプが肌に合わない。第一、RSSリーダー機能そのものはFirefox のsageで満足している。欠けているのはキーワード登録だけなので、Web版のgoo RSSリーダーにキーワード登録をしてみたが、やはりWeb版は使い勝手がよろしくない。そこで結局またアプリ版のgoo RSSリーダーをダウンロードしてインストール。最初から登録されているブログが多すぎるので、削除できるサイトはすべて削除して可能な限り軽くする。しかし、削除できないRSSサイトが少し残った。スポンサーのサイトだろうか。無料なのでこれくらいは我慢。
 そして大切なキーワードだけを登録する。無論、最初にボリス・ヴィアン、アルフレッド・ジャリ、残雪が来るのは当然。
 登録するのは圧倒的に作家名、作品名が圧倒的に多い。登録しておけばその作家や作品名について書かれたブログ記事をみな拾って来てくれる。たとえば「フリオ・リャマサーレス」とか「バッコスの信女たち」とか登録しておけば、その記事を拾っておいてくれる。
 これが私の大切なアンテナである。(ん? はてなの方が便利なのかな? 使ったことがないのですが)
 このごろFirefox のsageに登録してあるブログのほとんどが更新が遠のいており、さみしいので新たに元気で魅力あるブログを発見しようと思うのです。


 それからもうひとつ。このブログは最初からトラックバック機能を外してあったのだけど、それは失礼なことなのかもしれないと、今さらながら気づいた。さて、どうしよう。

2008年1月21日月曜日

怪しい話題

 午前中、チェーンソーを持って山へ行き(ひとの山ですが了解済み)、楢の木1本と、またしても山桜1本、計2本を伐採。現場で長さ90cmずつに玉切りして軽トラへ。切るのは簡単だが運び出しがタイヘンで汗びっしょりになる。
 N商事のT中さんにクルミの木の確認をする。これから切ってくれと頼まれているクルミの木が6本あるので安心して待つようにとのこと。駒菌500個分だからそんなにたくさん要りませんと念を押しておく。ヒラタケは短木栽培だと思っていたら、T中さんはシイタケと同じサイズの90cmの長木を寝かせて伏せる栽培だという。それならその方が楽なので、真似しよう。


 それから、探索中のWが北A村にあるとの情報を、同じくT中さんから入手。
 \(^o^)/

2008年1月20日日曜日

今夜もややこしく怪しい作業

 「コロノスのオイディプース」氏アップロードのBMW244「マタイ受難曲」



 14ファイルに分割アップロードされているものをダウンロードした。ダウンローダーの使い方を忘れていて少し戸惑ったが、思い出せば14ファイルがあっというまに指定したフォルダへ。
 それはまだflvファイルなのでFLVプレイヤーでないと再生出来ない。
 動画は十字架にかけられたキリストの右手が写っているだけなので不要。
 flvファイルから音声ファイルだけを抜き出すフリー・ソフトで一気にmp3ファイルに変換。これでOK。
 全体で44MBあるので、パソコン内には置いておきたくない。とりあえずは外付けのHDDに置いておき、CDRなり、別の音楽再生にふさわしい記憶媒体に移そう。
��今年こそMP3プレイヤー。正月、息子たちにMP3プレイヤーがもっとも似合わない世代と揶揄されましたが、ふん!! ひと前ではなく、ひとりでこっそり、これを聴こえるか聴こえないかのわずかな音量で流しながら、小説を書きたいんですよw)

きのこ植菌初体験

 今朝は-9℃。寒いと言って家にこもっているのもどうかと思い、今日はシイタケほかのキノコ菌の植え込みをした。時期的にはまだ早く、3月頃が最適なのだけど、その頃は忙しいので今のうちに作業を済ませておこう。


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 電気ドリルで穴を開け、菌を培養した駒を木槌で打ち込む。

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 このように駒を穴に挿し、木槌で打ち込む。太さ10cmくらいの原木で30個くらい打ち込む。

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 右側の10本が山桜に植えたナメコ菌。その左側の10本がコナラに植えたクリタケ菌、そのまた左の桁に積んであるのがシイタケ菌で34本。合計54本。
 どれも少しずつ菌が余っているので、明日にでもコナラの木を2本くらい追加伐採してこないと。
��その後2月2日、山桜にナメコ2本、コナラにクリタケ3本、コナラにシイタケ2本を追加植菌)
  
 ヒラタケはクルミの木ということで、もう原木が入手できるまで待つ。
 ダメだったら家庭菜園に借りている畑の隅にアメリカシロヒトリ退治のために枝のほとんどを切られたクルミの木があるので、その一方の枝を頂戴しよう。

2008年1月19日土曜日

浅間山は美しい

 夕方、帰宅すると母親がこね鉢を出しているのでまた蕎麦かと訊ねると、今日はうどんにしたいと言う。
 せっかく高い包丁を買ったのだから、昔のように家で手打ちをしてみたらどうかと。
 言われて、年寄りに打たせるわけには行かないので、自分でやってみました。
 蕎麦に比べたら楽なものです。ただし、やはりネックは切る幅が一定でなく、細いの太いのいろいろで、茹で加減もいろいろ。まあ数を重ねれば上手に切れるようになるでしょう。
 そのかわり、コシや喉ごしはスーパーで売っている麺とは比較にならないくらい良い。
 一時間ほど残業して帰宅した、うどん好きな父親のためにかつてさんざんうどんを食べさせられたせいで今はうどん嫌いのはずの奥様も、「手打ちうどんっておいしいわね」って(え? うどん、嫌いじゃなかったの)
 高い包丁代金を減価償却するために、当分、うどんは自家手打ちといたしますか。


asamakakou.jpg

 これは浅間山の噴火口。先ほど、またGoogle Earthで浅間山、阿蘇山、桜島の噴火口を見て来ましたが、阿蘇山は外輪山はともかく現在の火口がどこかよく判らず、桜島は火口は小さくなって判然とせず。やはり浅間山の噴火口はドカンと丸く開いていてダイナミックである。煙で火口底は見えないが結構深い。まだ登山禁止になっていなかった17歳の時に、一度だけ淵に立ってのぞいたことがあるが、あまりに深くて遠近感が狂った。

南側火口縁高所 2546.2
火口底(最深部) 2349.5
��その差=深さほぼ200m)
火口の直径(火口縁,東一西) 500m

 Google Earthで上空から眺めても、浅間山は美しい。


 さる動画投稿サイトに全曲分割アップロードされている「マタイ受難曲」が、購入したCDは別にとてもいいので全部ダウンロードし、MP3かWMAに変換してCDに焼くことに決定。
 この「マタイ受難曲」を全曲アップロードした人物のハンドル・ネームがなんと、Oedipus Coloneus(すなわち「コロノスのオイディプース」)さんとはまた洒落ているではありませんか。つい遡って Oedipus Coloneusさんがほかにどんな曲をアップしているか見に行ってしまいました。すごい、何と分割されているにしても855もアップロードされているではありませんか。
 ところで「ヨハネ受難曲」は?

2008年1月18日金曜日

承知の上の愚行

 昨夜は、試験公開中の国土地理院の地図閲覧サービス「ウォッちず」とGoogle Earthを同時に開きながら、地図上を一時間以上さまよっていた。数少ない情報から山中のある場所を推理特定するという最初から不可能な作業だが、Google Earthは境目がなく日本でも世界でも移動できるが、国土地理院の地図は一定の区画で分割されているので、境界にかかっている場所の場合、いちいち隣接する隣へ移動しなければならない。Google Earthの(天壌無窮ならぬ)天上無窮の自由さに比べると、不自由きわまりない。
 結局、今日の夕方、書店に行き、1:25000の地図を2枚購入。標高も重要なヒントなので、等高線が書かれた地図がどうしても必要。
 国土地理院の1:25000の地図を購入するのは、毎年北八ヶ岳から八ヶ岳へと縦走していた二十歳前後の頃以来、?十年ぶりとなる。帰宅後、県内の1:10000のロードマップも購入すればよかったと思ったので、また明日。
 安物だが方位磁石は机の引き出しに眠っているかもしれない。なじみの里山ではないし、山がかなり深いので、万が一のことを考えて方位磁石も持参した方がいい。
 昔、浅間山麓の中腹で方向感覚が狂って車を置いた場所が判らなくなったことが一度ある。方向音痴ではないが、あんな風に方向感覚がまったく狂ってしまうことがある。ことにキノコ採り、根曲がり竹のタケノコ採りなど、下を見て歩き回っていると危ない。
  とまあ、これでいよいよまた暇を見ては山に行くことに。ただし、雪が多いとダメなので少し寒気が緩んでからになる。ハンターに撃たれないように派手なジャンパーを着ていかないと。

��しかしまあ、まだ全巻通読していないのだけれど、結局は「プヴァールとペキュシェ」だよね、と思う。机上やネット上で得た知識だけではどこか現実に対応しきれずに破綻したり、お間抜けなことになってしまう。……と、承知の上の愚行だからまあ、いいでしょう)

2008年1月17日木曜日

枯野に緑

  ある植物に関する情報とスペイン内線について、ずっと検索で時間を費やしてしまい、馬車がカボチャになる時刻を過ぎたのでこれまで。
 ある植物については、今、この時期に山に入った方が、落葉樹は葉が落ちているし、枯野に緑を探すといった状況で発見しやすいかもしれない。寒いが我慢。

2008年1月16日水曜日

詩と散文のダイヤモンド・ダスト

 「狼たちの月」、読了。
 圧倒されて言葉が出てこない。
 スペイン内線は歴史的には1936年7月から1939年3月までとされている。が、この小説の第一部は1937年、第二部は1939年、第三部は11943年、第四部は1946年。この十年にわたる共和国軍兵士の敗残生活を静かに叙述している。
 先日書いたアリストテレスの言葉を、またしても思い出さざるをえない。

「以上に述べたことから、詩人の仕事は実際に起ったことを描くのではなく、起り得ること、即ち、蓋然、もしくは必然的に、可能なことを描くことである」

「歴史家と詩人の差別は、韻文と散文との差別にあるのではなく、一方(歴史家)は実際にあったことを書き、他の一方(詩人)はあり得ることを描く点にある」
                  (岩波文庫旧版・松浦嘉一訳より)



 以下はこの小説の終わりに近い部分の引用。
長い時間がたった後なので、光がぼくを傷つける。今生まれたばかりの悲しく凍った光が、真っ白な光と一緒になってぼくを傷つける。肌で雨、あるいは郷愁を感じるように肌で光を感じることがない日々が続いた。光がぼくを傷つける。五感は夜の闇のせいで暗さに慣れ、風のせいで吹き散らされ、きっともう二度と会うことはないだろうという思いを込めてぼくの背後で扉を閉めた妹の目の中で溺れ死んでしまった。その五感までが光に汚される。

 たったひとり生き残りはしたものの隠れ家の洞窟を失い、妹夫婦の家の敷地内に掘った穴の中で生活していたぼく(アンヘル)が、ついに妹に「ここを出て行って」と言われ、国境を越えてこの地を去ろうとして駅へ向かう。暗い穴倉生活から出て駅へ向かうアンヘル自身の叙述である。
 詩(ポエジー)が散文に入り混じってダイヤモンドダストのようにキラキラしている。
 「黄色い雨」もそうであったが、この小説もまたその魅力は粗筋にあるのではない。粗筋を書いてちょこちょこっと感想を書いて、それで済むような小説ではないのであり、小説の魅力が叙述そのものにある。

2008年1月15日火曜日

Bien Vianな夜

 今日は夕方また市営日帰り温泉へ強制連行されてたっぷり露天風呂。先日も今日も、仕事でお世話になっている方に会って裸で挨拶。照れます。
 寒いので湯温を上げてあるらしく、露天風呂でもよくあたたまり、またジェットバスの噴出孔に腰と背中の「膏肓」を交互に持ってゆく。「膏肓」のあたりの血流が悪くなると、腕、肩、頭、みな具合が悪くなりますので。


 久しぶりにVianの検索をしたら、日本のさるテレビ番組がVianの旧宅を取材している場面がアップロードされていた。実際のVianの書斎である。タレントが何か情けないことを言いあっているが、とにかくVianの居室が一瞬でも見ることが出来ただけで嬉し。



 それから、もうひとつ。これ。歌はVian自身の歌だろうか? ゲンスブールの声みたいだ。Vianはもっと悪声だった。
 持っているCDには入っていない曲だが、聴いていて楽しいのでダウンロードしてしまおう。ついでに音声ファイルだけを取り出してMP3かWMAにしてしまおう。
 しかし、ここにもVian夫妻(初婚の方の)とジャン・ソール・パルトルとその相方が4人揃っている脅威の写真がすうっと写っている。私、この写真を見ると胸が張り裂けそうになるのですけど……(しくしく)。




 そうこうしながらあちこちうろついているうちに、Vianのオフィシャル・サイトを発見した。ただしフランス語がからきしダメなので、8ヶ国語に対応しているInfoseekのマルチ翻訳のフランス語のページに初めてお世話になってみた。無論、機械翻訳なので読める程度にさえなっていないが、それでもおおむねどんなこと書かれているか判断はつく。
 で、がっかりした。公式サイトというのはこんなものだろう。
 そうだ、ついでに、スペイン語のページでフリオ・リャマサーレスのことを調べてみよう。


「狼たちの月」、だんだん読むのがつらくなってくる。

2008年1月14日月曜日

腕と道具

 昨日雪が降ったので今日はどこへも出かけず、午後、蕎麦打ちの練習。
 家の分と、いつも川魚をいただいているKさん宅の分で1kg。二八でいくか、つなぎをoyamabokuchiだけで行くか、迷ったが、結局難しい後者を選択。気心の知れたKさん夫婦なので失敗してもいいかなという、実に自分に甘い判断。


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 水回しをしてoyamabokuchiを混ぜ、えんえん捏ねること35分、ようやく丸くなった。
 この1kgを一度に打つほど腕が良くないので、半分に分けて二度に打つ。まだ四角には伸ばせないで丸くなってしまう。
 しかし、この先、包丁で切るのがうまく出来ないので写真を撮る余裕がない。40分ほど乾してから切ったがまだまだ太い。厚みがありすぎるようだ。もっと薄く延ばした方が、切り幅が多少広めでも蕎麦らしいが、厚いとほんとうに蕎麦うどんで洒落にもならない。
 ともかく、oyamabokuchiをつなぎにする場合は切りにくい。

 夕方になって、町内でかつて金物店を営んでいたお店が小売を完全にやめるということで、昨日4割引、今日5割引、明日、6割引で閉店セールを行なっているのを思い出し、砥石があったら買っておこうとでかけたが、お目当ての大き目の砥石はもう無かった。鎌、包丁などにお買い得なものはないかと物色していたら、北信濃は古間の手打ち草かき(削り)が2本あり、かなり以前の仕入れ価格1880円の半値なので、2本まとめて購入。
 そうこうするちに赤提灯の無尽の仲間であるご主人があるものを指差した。
 え、蕎麦切り包丁なんて置いたあったの……。
 自分で蕎麦打ちしようと仕入れたまま残っていたんですよ。

 見れば刃渡り30cmで、値札はほぼ、ン万円近く、これが今日は半額(汗)。
 ドシーン、ビシビシッ(清水の舞台から飛び降りて複雑骨折した音)

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 弘法は筆を選ばずと言いますが、同じ下手なら道具がいい方が少しはましな気もしますが、さて?
 これまでは上手に切れないのを包丁の所為にしてきましたが、これからは……

2008年1月13日日曜日

春が待ち遠しい♫~

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 ネットでオーダーした種がメール便で到着。
 しかし、丸いズッキーニの黄色は来ていますが、薄緑色のグリーン・エッグという種類が無いではありませんか。早速、メールで問い合わせしたところ、担当者が見落としたようで、昨日のうちに追加発送したという返信。やれやれ。
 グリーン・エッグはわが家の奥様ご所望の種なので来ないと困りますし、同じ丸いズッキーニでも、写真のゴールディの方が収穫量が少ないらしいので、主力はグリーン・エッグなのです。
 このグリーン・エッグを、昨年、玉さんの農場で買って来て生でスライスしてドレッシングで食べたらおいしかった、是非栽培せよとのお達しなのです。ズッキーニって、普通、生で食べないと思うんですが、ま、おいしければいいでしょ。
 今年は通常のほかに梅雨があけてから成りだすように遅蒔きもする予定。梅雨時は花落ちの部分から腐ってしまうものが多いのです。


 「狼たちの月」、第1部から第2部へ。
 第3章の書き出し……
大地の内臓にひそむ巨大な闇を、光が血の刃で切り裂く。
 むむ、またしても内臓? 

2008年1月12日土曜日

魂のマニエリスム

 昨日、Hungarian Hot Wax について書いたので、今日の夕方、夏に作り置きしておいた「なんばん味噌」を思い出した。冷蔵庫の中でジャムやコーヒーの瓶に入っている。文芸同人誌案内のひわきさんから教わったレシピを思い出し、夕食前のわずかな時間に下仁田ネギを刻み、冷蔵庫からひき肉を出し、フライパンで炒めておいてから「なんばん味噌」を投入。ほどよくHotでおいしい。
 と思ったら、配偶者がタクアンを銀杏切りにしたものを油で炒め、七味で味付けしたものが出て来た。
 辛いものが二品あっては気が散ります。


 「狼たちの月」、作者は弁護士をやめて文筆生活に入り、先ず詩を書いてから散文、小説にも手を伸ばした。その第一作が「狼たちの月」らしい。そのせいか、書き出しで先ず目についたのは散文にしてはあまりに詩的すぎる言葉遣い。
軽機関銃が暗闇の中で鉄の月のようにきらめく

われわれはアマルサ峠に、世界と孤独の屋根に向かって登ってゆく

間違いない、一頭の犬が夜の闇に包まれた峠の凍りついた内臓をかじっているのだ。

 それから表紙カバーの内側に印刷されている、まだ読んでいない部分からの引用。
ほら、月が出ているだろう。
    あれは死者たちの太陽なんだよ


 さすがに、ガルシア・ロルカジェラルド・ディエゴを生んだ国の詩人・作家であります。
 どこか、言葉に、鬱屈した魂のマニエリスムを感じ取ってしまいます。

2008年1月11日金曜日

君はハンガリー出身だったの?

 もう5,、6年かもっと、「バナナなんばん(バナナこしょうとも言うらしい)」という中辛のナンバンを自家用に作っているが、その名前がいかにもその外見の印象を見て付けたような感じで、怪しい名前だとは思っていた。


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 今夜、別のものを検索していてたまたま似た風貌の辛ナンバンを発見した。
Hungarian Hot Wax という名前である。しかも中辛らしいし、実が下向きでなく上向に生っているのも同じである。そうか、これからはバナナなんばんと呼ばずにHungarian Hot Waxと呼んでやろう。

 あれ? Googleの画像検索にかけてみたら(わあ、にぎやかです)、上を向いて生っているのに、下向きで生っているのにありますね。これも、謎。
 ライマ・ビーンズもペルー出身の豆だったし、バナナなんばん君はハンガリー出身でしたか。
 こういう発見は楽しいですね。
 うへ~、Hot Bananaという名前もあるようです。

 「狼たちの月」 少し読み進む。
 そうそう、こういうハードボイルド純文学が(こんな言い方、変ですが)、ぼくは好きだったのかもしれない。初期の丸山健二もハードボイルド純文学だったような気がします。

2008年1月10日木曜日

鳥になった

 午前、仕事ででかけたついでに7イレブンに寄り、「狼たちの月」を受け取る。そのまま、ぐるっと回って時間があったので、一昨年、クレソンを採った場所へ行ってみる。あった。レジ袋ぎゅうぎゅう詰めに一杯。普通のセリも少々。

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 さっと湯通ししてドレッシング。




 夕食前に、早速「狼たちの月」の訳者解説を読み、第1部から読み始める。おいしい食べ物はゆっくり食べる。それと同じでじっくり読もう。これを読んだら、J・オーウェルの「カタロニア讃歌」も必要になるかもしれない。

 夕食後、Google Earthで遊ぶ。試みにカナダのN君の住所を入力したら、すごい! あっという間に北米大陸から五大湖のあたりに移動し、停止したので、今度はズームアップで、ほぼ上空500mまで迫る。道路から家に入るドライブウェイに赤い車が止まっている。メールで確認した。これが彼の家だ。
 それから五大湖周辺とナイヤガラの滝上空をお散歩。そしたら、ナイヤガラの滝ってアメリカ側からカナダ側へ落ちて北に向かって流れているんですね。これまでずっと、北から南へ落ちていると思い込んでいた(無知!)ので、驚きました。

 次に、日本に戻って、昨年ソバを栽培した畑の上空に飛ぶ。おお、ちゃんと形が判ります。

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��クリックで拡大します)


 Google Earth、自分が鳥になったみたいで面白いです。ちょっと目がまわりますが。
 Google Earth日本語版は無料です。12,7MBありますが、パソコンのスペックに余裕のある方はこちらからダウンロード&インストールできますので、どうぞ。

2008年1月9日水曜日

ウサギの拙速

「胡壷」6号、感想

「象のテラス」ひわきゆりこさん
 読みやすい小説でした。
 最初に頁をめくったところで、破線による仕切りがあり、四つの視点を持つポリフォニーの小説かと思いましたが、そうではありませんでした。
 視点は一貫して「わたし」にあり、何らかのRelationがあった三人の人物について、破線でひとりずつ区切られて人物の名を提示して書かれています。
 この構成だとユウコ、サトル、ミアさんそれぞれと「わたし」との交流が夾雑物無く描かれていて、小説として誰にも解りやすくなります。
 初めと終わりの「わたし」を書いている部分では、ユウコ、サトル、ミアさん、三人全員とRelationが無くなった「わたし」の寄る辺なさがうまく表出されています。
 人生には、こんな風に簡単に、不意にRelationが切断されてしまい、誰ともつながっていないただの「個」に戻ってしまう瞬間がありますが、ユウコ、サトル、ミアさんという三人とのRelationの切断を重ねて描くためには、こうしてそれぞれとの交流をオムニバスな書き方で通すという方法が効果を出しているのかもしれません。
 ただ、こうしてきっちり戸を立てて、それぞれとのRelationを書く方法のほかに、ひとつの時の流れの中にユウコ、サトル、ミアさん、皆を混ぜて捏ねてという書き方もあるなァと考えたのですが、どちらが良いかは判りません。
 ユウコという少女の、「わたし」の部屋への訳のわからない登場の仕方や消え方が、詳しい説明などなくてかえってリアリティを感じさせました。一から十まで書いてしまうよりも、訳のわからない現象は訳がわからないままに提示するのに徹した方が強いリアリティを保持できるのかもしれません。ユウコを登場させたことで作品の現代性が裏打ち強化されたと思います。サトルとミアさんだけだったら、解りすぎて作品としてスカスカになってしまったような気がします。


「水の音」納富泰子さん

 いつから、あんな水滴が耳の奥に落ちるようになったのだろう。
 という書き出しが実にうまいと思いました。一種の言葉によるAttractionのモンタージュで、「あんな水滴が耳に落ちるようになったって? あんな水滴? 何、何?」とこの一行で読者の関心をattractしてしまいます。
 納富さんの作品、「薔薇のように」では密閉された空間での湿気やカビ、「渦」では風がまるで目に見えるように描かれていましたが、今回はまさに作品のあちこちに水が目に見えるように書かれています。小説のモチーフとは一見無縁な描写のように思えますが、しかし、人間を描写する以上にこういう人間以外の事象の描写が、小説をしっかり下支えしているのだと感心しました。
 人間の描写で面白かったのは、歌曲のレッスンに通って来る舜美が主人公の生活、精神領域まで侵食してゆく様でした。風水など信じて他人にまで押し付けてくる不気味さがよく現われていました。
 冬瓜とか、リュウの介護のことなどは作者自身の生活から出て来ている素材ですが、さすがは納富さん、リュウについてもちゃんと客観化して書かれており、ベタベタした私性などどこにも見られず安心して読むことができました。腐った冬瓜の水が溜まっている光景も、あちこちにさまざまな水の場面を配置したこの作品ならではで、まるでその腐った冬瓜の水が美しい止水(死水)のように見えてしまいました。これって納富マジック?

 納富さんの作品を読ませていただいていつも感心するのは、人物ばかり書かないで、人物と同じかそれ以上に人物を囲んでいる事象をきちんと書き込まれているということです。
 私などは人物の言動を描くことのみに汲汲とし、それだけで終わってしまいますので、羨ましいかぎりです。

 (終わりに余談ですが、水の音といえば、タルコフスキーの映画「ソラリス」の、バッハのオルガン曲(BWV 639 )が流れるタイトルバックが終わって最初のシーンは、藻がゆらゆらしている小川の映像でしたが、その流れる水の音が妙に強調されていて印象的でした)


 のように書いておきながら、舌の根も乾かないうちに「胡壷」6号掲載作のうち二作分をここにアップしてしまいます。
 あらすじとか紹介せずにいきなり書いていますので、作品を読んでいない方にはチンプンカンプンだと思います。お読みになりたい方は「文芸同人誌案内」の「胡壷」のページからお申し込み下さい。

 どうも、亀の鈍足なのか、寝ていて不意に目覚めてビュンと走り出したウサギなのか? 怪。

亀より鈍足

 旧年中に送って頂い「胡壷」6号掲載作の感想をようやく書き始めたが、前号でかなりの勇み足をしたという自覚があり、反省することもあって今回はブログや掲示板などに公開するのはやめて、メールでお伝えするようになるかもしれません。まだ、ひとつの作品しか書いてないので、他の作品も書いてからまとめて。読んで感想を書くまでが、亀より鈍足です。

 7&Yより明日、9日午前10時には指定した7イレブンに「狼たちの月」が入荷しているとのメール着信。6日夜にオーダーしたので3日で入手ということになる。文学書などろくに並んでいない田舎暮らしにはまことに便利なシステム。都会の大型書店ならいざ知らず、こんな田舎にフリオ・リャマサーレスの本が配本されるはずもありません。インターネットに感謝。

 仕事で隣の市に行ったついでに知己のお店でシイタケなどの駒菌4種類と、電気ドリルにセットするシイタケ専用ビットを購入。
 ビットは直径8,5mmで、深さが12mmの穴があけられるようにストッパーが付いており、駒菌自体がその穴にハンマーで叩いて入るサイズになっている。
 問題は菌を打ち込んでから梅雨時に本伏せをするまでの管理。菌が原木によくまわるような管理をしないと。
 

2008年1月8日火曜日

これでも(仮想)書店主

 しばらく寄り付かなかった洞窟書房に昨夜入り、一冊、自分の本をオーダーしたことは昨夜書きましたが、お客様は少ないだろうとちょっと営業成績を見てみました。
 そしたら、驚きました。一ヶ月で150~200人くらいのお客様。無論、万単位のお客様が訪れる書店もあるのでしょうが、私の投げやりな書店にこんなにおいでいただいていたなんて、反省してもう少し本の入れ替えをしないといけません。
 それからさらに売り上げ冊数と売り上げ金額を見てびっくり。たまに無い月もありますが、ほぼ毎月売り上げがあるではありませんか。お買い上げ下さった方、ありがとうございます。(この仮想書店は売れてもマージンはないのですが……)
 

2008年1月7日月曜日

青空・風と光

 今日は、重い書類を持って肩を痛めたと称する配偶者の誘いを断りきれず、午後3時過ぎ、合併後市内となった日帰り温泉へ同行。市営で入館料400円なので年末年始も結構混んでいたという噂を聞いている。雑踏を嫌う私は、こんな時期の日曜では芋を洗うような混雑と危ぶんだが、そろそろ帰ったひとたちもいるようで、まあ我慢できる程度の混み具合。体を洗った後は露天風呂へ出て、湯あたりしないように浸かったり岩に腰を下ろしたりを繰り返した。
 露天風呂の岩を枕に見上げる空は、雲ひとつない青空。
 なぜか、安吾の「風と光と二十歳の私」と「波子」を思い出して、少し胸がきゅん。

 ボランティア作業である薄い詩誌のレイアウト開始。レイアウト自体はすでに出来ているテンプレートにテキストを流し込むだけなので簡単だが、それより先はセンスの無い者にはきつい。表紙画像など、自分で用意して下さいよ、発行人様a。

 読書、記事にするほど進まず。読みかけで放ってあった「燃える平原」を再び手元に置いた。
 フリオ・リャマサーレスの「狼たちの月」が12月15日に発行になったようなので、いつものように7&Yの自分のための仮想書店である洞窟書房から自作自演オーダーした。

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在庫があるようなので3~4日後には指定した7イレブンに到着するだろう。これは来たらすぐに、一気に読むはず。しかし、この小説が映画化されたらしいが日本には輸入公開されていない模様。翻訳書出版を機に映画公開という風には、運びそうもないですね。
 検索していたら、DVDが見つかりました。

2008年1月6日日曜日

あったことをあったように書く小説など読むに耐えない

 そういう考えを、私は不遜なことにすでに二十歳の頃から持っていた。

 当時、アリストテレスの「詩学」を読んで痛く感心したのは、(以前も書いた記憶があるが)、第9章の始まりの文章、
「以上に述べたことから、詩人の仕事は実際に起ったことを描くのではなく、起り得ること、即ち、蓋然、もしくは必然的に、可能なことを描くことである」
 それから、
「歴史家と詩人の差別は、韻文と散文との差別にあるのではなく、一方(歴史家)は実際にあったことを書き、他の一方(詩人)はあり得ることを描く点にある」
      (岩波文庫旧版・松浦嘉一訳より)
 ここで書かれている詩人というのは現代でいう詩人ではなく、古代ギリシア悲劇の劇作家である悲劇詩人のことであるが、小説家もその仕事の半分は演劇における叙事に負っているのだから、耳を傾けても罰は当たらないだろう。
 アリストテレスによれば、あったことをあったように書くのは詩人の仕事ではなく、ヘロドトスのような歴史家の仕事である、と。
 ただし、だからといって歴史家の仕事が詩人に劣るなどと考えるのは間違いで、実は、「あったことをあったように書く」のは先ずは不可能といっていいくらい難しいことなのである。
 近くは日本の歴史を振り返ってみても、あったことをあったように書いた歴史が見当たらないのである。
「南京虐殺はあった」
「なかった」
 どちらが本当なのですか?! と責任者がいるならば問い質したいくらい、歴史は視点がちょっとずれただけで異なる様相を呈してしまう。
 それが文学の地平でも起り得る。
 あったことをあったように書く小説はたとえばコテコテのリアリズム小説であったり、私が「生きた・感じた・考えた・悩んだ」といった、私(or=作家自身,and≠作家自身)の言動をありのままに書いたと言われる、いわゆる「私小説」と称される単なる小説の畸形であったりする。
 しかし、よくよく考えてみれば、私(=or,≠作家自身)の視点でさえも、可能性として無数に存在する視点のうちの、たったひとつの視点から書かれた実に扁平な物語にすぎないのである。残念ながら、「たったひとつの視点から書かれた実に扁平な物語」が文学的普遍性を獲得できるとは思えない。
 太宰治を私小説の作家と思う人がいたら、それこそお笑いである。
 彼は、作家として十二分に嘘つきであって、ありもしないことをさもあったように書いた稀有の作家だったのです。彼の作品は彼固有の視点から書かれた実に扁平な物語ではなく、むしろ誰にも共有できる、他者だけでなく自己をも偽る「嘘」という虚構的普遍性に満ちていた。
 だからこそ、太宰の作品は今日でも半ば恥じらいつつも秘かに多くの読者に支持されている。

 そういえば坂口安吾。かつて「現実と虚構の間に」という文章で彼の「FARCEについて」という方法論のことを書いたことがありますが、彼はそこでこう書いています。
単に、人生を描くためなら、地球に表紙をかぶせる のが一番正しい


 解りますか? 単に自分にあったことや自分固有の苦難(パッション=受苦)を書くだけだったら、そんなめんどくさい手続きを踏むよりも、あなた自身の額に題名を書いた表紙をかぶせて街を歩くのがいちばん手っ取り早いのです。

 M上H樹さん風に、「やれやれ」
 小説が書けない私。埴谷さんの「不可能性の文学」には到底及ばないまでも、せめて、私なりの「不可能性の文学論」を書かなくてはいけない。
 かつてEuripidesは、古代ギリシア悲劇に引導を渡した最後の悲劇詩人と貶されたことがあったが、すでに瀕死の現代文学に引導を渡すのは、誰?
 オンラインとオフラインの双方で存在をアピールするハイパー文芸誌などと気取って来ましたが、その双方を一挙に撤退するためにも、「不可能性の文学論」を書くべき時なのかもしれない。
 

断念がふたつ、みっつ?

 別にレンタルサーバーを借りてMovable Type4.01をやっとの思いでアップロードしてみたが、管理画面が重すぎて相当なストレス。サーバーのせいではなく、cgi自体が重いのだろう。これでは使い物にならない。 アップロードしたファイルをすべて削除し、レンタルサーバーもお試し期間中のうちにキャンセルすることに決定。

 ほかに十割蕎麦の打ち方、玄ソバの皮むき機、石臼の目立ての方法など、相も変わらず蕎麦がらみの検索で時間を消耗する。まったくつなぎを使わない十割蕎麦(生粉打ち)については、ポイントはひとつ、水回しに水は一滴も使わず、沸騰したお湯のみで行う。いずれ試してみよう。
 私が二度も怪しい蕎麦を食べさせたのでそれを見かねて、昨日の昼食に母親が孫ふたりのために二八蕎麦を打つのをじっと観察し、これもおおむね納得。二八蕎麦でも結構美味しいではありませんか。  長男いわく「お父さん、自己流でヘンな蕎麦を作るのは自分だけで食べる時だけにして」
 むむむ (ーー;) ……oyamabokuchiの蕎麦は、延しの後すぐに切るのではなく、30分から1時間、紙の上で乾燥させて、それからでないとうまく切れないのでした。私の腕が悪いのではなく、oyamabokuchi蕎麦の妙な特性を十分にのみ込んでいなかったことに原因があったのでした。
 でも、当分は長男の勧告を守って、二八蕎麦以外は自分だけで練習することにしました。

 昼間、県内の文芸同人誌の協会会長より電話。12月31日締め切りという会報原稿の督促。S文芸20集の締め切りと一緒と思い、のんびり構えていたらそうじゃなかった。急遽、今夜、推薦作の報告と推薦文を入力し、印刷、明日、封書で投函することに。
 会報の原稿は「各誌の活動の様子や協会にたいする建設的な意見」を書けというが、16字×22行では何も書けないからパス。
 

 二男が昨夜8時台、長男が今朝7時の新幹線で、それぞれ帰って行きました。
 また大正生まれ1名と昭和生まれ2名の静かな生活です。

2008年1月5日土曜日

新年早々お引越し?

 このブログ、配偶者の名義で借りたレンタルサーバーに寄生木みたいに居候していたのだが、容量300MBの内130MBまで使用している。そのほとんどが私のブログで使用していて、どちらが居候でどちらが家主か判らない。だいぶ、動作が重くなってきた。
 それはいいとしても、Movable Typeを4.0にヴァージョンアップしたくてもうまくいかないし、配偶者のブログまで壊してしまいそうで困る。
 そこで、居候をやめて自分のサーバーを新たに借り、ブログと個人HPをこちらに引っ越そうかと画策。とりあえずは2週間のお試し期間中に独自のサーバーにMovable Type4.01をインストールしてみて、さらに問題のこれまでのブログの記事を簡単にインポート(引越し)できるかどうか、それを確認したい。過去ログを一挙に引越し出来ればいいが、記事ひとつずつを手作業で引越しするなんて、考えただけで気が遠くなる。
 さてどうなることやら、作業開始! うまくインストール出来なかったら、2週間のお試し期間だけで、独立を断念。簡単なCGIと違って少しむずかしいのです。

新年早々蕎麦吉君

 実は、3が日が過ぎて退屈なのと運動不足解消を兼ね、今日、二度目の石臼による蕎麦挽きを実行した。前回の石臼手挽きソバ粉がどうも美味しくなかった、その原因が、そば殻をフルイで取り除く作業のもたつきによって、そば殻そのものが挽かれて細かくなりソバ粉に混じってしまった、その量が多かったのではないかと類推。
 そこで本日は早めにそば殻を除去するのが狙い。1回目は蕎麦の殻が取れる程度の粗挽きをめざす。

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左、1回目の粗挽き。     右はそれを10メッシュくらいのフルイで篩ったもの。

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 それを更に石臼で挽き、左の右側半分は40メッシュ、左半分は60メッシュで篩い残ったもの。右のソバ粉は60メッシュのフルイでふるったソバ粉で750g。150gほど60メッシュの篩い残りがあったが、さらに挽くのはタイヘンなので打ち粉として使用することにして、作業終了。
 古い石臼でもソバ粉が挽けることが実証できて満足。
 ただし、むやみに挽けば良いのではなく、粗挽きはそば殻を取り除くのが目的で、この段階で出来るだけ皮を除いてしまうこと。2回目は細かい粉にするために出来るだけゆっくり、少しずつ挽くこと。
 しかし、腕から顔から頭まで粉で白くなりますね。

2008年1月4日金曜日

これでもApple?

 大晦日と三が日の飲食とテレビの騒音ですっかり脳が破壊されてしまいました。
 パソコンを開いてネットにつなぐのもはばかられ、帰省した息子たちのためとはいえ、疲れます。
 しかし、テレビってこんなに騒々しかった? テレビ番組がひどくなったのではなく、歳のせいなんですね……。嘆きの三が日でした。

 そこで、今夜はまたネットで新年にはあまり相応しくないword、「死海の林檎」、「ソドムの林檎」などの検索を続行。日本語では参考になる記事がほとんどヒットしないので、いつものように英語にしたが、あまり収穫なし。

「ソドムの林檎」として下記の画像がヒットしましたが、いわゆるわれわれの林檎のイメージとはあまりに似て非なる形状ではあります。
 死海近辺の荒涼たる光景の中ではむしろこの方が似つかわしいような気もしますが、↓ これでもApple? 「死海の林檎」は想像力の産物ですから、こういう現に存在する植物を見ても違和感があるのは仕方ありません。


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 年賀状で、関西のT君の健康状態が深刻なのを知る。昔、誘われて彼の家に遊びに行ったことがあったが、着くやいなや翌日は運転手をさせられて信楽方面やらあちこち知らない土地を走らされた。それは姿を消した彼の母親を探すのが目的であったが、結局母親の消息は知れなかった。
 ふたりでよく酒を飲んだ。ウィスキーなど強い酒をガンガン飲んだ。そのせいでもないだろうが食道をやられ、さらに肺に転移したらしい。結婚せず一人暮らしのはずなので心配である。
 私の青春を語るに欠かせない人物であり、安吾の「風博士」や「黒谷村」を肴に、朝まで酔い潰れずに話が出来た唯一の友人なのです。

2008年1月1日火曜日

謹賀新年

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 さあ、今年も頑張りましょう。

この心貧しき大つごもり

 本日は、ソバを栽培した畑を貸してくれたお宅のために、ソバ粉1kgをoyamabokuchiをつなぎにして打ち、ポリ袋に入れて密封機で閉じて届けた。年貢無料への心ばかりのお礼である。
 その間、帰省途中の二男が新幹線を爆睡して寝過ごし、乗り越し、次のU駅まで行って戻って来たのを出迎え。私に似ないキャラクターである。
 午後、今度はわが家の年越し蕎麦を、年寄りのやり方で普通に二八蕎麦に。これも、捏ねるのは私の担当。いかにもソバに明け暮れた一年であった。

 
 この一年、このブログにしばしばお運びいただいた数少ないお客様、どうもありがとうございました。
 皆様も私も来年も健康でいられますようにと念願しつつ、
 良いお年をお迎え下さい。