買ったまま厚くて通読できていないフェルディナンド・ペソアの「不安の書」と、ル・クレジオの「地上に見知らぬ少年」を枕元に置いている。2冊で厚さ7,5cmあって、就寝前に少し読むくらいではなかなか前へ進めない。進めないが、このふたりの文章に触れているとなぜかカフカの断片に思いが飛ぶ。カフカの小説ではなく、小説としての結構も、散文詩としての結構も備えていない、文字通りの断片へ。
断片だからこそ信じられ、受け入れられる声のようなものがある。全体を現しているような、統一された世界を現しているような、そういう一種のありえない虚構を、もう我慢できないのかもしれない。
ペソアとクレジオ。このふたりの書くものにはポエジーがあるが、シオランにはポエジーは無い。その分、とても窮屈で、時々もういない彼の頭を小突きたくなる。
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