2011年3月27日日曜日
河っ淵を巡り歩くブルース
Led Zeppelin も悪くはないが、Robert Johnson のオリジナルはギターも歌唱もプリミティブなのが断然にいい。
このタイトル、日本語でどう表記したらいいのだろう。
「河っ淵を巡り歩くブルース」? 何となく違います。無理に翻訳せずに、原語で済ますのがいちばんぴったりな気がします。
何だか意味もなく無闇に主人公が歩き回るのを描いた小説を仮に歩行小説と呼ぶならば、「草枕」の大先生か、百鬼園先生、下っては「ボリス・ヴィアンのいきどほり」などという歌を唄いながら芥川賞をも簒奪してしまった歌手兼詩人兼小説家の町田康の三人を嚆矢としたい。
「Travelling Riverside Blues」
突発性発疹のように訳も解らず発生した妻のヒステリーにあきれ果て、私は何も持たず、財布も携帯電話も持たずに家を出た。
帰る家を失ってしまった私は、途方に暮れながらもとりあえずは東に向かって歩き始めた。川の流れに沿った道路をひたすら歩く。
きちんと道路の右側の歩道を歩く私の前方に、歩く度に左右両腕を90度ずつ交互に振り上げ、振り下げる老人がいて、私はその活力に感嘆する。あのひとの奥さんは特別養護老人ホームに入所していると聞いたが、まだ亡くなったというお悔やみ欄の記事は目にしていない。
そのおじさんの向こうから、髪がほぼ白髪の老女というにはやや失礼かもしれない女性が、その右手に真紅の薔薇や黄色いダリアや小手毬やら冬以外のすべての他人の家の庭に咲く花を手折って持ち、「これ、あんたにあげるよ、ほら、貰って頂戴よ」と止むことなく反復してつぶやいている。この地での彼女の呼び名「狂女グレート」であるらしい。
その反対側の歩道を左側通行して来た小学生低学年であるらしいこどもが、ランドセルを思いっきり強く車道に放り上げながら叫んだ。
「ぼくのママは気が狂っています。夜中に誰でもない誰かに電話して一晩中わめいていますし、お父さんはもう三年も家に帰って来ません。いや、そうじゃなくて、ぼくにはお父さんなど居ないのです。仮に居たとしても犬や猫ほどの愛情も共感も感じられない父だっりするので、ぼくは彼を死んでもぼくの父親などと思わないことにしているんです」
そんな健気な小学生も経時的に私の世界の時の流れの背後に通過してしまい、ついには川だけが存在し、その上空には一切の色も形も動きもない虚空だけが展開していた。
(備忘メモ)
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