2011年10月22日土曜日

あるいは三つの無言の悲しみ

  私は、今日の夕方、小さな児童公園の公孫樹の木の下で木製のベンチに腰掛けてしばらく休息していた
 すると、背後の住宅街の方からピアノで奏でられるフォーレの『無言歌』が聴こえて来た。それは私が偏愛している曲だった。この曲を聴いているだけで、こんな自分をも肯定出来るような穏やかな心持ちになれた。
「どうもこの頃、妻の目つきが怪しいんです。こう向き合って夕食を食べていますでしょ。するとですね、向き合っているにもかかわらず、彼女の視線が私を透過して私の背後のはるか彼方を見ているような目つきをしているんです」
 1mほど間隔をあけた右に設置されている隣のベンチから男の声がした。
 誰と話しているんだろう。ベンチには男ひとりしか座っていない。
 男と顔が合った。三十代後半か四十代前半かと思われるが、ずいぶん額が広い。
 ひょいと会釈してからまた口を開いた。
「あのピアノを弾いているのが私の妻なんです」
「ほう、なかなかお上手で。私もこの『無言歌』は大好きなんですよ。奥様が『無言歌』を弾かれるなんて、なんとも羨ましい」
「ピアノもですが、人間的にもとても魅力的なひとだったんです、瞳を大きく開いて情感たっぷりな話し方をする」
「魅力的なひとだった?」
「この頃はどうも、ひとが変わったというか、あるいは病的になったというか、情緒的になったというか、神経に棘のようなものが出来ているらしいんです」
「そうですか? あの『無言歌』を聴いている限り、神経の棘など感じさせませんが」
「昨晩など、夕食後居間でテレビを視てくつろいでいたらですね、後ろに立っていた妻が私の首に手をかけようとしていたんです。妻の細くて長い指が私の首を絞めるような形で接近してきているのが、サイドボードのガラスに映って見えたんです。思わずぞっとして、立ち上がってトイレに行く振りをして自室に戻ってしまいました。今朝も、顔を合わせないうちに散歩に出てしまい、この時刻になっても家に帰る気がしないんです。帰宅不安症候群と私は勝手に名づけているんですけどね」
 と言いながら男は苦笑した。こういうその場しのぎな苦笑を、私は嫌いだ。
 もう夕暮れである。
 足元には、かなり離れている三連のブランコが長い影を引いていた。
 ピアノがショパンの『夜想曲ハ短調』を奏で始めた。同じ遺作で有名な『夜想曲嬰ハ短調』ではなく、ただのハ短調の方である。もともとが夜想曲であるから何となくしっとりとした哀愁を感じさせる曲なのだが、男の妻の鍵盤の上を走る両手の動きは、ゆったりと滔々とした悲しみのようなものに変換され、私のなかにまで入り込んできた。
 何となく意地が悪くなった私は男に向かって言った。
「そうは言っても、もう少ししたらお家に帰られるんでしょ」
「そうですね。もう帰らなくちゃいけませんね」
 男はベンチから立ち上がって私に頭を下げ、すたすたとピアノの音が聴こえて来る方向に去って行った。
 私は思わず、無言のまま両手で彼の首を絞める真似をした。
 私の目には、男は強い夕焼けのなかのただの黒い影に過ぎないのだった。


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