2006年10月31日火曜日

趣味的検索

 昨夜は、エミール・シュタイガー、ヴォルフガング・カイザー、グスタフ・ルネ・ホッケなどを検索しているうちに、昼の肉体作業の疲れと缶ビールの酔いでいつしか爆睡。

 ヴォルフガング・カイザーの『グロテスクなもの』は1,000円~3,000円。
 エミール・シュタイガーの『詩学の根本概念』は800円~2,000円。『言語芸術作品』は3,500円~3,650円とほぼ横並び。
 グスタフ・ルネ・ホッケ、『象徴主義と世紀末芸術』は3,150円一冊のみ。『文学におけるマニエリスム』はⅠのみでⅡは無し。Ⅰは2,000円~2,800円。ⅠとⅡ、揃いだったら幾らくらいか、知りたい。『迷宮としての世界 マニエリスム美術』は9,000円、新装版が8,200円。
 少しずつ時代の陰に埋もれてゆくのでしょうか。 でも、昨年度に『詩学の根本概念』を東京大学大学院総合文化研究科 言語情報科学専攻のテキストに使っているのを発見。ニコニコ。

 7&Yより、明日、『猫とともに去りぬ』入荷し、午前10時以降受け取り可能とのメール着信。

2006年10月29日日曜日

一時間二十分、早朝の夢

 5:30に目が覚めたがまだ暗いので6時まで待って出発。10分後に現場到着。沢というほどでもなく凹んだガレ場のような場所の、雑木の切り株周囲に注目。
 おお、ありました。

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 が、昨年より株が小さいものばかりで、切り株の周りにびっしり生えているものはひとつもありません。 しかもすでにかさが大きく開いて茶褐色になって腐ったナラタケがあちこちに。うわ~、もったいなや。
 どうやら今年は一斉に萌芽したのではなく、先のものと後のものと二度に萌芽したようで、その所為か収量は昨年の半分以下。残念。
 クリタケの発生場所は知らず、ほかのキノコはもう時期はずれで期待できないのでそのまま帰宅、7:30。何食わぬ顔して朝食。
 しかし、土曜日のせいか、帰路、山中に向けて上って行く車、4台とすれ違った。あれは、みな、キノコ採りの車に相違ないmmm。


 先週の日曜日に日本人と黒人青年の二人組が町内を行ったり来たりしていたが、そのうちにわが家に。応対に出ると、黒人青年と親善の握手をしろだとか、ハンカチを買えだとか、あれ? 昨年の今頃も同じようなことが……と思って検索してみると、2005年10月16日の記事「あなた方はだあれ?」とあまりに酷似した状況。昨年のモザンビークの水害でこどもたちの教材云々という理由付けがないだけ。
 得体の知れない人物と親善の握手などしたくないし、タオルは要ってもハンカチなどはほとんど不要なので、早々に退去していただきました。
 しかし、毎年、ノートを見て同じコースを歩いていて、黒人青年は同一人物だったりして……。 

2006年10月28日土曜日

早起きは三文の得?

 いろいろすることがあり、落ち着いて本も読めず。
 版下のリトグラフ部分を濃く印刷したものを印刷所に届ける。

 明日の朝は、昨年収穫したナラタケの出る山へ、朝食前、夜明けと同時に行って見る予定。キノコの師匠によれば、先日の雨で萌芽した模様で、土曜日頃が採り頃ではないかと。
 だれかに採られていなければ良いのですが。これでキノコ採りも多分、今年最後。


 あれぇ、本家を読まないうちにこんな本が出てしまいました。「コミック文体練習」。
 そういえば、「ウンベルト・エーコの文体練習」も入手したまま積読。
 順序から言うと、先ずは市立図書館A分館に行って、レーモン・クノーの「文体練習」を借りて来て読まなければ……。

2006年10月27日金曜日

薄い?

 午前中、印刷所より電話。ご本人(私)の原稿のリトグラフの部分が薄いので、もっと濃く出力出来ないかという内容。早速そのようにして、明日にも持参しないと。しかし、もともとそんなにきれいではない画像ファイルなので、濃くすればしたで汚くなってしまいます。田舎の個人経営の印刷所なので技術的な無理もいえませんし。

2006年10月26日木曜日

ただの貧乏性

 同人誌の編集から手が離れたので、昨夜からこのブログ・システムのヴァージョンアップとか、レイアウトやデザインの変更とかについてネット上で研究。
 レンタル・ブログと違って、自分で設置しているブログは、壊したり崩したりした場合は自分で修復しなければならないので、そう簡単に変更できないのです。
 しかも、このブログを設置しているレンタル・サーバーは一応、配偶者名義で、配偶者のウェブやブログの陰に居候している格好なので、ブログのデザイン変更は大家のブログデザインにも影響が出るやも知れず、「私のブログ、壊した~」とか、最悪の場合「私のブログが消えた~」とか言われそうなので、確信が持てない作業は出来ないのです。
 記事のバックアップもしておかなければならないし、何でも自分でしてしまうのはただの貧乏性の証にすぎません。
 やはりレンタル・ブログの方が気楽でいいですね、とほほ。

 シュペルヴィェル「飼葉桶を囲む牛とロバ」読了。キリスト生誕の小屋での、キリストやマリアではなくそこに居合わせた牛が主人公。やはり埴谷さんが書かれた「ガリラヤ湖の魚」と「チーナカ豆」を思い出してしまった。
 人間は人間の視点に立った小説、男は男の視点に立った小説しか書けない、読めない、といった状況が普通だが、こういう風に思いもよらない視点に立つ作品は視界が新鮮だし、人間を客観的あるいは批判的に考察するためには実に理にかなった方法だ。

 そういえば、井伏鱒二の「山椒魚」と、フリオ・コルタサルの「山椒魚」(『遊戯の終り』木村榮一訳・国書刊行会・1982年第二刷・2,200円)を思い出した。後者は特に見ている側から見られる山椒魚の側へいつのまにか視点が移動していて驚かされた。コルタサルは井伏の「山椒魚」を読んでいないだろうけど……。
 

2006年10月25日水曜日

こんな場所に

 山羊がいます。

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 でもここは……

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 高速道路の土手なんですが、www。
 日本のどこですか、ここは。

2006年10月24日火曜日

予定通り

 昨日出力した同人誌39号の版下を、午前中、仕事で外出したついでに回って印刷所に渡してきた。
 これで安堵(と言いつつ、ミスが無いか半分心配)。

 昨夜、シュペルヴィェル、表題作ともう一編読む。表題作はともかく、もう一作の「セーヌ河の名なし娘」には驚きました。主人公は水死した娘で場所は海の底。丸山健二氏がやはり死者を主人公にした小説を書いたことがあったような記憶がありますが、つくづく、小説というものは想像力の産物であって、現実の引き写しではない、と得心。
 それから、この『海に住む少女』を読み始めて、なぜかル・クレジオの『海を見たことがなかった少年』を思い出した。何となく小説の雰囲気というか、ファザードというか、が似ているような気がするのだけど。

2006年10月23日月曜日

石臼再生計画

 以前から気になっていた物体を庭の隅から掘り出して、水洗いした。
 かつては豆や米を挽いたという石臼です。ただしすでに庭に埋められて数十年になるので、あるのは石臼の上下だけで芯棒は腐ってしまったか、無い。測ってみると直径ほぼ40mm、長さ170mmの丸くて堅い材質の棒が必要。ホームセンターの木材売りに行ってみたが、35mmとか50mmはあるが40mmがなぜか、無い。
 そこでしかたなく折れた物差しをポケットに入れておいて、木製の丸い棒を見ると手当たり次第に直径を計測。シャベルの柄が材質が堅そうで太さも近そうなので測ってみると、やはり35mm。5mm細いと緩すぎてガタガタ。まあ、もう少し探してみましょう。あとは石臼を回転させるためのL字型の棒。これは握りの部分が丸ければ、ほかの部分は角材でもよいので、握りの部分を削ってもいい。
 そんな石臼で何をするのだ、って?
 (皮付の玄蕎麦を少し入手して、そば粉に挽いてみるのです。それでちゃんと蕎麦が打てるような粉が挽けたら、来年は自家用の蕎麦を栽培してみたいのです、よ。)





 昼食後、書店へ。先ずは文○堂へ。光文社新訳文庫、ありました。「海に住む少女」はありましたが、コピーを読んだだけでも面白そうな「猫とともに去りぬ」は見当たらず、残念。代わりに、ちくま文庫の「超短編アンソロジー」を買ってしまいました。ルイス・キャロルの「代名詞の迷宮」なんかが収録されているものですから、つい。
 岩波文庫、ビューヒナーの「ヴォイツェク」はこの店では見当たらなかったので、地元書店へ廻ってみるとありました。

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 それにしても、以前にも書いていますが、「ヴォイツェク」の結末近くの、老婆のシュール極まりないおとぎ話の部分を、もう一度アップしてみます。戦前の白水社版・青木重孝訳と、河出版ビューヒナー全集新装版の内垣啓一訳、そして岩波文庫版の岩淵達治訳です。

 先ずは青木重孝訳
マリー お婆さん、何かお話をして!
子供たち おばあさん、おばあさん、お話をしてよ! しつ! お婆さんお話をするのよ。しつ。お話をしてよ、おばあさん! 
老婆 昔々……(子供たち老婆の周りに立つたり、しゃがんだりする。マリーも交る)昔々、可哀さうな子供がゐた、お父さんもお母さんもゐなかつた、みんな死んだのだよ。そして世の中には誰もゐなくなつた。みんな死んだ。そこでその子は探しに出かけた。晝も夜も。ところがこの世にはもう誰もゐなかつたので、天に昇ろうとした、するとお月様がその子を優しくごらんになつた、ところがその子がやっとお月様の所へ行つてみたら、それは一本の腐つた木だつたとさ。そこで今度はお日様のところへ出かけた、
そして着いてみるとそれは萎んだ向日葵の花だった、今度はお星様の所へ行った、ところがそれは串刺しにされた小さな金色の蚊だつたとさ、ちやうど鵙(もず)がリンボクの棘へ蚊を刺しておくやうにだよ、
そこでもう一度この世へ歸らうとしたら、この地球はひつくりかえつた瓶(かめ)だつたとさ――そしてほんたうに獨りぼつちになつて、坐つたまま泣いてゐた、今でもそこに坐つてゐるんだよ、ほんたうに獨りぼつちでなあ。 (青木重孝訳「ゲオルク・ビューヒネル作品全集」昭和16年・白水社)


 続いて内垣啓一訳
老婆 むかしむかし、それはかわいそうな子供がいたんだよ、お父っつあんもおっ母さんもいなくてね、みんな死んでたんだよ、この世にはもう誰もいなかったのさ。みんな死んでたんだよ、だからその子は出かけてって、夜も昼もさがしたのさ。だがね、この世には誰もいなかったので、その子は天にのぼろうと思ったんだよ。するとお月様がやさしく照らして下さった、やっとその子がお月さまのとこまで来てみるとね、それは腐った木のかけらだったのさ、こんどはお日さまのとこへ行こうとした、その子がお日さまのとこまで来てみるとね、それは枯れたひまわりだったのさ、こんどはお星さまのとこまで来てみたら、それはちぃいちゃな金色(きんいろ)の油虫だったのさ、まるでもずがすももの棘にさしとくように、串刺しになっていたんだよ、仕方がないのでまた地上に帰ってみるとね、それはひっくり返った壺だった、だからその子はほんとにひとりぽっちになって、そこに坐って、泣いたんだよ、いまでもその子はそこに坐って、ほんとにひとりぽっちでいるんだとさ。 (内垣啓一訳「ゲオルク・ビューヒナー全集」新装版、河出書房新社2006年)


 最後が岩淵達治訳
老婆 昔かわいそうな子どもがいてね。父親も母親もいない、みんな死んでしまってこの世にはもう誰もいなかったのさ。みんな死んでしまったので、その子は出かけていって、夜も昼も探したのさ。でもこの世にはもう誰もいなかったので、天に昇ろうと思った。お月様が優しく照らしてくださったので、やっとお月様のところに行ってみると、それは腐った木のかけらだった。今度はお日様の所へ行こうと思って、お日様の所へ行ってみると、それは枯れた向日葵(ひまわり)だった。今度はお星様の所へ行ってみたら、それは小さな金色の油虫(あぶらむし)だった。百舌(もず)が李(すもも)の棘(とげ)に突き刺しておくように串刺しになってたんだよ。それで仕方なく地球に帰ってみると、それはひっくり返った壺(つぼ)だった。だからその子はほんとにひとりぼっちになって、なかに坐って泣いたんだよ。今でもその子はそこに坐ってひとりぼっちでいるんだとさ。 岩淵達治訳「ヴォイツェク ダントンの死 レンツ」(岩波文庫2006年10月17日)


2006年10月22日日曜日

恐怖

 今日は午前中、年寄りのイナゴ獲りの専属運転手。ただ車の中で待っているのも退屈なので土手に下りて少し獲って見ましたが、疲れます。日が出て気温が上がってくるとイナゴが跳ねますので一度で捕まえられないで、二度三度と腰を曲げますので、すごい筋力トレーニングになることを発見。年寄りが元気な訳です。
 しかもイナゴのほかにバッタ、アブライナゴ、神主イナゴ(正式名、学名は不識)、蛙などが飛び跳ねるので、瞬時にしてイナゴか他の生物かを見分けないと、蛙を摑んでしまったりするので、視力強化、脳細胞活性化にかなり効果があるではありませんか。おそるべし、イナゴ獲り。
 以前も書きましたが念のため……私はイナゴを食べません。ガリラヤ湖の魚やチーナカ豆だけでなく、イナゴにまで恨まれては敵いませんから。そうでなくても、昨夜眠ろうとして目を閉じるとイナゴが跳ねている姿がちらついて困りましたよw。

 ちなみに当市は長寿者の多い県内でも更に長寿老人が多く、「ピンピンコロリの里」を謳っており、ついに数年前に、市内に「ぴんころ地蔵」なるものが建立されてしまいました。

 同人誌、明日出力し、明後日、月曜に印刷所に持込みの予定。

 

2006年10月20日金曜日

ムラサキシメジの候

 仕事の途中、外回り(営業)の特権にてちょいと山へ。ヘリコプターのエンジン音が騒々しいが、これは昨日市内で発覚した死体遺棄事件の犯人のひとりが逃走中のため、県警のヘリが空から捜索しているらしい。
 死体遺棄されていた場所は、仕事の得意先が存在する山間の行き止まりの集落。キノコ採りの人しか行かない場所とか……。
 キノコ採りに行って山の中で靴とかゴム手袋などが落ちていると、何となく周辺に死体でも埋まっているような気がして気色悪い時がありますよw、ブルブルぅ。
 
 さて、今日はそこより人里近い山のムラサキシメジでした。
 思ったほどはありませんでしたが、一ヶ所、三十本くらい群がって生えていたものが褐色になって腐っていて、残念でした。

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 それにしてもパソコンで疲れた目ですが、キノコを探して焦点があちこち移動したりズーム・アップやズーム・アウトしたり、なんだか視力がずいぶん回復するような気がします。
 キノコが無くても山へ遊びに行くのはいいですね。


 同人誌編集レイアウト。埋め草、表紙デザイン、すべて終了。あとはもう一度ミスが無いか点検し、版下を出力し、印刷所に持ち込むのみ。

読者書店「洞窟書房」を再開?

 書店に行くのが面倒なので、『ヴォイツェク ダントンの死 レンツ 』(岩波文庫・10月17日刊)を7&Yでオーダーしようと、「ゲオルク・ビューヒナー」で検索したがヒットせず、「ゲオルク・ビュヒナー」でもヒットしないので、まだ7&Yには登録されていないのかと諦めかけたが、念のため「ビューヒナー」だけで検索したら、出た。
 閉鎖した読者書店「洞窟書房」を再開して、自分が欲しい本を並べて自分でオーダーという茶番をまた復活させようかと思います。自分のための書店だって構わないでしょう。

 早速再開しました。 まだ二冊しか並んでいませんが、それは追い追いにということで、先ずは洞窟書房再開のご案内です。


 同人誌のレイアウト、目次、掲載作7編、編集後記とひとつのファイルにまとめ、ヘッダーとフッターも入る。これで終了かと思ったら、奇数ページの空いている個所が3ページあり、埋め草を入れる作業。創刊当初から作品は右ページから始めるという依怙地な考えを通してきたため、奇数頁が空いた場合は埋め草が必要となる。一ヶ所くらいは一頁ものを書かなければならないようになるか?

2006年10月19日木曜日

つい昨日まで

 不勉強なことに「光文社古典新訳文庫」という文庫が発刊になっていることを知りませんでした。
 見ると、注目すべきはジュール・シュペルヴィエル『海に住む少女』。これは積読でもいいから入手しておこうと思います。(みすず書房と社会思想社からも出ているようですが)
 それから未知の作家でしたがロダーリの『猫とともに去りぬ』もなんだか面白そう。
 バタイユの『マダム・エドワルダ/目玉の話』もあります。「目玉の話」って「眼球譚」のことでしょうね。これは生田訳を持っているからパスしておきます。

 同人誌編集作業。
 編集後記を書き、掲載順を決める。106ページ。
 残るは各作品をひとつのファイルにつなげること、そして表紙デザインだがこれがまた苦しい。
 才能はあるが無名でただでペン画や銅版画を使わせてくれる方はいないだろうか、いる訳ない、ですよね。

2006年10月18日水曜日

何というタイミング

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 岩波文庫からゲオルク・ビューヒナーの『ヴォイツェク ダントンの死 レンツ 』が出た。定価 840円(本体 800円 + 税5%)2006年10月17日。
 無い時はどこを探しても無い。河出の全集版が25,000円もしていたがそれでも入手できなかったので、戦前の白水社版をようやく入手した。旧仮名であるが結構格調高く、これはこれで気に入った。
 そしたら、河出の新装版全集が出た。その上、岩波のこの文庫が出て……出始めると複数の社から出る。うれしいような切ないような……。

 同人誌、校正原稿すべて返送され、訂正作業終了。
 後は、表紙、編集後記と、掲載順の最終決定。これがいちばんの難儀。

2006年10月17日火曜日

白菜がすごい

 昨夜、マルケス、読了。
作者77歳にして川端の『眠れる美女』に想を得た今世紀の小説第一作
……と帯に記されていたので、川端作品が大の苦手の私としては、ちょっと厭な感じを抱きつつだいたいの予測はつけていました。それで読んでみたら、ほんとうにイメージ通りでした。今月出る『コレラの時代の愛』に期待いたします。

 ぼちぼち校正が戻り、あと2名。今号は早めに出してしまいたいが、後記と表紙がまだ出来ていない。

親戚より林檎シナノスウィートを10kgほど頂戴。数年前から収穫の始まった新品種で、甘味と酸味のバランスよく、ジューシーでサクサクとした歯応え。二男はこの林檎はいるけどほかのは要らないと言明。この贅沢者。明日、5kg箱を送る用意。

 今年は白菜が物になりそうです。昨年も一昨年も虫で穴だらけになり、アブラナ科野菜は無農薬栽培出来ないことを認識。今年は苗のうちに一回、その後2回殺虫剤を使用いたしました。それでも、あちこち虫に食べられた穴が見られます。
 それにしてもこんなにどうする? 確か苗を100本近く植えたような記憶が、Awawa。

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2006年10月16日月曜日

空を飛んだ経験が不足

 今朝、テレビ番組でGoogle Earthが取り上げられていたのを見ていて、しばらく前にダウンロードしてあったのを思い出したので、先ほどインストールしてみた。
 それで早速、二男の住所を入力してみると、なるほど世田谷のとある小学校のプールの隣の建物にズーム・イン。どの道を通って駅へ行っているかも俯瞰できて面白いです。
 マンハッタン上空とか皇居上空とか、(おいおい、戦前だったら不敬罪ですぞw。)何か、鳥になった気分で、浅間山の噴火口を上から見たり、弟の家やら知り合いのマンションやらあちこち試してみて、とても楽しいソフトなんですが、ただ、空を飛んだ経験が不足していますので、上空を移動中にちょいと目が回って吐き気がいたしますのが難点でございますw。

 マルケス。やはり景気の良い書き出しの言葉にもかかわらず、一度ならず二度、主人公は少女に手も足も出せません。だいたい予測していましたので苦笑しながら読んでいますが。


 本日は落花生の収穫と玉ねぎ苗の定植。

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 植えたばかりの苗はヘロヘロですが、三日も経てばピンとして来るでしょう。普通の玉ねぎ300本に赤玉ねぎ50本。
 両サイドは漬物用と貯蔵用の大根。
 落花生は半分は茹で落花生、残りは煎り落花生。茹で落花生は3%食塩水で40分くらい茹でる。食べきれない分は冷凍庫へ。

2006年10月15日日曜日

現代版・楢山節考

 今日も、午前中にすずらん峠越え往復。
 たった一週間で峠の北側の黄葉が急激に進んでいて驚きました。
 霧も巻いていて、そのなかに黄葉や紅葉が緑の葉が混じって展開していて、あ、きれいな写真が撮れそう、と車を停めたかったのですが、道路が狭くて危険なので諦めました。
 帰路、山から里へ下りたあたりでS総合病院のドクター・ヘリが畑に着陸していて、その先に2mほどの落差のある畑から道路へトラクターが転落していました。その先にはパトカー、救急車。
 後でニュースを検索したらトラクターを運転していたのは82歳のお年寄りでした。82歳でトラクターの運転なんて……。操作を間違えても無理はない年齢です。脳挫傷で意識不明の重体だそうです。
 後継者もなく、同居するこどももいない、老人ふたりかひとりの独居生活で、先祖伝来の土地を荒らさないようにとろくな収入にもならない作物を作って、そこをトラクターで耕運していて、ブレーキとアクセルを踏み違え、道路に転落。
 日本の田舎はタイヘンなことになっています。特にこういう山里はほとんど老人ばっかりだし、町へ下っても大型ショッピングセンターやディスカウント店以外は誰もいないゴースト・タウン。
 かつては道に出て誰彼となくつかまえては喋っていたお年寄りも、老健施設やらデイ・サービスやらに取り込まれてしまって、姿も見えません。
 ここで、どんな小説が書けるでしょうか。

 写真は、毒キノコですがきれいなので撮影しました。シロタマゴテングタケか、ドクツルタケか、判然とせず。

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2006年10月14日土曜日

ウィルス対策ソフトを

 ヴァージョン・アップする。二回も再起動したりして、結構手間がかかるものだ。
 新ヴァージョンから、1シリアルで3台まで同じ家庭のパソコンに入れられるとか記されている。OSが古くてHDの容量も小さいデスクトップはともかく、もう一台のノートはメールのウィルス・チェックをプロバイダでしてもらっているだけなので、明日にでも早速インストールしたい。そうすればメールのウィルス・チェック・サービスははずしてもいいことになる。デスクトップにも入れたいような気もするが、こちらは今はほとんどネットに使わないので、不要か。ただし、このノートのハード・ディスクがクラッシュした時には、デスク・トップでメーカーとのメールやり取りをしたので、粗末にしたら罰が当たります。

�� もう一台の配偶者のパソコンは、インストールの結果あまりにも重くなってしまって苦情が出たので、いったんアンインストールしました。自分のパソコンも、自分で自分のサイトを見た時に、同一時刻に自分以外のIPでIEが7で言語が英語のものがアクセスしたように記録されていて、実に気持ち悪いので、いったんアンインストールしました。それから、もう一度インストール。その際に、機能をウイルス対策だけに絞って、他の機能はほとんどはずしてみた。するとその怪しいIPは残らなくなり、また動作も若干速くなった。これでしばらく様子を見よう。配偶者のパソコンも同様に機能を限定すれば軽くなるか。)


 マルケス、ようやく半分。昔だったら一冊ひと晩が普通だったのに情けない。

2006年10月13日金曜日

機械仕掛けの神によってでなければ解決不能な問題

 RSSリーダーのキーワードに「ギリシャ悲劇」と「エウリピデス」を登録した途端に、結構な数がヒットして訝しく思ったが、なるほどほとんどの記事が蜷川幸雄演出の『オレステス』を見た皆さんの感想でした。
 それもコロス(合唱団)が邪魔だとか、ヘレネを捕まえるところが実際に演じられずに報告されるだけでつまらなかったとか……無理もございませんが、ギリシャ悲劇にも日本の歌舞伎以上にコンベンションといいますか、約束事がありまして、それにのっとって演出されている訳です。
 それにしても、オレステスが藤原竜也、エレクトラが中島朋子……これはちょっとかっこ良すぎるオレステスではございませんか。
 東京公演は終了して、現在は大阪公演の真っ最中です。
 そういえば、エウリピデスの『オレステス』の結末はDeus-ex-Machinaによってでしたが、蜷川氏はここのところをどう演出しているのでしょうか。
 ここには、機械仕掛けの神によってでなければ解決不能な問題があり、けっして安易なハッピー・エンドではないのですが。なぜかDeus-ex-Machinaはハッピー・エンドという従来の先入観がいまだに払拭されていないようです。
 東京まで新幹線に乗って観劇なんて結構なことですが、田舎に住んで歳を取ってくるとなかなか腰が重くなってしまい、よほどの芝居でなければ実行できません。NHKあたりで放映したら見逃さないようにしたいものですが、これが妙に見逃してしまうのです。

 マルケスの本は昨夜は目が開いていられなくなって途中放棄。眼精疲労か? 今夜もどこまで読み進められるか。いや、結構面白いのです。

2006年10月12日木曜日

ぬばたま

 校正が戻って来るまでは、編集後記を書く以外に用事が無いのだけれど、今夜はなぜか編集後記もうまく書けない、というか書く気になれなく、今のうちに『わが悲しき娼婦たちの思い出』を読んでしまおうと思い、積んどくの山から本を出した。
満九十歳の誕生日に、うら若い処女を狂ったように愛して、自分の誕生祝いにしようと考えた。
 これが書き出しである。満九十歳の誕生日に! さすがマルケス。


 年下の女ともだち(ブログに書く時はそう書けと妻に強要されているので、失礼いたしますw)に、枯れた檜扇(ヒオウギ)の写真を撮ってくれと頼まれた。多分、ブログにアップするのであろう。全体を撮ってもどうも気に入った写真にならない。要するに檜扇(ヒオウギ)の実が問題なのだろうから、茎の下の方はファインダーからはずした。

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 この檜扇(ヒオウギ)の黒い実が、いわゆる「ぬばたま」である。
いにしえの ふひとのうたうぬばたまをながめてもなお 言葉なき私   (山の娘)
 これは「ぬばたま」を妻に届けてくれたKさんの作。
 言葉としての「ぬばたま」は、「黒」や「夜」、「髪」などの枕詞として使われるのが普通だが、Kさんはぬばたま自体の光に映っているであろう自分を歌っている。最後の「言葉なき私」が効いています。


  安藤昌益の『自然真営道』というのは、あの時代に書かれたものとしては破格の奇書のようである。検索してみたら、関東大震災で大分消失して全巻はないらしいが、東洋文庫に収録されている模様。東洋文庫ならばかつて『ミリンダ王の問い』を借り出した記憶もあり(その後、日本の古本屋で購入)、わが田舎図書館にもあったはずと図書館のネット検索システムにアクセス。やはりありました。読めそうな時に、一度借り出してみよう。
 
 

2006年10月11日水曜日

理に合わないこと

 お隣の独裁国家が地下核実験をして昨日からちょっと騒々しいが、数日も経過すれば既成事実化し、沈静化するのがなおのこと恐ろしい。
 21世紀に入って科学技術は着実に進化しているが、どうも未だに国家が世襲されたり政治家が世襲であったり、何ともチグハグでございます。
 それから、こんなことを書くと叱られそうですが(以前も書きました)、もっとチグハグなのは、イランやお隣の独裁国家に核を保有させまいとするのが、核を保有する国であるのがとても可笑しい。
 ピストルを所持しているならず者がピストルを入手しようとする者に向かって「お前はピストルを持ってはいけない」と言うようなものだが、所持している者が他者には所持してはいけないというのははなはだしい矛盾の無自覚の露呈であり、しかもこの矛盾に気がつかない、あるいは気がつかない振りをしているのは、相当に馬鹿か、相当に図々しい、だけ。
 悲しいですね。
 
 Yさん、校正の結果、重複している一文字の削除一ヶ所だけなので、メールで連絡来る。校正個所が数箇所くらいだったらメールでよいことにしています。

2006年10月10日火曜日

スナーク狩りには最適の日

 午前中、蓼科山西すずらん峠(1750m)越え、往復。
 三連休のせいか県外ナンバー多く、山岳道路に慣れずゆっくり走る車、慣れずにカーブをセンターライン越えしそうになる車など、いつもの貸切道路のようにはいかず、疲れました。また路肩にキノコ狩りと思しき車が相当数駐車。すずらん峠の登山口駐車場が道路東だけでなく西も満車状態。
 晴天で蓼科山頂がよく見える。スナーク狩りには最適の日……意味不明(-_-;)

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蓼科山南から頂上を仰ぐ


 この道路沿いに山ブドウの木が多いのだが、自動車を運転しながらだと山ブドウの実がついているのか確認できない。猿に取られてしまうのか、人間に採られてしまうのか? 道路の幅の広い場所に停車して、山ブドウの木の下まで行き、観察。
 あ、ひと房確認出来ました。多分、栽培されるブドウほどたくさんの房はつかないはずですが、すこし採取してみたいような気がいたします。ホワイトリカーで山ブドウ酒など作れたら、ね。

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 同人誌の校正刷り、メール便で発送。

2006年10月9日月曜日

もうちょっと

 同人誌の原稿の各作品ごとのレイアウト終了し、六名分の校正刷りプリント・アウトし、メール便で送る準備。10月1日からサイズと料金が変更になりA4で厚さ1cm以内は80円と割安になったが、配達は400km以内が翌々日とのこと。これまでより一日余計にかかることになるが、急ぎの場合は100円プラスの速達サービスもあるという。
 それにしても暑さ1cm以内だと同人誌も80円で済むことになり、感激。
 残るは評論の一名。自分の原稿はほぼ完成してレイアウト済み(一応翻訳というか、試訳or意訳)。

58815045.gif 叢書・ウニベルシタスで昔からお世話になっている法政大学出版局から、8月30日にシオランの「カイエ 1957-1972」(金井 裕 訳)が発行になっていた。 ただし、定価28350円(本体27000円+税)A5判。

 何度も目をこすりながら確認しましたが、2835円ではなく、28350円であります。腰が抜けます、だ。
15年間にわたり書き継がれた膨大な未発表ノートの全訳に人名索引と略年譜を付す。既存の思想・神学体系と決別し、生の基本感情─悲しみ、嘆き、怒り、呪詛─の率直な表出によって歴史と文明に対峙したシオランの内面の記録。異貌の思想家の知られざる葛藤の記録である本書は、60年代以降の全作品にわたる思索の足跡を示すとともに、シオランの全体像を垣間見せる貴重な原典である。



58815042.gif もっとも2月16日発行の『ジャン・メリエ遺言書 すべての神々と宗教は虚妄なることの証明』なんて定価31500円(本体30000円+税 A5判 ジャン・メリエ著/石川 光一・三井 吉俊 訳・1365ページ!!)だものね。
 図書館で購入してもらわない限り読めません。田舎の市立図書館が購入するはずもなく......泣。

 
17世紀末~18世紀初頭、フランスの一田舎司祭ジャン・メリエは、深夜、灯火の下で、教区民のために営々と驚くべき文章を綴り続けた。この『覚え書』は、神々と宗教の虚妄なることを論証して、啓蒙期の代表的地下文書として流布し、旧体制を根底から震撼させた。知られざる思想家の手になる古今東西最大の遺言書、その徹底した無神論・唯物論は、安藤昌益の発見に匹敵する衝撃をもって迎えられよう。周到な異文考証・訳注・解説・索引を付す。待望の日本語完訳。


 

2006年10月8日日曜日

雨後の筍ほどではなく

 十分すぎるくらい降ったので、何となく気になって先日の山へ。先日の場所から十数メートル北に寄った場所で、シメジを五株ほど発見。ある所にはあるものです(ない所にはちっとも無いですが)。
 誰にも採られず成長していました。デジタルカメラを忘れましたので携帯カメラで撮影。携帯カメラは露出とピントが気に入りませんが仕方ありません。落ち葉を被っていた(誰かがかけた?)のを取り除いたので色白です。
 結構、急斜面なのですが、これでも一応別荘地として分譲された場所です。まだ別荘は建築されていませんが、こんな場所に建てられます? 建てるとしたら、清水寺のような懸崖造りにするしかないでしょう。

simeji061007.jpg

 3連休なので山はキノコ狩りの車だらけです。隣り合っていますので群●ナンバーの車が結構山に入っています。

 本日も原稿レイアウトミス点検続行。

2006年10月7日土曜日

目肩腰?

 同人の原稿、入力ミス、変換ミス、レイアウトミスなどを見ながら、内容の読み。
 眼精疲労か、長く目をあいていられなく、度々中断・休憩、しているうちに本当に眠くなる。

 いくつかのRhubarbのVarietiesに見当をつけたが、種が見当たらない。あるのはすべてRootsとあるので、ポット苗の販売のみか?
 カナダに三十年も住んでいるN君に調べてもらう方が手っ取り早いかもしれない。いつだったか訊ねたら酸味に弱いのか、「うちはRhubarbは苦手だから作っていない」とか言っていましたが、あちらでは庭や畑の隅に数株植えてあるのは普通のようです。
 種子だと赤い茎の発現が100%保障されないが、株分けだと確実に茎の赤味が保障出来る。だから種ではなく根での販売が主流なのかもしれません。

2006年10月6日金曜日

電話線上のユリシーズ

 ウェブ翻訳の助けを借りながら英語圏のウェブサイトを「Rhubarb」で検索し、あちこちさまよう。
 The Rhubarb Compendiumというサイトが様々な情報を網羅していて、ちょっとしたRhubarb大全である。更新が2004年で止まっているが、ずいぶん参考になるので気になりません。考えられる限りのレシピまで網羅されていて、感心。
 それにしても、翻訳ソフトもウェブ上の機械翻訳も併用してみていますが、まさに機械的直訳ですごい訳ではあります。
 Rhubarb Varietiesが「Rhubarbの変化」などと、これは普通の機械翻訳でしょうが、「変化」ではなく「種類」でしょう。まあ、だいたい見当がつけばいいのであって、必要なページは機械翻訳はあてにしないで読みます。

 昨日レイアウトしたものを目通し。作者の入力・変換ミスと編集に際してのレイアウトミスのチェックと本文の読み。その後返送して本人校正。

 RSSの読み込みはFirefoxのsageで慣れてきたので、glucoseはキーワードのみを残してブログ等の通常のRSSの登録はすべて削除しようかと考えている。RSSフィードはFirefox、glucoseはキーワード検索という分業体制である。とすれば動作が軽くなるので、glucoseでなくてgooのRSSリーダーに戻してもいいということになる。

2006年10月5日木曜日

改行字下げの怪

 昨夜、『恋の潜水艦』読了。潜水艦が魚になってしまい恋をするのだから、ノンセンスでパタフィジックでエキセントリックでシュール。さすがにヴィアンが傾倒しただけのことはあって、言葉と言葉の新しい出会いが数多くありますが、ちょいとバカバカしすぎる感じも否めません。坂口安吾のいうファルス。『風博士』や『木枯らしの酒倉から』を思い出しました。(そういえば、安吾はアテネ・フランセに通っていたから、ひょっとするとマッコルランを読んだ可能性、無きにしも非ず。むむ)
 探している『反吐の家』という小説は、この本の解説で題名だけが紹介されて『不快な帰還の家』という小説のことかもしれない。どちらがただしいかはさておき、言葉遊びするマッコルランのタイトルですから、題名もさぞや訳しにくいのではないかと類推。

 同人誌の作品レイアウト始める。
 一太郎ファイルが一名のほかは皆Wordのdocファイル。そのままだと相変わらず無用な書式がついてきて結構邪魔をするので、ルビつきなど特殊な場合を除いていったんtxtファイルに変換し、それを同人誌の書式設定をしてあるテンプレートに流し込む。それでも、改行字下げが一字分、なされているところとなされていないところが出現。字下げされない個所を手作業でいちいち下げる(泣)。
 どうもWordでレイアウトはきついですが、業務用の編集ソフトはとてつもなく高いので我慢しています。

 以前のブログに載せた写真が出てきました。今は取り壊されて無い風呂釜店の写真です。
 
hurogama.jpg

 ちなみに消えかけた看板の、右から
 不二風呂釜
 原子風呂釜
 長寿風呂釜
 ゾーネン風呂釜
 スーパー風呂釜
 平民風呂釜


 原子風呂釜とか平民風呂釜って、どんな風呂釜? 

2006年10月4日水曜日

どちらにしようかな

marquezkanasikisyouhu.jpg  koisurusensuikan.jpg

 マルケスとマッコルランとどっちを先に読もうかと思ったが、自然にマッコルランに。マルケスは川端の『眠れる美女』に触発されて書いたとかで、それだけでもいまひとつ乗り気になれないので、後回し。多分、『コレラの時代……』より後回しになるかも。
 昨夜は、マッコルラン『恋する潜水艦』を読み始めてじきに睡魔に襲われ、そのまま意識喪失。
 それにしても、読み始めてじきにルイス・キャロルの『スナーク狩り』を想起したのはなぜか?どちらも船と潜水艦によるノンセンスな航海という点で類似はしている。

carrolsisyu.jpg
ルイス・キャロルの傑作ノンセンス叙事詩である『スナーク狩り』は、この詩集か、『別冊現代詩手帖 ルイス・キャロル』(1972年・思潮社)で読めますが、どちらも古書でしか入手できません。

 「原典対照ルイス・キャロル詩集」を出したついでに書いてしまいますが、このように原文と翻訳を並置した本はいいですね。岩波のシエイクスピアのソネットとかもありますが。
 キャロルの「スナーク狩り」の原文はとても声に出して読みやすいです。なぜなんでしょう?
 
 

2006年10月2日月曜日

ホンシメジ

 むふふ。ありました。幸運にもホンシメジが出ている場所を二ヶ所も発見。もう少し成長するまでと思いましたが、一ヶ所はどなたかが落ち葉を載せて隠した形跡歴然ですし、「山の見置きは出来ない」とかいう昔の言い伝えもありますので、全部採取しました。
 採る前に携帯カメラで写真を撮りましたが、なぜか3枚すべてピンボケ。山中で暗かったせいでしょうか……。
 以下は、自宅に戻ってからデジタルカメラで撮影した写真。ほかにショウゲンジというきのこも6本ほど採取。正体を知らずに採ってきましたが、図鑑、ネット検索でショウゲンジというおいしいきのこと判明。キノコ狩り初心者は、こうしてひとつずつ現物で覚えてゆくほかありません。

honsimeji2.jpg

syougenji.jpg


 昨日のうちに『わが悲しき娼婦たちの思い出』が7&Yに入荷していたが、行かれなかったので本日受け取りに行く。
 ウェブ翻訳ソフトも本日、配達になる。
(釈迦シメジうんぬんの文章を翻訳にかけたら、釈迦シメジがGautama Buddha Shimeji mushroom と来ました、すごいですね)

2006年10月1日日曜日

疲れました

本日は自家用水田の稲刈り。キャブレターを掃除しておいたので、故障も無く無事刈り取り終了。

060930inekari.jpg 060930inekari2.jpg

 コンバインではなく、こんな風に江戸時代と変わらない天日乾燥であります。これを我が家では玄米にもせず、籾(モミ)付きのまま保管しておいて、それを自家用精米機で精米しては食しております。玄米だと一度に30kg精米できますが、籾からだとその5~6割くらいです。
 それにしても、昨年は余ったものを業者に売りましたが、一俵(玄米60kg)で、13,500円。kgあたり、225円。10kgで2,250円、5kgだと1125円。
 中間の業者が儲けすぎていません? ま、あと十年もしたら、食えないので後継者の育たない日本の農業は壊滅していて、食料は全部アメリカ産と中国産だけになるでしょう。

 京都の古書店よりピエール・マッコルランの『恋する潜水艦』到着。どうやら表題作は先端的言語芸術作品の模様。

……商船たちは翻訳で「旅への誘い」(ボードレール)をおぼえて、それで嘆いているのだ。……ったり、……不燃性の菩提樹が植えられた大通り……があったり、
……機械仕掛けの兵士たちが練兵場へ急ぎ……

 うーむ、面白そう。