いよいよ仕事が繁忙期に入って来たが、微妙に大地震、大津波の影響が感じられる。まだ表面化はしていないが、関係する工場の生産が停止して来ない品物が判明。需要期の当用に間に合わないものも出て来るかもしれない。
Tさんの家に打ち合わせに行って、ふと庭に目をやると赤松と一位の間に何と石臼がふたつも。
ところが、このふたつが上臼、下臼ではなく、ふたつとも上臼。下臼は凹みがないので漬物石に身をやつしているのかもしれないが、療養中のTさんに下臼の行方を訊ねるのはやめておいた。
目に入った上臼のひとつは33cm、もうひとつは30cmだが、30cmの方は形も悪く、溝もあるかなきかの状態で使い物になりそうもない。
とりあえず33cmの方を、先に妻の実家から救出して来た33cmの下臼に合わせてみようと借りて来た。電動化は繁忙期を過ぎてからなので、今は倉庫に重ねてながめているだけ。先に漬物石の身の上から救出して来た30cm物は、芯棒の固定に古いセメントを使って固まらず失敗したので、22mmの鉄パイプに20mmのシャフトを入れ、22mmのパイプと芯棒の穴との間の若干の隙間は布かテープを巻いて処理し、穴の下から丸い木の棒を叩き込む。碾き割りをするために上臼を若干浮かせたい場合は、上臼の穴と芯棒の間に百円玉など、金属の丸い板を挟んでみるか、穴の下に叩き込んだ木を上げ下げすることで間隔を調整したい。
それでとりあえずは一尺の手碾き臼の再生終了となるが、6月になるまでは、落ち着いて作業する時間がない。
今日はまた、Nさんの家で寒中の水に十日ほど晒した玄ソバを乾燥、製粉したという「寒晒しソバ」の粉を1kg強、頂戴した。皮が混じらず、色白なのでむきみを碾いたものかと思うが、皮むき機があるのだろうか? かなりの微粉なので十割でも簡単に打てそうなソバ粉だが、見るからに風味が無さそう。粉がふわっとしているのは電動の石臼で碾いたものかもしれないが、おいしいところを捨ててしまったのか。お湯で溶いて蕎麦湯にしてみた。味は弱いがまったくしないでもない。残念なことに、香りはほとんどしない。好みが違う感じがする。
そういえば、同人誌のWeb版の製作とアップロードをすっかり忘れていた。そうでなくても木の芽時、春の狂騒に心身が30mmくらいは浮いている感じで、少し気をつけなければいけない。
2011年3月30日水曜日
2011年3月27日日曜日
河っ淵を巡り歩くブルース
Led Zeppelin も悪くはないが、Robert Johnson のオリジナルはギターも歌唱もプリミティブなのが断然にいい。
このタイトル、日本語でどう表記したらいいのだろう。
「河っ淵を巡り歩くブルース」? 何となく違います。無理に翻訳せずに、原語で済ますのがいちばんぴったりな気がします。
何だか意味もなく無闇に主人公が歩き回るのを描いた小説を仮に歩行小説と呼ぶならば、「草枕」の大先生か、百鬼園先生、下っては「ボリス・ヴィアンのいきどほり」などという歌を唄いながら芥川賞をも簒奪してしまった歌手兼詩人兼小説家の町田康の三人を嚆矢としたい。
「Travelling Riverside Blues」
突発性発疹のように訳も解らず発生した妻のヒステリーにあきれ果て、私は何も持たず、財布も携帯電話も持たずに家を出た。
帰る家を失ってしまった私は、途方に暮れながらもとりあえずは東に向かって歩き始めた。川の流れに沿った道路をひたすら歩く。
きちんと道路の右側の歩道を歩く私の前方に、歩く度に左右両腕を90度ずつ交互に振り上げ、振り下げる老人がいて、私はその活力に感嘆する。あのひとの奥さんは特別養護老人ホームに入所していると聞いたが、まだ亡くなったというお悔やみ欄の記事は目にしていない。
そのおじさんの向こうから、髪がほぼ白髪の老女というにはやや失礼かもしれない女性が、その右手に真紅の薔薇や黄色いダリアや小手毬やら冬以外のすべての他人の家の庭に咲く花を手折って持ち、「これ、あんたにあげるよ、ほら、貰って頂戴よ」と止むことなく反復してつぶやいている。この地での彼女の呼び名「狂女グレート」であるらしい。
その反対側の歩道を左側通行して来た小学生低学年であるらしいこどもが、ランドセルを思いっきり強く車道に放り上げながら叫んだ。
「ぼくのママは気が狂っています。夜中に誰でもない誰かに電話して一晩中わめいていますし、お父さんはもう三年も家に帰って来ません。いや、そうじゃなくて、ぼくにはお父さんなど居ないのです。仮に居たとしても犬や猫ほどの愛情も共感も感じられない父だっりするので、ぼくは彼を死んでもぼくの父親などと思わないことにしているんです」
そんな健気な小学生も経時的に私の世界の時の流れの背後に通過してしまい、ついには川だけが存在し、その上空には一切の色も形も動きもない虚空だけが展開していた。
(備忘メモ)
2011年3月26日土曜日
あなた
そこは林間の山荘のような建物であり、喫茶店でもレストランでもなかったが、二階に上がるとテーブルと椅子がいくつもあり、ほとんどの席にひとが座っていた。私はひとつだけ空いている席に座ろうとしたが、その席の椅子が妙に小さくて狭いので座るのを断念して一階に下り、玄関横のテーブルひとつにソファが入り口以外の三方向に置かれている部屋に入った。
そして誰も座っていないソファに腰を下ろした。二階の席ではみんながコーヒーを飲んでいたが、待っていても誰も注文を取りにこないところをみると、やはり喫茶店ではないらしい。
テーブルの上には紙が散乱していたが良く見ると鉛筆画らしかった。何枚も重なりながらずれている紙のいちばん上には、人魚のような女性が水中から半身を現わしているような、シンクロナイズド・スウィミングの選手が水中から出現したような感じで描かれていた。いや、水中ではなく紙の平面から女性の半身が立ち現われているのだった。顔のほとんどは長い髪に覆われて見えないが、女性のおなかの辺りに丸い太陽のようなものが描かれ、その太陽の中にさらに人間の目のようなものが描かれていた。太陽は女性の背後にあるのか、内部のにあるのか、判断がつかなかった。
「あなた、その絵、好き? 嫌い?」
誰もいないと思っていたのに、テーブルの向こうから声がして、若い女性がむっくりと起き上がり私に向かって言ったので、驚いて声も出ず相手の真正面の顔をみつめた。短髪の中学生か高校生のような面立ちの少女だった。私が答えられないうちに彼女はさらに言った。
「わたし、十日ほど前に食べたリンゴの種を蒔いたの。あなた、リンゴが幾日で発芽するか、ご存知?」
「こんな寒い時期にリンゴの種を蒔いても温度不足で発芽しないと思いますよ」
「ええ? あなた、ほんとうにそうなの? こんな風に芽が出て大きくなって、庭に植えたらリンゴがなればいいのに、芽が出ないの?」
少女は重なった紙の下の方から一枚を抜き出し、立ち上がってソファの方へ回って来て、その絵をテーブルの上に置いた。リンゴの芽かどうかは判断できないが、植物の双葉が開いて、ややひょろひょろした茎が、やはり土からではなく紙から立ち上がっていた。
少女は私の頬に触れそうなくらい顔を接近させて言いながら、この寒いのにノースリーブの腕を私の手の甲に摺り寄せ、言った。すべすべと滑らかで柔らかく温かい彼女の腕が私の手に吸いつくような性的感触を甦らせたが、彼女は私のこどもよりさらに若く幼く純粋な眼をしていた。
「こんな風にリンゴが発芽して来たら、あなただってうれしいでしょ」
「しかし、もう少し暖かくならないと発芽しないでしょう」
「そんな風にあっさり残酷に私の夢を否定しちゃって、あなた、植物学でも専攻されたの? わたし、あなたみたいに自信たっぷりなひと、大嫌いだわ」
そんな風に(!!)あなたあなたと続けて言われているうちに、ふとこの「あなた」という語感が偏綺館の断腸亭先生の「濹東綺譚」に登場する女性の口振りにそっくりなのに気がついた。
見ると、そういう彼女も腰から下が無くて、ソファから直接上半身が立ち上がっているのであった。
そして誰も座っていないソファに腰を下ろした。二階の席ではみんながコーヒーを飲んでいたが、待っていても誰も注文を取りにこないところをみると、やはり喫茶店ではないらしい。
テーブルの上には紙が散乱していたが良く見ると鉛筆画らしかった。何枚も重なりながらずれている紙のいちばん上には、人魚のような女性が水中から半身を現わしているような、シンクロナイズド・スウィミングの選手が水中から出現したような感じで描かれていた。いや、水中ではなく紙の平面から女性の半身が立ち現われているのだった。顔のほとんどは長い髪に覆われて見えないが、女性のおなかの辺りに丸い太陽のようなものが描かれ、その太陽の中にさらに人間の目のようなものが描かれていた。太陽は女性の背後にあるのか、内部のにあるのか、判断がつかなかった。
「あなた、その絵、好き? 嫌い?」
誰もいないと思っていたのに、テーブルの向こうから声がして、若い女性がむっくりと起き上がり私に向かって言ったので、驚いて声も出ず相手の真正面の顔をみつめた。短髪の中学生か高校生のような面立ちの少女だった。私が答えられないうちに彼女はさらに言った。
「わたし、十日ほど前に食べたリンゴの種を蒔いたの。あなた、リンゴが幾日で発芽するか、ご存知?」
「こんな寒い時期にリンゴの種を蒔いても温度不足で発芽しないと思いますよ」
「ええ? あなた、ほんとうにそうなの? こんな風に芽が出て大きくなって、庭に植えたらリンゴがなればいいのに、芽が出ないの?」
少女は重なった紙の下の方から一枚を抜き出し、立ち上がってソファの方へ回って来て、その絵をテーブルの上に置いた。リンゴの芽かどうかは判断できないが、植物の双葉が開いて、ややひょろひょろした茎が、やはり土からではなく紙から立ち上がっていた。
少女は私の頬に触れそうなくらい顔を接近させて言いながら、この寒いのにノースリーブの腕を私の手の甲に摺り寄せ、言った。すべすべと滑らかで柔らかく温かい彼女の腕が私の手に吸いつくような性的感触を甦らせたが、彼女は私のこどもよりさらに若く幼く純粋な眼をしていた。
「こんな風にリンゴが発芽して来たら、あなただってうれしいでしょ」
「しかし、もう少し暖かくならないと発芽しないでしょう」
「そんな風にあっさり残酷に私の夢を否定しちゃって、あなた、植物学でも専攻されたの? わたし、あなたみたいに自信たっぷりなひと、大嫌いだわ」
そんな風に(!!)あなたあなたと続けて言われているうちに、ふとこの「あなた」という語感が偏綺館の断腸亭先生の「濹東綺譚」に登場する女性の口振りにそっくりなのに気がついた。
見ると、そういう彼女も腰から下が無くて、ソファから直接上半身が立ち上がっているのであった。
2011年3月25日金曜日
こんな風に言葉は
相変わらずモーターについて検索。またディスクグラインダーの中古と新品の価格調査。ホームセンターにも行ってみたが、高いの安いの、その価格の差の激しいこと。
DIY用は数千円と安い。素人が石を磨いたりペンキ塗りの前の錆び取りをする程度の使い方なので、中古でもDIY用でも一向に構わない。
Twitterは誰かにフォローされ、誰かをフォローしてこそTwitterなのであるけれど、誰にもフォローされず、だれもフォローしていない私のTwitterは微妙にTwitterではない。
それが今夜うっかり以下のようにツイートしてしまった。
協力という言葉がこんな風に使われてはかわいそうであるが、言葉は常に道具として使われるという側面を持っている。
たとえばかつてブログで書いたことがあったが、私は450坪ほどの小さな水田を先祖から受け継いで所有している。小さな水田と書いたが、水田など所有しないひとから見たら決して小さくない面積であるのかもしれない。
そこで私は「自分で食べる米くらいは自分で作っています」と言えば殊勝であるけど、同じ行為を「ひとが食べる分までは作らないのです」と言ってしまえば何とも傲慢な言葉になってしまうのである。
このように、単なる伝達手段としての言葉はその持つ本来の意味を換骨脱退される宿命を負っている。
言葉には意味の伝達手段としての機能と、純粋な言語表現としての機能の両方を持ち合わせているのだ。
そういえば最近RSSリーダーに登録させていただいた怪しくも頼もしいお兄さんの本日のブログに以下くだりがあった。
除染などという難しい言葉を使ってはいても実態は水で洗うのが主であるらしいので、このお兄さんの言うことには同感であるが、洗ってもすべての放射能が除染できるわけではない。また野菜は洗えるが水は洗えない。洗えないがヨウ素は半減期が短い。むしろ半減期が長いセシウムの方が怖い。それよりも原子炉そのものの溶解の方がもっと怖い。
ここでも除染という言葉が、水で洗うだけなのに使う者に都合よく使われ、いかにも除染すれば放射能が無くなるかのように使われている。正しくは、除染しても落とせない放射能があり、長い間に人体に悪影響を及ぼすはずなのである。
野菜や人体に付着した放射性物質は洗い流せても、人体や野菜に浸透した放射能は洗い流せないし除染など出来ないのである。
にもかかわらず除染という言葉はその事実を隠蔽する役割を担わされているのである。
悲しいことに、こんな風に言葉は、いつでも冒され、犯され、侵されてしまう宿命にある。
DIY用は数千円と安い。素人が石を磨いたりペンキ塗りの前の錆び取りをする程度の使い方なので、中古でもDIY用でも一向に構わない。
Twitterは誰かにフォローされ、誰かをフォローしてこそTwitterなのであるけれど、誰にもフォローされず、だれもフォローしていない私のTwitterは微妙にTwitterではない。
それが今夜うっかり以下のようにツイートしてしまった。
被爆するのが自衛隊員であったり協力企業の社員であったり、東電の社員は原発敷地内にいないのだろうか? 危険な現場作業はすべて協力企業任せ? 下請企業と言わずに協力企業とはこれいかに?
協力という言葉がこんな風に使われてはかわいそうであるが、言葉は常に道具として使われるという側面を持っている。
たとえばかつてブログで書いたことがあったが、私は450坪ほどの小さな水田を先祖から受け継いで所有している。小さな水田と書いたが、水田など所有しないひとから見たら決して小さくない面積であるのかもしれない。
そこで私は「自分で食べる米くらいは自分で作っています」と言えば殊勝であるけど、同じ行為を「ひとが食べる分までは作らないのです」と言ってしまえば何とも傲慢な言葉になってしまうのである。
このように、単なる伝達手段としての言葉はその持つ本来の意味を換骨脱退される宿命を負っている。
言葉には意味の伝達手段としての機能と、純粋な言語表現としての機能の両方を持ち合わせているのだ。
そういえば最近RSSリーダーに登録させていただいた怪しくも頼もしいお兄さんの本日のブログに以下くだりがあった。
放射能で、汚染された、かわいそうな野菜たち
洗えば、何も問題ないのにと
思っているのは、ヒロさんだけだろうか・?。
空気中に、舞っている
放射能を浴びた、分子が
雨によって、地表に落ちただけである。
洗い流せば、問題ない。
データーを出さなければ
隠ぺいだ と言われるし
出せば、すぐに
パニックになる
日本人の
悪いところである。
除染などという難しい言葉を使ってはいても実態は水で洗うのが主であるらしいので、このお兄さんの言うことには同感であるが、洗ってもすべての放射能が除染できるわけではない。また野菜は洗えるが水は洗えない。洗えないがヨウ素は半減期が短い。むしろ半減期が長いセシウムの方が怖い。それよりも原子炉そのものの溶解の方がもっと怖い。
ここでも除染という言葉が、水で洗うだけなのに使う者に都合よく使われ、いかにも除染すれば放射能が無くなるかのように使われている。正しくは、除染しても落とせない放射能があり、長い間に人体に悪影響を及ぼすはずなのである。
野菜や人体に付着した放射性物質は洗い流せても、人体や野菜に浸透した放射能は洗い流せないし除染など出来ないのである。
にもかかわらず除染という言葉はその事実を隠蔽する役割を担わされているのである。
悲しいことに、こんな風に言葉は、いつでも冒され、犯され、侵されてしまう宿命にある。
2011年3月23日水曜日
小説を書かない=書けない
これまでそれこそが小説と思われてきた形の小説でもなく、これまでそれこそがと詩と思われてきた形の詩でもないものが書きたい。
それは多分、人間の言動を外側から客観的に描写するといった、文学の王道としての小説ではなく、一個の人間の思考や感覚の動きを極めて正確に描写、いや表現するエクリチュール(叙述)の方法。
もっとも近似しているのはジョイス、ウルフ、フォークナー、多分、この三人? 小説的的ロマンは人間の外側だけにあるのではない。
それは多分、人間の言動を外側から客観的に描写するといった、文学の王道としての小説ではなく、一個の人間の思考や感覚の動きを極めて正確に描写、いや表現するエクリチュール(叙述)の方法。
もっとも近似しているのはジョイス、ウルフ、フォークナー、多分、この三人? 小説的的ロマンは人間の外側だけにあるのではない。
この深重なコンプレックスの海
エディプス・コンプレックスは子が父親に抱くコンプレックス(観念複合)であり、エレクトラ・コンプレックスは娘が父に抱くコンプレックス(観念複合)であるのだろうが、そう簡単に決めつける訳にもいかない。
第一、これまでの日本人は、コンプレックス(complex)という言葉に「劣等感」という意味を直結させてしまうことが多かった。
なぜ、コンプレックス(complex)が「劣等感」なのか?
古代ギリシャでテーバイの王にまでなったエディプスは、実は父を殺害し母を妻とするという苦渋の存在であった。
なぜ、エディプス父を殺さねばならなかったのか?
なぜ、エディプスは母を妻としなければらなかったのか?
なぜ、エレクトラは母を殺害しなければならなかったのか?
その疑問に対する答えは無い。
無いけれど、息子が父殺し、娘が母殺しの宿命を負っているのは間違いない。
息子が母を殺害し、娘が父を殺害する事例が仮にあったとしても、それはエディプス・コンプレックスやエレクトラ・コンプレックスの反照に過ぎないと判断して構わない。
同じような思考をしてみれば、この度の「東北関東大震災」についても答えは無い。
なぜ、彼らの家が命がかくも簡単に失われたのか?
なぜ、津波に巻き込まれて行方知れずになったり死んだりしたのが、私ではなく彼らだったのか?
答えは無い。
だから私は、この深重なコンプレックス(観念複合)の海に沈まざるを得ない。
第一、これまでの日本人は、コンプレックス(complex)という言葉に「劣等感」という意味を直結させてしまうことが多かった。
なぜ、コンプレックス(complex)が「劣等感」なのか?
古代ギリシャでテーバイの王にまでなったエディプスは、実は父を殺害し母を妻とするという苦渋の存在であった。
なぜ、エディプス父を殺さねばならなかったのか?
なぜ、エディプスは母を妻としなければらなかったのか?
なぜ、エレクトラは母を殺害しなければならなかったのか?
その疑問に対する答えは無い。
無いけれど、息子が父殺し、娘が母殺しの宿命を負っているのは間違いない。
息子が母を殺害し、娘が父を殺害する事例が仮にあったとしても、それはエディプス・コンプレックスやエレクトラ・コンプレックスの反照に過ぎないと判断して構わない。
同じような思考をしてみれば、この度の「東北関東大震災」についても答えは無い。
なぜ、彼らの家が命がかくも簡単に失われたのか?
なぜ、津波に巻き込まれて行方知れずになったり死んだりしたのが、私ではなく彼らだったのか?
答えは無い。
だから私は、この深重なコンプレックス(観念複合)の海に沈まざるを得ない。
ただの筋力不足
本日代休の妻が、明日から車を運転して出勤できるかどうか、ちょっと車を運転してみたいというので、まだ松葉杖を使っている彼女を乗せて、昼休みに近くの市営グラウンドの駐車場へ行った。こういう場合に助手席に乗るのは仮免許の練習以来でちょっと怖い。
少し運転してみた結果、明日は自分で運転してみることになった。右足の骨のひびではなく、太ももが痛いというが、それはただの筋力不足であります。
今日になって「足首も捻挫していた」とか言い始めましたが、え? 今頃気づいたの? (ーー;)
通勤ラッシュ時に痛い右足でアクセルやブレーキを踏む動作が大丈夫か心配で、送ってゆく方が気が楽だがいつまでも送迎しているわけにもいきません。
帰宅したらM君が市内の蔵元の限定純米酒を一本届けてくれた。いつもごちそうさまです。
事情を話して今年のソバ栽培の手助けを依頼したら、種蒔きから脱穀まで一連の作業をしてみたいというので助かりました。
そろそろ、モーターの選定をしなければならない。モーターが決まらないとモーターのシャフトと駆動シャフトをつなぐカップリングが決まらない。素人には難しいので、中古モーターは諦めて、モーターとカップリングは新品で進めることにした。あとは台と供給装置。台は難しくないが、供給装置はじっくり考えないとどうしていいのか分らない。
少し運転してみた結果、明日は自分で運転してみることになった。右足の骨のひびではなく、太ももが痛いというが、それはただの筋力不足であります。
今日になって「足首も捻挫していた」とか言い始めましたが、え? 今頃気づいたの? (ーー;)
通勤ラッシュ時に痛い右足でアクセルやブレーキを踏む動作が大丈夫か心配で、送ってゆく方が気が楽だがいつまでも送迎しているわけにもいきません。
帰宅したらM君が市内の蔵元の限定純米酒を一本届けてくれた。いつもごちそうさまです。
事情を話して今年のソバ栽培の手助けを依頼したら、種蒔きから脱穀まで一連の作業をしてみたいというので助かりました。
そろそろ、モーターの選定をしなければならない。モーターが決まらないとモーターのシャフトと駆動シャフトをつなぐカップリングが決まらない。素人には難しいので、中古モーターは諦めて、モーターとカップリングは新品で進めることにした。あとは台と供給装置。台は難しくないが、供給装置はじっくり考えないとどうしていいのか分らない。
2011年3月20日日曜日
2011年3月18日金曜日
同人誌発送
ご挨拶の文章をと思いましたが、文面整わず、雑誌のみ封入という、いつもの素っ気ない発送です。ご容赦下さい。
また、メール便ですので、あるいはお手元に届くまで一週間近くかかるかもしれません。 時間に余裕のある時にご一読下さればさいわいです。
2011年3月14日月曜日
旧約聖書的あるいはギリシア悲劇的
とにかく今は目に焼きつけ、胸に刻み込むだけ。
自然災害の圧倒的な暴虐は、さながら旧約聖書的あるいはギリシア悲劇的な災厄を現前させている。
この時期に不謹慎極まりないが、完璧なWeb文芸誌というものを夢想している。
Web上だけで存在する文芸誌であるから、同人制を敷く必要も無く、まして締切日を設ける必要も無い。印刷製本などに経費がかからないから、同人費なども不要。
小説が書けたら原稿を送信していただく。
それをWeb上にアップロードする。
感想や批評もWeb上で行なう。
それでWeb文芸誌がうまく機能するのかどうか? やってみなければ解らない。
自然災害の圧倒的な暴虐は、さながら旧約聖書的あるいはギリシア悲劇的な災厄を現前させている。
この時期に不謹慎極まりないが、完璧なWeb文芸誌というものを夢想している。
Web上だけで存在する文芸誌であるから、同人制を敷く必要も無く、まして締切日を設ける必要も無い。印刷製本などに経費がかからないから、同人費なども不要。
小説が書けたら原稿を送信していただく。
それをWeb上にアップロードする。
感想や批評もWeb上で行なう。
それでWeb文芸誌がうまく機能するのかどうか? やってみなければ解らない。
2011年3月13日日曜日
2011年3月12日土曜日
2011年3月11日金曜日
2号出来ました
やはり、同人誌の2号が宅配便で届いた。安い、早い、うまい......じゃなくて、いい印刷会社である。この頃はお互いを理解して発注から印刷納品までがスムーズになった。
心配していた表紙の印刷、今回はイメージ通りで大満足。
あとはこちらのデザイン・センス次第ということ。
早速、同人と今号から設けた「招待席」での執筆者への発送荷造りを完了して、明日発送となります。
続いて一部ずつお送りする封筒の宛名の差し込み印刷をしたが、うっかり差し込み印刷に設定した封筒より大きい封筒を使ったらしく、宛名はともかく発送人の住所などの印刷場所が随分上に上がってしまって、妙なレイアウトになってしまったが、封筒がもったいないのでこのまま使用することに。それは明日にするとして、今夜はこれまで、ふう。明日こそはweb版の作成にかかろう。
感想を書かなければいけない作品が3つ。そのうちのひとつは、あまりに時間が経ち過ぎていて、あきれられていることだろう。
心配していた表紙の印刷、今回はイメージ通りで大満足。
あとはこちらのデザイン・センス次第ということ。
早速、同人と今号から設けた「招待席」での執筆者への発送荷造りを完了して、明日発送となります。
続いて一部ずつお送りする封筒の宛名の差し込み印刷をしたが、うっかり差し込み印刷に設定した封筒より大きい封筒を使ったらしく、宛名はともかく発送人の住所などの印刷場所が随分上に上がってしまって、妙なレイアウトになってしまったが、封筒がもったいないのでこのまま使用することに。それは明日にするとして、今夜はこれまで、ふう。明日こそはweb版の作成にかかろう。
感想を書かなければいけない作品が3つ。そのうちのひとつは、あまりに時間が経ち過ぎていて、あきれられていることだろう。
2011年3月10日木曜日
人間の些細な言動を
まさにピアノの、音の雫。
エリック・サティとビル・エヴァンスのピアノは、われわれ人間の心の水面に落ちる音の雫ではないかと思う。
誰しも人生に一度くらいは何かに物狂いすることがあるのだから蕎麦狂いも決して悪くははないが、この頃つくづく、短くてもいいからピュアな小説が書きたくなっている。
ピュアな小説という言い方は一種の形容矛盾である。小説は猥雑な存在である人間を鏡のように映し出す猥雑な言語芸術であって、ピュアであるはずもない。にもかかわらず、どうも最近そういう猥雑であるべき小説にうんざりしている自分に気づいて、ギョッとしたりしている。
小説は人間の些細な言動まで如実に描いてこそ成立する散文芸術なのだろうけど、どうもそれが今風に言えばウザったい。むしろ、些細なものを削って削って残ったものだけ書き留めておきたい。
って、それって小説としては痩せることであって、むしろ「詩」に近づくことじゃないの?
何故?
今夜の血圧、120-80。脈拍60。
測定を始めてからほぼ120台と80台に安定している。
やはり、ダッタンそば粉飲用前の測定をある程度してから始めるべきであった。が、以前はこれほど安定せず、上がったり下がったりしていた。今でもやや高めに振れる時は、おおむね肉体的ストレスより精神的ストレスが加わった時の方が多い。結構鈍感な人間だと思っていたが、案外、精神的ストレスに弱いことが判った。やはり、男の方がストレスに弱い。
そういえば、明日は10日である。編集した文芸同人誌2号を10日に配達されるように発注しておいたが、さて、本当に明日届くかどうか。ミスがないか、表紙はどれだけイメージした色合いで印刷されるか(そう考えるもの一種のストレス。ソバ&蕎麦のことを考えているとストレスが雲散霧消してしまうのは何故?)。
発送準備や封筒の宛名印刷もしなければならないが、Web版をまだ作成してなかったことを思い出した。発行日が15日なのでそれまでにアップロード出来るようにファイルを用意してリンクも処理しておかなければ。
測定を始めてからほぼ120台と80台に安定している。
やはり、ダッタンそば粉飲用前の測定をある程度してから始めるべきであった。が、以前はこれほど安定せず、上がったり下がったりしていた。今でもやや高めに振れる時は、おおむね肉体的ストレスより精神的ストレスが加わった時の方が多い。結構鈍感な人間だと思っていたが、案外、精神的ストレスに弱いことが判った。やはり、男の方がストレスに弱い。
そういえば、明日は10日である。編集した文芸同人誌2号を10日に配達されるように発注しておいたが、さて、本当に明日届くかどうか。ミスがないか、表紙はどれだけイメージした色合いで印刷されるか(そう考えるもの一種のストレス。ソバ&蕎麦のことを考えているとストレスが雲散霧消してしまうのは何故?)。
発送準備や封筒の宛名印刷もしなければならないが、Web版をまだ作成してなかったことを思い出した。発行日が15日なのでそれまでにアップロード出来るようにファイルを用意してリンクも処理しておかなければ。
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