2007年12月31日月曜日

遅々として

 昨日、「胡壷・KOKO」6号掲載の小説3作を読了。ただし、感想を書くまでにはもうちょっと時間が必要で、書く前にもう一度読むことになるかも。年々頭が悪くなって、感想を書くのに時間がかかるようになってきた。これでも昔は読んですぐに、バンバン感想を書いたものですが。

2007年12月30日日曜日

ひとりでバンザイ一唱

 二時間半かけて石臼でソバを挽いてみた。挽くのは結構だが、篩う作業がタイヘンだった。最初は皮を除くための粗目の網だが、次は40メッシュ、最後に60メッシュ。60メッシュの細かい網からふわふわと降りてくるソバ粉が結構風で舞って、周囲から頭のてっぺんまで粉を被って白くなる。家の中でしないでよかった。
 石臼の使い方としては、一回転ごとに少量の蕎麦を穴に落としてやること。一度に大量に入れれば粗いまま石臼の外へ飛び出してしまうし、蕎麦を落とさずに回転だけさせていると、細かくはなるが皮まで粉になる分が多くなってしまう。石臼でのこうした挽き方は、「挽きぐるみ」といって皮が粉になったものが混じることで、黒っぽい田舎蕎麦風になるのだが、出来れば皮の混入は少ない方がいい。
 どうしても篩い残った粗い粉が出るので、それは別に打ち粉として別の袋に保管することにした。製粉所より歩留まりは悪いが、とにかく2Kgくらいの石臼手挽きのソバ粉が完成。3~4人分で500g使用するとして4回分。
 これで打った蕎麦でも風味が薄く感じられたら、その原因は乾燥させすぎということで納得し観念しよう。


 これまでは製粉だけは自分の手ではなかったが、これで一応、種蒔きからソバを打って食べるまで、すべて自分の手で行なったことになる。ひとりでバンザイ一唱。
 これで本年血迷いましたソバ栽培騒動も落着です。あすからまじめに文学生活できるでしょうか?
 いや、来年は怒濤のきのこ栽培計画が待っていますね。原木は用意できたし、電気ドリルはあるし、あとは4種類の駒菌と駒菌を打ち込む穴を開ける専用ドリル・ビットを購入するだけ。メーカーによって駒菌の直径が異なり、8.5mmと9.2mmの二種類があるらしいが、8.5mmのメーカーに決定。

 さて、一曲聴いてから読みかけの小説に戻ります。



2007年12月29日土曜日

冬も体を動かそう計画

 
 今年度の仕事すべて終了し、あとは家のこと、個人的なことだけして越年。
 40メッシュと60メッシュの篩を入手。(ちなみに40メッシュだと1インチ(25.4mm)の幅に40本の細かさで線が張られている)
 サンプルに少し石臼で玄ソバを挽いてみたものを、先ずは、家にあったメッシュは不明だが2mm目くらいの篩で皮を取り除き、次にいきなり60メッシュで篩ってみた。
 一応、ソバ粉の感じにはなっている。
 粉を少しなめてみて、噛んでみると、やはり砂のようなものを噛んだジャリッとした感触があった。そういえば、石臼で挽いてみた玄ソバは、来年度の種用に残しておいたもので、石抜きや磨き作業をしていないものだった。念のため沸騰させたお湯で「そばがき」を作って食べてみたら、やはり、毎回ではないがたまたまジャリッと来る。これでは蕎麦にならない。
 残っている玄ソバの精選作業にかかる。玉ねぎなどが入っているオレンジ色の網の袋に玄ソバを入れ、口を縛っておいてビニールシートの上に置き、靴を脱いで靴下のまま場所を替えつつ踏み続ける。そうすると、三角形の蕎麦の実の稜線にあたる部分の皮の端などが擦れて取れるし、皮についている泥、埃なども落ちる。(来年度は収穫精選の最後にネットに入れて水洗いし、乾燥した方がいいのかもしれない。
 それをさらに2mm目の篩で篩い直し、目で見て砂、小石などの異物がないか点検。
 これでようやく、明日は石臼による原始製粉作業に入れる。(冬も体を動かそう計画の一環であります)
 30日か31日に二男が帰省してきたら、この自家製粉したソバ粉でそばを作ってみよう。
 先日のうどんのような蕎麦、翌日の昼食時に長男が「おばあちゃん、夕べのお蕎麦、まだある?」と訊いたそうである。お父さんが全部食べてしまいました、

インターネット性二重人格症候群

 県内の同人誌、3誌が5部ずつ到着。表紙をスキャンし、その画像と目次を発行状況のページにアップ。3誌一度にアップはちょっときつい。
 しかし、どこも相互批評には消極的というか、他誌の人間には文句を言われたくないという人が多くて、もう諦めました。いつぞやなど、わが家に電話をかけてきて一時間も文句を言った人がいて、ああいうひととは相互批評など到底成立しない。
 意外な人まで、誉められている分には穏やかな人ですが、ちょっと批判的なことを言われると人が変わったように抗議してきて、なはは、うんざりですw。

 それから、実際に合った印象と違う性格をネットではむき出しにするひとがおります。私はこういうひとを「インターネット性二重人格症候群」と勝手に名づけていますが、結構ね、ふだんはおとなしいけれどお酒を飲むと乱暴者に豹変するのと同じで、パソコンを開いてネッにつながるとむやみに自己肯定他者否定が激しくなるんですね。やれやれ。

2007年12月28日金曜日

立派に蕎麦キチ君

 昨年、再生しようとして大事な部分を欠いてしまった石臼を、先日閃いて強力なセメントで補修してみたら、成功して割れた部分がくっつきましたので、今日、回してみたら何とも回転させるのに重いこと。これでは使えないかと思ったが、昔、実際に石臼を使ったことのある母親の言では、いちばん重くて挽きにくかったのは炒った大豆でキナコを挽く時で、潰れた大豆が石臼に張り付いてなかなか挽けなかったけど、ソバは粒が小さいし、押しつぶすだけでパッと粉になるくらいだから、石臼を回すのは楽ではないか、と。
 物は試しなので来年の種用に保存してある玄ソバを少し穴に落として回してみた。
 お??
 おお?!!
 空で回した時よりずっと軽く回るではありませんか。
 上臼と下臼の間にソバの粒が入ることによって、それらがコロの役割を果たすのか、回転がものすごく軽くなっているのです。
 ということで、今年の製粉所での石臼挽きソバ粉の風味にひそかに不満と不信感を抱いている私としては、一度自分で石臼で挽いたソバ粉で蕎麦を打ってみたいものと考えているのであります。 
 そのためには何種類かの篩(ふるい)が必要で、皮などを選別する粗い篩は家にあるもので間に合うでしょうが、40メッシュと60メッシュくらいの細かい篩は探してこないといけません。少なくとも60メッシュのものは絶対に必要。
 年内に探しておいて、正月休みに手動で石臼挽きをいたしますぞ。
 (と、人間に対してもこれくらいの好奇心が残っていたらいいのですが、どうも人間への関心が相当に薄れてしまい、失望から絶望への途上にあるようで、それが小説書けん、感想書けん、の元凶かも、泣)

わがままな職人

 父が生前親しくしていただいていた方が亡くなり、今日12時30分の葬儀に参列、焼香。父が腰椎を癌細胞にやられて自立歩行がまったく出来なくなってから、お孫さんの運転で父に会いに来てくれた。いい人を絵に描いたようなひとで、斎場の写真も実にいいお顔だった。99歳、善人なおもて往生を遂ぐ。さよならS之助さん。
 

 自分が編集発行人である同人誌の感想を書いてようやくアップロードした。ビリである。これでようやく、ほっ。
 どうも、わがままになって、「いつでも」は感想が書けないので困っている。「気が向かないと」書けないのだ。
 昔、仕事でつきあいのあった儀助おじさん、建築の基礎やブロック塀を積む仕事をしていたのだが、このひと、風が吹けば丁張の糸が揺れて仕事にならないとか、寒ければセメントが凍ってダメだとか、何かと口実をつけては仕事を休むわがままな職人だった。
 今の私は、その儀助おじさんそっくりではありませんか!!
 小説を書かない(正しくは書けない)だけでなく、感想さえも簡単には書けなくなっている!!
 由々しき事態です。

 ホフマンスタール、「チャンドス卿の手紙」の言葉が口の中で腐れキノコとなり、意味を失うという、あれほど強烈ではありませんが、自分の言葉に不信感を抱いているのは事実でしょう。
 どんどん書けるひとが、裏山鹿。
 さて、どうやって、反撃、するか。

2007年12月27日木曜日

小筆と麺切り台

 ようやく年賀状の宛名書き終了。ここ数年、パイロットの「小筆」という万年筆型の筆ペンの硬筆の方を使っている。筆字は下手くそなのだが、要するに他の筆記用具のような筆圧を必要としないので楽、それだけの理由です。万年筆はふだん使っていないので、インクの出は悪くなっているし、滑らかさも欠いて来ていて使い物にならない。
 案外、B4版の大きな原稿用紙に「小筆」で書くのもいいかもしれない。

 今夜、二度目のソバ打ち決行。oyamabokuchiをつなぎにした10割ソバであるが、前回は切るのは製麺機を使ったが、今回はそば切り包丁と駒板を使って切ってみた。
 ガーン。幅を狭く切ると途中で切れてしまいそうで、どうしても幅が広めになってしまう。もっと薄く延ばさないとこれではうどんである。
 しかもオヤマボクチを使っているのでコシがあり、老いた母親にはちょっと食べにくいようだが、ただし、長男は良く食べてくれ、作った分は完食。
 むう、やはり手で切るのはむずかしい。二男が帰省したら作る3回目は、製麺機で切ることにした方がよさそう。冒険は自分だけの時にしよう。
 さるお店で「麺切り台」を発見。刃を上下させると設定した幅で包丁が左へ移動していって麺がどんどん切れてゆくという優れもの。ネットだと3万前後するが、店舗で見た物は18,800円だった。欲しいような、欲しくないような……。
 。

 さあ、読書と感想文が控えている。
 実は、このところずっと、編集発行人をやめた方がいいではないかという疑念に苛まれ、凹んでいる。
 ひと様にはいかにもやる気がなさそうに見えるであろうとは思いますが、さて……。

2007年12月26日水曜日

泥縄式年賀状作成

 今夜は崖っぷちで、泥縄式年賀状作成。家族2名分を先に作成し、自分のものを最後に。
 めったに使わないカラープリンタ、どうもミスばっかりで先へ進まず、レイアウトは変になるし、軌道に乗ったのはつい先ほど。
 あとはインク切れ、用紙切れに気をつけながら読書していればいいはずですが。
 それにしても、A3タイプでなくていいから、もうカラープリンタを買い換えないと。縁無し印刷のプリンタが出る直前の古いタイプなので余白が大きすぎる。しかも余白が均等でない。仕方なくセンタリング機能で中央に印刷したが、やや縮小されている。泣ける。
 来年は新しいカラープリンタを購入して、雑誌の表紙の二色印刷やフルカラー印刷に挑戦してみたい気もしています。「胡壷」6号のひわきさんの表紙デザイン、コラージュとのことですが、今回は二色刷りながら出色の表紙で、おおいに刺激を受けました。


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 今日で仕事はすべて片付くはずだったが、ひとつ、明日まで持ち越しになってしまった。まったくもう、である。
 明日はデスクワークをする振りをしながら、年賀状に筆ペンで宛名書き。と思ったら、インク切れで午前十時開店を待ってインク・カートリッジを買いに行かないと。ハガキも印刷ミスした分を交換してこないと。

2007年12月25日火曜日

何となく年末年始の準備

 昨夜はFirefoxのbookmarkにある「ブログ」フォルダをうっかり削除してしまったら、sageに登録してあった「ブログ」すべても消えていた。bookmarkにある「ブログ」フォルダとsageの中身はリンンクしていて同一のものであったのだ(泣)。
 仕方なく、少々古いがSleipnirのHeadline-Readerに登録されているブログをエクスポートし、Firefoxのsageにインポート、と思ったがなぜかインポートできず、ひとつずつ登録しなおしして、ようやく復活。
 Sleipnirをやめて、FirefoxとIE7だけにしようと思ったのが失敗だった。IEはほとんど使わないのだから、Sleipnirでウェブを、Firefoxでブログをというこれまで通りの分業でいいのだとおもうことにしよう。

 今日は振替休日ということで、朝食後、年末年始に備えて包丁研ぎをした。私以外に包丁研ぎをするものが居ないのである。ふだんはめったにしないので「包丁が切れない」という苦情が絶えないが、簡易シャープナーみたいなもので刃先だけ研いでいるようです。たまにはきちんと研がないといけません。
 菜切り包丁、文化包丁、柳葉包丁、ついでに買ったままうまく切れずに二度くらい使ったまま放置してあった蕎麦切り包丁を出し、これも研いだ。事前に、砥石の凹みを修正するために平らなコンクリートの上で水をかけながら擦って平らにし、それから研いだので、よく研げたのか、親指の腹で刃に触れるとシャリーンというような音がした。おお、まじめに研げば研げるものだと感心しました。
 なかなか良さそうなので、これで一度蕎麦を切ってみようと思いました。それには駒板が必要であるから自作しようとホームセンターへ板材を買いに行った。しかし、板がなかなか高い。蕎麦打ち用品が陳列されている棚に行ってみたら、既製品を買う方が安いことが判明、1380円のを購入して帰宅。長男が2週間の休暇で一昨日帰省して来たので、蕎麦でも食べさせてあげようかと。彼は、まだ箸を持てない頃から手づかみで蕎麦を食べていたくらいなので、結構、蕎麦にはうるさい。

 その後、老母が芹を採りに行きたいというので、四駆の軽トラで山へ。年末年始に芹がないとダメな母親である。昨日の雪が残っているし、道幅は軽トラぎりぎりでかなり怖い山道だが、四輪駆動にしてさらにロー・ギアのままで何とか登坂。清水が流れ出ている場所に芹があり、母狂喜して一時間ほど採取。

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 そのうちのごく一部。これも蕎麦の薬味に使えないことはない。芹蕎麦である。芹の天ぷら蕎麦も悪くはない。七草粥は無理でも、芹を入れた粥も良さそうだ。


 帰宅後は、注連飾りのうちの「ごぼう注連」というものを生まれて初めて自作してみた。ネットで調べたら20本の藁を3つ使って作るとあったが、それでは太くなりすぎ、また捻りにくいので15本ずつに減らしてみたら、まあまあ、そこそこの形にはなった。
 普通の縄などは右巻きに捩るが、注連縄の場合は左巻きに捻るのだそうで、なるほど。
 紙垂(しで)の作り方はネットで検索したら解りやすい図解があってこれもクリア。芹を採りに行った山で松の枝も少々頂いてきたので、今年は自作の注連を飾ることが出来る。


 あとは静かに小説を読む。
 ……干し海老を使った冬瓜のスープ……という記述があったので、我が家の倉庫に眠る姫冬瓜の様子を見にいったら、まだ何ともなくて正月に使えそう。長男、二男、どちらも居るうちに一度作ってみよう。
 今夜は別の小説。
 しかし、まだ年賀状を印刷してないことに気づき、蒼くなる。

2007年12月23日日曜日

やはり雪

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原木の切り出し決行

 天気予報では明日の午前中は雪が降るらしいので、午後、チェンソーと燃料、その他を車に乗せ、急遽山へ。といっても車で10分の距離。高速道路のPAから直線距離だと500mくらいの場所。里山である。
 コナラのほどよい太さ(細さ)の木で幹が真っ直ぐなものを選んで伐採開始。細めの木だが、練習のため一応受け口を作り、追い口から切ってみた。ほぼ狙ったとおりの方向に倒れたが、あまり木が混みあっていない場所で切ったにもかかわらず、やはり先端が別の木にひっかかり地上に倒れてくれない。仕方なく、人力で全力で引っ張ってようやく着地。

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 5本伐採し、運びやすいように180cmに玉切りしたら20本、長さ90cmの原木サイズで40本分になってしまったので終了。切るだけだったら楽ですが、斜面を下るとはいえ、これを道路まで運び出す作業はきつくて息は切れるし、冬でも汗びっしょりになります。まさに、痩せたソクラテスになるためのいい運動です。それにしても生の木はほんとうに重い。
 最後に腰を下ろして一休みしていて、目の前にコナラとは違う樹種が立っていて、横に点や筋の入った独特の樹皮の模様から「山桜」であると判断。桜はナメコに最適の樹種である。まさかこの山にあるとは思わなかったが、コナラを切るのと違ってちょっと逡巡。毎年、遅咲きの山桜に目を楽しませてもらっているので、それを切るとなると心理的抵抗が生じているのです。
 落ち着いて周囲を見回すと、ほかにも山桜の木があり、しかもひとつの株から5本も幹が伸びているではありませんか。そこで、そのなかの1本、他の幹と接近していて窮屈そうな幹を切ることにしました。一本で原木サイズ9本分ありました
 これで、シイタケ、ナメコ、ヒラタケ(以前の信州シメジ)、クリタケの4種類の菌が植えられそうです。

2007年12月22日土曜日

今宵悲憤慷慨怒髪天到七転八倒阿鼻叫喚

 今日のローカル紙に県内の文学を回顧する記事が掲載された。しかし何か変である。今年度に交替した新会長が書かずに前会長が書いているのだが、今年発行された単行本への言及はあっても、かんじんの県内の同人誌掲載作にはまったく触れられていない。こんな回顧があるだろうか? どの同人誌が五十余年、この同人誌が三十余年とか、誌齢ばかりが強調されているが、何より必要なのは各誌に掲載された優れた作品への評であろう。
 それ抜きで何の回顧? 
 まさか、今年発行された各誌の作品を読んでいないのでは? と、私は今宵悲憤慷慨怒髪天到七転八倒阿鼻叫喚なのであります。
 もう脱退すべき、かな? 

 そういえば、ほかにも怒髪天到なことがあって……。唯我独尊な物書きって、この言い方自体が形容矛盾で在りえないのですが、こういう在りえない物書きが、存在するのですね。
 こういうひとが偉そうに文学を語るなんて、(ーー;) うんざり、やってられませんよw。
 ああ、私も、すべての組織から離れて、ひとりで考え、感じ、書いて、生きてゆくべきなのでしょうか。
 ずいぶん忍耐強くなった私ですが、もう、堪忍袋の緒を切っていいんでしょうか?!

 もうひとつ。
 小説がいちばん存在感を示していた19世紀の小説の傑作はどれもこれも犯罪者が主人公でした。ドストエフスキーが書いた人物なんて全員が犯罪者か変質者か狂人でした。
 でも、この21世紀のとばくちにあって小説を書いている職業作家のどれだけが、犯罪者や変質者や狂人を主人公にしているでしょう? ちまちまとした常人? それも否定はしませんが、鏡のなかの自分を見せられているだけな感じで、面白くないですよね。そんな文学、こちらから引導を渡してしまいたいんですが……。
 

2007年12月21日金曜日

人間も休眠打破(できない?)

 11月29日に書いたoyamabokuchiの種、冷蔵保存処理するのを忘れていたので、本日実行。

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 不織布を袋にして、普通のと紫色の種を別々に入れる。タッパーの底に水分を加えて湿らせたピートモスを敷く。

oyamabokuchiinpeatmoss.jpg  oyamabokuchihozon.jpg
 その上に不織布入りの種を置き、更にピートモスをいっぱいに詰め、蓋をして冷蔵庫の隅に来年3月の播種まで保存する。
 ただ乾燥した種を播いても発芽率30%くらいだが、こうしてほど良い湿気を与えつつ冷蔵保存しておくと休眠打破され、発芽率が向上するのだそうです。
 人間(ことに私)も休眠打破できる方法ってないのでしょうか。

2007年12月20日木曜日

樵見習い

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 午後、思いがけず仕事が早く片付いたので、エンジン・チェンソーを持って、菜園横の竹薮に生えていたニセアカシアが9月の台風で傾いたままだったのを試し切り。
 他に何もない場所ならいいが、竹やほかのアカシアにひっかかってなかなか素直に倒れてくれない。難しいものである。根元の直径、たかが40cmくらいなのだが、それでも倒れる時には自分の方に倒れてこないか、バウンドして撥ねられないか、結構怖い。それに生の樹木がこんなに重いものだとは思わなかった。確かに下敷きになったり頭を直撃されたら、死にます。
 チェンソーの刃を挟まれることがあるので、その際に使う楔も大小二個くらいずつ必要。刃も替え刃をひとつ用意しておいた方がいい。本体の軽量化のために燃料タンクとチェンソーオイルを入れるタンクが小さすぎ、じきに終わってしまうので、燃料タンクとチェンソーオイルの容器、刃を研ぐヤスリなど工具一式をひとつの箱にまとめて入れておく必要がある。
 それから、山で飲むコーヒーを何とかしたい。
 あんな細めのアカシアを2本切っただけで汗びっしょりで、理想的な全身運動である。真冬の体力強化&スリム化計画にもってこいではありませんか、(^_^) 。
 
 N商事のT中さんが、年を越したらクルミの木を切るので、電話したら取りにおいでと。クルミの木は信州シメジ(ヒラタケ)の菌を植えるのに最適なのだそうです。ナメコは山桜がいいそうだし、クリタケは栗木、コナラが一般的だけど、なぜか唐松の間伐材でもびっしり出るそうです。この4種類くらいはやってみたいものです。配偶者の実家でシイタケ菌を植えた原木を10本ほど所望されてしまいました。コナラの木、2本分だから簡単ですが。


 

ネットの構造

 今年の後半、RSSリーダーに登録しているブログの多くが更新頻度がだいぶ遠くなっているが、ブログもそろそろ衰退期に入ったかもしれない。
 私自身も、こうしてネット上に自己の脳のなかの思考や感情の動きをさらすことに疑義を感じないことはない。
 以前も書いたが、ブロガーはマジックミラーの内側にいて、ミラーの向こう側から誰が見ているのかは判らない。向こう側にいる人は「匿名性という名の天狗の隠れ蓑」をまとっているので安全であり、ブロガーだけがひとり、見える箱の中に実在しているのである。

 いろいろ調べものが多くて、それに時間を取られている。案外、ノンフィクションのひとたちがいい仕事をしているではないか。
 いずれにしても、ちょっとすることがあるので、このブログも更新頻度が落ちるかもしれません。


 ある雑誌を待っていたが届かない。定期購読を申し込んである訳ではないので、必ず来るとは限りませんが。

2007年12月19日水曜日

単行本二冊

 16日には、三木ふみ「北沢喜代治――人と作品」(屋上の会発行・非売品)。屋上を創刊、信州文芸誌協会立ち上げの立役者であった北沢喜代治さんの、文字通り人と作品を的まとめた労作。北沢さんの作品が読めないのが残念だが、古書検索すればまだ入手可能な小説集あり。
 今日は軽井沢の塩川治子さんから第三歌集「霧ものがたり」(角川書店、2,700円)。
 小説を書かれ、短歌もされているので、羨ましい。
 言葉によって地を這い、泥にまみれ、骨を切られ、肉をえぐられる小説にくらべて、31文字一行で屹立する短歌が、私にはとてもかっこよく潔く凛々しいものに見える。
 しかし、小説のように叙述することも、短歌のように歌うことも出来ない自分がよく見えている。

 

2007年12月18日火曜日

吉良上野介みたいな心境

 県内の同人誌に所属されている方だが、表のサイトに3年で4570回アクセスされている。
 すごい数字です。一年で1500回超。ひと月1270回。
 今日は各ページを忙しく20回のアクセス。なんだかバタバタ家探しされている感じで、私は赤穂浪士に探されている吉良上野介みたいな心境です (ーー;)
 そんなに頻繁に各ページが更新されている訳ではないので、もう少しお静かに、品良くおいでくださいませ。

2007年12月17日月曜日

4つの林檎

 昨夜は定例15日の赤提灯だったが、忘年会のためいつもより盛り上がり、帰宅後轟沈。


 今夜はDead Sea AppleとApple of Sodomが同じ林檎を指しているのか確認するためにGoogleで英語で検索。アイスランドにDead Sea Appleという名のロックバンドがあるらしく、その記事が多くて閉口したが、
Apple of Sodom
(Dead Sea Apple) A fruit, said to grow on or near the site of the biblical Sodom; it turns to smoke and ashes when plucked. (New Catholic Dictionary)
 と書かれているので、同一なのだろう。木から摘んだとたんに煙と灰になって消えてしまう、妖しくも儚くいかにもフィクショナルな林檎ではあります。
 それにしても、一度、旧約の創世記から通読しないといろいろがチンプンカンプンで困ったものです。
 若い頃に読むつもりで買ったものの、あの人名ずらずらが落語の寿限無と同じで気が遠くなってしまい、ダメなのでした。


 死海の林檎(ソドムの林檎)、残雪の「廊下に植えた林檎の木」、そして久坂葉子にかじられた「りんご」。それから芥川の「蜜柑」に負けず劣らずの井上光晴の掌編「林檎」。都合4個の個性ある林檎。そこにBlue eyes。相変わらず固定したまま発展しないイマージュ。

 昨日、ホームセンターへ行った折にシイタケほかの駒菌がすでに陳列されているのを確認。500個入りではなく、シイタケ400個入り1480円、他のきのこは100個入り398円。しかし100個では原木3本くらいしか菌を植えられないので問題外。普通は500個入りのはずなので、後日、他に2店ほどまわってみる予定。
 クリタケ、ナメコはシイタケのような長木栽培ではなく、太めの木を短く30cmくらいに切って、立てて埋める方式のほうが良さそう。クリタケ用の原木は切りたてよりも時間をおいて乾燥していた方がいいというので、今日、切り出しに行くつもりだったが、あまりに寒風きびしいので暖かい日に延期。
 午後、近所のH君の新しいパソコンの設定やら古いパソコンからのデータ引越しやらをしてやって3時間ほど費やす。自分が持っていたCD-RW書き込みソフトをインストールしたり、彼の家ではネット接続できないのでMSオフィスのアプリケーションのオンライン認証が受けられず、仕方なく彼の新パソコンを自宅に持ち帰り、家でネットにつないで認証を受けた。そうしないと、WordやExcelを50回だか起動すると使えなくなってしまう。なんとも面倒で、したたかなMSの戦略。

2007年12月15日土曜日

危ない

 パソコンの動きが重くなって来たので、iTuneとPicasaをアンインストールした。この頃、音楽、画像、動画ファイルのダウンロードなどが激しかったので、もうそろそろ下ろしてもいいだろう。音楽、画像、動画ファイル自体も相当削除した。
 それからこのブログのテンプレートをいじっていたらレイアウトが崩れてしまったので、慌ててバックアップしてあるテンプレートをコピー&ペーストしたら、当然のことながらBookmarksやウェブへのリンクが消えてしまった。相互リンクの方、申し訳ありません。タグの書き方を思い出さないので、また後日、書き足します。この際だから、相互リンク以外のブログ、ウェブはリンクを張らないことにしました。

2007年12月14日金曜日

迷走好奇心

 ドストエフスキー、バフチンがらみで検索。一冊はAmazon以外に古書では見つからなかったり、あっても新刊と同じ価格だったり、これはネットで新刊でオーダーした方が良さそうだが文庫で606頁。もう一冊は叢書ウ二ベルタシスの一巻ですでに新刊は無し、これもAmazonに一冊あったが価格が6420円! カードを持たない旧人類にはAmazonの古本は購入できない決まりになっているのでいずれにしても買えないのです。意地でもカードを持ちませんぞ(って、不自由ですね)。他を検索したらたくさんヒットしていちばん安いのが1,800円。こちらは、オーダーすべきか迷っている。ウ二ベルタシスは歯ごたえ十分で難しそうで、しかも404頁。

 それからしろうとのキノコ栽培記事を検索して読みまくっている。ソバにはソバキチ、キノコにはキノコキチの方がおいでになって、初心者には実に興味深い記事がある。なかには栽培できるキノコすべてにチャレンジされている「ブヴァールとペキュシェ」みたいな方もいて、苦笑い。
 それからキノコの種菌メーカーを検索、4社ほどお気に入りに入れておく。
 
 本日の昼休みに、木を切らせていただけることになった山の偵察。山としてはそれほど広くないが30アール(ほぼ1000坪)ほど。南が道路に面していて、北と東は隣地との境がおおむね把握できたが、西の境界線がまったく判らない。所有者本人も判らないというのだからお手上げである。まあ、西の境界の方には近づかず、東半分の方で伐採すればいい。ネットで見つけた「きのこ栽培に適した樹種一覧表」を手に樹種を見てみたが、どうやらほとんどが「コナラ」のようで、シイタケ、ナメコ、クリタケには最適らしい。カラープリンタではなくモノクロレーザープリンタで印刷したので微妙な違いが判りにくいが、ミズナラではないだろう。大木は少なく、まさにきのこ栽培の原木にぴったりの太さのものが多い。
 目見当で一本で6~7本の原木が採れそうなので、5本伐採すれば30本の原木になりそう。とりあえずは早めに切って乾燥をしておかなければならないクリタケ用原木で、シイタケ、ナメコ、ヒラタケは1月か2月の暖かい日にでも切ろう。
 これ、実は冬場の運動不測解消になかなか効果がありそうです。
 それにしても、結構木を盗むひとっているんですね。この山も100坪くらいごっそり盗伐されたということですし、そういえば配偶者の実家にも山があるのですが、やはり勝手に木を切られたり、稲の育苗用に赤土まで掘って盗んでいく者がいるようです。
 山なんて見捨てられていますから、誰が木を切っていようが不審には思われない訳ですね。
 

2007年12月13日木曜日

これはすごい

JxEuro2008
欧州6か国語(英語・フランス・ドイツ・スペイン・ポルトガル・イタリア)と
日本語の相互翻訳。専門辞書がついて、更に翻訳精度がアップ!


2007年12月12日水曜日

じきに眠くなる

 HMVで購入した「マタイ受難曲」をあちこち順不同に聴いているうちに、ドイツ語は皆目分からないし、どうも聖書の「マタイ傅福音書」を受難曲の解説文と並行して読まないとダメなような気がしてきて、開くは開いたのだがじきに眠くなるので、ほとんど先へ進めない。
 そうこうしているうちに「ヨハネ受難曲」もネットの動画サイトにアップロードされているので、flvファイルをダウンロードしてmp3ファイルに変換した。
 ということは「ヨハネ傅福音書」も読むことに? 
 それにしても聖書って、どうしてこんなに眠くなるんだろう。

 「小説書きかけ」フォルダをと「創作メモ」ファイルを、毎日開くことにした。
 近未来物になるのだろうか、資本主義体制が崩壊する小説が頭の中に。これはJ・オウエルの「1984」、ソヴィエト崩壊の逆ヴァージョン。

 クリタケ栽培のノウハウをネットで検索。ありがたいことに、ありがたい情報が居ながらにしてたくさん得られる。クリタケ栽培はキノコ栽培のなかではかなりマイナーである。それというのも、近代的工場で行なわれるキノコ栽培の主流であるオガクズ培地での栽培がクリタケの場合はまだ確立されていなくて、シイタケと同じ原木栽培ということになり、しかも、シイタケが温度調節すれば通年栽培が可能であるのに比べて、クリタケは原木自体を山や畑に伏せ、発生までに年数がかかる上に発生時期が天然クリタケと同じ11月初旬に限定されてしまう。ゆえに営利栽培に向かない。
 ま、私は営利栽培でなく自分が食べるためと言う原始衝動栽培だから、そんなことには構いません。春に菌を原木に打ち込むべく、今から準備を開始しよう。(って、また始まった~ブヴァールとペキュシェの轍を踏む)

2007年12月11日火曜日

アナログな生活

 弟から庭先に成った柚子が送られて来たので、秋に収穫してコンテナに入れ倉庫に保管しておいた姫とうがんを思い出し、先日、取り出してみたら、皺にもならず、腐りもせず、ほぼ収穫時と変わらぬ姿だった。
 土曜日に、またまたお気に入りの「昆布ダシそぼろあんかけ柚子風味」を作ってみました。おいしい。
 なるほど、ほんとうに冬まで貯蔵がきくのですね。このあたりは夕顔は栽培してもとうがんは栽培しない土地柄なので、実際に作って食べてみないと判らないのでした。この分だとお正月にも食べられるではありませんか、(^_^)

 今日は仕事で出かけたついでに親戚に寄って山林の場所と面積を確認し、木を切っていいかと訊ねた。まったく手入れなどしていない山なので好きに切っていいという。まあ、そんなには要らないのだが、シイタケやくりたけ、なめこの菌を植えつける原木50本くらいと薪少々。
 夕方、購入してきたエンジンチェーンソーの試運転。さすがに電動とは違ってパワーがある。うーん、むやみに木を切ってみたくなりましたwha(ジェイソン、ジェイソン)。しかし、エンジンチェーンソーは使い方をきちんと身に着けないと危険ですから、まじめに使いましょう。

 小説を書くには、その間、ネット接続を控えないとダメなようです。
 後戻り出来ないことは解っていますが、やはり、アナログ生活にあこがれますね。山小屋で薪ストーヴなどという生活でなくても、ネットもテレビもなく、本を読んだり文章を書くほかないアナログな生活。

2007年12月10日月曜日

物書きはどうしたらいいのでしょう

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 先ほどちょこっと検索していたら、この本が76,000円で出ていた。ガーン。すごい時代になってしまいました。ウァーン・゚・(ノД`)ヽ(゚Д゚ )ナクナ
 今年の農家の玄米1俵(60kg)あたりの売り上げが13,000円で、10アール作っても10俵、13万円、そこからさらに苗代金、耕運、代かき、田植えなどの作業料金、肥料農薬代、土地改良区の水使用料、収穫時のコンバイン作業代、もみの乾燥料、JAの手数料などを引いていったら、数万円くらいしか残らないというのに、本一冊が76,000円だなんて! いったい全体、どうなってしまったんだろう! (号泣、嘘)

 土日は旧商店街には人間はおろか、猫の子一匹見当たらないというすごい光景ですし……。
 こんな時代の、こんな不合理をも如実に映し出すことが出来る「言葉の鏡」になるためには、物書きはどうしたらいいのでしょう。
 といいながら今日、ホームセンターにエンジンチェーンソーを見に行った。ネットとリアルと両方検索調査したが、結局、足元のホームセンターがいちばん安いし、ホームセンターには出ないはずのメーカーのものがあってしかもネットより安いので仕方ない。
 世界中が安いものに目の色を変えている時代の流れにNoと言って背を向けなければいけないのだが、悲しいかな私もひとの子? 

 行ったついでにチェーンソーの目立てをするヤスリを購入し、切れなくなった電気チェーンソーの目立てをしてみた。うーむ、切れ味が良くなりました。メンテナンスはきちんとしましょう。

2007年12月9日日曜日

またしてもソバの話で(恐縮)

 午前中、仕事でY田さんのお宅にお伺いしていて、ふとY田さんが5年ほど蕎麦打ちしていることを知り、用件そっちのけで蕎麦についての情報交換。こちらは無論、Y田さんが知らなかったoyamabokuchiについて、Y田さんは個別に丁寧にソバ粉を挽いてくれる製粉所について、またその製粉所の主人の話として、玄ソバの水分率は17%くらいの方が風味が損なわれないと。え? 17%! 確か、私が今年行った製粉所で受け付けた青年が計ってくれた時は、13%台と14%台だった。
 乾燥しすぎだったのか。
 そのせいで、若干風味が薄く感じられるのだろうか。
 しかも今年の場合は他の人の玄ソバといっしょに挽かれてしまったので、本当の意味でのMy ソバ粉ではない。うーむ、ひとのと混ぜられてたまるものか。来年はY田さんに教わった製粉所に替えよう。

 それから、昨年、石臼を再生しようとしていて、取っ手を入れる穴の上部を誤って叩き、その部分が割れて使い物にならなくなってしまい、そのまま放置しておきましたが、最近になってセメントで補修すれば使えるようになるかもしれないと思いつき、今日、小袋の砂入セメントを買ってきて補修してみた。穴の部分には似た大きさの木材を入れておいた。
 これでソバ粉が挽けたら混じりっけ無しのMy ソバ粉である。ただし石臼の目立てをしないとダメかもしれないが、電気ドリルに回転式のカッターを装着して何とかやってみよう。

 あ、同人のY本さんにソバ粉を送るのを忘れていた。蕎麦打ちではなく、「蕎麦がき」にして食される模様。

 「ブヴァールとペキュシェ」、なんか、うんざりして来ました。ヨーロッパ人はやることが徹底しています。

 

2007年12月8日土曜日

オークションに向かない性格

 午後、十数年寝たきりの叔母のインフォームド・コンセント (informed consent) につきあうため、隣の市の病院へ。鼻からチューブに問題ありなので、いよいよおなかに穴をあけて直接胃へという説明。
 近頃の病院では、先の見える病人の入院に際しては、さりげなく医師に最終局面での対応の仕方を訊ねられるが、かの家ではとことん手を尽くす方を選んだようだ。わが家の父の場合は「自然」をお願いしたので、点滴以外のチューブを身体につながれることはなかった。
 どちらを選ぶか、相当にな悩む問題ではあるけれど、どちらが良いとか、悪いとか、そういう問題ではない。

 一昨日書いたヤフオクでの希少な文庫を競らずに相手に落札させた一件が、まだ後味悪く思い起こされてくる。山尾悠子の「夢の棲む街」がスタート価格1,000円だったので1,000円と入札したら、翌日に1,100円で応札があった。このまま放置していたら、なんと1,100円で相手に落札してしまった。相手は自動入札じゃなかったし、締め切り時刻ぎりぎりに1,200円と入札したらこちらに落ちたんでしょうね。そういう術策を弄するのも似合わないし……なんともオークションに向かない性格(ため息)。
 どこで古書検索してもこんな価格では入手できませんが、セドラーかネット古書店の方か、なるほど、こうして落札したものを5,000円、6,000円で売って稼いでいるのですね。(と、感心している場合ではありません)

 カナダのN澤君よりメール。向こうでoyamabokuchiを日本語ヤフー検索して見つけた記事を知らせて来てくれたのだが、すでにチェック済みの記事でした。その後のこちらのoyamabokuchiについての進行状況を書いて返信する。(彼にはこのブログを教えてないので)
 彼も来年はカナダのソバでマニトバ種というのがあり、それを隣人所有の畑を借りて栽培するとのこと。うーむ、盛り上がりますね。

2007年12月6日木曜日

寒い夕景

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 (クリックで拡大) いよいよただただ寒いだけの、気が重い季節が始まります。

 ヤフオクで希少な文庫を入札して観察していたら、誰かが応札したので、どうしようか。こういう風にひとと競うのは好きじゃないからやめておこう。
 それに、その希少文庫が収まっている作品集成が県立図書館にあることを突き止めたので、それを市立図書館経由で借りた方がいいのかもしれない。オークションの残り時間はあと1:30分。
 それからエンジンチェーンソーも入札しようかと気持ちが動いたが、5000円以上の品物は有料プレミアム会員でないと入札できないと判明したので、これも取りやめ。オークションにはなじめませんな。



 

2007年12月5日水曜日

知的好奇心のドン・キ・ホーテ

 地質学、考古学、歴史学……文学……。二人組の関心の趣くところ、結局百科全書的なのだけれど、この作品のために千何百冊もの参考文献を読破したフロベールって、すごいですね。
 でもなんだか、うんざりしてきました。まだ2巻、3巻が残っています。
 やはりふたりは、ちょっと間の抜けた知的好奇心のドン・キ・ホーテなのだろうか。時にはスラプスティックなドタバタ・ナンセンス喜劇に近い場面にさえ遭遇いたします。
 

 私はといえば、なぜかネットでエンジン・チェーンソーなど見てまわっておりました。電動は持っておりますが、電源のない場所では使えないし、力がありません。
 

2007年12月3日月曜日

ブヴァールとペキュシェと、もうひとりの暴走

 今日は日中の穏やかな時間に畑へ。Rhubarbの葉を片付け、コゴミ(クサソテツ)の枯葉を燃やして今年の作業は終了。先日、山から採取してきたoyamabokuchiの根を植えたあたりに掘り返した跡と狸らしき足跡あり。夏にスィートコーンを器用にもいで食べてしまったのと同一狸か。oyamabokuchiを植えるためにちょいと邪魔だった独活の根を二株ほど退かしたのだが、どうやら取り除き損ねた独活の根を掘って食べようとしたらしい。足跡に4つか5つの指のような形がはっきり。
 などと書くととんでもない山の中に住んでいるような感じですが、新幹線駅に車で5~6分の場所に住んでいるのです……狸って結構町に近い場所に住んでいるようです。先日も交通事故死した狸を見ましたし。

 ブヴァールとペキュシェ、農業や園芸、造園だけでなく、化学だけでなく、薬学や医学にまで首をつっこみ始めた。それも書物を読んでは怪しげな薬を作ったり、医師の真似事をしたりとむやみに積極的に実践するので、実に危ないのである。たとえば
 熱を下げれば炎症はおさまるという論法から、脳膜炎にかかっている一人の女を、天上の梁に吊るした肱掛椅子に坐らせて、ふたりがかりのありったけの力で、それを揺っているところへ、折悪しく帰って来た病人の亭主に外へ叩き出されたこともある。
 更に、彼らは体温計を尻の穴に挿入する新式検温法を採用したが、これは神父の憤激を買うところとなった。(鈴木健郎訳・岩波文庫『ブヴァールとペキュシェ』第3章より)

 私はあちこちでぷっと噴き出してしまいました。ブヴァールとペキュシェ、このふたりの好奇心のかたまり、完全に暴走である。この調子で10章まで進むのか?
 この遺作でフロベールは何を書きたかったのだろう。

 ヤフーオークションに、ある希少な作家の希少な文庫が1,000円で出ていた。まだ入札者がいないので、一応、スタート価格の1,000円で入札しておいた。他にだれか入札者が現われたらさらに競るのかどうか、自分でも見当がつかず。(古書検索してわずかにヒットしたものの価格は、文庫で3,000円、単行本で7,000円)。

 試みに、昨日打った蕎麦の三分の一ほどを発泡スチロールの平箱に入れたまま布テープで密封し、一日経過した本日夕方に茹でてみた。短く切れてしまうこともなく、コシも昨日同様、味と風味もほとんど変化がないことを確認した。さすがはoyamabokuchi。

2007年12月2日日曜日

九割九分五厘

 本日夕刻、いよいよoyamabokuchiをつなぎに用いた蕎麦打ちを開始。
 ソバ粉500g、乾燥oyamabokuchiを2,5g、水300ccを用意。
 たとえ2,5gでもつなぎが入っているので、十割蕎麦ではなく、九割九分五厘蕎麦? でもそれだったらソバ粉も500gではなく、497,5gでなければなりませんが、アバウトで十割蕎麦と言ってもいいんでしょうね。

 乾燥oyamabokuchiはあらかじめ小さな鍋で煮て、水分を絞って団子状にしておく。
 ソバ粉500gを捏ね鉢に入れ、水を少しずつ回しながら落とし、指先でかき回す。280ccまでいって後は残そうか迷いつつ、300ccの水をすべて使ってしまったが、捏ね始めてじきに、しまった、柔らかすぎではないかと思った。柔らかすぎて掌にくっつきそうである。少し、ソバ粉を追加して捏ねつづける。ところが捏ねてゆくうちに、だんだん固くなってくるではないか。強力粉を使った二八ソバでは最初は固めで捏ねるにつれて柔らかくなるのだが、oyamabokuchiがつなぎだと逆である。どうも、柔らかいと思ってソバ粉を少し足したのがよくなかったようだ。これでは固すぎて延ばせなくなるではないかと思い、今度は何回か両手に水をつけて(手水)、それで捏ね続けた。
 oyamabokuchiをつなぎにする場合、捏ねは30~40分であるというが、40分はきつい。とうとう30分で止めた。
 麺棒での延しは、まだ固めだったのでやや苦しかったがなんとか延ばし終えた。切るのは邪道だが母親同様にイタリアの製麺機インペリアル。ただしやや細めなので、本当はもう0,5mmか1mmくらい幅が欲しいような気もする。刃を上下させると麺を切りながら台が移動してゆく「麺切り機」があるが、価格が3万円近い。
 ところで、通常の蕎麦打ちの場合は蕎麦が風邪を引くのでそんなことはしないのだが、oyamabokuchiがつなぎの場合は切る前にしばらく乾かすのだそうだ。確かに、つなぎが強力なので風邪をひいてひび割れてくる心配はなさそう。

 茹でてすぐに食べる。ねずみ大根、刻み海苔、ワサビ。
 やはり十割蕎麦はおいしい。oyamabokuchiがつなぎだと蕎麦がかなり固めと聞いていたので心配したが、食べてみるとほどよいコシとのど越しで、固いものに弱い老いた母親もまあまあ食べられる限度内の模様でほっ。
 実は自分ひとりで蕎麦打ちするのは人生で二度目。十数年前に両親が年末年始に弟の家に滞在していたことがあって、あの時年越し蕎麦を打ってみたことがあったが、それ以来二度目である。
 いつまでも母親をあてにしている訳にはいかないので、この際、自分で打てるようになってしまおう。
 あと二、三回打ってみればコツも判ってくるだろう。出来れば、つなぎをoyamabokuchiだけでなく、長いも(とろろ)も使って打ってみたいもの。3月頃まで、毎月1~2回のペースで試してみましょう。

 あ、自分で打ったので写真を撮りそこねました。

2007年12月1日土曜日

夢見る者は現実に復讐されるという定理

 といっても、19世紀の話で、またフロベールの遺作「プヴァールとペキュシェ」の主人公ふたりのことなのだが、第2章に入ってふたりはいよいよ農業、園芸、造園などを実際に行なうようになる。それもことごとく失敗。なぜか? 彼らは農業、園芸、造園の実際を知らず、研究(書物から知識を得て)試行しているだけなのである。だから失敗する。要するに収入が発生しないのである。
 そのあげくに第2章の終わりでは「プヴァリーヌ」なる名前の蒸留酒を製造しようとして失敗、蒸留器が炸裂してしまう。
 ペキュシェの第2章締めくくりの言葉。
 「おそらくわしらに化学の知識がないからだろうよ」
 ということで、次の第3章はふたりの化学のお勉強が待っているらしい。
 このふたりの、真摯だが成功しない言動が、おおいに笑えて、同時に泣ける。
 (今年、蕎麦栽培やoyamabokuchi精製に嵐のように夢中だった自分がプヴァールとやキュシェと重なって来て、もう一度笑えて泣けてしまうのですが……

 もともとこの田舎暮らしはプヴァールの叔父の遺産が入ってきたことで現実化したものだが、遺産があるうちは収入が発生しない試行も結構だが、遺産がそう無制限にあるのでもない。どうなるのだろう。