いつもの試聴サイトで Bill evans: turn out the stars/the final village vanguard recordings june 1980というアルバムを聴きはじめた。このサイト、呆れたことに、Bill evansのCDが重複しているものもあるにはあるが何と132枚も収録されていて、そのほとんどを聴くことが出来るのである。聴くことができるということは録音できるということ。著作権って何なんだろう。
Poete & chansonsシリーズでお気に入りの歌い手であるColombe Frezinが「 Poetes & chansons,Jean Cocteau 」でも4曲歌っていて、ことに13曲目の「 La mort n'agit pas elle-meme(死そのものはありません...直訳)」が気に入ってしまい、ランボーの 「 L'etoile a pleure Rose」とともに、毎日飽きるほど聞き続けている。Colombe Frezinは1953年生まれという以外、あまり情報はない。
あいかわらずランボーやボリス・ヴィアンの詩に曲がつけられた歌を聴いている。 ランボーの「L'etoile a pleure Rose」、ボリス・ヴィアンの「 La Rue Watt」や「A tous les enfants」、「Le Tzigane」。 その他、ジャン・コクトーの「 J'ai dans un train ...」、ロベール・デスノスの「 Lisbonne」、マックス・ジャコブの「 La Babylone 」など、しつこいほど聴き続けている。久しぶりに町田町蔵(町田康)の「ボリス・ヴィアンの憤り」まで聴いてしまった。 その「憤り」という言葉で、朔太郎の俳句「枯れ菊や日々に冷めゆくいきどほり」を思い出してしまった。 冷めてしまった憤りなんて、どう始末したらいいのやら。
「A good man is hard to find (善人はめったにいない)」 この魅力的なタイトルを私が知ったのは、Nさんが書かれた文章で知ったフラナリー・オコナーの小説からであったが、実はこのタイトルの歌はフラナリー・オコナーの小説以前に存在していた。フラナリー・オコナーがこの歌の題名を小説の題名にいただいたというのが真相ではないか。 今、私が入り浸っているヨーロッパの試聴サイトで「A good man is hard to find 」と入力して検索してみると、何と、32 artistesの53 versions がヒットした。知っている名だけでもベッシー・スミス、トム・ウェイツ、フランク・シナトラなどが唄っています。
そこで、この歌の作詞、作曲者は誰かと検索してみたら
Origin This phrase was coined by Eddie Green, as the title of his song "A Good Man Is Hard To Find". This was composed in 1918 and first offered for sale as a piano roll in the Fort Wayne Journal-Gazette, on 12th December that year (just in time for Christmas - a bargain at 90 cents):
という文章にたどり着きました。 Eddie Greenという人物が1918年に発表した歌のタイトルなのでした。 歌から小説へ、まさに精神のリレーが行なわれていたのでした。
昨夜の文書を読んでいて、結局ピエール・マッコルランの「La Maison du retour écœurant(反吐の家)」と、マルセル・エメの「Les Jumeaux du Diable(悪魔の双子)」という小説と、ボリス・ヴィアンの「日々の泡」、「北京の秋」、「赤い草」、「心臓抜き」の4作とにはintertextuallyがあるという。 このintertextuallyがよく解らないのですが、辞書ではテクスト相互関連性とあります。 ヴィアンの「屠殺屋入門」の解説に生田耕作さんが書かれている文章の末尾にマルセル・エメの名があったが、これで作品名が「悪魔の双子」だと知ることが出来た。 それにしても、残念ながら「反吐の家」も「悪魔の双子」も日本語訳はないようだ。 もっとフランス語をまじめに勉強しておけばよかったと思うのだけど、田舎からぽっと出た学生は、いきなりアポリネールの「オノレ、シュブラック氏の失踪」をリーダーにされて、すっかり躓いてしまったのでした。
ピエール・マッコルランの「La Maison du retour écœurant(反吐の家)」の翻訳がないことは判っていたが、なにか手がかりはないかと検索していて、「The flight of the angels: intertextuality in four novels of Boris Vian (天使の飛行――ボリス・ヴィアンの四つの小説におけるintertextually)」(Alistair Charles Rolls著 - 1999 )という本にたどり着いた。 それが著作権問題で何かと話題のグーグル・ブックスで、1頁ごとにスキャンした画像で当該の頁が表示されている。 ヘボな英語力でモニター上の英文を読むのはきついので、いつものくせで画像を保存しようとしたら、さすが保存できない設定になっていました。では紙に印刷をと思ったら、他の部分だけ印刷できてかんじんの本文をスキャンした画像は印刷できませんでした。まあ、これくらい神経を使わなくてはタダでダウン・ロードされてしまいますから当然でしょう。 でも、或る方法で、1頁だけ画像として保存させていただきました。ボリス・ヴィアンの小説とマッコルランの「反吐の家」について言及しているので読まない訳にはいきません。 画像をOCRにかけてテキスト化し、翻訳ソフトにかけてみようと思っているが、そういうことに使われないように画像の解像度が適度に低くされているので、読み取り精度も低いだろう。手で修正しなければならない。
Kurt redel interprete bachというCDを聴いていて、そのなかに収められている「G線上のアリア」を3回聴いてしまった。 昔、「電話線上を流れるアリア」という掌編を書きかけたままだったのを思い出した。題名だけを覚えていて、内容はだいぶ忘れた。多分、チエーホフの「退屈な話」のカーチャのような女性が電話線の向こうにいたはず。前にも書いたが、今ではすっかりカーチャが嫌いになった。むしろ教授に親近感を感じる。
私の好きな彼の2曲がアップされていた。 5年前のロンドン公演らしいが、その歌い方もだけど1曲目のその左足の過剰な動きに思わず大爆笑。Come on Up to the Houseとは、いつまでも現われない神への憤りの歌ではないかとさえ思ってしまう。 背中に神を負っている民族=人間と、無神論的無政府主義的民族=人間とでは、やはり背骨の太さが違います。神を背骨にしている人間=民族の方がずっと骨太。神を背骨に持たない日本人はどこか骨細でひ弱でありますが、それはそれで仕方ありません。
L'étoile a pleuré rose au coeur de tes oreilles, L'infini roulé blanc de ta nuque à tes reins ; La mer a perlé rousse à tes mammes vermeilles Et l'Homme saigné noir à ton flanc souverain.
これが詩のすべてで、この4行を題名さえ付けられておらず、書き出しのL'étoile a pleuré rose が題名代わりとなっている。 歌はこの4行詩が2回繰り返して歌われ、3回目には下線を引いた各行の前半だけが唄われ、最後にL'étoile a pleuré rose と歌ってお終い。 などと説明するより実際に聴いていただいた方が手っ取り早いので検索してみましたが、You Tubeにもどこにもアップされていませんでした。 ちなみにL'étoile a pleuré rose はGoogle翻訳では「ローズ泣かれた星」、他のウェブ翻訳では「星の泣かれたバラ」とか、どうも要領を得ません。フランス語堪能な方、おいでになりませんか。 星は薔薇色の涙を流した......