スキャン・ディスク問題なし。デフラグ必要なし。
Windowsのデフォルトである「システムの復元」をオフにしているので、むやみにファイルのコピーがたまることはないが、それでも画像や音楽ファイルが徐々にHDを狭くしてゆくので、とりあえず不要な画像、音楽ファイルを外付けHDに逃がす。
昨年、ハードディスクが物理的に壊れた時にHDを自分で交換したが、その際のセットアップでうっかりパーティションをせずにCドライブだけにしてしまったのが失敗。やはりCドライブ、Dドライブに分けておくべきであった。そうすればDドライブだけにファイルを保存し、Dドライブ全体をバックアップするだけで済む。仕方ないから、自分のファイルはCドライブのMy documentsに集中させていますが。
出れば降り、帰れば止み、終日雨に意地悪される。
途中、書店に入ったら、マルケスが6冊並んでいてこちらをにらみつけていた。「わが悲しき娼婦たちの思い出」にちょっとした失望があり、「コレラの時代……」に手が伸びない。
来週の合評会のため、同人誌を再読。
2007年7月31日火曜日
2007年7月30日月曜日
憮然とすることばかり
私は案外一年中同じ気分で暮らしている脳天気派なんですが、このところ、ある一件で憮然とした思いに陥り、ブログに何かを書くのにブレーキがかかっている。
あっというまに自衛隊の海外派遣(派兵)を可能にし、防衛庁を省に昇格させ、さらに憲法改正を目論む総理大臣、このまま突き進んではいくら何でも危なすぎるので、嫌がる家族を車に乗せて投票所へ行った。
あっというまに自衛隊の海外派遣(派兵)を可能にし、防衛庁を省に昇格させ、さらに憲法改正を目論む総理大臣、このまま突き進んではいくら何でも危なすぎるので、嫌がる家族を車に乗せて投票所へ行った。
2007年7月29日日曜日
反古
昨夜から、あることについて書いては消し、書いては消ししているが、所詮は非文学の範疇にある問題なので、もう書くのはやめた。
グールドのピアノを聴きながら、ようやく「草枕」の一を読み終えた。二以降はもうちょっと早く読めるだろうが、一はどうもいけません。一字一句一文、すべてにひっかかり、立ち止まってしまって、前へ進むのが実に困難。
このブログを一年以上読まれている方にはおなじみですが、明日の朝は、この地方恒例の8月1日の墓参りのためのお墓掃除を6時から。
�� 「戌の満水」と呼ばれる寛保二年戌年(1742年)八月一日の千曲川本支流の大洪水で亡くなった死者たちを弔うための墓参が慣習化したと言われています。いまだに8月1日を休みにする会社があります)
グールドのピアノを聴きながら、ようやく「草枕」の一を読み終えた。二以降はもうちょっと早く読めるだろうが、一はどうもいけません。一字一句一文、すべてにひっかかり、立ち止まってしまって、前へ進むのが実に困難。
このブログを一年以上読まれている方にはおなじみですが、明日の朝は、この地方恒例の8月1日の墓参りのためのお墓掃除を6時から。
�� 「戌の満水」と呼ばれる寛保二年戌年(1742年)八月一日の千曲川本支流の大洪水で亡くなった死者たちを弔うための墓参が慣習化したと言われています。いまだに8月1日を休みにする会社があります)
2007年7月27日金曜日
ブラウザ分業体勢
この頃、パソコンの動作がやや重くなってきているような気がし、しかもブラウザのIE6の起動ものんびりして来たので、以前インストールしてじきに下ろしたSleipnirを再度ダウンロードし、インストールした。Firefoxもあるからブラウザ3つは多いのだが、今後はIE6はHTMLのレイアウト確認に使うくらいで、Sleipnirでネットをまわり、FirefoxはRSSリーダーとして主にブログ、という風に分業。
ついでに面白がって入れたGoogle Earthも下ろした。あればたまに地球を上空から眺められて面白いのだが、少しでも身軽にしたいのでアンインストール。ほかにもいくつか下ろした。
気のせいか、IE6が少し速くなったような気がする。
タブブラウザは場合によってはとても便利。
ついでに面白がって入れたGoogle Earthも下ろした。あればたまに地球を上空から眺められて面白いのだが、少しでも身軽にしたいのでアンインストール。ほかにもいくつか下ろした。
気のせいか、IE6が少し速くなったような気がする。
タブブラウザは場合によってはとても便利。
ボランティア
レイアウトした本文のテキスト・データと表紙のデータを収めたCD-Rとプリントアウトしたものを、17日に、メール便で送った。その詩誌が今日、予告メールもなくいきなり宅配便で届いた。17日にメール便で送って着いたのが19日。発送したの昨日、25日。差し引きすると一週間で面付け、印刷、製本が済んだことになる。
本文30頁の薄いものだが200部で27,700円+送料。表紙は写真を使ったが、カラーは倹約して墨一色にした。写真を使わなければ、もう3000円安くなる。
30頁でも150頁でも表紙にかかる代金は同じなので、まだその分だけ割高ではあるが、まあこんなものかな。
本文30頁の薄いものだが200部で27,700円+送料。表紙は写真を使ったが、カラーは倹約して墨一色にした。写真を使わなければ、もう3000円安くなる。
30頁でも150頁でも表紙にかかる代金は同じなので、まだその分だけ割高ではあるが、まあこんなものかな。
2007年7月26日木曜日
批評のむずかしさ(あるいは怒りのひとり漫才)
昔、ある通信のようなものを出した。A4の用紙を二つ折にしてA5版3段組だか4段組の4ページか8ページ立てにした、栞か会報のような体裁である。作品評で交流を図ろうという狙いであったが、作品評を毎回送ってくるひとがいて、しかもそれが各同人誌の作品すべてに触れてはいるが、2行、3行で済ませるという書き方で、「作者が苦心して書いたものを数行の印象批評で片付けるのは怪しからんという声が耳に入って来た。私もそう感じていたから発行を即刻停止した。
どこぞのへっぽこな文章講座や小説講座の、先生の講評じゃあるまいし、2行、3行でもっともらしいことを書いてハイおしまいでは眉に唾をつけざるを得ないだろう。そんな職人芸みたいな講評など聞きたくもないのは私も同じ。
そんなのは論外だが、あれやこれやの同人雑誌評に触れて不思議だったのは、その作品のあらすじや内容を書いて終わりにひとことかふたこと何か書いて終わりというスタイル。あれは評ではなくただの作品紹介ではないですか。
まあ、同人雑誌評も読者獲得のための営業政策という側面は否定できませんからむきになっても仕方ありませんが、それにしてもあまり露骨なのはいただけません。というか、じきに見透かされますよ。
そういえば、かつて「海燕」で牧野さんでしたっけ、おひとりできちんと作品を読みこなされて単なる作品紹介でない同人雑誌評をされていましたっけ。あんな風に作品ときちんと向き合った評は一行でも胸をうちます。
どこぞのへっぽこな文章講座や小説講座の、先生の講評じゃあるまいし、2行、3行でもっともらしいことを書いてハイおしまいでは眉に唾をつけざるを得ないだろう。そんな職人芸みたいな講評など聞きたくもないのは私も同じ。
そんなのは論外だが、あれやこれやの同人雑誌評に触れて不思議だったのは、その作品のあらすじや内容を書いて終わりにひとことかふたこと何か書いて終わりというスタイル。あれは評ではなくただの作品紹介ではないですか。
まあ、同人雑誌評も読者獲得のための営業政策という側面は否定できませんからむきになっても仕方ありませんが、それにしてもあまり露骨なのはいただけません。というか、じきに見透かされますよ。
そういえば、かつて「海燕」で牧野さんでしたっけ、おひとりできちんと作品を読みこなされて単なる作品紹介でない同人雑誌評をされていましたっけ。あんな風に作品ときちんと向き合った評は一行でも胸をうちます。
2007年7月25日水曜日
頭上から天上無窮の響き
午後、PCスピーカー配達。
仕事用の机の本棚の三段目左右に配置、中央には仕事のガイドブックなど。
電源をつなぎ、ステレオミニプラグをヘッドフォンジャックに差し込む。早速、クルト・レーデルの『音楽の捧げもの』を聴いてみる。参考のためにカール・リヒターのも聴いてみる。やはり、クルト・レーデル以外は考えられない。まさに天上無窮の響き。
そこで、昨夜ダウンロードしてあった音楽ファイルを編集するソフトで、「王の主題による各種のカノン」のなかの5つのカノン、そのなかの5番目の「螺旋のカノン」だけを切り離して、ひとつのファイルにする試み。フリーソフトというのは使い方をそう親切に書いてある訳でもなく、なかなか思い通りにならなかったが、何回か失敗した後に成功。成功してみると、何だ、こんなに簡単なのか、というのがごくあたりまえ。
それでもまだMP3で2,48MBあります。あ、wmaだと976KB、ずいぶんファイル・サイズが違いますのでwnaにしておきます。これ(ダイヤルアップの方は聴くことが出来ないかもしれません、済みません。明日にはリンクをはずします。)
ある方の作品を印刷用にレイアウトしてあった、それを印刷。これから読みます。
仕事用の机の本棚の三段目左右に配置、中央には仕事のガイドブックなど。
電源をつなぎ、ステレオミニプラグをヘッドフォンジャックに差し込む。早速、クルト・レーデルの『音楽の捧げもの』を聴いてみる。参考のためにカール・リヒターのも聴いてみる。やはり、クルト・レーデル以外は考えられない。まさに天上無窮の響き。
そこで、昨夜ダウンロードしてあった音楽ファイルを編集するソフトで、「王の主題による各種のカノン」のなかの5つのカノン、そのなかの5番目の「螺旋のカノン」だけを切り離して、ひとつのファイルにする試み。フリーソフトというのは使い方をそう親切に書いてある訳でもなく、なかなか思い通りにならなかったが、何回か失敗した後に成功。成功してみると、何だ、こんなに簡単なのか、というのがごくあたりまえ。
それでもまだMP3で2,48MBあります。あ、wmaだと976KB、ずいぶんファイル・サイズが違いますのでwnaにしておきます。これ(ダイヤルアップの方は聴くことが出来ないかもしれません、済みません。明日にはリンクをはずします。)
ある方の作品を印刷用にレイアウトしてあった、それを印刷。これから読みます。
2007年7月24日火曜日
老化現象露呈
昨夜注文したPC用スピーカーが発送になったというメールが入った。ひょっとすると明日配達になってしまうかもしれない、早い。
しかし、今日ふと、別室でWindows Meのまままだ生きているデスクトップの方のスピーカーに目をやったら、注文したのと同じメーカーである。あれ? と思ってスピーカーの裏の型式番号を見て唖然。昨夜注文したのと同じ型番ではありませんか、って、え~、だって、Meのスピーカーは付属のプラスティック製のスピーカーが壊れて買い換えたものではあるけれど、何年も前のものなのです。木目の色が違うので別の物と思っていたら、今あるのがチェリーウッドで、注文したのがメイプル、ボックスの木目の模様と色調が違うだけなのでした。老化現象がついに露呈。
まあ、二ヶ所にスピーカーがあってもいいですが。
ということで気を取り直して、音楽CD書き込みの練習で、クルト・レーデルの『音楽の捧げもの』を焼いてみたら、一発で成功。パソコンが壊れたらしいNさんに、パソコンが壊れたお見舞いで送ってあげようかな(そういうことはしてはいけないのです)。
お気に入りの「螺旋のカノン」だけを抜き出してMP3ファイルに変換できないかどうか、音楽ファイルを編集できるフリーソフトを探してみよう。
しかし、今日ふと、別室でWindows Meのまままだ生きているデスクトップの方のスピーカーに目をやったら、注文したのと同じメーカーである。あれ? と思ってスピーカーの裏の型式番号を見て唖然。昨夜注文したのと同じ型番ではありませんか、って、え~、だって、Meのスピーカーは付属のプラスティック製のスピーカーが壊れて買い換えたものではあるけれど、何年も前のものなのです。木目の色が違うので別の物と思っていたら、今あるのがチェリーウッドで、注文したのがメイプル、ボックスの木目の模様と色調が違うだけなのでした。老化現象がついに露呈。
まあ、二ヶ所にスピーカーがあってもいいですが。
ということで気を取り直して、音楽CD書き込みの練習で、クルト・レーデルの『音楽の捧げもの』を焼いてみたら、一発で成功。パソコンが壊れたらしいNさんに、パソコンが壊れたお見舞いで送ってあげようかな(そういうことはしてはいけないのです)。
お気に入りの「螺旋のカノン」だけを抜き出してMP3ファイルに変換できないかどうか、音楽ファイルを編集できるフリーソフトを探してみよう。
2007年7月23日月曜日
パソコンで音楽を聴いてはいけない?
昨夜のうちに、パソコン用のスピーカーを注文した。パソコンでなど音楽を聴くからいけないのだが、つい便利でCDを入れてしまったりする。ダウンロードした曲などもあればパソコンでつい再生してしまうので仕方ないとも言えるが、パソコンの内臓スピーカーでは音が悪すぎる。それならiPodなどを買ってしまえばいいのだが、どうも昔から頭に帽子を載せると頭が痛くなるし、耳にイヤホンやヘッドホンをあてていると心理的に圧迫感があって苦手なのです。
市内のパソコン販売店を見てまわってもPCスピーカーなど展示されている数が限られているので、価格ドットコムで検索して見当をつけた。木製のボックスに絞って探すとONKYOの製品に評判のいいのがあったが、予算オーバーなので断念。結局4桁以内の価格のものでそこそこ評判がいいらしいものに決めてオーダーしようと、買い物カゴに入れ、オーダー寸前までいった。しかし、送料だ、代引き手数料だと加算された金額を見て、あれ? これだとAMAZONでオーダーした方が安くない? と思ってAMAZONへ。
やはり、価格自体は高めだが、1500円以上は送料無料だし、コンビニ払いだと手数料無しだし、結局こちらがお得と判明。それに以前買い物したギフト券の残りが四百何十円か残っていて、それも使って精算できたので良かった。
今日は朝のうちにコンビニへ行って支払いしてこなければ。ローソンのLoppiは機械操作が面倒なので番号を見せるだけの7イレブンへ行こう。
市内のパソコン販売店を見てまわってもPCスピーカーなど展示されている数が限られているので、価格ドットコムで検索して見当をつけた。木製のボックスに絞って探すとONKYOの製品に評判のいいのがあったが、予算オーバーなので断念。結局4桁以内の価格のものでそこそこ評判がいいらしいものに決めてオーダーしようと、買い物カゴに入れ、オーダー寸前までいった。しかし、送料だ、代引き手数料だと加算された金額を見て、あれ? これだとAMAZONでオーダーした方が安くない? と思ってAMAZONへ。
やはり、価格自体は高めだが、1500円以上は送料無料だし、コンビニ払いだと手数料無しだし、結局こちらがお得と判明。それに以前買い物したギフト券の残りが四百何十円か残っていて、それも使って精算できたので良かった。
今日は朝のうちにコンビニへ行って支払いしてこなければ。ローソンのLoppiは機械操作が面倒なので番号を見せるだけの7イレブンへ行こう。
わたしたちの夢祭り(9)最終回
ベッドの上で体を起こそうとしたがおなかに力が入らなかった。仕方なく横向きになってベッドの端へ寄り、それから体ごと転び落ちた。体を起こしてベッドに手をついて立とうとした。膝が折れてしまい立っていられない。何とか立ってみたが、部屋がぐらぐら揺れているような、自分の体が傾いているような、とにかく真っ直ぐ立っている気がしなかった。わたしは何度もよろめいて両手をついた。諦めて這ってゆくことにしたが、一メートルも進まないうちに両手の二の腕と両足の大腿に力が入らなくなった。わたしはうつ伏せになったまましばらく休んで、それから更に姉の部屋とを仕切る襖に向かって這った。あと十センチほどのところで、急に右足のふくらはぎが強い痙攣を起こした。筋肉がねじれ、ちぎれてしまいそうな痛みだった。
休んでばかりだったがようやく襖を開けて姉の部屋に入りこんだ。声を出して呼んでみたが返事はなかった。枕元まで近寄ってもう一度呼んでみたが、姉は黙ったままだった。顔に触れてみた。冷たかった。姉は死んでいた。わたしは獣のようなうめき声をあげそうになったが、喉が締めつけられて声は出なかった。姉の顔から引いた手が懐中電灯に触れた。わたしはそれを握ってスイッチを押した。もう電池が残り少ないのか今にも消えそうなくらいの明りだったが、それでも姉の顔は見えた。痩せ衰えて頬骨ばかりが目立っていた。皮膚には紫色の斑点が浮いていて、それがひどくグロテスクだった。
それに何という匂いだろう。わたしはなぜ今まで部屋中に充満するこの悪臭に気づかなかったのだろう。わたしはひどい嘔吐感に襲われた。胃がもみあげられ、ねじられて、わたしはその場で口を大きく開けたが、何も出ては来ないままに更にわたしの胃は痩撃を続けた。目から涙が、鼻からは鼻水が流れた。
ずいぶん長いことわたしは休んでいた。
わたしは姉の顔や体を拭いてお化粧してやろうと思った。もしも立場が逆だったとしても、姉はわたしにそうしてくれただろう。わたしは立ちあがって壁にへばりつきながら台所まで行った。懐中電灯のかすかな明りに照らし出される足元には、インスタント・ラーメンの空っぽの袋や鍋、布巾や汚れたタオル、そして様々なインスタント食品が包装されていた紙やポリ袋などが散乱していた。わたしはやかんを持って流し台の前に寄りかかった。蛇口を回すと水が出た。やかんを流し台のなかに置いた。やかんから溢れ出た水を少し捨てて、ガス・レンジにのせた。点火スイッチをひねる。火がつかなかった。何度回してみても同じだった。わたしはやかんを取ってガス・コンロに鼻を近づけてみた。何の匂いもしなかった。元栓など止めてはなかった。ガスは止められていたのだ、料金滞納で。わたしはお湯で姉を拭くことを断念した。
ポリ・バケツと洗面器に水を入れて、わたしは姉の枕元までしっかりと歩いた。押入れからタオルを何枚も引っ張り出して、先ず姉の顔を拭いた。それからピンク色のパジャマと肌着を脱がし、ブラジャーをはずして上半身を丁寧に拭った。パンティを引っ張って両足からはずす。何という匂いだろう。それは死臭に違いなかった。わたしは嘔吐をこらえて姉の下半身を拭き始めた。初めは性器だった。性の器とはよく言ったものだった。
わたしは姉のそれを清めながら、彼女が少なくとも二回妊娠し、二回中絶手術したことがあるのを思い出していた。朝食を食べられずに洗面所へ行って吐く日が続いたことがあって、わたしが心配して病院へ行くように言うと、姉はあっさり妊娠しているのだと言い、そして一週間か十日もたたないうちに、元気のない声で中絶手術をして来たと言った。もう一度同じことがあった。まだあったかも知れないがわたしが知っているのは二回だけだった。
姉には昨年の十一月まで、三年越しに交際していた恋人がいた。会社に出入りしていた事務機メーカーの営業マンだった。中絶した胎児の父親は間違いなく彼だとわたしは思う。恋人がいることがわたしに知れると、姉はいつか紹介するからねと言ったきりいつまでも会わせてくれなかった。だが、別れる前の月、十月の土曜の夜に、ひとりでは立っていられないほど泥酔した姉を送って来てくれた彼と、わたしはついに顔を合わせた。姉を抱きかかえて部屋に入って来た彼は、外見も振舞いも無骨で、姉よりも七つ年上だった。姉はろれつの回らない口調で、わたしはこのひとと結婚するのよ、ねえ、そうよねと同じことを繰り返し言ったが、彼はただ困ったような顔をするだけで応えなかった。わたしには姉の勝手な思いこみとしか思えなかった。姉を欺くような男ではなさそうだったが、もう姉から気持ちが離れはじめている、そんな感じを受けた。
どんなに拭いても部屋中にたちこめる死臭は消えなかった。わたしは姉の鏡台の引き出しのなかをかき回して、香水の瓶を見つけた。そして姉の張りのない胸やおなか、性器、両足に少しずつ振りかけては手で撫でて広げた。タンスに首を突っ込んで新しい下着を探したが無かった。考えてみればわたしだってそうだが、初めのうちは洗濯もせずにある下着を着替えていたので、もう着替えはないのだ。部屋の隅に着たままの汚れた下着が山になっていた。仕方なく奥の部屋に戻って、わたしは自分の下着を出した。新品ではないが、洗ってある。横着なわたしの方がまだ少しは残っていた。パジャマはなかったので、姉のお下がりの浴衣を着せることにした。それは死ぬ前に母が姉に作ってくれたものだった。
姉の着替えを済ますと、わたしは疲れきってまったく動けなかった。壁にもたれかかったまま、わたしの脳細胞は海辺の波のように、気が遠くなったり、また近づいて冴え渡ったりを反復していた。早く自分のベッドに戻りたかったが、まだ当分動けそうになかった。このまま眠って死んでしまってもいいと思った。死体になってしまえば、ベッドのなかでなくても、どこに転がっていても構わない。ただまだ生きているのでひどく寒くて、わたしの体は止めようもなく震えだし、震えがどんどん大きくなって壁に寄りかかっていられなかった。
姉に最後の化粧をしてやらなくてはならなかった。わたしは体を伸ばして鏡台の引出しごと引き抜き、手元に置いた。化粧水で顔の汚れを落とす。紫斑がくっきりと現われた。クリームを塗り、更にファンデーションを何回も重ねて、何とか紫斑が気にならない程度になった。唇には数本あるうちのいちばん赤味の強い口紅をひいた。
懐中電灯で姉の顔の中央を照らした。きれいにはなったが、どう化粧してもそれは死んだ顔だった。
わたしはエゴン・シーレの絵に描かれた人物の顔を思い出した。そして彼の絵のなかの人物がことごとく姉と同じ表情をしていたのに気づいた。わたしはふと体をよじり、鏡台を見た。にじり寄って鏡のなかをのぞきこんでみた。懐中電灯の光を自分の顔に当てる。姉やシーレの人物たちと同じ生気のない顔だった。死相というのだろうか。シーレは生きている人間に死相をみていたのだ、きっと。わたしも今わたし自身の顔に死相を見出した。それは今に始まったのではなく、ずっと以前からわたしの顔の表情として存在していたような気もした。
わたしはもう一度姉の顔をのぞきこみ、さようならをしてベッドに戻ることにした。わたしももうじき姉のように死ねるのだ。
静かだ。やはり夜なのだ。
姉はすでに死体として浮遊している。
わたしはベッドにもぐりこんでからまた悪寒に震えている。手足ばかりか、体全体に熱が感じられなかった。もう、自分の体を冷たい水で拭く余裕もなかった。お化粧して死んでゆく気にもなれなかった。部屋のなかのゴミや下着や茶碗や箸、ラーメンを作ったまま洗ってもない鍋などが乱雑に畳の上を覆い、部屋全体が半ば腐りかけているような悪臭に包まれているのに、こうして平然と寝ていられるわたしはもう半ば人間ではなくなっているのだ。
どれくらいか、わたしは眠ったらしかった。
また目覚めてしまって、もう考えることもなくぼんやりしていた。何も考えないでいると、死ぬのがひどく怖くなった。早く死にたいと思っているのに、死ぬのが怖かった。もう死が間近だとわかっているから余計に怖いのだ。
わたしはもう一度ベッドから抜け出して、本棚からチェーホフの本を手に取った。そして畳にしゃがみこんで三万円を挟みこんである頁を開いた。物入れの引出しにお米屋でもらったライターがあるはずだった。壁際に置いたままの片手鍋を引き寄せて、わたしは三枚のお札に火をつけた。眠っていて見る夢よりも更に悪い夢だった、ホテルでのあのわたしの過ちの時間があっという間に燃えつきた。
わたしは右手でライターの火を燃やしながら、左手で畳の上に置いたチェーホフの本をめくった。
「人間の内部に、一切の外的な影響を上回るより高度なもの、より強力なものがなくなると、ただ鼻風邪ひとつひいても心の平衡を失って、あらゆる鳥をふくろうと見あやまり、あらゆる物音を犬の遠吠えと聞きあやまる。そうなると、彼のペシミズムなりオプティミズムなりは、彼の大小さまざまの思想と共に、たんなる病気の徴候になりさがるのである」
この言葉がわたしの頭のなかに住みついてしまって、今でも息をしている。わたし自身が病気の徴候になりさがったいい見本だった。自分のなかをどんなに探しても、一切の外的な影響を上回るより高度なものも、より強力なものも見つからなかった。だから単なる病気の徴候だけを生きて、そして死ぬしかない。
それは、おそらく優生もそうなのだろうと思う。彼が母を殺害したのも、ひとつの徴候の結果であり、またひとつの夢祭りだったのかもしれない。
それが正夢祭りなのか、逆夢祭りなのか、わたしには解らない。
また吐気がしてきた。もう吐くものなど何もありはしないのに、胃が口に向かって押し上げて来る。食物を断たれたことへの腹いせか、胃が胃であることに絶望してもだえているのか、わたしはたまらなくなって片手鍋を握って顔に近づける。だが、姉の死臭によって再び感覚を取り戻した鼻が、鍋にこびりついたインスタント・ラーメンのスープの油脂の匂いや、お札の焦げた匂いを敏感すぎるほど感じとる。隣の部屋の匂いさえ漂って来る。わたしは鍋を放りだして、散乱する衣類のなかから一枚を掴み口に当てた。すえた匂いが充満する。諦めたわたしはよつんばいになり、畳に向かって口を開けた。粘った液体がよだれ程度にしか出なかった。全身が収縮して悪臭を吐き返す。
もうわたしにはベッドに戻る体力も気力もなかった。ベッドに手を伸ばして掛け蒲団を引きずり下ろし、体に巻きつけた。
またどれくらいか眠り、目覚めたわたしはベッドに這い上がった。そして仰向けになり、お行儀良く両手両足を伸ばした姿勢になった。目を閉じる。誰も、わたしを包んでいるこの闇に光を当てることは許されないし、出来もしない。数秒もしないうちに、わたしの体は闇に浮遊し始める。もう、わたし以外の誰も、何ものも存在しない。
(了)
全編のPDF版です
休んでばかりだったがようやく襖を開けて姉の部屋に入りこんだ。声を出して呼んでみたが返事はなかった。枕元まで近寄ってもう一度呼んでみたが、姉は黙ったままだった。顔に触れてみた。冷たかった。姉は死んでいた。わたしは獣のようなうめき声をあげそうになったが、喉が締めつけられて声は出なかった。姉の顔から引いた手が懐中電灯に触れた。わたしはそれを握ってスイッチを押した。もう電池が残り少ないのか今にも消えそうなくらいの明りだったが、それでも姉の顔は見えた。痩せ衰えて頬骨ばかりが目立っていた。皮膚には紫色の斑点が浮いていて、それがひどくグロテスクだった。
それに何という匂いだろう。わたしはなぜ今まで部屋中に充満するこの悪臭に気づかなかったのだろう。わたしはひどい嘔吐感に襲われた。胃がもみあげられ、ねじられて、わたしはその場で口を大きく開けたが、何も出ては来ないままに更にわたしの胃は痩撃を続けた。目から涙が、鼻からは鼻水が流れた。
ずいぶん長いことわたしは休んでいた。
わたしは姉の顔や体を拭いてお化粧してやろうと思った。もしも立場が逆だったとしても、姉はわたしにそうしてくれただろう。わたしは立ちあがって壁にへばりつきながら台所まで行った。懐中電灯のかすかな明りに照らし出される足元には、インスタント・ラーメンの空っぽの袋や鍋、布巾や汚れたタオル、そして様々なインスタント食品が包装されていた紙やポリ袋などが散乱していた。わたしはやかんを持って流し台の前に寄りかかった。蛇口を回すと水が出た。やかんを流し台のなかに置いた。やかんから溢れ出た水を少し捨てて、ガス・レンジにのせた。点火スイッチをひねる。火がつかなかった。何度回してみても同じだった。わたしはやかんを取ってガス・コンロに鼻を近づけてみた。何の匂いもしなかった。元栓など止めてはなかった。ガスは止められていたのだ、料金滞納で。わたしはお湯で姉を拭くことを断念した。
ポリ・バケツと洗面器に水を入れて、わたしは姉の枕元までしっかりと歩いた。押入れからタオルを何枚も引っ張り出して、先ず姉の顔を拭いた。それからピンク色のパジャマと肌着を脱がし、ブラジャーをはずして上半身を丁寧に拭った。パンティを引っ張って両足からはずす。何という匂いだろう。それは死臭に違いなかった。わたしは嘔吐をこらえて姉の下半身を拭き始めた。初めは性器だった。性の器とはよく言ったものだった。
わたしは姉のそれを清めながら、彼女が少なくとも二回妊娠し、二回中絶手術したことがあるのを思い出していた。朝食を食べられずに洗面所へ行って吐く日が続いたことがあって、わたしが心配して病院へ行くように言うと、姉はあっさり妊娠しているのだと言い、そして一週間か十日もたたないうちに、元気のない声で中絶手術をして来たと言った。もう一度同じことがあった。まだあったかも知れないがわたしが知っているのは二回だけだった。
姉には昨年の十一月まで、三年越しに交際していた恋人がいた。会社に出入りしていた事務機メーカーの営業マンだった。中絶した胎児の父親は間違いなく彼だとわたしは思う。恋人がいることがわたしに知れると、姉はいつか紹介するからねと言ったきりいつまでも会わせてくれなかった。だが、別れる前の月、十月の土曜の夜に、ひとりでは立っていられないほど泥酔した姉を送って来てくれた彼と、わたしはついに顔を合わせた。姉を抱きかかえて部屋に入って来た彼は、外見も振舞いも無骨で、姉よりも七つ年上だった。姉はろれつの回らない口調で、わたしはこのひとと結婚するのよ、ねえ、そうよねと同じことを繰り返し言ったが、彼はただ困ったような顔をするだけで応えなかった。わたしには姉の勝手な思いこみとしか思えなかった。姉を欺くような男ではなさそうだったが、もう姉から気持ちが離れはじめている、そんな感じを受けた。
どんなに拭いても部屋中にたちこめる死臭は消えなかった。わたしは姉の鏡台の引き出しのなかをかき回して、香水の瓶を見つけた。そして姉の張りのない胸やおなか、性器、両足に少しずつ振りかけては手で撫でて広げた。タンスに首を突っ込んで新しい下着を探したが無かった。考えてみればわたしだってそうだが、初めのうちは洗濯もせずにある下着を着替えていたので、もう着替えはないのだ。部屋の隅に着たままの汚れた下着が山になっていた。仕方なく奥の部屋に戻って、わたしは自分の下着を出した。新品ではないが、洗ってある。横着なわたしの方がまだ少しは残っていた。パジャマはなかったので、姉のお下がりの浴衣を着せることにした。それは死ぬ前に母が姉に作ってくれたものだった。
姉の着替えを済ますと、わたしは疲れきってまったく動けなかった。壁にもたれかかったまま、わたしの脳細胞は海辺の波のように、気が遠くなったり、また近づいて冴え渡ったりを反復していた。早く自分のベッドに戻りたかったが、まだ当分動けそうになかった。このまま眠って死んでしまってもいいと思った。死体になってしまえば、ベッドのなかでなくても、どこに転がっていても構わない。ただまだ生きているのでひどく寒くて、わたしの体は止めようもなく震えだし、震えがどんどん大きくなって壁に寄りかかっていられなかった。
姉に最後の化粧をしてやらなくてはならなかった。わたしは体を伸ばして鏡台の引出しごと引き抜き、手元に置いた。化粧水で顔の汚れを落とす。紫斑がくっきりと現われた。クリームを塗り、更にファンデーションを何回も重ねて、何とか紫斑が気にならない程度になった。唇には数本あるうちのいちばん赤味の強い口紅をひいた。
懐中電灯で姉の顔の中央を照らした。きれいにはなったが、どう化粧してもそれは死んだ顔だった。
わたしはエゴン・シーレの絵に描かれた人物の顔を思い出した。そして彼の絵のなかの人物がことごとく姉と同じ表情をしていたのに気づいた。わたしはふと体をよじり、鏡台を見た。にじり寄って鏡のなかをのぞきこんでみた。懐中電灯の光を自分の顔に当てる。姉やシーレの人物たちと同じ生気のない顔だった。死相というのだろうか。シーレは生きている人間に死相をみていたのだ、きっと。わたしも今わたし自身の顔に死相を見出した。それは今に始まったのではなく、ずっと以前からわたしの顔の表情として存在していたような気もした。
わたしはもう一度姉の顔をのぞきこみ、さようならをしてベッドに戻ることにした。わたしももうじき姉のように死ねるのだ。
静かだ。やはり夜なのだ。
姉はすでに死体として浮遊している。
わたしはベッドにもぐりこんでからまた悪寒に震えている。手足ばかりか、体全体に熱が感じられなかった。もう、自分の体を冷たい水で拭く余裕もなかった。お化粧して死んでゆく気にもなれなかった。部屋のなかのゴミや下着や茶碗や箸、ラーメンを作ったまま洗ってもない鍋などが乱雑に畳の上を覆い、部屋全体が半ば腐りかけているような悪臭に包まれているのに、こうして平然と寝ていられるわたしはもう半ば人間ではなくなっているのだ。
どれくらいか、わたしは眠ったらしかった。
また目覚めてしまって、もう考えることもなくぼんやりしていた。何も考えないでいると、死ぬのがひどく怖くなった。早く死にたいと思っているのに、死ぬのが怖かった。もう死が間近だとわかっているから余計に怖いのだ。
わたしはもう一度ベッドから抜け出して、本棚からチェーホフの本を手に取った。そして畳にしゃがみこんで三万円を挟みこんである頁を開いた。物入れの引出しにお米屋でもらったライターがあるはずだった。壁際に置いたままの片手鍋を引き寄せて、わたしは三枚のお札に火をつけた。眠っていて見る夢よりも更に悪い夢だった、ホテルでのあのわたしの過ちの時間があっという間に燃えつきた。
わたしは右手でライターの火を燃やしながら、左手で畳の上に置いたチェーホフの本をめくった。
「人間の内部に、一切の外的な影響を上回るより高度なもの、より強力なものがなくなると、ただ鼻風邪ひとつひいても心の平衡を失って、あらゆる鳥をふくろうと見あやまり、あらゆる物音を犬の遠吠えと聞きあやまる。そうなると、彼のペシミズムなりオプティミズムなりは、彼の大小さまざまの思想と共に、たんなる病気の徴候になりさがるのである」
この言葉がわたしの頭のなかに住みついてしまって、今でも息をしている。わたし自身が病気の徴候になりさがったいい見本だった。自分のなかをどんなに探しても、一切の外的な影響を上回るより高度なものも、より強力なものも見つからなかった。だから単なる病気の徴候だけを生きて、そして死ぬしかない。
それは、おそらく優生もそうなのだろうと思う。彼が母を殺害したのも、ひとつの徴候の結果であり、またひとつの夢祭りだったのかもしれない。
それが正夢祭りなのか、逆夢祭りなのか、わたしには解らない。
また吐気がしてきた。もう吐くものなど何もありはしないのに、胃が口に向かって押し上げて来る。食物を断たれたことへの腹いせか、胃が胃であることに絶望してもだえているのか、わたしはたまらなくなって片手鍋を握って顔に近づける。だが、姉の死臭によって再び感覚を取り戻した鼻が、鍋にこびりついたインスタント・ラーメンのスープの油脂の匂いや、お札の焦げた匂いを敏感すぎるほど感じとる。隣の部屋の匂いさえ漂って来る。わたしは鍋を放りだして、散乱する衣類のなかから一枚を掴み口に当てた。すえた匂いが充満する。諦めたわたしはよつんばいになり、畳に向かって口を開けた。粘った液体がよだれ程度にしか出なかった。全身が収縮して悪臭を吐き返す。
もうわたしにはベッドに戻る体力も気力もなかった。ベッドに手を伸ばして掛け蒲団を引きずり下ろし、体に巻きつけた。
またどれくらいか眠り、目覚めたわたしはベッドに這い上がった。そして仰向けになり、お行儀良く両手両足を伸ばした姿勢になった。目を閉じる。誰も、わたしを包んでいるこの闇に光を当てることは許されないし、出来もしない。数秒もしないうちに、わたしの体は闇に浮遊し始める。もう、わたし以外の誰も、何ものも存在しない。
(了)
全編のPDF版です
2007年7月22日日曜日
わたしたちの夢祭り(8)
姉がわたしを呼んでいる。
そう感じたが、わたしの衰弱した体は容易に動きそうもなかった。第一、わたしたちはもうお互いに動かないという約束をしていた。死を待つ、それだけがわたしたちの唯一の目的なのだ。
「あなたは生きていていいのよ」
姉はそう言ったが、わたしはとうてい生き続ける気持ちは持てそうになかった。
また姉は初めわたしに遺書を書くように言ったが、わたしには書けなかった。毎日のように図書館に通っていたのだから、姉は、わたしが自ら死んでゆくふたりの思いのすべてを書けるのだろうと思ったらしい。でも、わたしには何も書けなかった。何を、誰に向けて書けば艮かったのだろう。また、仮にわたしが姉の望むような遺書をしたためたとしても、誰が読んでくれるのだろう。警察官か、新聞記者か。彼らが何を理解するだろう。彼らは、せいぜいわたしたちが死んだ理由をその職務に合わせて解釈し、報告し、調書や記事にするだけなのだ。そうでなくて、たとえば彼らのうちの誰かひとりでも、わたしたちの死の真の意味らしいものを発見したり思い当たったりしたとしても、彼はそれを胸の内に隠してしまい、決して公けにはしない。それはそれで構わないとわたしは思う。わたしが未だに両親の死を理解できないように、生者は死者を余り深く理解してはいけないのだ。
「わたしたちは死にます」
わたしが期待に反してついに遺書を書かなかったので、部屋の入口の冷たい鉄製のドアの内側に、姉は口紅でそう書きなぐった。ほんとうは、わたしも書くことは書いたのだった。わたしたちにはあえて生き続ける意味も理由もありません、と。それだけで止めておけば良かったものを、あなた方だってそうなのです、などと余計なことを書いてしまって、わたしはあわてて便せんを破いてしまった。姉のなぐり書きの方がずっと単純明快で、遺書として価値があると思われたし、黙って死んでゆくことが、勝手に死んでゆく人間にできる唯一最善の礼節だとも思われた。
だが、わたしはほんとうに死ねるのだろうか。
食べ物が無くなった日から、姉とわたしは水さえも一滴も口にしていない。それから四、五日しかたっていないのか、一週間か十日くらい経過しているのか、わたしには見当もつかない。暗闇のなかで、日の出も日没も見ることなく、ただ目覚めては何ごとか考え続け、疲れては眠るだけの植物人間めいた生きざまには、時間に対する感覚も消滅してしまうみたいだ。それでいて時は機械的に刻まれていて、わたしは間違うことなく死の瞬間に一秒、二秒、三秒と確実に近づいている。
約束を破ることになってしまうが、わたしはもう一度姉の顔を見たくなった。姉だって無用なハーブ・キャンディを持ってわたしの様子を見に来たのだ。わたしがどの程度死に近づいているかを確認するために。だが、わたしより気の強い姉だから、そう何度もわたしの部屋へ来ないだろう。
ふたりが別の部屋に寝て死んでゆこうと言ったのはわたしだった。姉は初めひとつの部屋で並んで眠るつもりだったらしいが、わたしは反対した。いくら姉妹でもよほど運が良くなければ、同時に息を止めるなどといことはありえない。どちらかが衰弱したり、死に瀕した時に残るひとりがどんな行動を取るが。ぎりぎりのところで気持ちを翻したり、助けを求めたりしないとも限らない。ことに姉が先に死に臨んだ場合はわたしが、わたしが先に死に臨んだ場合は姉が、お互いを死なせまいとして行動することは十分に考えられた。確実に死ぬためには、姉は姉、わたしはわたし、自分ひとりの力で死んでゆくしかなかった。さんざん姉の厄介になり、こうして死んで行かなくてはならない直接の原因もわたしにあるというのに、わたしはそう言ってひとつ部屋で共に死にたかったであろう姉を突き離してしまった。
情の薄い妹だ。
心中というか、死を初めに口にしたのはわたしではなく姉だった。姉は多分、怒りとか憤怒のような感情によって決意し、わたしに打ち明けたのだと思う。わたしはあっさりうなづいた。わたしが嫌だと言って抵抗したり説得すれば、あるいは姉の気持ちは変ったかも知れなかった。
借金などどれだけあっても死なないで済む方法はいくらでも考えられた。早い話がふたりでどこか地方へうまいこと気づかれずに蒸発してしまえば、彼らが地の果てまで追って来る訳もなし、何も死ぬことはないのだ。それでいて死ぬことに反対しなかったのは、やはりわたし自身が死にたかったのだとしか言いようがない。
図書館で、ニーチェというひとの『悲劇の誕生』という本をひと月もかけて読むともなくながめていた時に、「存在と世界とは美的現象としてのみ是認される」という部分が目にとびこんで来て、わたしの脳に一瞬のうちに焼きついてしまったことがあった。真とか善とか美とか、そういったものに人間は価値を見出す。確かなことだと思う。つまらないたとえになるけれど、不美人より美人が好まれる。お金は無いよりあった方がいい。自分を認めない相手より自分を認めてくれる人間の方がいい。自分に冷たい人間には冷たく応対するし、優しくしてくれる相手には自分も優しくする。それが人間なんだと思う。でも、それでは真も善も美も持ちあわせていない人間はどうしたらいいのだろう。
やっぱり、是認されない存在として存在することをやめるしかない、わたしはそう思っていたのだ。わたしは初め、やたらに失神し卒倒する自分の病気を、是認されないはずの存在が敢えて存在していなければならないことへの抗議のしるしだと思って納得していた。だけど違うのだ。それではあまりに格好つけすぎる。単にうまく生きられない、それだけなのだった、実際は。皮肉なことだが、存在と世界とはやはり美的現象としてだけ認められるのだ。
失神の予兆である偏頭痛があまりに激しく、苦し紛れに自分の首を両手で思いきり締めてみたことがあった。ほんの十秒もしないうちに、わたしは目の前が暗くなり意識が薄れるのがわかった。だけど、自分の首を締めている腕の力も同じように弱くなった。それでわたしはじきに元に還ってしまった。死ぬ瞬間なんてあんなものだろうと思う。両親が排気ガスを吸って死んでいった時も、あんな風に気を失って、そしてそのまま意識が戻らなかっただけなのだ。
そう感じたが、わたしの衰弱した体は容易に動きそうもなかった。第一、わたしたちはもうお互いに動かないという約束をしていた。死を待つ、それだけがわたしたちの唯一の目的なのだ。
「あなたは生きていていいのよ」
姉はそう言ったが、わたしはとうてい生き続ける気持ちは持てそうになかった。
また姉は初めわたしに遺書を書くように言ったが、わたしには書けなかった。毎日のように図書館に通っていたのだから、姉は、わたしが自ら死んでゆくふたりの思いのすべてを書けるのだろうと思ったらしい。でも、わたしには何も書けなかった。何を、誰に向けて書けば艮かったのだろう。また、仮にわたしが姉の望むような遺書をしたためたとしても、誰が読んでくれるのだろう。警察官か、新聞記者か。彼らが何を理解するだろう。彼らは、せいぜいわたしたちが死んだ理由をその職務に合わせて解釈し、報告し、調書や記事にするだけなのだ。そうでなくて、たとえば彼らのうちの誰かひとりでも、わたしたちの死の真の意味らしいものを発見したり思い当たったりしたとしても、彼はそれを胸の内に隠してしまい、決して公けにはしない。それはそれで構わないとわたしは思う。わたしが未だに両親の死を理解できないように、生者は死者を余り深く理解してはいけないのだ。
「わたしたちは死にます」
わたしが期待に反してついに遺書を書かなかったので、部屋の入口の冷たい鉄製のドアの内側に、姉は口紅でそう書きなぐった。ほんとうは、わたしも書くことは書いたのだった。わたしたちにはあえて生き続ける意味も理由もありません、と。それだけで止めておけば良かったものを、あなた方だってそうなのです、などと余計なことを書いてしまって、わたしはあわてて便せんを破いてしまった。姉のなぐり書きの方がずっと単純明快で、遺書として価値があると思われたし、黙って死んでゆくことが、勝手に死んでゆく人間にできる唯一最善の礼節だとも思われた。
だが、わたしはほんとうに死ねるのだろうか。
食べ物が無くなった日から、姉とわたしは水さえも一滴も口にしていない。それから四、五日しかたっていないのか、一週間か十日くらい経過しているのか、わたしには見当もつかない。暗闇のなかで、日の出も日没も見ることなく、ただ目覚めては何ごとか考え続け、疲れては眠るだけの植物人間めいた生きざまには、時間に対する感覚も消滅してしまうみたいだ。それでいて時は機械的に刻まれていて、わたしは間違うことなく死の瞬間に一秒、二秒、三秒と確実に近づいている。
約束を破ることになってしまうが、わたしはもう一度姉の顔を見たくなった。姉だって無用なハーブ・キャンディを持ってわたしの様子を見に来たのだ。わたしがどの程度死に近づいているかを確認するために。だが、わたしより気の強い姉だから、そう何度もわたしの部屋へ来ないだろう。
ふたりが別の部屋に寝て死んでゆこうと言ったのはわたしだった。姉は初めひとつの部屋で並んで眠るつもりだったらしいが、わたしは反対した。いくら姉妹でもよほど運が良くなければ、同時に息を止めるなどといことはありえない。どちらかが衰弱したり、死に瀕した時に残るひとりがどんな行動を取るが。ぎりぎりのところで気持ちを翻したり、助けを求めたりしないとも限らない。ことに姉が先に死に臨んだ場合はわたしが、わたしが先に死に臨んだ場合は姉が、お互いを死なせまいとして行動することは十分に考えられた。確実に死ぬためには、姉は姉、わたしはわたし、自分ひとりの力で死んでゆくしかなかった。さんざん姉の厄介になり、こうして死んで行かなくてはならない直接の原因もわたしにあるというのに、わたしはそう言ってひとつ部屋で共に死にたかったであろう姉を突き離してしまった。
情の薄い妹だ。
心中というか、死を初めに口にしたのはわたしではなく姉だった。姉は多分、怒りとか憤怒のような感情によって決意し、わたしに打ち明けたのだと思う。わたしはあっさりうなづいた。わたしが嫌だと言って抵抗したり説得すれば、あるいは姉の気持ちは変ったかも知れなかった。
借金などどれだけあっても死なないで済む方法はいくらでも考えられた。早い話がふたりでどこか地方へうまいこと気づかれずに蒸発してしまえば、彼らが地の果てまで追って来る訳もなし、何も死ぬことはないのだ。それでいて死ぬことに反対しなかったのは、やはりわたし自身が死にたかったのだとしか言いようがない。
図書館で、ニーチェというひとの『悲劇の誕生』という本をひと月もかけて読むともなくながめていた時に、「存在と世界とは美的現象としてのみ是認される」という部分が目にとびこんで来て、わたしの脳に一瞬のうちに焼きついてしまったことがあった。真とか善とか美とか、そういったものに人間は価値を見出す。確かなことだと思う。つまらないたとえになるけれど、不美人より美人が好まれる。お金は無いよりあった方がいい。自分を認めない相手より自分を認めてくれる人間の方がいい。自分に冷たい人間には冷たく応対するし、優しくしてくれる相手には自分も優しくする。それが人間なんだと思う。でも、それでは真も善も美も持ちあわせていない人間はどうしたらいいのだろう。
やっぱり、是認されない存在として存在することをやめるしかない、わたしはそう思っていたのだ。わたしは初め、やたらに失神し卒倒する自分の病気を、是認されないはずの存在が敢えて存在していなければならないことへの抗議のしるしだと思って納得していた。だけど違うのだ。それではあまりに格好つけすぎる。単にうまく生きられない、それだけなのだった、実際は。皮肉なことだが、存在と世界とはやはり美的現象としてだけ認められるのだ。
失神の予兆である偏頭痛があまりに激しく、苦し紛れに自分の首を両手で思いきり締めてみたことがあった。ほんの十秒もしないうちに、わたしは目の前が暗くなり意識が薄れるのがわかった。だけど、自分の首を締めている腕の力も同じように弱くなった。それでわたしはじきに元に還ってしまった。死ぬ瞬間なんてあんなものだろうと思う。両親が排気ガスを吸って死んでいった時も、あんな風に気を失って、そしてそのまま意識が戻らなかっただけなのだ。
受粉しない梅雨
公開を後悔
公開日時を指定する予約投稿がちっとも機能しないと思って調べたら、このブログを設置しているレンタル・サーバーでももっと料金の高いタイプでないと予約が機能しないことが判明してがっかり。
以前、予約投稿が出来たこともあったような気がするが、記憶違いか?
やはり自前のブログは面倒なので、以前のようにレンタル・ブログに戻ろうか。
旧作のスキャニング、終了したが、なんともネガティブすぎて、やはり公開を後悔。
こんなものをひとさまに読ませちゃいけません。
仕方ないのでパッパと公開して、定期的においで下さっている方々、5~6名のみなさんが読まれたようだったら、とっとと撤退させよう。
そういえばあの当時、主人公は初めから最後まで寝たままで、その思考や感情の動きだけで小説を書いてみようと青臭いことを考えていたので、その影響があるのかもしれない。
それ以前は、小説とは「人間の言動」、つまり言葉とアクションを仔細に書くものと思っていたが、そうではないのではないかという疑問が生じて、それで主人公が寝たままという極端な設定を考えたのだった。つまらんことにばかり、こだわってきたものです。
『海』1970年11月号、冊子小包で到着。
表紙と背は以前から持っているものよりはきれいだが、本文のヤケの程度は同じくらい。37年近く経過すると雑誌の本文はこれほど酸化してしまうものなのか。雑誌というもの、もともとあまり上質な紙は使っていないのだろうから仕方ないか。
ヴィアン狂いはこの特集の目次から始まっているので、感慨ひとしお。(だからって2冊持つのはね、やはりヘンです。麻疹騒動で上京した際に二男の本棚に「うたかたの日々」があるのをちらっと目撃しましたが、かれが帰省したら、この雑誌、さりげなく置いてみようか。(でも、親子でヴィアン狂いはまずいですね)

そういえば「草枕変奏曲」といっしょに「キャロル・イン・ワンダーランド」が見つかった。こんな本、もっていたんだっけ。
以前、予約投稿が出来たこともあったような気がするが、記憶違いか?
やはり自前のブログは面倒なので、以前のようにレンタル・ブログに戻ろうか。
旧作のスキャニング、終了したが、なんともネガティブすぎて、やはり公開を後悔。
こんなものをひとさまに読ませちゃいけません。
仕方ないのでパッパと公開して、定期的においで下さっている方々、5~6名のみなさんが読まれたようだったら、とっとと撤退させよう。
そういえばあの当時、主人公は初めから最後まで寝たままで、その思考や感情の動きだけで小説を書いてみようと青臭いことを考えていたので、その影響があるのかもしれない。
それ以前は、小説とは「人間の言動」、つまり言葉とアクションを仔細に書くものと思っていたが、そうではないのではないかという疑問が生じて、それで主人公が寝たままという極端な設定を考えたのだった。つまらんことにばかり、こだわってきたものです。
『海』1970年11月号、冊子小包で到着。
表紙と背は以前から持っているものよりはきれいだが、本文のヤケの程度は同じくらい。37年近く経過すると雑誌の本文はこれほど酸化してしまうものなのか。雑誌というもの、もともとあまり上質な紙は使っていないのだろうから仕方ないか。
ヴィアン狂いはこの特集の目次から始まっているので、感慨ひとしお。(だからって2冊持つのはね、やはりヘンです。麻疹騒動で上京した際に二男の本棚に「うたかたの日々」があるのをちらっと目撃しましたが、かれが帰省したら、この雑誌、さりげなく置いてみようか。(でも、親子でヴィアン狂いはまずいですね)
そういえば「草枕変奏曲」といっしょに「キャロル・イン・ワンダーランド」が見つかった。こんな本、もっていたんだっけ。
わたしたちの夢祭り(7)
また、息を小さくし続けるような毎日の、けだるい反復が始まった。朝はいつでも姉よりほんの少しだけ早く起きて、簡単な朝食を用意する。姉が出勤してしまうと、部屋の掃除とお洗濯をする。それからは何もしないでぼんやりしていたり、図書館へ行くしかなかった。姉はたまには映画を見に行くとか、街へ出てショッピングをするようにと言ってくれたが、わたしは自分で稼いだのではないお金を、衣食住以外にあまり使いたくなかった。働いてお金を得ることのできないわたしにできることは、お金を使わないこと、それしかなかった。着るものも、下着だけは姉に叱られるので新しいものをバーゲンで買ったが、ほかはほとんど姉のお古を身につけていた。
とても稀薄な毎日だった。
三ケ月ほどして、わたしはテレビニュースや新聞の社会面で、彼、優生の顔を見た。母親殺しの青年、それが彼だった。先ず、彼の五十三歳になる母親の死体が発見された。警察は初め、強盗殺人の疑いをもって捜査を始めたが、三日後に事情聴取を受けた二男の彼が母親殺しを自供したのだという。彼は精神科に入退院を繰り返し、現在も通院中であるが、犯行については母を殺せという天の声に従っただけだと言い、それ以上は一切沈黙していると報道された。
わたしには彼が狂気に操られて行動したとは思えなかった。むしろ狂気を隠れみのにして、正気で母親を殴ったように感じられた。殺人、それも母親殺しを正気というのは正しい言い方ではないとは思うけれど、そうとしかわたしには考えられなかった。
その後の新聞の小さな記事で、彼が精神鑑定の結果強制入院させられたことを、わたしは知った。
彼と会っていた時のことがありありと思い出されると、かえってそれがすべての現実味を剥奪され、夢のようにさえ思えた。目の前の現実は、たとえそれが水やりを忘れて枯れてしまったシクラメンであっても、容易にその存在が信じられたが、いったん目の前から遠ざかってしまった存在や出来事は、眠って見る夢と区別することができないくらい、わたしとはかけ離れたものにしか感じられなかった。だからわたしは今も病院にいるはずの優生のことも夢のなかの登場人物のようにしか思い出せない。
死んだ父や母のことさえそうなのだ。いったい、何がわたしの現実だったのだろう。多分、わたしは初めから生きる気を失っていたのに違いない。病気で働けないのではなく、ただその気がなかっただけなのかも知れない。
わたしたちを残して、両親が奥多摩山中の林道の狭い支道で排ガス心中した後、一家心中に触れた新聞記事や投書がいやおうなく目にとまることがあった。それらはたいてい、子を道連れにするのは親の勝手をエゴイズムだという良識的意見だったが、わたしには、両親だけが勝手に死んでしまう方がひどいエゴイズムだと思えた。またどんなに負債があろうと、死なないで済む方法はいくらでもあったはずだ。
それでもふたりが死んでしまったのは、要するに生きる気を失ったのだとしか、わたしには考えられない。だとすれば、今また残されたわたしたちふたりが死のうとしているのは、両親が死に至ったのと同じ回路を、遺伝的気質でもってたどっているにすぎないことになる。
両親が死ぬ十日前に、わたしたち四人は伊豆の温泉へでかけ、一泊した。それは母の突然の発案で実現した。その前夜に、姉が夢を見てひどくうなされた。わたしは姉と同じ部屋に寝ていたので、姉の、恐怖の底からようやくの思いでしぼり出されたようなうなり声を聞いている。わたしも他愛のない夢にうなされた経験はあったが、うなされて声を出しているつもりでも、実際には声など出ていないことの方が多い。夢を見て大声を発するのは重労働なのだ。だがその時の姉は、殺される獣が全身にありったけの力をこめ、喉をぎゅうぎゅう絞るようなうなり声を出した。この世の終りに出す断末魔の叫びとはあんな声なのだろうか。
翌日の朝食の席で、わたしは両親に聞かせるつもりでそのことを喋った。母は姉にどんな夢を見たのか訊ねた。姉は答えなかった。母が何回も訊きなおすのを、黙っていた父が制止した。それで姉の夢の内容は誰にも知られず終いになったが、しばらくの沈黙の後に再び母が口を開き、夢祭りをしようと言った。父も姉もわたしも夢祭りがどんな祭りか知らなかった。母は、悪い夢を見た時に、それが正夢となって災難をこうむることがないように祈る祭りだと説明した。わたしがどこの国でそんな祭りをしているのか訊ねたが、母はそこまでは知らなかった。亡くなった母の父、つまりわたしたちの祖父が、やはり幼い頃の母が悪い夢を見てうなされた時に、夢祭りをしてくれたのだという。それも料理屋へ母を連れて行き自分がお酒を飲んだだけで、母には枝豆を食べた記憶しかないと言うのだけど。
母は父に温泉へ行って夢祭りをしましょうと言った。毎日のように債権者がやって来ていることを知っている姉とわたしは、母の思いつきにびっくりしたが、父はそうだねとあっさり応じた。あまりに簡単に温泉行きが実現してわたしは拍子ぬけしたが、後で思えば、両親はそれより以前に死を決意していたからこそ、一家ででかける計画を立てたのだった。
わたしたち一家四人は、二日後の土曜日に伊豆の修善寺へでかけた。夜の食事の時には、父の許可があって姉とわたしもお酒を何杯か飲んではしゃいだ。楽しかったが、あれは姉のための夢祭りというより、父と母が死ぬための夢祭りだったのだ。
だけど、何のために父と母は死んだのだろう。わたしには結局わからない。
両親が死んで半年ほどしてから、わたしは姉が寝静まるのを待って外へ出、公衆電話からある家へ毎晩のように無言の電話をかけたことがあった。毎晩取立てに来て、もっとも執拗に、もっとも乱暴に両親を脅迫していた男が、安穏として眠っていることを想起すると、わたしは許しがたくて眠れなかったのだ。わたしの父はたった六人しか従業員のいない鉄工所を、なんとかきりまわしていただけの個人企業にすぎなかったが、相手の男は社員五十人の鋼材卸会社の専務だった。父は同業の友人の、その鋼材緒卸会社への債務を保障したらしかったが、友人はじきに蒸発してしまった。父が肩代わりすることになった債務は父が承知していた金額の六倍を超えていた。父はだまされていたのだが、印鑑は確かに父本人のものだったので、ほんとうは蒸発した友人をわたしは憎むべきだったかも知れない。だけど、どこにいるのかわからない人間を、わたしは憎むことができなかったので、鋼材卸会社の専務を憎んだのだった。
何回かは妻らしいひとが受話器を取って、どなたですかと問いかけたが、じきに受話器を取らなくなった。それから次には受話器が上げたままにされ、話し中の断続音しか聞こえなくなった。わたしは作戦を変更し、昼間、学校の公衆電話を使って更にいやがらせ電話をかけ続けた。そのうちに、ある日、おかけになりました電話番号は只今使われておりません、番号をお確めの上おかけ直し下さい、という録音された声が聞こえた。わたしは局に新しい電話番号を問い合わせることもせず、それきり記憶していたそれまでの電話番号も忘れてしまうことにした。
わたしは、いやがらせ電話を初めてかけた時から自分を嫌悪していた。かえって惨めな思いに囚われるので、その時は二度としないつもりだった。それでも翌日のわたしは、鹿おどしにたまった水が自らの重みに耐えかねて落ちて流れて行くように、深夜の街へさ迷い出た。そして電話ボックスに吸いこまれていって、固く緊張した夜の静寂の彼方に向けてダイヤルをするのだった。
とても稀薄な毎日だった。
三ケ月ほどして、わたしはテレビニュースや新聞の社会面で、彼、優生の顔を見た。母親殺しの青年、それが彼だった。先ず、彼の五十三歳になる母親の死体が発見された。警察は初め、強盗殺人の疑いをもって捜査を始めたが、三日後に事情聴取を受けた二男の彼が母親殺しを自供したのだという。彼は精神科に入退院を繰り返し、現在も通院中であるが、犯行については母を殺せという天の声に従っただけだと言い、それ以上は一切沈黙していると報道された。
わたしには彼が狂気に操られて行動したとは思えなかった。むしろ狂気を隠れみのにして、正気で母親を殴ったように感じられた。殺人、それも母親殺しを正気というのは正しい言い方ではないとは思うけれど、そうとしかわたしには考えられなかった。
その後の新聞の小さな記事で、彼が精神鑑定の結果強制入院させられたことを、わたしは知った。
彼と会っていた時のことがありありと思い出されると、かえってそれがすべての現実味を剥奪され、夢のようにさえ思えた。目の前の現実は、たとえそれが水やりを忘れて枯れてしまったシクラメンであっても、容易にその存在が信じられたが、いったん目の前から遠ざかってしまった存在や出来事は、眠って見る夢と区別することができないくらい、わたしとはかけ離れたものにしか感じられなかった。だからわたしは今も病院にいるはずの優生のことも夢のなかの登場人物のようにしか思い出せない。
死んだ父や母のことさえそうなのだ。いったい、何がわたしの現実だったのだろう。多分、わたしは初めから生きる気を失っていたのに違いない。病気で働けないのではなく、ただその気がなかっただけなのかも知れない。
わたしたちを残して、両親が奥多摩山中の林道の狭い支道で排ガス心中した後、一家心中に触れた新聞記事や投書がいやおうなく目にとまることがあった。それらはたいてい、子を道連れにするのは親の勝手をエゴイズムだという良識的意見だったが、わたしには、両親だけが勝手に死んでしまう方がひどいエゴイズムだと思えた。またどんなに負債があろうと、死なないで済む方法はいくらでもあったはずだ。
それでもふたりが死んでしまったのは、要するに生きる気を失ったのだとしか、わたしには考えられない。だとすれば、今また残されたわたしたちふたりが死のうとしているのは、両親が死に至ったのと同じ回路を、遺伝的気質でもってたどっているにすぎないことになる。
両親が死ぬ十日前に、わたしたち四人は伊豆の温泉へでかけ、一泊した。それは母の突然の発案で実現した。その前夜に、姉が夢を見てひどくうなされた。わたしは姉と同じ部屋に寝ていたので、姉の、恐怖の底からようやくの思いでしぼり出されたようなうなり声を聞いている。わたしも他愛のない夢にうなされた経験はあったが、うなされて声を出しているつもりでも、実際には声など出ていないことの方が多い。夢を見て大声を発するのは重労働なのだ。だがその時の姉は、殺される獣が全身にありったけの力をこめ、喉をぎゅうぎゅう絞るようなうなり声を出した。この世の終りに出す断末魔の叫びとはあんな声なのだろうか。
翌日の朝食の席で、わたしは両親に聞かせるつもりでそのことを喋った。母は姉にどんな夢を見たのか訊ねた。姉は答えなかった。母が何回も訊きなおすのを、黙っていた父が制止した。それで姉の夢の内容は誰にも知られず終いになったが、しばらくの沈黙の後に再び母が口を開き、夢祭りをしようと言った。父も姉もわたしも夢祭りがどんな祭りか知らなかった。母は、悪い夢を見た時に、それが正夢となって災難をこうむることがないように祈る祭りだと説明した。わたしがどこの国でそんな祭りをしているのか訊ねたが、母はそこまでは知らなかった。亡くなった母の父、つまりわたしたちの祖父が、やはり幼い頃の母が悪い夢を見てうなされた時に、夢祭りをしてくれたのだという。それも料理屋へ母を連れて行き自分がお酒を飲んだだけで、母には枝豆を食べた記憶しかないと言うのだけど。
母は父に温泉へ行って夢祭りをしましょうと言った。毎日のように債権者がやって来ていることを知っている姉とわたしは、母の思いつきにびっくりしたが、父はそうだねとあっさり応じた。あまりに簡単に温泉行きが実現してわたしは拍子ぬけしたが、後で思えば、両親はそれより以前に死を決意していたからこそ、一家ででかける計画を立てたのだった。
わたしたち一家四人は、二日後の土曜日に伊豆の修善寺へでかけた。夜の食事の時には、父の許可があって姉とわたしもお酒を何杯か飲んではしゃいだ。楽しかったが、あれは姉のための夢祭りというより、父と母が死ぬための夢祭りだったのだ。
だけど、何のために父と母は死んだのだろう。わたしには結局わからない。
両親が死んで半年ほどしてから、わたしは姉が寝静まるのを待って外へ出、公衆電話からある家へ毎晩のように無言の電話をかけたことがあった。毎晩取立てに来て、もっとも執拗に、もっとも乱暴に両親を脅迫していた男が、安穏として眠っていることを想起すると、わたしは許しがたくて眠れなかったのだ。わたしの父はたった六人しか従業員のいない鉄工所を、なんとかきりまわしていただけの個人企業にすぎなかったが、相手の男は社員五十人の鋼材卸会社の専務だった。父は同業の友人の、その鋼材緒卸会社への債務を保障したらしかったが、友人はじきに蒸発してしまった。父が肩代わりすることになった債務は父が承知していた金額の六倍を超えていた。父はだまされていたのだが、印鑑は確かに父本人のものだったので、ほんとうは蒸発した友人をわたしは憎むべきだったかも知れない。だけど、どこにいるのかわからない人間を、わたしは憎むことができなかったので、鋼材卸会社の専務を憎んだのだった。
何回かは妻らしいひとが受話器を取って、どなたですかと問いかけたが、じきに受話器を取らなくなった。それから次には受話器が上げたままにされ、話し中の断続音しか聞こえなくなった。わたしは作戦を変更し、昼間、学校の公衆電話を使って更にいやがらせ電話をかけ続けた。そのうちに、ある日、おかけになりました電話番号は只今使われておりません、番号をお確めの上おかけ直し下さい、という録音された声が聞こえた。わたしは局に新しい電話番号を問い合わせることもせず、それきり記憶していたそれまでの電話番号も忘れてしまうことにした。
わたしは、いやがらせ電話を初めてかけた時から自分を嫌悪していた。かえって惨めな思いに囚われるので、その時は二度としないつもりだった。それでも翌日のわたしは、鹿おどしにたまった水が自らの重みに耐えかねて落ちて流れて行くように、深夜の街へさ迷い出た。そして電話ボックスに吸いこまれていって、固く緊張した夜の静寂の彼方に向けてダイヤルをするのだった。
2007年7月21日土曜日
相変わらずの彽徊
一昨日触れた、未来社社長の『執筆と編集のためのパソコン技法』と『出版のための実践技法』が面白くて、それを読みに行ってばかりなので、記事をコピーしてテキストファイルに保存した。読みやすいように一太郎でレイアウトしなおして印刷するかもしれない。それくらい、参考になります。
その関連で、シェアウェアだが一ヶ月は無料で試用できるテキスト・エディターをひとつダウンロードしてインストールしてみた。
縦書き表示が出来るというのが魅力だったが、何となくこれまで使い慣れているTera Padのようにはしっくりせず、じきにアンインストールした。Tera Padが縦書き表示できたら文句ないのだが、フリー・ウェアデこれだけ便利に使わせていただいているのだから贅沢は言えない。結局、これまで通りテキスト・エディターはTera Pad、文章を書くのは、縦書き表示も、原稿用紙表示(字数行数も20×20でなく設定可能)も戯曲やシナリオ表示も出来るVerticalEditor、という使い分けを続行するのがいちばんのようだ。
旧作のスキャニング、疲れたので休憩しています。
ほかの皆さんの作品のスキャニングは楽しくて疲れないのに、自分のとなると鉛のような疲れが生じてきます。
久しぶりに、グールドの『フーガの技法』を1番から9番まで連続して聴く。
その関連で、シェアウェアだが一ヶ月は無料で試用できるテキスト・エディターをひとつダウンロードしてインストールしてみた。
縦書き表示が出来るというのが魅力だったが、何となくこれまで使い慣れているTera Padのようにはしっくりせず、じきにアンインストールした。Tera Padが縦書き表示できたら文句ないのだが、フリー・ウェアデこれだけ便利に使わせていただいているのだから贅沢は言えない。結局、これまで通りテキスト・エディターはTera Pad、文章を書くのは、縦書き表示も、原稿用紙表示(字数行数も20×20でなく設定可能)も戯曲やシナリオ表示も出来るVerticalEditor、という使い分けを続行するのがいちばんのようだ。
旧作のスキャニング、疲れたので休憩しています。
ほかの皆さんの作品のスキャニングは楽しくて疲れないのに、自分のとなると鉛のような疲れが生じてきます。
久しぶりに、グールドの『フーガの技法』を1番から9番まで連続して聴く。
2007年7月20日金曜日
もっと赤く
2007年7月19日木曜日
わたしたちの夢祭り(6)
その夜、わたしの脳細胞はひどく興奮してしまい、いつまでも眠れなかった。彼とのテレパシーのことは、姉にだってついに話さないままになっている。誰だって信じないに決まっているし、わたし自身、単なる妄想にすぎないのかも知れないと、いまでさえ思うことがあるのだから。
それから、わたしは月に一度か二度、彼と会った。相変わらず彼はテレパシーに頼り、声を出して話すことは故意に避けていた。彼はひとと面と向かって話すことがひどく苦手なのだと思い、わたしも余り口を動かさないことにした。だから、喫茶店などに入っても、わたしたちはコーヒーなどを注文する時に声を出すだけで、あとは黙ってみつめあっているだけだったが、わたしにはそれでも十分楽しかった。
似た者同士だから良かったのだ。きちんとした仕事を持っていない人間は深海魚のようなもので、ひっそりと息をして、ただ生きている、それだけに甘んじていなければならない、そんな考えにわたしはとらわれていたから、わたしと同じように無職のままリズムも抑揚もない毎日をおくっている彼には、やはり黙っていても通じるものが多かったのだ。
彼の父親は建設会社を経営していた。大学を出た兄が大手の建設会社で三年勤めた後、入社し二年で専務になった。その父親と兄に彼は言われた。仕事をしなくてもいい、良いことをしなくてもいい、とにかく悪いことだけはするなと。
《その日から、僕は何もしないことがいちばんいいことだと自分に言いきかせて来たんだ》
二月に、新宿御苑を散歩した後で、近くの喫茶店で向き合っていた時に、そんな話を彼はした。
《だから、僕は外に出てはほんとうに彼らの迷惑になるようなことは、何ひとつしてない。彼らに知られずに良くないことはしているが、知られない限りはしていないと同じことだし》
《何だか息がつまりそうな話ね》
《だから、家では僕は狂人になるんだ。木刀で障子を壊し、テレビを叩き壊し、両親をぶちのめし、僕は荒れ狂ってクズカゴに火をつける。そんな時、僕は自分で狂気を演じているような気もするし、案外狂っている自分の方がほんとうの僕自身であるようを気もして、ますます危険ぎりぎりのところまでいってしまうんだ》
彼はコーヒーのお代わりを頼み、ガラス窓の外に目をやった。雪が舞いはじめていた。
《君は僕を気違いだと思う?》
《わからない》
《わからないことはないはずだよ》
《心を痛んでいるのは確かだけれど、気が変だなんて思えない》
《どんなに病んでいても、それが外に出なければ病気ではないんだよ。僕がどんなにひとを殺したいという願望を持っていても、それが僕の胸に収まっているうちは無いのと同じなんだ》
《今日は何だかへンね》
《ああ、今日の僕は少しへンだね。家に帰りたくない気分だな。これから軽井沢へいかないか》
《軽井沢? 今から行っても、帰って来れないでしょ、だめよ》
《親父の別荘があるんだ。泊まればいい》
《だめよ、姉に言い訳できないもの》
わたしたちは十二時五十分には上野駅にいて、列車に乗りこんでいた。わたしは喫茶店から姉の会社へ電話し、友達の家に泊まると言った。姉は仕事中のためかあれこれ詮索しなかったが、わたしに泊まりこむような親しい友人などいないことは知っているはずだった。その頃、姉にも恋人がいたので、妹のでたらめにも寛容でいられたのかも知れない。
軽井沢に着いて、わたしは今まで体験したことのない寒さに震えあがった。風が無数の針のように顔に吹き当たって痛かった。来なければ良かったと思った。帰りたがるわたしを無視して、彼はわたしをタクシーに押しこんだ。
十分も走らないうちにタクシーは止まった。道の両端は針葉樹が立ち並んでいて、あたりは薄暗かった。新雪は風に吹き飛ばされ、古い雪が固く凍ってガリガリと音をたてた。歩くと転びそうなのでわたしは動けなかった。タクシーが帰ってしまうと、風の音だけが耳をふさいで、わたしはますますそのまま東京へ帰りたくなった。
「寒いから早く入ろう」
彼は珍しく声を出して言い、さっさと歩いて暗い森のなかの別荘の玄関に向かった。
「鍵はあるの」
わたしは彼の後について転ばないように歩きながら、訊ねた。
「ああ、いつも持っているんだ。ひとりで時々来るから」
玄関に入るとホールがあり、右手にダイニング・ルームがあって、わたしたちはそこに入った。風が吹いていない分だけ暖かい気もしたが、それも束の間で体がしんから冷え始めていた。彼はじきに暖かい空気を送り出して来た温風ヒーターの前に椅子を置き、わたしを坐らせた。それから、セントラル・ヒーティングのスイッチを入れに行き、しばらく台所で音を立てていたが、紅茶の入ったカップをふたつ両手で運んで来てテーブルに置いた。
「プランディを少し多めに落としたから、飲むといいよ」
「ありがとう」
「もう少し寒くない時期にすればよかったね」
「ええ」
「食料品も買わずに来てしまったし、今日の夕食は外でしよう。僕がひとりで来た時に行くレストランがあるんだ、まだ誰も連れて行ったことがない」
「そんなのいいわよ。それより何時間かいたら東京へ帰りましょう。最終電車でもいいから」
「帰らないよ。お姉さんだっていいって言ったんだろ」
わたしはその別荘に自分がいることに現実感がなかった。姉とふたり暮らしになってから、わたしはほとんどあの古びた木造モルタル造りの、六畳ふた間に台所、バス、トイレのみの粗末な空間に生きて来た。こんな別荘を持てることはすてきなことには違いないが、胸がむかつく思いもした。誰もが皆、別荘を持っているというのなら話は別だけれども。
わたしは椅子をテーブルのそばに寄せ、紅茶を飲んだ。
「ここではテレパシーなしでも話せるのね」
「そんなこともないけど、ほかに誰もいないだろ」
「でも疲れるわ、声を出さずに脳と脳で直接会話するのも」
「ああ」
彼は曖昧に応えて立ちあがり、ステレオ装置の電源を入れてテープ・デッキにカセット・テープを差しこんだ。バッハのブランデンブルグだった。彼には話したこともないのに、わたしの好きなバッハがかかったことにわたしは驚き、そして嬉しかった。バッハにはわたしに欠けている絶妙なセルフ・コントロールがあった。わたしは部屋の隅にあったロッキング・チェアを中央に出して坐り、揺れながらバッハを聴いた。わたしはそんなにたくさんの音楽家を知らないし、クラシックなどそう聴いてもいなかったが、バッハだけはどの曲を聴いても海が凪にかかるように気持ちが鎮まるのだった。
体が暖まったわたしはいつしか眠っていた。
目覚めた時には、外はすっかり暗くなっていた。わたしたちはタクシーを呼んで、彼が名を告げたレストランへ行き、食事を済ませた。
そして再び別荘に戻ったが、たいした会話もかわさず、テレパシーも使わず、ただ静寂に身をゆだねていている時間の方が長かった。
「あのレストラン、ご夫婦だけで経営してるのね」
「ああ、夏のシーズン中はアルバイトが入るけどね」
「でも、ほんとうにおいしかったわ」
「腕はいいんだ」
「もったいないわね。夏はともかく、冬はお客が少なくて」
「あのふたり、夫婦じゃないんだよ。どちらも妻がいて、夫がいる」
「そうなの。でもすてきな夫婦に見えるわ」
「もう七年になるんだ。あそこで店を開いて」
「そう。ここ、静かね。ひとりで来ている時、怖くない?」
「怖くないさ」
彼はそれでまた黙ってしまった。
「何か話して。静かすぎて、頭のなかが痛くなりそう」
「昔、昔、その昔」
「なあに、それ」
「昔話さ、君のほかには誰も聞いたことのない」
「聞かせて」
「昔、昔、その昔。高い、高い雲の上の神様の国で、心やさしい天使たちがおおぜい、それは平和に、楽しく暮らしていました。でも、ある日のこと、『全能であり全知であるわたしの光を拒む、暗闇の世界である雲の下を見てはいけない。おまえたちは、いつでも太陽と青空とわたしだけを見て暮らすのだ』と、日ごろ、神様からきつく言いつけられていたのに、ひとりの若い天使がその掟を破り、こっそり雲に穴をあけてはるか下の地上を見おろしたのです。
するとどうでしょう。地上では、あちこちで、意味もなく、訳もわからず、たくさんの人間たちが、死んでゆくのです。ひとがひとを殺すも見えました。天使は死ぬことはありません。′だから、姿形はほとんど天使そっくりの入間が死んでゆくのを見るのは、初めてのことでした。あまりに無残な死でした。若い天使は、人間がそんな風に死んでゆくのが悲しくて、思わず大粒の涙をこぼしました。ところがその涙のひとつぶが、ひゅーっと勢いよく地上へ墜ちてゆく間に凍りつき、鋭くとがったガラスのようになって、キラキラ美しく虹色に輝きながらどんどん墜ちていってしまい、おうちの庭で砂遊びしていた三歳の坊やの頭に突き刺さってしまったのです。かわいそうに、坊やは天使にも負けないくらい美しくあどけないほほ笑みを浮かべたまま、死にました。
それを見た若い天使は、自分のせいで坊やが死んでしまったので、気が狂ったように泣き叫んで、雲の果てまで走りました。そして、そこから一気に身を投げたのです。するとどうしたことでしょう。それを見ていたほかの天使たちの顔も暗い悲しみに満ち、誰もが皆、口々に自分があまりにしあわせな天使であることを恥じて、神様が大声で制止するのもきかず、ぞくぞくと、雲の淵から身を投げてしまいました。天使たちが墜ちた場所は、とある海の入江でした。だから、そこはいつしか人間たちに天使の入江と呼ばれるようになったのです。そんな訳で、その日から、雲の上にはひとりの天使もいなくなってしまいました。神様だけが、ひとりさびしく雲の上にいるのです。でも、その神様も老衰でお亡くなりになった、そういう噂もあるようです。だから、今、わたしたちに見えるのは、静かで波ひとつない天使の入江と、そして、青い青い空と白い白い雲だけです」
語り終えると、彼はサイド・ボードからブランデーとグラスをふたつ、取り出した。
「飲まない?」
「ワインくらいしか飲んだことがないの」
「それじゃ探してこようか」
「いいわ。あなたと同じで」
味や香りなどをたしなむ余裕もなく喉をおりていったブランデーが、ここちよく熱かった。仕事もなく、生活の匂いのしないふたりが、こんなにのんきにしていられることが現実とも思えず、わたしは不安な気がした。どこか、何かが変なのだ。
「残酷な話ね」
「何が」
「今の、天使の集団自殺のお話」
「ああ」
「何ていう題名なの」
「天使の入江」
「そう。題名もすてき、内容もすてきだけど、でも残酷だわ。天使の涙で子供を殺すなんて。作者は誰?」
「知らない」
「本で読んだんじゃないの」
彼はわたしの目をみつめた。
《病院に入院している時、開放病棟でいっしよだった患者のひとりが、毎日つぶやいていたんだ》
「そうなの」
《もうひとつ、今度は楽しいのを聞かせようか》
わたしはうなづいた。
《日曜の森の泉のほとり、気だてのやさしいモリアオガエルの小さな小さな喫茶店で、約束通りデイトした、ひと見知りするカタツムリの彼と、ひと見知りするカタツムリの彼女。
木の葉の椅子に小石のテーブル、甘い朝露のジュース。これで二度めのデイトというのに、ひと見知りする彼ら、こんにちは、良いお天気ですねと言ったきり、初対面のようにそっけなく、ちょこんと向き合ったまま坐っている。殻に閉じこもってちっともお話しない。
やや、いいかげんにしてくれよ、あのふたり、朝からあのままだ。マスターのモリアオガエル、ひとごとならず気をもんで、いらいらピョンピョン、いらいらピョンピョン、がに股のままカエル跳び。そのたんびカウンターの天井に頭をぶつけ、ギャッと叫んで目をまわす。
それでも不思議なことに、ひと見知りする彼ら、次の日曜も、その次の日曜も、そのまた次の日曜も、のろのろ、のろのろ、やって来るモリアオガエルの喫茶店。けれどもひと見知りする彼ら、いつまでたっても見知らぬ同志のようによそよそしく角をひっこめあい、そんな風にして、一年が過ぎ、二年が過ぎ、九十九回会ってもまだひと見知りする彼ら、心がやわらぎ、みつめあえるようになるのはいつでも夕暮れ、さよならを言う時刻だった。接吻さえも一度もできなかった、家の遠い彼女が門限に間に合うためには、のろのろ、のろのろ、たっぷり三時間は必要だったから。
やれやれ、同じことのくりかえし、全然進歩がない。あのふたり、千年たってもあのままだ。見ているだけで胃が痛む。顔青ざめたモリアオガエルは、やけくそになって跳びあがる。神様、と叫んで跳びはねて、たんこぶだらけの頭をまたぶつけて失神する。
けれどもひと見知りする彼ら、ひと見知りしないためには、ずっといっしょにいるのがよかった。ずっといっしょにいるためには、結婚するのがいちばんよかった。だから結婚した、ひと見知りする彼ら。もちろん式はひっそりと、ミミズク神父の木の上の教会で、招待客はモリアオガエルただひとり》
彼はふっと息を吸って、ブランデーをかなり多めに口にふくみ、そして飲み下した。
「楽しいわ、これは。これも同じひとから聞いたものなの」
《そう》
それはほんとうに嬉しくなるようなお話だった。だがわたしは、テレパシーがなければ彼とわたしもカタツムリの彼と彼女みたいなものだったろうと思ってしまった。多分、わたしたちはただお互いを一瞥したまま、言葉もかわすことなく、通りすぎていただろう。
《残念なことに、この話にはひとつだけ重大な間違いがあるんだ。カタツムリは雌雄同体で、彼も彼女もなかったと思うよ》
「そんなこと、わたしにはどうでもいいことだわ。かわされる言葉が少なくても何かが通じる、そのことがうれしいの、とても。だから、あなたもテレパシーはやめて話してほしいの、今夜は》
わたしたちの声を出しての会話は、だけど時間を費やす割りには相変わらずぎこちなく終った。
十一時にはなっていなかったが、疲れたわたしは彼に案内されて二階の和室に行った。彼は蒲団をふた組並べて敷いた。寒いからと言い、電気敷き毛布をシーツのしたに入れ、更に階下から温風ヒーターを運んで来て電源を入れた。わたしは彼が持って来てくれた、彼のパジャマに着替えて蒲団にもぐりこんだ。
明りが消えて、静寂に身をゆだねて目を閉じると、やはり自分の体が浮遊しているような感覚がした。隣の蒲団のなかで彼も仰向けになっているはずだったが、わたしには、彼もわたし自身も、まるで見捨てられた役立たずの人工衛星みたいに、それぞれが異なった宇宙空間に浮遊している、そんな風にしか感じられなかった。
眠れないまま長い時間が過ぎたような気がした。
彼がわたしの蒲団にすべりこんで来た。わたしは動かなかった。彼の手がおなかに触れ、そして小さな胸を覆った。それから先、わたしは彼の動きを拒むこともなくじっとしていた。だが、彼は途中でわたしから体を離した。
「どうしたの」
彼は答えなかった。温風ヒーターのかすかな明りが映える彼の横顔は天井を仰いでいた。
「どうしたの」
わたしはもう一度訊いた。彼はわたしをみつめた。
《僕は不能なんだ》
《嘘》
《嘘じゃない。君なら大丈夫かも知れないと思ってたが、やっぱりだめだった。ごめん》
《謝ることなんかないわ。わたし、そんなことどうでもいいもの》
その夜、わたしたちはただ抱きあったまま眠った。
それだけでもわたしは十分に満ち足りていた。
それから一週間して、わたしは彼に会った。だが彼の頼りのテレパシーがその日はまったくきかなかった。異変に討づいた彼は、次に会う日を決めてわたしと早々と別れた。
次に会った時も結果は同じだった。ついにわたしたちはテレパシーでは話せなくなったのかも知れなかった。更に翌週会う約束をしたが、彼はその日一時間待っても現われなかった。
それきり、わたしは彼に会っていない。半月に一度行く病院でも姿をみかけることがなかった。
それから、わたしは月に一度か二度、彼と会った。相変わらず彼はテレパシーに頼り、声を出して話すことは故意に避けていた。彼はひとと面と向かって話すことがひどく苦手なのだと思い、わたしも余り口を動かさないことにした。だから、喫茶店などに入っても、わたしたちはコーヒーなどを注文する時に声を出すだけで、あとは黙ってみつめあっているだけだったが、わたしにはそれでも十分楽しかった。
似た者同士だから良かったのだ。きちんとした仕事を持っていない人間は深海魚のようなもので、ひっそりと息をして、ただ生きている、それだけに甘んじていなければならない、そんな考えにわたしはとらわれていたから、わたしと同じように無職のままリズムも抑揚もない毎日をおくっている彼には、やはり黙っていても通じるものが多かったのだ。
彼の父親は建設会社を経営していた。大学を出た兄が大手の建設会社で三年勤めた後、入社し二年で専務になった。その父親と兄に彼は言われた。仕事をしなくてもいい、良いことをしなくてもいい、とにかく悪いことだけはするなと。
《その日から、僕は何もしないことがいちばんいいことだと自分に言いきかせて来たんだ》
二月に、新宿御苑を散歩した後で、近くの喫茶店で向き合っていた時に、そんな話を彼はした。
《だから、僕は外に出てはほんとうに彼らの迷惑になるようなことは、何ひとつしてない。彼らに知られずに良くないことはしているが、知られない限りはしていないと同じことだし》
《何だか息がつまりそうな話ね》
《だから、家では僕は狂人になるんだ。木刀で障子を壊し、テレビを叩き壊し、両親をぶちのめし、僕は荒れ狂ってクズカゴに火をつける。そんな時、僕は自分で狂気を演じているような気もするし、案外狂っている自分の方がほんとうの僕自身であるようを気もして、ますます危険ぎりぎりのところまでいってしまうんだ》
彼はコーヒーのお代わりを頼み、ガラス窓の外に目をやった。雪が舞いはじめていた。
《君は僕を気違いだと思う?》
《わからない》
《わからないことはないはずだよ》
《心を痛んでいるのは確かだけれど、気が変だなんて思えない》
《どんなに病んでいても、それが外に出なければ病気ではないんだよ。僕がどんなにひとを殺したいという願望を持っていても、それが僕の胸に収まっているうちは無いのと同じなんだ》
《今日は何だかへンね》
《ああ、今日の僕は少しへンだね。家に帰りたくない気分だな。これから軽井沢へいかないか》
《軽井沢? 今から行っても、帰って来れないでしょ、だめよ》
《親父の別荘があるんだ。泊まればいい》
《だめよ、姉に言い訳できないもの》
わたしたちは十二時五十分には上野駅にいて、列車に乗りこんでいた。わたしは喫茶店から姉の会社へ電話し、友達の家に泊まると言った。姉は仕事中のためかあれこれ詮索しなかったが、わたしに泊まりこむような親しい友人などいないことは知っているはずだった。その頃、姉にも恋人がいたので、妹のでたらめにも寛容でいられたのかも知れない。
軽井沢に着いて、わたしは今まで体験したことのない寒さに震えあがった。風が無数の針のように顔に吹き当たって痛かった。来なければ良かったと思った。帰りたがるわたしを無視して、彼はわたしをタクシーに押しこんだ。
十分も走らないうちにタクシーは止まった。道の両端は針葉樹が立ち並んでいて、あたりは薄暗かった。新雪は風に吹き飛ばされ、古い雪が固く凍ってガリガリと音をたてた。歩くと転びそうなのでわたしは動けなかった。タクシーが帰ってしまうと、風の音だけが耳をふさいで、わたしはますますそのまま東京へ帰りたくなった。
「寒いから早く入ろう」
彼は珍しく声を出して言い、さっさと歩いて暗い森のなかの別荘の玄関に向かった。
「鍵はあるの」
わたしは彼の後について転ばないように歩きながら、訊ねた。
「ああ、いつも持っているんだ。ひとりで時々来るから」
玄関に入るとホールがあり、右手にダイニング・ルームがあって、わたしたちはそこに入った。風が吹いていない分だけ暖かい気もしたが、それも束の間で体がしんから冷え始めていた。彼はじきに暖かい空気を送り出して来た温風ヒーターの前に椅子を置き、わたしを坐らせた。それから、セントラル・ヒーティングのスイッチを入れに行き、しばらく台所で音を立てていたが、紅茶の入ったカップをふたつ両手で運んで来てテーブルに置いた。
「プランディを少し多めに落としたから、飲むといいよ」
「ありがとう」
「もう少し寒くない時期にすればよかったね」
「ええ」
「食料品も買わずに来てしまったし、今日の夕食は外でしよう。僕がひとりで来た時に行くレストランがあるんだ、まだ誰も連れて行ったことがない」
「そんなのいいわよ。それより何時間かいたら東京へ帰りましょう。最終電車でもいいから」
「帰らないよ。お姉さんだっていいって言ったんだろ」
わたしはその別荘に自分がいることに現実感がなかった。姉とふたり暮らしになってから、わたしはほとんどあの古びた木造モルタル造りの、六畳ふた間に台所、バス、トイレのみの粗末な空間に生きて来た。こんな別荘を持てることはすてきなことには違いないが、胸がむかつく思いもした。誰もが皆、別荘を持っているというのなら話は別だけれども。
わたしは椅子をテーブルのそばに寄せ、紅茶を飲んだ。
「ここではテレパシーなしでも話せるのね」
「そんなこともないけど、ほかに誰もいないだろ」
「でも疲れるわ、声を出さずに脳と脳で直接会話するのも」
「ああ」
彼は曖昧に応えて立ちあがり、ステレオ装置の電源を入れてテープ・デッキにカセット・テープを差しこんだ。バッハのブランデンブルグだった。彼には話したこともないのに、わたしの好きなバッハがかかったことにわたしは驚き、そして嬉しかった。バッハにはわたしに欠けている絶妙なセルフ・コントロールがあった。わたしは部屋の隅にあったロッキング・チェアを中央に出して坐り、揺れながらバッハを聴いた。わたしはそんなにたくさんの音楽家を知らないし、クラシックなどそう聴いてもいなかったが、バッハだけはどの曲を聴いても海が凪にかかるように気持ちが鎮まるのだった。
体が暖まったわたしはいつしか眠っていた。
目覚めた時には、外はすっかり暗くなっていた。わたしたちはタクシーを呼んで、彼が名を告げたレストランへ行き、食事を済ませた。
そして再び別荘に戻ったが、たいした会話もかわさず、テレパシーも使わず、ただ静寂に身をゆだねていている時間の方が長かった。
「あのレストラン、ご夫婦だけで経営してるのね」
「ああ、夏のシーズン中はアルバイトが入るけどね」
「でも、ほんとうにおいしかったわ」
「腕はいいんだ」
「もったいないわね。夏はともかく、冬はお客が少なくて」
「あのふたり、夫婦じゃないんだよ。どちらも妻がいて、夫がいる」
「そうなの。でもすてきな夫婦に見えるわ」
「もう七年になるんだ。あそこで店を開いて」
「そう。ここ、静かね。ひとりで来ている時、怖くない?」
「怖くないさ」
彼はそれでまた黙ってしまった。
「何か話して。静かすぎて、頭のなかが痛くなりそう」
「昔、昔、その昔」
「なあに、それ」
「昔話さ、君のほかには誰も聞いたことのない」
「聞かせて」
「昔、昔、その昔。高い、高い雲の上の神様の国で、心やさしい天使たちがおおぜい、それは平和に、楽しく暮らしていました。でも、ある日のこと、『全能であり全知であるわたしの光を拒む、暗闇の世界である雲の下を見てはいけない。おまえたちは、いつでも太陽と青空とわたしだけを見て暮らすのだ』と、日ごろ、神様からきつく言いつけられていたのに、ひとりの若い天使がその掟を破り、こっそり雲に穴をあけてはるか下の地上を見おろしたのです。
するとどうでしょう。地上では、あちこちで、意味もなく、訳もわからず、たくさんの人間たちが、死んでゆくのです。ひとがひとを殺すも見えました。天使は死ぬことはありません。′だから、姿形はほとんど天使そっくりの入間が死んでゆくのを見るのは、初めてのことでした。あまりに無残な死でした。若い天使は、人間がそんな風に死んでゆくのが悲しくて、思わず大粒の涙をこぼしました。ところがその涙のひとつぶが、ひゅーっと勢いよく地上へ墜ちてゆく間に凍りつき、鋭くとがったガラスのようになって、キラキラ美しく虹色に輝きながらどんどん墜ちていってしまい、おうちの庭で砂遊びしていた三歳の坊やの頭に突き刺さってしまったのです。かわいそうに、坊やは天使にも負けないくらい美しくあどけないほほ笑みを浮かべたまま、死にました。
それを見た若い天使は、自分のせいで坊やが死んでしまったので、気が狂ったように泣き叫んで、雲の果てまで走りました。そして、そこから一気に身を投げたのです。するとどうしたことでしょう。それを見ていたほかの天使たちの顔も暗い悲しみに満ち、誰もが皆、口々に自分があまりにしあわせな天使であることを恥じて、神様が大声で制止するのもきかず、ぞくぞくと、雲の淵から身を投げてしまいました。天使たちが墜ちた場所は、とある海の入江でした。だから、そこはいつしか人間たちに天使の入江と呼ばれるようになったのです。そんな訳で、その日から、雲の上にはひとりの天使もいなくなってしまいました。神様だけが、ひとりさびしく雲の上にいるのです。でも、その神様も老衰でお亡くなりになった、そういう噂もあるようです。だから、今、わたしたちに見えるのは、静かで波ひとつない天使の入江と、そして、青い青い空と白い白い雲だけです」
語り終えると、彼はサイド・ボードからブランデーとグラスをふたつ、取り出した。
「飲まない?」
「ワインくらいしか飲んだことがないの」
「それじゃ探してこようか」
「いいわ。あなたと同じで」
味や香りなどをたしなむ余裕もなく喉をおりていったブランデーが、ここちよく熱かった。仕事もなく、生活の匂いのしないふたりが、こんなにのんきにしていられることが現実とも思えず、わたしは不安な気がした。どこか、何かが変なのだ。
「残酷な話ね」
「何が」
「今の、天使の集団自殺のお話」
「ああ」
「何ていう題名なの」
「天使の入江」
「そう。題名もすてき、内容もすてきだけど、でも残酷だわ。天使の涙で子供を殺すなんて。作者は誰?」
「知らない」
「本で読んだんじゃないの」
彼はわたしの目をみつめた。
《病院に入院している時、開放病棟でいっしよだった患者のひとりが、毎日つぶやいていたんだ》
「そうなの」
《もうひとつ、今度は楽しいのを聞かせようか》
わたしはうなづいた。
《日曜の森の泉のほとり、気だてのやさしいモリアオガエルの小さな小さな喫茶店で、約束通りデイトした、ひと見知りするカタツムリの彼と、ひと見知りするカタツムリの彼女。
木の葉の椅子に小石のテーブル、甘い朝露のジュース。これで二度めのデイトというのに、ひと見知りする彼ら、こんにちは、良いお天気ですねと言ったきり、初対面のようにそっけなく、ちょこんと向き合ったまま坐っている。殻に閉じこもってちっともお話しない。
やや、いいかげんにしてくれよ、あのふたり、朝からあのままだ。マスターのモリアオガエル、ひとごとならず気をもんで、いらいらピョンピョン、いらいらピョンピョン、がに股のままカエル跳び。そのたんびカウンターの天井に頭をぶつけ、ギャッと叫んで目をまわす。
それでも不思議なことに、ひと見知りする彼ら、次の日曜も、その次の日曜も、そのまた次の日曜も、のろのろ、のろのろ、やって来るモリアオガエルの喫茶店。けれどもひと見知りする彼ら、いつまでたっても見知らぬ同志のようによそよそしく角をひっこめあい、そんな風にして、一年が過ぎ、二年が過ぎ、九十九回会ってもまだひと見知りする彼ら、心がやわらぎ、みつめあえるようになるのはいつでも夕暮れ、さよならを言う時刻だった。接吻さえも一度もできなかった、家の遠い彼女が門限に間に合うためには、のろのろ、のろのろ、たっぷり三時間は必要だったから。
やれやれ、同じことのくりかえし、全然進歩がない。あのふたり、千年たってもあのままだ。見ているだけで胃が痛む。顔青ざめたモリアオガエルは、やけくそになって跳びあがる。神様、と叫んで跳びはねて、たんこぶだらけの頭をまたぶつけて失神する。
けれどもひと見知りする彼ら、ひと見知りしないためには、ずっといっしょにいるのがよかった。ずっといっしょにいるためには、結婚するのがいちばんよかった。だから結婚した、ひと見知りする彼ら。もちろん式はひっそりと、ミミズク神父の木の上の教会で、招待客はモリアオガエルただひとり》
彼はふっと息を吸って、ブランデーをかなり多めに口にふくみ、そして飲み下した。
「楽しいわ、これは。これも同じひとから聞いたものなの」
《そう》
それはほんとうに嬉しくなるようなお話だった。だがわたしは、テレパシーがなければ彼とわたしもカタツムリの彼と彼女みたいなものだったろうと思ってしまった。多分、わたしたちはただお互いを一瞥したまま、言葉もかわすことなく、通りすぎていただろう。
《残念なことに、この話にはひとつだけ重大な間違いがあるんだ。カタツムリは雌雄同体で、彼も彼女もなかったと思うよ》
「そんなこと、わたしにはどうでもいいことだわ。かわされる言葉が少なくても何かが通じる、そのことがうれしいの、とても。だから、あなたもテレパシーはやめて話してほしいの、今夜は》
わたしたちの声を出しての会話は、だけど時間を費やす割りには相変わらずぎこちなく終った。
十一時にはなっていなかったが、疲れたわたしは彼に案内されて二階の和室に行った。彼は蒲団をふた組並べて敷いた。寒いからと言い、電気敷き毛布をシーツのしたに入れ、更に階下から温風ヒーターを運んで来て電源を入れた。わたしは彼が持って来てくれた、彼のパジャマに着替えて蒲団にもぐりこんだ。
明りが消えて、静寂に身をゆだねて目を閉じると、やはり自分の体が浮遊しているような感覚がした。隣の蒲団のなかで彼も仰向けになっているはずだったが、わたしには、彼もわたし自身も、まるで見捨てられた役立たずの人工衛星みたいに、それぞれが異なった宇宙空間に浮遊している、そんな風にしか感じられなかった。
眠れないまま長い時間が過ぎたような気がした。
彼がわたしの蒲団にすべりこんで来た。わたしは動かなかった。彼の手がおなかに触れ、そして小さな胸を覆った。それから先、わたしは彼の動きを拒むこともなくじっとしていた。だが、彼は途中でわたしから体を離した。
「どうしたの」
彼は答えなかった。温風ヒーターのかすかな明りが映える彼の横顔は天井を仰いでいた。
「どうしたの」
わたしはもう一度訊いた。彼はわたしをみつめた。
《僕は不能なんだ》
《嘘》
《嘘じゃない。君なら大丈夫かも知れないと思ってたが、やっぱりだめだった。ごめん》
《謝ることなんかないわ。わたし、そんなことどうでもいいもの》
その夜、わたしたちはただ抱きあったまま眠った。
それだけでもわたしは十分に満ち足りていた。
それから一週間して、わたしは彼に会った。だが彼の頼りのテレパシーがその日はまったくきかなかった。異変に討づいた彼は、次に会う日を決めてわたしと早々と別れた。
次に会った時も結果は同じだった。ついにわたしたちはテレパシーでは話せなくなったのかも知れなかった。更に翌週会う約束をしたが、彼はその日一時間待っても現われなかった。
それきり、わたしは彼に会っていない。半月に一度行く病院でも姿をみかけることがなかった。
あと20日
久しぶりに雨が降らない様子なので、午後、ソバ栽培予定地へ行き、トラクターで二度目の耕起。先日はまだ土が見えていたのに、今日は雑草がびっしり、真っ青。
これで8月7日前後を予定している播種の、その直前にもう一度丁寧に耕運して同じ幅で平らにすれば、その筋を目安にごんべえ君を走らせるだけで播種作業終了となる。ごんべえ君を押すだけの作業なのでお手伝いは要らないかもしれない。とにかく人手がいるのは秋の収穫作業だ。
前にも書いたように、いったんソバが発芽してしまえば、アレロパシーといって他の植物の発芽を抑制するということなので、雑草退治に追われないで済み、横着者にはもってこいです。
播種まであと20日。
これで8月7日前後を予定している播種の、その直前にもう一度丁寧に耕運して同じ幅で平らにすれば、その筋を目安にごんべえ君を走らせるだけで播種作業終了となる。ごんべえ君を押すだけの作業なのでお手伝いは要らないかもしれない。とにかく人手がいるのは秋の収穫作業だ。
前にも書いたように、いったんソバが発芽してしまえば、アレロパシーといって他の植物の発芽を抑制するということなので、雑草退治に追われないで済み、横着者にはもってこいです。
播種まであと20日。
ネットの向こうの先生
いろいろ検索しているうちに未来社のページに迷い込んでしまい、あれっと思うようなこんなページにたどり着いてしまいました。HOMEまで戻ってみると、左のコンテンツに「未來社アーカイヴ」があり、そこから入ると『出版のためのテキスト実践技法 増補・改訂版』、『執筆と編集のためのパソコン技法』など参考になるコンテンツが公開されています。内部だけの隠しページではないようで、しかもこの文章、社長が書かれている様子。さすがは未来社!
2002年、2003年の記事ですが、基本的なことは今でも変わりません。
2002年、2003年の記事ですが、基本的なことは今でも変わりません。
わたしたちの夢祭り(5)
優生。彼とは手を握りあうこともなかった。会っても恋人と言えるような会話などろくにした記憶もなかった。主体性のないわたしは彼の行く場所について行き、まるで幽霊がふたりデイトしているみたいに静かにそこに居ただけだった。
彼と会ったのは、大学病院の神経内科待合室だった。壁に沿って置かれている長椅子に坐っていると、ずっとわたしを凝視したまま目を離さない若い男がいた。初めはわたしもその視線を無視していたが、それは涼しい目で、わたしをみつめているというより、わたしを透過してわたしの後に何かを見ているのだと思わせた。わたしも彼をみつめた。そのうちに、彼の切れ長な目からわたしの目へ何かが伝わり始めたのだった。
《君はどうして、ここにいるの》
確かにそう言っているようにわたしには思えた。
《どうして僕の質問に答えないの》
わたしは驚いて、彼の目に向かってやはり目で答えるつもりで思った《失神する病気なの。時と場所と状況もわきまえずに倒れてしまう》
《失神》
《そう、気を失って倒れてしまうの。わたしの意思とは無関係に》
《神を失くす病気か、羨ましいな。僕なんか四六時中、神に監視されたり命令されたりしてるんだ。余りにうんざりするので、この間は母親を張り倒したばかりなんだ、神の命令を装って》
《羨ましいなんて言わないで。倒れた時はただわたしがわたしでなくなるだけだもの》
《その方が幸せさ。僕はいつでも僕が僕でなくなるにはどうしたらいいか考えている》
《わたしはいつでもわたしでありたいと願っているわ。あなたは?》
《何が?》
《あなたはどうしてここにいるの》
《退屈だからさ。僕は隣の精神科でもう診察は済んだ。気違い予備軍って訳、驚いた? 向こうの椅子がいっぱいなのでここに坐っていただけ。家に帰る気分でもないし》
その時わたしの名が呼ばれ、彼との無言の会話は中断された。診察室で、わたしは医師の決りきった質問には上の空で彼との会話について考えていた。わたしが目の前に坐っていた彼との間に勝手に会話を想像していたにすぎないか、それとも言葉に頼らない感応が確かにあったのか。残念ながらわたしの妄想に違いないと思うほかはなかった。 十五分ほどで診察が済み、廊下に出ると彼はまだ同じ椅子に坐っていて、わたしは思わずクスリと笑ってしまった。彼はにこりともせずわたしをにらみつけていた。わたしはカルテと処方せんの入ったビニール・ケースを伝票受付けに出すために、そのまま一階のホールへ行こうと思った。
《待ってくれよ》
わたしはぞっとした。彼の口は動いていなかったのだ。まだわたしを見続けている彼を無視して、わたしはエレベーターのある方向に向かって廊下を歩き始めた。
彼はわたしの後をついて来るのだった。わたしは怖くなった。エレベーターのなかでまた彼の声が聞こえたらどうしようと思ったが、看護婦さんや患者さんたちが七人乗り合わせたので、そ知らぬ顔でわたしも乗ることができた。それでも彼はわたしから目を離さなかったので、わたしは彼に背を向けるように体をずらした。彼の声は聞こえなかった。
伝票受付けを済ませたわずかの間に彼の姿は見当たらなくなっていた。わたしは安心してホールの広い待合室で会計と薬の順番を待った。どちらも順番が来るとアナウンスされるが、ぼんやりしているわたしは聞きのがしてしまうことが多かった。急いで帰る必要もなかったし、部屋に一日居るよりは、このホールの雑踏で様々なひとたちを見ている方がよかった。だから月に二回の通院も欠かさなかった。
あっ。いつの間にか向き合いの長椅子に彼が坐っているのをわたしが認めると、同時に彼の声がまるでヘッド・ホーンを耳に当てている時のように、頭のなかの中央で響いた。わたしは思わず彼の目に注目してしまった。
《君は僕を避けているね》
《いいえ》
《だけど、君は意識して僕を見ないようにしている》
《ごめんなさい。怖いの、とても》
《僕が?》
《そうじゃなくて、こんな風にあなたとお話できることがひどく怖い。わたしひとりの妄想のように思えて》
《それは違う。妄想なんかじゃないんだ。僕にも君の声が聞こえる》
《テレパシー?》
《そうだ》
《あなたはいつでもこんな風にひととお話してるの》
《いや、僕も今日が初めてだ。あそこで何気なく考えたことに、思いがけず君の反応があったので僕もびっくりした》
《やっぱり怖いわ、こんなこと》
《君の隣の席があいたけど、そこに坐ってもいいかい》
彼の言う通り、わたしの右隣に腰かけていたはずの中年の女性がいなかった。彼に向かってこっくりうなづくと、彼はわたしの隣に並んで腰を下ろした。だけど、彼はすぐにはわたしに口をきかなかった。
「おかしい」
しばらくして、聞きとれないくらい小さな声が、彼の口からもれた。彼は立ちあがってわたしに顔を向け、後ずさりしながら向かいの椅子のあたりでとまった。
《どうもおかしい。どうやら僕たちのテレパシーには一定の法則があって、その条件にかなった時だけ通じるらしい。ちょっと試してみるから、ぼくから目を離さないで》
彼は、更に後ろ向きに歩いて受付けのカウンターの前を通り過ぎ、顔の輪郭が判断出来ないくらい遠くへ行った。そして足早に戻って来て、さっき坐っていた向かいの椅子に腰をおろした。
《やっぱりそうだ。君の隣に並んで坐ったら通じなかったし、向き合っていても、余り遠く離れてしまえばテレパシーはきかない》
《わたしはその方がいいわ。だって、いつでも、どこでも通じるのでは、うるさくてノイローゼになってしまいそうだもの》
《君は嫌なのか、こんな風に誰にも気づかれることなく会話ができることが》
《そんなことはないけど、でもわたしは今でも半信半疑だわ、こんなこと。わたしは非科学的なのは余り好きじやないし》
《向き合ってせいぜい2~3メートル前後の距離だね。それも、目と目が合っていなければだめみたいだ》
《おかしいわね》
《何が》
《あなたの目、輝いている、子供が何か夢中になって話している時のように》
彼は怒ったような顔をして目を伏せ、しばらくして再びわたしを見た時には元通りの表情になっていた。彼が気を悪くしたのは確かだったが、わたしは彼と話をするのが煩わしくなった。
《わたしは今日のあなたとの不思議な体験を、やはり夢としか思えないと思うわ、この病院を出て家に帰ってしまえばありえない夢》
《夢じゃないさ。僕たち以外の、例えば、今、君の隣に腰をおろした、顔色の悪い、教師みたいな感じの男、彼にはまったく非現実的なありもしないことでしかないだろうけど、君と僕、ふたりにとっては、ごまかしようのない現実なんだ》
《疲れたから、もう目を閉じていいかしら》
彼は残念そうな顔をしたが、黙ってうなづいたので、わたしはうつむくようにして目を閉じた。そうすると更に、疲れがそうさせるのか、頭が通常の重み以上に重く感じられ、わたしはますますひどく前のめりの格好になってしまった。わたしは腕を組んで、椅子から転げ落ちないように上体を支えた。
わたしにはテレパシーなどどうでもよかった。体が正常にさえ働いてさえくれれば、ほかに望むことはなかった。その時わたしはまだ十九歳になったばかりだったし、まともに毎日勤めに行くという希望も捨ててはいなかった。仕事も与えられずに、ただ、病院や図書館や部屋で時を浪費しているのは、つらいことだった。
会計を済ませ、薬局で薬袋を手渡されるのを彼は待っていたが、わたしは彼の前に立ち、きっぱりと声を出して言った。
「わたし、これで帰りますけど」
彼は小さな声で言った。
「もう一度、あの椅子に坐ってほしいんだけど」
彼は声を出して話すのは苦手なのかも知れず、わたしの顔から目をはずして言った。わたしは彼の言うままにした。すると彼はわたしの顔を見すえて電波を発信したのだった。
《多分、またこの病院で会えるかも知れないけど、そうじゃなくて、外で、一週間に一度、僕と会ってくれませんか》
《いいけど、毎週なんて無理よ。二週間に一度くらい、いえ、そんな風には決められないわ》
とりあえず、来週の今日に会う約束をし、わたしたちは並んで病院の玄関を出た。そこから駅まで十分近く、彼はわたしにひとことも口をきかなかったし、駅のホームで、わたしが連絡橋を渡って彼とは反対のホームへ行こうとしても、何も言わなかった。わたしは彼に向かっておよそ二メートルの間隔をとり、はっきりと言った。
「さよなら」
彼は口を動かさずに応えた。
《さようなら、また来週。待っているよ》
それから、向こうのホームの鉄柱に痩せた体をあづけるようにして立っている彼を、わたしは隣のホームでずっと見ていた。
やはり、彼の言う通り、距離が少し離れすぎているのか、彼の声はわたしの頭まで届かなかったし、わたしの質問も彼には通じなかったみたいだった。
《あなたの名前は何ていうの。わたし、聞いてなかったわ》
わたしはホームに電車が入って来るまでずっと、彼に向かって頭のなかで言い続けた。彼もわたしから目を離さないではいたけれど、時々、ホームの屋根に挟まれた空に気をとられて顔をあげるような素振りをした。その表情は一度も話したことのない未知のひとのもののように感じられ、わたしには病院での彼とのテレパシーが、やはりわたしだけの白日の夢に傾斜して行くように思えた。もしも夢でないにしても、ふとそれが通じなくなる日が必ずあるという予感がした。
彼と会ったのは、大学病院の神経内科待合室だった。壁に沿って置かれている長椅子に坐っていると、ずっとわたしを凝視したまま目を離さない若い男がいた。初めはわたしもその視線を無視していたが、それは涼しい目で、わたしをみつめているというより、わたしを透過してわたしの後に何かを見ているのだと思わせた。わたしも彼をみつめた。そのうちに、彼の切れ長な目からわたしの目へ何かが伝わり始めたのだった。
《君はどうして、ここにいるの》
確かにそう言っているようにわたしには思えた。
《どうして僕の質問に答えないの》
わたしは驚いて、彼の目に向かってやはり目で答えるつもりで思った《失神する病気なの。時と場所と状況もわきまえずに倒れてしまう》
《失神》
《そう、気を失って倒れてしまうの。わたしの意思とは無関係に》
《神を失くす病気か、羨ましいな。僕なんか四六時中、神に監視されたり命令されたりしてるんだ。余りにうんざりするので、この間は母親を張り倒したばかりなんだ、神の命令を装って》
《羨ましいなんて言わないで。倒れた時はただわたしがわたしでなくなるだけだもの》
《その方が幸せさ。僕はいつでも僕が僕でなくなるにはどうしたらいいか考えている》
《わたしはいつでもわたしでありたいと願っているわ。あなたは?》
《何が?》
《あなたはどうしてここにいるの》
《退屈だからさ。僕は隣の精神科でもう診察は済んだ。気違い予備軍って訳、驚いた? 向こうの椅子がいっぱいなのでここに坐っていただけ。家に帰る気分でもないし》
その時わたしの名が呼ばれ、彼との無言の会話は中断された。診察室で、わたしは医師の決りきった質問には上の空で彼との会話について考えていた。わたしが目の前に坐っていた彼との間に勝手に会話を想像していたにすぎないか、それとも言葉に頼らない感応が確かにあったのか。残念ながらわたしの妄想に違いないと思うほかはなかった。 十五分ほどで診察が済み、廊下に出ると彼はまだ同じ椅子に坐っていて、わたしは思わずクスリと笑ってしまった。彼はにこりともせずわたしをにらみつけていた。わたしはカルテと処方せんの入ったビニール・ケースを伝票受付けに出すために、そのまま一階のホールへ行こうと思った。
《待ってくれよ》
わたしはぞっとした。彼の口は動いていなかったのだ。まだわたしを見続けている彼を無視して、わたしはエレベーターのある方向に向かって廊下を歩き始めた。
彼はわたしの後をついて来るのだった。わたしは怖くなった。エレベーターのなかでまた彼の声が聞こえたらどうしようと思ったが、看護婦さんや患者さんたちが七人乗り合わせたので、そ知らぬ顔でわたしも乗ることができた。それでも彼はわたしから目を離さなかったので、わたしは彼に背を向けるように体をずらした。彼の声は聞こえなかった。
伝票受付けを済ませたわずかの間に彼の姿は見当たらなくなっていた。わたしは安心してホールの広い待合室で会計と薬の順番を待った。どちらも順番が来るとアナウンスされるが、ぼんやりしているわたしは聞きのがしてしまうことが多かった。急いで帰る必要もなかったし、部屋に一日居るよりは、このホールの雑踏で様々なひとたちを見ている方がよかった。だから月に二回の通院も欠かさなかった。
あっ。いつの間にか向き合いの長椅子に彼が坐っているのをわたしが認めると、同時に彼の声がまるでヘッド・ホーンを耳に当てている時のように、頭のなかの中央で響いた。わたしは思わず彼の目に注目してしまった。
《君は僕を避けているね》
《いいえ》
《だけど、君は意識して僕を見ないようにしている》
《ごめんなさい。怖いの、とても》
《僕が?》
《そうじゃなくて、こんな風にあなたとお話できることがひどく怖い。わたしひとりの妄想のように思えて》
《それは違う。妄想なんかじゃないんだ。僕にも君の声が聞こえる》
《テレパシー?》
《そうだ》
《あなたはいつでもこんな風にひととお話してるの》
《いや、僕も今日が初めてだ。あそこで何気なく考えたことに、思いがけず君の反応があったので僕もびっくりした》
《やっぱり怖いわ、こんなこと》
《君の隣の席があいたけど、そこに坐ってもいいかい》
彼の言う通り、わたしの右隣に腰かけていたはずの中年の女性がいなかった。彼に向かってこっくりうなづくと、彼はわたしの隣に並んで腰を下ろした。だけど、彼はすぐにはわたしに口をきかなかった。
「おかしい」
しばらくして、聞きとれないくらい小さな声が、彼の口からもれた。彼は立ちあがってわたしに顔を向け、後ずさりしながら向かいの椅子のあたりでとまった。
《どうもおかしい。どうやら僕たちのテレパシーには一定の法則があって、その条件にかなった時だけ通じるらしい。ちょっと試してみるから、ぼくから目を離さないで》
彼は、更に後ろ向きに歩いて受付けのカウンターの前を通り過ぎ、顔の輪郭が判断出来ないくらい遠くへ行った。そして足早に戻って来て、さっき坐っていた向かいの椅子に腰をおろした。
《やっぱりそうだ。君の隣に並んで坐ったら通じなかったし、向き合っていても、余り遠く離れてしまえばテレパシーはきかない》
《わたしはその方がいいわ。だって、いつでも、どこでも通じるのでは、うるさくてノイローゼになってしまいそうだもの》
《君は嫌なのか、こんな風に誰にも気づかれることなく会話ができることが》
《そんなことはないけど、でもわたしは今でも半信半疑だわ、こんなこと。わたしは非科学的なのは余り好きじやないし》
《向き合ってせいぜい2~3メートル前後の距離だね。それも、目と目が合っていなければだめみたいだ》
《おかしいわね》
《何が》
《あなたの目、輝いている、子供が何か夢中になって話している時のように》
彼は怒ったような顔をして目を伏せ、しばらくして再びわたしを見た時には元通りの表情になっていた。彼が気を悪くしたのは確かだったが、わたしは彼と話をするのが煩わしくなった。
《わたしは今日のあなたとの不思議な体験を、やはり夢としか思えないと思うわ、この病院を出て家に帰ってしまえばありえない夢》
《夢じゃないさ。僕たち以外の、例えば、今、君の隣に腰をおろした、顔色の悪い、教師みたいな感じの男、彼にはまったく非現実的なありもしないことでしかないだろうけど、君と僕、ふたりにとっては、ごまかしようのない現実なんだ》
《疲れたから、もう目を閉じていいかしら》
彼は残念そうな顔をしたが、黙ってうなづいたので、わたしはうつむくようにして目を閉じた。そうすると更に、疲れがそうさせるのか、頭が通常の重み以上に重く感じられ、わたしはますますひどく前のめりの格好になってしまった。わたしは腕を組んで、椅子から転げ落ちないように上体を支えた。
わたしにはテレパシーなどどうでもよかった。体が正常にさえ働いてさえくれれば、ほかに望むことはなかった。その時わたしはまだ十九歳になったばかりだったし、まともに毎日勤めに行くという希望も捨ててはいなかった。仕事も与えられずに、ただ、病院や図書館や部屋で時を浪費しているのは、つらいことだった。
会計を済ませ、薬局で薬袋を手渡されるのを彼は待っていたが、わたしは彼の前に立ち、きっぱりと声を出して言った。
「わたし、これで帰りますけど」
彼は小さな声で言った。
「もう一度、あの椅子に坐ってほしいんだけど」
彼は声を出して話すのは苦手なのかも知れず、わたしの顔から目をはずして言った。わたしは彼の言うままにした。すると彼はわたしの顔を見すえて電波を発信したのだった。
《多分、またこの病院で会えるかも知れないけど、そうじゃなくて、外で、一週間に一度、僕と会ってくれませんか》
《いいけど、毎週なんて無理よ。二週間に一度くらい、いえ、そんな風には決められないわ》
とりあえず、来週の今日に会う約束をし、わたしたちは並んで病院の玄関を出た。そこから駅まで十分近く、彼はわたしにひとことも口をきかなかったし、駅のホームで、わたしが連絡橋を渡って彼とは反対のホームへ行こうとしても、何も言わなかった。わたしは彼に向かっておよそ二メートルの間隔をとり、はっきりと言った。
「さよなら」
彼は口を動かさずに応えた。
《さようなら、また来週。待っているよ》
それから、向こうのホームの鉄柱に痩せた体をあづけるようにして立っている彼を、わたしは隣のホームでずっと見ていた。
やはり、彼の言う通り、距離が少し離れすぎているのか、彼の声はわたしの頭まで届かなかったし、わたしの質問も彼には通じなかったみたいだった。
《あなたの名前は何ていうの。わたし、聞いてなかったわ》
わたしはホームに電車が入って来るまでずっと、彼に向かって頭のなかで言い続けた。彼もわたしから目を離さないではいたけれど、時々、ホームの屋根に挟まれた空に気をとられて顔をあげるような素振りをした。その表情は一度も話したことのない未知のひとのもののように感じられ、わたしには病院での彼とのテレパシーが、やはりわたしだけの白日の夢に傾斜して行くように思えた。もしも夢でないにしても、ふとそれが通じなくなる日が必ずあるという予感がした。
2007年7月18日水曜日
愚行の連続
先ほど、ちょいとヴィアンについて検索しているうちに、ある大きな古書店に『海』1970年11月号/特集・ボリス・ヴィアンの世界/が1冊あるのを発見。思わず、発作的に注文してしまった。まるでパブロフの犬状態です。
この雑誌、だいぶ日焼けしてはいるものの、すでに持っているのです。
同じ雑誌を2冊も持とうとし、その上、先日、単行本の『屠殺屋入門』まで入手しているのだから、完璧にアホである。(オタクというのはそういうものかと思えば納得)
先日もある芸術系大学から「屠殺屋入門」で検索に来ていたし、どうしても必要なひとのために確保していると思えばいいか。
(検索でここに来られて、『屠殺屋入門』をどうしても読みたい方がおられましたら、ご連絡下さい)……って、完璧アホです。
それにしても、旧作など振り返るものではありません。恥やら苦痛やら。
Lydwineさんも始めてしまいましたが、まあ、裸足で茨の上を歩くのがひとりでないのは、お互いに少しは心強いですね。
この雑誌、だいぶ日焼けしてはいるものの、すでに持っているのです。
同じ雑誌を2冊も持とうとし、その上、先日、単行本の『屠殺屋入門』まで入手しているのだから、完璧にアホである。(オタクというのはそういうものかと思えば納得)
先日もある芸術系大学から「屠殺屋入門」で検索に来ていたし、どうしても必要なひとのために確保していると思えばいいか。
(検索でここに来られて、『屠殺屋入門』をどうしても読みたい方がおられましたら、ご連絡下さい)……って、完璧アホです。
それにしても、旧作など振り返るものではありません。恥やら苦痛やら。
Lydwineさんも始めてしまいましたが、まあ、裸足で茨の上を歩くのがひとりでないのは、お互いに少しは心強いですね。
わたしたちの夢祭り(4)
一瞬の強い光を暁に感じたわたしが目を開けると、男がポラロイド・カメラを構えていた。
「厭よ」
そう叫びながらわたしは両足を閉じ、毛布を引きあげて体を覆った。男は笑っていた。そしてカメラから引き出した写真ができるのを待ちながら言った。
「これもさっき渡したお金のうちに入っているんだ。ここにいる間、僕が君をどうしようと君は文句は言えない」
彼はわたしの目の前に写真を突き出した。両足を開いたわたしの体の、中心の亀裂が写されていた。わたしはそれを男の手から奪おうとしたが、彼はひらりと遠くへ手をやった。
「お願いだから、その写真を破らせて」
「顔は写っていないんだから気にすることはないさ」
男はそう言ってカメラと写真を床に置き、再びベッドに乗ってわたしの体にのしかかって来た。わたしはすっかり諦めていた。
三万円のかたに、男がわたしの体をめちゃくちゃに使用している間に、今までのそう長くはない人生のなかでたったひとり、こんなどうしようもない体のわたしにアロポーズしてくれたひとのことをわたしは考えていた。それは優生ではなく、別の男性だった。
彼との出会いも、不幸なことにわたしの病気が緑だった。十九歳の夏の初めの日の午後だった。わたしは図書館の玄関を出たとたんに強いめまいを起こした。かろうじて前へ崩れるように倒れたわたしを銀杏の木の下のベンチまで運び、意識が戻るまで見ていてくれたのが彼だった。その後、彼はわたしを駅まで送ってくれた。
それから何回か図書館で席を並べ、庭のベンチや近くの喫茶店で話をした。彼も失業中だった。と言っても、彼は自ら敢えて得た教職を三年で放棄したのだったが、それで、お金もいらず時を過ごせるというわたしと同じ理由で図書館へ来ていたのだった。
誘われて彼のアパートへついて行き、ごく自然にわたしは彼に抱かれた。わたしには初めてのことだったが、何とも言いようのない至福感にひかれるように、わたしは間もなく日曜日を除くほとんど毎日彼のアパートに通うようになった。夏休みになって、図書館はわたしたちのような半端な者には居心地悪いほどの満席が続くので、なおさらわたしは彼の部屋へ行っているほかなかった。掃除とお洗濯をし、料理を作り、彼と散歩し、スーパー・マーケットでお買物をし、本屋で時間をつぶし、花屋をひやかし、そして喫茶店で喋り、そんな誰でもが普通に過ごしているはずの他愛のない時間が、わたしにはこの上なく貴重なものに感じられてならなかった。無職でたった一円かせぐこともできないのに、そんな気楽な毎日を何の反省もなく過ごしていたわたしは、今となっては姉を押し漬す元凶でしかなかったのだけれど、その時はそんなことを者える余裕もなかった。
二ケ月ほど過ぎて、彼は小さな学習塾に講師として勤めることになった。わたしの楽しい時間が少し減り、彼は午後一時にはでかけて行った。夕方まで教材の準備をし、それから小学生と中学生を教え、帰るのは十時から十一時頃になる。わたしは彼のために簡単な夜食の下ごしらえをしてから帰ることが多かった。それは奇妙にわびしい行為だった。自分がなぜそこでおにぎりやワカメ汁やスープなどを作っているのかわからなくなったり、無人の世界でただひとり立って、庖丁でまな板をとんとん叩いているような気分に陥って、料理を作りかけのまま彼の部屋から逃げだしてしまうことが度々あった。
ある日、彼は何の前触れもなくわたしを旅行に誘った。わたしにはそんな余裕などあるはずがなかった。彼はどうしてもわたしを連れて行きたいとねばった。わたしにもっと外の空気を吸うべきだと言った。確かにわたしは両親が亡くなって姉に生活を見てもらうようになってから、旅行らしいことは一度もしてなかった。東京都内から外へ出た記憶さえ余り無かった。黙って彼の言うことを聞いていたら偏頭痛が始まり、わたしはいきなりさよならを言って彼の部屋からとび出した。発作が起こりそうな予感が確かなものに思えて、わたしは電車に乗る気にもなれず、四十分近く歩いて家に戻った。ベッドにたどりつく前に頭のなかが焦げるように熱くなり、暗くなってわたしは台所の床に倒れた。
それから三日、彼に会いには行かなかった。もう彼のところへ行くのはよそうかと、そんなことばかり考えていた。彼ともそう長くはつき合ってはいられないような予感がした。
それでいて四日目には朝から落ち着かず、わたしは電車に乗って彼の澄む街に降り立ち、駅前のパン屋で食パンとロール・パンを買っていた。そして、通いなれた、自動車も通れない狭い裏小路を抜けて彼の部屋のドアをノックしていた。
「誰」
わたしはこんな時すぐに声が出ない。自分の名を言うことができない。それなのに彼はいつでも誰かと問うのだ。黙って立っているとドアが開かれ、眠そうな彼の顔がのぞいたが、一瞬、わたしは来てしまったことを猛烈に悔やんだ。
「この間はどうしたの」
「ちょっと頭痛がして」
「やっぱりそうか。そうだと思って後を追わなかった。ずっと調子が悪かったの、三日も来なくて」
「ううん、そうじゃないの。用事ができてしまって」
わたしは彼の部屋に上がっていた。夕べは遅くまで起きていたからもう少し寝ていたいと彼は言い、ベッドに入った。手招きで誘われてわたしは彼の隣にもぐりこんだ。
ひと月もしないうちに、姉には高校時代のクラス・メイトと三人連れだと見えすいた嘘をついて、わたしは彼と京都へでかけていた。一時間先の予定も立てず、彼の足の向くまま名も知らぬ小路を歩いては寺院や喫茶店で休息する、そんな散歩めいた日をわたしたちは三日過ごした。見知らぬ土地にたいした目的もなしにいて、ただ時が頭の上を過ぎて行くのを漫然と感じていた。姉のことも病気のこともわたしは忘れていたが、それもふと思い出すと、余りにはっきりとした映像を持ってはいても現実感のない夢のように思え、東京に帰るのがひとつのためらいになった。かと言って彼と肩を並べて歩いているのも、もっと頼りがいのない、薄い膜が破れたらそれっきり消滅してしまいそうな夢だった。
最後の夜、彼は蒲団のなかに入ってからもう一度起きて、わたしに結婚してほしいと言った。明日、早めに京都を出て彼の実家へ寄って行こうとも言った。彼の家は名古屋から電車で三十分ほど離れた町だった。
わたしはまだ結婚を考える年齢ではなかった。そうでなくても、どうしてわたしが結婚なんかできるのだろう。
「できないわ」
そう答えた自分がひどく無念だった。あふれてくる涙もそのままに、ぼんやり薄明りのなかに見える天井の杉板の木目を見ていた。すると彼は蒲団に入り、わたしを強く抱きしめた。そしてわたしの浴衣の腰紐を解こうとした。わたしは身をかたくして浴衣の前に両手をしっかり組んだ。
不運なことに、その時何の兆しもなくいきなりわたしのいつもの発作が始まった。全身の筋肉が脱力してゆく。夜、こんなに突然発作が起こるのは初めてのことだった。意識が緩やかに暗くなりだした。彼に何か言おうとしたが、唇は動かず、声も出なかった。
彼が結婚など口にしなければ、わたしの小さな幸福はまだもう少し長続きしたはずだった。彼のひと言で、わたしは仕事も続かず姉の世話になって、ただ目立たず小さくなって生き物として生きているだけの病気持ちの女に戻ってしまった。もう、彼を拒むしかなかった。
消え入る寸前のわたしの細い意識の先端が、そこにだけ鋭敏な神経を残しているのか、彼の右手の動きだけがはっきりと感知された。左の胸にしばらくとどまり、わたしの心臓の真上をぐるぐるめぐっていた彼の手は、脇腹を滑り降りて尖った腰骨に届いた。そして更に彼の唇が左の胸の頂きに触れてきた。右手はショーツのゴムの下をかいくぐり、皮下脂肪の少ないおなかやお尻を撫でまわしていた。
今、彼には拒んでいるわたしの気持ちがまったく通じていないし、わたしの脳が消え入りそうに微かに明滅しているのにも気づいていないのだ。そう考えるとわたしの意識は闇の深みにはまったままになった。頭痛はなく、睡魔に引きこまれる時と同じ感覚だった。その後彼がわたしの体をどうしたか、わたしには全然わからないし、彼にそのことを問い正す気もなかったが、そのまま朝まで目覚めることもなくだらしなく眠りこけていたのは確かなことだった。
翌朝、わたしたちは言葉少ない朝食をとった。今日、これで東京へ帰ったら、多分もう二度と彼には会わないとわたしは思っていた。ふと目が合うと彼が口を開いた。
「僕はどうしても君と結婚したい」
「だめよ。わたしの病気のこと知ってるでしょ」
「僕は君のすぐ前を歩いていたいんだ。風は僕に当たる」
「あなたはわたしを哀れんでいるだけだわ。同情では一緒に暮せない」「同情なんかじゃない。結婚が嫌なら、先ず.一緒に居てくれるだけでいい。そうすれば僕の気持ちもわかるはずだ」
わたしの気持ちはすでに自分だけしか入れない穴に落ちこんでいた。一分でも早く宿を出て、彼が見えない所へ行きたかった。わたしは洗面所に立って、せっかく彼が目覚めるより早く起きてしたお化粧をもう一度洗い流した。鏡のなかのわたしの頬には、色素が抜けて真っ白な部分があるのだ、頬の面積のほぼ半分近く。わたしはこのことは姉と医師以外の人間には言ったことがなかった。まして見せたこともなかった。彼には隠していたその顔で、わたしは彼の目の前に正座した。彼は十分驚いたようだった。追い討ちをかけるように、これは遺伝するものだとわたしは嘘をついた。ほんとうはそうではなかったのだけれど、それは卒倒する病気がはっきり現われてから一年ほどしてから出て来た症状で、医師は単独の別の病気ではなく、わたしの失神発作と根は同じに見ているらしかった。
彼はわたし以上に寡黙になった。ふたりとも帰るのに必要な言葉だけを言い、答えた。午前中に新幹線に乗って、東京駅でわたしは姉の勤め先に寄って行くと彼に言い、そしてそのまま別れた。それきりわたしは彼のアパートを訪ねなかった。彼がわたしを訪ねて来ることもなかった。再びわたしは図書館に通うしかなかったが、彼と会うこともなかった。
うんざりするほどの時間が経過してから、男はわたしの体を解放してさっさと原色のきつい猥雑な部屋を出て行った。わたしはしばらく呆然として動けなかった。毎日こんなことをして借金を返す気にはなれなかった。借金を抜きにしても、体を売って生きる意味を見出だせなかった。それは、単に勤め人が自分のほとんどを会社に売って生きていると言うのとどこか根本的に違っていた。
ポケットの三万円を握りしめながらホテルを出たが、何の感慨もなかった。悲しくもなく、恥ずかしくもなく、まして良くないことをしたという思いもまるでなかった。わたしには男と女というものがさっぱりわからなかった。ただ、人間に男も女もなく、性というものがなければいいとは思った。
あの男は今でもわたしの卑猥な写真を持っているのだろうか。
あの時の三万円を、こともあろうに大好きなチェーホフの本に挟んで隠したままなのをわたしは思いだした。古本屋で全集の一冊がバラで売られていたのを三百円で買ったものだった。姉に出所の言えない三万円を渡せる訳もなく、さりとて何かを買う気にもなれず挟んだまま忘れた振りをしていた。いずれにしても不要なお金だった。一円も持たず三途の川を渡してもらえなくても結構。死んで腐ってしまうか、灰にしてもらえれば満足だ。
「厭よ」
そう叫びながらわたしは両足を閉じ、毛布を引きあげて体を覆った。男は笑っていた。そしてカメラから引き出した写真ができるのを待ちながら言った。
「これもさっき渡したお金のうちに入っているんだ。ここにいる間、僕が君をどうしようと君は文句は言えない」
彼はわたしの目の前に写真を突き出した。両足を開いたわたしの体の、中心の亀裂が写されていた。わたしはそれを男の手から奪おうとしたが、彼はひらりと遠くへ手をやった。
「お願いだから、その写真を破らせて」
「顔は写っていないんだから気にすることはないさ」
男はそう言ってカメラと写真を床に置き、再びベッドに乗ってわたしの体にのしかかって来た。わたしはすっかり諦めていた。
三万円のかたに、男がわたしの体をめちゃくちゃに使用している間に、今までのそう長くはない人生のなかでたったひとり、こんなどうしようもない体のわたしにアロポーズしてくれたひとのことをわたしは考えていた。それは優生ではなく、別の男性だった。
彼との出会いも、不幸なことにわたしの病気が緑だった。十九歳の夏の初めの日の午後だった。わたしは図書館の玄関を出たとたんに強いめまいを起こした。かろうじて前へ崩れるように倒れたわたしを銀杏の木の下のベンチまで運び、意識が戻るまで見ていてくれたのが彼だった。その後、彼はわたしを駅まで送ってくれた。
それから何回か図書館で席を並べ、庭のベンチや近くの喫茶店で話をした。彼も失業中だった。と言っても、彼は自ら敢えて得た教職を三年で放棄したのだったが、それで、お金もいらず時を過ごせるというわたしと同じ理由で図書館へ来ていたのだった。
誘われて彼のアパートへついて行き、ごく自然にわたしは彼に抱かれた。わたしには初めてのことだったが、何とも言いようのない至福感にひかれるように、わたしは間もなく日曜日を除くほとんど毎日彼のアパートに通うようになった。夏休みになって、図書館はわたしたちのような半端な者には居心地悪いほどの満席が続くので、なおさらわたしは彼の部屋へ行っているほかなかった。掃除とお洗濯をし、料理を作り、彼と散歩し、スーパー・マーケットでお買物をし、本屋で時間をつぶし、花屋をひやかし、そして喫茶店で喋り、そんな誰でもが普通に過ごしているはずの他愛のない時間が、わたしにはこの上なく貴重なものに感じられてならなかった。無職でたった一円かせぐこともできないのに、そんな気楽な毎日を何の反省もなく過ごしていたわたしは、今となっては姉を押し漬す元凶でしかなかったのだけれど、その時はそんなことを者える余裕もなかった。
二ケ月ほど過ぎて、彼は小さな学習塾に講師として勤めることになった。わたしの楽しい時間が少し減り、彼は午後一時にはでかけて行った。夕方まで教材の準備をし、それから小学生と中学生を教え、帰るのは十時から十一時頃になる。わたしは彼のために簡単な夜食の下ごしらえをしてから帰ることが多かった。それは奇妙にわびしい行為だった。自分がなぜそこでおにぎりやワカメ汁やスープなどを作っているのかわからなくなったり、無人の世界でただひとり立って、庖丁でまな板をとんとん叩いているような気分に陥って、料理を作りかけのまま彼の部屋から逃げだしてしまうことが度々あった。
ある日、彼は何の前触れもなくわたしを旅行に誘った。わたしにはそんな余裕などあるはずがなかった。彼はどうしてもわたしを連れて行きたいとねばった。わたしにもっと外の空気を吸うべきだと言った。確かにわたしは両親が亡くなって姉に生活を見てもらうようになってから、旅行らしいことは一度もしてなかった。東京都内から外へ出た記憶さえ余り無かった。黙って彼の言うことを聞いていたら偏頭痛が始まり、わたしはいきなりさよならを言って彼の部屋からとび出した。発作が起こりそうな予感が確かなものに思えて、わたしは電車に乗る気にもなれず、四十分近く歩いて家に戻った。ベッドにたどりつく前に頭のなかが焦げるように熱くなり、暗くなってわたしは台所の床に倒れた。
それから三日、彼に会いには行かなかった。もう彼のところへ行くのはよそうかと、そんなことばかり考えていた。彼ともそう長くはつき合ってはいられないような予感がした。
それでいて四日目には朝から落ち着かず、わたしは電車に乗って彼の澄む街に降り立ち、駅前のパン屋で食パンとロール・パンを買っていた。そして、通いなれた、自動車も通れない狭い裏小路を抜けて彼の部屋のドアをノックしていた。
「誰」
わたしはこんな時すぐに声が出ない。自分の名を言うことができない。それなのに彼はいつでも誰かと問うのだ。黙って立っているとドアが開かれ、眠そうな彼の顔がのぞいたが、一瞬、わたしは来てしまったことを猛烈に悔やんだ。
「この間はどうしたの」
「ちょっと頭痛がして」
「やっぱりそうか。そうだと思って後を追わなかった。ずっと調子が悪かったの、三日も来なくて」
「ううん、そうじゃないの。用事ができてしまって」
わたしは彼の部屋に上がっていた。夕べは遅くまで起きていたからもう少し寝ていたいと彼は言い、ベッドに入った。手招きで誘われてわたしは彼の隣にもぐりこんだ。
ひと月もしないうちに、姉には高校時代のクラス・メイトと三人連れだと見えすいた嘘をついて、わたしは彼と京都へでかけていた。一時間先の予定も立てず、彼の足の向くまま名も知らぬ小路を歩いては寺院や喫茶店で休息する、そんな散歩めいた日をわたしたちは三日過ごした。見知らぬ土地にたいした目的もなしにいて、ただ時が頭の上を過ぎて行くのを漫然と感じていた。姉のことも病気のこともわたしは忘れていたが、それもふと思い出すと、余りにはっきりとした映像を持ってはいても現実感のない夢のように思え、東京に帰るのがひとつのためらいになった。かと言って彼と肩を並べて歩いているのも、もっと頼りがいのない、薄い膜が破れたらそれっきり消滅してしまいそうな夢だった。
最後の夜、彼は蒲団のなかに入ってからもう一度起きて、わたしに結婚してほしいと言った。明日、早めに京都を出て彼の実家へ寄って行こうとも言った。彼の家は名古屋から電車で三十分ほど離れた町だった。
わたしはまだ結婚を考える年齢ではなかった。そうでなくても、どうしてわたしが結婚なんかできるのだろう。
「できないわ」
そう答えた自分がひどく無念だった。あふれてくる涙もそのままに、ぼんやり薄明りのなかに見える天井の杉板の木目を見ていた。すると彼は蒲団に入り、わたしを強く抱きしめた。そしてわたしの浴衣の腰紐を解こうとした。わたしは身をかたくして浴衣の前に両手をしっかり組んだ。
不運なことに、その時何の兆しもなくいきなりわたしのいつもの発作が始まった。全身の筋肉が脱力してゆく。夜、こんなに突然発作が起こるのは初めてのことだった。意識が緩やかに暗くなりだした。彼に何か言おうとしたが、唇は動かず、声も出なかった。
彼が結婚など口にしなければ、わたしの小さな幸福はまだもう少し長続きしたはずだった。彼のひと言で、わたしは仕事も続かず姉の世話になって、ただ目立たず小さくなって生き物として生きているだけの病気持ちの女に戻ってしまった。もう、彼を拒むしかなかった。
消え入る寸前のわたしの細い意識の先端が、そこにだけ鋭敏な神経を残しているのか、彼の右手の動きだけがはっきりと感知された。左の胸にしばらくとどまり、わたしの心臓の真上をぐるぐるめぐっていた彼の手は、脇腹を滑り降りて尖った腰骨に届いた。そして更に彼の唇が左の胸の頂きに触れてきた。右手はショーツのゴムの下をかいくぐり、皮下脂肪の少ないおなかやお尻を撫でまわしていた。
今、彼には拒んでいるわたしの気持ちがまったく通じていないし、わたしの脳が消え入りそうに微かに明滅しているのにも気づいていないのだ。そう考えるとわたしの意識は闇の深みにはまったままになった。頭痛はなく、睡魔に引きこまれる時と同じ感覚だった。その後彼がわたしの体をどうしたか、わたしには全然わからないし、彼にそのことを問い正す気もなかったが、そのまま朝まで目覚めることもなくだらしなく眠りこけていたのは確かなことだった。
翌朝、わたしたちは言葉少ない朝食をとった。今日、これで東京へ帰ったら、多分もう二度と彼には会わないとわたしは思っていた。ふと目が合うと彼が口を開いた。
「僕はどうしても君と結婚したい」
「だめよ。わたしの病気のこと知ってるでしょ」
「僕は君のすぐ前を歩いていたいんだ。風は僕に当たる」
「あなたはわたしを哀れんでいるだけだわ。同情では一緒に暮せない」「同情なんかじゃない。結婚が嫌なら、先ず.一緒に居てくれるだけでいい。そうすれば僕の気持ちもわかるはずだ」
わたしの気持ちはすでに自分だけしか入れない穴に落ちこんでいた。一分でも早く宿を出て、彼が見えない所へ行きたかった。わたしは洗面所に立って、せっかく彼が目覚めるより早く起きてしたお化粧をもう一度洗い流した。鏡のなかのわたしの頬には、色素が抜けて真っ白な部分があるのだ、頬の面積のほぼ半分近く。わたしはこのことは姉と医師以外の人間には言ったことがなかった。まして見せたこともなかった。彼には隠していたその顔で、わたしは彼の目の前に正座した。彼は十分驚いたようだった。追い討ちをかけるように、これは遺伝するものだとわたしは嘘をついた。ほんとうはそうではなかったのだけれど、それは卒倒する病気がはっきり現われてから一年ほどしてから出て来た症状で、医師は単独の別の病気ではなく、わたしの失神発作と根は同じに見ているらしかった。
彼はわたし以上に寡黙になった。ふたりとも帰るのに必要な言葉だけを言い、答えた。午前中に新幹線に乗って、東京駅でわたしは姉の勤め先に寄って行くと彼に言い、そしてそのまま別れた。それきりわたしは彼のアパートを訪ねなかった。彼がわたしを訪ねて来ることもなかった。再びわたしは図書館に通うしかなかったが、彼と会うこともなかった。
うんざりするほどの時間が経過してから、男はわたしの体を解放してさっさと原色のきつい猥雑な部屋を出て行った。わたしはしばらく呆然として動けなかった。毎日こんなことをして借金を返す気にはなれなかった。借金を抜きにしても、体を売って生きる意味を見出だせなかった。それは、単に勤め人が自分のほとんどを会社に売って生きていると言うのとどこか根本的に違っていた。
ポケットの三万円を握りしめながらホテルを出たが、何の感慨もなかった。悲しくもなく、恥ずかしくもなく、まして良くないことをしたという思いもまるでなかった。わたしには男と女というものがさっぱりわからなかった。ただ、人間に男も女もなく、性というものがなければいいとは思った。
あの男は今でもわたしの卑猥な写真を持っているのだろうか。
あの時の三万円を、こともあろうに大好きなチェーホフの本に挟んで隠したままなのをわたしは思いだした。古本屋で全集の一冊がバラで売られていたのを三百円で買ったものだった。姉に出所の言えない三万円を渡せる訳もなく、さりとて何かを買う気にもなれず挟んだまま忘れた振りをしていた。いずれにしても不要なお金だった。一円も持たず三途の川を渡してもらえなくても結構。死んで腐ってしまうか、灰にしてもらえれば満足だ。
2007年7月17日火曜日
雑事雑念
15日恒例の赤提灯での会合が、祇園祭のため一日延びて今夜に。
ビールしか飲まなかったので、もう覚めてしまいました。
という訳で、早速、ボランティアの編集レイアウト作業が終わったので印刷所に送るプリント・アウトをA5用紙に印刷し、本文データと表紙データ、表紙に使う写真の画像をCDRに焼いた。ふだんはCD-RWのパケットライティング・ソフトを使うようにしてあるので、CDドライブのプロパティを開いて、WindowsのCD書き込みをONに切り替える。この作業がたまにしかしないので、少し考えないと思い出さない。面倒臭いがWindowsのCDR書き込みはいいが、CD-RW書き込みはちょっと不都合なので仕方ありません。
それでCDRと印刷したものを封筒に入れて、明日発送すればお終い。
しかし、まだ何かミスがありそうな気がするので編集発行人様に見直ししてもらいたいのですが、自分のことに夢中と思えば、振り返れば眠り姫になられておいでで、もうミスがあってもわたしゃ知らないっとばかりに作業終了。
昨夜、どなたか、Robert Johnsonの「Traveling Riverside Blues」で検索されてきた方がいたので、久しぶりにCDを入れて再生してみました。ギターひとつで唄っている戦前の録音なのでシンプルです。
しまった、輸入の廉価版なのでタイトルだけで歌詞が印刷されていません(泣)。ネット上のどこかで探せば、あるかな?
それにしても、旧作、つまらない、甘い。
スキャニングするのが厭になってきた。
ビールしか飲まなかったので、もう覚めてしまいました。
という訳で、早速、ボランティアの編集レイアウト作業が終わったので印刷所に送るプリント・アウトをA5用紙に印刷し、本文データと表紙データ、表紙に使う写真の画像をCDRに焼いた。ふだんはCD-RWのパケットライティング・ソフトを使うようにしてあるので、CDドライブのプロパティを開いて、WindowsのCD書き込みをONに切り替える。この作業がたまにしかしないので、少し考えないと思い出さない。面倒臭いがWindowsのCDR書き込みはいいが、CD-RW書き込みはちょっと不都合なので仕方ありません。
それでCDRと印刷したものを封筒に入れて、明日発送すればお終い。
しかし、まだ何かミスがありそうな気がするので編集発行人様に見直ししてもらいたいのですが、自分のことに夢中と思えば、振り返れば眠り姫になられておいでで、もうミスがあってもわたしゃ知らないっとばかりに作業終了。
昨夜、どなたか、Robert Johnsonの「Traveling Riverside Blues」で検索されてきた方がいたので、久しぶりにCDを入れて再生してみました。ギターひとつで唄っている戦前の録音なのでシンプルです。
しまった、輸入の廉価版なのでタイトルだけで歌詞が印刷されていません(泣)。ネット上のどこかで探せば、あるかな?
それにしても、旧作、つまらない、甘い。
スキャニングするのが厭になってきた。
わたしたちの夢祭り(3)
サラ金の男たちがまだ姉の会社には顔を出さず、わたしたちの住まいに押しかけて来ていた頃、ある日、わたしは姉と一緒に部屋を出た。姉はわたしがいつものように図書館へ行くのだと思っていたのだろうけど、わたしは姉の乗った電車を見送ってから次の電車に乗り、都心に出て暇つぶしに何となく街を歩きまわり、何度か来たことのある美術館の開館を待った。そしてまだ誰ひとり入館者のいない館内を、丁寧にではなく、漠然と時間をかけて回った。こんなに人間の生気をかんじないでいられる場所はほかには思い浮かばなかった。
いつだったか、優生、「ゆうき」と読むのだけど、彼とふたりでこの美術館にやはり開館と同時に入ったことがあった。あの時、彼とはまったく会話をかわすことなく三時間以上そこにいたのだった。わたしは多分、絵を見るよりも彼の横顔を見ていただけだったかも知れなかったが、同じ空気を呼吸していただけで十分満ち足りた気分だった。今でも確かに好きだったとはっきり言えるのは、彼ひとりしかいなかった。彼もわたしを嫌ってはいなかったと思う。
もう十一ケ月前から彼には二度と会えないことになってしまっているが、その時の彼は中央の長椅子に坐ったまま長いこと動かなかった。わたしもそれを真似する格好で、目の前のエゴン・シーレの絵に視線を留めていた。シーレの絵のなかの痩せた人物たちが自分と同じ生き物のように思え、彼が立ちあがるまでわたしも動けなかった。
同じ絵の前で三十分ほど坐っていたわたしは、美大生らしい男女のお喋りに押し出されるようにして美術館を出た。
それからわざと山手線で遠回りして渋谷駅で降り、名曲喫茶で正午過ぎまでぼんやりしていた。外へ出ると背後から呼びとめられた。そして、その四十過ぎの男にレストランで食事をご馳走になり、タクシーで五分ほど行ったホテルの一室に連れて行かれた。
「今、君にはわたしが必要だということがひと目でわかったよ」 男は部屋に入るなり言った。
「そう、なぜそんなことがわかりました」
朝、わたしは姉に気づかれないように、いつもより少しだけ丁寧にファンデーションを塗り、口紅をひいたのだが、そんなことで男がわたしに目をとめたのではない。
「言ってみれば直感だね、ビリビリと感じるものがある」
男の言う通りだった。わたしは自分を売ってみたかったのだ。彼でなければほかの誰かにわたしは買われていただろう。
男は、平日にこんな風にしていられるからにはただの事務所勤めのサラリーマンとは思えなかった。、ノー・ネクタイのラフなブレザー姿や、尖った頬骨とメタル・フレームの眼鏡はそれでも調和していないことはなかったが、奇妙に目立つ長めの鼻と、充血気味の目がひどくうっとうしかった。
男は財布から一万円札を二枚出してわたしの目の前に突き出した。お金の交渉をどうしようか者えていたところだったので、わたしがびっくりして手も出さずにいると、男は更にもう一枚を財布から抜き出し、重ねてわたしの手に握らせた。こんなことに大金を情しげもなく浪費できる不思議さを押し殺して、わたしはその手をごく自然に姉のお下がりの濃紺のコートのポケットに入れていたが、目は男の顔を逃れて彼の背後に並べて飾られている、ゴヤの『着衣のマハ』と『裸のマハ』の複製画に向いていた。よりによってわたしの好きだった絵がこんな場所に飾られていることに動揺した。これからの一部始終をマハに見られるのだ。いつだったか、ゴヤ展で本物を見たことがあって、わたしはひどい混雑のなかでかなり頑張って見た記憶がある。
男はわたしに風呂を使うように言った。わたしはすでにわたし自身ではない誰かであるような気持ちになって、浴室まで歩いて行って、浴槽にお湯を入れ、そして裸になって身を沈めた。
すべては男の思うままに、またわたしの思うままにも進んでいた。その点では何の異議もなかった。わたしのコートのポケットには三万円入っているのだから。
間もなく男も浴室に入って来た。
「徹夜明けなんでね、早く家に帰って寝たいと思っていたんだが」
彼は浴槽のなかでわたしを後ろから抱えるような姿勢で沈み、わたしの豊かでもない胸を両手で覆い、そしてまださっぱり緊張していない下半身をわたしに押しつけて来た。右手がわたしのおなかに滑り落ち、そのまま恥丘の先端の更に先へ進みそうになった。わたしは体をよじり、両足に力をこめてそれを拒んだ。まだ体が暖まる間もなく、まして洗う間もなく、男はわたしを浴槽から上がらせ、バス・タオルでわたしの体と自分の体を簡単に拭いた。そしてわたしを抱きかかえて、見た目より軽いんだな、と言いながら広いベッドに運んだ。それから、わたしの体の隅々を検査するかのように、黙って、緩やかに、また激しく熱心にうごめいている。そんな男の頭のなかがわたしには少しも想像できなかった。暗い、光の無い脳しか想起できないのだ。男の脳は、わたしにはただの一個のレタスかキャベツにしか見えない。一枚一枚剥いていっても中には何もないのだ。目の上の天井に張られた大きな鏡のなかに見える女は、だけど何故かわたし自身のようには思えなかった。男に体を自由に扱われていることも、夢のように思え、現実感の余りの稀薄さにわたしは目を閉じた。わたしの頭だってキャベツなのかも知れなかった。サラ金の男たちの言う通り、ドライに割り切ろうと思えばいくらでも割り切ることができると思った。ただ、姉の言うようにそうしてまで頑張る理由があればだが、それが見当たらなかった。
姉の力で何とか高校を中退せずに卒業して、わたしは大手のスーパーに就職した。事務職を希望したが、初めは店舗でということで毎日レジに立った。そして三月もしないうちに辞めた。それから小さな設計事務所、パート・タイマーばかりを使っている下請けの電子部品製造の有限会社、一日中プレスの騒音に包まれていた金属加工所、どこも簡単な事務だったが三ケ月ともたなかった。その後は先ず姉が諦めて無理に勤めなくていいと言い、わたしもそれにあまえて職探しをしなくなってしまった。
病気さえ治ればじきに勤めに出られる。そう思ったのだった。わたしにはところ構わず失神してしまう訳のわからない病気があった。それは父の事業が倒産して、両親が死んでしまってから始まったのだったが、それでもその頃は季節が変わる毎に一度か二度で、わたしはただの貧血によるめまいくらいに考えていた。ところが高校を卒業して職につくと、頻繁に、それもかなり強く現われるようになった。家にいる時はわずかで、ほとんどは、よりによってそんな場所では困ると思うような場所で、わたしの横着な体は山猫ストライキを起こして卒倒した。
勤務時間中の発作がいちばん多く、わたしはじきにレジをはずされ、後方の通常はパート・タイマーの仕事である食品のパック詰めや値づけ作業にまわされた。それでもわたしの失神は治まらなかった。道路を歩いている時にも倒れた。一度は、地下鉄のホームで電車が入線して来る直前に失神し、隣に立っていた夜勤明けの消防署員のひとが体を引きとめてくれたから助かったものの、そうでなければわたしの体は電車に巻きこまれていたらしい。
どの職場でもすぐにてんかんだと噂されてしまったし、わたしに面と向かって言うひともいた。だが、それよりも我慢できなかったのは、ひと前でぶざまにひっくり返って寝ている自分の姿が、いつでも目の前でちらついていることだった。そのまま死んでしまう方がずっとましだった。
姉の言うままにわたしは幾つもの病院を転々とした。どこでも先ずは脳の検査に始まり、次々と数えきれないほどの診察や検査。心身症とか、自律神経失調症とかいう言葉が何度も耳元でささやかれた。冷泉のある湯治場で、温泉と冷泉に交互に入浴する治療法も一年の間に何回も滞在して試みた。おそらく、その間に姉は高利の金融に手を出したのだ。
勤めることを諦めると一時的に発作は減ったが、それもひと月ちょっとのことだった。家でできる仕事も見つけてはみたが、じきに仕事が切れてしまったり、納期が厳しすぎる仕事でかえって発作の回数を増やし、毎日決められた数を納められないわたしは一週間もしないうちに断わられたりした。そしていつの間にかわたしは姉に扶養してもらっているだけの、意気地のない生活に慣れていった。
お金もかからず、無為の時を首をすくめてやり過ごすことができる場所が図書館であると気づくのは簡単だった。図書館にいる間ずっと読書していた訳ではなかった。体裁を繕うために借りた本を広げたまま、ぼんやりとしている時間が多かった。そうやって魂が体を離れるようにして自分を見失っていると、自律神経失調症という呼称がまるで神を見失っている病気のようにも思え、かえってわたしは治そうとあがく気持ちを喪失したくらいだった。
いつだったか、優生、「ゆうき」と読むのだけど、彼とふたりでこの美術館にやはり開館と同時に入ったことがあった。あの時、彼とはまったく会話をかわすことなく三時間以上そこにいたのだった。わたしは多分、絵を見るよりも彼の横顔を見ていただけだったかも知れなかったが、同じ空気を呼吸していただけで十分満ち足りた気分だった。今でも確かに好きだったとはっきり言えるのは、彼ひとりしかいなかった。彼もわたしを嫌ってはいなかったと思う。
もう十一ケ月前から彼には二度と会えないことになってしまっているが、その時の彼は中央の長椅子に坐ったまま長いこと動かなかった。わたしもそれを真似する格好で、目の前のエゴン・シーレの絵に視線を留めていた。シーレの絵のなかの痩せた人物たちが自分と同じ生き物のように思え、彼が立ちあがるまでわたしも動けなかった。
同じ絵の前で三十分ほど坐っていたわたしは、美大生らしい男女のお喋りに押し出されるようにして美術館を出た。
それからわざと山手線で遠回りして渋谷駅で降り、名曲喫茶で正午過ぎまでぼんやりしていた。外へ出ると背後から呼びとめられた。そして、その四十過ぎの男にレストランで食事をご馳走になり、タクシーで五分ほど行ったホテルの一室に連れて行かれた。
「今、君にはわたしが必要だということがひと目でわかったよ」 男は部屋に入るなり言った。
「そう、なぜそんなことがわかりました」
朝、わたしは姉に気づかれないように、いつもより少しだけ丁寧にファンデーションを塗り、口紅をひいたのだが、そんなことで男がわたしに目をとめたのではない。
「言ってみれば直感だね、ビリビリと感じるものがある」
男の言う通りだった。わたしは自分を売ってみたかったのだ。彼でなければほかの誰かにわたしは買われていただろう。
男は、平日にこんな風にしていられるからにはただの事務所勤めのサラリーマンとは思えなかった。、ノー・ネクタイのラフなブレザー姿や、尖った頬骨とメタル・フレームの眼鏡はそれでも調和していないことはなかったが、奇妙に目立つ長めの鼻と、充血気味の目がひどくうっとうしかった。
男は財布から一万円札を二枚出してわたしの目の前に突き出した。お金の交渉をどうしようか者えていたところだったので、わたしがびっくりして手も出さずにいると、男は更にもう一枚を財布から抜き出し、重ねてわたしの手に握らせた。こんなことに大金を情しげもなく浪費できる不思議さを押し殺して、わたしはその手をごく自然に姉のお下がりの濃紺のコートのポケットに入れていたが、目は男の顔を逃れて彼の背後に並べて飾られている、ゴヤの『着衣のマハ』と『裸のマハ』の複製画に向いていた。よりによってわたしの好きだった絵がこんな場所に飾られていることに動揺した。これからの一部始終をマハに見られるのだ。いつだったか、ゴヤ展で本物を見たことがあって、わたしはひどい混雑のなかでかなり頑張って見た記憶がある。
男はわたしに風呂を使うように言った。わたしはすでにわたし自身ではない誰かであるような気持ちになって、浴室まで歩いて行って、浴槽にお湯を入れ、そして裸になって身を沈めた。
すべては男の思うままに、またわたしの思うままにも進んでいた。その点では何の異議もなかった。わたしのコートのポケットには三万円入っているのだから。
間もなく男も浴室に入って来た。
「徹夜明けなんでね、早く家に帰って寝たいと思っていたんだが」
彼は浴槽のなかでわたしを後ろから抱えるような姿勢で沈み、わたしの豊かでもない胸を両手で覆い、そしてまださっぱり緊張していない下半身をわたしに押しつけて来た。右手がわたしのおなかに滑り落ち、そのまま恥丘の先端の更に先へ進みそうになった。わたしは体をよじり、両足に力をこめてそれを拒んだ。まだ体が暖まる間もなく、まして洗う間もなく、男はわたしを浴槽から上がらせ、バス・タオルでわたしの体と自分の体を簡単に拭いた。そしてわたしを抱きかかえて、見た目より軽いんだな、と言いながら広いベッドに運んだ。それから、わたしの体の隅々を検査するかのように、黙って、緩やかに、また激しく熱心にうごめいている。そんな男の頭のなかがわたしには少しも想像できなかった。暗い、光の無い脳しか想起できないのだ。男の脳は、わたしにはただの一個のレタスかキャベツにしか見えない。一枚一枚剥いていっても中には何もないのだ。目の上の天井に張られた大きな鏡のなかに見える女は、だけど何故かわたし自身のようには思えなかった。男に体を自由に扱われていることも、夢のように思え、現実感の余りの稀薄さにわたしは目を閉じた。わたしの頭だってキャベツなのかも知れなかった。サラ金の男たちの言う通り、ドライに割り切ろうと思えばいくらでも割り切ることができると思った。ただ、姉の言うようにそうしてまで頑張る理由があればだが、それが見当たらなかった。
姉の力で何とか高校を中退せずに卒業して、わたしは大手のスーパーに就職した。事務職を希望したが、初めは店舗でということで毎日レジに立った。そして三月もしないうちに辞めた。それから小さな設計事務所、パート・タイマーばかりを使っている下請けの電子部品製造の有限会社、一日中プレスの騒音に包まれていた金属加工所、どこも簡単な事務だったが三ケ月ともたなかった。その後は先ず姉が諦めて無理に勤めなくていいと言い、わたしもそれにあまえて職探しをしなくなってしまった。
病気さえ治ればじきに勤めに出られる。そう思ったのだった。わたしにはところ構わず失神してしまう訳のわからない病気があった。それは父の事業が倒産して、両親が死んでしまってから始まったのだったが、それでもその頃は季節が変わる毎に一度か二度で、わたしはただの貧血によるめまいくらいに考えていた。ところが高校を卒業して職につくと、頻繁に、それもかなり強く現われるようになった。家にいる時はわずかで、ほとんどは、よりによってそんな場所では困ると思うような場所で、わたしの横着な体は山猫ストライキを起こして卒倒した。
勤務時間中の発作がいちばん多く、わたしはじきにレジをはずされ、後方の通常はパート・タイマーの仕事である食品のパック詰めや値づけ作業にまわされた。それでもわたしの失神は治まらなかった。道路を歩いている時にも倒れた。一度は、地下鉄のホームで電車が入線して来る直前に失神し、隣に立っていた夜勤明けの消防署員のひとが体を引きとめてくれたから助かったものの、そうでなければわたしの体は電車に巻きこまれていたらしい。
どの職場でもすぐにてんかんだと噂されてしまったし、わたしに面と向かって言うひともいた。だが、それよりも我慢できなかったのは、ひと前でぶざまにひっくり返って寝ている自分の姿が、いつでも目の前でちらついていることだった。そのまま死んでしまう方がずっとましだった。
姉の言うままにわたしは幾つもの病院を転々とした。どこでも先ずは脳の検査に始まり、次々と数えきれないほどの診察や検査。心身症とか、自律神経失調症とかいう言葉が何度も耳元でささやかれた。冷泉のある湯治場で、温泉と冷泉に交互に入浴する治療法も一年の間に何回も滞在して試みた。おそらく、その間に姉は高利の金融に手を出したのだ。
勤めることを諦めると一時的に発作は減ったが、それもひと月ちょっとのことだった。家でできる仕事も見つけてはみたが、じきに仕事が切れてしまったり、納期が厳しすぎる仕事でかえって発作の回数を増やし、毎日決められた数を納められないわたしは一週間もしないうちに断わられたりした。そしていつの間にかわたしは姉に扶養してもらっているだけの、意気地のない生活に慣れていった。
お金もかからず、無為の時を首をすくめてやり過ごすことができる場所が図書館であると気づくのは簡単だった。図書館にいる間ずっと読書していた訳ではなかった。体裁を繕うために借りた本を広げたまま、ぼんやりとしている時間が多かった。そうやって魂が体を離れるようにして自分を見失っていると、自律神経失調症という呼称がまるで神を見失っている病気のようにも思え、かえってわたしは治そうとあがく気持ちを喪失したくらいだった。
2007年7月16日月曜日
わたしたちの夢祭り(2)
死のうとしているのに食料品を買いこむのはひどく矛盾しているとは思うが、所持金のすべてで買いおきしておいた、安い袋入りのインスタント・ラーメンなどの食品もひとつ残らず食べてしまい、もうわたしたちの部屋には喉を通る物は何もなかった。何日か前に、隣の部屋から姉が懐中電灯片手にふらついてやって来て、それ以後わたしは姉の姿を見ていないのだけど、救急箱のなかにこんな物があったわと言って、ハーブ・キャンディを五個、サイド・テープルの上に置いていった。薬好きの姉と違って、わたしはその舌への強い刺激や薬臭い匂いが何より嫌いだったし、また、その糖分のもつカロリーのために更に一日か二日死が延期されてしまうのは、我慢出来ないことだった。
姉が勤めていた事務機販売会社には、まだ彼女が受け取っていない最後の給与とわずかばかりの退職金があるはずだったが、正式に退職願いを提出するのでもなく、何の連絡もせずに欠勤し続けている姉は、頑なにそれを受け取りに行こうとはしなかった。あるいは会社の誰かが訪ねて来たかも知れないが、、わたしたちは部屋にいる時でもドアはロックしたままだったし、ノックされてもほとんどドアを開かなかった。わたしたちはもう誰にも用はないのだ。
一度、長期にわたる無断欠勤は解雇となるので至急退職願いを持参の上出社されたい、という旨の書面が、社名入りの封筒に入れられて郵送されて来たことがあったが、姉のプライドはお金に完全に背を向けてしまっていたし、その時すでにわたしたちは決意した後だった。
お金などあったところで、どうせあの連中にすべて取られてしまうのだからもう要らないのだ。彼らが会社まで押しかけて行き、そのことが社内中に知れ渡り、姉は専務と社長にまで注意された。その翌日から姉は出勤しなくなった。他人の目には愚かしいこととみえるに違いないだろうが、わたしがたとえば姉だったとしてもやはりもうあの会社へは行かないだろう。社内の誰もが、姉の出社しない理由を十分承知しているはずだ。
姉が多分わたしのためにした借金が、二年半の問に八百万を超える額になっていた。うかつなことに、わたしは三ケ月前までそのことを知らなかった。それまで、姉はわたしに気づかれないためにどれだけ腐心しただろう。借り替えに次ぐ借り替えで業者の間をたらい回しにされているうちはまだしも、もうその最も質の悪い業者より先に借りる当てが無くなった時、柄の惑い男たちが朝と夜を狙ってしきりとドアを叩くようになった。彼らの考えていることは簡単だった。財産など何ひとつ無いわたしたちが借金のかたにできるものと言えばただひとつ、わたしたちが女であるということ、それだけだった。そうでなければ、姉のようにまともに保証人になってくれるような身寄りもない、ただの年若い事務員の女の子にそんな大金になるまで、彼らが黙って貸し続ける訳がなかった。
彼らはいよいよ催促に乗り込んで来た最初の日から、わたしたち自身で探せないなら、自分たちがその種の仕事を世話すると言い、二度も三度も繰り返した。どんなに嫌でもわたしたちにはそうするしかないのだとも言った。そして彼らに強引に部屋に入りこまれた何度目かに、わたしたちはふたりの男に力づくで犯された。姉とわたしは幾日もほとんど言葉をかわせなかった。
一週間ほど過ぎて、わたしはたいした覚悟もなくほんの気紛れに、彼らの言う通りの仕事をしょうかと姉に言ってみた。姉は怒って言った。気持ちの持ちようによってはどんをことをしても生きてゆける。その方が強い生き方と言えるかも知れない。そうやって一見自分を捨てたかに見える生活をしながら、実はきちんと自分を見失うことなく生きているひとだってたくさんいるはずだ。だけど、そうしてまで頑張らなくてはならない理由が、わたしたちにある? そう言われてわたしはあっさり黙った。
姉がこれまでに返済した金額は、初めに借りた額の数十倍にはなっているはずだったから、今、わたしたちの身体と引き換えに要求されている負債は、すべてが金利で成り立っているのだ。借りたものに利子がつくというのもひとつの約束事かも知れないが、学校で教わった以上に、民主主義でもなく、自由主義でもなく、資本主義がこの世の運行のほとんどを決定しているのだと、わたしはつくづく思う。中国の今はもう亡くなってしまっているけど、毛沢東さんや周恩来さんにあの世で会えるとしたら、ひと言だけ訊ねてみたいことがある。
「あなた方と、たとえば自転車工場の工員さんたちと、同じなのですか、お給料」
ほんとうにそうだとしたら、わたしは嫌がる姉を無理に引っ張って、借金を踏み倒したまま中国に住んでみたかったのだけど、それがただの夢想にすぎないことくらいわたしも承知していて、その上でなおほんの一瞬だけ甘い夢を見ただけなのだ。
姉が勤めていた事務機販売会社には、まだ彼女が受け取っていない最後の給与とわずかばかりの退職金があるはずだったが、正式に退職願いを提出するのでもなく、何の連絡もせずに欠勤し続けている姉は、頑なにそれを受け取りに行こうとはしなかった。あるいは会社の誰かが訪ねて来たかも知れないが、、わたしたちは部屋にいる時でもドアはロックしたままだったし、ノックされてもほとんどドアを開かなかった。わたしたちはもう誰にも用はないのだ。
一度、長期にわたる無断欠勤は解雇となるので至急退職願いを持参の上出社されたい、という旨の書面が、社名入りの封筒に入れられて郵送されて来たことがあったが、姉のプライドはお金に完全に背を向けてしまっていたし、その時すでにわたしたちは決意した後だった。
お金などあったところで、どうせあの連中にすべて取られてしまうのだからもう要らないのだ。彼らが会社まで押しかけて行き、そのことが社内中に知れ渡り、姉は専務と社長にまで注意された。その翌日から姉は出勤しなくなった。他人の目には愚かしいこととみえるに違いないだろうが、わたしがたとえば姉だったとしてもやはりもうあの会社へは行かないだろう。社内の誰もが、姉の出社しない理由を十分承知しているはずだ。
姉が多分わたしのためにした借金が、二年半の問に八百万を超える額になっていた。うかつなことに、わたしは三ケ月前までそのことを知らなかった。それまで、姉はわたしに気づかれないためにどれだけ腐心しただろう。借り替えに次ぐ借り替えで業者の間をたらい回しにされているうちはまだしも、もうその最も質の悪い業者より先に借りる当てが無くなった時、柄の惑い男たちが朝と夜を狙ってしきりとドアを叩くようになった。彼らの考えていることは簡単だった。財産など何ひとつ無いわたしたちが借金のかたにできるものと言えばただひとつ、わたしたちが女であるということ、それだけだった。そうでなければ、姉のようにまともに保証人になってくれるような身寄りもない、ただの年若い事務員の女の子にそんな大金になるまで、彼らが黙って貸し続ける訳がなかった。
彼らはいよいよ催促に乗り込んで来た最初の日から、わたしたち自身で探せないなら、自分たちがその種の仕事を世話すると言い、二度も三度も繰り返した。どんなに嫌でもわたしたちにはそうするしかないのだとも言った。そして彼らに強引に部屋に入りこまれた何度目かに、わたしたちはふたりの男に力づくで犯された。姉とわたしは幾日もほとんど言葉をかわせなかった。
一週間ほど過ぎて、わたしはたいした覚悟もなくほんの気紛れに、彼らの言う通りの仕事をしょうかと姉に言ってみた。姉は怒って言った。気持ちの持ちようによってはどんをことをしても生きてゆける。その方が強い生き方と言えるかも知れない。そうやって一見自分を捨てたかに見える生活をしながら、実はきちんと自分を見失うことなく生きているひとだってたくさんいるはずだ。だけど、そうしてまで頑張らなくてはならない理由が、わたしたちにある? そう言われてわたしはあっさり黙った。
姉がこれまでに返済した金額は、初めに借りた額の数十倍にはなっているはずだったから、今、わたしたちの身体と引き換えに要求されている負債は、すべてが金利で成り立っているのだ。借りたものに利子がつくというのもひとつの約束事かも知れないが、学校で教わった以上に、民主主義でもなく、自由主義でもなく、資本主義がこの世の運行のほとんどを決定しているのだと、わたしはつくづく思う。中国の今はもう亡くなってしまっているけど、毛沢東さんや周恩来さんにあの世で会えるとしたら、ひと言だけ訊ねてみたいことがある。
「あなた方と、たとえば自転車工場の工員さんたちと、同じなのですか、お給料」
ほんとうにそうだとしたら、わたしは嫌がる姉を無理に引っ張って、借金を踏み倒したまま中国に住んでみたかったのだけど、それがただの夢想にすぎないことくらいわたしも承知していて、その上でなおほんの一瞬だけ甘い夢を見ただけなのだ。
スキャニングにもってこいの日
こんな田舎町も祇園祭なのだが、雨で子供神輿が出られず生憎な日和。
しばらく前から、隣家の紫陽花がむやみに濃い青なので写真を撮ろうと思っていたが、ふと気づいたらだいぶ青が薄くなってきている。しまった、もっとすごい青だったのに。
スギナが山のように盛り上がって成長するような酸性土壌だから青が濃いのか? それとも、特別に青が濃い品種なのか? ちょっと枝をいただいて挿し木してみよう。

デジタル文学館。作者の承諾待ちの作品があとふたつあるので、雨続きの3連休の間に画像だけを先に連続スキャンで取り込んでおこうと、午後、スキャニング。デジタル文学館というフォルダ内に作者ごとのフォルダを作ってそこに保存。画像からテキスト・データに変換した時点で、ファイルサイズが大きすぎる画像ファイルは削除し、テキスト・データだけにする。テキスト・データさえきちんとしていれば、あとは楽。
それにしても、長野県内の同人誌からの推薦が出て来ません。ま、ネットしない人の方が断然多いのだから仕方ありませんね。長野県のことは棚上げして前へ進みます。あ、E場さんの作品、何かいただこうかな。
Wordやテキスト・エディターにある「検索」と「置換」の機能。今日、小説のなかの「私」を検索して「わたし」に置換する作業を実際にやってみた。便利です。
かつて、書いている途中で登場人物の名前が気に入らなくて変更したことがあった。書き出しからすべて名前を書き直したつもりだったが、雑誌が出来てきたら名前が変更されていない場所があって愕然としたことがあったが、この検索機能を知っていて使えば防げたはずである。
エキスパンド形式の「草枕」、眠くなるので声を出して朗読しながら前へ進んでいるが、それにしても埒が明かない。
歳のせいか、モニタをじっと見つめていると、眠くなるというか、気が遠くなる。
しばらく前から、隣家の紫陽花がむやみに濃い青なので写真を撮ろうと思っていたが、ふと気づいたらだいぶ青が薄くなってきている。しまった、もっとすごい青だったのに。
スギナが山のように盛り上がって成長するような酸性土壌だから青が濃いのか? それとも、特別に青が濃い品種なのか? ちょっと枝をいただいて挿し木してみよう。
デジタル文学館。作者の承諾待ちの作品があとふたつあるので、雨続きの3連休の間に画像だけを先に連続スキャンで取り込んでおこうと、午後、スキャニング。デジタル文学館というフォルダ内に作者ごとのフォルダを作ってそこに保存。画像からテキスト・データに変換した時点で、ファイルサイズが大きすぎる画像ファイルは削除し、テキスト・データだけにする。テキスト・データさえきちんとしていれば、あとは楽。
それにしても、長野県内の同人誌からの推薦が出て来ません。ま、ネットしない人の方が断然多いのだから仕方ありませんね。長野県のことは棚上げして前へ進みます。あ、E場さんの作品、何かいただこうかな。
Wordやテキスト・エディターにある「検索」と「置換」の機能。今日、小説のなかの「私」を検索して「わたし」に置換する作業を実際にやってみた。便利です。
かつて、書いている途中で登場人物の名前が気に入らなくて変更したことがあった。書き出しからすべて名前を書き直したつもりだったが、雑誌が出来てきたら名前が変更されていない場所があって愕然としたことがあったが、この検索機能を知っていて使えば防げたはずである。
エキスパンド形式の「草枕」、眠くなるので声を出して朗読しながら前へ進んでいるが、それにしても埒が明かない。
歳のせいか、モニタをじっと見つめていると、眠くなるというか、気が遠くなる。
2007年7月15日日曜日
どうにも暗くネガティブ
エキスパンドブック形式の『草枕』もなかなか読み進められない。何といっても書き出しのあの調子が結構長く続くので閉口してしまうのだ。グールドがなぜ「草枕」を愛読したか、見当がつかないこともないが、一応確認しようと探している「草枕変奏曲……」がまだ見つからない。「キャロル イン ワンダーランド」という本も見つからない。
初代ワープロで書いた猛烈古い旧作のスキャニングを始め、ここに順次載せることにしました。が、どうにも暗くネガティブな小説ですので、そういうのが苦手な方は読まないで下さい。最後までアップした時点で削除する予定です。
初代ワープロで書いた猛烈古い旧作のスキャニングを始め、ここに順次載せることにしました。が、どうにも暗くネガティブな小説ですので、そういうのが苦手な方は読まないで下さい。最後までアップした時点で削除する予定です。
わたしたちの夢祭り (1)
姉はまだ生きているのだろうか。
わたしはいつしか眠り、そしてまたいつの間にか目覚める。わたしに残された唯一の希望にさえ逆らうように、自動的に眠りこんでは目覚めてしまうこの不快な反復は、あとどれだけ辛抱したら、終ってくれるのだろう。
二十四時間タイマーでONとOFFとをセットされたまま、いつまでも解除されないFMラジオ。その放送が不意に鳴りだし、また、いつとも気づかず止んでいるのとまったく変わらない反復が、わたしの体のなかの装置が壊れない限り、電源が切られない限り、いつまでも繰り返されるのだ。
わたしは、意識が薄れたまま二度と目覚めない事態をひたすら待ち続けているし、姉はもっと強く願い、祈ってさえいるはずだった。
部屋のなかは真暗闇だった。
姉は雨戸をすべて閉めきってしまい、そのわずかな隙間にさえ、布テープを幾重にも貼りつけてしまった。だから、目を開いてみても閉じてみても暗闇のほかに何ひとつ見えないことに変わりはなく、わたしは目覚める度に飽きるほど確認させられているそのことをまた思い知らされ、再びすぐに目を閉じてしまうのだ。
物音ひとつ聞こえなかった。
だから深夜なのだと断定することは、今のわたしにはできなかった。実際には、自動車が連なり走るエンジン音や、人間の足音や会話、遊びまわる子供たちの喚声やルーム・エアコンの静かだが耳ざわりな排気音、様々な音が入りまじり、ひとつの聞き分けられない騒音となってこの部屋を取りまいているのかも知れなかった。
だが、今のわたしには何も聞こえない。この張りつめた静寂は、むしろわたしの聴覚が音を感知できないまでに衰弱した証拠なのだと、わたしは思いたい。
静寂も度を過ぎるとかえって鋭利なヴァイオリンの音に似て、針のように森閑と鼓膜を刺す。これは単にわたしの脳のなかで響いているだけの静寂なのか、それとも、すでにわたしを遠まきに包囲しているはずの死の世界の単音の響きなのだろうか。
もう十数日か、あるいはもっと長いこと、わたしには何の変化もない。
わたしがただひとつ願っている変化とは、こうして未だに何ごとかを考えているわたし自身の肉体が、すっかり活動を停止してしまうことだった。そうすれば、高校生のころに執拗に聴き続けたバッハの『無限カノン』にも似た、眠りと目覚めの果てしない堂々めぐりも終るはず。
でも、まだわたしは生きている。
ふくよかで柔らかなのが女性の身体の第一の特徴であるなら、今のわたしの体はその特徴にかなり欠如している。わたしはまだ二十一歳だったから、年齢だけは、未だ妙齢のと言われないこともないが、不健康に痩せ細っている姿はむしろ妙齢の醜女と形容した方が正しいかも知れなかった。薄っぺらなヒラメのようなわたしの体は、今、ベッドの上で仰向けに寝ている。それも、不確かな感覚に敢えて忠実に従って言えば、わたしは単に宙に浮遊しているにすぎない。 わたしは考えた。それは、こうして寝たまま無為に緩やかな死を待つようになるより更にずっと以前、多分、母の胎盤に流されないようにしがみついていた時からそうだったのだと。わたしだけではなく、姉も、死んだ両親も、人間すべてがそうなのだとさえ思えた。
たとえば夜。すべての生き物が眠っていて、コンクリートで固められたビルディングとか、路上に違法駐車されたままの自動車とか、生ゴミ収集用の大きなブルーのポリ・バケツとかの、物体だけが占有する生物反応ゼロの光景のなかに、ポツンと置かれた一台の粗未なベッド。その上でわたしは両手を胸にのせ、両目を閉じ、死者であることを偽装するような格好で、身動きひとつしないでいる。正確に言えないが、それらの物体やわたし自身さえもほんとうは闇に隠蔽されていて、わたしはただその有様を、まだ死ぬこともできずにもて余している暇にまかせて、あれこれ想像しているにすぎないのだ。
襖一枚隔てた隣の部屋には三つ年上の姉がいて、やはりわたしと同じように横たわり、身じろぎもせず蒲団のなかで死を待っている。更に壁を隔てた隣の部屋には、駅前でカレー・ハウスを営んでいる夫婦が枕を並べて寝ているのだろうけど、大声を張りあげて口喧嘩したりべたついたりしている彼らも、それぞれ孤独な寝顔で浮遊しているようにしか見えないし、襖もう一枚向こうには、顔を合わせる度に汚いものでも見たように大げさに視線をはずす、中学一年生のひとり娘が物体のように浮かんでいる。
それから、このコーポラスとは名ばかりの内も外も汚れの目立つコンクリート製の建造物を囲んで、肉眼では限りも見えないほどの家々が連なり、それぞれの家にそれぞれの家族が、ひとりひとり浮遊しているのだ。家といっても、屋根と壁と床、簡略してしまえばそれだけの平面に囲まれているだけで、それらを取り払ってしまえば、人間も樹上の巣に眠る小鳥と大差ないのだ。
わたしの暗い網膜に、不意にほの明るく、整然と並べられた雛人形がかすかな像を結び、そしてじきに消えた。その残像のなか、雛段の前に坐って嬉しそうに大きな市松人形を抱いているのは、まだ小学校にあがったばかりの、かつての姉だ。わたしに与えられたはずの市松人形も姉が独占してしまい、わたしは姉がいない時にしか触れることができなかったし、それも元通りの位置に飾っておかないと叱られるのだった。
今日が三月幾日なのかわたしにはわからないが、雛祭りはすでに終っているはずだった。一週間前か十日前か、あるいはもっと前に。
母がその都度、困惑した表情でこの雛人形は誰のものでもなくふたりのものだと諭した、あの雛人形と市松人形は今どこに、誰の手にあるのだろう。ふと、もはや埋め立て処理場のゴミの堆積のはるか下層に埋もれているような気がして、それならそれでわたしの一家の所有物にふさわしい壊れ方だとは思う。見知らぬ家の所有物として存在し続けてくれるよりも、むしろその方がわたしには嬉しい。
六年前に父の事業が倒産し、負債のかたにめぼしい家財とともに運び出されてしまってから、わたしたち姉妹は、故意と自然の境界線あたりで雛祭りを忘れてしまっていた。
わたしたちには生活費と呼べるほどのお金もすでになかった。あるのは一円や五円や十円硬貨ばかり数十枚、姉の部屋の向こうの、台所のテーブルの上に散らばっているはずだ。
姉の名義のただひとつ残された普通預金の通帳も、残高がどれだけあるかわからない。初めから電気、ガス、水道料などを支払うために開設された口座だったので、今では自動振込も機能しなくなっているかも知れなかった。この部屋の家賃さえも引き落としできなくなっている可能性もある。管理人には、都合で父の出身地である松本へ二ケ月ほど行っていると断わってあるのだが、家賃の滞納が明らかになるまでには、わたしたちは死ねるだろうと思う。
わたしはいつしか眠り、そしてまたいつの間にか目覚める。わたしに残された唯一の希望にさえ逆らうように、自動的に眠りこんでは目覚めてしまうこの不快な反復は、あとどれだけ辛抱したら、終ってくれるのだろう。
二十四時間タイマーでONとOFFとをセットされたまま、いつまでも解除されないFMラジオ。その放送が不意に鳴りだし、また、いつとも気づかず止んでいるのとまったく変わらない反復が、わたしの体のなかの装置が壊れない限り、電源が切られない限り、いつまでも繰り返されるのだ。
わたしは、意識が薄れたまま二度と目覚めない事態をひたすら待ち続けているし、姉はもっと強く願い、祈ってさえいるはずだった。
部屋のなかは真暗闇だった。
姉は雨戸をすべて閉めきってしまい、そのわずかな隙間にさえ、布テープを幾重にも貼りつけてしまった。だから、目を開いてみても閉じてみても暗闇のほかに何ひとつ見えないことに変わりはなく、わたしは目覚める度に飽きるほど確認させられているそのことをまた思い知らされ、再びすぐに目を閉じてしまうのだ。
物音ひとつ聞こえなかった。
だから深夜なのだと断定することは、今のわたしにはできなかった。実際には、自動車が連なり走るエンジン音や、人間の足音や会話、遊びまわる子供たちの喚声やルーム・エアコンの静かだが耳ざわりな排気音、様々な音が入りまじり、ひとつの聞き分けられない騒音となってこの部屋を取りまいているのかも知れなかった。
だが、今のわたしには何も聞こえない。この張りつめた静寂は、むしろわたしの聴覚が音を感知できないまでに衰弱した証拠なのだと、わたしは思いたい。
静寂も度を過ぎるとかえって鋭利なヴァイオリンの音に似て、針のように森閑と鼓膜を刺す。これは単にわたしの脳のなかで響いているだけの静寂なのか、それとも、すでにわたしを遠まきに包囲しているはずの死の世界の単音の響きなのだろうか。
もう十数日か、あるいはもっと長いこと、わたしには何の変化もない。
わたしがただひとつ願っている変化とは、こうして未だに何ごとかを考えているわたし自身の肉体が、すっかり活動を停止してしまうことだった。そうすれば、高校生のころに執拗に聴き続けたバッハの『無限カノン』にも似た、眠りと目覚めの果てしない堂々めぐりも終るはず。
でも、まだわたしは生きている。
ふくよかで柔らかなのが女性の身体の第一の特徴であるなら、今のわたしの体はその特徴にかなり欠如している。わたしはまだ二十一歳だったから、年齢だけは、未だ妙齢のと言われないこともないが、不健康に痩せ細っている姿はむしろ妙齢の醜女と形容した方が正しいかも知れなかった。薄っぺらなヒラメのようなわたしの体は、今、ベッドの上で仰向けに寝ている。それも、不確かな感覚に敢えて忠実に従って言えば、わたしは単に宙に浮遊しているにすぎない。 わたしは考えた。それは、こうして寝たまま無為に緩やかな死を待つようになるより更にずっと以前、多分、母の胎盤に流されないようにしがみついていた時からそうだったのだと。わたしだけではなく、姉も、死んだ両親も、人間すべてがそうなのだとさえ思えた。
たとえば夜。すべての生き物が眠っていて、コンクリートで固められたビルディングとか、路上に違法駐車されたままの自動車とか、生ゴミ収集用の大きなブルーのポリ・バケツとかの、物体だけが占有する生物反応ゼロの光景のなかに、ポツンと置かれた一台の粗未なベッド。その上でわたしは両手を胸にのせ、両目を閉じ、死者であることを偽装するような格好で、身動きひとつしないでいる。正確に言えないが、それらの物体やわたし自身さえもほんとうは闇に隠蔽されていて、わたしはただその有様を、まだ死ぬこともできずにもて余している暇にまかせて、あれこれ想像しているにすぎないのだ。
襖一枚隔てた隣の部屋には三つ年上の姉がいて、やはりわたしと同じように横たわり、身じろぎもせず蒲団のなかで死を待っている。更に壁を隔てた隣の部屋には、駅前でカレー・ハウスを営んでいる夫婦が枕を並べて寝ているのだろうけど、大声を張りあげて口喧嘩したりべたついたりしている彼らも、それぞれ孤独な寝顔で浮遊しているようにしか見えないし、襖もう一枚向こうには、顔を合わせる度に汚いものでも見たように大げさに視線をはずす、中学一年生のひとり娘が物体のように浮かんでいる。
それから、このコーポラスとは名ばかりの内も外も汚れの目立つコンクリート製の建造物を囲んで、肉眼では限りも見えないほどの家々が連なり、それぞれの家にそれぞれの家族が、ひとりひとり浮遊しているのだ。家といっても、屋根と壁と床、簡略してしまえばそれだけの平面に囲まれているだけで、それらを取り払ってしまえば、人間も樹上の巣に眠る小鳥と大差ないのだ。
わたしの暗い網膜に、不意にほの明るく、整然と並べられた雛人形がかすかな像を結び、そしてじきに消えた。その残像のなか、雛段の前に坐って嬉しそうに大きな市松人形を抱いているのは、まだ小学校にあがったばかりの、かつての姉だ。わたしに与えられたはずの市松人形も姉が独占してしまい、わたしは姉がいない時にしか触れることができなかったし、それも元通りの位置に飾っておかないと叱られるのだった。
今日が三月幾日なのかわたしにはわからないが、雛祭りはすでに終っているはずだった。一週間前か十日前か、あるいはもっと前に。
母がその都度、困惑した表情でこの雛人形は誰のものでもなくふたりのものだと諭した、あの雛人形と市松人形は今どこに、誰の手にあるのだろう。ふと、もはや埋め立て処理場のゴミの堆積のはるか下層に埋もれているような気がして、それならそれでわたしの一家の所有物にふさわしい壊れ方だとは思う。見知らぬ家の所有物として存在し続けてくれるよりも、むしろその方がわたしには嬉しい。
六年前に父の事業が倒産し、負債のかたにめぼしい家財とともに運び出されてしまってから、わたしたち姉妹は、故意と自然の境界線あたりで雛祭りを忘れてしまっていた。
わたしたちには生活費と呼べるほどのお金もすでになかった。あるのは一円や五円や十円硬貨ばかり数十枚、姉の部屋の向こうの、台所のテーブルの上に散らばっているはずだ。
姉の名義のただひとつ残された普通預金の通帳も、残高がどれだけあるかわからない。初めから電気、ガス、水道料などを支払うために開設された口座だったので、今では自動振込も機能しなくなっているかも知れなかった。この部屋の家賃さえも引き落としできなくなっている可能性もある。管理人には、都合で父の出身地である松本へ二ケ月ほど行っていると断わってあるのだが、家賃の滞納が明らかになるまでには、わたしたちは死ねるだろうと思う。
2007年7月14日土曜日
換骨奪胎風私小説
久しぶりに地元書店と全国展開の書店をハシゴしたら、翻訳書の棚にハ・ジンの「待ち暮らし」と「狂気」の二冊が別々の場所に泣き別れ状態で置かれていたので、二冊仲良く並べ直して来た。そういえば、昔は本屋の本の並べ替え、よくやったものです。
それにしても、この翻訳書の少なさ。書店へ足を運ぶ理由がほぼ消滅しました。
小説の視点が一人称で、その一人称が書き手自身である場合、いわゆる私小説ということになるが、そのことに胡散臭さは無いか?
私=書き手。それが読者や世界への誠実の証であるなんて思うのはおかしくないか?
講釈師は見てきたような嘘をついてはいけないのか?
私≠書き手の小説。このばあいの「私」は単なる小説世界内の主人公にすぎないのであって、彼、彼女と実は何ら変わりないのである。けれども、彼または彼女と書くよりも「私」自身に語らせた方が信憑性がある。という錯覚、または誤謬を逆手に取った堂々たる似非私小説、あるいは換骨奪胎風私小説。
それにしても、この翻訳書の少なさ。書店へ足を運ぶ理由がほぼ消滅しました。
小説の視点が一人称で、その一人称が書き手自身である場合、いわゆる私小説ということになるが、そのことに胡散臭さは無いか?
私=書き手。それが読者や世界への誠実の証であるなんて思うのはおかしくないか?
講釈師は見てきたような嘘をついてはいけないのか?
私≠書き手の小説。このばあいの「私」は単なる小説世界内の主人公にすぎないのであって、彼、彼女と実は何ら変わりないのである。けれども、彼または彼女と書くよりも「私」自身に語らせた方が信憑性がある。という錯覚、または誤謬を逆手に取った堂々たる似非私小説、あるいは換骨奪胎風私小説。
ごんべえ君の試運転
朝食前に、いよいよ「種まきごんべえ」を持参して「山牛蒡」の種まきをしてみた。説明書に書かれている104というエンドレスベルトでは山牛蒡の細長い種が穴にうまく入らないのでダメ。急遽、もっと穴の大きいベルトに交換して何とか播種終了。確かに押すだけで溝を切って種を播き、土をかけて鎮圧という四種類の作業が出来てしまうのは便利である。これだったら300坪だろうが450坪だろうが恐くない。

やはり、問題はエンドレスベルトの穴に種がきちんと数粒ずつ入るかどうか、それだけである。ソバ用のベルトは穴の直径が10mm。これで信濃1号の種が3~4粒入ることになっているが、実際にそうかどうか、事前にソバの種をホッパーに入れて確認してみなければならない。

お、白いエンドレスベルトのすべての穴に均一に4、5粒入っています。準備OK。
ソバの種まきは8月7日頃の予定。ひとりでずっとごんべえ君を押し続けるのはちょっときついので助手が必要だ。優雅に作務衣など着て無職の暇つぶしにいそしんでいるM君にお願いしてみよう。
��しかし、この時期、こうして早朝作業で早起きの癖がつくのはいいのだが、その分、夜、早めに眠くなるのは困りもの)
やはり、問題はエンドレスベルトの穴に種がきちんと数粒ずつ入るかどうか、それだけである。ソバ用のベルトは穴の直径が10mm。これで信濃1号の種が3~4粒入ることになっているが、実際にそうかどうか、事前にソバの種をホッパーに入れて確認してみなければならない。
お、白いエンドレスベルトのすべての穴に均一に4、5粒入っています。準備OK。
ソバの種まきは8月7日頃の予定。ひとりでずっとごんべえ君を押し続けるのはちょっときついので助手が必要だ。優雅に作務衣など着て無職の暇つぶしにいそしんでいるM君にお願いしてみよう。
��しかし、この時期、こうして早朝作業で早起きの癖がつくのはいいのだが、その分、夜、早めに眠くなるのは困りもの)
2007年7月13日金曜日
いいかげんに平積みをやめよう
数日前から漱石の『草枕』が気になりだしたので、読もうと思ったが見つからない。仕方なく青空文庫で読み始めたが、どうも横書きだし、ルビは多いし、モニターで読むのはつらいし。そこでファイルをダウンロードして縦書きになおして読もうと思いましたが、ルビの処理がみな( )のなかに入ってしまってこれも何か鬱陶しい。エキスパンド形式だと縦書きだというので専用のビューアというかブラウザと、「草枕」のエキスパンド形式のファイルをダウンロードしてみました。
画面のショットはこういう感じです。

1頁が20字16行です。これで、長いものを最後まで読めるだろうか? 声を出して朗読すればいいのかもしれません。
一応、本も探してみることにします。確か、文庫本だったが、さてどこに?
そういえば、グールドをよく聴いていた頃に、『「草枕」変奏曲―夏目漱石とグレン・グールド』という本を買ったまま読まずにどこかに紛れ込んでしまったが、あれもついでに探してみよう。多分、二階の廊下の平積みの中?
あのグールドが『草枕』を愛読していたなんてね。ネット上で探す方が簡単です。
画面のショットはこういう感じです。
1頁が20字16行です。これで、長いものを最後まで読めるだろうか? 声を出して朗読すればいいのかもしれません。
一応、本も探してみることにします。確か、文庫本だったが、さてどこに?
そういえば、グールドをよく聴いていた頃に、『「草枕」変奏曲―夏目漱石とグレン・グールド』という本を買ったまま読まずにどこかに紛れ込んでしまったが、あれもついでに探してみよう。多分、二階の廊下の平積みの中?
あのグールドが『草枕』を愛読していたなんてね。ネット上で探す方が簡単です。
2007年7月12日木曜日
馬ではなく鹿
ソバ栽培予定地を貸してくれた家から「梅を採ったから持ちにおいで」という電話を頂戴。仕事をやりくりして午後でかけた。雨も上がっているので、ついでにソバの元肥として窒素ぬきの燐酸25%、カリ15%、マグネシウム5%というPK化成を3袋、それから背負い式散布機を軽トラに載せてゆく。倒伏すると機械で刈れなくなるから窒素抜きに決断。
家に寄り、梅を頂いてからソバ栽培予定地に行くと、隣のプルーン畑で奥さんがプルーンの摘果作業中。固まってびっしり生っているプルーンを手で摘んで5cmにひとつくらいにしている。足元は摘果されたブルーンだらけ。樹に残された実よりも落とされた実の方が断然多い。それを見ているうちに……たまたま生まれて来た者よりも、生まれ得なかった者の方が多いのかもしれない人間界と同じなのかもしれない……などと考えてしまいました。
ソバ栽培予定地に行って見ると雑草がびっしりだが、雨続きで水分をたっぷり含んでおりトラクターでの耕起は無理なので、PK化成を3袋ぴったり全面に散布。
しかし、その途上、犬の足跡でもない、まるでハイヒールのかかとのような形の獣の深い足跡が点々と続いている場所に遭遇。
鹿? そう、間違いなく、99%、犬でも馬もなく、鹿。これはタイヘン。鹿はソバの実を食べて全滅させると聞いていたし、鹿が走り回ってソバを踏み倒されては機械で刈れないではありませんか。プルーン畑へ走ってそのことを奥さんに言うと、「ああ、去年も来たみたいですが、うちの大豆畑も回りに糸を張ったら大丈夫でした」って。だって鹿のジャンプ力ってすごいのでは? でもあれだけの畑の周囲にネットを張り巡らすと相当経費も手間もかかります。糸を張るくらいだったらそんなに経費も手間もかかりませんが。
うーむ、しろうとのソバ栽培に暗雲立ち込めて来ました。
家に寄り、梅を頂いてからソバ栽培予定地に行くと、隣のプルーン畑で奥さんがプルーンの摘果作業中。固まってびっしり生っているプルーンを手で摘んで5cmにひとつくらいにしている。足元は摘果されたブルーンだらけ。樹に残された実よりも落とされた実の方が断然多い。それを見ているうちに……たまたま生まれて来た者よりも、生まれ得なかった者の方が多いのかもしれない人間界と同じなのかもしれない……などと考えてしまいました。
ソバ栽培予定地に行って見ると雑草がびっしりだが、雨続きで水分をたっぷり含んでおりトラクターでの耕起は無理なので、PK化成を3袋ぴったり全面に散布。
しかし、その途上、犬の足跡でもない、まるでハイヒールのかかとのような形の獣の深い足跡が点々と続いている場所に遭遇。
鹿? そう、間違いなく、99%、犬でも馬もなく、鹿。これはタイヘン。鹿はソバの実を食べて全滅させると聞いていたし、鹿が走り回ってソバを踏み倒されては機械で刈れないではありませんか。プルーン畑へ走ってそのことを奥さんに言うと、「ああ、去年も来たみたいですが、うちの大豆畑も回りに糸を張ったら大丈夫でした」って。だって鹿のジャンプ力ってすごいのでは? でもあれだけの畑の周囲にネットを張り巡らすと相当経費も手間もかかります。糸を張るくらいだったらそんなに経費も手間もかかりませんが。
うーむ、しろうとのソバ栽培に暗雲立ち込めて来ました。
暗雲
せっかくの一太郎2007なので、慣れるまでしばらく、自分用の文章は一太郎で書くことにした。どうやら本当に日本語で文章を書くにはこちらの方が良さそうなのだが、付属のマニュアルを読んでも実際に使わなければ覚えないに決まっているので、習うより慣れろ、で無理やりしばらく禁Word。
一太郎で同人誌用のA5二段組・22行26字(23行27字もあり)のテンプレートを作って保存したので、これを呼び出せばいつでも書き出せる(小説以外は……That's the matter!)。
ちょうど20年前の、初めて買ったワープロであるRupoで書いた小説を、感熱紙のままではダメだと思ったのだろう、コピーして綴じたものが、幽霊みたいに出て来たので、これをOCRでパソコンに取り込んでみようという気になった。20行20字の二段組でA4袋綴じになっていてページ数が45ページ。ということは400字詰めで90枚。
出来ればリライトしたいと思うのだが、スキャン自体を途中で厭になって放り出しそうな気もする。
初代Rupoはフロッピーが1DDという代物で、一応保存したフロッピーはあるのだが読み出せる機械がない。2代目の2DDフロッピーはテキストコンバータで読み出しできるので一応txtに変換してあるのだが、1DDだけは印刷物からスキャンするほかなく、テキスト化だけはしておきたいのだけど。
とりあえず、画像だけ連続スキャンしておこう。
一太郎で同人誌用のA5二段組・22行26字(23行27字もあり)のテンプレートを作って保存したので、これを呼び出せばいつでも書き出せる(小説以外は……That's the matter!)。
ちょうど20年前の、初めて買ったワープロであるRupoで書いた小説を、感熱紙のままではダメだと思ったのだろう、コピーして綴じたものが、幽霊みたいに出て来たので、これをOCRでパソコンに取り込んでみようという気になった。20行20字の二段組でA4袋綴じになっていてページ数が45ページ。ということは400字詰めで90枚。
出来ればリライトしたいと思うのだが、スキャン自体を途中で厭になって放り出しそうな気もする。
初代Rupoはフロッピーが1DDという代物で、一応保存したフロッピーはあるのだが読み出せる機械がない。2代目の2DDフロッピーはテキストコンバータで読み出しできるので一応txtに変換してあるのだが、1DDだけは印刷物からスキャンするほかなく、テキスト化だけはしておきたいのだけど。
とりあえず、画像だけ連続スキャンしておこう。
2007年7月11日水曜日
どこからかギター
デジタル文学館に一作アップロード。これで17作品。
中綴じの詩誌のボランティア編集開始。中綴じだから頁数は4の倍数で32ページか。
本文は作ってあるテンプレートに流し込んで調整するだけなので簡単だが、表紙が悩みの種。
「グラスキンの永遠」発芽率50分の45=90%なのは結構だが、茎を見ると真っ赤、ピンク、青いままが三分の一くらいずつ。結局三分一の真っ赤だけを残して、北米式に株分けで増殖させるのが正解か。株分けだと遺伝的形質はそのまま受け継がれていくが、種子による増殖は先祖返りが多すぎてメチャクチャ、選抜も出来ない。
しかし、ヨーロッパと北米に固有の種子名が覚えきれないくらい存在するのに、なぜ赤だけに固定選抜できないのか? なぜ、こんなに先祖返りしてしまうのか、不思議。
中綴じの詩誌のボランティア編集開始。中綴じだから頁数は4の倍数で32ページか。
本文は作ってあるテンプレートに流し込んで調整するだけなので簡単だが、表紙が悩みの種。
ギター
緑の沈黙が君臨しよう
錯雑としたギターの音の。
ギターは水ならぬ
風の 泉
(ジェラルド・ディエゴ)
「グラスキンの永遠」発芽率50分の45=90%なのは結構だが、茎を見ると真っ赤、ピンク、青いままが三分の一くらいずつ。結局三分一の真っ赤だけを残して、北米式に株分けで増殖させるのが正解か。株分けだと遺伝的形質はそのまま受け継がれていくが、種子による増殖は先祖返りが多すぎてメチャクチャ、選抜も出来ない。
しかし、ヨーロッパと北米に固有の種子名が覚えきれないくらい存在するのに、なぜ赤だけに固定選抜できないのか? なぜ、こんなに先祖返りしてしまうのか、不思議。
2007年7月10日火曜日
坊ちゃんを立たせる
本日メール便で届いた、デジタル文学館アップロード作品を一作スキャニング。画像だけ連続でスキャニングしておいて、あとは数日かけてテキスト化する予定が、結局零時頃にテキスト化終了。拙速という言葉が浮かぶ。この性格、何とかなりませんか?
ファイルサイズは大きくなるが、画像の解像度を最大にすると、フォントが太く滲んでいるような場合でも案外読み取りミスは少ない。ただし解像度を上げると、フォントではない小さな汚れの点でも拾ってしまうことがあるので、解像度は読み取る原稿の状態をみて変更する場合もある。

坊ちゃんかぼちゃを、畑のいちばん北側に支柱を立ててネットを張り、立たせて栽培してみました。
これだとカボチャがよく見えます。かぼちゃの右手にはおなじく蔓性の「中長ゴーヤ」。真夏にこの日陰で休むと涼しいでしょう。
ファイルサイズは大きくなるが、画像の解像度を最大にすると、フォントが太く滲んでいるような場合でも案外読み取りミスは少ない。ただし解像度を上げると、フォントではない小さな汚れの点でも拾ってしまうことがあるので、解像度は読み取る原稿の状態をみて変更する場合もある。
坊ちゃんかぼちゃを、畑のいちばん北側に支柱を立ててネットを張り、立たせて栽培してみました。
これだとカボチャがよく見えます。かぼちゃの右手にはおなじく蔓性の「中長ゴーヤ」。真夏にこの日陰で休むと涼しいでしょう。
2007年7月9日月曜日
2007年7月8日日曜日
復刊不可能な書名
清水の舞台から飛び降りて入手した本。イテテテテ......、嬉しい......。
全集にも入っていない戯曲。「帝国の建設者」が静の傑作がであるとするならば、こちらは騒々しいドタバタノンセンスの傑作。上演当時は左右双方から非難囂囂だったという。これだけアナーキーだとそうだろう。
『屠殺屋入門』。題名からして、内容からして、先ずは復刊は絶対にありえない本。
しかも版元があの奢灞都館。
総合文芸誌「海」の特集号に掲載されていて、それを持っているのだから無理に買わなくてもいいのだけれど、ヴィアン・オタクとしては女房を質に入れても(古っ)入手したい本。
だから清水寺の懸崖から飛び降りました。金額が5桁ではなかったのだからお買い得でしょう。一冊検索にかかった本は29,700円でした。
神様、これでもうしばらくは古書検索はしません......てば(もう一冊を除いて)。

ボリス・ヴィアン『屠殺屋入門』生田耕作訳・奢灞都館、1979年10月、初版、2100円)
全集にも入っていない戯曲。「帝国の建設者」が静の傑作がであるとするならば、こちらは騒々しいドタバタノンセンスの傑作。上演当時は左右双方から非難囂囂だったという。これだけアナーキーだとそうだろう。
『屠殺屋入門』。題名からして、内容からして、先ずは復刊は絶対にありえない本。
しかも版元があの奢灞都館。
総合文芸誌「海」の特集号に掲載されていて、それを持っているのだから無理に買わなくてもいいのだけれど、ヴィアン・オタクとしては女房を質に入れても(古っ)入手したい本。
だから清水寺の懸崖から飛び降りました。金額が5桁ではなかったのだからお買い得でしょう。一冊検索にかかった本は29,700円でした。
神様、これでもうしばらくは古書検索はしません......てば(もう一冊を除いて)。
ボリス・ヴィアン『屠殺屋入門』生田耕作訳・奢灞都館、1979年10月、初版、2100円)
2007年7月7日土曜日
死んだ友と散歩した詩人、ふたり
昨日、『デスノス詩集』が届いた。
ロベール・デスノス。1900年、パリ市第11区に生まれる。父はパリ中央市場の仲買人。シュルレアリスムに参加し、またレジスタンス活動によってゲシュタポに逮捕され、ナチス収容所を転々とし、1945年、チェコスロバキアのテレジーヌ収容所でチフスに罹患し6月8日に死亡。
その詩。
なるほど、J・プレヴェールのあの詩は、この詩を踏まえて書かれたものだったのだ。そのことが判っただけでもこの本を買った甲斐があったというもの。
ロベール・デスノス。1900年、パリ市第11区に生まれる。父はパリ中央市場の仲買人。シュルレアリスムに参加し、またレジスタンス活動によってゲシュタポに逮捕され、ナチス収容所を転々とし、1945年、チェコスロバキアのテレジーヌ収容所でチフスに罹患し6月8日に死亡。
その詩。
今日僕は昔の友と……
今日僕は昔の友と散歩した
死んでしまった友なのに
苦にはならずに散歩が出来た
花ざかり 木々は何とも美しかった
友の葬式(はぶり)のあの日には
マロニエが雪かと花を降らせていた
今日僕は昔の友と散歩した
……以下略(『デスノス詩集』堀口大學訳・1978年・彌生書房)
なるほど、J・プレヴェールのあの詩は、この詩を踏まえて書かれたものだったのだ。そのことが判っただけでもこの本を買った甲斐があったというもの。
東京タワーのそばの小さいけれどすばらしい図書館
よそ様のブログの受け売りになってしまいますが、「文芸同人誌案内」登録サイトであり、私のRSSリーダーに登録しています短説ブログのこの記事で紹介されています三康図書館のページに行ってみて、「同人誌」が多く所蔵されているのにほんとうに驚きました。うちの雑誌などないだろうと思っていましたが、最後のアルファベットのところにあるではありませんか。
先のブログの管理者の方も送ったはずのない図書館に自分たちに雑誌があると驚かれていますが、雑誌がそこにたどり着いた経路、少し想像がつかない訳でもありません。でも想像でものは言えませんし、そんな詮索はどうでもいいことで、こういうひっそりした私立図書館に全国の同人誌がこれだけ集合していることのすばらしさを喜ぶべきでしょう。
どんなにネットの時代だ、デジタル文学館だなどと叫んでみても、ネットをのぞくこともなく小説を書き続けている人たちの数は文芸同人誌ではまだ多数派でありますから、印刷された紙媒体の同人誌の存在価値はまだまだ捨てたものではありません。
それにしてもです。印刷された文芸同人誌の行方の大方は、最終的には資源ゴミとしての宿命を背負っています。この図書館にたどりついた雑誌のように資料として大切に保管されるのは、ほんの限られた部数でしょう。
私の尊敬する先輩は、溜まりに溜まった同人誌を、かなり以前に居住する市の図書館に寄贈された。その当時はそうやって受け入れられたが、今、私が同じことをしようとしたらこの市の図書館から断られそうな気がします。すでにかなり前から新刊でない本の寄贈が断られているのだから、古い同人誌の受け入れなど訊ねてみるまでもありません。
ですから余計にこの図書館に感心してしまいました。東京タワーの足元にあるようですから、近くまで行ったら入館してみましょう。
��なお、この図書館は戦前有名だった博文館という出版社が創設した大橋図書館が前身のようです)
先のブログの管理者の方も送ったはずのない図書館に自分たちに雑誌があると驚かれていますが、雑誌がそこにたどり着いた経路、少し想像がつかない訳でもありません。でも想像でものは言えませんし、そんな詮索はどうでもいいことで、こういうひっそりした私立図書館に全国の同人誌がこれだけ集合していることのすばらしさを喜ぶべきでしょう。
どんなにネットの時代だ、デジタル文学館だなどと叫んでみても、ネットをのぞくこともなく小説を書き続けている人たちの数は文芸同人誌ではまだ多数派でありますから、印刷された紙媒体の同人誌の存在価値はまだまだ捨てたものではありません。
それにしてもです。印刷された文芸同人誌の行方の大方は、最終的には資源ゴミとしての宿命を背負っています。この図書館にたどりついた雑誌のように資料として大切に保管されるのは、ほんの限られた部数でしょう。
私の尊敬する先輩は、溜まりに溜まった同人誌を、かなり以前に居住する市の図書館に寄贈された。その当時はそうやって受け入れられたが、今、私が同じことをしようとしたらこの市の図書館から断られそうな気がします。すでにかなり前から新刊でない本の寄贈が断られているのだから、古い同人誌の受け入れなど訊ねてみるまでもありません。
ですから余計にこの図書館に感心してしまいました。東京タワーの足元にあるようですから、近くまで行ったら入館してみましょう。
��なお、この図書館は戦前有名だった博文館という出版社が創設した大橋図書館が前身のようです)
2007年7月6日金曜日
キーワードで世界を拾う
しばらく使ってやめていたglucose2を再びインストールし、英語のキーワード検索専用とすることにした。試しにあるキーワードを登録したら、じきにワシントンポストの記事やらイギリス、ヨークシャー州のヨークシャー新聞の記事などをつかまえてくれた。ただし、百単位の記事が拾われて来ても、語彙が同じだけで無関係な記事がほとんどなので、タイトルだけで内容の見当をつけるのが慣れないとむずかしい。捨てるのが一苦労だ。キーワードの設定の仕方も工夫の余地あり。
とりあえず、十五ほどのキーワードを登録したが、Yahooから拾って来るばかりで、まだgoogleからはまったく拾ってこない。明日には入って来るか?
しかし、こうやって仕掛けておけば、いちいちYahooやgoogleの検索窓に検索ワードを入力して検索する手間が省ける。あるキーワードについて一定期間、情報収集するにはこの方が便利だ。
結局、お気に入りのブログの更新の確認はFirefoxのsageで、日本語のキーワード検索はgooのRSSリーダーで、英語はgulcoseでと、3つのRSSリーダーでの分業となる。ちょっとややこしい。
有料のリーダーを購入して一元化した方がいいのかもしれない。そんなに高い訳ではないし。
また古書で清水の舞台から大ジャンプしてしまい、気がついたら地上に激突。だいぶ痛いが、この機会を逃したら次はないだろうと思って、ひたすら我慢我慢。
これで、残雪が済んで、ヴィアンが済んだので、当分は古書検索は封印。
今夜はなぜか漱石の「草枕」の一節が思い出され、気にかかって仕方ない
配偶者がすでに転勤してしまった同僚から頂いた富貴蘭が咲いた。素人が咲かすのは難しいらしいが、咲いた。蘭にしては小さすぎる花で見栄えはしないが、鼻を花のそばに寄せると香りがすごい。いい匂い。
備忘:ねずみ大根の種子、メール便で到着。
サバト館のヴィアン、万事手配整い今日発送、明後日到着の予定。とても痛いが、痛いのを忘れるほど嬉しい。
とりあえず、十五ほどのキーワードを登録したが、Yahooから拾って来るばかりで、まだgoogleからはまったく拾ってこない。明日には入って来るか?
しかし、こうやって仕掛けておけば、いちいちYahooやgoogleの検索窓に検索ワードを入力して検索する手間が省ける。あるキーワードについて一定期間、情報収集するにはこの方が便利だ。
結局、お気に入りのブログの更新の確認はFirefoxのsageで、日本語のキーワード検索はgooのRSSリーダーで、英語はgulcoseでと、3つのRSSリーダーでの分業となる。ちょっとややこしい。
有料のリーダーを購入して一元化した方がいいのかもしれない。そんなに高い訳ではないし。
また古書で清水の舞台から大ジャンプしてしまい、気がついたら地上に激突。だいぶ痛いが、この機会を逃したら次はないだろうと思って、ひたすら我慢我慢。
これで、残雪が済んで、ヴィアンが済んだので、当分は古書検索は封印。
今夜はなぜか漱石の「草枕」の一節が思い出され、気にかかって仕方ない
あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故(ゆえ)に尊(たっ)とい。だとすれば失格だね、と、頭の中の自分が言ってますよ。
配偶者がすでに転勤してしまった同僚から頂いた富貴蘭が咲いた。素人が咲かすのは難しいらしいが、咲いた。蘭にしては小さすぎる花で見栄えはしないが、鼻を花のそばに寄せると香りがすごい。いい匂い。
備忘:ねずみ大根の種子、メール便で到着。
サバト館のヴィアン、万事手配整い今日発送、明後日到着の予定。とても痛いが、痛いのを忘れるほど嬉しい。
2007年7月5日木曜日
暗い箱の中
13ヶ月ほど前にハード・ディスクがクラッシュして保障期間中であったから無料で新しいHDが届いたのはいいけれど、大概のデータは消滅してしまった。
さいわい多少はCD-RWに部分的に保存してあったりで、全滅ではなかった。
いちばん助かったのはホームページのデータで、これはアップロードしてあるサーバーのホストの方から逆にパソコン内にダウンロードすることで、データは簡単に復活したのだった。
それでやはりデータのバックアップは必要だと思い、外付けのハード・ディスクを購入し、たまたまバックアップを取っていたが、最近は忘れていた。そこで本日バックアップを挙行。これで一安心。
その関連になるが、一太郎をいろいろいじっていて、ファイルを保存する場面で、「二ヶ所に保存」という機能があるのに気づいた。おお、これはWordにはない機能で、内臓ハード・ディスクのほかにCD-RWとか外付けハード・ディスクとかにも同時に保存できて、クラッシュ対策としてはなかなかのものです。
それにしても、前号から替えた印刷所が一太郎でもOKならいいんですが、今度念のため訊いておきましょう。
ある絶版になって入手困難な小説のテキストを翻訳者の方からテキスト・ファイルで送信していただいたことがあり、それも古いCD-RWに保存されているのが見つかった。1篇が5つのテキスト・ファイルに分割されているのだが、開いてみると、一行40字の設定のWord文書をテキスト・ファイルに変換したものらしく、40字のところにことごとく改行マークが入っていた。
Word98とか古いWordだとWordファイルをテキスト・ファイルにするには「名前を付けて保存」をクリックし、ファイルタイプの選択場面で「txt」と「txt+改行」の二種類があった。多分、この後者の「txt+改行」を選んでしまうと、一行ごとに改行マークが入ってしまうのだ。
Word2003には 「txt+改行」は見当たらず、「改行なしtxt」だけである。当たり前だろう、一行ずつ改行されてしまう「txt+改行」が必要な場面なんて、どう考えても考えつかない。
元のWordファイルがある訳でもなし、結局、入ってしまっている改行マークは一個ずつ手作業で外していくほかないのだ。
そういえば、OCRソフトの「読んde!!ココ」でも、パラメータの設定を間違えると変換されたテキスト・ファイルの行末ごとに改行が入ってしまう。
さいわい多少はCD-RWに部分的に保存してあったりで、全滅ではなかった。
いちばん助かったのはホームページのデータで、これはアップロードしてあるサーバーのホストの方から逆にパソコン内にダウンロードすることで、データは簡単に復活したのだった。
それでやはりデータのバックアップは必要だと思い、外付けのハード・ディスクを購入し、たまたまバックアップを取っていたが、最近は忘れていた。そこで本日バックアップを挙行。これで一安心。
その関連になるが、一太郎をいろいろいじっていて、ファイルを保存する場面で、「二ヶ所に保存」という機能があるのに気づいた。おお、これはWordにはない機能で、内臓ハード・ディスクのほかにCD-RWとか外付けハード・ディスクとかにも同時に保存できて、クラッシュ対策としてはなかなかのものです。
それにしても、前号から替えた印刷所が一太郎でもOKならいいんですが、今度念のため訊いておきましょう。
ある絶版になって入手困難な小説のテキストを翻訳者の方からテキスト・ファイルで送信していただいたことがあり、それも古いCD-RWに保存されているのが見つかった。1篇が5つのテキスト・ファイルに分割されているのだが、開いてみると、一行40字の設定のWord文書をテキスト・ファイルに変換したものらしく、40字のところにことごとく改行マークが入っていた。
Word98とか古いWordだとWordファイルをテキスト・ファイルにするには「名前を付けて保存」をクリックし、ファイルタイプの選択場面で「txt」と「txt+改行」の二種類があった。多分、この後者の「txt+改行」を選んでしまうと、一行ごとに改行マークが入ってしまうのだ。
Word2003には 「txt+改行」は見当たらず、「改行なしtxt」だけである。当たり前だろう、一行ずつ改行されてしまう「txt+改行」が必要な場面なんて、どう考えても考えつかない。
元のWordファイルがある訳でもなし、結局、入ってしまっている改行マークは一個ずつ手作業で外していくほかないのだ。
そういえば、OCRソフトの「読んde!!ココ」でも、パラメータの設定を間違えると変換されたテキスト・ファイルの行末ごとに改行が入ってしまう。
2007年7月4日水曜日
そろそろ
デジタル文学館にアップロードした作品のデータを、Excelに入力しておかないといけない。
作品名や作者名にふりがなを設定しておいてアイウエオ順に並べ替えをしたり、オートフィルタを使って所属誌の発行所別とか、地域別とか、そういう分類が簡単に出来るように準備。
しかしExcelなんて仕事では受払い簿に使っているくらいで、使うのは本当に久しぶり。
使い方を思い出しながら何とか設定。まあ、関数を使ってむずかしい数式を打ち込むわけではないから大丈夫でしょう。
本日、作品を推薦してくださる方よりメール・フォームからのメールが着信。
4作を推薦していただけるという。
ネット上の文学館なんてどこまで存在意義があるのかさえ不明で、一種の砂上の楼閣みたいなものなのだが、そのことを十分承知のうえでこうして協力していただけるのはありがたい。
昔、「私作るひと、あなた食べるひと」というCMがあって多少物議を醸したことがあったが、私としてはやはり食べるひとではなく作るひとでありたい。いや作って食べるひとになりたいのだけど。
デジタルカメラをオートで撮ってばかりでは進歩がないので、この頃少し、カメラのマニュアルを再読したり、ネットでデジカメの撮影テクニックを教えてくれているページに行って少し勉強している。
花などを撮って背景をぼかす方法がようやく頭に入った。
庭の透かし百合がモデル。お、狙い通りに背景がぼけています。

備忘:Glaskinsの永遠、発芽開始。
作品名や作者名にふりがなを設定しておいてアイウエオ順に並べ替えをしたり、オートフィルタを使って所属誌の発行所別とか、地域別とか、そういう分類が簡単に出来るように準備。
しかしExcelなんて仕事では受払い簿に使っているくらいで、使うのは本当に久しぶり。
使い方を思い出しながら何とか設定。まあ、関数を使ってむずかしい数式を打ち込むわけではないから大丈夫でしょう。
本日、作品を推薦してくださる方よりメール・フォームからのメールが着信。
4作を推薦していただけるという。
ネット上の文学館なんてどこまで存在意義があるのかさえ不明で、一種の砂上の楼閣みたいなものなのだが、そのことを十分承知のうえでこうして協力していただけるのはありがたい。
昔、「私作るひと、あなた食べるひと」というCMがあって多少物議を醸したことがあったが、私としてはやはり食べるひとではなく作るひとでありたい。いや作って食べるひとになりたいのだけど。
デジタルカメラをオートで撮ってばかりでは進歩がないので、この頃少し、カメラのマニュアルを再読したり、ネットでデジカメの撮影テクニックを教えてくれているページに行って少し勉強している。
花などを撮って背景をぼかす方法がようやく頭に入った。
庭の透かし百合がモデル。お、狙い通りに背景がぼけています。
備忘:Glaskinsの永遠、発芽開始。
2007年7月3日火曜日
思考散漫
ものは試しとばかりに、昨夜発見した、ワープロ専用機で印字された感熱紙の文字をスキャナーにかけてみた。通常の設定のまま画像としてスキャンし、テキスト変換してみたら、やはり文字がかすれて薄いせいか認識作業が進まず足踏み状態のままなかなか先へ進まなかった。しかも長いこと待って認識結果のtxtファイルを開いてみたら、めちゃくちゃで相当手作業で直さないと使えない。
そこで、画像スキャンの設定で解像度は最高の600dpiと同じだが、濃度を1,5倍に濃くして再度スキャンし変換させてみたら、おお、今度は認識結果がかなり良くて、ちょっとの手直しでよさそうだ。が、中身は読んでみたらそれほど面白くないので、次のページ以下をスキャニングする気がすっかり失せてしまった。
ちなみに使用しているOCRソフトはAIソフト(エプソン)の「読んde!!ココV.12」。昨年12のヴァージョンアップ版を買ったばかりなのにもう13が出ている。
一太郎の練習。Wordと比較しながらになるが、そう簡単に慣れる訳もなく苦戦。テキスト・ファイルをWordと同じ要領で「挿入」しようとしたが、ファイルの「挿入」が見つからないので、仕方なくコピー&ペースト。初心者はこんなものだろう。
「ページ設定」も一太郎では「文書スタイル」となるが、これも慣れたWordのようにはいかなかったが、ようやく目指すスタイルになった。PDF書き出しは同じ仮想プリンタを使ってなので、Word、一太郎の違いはない。
とにかく、一太郎で文書をいじってみること。
鮎漁解禁早々、釣り名人から鮎6尾を頂戴。天然ものではなく、漁協によって放流されたものでやや小振りのものなので、ひとり二尾でちょうど良い。買ってまで食べたいとは思わないが、やはり鮎はおいしい。
思いついて、ネットでローカルな辛味大根である「ねずみ大根」の種を注文。あまりにローカルすぎてこのあたりでは売っていないので、検索したら県内のネット販売している種苗店にあった。メール便で送ったという返信があったので、4日には配達されるだろう。といっても播くのは8月。
(もっともこの「ねずみ大根」は、蕎麦よりも「おしぼりうどん」という「うどん」に使われるのが一般的なようで、この大根を下ろしたしぼり汁でうどんを食べる……などと考えただけで胃がジワジワ)
ソバが収穫までこぎつけるのか怪しいというのに、辛味大根まで用意するなんて、後で笑えるかもしれない。
久しぶりにフラナリー・オコナーの「烈しく攻むる者はこれを奪う」を古書検索したら2冊ヒット。しかし、1冊は例の天敵古書店で25,000円!なのに……初版・カバー擦れ焼け切れ・天小口染み。
もう1冊は12,000円で……初版・カバー、きれいです。
そこで、画像スキャンの設定で解像度は最高の600dpiと同じだが、濃度を1,5倍に濃くして再度スキャンし変換させてみたら、おお、今度は認識結果がかなり良くて、ちょっとの手直しでよさそうだ。が、中身は読んでみたらそれほど面白くないので、次のページ以下をスキャニングする気がすっかり失せてしまった。
ちなみに使用しているOCRソフトはAIソフト(エプソン)の「読んde!!ココV.12」。昨年12のヴァージョンアップ版を買ったばかりなのにもう13が出ている。
一太郎の練習。Wordと比較しながらになるが、そう簡単に慣れる訳もなく苦戦。テキスト・ファイルをWordと同じ要領で「挿入」しようとしたが、ファイルの「挿入」が見つからないので、仕方なくコピー&ペースト。初心者はこんなものだろう。
「ページ設定」も一太郎では「文書スタイル」となるが、これも慣れたWordのようにはいかなかったが、ようやく目指すスタイルになった。PDF書き出しは同じ仮想プリンタを使ってなので、Word、一太郎の違いはない。
とにかく、一太郎で文書をいじってみること。
鮎漁解禁早々、釣り名人から鮎6尾を頂戴。天然ものではなく、漁協によって放流されたものでやや小振りのものなので、ひとり二尾でちょうど良い。買ってまで食べたいとは思わないが、やはり鮎はおいしい。
思いついて、ネットでローカルな辛味大根である「ねずみ大根」の種を注文。あまりにローカルすぎてこのあたりでは売っていないので、検索したら県内のネット販売している種苗店にあった。メール便で送ったという返信があったので、4日には配達されるだろう。といっても播くのは8月。
(もっともこの「ねずみ大根」は、蕎麦よりも「おしぼりうどん」という「うどん」に使われるのが一般的なようで、この大根を下ろしたしぼり汁でうどんを食べる……などと考えただけで胃がジワジワ)
ソバが収穫までこぎつけるのか怪しいというのに、辛味大根まで用意するなんて、後で笑えるかもしれない。
久しぶりにフラナリー・オコナーの「烈しく攻むる者はこれを奪う」を古書検索したら2冊ヒット。しかし、1冊は例の天敵古書店で25,000円!なのに……初版・カバー擦れ焼け切れ・天小口染み。
もう1冊は12,000円で……初版・カバー、きれいです。
2007年7月2日月曜日
憮然
ある本を検索していたらこんなページに迷い込んだ。
価格にも驚いたが、4冊抱き合わせ販売にはあきれた。
独占禁止法でも抱き合わせ販売は禁止されているはずだが、判断は微妙。この4冊を1冊も持っていない人には好都合かもしれないが、このうちの1冊、2冊持っている者には、すでに持っていて不要なものまで抱き合わせで買わされることになる。私がそうである。憮然!!
1冊目の本は別に20000円のネット古書店があるので驚きはしないが、そこも以前は14000円だった。それから30000円になって今は20000円に落ち着いているが、さすがにまだ売れていない。
多分、この価格に右ならえをしているのだろうが、4冊抱き合わせ販売は悪辣としか言い様がない。
こうなると、再版しない出版社の方にも責任問題はありはしないか?
ちなみにこの版元(創業者は当県出身であるのでとても残念なのだが)のウェブで書籍検索窓にこの1冊めの書名を入れて検索してもまったくヒットしない。品切れだろうが絶版だろうが、かつて自社で出した本に愛着はないのか! 情けないことこの上ないです
。
あっちを見てもこっちをみても絶望的光景ばかり。
これで絶望的でない小説が書けたら、その方がよほど絶望的。絶望的な小説を提示するんだったら書かない方がまし?
(どなた様も、どうか、このあたりに突っ込みを入れないで下さいまし)
今朝は、暑くならないうちにと朝食後すぐに八十ん歳のスーパーお転婆ばあさんを連れて家庭菜園へ。修理から帰って来たミニ管理機を持っていって、雑草退治。年寄りは草、草とうるさいので、この際徹底的に草退治。
ミニ管理機の向こうは雨よけ栽培の桃太郎トマト。先週からキュウリが毎日十数本採れるようになった。
午後はやはり雑草が心配で、6月13日の記事にあるソバ栽培予定地へ行ってみたが、雑草は心配したほどではなかった。
前回、同じ場所を二度通るように丁寧に耕しておいたのがよかったようだ。トラクターの持ち主(畑の貸主)も来ていて少し会話。最近近くまで鹿が出没している、とか。え?! ソバは結構鹿の食害に遭うということを聞いたことがあります、(-_-;)。
夜、一向に書けない自分のことを考えているうちに、長野文学賞が創設された時の「文学の死の季節」という佐々木基一さんの文章を思い出し、掲載された新聞がどこかにあるはずだと探しに行った。あった。ドストエフスキーの「一杯の紅茶さえあれば、世界がひっくりかえってもかまわない」という言葉を引きながら、「しかし、外部との緊張関係を失った一杯の紅茶は、ただの一杯の紅茶でしかない」という怖ろしい帰結を提示されている。
また三島由紀夫の死について、「それは三島由紀夫という一人の作家の死であるよりもむしろ〝文学の死〟もしくは〝芸術の死〟といった方がより適切であるように思われた。まるで、文学あるいは芸術の生首がゴロリと足もとにころがっているような感じであった」と書かれていて胸を打つ。
ずいぶん前に神は死んだと宣告され、またこのように文学は死んだと宣告されているのに、それでもわれらは、生きて、書かねばならない。
(などとずいぶんパセティックでありますね)
そんな風に探し物をしていたら、若い頃に小さなコンクールで賞をもらったが同人誌には発表してなくて、初代ワープロ専用機RUPOのフロッピーが1DDでディスクが残っていても読み出し不可能な短編で、A4感熱紙に袋綴じになった「さようなら死者たち」というプリントアウト原稿が出て来た。
感熱紙である。クラフト封筒の中に入っていたので、若干印字が薄くはなっているものの読める。スキャニングできるだろうか?
また同人誌の創刊号に載せた作品をやはり袋綴じ印刷して、しかもクリムトの女性が眠るデッサンを無断借用した表紙までついたものまで出て来た。
ぱらぱら目を通してみた。
無駄はまったくなく一心不乱に書いていて、 実になつかしい。泣けるほどなつかしい。
価格にも驚いたが、4冊抱き合わせ販売にはあきれた。
独占禁止法でも抱き合わせ販売は禁止されているはずだが、判断は微妙。この4冊を1冊も持っていない人には好都合かもしれないが、このうちの1冊、2冊持っている者には、すでに持っていて不要なものまで抱き合わせで買わされることになる。私がそうである。憮然!!
1冊目の本は別に20000円のネット古書店があるので驚きはしないが、そこも以前は14000円だった。それから30000円になって今は20000円に落ち着いているが、さすがにまだ売れていない。
多分、この価格に右ならえをしているのだろうが、4冊抱き合わせ販売は悪辣としか言い様がない。
こうなると、再版しない出版社の方にも責任問題はありはしないか?
ちなみにこの版元(創業者は当県出身であるのでとても残念なのだが)のウェブで書籍検索窓にこの1冊めの書名を入れて検索してもまったくヒットしない。品切れだろうが絶版だろうが、かつて自社で出した本に愛着はないのか! 情けないことこの上ないです
。
あっちを見てもこっちをみても絶望的光景ばかり。
これで絶望的でない小説が書けたら、その方がよほど絶望的。絶望的な小説を提示するんだったら書かない方がまし?
(どなた様も、どうか、このあたりに突っ込みを入れないで下さいまし)
今朝は、暑くならないうちにと朝食後すぐに八十ん歳のスーパーお転婆ばあさんを連れて家庭菜園へ。修理から帰って来たミニ管理機を持っていって、雑草退治。年寄りは草、草とうるさいので、この際徹底的に草退治。
午後はやはり雑草が心配で、6月13日の記事にあるソバ栽培予定地へ行ってみたが、雑草は心配したほどではなかった。
前回、同じ場所を二度通るように丁寧に耕しておいたのがよかったようだ。トラクターの持ち主(畑の貸主)も来ていて少し会話。最近近くまで鹿が出没している、とか。え?! ソバは結構鹿の食害に遭うということを聞いたことがあります、(-_-;)。
夜、一向に書けない自分のことを考えているうちに、長野文学賞が創設された時の「文学の死の季節」という佐々木基一さんの文章を思い出し、掲載された新聞がどこかにあるはずだと探しに行った。あった。ドストエフスキーの「一杯の紅茶さえあれば、世界がひっくりかえってもかまわない」という言葉を引きながら、「しかし、外部との緊張関係を失った一杯の紅茶は、ただの一杯の紅茶でしかない」という怖ろしい帰結を提示されている。
また三島由紀夫の死について、「それは三島由紀夫という一人の作家の死であるよりもむしろ〝文学の死〟もしくは〝芸術の死〟といった方がより適切であるように思われた。まるで、文学あるいは芸術の生首がゴロリと足もとにころがっているような感じであった」と書かれていて胸を打つ。
ずいぶん前に神は死んだと宣告され、またこのように文学は死んだと宣告されているのに、それでもわれらは、生きて、書かねばならない。
(などとずいぶんパセティックでありますね)
そんな風に探し物をしていたら、若い頃に小さなコンクールで賞をもらったが同人誌には発表してなくて、初代ワープロ専用機RUPOのフロッピーが1DDでディスクが残っていても読み出し不可能な短編で、A4感熱紙に袋綴じになった「さようなら死者たち」というプリントアウト原稿が出て来た。
感熱紙である。クラフト封筒の中に入っていたので、若干印字が薄くはなっているものの読める。スキャニングできるだろうか?
また同人誌の創刊号に載せた作品をやはり袋綴じ印刷して、しかもクリムトの女性が眠るデッサンを無断借用した表紙までついたものまで出て来た。
ぱらぱら目を通してみた。
無駄はまったくなく一心不乱に書いていて、 実になつかしい。泣けるほどなつかしい。
2007年7月1日日曜日
電話線上を漂流
今夜はWordの検索と置換を実際にあるWord文書でいろいろ試行した後、ネットの海へ迷い出て漂流しているうちに、ロベール・デスノスの「デスノス詩集」に遭遇。
1978年発行の堀口大學訳だが500円という信じられない価格のが1冊。堀口献呈署名 というのが6300円、限定50部特装本は30000円。
もちろん、500円のを速攻でオーダー。\(^o^)/
他の検索方法で探してみたが、ようやく1200円のが2冊。
やはり500円は安い。
デスノスはナチ収容所で殺害されたシュルレアリスムの詩人で、敬愛するJ・プレヴェールも友人でもあり、なおかつプレヴェールによって詩にも書かれている。
それは、「今日」という題名の詩である。その出だしの数行がすごい。
1978年発行の堀口大學訳だが500円という信じられない価格のが1冊。堀口献呈署名 というのが6300円、限定50部特装本は30000円。
もちろん、500円のを速攻でオーダー。\(^o^)/
他の検索方法で探してみたが、ようやく1200円のが2冊。
やはり500円は安い。
デスノスはナチ収容所で殺害されたシュルレアリスムの詩人で、敬愛するJ・プレヴェールも友人でもあり、なおかつプレヴェールによって詩にも書かれている。
それは、「今日」という題名の詩である。その出だしの数行がすごい。
今日 ぼくは親友と散歩した その親友が死んでいたとしてもロベール・デスノス(1900~1945)はシュルレアリスム詩人。自動筆記、催眠実験などで独特の詩を試みた。第二次大戦中、ナチスの手にかかり、テレジヌ収容所で死亡。
ぼくは散歩した 親友
一九三六年 覚醒状態の ロベール・デスノスとともに
嶋岡晨訳「プレヴェール詩集」(飯塚書店1967)より
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