2008年12月31日水曜日

そば粉の不思議

 長男が元日から4日に勤務ということなってしまい、年末に帰省、31日には東京へ戻る予定で帰って来たので、28日に早速蕎麦打ちをした。お箸が使えない頃から手で蕎麦を食べていただけあって、さすがに食べる。2人前平らげて平然としている(ひそかにニコニコ)。
 自家栽培自家製粉のやや粗めが混じったそば粉で二八蕎麦を、Y田さんいいただいたむきみを挽いたらしい粒子の細かいそば粉で十割蕎麦を打ってみた。
 その十割蕎麦の残りが翌日茹でても切れずにつながっているのには驚いた。
 やはり粒子が細かいそば粉を使えば十割蕎麦もちっとも難しくはないのだ。ただし、風味はやはり、無くなる訳ではないが上品にふんわり感じるようになる。挽きぐるみのそば粉のようにダイレクトな風味ではないが、これはこれでいいだろう。
 ということで、状況に応じて十割蕎麦、二八蕎麦と打ち分けることが可能。
 残る課題は、もう少し細く、きれいに切ること。これは数をこなさないとなかなか......。

2008年12月30日火曜日

重すぎるFirefox

 いつからか(この一ヶ月くらい)、ブラウザのFirefoxが起動するにも時間がかかり、サイトを表示するのにも時間がかかるようになってしまったので、検索すると早くする方法があちこちで書かれているが、ちょっとめんどうで自信がない。
 仕方なく、いったんアンインストールして、新たに入れ直してみたら、その直後は軽いが、次回からはまた以前の動作の鈍いFirefoxに戻っている。
 Firefoxを捨てたくはないのだけど、今のままではどうも。
 SleipnirのHeadline-Readerが猛烈に早くて軽いので最近はこちらでRSSの更新を確認していますが。

2008年12月29日月曜日

超鈍足編集発行人大奮闘於歳末

 先ほど、ようやくにして自分の所属する先月20日が発行日の同人誌の感想を書き終え、アップロードを終えた。作品は書かないわ、感想もなかなか書かないわで、皆さんが走られるその最後尾をのろのろ走る自分の様が目に浮かんで、情けないったらありませんが、ようやく気合いを入れて責務を果たしました(ぜいぜい、はあはあ)。
 実はまだ年内に感想を書きたい作品が2~3作あるので、これでのんびりというわけにもいきません。

 昨年末から今年にかけてシイタケなどの原木を生まれて初めて切らせていただいた山へ、昼過ぎにちょこっと行ってみた。事情があって持ち主が死亡してしまったのでここを譲渡してくれるという話も立ち消えになってしまい、またチェーンソーを持って入れるかどうかは不明だが、葉を落とした楢の林に入ってみると、まさに森閑。振り仰ぐ木々の一本一本が空に向かって伸びているその形態が妙に魅力的で、木や石が羨ましく感じられるが、あれ、誰か、道路沿いの山桜の木を切って、そのすべてを持ち帰らずに根元の1mほどだけを持ち去って残りは放置していったようだ。ナメコを打ち込むのだったらもう少し幹全体を持ち帰るだろうが、彫刻とか版画とかに使うのだろうか? 今、里山はあまり手入れに入る人もいないので、結構、堂々と他人の山の木を切る者がいるようです。

2008年12月28日日曜日

激しく集中、出来る?

 ようやく仕事もかたづき、今日は山へ松を取りに行き、しめ縄を作る準備をした。ただしかなりの寒風なのでしめ縄作り自体は明日に延期し、家のなかで紙垂作りをする。明日は餅搗きもするらしいが、餅つき機なのでひと臼一時間くらいかかるだけでその合間にしめ縄を作っていればいい。
 しめ縄も昨年初めて作ってみたら何とか形になったのでその気になって、まだこれで二年目。

 昨夜から、今年中に感想を書かなければならない作品を読み直し、感想を書く作業を開始。5本の指では足りず10本で少し余るだけの作品を読み直して感想を書けるかどうか、とにかく大晦日まで激しく集中しよう。
(結局、今夜は3作の感想をアップしておしまい。その間ずっと、フォーレの夜想曲1~11番を流し放し。ピアノ曲は音が滴のように聞こえるのがいちばん。)
 
 これまでずっとWordを使い続けてきて、漢字変換ソフトは当然マイクロソフトのIMEだったのだが、もっぱら一太郎を使うようになってからも漢字変換ソフトは敢えてIMEを使い続けてきた。
 それをふと思い立ってATOKに切り替えてみたのだけれど、当初は変換がスムーズに行かなくて閉口。
 でも、ここでIMEに戻してはいけないので、もう少し我慢してATOKで続けてみよう。

 RSSリーダーとして使ってきたFirefoxがこの頃なぜかむやみに重いので、Sleipnir内蔵のHeadline-Readerにしてみたらこれの更新動作が実に軽くて早いので、この頃はウェブもブログチェックももっぱらSleipnirに。

2008年12月27日土曜日

ネットは無料が基本

 何やらいう電子書店サイトから、デジタル文学館のメールフォーム経由で「有意義なサイトと思いましたが、デジタルにしては作品を横書き体裁で掲載されております。これらの作品を本格的な電子本体裁にしてはいかがでしょうか。ご支援します。」というメッセージが届いた。
>デジタルにしては作品を横書き体裁で掲載されております.
 はあ? うちも縦書きのPDFファイルも横に置いてあるのだが、気がつかなかったんでしょうか。
 とりあえず相手のURLに行ってみたら、あ、このサイトは以前から知っておりますが、要するになにがしかの金銭を得て小説をウェブ上に掲載している営業サイトなのでした。T-Timeは専用のビューワーを必要とするので敷居が高いし、最近の掲載作は普通のPDFファイルである。これを電子本というのなら、わがPDF版も(体裁は質素ですが)立派な電子本ということになります、よね。
 PDFはかつてはAdobeの高額なソフトがなければ作成できなかったが、今は技術が公開されて有料・無料でPDF作成ソフトが目白押しである。
 売れる売れないにかかわりなく小説を身もだえしながら書いているひとたちから、こういう風に金銭を稼ごうという姿勢に、私は背を向けます。インターネットは貧乏人の表現媒体とかいわれましたが、ネット接続の環境さえあれば、あとは無料が基本でしょう。


2008年12月26日金曜日

言葉の国の在りえぬアリス

 パソコンの電源が入ったら、一日中そのまま終了しないでおいて、今夜はエッセイ2編、詩3編と表紙のレイアウトを終了。
 
 どうもしかし、言葉の国では言葉が絶対専制君主であるべきであろう。
 こういうことはありえないとか、ありうるとか、つべこべ言う余地も無いのが表現としての言語ですよね。




 12月25日の夜ですね。
 今夜、またジョン・レノンのHappy Xmas (War Is Over) をここに置いたら笑われるだろうから、天の邪鬼な私はこれにしました。



 亡命以前に旧ソ連で製作された彼=Tarkovskyの映画はすべてネット上にアップロードされていて、著作権を云々するのもノンセンスなくらい、観ることが出来る。西側に亡命以後の映画の著作権は守られている。何という不合理!!


 

2008年12月25日木曜日

瀕死の機械たち

 パソコンだけでなく、インクジェットプリンタまで調子が悪い。考えてみればカラープリンタなんて一年に一回、年賀状に使うだけなのだから調子がいい訳はない。自動車と同じで、毎日使っている方が調子がいい。
 
 いずれにしても、パソコンの電源がまったく機能しなくなる前に、ひとつボランティアな編集作業を終えてしまおう。正月休み明けと思っていたが、年内に仕上げてデータCDを焼いたり、出力見本も出して、発送するだけにしてしまおう。1月半ばに発行したいなんて、ムチャ言わんで。
 それからだったらこのパソコンが動かなくてもしばらくはパソコン無し生活でも構わない。もっとも98のデスクトップがまだ普通に動いてくれるので、普通にウェブやブログの更新は出来る。
 冬の寒ささえなければデスクトップの方が安定していていいのだが、この地の真冬は寒くてね......。
 あ、念のために一太郎もデスクトップにインストールしておかなければ。
 さて一太郎で編集作業開始。そういえば、まだ掲載順が不確定だし、ひとり追加原稿があるのでした。しかし、今回はすごいメンバー。

2008年12月24日水曜日

ありがとうございました

 今日は、私と文芸同人誌でのお付き合いがもっとも長い方(前に所属していた同人誌から25年くらい)のご主人が21日に亡くなられ、今日の葬儀に参列し、お焼香、ご冥福を祈らせていただいた。ご主人には、同人誌の表紙の絵をずっと描いていただいていた時期があり、お礼もせずにお世話になりっ放しでした。ありがとうございました。
Requiem(やすらかに)





 今日も午後になってパソコンの電源が入りにくくなった。何とか電源が入るまで苦心しているのだが、やがてまったく電源が入らない日が到来するのだろうか。
 一応、後継機を何にするか検索を始めたが、購入してこれで二度目のトラブルなので、とりあえずこのパソコンのメーカーは排除。配偶者のパソコンがこれより古いのに一回もトラブルなく動いているのに注目。検索すると、結構評価が高い。



2008年12月22日月曜日

Wordとオヤマボクチの......弱点

 またちょっとした編集作業が始まるので、到着した原稿をテンプレートに流し込んでみているが、Word原稿は出来ればいったんテキストファイルにして余計な書式は払い落として裸にしてしまいたいのだけど、図がつかってあったり、ルビが振ってあったり、他にもWord独自の機能などを使われていると、簡単にテキスト・ファイル化出来ない場合がある。今回もそういうWord原稿があって、泣かせられそう。
 自分がWordを使っている時には当たり前だった機能が、一太郎に乗り換えてからは鬱陶しくてたまらない。

 昨日打ったオヤマボクチをつなぎにした蕎麦を夕食時にゆでて食べてみた。硬くて風味が無くてとイメージが悪かったオヤマボクチ蕎麦だが、初めて、硬すぎず風味もまあまあの仕上がりとなっていた。オヤマボクチの量を減らし、加水を多くし、あまり執拗にこねないようにしてみたら、食べられる蕎麦になった。大根おろしと刻み海苔とワサビでおいしくいただきました。二日間蕎麦ばっかりですが飽きません。これだったら、遠方の友人の皆様にクール宅急便で送って、翌日や翌々日にゆでて食べていただくことが可能ではありませんか。
 二八蕎麦や十割蕎麦だと、打ってすぐにでなく、翌日や翌々日にゆでて食べるなど不可能なのですが、オヤマボクチはそれを可能にしてくれるのです、(^_^)
 若干、加水が多すぎたか、柔らかめにはなったがコシが少し足りなくなったので、加水率を1%か2%くらい少なくした方がいいだろう。それから風味。オヤマボクチをつなぎにする場合は、あまり粒子の細かいソバ粉だけを使わず粗挽きを混ぜ、しかも40分などという法外な時間こね続けるのをやめる。あまりに長い時間こねると、もちもち感が強くなりすぎ、また風味が閉じ込められてしまうような気がする。それからオヤマボクチの使用量も出来るだけ低めに抑える。その量の健久。

 オヤマボクチをつなぎにしながら、いかに風味を生かすか? うーん、むずかしい。小説を書くのも蕎麦を打つのも同じくらいむずかしく、どちらも中途半端......(ーー;)

2008年12月21日日曜日

ふと年賀状のことを思い出して (ーー;)

 仕事は午前中にとっとと済ませてしまって、午後はしばし蕎麦打ち。

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 最初は二八で500gを打ってみたが、やや水が多すぎたようで、コシが無くてぶち切れそうで、ひと様に上げられるような出来栄えではなさそう。責任上、自分が食べることに決定。
 続いて、先日Y田さんにいただいた、「ぬきみ」を製粉したらしく十割蕎麦を打つには最適だが風味が心配な微粉な蕎麦粉と、自分で製粉した際に生じた本来は捨てるべきであろう超粗挽きを、半分ずつ配合したソバ粉250gにオヤマボクチ1gをつなぎにして打ってみた。
 さすがにオヤマボクチである。丁寧に捏ねさえすれば、延しはどんなに乱暴にしてもぐいぐい薄く延びた。30分ほど放置乾燥させてから切った。ざくざくと面白いように切れるが、薄いので幅は広めに切る。
 これもコシと喉越しはまだしも風味が心配なので、責任上、今夜と明日の都合4食は蕎麦責めという異常事態に。発泡スチロールの平箱に入れておき、その都度茹でる。
 今夜は問題の二八。案の定、水が多すぎた二八蕎麦は茹でたらぶち切れて10センチから数センチというみじめなお姿に......(泣)。
 明日の昼は、オヤマボクチ蕎麦の茹で時間の実験であります。
 T屋さんの情報によれば、この地のオヤマボクチ蕎麦の先駆者であるY口さんが「T屋さんだけに教える」と言って口にしたのが「少し、フノリを混ぜる」って、おいおい、へぎ蕎麦ですか? 
 私、蕎麦打ちの第一義を「風味」といたすことにしました。「コシ」よりも「喉越し」よりも、先ずは蕎麦の風味を最優先すること。あ、でも、コシも喉越しもいいに越したことはないのですが......。


 などと道楽三昧な午後の終わりに、ふと、もう一度読んで書かなければならない感想が両手の指を動員しなければならないくらい控えていることを自覚し、さらには年賀状製作をまったく忘れていたことに気がつきました。
 今年もまた、メール・アドレスのある方にはアナログな年賀状は出さずにメールかインターネット上のグリーティング・カードを利用してお年賀させていただきますと、今月初めにメールでご挨拶しようと思っていて、また忘れてしまいました。
 そこで、今夜は自分を含めて家族3名の年賀状を一気に作成&印刷と目論みましたが、結局自分の分だけが明日に持ち越しになってしまいました.....)。




2008年12月19日金曜日

昨夜の検索の続き

HMVにずばりグレン・グールド/ラジオ・ドキュメンタリー集~孤独三部作、ほか)(5CDという5枚組みのCDがあった。Solitude Trilogy3作すべてが収録されているが、3CDでなく5CDなのが不思議。4枚目にはパブロ・カザルス、5枚目にはストコフスキーの名がある。かれらについてのラジオ番組を制作したのかもしれない。

��分ほどの抜粋だがCBC(カナダ放送協会)のデジタル・アーカイブにSolitude Trilogyが収録されている。.

The Idea OF North(北の理念・1967)

The Latecomers(遅れてきた者たち。1969)

The Quiet in the Land(大地の静かな人々・1977)

 この抜粋を聴いただけでも、グールドがポリフォニーのひとだったことがよく解る。


2008年12月18日木曜日

単一の筋は二流である?

 今日のパソコンの電源君はご機嫌斜めで、一押しで電源が入らないこと3度。やはり挙動不審である。いつ突然死するのか考えると怖ろしく、今日も外付けHDDを接続してバックアップを取ってしまいました。

 久しぶりに、youTubeからダウンロードしてあったグレン・グールドの「北の理念」を見た(正確には、聴いた)。
 グレン・グールドがなぜあれほどポリフォニーに執着したか? 
 彼は左利きであったという。いや、左利きではなく両手利きだったのではないか。
 実は、私自身も両手利きである。字を書く、お箸を持つなどの、力は要らないが繊細さを要求される作業は右手で、ボールを投げる、バットを振り回す、鍬をふるう、誰かを殴る、投げるなどは左利きである。昔、柔道をしたが、技を掛けるのはすべて左利きであった。しかしドライバーでネジを締めるとか、そういった仕事は右手である。
 左利きの場合は右脳が指図し、右利きの作業の場合は左脳が指図しているのかどうか。
 蓋し、グールドが製作したラジオ・ドラマ「北の理念」が両手利きの製作になることは、直感的に了解できてしまう。

 アリストテレスが「詩学」で単一の筋は二流であると語っているのを思い出しましたが、まさか、アリストテレスも両手利きだったなんてことはないでしょうね。

 ピアニストのグールドが、なぜラジオ・ドラマを制作したか? しかも「北の理念」だけでなく、「遅れてきた者たち」、「大地の静かな人々」の通称「孤独三部作」を製作している。
 「遅れてきた者たち」、「大地の静かな人々」も聴いてみたいが、さて、インターネット上のどこかにあるだろうか。ネットの海は広い。


2008年12月17日水曜日

インター・ネット・ワーク

 デジタル文学館に、
��5作目として真銅孝さんの「ロバート・プリン氏の動物園」(「樹林」520号・大阪市)、
��6作目として光野公彦さんの「日々の泡」(「てくる」4号・大阪市)の2作をアップロードできた。

 デジタル文学館ではまだ空白地帯であった関西から2作連続なのがうれしい。
 こうしてインターネットのネットワークのようなものが少しずつ広がってゆき、、まだ掲載に偏りのある作品分布が全国に広がればうれしい。
 36作まで来たので100作も夢ではない視野に入って来た。
 無論、ネットは文学そのものであるはずもなく、印刷された雑誌というアナログ媒体の限界を補完し、別の形で作品を伝播するための新しい手段に過ぎない。
 作品第一。ネットを過信してはいけない。




 今朝の午前3時頃、目が覚めてしばらく眠れないでいたところ、ふと妙な考えが浮かんだ。
 「同人誌交換しませんか」というページ作成である。
 要するにわが誌のように同人数が少ない同人誌は残部が多い。そういう雑誌同士で交換しませんかという呼びかけのページがあったら、少しは反応があるだろうか? 反応が無くても痛くもなく、何の損失も無いので作ってみようかな。
 無論、誌代は無料、送料もメール便で80円で発送することにして送る方の負担ということで、発行部数すべてを配ってしまいませんか、という企画。
 (あまり乗ってくる雑誌はないよね、夢々)



2008年12月14日日曜日

自分のパソコンでは分らないこと

 昨日の記事ふたつを非公開扱いにした。読み返してみたら、どうも分からず屋の隠居みたいに頑迷なことを書いているので恥ずかしくなった。原理的にはそうだが、その通りにはならないのが世の常、あまり言い張っても仕方ない。(都合でひとつ復活させました)

 デジタル文学館の新作をアップしたところ、推薦者から縦書きPDFファイルの文字がぎざぎざに表示されていておかしいという指摘をいただいた。
 実は所有しているAcrobatは5.0と古く、新しいPDF書き出しソフトをインストールしてあるのだが、Acrobatの方がファイルサイズが小さいので5.0で書き出ししたのだった。それを7.0とか、8.0とか、新しいヴァージョンのAcrobatで見るとぎざぎざに表示されるらしい。5.0やAdobe Readerで見ている分には普通に表示されているので、私自身は気がつかない。PDFを開くのをAdobe ReaderでなくAcrobat7.0以上に設定してあるパソコンで見るととぎざぎざになる。6.0以前と以降で違いがあるらしい。
 Acrobatではない、最近購入したほかのPDF書き出しソフトで作り直したファイルをアップしたら、普通に表示されていると連絡をいただいた。ありがとうございました。
 ということはこれまでのPDFファイルも見直ししないといけないことになるが、それは年を越してからにしよう。 

 パソコンの電源は二日ほどまったく異常が無く、以前と同じように普通に電源が入るようになった。しばらく前のあの不具合は何だったのだろう?

 

2008年12月13日土曜日

物書きが「権威」に寄りかかるのは

 どうも物書きの癖に妙に権威を有難がるひとがいて閉口する。
 たとえば、十年も二十年も前に文學界同人雑誌評でベスト5に入って転載されたことを、いまだに口にしたり書いたりしているひとがいたり、たとえば、ベスト5に入って転載されたことでほんとうの自分の姿を見失って、人生の歯車が狂ってしまったひとがいたり、それらを実際に見聞している身としては、物書きが自己の目で判断するすることを放擲してしまい、その筋の権威が言ったこと、書いたことを、ものぐさ坊主の胡散臭いお経のように有難がっていて、そんなことで文学という究極の自己表現が成り立つものかどうかと、ひとこと言っておきたい。

 私は、むやみにプロ作家の名を振りかざすような物書きの言動には、必ず眉に唾を塗ることにしている。
 自分の意見ではなく、プロ作家の誰それがこういった、ああいったなどと言ったり書いたりするのは、彼が自分の考え・意見を持たないことの逆説的証明に過ぎなくなってしまいます。

 どんなに拙くても、自分自身で考えたこと、感じたこと、生きたこと、そして書こうとしたこと。それこそが大事なんだけど......。


ソバ製粉の難しさ

 しばらく前に仕事でお世話になっているY田さんのお宅を訪ねた時に、蕎麦の話になってオヤマボクチとそのタネが欲しいというので、今日、その方面へ行ったついでにお届けしたら、お返しにそば粉を1袋いただいたが、当初は色が白い粉なので小麦粉の地粉かと思った。帰宅して念のため少し指先に付けてなめてみたら、小麦粉ではなくソバ粉だった。
 どうやら、皮ごと挽いた「挽きぐるみ」ではなく、皮を剥いた「むきみ」を製粉したものらしい。皮が混じらないから色白なのだ。
 色白できめの細かい粉であるのは結構だが、どうも風味が薄いような気がしたので、少し「そばがき」にしてみたら、ふう、思った通り風味が薄い。細かく挽きすぎではないか。粒子が細かいと十割蕎麦を打つのは簡単かもしれないが、味が心配なので、自家製粉で篩い残った粗挽きばかりの粉と、混ぜて打ってみよう。
 

2008年12月12日金曜日

たったひとりでも

 昨日公開した「小説・書くひと=読むひと・ネット」の絡みで、ある方から早速コメントをいただき、さらに「デジタル文学館」へ一作推薦をいただいた。
 たったひとりでも、こういう方が居られることが判っただけで十分。
 私がネット上に発見したいのは、このように、自己と他者を相対化できる鏡を持っているひと。たったひとりでもいいんです。
 
 鏡よ鏡、この世でいちばん美しいのはだあれ? などといううぬぼれ鏡だけを覗き込んでいる書き手のことなど眼中にありません。
 私が探しているのは、今ここに現前している存在と世界の、ポジティブとネガティブすべての様相を映し出す「言語の鏡」を持っているひと。あなたですよ。




 本日もパソコンの電源君、ご機嫌。
 明日もよろしく!


創作メモ

 窓の向こうの銀杏の樹の葉が一斉に舗道へ墜ちてしまった朝、私は円筒形のガラス容器に満たされたホルマリン溶液の、上に浮いているでもなく、下に沈んでいるのでもなく、微妙に中間な位置に浮遊しているあなたの、多分右目であったと記憶している眼球が、じっと私の挙動を監視しているのを意識しながら、パジャマや下着を脱ぎ捨て、バスルームへ向かう。


 何、これ?  怪しすぎ。

妙なものを混ぜてはいけませんってば

 今日は、ある人物に付き添って病院へ。
 ここも医師不足か、病院滞在時間何と4時間。
 途中放擲して唯一未読だった「喜劇・レオンツェとレーナ」(「ゲオルク・ビューヒネル作品全集」青木重孝訳、白水社、昭和16年)をあっという間に読んでしまい、以後は「レンツ」のあちこちをめくりながら持参したiPodのなかの曲をずっと聴いていた。先日のPASTORALを繰り返し聴いてご機嫌。結石で苦しんでいる者がいるというのに、どこまでも脳天気である。

 親しくしていただいているT屋さんの玄ソバ35kgの製粉を頼まれていたが、まとまった時間が取れないので、夕食後に少しずつ作業をし、三晩かかってようやく真空パック詰め作業まで終了(ほんとうは一気に挽いて篩い分けした方がいいに決まっているが)。
 35Kgで歩留まり70%なら1kg入りで24,5袋のはずだが26袋と50gあった。丁寧に挽いたせいか? しかし、篩い分けが粉だらけになってタイヘンである。よほど親しい人以外は引き受けない方が良さそうだ。
 それに粒子の細かい粉がいいのか、荒挽きがいいのか、きちんと明確に言える人でないと自家製粉の意味も価値もない。
 それにしても、そういう余計なことに首を突っ込んでいるので、かんじんの蕎麦打ちの腕がまったく上達しない。
 余計なことに首を突っ込んで、肝心の小説が書けないのとまったく同じで、これは生まれもった性格であります。
 
 そういえば、昨日、葬式に行く時刻までと断りながら、どぶろく風に怪しく発泡する酒を手土産にわが家に寄った「髯面で長髪ちょんまげ風作務衣姿」のM君が、O原君と富倉へオヤマボクチ蕎麦を食べに行って来た、とか。
 ふん。
 次回は「へぎ蕎麦」を食べに行く予定だが行くか? と。
 すっかりへそが曲がってしまった私は、行かない、と返答。
 蕎麦は二八か十割に限る。妙なものを混ぜてはいけません。(ーー;)

2008年12月11日木曜日

「小説・書くひと=読むひと・ネット」開設

 ようやく、開設となりました。
 文學界同人雑誌評も終了となり、これで商業誌での本格的な同人雑誌評は無くなりましたが、雑誌を発行して同人雑誌評に送っておしまいではなく、むしろ同じ立場で小説を書く者がお互いの作品を読みあい、感想、批評を伝える場所があってもいいではないか、そういう思いから、当初4名のライターでスタートすることになりました。

多くの方の閲覧、参加をお待ちしています。






そういえば、このブログはあまり多くのアクセスを望まないのでping送信は一ヶ所にもしていないのだけど、「小説・書くひと=読むひと・ネット」の方は、そうはいかないだろう。もう少し記事が蓄積されてきたら、ping送信を開始しよう。

それにしても、そろそろ自分の同人誌の掲載作の感想を書き始めないと。ほかにも、書こうと思ってまだの作品が複数あるし、「小説・書くひと=読むひと・ネット」へも書こうと思っているし......神様、もっと血の巡りのいい頭を下さい、

今日はなぜかパソコン君はその都度一回で電源がONになって、拍子抜け。
君ってほんとうにお天気屋?
明日が、怖いです。



2008年12月10日水曜日

お天気屋なパソコン

 パソコンの電源は相変わらずお天気屋さんである。さっと電源が入る時もあれば、押し続けてもさっぱり反応しない時もある。サポートセンターとあれこれやりとりして、電源そのものに原因がありそうという結論になった。
 工場へ送っての修理を提案されたが、1~2週間かかるという。
 師走にパソコンが無いと困るので、修理を依頼するとしても年が明けてからということにした。だが、予想される修理代を考えると、新しいものにした方が賢明かもしれない。
 とにかくいつ突然死されても困らないように、データのバックアップだけはまめに行なうほかないだろう。
 



 RSSリーダーに登録している、ある脅威的読書青年のブログが今日更新されていて、帷子耀(かたびらあき)について書かれていたので、ふと彼の詩が掲載されていた時代を思い出してしまった。
 その彼の、唯一の詩集を検索したがまったくの空振り。入手困難だし市や県の図書館にだって無いだろう。
 

2008年12月9日火曜日

Mechacchaな翻訳遊び

 このパソコンには3つのブラウザとひとつのRSSリーダーが入っている。
 そのうちの、ふだんもっとも使っているSleipnirというタブ・ブラウザにのツールバーに日英翻訳と英日翻訳のアイコンがついている。
 たまたまこれで遊ぶ。このブログを表示している時に、日英翻訳アイコンをクリックすると、英語表記になるのである。といっても中身は、Powered by BizLingoのExcite翻訳なのでどうということはないのだが、自分の文章が一瞬で英文らしくなっているのが面白い。無論、機械翻訳なので妙なところはたくさんある。昔、英語も出来ないくせにアメリカ、オーストラリア、フィリピンの女の子たちにメチャクチャな手紙を書いたのを思い出した。今なら、もう少しましな手紙が書けるかもしれない。


以下がその翻訳結果そのまま。
Translation play
This personal computer has 3 browsers and one RSS readers.
It attaches in the tab browser named the our Sleipnir used, and it drinks and the icon of a Japanese-English translation and a English-Japanese translation is attached to the toolbar.
It plays by this by chance. If the Japanese-English translation icon is clicked when this blog is displayed, it becomes an English mark. However, it is interesting that my sentences seem to be English momentarily though there very because contents are the Excite of Powered by BizLingo translations. Of course..machine translation..strange..dust..Mr....Mechaccha.. letter was recalled to girls in the United States, Australia, and the Philippines though it was not able to speak English in old times and it was recalled to have written. A better a little more letter might be able to be written now.


 わ、メチャクチャがMechacchaと表示されていますyo。


2008年12月8日月曜日

空という名の、もうひとつの海

 いよいよ師走なので、今日は日曜にも関わらず少し仕事で走り回る。ふと遥か西の彼方に目をやると、おお、ふだんはあまり見えない日本アルプスが結構はっきり見えるではありませんか。
 ここは長野県でも東のはずれになりますので、美ヶ原などの山地に阻まれてアルプスはほとんど見えないのですが、天候が良いとアルプスの連なりが少し見えるのです。

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    (画像をクリックすると拡大表示されます)

 それから、相変わらずの浅間山。
081207asama2.jpg

 それにしても、少しの山のほかにはほとんど青い空しか見えないこんな高地に生息していると、昔からそういう感覚が染み付いているのですが、空がもうひとつの海で、自分はその海の底に住んでいる生物のような気がしてなりません。
 ほんとうの海よりもずっと希薄な海です。




2008年12月7日日曜日

ネット共有財産?

 どうやらパソコン買い替えの危機からは脱したようなので、今夜はまたSerge Gainsbourgの唄を聴きまくり。

 そのうちに、それとは別にジャズのある一曲を思い出して検索。



 昔、同じ題名のLPレコードを買って耳に胼胝ができるほど聴いたが、今となってはプレイヤーが無いので聴くことができない。あのレコードは処分した覚えがないのでまだどこかにあるはずですが、曲の方は検索したら、ありました。
 懐かしい。
 インターネットってほんとアナーキーですね。国境を越え、法律を越え、言語風習をも越え、何でもネット共有財産になってしまう。
 (レコード盤の方が良かったような気がするのは、気のせい?)

2008年12月6日土曜日

今日も

 電源が入らなかったり、たまたま気まぐれに起動したり。
 起動したままずっと終了させず、Windows XP SP3をアンインストールし、 SP2を再インストールしてみたが、それでも電源が入らない現象が消滅しないところをみると、SP3は無関係と判明。
 電源の接触が悪いのか。電源ユニットを替えればいいのか、サポートセンターにメールで質問を出した。




 夜になって、恐る恐るパソコンを終了し、また電源を入れるというのを何回か繰り返してみたら、一度も起動しないということがなく電源が入った。
 5回試して5回OK。
 あれ???
 ということはやはりSP3の影響???
 まさか!!!
 (サポートセンターへ、回復した旨、お礼のメールを入れておこう)

 自分のノートパソコンが起動しない間、妻のパソコンと古いがまだ現役で動くデスクトップの98Meを久々に使っていろいろ情報を検索していたのだが、たまたまそのふたつのパソコンでこのブログを見てみたら、ありゃ、レイアウトが崩れて右サイドバーが左サイドバーの下の方に移動しているではありませんか。
 いつだったかLydwine.さんにレイアウトの崩れを教えていただき、修正したはずだったがMovable Typeのヴァージョンアップをした時に、また崩れたようです。
 自分のパソコンでは崩れず表示されていて、違うパソコンでは崩れているというのでは困ったものです。
 横幅のピクセル数を少しいじってみましたが、さて、今度はどうでしょう。800ピクセルのデスクトップで確認してみます。


2008年12月5日金曜日

冷汗

 今夜、なぜか、いきなりパソコンの電源が入らなくなった。
 コンセント、ACアダプター、異常なし。
 何度パワーボタンを押しても起動しないので、数年前のハード・ディスク・クラッシュの悪夢が甦る。安物のパソコンを買った報いである。また再びのハード・ディスク・クラッシュかとすっかり諦め、データ消滅も覚悟し、腹をくくって入浴。
 物はいつか壊れ、生物はいつか死ぬなどと、現状を認識肯定するために不景気なことを考えながら、体を洗い、ブラック&ホワイトな髪をシャンプーではなくボデイ・ソープで洗髪した。
  それからパジャマに着替え、何を考えたかノートパソコンを裏返してバッテリーを抜き、もう一度電源ボタンを押したら、あれ? 緑色のLEDが光ったではありませんか。ただバッテリーが死んだだけだった? ヤッホー!
 この頃すっかりバックアップを怠っていたので、速攻で外付けハード・ディスクを接続し、仕事で使っている販売管理ソフトと会計ソフトのデータのバックアップと、My Document全体のバックアップを敢行。これで、万一、HDがクラッシュしても何とか別のパソコンで生きてゆけますw。
 しかし、どうも不気味。
 万一、更新が三日途絶えたら、パソコンが壊れたのだと思って、しばらくお待ち下さい。
 それにしても神経が疲れました。
 埴谷さんみたいにワインをがぶがぶ飲みたい気分です。


 

2008年12月3日水曜日

定番撮影スポットから

081202asama2.jpg

遠くまで見通せて気持ちがいいのでつい、シャッターを。
こんな寒々とした場所に、住んでいる。

      (画像をクリックすると拡大表示されます)




 以前、Strange Fruitで気に入ったIndia Arieの曲を5曲、CDからiTuneへ。

2008年12月2日火曜日

素朴な思い

FC2小説というオンライン小説サービスが始まった。横書きHTMLではあるけれど、自分が書いたテキストを簡単にアップロードできて便利そうである。ただし、今後相当数がアップされるだろうから、このなかから読める作品、いい作品を探し出すのは相当の根気が必要になるが、たまたまのぞいてみようと思う。
 こういう場所に、同人誌には入ってこないけれどもひとりでひっそりと小説を書こうとする若いひとたちがたくさん居ることを見過ごしてはいけない。どんなに稚拙であれ、小説という辛気臭い言語表現形式に向かおうとするひとがいるのなら、どんな作品が書かれるのか注視していてもいいだろう。直接、メールで感想を伝えたくなるような、そういう作品にネット上で出会える日があることを信じて。
 そういう意味では「デジタル文学館」のように読んだ方の推薦でアップロードされるという方式も悪くはないと思える。
 私はアナログ(印刷媒体)とデジタル(インターネット)双方に分化し、分け隔てられてしまった書き手の双方に目を向けていたいのです。
 その書き手である彼または彼女が、プロであるとかアマチュアであるとか、そういった些細な差異にはまったく無関係に、誰もが、一個の表現者であることに変わりないではないか、という素朴な思いから。


過去に書いたものの再録で恐縮

「果物が題名の小説」

 芝居の世界では小道具と呼ばれていて、たいていはリアリテイを保証するためにさりげなくそこに置かれているだけでさしたる関心も寄せられないことが多いのだが、これまで読んだ小説に登場した果物の幾つかが、小道具の範疇を超えていまだに強い印象で存在しつづけているので、そのことについて考えてみた。

 『蜜柑』といえば芥川龍之介の短編だが、井上光晴が「文學界」の昭和五十六年四月号から五十九年十二月号まで連載した掌編四十編をまとめた「だれかの関係」(昭和六十年文藝春秋刊)にも、『林檎』と『ナイヤガラ』が登場する。
 芥川の『蜜柑』と井上の『林檎』には、作品の場の設定という点で明らかな類似がある。それは、どちらも舞台が列車の中であるという点である。
 『蜜柑』では、芥川と等身大とおぼしきインテリが、列車で乗り合わせた田舎くさい娘が窓から弟らしき少年に向かって蜜柑を投げる場面に奇妙に感動するというか、衝撃を受けた詳細が描かれている。
 井上光晴の『林檎』はどんな作品かというと、若い男とその同行者である少女が列車の座席に並んで座っている。列車が急停車する。跳び込み自殺があったらしい。ふたりの向かいの座席に座っている男が、横に置いたズック鞄から林檎を取り出し、器用に手でふたつに割って若い男にその半分を差し出す。彼はそれを断る。男は半分を食べ、残る半分を自分に話し掛けた少女に差し出す。若い男の頭は、少女が林檎を咀嚼する音と甘酸っぱい匂いでずきずきする。彼は今朝少女に出会って、「ねえ、何処かへ連れて行ってくれない」と声をかけられただけでドライブ・インで定食をいっしょに食べ、その二階で彼女を抱き、そしてあてもなくふたりで列車に乗ったのだった。
 やがて事故処理の済んだ列車が動き出す。ふと彼は、あの女のことを考えはじめる。自分よりかなり年上の、二十七、八の女の部屋に彼は七ヶ月の間通ったのだったが、二週間前に「もうこないで」と言われた。その翌日、さらに三日おいて訪ねてみたが、女の部屋の明かりは消えたままだった。昨夜行ってみると、彼があきらめたものと安心したのか電気がついていた。
「ままごとはおしまい。そんなこと位わかるでしょう」
 そう女に言われた彼が、彼女の首を絞めたらしいことが分かる。殺人という人間的か非人間的かよく分からない行為をさりげなく済まし、女の部屋を出たその足で彼は少女を拾い、列車に乗ったのだった。
 そして『林檎』は次のように終わる。
...
.三分間停車、というアナウンスがひびいた。かなりの客が降り、旅行鞄や土産物を下げた客がホームを動き回りながら列車に吸い込まれた。
「ああ、この温泉知ってる」少女はいった。

「姉さんがきたことあるのよ。会社の旅行でね。温泉饅頭貰ったからおぼえているんだ」
「姉さんがいるのか」彼はいった。
「本当は違うんだけどね。ただの親戚だけど、姉さんといってたの」
 列車が動きだすと、少女はポケットから小さな櫛を出して髪を梳いた......


 芥川の『蜜柑』では、インテリが無知蒙昧そうな田舎娘に自分にはない何かを発見して視点が変わるという、まさに近代インテリのアキレス腱のようなものが見てとれて、それはそれで興味深いのだが、井上の『林檎』にはそういった作家自身の感動の類いは一切表出されていない。

 作家井上はむしろそういう情動には身を置かず、ひたすら記述するだけである。芥川同様に、列車の中というシチュエイションと、果物という同じ小道具を用いながら、井上は芥川と同じような小説は書かなかった。芥川のように解釈を挟むこともない。現代人であった彼はひたすら記述した。フランス語でエクリチュールなどといわれると何のことか分からずにどぎまぎしてしまうが、要するに記述か叙述のことだろう。その意味では井上は立派な記述者、すなわち作家であったと思われる。
 『ナイヤガラ』は、洋服ブラシの訪問販売をしていていた十七歳の少年庫治と訪問先の四十四歳の人妻牧子が、その後も週に一度か二度、外で会うようになり、食事をしては港の岸壁で時を過ごしている。そのほんのわずかな時間が描かれているのだが、庫治が以前勤めていた常陽楼という中華料理店の話から、親子ほどに年齢の離れているふたりの痴話や心の駆け引きに至り、会話がもつれて途切れた途端に、庫治は物も言わずに駆け出して岸壁から姿を消してしまう。三十分ほどして牧子が「まさか、ああいうやり方でさよならはすまい、という疑いに捉われ始めた時」、紙袋を抱えた庫治が戻って来る。袋の中身は会津若松産のナイヤガラである。どこかで洗って来たらしく水気の滴る青い葡萄をつまみながら、会話が再開される。

牧子が明後日の金曜日に会いたいというと、庫治は都合が悪いという。すると牧子は来週はわたしの方に都合があって会えないという。紹介出来ないので残念だが、会話が言葉の字数以上に豊富な情報や心理をはらんでいて、それを読み取るのが楽しくなる。
 『蜜柑』、『林檎』、『ナイヤガラ』、いずれもそのまま短編映画になってしまいそうな小品だが、ぼくの頭のなかではすでにワン・シーン、ワン・ショットが映像化されていて、そこに会話のひとつひとつが生きた肉声で響くのである。

 私も、林檎が題名に含まれる「死海の林檎」という題名だけ虚仮脅しな小説を書くには書いたが、がっかりするほどの駄作であった。
 果物ひとつ、物ひとつで傑作が書ける作家はやはり偉い。



2008年12月1日月曜日

不可能性の文学の可能性?

yumenokakera.jpg 購入したことは覚えていても本が見つからないことが多いのは、多少乱雑なのも災いしているが、本を平積みにしているのがいちばんの原因。
 ひょんな場所からこの本が出てきたので、昨夜、少し開いて、読んだ。
 残雪の「かつて描かれたことのない境地」と、アナトーリイ・キムの「コサック・ダヴレート」。
 いつだったか、読書雑記でLydwine.さんがこの岩波の「世界文学のフロンティア」シリーズ6巻の作品について度々書かれていたが、私は残雪の名を見てこの第3巻を買っただけで、しかもずっとどこかに仕舞ったままにしていた。
 「かつて描かれたことのない境地」は今の私が読むと、ここに書かれている記述者が自分のことのように思えて暗澹たる気分に陥りそうではなはだよろしくないのだけど、いわゆる不可能性の文学という範疇で括られたメタフィクションとして読むと実に面白い。
 「コサック・ダヴレート」は、なにかひょいひょいと身軽に人物の肩から肩へと乗り移るような塩梅で視点が移り変わってゆくのがそんなに不自然でなく、固定焦点レンズや三脚を固定したカメラで撮影されたような視点を固定した小説を胡散臭く感じている者には新鮮だった。実際、人間社会は人称の迷宮なのだろうし、あまりに理路整然とした捌き方より、こういう小説のような怪しい構造の小説に親近感を感じてしまう。

 ちょっとこのシリーズを古書検索してみよう。


越後の笹飴と、わが家の豆餅

 越後の笹飴といえば、漱石の「坊ちゃん」のなかの
「清が越後の笹飴を食べたいと言った」
「うとうとしたら清(きよ)の夢を見た。清が越後の笹飴を笹ぐるみ、むしゃむしゃ食っている。」

 といったくだりを否応なく思い出してしまう。
 越後の笹飴は、確か小学校6年の修学旅行先の直江津だか鯨波で買った土産物のひとつであったが、あの笹飴の笹を剥かずに笹ぐるみむしゃむしゃ食っているという描写が実にリアルに感じられた。あの笹飴を一度でも食べたことのあるひとなら解っていただけるだろうが、あの笹がキャラメルやキャンディの包み紙を剥ぐようには簡単に剥けないのです。剥けないからイライラして笹ごとむしゃむしゃ食べざるを得ない。
 うーん、そのあたりをもきちんと心得て書いたと思える漱石はやはりすごいし、漱石自身もおそらく一度は越後の笹飴の笹が簡単には剥けないことを実体験していたのであろう、な。

 ところで、わが家のばあさん(母親)は今月10日過ぎからしきりに「豆餅が食べたい、豆餅を搗きたい」と繰り返しぶつぶつつぶやいておりました。(ちなみにこの地では11月10日を『十日夜(とうかんや)』と称して収穫祝いの餅を搗く風習があり、だから餅、餅と煩いのでありました)
 あまりにうるさいので返事もせずに居たら、昨日ばあさんがついに強制執行に及んで、もち米を2升ずつふた口に分けて洗って浸水吸水させ、青豆まで用意しているではありませんか。
 ばあさんは電機餅つき機の扱いは苦手らしく、私がセットしてあげないとダメなのです。
 仕方なく、今朝、朝食後に、何も入れないプレーンなお餅を一回、青豆をまぜた豆餅を一回、搗いてあげました。
 ああ、清が笹飴をむしゃむしゃ食べるみたいに、この豆餅をわが家のばあさんがむしゃむしゃ食べる場面が実にリアルに迫って来ます、yo。

2008年11月30日日曜日

のんき者

 本日は、春にオヤマボクチ専用に借りた畑の整理。あまりに排水が悪いので来年度はもう借りないつもり。
 オヤマボクチを植えたが酸欠のための根腐れでほぼ株が消滅した後の、黒いポリマルチを撤去する作業と、先日根を採種するために茎を切っておいたチコリの茎を、住宅地であるその畑では燃やせないので、軽トラックに載せて別の家庭菜園の方に運び、燃やした。チコリがこんなに伸びるとは知りませんでしたが、2m以上、2,5mくらい、やれやれひどい目に遭いました。
 もっと可愛い草花かと思っていたのに、ものすごい雑草並みじゃありませんか。根は保存してありますが、来春ほんとうに苦いチコリが芽を出すのだろうか。

 その後、20kgの玄ソバを製粉。挽くのは簡単ですが、篩い分けが実にタイヘンで、全身粉だらけ。これは専門家に任せている方が賢明であります。こんなことを自分でしたがるのはただのアホです。
 2時間後、いったん篩い分けしてあった一番粉、二番粉、三番粉を混合し、1kgの真空パック詰めにして14袋。歩留まりはぴたり70%で、これは昨年の製粉会社と同じ。

 そういえば、今号で表紙と目次の名前を間違えてしまったF氏が、昨年の今頃「蕎麦掻(そばがき)」が食べたいとかおっしゃられて、例会の時にお渡しする予定が例会が無しになり、宅配便で送りますといったまま失念して越年して、そのままになっているのを不意に思い出し、謝罪の意味はまったくないけれども一袋を明日発送するために梱包、伝票書きも済ませた。
 一年前の約束を今になって思い出すなんて、のんき者で長生きしそう。


2008年11月29日土曜日

大凹み

 指摘されるまで気がつかなかったが、同人誌の43号で致命的ミスが露呈。
 編集発行人、馘首必定です。
 本名と筆名と使い分けされているある方の作品で、表紙=目次の名前を本名に、本文は筆名にしてしまったのです。本文は当人が送付してきたファイルそのままですから、間違いは表紙と目次の方で、完全に私のミス。ここまで頭が壊れて来ているのかと唖然......、ウァーン・゚・(ノД`)ヽ(゚Д゚ )ナクナョゥ
 実は前々号でも題名の「白の......」を「白い......」に間違えた前科もあり、やっぱり頭が壊れてきたんじゃなかろうかと、表面的には何ごともない顔をしていますが、深刻であります。
 といいながら、「人間のすることに間違いはあって当たり前」などとつぶやいたりして、ひと晩眠ればケロっとしているかもしれません。
 次号は間違いがないようにしたいものですが、確約できないのがつらい。

 昨日、留守中にT井さんの奥様から、きれいな花とお酒まで供えていただいてとお礼の電話があったと、帰宅すると母親が伝えた。「無頼派」を供えたことを叱られないでよかった。
 ずっと前に墓参したT子さんが、あのお墓にT井さんがいるとは思えなかったと言っていたが、そうだね、あのT井さんが墓地におとなしくしているわけがない。
 物書きの墓は言葉が印刷された紙の中にあって、同人誌や単行本の彼の作品を開いてみれば、ほら、笑って、そこにいる。紙の碑とはよく言ったもの。誰が言ったんだろう?

 文學界12月号に載った「全国同人雑誌リスト」のデータ化とexcelへの読み込みと修正作業がほぼ終了したのでちょっと遊んでみた。
 まず、320誌のうち、メールアドレスを掲載しているのは111誌でほぼ1/3なのと、ホームページのURLを表示してあるのは13誌ということは先日書いたが、創刊年にフィルターをかけて、21世紀、つまり2000年(厳密には2001年)以降に創刊された雑誌数を見てみた。
2000年  5誌
2001年 12誌
2002年  5誌
2003年  6誌
2004年 12誌
2005年  8誌
2006年 15誌
2007年 10誌
2008年  4誌
合計   77誌

 意外でした。77/320=0,24。つまり1/4は21世紀に創刊された同人雑誌なのでした。たった8年で1/4はすごいです。
 悲観しなくてもいいでしょう。
 前世紀の雑誌ばかりで21世紀創刊誌は十いくつくらいかと思っていたものですから、この結果にはうれしくなりました。
 excelって、いろいろ遊べて面白いですね。都道府県別に分けてみたりすると、同人雑誌もけっこう地域的偏りがすごいことも解ります。

 
 

2008年11月27日木曜日

恥ずかしくない「純文学」

 宛名ラベルを発見して印刷、同人誌43号を会で発送する分が24、個人発送の分が21、合計45通を製造。すべてメール便なのだが、県内の同人誌へ送る5部が封筒ひとつで送れず、A4の封筒に2冊2冊で4冊、もう1冊は別の封筒でという変則的発送になってしまった。
 42号から使っている本文用紙が、厚いけれど軽い用紙を使っているので、頁数の割りに厚い雑誌になってしまい、だからA4サイズ厚み2cmという規格だと4冊しか入らないのです。重量で区分される〒だと厚くても軽いのは有利ですが、メール便のように厚さが規格になっているとこういう本文用紙は不利であります。次号からは薄い紙にします? 白い上質紙じゃ味気ないし、書籍用紙だとどれくらい高くなるか、訊いておこう。
 そういえば、やはり表紙にカラーインクを使うのはやめて、モノクロに戻そう。ルドンの黒を見るまでもなく、白と黒だけでも十二分に豊かな表現が出来るのにこんな怪しい色をラーを使う必要はあるまいと反省。それから、表紙の用紙もツヤありはやめ、多少の汚れを懼れることはないのでアートポストに戻す。

 それから、今号から残部を残さないようにするつもり。
 残部を見たら、もう30~35くらいは発送してもよさそうなので、明日からは例のリストのデータ化を急ぎ、そのデータの中からこれはと思う同人誌の発行所を宛名ラベルに登録し、発送させていただくことにします。
 しかし、「完全保存版・書きたい人のための全国同人雑誌リスト」掲載の320誌から30~35誌を選び出すということは1/10を選び出すという作業なので、かなりきついかもしれない。でもおもしろい作業かも。

 文學界同人雑誌評が無くなったので、同人誌との直接交流を目指すということが眼目です。
 三田文学には2部、全作家にも1部発送したがこれは発行人として同人の作品が触れられればというささやかな気持ちから。それ以上は望みません。むしろ、望んでいるのは同人誌という日の当たらない土俵でひとり相撲を取っているように見えがちな全国の書き手が、同じ立場で書き、読む、そうやって互いを映す出すことなのです。(きちんと挨拶文を書いて同封させていただきます)(徹夜してこのリストを作っていただいた編集者さん、ありがとう、生かしていただきますよ)
 真の文学はそういう場所から生まれるのであって、賞や名誉やお金を意識した場所から生まれるはずも無い。プロの批評家や作家に誉められるために書いているのでもない。
 純文学という言葉(規定)は、そういう無意味・無償の場で書かれ、作品として紡がれるからこそ恥ずかしくないのである。金にもならない純文学で金を稼ごうとするから、純文学が痩せてしまったのだと、そうは思いませんか。




         《 また、いつのもeuripides節が出た、と笑われそう...... (ーー;) 》
 

2008年11月26日水曜日

怪しい作業3

 宛名ラベルが見つからないので印刷できない。明日、新しく購入した方がいいのろうだけど、異なる書式のラベルではダメなので、同じものを探して来ないと。さて、あれはどこで買ったのだろう? 

 仕方なく、例のリストをスキャニングしOCRで変換したテキストデータを、読み取りミスを訂正しながらカンマで区切る作業を続行。何故、カンマで区切るかというと、カンマで区切ったテキスト・データはExcelでセルごとに収まってくれて、表になって読み出せるからである。Excelのファイル形式で保存しておけば、いろいろに使えて都合がいい。

2008年11月25日火曜日

ようやく脱出

 14時近く、T井さんの墓前に花と無頼派ポケット瓶を供え、墓参が遅くなったことを詫びた。故人がかつてコートの内ポケットからうれしそうに無頼派ポケット瓶を出した時のことを、S田君に話したら、こんなウィスキーがあるんですねと驚き、また喜んでくれた。奥様がいまだに毎日のようにお墓にこられるというので、しばらく置いておいてから片付けて下さるように、s田君にお願いしたが、夫君の無頼に悩まされたはずの奥様は、「無頼派」などという名のウイスキーはお嫌いであろうなァ(申し訳ありません)。
 その後、S田君とピザ店の二階でコーヒーを飲みながら15:30くらいまで文学や同人誌について話をし、また情報交換をする。
 それからあまり彼を引き止めても申し訳ないので別れ、車に戻って、持参したノートパソコンである雑誌に掲載されたリストをスキャニングしたbmpファイルをOCRソフトでテキスト・データに変換する作業を始めた。だが、バッテリーは30分ほどで電気が無くなってしまった。パソコン自体が古くなってきたので、こんなものかもしれないが、14枚のbmpファイルのうち5枚しかテキストデータに出来なかった。以後はすることもなく、また喫茶店に行く気にもなれず、エンジンをかけて車内を暖め、iPodでお気に入りの曲を聴きながら居眠り。
 17時過ぎにようやく会を終えた家人が車に戻ってきたので、帰路についた。
 が、予測したとおり、和田峠で雨が雪になり、トンネルを抜けたあたりから有料道路の料金所に至る区間がノーマルタイヤで動けなくなったトラック、普通乗用車が道路を全面封鎖。前も後ろも動けないトラックや普通車ばかりのど真ん中に、われわれはいるらしかった。一時間近くその状態が続いたが、トラックが数台移動した間隙を縫ってようやく脱出。朝までそこにいるのかと思ったがよかった。ちなみに有料道路の料金は無料となりました。
 

2008年11月24日月曜日

無頼派に花は

 明日、家人の運転手で諏訪へ行くことになった。
 明日の午後は雨らしいので、峠が雪とか凍結とかを想定し念のためタイヤをスタッドレスにはき替え、運転手を務めることになった。
 例年になく早いはき替えだが、自宅でのタイヤ交換にはエア・コンプレッサーが欲しいです。来年は何とかしよう。いろいろな機械の掃除にもエア・コンプレッサーがあれば便利。
 急遽、S田君に電話を入れ、明日の午後の予定を訊くと予定無しだというので、T井さんのお墓への案内をお願いする。
 花を供えるのもいいが、ふと閃いたのがこれのポケット瓶の方。いつ、どこで会った時だったっけ、背広の内ポケットからこれをうれしそうに出して見せたのは。
 酒と女性に無頼だったT井さんに「花」はお互いに恥ずかしいだろうから、このポケット瓶を持って行こう。










2008年11月23日日曜日

続・怪しい作業

 いよいよ気温が零度以下になって強い霜が降りるようになったので、今日は、越冬用野菜であるネギ、五寸人参、大根、白菜、キャベツを収穫し、野沢菜の漬け込みもした。一家三人総がかりである。
 野沢菜は従来の塩だけの漬け方のほかに、酢、醤油、砂糖を混ぜた液を煮立てて熱いものを、数センチに刻んでおいた野沢菜にかけて、そのまま軽く圧しをするという、酢醤油漬けもしてみた。これだけでご飯が食べられるとか、結構おいしいらしい。

 同人の皆さんから続々と同人誌が届いたというメールが着信。
 メール便だと配達日数にばらつきがあるが、宅急便だと配達日が違わないので、やはり倹約ばかりしていられない。

 複数メンバーで投稿する書評ブログの準備中なのだが、なかなか気に入ったように設定できない。汎用ウェブページという、ウェブページにブログが埋め込まれているものを立ち上げてみたが、どうもページ数が多いので慣れない人には解りにくいらしいので、普通のブログでいこうとしたら、記事を投稿した際に投稿者の名前が表示されない。普通のひとりで投稿するブログだったら投稿者名の表示は必要ないのだが、投稿メンバーが複数だと表示がないと誰の記事だか判らない。それでは困るので、テンプレートを書き換えて表示できるようにしなければならない。
 ようやく表示されるようになったが、アーカイブ記事ではまだ表示されない。ふーむ、むずかしい。 

2008年11月22日土曜日

キングサーモンのシャブシャブ味噌仕立て春菊入り

 同人の皆様への宅急便、今日、無事に発送。明日は配達になる。
 そこで、ウェブ版の発行も急がねばならない。PDF版とHTML版の2種類を作るのが面倒だが、PDFは一太郎ファイルから頁指定で直接、作品ごとに書き出し変換できるので、案外簡単。HTML版も、テンプレートをきちんと作っておいて、そこへテキストファイルを流し込めば、あまり成形する必要も無く、案外、早く出来あがる。
 かくして43号ウェブ版が完成したので、INDEX以外の作品ファイルをサーバーにアップロード。11月22日アップロードとしたので、まだINDEXでは何の変化も無いが、INDEXと同人誌のトップページの2ファイルを午前零時にアップロードすれば更新作業おしまい(はあ......)。
 
 次は、発送用のラベル印刷。先ずは県内同人誌9誌への5部送付をはじめとする、いつもの送付先ラベルをプリントアウトし、発送。それが済んだら、文學界へ送らない代わりに新たに主だった同人誌数十誌くらいをラベルに登録、印刷発送する。
 ものを書くという同じ土俵の上にいる皆様に読んでいただくのがいちばんよろしいのではないかと。最終的には残部を10部くらいしか残さないくらい、お送りしてしまいたい。
 そうだ、表のウェブサイトの方にも、同人誌の編集発行人の皆様に向けた「同人誌交換の呼びかけ」を書いておこうかな。

 夕方、仕事帰りに家庭菜園に寄ったら、春菊が寒さに傷み始めていたがまだ使えそうなので摘んだ。
 春菊を見ているうちに、キングサーモンの薄切りを味噌仕立てのスープに入れ、そこへ春菊をどさっと入れて食べたくなったので。これ、ある場所で昔食べたもので、材料たった3種類でこの上なくシンプルだが、結構おいしい。


2008年11月20日木曜日

今朝の浅間山

081120asamayama.jpg

 この場所は電線が邪魔。

 午後、仕事がらみで出かけてそのままソバ畑へまわり、トラクターを借りて全面耕運した。これで今年度のソバ畑での作業はおしまい。そうだ、畑やトラクターを貸していただいているお宅に蕎麦を打ってお届けしなければ......安い借地料である。
 種まき前に2回、収穫後に1回、一年に3回しか運転しないのでトラクターの運転がまったく上達しないし、いろいろなレバーの切り替えなど忘れてしまっていて、道路を低速で走っていたりかなり間抜けである。高速・低速の切り替えが出来るのを忘れていた。
 ソバ栽培2年生、あっという間に終了。来年は増収を狙います。




 ウェブ版がまったくの手付かずなのですが、先ずは今夜は同人への発送準備。宅急便を6個、荷造り。いつもそうだが、荷造りが下手。もう少し上手にできないものかなァ。
 続けて、ネット上の会計帳簿に宅急便料金を入力。わが誌は会計帳簿がネット上に載っていて、パスワードで事務室に入室した同人は、今、会に幾らお金があるか、見ることが出来るのです。そんな危ないことと思われるかもしれませんが、盗まれるわけでもなし、見られても大したお金はありません。あっても十数万、無い時は数万円かもっと少ないことも。
 さあ、がんばってウェブ版......明日にしよう。

 ある作業をしていて、よその同人誌に比べて表紙のタイトル文字のフォントが小さいことが判明。小さめの画像やサムネイル画像になった場合、誌名が小さすぎて判読できないので、次号からは誌名はもっと大きいフォントにしましょう。

中途半端はやめて

 午後、叔母の見舞いに軽井沢まで行きましたが、浅間山から雪が吹き下ろして一時は吹雪のようでした。福岡も雪が降ったって、ええ?! まだ11月なんですが。

o43-250px.jpg  20日発行にしておいたら、今日、19日に同人誌43号が宅配便で3箱届きました。さすがはプロです。
 表紙印刷のインクを黒をやめて他の色にしてみたのだったが、それが思ったより赤味が強くて参りました。
 最初からシックな色合いは望めなくて、明度、彩度のはっきりしたインクが多いので仕方ないですが、こんなくらいならいっそ中途半端はやめてフルカラーにしてしまうか、潔く銅版画のように白と黒だけにした方がいいのかもしれませんね。


 Movable Typeの4.1から「汎用ウェブページ」というテンプレートが出来たのを知ったのは、4.22へのグレード・アップであちこちのブログ設置支援サイトを見て回っていてたまたま。
 つまり、普通のブログはブログだけなのだが、「汎用ウェブページ」では普通のHTMLのウェブページとブログが混在したサイトが出来てしまうのである。
 まだ細かい調整などは、スタイルシートがどこに格納されているか、ようやく突き止めたばかりなのでこれから少しずつ改良してゆくしかないが、そこそこ形にはなってきました。

2008年11月19日水曜日

怪しい動き

 ここ数日、ブログも書かずに怪しい動きをしているついでに、このブログ・アプリケーションであるMovable Typeが4.1から4.22にヴァージョン・アップされているのに気づいた。
 このブログ・システムを壊してしまったら実も蓋もないので、慎重にグレード・アップ(冷や汗)。
 そうそう、タイミングよく、このブログを設置しているレンタルサーバーが、明日から300MBを500MBに容量を増やしてくれるのだそうです。感謝!!

 明日か明後日には同人誌43号が宅急便で届くはずだが、ウェブ版、まだ作ってない(ーー;)。

 
 

2008年11月16日日曜日

間抜けな作業

 T屋さんとの共同栽培のそば畑は、播種時の旱魃で発芽しないでいたところを鳩に種を食べられもし、発芽が極めて悪かった。急遽、最初播いた横にもう一度まきなおしたが、それは2週間も遅れた上に先に発生した雑草に負けてしまい、とても収穫を望めない状況だった。
 しかしT屋さんが刈ってみようというので、朝9時から作業。
 
081115kyoudousoba.jpg

 ほとんど雑草で、ソバの茎がよく見えない。向こうに小さく見えるのは、刈り取り作業するT屋さんと奥さん。右手の4階建てのマンションとソバ畑の間にアパートが建設されるということで、基礎工事中だった。ここも周囲を住宅やアパートに囲まれて、もはやソバなど作っている環境ではない。第一、鳩も多すぎ。もっと山に近い畑を借りればいいが、山に近ければ近いでそばの実を鹿に食べられてしまう。
 夕方4時まで、雑草の中からソバの茎を引っ張り出すような間抜けな作業を続けて、その場でブルーシートに載せて捧で叩き、粗目の篩いでふるってから唐箕にかける。ほぼ一日がかりで、収量は20kgくらい入る玄米用の紙袋にふたつ。一つはやや少なめなので、多分、40kgは無いだろう。少ないが、T屋さんの分は確保できたのでよかった。
 ただし、だいぶ疲れた。
 夜は恒例の赤提灯で酩酊、スナックに誘われるも断って帰宅、そして転寝。

2008年11月15日土曜日

人間を支えている三つめの行為

 昨夜はひと眠りした後じきに目が覚めてしまい、仕方なく、ゲオルク・ビュヒナーの「レンツ」と「ダントンの死」を再読。前者は手塚富雄訳、後者は戦前の青木重孝訳。なぜか「ダントンの死」は旧かな遣いの青木訳がお気に入り。
 食べる、眠るといった人間を支えている行為、もうひとつは何かと考えてしまいました。案外、真っ先に出て来るのが「SEX」、というのはあまりに嵌りすぎで、「考える」や「感じる」もあまりに出来すぎで、実は「排泄」なのではないかと思います。
 出典が何だったのか、まったく記憶に無くて恐縮ですが、
ひとの子は食って寝て起きて厠行き、子は親になり子は親になり

 といった風な意味合いの狂歌を若い頃にどこかで目にして、すっかり身に滲み、焼きついてしまいました。
 この狂歌の出典をご存知でしたら、お教え下さい。  

 今夜は、先日、携帯電話を新しいものに換えた時に同時に購入してきたUSBケーブルで携帯とパソコンをつなぎ、datalinkというdocomoのソフトを使って携帯電話の電話帳の整理変更をした。
 携帯電話の小さいキーを押しての変更作業だったらとてもする気にはならないが、パソコン画面をみながらの書き換えやグループ変更は実に楽。家の固定電話、妻、こどもふたりの携帯電話からの着信音を、何日もかけて作成した自作のものに設定する。これで、音を聴いただけで誰から電話か判る。
 すると早速、長男の携帯から電話があり、明日午前中にまた帰ってくるという。明日は、T屋さんと共同栽培して失敗した蕎麦畑に行っていますので、新幹線駅への迎えはお母さんにお願いいたします。
 T屋さんが自家消費するくらいの玄ソバを確保してあげないと。

2008年11月14日金曜日

113/320

 午前中、仕事に出たついでにセブン・イレブンに寄って、文學界12月号を受け取る。
 開いてみると定期購読を勧める頁が目についた。やはり書店売りは不振なのだろう。ことにこんな田舎では、事前の予約や定期購読以外にふらっと書店に入って文芸誌を購入するなどという気まぐれな購入スタイルは完全に出来なくなったようだ。売れないから置けないのか、置いてないから買えないのか、などと鶏卵論を持ち出すのも愚かしい。

 お目当ての全国同人雑誌リストだが、ここに収録されている雑誌がすべてとは思わない方が良さそうだ。わが県の同人雑誌も「層」と「屋上」の2誌が掲載されていない。
 葉書が届かなかったか、届いても掲載を希望せず、返信葉書を出さなかったか、いずれかだろう。
 やはり関東など都会を抱えた地域は多く、田舎は少ない。東北が少なすぎはしないかと思う。もっとあるのだろうか。四国も全体で10誌。
 数が多ければいいというものでもないが、多分、田舎ほど同人誌の維持運営が難しくなっているのは事実である。老人雑誌などと言ってくれますが、田舎には職がなくて若者が住めない、ゆえにあっちを向いてもこっちを向いても老人ばかりという現実がある。老人だろうが瀕死だろうが、小説を書こうとするものが居るだけましなのである。作家になろうとかいう野心や栄誉などとは無縁な場所で、自分が書きたい小説を書き、雑誌に発表する。それこそが同人雑誌なのである。

 しまった、また怒り漫才が始まりそうなので、ここでやめ。

 人間というものは自分に関心のあることしかしないものである。リストにメール・アドレスを記してある雑誌に緑の蛍光ペンで印をつけ、ホームページのURLが記されている場合はピンク色の蛍光ペンで印をつけてみた。
 それを数えてみると、メール・アドレス記載が109誌、URL記載が13誌あり、その内、メール・アドレスと重複記載されている9誌を引くと4誌、合計113誌がインターネットでのコンタクトが可能である。なかには携帯のメール・アドレスらしいものも散見されたが、それにしても、320誌のうち113誌の編集・発行人がインターネットに接続しているというのは、1/3以上であるから、想像していたよりずっと多い。おかげさまで、昨日の切手代の心配がだいぶ軽減されました。

 それにしても、全国で発行される同人雑誌の各号の内容(目次)だけでも一覧できる場所が欲しい。「文芸同人誌案内」に送られている雑誌はひわきさんが丁寧に各号の内容や表紙を紹介されているが、送られない雑誌についてはそれが出来ない。
 ネット上に、発行された同人雑誌の内容=目次と表紙画像を書き込む専用掲示板を設けた方がいいのかもしれない。そしてとりあえずは113誌にコンタクトし、同人誌発行情報書き込み掲示板への情報提供をお願いする。
 
 こんなことを考えたりして、何だか、ますます、自分が書く場所から遠のいてゆくような気がします、(ーー;)
 あ、あと一週間で発行になるので、ウェブ版も作っておいてアップロード出来るようにしておかなければ。PDF版だけだったら一太郎からPDFに書き出すだけなので楽なのに......HTML版が......。

毎度(オヤマボクチの葉と種)

 栽培物のオヤマボクチの、最後に収穫して干しておいたものが軒下にぶらぶら下がっていて邪魔だと苦情が出ていた。ひとは自分に関心のないものは邪魔にするものであります。
 曇天が続いていたが、ようやく日が当たって乾燥した葉がパリパリ音を立てているので、中央を走る太い葉脈を外しながらネット袋へ詰めた。それを少し叩いたり揉んだりして、またモミジの枝にぶら下げて乾燥。
 自分で考案した流体選別法があるので、事前の処理はこれまでのように厳密に粉砕、篩いがけしなくてもよさそう。
 ただし、オヤマボクチで打った蕎麦が一度も思った通りにならなかったので、少し熱がさめて十割蕎麦の方へ向いてきており、精製作業はすぐにはしないつもり。

081113oyamabokuchi_haandtane.jpg  081113oyamabokuchi_seeds.jpg

 左、ネットに入ったオヤマボクチの葉と種、
 右、ネット袋のなかの種(それにしてもすごい数......)


2008年11月13日木曜日

80円切手が320枚

 携帯電話の着信音作りのためにインストールしたフリー・ソフト3種と、同人誌のデータをプリンタ・ファイルに変換するソフトをいったんアン・インストールする。前者は三つのうち肝心要なソフトが、大事なITuneの相棒であるQuick Timeとトラブルを起こすことが判ったので、着信音を作り溜めしたので下ろすことにした。
 また後者は、前号も使用後はアンインストールした。印刷会社へ渡すデータを、一太郎(WORD)からプリンタ・ファイルに変換するときに必要なだけで、ふだんはまったく使わないからだ。(データをPDFで送れればいちばんいいのだけど)
 いずれにしてもパソコンの動作を少しでも軽くしておきたいので、久ぶりにエラーチェックと最適化を決行しよう。その間に入浴してしまうこと。

 セブン&ワイから明日、午前十時には文學界12月号が指定のセブン・イレブンに入荷しているとのメール。
 しかし、先に読まれたLydwineさんの記事に影響される訳ではないが、同人雑誌評が終わった件に関する記事は読まなくてもいいような気がして来ました。
「同人誌リスト」に載せられるメールアドレス確認のために送信された、担当者のメール送信時刻( 05:46)を見れば、明らかに徹夜しているのでした。そのように苦労された「同人誌リスト」がほしくて注文したのだと、きわめて現実的に考えればよろしいのかもしれない。
 320誌全部にデジタル文学館の案内を出す? え、80円切手が320枚?(蒼白!!) 一斉に出して推薦が錯綜したら困るので、毎月少しずつ出すのがいいようです。
 それにしても、デジタル文学館への推薦をLydwine.さんの賢明なアドバイスにより他薦制にしたのだったけれど、ひとの書いたものを率直に良いと認めて推薦する人の少なさ、よ。

2008年11月12日水曜日

ご機嫌斜めなiTune

 夕方、印刷会社より電話。昨日データが配達されているはずだが、今日はもう着手したらしい。
 二件、確認事項。素人のいい加減なレイアウトで恐縮ですが、よろしくお願いいたします。

 RSSリーダーのキーワード登録に「文学フリマ」と「文學界同人雑誌評」を登録してみた。前者はたちまち数十件表示されたが、後者は休刊するらしい「H田文学」同人の女性の記事が1件のみ。幾らなんでも1件はないだろうと思って「文學界」と「同人雑誌評」にキーワードを分けてみた。後者に9件ヒット。なるほど、数は少ないが、結構、面白い情報があります。

 携帯電話の着信音、気に入った曲ばかりで12作って、携帯に入れておいた。
 しかし、「携帯電話変換君」というフリー・ソフトを使うのに、Quick Timeの最新版ではダメだったので7.2にヴァージョン・ダウンをした。それで変換君は使えるようになったが、そのために今度はiTuneが起動しなくなり、「新しいiTuneでないとライブラリーが読み込めません」と表示されるようになってしまった。iTuneで保存してある曲を聴きたいし、radioioも聴きたいので、着信音作りはこれで終了して、Quick Timeを最新版に戻さなくては。
 結局、Quick TimeではなくiTuneを入れなおしてようやく起動するようになりました。


noirderedon.jpg 二男に購入を依頼し、こちらに送るのはいつでも構わないと言っておいた、昨年夏の「ルドンの黒」展の図録が今日、届いた。昔のカタログと違ってハードカバーで、高級な画集といった感じ。
 あのきれいなパステル画を書いたルドンと同じルドンか、と思ってしまうような黒。 

 10月17日に書いたDiana Krallという女性ジャズ・シンガーをさらに検索しているうちに、Tom Waitsという「酔いどれ詩人」と呼ばれる、超悪声の親父シンガーに遭遇。
 酔いどれ詩人といえばブコウスキーじゃないかと思いながら、last fmでフルトラックで聴ける彼の歌を数曲聴いてみた。ほんとにブコウスキー顔負けの酔いどれ詩人かもしれない。
 

2008年11月11日火曜日

どこにも、無い

 「B學界」12月号は全国同人誌名簿が掲載されるので是非とも購入しておかなければと、発売日当日から4日目なのでいつもの書店へ行った。
 無い。「B藝」だけあって、他の文芸誌も1冊も見当たらない。B藝春秋だけはむやみに多い。
 B教堂は既に閉店手撤退してしまったし、もう一軒あるDVDレンタル兼書店に寄ってみたが、やはりこんなところにあるはずもありませんでした。次にJusco内にある書店に行ってみたが、ここも無し。
 すごいことになってます。
 諦めて帰宅。隣町のN書店に電話して訊いてみようと思ったが、ふと思い出して、セブン&ワイの自作自演書店である「洞窟書房」から入って、「雑誌」→「小説」のカテゴリに進むと、何だ、以前はなかったはずの文芸誌がみんな、あるじゃありませんか。
 そのまま「B學界」12月号をオーダーしました。「当日~2日で発送」とありますから、書店に取り寄せをお願いするよりずっと早い。

 (よく見れば、文芸誌をこうして単品でオーダー出来るし、定期購読も出来る。読書人も定期読できるじゃありませんか。田舎暮らしにはこの方が便利なのかもしれませんが、書店に行っても欲しい本、雑誌がないというのは困ったものです)

自作着メロようやく成功

 ようやく、携帯電話の着信音を自作のものを鳴らすのに成功。なかなか面倒なものでした。
 その手順。
 先ず、MP3やWMAなどの音楽ファイルをフリーの音楽ファイル変換ソフトでWAVファイルに変換。 それを別の音楽ファイル編集ソフト(フリー)で、好みの部分を10~15秒切り出し、ボリュームの調整をする。
 「携帯電話変換君」というフリーソフトで3gpという形式に変換。
 「着もと」というフリーソフトで、携帯電話着信音として使えるように加工。
 それを添付ファイルとして携帯電話へ送信し、携帯本体へ取り込む。最後にそれを着信音に設定してOKなのだが、実際に家電から携帯に電話してみると、着信音が変わっていない。
 仕方なく携帯電話のマニュアルを熟読していくうちに、着信音設定にいくつかのレベルがあり、その優先順位があると書かれている。そこで各レベルの着信音設定を確認してゆくうちに、電話帳のグループ設定での着信音が自作のものではなく、購入時に設定したプリインストールのメロディだった。それを自作のものに設定し、家電から携帯へ電話してみると、おお、自作の音楽が鳴りました。

 自分で使用するだけだったらCDから取り込む著作権のある曲も使えるようですが、著作権問題は繊細な面がありますので、出来ればフリーの音源を使った方がいいようです。

2008年11月10日月曜日

風味

 朝、カナダから帰国中のN君から電話があり、10時過ぎにはわが家に来られるというので、彼が来る前にと朝から蕎麦打ち。
 先週の日曜は、一泊帰省した長男のために打ったので、二週続けて蕎麦打ちとなった。失敗の可能性がある十割蕎麦とオヤマボクチ蕎麦は避けて、二八蕎麦にしたが、二八の方が風味を感じるのはなぜか? N君もおいしいといってザル2枚分くらいをあっというまに平らげてくれた。
 彼が昨年の今頃帰国した時に恩師のお宅で奥さんが打ってくれたオヤマボクチ蕎麦を頂戴したのだが、その際に「25分くらい茹でる」といったのを思い出したという。ええ? 25分!! まさか25分は長すぎるような気がするが、通常の蕎麦の概念から外れたオヤマボクチ蕎麦なので、一度、試みに長めに茹でてみるのもいいだろう。
 N君、いろいろ話して、午後3:30頃帰って行った(疲れた)。

 同人誌のレイアウト・データ、宅急便で発送。20日発行の予定。

携帯電話のカメラテスト

 自作着信音作りに夢中になっていて、まだ機種変更した携帯電話のカメラを試してみなかったので、パチリ。わが家が借りている畑の横の公園。

081109park.jpg

 昨年は花の時期に強い寒気が来て柿が生らなかったが、今年の平核無は生りすぎといっていいくらい生った。
 3軒から柿をいただいて、焼酎で渋抜き、干し柿、そのまま並べて柔らかくする、と三通りの加工処理をした。こんなに柿をいただけるのは、一生に一度のことだろう。柿羊羹など作ってみたらおもしろいかもしれない。 

081109hiratanenashi.jpg

 さすがに510万画素。しかもUSBケーブルで携帯とパソコンを直結して写真を移動できるので便利。

2008年11月9日日曜日

やれやれ、+α

 先ほど、同人誌43号の一太郎でのレイアウトを、ようやくある仮想プリンタドライバでプリンタ・ファイルに出力し、それをさらにレーザー・プリンタで印刷にかけてレイアウト見本を作ったり、プリンタ・ファイルと2枚の画像ファイル収めたフォルダごとCD-Rに焼いたりし、印刷依頼書、データ出力依頼書を書き、それらを荷造りして、明日、宅急便で発送すればおしまい。
 やれやれでした。
 印刷代金は県外の印刷会社にしたので、一応、前金出払うほかなく、今日のうちに郵便局のATMから郵便振替で送金し、その領収書のコピーを印刷依頼書に添付した。
 今回は表紙の用紙をツヤありのミラーコートにし、インクも墨(黒)ではなく地味目なカラーにした。表紙に使う写真も海外のフリーフォトから見つけて来たものだが、気に入っているので出来上がりが楽しみ。ほんとうは2色使いたかったが、それをするとセット料金からはずれて高くなってしまうので断念。
 データで送って印刷してもらうのは、雑誌をきれいに安く作ってもらうため。
 当初は10日発行予定だったが、道楽や惰眠に足をすくわれ、奥付は20日発行とした。

 荷造りを終えてほっとしてウィスキーの水割りを飲みながら、iTuneでRadio ioのReal Jazzを聴きながら、「あ、明日は文学フリマなのだ」と思い出しました。
 「胡壷」の編集発行人で「文芸同人誌案内」のウェブマスターでもあるHさんが文学フリマに「九州隊(たいっ)!」と称して九州・沖縄・山口県といった広域の同人誌を背負って出展されるし、「木曜日」のLydwine.さん、「季刊遠近」のkitaohiさんも行かれる模様なので、私もちょいと新幹線に乗って行ってみたい気もしたのですが、野暮用に阻まれてしまいました(泣)。
 関東在住でお時間のある方は、明日、 「東京都中小企業振興公社 秋葉原庁舎 第1・第 2展示室」(JR線・東京メトロ日比谷線 秋葉原駅徒歩 1分、都営地下鉄新宿線 岩本町駅徒歩 5分)の2階B-5の「九州隊(たいっ)!」をのぞいてみて下さい。
 Hさん、Lydwine.さん、kitaohiさん、「銀座線」さん、「零文学」さんなどがにぎやかに歓談されているはずです。

 それにしても、つくづく、文芸同人誌っていいなとあらためて感じました。
 プロの作家になってお金を稼ぎたいとか青臭いことを考えずに、地道に自分が書きたいと思うような小説を書こうと奮闘しているアマチュアの、その純粋さこそがむしろ文学なのです。
 どのような権威におもねることなく、ひたすら自分が書きたいと念願する作品を書こうとする。それが文学です。
 実は、文学本来の意味あいとして、小説を書くことにプロもアマチュアもないのです。
 プロの作家だって変な小説を書けば笑われるのはアマチュアとおんなじだし、プロの批評家だって妙なことを書けばそれを読むアマチュアに笑われますよ。
 言葉は、実は、人間という名のみょうちきりんな存在の、光と影や善と悪、ネガティブな側面やポジティブな側面やら、すべてを如実に反映する鏡なのです。
 存在に対する希望や絶望、その一切が、否応なく「言語という名の鏡」に映し出されるのです。

 (こんなことを書いたら、また「euripides節」などいう一言で片付けられてしまうのでしょうか? 歳はとりたくないけれど、寄る年波にも勝てず......泣)

2008年11月7日金曜日

久しぶり

 久しぶりに邪魔物がないので浅間山を覗いてみた。といっても霞んではいますが、これくらいはまだ良い方。

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(画像をクリックすれば拡大表示)

もう一枚。山頂付近をズームしてみました。

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(画像をクリックすれば拡大表示)

 最近、火口から立ち上がる水蒸気が多かった(登山規制のレベルがひとつアップした)のですが、今日は煙も水蒸気もほとんど見えず。



ウァーン・゚・(ノД`)ヽ(゚Д゚ )ナクナ

 携帯電話を替えたのはよかったが、電話の着信音をアドレス帳のグループごとに鳴り分けさせようとしたら、プリインストールされている着信音があまりに貧弱なので、自分で着信音を作って携帯にいれようとした。
 しかし、それがタイヘン難しいことであることが判った。
 苦心の末、3gpファイルを携帯電話本体に収め、それを着信音に設定したにもかかわらず、実際に電話やメールが着信してもそれが鳴らず、その前に設定したプリインストールの着信音が鳴ってしまう。

2008年11月6日木曜日

人間の勝手

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 これはオヤマボクチ(俗称ヤマゴボウ)の種。玉ねぎなどが入っているネットに入れて乾燥させていると、ふわっとふくらんで来て、毛のついた種子が飛び出す。通常はそのまま風に運ばれて着地した地点で発芽するのだが、意地の悪い人間にネットの中に閉じこめられて、時々揺すられては毛と種が分離され、毛は網の目をすり抜けて外へ出てしまい、種子だけが残ることになります。人間って実に勝手ですよね。



081105yamagobo.jpg

 こちらは食べる方のヤマゴボウ(モリアザミ)の試し掘り。ありゃ、太くなり過ぎないように密植気味に種を播いたのですが、結構太くなっています。右の3本くらいの太さ(細さ)だといいんですが、こんな風にすっと1本のままの伸びないで二股、三股になってしまうことが多いので、今年はまあまともな方。
 太いものは煮物で食べればいいですが、細いのは、生のまま味噌をあえて食べるとか、軽く味噌漬けにすれば最高です。風味が何とも言えません。(生食は、腸内のガス発生量が多くなるので命がけですけど......)
 小袋の種を1袋播いたので、結構5~6kgくらいは収穫できそうな気がします。


  (後ろに昏倒してしまいそうなほど強い睡魔に襲われて、書いたままアップせずに保存だけして寝てしまいました。翌日UPです)

2008年11月5日水曜日

ギター

 緑の沈黙が君臨しよう

 錯雑としたギターの音の。

 ギターは水ならぬ

 風の 泉
 

 これは、グスタフ・ルネ・ホッケ著、種村季弘訳「文学におけるマニエリスム」(1971年、現代思潮社刊、1000円)の巻末に置かれたマニエリスムの詩のアンソロジーに収録された、スペインの詩人、ジェラルド・ディエゴの「ギター」という詩。
 ......水ならぬ 風の 泉......なんて、素敵にマニエリスムです。「アルハンブラの思い出」とか、「アランフエス協奏曲」とか、まさにギターが風の泉であることを実感させてくれます。
 羨ましくもスペイン在住の cazorlaさんの、しばらく前のブログ記事に迂闊ながら触発されて、思い出しました。

 そういえば、ここに置かれている、カザルス演奏のスペイン民謡「鳥の歌」も、同じ弦楽器ですから風の泉から湧き出すポエジーを感じます。

2008年11月4日火曜日

携帯電話が

 数日前から液晶画面の色合いが少し濃くなっているような気がしていたが、今朝になって、液晶画面が暗いまま、ついに見えないままになってしまった。
 携帯電話の生産から撤退したDシリーズだが、スライド式なのでソバを叩いたりして汗や埃やゴミが入ったのかもしれない。docomoショップに行ってみてもらったら故障で、メーカーに送っての修理なので一週間ほどかかるという。使用期間、2年2ヶ月。少し短い気もするが機種交換することにした。
 あまりiモードもワンセグも動画も音楽も使わないので、カメラの画素数を参考に選定し、510万画素のP905iにした。510万画素って、今、使っているデジタルカメラと変りません。恐るべし、携帯。
 ついでに携帯をパソコンに接続して直接カメラで撮影したファイルをパソコンに取り込めるよう、FOMA専用の「充電機能付きUSBケーブル」と、2GBのmicro-SDカードを購入。前の携帯はmini-SDだったのに、どうして機種を変えるたびにメモリ・カードの種類を変えてしまうのか。
 P905iは携帯からブログなどへ直接画像をアップロードする機能があるらしいが、その都度パケット料金がかかってはたまりませんので、はやりパソコンへ取り込んでからアップするのがベスト。

2008年11月3日月曜日

ブログという名の、どこまでも仮想な精神のダム

 今年になってからブログが下火になっていると実感している。
 ブログとは何か?
 それは、インターネット上で、自分が生きたり感じたり聞いたり見たり考えたりしたことを言葉で書き表し、記録保存し、またネット上でアクセスして着た方々に読んでいただいたり、「そうですよね」と同感のコメントをいただいたり、「それ、違うよ」というコメントをいただいたりする仕組みである。
 ただし、ブログの書き手というのは、どこか、暗いホールの真ん中で自分だけ照明を当てられている裸のストリッパーに似ている。自分だけが精神のストリップをしていて、それを見に来ているひとたちはどこのだれなのかも判らないのだから、ますます、ブログの書き手は身も心も、全身でもってストリッパーなのである。あるいは、マジックミラーが設置された取調室に取り残され、「そうです、間違いありません、あのひとが犯人です」と、マジック・ミラーの向こう側で断定(そして断罪)されてしまう犯罪者なのである。
 しかも、ストリッパーが毎日同じ振り付けで踊っていたら、忽ちマンネリ呼ばわりされて誰も見に来なくなる。だからブログの書き手は日々、新鮮なネタを提供すべく、書く以上に、見たり、聞いたり、読んだり、感じたり、考えたりしなければならない。
 それはまさに、黒部ダムが放水する水量をどれだけでも上回る水を貯えなければやがては渇水して干上がり、湖底を露出する運命にあるのと同じだ。
 枯渇しないためには、見たり、聞いたり、読んだり、感じたり、考えたりし続けなければならない。それが出来なければ、ブログという名の「思考と感覚のダム」はたちまち干上がる。
 そう考えれば、ブログもまた小説に劣らない言語表現でもあるのですから、決してないがしろにしてはいけません。

 でもありながら、これって「痩せ犬の遠吠え」みたいでもあり......論理矛盾な下降スパイラルに過ぎなくもあり......バッハの「無限カノン」そっくりに上昇しているようでいて実はひたすら下降しているかもしれない無限スパイラルであるかもしれなくて、その合わせ鏡に似た世界=半世界構造に疲れ、すっかり目が回ってましたwha。

あざとすぎるタイトルなので

 「同人誌は死んだ」というタイトルを付けて書き始めたが、それではさすがにあざとすぎるので、「あざとすぎるタイトル」というタイトルに変更して書くのを続行。
 だいたい、「同人誌は死んだ」とか「文学は死んだ」とか、口にしたりわめいたりするのは、「神は死んだ」と最初に宣言したあの二流哲学者のものまねに過ぎないのだから、恥ずかしくて口に出せないのが普通だろう。
 それらすべて、「死んだ」といえば「死んだ」と言えるし、「死んでいない」といえば「死んでいない」。そういってふざけているのではない。論理は所詮は「あれか、これか」であったり、「あれでもあり、これでもあったりする」一種の鵺にすぎないのだから、そう目くじら立てて「死んだ」か、「生きている」のか、判定したがることもない。
 だいたい、何ごとにも白黒決着つけたがるのは、こどもや、自身に自信がないひとほどそうなのであって、ひとかどのおとなは、現実のあれこれも自己自身のあれこれも「白黒」つけられない曖昧模糊状態であることなど、十二分に承知している。
 神が死んでいようが生きていようが、文学が死んでいようが生きていようが、同人誌が死んでいようが生きていようが、人生は生きられるべきであり、文学は文学されるべきであり、同人誌は編集発行されるべきであり、そして小説は書かれるべきであり、読まれるべきである。
 
 さもなければ一切空。




 ところで、「書き終えていったん作者の手を離れた作品は作者のものではなく、読み手がどう読むのかは自由」とは、耳に胼胝が出来るくらい言われ続けてきたことなのですが、私はこれだけではおかしいと思っています。
 書き手が必死に書いた、それが小説作品。
 それを読み手は読み手自身の感覚と思考を総動員して読み、そして感想・批評を口にし、あるいは書く。それがプロの読み手ではないアマチュアの書き手や読み手による、口頭であれ、印刷媒体であれ、インターネット上のデジタル媒体であれ、そういう表現媒体の差異や、ただのアマチュアの言であるのか、文學界同人雑誌評やら他のプロ批評家の言であるのかといった差異さえ、問うのは無意味(ナンセンス)である。
 プロの作家もつまらない小説を書く。プロの批評かも読み誤って愚言を弄することもある。また皮肉なことに、売れないまでもマチュアが全身で共感してしまう小説を書いたり、アマチュアがプロ作家の駄作を一言で切り捨てることだってありうるのである。
 可能性としてすべてはありうる。
 なのに、なぜ、プロだアマチュアだのと分け隔てるのですか?
 
 文学に、プロもアマチュアもあるものか!! 
 生きて、感じて、考えて、そして書いて読んで感想を言って、どこがいけない??
 (と開き直ったりして......ああ、いつになく興奮してわめいてしまって、疲れまちたaaa)


  

道楽な半日

 朝食後、先日入手した280Lのチェスト型フリーザーの汚れ落とし作業。オレンジ系洗剤を付けて汚れを拭き取ったら、見た目は新品同様になったので、開店を待ってホームセンターへ行き、既製品の木製すのこを購入。平面、45cm×100cmに収まるすのこを探したところ、46cm×85cmのものがあり、それを購入。帰宅してノコギリで46cmを1cm切り詰める。少し曲がったが、無事にフリーザーの底に収まる。実はこれ、「下に木のすのこを敷くといいですよ」という、現役スーパーマーケット社員氏の助言を聞いてのこと。
 それから、いよいよ電源を入れ、妻が刻んで湯通ししたのちに冷蔵庫の冷凍室に保存したゴーヤー、母親が6月に煮た「やまぶきのきゃらぶき」、先月母親自身が採集して煮付けた「いなごの佃煮」(ぎゃあっ!!)、食用菊の「もってのほか」と黄色い「松風」などを、一回使うくらいの量に小分けして真空パックし直し、フリーザーに入れる。
 ほかに、この夏に製造したトマト・ピューレを冷凍したものや、自家栽培して茹でて冷凍保存した落花生、昨日真空パックしたソバ粉なども入れ、ようやくフリーザーらしくなって来ました。
 でもまだとうてい280Lは埋めきれないので、釣りの先生とキノコの先生にムチャクチャ大きい冷凍庫を入手しましたって、アピールしておこう。

2008年11月2日日曜日

半日たっぷりソバ吉君

 午後、すべての玄ソバの磨き作業をし、10kgほど製粉してみた。
 玄ソバの磨きは、殻をむいた「むきみ」を製粉するのではなく、殻ごと粗挽きしてふるいで殻を取り除く製粉方法では必須作業である。殻についた土、埃、それからいちばん多いのがソバの実にへばりついている萼(がく)の乾燥したもの、これらを摩擦で落とすのが磨きであり、通常は自家用に使われている「循環式精米機」で、抵抗を最小にして玄ソバを一定時間循環させていればきれいになるのだが、わが家にある精米機は同じ循環式精米機であるが、抵抗が強・中・弱の三段階しかなく、弱で循環させても殻がむけ、実が割れてしまって使い物にならない。
 そこで、その代用として妻の実家の土蔵に眠っていた、相当ふるい「餅つき機」。今様の蒸して搗くタイプではなく、竃やガスで蒸したもち米を「搗く」だけの機械である。すり鉢型の器の底にちいさいプロペラのようなものがあって、それが回転して餅を搗く(というより、こねる)。
 そのプロペラに小さな「たわし」状のものを縛りつけ、玄ソバをすり鉢型容器の8分目くらい投入し、ふたしてそのうえに重しを載せて(そうしないとソバが飛び出す)スイッチ・オン。5分ほど放っていて電源を切り、蓋をはずしてみると、萼などがきれいに取れているではありませんか。ただし、構造上、萼やゴミ類もそのままですので、それをまたふるいにかけなければなりません。
 一時間か一時間半くらい同じ作業を繰り返し、磨き作業を終了。
 そのうち10kgを製粉機で粗挽きして、20目のふるいで殻を篩いだし、80目のふるいで一番粉を篩いだし、残ったものをもう一度製粉機にかけ、それをさらに80目で篩い、残りをさらに製粉機に書けて今度は40目のふるいで篩った。それで篩い残ったものは僅かなので捨て、一番粉、二番粉、三番粉をひとつの器にいれて混合、1Kgずつ真空パック用のガゼット袋に詰め、脱酸素剤を入れ、真空パック器で脱気してシール。しかし、脱気が専用袋でないとうまくいかない。専用袋は内側の一枚に縦に微細なデコボコ縞模様が付けられていて、そのデコボコな筋を通って空気が脱気されるのだが、市内の包装資材店で購入した普通の真空パック用袋にはその筋がなくつるつるなのである。それで脱気出来たり出来なかったり、その都度、微妙に違ってしまう。
 脱気する口の方に何か挟んで空気が通りやすくすればいいのかもしれない。
 悪戦苦闘しながら、7袋と350gのソバ粉が完成。早速、ちょいと「蕎麦がき」を作って試食。うまい!! この滑らかな舌触りは相当にセクシュアルで、作りたてのカマンベールチーズ同様、フロイト先生のいう口唇性欲にダイレクトに官能いたします、ね。
 そういえば、昨年、同人のY本さんが「蕎麦掻き」が好きということでお送りする約束だったが、失念して失礼したまま......(-_-;) だったので、今年は最初にお送りしよう。

(下書きしたまま、公開設定に変更するのを忘れて寝ちゃいました)

2008年10月31日金曜日

スクイーズ?!

 ロバート・ジョンソンのTraveling Riverside Bluesと、エリック・クラプトンのTraveling Riverside Bluesと、レッド・ツェッペリンのTraveling Riverside Bluesを聴いてみた。 レッド・ツェッペリンも結構いいではありませんか。早速mp3でDLしITuneを介してiPodに同期。高速ウォーキングのBGMといたします。

 それから、歌詞を検索してみた。ロバート・ジョンソンが歌った唄なので、もう著作権は切れているだろうから、全文をペースト。(あ、歌詞もロバート・ジョンソンが作詞しているらしい)

Traveling Riverside Blues

Asked sweet mama, Let me be her kid
She said, "You might get hurt if you don't keep it hid"

Well I know my baby, If I see her in the dark
I said I know my rider, If I see her in the dark

Now, I goin' to Rosedale, Take my rider by my side
Still barrelhouse, If it's on the riverside, yeah
I know my baby, Lord, I said, "is really sloppy drunk"
I know my mama, Lord, a brownskin, but she ain't no plum

See my baby, tell her, Tell her hurry home
Had no lovin', since my baby been gone
See my baby, Tell hurry on home
I ain't had, Lord, my right mind, Since my rider's been gone

Hey, she promises, She's my rider
I wanna tell you, She's my rider
I know you're mine, She's my rider
She ain't but sixteen, But she's my rider

I'm goin' to Rosedale, Take my rider by side
Anybody argue with me man, I'll keep them satisfied
Well, see my baby, tell her, Tell her the shape I'm in
Ain't had no lovin', Lord, since you know when

Spoken: Why don't you come into my kitchen

She's a kindhearted lady. She studies evil all the time
She's a kindhearted woman. She studies evil all the time

Squeeze my lemon 'til the juice runs down my leg
Squeeze it so hard, I'll fall right out of bed
Squeeze my lemon, 'til the juice runs down my leg

Spoken: I wonder if you know what I'm talkin' about

Oh, but the way that you squeeze it girl
I swear I'm gonna fall right out of bed

She's a good rider
She's my kindhearted lady
I'm gonna take my rider by my side
I said her front teeth are lined with gold
She's gotta mortgage on my body, got a lien on my soul
She's my brownskin sugar plum...


 ここに使われているSqueezeという言葉、結構意味深な感じ。bluesというのはスラングも多いのだろうけど、判りません。(ーー;)

��こうやって英語をずらずら並べると、外国からのスパム・コメントが入るのでやめた方がいいのですが)


早く大きくなあれ

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 きょうは、家庭菜園の隅に伏せてある原木からヒラタケが3株採れた。早速、夕食時にバター炒めになって食卓へ。お、バター炒め、意外とおいしいです。初収穫であるので東を向いてわっはっは。ヒラタケというのは、今の「やまびこしめじ」、「ぶなしめじ」より前に「信州しめじ」の名前で生産販売されていたきのこ菌でありますが、そんなにおいしくないと思っていたら、そうでもなく、おいしい。やはり工場生産物と違って畑で原木栽培だと山の自然な生育に近いからなのか。
 シイタケ、クリタケ、ナメコは来年にならなければ発生しない。

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 原木がやや乾燥気味なので、気休めかもしれないが「早く大きくなあれ」と言いながらジョウロで水をかけてみました。




 久しぶりにgoo RSSリーダーにキーワードを数語、追加登録した。
 読めるブログを探すのにこのキーワード登録が結構、役に立つ。
 また、ブランド関係の記事を拾ってしまうので「ガルシア・マルケス」を外してあったが、再登録。ブランドがらみの記事は根気よく手作業で削除することに。
 ひとつ、読ませるブログを発見して、RSSリーダーに登録した。

 






2008年10月30日木曜日

いっそネガティブの極みへ

 この記事のすべて、E・M・シオラン「生誕の災厄」(1976年、出口裕弘訳、紀伊国屋書店)からの引用であります。

 世には、人間の所業から、重みも効力も剥ぎとってしまうような認識力というようなものがある。この認識力からすれば、みずから以外は一切のものが基底を欠いている。客体を、その観念にいたるまで忌み嫌うほど、この認識力は純一だ。ひとつの行為を敢行するもしないも、所詮は同じことと観ずる極限の知をそれは具現しているのだが、この極限の知にはまた極限の満足感が付随している。つまり、ことあるごとに、人間がいかなる業(わざ)を演じてみせようと、執着に値するものは一つとしてない、なにがしか実質の名残りに恵まれるものはどこにもない、〈実在〉などは狂人の管轄に属するものだといってのける満足感である。こんな認識力は、死後のものだといわれても仕方あるまい。つまりこの認識力の行使者は、生者であると同時に死者でもあり、存在者であると同時に存在者の追憶の影であるかのようなのだ。自分が遂行するあらゆる事柄について、この認識者は行為を遂行している最中から、「それはもう過ぎたことだ」という。だから彼の行為は永久に現在を奪われつづけるのである。
                             (6頁~7頁)


 さらに私は卑怯極まりないことに、自分が小説を書かない(=書けない)理由を、シオランの次のような言葉に演繹してしまうのだ。
 無理をしてまで作品など作る必要はない。ひとりの酔漢、あるいは瀕死の男の耳もとで囁かれるべき、何らかの言葉を発することだけが必要なのだ。
                             (8頁)


 そう、私が発する言葉など、ひとりの酔漢、あるいは瀕死の男=自分に向かって囁いているに過ぎないのかもしれないのだけれど、だけど存在としてなどと大袈裟なことは言わなくても、何らかの言葉を発することは、確かに必要なのだと思う。
 

大きい

 昨日、家庭用の冷凍庫について書いたばかりだが、今日、年式は不明だがナショナル・チェスト・フリーザー、NR-FC28の中古を不要になったお宅から頂戴した。上蓋式だし、大きいし、縦型スリムな前ドア式とはまったくイメージが違って、太った豚が寝ている感じな姿。容量が280Lであるので、ひょっとすると、膝を曲げて横になったら、自分をそのまま冷凍できるかもしれない。(あ、小説に使えるイメージ?!)
 あまりに大きいので迷ったが、何と言ってもタダでいただけるのが魅力だし、定格消費電力が90Wと表示されていたのでいただくことにした。真空パックしたソバ粉の保存など、あれば便利なことは確かなので......。さて、問題は再来月の電気料金。

 いよいよ編集レイアウト作業、追い込み。数日で終了してデータを送りたいと考えているが、さて。急いてミスがあっても嫌だし、一週間くらいの気持ちで行こう。

 John LennonのStand By Meがあったので開いてみたが、五秒で閉じた。やはりオリジナルがいい。


2008年10月29日水曜日

いかりのにがさまた青さ

 ここ数日、家庭用の冷凍庫の価格と性能をネットで検索している。
 あまり大きすぎるのはエネルギーの無駄遣いだし、出来れば国産、出来れば上蓋式のチェスト式ではなく、庫内の品物全体が見渡せる、前ドア式の何段かで仕切りされたもの、と検索していったらおのずから国産のM電機のものに決定。あとは価格調査のみ。
 実はファックスも、送信は問題ないのだが受信に際して2枚目以降が紙詰まりとなって受信停止してしまうという症状が出ている。感熱紙を1枚ずつカッターで切るタイプなのにカッターで切れない、それで紙詰まりになるらしい。修理依頼するほどの年式でもなく、そろそろ買い替え時期なのかとこれも検索して機種に見当がついた。SDカードが使える機種が出ている。これだといちいち用紙に印刷する前に液晶画面で内容を確認して、必要なものだけ印刷すればいいし、ファックス本文をjpgファイルとして、パソコンに取り込めるようだ。

 それにしてもこの一ヶ月は凹むことの多かった月であった。
 なぜか、私は結果としてひとを傷つける方の立場に立っていることが多い。
 修羅という言葉を思い出し、それから宮沢賢治の「春と修羅」に連想が飛ぶ。
......
いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
唾〔つばき〕し はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ......
  「春と修羅」より、部分引用


「おれはひとりの修羅なのだ」と言いきれてしまう詩人は、さすがにすごい。
ひとりの修羅になりきれたら、小説などバンバン書けるのだろうけどね。
 明日は亡き兄の初めての月命日であるので、墓参りに行こう。

2008年10月26日日曜日

温暖化でキノコが......

 わが家のスーパーばあさんが、一昨年ナラタケを採った山のことをしきりに気にしているので、そう時間がかかる場所でもなし、助手席に乗せて行ってみましたが、山にまったくキノコの気配も匂いもありません。いつもの雑木の切り株を見て回っても、ナラタケはまったく発生していません。そこで、ムラサキシメジが出る山にも回ってみましたが、ここでも毒キノコでさえ見当たりません。
 温暖化というか、二十度以上の日がずっと続いていたのだから、キノコも出ないでしょう。紅葉も始まってきましたし、もうちょっと気温が下がればゾクゾク出て来るかもしれません。
 
 帰路、家庭菜園にも寄りました。

081025gekikara.jpg
 霜が降りないので、まだ激辛が青々としてまだ小さいのがぶら下がっています。ことしはずいぶん楽しませてもらいました。
 ほかのピーマン、あまとう、中辛などは、スーパーばあさんがピーマンの葉の佃煮を製造するために、すでにみな切られて、葉をむしられて、煮られて、食べられてしまいました(いや、まだ冷蔵庫にあるようです)。激辛だけは葉が小さいので助かりました。

 それからワサビの葉が穴だらけになっています。ホースラディッシュ(わさび大根)も葉を食べられて茎だけになっています。
081025wasabi.jpg 081025wasabidaikon.jpg
どちらもアブラナ科なので、アオムシなどに葉を食べられてしまいます。何か対策を考えないと。


 夜、製粉したそば粉を真空パック用のガゼット袋につめ、100個購入した脱酸素剤を入れ、一度故障していると勘違いして返品交換してもらった真空パック器で、5袋パックしました。なぜか、かなりきつく真空パックされたのと、ゆるいのとあります。
081025sobakosinkuu.jpg
 まだ挽き方がヘタなのか、蕎麦の殻まで挽きこんだものが結構見られます。どうも田舎蕎麦風に色の濃い蕎麦になりそうです。
 
 



訳あって、しばらく文学話題を避けております。

2008年10月25日土曜日

ヒラタケ君

 この春に生まれて初めてキノコ菌を原木に埋め込んで、その後の管理が悪いので今年は出ないのかなと思っていたヒラタケ君が顔を出し始めました。シイタケ、クリタケ、ナメコは来年です。

081024hiratake1goh.jpg
 きみたちはなかなかいい顔をしている!!

こちらは発芽したばかりのヒラタケの赤ちゃんたち。
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2008年10月24日金曜日

ひとが眠ろうという時刻に

 物置でひとり黙々と怪しい作業をしている男。

 ソバの製粉テストをしてみました。
 玄ソバに磨きをかけ、とりあえずは玄ソバ3kgでテスト。
 一回目は臼の隙間を大きめにとって粗挽き。3kgでも5分もかからない。それを先ず園芸用フルイの3枚の網のうちいちばん目の細かいものをつかって、ソバ殻の除去。ふるいから落ちた粉の方を、80目のふるいで、ふるう。ふるいに残ったのは、甘皮と呼ばれる部分の破砕されたものや、まだ粗い粉、ソバ殻の細かく破砕されたものなど。これをまた臼の間隙を狭くして製粉機にかける。それをまた80目と40目のふるいでふるう。それでやめるのが普通だが、まだふるい残ったものがあるので、同じ作業をもう一度反復。
 そして出来たのが以下の写真。

 80目のふるいを通ったソバ粉。
081023seihuntest80me.jpg081023seihuntest80meup.jpg

40目のふるいを通ったソバ粉
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081023seihuntestsobako2syu.jpg
 それをガスを通さない(酸素も通さないので酸化・変質しにくい))真空パック用のガゼット袋にいれたもの。
 あれ? 両方を合計すると2,400g。3kgの玄ソバで2,400gなら歩留まり80%ではありませんか。製粉所に頼むと一律70%で戻ってくるのですが......、多分、甘皮などを丁寧に挽いたので歩留まりが多くなったのだと思います。いわゆるサナゴというものがほとんど出なかったので、其の分が多いのだと思います。

さて、引き続いて、80目と40目のソバ粉を「そばがき」にして食味テストをしてみました。

081023seihuntest80mesobagaki.jpg081023seihuntest40mesobagaki.jpg

 80目はソバ粉の粒子が細かいので、舌触りがなめらかで官能的です。見た目もおいしそうです。
 40目はちょっと水が多すぎてぺたっとしてるし、見た目もおいしそうには見えません。
 そして舌触りは80目に負けますが、おおお?!、風味は数段優っているではありませんか。
 やはり粗挽きのソバがおいしいと言うのは本当でありました。
 ただし、粗挽きの方が十割蕎麦は打ちにくい。つまり、どういう蕎麦を打ちたいかで、粉の選択、あるいは配合比率が変わってくる。
 ふうむ、実に勉強になりました。


2008年10月23日木曜日

オヤマボクチ植え替え

 夕方、早めに仕事をしまって、オヤマボクチの植え替えにでかける。この春にオヤマボクチの種を播いて、発芽したものを専用の畑を借りて植えつけたものの、土地区画整理事業で宅地化されたが固定資産税の関係で名目は農地のままという畑で、きわめて排水が悪く、水はけの良い場所を好むオヤマボクチは梅雨時など、長雨、大雨の後に根腐れを起こして順に枯死してゆくので、一年でその畑での栽培を断念した。そして、春に植えた余りの苗をせっかく発芽したものを捨てるのも忍びなく、玉ねぎ用の穴あきマルチを張ったところにびっしりと植えておいた、それをもっと広く植えなおす作業に着手。

081022oyamabokuchiichinensei.jpg

 一年経って、これだけ成長したが、株ごとの個体差がずいぶん激しい。株の良さそうなものに目印をつけておき、種子選抜をしたらいいのかもしれない。

081022oyamabokuchiuekae.jpg
 左上のゴチャゴチャしたのを右の黒マルチを張ったところへ植え替え。2列でおよそ50本。
もう一列植える予定で残りの苗もすべて掘り起こした。半年で結構根が伸びたものである。来年は山中を探し回らなくてもここの葉で十分間に合うだろう。
��あちらこちらのウェブやブログで、オヤマボクチが別名のヤマゴボウから誤解されるのか、根は漬物にすると書かれているのを見かけるが、あれはモリアザミの仲間で、オヤマボクチはキク科、ゴボウ根ではなくこうして細い根がびっしり生えていて漬物にはなりません)






 帰りに、その宅地(畑)の様子を見に回ったら、青いはずのチコリに一株だけ白い花のチコリを発見。これも2mにも伸びて大繁茂。霜が降りたら茎を切って根を掘り起こそうと思っているのだが、温暖化か、暖かすぎて霜が降りない。

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2008年10月21日火曜日

ネットの海

 先ほどまで、YouTubeでFederico García Lorcaがらみの動画を見ていた。写真を背景にして彼の詩の朗読、あるいは彼の詩にメロディーがつけられた唄が歌われているものが多い。


 また、YouTubeにはないが、Google Videoで検索するとDaily motionという動画サイトにJacques Prévertという動画が6分割されてアップロードされている。元はフランス3ちゃんねるの番組のようだ。こちらは葉巻をくわえながら歩いたりしゃべったりするJacques Prévertを少しは見ることが出来て、フランス語はちっとも判らないのだが、楽しい。



2008年10月20日月曜日

風選

081020sobatoumihuusen3.jpg T屋さんより唐箕(とうみ)を借りてきてソバを風選。ハンドルを人力で回して風を起こし、その風力で葉や茎の砕けたものなどとソバの実を選別する器具だが、実に良く出来ていて、きれいに選別できる。江戸や明治時代は木製であったが今では鉄板製。

 風選したものを軽量したところ、昨年よりやや終了が少ない。畝幅を広くしたので当然か。畝幅は100cm~110cmでは広すぎ、80~90cmが適当か。

081019sobakansou.jpg 


2008年10月19日日曜日

腰が痛いのと頭が痛いのと

 本日は終日、ソバの脱穀作業。

081018sobadakkoku.jpg

 それはさながら弥生時代の農作業同然で、刈り取りして地干し(地面にただ置いておいて乾燥させただけ)してあったソバ(上記画像。デジカメを忘れて携帯カメラ、しかも逆光気味)を、広げたブルーシートの上に置いて捧で叩くという、まさに恐怖の原始農業なのでした。
 スロー・ライフなんて言ってかっこつけたがる御仁もおいででしょうが、これはあまりに過酷、あまりにスローすぎます、です、はい。
 従姉の夫であるM春さんにお手伝いしていただいたので、夕刻4:40に作業終了。感謝ですが、ふたりとも顔を見合わせて、「腰が痛い」、「早く風呂に入ってビールを飲みたい」。

 全作家編集長に、全作家巻末の「文芸時評」をインターネット上に転載紹介したいとメールでお願いしておいたら、本日、全作家協会から許諾の返信をいただいた。
 そこで早速、全作家71号の「文芸時評」を画像で取り込んで、さらにそれをPDFファイルに書き出ししてみたが、どうも文字が鮮明にならないので気に入らず、没。画像自体のピクセル数は大きいままだし、どうして文字がきれいに出ないか理解に苦しみ、頭が痛くなって来た。
 仕方なくJPG画像のまま、文芸同人誌案内の掲示板自分のところの掲示板に1頁ずつ4分割してアップロード。

 自分が書きたい小説、目の前にぶら下がっているのに現実化できない。
 カフカの「掟の門」で門が閉まるまで待っている男とおんなじなのかな?
 

2008年10月18日土曜日

二人連れ

 iTuneに登録されているインターネットラジオでradioio vocal jazzをバック・ミュージックに、戻って来た校正の赤が入った部分を訂正。今回はページぎりぎりの原稿でカットを挿入できない作品が多く、ある意味、楽ではあります。

(途中、ちょっと耳にとまった歌声があり、Diana Krallというその名をlast fmで検索したら、フルトラックの曲が結構あり。Temptation(これはYouTube)ほか、楽しく試聴させていただきます)
 うーん、これもかっこいい。



 晴天が続いているので、明日、ソバの脱穀をすることに決めた。ひとりではタイヘンなので、年金生活で毎日川へ釣りに行っている従姉のご主人にお手伝いをお願いしたら快諾。日当は払わないでソバ粉の現物支給だと冗談を言ったら本気にしている。器用なひとだから蕎麦打ちをするかもしれない。午前中に釣り上げた川魚をいただいた。内臓を取り出したりがタイヘンなので、遠慮していたらしいが、わが家は釣るより食べる専門なので、迷惑どころか大歓迎である。とはいえ、包丁を持つのは私である。先日、老人クラブの一泊旅行で諏訪へ行った母親が、名物のワカサギの佃煮とともに、二枚におろした鮒をから揚げしたものを土産に買って来た、それがおいしかったので川魚も二枚におろした。うっかり切れない方の出刃を使ったので、小さな川魚の2枚おろしは少し難儀だった。下手な者ほど道具を選ばなければならないし、刃をきちんと研いでおかなくてはならない。反省しながら、切れ味の悪い出刃包丁と蕎麦切り包丁を研いだ。
 さて、明日は一日、汗と埃まみれです。食い意地と二人連れなので、ちっとも嫌ではありません。

2008年10月17日金曜日

文芸時評

 全作家71号を恵送していただいたので、表紙と目次を画像で掲示板にアップした。
 この雑誌には横尾和博氏の「文芸時評」があり、文學界同人雑誌評が終了するので、こちらをネット上で読めるようにしたいと思うのだが、著作権やら版権の問題があるので勝手にアップする訳にも行かない。
 編集長が県内におられるし、全作家及び横尾氏の承諾を得られないか、相談してみよう。


2008年10月16日木曜日

魔物か魔女

T屋さんが畑のオヤマボクチの種を採るようにというので、午後、行ってみたら、種もだが葉もだいぶ大きなのがあってもったいないので採らせてもらった。結構な枚数だが、とりあえず乾燥させておけばよい。O塗装さんやS次郎さんもオヤマボクチ蕎麦を打ってみたいと言っているようなので、あげてもいいし。
081015oyamabokuchisaigo.jpg
��後で枚数計算、4枚×118=472枚)

 赤提灯へ行く前に、試し挽きした新そばを300gをつなぎ無しの10割で打ってみた。前回の十割蕎麦は昨年O製粉で挽いてもらった真空パック入りの粉だがあまりに簡単に打てて拍子抜けだった。しかし、今日の自家製粉ソバ粉はまさに魔物か魔女のようであり、いいように翻弄された。加水率50%でもうまくまとまらず、さらに水を加えてこね続けてもさっぱりつながって来ない。手水を付けてさらにこね続けるが、まだ割れてしまう。諦めて、厚めに伸し、幅も広めに切ってそのまま茹でて食した。ブチブチに切れた訳ではないが、気に入らない。
 この失敗の原因は、玄ソバの乾燥しすぎか、80目ではなく60目の篩で篩ったことにある。十割蕎麦を水のみで打つには粉の粒子が細かくないと苦戦する。
 製粉機のモーター側のプーリーの径をもうちょっと小さいものにして、回転数を下げた方がいいのかもしれない。回転数を計算する数式があるらしいが、理系でないので判らない。とにかく、玄ソバが用意出来次第、プーリーを換えて製粉してみよう。

 先ほど、last.fmでJohn ColtraneのMy Favorite Things を聴いて来た。演奏時間21:06。ほかにフルトラックで聴くことが出来る曲数が100曲以上。(インターネットは宝の山)
 それから、Jacques Prevertの曲La RomanceにMaroto Sebastianが曲を付け、奥さんのZette Marotoが唄っているのを、ネット上で試聴できるページを発見。この曲は持っているCDに収録されているからいいが、さらに検索を続けていたら、J・プレヴェールの詩に曲が付いたシャンソンがCD3枚に60曲入っているCD3枚組みを発見。しかもその1枚目にZette Marotoの別の唄が2曲入っているし、Boris Vianという題名も!! うーん、欲しいよw

 原稿校正2編終了。
 先ほどまた、間に合わなかった原稿ファイルを開いて少し、加筆。次の締め切りまでには何とかなるか、それとも意欲を失うのか。



2008年10月15日水曜日

製粉テスト

 先日刈ったソバではなく、それ以前に見回りに行った時にソバを試験的に手刈りで8束ほど刈り取って来て、乾燥・脱粒・磨きをしてあった玄ソバを、テスト製粉してみることにして、夕食後、物置でごそごそ。
 玄ソバは700g。1kgくらいあればよかったが、仕方ない。
 一回目はソバの殻を取るのが目的なので粗めに挽き、園芸用の3mmくらいの網で篩い、殻と粉を選別。さらにもう一度、雄臼と雌臼の間隙を狭くして挽く。わずかな量なので1分もかからない。
 それを60目と40目の篩で篩う。

081014sobaseihuntest1.jpg 081014sobaseihuntest2.jpg
左...60目(50メッシュ)で篩ったもの...370g
右...40目(33メッシュ)で篩ったもの... 90g
                     合計...460g  歩留まり460g÷700g=65,7%
歩留まり70%というのは、殻以外すべてを挽きこむ数字だろう。

 十割蕎麦だったら、左の粉だけで打ち、二八やオヤマボクチ蕎麦だったら、粗挽きな感じになってもいいので右の粗い粉も使えるだろう。オヤマボクチ蕎麦がどうもまだ固いと不評なので、思い切って加水率を5%くらい増やして限界ぎりぎりまで柔らかめで打ってみたいのだけれど。
 明日にでも試してみたいものだが、あ、明日の晩は赤提灯の日。蕎麦のために休むのも大人げないから明後日か......。


2008年10月14日火曜日

間に合わなかった原稿

 昨日、ソバ刈りを終えて帰宅し、疲れて明るいうちからお風呂に入り、ビールで簡単な慰労会をして、いつもはしない転寝をしたが、その後で、血縁の臨終につき合っているうちに締切日がすぎ、そのまま放置してあった書きかけの小説の一太郎ファイルを開いた。
 ノーベル文学賞発表でル・クレジオの名が一気に喧伝されてしまったので、実は、書きかけの小説の冒頭にエピグラフとしてル・クレジオの「愛する大地」の冒頭の文章を置いてあったのを思い出し、今となっては削除するほかないと思ってファイルを開いたのだった。
 そのエピグラフはこう。
 あなたは本のこのページを開いた。二、三ページめくってみて、表題や、著者の名や、出版社の名をぼんやりと眺め、それから多分、小説の冒頭にたいがいつけてある、あの引用符で囲んだ文句を探しただろうが、そんなものがついているのは、体裁がいいということと、著者が誰か自分より重要な人物を引き合いに出すことで少しは自分を保護できるせいなのだ。今度の場合、こう書いてあったってよかったかも知れない。「私は諸君のうちの一人、一粒の種だ、諸君のうちの一人なのだ......輝き(ブリヤン)......打ち震え(ヴィブラン)......灼熱している種(ブリュラン)だ......ぼくはある日、......
「愛する大地」ル・クレジオ、豊崎光一訳(1969年、新潮社刊)、冒頭より引用


 それに続いて、前回同様に1ではなく0という短章から始められている。

         0

 いや、そうではないのだった。
 この怪しげな叙述の一切は、僕とかおれとか私とわたし、あるいはあたいなどという一人称についての「描写」あるいは「物語」であると同時に、あなたとか君とかおまえとか呼ばれる二人称についての「描写」あるいは「物語」でもあり、また至極当然に、三人称である固有の氏名、さらには彼あるいは彼女という不可解な存在についての「描写」あるいは「物語」であっても不思議はないことを、数少ない読者のひとりである「あなた」にだけは告げておきたい。
 いや、そういう人称の差異を篩にかけて、それでもなお残っているはずの存在の証(あかし)が欲しくてこのように書こうとしているのだ。

 メタ・フィクション? 何を書こうとしているのだか、自分で書いたものながらもチンプンカンプン(汗々)。

 けれども、エピグラフを削除するよりある書きかけの部分が気になって、気がついたら500字近くを加筆していた。
 今回の締め切りには間に合わなかったが、少しずつ書き進めることができたらいいのだけど(さて?)。
 単一の人間を単一の視点で単一の時間の流れで書くという、小説としてごく当たり前の前提につまづいてしまっているので、小説として破綻する可能性の方がずっと高い。
 間に合わなかった原稿って、胎内に宿りながら結局は生まれて来なかった子どもに似ていると思う。たまたま生まれてこの世に姿を現した存在と、たまたま生まれることなく消えてしまった存在の差異は何?



 文〇界が同人雑誌評を閉じる最後に、巻末に「全国同人誌名簿」を掲載するという。
 最新の同人誌データであるからして、これを利用しない手はないので、「文芸同人誌案内」連携ウェブ「デジタル文学館」の宣伝と推薦作依頼状を、デジタルとアナログの両方で製作し、発信・発送しようという戦略を夢想する。
 売れる作品を探さねばならないという商業誌が必ずしも真の文学作品だけを探しあてて掲載する訳ではなく、むしろ売れることをいったん断念してもなお自己の創作理念に忠実になって書かれた同人誌の小説の中にこそ、われわれは文学の光を見出すべきであろう......(青臭!?)。

デスクトップ・パソコン、まだ生きてますよ~だ!!

 年代物のデスクトップ・パソコンがまだ生きていて、それに接続してあるスキャナーも、同人誌や書籍の表紙画像のスキャニングやら、小説をOCRソフトにかける際のスキャニングやら、結構頻繁に使っているので重宝しているのですが、ふと気がついたらネットに繋がらず、メールの送受信も出来なくなっていた。
 長男が帰省するたびに断りもなくパソコンやルーターの設定などを変更するので、そのせいかと思ってLANケーブルなどを点検したがみな繋がっている。どうもアカウントの設定がおかしくなっているらしいので、なんとかいじってネット接続を回復させた。
 ついでに、ブラウザとメーラーをノートと同じにしようと思ってFirefoxとThunderbirdをインストールしておこうとしたら、Thunderbirdはインストール出来たが、FirefoxはWindowsのヴァージョンが2000以上でないとインストールできないとストップがかかってしまいました。98やMeはもう相手にしないのですか? でも、Meがまだ立派に生きて役立っているのですが......。
 そこでFirefoxに腹を立ててSleipnirをインストールしようとしたら、おお、こちらはWindowsのヴァージョンを選択してインストール出来るようになっていて、ちゃんと「Windows98、Me」という選択肢があるではありませんか。Sleipnirバンザイ! と、今、入力しているこのブラウザ、実はそのSleipnirなのでした。
��IEなんて最近開いてみたこともなく......)
 

2008年10月13日月曜日

腰が痛い

 またネットに繋がらない。インターネットという不思議な網は、切れてもどこで切れているのか判然としないし、テレビの放送が5秒10秒途切れたことを律儀に謝罪するのに比べ、ネットは料金を徴収しているプロバイダ以外は無料であるし、謝罪する以前にどこで切れているのか判らないのだから怒りようがない。
 今日の記事はテキストファイルで保存しておいて、明日の朝にでもアップするほかない。

 午前8時15分、出発。8時35分到着。
 畑東側から5列ほど部分的に倒伏しているところだけ、鎌で手刈りをし、それより西は草刈機で生え際から刈り払ったものを手でそろえて並べるというやり方にする。もちろん、束にして縛ることも、島立てにして乾燥することもなく、いわゆる地干しという横着な乾燥方法。
 お昼までに4/5ほど刈ることができ、13時45分に刈り取り作業終了。
 それにしても雑草が多すぎて、ソバなのか草なのかよく見えませんね。

081012sobakaritotyu.jpg 081012sobakarosyuryo.jpg

 脱穀は弥生時代と変わらない方法だが、さて、昨年は刈り取り幾日後くらいに脱穀したのだっけ?
 昨年のソバ栽培記録を見ても、それだけ抜けている! 確か、ひとりで二日通ったのは覚えているが、今年は従姉のご主人が手伝ってくれるというのでお願いすることにする。器用なひとなので、ソバ粉を上げたら蕎麦を打つかもししれない。


2008年10月12日日曜日

ピクニック気分

 明日はいよいよソバの刈り取り。ひとりで行ってのんびり刈ろうと思っていたら、同居女性親族老年中年2名も行くという。
 昨年、おにぎり持参で楽しかったので、ピクニック気分? そういえばカセットコンロにヤカンまでもって行ったような記憶が。

2008年10月11日土曜日

ソバと根パセリと、ル・クレジオ

 車で5分くらいの場所に、高校時代の同級生ユキオ君がソバを栽培している畑が県道沿いにあり、様子を見に行ったら、折りしも応援一名とふたりで、手刈りの最中。しかもかなり高い位置で刈って、その刈り残した茎に刈ったソバの束を斜めに載せて地面に直接つかないようにしている。少し浮いている分、乾燥がいいだろうし、降雨時の泥はねも避けられる。なるほど、考えましたな。
 彼は8月3日播種。わがソバ畑は、昨年も今年も、覚えやすいように自分の誕生日である8月4日播種。それにしても、ソバというのは本当に70日で収穫になってしまうんですね。感心してしまいます。
 わが家は、明後日12日に刈り取り作業を予定。
 昨夜、カナダのN君がメールで11月2日から21日まで帰国すると言ってきたので、今年は彼にまじりっけ無しの十割新蕎麦をご馳走せねば。

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 夕方、家庭菜園に寄り、ルート(根)パセリを3本ほど抜いてみた。茎を齧ってみると紛れもなくパセリの味。左側の下の方のように長く伸びて白っぽいニンジンといった形になるはずですが、わが菜園でいちばん作物の出来が悪い、土の良くない場所に植えてしまったので、根が長くならずに固まりになってしまいました。ひょっとするとネコブセンチュウのいたずらかもしれない。
 この茎や葉ではなく、この魁偉な形の根が食用なのだそうですが、さて、調理法をまじめに調べなくては。

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 そうそう、チコリの根も気になるところですが、まだあのHeavenlyなblueの花が午前中だけ咲いており、草丈はとうに私の身長を超えて2mくらいのものもある。これも相当な根塊になっているはずだが、これを越冬させて軟化栽培するのが寒冷地では至難のわざ。これも少し検索してみなければ。

 ノーベル文学賞効果か、ル・クレジオでの検索が現れてきた。「調書」や「発熱」といった初期の作品も悪くはないが、私が偏愛してやまない作品は「テラ・アマータ(愛する大地)」(新潮社・1969年)、「海を見たことが無かった少年」(集英社文庫)あれ? これももう品切れ? 絶版?。
 Lydwineさんにブログで触れていただいた「それとも無遠慮な質問をして」は、この「「テラ・アマータ(愛する大地)」のなかに置かれている、まだネットが無かった時代の100の質問(のようなもの)ですが、この作品の主人公、シャンスラードやミナは、B・ヴィアンのコランとクロエ同様、私の文学的アイドルなのであります。


2008年10月10日金曜日

舌は正直

 まだ完璧ではないが、同人誌の各作品ごとのレイアウトがおおむね終了したので、校正刷りを出力し、発送準備をした。明日発送予定。

 今年のノーベル文学賞がル・クレジオに決まったとネット・ニュースを見た配偶者が教えてくれた。そうだね、ル・クレジオのノーベル文学賞はすなおに喜べます。
 その奥様体調不良のため、今夜は高速ウォーキングはお休みとなり、ちょっと拍子抜け。

081009sobayu.jpg 毎晩、蕎麦湯(ティー・スプーン2杯を熱いお湯で溶いたもの)を飲むのも、癖がついて来て、ほぼ毎晩飲んでいるが、悪い人がいたもので、蕎麦湯に焼酎を入れて飲むと旨いと教えてくれたので、早速試してみた。なるほど、悪くないです。
 ただし、蕎麦湯を飲むのは、最低血圧が100を超えると頭痛がする体質の改善をめざしてのことなので、焼酎を混入した蕎麦湯などを毎夜飲んではいけない。
 その蕎麦湯だが、使用するソバ粉を粗挽きで蕎麦打ちに適さないと思っていた、昨年末に自分で石臼で挽いて冷蔵庫に入れてあったものや、先月入手した製粉機で試し挽きしたソバ粉で、蕎麦湯を作っていたのですが、たまたま、昨年製粉会社に製粉、真空パックしてもらった方の粉を溶いて蕎麦湯にしたところ、なんとも風味が薄い。粒子が細かくて十割蕎麦も簡単に打てたくらいだが、風味が弱い。よもや、「中国産玄ソバ」を混入されているのでは?! (しくしく)
 歳のせいか頭は悪くなっておりますが、舌の食感だけはタバコをやめて以来かなり性能アップして敏感になっておりますので、疑うなといっても舌は正直なのであります。(ああ、製粉機を入手してよかった。あれ? そういえば昨年、ある方にそのソバ粉をお送りしてしまったが、信州蕎麦、思ったより美味しくないと思われたかも......とほほ)
 そういえば、日数から計算すると(播種後65日~70日)、この土日か来週中くらいが蕎麦の刈り取り適期なのであります。
 天気予報を見ながら、あまり快晴でない日を選んでソバ刈り決行です。今年は適正身長90cmを超えて120~130cmくらいに伸びているのに倒伏せずにがんばって立っているので、昨年のような全面倒伏・悪戦苦闘ではなく、楽に刈れるでしょう。

2008年10月9日木曜日

ストーカーの心情を想像しながら

 昨夜も今夜も、町内の本通商店街の歩道を高速ウォーキングする配偶者の警護同伴ウォーキング。
 iPodのイヤフォンを耳に、ストーカーの心情を想像しながら、中年のおばさんの背後に黙ってぴったりついて行く。
 同じコースなのでほぼ30分。この2倍くらい歩いた方がいいと思うのだが、中年のおばさんのメタボリック対策の夜間ウォーキングの警護をしているに過ぎないので、ひたすら黙って影のようについて行くだけ(我ながら、えらい!!)。 

2008年10月8日水曜日

ダリのガラとエリュアールのガラ

 昨夜の続きで、Arena - Salvador Dali というタイトルの7分割してアップされている動画を発見した。
 このパート1で、海辺の卵から生まれて来たダリの横に立っているのが、かつてサナトリウムでエリュアールと知り合った年上のロシア人少女、ヘレナ・ドミトロヴニェ・ディアコノヴァ、愛称・ガラである。
 詩人エリュアールのもとを去り、ダリの妻となった、あのガラである。日本にも佐藤春夫の妻から谷崎潤一郎の妻となった松子さんがおられるが、ふたりの芸術家に愛されて実に至福の女性ではある。
 ただし、ガラについては私はエリュアールに『愛すなわち詩』(L'Amour la Poésie)(1929・ガラへの献辞付き)を書かせた女性というだけで十分である。

 エリュアールもコキュ、V・ヴィアンもコキュ。コキュはいつの時代でも、少し、かなしい。



「ツール」→「オプション」→「文字体裁」

 同人の原稿をテンプレートに流し込んだ場合に、本人原稿より文字が後ろへ押して行って字数が多くなってしまう。頁ぎりぎりに書かれた原稿だと次のページまで押して行って、本人は20頁のつもりで書いて送ってきたものが、編集作業すると21頁になってしまうことが間々ある。
 なぜか。
 Wordで原稿を書く場合、「ツール」→「オプション」→「文字体裁」の「文字間隔の調整」が、「間隔を詰めない」、「句読点のみを詰める」、「句読点とかなを詰める」の3種類あり、デフォルトでは「句読点のみを詰める」になっている。
 だから当然、Wordで原稿を提出される同人全員の原稿が「句読点のみを詰める」設定で書かれている。あちこちの行で、句読点が行末に来た時だけ一文字分追い込まれる訳である。だが私の編集レイアウトは一行の文字数をどの行も同じにするために「間隔を詰めない」ことになっている。その文字数の合計が、長い原稿の場合、5行、10行となって後ろへ押し出されてくる。その結果、たまたま20頁の終わりぎりぎりに書かれていたものが、21頁まで伸びてしまうことになる。
 次号から、同人の皆さんへ、原稿を書き出す前に、「ツール」→「オプション」→「文字体裁」の「文字間隔の調整」を「間隔を詰めない」に変更していただくようお願いしなければならない。

 それから表紙印刷が1色の場合と2色にした場合の金額の差が15860円。これを高いと見るか安いと見るか?? 


おいしいカステラ

 今日、宅配便で思いがけずお手製のカステラをいただいた。それも市販のカステラの3本分もあろうかと思われるサイズ。
 しかも、焼いて送って下さったのは、先日、オヤマボクチを検索して来られた男性なのであります。十割蕎麦を打たれるだけでなく、市販のカステラも真っ青になりそうな、甘さを絶妙に抑えながらも底に甘い大納言小豆を沈めたカステラ。感服&脱帽いたしました。
 おいしいカステラ、ごちそうさまでした。
 

2008年10月7日火曜日

ネットの海をひとりユリシーズ

YouTubeでJacques Prévertがらみの動画を検索をしているうちに



 このYves Tanguyの絵を次々に展開してゆく動画に迷い込んでしまった。
 YouTubeに、こういうジャンルが存在したのか!!
 ほかにも、たくさん。
自分自身のためにここにURLをリンクさせておこう。
René Magritte
Giorgio De Chirico
Francis Picabia
Max Ernst
André Masson
Dorothea Tanning
Marc Chagall
わ、Egon Schieleまでありました。
Alfred Kubinも、す、ご、い、ふたつもあります。
Alfred Kubin
Lucien Lévy-Dhurmer
William Blake
 うう、鳥肌。William Blakeの絵にJocelyn PookのMasked Ballという歌が重ねられている。これはスタンリー・キューブリック監督の遺作 Eyes Wide Shut(1999年製作のアメリカ映画)のなかで流れた音楽。
William Blake
Edvard Munch


 絵と音楽が結託するとこういう力を生むのか。
 では言葉は?


2008年10月5日日曜日

いきなり十割蕎麦

 最近、NHKなどでオヤマボクチをつなぎにした蕎麦を連続して取り上げたらしく、オヤマボクチについて未知の方からメールをいただいた。それも前後しておふたりから。おふたりにお試し用のオヤマボクチを送ってあげることになったが、蕎麦打ちの経験は今年ようやく二年生の私よりもずっと豊富であり、口をそろえて水だけで十割蕎麦を打っておられるという。
 むむ......私は、十割蕎麦が難しいだろうからオヤマボクチをつなぎにする蕎麦を打とうとしたのだけれど、つなぎ無し、水だけで十割蕎麦が打てるのならそれに越したことはありません。
 今夜はさいわい奥様はさる高原で催されている、宮沢賢治・中原中也・立原道造、三詩人の詩についての座談会に参加するために泊りがけでおでかけ。
 ということで、夕方5時半から試験的に2人前、250gの十割蕎麦打ちを開始。250gは少なくて打ちにくいと思ったが、何と30分で打ち終わった。何と順調な流れ!!(これまでは加水が少なすぎたようです)
 茹でたらバラバラかと覚悟していたが、おお、つながっています。

081004jyuuwarisobahajimete.jpg
��画像をクリックすれば拡大表示されます。左が自分、右が老母の分)

 やや柔らかめだったせいか、幅を狭く切ろうとすると畳んだ部分が切れてしまうのでやや幅を広めに切ったが、楽に伸せたので厚みは薄めで、一応切れずに蕎麦の形になっているではありませんか。コシ、歯ざわり、喉越しも良し。\(^o^)/ 
 十割蕎麦は難しいという先入観が邪魔していました。やはり、何でもやってみるべきでした。
 製粉技術が良くなっているので、ことさらな粗挽きでない限り、粒子の細かいソバ粉を用いれば十割蕎麦もつながるようです。今日はやや多すぎたが、加水率は47,5%プラスマイナス1%くらい?
 は!? 十割蕎麦が打てたら、オヤマボクチが不要になってしまいますw。
 今夜はほかに「冬瓜のそぼろあんかけ、ゆず風味」。(昔、京都でこれを食べてからお気に入り料理になってしまいました)




 同人誌編集作業。原稿を読むより先にテキスト・ファイルに変換し、二段組のテンプレートに挿入、成形する。作者ごとに違うレイアウトの原稿を印刷して読むより、雑誌の体裁にしてから印刷し、読む方が統一感があっていい。
 自分の原稿パスで薄い雑誌になるかと危惧していたら、簡単な計算でも120頁を超えているので安堵。
 編集をWordから一太郎に変え、印刷会社も変え、編集の流れが落ち着いてきたので作業自体はとても楽。問題はミスの無い「校正」。



2008年10月4日土曜日

あと10日

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 残留窒素が多いせいか、まだ茎葉は緑だが、もう花は散って見えず、実の黒化が始まっている。
 昨年は10月13日に刈り取っているが、今年はいつ刈れるだろう。いずれにしても昨年の全面的倒伏を思えば、今年は刈り取りは楽であろう。
 播種から花まではこんなに楽な作物はないが、刈り取りから脱穀、精製までは弥生時代とまったく変わらず、汗と埃にまみれる原始的作業なのが笑える(JAにコンバインでの収穫を依頼すれば一気に現代的だが、それでは播種から蕎麦打ちまでの一貫作業が崩れてしまう) 刈り取りは草刈機を使用するが、脱穀は弥生時代と変わらずシートの上に乾燥したソバの茎を重ねて置き、それを捧で叩きます。乾燥が十分であれば稲用の脱穀機が使えないことはないですが、乾燥が良くないと脱穀機が故障する。

 ソバで検索していたら「それでいいのか 蕎麦打ち男」という本が目に入った。ふん!! 蕎麦打ちにうつつを抜かして、このまま消えてはいけないのですか?!
 大きなお世話と思いながら、本日より編集作業開始。結構、長めの原稿があり、原稿お休み常習犯としては、ひそかに安堵。もう表紙写真も確保できている。