2010年5月31日月曜日

怪しいものです

 昨夜、うたた寝している間にズーム・レンズのオークションが終了時刻となり、終了直前に私より500円多く入札したひとが落札していた。何とも間抜けな私には、こういうオークションのようなシステムはまったく向いておりません。
 まあ、山に行って双眼鏡代わりにデジカメのズームレンズを使おうなんていう考え自体が間違っていますけど、それにはこれまで使って来た光学10倍デジタル5倍=50倍のコンパクトデジカメがあるので、そちらを持参すれば良いのです。これだと家から浅間山のアバタやエクボまで見えてしまいます。




 再び、ル・クレジオの女性ばかりが主人公の短編集をパラパラ。
 それから、既読のマルケスの短編集『十二の遍歴の物語』から「聖女」、「電話をかけに来ただけなの」、「光は水のよう」をパラパラ。
 それから更にサドの「悪徳の栄え」のジュステイーヌと「美徳の不幸」のジュリエットをイメージ。この、悪と善の双極に引き裂かれた姉妹の、果てしない距離をイメージせよ。
 無論、それは自分が書こうとしているもののイメージを、もっともっと固めるための作業なのだけれど、むしろ反対に、ずるずる崩壊する危険性も高い。
 既存の作家の作品で自分の書こうとする小説のイメージを固めようなんてこと自体が、まさに本末転倒なのであります。

 いよいよ、明日一日で、この年の五月が終わる。
 エリオットは
四月は残酷きわまる月だ
リラの花を死んだ土から生み出し
追憶に欲情をかきまぜたり
春の雨で鈍重な草根をふるい起こすのだ。
 
 と書いたが、この山国では残念ながらリラの花は四月には咲かないで五月に咲くのでした。
 ですから、私にとっては残酷なのは四月ではなく五月なのですけど、その残酷な五月も明日一日で終わるのです。
 六月、七月、ふた月、書くことに集中できればいいのですが、何だかんだと気の多い男なので怪しいものです。

2010年5月29日土曜日

ただの錯覚

 疲れているところへ雑草地の開拓などしたものだから、さらに疲労困憊も深まる。
 無意識に自分をいたぶっているのではないか、自分を死なせるために生きているのではないかと考えられないこともない。でも、生憎とそういう加虐・被虐趣味はない(はず)

 6月以降は人並みに休日も取れるので、カメラを持って山に行きたいと思う。
 そしたら、たまたま以前購入したデジタル・カメラのズームレンズが定価の1/3以下で買えそうなので、思わず入札してしまった。まだ落札ではないので、どうなるか分からないが、もう少し望遠の利くレンズが欲しいと思っていたので入手できればいい。あまり競り合うようなオークションは結局価格を吊り上げるだけなので首を突っ込みたくないと思っていて、だから落札できなくても全然構わない。

「ひとりで山に行くのは怖くない?」というひとがいます。彼あるいは彼女は、熊とか猪とか蛇(まむし)とかに遭遇するのか怖いのだそうですが、私はまだ一度も遭遇したことはありません。里の田んぼや畑の方がよほど蛇に出くわして肝を冷やします。
 森閑とした山の木陰に休息していると生き返ります。たくさんの人間に囲まれていると、相手の言うことを聞いて自分を引っ込めてしまい、自分がどういう人間なのか判らなくなってしまうことがありますが、山の中でひとりになってみると、正味の自分を計ることが出来る(ような気になれる)のです。ただの錯覚かもしれませんが。


2010年5月28日金曜日

頭の上の方から

 夕方、造成地の畑の二度目の耕運。ロータリーの爪が新品になったせいか、ずいぶんきれいに耕すことができて、雑草地から畑らしい姿になった。これで、今年度のソバ栽培の目途が立った。宅地として区画されている造成地の4区画分なので、仮に一区画が70坪だと280坪くらいか。
 仕事の方はようやく忙殺から解放されそうだが、残務整理が結構時間がかかる。




 この頃、ドストエフスキーとサドのことを考えているが、ああいう小説を書こうなどと思ってはいけない。
 やはり、責める作家であるよりも、赦す作家である方が楽なのは確かなのだから。
 すべてを肯定しなさい、という声が頭の上の方から降ってきそう。(すべてを肯定しちゃえば小説を書く必要もなくなってしまいます、けど......)




 4/19播種、5/19仮植の最後のSaint Drift種、活着して茎が赤味を帯びて来た。
 不思議なのはUnisonous Tragedy種。昨年購入して2/19播種、3/17仮植したものは、茎が立たずにへばりつく感じでなかなか立ち上がって来ないのだが、茎自体の赤味はかなり濃い。そこでもう一度、北米の高嶋兄弟の弟にそっくりなインターネット種屋さんに注文し、4/7に播種、4/26に仮植したのだったが、それが嘘だろうというくらい形質が似ていない。茎は立ち上がって来るし、その色はあまり赤味を帯びていないし、違う種を送ったんじゃないのと抗議したいくらい形質が違う。
 そうでないとすれば、一体全体、どういう条件の差異でこんなに違ってしまうのだろう。
 頭を抱えてしまいますが、観察を継続するほかありません。


2010年5月27日木曜日

未明の惨劇

 朝、庭のモミジの木の下に太さ7~8mmの枝が落ちていた。雨は降ったが、これほどの枝が裂けて落ちるほどの降り方はしていない。訝しんで上の鳩の巣を見上げると、雌鳩の姿が見えない。さらに足元を見る小さな卵が割れた破片が目に入った。
 どうやら、鳩の巣が何ものかに襲撃されたらしい。野良猫か。そういえばモミジの木から1m未満の場所に隣家との境の大谷石の塀があり、その上を猫が歩いているのを見かけたことがあったので、そこからジャンプすれば鳩の巣が狙えない距離ではない。モミジの枝はその体重を受けて裂け、落ちたものであろうか。あるいは鷹などの大型鳥類の仕業か。
 一家三人、しばしモミジの木を見上げ、ため息吐息。食卓は悲哀の情に包まれて全員が無言。悲しい一日の始まりでした。夕方まで待っても、母鳩はとうとう戻って来ませんでした。



 宅配便で、相次いでACアダプター、耕運爪、到着。
 これでパソコンの電源問題にはさようなら。あれほど悩んだ電源の入りにくい症状は、バッテリーの交換で解消されたし、ACアダプターもこれで当分大丈夫だろう。
 耕運爪は、夕方、造成地にブルーシートをかけたまま置いてあったのを自宅まで乗せて帰り、交換作業をした。中古で我が家に来て以来一度も耕運爪を交換してないので、ナットが錆びついて緩むかどうか心配だったが、事前にKURE5-56を吹き付けておいたらすべて緩んで、順調に交換終了。ついでにオイル交換もしたが、さすが、いつオイル交換したか記憶がないくらいなので排油は真っ黒だった。少しまじめにメンテナンスしなければ。
 これであの雑草だらけだった造成地も畑らしくなるだろう。こちらは昨年借りた場所と地続きだが、途中から土質が変わって、かつて水田だった場所の表土のような、石、砂が無い良い土なので、夏のソバの種まきが楽しみである。住宅が隣り合っていて半分日陰になる東側にはrhubarbの残りの株を植える予定。




 頭の中ではまだ朦朧としていたblue eyesと父親の関係が、この頃だいぶ明瞭になって来た。父親は無知で動物に近い存在である。そういえば母親もブレーキの利かない車みたいな存在である。書くのが難しい。
*memo それが良いことであるか、悪いことであるかは問題ではなく、自分は存在として確信犯でありたいとblue eyesは願っている。
 自分の中ではまだ、「書き通せるのかいな」という思いが強い。
 エイゼンシュテインのモンタージュの理論の全体をもう一度確認したいのだけど、本、あるのだろうか。


 今夜はこの曲

2010年5月26日水曜日

この頃、闇雲に戦闘的

 バッテリー駆動というのは落ちつかないものです。
 夕方、昨夜ACアダプターを注文しておいたネットショップから発送したというメールが着信。明日、到着。早い。
 22日に注文してあった耕運機のロータリーの爪、18本セットも、今日発送して明日配達というメール。
 22日に使用していてふと気づいたが、ロータリーの爪が磨耗して先端の方が細くなっていて、大きめの石にでも当ったら折れてしまいそうなくらいだったので、交換することにしたのだった。
 年間に数日しか使わないにしても、中古でわが家に来て以来一度も交換したことが無かったのだから細くなるはず。しかも、一昨年から借りた造成地は異様に石と砂が多いので、かなり磨耗するのだ。
 先日も書きましたが、この砂と石だらけの畑が、サツマイモ、落花生、カボチャ、ねずみ大根の栽培には最適だと気づきましたので、いったん返したのにまた借りたのでした。というか、早い話がサツマイモとカボチャの好きな母親が言うのでまた借りたんですが。


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 ねずみ大根の花が咲き終わって、種の莢がふくらんで来た。種が採れそう。採種時期の判断がむずかしい。
 



 終刊号を出した際に退会したはずの(個人加盟ではなく同人誌での加盟なので終刊すれば退会が当然なのだが)県内の同人誌の団体から、会報2部と代表者各位という総会案内の文書、会長主宰誌の最新号が送られて来た。何を考えているのか。しかも、代表者各位あての文書に手書きで「お忘れなく。よろしくお願いします」と書き添えられているではないか。
 ??
 終刊号を出した際に各誌代表に退会の挨拶状を同封したら、私の留守中に電話に出た妻に向かって、「規約によって役員会、総会で承認されて入会したのだから、退会も役員会、総会で承認を得なければ認められない」とわめき、神経の細い(?!)妻がすっかり怯えてしまったことを思い出してしまった。留守中だったら再度かけ直しして私に言うべきであろうことを、なぜ、その団体には無縁な妻に向かってわめくのか。その神経と会長としての資質を疑う。
 それにしてもこの添え書き、私に向かって何をお忘れなくなのか、何をよろしくお願いしたいのか、まったく理解出来ない。すでに私はこういう文書を送られる立場に無いのだ。
 しかも、最近出されたはずの作品集の各誌の注文数に退会したH誌とわが誌が2部ずつ注文したと書かれている。そんな注文していませんが。そして、会報の4ページめに加盟誌が記載されているが、そこにはH誌とわが誌の名は印刷されていない。当然であるが、何か、意味不明な印刷物送付である。気味が悪いので、そのままそっくり返送しよう。
 (7月末までに、どんなに下手くそでもいい、何とか自分がイメージしている小説を書こうと決して細くも無く本数も少ない神経を尖らせているこの頃の私ですが、今だったら売られた喧嘩は全部買ってもいいくらい、この頃、闇雲に戦闘的なのであります。て......ぷふっ。威勢がいいのは表向きだけなんですが......




 気分転換






 隣で居眠りをしている同居人にお願いして、さる著名な詩人&ランボー研究者に、例のPoete & Chansonシリーズの一枚であるランボーの詩に曲がつけられたうちの一曲、「L'etoile a pleure rose 」のついての質問を送信してもらったのだったけど、昨夜、返信をいただいた。
 
ランボーの初期詩篇のうち、ヴェルレーヌが筆写した「ランボー詩帖」なるものが存在するのですが、そのなかの一枚、かの有名な「母音」と同じ紙葉に書かれていた詩片です。詩作のモチーフもだいたい「母音」と同じ、あるいは「母音」へのトライアルとして、つまり女体賦というスタイルで色の詩学を展開しようとしたのでしょう。


 そうだったのですか。ヴェルレーヌが筆写した「ランボー詩帖」の、「母音」と同じ紙に書かれていた四行詩だったのですか。そのことが判って、感激です。
 (プロの詩人&ランボー研究者に厚かましくお訊きしてしまって、申し訳ありませんでした)

2010年5月25日火曜日

何の祟りでしょうか

 今夜、パソコンを使用中に、バッテリーの容量低下を知らせる警告が表示された。あれ? 電源はACアダプターのはずだったが、パソコンの電源モニターが消灯していて、バッテリーも5%しか残っていない。ACアダプターのLEDは点灯しているのだけど、パソコンに電源が通じていない。まさかと思って、隣で居眠りしているひとのACアダプタを接続してみると、あれれ、パソコンの電源モニターが点灯するではありませんか。
 ということは、私のACアダプターが壊れたか、断線したかのどちらか。
 つくづく、このパソコンは電源関係に祟られております。バッテリーを新品に換えたら電源が入りにくい現象は解消されてすっかりご機嫌だったのですが、またACアダプターの故障ですか。
 迷うことなく、速攻でネット販売しているACアダプターを探し、オーダーしました。明日発送されて明後日には配達されるでしょう。
 それにしてもこのパソコン、どうしてこんなに電源がらみのトラブルが続くのか。買って一年以内にバッテリーのリコールがあって以来ずっと。
 何の祟りでしょうか。




 運営管理している「デジタル文学館」のメールフォームから、明らかに悪意の悪戯と思える作品推薦があった。
 推薦者は「のはら」とだけあって、所属同人誌も書かれていないし、自己紹介もない。それでいて、名古屋方面のある名の知れた同人誌の同人の方の作品名を推薦しているのだが、いい作品だから推薦するというのではなく、作品の悪い面を書き連ねて、その挙句に「そんなわけで反面教材としてこの作品を推薦します」というのである。しかも、何分か後に別の作品をもう一作、反面教材として推薦して来ている。反面教材などと、何とまあ、ひねて卑しい人物であることか。
 無論、作品推薦のルールに適っていないから返信もしないし、デジタル文学館に推薦作をアップもしないし、完全無視することになる。メール・アドレスは記入されているが、こんな人物に自分のアドレスを教えたくないので一切コンタクトしないつもりでいる。
 不思議なことに「デジタル文学館」のレンタル・サーバーであるFC2のアクセス解析にこの人物の足跡が見つからないのである。足跡を消してアクセスし、メールフォームから悪意の悪戯メールを書き込みする人物......あの変なおじさんにはそんな芸当は出来ないはず。
 いずれにしても、インターネットの匿名性を隠れ蓑にしてこういう悪意を働く者に、私は負けない。




 庭のモミジに作った巣に雌鳩が終日いるようになった。ということは産卵したのだろうが、巣作りの際にはあれだけうろちょろしていた雄鳩の姿がさっぱり見えないので心配だ。




 山で探そうと思って、庭先に行者にんにくを植えている従姉の家に行き、その姿形を目に焼き付けてきた。
 従姉いわく、「うちの庭じゃちっとも増えないし、にんにくと同じくらい臭いから食べない」
 そうですか。
 しかし、意外な場所でポリポット植えの行者にんにくの苗を8本ほど入手。




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 明日はわが家の自家用米水田のお田植え。といってもT屋さんの乗用田植え機で植えていただくので、私は畦に立っていて苗の補給の時だけ手を出すだけなのですが、夕方、こうして苗を水田に運んでおきました。
 午後、T中さん来宅。今月はお互いに仕事に忙殺の身の上だが、来月になったら山蕗を採りに行こうねって、うちの母親にささやいていた。恐るべし、ばあさん。



2010年5月24日月曜日

こんなRussian Dance

 終日、雨。傘を差して、畑のオヤマボクチの、この春発芽した実生を移植鏝で抜いて持ち帰り、プラグトレイ1枚とポリポット10個ほどに移植。
 もはや必要ないのだが、雨が上がれば雑草と共に削られてしまう運命にあるので救出。もう少し大きくしておいて山に帰そう。
 一昨年と昨年に畑に植えたオヤマボクチもこのところぐんぐん葉を大きくしている。オヤマボクチ蕎麦を断念した今となってはあの根気を必要とする精製作業をする気にもならず、無用の長物であるのだけど、さて。

 モミジの木の鳩、雌は終日、巣に座ったまま動かず。産卵したのか。雄の姿は昨日も今日も見ていない。今日は鳩の可愛い目を見ていて「鳩が豆鉄砲をくらった顔」というのを想起してしまい、思わず噴きだしてしまった。




 

2010年5月23日日曜日

お静かに

 巣作りの途中でうるさいので他所に引っ越してしまったかと思った鳩の雌が、夕方や朝にはちょこんと巣の上に、南を向いて座っている。まだ産卵前なのか、日中はどこかへ出かけている模様。出来るだけ静かにしてあげたいところですが、あいにくと、そのモミジの木の下をわが家の自動車が道路へ出るために通過します。お静かに。

 新たに借りた造成地数区画分を初めて耕起。ディーゼル・エンジン・8馬力なので何とか、枯れた草や多年生の雑草の根まで耕起できて、少しは畑らしい姿に生まれ変わった。途中、地主のKさん夫妻が通りかかって、あいさつと話しをする。買い物へ行く途中、奥さんが先日他の区画に散布した除草剤の効果を見に立ち寄ったらしい。グリホサート系の除草剤は葉から吸収された薬剤が根まで降りていって、それから枯れてくるので、効果発現に時間がかかります。
 私が何区画分か作ることになったので、草退治に追われる面積が減って喜んでいる。土地も、有り過ぎると維持管理が大変である。遺産として農地を受け継いでも耕作も維持管理もできないひとが増えている。
 かつてのように小作料を取るよりも、むしろ管理料をあべこべに払う時代が来るかもしれない。ちなみに私が借りた場所は小作料、賃貸料は無しにして下さいと、反対にお願いされた。




 昨年秋にアメリカの農場から購入したGigandes Giant White Lima Beansの種を思い出した。
 播種時期が判らないので検索してみたが、日本のサイトでは見つからない。6月に入ってからだろうとは思うが、播種時期によって収量に差があるようだ。
 模様のあるクリスマス・ライマ・ビーンズの方は母親が担当なので、いつでも播けるように、すでにパイプ支柱を立て、ネットを張ってある。白いGiant Lima Beansの方は私が勝手に播いてみます。
 ライマ・ビーンズにはシアン化合物が含まれる系統があるらしく、地元の大学の農学部では販売したライマビーンズを回収したらしい。加熱すれればシアン化合物は分解されるという情報もあり、煮豆は煮立ったらいったん茹でこぼしてお湯を取り替えてから煮込めばいいだろう。アメリカでは市販されているのだし。



2010年5月22日土曜日

鉱物>植物>動物>人間

 早朝、Saint Drift種の苗を最後の一通りに植え、少し半端に余っている場所にUnisonous Tragedy種を16本定植。これで、この菜園で植えられる場所はすべて埋めた。昨年のSaint Drift種の生き残り、27株、今年一回目播種のSaint Drift種141本、UT種16本、合計で184。
 正気の沙汰ではないが、まだ4/19に播種、5/19にポリポットに仮植したSD種が245/600あり、なおかつ成育は遅く茎が太くて短く、なかなか立ち上がらないUnisonous Tragedy種も2回分で百数十ポット残っている。
 あとは、新たに借りた近くの草ぼうぼうの造成地に植えて観察と選抜を続行。残る土地にはソバを播くつもり。ここは共同栽培ではないから自分の考えを試すことができる。



 
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 庭のモミジの木につがいの鳩が巣作りを始めたと思ったら、午後にはどこかへ行ってしまった、残念。小猫といい鳩といい、やはり動物が苦手なのを見抜かれているらしい。隣の豪邸には燕が巣を作っている。




 どうもしかし、唯我独尊な方は苦手だなあ。最初から自分の方が偉いと思って物を言うのだから始末に終えない。
 そういえば、同じく唯我独尊な掲示板宣伝書き込みおじさん、3日ほど前に「読む書くネット」に足跡が残っていた。
 私の怒った文章、読んで帰った? もう、来ないで下さいませ。




 小説は、まだ6月7月と二ヶ月あるなどど都合のいい解釈をして停滞。
 これで書けなかったらみずからを永久追放しなければならない(と、どんどん自分を追い込む)。
 相変わらず、ランボーの四行詩に曲が付けられた「 L'etoile a pleure Rose」を聴き続ける。
 小説にも、主人公の愛聴歌としてこの歌を出す予定。主人公はハンドル・ネームblue eyes =青木瞳という名の女性であるだけど、彼女はまさにフロベールの「マダム・ボバリーは私だ」同様に、「青木瞳は私なのだ」。
 そういえば、フロベールの「ブヴァールとペキュシェ」もまだ読了していなくて、上巻の150頁で止まったままだった。この愚にもつかぬことに熱中するブヴァールとペキュシェもまた私なのだ。

2010年5月21日金曜日

忸怩と断腸

 一昨日、県内のある同人誌を送って下さったAさんに、お礼の手紙を手書きで書こうとしたが、情けないことに長いこと使わない万年筆が使用不可能で、あっさり手書きを断念、一太郎で書いた。手書き派のAさんには手書きで返事を書きたかったのに。
 すでに45号で同人誌を終刊し、県内の同人誌の団体を退会したので、そのどこからも雑誌は送られて来ないのだが、こうしてAさんに個人的に送っていただいて読むことができるのは本当にありがたいこと。
 相互批評も期待できず、ただ年に一度の総会と懇親会しか望めない団体に未練は無いが、AさんやNさん、K氏やS君などと酒を酌み交わせなくなってしまったことには忸怩とせざるを得ない。


 それから、水面下でひそかに決定したかに思えた新しい雑誌の誌名について、ある同人の方から異論が出て、別の誌名が提案された。それは終刊した同人誌のイメージを引き継ぐような円環をイメージしたものはあるが、私としては終刊した同人誌にはすでに未練はなく、新たに、もう後がないとも言える人生後半で、もう一度、小説を書くこと・文芸誌を編集発行することに戦闘的に挑みたいと思って新しい誌名を提案したのだったが、どうもこの方にはそれが理解されないらしい。
 この方、確かに書かれる作品は優れているのだけど、少し天上天下唯我独尊なキャラクターであって、この方のために実はひとりの同人を失っている。その方の退会届を私は素直に受け取ってしまったのだけれど、後日、その方から退会を後悔するメールを頂戴して、胸が傷み、忸怩たる思いと断腸の思いの二乗に苛まれてしまった。

 文芸同人誌はプロの作品を掲載する場では断じてなく、八十歳を過ぎてもなお創作に打ち込む、技術的には下手であっても自分が書きたいことを真摯に書こうとするアマチュアの作品を掲載する場なのです。
 自分の文学観に合わない作品だからといって安易に否定しさる姿勢など、天上天下唯我独尊的偏狭に過ぎないのです。

 

2010年5月20日木曜日

アントシアニンVSクロロフィル

午後、雨が降ったので、これぞ自営業の強みとばかりに仕事から趣味の園芸へとスイッチング。4/17播種の最後のSD(Saint Drift)種をポリポットに仮植。結果は245/600とやはり選抜が甘い感じがするが、気温20℃前後なのでアントシアニン生成に適切な気温のためか、結構みな赤味が強く選別できないのだ。これが25℃を超えればクロロフィル生成が活発になって緑が強くなるのだろう。
 また最近畑に植えた苗の観察からは、ポリポットに仮植されたものがある程度成長して、ポット内に根が回った状態で栄養が吸収しにくい飢餓状況になれば、アントシアニン生成が活発になるような気もするが、科学的根拠はない。先日植えたものも茎ばかりでなく葉まで赤く、秋の色をしている。
 
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 が、これとても、発根を始め、夏に向かって栄養性成長が活発になればクロロフィル生成が多くなり、また緑色になってしまうのであろうなあ。がっかりである。やはり常温で赤いという株を発見するというのは至難なことである。6月初めと10月終わりころの気温に俟つほかはないか。

 UT種(Unisonous Tragedy)については、まだ成長が遅く、定植できる大きさになったものはわずかに7~8株。ほかは相変わらず地にへばりついたような格好で茎が立ち上がって来ない。これでも実用品種になるのだろうか。
 どちらも、最終的には圃場に植えて一年間観察しなければ判らない。気が遠くなるような話であって、われながら物好きなこと。

 それにしても、昨年播種して植えたSD種の半数以上が越冬できずに消えてしまった、その原因が不明なのが少し脅威。
 可能性として考えられるのは、「1・種の発見購入播種が6月と遅く、そのために株が越冬に必要なだけの大きさにならなかった」(しかし、寒さには相当強い植物であるはずなので寒さで枯れるというのは想定しにくい)、「2・インターネット上の資料で有機質をたくさん施すようにと書かれていたので、狭い場所に多めに有機質を入れた。それが悪い影響を及ぼした」、「3・緯度の異なる国から送られてきて、気候に対する感覚の撹乱で枯れた」
 春になって芽が出ない株の根を抜いてみたところ、根そのものは腐敗していないが、発芽する成長点そのものが腐敗していたので、可能性としていちばん考えられるのは「2」。あるいは夏の乾燥防止に株の周囲に稲藁を敷きつめたものを、そのままにして冬越しをした。その藁が成長点を腐敗させた。
 これも来年春には判明するだろう。 

2010年5月19日水曜日

肉体労働派宣言

 土日が激務なのでついリポビタンDゴールドなるカフェイン入りのドリンク剤を二日続けて飲んだら、滅多にこういうものを飲まないので効果抜群で、バリバリ仕事と趣味の園芸をこなすことが出来たが、昨日(月曜)に飲まないでいたら、眠いわ、疲れがどっと出るわで撃沈、爆睡。やはり、こういうものは飲まない方がよろしいようです。

 といいつつ、今朝も5時に起きて趣味の園芸。Rhubarb、SD(Saint DraftではなくSaint Drift)を50本ととうもろこし30本を植え、さらにちょっと邪魔なホース・ラディッシュ(わさび大根)を、別の場所、竹薮の近く、に植え替え。

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これも亡き兄がどこかから持ってきて、勝手にわが家の畑に植えた一株が、種がこぼれて実生で生えたものや、株分けしたものなど、結構10株くらいに増えた。初代の株が大きいので4つに株分けしたら、どこにも所属しない切れた根ができてしまったので、自宅に持ち帰って洗って冷蔵庫に保管した。カナダのN君の話では、あちらではローストビーフだったか、肉料理に使うらしい。日本のワサビよりえげつなく(品なく)辛い。昔栽培した北海道では野生化したものが山に生えているらしい。

 それからまた仕事をして、夕方、一時間ほど例の宅地だか農地だか判らない区画、(正確には宅地として造成工事されているのだが、税金対策上、地目は農地=畑ということなのだろう)、の草刈。。やはり、まったく草を刈らずに耕すというのには無理がある。
 ただし近くに新築の住宅が数軒あるので、その草を燃やすことは出来ない。

 それにしても、何て肉体労働向きなのだろう。小説を書くような頭脳労働よりずっと適しているらしい。編集作業も肉体労働だし、小説だって頭脳労働のような、肉体労働のような。
 もう肉体労働派宣言してしまった方がよろしような気がします。あ、原稿ファイル、幾日開いていないんだろう......(ーー;)
 主人公のイメージははっきりしていて崩れないから、いいか。

2010年5月17日月曜日

趣味の域を逸脱

 日中は忙しいので、午前5:30より7:00までrhubarb40株、二通りを植えたり、以前からある株の花茎の切り取りなどを行なう。切っても切ってもこの花茎が出てくるが、株によって花茎の出方に相当の差がある。ほとんど花茎が出ない株もある。種子生産をするのではないから、あまり花茎の多い株は株分けの対象にしない方がいいだろう。

100516nezumidaikon_hana2.jpg 昨年返還した畑(実は宅地分譲地の区画)をまた借りることになって、夕方、そこを耕起した。排水の悪い中央は作物を作らないことにしたが、排水の良い場所も砂混じり、小石混じりで普通の作物は栽培できないが、落花生、サツマイモ、カボチャなど、いわゆる痩せ地でも栽培できる「救荒作物」の出来栄えは良かった。
 そういえば、昨年栽培したねずみ大根のあまりに小さくて抜かなかった株が花盛りだった。
 ひょっとすると種が採れるかもしれない。
 この辛味大根もあまり肥沃な土ではなく、むしろ砂、石混じりの痩せ地の方が適しているらしいので、ここに向いているのかもしれない。
100516nezumidaikon_hana.jpg その北側の、ソバを栽培する予定で新たに借りることになった荒地となっている3区画分に耕運機を突入させてみた。三年の間に茂った雑草を刈って片付けなければいけないと思っていたが、結構耕運できた。ソバを播種するまでに3回くらい耕運すれば雑草もみな鋤きこまれ、堆肥化してしまいそうなので、草刈は周囲だけにすることにした。
 どうも、趣味の域を逸脱してしまっています。

 先日書いた、生まれたての子猫たち。昨日、朝は姿が見えたんですが、午後には居なくなっていました。日が当たると暑くなる場所だったので、母猫が移動させたのだと思います。育児放棄されていなかったので、安堵しました。

2010年5月16日日曜日

別人のように頭の回転が良くなる

 デジタル文学館に久しぶり(ほぼ一年ぶり)に作品をアップした。
 こういうウェブサイトを始めてみて、いちばんの悩みは推薦者が増えないことである。固定した推薦者では必ず偏りがあるし、できれば多くの方々に推薦者として名を連ねていただきたいのだが、それがなかなか無い。推薦者として自分の名前が公開されるのが嫌なのだろうか?
 もう少し、文芸同人誌の編集発行をされている皆様に、デジタルとアナログの双方の手段を使ってデジタル文学館をアピールすべきなのだけど。





 一昨年はオヤマボクチを、昨年はソバを栽培してはみたものの、本来の畑ではなく、住宅地として造成された土地であり、排水が良くないのと石の多さに辟易して二年で地主に返還した畑。その北側に同じ地主さんの土地だが、土質が違うのではないと思われる場所があって、それを確認しようと仕事帰りに寄り道したら、出来すぎたシンクロニシティだがそこに地主さんの奥さんが来られていた。
 やはり土質が異なり、小石は見当たらないので、その場でここを貸して下さいとお願いした。草退治に閉口している地主さんなので、即刻OKが出た。実はこの奥さんとは以前区の民生児童委員をいっしょに務めた間柄なので、断られるはずもないのですが。

 昨年Tさんとソバを共同栽培した畑のほぼ半分に、Tさんが西瓜を植えてしまったので、そば栽培面積も半減してしまったし、共同栽培では自分の考え通りに出来ない不自由さもあり、どこかに借りられる畑はないものかと考えていたが、遠い場所よりこの家から車で2分という条件が何よりの魅力。
 宅地の三軒分、200坪くらいあるだろうか。三年位放置されてきたので草ぼうぼうだが、それは何とか時間をかけて退治すればいい。
 1/100くらいに選抜するはずだったrhubarbが、選抜が甘いといえば甘いのだろうけど100/300くらいの割合で残ってしまい、現在借りている家庭菜園だけでは植える場所が足りないのがはっきりして来た。栴檀は双葉より芳ばしというが、この植物は双葉や育苗中の観察だけではその形質を捉えきることが出来ず、実際に畑に植えて一年観察してみなければ判断がつかない。赤かと思えば緑、太いかと思えば細い、長いかと思えば短い。そういった、ほとんど野生種に近い先祖帰りに悩まされる。
 それをそこに植えてみて、余る場所にはソバを播いてみようと、またまたよからぬ算段。
 小説を書こうとしてもさっぱり動き出さないのに、こういうことになると別人のように頭の回転が良くなるのがなんとも不思議。

2010年5月15日土曜日

人間の姿が見えない風景

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   (画像クリックで拡大表示されます)

 仕事で、県境に近い、そこより先に人家のない村に久しぶりに行った。
 先日峠を越えて来られた絲山さんが気に入られたのも、こんな集落なのだろうなと勝手に類推。
 道路の左右に広がる山国の遅い春。
 秋の錦なす紅葉にも似て非なるその柔らかな緑色のグラディエーション。
 落葉松の濃い緑に、雑木の薄く柔らかな薄緑に、山桜の薄桃色。
 人間の姿が見えない風景がこんなに美しいなんて。
 やはり私は、悲しいけれど生き物より植物が好きなのだなあ。

2010年5月14日金曜日

コゴミと変なおじさんと子猫たち

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 ねえねえお母さん、
 おとうさんはどこへ行っちゃったの?  おとうさんはいつだって孤独さ。




 昨夜23:46に、「書くひと=読むひとネット」の方に、その連携ウェブの掲示板の方でトラブルになっている当の相手の自称評論家から二つコメントを入れられた。ひとつはある雑誌をなぜか持ち上げているコメントで、もうひとつは自分のところには一年500も同人誌が送られてくるなどという法螺吹きコメントであった。
 この御仁、向こうの掲示板でトラブった当の相手である私が「書くひと=読むひとネット」の管理運営者であることを知らずに書き込んだらしい。間抜けである。この男は常日頃から自分の名前をYahoo検索して、ヒットした記事を確認して回っており、昨夜もまたその中にたまたま過去にコメントを入れたことのある、「書くひと=読むひとネット」の記事があったが、クリックしてみたら表示されない。それはそうである。トラブルが表面化した時に、彼のコメントは私が全て削除してしまったので、表示されるはずもない。
 そこで、この似非評論家は懲りずにまた偉そうな自己宣伝コメントを書き込んで遁走した。そこが誰が運営しているウェブかも知らずにである。
 どうもこのうさんくさい男は「自分の名前検索」という怪しい作業で自分が悪口を言われていないか検索しているのか、誉められていないかと検索しているらしいが、いかにもうさんくさい行為ではある。一流の評論家だったら、そんなけちな真似は決してしない。
 それはどうでもいいとして、誰にも相手にされないせいか、あちこちの文学ウェブの掲示板やブログに自己宣伝コメントを入れて回ることに生きがいを感じ、命をかけているらしい。
 そして、あまりに自己宣伝コメントを入れることのみに性急で、そのウェブがどんなウェブであるかもあまり見ていないのである。だからいつだって書き込みやコメントが浮いてしまっているのである。
 と思っていたら、今日はまた九州のA森さんのウェブのリンク集をたどって私の文学サイトの方に侵入して来て、図々しくもこちらのリンク集までのぞいているではありませんか。飽きれました。どこまでも自分がしていることの意味を知らず、懲りないおじさんであります。
 ひょっとすると脳細胞が壊れているのかもしれない。こんなおじさんを相手にしていたらこちらの頭も腐ってしまいそうなので、今夜以降は完全無視いたします。




 私が仕事に使っているある場所に、にゃんと子猫が3匹産み落とされていた。きゃ~。白と黒、白、黒がうごめいているではありませんか。まだ目も開いておりません。母猫は居たり居なかったり。
 実は私、植物や鉱物は好きなのですが、動物は人間も含めて大の苦手なのです。生まれたての子猫を手にして場所を移動させることも出来ない。触ることが出来ないのですよ。変なおじさんなんかちっとも怖くないけど、子猫に触れないのです。ウァーン・゚・(ノД`)ヽ(゚Д゚ )ナクナ
 仕方ない。母猫が首をくわえてどこかに引越ししてくれる日まで、そうっと刺激しないようにしておりましょう。




 わ、もう「馬車がカボチャに御者がネズミに戻ってしまう時刻」になってしまいました。皆様、おやすみなさい。

2010年5月13日木曜日

マンネリですが

「あなた、微妙に体をよじらせて私を避けていない?」
「そ、そんな......」

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 マンネリですが、例年おなじみの「コゴミ一家物語」。しかし、携帯カメラだったのでピントがずれてしまった。後日、撮り直し。




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100512SD.jpg 100512UT.jpg

 左SD、右UT。ずいぶんの形質の差。SDは葉にまでアントシアニンの色が出ている。UTは茎は赤いのだが、あいかわらずのずんぐりむっくりで、これでも伸びるのだろうか。多分、晩生種なのだろう。短気になって処分しないで、じっくり観察を続けよう。
 寒気で3日ほど危なそうなので、夕方、先に植えたSD二十数株を稲藁を使って霜除け。




 

 ヘンなおじさんが、自分の書き込みを自分で削除してしまったらしい。証拠隠滅を図ったようだ。
 Googleのキャッシュで当該のページがみつかったので、念のため、そのままウェブページ保存しておいた。

2010年5月12日水曜日

危ない幻視、幻聴

 管理運営しているウェブサイトにアップしている小説を読まれた方から、PDFファイル作成についてのいくつかの質問を、メッセージ・ボックスからのメールでいただいた。
 早速返信したが、相手の方の名前と質問だけで、自己紹介はともかく、肝心のPDF作成ソフト、それ以前の文書の作成ソフトなどが書かれていないので、正確な返信が書けない。
 先ずは、私が作成したPDFファイルのサイズが、ご自分が作成されるものより小さいことに触れ、どんなソフトでどんな方法でファイルサイズを小さくしているか、という質問だが、これに答えるにも、相手の方がどんなPDF作成ソフトを使っているかが判らなければ返答しようがない。
 また、PDFファイルが見開き2頁で表示がされているが、どのようにして2頁をPDF化されているかという質問。これはPDF作成の方法やソフトの問題ではなく、Wordなり一太郎なりExcelといったアプリケーションでの「ページ設定」や「文書のスタイル」の設定で見開き2頁に設定しているのだから、やはり、どんなアプリケーション・ソフトを使っているか、教えてもらわなければ、解りやすい説明が出来ない。
 つまり、通常の自己紹介など省かれても構わないが、どういうソフトを使ってPDFファイルを作成しようとしているのか、そういった質問者側の情報が隠されていては、実は答えようがないのだ。
 メールの文章もしっかりされているこの方を非難するのでは決してないが、一般的には、ネット上では、こういう風に、自分に関する情報はマスキングしておいて、自分が必要な情報だけを要求して来ることが多い。
 いつだったかもE・ムンクの「α & ω」について問い合わせがあったので、自分で訳した怪しい翻訳をPDFを添付ファイルとして返信したのだったが、その後、読んだともありがとうとも返信はなかった。

 こんなことを考えていると、ネット上で無数の方とつながっているような、つながっていないような、暗い虚空に自分ひとりが浮遊しているイメージをたまたま見てしまう。電話線の向こうから微かにアリアが聴こえて来たりして、危ない幻視、幻聴である。
 Helmut Walchaの、J.S.Bach Organ Works (Disc 1)と、Kurt Redel; Pro Arte OrchestraのMusikalisches opfer BWV1079を聴く。後者のCanon perpétuelは私の葬儀で流して欲しい曲と配偶者に言ったことがある。そしたら、あら、密葬でいいって言ったじゃない、って。無論、近親者だけの密葬でいいのですが、密葬で音楽をかけてはいけないということはないでしょう。演奏時間、たったの1分23秒だし、お願いしますだ。無論、他の指揮者やオーケストラではダメで、このKurt Redel; Pro Arte Orchestraでなければなりません、奥様。




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 弟が母に贈ったFairy eyeだが、日当たりの悪い部屋に置かれていたためにずいぶんピンク色があせてしまった。これではほとんど白のハイランドジアではないか。




 この頃、「マダム・ボヴァリーは私だ」という、フロベールの有名な言葉を思い出してならない。今、私が苦しんで書こうとしている主人公は女性であるのだが、この異様にいびつな女性は、実は言葉の鏡に映っている私にすぎないのだ。こんなネガティブな小説をひとさまに読ませる訳にはいかない。そう思うと忽ち、いつもそうなのだが、この原稿ファイルを廃棄したい誘惑に駆られてしまう。

 そういえばまだ『感情教育』を読んでいないのだけど、何と言っても『ブヴァールとペキュシェ』の方が大人の小説だ。

2010年5月11日火曜日

ずいぶんあやしい独り言

 今月初めに、これとあれについては今後は非公開記事にすると書いたばかりだが......。

100509oyamabokuchi_misyo.jpg 昨日、こぼれたオヤマボクチの種が発芽したものを足元に発見。よく見回すと、雑草ではなく実生の双葉や本葉二枚くらいのものがそこかしこに生えている。これを使った蕎麦がおいしくないと判ったのですっかり栽培熱は冷めてしまったのだけど、こういうかわいい実生をみると、つい、雑草のように削り取ることに心理的抵抗を覚えてしまう。いつもの種まきおじさんの習性で、ポリポットに植えて育成したくなる。これは病的に植物の赤ちゃんフェチである。
 ただし、母親が目の敵にしていて、こんな何の役にも立たないものは抜いてしまえばいいと言っているので、畑に植えることは出来ない。植え頃になったら山に返すという方法もある。

 そういえば、一瞬ひやっとした検索用語で来られた方も来なくなったらしいので書くのだが、昨日、忙しい仕事の間を縫って菜園に出動、ミニカルチに培土器をつけてrhubarbを植えるための畝を5通り作った。それ以前に、昨年の生き残りを移植したものと今年播種したものをあわせて植えた2通りを足すと7通り。1通り21株植えられたので、7×21=147株植えられる計算。
 とんでもない数字だが、1/100くらいのパーセンテージで選抜する予定が、実際には115/600だったので、選抜が甘いといえば甘いのだが、もう一度取り寄せた種子を播いたものも600粒播種してあるので、もう少し選抜を厳しくしないと植える場所が足りなくなりそう。
 傍目からみると正気の沙汰ではないかもしれないが、苗の状態ではまだ判断がつかないので、どうしても実際に植えてみて四季の生育の変遷を観察しなければ、最終的に残すべきものか捨てるべきものか、判断がつかない。
 ただし、最終的には、このなかでひと株でも自分がイメージしている株が見つかればいい。


2010年5月10日月曜日

双子池から白駒の池あたり

 カナダのN君からメール。どうやらあちらでも寒暖の差が激しいらしい。
 Rhubarbが自家受粉か他家授粉かと、難しいことを訊いて来る。本気で採種するつもりらしい。
 それから、行者ニンニクの醤油漬けを作ったという話。あれ? 自然の植物を採取すると罰金を科せられたり、不法侵入罪で逮捕されるといっていたのに......デジカメを首にぶら下げて、採取したらしい。そういえば、数年前にワサビを探しに山へ通った時に、私も同じカモフラージュをした。ひとに遭ったら写真を撮りに来ているようなそぶりをする。実にあさはかだが、人間というのは似たようなことを考えるものである。
 一昨年だったか、親戚の庭で採取してあげた行者ニンニクの種の方は、20本くらい発芽したというが、半日陰でなく日当たりの良い場所だったので発芽率が良くなかったという。
 6月になったら、山へ行く時間も出来るので、気をつけて周囲を観察して実物を探してみよう。採取が目的ではないが、探すという目的があると、山行きも結構楽しくなる。山の斜面を下ったり、上ったり、汗びっしょりになるが、いい運動です。
 昨年夏には大河原峠へドライブしたが、この夏はもっと北八ヶ岳周辺の原生林を歩き回りたいので、山歩き用の靴を入手したい。先ずは双子池から白駒の池あたり? 懐かしい。



2010年5月9日日曜日

妙な家訓

  わが家には妙な家訓がふたつある。
 ひとつは、
 「たとえ親兄弟でも保証印は押すな」
 もうひとつは、
 「道理を理解しないバカと同じ土俵には上がるな」

 ご先祖様、申し訳ありません。
 今日、セルフコントロールが利かずに、ご先祖様が忌み嫌ってやまなかった「バカ」と同じ土俵に上がってしまいまちた。
 ウァーン・゚・(ノД`)ヽ(゚Д゚ ) ナクナ ミグルシイ!!

      (相変わらず、われながら臭い自演ではあります)

2010年5月8日土曜日

その八重桜の来歴

 畑の隅のワラビとコゴミが顔を出し始めた。
 ワラビはすでに一握りほどを二回採取。昨日は細いうどんでワラビ、油揚げあどを具に「お煮掛けうどん」でいただいた。わが家はなぜか昔からワラビが入手できると必ず「お煮掛けうどん」と決まっている。具を煮た醤油味の汁が入った鍋に一人前のうどんを入れた「投(とう)じ籠」を入れてしばし温め、それを丼に移し、具と汁を入れる。簡単なうどんだが、なぜかおいしい。他所では「投じ蕎麦」というものもあるらしい。これも、この秋には試してみたい。

 春の遅い標高700mの高地でも桜の季節は終わったが、わが家が借りている畑の外側にまだ植えて4年くらいの八重桜が咲いた。花芽が少なく、咲いたというほどではないが着いただけの花芽はみな満開になった。今日、そばに寄って観察してみると、塩漬けにされる八重桜そっくりなので、来年あたりは塩漬けに出来るかな? と、不穏な考えが脳裡に浮かんだ。
 この八重桜、実は一昨年肺ガンで亡くなった兄がどこからか買って来て、勝手にわが家の畑に植えたものであったが、借りている畑に木を植える訳にはいかないからと、私が畑の外側に続く公園の土手に植え替えたものである。私と母以外はその桜がそこにある由縁を知らない。いつか、兄の子供たちには教えてやりたいと思うが、彼らはこの地を離れて生活しており、その機会がやって来るかどうか。
 その八重桜の来歴などは私の記憶の中にだけあればいいのかもしれない。

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2010年5月7日金曜日

恐怖の種まきおじさん、落花生篇

 寒暖の差が激しくて、人間まで参ってしまいそうな3日間だった。
 ここ数年、「千葉半立」という落花生を三十株ほど栽培して、それを塩水で茹で落花生にして冷凍庫で保存し、何かひとが集まる機会に解凍して出すと好評なので、今年も栽培することにしたが、この「千葉半立」がなぜか非常に発芽が悪く、しかも揃わない品種なので、畑に直播きではなくポリポットに播いて発芽させ、育苗して植えてみようとした。
 そこにたまたま、昨年秋に落花生の本場に住む弟がやはり栽培して送ってくれた「ナカデユタカ」という落花生を種用として少し残してあったので、それもいっしょに播種してみた。
 そしたら驚いたことに、その「ナカデユタカ」の発芽率の良さ、発芽揃いの良さ。ほぼ100%の発芽率だし、生育も気持ちいいくらいに揃っている。(写真を撮ればよかった)
 まだ遅霜が心配なので植え出しだできないが、その収穫が楽しみだ。ナカデ(中手)というからには早生種ではなく中生種なのだろうけど。




 しかし主な人物がふたりだけ、しかもひとりは存在するんだかしないんだか判らない人物というのは、思ったよりきつい。
 普通にストーリーに乗った小説を書いた方が楽なのだろうけど、それは小説じゃなくて物語りに過ぎないのだし......どうしたらいいの(泣)。

2010年5月5日水曜日

非力の証明

 さるH氏受賞詩人が、この頃、写真と詩のコラボレーションにはまっておられる。本来、詩は言葉だけで書かれるものであるから、写真と詩のコラボレーションというのは邪道である。
 と書いてダイレクトに、自分が書こうとしている小説に強く跳ね返らざるを得ない。
 小説もまた言葉だけで書かれるべきであるのに、私は音楽と言葉をコラボレートしようとしている。それは、言葉だけで表現できない、物書きとしての非力の証明でしかないのだ、と思い知りつつも書くのをやめない依怙地。




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 長年、枯れもせず咲きもしなかった「かぐや姫」が、花数は少ないもののこれまでになく咲いた。これは株分けした方で、親株は咲いても花数がずっと少なく、元気がない。

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他者になりきるための儀式

 例の試聴サイトへ行ってEnyaを検索したら、重複しているアルバムをふくめて26枚。2001年の「The celts」だけは持っているが、他のアルバムは聴いたことがなかったので少し試聴してみた。
 どうもしかし、パソコンにつないでいるロジクールのZ4のバス・コントロールが利きすぎるので、かなり絞って聴いている。



 飽きもせず聴き続けているこのオルガン曲をボリュームを上げて聴くと、あばら家の建具がビリビリ響いてしまうくらい重低音が利く。もともと重低音用のサブ・ウーファーが売り物なのだから仕方ないのだけど、骨壷を収める箱と同じくらいの大きさなので机の上には置けない。仕方なく足元に置いているが、ほんとうはもう少し高い位置の方がいい。
 
 そうそう、この曲も小説の中に登場するかもしれない。といって私小説ではありません。
 そうか、小説を書くという行為は、私にとっては他者になりきるための儀式なのかもしれない。
 それだけ、私は私でありたくないのだ。
 (なるほど)
 (自分で得心してしまって、どうする?)


2010年5月4日火曜日

言い訳

 この頃どうも動きにくいと思ったら、ベルトが緩い。切り詰める方式ではないため、内側2cmの場所に穴を開けた。しかしまだ緩いのでもうひとつ穴を開けた。合計4cm。そんなに痩せた気はしないが、ベルトがきつくなったよりはまし。

 忙しくて読む、書く、すべて停止しているが、頭の中では停止しないように考えている。人物のイメージを膨らますこと。といっても相手の人物は声だけの存在になるかもしれず、その姿などを描写する必要はなくなるかもしれない。あまりリアルな存在でなく、信じがたい存在でいいのだ。合理的で辻褄の合う小説を書きたいのではないのだから(これは言い訳か......)。



2010年5月3日月曜日

インドメタシン様々

 昨年、共同栽培したソバ畑はTさんが別の地主から借りているものだが、Tさんがその半分ほどに別の作物を栽培することになった。残る面積を共同栽培するのか、Tさんが単独でソバを栽培するのか、Tさんがまだ何も言わない。
 ということで、共同栽培をやめてほかに空いている畑を借りて単独栽培すべきかと考え始めている。共同栽培というのはむずかしいもので、栽培の方法など意見が食い違うことがあり、どちらの意見が通るかで栽培結果も異なってくる。
 不耕作の畑は多いので、どなたかに借りて単独栽培に戻ろうか。ただしソバしか栽培しないのであまり多くの年貢は払えないのです。




 とうとう、久しぶりに、肩甲骨横の膏肓のあたりが凝り固まって極端に血の巡りが悪くなり、肩、首まで痛みが上ってきた。温湿布、経皮吸収型鎮痛消炎プラスター剤、インドメタシン塗布剤などを投入。今回はいちばん効くのはインドメタシン塗布剤で、ほかは張った部分が痒くなるだけ。
 今月は仕事に追われてダメだが、来月、再来月ふた月でまじめに書き通さなければならないので、体調は最高の状態を維持しなければならない。
 そうでなくても、体力で押して書くだけのへぼな書き手なのだから、体調を崩しては半頁も書けない。まさにインドメタシン様々です。

 題名も新しい筆名も決まっていて、ある程度作品の流れも決まっているのだけど、書くという行為の要は先ず細部の描写にあり、これはその時その時の体力、気力、思考のあり方、感性の活動の仕方などを総合した一種の生の呼吸に近く、いつでも書けるものではなく、その時しか書けない性質のものである。
 詩人は言葉という名の刃でもって一瞬の居合い斬りをするけど、散文で小説を書く者はそんなに切れてはいけない刃=言葉で延々&奄々と総体を描写しなければならないのです。
 などと、えらそうに~~ね 凹 (ーー;)

 これが書けたら死んでもいいのだけど、また無惨な結果に終わるのだろう。
 ああ、早く、宮沢賢治のように「下の畑にいます」という掲示を置いて雲隠れしたいものです。




 オヤマボクチとルバーブについて、個人的な研究記録として記事を別記事にし、非公開にすることにしました。種の問題を突きつめてゆくと、非常にデリケートな問題にも直面します。
 大袈裟に言えば国家間の戦略になる場合さえあるのですから、個人的戦略として公開できないことも生じて来ます。
  
 ということで、昨日のように、記事が無い日は非公開記事しか書かなかったということになります。オヤマボクチとルバーブについて検索で来られてウォッチングされている方、申し訳ありません。


2010年5月1日土曜日

私は羊ではないし...執事でもないのだけど.

 隣でうたた寝しているひとが、オリヴィエ・メシアン作曲、アナトール・ウゴルスキー演奏(ピアノ)の「鳥のカタログ」を聴きたいので探してと言い置いて、たちまち爆睡してしまいまちた。
 さるCMではありませんが、私はあなたの羊ではないし、執事でもありません。
 けれども悲しい性(さが)で、自動的に指が動いて検索開始(泣)。
 中古CDでも5400円です。
 まてよ、と思って例の試聴サイトに行って検索したら、ありまちた。
 3枚組だから5400円でも1枚1800円。なるほど、そんなに高くはないことになります。
 同じ家の中で時々妻にメールするのはヘンですが、URLを送信してクリックしてもらう方が早いので、メールいたしました。お気に入りに入れておいて、いつでも好きにお聴き下さい。





 原稿ファイルを開いても脳は動かず。
 しかし、小説の章ごとに音楽を立てるにしても著作権問題があるので、著作権切れ以外の曲については歌詞も音符も表示できないのがネック。
 歌詞と音符を表示せずに、言葉で表現、あるいは描写できる? 難しい!!