2009年12月30日水曜日

桐の生舟

09122910warisoba.jpg  山へ松の枝を採りに行っただけで時間があったので、昼前にソバ粉200gでつなぎ無しの10割ソバを打ってみた。先日購入した30cm×90cmの集成材で縦長に延し、切ってみたが、まずまずの出来。やはり、粉の粒子が細かければつなぎ無し、水だけでつながる。200gは少なすぎて仕事はちまちまとしてやりにくいのだが、自分が食べるだけを打つとなるとこうなる。実際は200gでは多く、150gでいい。 
 いよいよ年末年始で1kgくらいまとめて打たなくてはならなくなるので、江戸流の麺棒を二本使う方法にチャレンジしてみようと思い、昼食後、ホームセンターではなく個人の金物店に行って延し捧を見たら、ホームセンターより出来が良くて値段が300円ほど安かった。直径3,5cm、長さ90cmのものを購入。帰宅して早速サンドペーパーをかけ、クルミ油で磨く。薄く延すために、半分を麺棒に巻き取っておいて残る半分を延すという、狭い延し板で1k以上を打つには便利な方法なので身につけたい。 

091229namabune.jpg それからO原さんの家に行き、スプレー法による水回しのやり方を書いた本のコピーを届けたら、上がれと言う。歳末に寄るのは気が引けたが、コーヒーをご馳走になり、自作のこね鉢、自作の蕎麦切り包丁、自作の駒板、生舟などを見せてもらう。職人のネットワークがあるからこそで、必要な工具や機械は間に合って、それで自作できるのだろうけど、すごい。蕎麦切り包丁は、石材店でかつて石切に使っていた巨大な回転式の丸い刃を溶接機で切り、それを包丁にしたらしい。よくもそんなことを考えつくものである。
 帰り際に、これ持って行ってと桐の生舟を渡された。頂戴するわけにはいかないと遠慮したが、結局いただいてしまった。明日にでもお返しにソバ粉をお届けしておこう。これまでは発砲スチロールの平箱やタッパーで間に合わせていたのが、桐の生舟では中身の蕎麦の外見も美しく揃えて並べなければならない。


2009年12月29日火曜日

ぬるま湯に慣れてはいけなかった

 不況のせいか一件が片付かずに越年しそうだが、それを除けば仕事はすべて片付いて、今日は午前中は餅つき、午後は玄ソバ20kgを製粉。
 餅つきは電動の蒸す・搗くタイプなので水と水を吸わせたもち米を入れ、スイッチを入れるだけ。2升搗きを3回。年寄りがいると昔の大家族生活が頭から離れないのか、どうも量が大袈裟で、今の3人暮らしには多すぎるのだが言うことをきかない。多すぎたら冷凍にすればいいとか言って。もっとも誰かに上げたいらしいので、多くなるのだけれど。
 ソバは、年末になってあちこちに上げたらだいぶ少なくなってしまったのと、新年早々の製粉作業はいやなのと、一回目のそば殻と実を分けるための臼の間隔がまだ狭いのではないかと思い、実際にもう少し臼の間隔を開いたらどうなるか検証してみたいため。
 メーカーのマニュアルに書かれている数字は一回目は8目盛り戻すとあって、これまではその通りに8目盛り臼を緩めて挽いていたのだが、それではどうもそば殻が板のようにペッチャンコになってしまうし、実の方も細かく砕かれすぎている。そば殻も砕かれて粉の方に混じるのが多くなってしまうのである。その微細なそば殻を「星」と言って喜ぶ向きもあるが、蕎麦の味とは無縁なので、できれば多くない方がいいに決まっている。
 そこで、今日は試験的に15、20、25、30、35目盛りと、順に目盛りを大きくしていってみた。15は目だった変化は無し。20と25でそば殻がふくらみを残した形になり、実も砕かれ方が大きめになってきている。30、35で更に多くなったが、そば殻を篩い分ける際に、現在使用している網3枚セットの園芸用の篩のいちばん細かい篩では、そばの実の大きめの割れが篩いきれなくてそば殻の方に残ってしまう。網の上にはそば殻だけが残り、砕かれた実は大小すべてが網の下に落ちる、そうでなければならないので、結局20から25の間、あるいはその中間の23あたりがベストなのかもしれないので、残りを23目盛りで挽いた。
 その結果、そば殻があまり粉砕されず、きれいに篩い分けできた。ただし、最終的に出来るだけ甘皮を余計に挽きこもうとしたので、多少のそば殻の微粉は混入した。多少の星は許容しなければならないが、もう少し甘皮とそば殻の微粉を分離できるような方法を考えたい。ま、欲張らずにある程度のところで捨ててしまえば粉はきれいになるのだけど。いかに風味を残すかという一点で判断すべきでしょうが。
 今日の歩留まりは、そば殻の篩い分けがうまくいったので甘皮を十分に挽き込んだせいか、75%という数字。この地の製粉会社はは70%で粉を返して寄越すし、あるひとは雑味の混入を避けて65%に抑えているらしいが、私は、多少色が濃くなるのや星は我慢しても、甘皮の持つ風味を最大限に生かしたいと思うので、粉になりにくい甘皮を執拗に挽く。それで75%になった。
 どんな味か、早く試してみたいが、31日まで待とう。




 同人誌、私自身がいちばんマンネリなのだけど、もう一度出発点に立ち還る作業を、いよいよ来年にしようと考えている。
 ぬるま湯に慣れてはいけなかった(自分に向かって言っています)。

2009年12月28日月曜日

台所の神様、お便所の神様

091228shimenawa.jpg 夕食後、注連縄を10本作った。まだ、昨年につづいて二回目なので何となく無骨な作り。紙垂(しで)もネットで切り方を見ながら作ったが、いっしょに付ける松の葉をまだ採って来てないので、一度、山に行って来ないと付けられない。親戚の山に行っていただいて来よう。
 作ったのはいわゆる「ごぼう注連」と呼ばれる簡単な注連縄で、神棚に飾るものは作れないので芯のある松にこの「ごぼう注連」を縛り付けて飾る。他は主な部屋の他、キッチン、トイレ、庭の屋敷神などに飾る。台所の神様、お便所の神様に飾るなどと、どこの家でもしているのだろうか。





 今年のモントルー・ジャズ・フェスティバルに、Eden Brentが出ていた!!



 ここで7曲、聴けます。

2009年12月27日日曜日

部分が全体を表現する

 いつもの試聴サイトで Bill evans: turn out the stars/the final village vanguard recordings june 1980というアルバムを聴きはじめた。このサイト、呆れたことに、Bill evansのCDが重複しているものもあるにはあるが何と132枚も収録されていて、そのほとんどを聴くことが出来るのである。聴くことができるということは録音できるということ。著作権って何なんだろう。




 こうして音楽を聴いていて思うのは、私は自分が書こうとする小説について欲張りすぎということ。
 全体を書かずとも、部分を描くだけでいい。部分が全体を表現することもあるのである。
 一人の人間を描くだけで十分。そう思わなくては。
 しかし、あと5日。物理的に間に合わない。

 さらに、BWV639とBWV244AriaErbarme dich (Alto)を聴く。どちらもタルコフスキーから入った曲。

2009年12月26日土曜日

死そのものはありません

 Poete & chansonsシリーズでお気に入りの歌い手であるColombe Frezinが「 Poetes & chansons,Jean Cocteau 」でも4曲歌っていて、ことに13曲目の「 La mort n'agit pas elle-meme(死そのものはありません...直訳)」が気に入ってしまい、ランボーの 「 L'etoile a pleure Rose」とともに、毎日飽きるほど聞き続けている。Colombe Frezinは1953年生まれという以外、あまり情報はない。

2009年12月24日木曜日

ネット不通の原因は自分

 昨夜9時過ぎからネットにつながらなくなった。またかと思いつつ、待っていたがずっとつながらない。今朝になってもつながらない。昼になってもつながらない。
 あまりに長いので考えた。あ、昨夜、事情があってプロバイダの本パスワードを変更したのだった。あれが原因とすれば、新しいパスワードが拒否されているのか、新しいパスワードの入力をミスしているのか。古いパスワードを入れてみたがそれもダメ。
 仕方なく、プロバイダのサポートセンターに電話をかけて、応対してくれた女性にネットに接続できない事情を説明した。
「モデムから直接パソコンにLANケーブルで接続されていますか?」
「あ、モデムにルータがつながってそこからLANケーブルでパソコンへ接続しています」
「モデムとルータのメーカー名は?」
「モデムはNTT、ルータはバッファローです」
「形式は判りますか」
 受話器を置いてモデムとルータの型番をメモし、相手に伝える。
「バッファローのルータはルータ自体にパスワードが入力されますので、そのルータのパスワードが古いままですとネットに接続できません。ルータの方のパスワードを新しいパスワードに書き換えすれば接続されると思います」
 なるほど、そうであった。そう言われればルータを購入、設定した時に、プロバイダのIDと本パスワードを入力したことを思い出したので、お礼を言って電話を切った。一台のパソコンでモデム直結でネットにつながっているのではなく、ルータを用いて複数のパソコンをつないでいる場合はパソコンごとに「インターネット・オプション」で接続の設定をするのではなく、ルータで設定をしているのだった。それをすっかり失念していた。
 しかし、このルータの設定は確かブラウザを使って行なうはずだった。ブラウザを使う、ということはネットに接続できてこそ可能なことで、今の不通状態ではそれが出来ない。さて。
 しばらく考えていて、ルータではなく、モデムから直接LANケーブルを接続すればルータのパスワードとは無関係にブラウザの接続設定で新しいパスワードを入れればつながるはず。と思って試したらつながったので、そのまま新しいパスワードでプロバイダのMyPageに入り、昨夜変更した本アドレスを、また加入時に与えられたままの本パスワードに変更し直した。
 それで、めでたくルータの4つのポートのうち3つに接続されているパソコン3台、それぞれネットにつながるようになった。
 時期的に、私の同人誌と妻の個人誌が同様に原稿締め切り時期にさしかかっており、ネットにつながらないと原稿がメールに添付されて来るのを受信できなくなり、実に厄介なことになってしまう。

 それにしても、書けないまでも少しネット接続を控えなければなりません。

2009年12月22日火曜日

LA RUE WATT


LA RUE WATT (BORIS VIAN)

CO-MANCHE | MySpaceミュージックビデオ


 この動画、MYSPACEで発見したもので、先に唄っている男性歌手はCo-MANCHEという名前らしいが、後で右手から登場する歌手が誰か判らない。黒づくめで長い髪なのでAnnick Cisarukかと思ったが、やや画像が不鮮明で判断できない。声も似ているような気がするが断定は出来ない。Clavelというのは人名か。いや、調べてみたらパリのTHEATRE CLAVELという劇場であるらしい。とすれば、やはりこの黒づくめの女性は Annick Cisarukに間違いなさそうだ。

2009年12月21日月曜日

さめてしまった憤り

 買ったまま少し聴きかじっただけの10枚組みの「バッハオルガン全集」を毎日2枚ずつ5日かけてiTuneに取り込んでしまうことにした。
 今や、音楽は「パソコン+外付けの1,5チャンネルスピーカー」に頼り放しなので、それ以外に音楽を聴く手段がない。そのために容量の大きい音楽ファイルや画像・動画ファイルはすべてパソコン本体のHDDではなく、外付けのHDDに保存するようにしているのだけど、それにしてもHDDでなくてもUSBフラッシュ・メモリでもかつてのHDDに負けない容量があるのだから参ってしまう。

 あいかわらずランボーやボリス・ヴィアンの詩に曲がつけられた歌を聴いている。
 ランボーの「L'etoile a pleure Rose」、ボリス・ヴィアンの「 La Rue Watt」や「A tous les enfants」、「Le Tzigane」。
 その他、ジャン・コクトーの「 J'ai dans un train ...」、ロベール・デスノスの「 Lisbonne」、マックス・ジャコブの「 La Babylone 」など、しつこいほど聴き続けている。久しぶりに町田町蔵(町田康)の「ボリス・ヴィアンの憤り」まで聴いてしまった。
 その「憤り」という言葉で、朔太郎の俳句「枯れ菊や日々に冷めゆくいきどほり」を思い出してしまった。
 冷めてしまった憤りなんて、どう始末したらいいのやら。
 
 そういえばTom Waitsのアルバム「Mule variations」の録音レヴェルの設定が適切でなかったらしく、音が割れて聴き苦しい。もう一度iTuneに入れ直さなければ。

 小説、まだ3枚目で、人物も動き出す気配なし。
 怪しすぎる、一人称三年寝太郎小説。
 やはり主人公を男ではなく女性にすべきか?
 いずれにしても、また、締め切りに間に合わない。
 ウァーン・゚・(ノД`)ヽ(゚Д゚ )ナクナ

2009年12月20日日曜日

焼きがまわった

 ひょんなことから、先年亡くなった、さる同人誌のこてこての私小説の書き手の息子さんの、そのブログに迷い込んでしまった。自分の不倫を臆面もなく隠さず書いてしまうような、それでいて繊細な無頼派で、私とはまったく対極にある書き手だったが、人間としてはとても愛すべきひとだった。今でも時々思い出す。
 思うように生きられず、思うような書くことが出来ない自分に比べ、好きなように生きて、好きなように書いて実にうらやましいひとと思うのだが、本人の耳にそんなことが入ったら、「おれだって好きなように生きて、好きなように書いた訳じゃない」と言われそう。
 その息子さんだが、やはり生きて生活するだけでは満足できないらしく音楽をやっている。それも迷いながらで、やはり父の子である。

 夕方、暗くなって夕食も済み、家の出入り口の門扉を閉めてしまった後、ドドドドド......という響き。長男のアポ無し帰宅である。この寒いのにと思ったらオートバイを家に置きに戻ったらしい。大事なオートバイをいつまでも勤務先の駐輪場に置いておく訳にはいかないだろう。
 帰宅しても親とあまり会話をしないが、考えてみれば自分だってあの年頃ではそうだったのだから、放っておこう。物書きのはしくれとしては、その思考や感情の動きをもっと把握しなければならないのだが、まったく把握できない。
 これを焼きがまわったという。若者に期待しよう。

2009年12月19日土曜日

精神のリレー

 「A good man is hard to find (善人はめったにいない)」
 この魅力的なタイトルを私が知ったのは、Nさんが書かれた文章で知ったフラナリー・オコナーの小説からであったが、実はこのタイトルの歌はフラナリー・オコナーの小説以前に存在していた。フラナリー・オコナーがこの歌の題名を小説の題名にいただいたというのが真相ではないか。
 今、私が入り浸っているヨーロッパの試聴サイトで「A good man is hard to find 」と入力して検索してみると、何と、32 artistesの53 versions がヒットした。知っている名だけでもベッシー・スミス、トム・ウェイツ、フランク・シナトラなどが唄っています。
 
 そこで、この歌の作詞、作曲者は誰かと検索してみたら
Origin
This phrase was coined by Eddie Green, as the title of his song "A Good Man Is Hard To Find". This was composed in 1918 and first offered for sale as a piano roll in the Fort Wayne Journal-Gazette, on 12th December that year (just in time for Christmas - a bargain at 90 cents):
という文章にたどり着きました。
 Eddie Greenという人物が1918年に発表した歌のタイトルなのでした。
 歌から小説へ、まさに精神のリレーが行なわれていたのでした。
 

2009年12月18日金曜日

森閑とした世界に

 12日に注文した蕎麦打ちの本の発送案内メールが来ないので、ネットの「お届け状況」のページにアクセスしてみたら、もう町内の7イレブンに到着していた。7&Yからセブンネットショッピングになったら発送案内のメールは送らないことになったのかと思ったら、そうでもないらしい。メールは発信されたがどこかへ行方不明になったか、こちらのメーラーの設定に問題ありか。
 とにかく早速行って引き取ってきた。値段の割りに薄い本だが、十割蕎麦を打つにあたっての貴重な情報が得られたのでよしとする。

 この頃また、例の試聴サイトに行ってバッハのカンタータばかりBGMにしている。今夜はbwv138-140の20曲。bwv140アリアの出だしにゾクっ。アリアばかり拾い聴きするのは精神のエネルギーが減衰している証拠か。
 こちらはYouTube。bwv140コラールのなかのSleepers wake。



 ネット接続を切断し、音も映像もない森閑とした世界にもっと身を沈めなければいけないのだけど......、好事魔多しではなくて、悪事魔多しかも、(ーー;)



2009年12月15日火曜日

浅間山

091214asama.jpg

 なかなか、写真を撮るほどに晴れない、空気が澄まない。

2009年12月14日月曜日

いよいよ崖から跳んで飛行するための助走

 県内の同人誌の団体が二年に一回所属各誌推薦作を一作ずつ掲載する雑誌を発行するのだが、今月締め切りの今回は当誌からは推薦作無しの報告を投函した。
 50枚以内の小説という規約だと、当誌ではひとりの同人の短編1作しか該当しない。
 50枚以内という制限はこの春の幹事会で枚数超過もOKとなったが、超過分の頁当たり掲載料がペナルティではないかと思うくらい高く、これでは50枚以上の作を出してくるところはないだろう。
 また、小説だけというのも偏狭である。文学は小説だけにあらず評論だって作品研究だっていいではないかと思うのだが、こういう意見は私だけで幹事会で誰も賛成する者はいなかった。
 当初は既定内で自動的に決まる1作を推薦する考えだったが、それでは今のやり方を肯定していることになってしまう。
 せっかく、規約通りに発行ごとに各誌へ5部ずつ送付し合っているにもかかわらず、相互批評も絶えて無く、会長の講評も聴くことが出来ない。一年に一度集まって親睦を図っている、それだけでは嫌なのです。

 そろそろ古い皮袋は捨てて、新しい皮袋にすべき時期なのかもしれない。というか遅きに失したのかも。今さら居住地域にこだわる必要もなし、すべてをリセットすべきなのか。




091213oyamabokuchisoba.jpg  昨日打った二八蕎麦が冷蔵庫に保管されているので、オヤマボクチ蕎麦も少々打って食べ比べてみようと、夕方ちょこちょこっと蕎麦打ち。ソバ粉200g、甘皮を挽き込んだもの50g、精製オヤマボクチ1g、水125ml~150mlを準備。量が少ないのでいつもの板は出さずに先日購入した集成材の切り板で縦長(横長?)に伸してみた。RSSリーダーに登録しているブログのお二方がこういう幅の狭い板で二人前くらいの蕎麦を打っておいでなのを見ていて、試してみたが、板が30cm×90cmでやや狭かったのと、できるだけ薄く延すオヤマボクチ蕎麦だったので、はみ出しそうになってしまった。それで厚みも同じではなく場所によって厚い、薄いができてしまった。加水はかなり大目だったので延しは以前のように硬すぎて伸びないということなく、思い通りに伸せた。ただし、加水が多い分、乾燥時間が余計に必要らしく、薄いので30分くらいおいて切りはじめたらまだ粘って切れなかった。さらに30分ほど置いてようやく切れたが、二八ほどきれいにそろえて切れず、幅が不揃い。障子紙のような和紙を敷いて紙に水分を吸わせるのも一策かもしれない。
 家人二人は二八蕎麦を、私は二種類を半分ずつザルに盛って試食。
 オヤマボクチ蕎麦の感想。やはり加水を多めにして薄く延せばコシがありながら歯切れも良い蕎麦になることが判った。風味は二八そばとほとんど変わらず、甘皮を50g足した効果は不明だが、T屋さんの話から加水量の半分でオヤマボクチを煮たお湯も使用して半分湯捏ねに近かったせいで風味が薄くなった可能性もある。やはり湯捏ねは避けた方がいいような気がする。十割蕎麦も湯捏ね派が居るというが、疑問である。
 これでオヤマボクチ蕎麦もいけるという判断。
 オヤマボクチ蕎麦になぜこだわるかというと、良くつながるので、数日経過しても、慣れていない人でも、切れずに茹で上げられるということ、それからザル蕎麦でなく熱い汁物に入れても千切れないというメリットがあるから。
 今日の250gは多かったが、200gならこの集成材をのし板にして打てそうなので、オヤマボクチを使わない完全な十割蕎麦は、このスタイルで回数を多く試行してみよう。そのためにもう一本、短めの延し棒が欲しい。

2009年12月13日日曜日

三年寝太郎みたいな主人公

 書けない、書けない、と苦しんでいてふと気がついたのだが、どうも私の主人公はきわめつけの非行動派であるらしく、外側からその言動を描くといった小説の王道である書き方には適していないらしい。だから書けないのだと妙な納得。
 たとえば三年寝太郎みたいな人物を小説の主人公にしたら、どんな風に書けるのだろう? 埴谷さんの小説もそんな感じがしないでもない。




 夕方4時頃、また蕎麦打ちを始めた。
 今日は、二年間ただで80坪ほどの畑(宅地に造成された)を貸していただいたKさんのお宅へ、畑をお返しする挨拶代わりに、それから近くのH樹君の家、わが家の3人前、合わせて1,2kg。水回しと捏ねは1度で、延しと切りは2回に分けて行なった。
 こうやって少しずつ、食べていただける蕎麦に近づいて行こうという亀の歩み。

 一回目は順調だったが、二回目の分がたたみ目が少し切れ気味だった。ポリ袋に入れて乾燥しないようにはしてあったのだが、もう十分捏ねられたものだったのでそのまま延しに入ったのが良くなかったのかもしれない。再度手水をして少々捏ねれば良かった。
 わが家の分のソバは今夜ではなく、明日、天ぷらそばにしたいという家人の意見のためポリ袋に密封して冷蔵庫で保存。こうすれば、多分数日は大丈夫のはず。

 十割蕎麦についての本を一冊、セブンアンドワイ改めセブンネットショッピングで注文。そういえば、この夏にnanacoの登録もしてあって72ポイントほど貯まっていた。

 せっかく打った蕎麦が食べられないので、蕎麦掻きを作ることにした。
 これまで、蕎麦掻きはソバ粉を器に入れ、沸騰したお湯を注ぎながら手早くかき回すという方法で作っていたが、これだとお湯の量が適当で出来具合に硬い、柔らかいの差が生じてしまう。
 そこで、あらかじめ手鍋にソバ粉と水を入れてダマが出来ないように溶かしたものを火にかける方法に切り替えることにした。水の量はソバ粉の3倍。普通のソバ粉に甘皮を引き込んだものを混ぜたいと思ったが、母屋には置いてないので取りに行くのが面倒で普通のソバ粉だけで製造。
 水加減、ちょうど良く、ワサビ醤油で味見してみたが、柔らかさ、なめらかさ、風味、まずまず。甘皮を引き込んだものを入れたらもっと風味が強くなっただろう。
 今後はこの方法にしよう。普通の手鍋よりもテフロン加工の手鍋の方がこびりつかなくていいらしい。


2009年12月12日土曜日

一読に如かず

 久しぶりに「小説・書くひと=読むひと・ネット」へ感想記事を書こうとしたが、いろいろややこしく書くよりもいいと思って、冒頭の1頁をそっくり貼り付けさせたいただいた。良い文章もまた百聞は一読に如かずであろうと思って。(実は少し横着)




 一昨日、T屋さんを訪ねて行ったら、O原さんに玄ソバ10kgの製粉を頼まれた。T屋さんから買ったらしいが、製粉会社では20kg以下は引き受けてくれないので困っているらしい。
 素人で製粉も下手なので、これまで自分のとT屋さんのソバ粉以外挽いたことがないのだが、仕方なく引き受けてきて、昨日の午後、少し時間が空いたので製粉決行。だんだん要領が良くなってきたので、10kgを2時間かからないで終了。歩留まり75%。

 ソバ粉を製粉する時に、玄ソバの殻の内側に緑色を帯びた甘皮という部分がある。麦のフスマ同様で、一番粉ニ番粉三番粉と篩いにかけていっても、甘皮はなかなか製粉されずに篩い残ってしまう。ふと思いついて、前回製粉した時に、その甘皮の部分だけを別に製粉機に三回通し、それを80目(64メッシュ)の篩いで篩い、それを別に真空パックして保存しておいた。
 それを先ほどたまたま思い出して、マグカップにスプーン2杯分入れ、熱湯をさして簡易蕎麦湯にしてみた。やはりやや黄緑色をしており、飲んでみるとそばの風味が強くとろとろであった。蕎麦掻きにも混ぜてみよう。この次蕎麦打ちをする時にもこれを1割くらい混ぜてみよう。多分、量が多いと蕎麦がつながらなくなる可能性あり。

2009年12月9日水曜日

テクスト相互関連性

 昨夜の文書を読んでいて、結局ピエール・マッコルランの「La Maison du retour écœurant(反吐の家)」と、マルセル・エメの「Les Jumeaux du Diable(悪魔の双子)」という小説と、ボリス・ヴィアンの「日々の泡」、「北京の秋」、「赤い草」、「心臓抜き」の4作とにはintertextuallyがあるという。
 このintertextuallyがよく解らないのですが、辞書ではテクスト相互関連性とあります。
 ヴィアンの「屠殺屋入門」の解説に生田耕作さんが書かれている文章の末尾にマルセル・エメの名があったが、これで作品名が「悪魔の双子」だと知ることが出来た。
 それにしても、残念ながら「反吐の家」も「悪魔の双子」も日本語訳はないようだ。
 もっとフランス語をまじめに勉強しておけばよかったと思うのだけど、田舎からぽっと出た学生は、いきなりアポリネールの「オノレ、シュブラック氏の失踪」をリーダーにされて、すっかり躓いてしまったのでした。

2009年12月8日火曜日

蛇の道

 ピエール・マッコルランの「La Maison du retour écœurant(反吐の家)」の翻訳がないことは判っていたが、なにか手がかりはないかと検索していて、「The flight of the angels: intertextuality in four novels of Boris Vian (天使の飛行――ボリス・ヴィアンの四つの小説におけるintertextually)」(Alistair Charles Rolls著 - 1999 )という本にたどり着いた。
 それが著作権問題で何かと話題のグーグル・ブックスで、1頁ごとにスキャンした画像で当該の頁が表示されている。
 ヘボな英語力でモニター上の英文を読むのはきついので、いつものくせで画像を保存しようとしたら、さすが保存できない設定になっていました。では紙に印刷をと思ったら、他の部分だけ印刷できてかんじんの本文をスキャンした画像は印刷できませんでした。まあ、これくらい神経を使わなくてはタダでダウン・ロードされてしまいますから当然でしょう。
 でも、或る方法で、1頁だけ画像として保存させていただきました。ボリス・ヴィアンの小説とマッコルランの「反吐の家」について言及しているので読まない訳にはいきません。
 画像をOCRにかけてテキスト化し、翻訳ソフトにかけてみようと思っているが、そういうことに使われないように画像の解像度が適度に低くされているので、読み取り精度も低いだろう。手で修正しなければならない。

2009年12月7日月曜日

OCR

 レーザー・プリンタが届いたので、早速、壊れたプリンタを外し、新しい方を使えるように接続と設定をした。さすがにプリンタ単体よりスキャナー、コピー機能があるだけ大きめだが、何とかこれまでの場所、デスクトップ・パソコンのラックの一番上に置くことが出来た。
 複合機でスキャナーが上部にあるので、給紙と排紙はすべて前面にあり、これはいい。
 設置が済んで3台のパソコンにプリンタ・ドライバをインストールし、さらに自分のノート・パソコンにはスキャナー・ドライバも入れようとしたら、インストールできない。どうやら何種類も入れてあるPDF作成ソフトのうち、一太郎のメーカーのPDF作成編集ソフトが邪魔をしているらしいので、それをいったんアンインストールしたら、一発でインストールできた。ソフト同士の相性が悪いというのはこういうことか。
 以前から単体のスキャナーがあるのだが、もうだいぶ旧式だし、一応こちらも使えるようにしておこうと思い、スキャナー・ドライバを入れた。ほかにスキャンした画像ファイルを管理するソフトと「読取革命Lite」というOCRソフトのバンドル版がついているが、これはインストールせず、新しいスキャナーで取り込んだ画像ファイルをこれまで使ってきた「読んde!!ココver.12」で開くように設定した。
 OCRソフトは使う者の設定の仕方次第で読取精度も変わるので、あまりソフト自体を替えたくない。昔はバンドル版の読み取り精度が悪すぎて悪戦苦闘した。今の設定だと雑誌を見開き2頁読み取りしても読み取りミスが一ヶ所もないこともあり、今の「読んde!!ココ」で十分満足している。

 それにしても、また印刷速度が速くなっていて驚いた。

 相変わらず、Poetes & chansons。Louis AragonのElsa mon eau vive をAnnick Cisarukが唄っているのを発見。



2009年12月6日日曜日

メモ

 レーザー・プリンター、発送案内のメール着信。明日配達。
 ネット上のカタログPDFを詳しく読んでみたが、やはり両面対応の機種にしておけばよかったかもしれない。2台目を購入した時にはまだ珍しかった両面対応だが、今では標準機能に近いし、スキャニングさえ両面対応と表示されている。
 それにしても、プリンター、コピー、スキャナーが一体化されていて2万円以下とは、まさにデフレ。プリンターだけでも価格はそうは違わない。となれば複合機を選んでしまう。

 今月末締め切り予定のところ、既に2編原稿が送信されてきており、また今夜は締切日確認の電話もあり。
 
 


2009年12月5日土曜日

レーザー・プリンター様々

 いきなり変な音がして、レーザー・プリンターが壊れた。
 最近、紙づまりが多いような気がしていたが、ついにモーターが空回りしているような奇怪な音がして印刷できなくなった。紙送りが出来なくなったようだ。
 これが2台目のレーザープリンターだが、インクジェット式のカラープリンターが年に一度の年賀状作成にしか使用しないのに比べ、レーザー・プリンターはほぼ365日使わない日はないので、もう壊れても仕方ない時期に来ている。
 さいわい、価格ドットコムで検索したら、今程度の機能でスキャナーとコピー機能がついている複合機で2万円を切っている機種があった。FAX機能は要らない。もう1万円出すと両面印刷機能がついているが、どの程度の両面印刷か判らないのでパス。
 最安値ではないが、3番目くらいに送料無料のAmazonの名があったので、即刻オーダー。日曜か、遅くとも月曜には配達されるだろう。
 仕事で伝票や帳票を印刷、同人誌の編集作業ではレイアウトしたものを印刷にかけてデータ出力見本としてデータとともに送らなければならないし、校正も印刷したものがないと始まらないし、とにかくレーザープリンター様々なのであります。
 2代目様、今日までお世話になりました。




 このところ県内同人誌の発行ラッシュで一ヶ月ちょっとの間に5誌が送付されて来た。一応開いてみるのだが、どうも旧態依然の作品ばかりで読めなかった。ところが先日送られてきた誌で2作、小説を読んだ。1作はほぼ同時代で自分と重なる部分があって読んでしまったのだが、もう一作は書き出しの数百字のイメージ喚起力が強く、それに引きずられて最後まで一気に読ませられてしまった。書き出しは、結局、夢の描写なのだったが、それがないと普通の小説になってしまう。この作品が読めてよかった。デジタル文学館に推薦しようかな。中身がちょっと素朴すぎるか......。




 Kurt redel interprete bachというCDを聴いていて、そのなかに収められている「G線上のアリア」を3回聴いてしまった。
 昔、「電話線上を流れるアリア」という掌編を書きかけたままだったのを思い出した。題名だけを覚えていて、内容はだいぶ忘れた。多分、チエーホフの「退屈な話」のカーチャのような女性が電話線の向こうにいたはず。前にも書いたが、今ではすっかりカーチャが嫌いになった。むしろ教授に親近感を感じる。

2009年12月3日木曜日

謝恩蕎麦会、その他

 母親の茶飲み仲間に蕎麦会をと話したら全員が乗り気ということで、月末を過ぎてからと返事をしたら2日にどうだと言う。
 人間という奇妙な存在は、齢を重ねれば重ねるほどに他者への想像力を喪失し自分の都合だけに生きる動物であるらしいので仕方なく了承し、今朝、朝食すぐに蕎麦打ちを開始。
 人数は6人というので、お年寄りだし800gくらいでいいかと思ったが余ったら蕎麦会の会場を提供してくれたA子さんの家に置いてくればいいので1kg打ってみようと思った。しかし、自分の昼食もついでにと思って外二八で、ソバ粉1kgつなぎ200gで打つことにした。こねるのはいいが、延しは90cm×90cmの板なので二回に分けることにした。
 午前8時開始で、すべて切り終えて片付け終わったのが9時半。母親と蕎麦、そばつゆ、ざる、などを車に載せて車で2分くらいのA子さんの家に届け、茹でるのは自分たちでお願いしますと伝えて、お役御免。
 午後になって帰宅した母に聞くと、母の分まで2人前食べてしまった方がいるという。それも半分とかではなく全部。母は「私はいつも食べているからいいわ」とか言って、仕方なくおにぎりを食べたという。ま、いちばん年寄りである母とお付き合いしてくれている皆さんへの謝恩蕎麦会ですので、それでいいんですが。
 
 

 
 私の好きな彼の2曲がアップされていた。
 5年前のロンドン公演らしいが、その歌い方もだけど1曲目のその左足の過剰な動きに思わず大爆笑。Come on Up to the Houseとは、いつまでも現われない神への憤りの歌ではないかとさえ思ってしまう。
 背中に神を負っている民族=人間と、無神論的無政府主義的民族=人間とでは、やはり背骨の太さが違います。神を背骨にしている人間=民族の方がずっと骨太。神を背骨に持たない日本人はどこか骨細でひ弱でありますが、それはそれで仕方ありません。

 あれれ、この動画、たまたま接続が切れてしまいますね。その際はこちらこちら

 リアリズムの小説の胡散臭さに背を向けたはずが、気がついてみればフィクション(虚構)の胡散臭さにも直面してしまっていて、身動きが取れない。
 こんな状況でなおも書かなければならないものがあるとしたら、それは何なのだろう? ストーリーとか構成とかモチーフとかモチベーションとか、そんなことはどうでもよくて、人間というこの奇妙な存在の吐息、荒い息そのものが描写できればいいのではないか。
 文章は作家の呼吸のようなもの、でもある。
 つまらない小説を書くくらいなら、安いウィスキーなどを呷りトム・ウェイツの狼のうなり声のような無頼な歌を背中で聴きながら、無頼なブコウスキーの詩や小説を読んでいる方がずっとしあわせなのかもしれない。
 あるいは反語的に、作家はすべからく無頼であるべき、なのかも、知れない。
 
 でも、自分で書いて、自分で読んでもつまらなくない小説を、一度くらいは、書いてみたいものです。

2009年12月2日水曜日

星は薔薇色の涙を流した

ランボーのL'étoile a pleuré Roseという4行詩にHélène Triompheによって曲が付けられ、Colombe Frézinが歌っているのが気に入って毎日流しているが、同じ詩にLéo Ferréも曲を付けてみずから歌っているのでこれも聴いてみた。が、いかにLéo Ferréとはいえ、やはり「Hélène Triomphe曲・Colombe Frézin歌」の方がメロディ、リズム、ピアノ、ずっといい。
��以前から私はLéo Ferréとはウマが合わないというか、あまり関心がないのだけど)
L'étoile a pleuré rose au coeur de tes oreilles,
L'infini roulé blanc de ta nuque à tes reins ;
La mer a perlé rousse à tes mammes vermeilles
Et l'Homme saigné noir à ton flanc souverain.

 これが詩のすべてで、この4行を題名さえ付けられておらず、書き出しのL'étoile a pleuré rose が題名代わりとなっている。
 歌はこの4行詩が2回繰り返して歌われ、3回目には下線を引いた各行の前半だけが唄われ、最後にL'étoile a pleuré rose と歌ってお終い。
 などと説明するより実際に聴いていただいた方が手っ取り早いので検索してみましたが、You Tubeにもどこにもアップされていませんでした。
 ちなみにL'étoile a pleuré rose はGoogle翻訳では「ローズ泣かれた星」、他のウェブ翻訳では「星の泣かれたバラ」とか、どうも要領を得ません。フランス語堪能な方、おいでになりませんか。
 星は薔薇色の涙を流した......

 先日、ウィルス対策ソフトの2009から2010へヴァージョン・アップしたのだったが、これがどうも具合が悪い。2009ではアップデートが自動と手動(任意)に切り替えできたのに、2010ではその切り替えがなく、自動アップデートしかない。つまり、何かの作業をしている最中でも自動的にアップデートが始まってしまい、とたんに作業速度が遅くなってしまうのだ。これはかなわない。
 かといって今さら2009にヴァージョン・ダウンしてもせいぜい一年。我慢するほかないのか。
 乗り換え? 長男は無料のソフトを勧めるが、どうも気が乗らない。

2009年12月1日火曜日

締め切りまでひと月

 昨夜、うっかり一瞬にして消してしまったファイルをようやく復活。といっても消えてしまったのは今年一年分で、昨年分までは外付けのハードディスクにバックアアップしてあった。
 しかし、こんなことをしても県内の書き手でここにアクセスしてくれているひとは五本の指を超えないくらいであろうと推測している。単なる親睦団体にすぎないのかもしれないと思うと、気持ちはずいぶん離れてしまいすになる。

 作業をしながら、トム・ウェイツの「Orphans」、「Orphans2」というアルバムを流していた。
 トム・ウェイツの歌のような小説。
 締め切りまでひと月しかなくなった。
 ガルシア・マルケスに私の偏愛する「十二の遍歴の物語」という短編集があって、「電話をかけに来ただけなの」という怖い短編があり、また「聖女」と「光は水のよう」も泣けるほどいいし、「悦楽のマリア」も妖しくていい。
 ああいう短編ひとつ、書けたら死んでもいいのだけど。
 書けない。 

 Poete & chansonsのことでエッセイ(実は埋め草)を書き始めてしまった。

 

2009年11月30日月曜日

 ウェブサイトのファイルにあたらしいデータを書き加えて保存したつもりが、なぜかINDEXファイルが上書きされてしまい、しかもそれを知らずにアップロードしてしまったので、かんじんのファイルが消えてしまいました。
 バックアップファイルを探したら一年前のものしかなく、要するに今年一年分のデータを書き足さなければならなくなりました。そんな気力、ありませんので当面放置します。ウァーン・゚・(ノД`)ヽ(゚Д゚ )ナクナ

2009年11月28日土曜日

発見

 あれ~、Myspaceのこのページ。何度も見に来ているはずだが、右に試聴できる曲が6曲並んでいて驚いた。気がつかなかったのか、最近試聴できるようになったのか。Boris Vianの「La Rue Watt」以外の曲はすべて初めて聴くことが出来た曲。早速iTune→iPodへ。彼女の曲やCDがなかなか検索にかからないと思ったら、レーベルがインディーズだからか。CDが一枚ン百円でアメリカから入手できたのも、インディーズゆえの在庫一掃処分だったのか。
 4曲は「Annick Cisaruk Chante Barbara」から、「La Rue Watt」は「Annick Cisaruk」というCDから、もう一曲は「Camille c」というCDから。「Camille c」というCDは初耳。Camille cというのはどうやらカミーユ・クローデルのことらしい。

2009年11月27日金曜日

ボリューム・コントロール

 最近、録音ソフトで録音したファイルを再生していて、どうも音が割れているような気がした。
 パソコンのボリューム・コントロールの設定が制御できていない。そしたら、録音ソフト自体にも録音のコントロールというパネルがあった。それでその設定も生きていることが判ったのでそちらを低めに調整し、パソコンのボリューム・コントロールを優先するようにした。このソフトを使い始めた頃はパソコンのボリューム・コントロールだけでうまくコントロールできていたはずだったので、多分、この設定でいいのだろう。
 音が割れているPoete & chansonsシリーズのうちの10曲ほどを録音しなおしてみた。OK.
 それから、「Blood money」というCDのなかでトム・ウェイツが「 A good man is hard to find」を歌っているのが判ったので聴いた。ほかに7曲。トム・ウェイツの曲がますます増えてゆく。


2009年11月25日水曜日

昨夜の続きで

 Colombe Frézinという歌手を検索した結果、Poetes & chansonsシリーズの中だけでもシャルル・クロスの「くんせいニシン」(!!)のほか2曲、マックス・ジャコブの曲3曲、アルチュール・ランボー2曲、ロベール・デスノス2曲、ジャン・コクトー1曲、ヴィクトル・ユゴー1曲、ジャン・リシュパン1曲を唄っていた。
 ほかにCaliseという歌手が唄っている曲を6曲。

 マックス・ジャコブについて少し検索。

2009年11月24日火曜日

詩には散文的背骨、散文には詩的背骨が無いとつまらないのだな

 今日は、家人の運転手でまた和田峠越え。昨年のこと思い出し、タイヤをスタッドレスにはき替えて出発したが、今回は降雪無し。
 会場の隅の席に座らせてもらったが、講演があまりに散漫で眠くなってしまった。それにしてもこういう会場に若者の姿が見えなくなって久しい。
 懇親会には出席しなかったので、18時には帰宅。

 またPoete & Chansonsシリーズの「Arthur Rimbaud」20曲を聴く。その8曲目、「 L'etoile a pleure rose」が気に入ったので繰り返し聴く。歌い手はColombe Frézin。どんなひとなのか少し検索。
 お、このシリーズを出している会社のウェブサイトを発見。Poete & Chansonsシリーズの全容が判明したのだが、何と、ピエール・マッコルランまであるのには驚きました。でも試聴サイトには見当たらず、残念。

 今日も自分の日ではなかったような散漫な一日だったが、詩には散文的背骨、散文には詩的背骨が無いとつまらないのだな、となぜかしみじみ思った。(と書いている本人自身が意味不明......)
 

2009年11月22日日曜日

言葉に対するテンションがプツン

 どうも集中できない。他のことになると偏執と言っていいくらい集中してしまうのに。
 私小説的リアリズムも眉唾だが、虚構にも眉唾。どうも身が入らないのはそういうことらしいが、重症、いや重病である。
 私のなかで言葉に対するテンションがプツンと切れてしまったような。いや言葉の向こうに居たはずの人間への関心が失せたといった方が正確か。




 昨夕、暗くなってから家の入り口でドドドドドとエンジン音がしたと思ったら、代休を取った長男が途中遊びながら帰ってきたらしい。また前触れなしである。
 仕方なく、今夜は彼に初めての新ソバを食べさせるべく、蕎麦打ち。といっても十割やオヤマボクチのつなぎは嫌がるので、普通に二八ということで時間はかからない。道具の準備や後片付けの時間をのぞけば、蕎麦打ちそのものは急がずに打っても40分か45分くらい。水回しをしているとかすかに緑色をしていて、新ソバを実感できるのだけれど、茹で上がりは緑色を感じるところまではいかない。駒板を使って切るのもだいぶ慣れてきて以前よりきれいに切れるようになってきた。
 先日、スーパーマーケットで購入した見切り品のワサビを冷凍しておいたものを数センチおろしてみた。下ろし金の細かい方で下ろしたら、生を下ろしたのと辛味、風味はほとんど変わらない。しまった。5~6本あったので、買占めておけばよかった。

091121sobakiri.jpg

 もう少しでひと様に食べていただけるだけの蕎麦になりそう。
 いよいよ、あとは十割とオヤマボクチ蕎麦か。
 このところソバ栽培を今年始めたひとふたりと話す機会があったが、ふたりとも二八を打たずにいきなり十割蕎麦を打ちたいというのに唖然。まあ、粉がいい粉だったら打てないこともありませんし、お好きにどうぞ。


2009年11月21日土曜日

頼もしい相棒

 いよいよ家庭菜園も大根、人参、ネギ、野沢菜、白菜を収穫して終了となり、空いた場所を耕運するだけとなり、午後ちょっと時間が出来たので、パイプ製の小さな小屋から耕運機を引っ張り出して耕運しようとしたら、何と、エンジンはかかって動くのだが、耕運するためのロータリーが回転しない。
 回転をONとOFF切り替えるレバーを動かしても切り替えが作動しないのか、それを確認するためには上部についているカバーを外す必要があるのだが、これが車付属のスパナでは緩む気配がない。家から工具一式を持ってきて、ようやくネジ4本を外し、見れば何と油と土埃で固まっていて切り替えが作動しないのでスプレー式の汚れ落しを噴射して清掃。ようやく切り替えレバーが動作するようになった。こんな場所は初めてメンテナンスしたくらいなので、中古で購入して二十年近くの、積年の汚れであった。
 それにしても、ディーゼル・エンジンというのは故障知らずだとは言われているものの、いくら使用頻度が少ないにしても、よくも壊れないものと感心する。8馬力で力もあり、私の道楽に文句も言わず付き合ってくれる頼もしい相棒なので、もっと大事にメンテナンスしなくてはいけない。
 ロータリーの刃がだいぶ痩せて来ているので来年当たりは交換した方がいいかもしれない。


2009年11月20日金曜日

しつこいようですが

 やはり、Le tziganeはPia Colomboに限ります。


 
 
 あれ? そのPia ColomboがLe métèqueを唄っているではありませんか。
 Le métèqueといえばGeorges Moustakiの歌ですが、Pia ColomboのLe métèqueは、「その男ゾルバ」を連想するチターらしき弦の伴奏が実に素敵ではありませんか。
 You Tubeで検索してみましたが、ありませんでした。
 

2009年11月19日木曜日

秋冬いっしょ

 ねずみ大根の産地である坂城町で辛味大根フォーラムが開催されたというローカル・ニュースが流れていた。
 昨日、「ねずみ大根」と「からいね大根」を収穫して、葉を少し残して切り落としたのを乾燥させておいた。それを今日、発泡スチロールの箱に入れて一階部分がブロック積みの倉庫内に保管した。「ねずみ大根」は種をいただいたのがやや遅かったので、だいぶ小ぶりだが、辛味大根を楽しむのは自分ひとりだけなのでかえってこの方が使い勝手がよさそうだ。
 ワサビとともにソバの薬味に欠かせない。そういえば、やはり昨日、母親の運転手でスーパーマーケットに行ったが、売れないワサビが199円に値下げされていたので一本買ってしまった。しかもそれを真空パック用の袋に密封して冷凍庫に入れてみた。ソバを打った時に少しずつ摩り下ろしてみたらどうであろうという実験。

091118niwamomiji.jpg
 例年、あまりきれいに紅葉せずに落ちてしまうわが家の庭のモミジが、今年はまずまずの色合い。真っ赤にはならず、緑、黄色、赤と混在している。あと一週間もしないうちに枝だけになってしまう。

 その一方で、夕方になって雲が晴れたら浅間山はすっかり冬景色。冬は寒いだけなので嫌いです。
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 10月末に案内があったウイルス・バスター2010だが、そろそろいいかと思ってヴァージョン・アップした。
 2009より速いとか軽いとか書かれていたが、パソコンのスペックが低いせいか、実感はない。しかし、自分が設置した同人誌の掲示板CGIに入れなくなってしまった。調べてみると、2010のセキュリティの有害サイト規制にひっかかってしまったらしい。パスワードで同人以外は入れないようにしてあるのが有害(=いけない)のか? 掲示板のURLを規制から外すように登録すればいいのだが、この頃は英語サイトを彷徨して歩くことが多いので有害サイト規制自体が足枷になるかもしれず、思い切って無効にした。

2009年11月17日火曜日

ソバ栽培最強最大の敵

ソバにはアレロパシー(Allelopathy)といって、ある植物が他の植物の生長を抑える物質(アレロケミカル)を放出したり、あるいは動物や微生物を防いだり、あるいは引き寄せたりする効果があり、雑草があまり生えないと聞いていたのだが、三年前にソバ栽培を始めてからずっと、とある草に悩まされている。
 その草はこれ。
hakidamegiku.jpg

 他の草は発生を抑えられているようだが、このハキダメギクだけはアレロパシーがまったく効かないでぞくぞくと生える。ソバとハキダメギクだけが生えている状況になるが、ハキダメギク、結構草丈も長く、分枝力も旺盛で、どちらかといえばソバが負けるくらい。
 ソバを播いた畦の間は管理機で耕運して発芽したものを除草すればいいのだが、ソバが生えている部分は管理機でかき回せないのでそのままにしておいたら、それがソバと同じくらい伸びてしまった。これではソバの生育の邪魔になり、収量も減る。
 結局、管理機のロータリーを土を跳ね上げる式の刃に替え、ソバの周囲に生えたハキダメギクに土をかけてしまうという方法しか考え付かない。
 ハキダメギクはソバ栽培最強最大の敵である。掃き溜めの菊というその名前は、牧野富太郎博士が不意に問われ、掃き溜めに生えていたその印象そのままに瞬間的に応えて命名されたらしい。

2009年11月16日月曜日

シビアでハード・ボイルドな小説

 今日は朝から町内で維持管理している小さな神社の注連縄作りに参加し、引き続いて慰労会。夜は毎月15日恒例の赤提灯へ。一日2回の酒席はちょっと疲れる。
 帰宅後、酩酊したまま、またトム・ウェイツの3枚組みCDの2枚め、20曲を聴きながらiTuneに取り込む。
 これらの曲を遠い背景に流しながら、フラナリ・オコナーの短編のようにシビアでハード・ボイルドな小説を書けたらいいのだけど。
 狼が野太く吼えているような歌声から英語の歌詞を聞き取るのは困難なので、英語の歌詞を検索して曲順に並べて印刷しようと思ってる。なぜか、著作権管理にきびしい日本と違って、英語圏では歌の題名にLyricと付記して検索するとすぐに見つかるので、それをコピー・ペーストし、印刷すれば簡単にできてしまう。
 たとえば昨日のHouse Where Nobody Lives

2009年11月15日日曜日

ドラ声が嫌いじゃないひと(?)へ


 思わずプッと噴きだしてしまうようなトム・ウェイツの悪声、ダミ声、ドラ声、嫌いじゃないひとは少ないだろうけど......。
 ひょっとしてこの歌の「House」も神の家とか教会? それともただの誰も住まない空き家?





2009年11月14日土曜日

無論、語り手=主人公は死者

 ノラ・ジョーンズが新しいアルバムを出したという新聞記事を見て、例の海外の試聴サイトに行ってみたが、13曲入りのアルバムはまだアップされていなくて11/16まで待てという表示。あと3日待てばいいので、試聴出来るシングル曲の2曲だけを聴いた。そのまま帰るのはもったいないので、彼女がそのアルバムを作るにあたってイメージしたというトム・ウェイツのMule variationsというアルバムを試聴した。その1曲目は「Big in japan」というアブストラクトな曲。3曲目には私の好きな「Hold On」、そして5曲目の「House where nobody lives」と、13曲目の「Georgia lee」、15曲目の「Take it with me」というバラードが耳にとまって何回も反復して聴いてしまった。
 世をすねたドラ声の狼が吼えているような、けれども美しいメロディのトム・ウェイツの、この上なくアンビヴァレンツなバラード。
 彼の曲を全曲iPodに入れようかとさえ思った。
 一瞬、トム・ウェイツって、音楽の世界に生まれ変わったブコウスキーみたいと思ったが、時間的に二人の誕生と死が整合しない。

 「House where nobody lives」
 「誰も棲んでいない家」。
 一瞬、そういう題名の小説が書けるような気がした。
 そう、無論、語り手=主人公は死者だ。

 あれ、16曲目の「Come on up to the house」もずいぶん楽しい曲ではありませんか。「Come on a my house」じゃなくて「Come on up to the house」って、どう訳したらいいんでしょう?

��youTubeにありました)



 

それじゃ困るんです

 昨夜から今朝まで12時間以上ネットに接続できない状況が続き、その後も途切れることがあった。あまりに長かったので、NTTとプロバイダの障害情報を見たが、何も書かれていない。こういう場合、インターネットのどこで切れていたのかまったく判らないので、困ったものです。長い停電と同じでつながるまでじっと受身で待つほかありませんが。

 7&Yから今日入荷というメールが着信していたので、10時以降7イレブンに行って季刊文科46を購入して来た。首都圏の書店でも見つからないということなので、田舎の書店にあるはずもなく、10日の夜に注文して13日に届いたのはネット書店の恩恵である。速いのはAmazonだが、こちらは1500円以内は送料が必要なので、1500円以内の時やあまり急がない時は7&Yを使う。
 それで早速、〈同人雑誌の現場から〉という欄に掲載されている「文芸同人誌案内」のひわきさんの「同人誌内循環」という文章を読ませていただいた。他の二つの同人誌の主宰や編集人の方の文章も併せて読んだ。それぞれの視点で書かれており、同じ同人誌の埒内に立つ者としてはどの文章にもうなづけてしまう。
 どうもしかし、いつからこんなに商業誌に書くひとと同人誌に書くひとの間に垣根が出来てしまったのだろう。以前は、プロもアマも文学という名のひとつの地続きの場に立っていたような気がするのだけど。今はこんなに遠く分け隔てられているんですね。で、どちらの出来事も他人事? それじゃ困るんです。



2009年11月13日金曜日

~~しなくっちゃ

 「寒くなってきたからそろそろ人参を採らなくっちゃ」と老母がいうから自分が採りに行くのかと思うと、そうではない。動く気配はまったくない。
 わが家の場合、これは一種の命令文である。
 解りやすく「そろそろ秋も終わりなので人参を収穫しなさい」とか「お願いだから人参を収穫してきてね」というのだったら判りやすいが、そうではなく、どこまでも「そろそろ人参を採らなくっちゃ」という自分に言っているのか誰に言っているのか不明な文言である。
 なぜか、こういう言い方をわが家の二人がする。決して私に命令もお願いもしない。「~~しなくっちゃ」なのである。

091112ninjin.jpg

 で、気の弱いわたしは仕方なく仕事を放り出して一時間ほど人参の抜き取り。いつもは右のコンテナに入っている五寸人参だけなのだが、今年は味が良いといわれる左の「スーパー尺人参」という種類を1袋、初めて播いてみた。つまり播種量が倍なので、収量も倍。コンテナ4つ分。こんなに要らないので、また、あちこち配って歩かないと......(ーー;)。



2009年11月11日水曜日

おっかない(怖い)目をしたひと

 同人誌「胡壷・KOKO」を発行しながらウェブサイト「文芸同人誌案内」を運営されているひわきさんが、「季刊文科46号」に「同人誌内循環」という文章を書かれたというので、地元の書店に入ってみたが、無かった。かつて版元が近くにあったときには必ず置いてあったのだったが、今はどうも注文しないと入手できない模様。しかし、こういう時代なので書店に頼むよりネットで注文した方が早い。しかも7イレブンだったら送料の負担なしで、数日のうちに着く。ということで、速攻でオーダー。かつてはそれでも書店を大事にと思っていたのだけど、書店に勤めているお譲様たちの余りの知識の無さに閉口し、以後はネットで本を買うことに躊躇しなくなった。単に本という物を買うだけだったら、AMAZONや7&Yの方が即物的にずっと優れている、悲しいけれど。




 Tさんの認知症の奥さんは私が行くとニコニコして「こんな可愛い目をした人はどこにもいない」という。言いながら顔を動かし、自分の旦那さんに向かってはこういう。「おっかない(怖い)目をしてる」と。自営の仕事をしながら認知症の奥さんの世話をし、炊事、洗濯、掃除、家事全般をこなしている、頭が下がるTさんなのだが、奥さんの目にはそういう風に見える。おそらく、どういう場面でか怒ったことがあったのだろう。以来、「おっかない(怖い)目をしたひと」になってしまったのだ。
 私がTさんとしゃべっていると奥さんが言う。
「euripidesさん、それだけしゃべれれば大丈夫だ」 
「家でおしゃべりでうるさいって言われてます」
「euripidesさんは何の歌が好き?」
「石原裕次郎の赤いハンカチ」
 なぜか、混乱してはいけないと思ってずっと「石原裕次郎の赤いハンカチ」と繰り返している。たまには変えた方がいいのだろうか。


2009年11月9日月曜日

見なければよかった?

 Google Mapのストリートビューで、気にかかっていたパリのワット通りを見て、涙が出てしまった。
 ボリス・ヴィアンがレーモン・クノーと歩いたLa Rue Watt(ワット通り)のことを書いた詩がシャンソンになっているのだが、そのワット通りの現在は、まるで上部を高速道路に覆われたかつての旧甲州街道さながらで、高速道路の工事中なのだった。
 これではまるで、似て非なる惑星ソラリスの光景ではありませんか。
 見なければよかった?
 いや、当時からコンクリートむき出しの通りだったのかもしれない。
 そう考えれば泣かずに済む、よ、ね。

2009年11月8日日曜日

ようやくスタート地点

 緯度や標高などについて検索しているうちに、こんな面白いページに迷い込んでしまった。google map上でクリックするとその場所の標高が判ったり、地図上の道路をたどってゆくと二つの地点の距離が判ったり、いろいろ便利。後者は通勤手当の申請に必要な距離計算が実際に走ってみなくても地図上で出来る。使えなかったのは「あなたが今いる場所を当ててみます」。これは県庁所在地が表示されてしまった。IPアドレスではんだんしているらしく、必ずしも正確に把握できないようだ。ほかにも日常生活で使えそうなアイテムがかなりあるので「お気に入り」に加えてておいた。




 Tさんにソバの製粉を40kgも頼まれてしまったので、午後、とりあえず20kgを製粉した。磨きから製粉、そして1kgずつ計量してガス(酸素、空気など)を通さないガゼット袋に入れ、脱酸素剤を入れてシールをするまでに3時間かかった。何とも厄介な作業である。ただし、ここまできちんとして冷凍保存しておけば、来年の真夏でも風味を失わない蕎麦を打てるので仕方ない。
 昨年の粉が、磨きが足りなかったのと粗挽きを混ぜたせいでつながりが悪かったのを反省し、磨きは十分にし、篩いも80目(約64メッシュ)より粗いものは混ぜないことにした。昨年は、微粉は風味が薄く、粗挽きの方が風味があると思い込んで粗挽きを混ぜたのだったが、どうも粉が細かい、粗い、それで風味が薄い、濃いというのではないのではないかと思いはじめた。微粉になりやすい玄ソバの中心はもともと風味が薄く、甘皮の部分は風味が強いが微粉になりにくい。つまり一番粉、二番粉と篩ってなお粗く残っているのは風味が強い甘皮の部分が多いので、それで粗挽きが美味いということになる。ただしこの甘皮は小麦のフスマ同様、粉になりにくい。ことに個人の石臼や製粉機で甘皮を微粉にするのは難しいのだが、少し頑張って甘皮が64メッシュを通るまで反復して臼にかけてみた。それでも篩い残るものがあるが、それはオヤマボクチ蕎麦のときに混ぜて使えばいいので別の袋に保存する。
 そうやって甘皮を挽き込んだソバ粉で先日打った蕎麦は、粗挽きを混ぜなかったので良くつながったし、風味もよかった。
 やはり、「粗挽きだから風味がある」のではなく、「甘皮だから風味がある」、「甘皮だから簡単に細かくは挽けない」のであった。
 三年目にしてようやくスタート地点に立った感じ。製粉会社に依頼した一年目の粉は微粉でよくつながったが風味がまるでなかった。あれは多分、甘皮の部分を挽き込んでくれず、一番粉、二番粉中心の粉だったのかもしれない。

2009年11月4日水曜日

おお寒い

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 浅間山初冠雪。午前中は雲に阻まれて撮影できず、この写真は午後。見ているだけで、おお寒い。
 菜園に見回りに行ってみたら、落花生とヤーコンの葉が凍みて萎れていた。




091103nezumidaikon.jpg 地主のBさんからいただいて播いた「ねずみ大根」、播種時期が遅かったのであまり大きくなっていないし、お尻がねずみ大根特有のふくらみになっていない。あるいは純粋なねずみ大根の種ではなかったのかもしれない。
 だが、蕎麦の薬味にするほどに辛ければ、小さい方が一度に使い切りとなってかえって重宝である。




 要するに、今の日本の状況を描写提示できるだけの人物、主人公をイメージできない。
 しかも、笑えることに、男を主人公にしたとたんに、そこへ多かれ少なかれ自分の影が投影されてしまう理不尽に自己撞着してしまう。その自己撞着を回避するためには、主人公を自分からもっとも遠く離れた存在である女性にする必要がある。
 ということで、チエーホフのカーチャなどをイメージしたりしているのだけど、それがどうしても軽く浅く影の薄い存在になってしまうのでうんざり。やはり、ヴィアンのウルフとか、ホフマンスタールのチャンドス卿とか、ビュヒナのレンツとか、男の主人公で書くべきなのか?
 こんな、何とも厄介で面倒な手続きを経なければ小説が書けないなんて、やっぱり物書きに向いていないのだろうと類推せざるを得ず。
 おお寒い、ぶるぶるじゃよ。





2009年11月3日火曜日

「彼」や「彼女」の背中

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 わが家の菜園の隣の公園とrhubarb。
 一眼レフを持っていってみたが、あまりいい写真は撮れない。
 いよいよ明日の朝は零度以下に下がるらしいが、旱魃の影響で大根、野沢菜の生育が遅れているので、あと半月ほどは温かい日が続いてほしい。




 今夕は収穫祝いを兼ねた新ソバ会。何のことはない、私にソバを打たせておけば自分が楽という、ただそれだけの理由。
 自分だけではないのでオヤマボクチ蕎麦はやめて、普通に二八。60メッシュを通ったものだけで粗挽きを混ぜていないので十割でも十分いけると思うが、それもまた自分だけの時の楽しみにとっておこう。

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 そば殻の抜き方など少しは上手になって来たか、蕎麦の見た目自体が劇的にきれいになった。味も家人ふたりが文句も言わずに残さず食べたので合格だろう。
 あの篩い残った甘皮を徹底的に挽いた粉、さてどう使ったらよいのか。あれをすべて60メッシュを通るほど細かく挽いて混ぜたらいいのだけど。 




 やはりシャンスラードとミナの小説の方が落ち着きがいい。
 一人の人間の背中に張り付くにしても、その背中が一人称か三人称かで、ずいぶん変わる。「春その他の季節」では「あたし」や「私」の背中に張り付かせられるのだが、どうも居心地が悪い。
 「彼」や「彼女」の背中の方がいいのはどうしてだろう。
 
 今夜のPoetes & chansonsはRobert Desnosの19曲。

2009年11月2日月曜日

ひとりの人間の背中に張りついた小説

 温泉行きやら雨降りで山積していた仕事がようやく片付き、本日の午後は玄ソバ20kgの製粉作業。
 その結果、1番粉4,0kg、2番粉4,2kg、3番粉6kg=14,2kg。これで歩留まり71%。その他に64メッシュの篩いを通らないソバ殻や甘皮の砕けたものが3,6kg。歩留まりから考えても3番粉までとしておくべきであろうが、この粗い4番粉をなめてみると、そばの風味が強く、また蕎麦掻きのようなねっとりした感触もあり、捨てるに惜しいような気がして、更に反復して臼にかけたりふるいに掛けたりして出来たのが2,5kgの4番粉。
 粉を生のままなめてみると、そばの風味、甘み、ねっとり感が抜群である。捨てるのは惜しい。先ずは蕎麦掻きにして味見してみよう。

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(左の写真の左の袋が60メッシュを通った1番から3番粉を混合した普通のソバ粉。右の袋は甘皮などを更に根気良く臼に掛け、篩ったもの。こちらの方が色が白くなく、ソバ殻の星も多い。右の写真は左の写真の一部を拡大したもの)

 いずれにしても、この4番粉を混ぜるとソバのつながりが悪くなる可能性があるので、自分用専用の秘密の粉にしておいて、オヤマボクチ蕎麦にするときに混ぜたらいいのではないか。
 ソバ殻とサナコ3,3kgで合計20kg。これで、自家製粉の手順もまずまず呑みこめた。


 いよいよ気温が下がってきたせいか、rhubarbがいよいよ赤味を増してきた。やはり、6月初めに一度収穫したら、消耗する8月9月は収穫せず、11月、霜が降りる直前に収穫すべきかもしれない。いずれにしても常温でも出来るだけ赤い株を探すのが肝心。来春播種用に更にまた海外の種苗会社へ10袋追加注文してしまった。これで同じ会社へ5回目の注文、ほぼ狂っています。
 これまでの経験から、もっとも有望と思える品種でさえ、300の種から1~3本くらいしか残せる株が無い。
 (お、22.32に発送しましたというメールが着信。日曜日なのに、すごい)

 あいかわらず、ル・クレジオと丸山健二のエクリチュール。
 前者の「春その他の季節」は、「海を見たことがなかった少年」の世界に通じている。こういうひとりの人間の背中に張りついた小説でいいのだと思うようになって来た。
 

2009年11月1日日曜日

旧式

 野暮用や雨降りに阻まれてまだ出来なかった自家用水田の脱穀を、昨日の午後からようやく開始。

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 親戚からタダでいただいてきたが、キャブレターやらエンジン調整とパンクした左タイヤの交換(タイヤ1本で19,000円は高い!!)などで結局は5万何がしかの修理代をかけた自走式脱穀機を使って、家族3人だけでのんびり脱穀したので一日半かかった。
 それにしても、コンバインでの収穫が年々増えて、天日で乾燥させて脱穀という旧式な方法はめっきり減った。まあ、わが家は籾から精米できる自家用精米機があって、自家用分は籾のまま貯蔵していますので、できる間はこのスタイルでいこうと思っていますが。



2009年10月31日土曜日

Poetes & chansons

Poetes & chansonsシリーズの中から、Jules Supervielleの15曲を聴く。

Plein ciel
L'enfant de la haute mer(朗読)
A la nuit
Lourde
Hommage a la vie
Casquette
Mouvement
Oublieuse memoire
Prophetie
Les amis inconnus
Le tapis vert
Pour un poete mort
Dieu pense a l'homme
Vivre encore
Lettre a jules supervielle

 なかなかいいので、iTuneでパソコンに取り込もう。


2009年10月29日木曜日

小説的体裁から遠くなってはいても

 ル・クレジオの「発熱」が見つかった。1970年に発行されたものの1974年5刷版。35年前の本。ずいぶん歳月が過ぎた。読んだか読まなかったか記憶に無いが、開いてパラパラ見た印象では「そのときわたしは平和と眠りを見いだすだろう」という8頁の短編にかすかな覚えがある。
 小説というより詩的エクリチュールなのかもしれないが、言葉が単なる意味伝達の道具に成り下がってしまっている小説などより、小説的体裁から遠くなってはいてもエクリチュールとしてははるかにいい。
 まだ「ロンドその他の三面記事」を読み終えていない。

 玄ソバの天日乾燥終了。干しただけで100kgが97kgに減った。
 秋は外での活動が多くてダメ。
 空気が澄んだ日を狙って写真も撮りに行きたいし......。



2009年10月28日水曜日

メモ

 とある国のある種苗会社に19日に注文して19日に発送された例の種が、今日配達された。あの国からはだいたい8日で着く。
 この会社への注文はこれでもう4回目。同じものばかり4回も注文して妙な日本人だと思われる?
 30入り5袋で、これまでは60粒前後入っていたのだが、今回はどうも少ないらしいのでいちいち開封して数えてみた。44、46、48、52、58粒で合計248粒。やはり50粒くらい少ない(泣)。もともとは30seedsなので、これでも多いんですが。

 所用で郵便局に行ったついでにゆうちょダイレクトの申込書をもらってきた。いわゆるインターネットバンキングのゆうちょ版。自宅に居てよそからの入金が確認できたり、どこかへの支払いが出来たり、便利といえば便利。

2009年10月27日火曜日

ぎょっ

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 久しぶりにまとまった雨が降ったら、菜園の隅に伏せておいたひらたけがびっしり生えていて、直径40cmの笊にいっぱい採ったが、まだたくさん残った。大きくなりすぎ。
 しかもその横を見たら、ナメコも顔を出しはじめていた。

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 これで、一向に出てこないのはクリタケのみ。
 ホームセンターへ行って、温泉旅館などで朴葉焼きなどをする小さな網焼き焜炉をひとつ買って来た。例の固形のアルコール燃料を使う焜炉。

2009年10月26日月曜日

試行・オヤマボクチ蕎麦

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 今日は先行播種分の新ソバ粉で自分だけのオヤマボクチ蕎麦を打ってみた。乾燥しすぎを警戒し、乾燥を軽くして製粉したせいか思ったより多加水になってしまい、少し粉をまぶして調整。それでも掌にべたつく一歩手前でこね続けると、そのうちに硬めになって来た。こねれば柔らかくなってくる通常の蕎麦打ちとは反対である。少し水分を足すか迷ったがそのまま続行。すると延しがきつい。可能な限り薄くと思ったが、なかなか1mmまで薄くならない。オヤマボクチ蕎麦は厚いとコシがあるのを通り越して固すぎになってしまうし、妙なモチモチ感が出てしまうので、薄く延すことが最も大切な要点。
 茹で上げた結果、やはりもう少し薄いとコシと歯ごたえが最高になる。
 右の大根おろしは「ねずみ大根」ではなく、「松島交配からいね大根」。最高に辛いのでワサビも不要なくらいだが、ワサビも少々混ぜる。

2009年10月25日日曜日

いい加減で腹を括って

 アメリカ、アイダホ州にあるこの農場のウェブサイト、、豆の種類が多いのでついつい時間を過ごしてしまう。豆の形や名前が面白い。Adzuki Beansは日本の小豆であるし、Scarlet Emperor Beans(「緋色の皇帝豆」)も日本の花豆に似ている。いや、これは、昔、日本が輸入して栽培しているのかもしれない。
 豆の一覧ページを翻訳ソフトにかけると、「紫水晶豆」、「ガラガラヘビ豆」、「赤カリプソ豆」、「オーロラ豆」、「赤たそがれ豆」、「ジェイコブの牛豆」、「バタースコッチ豆」、「スウェーデンの茶色の豆」、「メイフラワー号豆」、「白い走者豆」、「白いアステカ族豆」、「ヨーロッパの兵士豆」、「黄色のインドの女性豆」、「プエブロ豆」、「フランスの海軍豆」、「鷹豆」、「修道士エンドウ豆」、「白い大理石豆」などなど、ひとつひとつ名前と形を見て行くと実に楽しい。
 そうこうしているうちに、ミシシッピー州の種苗会社に、模様のあるクリスマス・ライマビーンズではなく、形は似ているが皮が白い「Giant White Lima Beans」という種類の種を発見。

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 ついつい、注文してしまいました。
 送料込みで7,69ドルをPaypalで支払いを済ませたら、送料が1,96ドル足りないというメールが入ったのでもたつきながら追加払いをしていたら、じきに10月24日中に発送しますというメールが入った。時差があるからまだ十分時間はあって24日発送も当然かもしれないが、なんだかあまりに便利すぎます。しかもこの種苗業者、親切にも「Helpful Seed Sowing Hints」なる簡単な栽培方法を記したメールまで送ってくれて、この調子だと、あれこれ世界中の種を買いまくりそうで困ったものです。




 文芸同人誌「海」第二期創刊号、2号を送っていただいた。九州はとにかく同人雑誌が活発でうらやましい。「黒馬」37号も今日到着。横溝正史が諏訪に疎開していた頃のことを調べたエッセイが面白い。
 ル・クレジオの「ロンド その他の三面記事」のなかに自分のイメージしている人物像に近い女性がいる感じがしたので読んでみたが、読んでみればまったく違う。そういえば、再読したいのに「発熱」がどこにあるのか所在不明。もう少し、平積みの本をきちんと整理しないと罰があたる。いや、もうあたっているというべきだろう。本を大事にしない者は本に逆襲される。人を大事にしない者は人に復讐される。
 いい加減で腹を括って書きはじめないと。あれこれに過剰に注ぐ情熱の、ほんの少しでも削って、書くことに費やしましょう。

2009年10月24日土曜日

そこそこCrimson

 だいぶ冷涼な気候になってきたので様子を見に行って観察していて、ほんとうは根株の養成のため今年播種した一年物は収穫してはいけないのだけど、気がついたら7本の茎を採っていた。
 夕食後、切って煮て発色のテスト。

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 ほう、まずまずの色あい。前回のテストの方が透き通った色あいだったが、これくらいなら大丈夫だろう。来年の春が楽しみ。
 これで大もうけ(嘘々)

 男の癖にジャムなど作ってみたりして、私は、何やっているんだろうね。
 いろんなことに夢中になるのはやはり回避行動だろう。

 酸素などを通さないガゼット袋100枚と、脱酸素剤100個を、小分け販売してくれる九州の会社に注文。昨年に続いて二度目なので、ポイントが残っていた。25日に代引きで到着。

2009年10月23日金曜日

215,5kg

 今日も午後出動して残る半分のソバ脱穀。
 ようやく夕暮れ前に終了し、収量は215,5kg。これをTさんと半分ずつ分けるが、15,5kgはトラクタで3回ほど耕運したTさんに上げ、ちょうど100kg。乾燥すれば減るが、それでもこんなには要らない。今年は旱魃でかなりの不作らしいので、これくらいでよしとしよう。

2009年10月22日木曜日

汗と埃の日

午前9時半に畑集合で、Tさんとソバ脱穀開始。
 ブルーシートを2枚敷いて、その真ん中にソバを置いてへの字型の捧で叩く。一回目はまだ夜露の影響か落ちが悪く、叩くのに疲れたが、2回目からは乾燥してきて気持ちよくソバの実が落ちるようになった。

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 叩いて脱穀した後のソバの茎の山。その山のような茎を片付けると、以下のソバの実、葉、茎などの混じったものの山。

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 これを篩いにかけ、さらに唐箕(とうみ)という機械を使って風選すると、茎、葉などのゴミが吹き飛んで、ソバのみだけが取り出せる仕組み。ただし、唐箕での作業は唐箕の操作とソバの実供給係とふたりで手一杯なので、写真を撮る余裕がありませんでした。
 まだ畑の半分だけしか脱穀できなかったので、明日の午後、また残りを脱穀することになっている。
 ほぼ畑の半分の面積を脱穀しての収量は112kg。
 20kg入れの紙袋が5袋と、12kg。
 この塩梅だと、地主さんに25kgくらい上げても、二人で100kgずつ分けられるかもしれない。(^_^)
 (それにしても、ソバの刈り取りと脱穀は応援無しの二人ではきつい......)



2009年10月21日水曜日

まさに秋

091020hiratake.jpg あれ? これも、昨年の春に植えたヒラタケ。昨秋、少し発生しましたが今年はもっと出そう。
 それにしても、ナメコとクリタケは出る気配がまったく無い。
 今年は9月が旱魃だったため、山の茸は不作で、行ってみるまでもなかった。これで三年、茸は不作。どうも気象が極端すぎる。
 
 明日はソバ脱穀作業。どうも共同栽培は相手と都合を合わせるのがタイヘン。これで収穫作業も詰めなので、頑張ろう。

2009年10月20日火曜日

書けない理由

 昨日は大人7人、生後6ヶ月の手足の運動活発な男児一人で、県内の温泉で一泊。赤ちゃんに気をとられて酒宴はそこそこに終了。
 今日はまた、チェックアウト後は都会から来たゲストたちのために松茸小屋に寄って松茸料理。旱魃で9月10日過ぎからぱったりと出が悪くなったらしいので心配していたが、一応松茸料理が出てきた。メインは松茸鍋であったが、ちょっとスライスの仕方が上手で薄過ぎて、これでは歯ごたえ、食感が判らないではありませんか。しかし、不作の今年は仕方ないでしょう。豊作の年にまた行ってみたいものです。
 甥の嫁さんがシナノスィートとレッドゴールドというリンゴを買って帰りたいというがレッドゴールドがなかなか見つからない。有名なM農園に行ってみて無かったら諦めるようにと言ってゲスト一行と別れたが、まもなくM農園にありましたというメールが弟から入った。さすが。
 レッドゴールドというのは新品種かと思ったがそうではなく、1950年に青森県がアメリカから導入した品種ということです。そのなかの特に色の濃い実が蜜の入りが良く、実の中まで赤味のあるものがあるようです。北海道、青森が主産地で当県ではあまり栽培されていない模様。

091020rhubarb.jpg 帰宅後、あるRhubarbの種30粒入りをもう5袋(実際は60粒前後×5袋)注文。代金はPaypalを介したクレジットカード決済。海外からの種輸入はこれを最後にして、以後はその中からの株の選抜と、それらからの採種・播種・選抜の繰り返しをするのみ。

 生後6ヶ月の赤ちゃんの活発な手足の動きを見ていて、物書きとしての視線を赤ちゃんほどに予見や先入見のない位置に設定しなおさなければと思った。
 私の視点は今やあまりに予見や先入見に曇らされていて、多分、そのあたりに書けない理由があるのかもしれない。

 私小説といえば、書き手が実際に生きて経験したことをありのままに書いたという、「単なる形式上のクソリアリズム小説」に過ぎないのだが、むしろそれを逆手に取って、人称は一人称だが書き手の人生とは切り離された虚構の物語、そういう小説が書けたらいいのだけど。(ジョイスはそれをやっているよね。モーリーになりきって「ユリシーズ」最終章を見事に書き切っているじゃん)
 あるいは、一人称を詐称したメタフィクション!! (アリアドネといっしょに迷宮ダンスを踊っている気分)、あるいはバッハの音楽のようなポリフォニー。
 しかし、ポリフォニーの根源は「ひとりの人間の声、生き様」であって、それを客観化したいがために複数の声=ポリフォニーが必要となるのだ。ポリフォニーは人間と世界を客観化するためにこそ必要なのだ。そうでなければ、自己否定するように見せかけながら結局は自己肯定してしまうような、日本的・私小説的・クソリアリズム小説の胡散臭さなど一掃できるのだけど。
 
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2009年10月18日日曜日

新ソバ

 今日はソバの脱穀の予定だったが、天気予報に傘マークがあり、Tさんと相談して来週に延期。
 午前、二時間ほど薪割り機操作。昨年Tさんからいただいたクルミの木の太目のものを割ってみた。おおむねパカッと割れるが、数回、割れずに機械が停止、ブーレーカーが落ちた。ほかに電気を使っていない分電盤4の電気を使っているが、それでもブレーカーが落ちる。機械は1500Wでブレーカーは20Aなのだが、瞬間的に超えるのだろう。するとしばらく薪割り機の電源が入らなくなる。しばらく放置しておくと、そのうちに入るようになる。直径30cm以上のもの、節があるものなどは要注意。しかし、人力より捗るし、体が楽だ。

 今日は家人が泊まりで出かける予定なのに、また長男が予告無しの帰省。今月2回目。さっさとオートバイに乗って八ヶ岳方面へ。
 夕食はどうする? 仕方なく、新物のソバ粉も出来たので、夕方、蕎麦打ち。あまり乾燥させなかったので加水率を50%で始めたら堅すぎて慌てた。ちょいとつながりが悪くたたみ目で切れたが、コシと喉越しは良かった。風味はこんなもの?

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 それから、昨年春に菌を植え込んだシイタケが顔を出し始めているのを発見。2日ほど水に浸す。
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 明日は家族全員で温泉。

2009年10月17日土曜日

またシャンソン、そして

 また、Poete &chansons,Arthur Rimbaud、全20曲を聴く。ランボーの詩にメロディがつくとこんな風になってしまうのが不思議。
 それから Léo Ferrévがヴェルレーヌとランボーの詩を歌っているverlaine et rimbaud、24曲も聴く。この人の唄、心地よすぎてかえって苦手な感じ。

 そして、また飽きもせずに、これ。

 
 結局は、ユダの気持ちはユダ以外の人間には解らない、のだが。
 この曲がYou Tubeにあきれるほどアップされていて、聞き比べるのが実に楽しい。

2009年10月16日金曜日

頭空っぽな肉体労働派

 このパソコンに接続しているレーザー・プリンタで印刷が出来なくなった。
 仮想プリンタというか、印刷用中間ファイルを作成するためのドライバをインストールして、なにかの拍子に削除してしまったらしいので、レーザー・プリンタのドライバを再インストールしようとしたが出来ない。またWindowsXPの新しいハードウェアの検出、ドライバのインストールも機能しないのであせった。
 プリンタのプロパティにレーザー・プリンタは見当たらない。けれどコントロールパネルの「プログラムの追加と削除」を開いてみるとレーザー・プリンタが表示されている。そこで、いったんそれを削除したら、WindowsXPの新しいハードウェアの検出、ドライバのインストールが機能してプリンタ・ドライバが再インストールされ、めでたしめでたし。プリンタが使えないと業務上の伝票発行が出来なくなってしまうので、蒼くなってしまいました。

 先日注文しておいた電動油圧式薪割り機が届いた。ホームセンターで陳列されている4tタイプでは力不足らしいのでもう少しパワーのあるものを探したのだったが、パワーはあっても消費電力1500wというのが難点で、家庭用の電気製品は15アンペアが限度。限界ぎりぎりな製品なのだ。分電盤で20Aずつ分けられているとはいえ、電線が発熱してショートしたり火事になったりしては困るので、びくびくの注文だった。
 夕方、試用した感じでは、まずまず大丈夫らしい。一昨年伐採したクルミの木を玉切りしただけで放置してあったものを割ってみたが、直径30cmくらいのものはあっけなく割れた。あまりに太すぎるものや、あまりに堅い樹種でなければ使用に耐えるらしいので一安心。
 妻の実家に山があるのは知っていたが、落葉松などを植林してあって広葉樹は無いと思っていたら、あるらしい。義兄に暇な時に山の場所を教えて下さいと言っておいたので、この冬はまたチエーンソーを振り回せるかも。
 あれは真冬でも汗びっしょりになるハードな労働なので頭空っぽな肉体労働派の私には最適なのです。
 森閑とした山のなかで自分のチエーンソーの音だけが響き渡る。エンジンを切ると森閑とした静寂。うーん、待ち遠しい。







2009年10月15日木曜日

その両方

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 昨夜、Tさんから電話があり、本日、急遽ソバの刈り取り作業。まだ少し早いような気もするが、共同栽培なので仕方なし。
 家人ふたりが午前と午後に分かれて応援してくれたので、Tさんが草刈り機で刈り倒し、他の2名でそれをある程度の大きさにまとめて地面に置く。いわゆる「地干し」である。4~7日くらい干して次はそれをブルーシートの上に置き、捧で叩いて脱粒させるという恐怖の原始作業。
 奥様いわく、「ソバを種から栽培するなんて、よほどのソバ狂いか、バカか、どっちかだわね」
「ふん、その両方ですよ。何か文句、ありますか」
��腰が痛い......)

 ある雑誌のレイアウト作業終了し、本日、データCDと出力見本を宅配便で印刷会社に発送。やれやれ。これも「バカ」でなければしないボランティア作業。
 入浴して、ビールを飲んで、Jazzでも聴こう。







2009年10月14日水曜日

夜なべ仕事

 夕食後、13kgの玄ソバを製粉。昨年より少し進歩して、粉がきれいになった。
 時間切れで、計量や真空パック袋へ詰める作業は明日。

2009年10月13日火曜日

磨きをかける

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 午後、昨日テストしてみた循環式精米機での磨き作業兼ゴミ落としを続行。ふるいにかけただけで唐箕にかけてないものをそのまま投入するので、たまたま詰まって循環しなくなりますので、左写真のように量を少なめにして回数でこなします。
 萼などのゴミは精米機の網から下の受け箱に落ちますが、網を通らない茎などは実とともに循環していて排除できませんので、扇風機を使って茎、実の入っていない形だけのソバなどを吹き飛ばすと、右写真のようなきれいな玄ソバになりました。
 また、ソバの磨きには精米機の抵抗をゼロにして行ないますが、1,2,3と抵抗を増やしてみればソバ殻が剥けてまるぬきの状態になりはしないかと試してみましたが、抵抗3でもあまり変化は見られませんでした。4,5と試してみればよかったかもしれませんが、あきらめました。やはり殻を剥くのは専用の機械でなければ無理なのでしょうか。
 先ずは、磨きがきれいに出来たので満足。

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 一方、こちらはまだ刈り取りしてない900坪のソバ畑。後から咲いた下の方の花もほぼ実になっていて、相棒のTさんも今日で稲刈りが済んだようだし、今週はいよいよ刈り頃のようです。

2009年10月12日月曜日

ソバ狂ひ

 先日刈り取りした先行播種ソバがどれくらい乾燥したか見に行って、クルミの木を玉切りしたものをブルーシートの中央に置き、そこにソバを一握り持って叩き付けたら、面白いようにソバの実が落ちたので、ついつい全部脱粒してしまった。まだゴミが多いが唐箕を借りて来るほどの量でもなし、いきなり循環式精米機にかけてみた。二回ほど詰まってしまったが、量を加減すると結構循環して、その間に萼などのゴミが排出され、ソバの皮も磨かれて黒光りして来た。ただし茎や実が充実せず皮だけのものは残っているので、明日扇風機を唐箕代わりにしてゴミを飛ばしてみよう。
 それからもう少し磨きをかけ、乾燥すれば製粉できるが、乾燥しすぎは風味を無くすようなのでほどほどにしておかないと。穀物の水分計があって計測すればいいのだが、そこまではどうも。一昨年、製粉会社に出した際には水分計で測ったのを記憶しているが、13%くらいだった。しかし米もそうだが、ほんとうにおいしいのは15%くらいであるらしい。乾燥しすぎに気をつけよう。
 量は、まだすべてを精製してないので判らないが、どうやら10kg以上あるらしい。部分的に水捌けの悪い場所があり、そこは生育が悪かったので、すべて平均に出来ていたら15kgはあったかも知れない。

 昨日のBill EvansのCD、58曲全部だと6時間39分かかるらしい。一週間か十日がかり。iPodにそんなに移せるかどうか。

2009年10月11日日曜日

ストレス溜まらない人間

 今日は親戚の稲刈りを朝からお手伝い。主人であるひとが肩の筋肉に断裂があって3月に手術したのだが、その後の回復がよろしくなく、いまだに痛みもあり、握力も半分しか無いというので、稲刈り機を運転することが出来ないらしいので、その代役として参加。
 JR小海線沿いの水田で、ガタンガタンいいながら走ってくる2両編成のジーゼルカーを横目に、終日、稲を刈ったり掛けたりしておりました。
 どうも知性・頭脳労働派というより単純・肉体労働派なので、こういう風に体を動かした方が脳が活発化するらしく、稲刈り作業中に勝手に人物が動き出したりしゃべり出したのだけれど、メモも出来ず、そのうちに忘れてしまいました。
091010shinanosweet.jpg 帰りにシナノスィートという林檎を一箱、十数キロほどいただいてきましたが、この林檎、酸味と甘みのバランスが良くて、しかもみずみずしいので大好きです。久しぶりの一個丸かじり。
  兼業2種が専業農家を手伝うということでだいぶ疲れましたが、帰宅後の入浴&ビールの結構なこと。(つくづく、ストレス溜まらない人間ではあります。だから書けない、のかもしれません)

 いい気持ちでパソコンに向かい、Bill evans: turn out the stars/the final village vanguard recordings june 1980という今年5月に出たCD(何と58曲入り)を聴く。1980年6月のヴィレッジ・ヴァンガードでの演奏らしいが、それほどのジャズ・ファンでもないので詳細は知らないが、LogicoolのZ-4というサブ・ウーファー付きのスピーカーを接続してあるおかげで、パソコンで他の仕事をしながらそこそこの音質でビル・エヴァンスのピアノも聴けて最高である。
 少しMP3ファイルにしてiPodに入れよう。全曲?
 

2009年10月9日金曜日

寄る年波

 家人のノートパソコンの電源が使用中に切れて怪しいと思ったら、やはりACアダプターのジャックの手前の電線が妙な捩じれ方をしていて、そこが断線しかかっているらしい。そのあたりに触れると電源が落ちる。仕方なくそのパソコンを買ったメーカーのウェブショップであるエプソン・ダイレクトで検索したら、適合するACアダプターがまだあったので注文した。すると、今日発送で明日の午前中には配達。すばらしい。しかも他のメーカーの類似品より価格が良心的。

091008sobafarm.jpg 18号台風は、不思議な台風であった。わが県を縦断したはずなのだが、このあたりではたいした風も吹かず、雨も少なかった。大仰に雨戸まで閉めたのが拍子抜けだった。どうやら台風というものは目というか、中心に近い方が風雨の害が少ないようだ。かえって中心から離れた方が被害が大きい。
 午後3時過ぎにソバ畑にも行ってみたが、ほとんど倒伏していなかった。来週あたり刈り取りだとTさんは言っていたが、倒れなくてよかった。

 「りす」、実に読むスピードが遅い。人物ひとりだけに視点を置いた固定焦点小説を読むのがつらい病気の私にとっては楽しい小説なはずなのですが、それでも読む速度が速くならないのは寄る年波の所為と思われます(泣)。

2009年10月8日木曜日

その一行

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 台風に直撃されそうなので菜園の見回りに行ったが、目のつけどころがずれている。時期はずれになって二度目に播いたものも、この頃の雨で成長を再開した。
 この茎も結構赤いが、理想通りの形質はほんとうに数百、千粒播いて一株あるかないか。来春は300粒×4種類。見込みありそうなのをもっと大量に取り寄せて播種すべきか?(あまりにのめりこみすぎ)


 嵐の前の静けさか、妙にしーんとしている。雨の音だけ。外界に人が生きている実感がない。
 
 「りす」といっしょに置いてある「水の家族」を、ついうっかりのぞいてしまった。雑誌連載時にも気になっていた、一行置いては十行以内の文章が続き、また一行置いては文章というスタイルの、その一行が気になって気になって......。たとえば書き出し。

 ただならぬ水の気配がする

 花冷えがするこんな夜更けに、何者かが川を泳いで渡ろうとしている。異様に張り詰めたその気配は、対岸にある三重連の大水車が休まずに立てる水音をかいくぐりながら、確実にこっちへ近づいている。私は息を殺してそっとペンを置き、尚も心耳を澄ます。どうやらけものの類ではなさそうだ。
 人間だ。直接見たわけではないのに、人に間違いないという確信が、私をぐさりと貫く。

 八重子ではないか。

 激しく押し流されながらも、疲れを知らない見事な抜き手を切って、幅一キロのわすれじ川をぐいぐいと横切る八重子の姿が、はっきりと目に浮かぶ。(略)
               丸山健二『水の家族』冒頭

 なぜこんな風に一行の前後を空けるのか? すこしあざとすぎるというか、一行が目立ちすぎはしないか?
 一行の前はともかく、後ろの一行分は詰めた方が小説としてすっきりするような気がするのだが。多分、そんなつまらないことが気になって、連載当時も単行本を買った当時も最後まで読み通せなかったのだった。今回は読み通せるだろうか。文体は嫌いじゃないのだけど。
 「りす」に戻ろう。
 

2009年10月7日水曜日

台風の進路ど真ん中

 台風18号に直撃されそうな進路予報なので、時間を都合して近くの宅地造成地50坪くらいに播いたソバを手刈りで刈った。7月のうちに播いたせいか、旱魃のせいか、ずいぶん葉が無くなってしまい、刈り取りが遅すぎた感じもするが、とにかく台風の風雨で倒伏する前に刈ることができてよかった。ブルーシートの上に広げて乾燥。
 収量は5kg以上あるだろうか。早播きした場合の生育状況の観察をするのと、一足先の新蕎麦賞味を狙っての先行播種だったので、最初から量は期待していなかったが、真ん中に水捌けの悪い場所があり、10坪ほどは生育が極端に悪かった。この場所は今年限りで返そう。ここに残っているのは落花生とねずみ大根のみ。
 本命のソバ畑の方はまだ葉が緑で実も充実している最中なので、刈り取りはできない。台風で3反歩すべてのソバをなぎ倒されたら、どうしよう。

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 (この携帯カメラ、画素数は510万画素なのだが、カラーバランスがどうも良くない)

 映画の検索と編集作業で「りす」前へ進まず。

2009年10月6日火曜日

ついに

 ある映画の全編を観たくて、ニコニコ動画のIDを取得した。
 DVDを買おうと思ったらもう販売されていないし、中古品でも価格が18000円を超えていて手も足も出ないのだが、ニコニコ動画に8つのファイルに分割アップロードされているのが判ったので、これまでIDを登録しなければ見ることが出来ないのに反発して登録しなかったのを宗旨替えして登録した。
 しかもあるフリーのダウンロードソフトを使ってDLしたが、flvと高画質wmaの二種類のファイルを保存したら全部のファイルサイズが何と1.17GBという怖ろしい数字になったので、慌てて外付けハード・ディスクにファイル全部を逃がした。CD-Rに焼いて保存した方がいいのかも知れない。

2009年10月5日月曜日

視点ヨアヒム?

 仕事中に、なぜか不意に標題の「視点ヨアヒム」という言葉が浮かんだ。
 「視点ヨアヒム」という題名の小説? まさか、とは思ったが、ドイツ文学のアンソロジーか何かで記憶していたのかどうか。あるいは、何かの拍子に「視点」と「ヨアヒム」が結合してしまったのか?
 ドイツ文学に登場するヨアヒム? 
 夜になってネットで検索しても見つからない。

 編集作業に時間がかかり、「りす」、ほんの数ページしか読み進められず。
 「水の家族」平積み本の下の方から発掘確保。

2009年10月4日日曜日

どういう連想か

 見込み違いで雨に降られ、昨日の午後と今日の午前中、雨の合間をかいくぐってハゼ掛け作業をし、ようやく稲刈り終了。道路沿いなので、車を停めていろいろ冷やかす者あり、(ーー;)

 「リス 長編おとぎ話」、本日ポストに配達。
 文庫でも新書版でもなく、何とも不思議な版型の本。先日のカメラの取り扱い説明書と比べて、縦横で数ミリくらい小さい。
 悪い癖で、つい末尾に置かれた訳者の解説を先に読んでしまう。
 「ポリフォニー」!! 「変身......」、「憑依......」
 どういう連想か、ポリフォニーとは直接関係ないはずだが、丸山健二の「水の家族」という小説を思い出した。と言っても読んだ訳ではない。文春版ではなく、その後出た求龍堂版の「水の家族」を買ったままどこかに積み込んでしまったことを思い出しただけ。
 とりあえず「リス」を読むことにして、「水の家族」も発掘しておこう。見つからないということは、平積みの下の方にあるということ。
 それから、ここで崔建永氏の「アナトーリイ・キムの長編『りす』の作品構造と文体研究」というPDFを読んだ。田舎暮らしの者には、こういう場合のネットの恩恵は測り知れない


 長男、また前触れ無く帰省し、そのままオートバイに乗って外出。夕方帰宅。茅野市の開店前から行列が並んでいる蕎麦屋で蕎麦を食べようと思ったが、行列が長すぎるので、あきらめて諏訪の蕎麦屋に入り、「塩羊羹」を土産に買ってきた。何とも蕎麦吉。
「蕎麦を食べてきたなら、うちの蕎麦は要らないな」と言ったら「うん」とか言わず黙っていました。え? 食べるの?

2009年10月3日土曜日

高い

 ネットのオークションで落札した一眼レフ用のカメラケース、到着。カメラメーカーのロゴ入り、未使用の新品が500円。送料(の方が高い)580円。これで、カメラを裸でも持ち歩かなくて済みます。
 もう一本交換レンズが入る余裕がありますが、それにしても交換レンズって高い。

 ボランティアで編集している詩誌の原稿がすべて揃って、メール添付で送信されて来た。あの、USBフラッシュメモリーに保存して、それを手渡ししていただいた方が早いんですが......。USBメモリー、買ってあげたのに、使っているところを見たことがありません。

2009年10月2日金曜日

一人称で有無を言わせず

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 週間天気予報が、明日以降、4日を除いてずっと「曇り時々雨」なので、午後になって急遽自家用水田の稲刈りを開始。二条刈りなので刈るのは早い。刈るだけ刈っておいて、明日ハゼ掛け作業をする予定。周辺の水田ではすでにコンバインでの収穫が8割くらいかと思われるが、わが家のような自家用米だけの水田はやはり原始時代と同じ天日乾燥。

 iPodを胸ポケットに忍ばせ、稲刈りをしながら先日録音したジャズを聴き、さらに一向に書き進められない小説の主人公のことを考えたり、書けなくてもいいのかもしれないと思ったりして。
 やはり、一人称を逆手に取るしかないのか?
 一人称で有無を言わせず、虚構?!。
 それも、生まれて来なかった主人公の視点からなんて、ummmmmm、稲刈りしながら何を考えているんでしょうね。.

 それにしても、最近、代金前払いの古書店が増えているような気がします。
 それだけ代金を回収できないケースが増えているからかもしれませんが、後払いだと注文して3日目には手元に届くのに、前払いは入金確認後発送なので5日以上かかってしまいます。


2009年10月1日木曜日

雨が降ったので

 午後、仕事で出たついでにちょっとソバ畑の見回り。よそのソバ畑よりはまだ良さそう。

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 そろそろ自家用水田の稲刈りの時期、となると秋雨前線が出現して来た。
 コンバインでの刈り取りを依頼するほどでもなし、稲刈り機で刈って天日乾燥してから脱穀という旧来の方式。
 稲刈り機はTさんから譲っていただいた中古2条刈りだが、昨秋使った後にエンジンを始動させるリコイル・スターターのロープの戻りが悪かったので、先日自分で分解してみたらゼンマイが途中で切断していたので、専門業者に新しいゼンマイと入れ替えてもらった。
 他に異常はなさそうなので、あちこち油を差して準備完了。しかし明日だけでまた2日、3日は天気が良くないらしい。

 そういえば、ようやくエコポイントが商品券となって配達された。といっても15000ポイント(円)ですが。




 昨日の話題と裏表の話になるが、いつからか、小説を読むのに単一の人物にぴたり寄り添って読むことに退屈と胡散臭さを感じてしまう自分。書くのが困難なのは、この読むことの困難さと通底しているのかもしれない(重病)。
 単一の人物にぴたり寄り添わない、珍しい小説「リス―長編おとぎ話」、結局、昨夜のうちに注文し、前金なので今日のうちに振込みした。数日したら届くだろう。

2009年9月30日水曜日

読めない理由

 ようやく、少し雨が降った。車で走りながらあちこちで見るソバ畑が、今年はひどいものである。茎が短くて葉が黄色くなってしまった畑の多いこと。あれでは収量はかなり少ないはず。
 われわれが共同栽培している畑のソバは結構草丈は伸びているのだが、旱魃の影響で花がすべて実になるのか、またその充実の度合いはどうなるだろうかと心配。

 ル・クレジオの短編集を2冊買ったまま、まだ読んでないのを思い出したので、手元に置くようにしたのだが、まだ開けない。というか、開いても読めない。どうも目の調子がよろしくない。もともとが近眼なので近眼の眼鏡をはずして裸眼になればまだ老眼鏡は不要なのだけど、どうもチラチラして文字が読みにくい。パソコンのモニターばかりみつめているから目が疲れているのだろうと思い、とりあえずは目薬。これがまた長続きがしないで、ほとんど三日坊主。
 先ずは「「海を見たことがなかった少年」に似ていて、入り込みやすそうな「春、その他の季節」から始めよう。

 Lydwine.さんがアナトーリィ・キムの「リス―長編おとぎ話」の本文を少しメモ=紹介されている。アナトーリィ・キムといえばやはりLydwine.さんに触発されて下積みになっていた世界文学のフロンティア3「夢のかけら」を掘り出して、それに収められた「コサック・ダヴレート」という短編を読んだが、人称の上をあれこれ自由に動いて目の回る小説だったが、「リス―長編おとぎ話」はそれがもっとすごいらしい。Trance Impersonal、いや超人称小説とでもいうのか、人称に自在に憑依するというか、なかなか興味深い小説。
 ネットで検索したら下値600円、普通900円くらいで入手可能だが、今の目の状態では買っても読めないに決まっているのだけど......。

2009年9月29日火曜日

英語のラジオ・ドラマなど

Glenn Gould: The Radio Artistという5枚組CDが2007年に出ているのを発見。
 配送料無料で2,773円。
 孤独3部作と呼ばれているラジオ・ドラマすべてを聴くことができる。
 UKの業者のだと更にお安くて1,790円+送料340円=2,130円であるが、配送に半月くらいかかるのとリスクを考えると、やはりAmazonだろう。
 しかし、英語のラジオ・ドラマなど聴き取れないのに買うの?

 デジタル一眼レフを裸で持ち歩くのは考え物なので入れ物が欲しいと思ったが、なかなかぴったりのものが見つからない。あまり大きなものは嫌だし、いかにもカメラバッグですといった威圧感を感じさせるものも嫌なので諦めかけたが、ネット・オークションでさるカメラ・メーカーのオリジナル・カメラ・バッグというのが目についた。こじんまりしていてカメラと交換レンズ一本が入るだけのシンプルな作りで、しかも色がシックなこげ茶色で価格が1000円だったので入札しようと思ったら誰かが1100円で入札した。臍を曲げた私はそのカメラバッグを断念し、更に検索を続行。同じカメラ・バッグの黒が500円で出ていたので入札したらそのまま落札してしまった。近日中に届くだろうから、届いたらカメラを持って出かけよう。

2009年9月27日日曜日

ずるずるずる

 予定通り、朝から日帰り温泉へ。土曜日とはいえ、やはり連休直後なので館内は平日並みかそれ以下で、快適に温泉に浸り、ビール、食事、そして昼寝までするというフルコース。
 同行者は「本日20食限定・収穫祭釜飯」を注文したが、私は食堂にこんな看板が掲示されており、つい釣られて「盛り蕎麦」を注文。信州産ソバ粉の使用割合をきちんと表示しようという姿勢には大賛成だし、認定証を掲げる蕎麦がどんな味かと思って。

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 し、しかし、やはり7:3には無理がありました。
 小麦粉の味がはっきり出てしまっています。
 それに、お年寄りのお客が多いせいか、コシが無くてふにゃふにゃ。
 テーブルを挟んで季節の素材がぎっしり載った限定20食の「釜飯」をのぞいているひと曰く、
「わ、マツタケも入っているわよ。ほーら、これでその蕎麦より安い800円。同じ「釜飯」にすればよかったのにね、おほほ」
「800円の釜飯にマツタケ?? ふん。ずるずるずる......どんな蕎麦か、試してみただけ......ずる~(泣)」
 M相木村の温泉施設の蕎麦は結構美味しかっんだけど......

 それにしても、この温泉施設周辺で栽培されているソバ(この施設に納入されているかもしれない)の、背丈の短いこと。今年は斜面に栽培されているソバは旱魃の影響が大きく、20cm、30cmくらいしか伸びていない。これでは収量もかなり少なくなるだろう。ちょっと心配なので、自分たちのソバ畑の様子を明日見に行ってみよう。



 帰宅後、気分転換に少しカメラをいじる。

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 このかわいいふくろうの置物は、町内の薬局のおばあさんに生前頂戴したもの。右は庭にこぼれて今年も咲いたワイルド・ルッコラの黄色く小さな花をマクロ撮影。
 こういうカメラには、どうやらカメラケースが必要であるらしいが、安いもの高いもの、ずいぶん差があるものです。