インターネットというのは公開を原則としている。だからこそ、どこからでも誰でもアクセスしてホームページなりブログなり掲示板なりに書かれた記事を読むことができる。言ってみれば、運営者や管理者の公開されている言葉は公道で何かしゃべったりしているのと同じで、誰に聞かれているのか、見られているのか判らない、ある種の居心地の悪さがある。言葉を換えれば、たくさんの人ごみの中で自分の頭の中を見せているような、内面のストリップ・ティーズを恥も外聞もなく演じているようなものだ。
たとえばブログのコメント欄を通じてあるひとと真摯な文学論を交わしたい時、どうも自分たちふたりだけが公道のど真ん中で裸になっているような気がしたりする。そういう時、自分たちだけで他者の存在を気にしないでしゃべれる場所が欲しいと思う。SNSほど大袈裟なものでなく、ごく少数の雑音のない場所で静かに文学を語り合うコミュニティが欲しい。
と思うのはネットの規範にはなはだしく反するのだろうか?
既成のレンタルブログにも複数でブログを共有できるものがあるが、残念ながら誰でも参加できるのではなく、たいていはそのレンタルサービスのIDを取得していることが前提となる。つまり参加者全員にIDを取ってもらわなければならない。これが結構な障害である。
やはり自分で作るのがいいような気がして来た。
つまり、自分でブログを設置するか、あるいはスレッド式の掲示板を設置して、そこに入るのに、IDやパスワードでのベーシック認証を置くのである。そうすればIDとパスワードを設定したひとだけがアクセスできて、記事を書いたり読んだり、コメントを入れられたりする。
そういえば、と思ってこのブログで調べてみたら、このMovable Typeで設置したブログも、投稿者を登録し、パスワードを発行できるようになっているではありませんか。
でもサーバーの使用量が45%を超えてますので、ここにもうひとつブログを作成するのは厳しいかな。面白がって画像をアップしすぎです。ここは一応、サーバーを借りているのが配偶者の名義で、私は形式上はただの居候なのです。居候の方がデカイ顔をしていますが。
独立して自分のサーバーを借りようかな……あ、思い切って過去記事を削除って手段もありますね。
もぅちょっと模索してから始めるべきでした。あまり考えもせず巻き込んでしまった何人かの皆様、もうしばらくお待ち下さい。
2008年2月29日金曜日
2008年2月28日木曜日
躓きの石だらけ
昼休みに覗いてみると、20日に播種したRhubarbとOyamabokuchiが7日目で発芽開始。順調。双葉の姿はかわいいものです。

左、Rhubarb(ヨーロッパ産)、右、Oyamabokuchi。
カナダ産Rhubarbは地割れしてきているがまだ発芽せず。明日には顔を出すだろう。
行ったついでに、いただき物のワイルド・ルッコラとイタリアンバジル「ダーク・オパール」を播種。
GoogleのBlogerは非公開にできて投稿者100人、読者100人まで参加できるらしく、しかも写真や動画もアップ出来て面白いと思ったが、その投稿者、読者にGoogleのIDが必要とあって、これが難点。
それではと、スレッド式のウェブフォーラムというCGIをあるサーバーに設置して一度使ったまま放置してあるのを思い出したが、ID、パスワード入力で躓いて自分でも入れないのには笑ってしまった。どこか設定が間違っているのだろうけど、今日はこれまで。
Adobe Readerを8.1.2にヴァージョンアップしたせいか、pdfファイルを開くとブラウザ内に開くというデフォルトの設定に戻ってしまっているのに、今夜気がついた。これだと、そうでなくても重いpdfファイルが開くのにさらに時間がかかるので、ブラウザとは別にAdobe Readerが起動してpdfが閲覧できるように設定し直す、その方法を忘れてしまって、しばし試行錯誤。
�� Adobe Readerを起動させる。
�� 「編集」→「環境設定」と進む。
�� 「環境設定」で、分類の「インターネット」をクリック
�� 「webブラウザオプション」で、「PDFfをブラウザに表示」に入っているチェックを外す。
人間観、世界観の甘さが書くものに正直に現われてしまう。
それが見えなければいいが、見えるてしまうからさらに躓く。創作における躓きの石は自分だ。
追記
しばらく前にLydwine.さんの書き込みで教えていただいた図書新聞の同人雑誌評に我が誌の同人の作品が取り上げられていたのですが、田舎ではそれがなかなか見つからず、ようやくコピーで入手出来たので、早速、スキャナーで画像として取り込み、同人誌の「オンライン例会室」と、ウェブのBBSに画像のままアップ、紹介させていただきました。
同人誌の編集発行人というのは実に「孤独(solitude)&孤立(isolate)」な立場にあるが、短い評文であれこうして掲載作が評価されるとそれが一気に解消され、思わず号泣してしまいます。
��ァーン・゚・(ノД`)ヽ(゚Д゚ )ナクナ
(ノД`) ウン、ボク泣ナカナイヨ!!
(解るひとほぼ一名か二名の、思いっきり笑えて実は笑えない、相変わらずの自演でした)
左、Rhubarb(ヨーロッパ産)、右、Oyamabokuchi。
カナダ産Rhubarbは地割れしてきているがまだ発芽せず。明日には顔を出すだろう。
行ったついでに、いただき物のワイルド・ルッコラとイタリアンバジル「ダーク・オパール」を播種。
GoogleのBlogerは非公開にできて投稿者100人、読者100人まで参加できるらしく、しかも写真や動画もアップ出来て面白いと思ったが、その投稿者、読者にGoogleのIDが必要とあって、これが難点。
それではと、スレッド式のウェブフォーラムというCGIをあるサーバーに設置して一度使ったまま放置してあるのを思い出したが、ID、パスワード入力で躓いて自分でも入れないのには笑ってしまった。どこか設定が間違っているのだろうけど、今日はこれまで。
Adobe Readerを8.1.2にヴァージョンアップしたせいか、pdfファイルを開くとブラウザ内に開くというデフォルトの設定に戻ってしまっているのに、今夜気がついた。これだと、そうでなくても重いpdfファイルが開くのにさらに時間がかかるので、ブラウザとは別にAdobe Readerが起動してpdfが閲覧できるように設定し直す、その方法を忘れてしまって、しばし試行錯誤。
�� Adobe Readerを起動させる。
�� 「編集」→「環境設定」と進む。
�� 「環境設定」で、分類の「インターネット」をクリック
�� 「webブラウザオプション」で、「PDFfをブラウザに表示」に入っているチェックを外す。
人間観、世界観の甘さが書くものに正直に現われてしまう。
それが見えなければいいが、見えるてしまうからさらに躓く。創作における躓きの石は自分だ。
追記
しばらく前にLydwine.さんの書き込みで教えていただいた図書新聞の同人雑誌評に我が誌の同人の作品が取り上げられていたのですが、田舎ではそれがなかなか見つからず、ようやくコピーで入手出来たので、早速、スキャナーで画像として取り込み、同人誌の「オンライン例会室」と、ウェブのBBSに画像のままアップ、紹介させていただきました。
同人誌の編集発行人というのは実に「孤独(solitude)&孤立(isolate)」な立場にあるが、短い評文であれこうして掲載作が評価されるとそれが一気に解消され、思わず号泣してしまいます。
��ァーン・゚・(ノД`)ヽ(゚Д゚ )ナクナ
(ノД`) ウン、ボク泣ナカナイヨ!!
(解るひとほぼ一名か二名の、思いっきり笑えて実は笑えない、相変わらずの自演でした)
2008年2月27日水曜日
あれもこれも
夕方、帰宅前に寄り道。シイタケなどの原木を積み上げて散水し、横をブルーシート、上部を麻袋と古い毛布で覆って仮伏せ作業完了。これだけ見ると何を隠しているのか、なんとも怪しい。
下からシイタケ、クリタケ、ナメコ、ヒラタケと、4種類の原木をまとめて積んでしまったが、まさか、一本の原木からシイタケとクリタケが出るということはないだろう。ほんとうは別々に伏せておくべきですが。以後は、乾燥しないように時々上部を開いて散水して、梅雨時に本伏せすればいいようです。
道楽が過ぎるかもしれませんが、誰のでもない自分の時間ですから、好奇心が赴くまま、好きなことをさせていただきます。
一昨夜オーダーしたまま音沙汰がなかった古書店から夕方メールが着信。二日放置されていて、前金を送って入金確認後に本を発送するのでは気が遠くなってしまうから断ろうと思ったら、2,000円以下は後払いで明日発送しますという。ふむ。
TeaCupの掲示板に1月終わりごろから「テーマスレ」という機能が加わっているのは知っていたが、どんなものかと試しにひとつスレを立ててみた。なるほど。テーマごとにスレッドを立てられるので、場合によって、話題によっては使える。
「あなたはどのように書き出すか」とか、「同人誌編集ノウハウ」とか。しかし、見てるだけ~の人が多く、書き込む人は少ないので無理かな。逆にパスワード制限をかけて、本気で文学論をするひとだけ入っていただくという方法もあり。
さて、今夜はまたちょっとメルクマニュアルの人格障害の項目に入り浸り、それからネット接続を切ります。今回のものとは別に、登場人物全員がまともでないという小説が可能かどうか、考えてみるために。
Googleのブログ・サービスであるBloggerにブログをひとつ設置してみた。
一応、私の兄弟、子供などが閲覧、投稿出来るFamily Blogを想定してのことである。Familyの皆がそれぞれの近況や写真や動画をアップしたり、コメントしあったりすれば面白いではないかと思って。
Bloggerは画像のほかに動画もアップ出来て、しかも100名まで複数投稿が出来るようになっている。残念なのはポッドキャスト対応でないことくらいか。mp3やwmaがアップできれば言うことがないが、この際音楽は無理には必要ではないし、動画でカバー出来ないことはない。
当然、どこにもリンクは張らず、ping送信もしない設定で更新通知も出ないということで、少人数でひっそり会話するにはいいかなあと、研究。テンプレートも編集できますね。
この方式で、話の通じる文学仲間共有のブログを設置したいものでありますが、さて……こんな話にはだれも乗らないような気が……。第一、皆様必死で書かれていてそんな余裕はありませんよ。
2008年2月26日火曜日
犯罪者の動機のようなもの
午前中、外回りの仕事が空回り、一時間ほど早く引き上げて土曜から軽トラに載ったままのクルミの木を整理。
ヒラタケを植えるのはこちら。17本あり、これだけで十分。電気ドリルで穴を開け、木槌で駒菌を打ち込み、たいした時間もかからずに植菌作業を終えてしまった。

これで、シイタケ、クリタケ、ナメコ、ヒラタケと全部植え終わったので、いよいよ仮伏せが出来る。
仮伏せには日除けと乾燥防止のために何か覆いが必要だが、昔の莚のようなものをホームセンターあたりで売ってはいるものの、向こうが透けて見えるくらい薄くて話にならない。多分、国産ではなくて問題山積の隣国産であろう。
周囲をブルー・シートで包み、時々散水するために、上だけをなぜか家にあった麻袋で二重に覆い、その上に古い毛布でも掛けておくことにしよう。6月、梅雨入りするまで十分に菌を回すこと。
そういえば、シイタケとクリタケは来年でなければ発生しないが、ナメコとヒラタケは今年の秋に発生しそう。
↓ こういう太いのはこの半分に切れば短木栽培で使えるけれど、そんなにヒラタケを栽培しても困るので薪にするほかない。薪ストーブでも置けばいいのだが、古い家も私自身も薪ストーブが似合わないこと、この上ない。
いちばん太い丸太の切断面を平らに切り直し、庭の片隅に腰掛として置くことにした。重く安定しているので、年寄りが日向で何か手慰みなどする時の腰掛けにいいだろう。

昨夜オーダーした古書店から受注確認メールが来ない。前金制の古書店なのでメールが来ないと話しにならない。明日まで待って来なかったら他所を当たろう。
どうも、また「朝日の当たる家」を聴かないと緊張感と憤怒の情が失せて来ました。モチベーションなどという外来語は嫌いですが、小説を書くのに犯罪者の動機のようなものは必要。
「朝日の当たる家」もこちらの唄い方では美しすぎて萎えてしまいます。
これを聴いてしまうと、またまた気持ちが凪いでしまい、戦意喪失してしまいますね。(ユダの悲哀など理解してはいけません)
タルコフスキーの遺作。
DVDは高くて手が出ないが、レンタル落ちのVHSテープが1本出ている。
買えたら買いたいが、さて。
ヒラタケを植えるのはこちら。17本あり、これだけで十分。電気ドリルで穴を開け、木槌で駒菌を打ち込み、たいした時間もかからずに植菌作業を終えてしまった。
これで、シイタケ、クリタケ、ナメコ、ヒラタケと全部植え終わったので、いよいよ仮伏せが出来る。
仮伏せには日除けと乾燥防止のために何か覆いが必要だが、昔の莚のようなものをホームセンターあたりで売ってはいるものの、向こうが透けて見えるくらい薄くて話にならない。多分、国産ではなくて問題山積の隣国産であろう。
周囲をブルー・シートで包み、時々散水するために、上だけをなぜか家にあった麻袋で二重に覆い、その上に古い毛布でも掛けておくことにしよう。6月、梅雨入りするまで十分に菌を回すこと。
そういえば、シイタケとクリタケは来年でなければ発生しないが、ナメコとヒラタケは今年の秋に発生しそう。
↓ こういう太いのはこの半分に切れば短木栽培で使えるけれど、そんなにヒラタケを栽培しても困るので薪にするほかない。薪ストーブでも置けばいいのだが、古い家も私自身も薪ストーブが似合わないこと、この上ない。
いちばん太い丸太の切断面を平らに切り直し、庭の片隅に腰掛として置くことにした。重く安定しているので、年寄りが日向で何か手慰みなどする時の腰掛けにいいだろう。
昨夜オーダーした古書店から受注確認メールが来ない。前金制の古書店なのでメールが来ないと話しにならない。明日まで待って来なかったら他所を当たろう。
どうも、また「朝日の当たる家」を聴かないと緊張感と憤怒の情が失せて来ました。モチベーションなどという外来語は嫌いですが、小説を書くのに犯罪者の動機のようなものは必要。
「朝日の当たる家」もこちらの唄い方では美しすぎて萎えてしまいます。
これを聴いてしまうと、またまた気持ちが凪いでしまい、戦意喪失してしまいますね。(ユダの悲哀など理解してはいけません)
タルコフスキーの遺作。
DVDは高くて手が出ないが、レンタル落ちのVHSテープが1本出ている。
買えたら買いたいが、さて。
2008年2月25日月曜日
厳寒刺激的虚無的修辞
土日に雪が降るのが、いったい何週続いたのだろう。
今日も午前は横殴りの雪、午後は寒風吹きすさび、昨日のクルミの木は車に載ったまま。
天候が良ければひらたけの駒菌打ち込み(500個だから原木16本くらい)が簡単に済んでいたのに、こう寒くては戸外の作業は出来ませぬ。
家族がショッピングセンターへ行くというので運転手をしたまま、以後は家の中。動画サイトではなくWebで「蕎麦打ち 動画」を検索し、どっぷりと蕎麦打ちの技を観察。やはり、言葉による説明よりも動画で実際の動きを見た方がずっと解りやすい。特に、「延し」と「切り」で納得いかなかったことが腑に落ちたので、次回はさらにうまく打てそう。ただし、かんじんのソバ粉がだいぶ少なくなって来たのが心細い。実は真空パックなので真夏に蕎麦を打って食べるという試みもしてみたいので。(飽きもせず蕎麦が食べたくなって来ました)
創作の方は、またちょっと削って少し前へ進んで、気がついたら同じ場所。もうちょっと前へ進みたいもの。欲張ると危ないので欲張らない。小説を書いているのではなくポリフォニーを構成しているだけ。
昼間、創作とは無関係に『夜警』の第十夜警「冬の夜―愛の夢―白い花嫁と赤い花嫁―尼僧の埋葬―音階を通過するパッセージ」と第十三夜警「春の頌歌―本のない表題―神々の廃兵院ーヴィーナスのお尻」の二章だけ再読。さすがにドイツロマン派の時代。
神々の廃兵院だの屍体公示所(モルグ)だの、刺激的虚無的修辞。
古書検索で、『モラル・ハラスメント 人を傷つけずにはいられない』 マリー=フランス・イルゴイエンヌ著 高野優訳(紀伊国屋書店、2000年)をオーダー。
後は、ここで少し、解離性障害と人格障害について読む。
今日も午前は横殴りの雪、午後は寒風吹きすさび、昨日のクルミの木は車に載ったまま。
天候が良ければひらたけの駒菌打ち込み(500個だから原木16本くらい)が簡単に済んでいたのに、こう寒くては戸外の作業は出来ませぬ。
家族がショッピングセンターへ行くというので運転手をしたまま、以後は家の中。動画サイトではなくWebで「蕎麦打ち 動画」を検索し、どっぷりと蕎麦打ちの技を観察。やはり、言葉による説明よりも動画で実際の動きを見た方がずっと解りやすい。特に、「延し」と「切り」で納得いかなかったことが腑に落ちたので、次回はさらにうまく打てそう。ただし、かんじんのソバ粉がだいぶ少なくなって来たのが心細い。実は真空パックなので真夏に蕎麦を打って食べるという試みもしてみたいので。(飽きもせず蕎麦が食べたくなって来ました)
創作の方は、またちょっと削って少し前へ進んで、気がついたら同じ場所。もうちょっと前へ進みたいもの。欲張ると危ないので欲張らない。小説を書いているのではなくポリフォニーを構成しているだけ。
昼間、創作とは無関係に『夜警』の第十夜警「冬の夜―愛の夢―白い花嫁と赤い花嫁―尼僧の埋葬―音階を通過するパッセージ」と第十三夜警「春の頌歌―本のない表題―神々の廃兵院ーヴィーナスのお尻」の二章だけ再読。さすがにドイツロマン派の時代。
神々の廃兵院だの屍体公示所(モルグ)だの、刺激的虚無的修辞。
古書検索で、『モラル・ハラスメント 人を傷つけずにはいられない』 マリー=フランス・イルゴイエンヌ著 高野優訳(紀伊国屋書店、2000年)をオーダー。
後は、ここで少し、解離性障害と人格障害について読む。
2008年2月24日日曜日
のど自慢方式
午後一時にT中さんと待ち合わせて伐採したクルミの木をいただきに行く。自宅を出て5分くらいは明るい陽が射していたのに、じきに猛烈な吹雪に。余り話もしていられずにクルミの木を積み込み、持参した手打ちソバを手渡す。私ではなく母親が勝手に約束してしまったので否応もなく、6人家族というので800g(8人前)を午前中に打ち、端の切っても半端な部分を揚げソバにして添えた。
皮肉にも、帰宅すると吹雪は止んだ。
クルミに植菌する「ひらたけ」は水分が多い方がいいらしいので、余り乾燥させないで駒菌を打ち込んでも良さそうだ。それが終わったら、散水して乾かないように何かで覆い、菌が原木全体に回るようにしなければならないが、さて、何でどんな風に覆ったらいいのか。T中さんに訊いたら、ブルーシートで覆うと言っていたが、それでいいのか。
創作200字ほど進む。遅々としているが、昨夜書いた「のど自慢方式」は案外いいかもしれない。ポリフォニーになりそうだ。通常のストーリーを追うタイプの小説として読もうとすると、面白くないであろうことは間違いない。というか、これって、小説ではないのかも。
それにしても、毎週、土曜日には雪が降ります。
皮肉にも、帰宅すると吹雪は止んだ。
クルミに植菌する「ひらたけ」は水分が多い方がいいらしいので、余り乾燥させないで駒菌を打ち込んでも良さそうだ。それが終わったら、散水して乾かないように何かで覆い、菌が原木全体に回るようにしなければならないが、さて、何でどんな風に覆ったらいいのか。T中さんに訊いたら、ブルーシートで覆うと言っていたが、それでいいのか。
創作200字ほど進む。遅々としているが、昨夜書いた「のど自慢方式」は案外いいかもしれない。ポリフォニーになりそうだ。通常のストーリーを追うタイプの小説として読もうとすると、面白くないであろうことは間違いない。というか、これって、小説ではないのかも。
それにしても、毎週、土曜日には雪が降ります。
2008年2月23日土曜日
命令
小説というこの不自由極まりない言語芸術形式で、世界という名の大きなジグソー・パズルのピースすべてを一個の間違いもなく当てはめてゆくのは無理だ、ということを諒解すること。
そして、部分を表示するだけでいいという断念から、先ずはスタートすること。
そして、部分を表示するだけでいいという断念から、先ずはスタートすること。
交通整理?
プリンタで印刷したA44枚の、文章や細部に赤ペンを入れるどころではなく眺めているうちに、やがて気が遠くなって眠ってしまう夜がつづく。
どうも対向車とすれ違いも出来ない狭い田んぼ道か山道を一台で走っていたものが、いきなり片側4車線の道路を4台で走れというような急激な変換だったということか。交通整理をしようにもしようがなくて茫然としていた。
気分転換にまた日野啓三さんの「天窓のあるガレージ」を出して、パラパラめくった。このイメージ、この呼吸の仕方。
文体というか、作家固有の文章の呼吸の仕方がある。それがないと誰が書いたか判らないような小説になってしまい、しかも筋や出来事で読者を引っ張るという力業だけで前へ進まなければならない。
川上弘美の偉いところは、作者名を隠しても文章が川上弘美とわかる呼吸をちゃんとしているところだ。
交通整理の仕方もいろいろある。かつて、ふたりの主人公を雑誌の上段と下段に分けて並行して書いたことがあったが、あれも一種の交通整理。しかし、ああいうのはあざといし、のど自慢方式で冒頭で一度だけ名前を表記するという方法もある。いずれにしても、あまり長いものを書く気もないので、人物を増やさない方がいい。
フリー・ジャズということで言えば、ジョイスみたいに改行をほとんど無くしてしまうのもいいかもしれない。
描写といっても、外からの情景描写や人物描写といった旧来の描写を考えているのではない。かといって存在の描写とか、魂の描写などというとますます見当はずれになる。
ううむ、難破しそう。
じっと待って、始まったら一気に最後まで書いてしまう、そうじゃないととても無理。
どうも対向車とすれ違いも出来ない狭い田んぼ道か山道を一台で走っていたものが、いきなり片側4車線の道路を4台で走れというような急激な変換だったということか。交通整理をしようにもしようがなくて茫然としていた。
気分転換にまた日野啓三さんの「天窓のあるガレージ」を出して、パラパラめくった。このイメージ、この呼吸の仕方。
文体というか、作家固有の文章の呼吸の仕方がある。それがないと誰が書いたか判らないような小説になってしまい、しかも筋や出来事で読者を引っ張るという力業だけで前へ進まなければならない。
川上弘美の偉いところは、作者名を隠しても文章が川上弘美とわかる呼吸をちゃんとしているところだ。
交通整理の仕方もいろいろある。かつて、ふたりの主人公を雑誌の上段と下段に分けて並行して書いたことがあったが、あれも一種の交通整理。しかし、ああいうのはあざといし、のど自慢方式で冒頭で一度だけ名前を表記するという方法もある。いずれにしても、あまり長いものを書く気もないので、人物を増やさない方がいい。
フリー・ジャズということで言えば、ジョイスみたいに改行をほとんど無くしてしまうのもいいかもしれない。
描写といっても、外からの情景描写や人物描写といった旧来の描写を考えているのではない。かといって存在の描写とか、魂の描写などというとますます見当はずれになる。
ううむ、難破しそう。
じっと待って、始まったら一気に最後まで書いてしまう、そうじゃないととても無理。
2008年2月22日金曜日
記録
��あれ、アップしたつもりでしたが「下書き」のままでした。たまたまこういうウッカリがあります)
oyamabokuchi、早めに播いて大きめな苗を植えると一株あたりの生葉収量が倍以上という試験場データをみたので、30分ほど抜け出して播種。
紫色の種をおよそ130粒、普通の種を330粒。発芽率70%でもすごい数です。植えつけるのは遅霜の心配がなくなる5月なので、大きめなポットに仮植しておく予定。9cmか、10,5cm?
休眠打破した種が多すぎて余ったが、万一発芽率が悪かったりまったく発芽しない場合に備えて、再び冷蔵庫へ。

夏にはこんなイメージ
ついでに、同じ理由からrhubarbも二種類を播種。
カナダ産の種、110粒。南欧産の種、50粒。どちらも品種名が判明しないのが難点。南欧産はちゃんとした種苗会社の袋に入っているのだが、品種名は明記されていない。名無しの雑種ということではないと思いますが。
二種類とも赤い茎のはずだが、どうなるか結果が楽しみ。昨年の「Glaskinsの永遠」も、彼岸頃には芽が顔を出すだろうから遮光保温処置をしなければならないが、やはりいちばん簡単なのは大きめなダンボールを被せてしまうこと。雨対策におおきなポリ袋をダンボールにかけておけばなお結構。生ゴミを堆肥にする樹脂製のコンポスト容器を被せてもいいが、ダンボール箱だったら経費ゼロなので、こちらを選択。これもどうなるか、結果が楽しみ。
これで、赤く、柔らかく、甘い茎になったらいいんですが、さァて。
oyamabokuchi、早めに播いて大きめな苗を植えると一株あたりの生葉収量が倍以上という試験場データをみたので、30分ほど抜け出して播種。
紫色の種をおよそ130粒、普通の種を330粒。発芽率70%でもすごい数です。植えつけるのは遅霜の心配がなくなる5月なので、大きめなポットに仮植しておく予定。9cmか、10,5cm?
休眠打破した種が多すぎて余ったが、万一発芽率が悪かったりまったく発芽しない場合に備えて、再び冷蔵庫へ。
夏にはこんなイメージ
ついでに、同じ理由からrhubarbも二種類を播種。
カナダ産の種、110粒。南欧産の種、50粒。どちらも品種名が判明しないのが難点。南欧産はちゃんとした種苗会社の袋に入っているのだが、品種名は明記されていない。名無しの雑種ということではないと思いますが。
二種類とも赤い茎のはずだが、どうなるか結果が楽しみ。昨年の「Glaskinsの永遠」も、彼岸頃には芽が顔を出すだろうから遮光保温処置をしなければならないが、やはりいちばん簡単なのは大きめなダンボールを被せてしまうこと。雨対策におおきなポリ袋をダンボールにかけておけばなお結構。生ゴミを堆肥にする樹脂製のコンポスト容器を被せてもいいが、ダンボール箱だったら経費ゼロなので、こちらを選択。これもどうなるか、結果が楽しみ。
これで、赤く、柔らかく、甘い茎になったらいいんですが、さァて。
2008年2月21日木曜日
さよなら三角また来て四角・2
今日、Hさんからデジタル文学館に推薦をいただいた。
テキスト・データを添付していただいたのでそのままHTMLと縦書きPDFのテンプレートに流し込み、整形してあっという間にアップロードできました。
HTML版
縦書きPDF版
デジタルなテキスト・データのすごさはこういう利便性にあり、ブログを本にするサービスなど別にオーダーしなくても自分で出来てしまいます。
( でも、印刷屋さんと喧嘩しちゃったもんね、(ーー;) だって、嘘は許せませんてば……だけど、シクシク、後悔=後の祭り)
創作は、今日はまったく進まず。
今回はどうも、瞬時激しく書いて、長い停滞、それからまた瞬時激しく書いて……の繰り返しの模様。
ひょっとすると3月31日まで苦しみながら=愉しみながら続行するのかもしれません。
そういう、最後に帳尻を合わせるのが得意な妙な性格なのでした。この頃はパスばっかりしてますが。実は、字数を決められた原稿には最終行でぴったり合わせてしまうような強情っぱりですし、まあ、何とか辻褄を合わせようと手探りで暗中模索しております。
ブログで書けない実況中継をするのも、どうもカフカの断食芸人を思い出して気色悪くなりました。
突然、坂口安吾の「黒谷村」を読み返したくなりました。
難破して未完で終わった『吹雪物語』と同じくらい、重くて暗いやはり未完のレシあるいはロマン。
あれ? 青空文庫にアップされているはずの坂口安吾「黒谷村」にリンク張ろうとしたら、見つからないではありませんか。作業中の作品リストにも見当たりません。
そんなバカな。ウァーン・゚・(ノД`)ヽ(゚Д゚ )ナクナ
え~と、私、自分の小説も書き悩んでいる癖に、青空文庫の工作員になって安吾の「黒谷村」のテキスト・データを作成いたそうと思います。窮地に追い込まれればなおそうな、因果な性格なのです、よ、ね。(その後、作業中の作品に「黒谷村」があるのを確認しました)
夕方、ちょっと時間があったので、発芽に二週間くらいかかるらしいoyamabokuchiの冷蔵庫で休眠打破した種と、カナダと南欧からの2種類のRhubarbの種を播いた。
本来は3月播種でいいはずだが、どちらも出来れば今年のうちの収穫を画策しているので、それで早く播いてみたのでした。
テキスト・データを添付していただいたのでそのままHTMLと縦書きPDFのテンプレートに流し込み、整形してあっという間にアップロードできました。
HTML版
縦書きPDF版
デジタルなテキスト・データのすごさはこういう利便性にあり、ブログを本にするサービスなど別にオーダーしなくても自分で出来てしまいます。
( でも、印刷屋さんと喧嘩しちゃったもんね、(ーー;) だって、嘘は許せませんてば……だけど、シクシク、後悔=後の祭り)
創作は、今日はまったく進まず。
今回はどうも、瞬時激しく書いて、長い停滞、それからまた瞬時激しく書いて……の繰り返しの模様。
ひょっとすると3月31日まで苦しみながら=愉しみながら続行するのかもしれません。
そういう、最後に帳尻を合わせるのが得意な妙な性格なのでした。この頃はパスばっかりしてますが。実は、字数を決められた原稿には最終行でぴったり合わせてしまうような強情っぱりですし、まあ、何とか辻褄を合わせようと手探りで暗中模索しております。
ブログで書けない実況中継をするのも、どうもカフカの断食芸人を思い出して気色悪くなりました。
突然、坂口安吾の「黒谷村」を読み返したくなりました。
難破して未完で終わった『吹雪物語』と同じくらい、重くて暗いやはり未完のレシあるいはロマン。
あれ? 青空文庫にアップされているはずの坂口安吾「黒谷村」にリンク張ろうとしたら、見つからないではありませんか。作業中の作品リストにも見当たりません。
そんなバカな。ウァーン・゚・(ノД`)ヽ(゚Д゚ )ナクナ
え~と、私、自分の小説も書き悩んでいる癖に、青空文庫の工作員になって安吾の「黒谷村」のテキスト・データを作成いたそうと思います。窮地に追い込まれればなおそうな、因果な性格なのです、よ、ね。(その後、作業中の作品に「黒谷村」があるのを確認しました)
さよなら三角 また来て四角
四角は豆腐 豆腐は白い
白いはウサギ ウサギは跳ねる
跳ねるはカエル カエルは青い(みどり)
青い(みどり)は柳(葉っぱ) 柳(葉っぱ)はゆれる
ゆれるは幽霊 幽霊は消える
消えるは電気 電気は光る
光るはおやじのハゲ頭
夕方、ちょっと時間があったので、発芽に二週間くらいかかるらしいoyamabokuchiの冷蔵庫で休眠打破した種と、カナダと南欧からの2種類のRhubarbの種を播いた。
本来は3月播種でいいはずだが、どちらも出来れば今年のうちの収穫を画策しているので、それで早く播いてみたのでした。
2008年2月20日水曜日
さよなら三角また来て四角
しかしまあ、視点が一つでなく複数というのもタイヘンなことである。書き手は幽霊みたいに空中に浮遊して、背後霊さながら、あちらの人間やらこちらの人間やらの言動を外側からきびしい視線で観察したり、反対に内部に入り込んで隠されている思考や感情を言葉に変換したり、何のことはない、この方がずっとむずかしいので、もうすでに難破しそうであります。
乾燥したままのoyamabokuchiの種と、不織布をホッチキスで止めただけの簡単な袋に種を入れ、湿気を持たせたピートモスの間に挟んで冷蔵庫内に保管し、休眠打破した(はずの)種と、両方を10粒ずつ10,5cmポットに播いてみた。無論、露地では無理なので道楽用のパイプハウスの中にトンネルを作り、さらに畳2枚分の面積に電熱温床線を這わせた上にです。休眠打破しない種は発芽率が30%くらいというので興味津々。
あ、そうか、大葉とかパセリも休眠打破しないと発芽率が落ちるのかもしれない。
3月に入ったら、本格的にOyamabokuchi、2種類のRhubarb、ワイルド・ルッコラ、バジルのダーク・オパール、げきから、中辛、姫冬瓜などなど、順次種まき。それから、何としても野生のWasabia Japonicaを入手して栽培、採種、播種、増殖を実現したいもの。
先日も書きましたが、今年はソバ、oyamabokuchi、Wasabia Japonicaの3種の神器を栽培しますぞ。こと植物に関しては私は完璧にフロベールの「ブヴァールとペキュシェ」に成りきっております。
といって文学を疎かにするのではなく、どちらも一所懸命にということです。
あれかこれか、どちらかを選べという二者択一を迫る人を私は信用しません。どちらも大事でどちらかを選んでどちらかを捨てるなんてアホです。何が究極の選択ですか。みんな大事にしちゃいけないのですか?! (あれ、だれを怒っているんだろう?)
しかしあれほど猫も杓子も始めたブログが、この頃ずいぶん沈んで静かになって来たような気がします。毎日勉強したり考えたりしていないとたちまち書くことが無くなりますからね。そろそろ引き際? さよなら三角、また来て四角……
ささやかな息抜き
ほんとうは、ネット接続から離脱し、同人誌からも離脱し、ひっそりと誰のためでもなく自分のためにだけ書く、そういう小説が望みなのかもしれない。
人に読まれることを意識して書かれる、それだけで小説は限りなく不純なものになるのではないか。
仮題 Polyphony、あるいは「限りなく増殖してゆく私」たち
仮題 Polyphony、あるいはひそかに電話線上を駆け抜けてゆくアリア
��何か、異様に長く怪しいタイトル……こけても笑わないで下さいませ)
乾燥したままのoyamabokuchiの種と、不織布をホッチキスで止めただけの簡単な袋に種を入れ、湿気を持たせたピートモスの間に挟んで冷蔵庫内に保管し、休眠打破した(はずの)種と、両方を10粒ずつ10,5cmポットに播いてみた。無論、露地では無理なので道楽用のパイプハウスの中にトンネルを作り、さらに畳2枚分の面積に電熱温床線を這わせた上にです。休眠打破しない種は発芽率が30%くらいというので興味津々。
あ、そうか、大葉とかパセリも休眠打破しないと発芽率が落ちるのかもしれない。
3月に入ったら、本格的にOyamabokuchi、2種類のRhubarb、ワイルド・ルッコラ、バジルのダーク・オパール、げきから、中辛、姫冬瓜などなど、順次種まき。それから、何としても野生のWasabia Japonicaを入手して栽培、採種、播種、増殖を実現したいもの。
先日も書きましたが、今年はソバ、oyamabokuchi、Wasabia Japonicaの3種の神器を栽培しますぞ。こと植物に関しては私は完璧にフロベールの「ブヴァールとペキュシェ」に成りきっております。
といって文学を疎かにするのではなく、どちらも一所懸命にということです。
あれかこれか、どちらかを選べという二者択一を迫る人を私は信用しません。どちらも大事でどちらかを選んでどちらかを捨てるなんてアホです。何が究極の選択ですか。みんな大事にしちゃいけないのですか?! (あれ、だれを怒っているんだろう?)
しかしあれほど猫も杓子も始めたブログが、この頃ずいぶん沈んで静かになって来たような気がします。毎日勉強したり考えたりしていないとたちまち書くことが無くなりますからね。そろそろ引き際? さよなら三角、また来て四角……
ささやかな息抜き
ほんとうは、ネット接続から離脱し、同人誌からも離脱し、ひっそりと誰のためでもなく自分のためにだけ書く、そういう小説が望みなのかもしれない。
人に読まれることを意識して書かれる、それだけで小説は限りなく不純なものになるのではないか。
仮題 Polyphony、あるいは「限りなく増殖してゆく私」たち
仮題 Polyphony、あるいはひそかに電話線上を駆け抜けてゆくアリア
��何か、異様に長く怪しいタイトル……こけても笑わないで下さいませ)
2008年2月19日火曜日
一夜で別物
昨夜変更した分を読み返してみた。すごいことになっていました。よく解らないと不評を買うこと必定。
しかし、読みやすい小説や解りやすい小説を書こうとしているのではないので、それはまったく気にしない。
それにしても一夜でガラッと変わってしまって、この先どうしたらいいのやら。
そうだ、いつかNさんにお聞きした方法。思いっきりアナログに、鋏と糊。
書けるところはバンバンすべて書いてしまい、それをプリント・アウトしてシークエンスごとに鋏で切って入れ替えてみる。うーん、今回はこの方法がぴったりなのかもしれない。
ひと晩でいきなりグールドの「北の理念」っぽくなってきてしまった。
フリー・ジャズで押し通すほかないような気がする。
筋の統一とか、人称や視点の固定とか、面倒くさいし、意識的にこれを避けようとするとどうもね、怪しいものになりそうで、こんなもの掲載できないよ、という風に、まだ躓きそうな予感。
「これは小説ではありません」という断り書きを題名横に小さく入れておくというアイディアはいかがなものか、Wahhaha!
6つに分割アップロードされているGlenn Gould: The Russian Journey をすべてダウンロード。
しかし、こんなことばかりしているとHDが重くなって困るので、HD以外に移動させないと。
しかし、読みやすい小説や解りやすい小説を書こうとしているのではないので、それはまったく気にしない。
それにしても一夜でガラッと変わってしまって、この先どうしたらいいのやら。
そうだ、いつかNさんにお聞きした方法。思いっきりアナログに、鋏と糊。
書けるところはバンバンすべて書いてしまい、それをプリント・アウトしてシークエンスごとに鋏で切って入れ替えてみる。うーん、今回はこの方法がぴったりなのかもしれない。
ひと晩でいきなりグールドの「北の理念」っぽくなってきてしまった。
フリー・ジャズで押し通すほかないような気がする。
筋の統一とか、人称や視点の固定とか、面倒くさいし、意識的にこれを避けようとするとどうもね、怪しいものになりそうで、こんなもの掲載できないよ、という風に、まだ躓きそうな予感。
「これは小説ではありません」という断り書きを題名横に小さく入れておくというアイディアはいかがなものか、Wahhaha!
6つに分割アップロードされているGlenn Gould: The Russian Journey をすべてダウンロード。
しかし、こんなことばかりしているとHDが重くなって困るので、HD以外に移動させないと。
2008年2月18日月曜日
Polyphony
いったん書くのを断念したものの、仮題を「Polyphony」というますます怪しい英語表記の仮題に変更し、別のファイルまでくっつけて復活させた。これをマニエリスムといわずに何と言おう。
しかし、これもじきに難破するのは目に見えている。
まあ、リアリズムの観点から見れば難破は難破で事実なのだから、隠すこともないだろう。
難破したらしたで、どうにも書けないへぼな物書きの哀しいドキュメントくらいには、案外、なろうというもの。
スペース込みで6017字になった。書く時は激しく書き、書けない時は激しく休止し……誰のためでもなく自分のために……(ノД`)ヽ(゚Д゚ ) ォィォィ
しかし、これもじきに難破するのは目に見えている。
まあ、リアリズムの観点から見れば難破は難破で事実なのだから、隠すこともないだろう。
難破したらしたで、どうにも書けないへぼな物書きの哀しいドキュメントくらいには、案外、なろうというもの。
スペース込みで6017字になった。書く時は激しく書き、書けない時は激しく休止し……誰のためでもなく自分のために……(ノД`)ヽ(゚Д゚ ) ォィォィ
ハード・ディスクの奥底に
ということで昔書いた詩をまとめたファイル(そのままPDFファイルに書き出せばいつでも詩集として出せる形のままハード・ディスクの奥底に沈んでいた)を開いてみたら、個人ウェブにもアップしてない詩が複数あった。
これ、多分、二十代に書いたものかもしれない。
当時のぼせていたジョン・ダンとポール・エリュアールの影響が露骨で、何とも気取っていて恥ずかしいけれど、懐かしくもあります。
これ、多分、二十代に書いたものかもしれない。
当時のぼせていたジョン・ダンとポール・エリュアールの影響が露骨で、何とも気取っていて恥ずかしいけれど、懐かしくもあります。
ジョン・ダンを思い起こすための三つのソネット
* ジョン・ダン......イギリスの詩人(1572~1631)
......覚えているんだ ぼくがきみに 何かをいい 何かを
形見にあげるといったのを あの時のぼくは死んで 今の
ぼくがぼくだけど そのぼくは 死んだぼくの遺言執行人
そして形見の品は この今の僕......
ジョン・ダン「形見」より
(河村錠一郎訳『エレジー、唄とソネット』現代思潮社刊)所収
1 乾いた薔薇のソネット
君が薔薇を好きなのは知っていた だが
僕の目の中の庭では 薔薇はとうに枯れ果てていた
見えるはずのものが見えない悲しみと
見えないはずのものが見える悲しみのみを残して
君はまさに開かんとする薔薇を希望に譬えた だが
君が掴まえようとした希望とは
君の心のピストンの 単なる上死点にすぎなかった
絶望さえも 瞬間の下死点にすぎなかった
君は僕を乾いた花に譬えた だが
八方破れで生きてみせるわと言った君の
心神の花はすでに八方破れて穴だらけだった
あまりに希望と絶望を往復しすぎた君のいのちは擦り減ってしまい
そして 乾いた形ばかりの花は生き残り
生きた花の姿の君は もはや僕の目には見えない
2 矛盾形容のソネット
たとえば 美しい君は美しいゆえに醜い
可愛い君は 可愛いゆえに小憎らしい
聡明な君は単に毛のないチンパンジー
と言明するのはあまりに奇矯だろうか
君への僕の この錯雑とした愛を
嘘も隠しもなく ありのまま君に伝えるには
矛盾を矛盾のまま だけど正確に伝えてくれる
誰もいまだかつて使ったことのない 両性具有の言語が必要だった
心の底から僕は君が愛(いと)おしかった
その上 困ったことにそれと同じくらい激しく
僕は君が厭(いと)わしかった
それというのも 君はあまりに僕に似すぎていた
だから僕は心のなかでひそかに呼んだのだ 君のことを
限りなくいとおわしいひと と
3 四つの瞳のソネット
あなたが世界を正視してやらないから
世界もあなたの目の前で横向きに座っている
あなたがわたしを正視してくれないから
わたしもあなたに ふと背を向けてしまう
それから更に君は抗議した
あなたの瞳はわたしを見てはいない
あなたの視線はわたしの躰を透過してわたしの後ろを見ている
でも わたしの後ろにわたしは居ない
だからぼくも答えた 君の瞳もぼくを見てはいない
君の視線は ぼくのずっと手前に焦点を結んでいる
ぼくの手前にもぼくは居ない
そして四つの瞳は互いをみつめあうことをあきらめ
二度と会うこともなく
二度と話をすることもなかった
自分のためにだけ
やはり、「憑依」ではない。
物書きは登場人物に憑依も同化もいっさいしてはならない。いちばんしてはならないことだ。
物書きは、作品に対峙するひとつの視点、ひとつの叙述体としてのみ存在しなければならない。
と考えてみるとさっさと思い切りがつき、書きかけのふにゃふにゃを書き続けることを諦め、「小説書きかけ」フォルダに入れた。
本当は入れるまでもないというか、残さない方が身のためなのだが、それでも少し冷ましておこう。
ということで、気分変換とイメージト・レーニングのため、J・コルタサルの『遊戯の終り』のなかの「河」を読んだ。といっても4ページにも満たない掌編。(もっとも「続いている公園」なんか、たった2ページだがすごい)
長さは問題ではない。ひたすら叙述するだけでいい。そう思って、もう一度スタート地点へ戻ります。まだ40日の上、時間はあります。
以前、ばりばり休みなく書いていた頃、カフカの「観察」がバイブルのような位置にあったことがあった。そしてカフカの断片張りの散文詩めいたものを書き、それが核となって小説になったというケースがいくつもあった。
そんな風に散文詩に近い文体で小説を書きたいなんて思うからにっちもさっちもいかなくなるのだけど、未だに書くことをやめないでいるのは、自分が気に入った小説を書きたい、ただそれだけなのだから、妥協がいちばんいけない。
そう、自分のためにだけ書こう!
物書きは登場人物に憑依も同化もいっさいしてはならない。いちばんしてはならないことだ。
物書きは、作品に対峙するひとつの視点、ひとつの叙述体としてのみ存在しなければならない。
と考えてみるとさっさと思い切りがつき、書きかけのふにゃふにゃを書き続けることを諦め、「小説書きかけ」フォルダに入れた。
本当は入れるまでもないというか、残さない方が身のためなのだが、それでも少し冷ましておこう。
ということで、気分変換とイメージト・レーニングのため、J・コルタサルの『遊戯の終り』のなかの「河」を読んだ。といっても4ページにも満たない掌編。(もっとも「続いている公園」なんか、たった2ページだがすごい)
長さは問題ではない。ひたすら叙述するだけでいい。そう思って、もう一度スタート地点へ戻ります。まだ40日の上、時間はあります。
以前、ばりばり休みなく書いていた頃、カフカの「観察」がバイブルのような位置にあったことがあった。そしてカフカの断片張りの散文詩めいたものを書き、それが核となって小説になったというケースがいくつもあった。
そんな風に散文詩に近い文体で小説を書きたいなんて思うからにっちもさっちもいかなくなるのだけど、未だに書くことをやめないでいるのは、自分が気に入った小説を書きたい、ただそれだけなのだから、妥協がいちばんいけない。
そう、自分のためにだけ書こう!
2008年2月17日日曜日
急がば回れ?
書くのは8枚目でピタッと止まったまま。書くのを一太郎ではなくVirtical Editorの400字詰め原稿用設定にしてみたり同人誌の段組設定にしてみたり、だがそういう問題で停止しているのではなくて、ようするにふにゃふにゃした書き方が気に入らないというのが原因。
これはどうもいつまでもしがみついていないで、「小説書きかけ」フォルダにお蔵入りにしてしまい、まったく別のものを考えた方が良さそうだ。
急がば回れ、かもしれない。
3月以降は忙しくなるので、明日、本当は山に偵察に行きたいのだが、雪がどのくらい残っているか、心配。
これはどうもいつまでもしがみついていないで、「小説書きかけ」フォルダにお蔵入りにしてしまい、まったく別のものを考えた方が良さそうだ。
急がば回れ、かもしれない。
3月以降は忙しくなるので、明日、本当は山に偵察に行きたいのだが、雪がどのくらい残っているか、心配。
2008年2月16日土曜日
おば様ブルース・シンガー
昨夜は遅くまでお客様の相手、今夜は15日なので赤提灯で酩酊して帰宅。
これではダメですね。
Bluesについてあれこれ検索しているうちに、Bessie Smithとか、Linda Hopkinsというすごいおば様シンガーに遭遇してしまった。
その上、 Bessie Smithが何と"A Good Man is Hard to Find(善人はなかなかいない)" というBluesを唄っているのも発見。しかもさらに検索を続けると、Flannery O'Connorの小説「A Good Man is Hard to Find"(善人はなかなかいない)」より先にこの歌が存在し、むしろFlannery O'Connorがこの歌から小説のタイトルをいただいたらしいのです。
そこまでは知りませんでした。ネットってすごいですね。
では、Bessie Smithが唄った"A Good Man is Hard to Find"をどうぞ。
歌詞
ちなみに、Linda HopkinsとBessie SmithともにSt.Louis Bluesを唄っているが、 Bessie Smithは演出か地か、お酒をぐびぐび呑みながら唄い出していて唖然としました。Linda Hopkinsが唄っているのは「私はあの夕陽が沈んでゆくのを見るのが嫌い」という、フォークナーの短編のタイトルにも使われた正統な歌詞の方。
Memo:
oyamabokuchiの栽培技術と効率的調製法について、さる県の農業試験場のためになる記事を発見。ファイル保存とプリント・アウト。この県の試験場には、以前、発芽に関する重大な情報も頂戴していて実にありがたい。
特に葉の精製については、ローラー、カッターミル、篩いは2mmというのが重要なヒントになった。乾燥した葉を手で揉むのでは江戸時代と変わりなく、とてつもなく非効率な作業なので何とかならないかと考えていた。後はどれだけ精製精度を上げられるか、である。
今年は一挙にsoba、wasabi、oyamabokuchiと3種類に挑戦となる。これが全部自前で揃ったらまさに至福の蕎麦になります。
なぜこの県の試験場がこんなに熱心にoyamabokuchiの研究をしているのかと思ったら、昔から笹団子にoyamabokuchiを混ぜているらしい。あれ? 漱石の「坊ちゃん」で夢の中でばあやの清がむしゃむしゃ食べたのは笹団子だった? 笹飴? あ、笹飴でした。
これではダメですね。
Bluesについてあれこれ検索しているうちに、Bessie Smithとか、Linda Hopkinsというすごいおば様シンガーに遭遇してしまった。
その上、 Bessie Smithが何と"A Good Man is Hard to Find(善人はなかなかいない)" というBluesを唄っているのも発見。しかもさらに検索を続けると、Flannery O'Connorの小説「A Good Man is Hard to Find"(善人はなかなかいない)」より先にこの歌が存在し、むしろFlannery O'Connorがこの歌から小説のタイトルをいただいたらしいのです。
そこまでは知りませんでした。ネットってすごいですね。
では、Bessie Smithが唄った"A Good Man is Hard to Find"をどうぞ。
歌詞
"A Good Man is Hard to Find"
by Eddie Green,recording of 1927 or 1928
My heart's sad and I am all forlorn, my man's treating me mean
I regret the day that I was born and that man of mine I've ever seen
Happiness, it never lasts a day, my heart is almost breaking while I say
A good man is hard to find, you always get the other kind
Just when you think that he is your pal, you look for him and find him fooling 'round some other gal
Then you rave, you even crave to see him laying in his grave
So, if your man is nice, take my advice and hug him in the morning, kiss him ev'ry night,
give him plenty lovin', treat him right
For a good man nowadays is hard to find, a good man nowadays is hard to find
ちなみに、Linda HopkinsとBessie SmithともにSt.Louis Bluesを唄っているが、 Bessie Smithは演出か地か、お酒をぐびぐび呑みながら唄い出していて唖然としました。Linda Hopkinsが唄っているのは「私はあの夕陽が沈んでゆくのを見るのが嫌い」という、フォークナーの短編のタイトルにも使われた正統な歌詞の方。
I hate to see that evening sun go down
I hate to see that evening sun go down
'Cause, my baby, he's gone left this town
Feelin' tomorrow like I feel today
If I'm feelin' tomorrow like I feel today
I'll pack my truck and make my give-a-way
St. Louis woman with her diamond ring
Pulls that man around by her
If it wasn't for her and her
That man I love would have gone nowhere, nowhere
I got the St. Louis Blues
Blues as I can be
That man's got a heart like a rock cast in the sea
Or else he wouldn't have gone so far from me
I love my baby like a school boy loves his pie
Like a Kentucky colonel loves his mint'n rye
I love my man till the day I die
by W.C. Handy
Memo:
oyamabokuchiの栽培技術と効率的調製法について、さる県の農業試験場のためになる記事を発見。ファイル保存とプリント・アウト。この県の試験場には、以前、発芽に関する重大な情報も頂戴していて実にありがたい。
特に葉の精製については、ローラー、カッターミル、篩いは2mmというのが重要なヒントになった。乾燥した葉を手で揉むのでは江戸時代と変わりなく、とてつもなく非効率な作業なので何とかならないかと考えていた。後はどれだけ精製精度を上げられるか、である。
今年は一挙にsoba、wasabi、oyamabokuchiと3種類に挑戦となる。これが全部自前で揃ったらまさに至福の蕎麦になります。
なぜこの県の試験場がこんなに熱心にoyamabokuchiの研究をしているのかと思ったら、昔から笹団子にoyamabokuchiを混ぜているらしい。あれ? 漱石の「坊ちゃん」で夢の中でばあやの清がむしゃむしゃ食べたのは笹団子だった? 笹飴? あ、笹飴でした。
うとうとしたら清(きよ)の夢(ゆめ)を見た。この場面だけ、なぜか今もなお強烈に覚えています。
清が越後(えちご)の笹飴(ささあめ)を笹ぐるみ、むしゃむしゃ食っている。
笹は毒だからよしたらよかろうと云うと、いえこの笹がお薬でございますと云(い)って旨そうに食っている。
おれがあきれ返って大きな口を開いてハハハハと笑ったら眼が覚めた。
2008年2月14日木曜日
現実ではなく虚構を、書かずに生きてしまうような
一晩に5枚というのは調子に乗ったらの話で、ほとんど前へ進んでいるんだか停まっているんだか判断がつかない状況。
やはり主人公を女性にしたのがまずかった。昔書いた女性が主人公のものと変わりないではないか……とか。
書き始めたら、小説の外側から考えたり感じたりしていてはダメ。外側に置くのはコントロール機能だけで、残りはそっくり内側に入ってしまって、女性だろうが、こども、年寄りだろうが、憑依しちゃわないと。いったん覚めると難しいですが。
物書きというのはどこか多重人格的で、その世界を冷たく見つめるひとりと、その世界に入り込んで人物の思考や感覚をともに生きて伝えるひとりと、少なくともふたりは必要なのだよね(と、自分で自分に同意を求め)。
暖かくなったら、このブログから植物関係の記事を別にブログを設置して移行しようかと考えている。文学記事より植物記事の方が多いので、こちらは更新回数が週一くらいになるかもしれないけれど。
ちなみにブラウザのお気に入りの上の方、「管理ウェブ」「文学ウェブ」のすぐ下にあるフォルダ名は「ソバ」、「ルバーブ」、「オヤマボクチ」「ワサビ」など妙な植物名が続いている。
今日も夕食後一時間ほど、ワサビの種の採取から播種までの貴重な記事を発見して興奮してしまいました。
普通、貴重なノウハウなのでネット上になど公開しないはずなのだが……頭が下がります。
インターネットは悪魔の道具でもありますが、天使の道具でもあり、この記事はまさにインターネットが神の道具でもありうることを実感させるものなのであります。
やはり私は『ブヴァールとペキュシェ』を最後まで読まずに、自身がブヴァールかペキュシェとして生きることになってしまったのです。つまり、現実ではなく虚構を、書かずに生きてしまうような……。
傍目には何の意味もなく価値もないことにむしろ情熱を燃やす。
本当は小説も限りなく意味も価値もないことに近いのだけれど、書かれた言葉は意味を持ち、価値を持ち始める。それゆえか、厄介なことになぜか小説にだけは情熱が燃え立たない。
それというのも、すべてを肯定してしまう自分がいるのだ。
すべてを肯定してしまう視点に立っていては小説は書けない。
などとネガティブなことばかり書いて、定期的に読んでいただく方の創作意欲を殺ぐことになりはしないかと、どうも、心配です。
ブログを休んだ方がいいのかも。
さて、ネットを切断して、もう一度一太郎を開き、これまで書いた分を初めから読み返します。書けなければ読み返す。それしかありません。
やはり主人公を女性にしたのがまずかった。昔書いた女性が主人公のものと変わりないではないか……とか。
書き始めたら、小説の外側から考えたり感じたりしていてはダメ。外側に置くのはコントロール機能だけで、残りはそっくり内側に入ってしまって、女性だろうが、こども、年寄りだろうが、憑依しちゃわないと。いったん覚めると難しいですが。
物書きというのはどこか多重人格的で、その世界を冷たく見つめるひとりと、その世界に入り込んで人物の思考や感覚をともに生きて伝えるひとりと、少なくともふたりは必要なのだよね(と、自分で自分に同意を求め)。
暖かくなったら、このブログから植物関係の記事を別にブログを設置して移行しようかと考えている。文学記事より植物記事の方が多いので、こちらは更新回数が週一くらいになるかもしれないけれど。
ちなみにブラウザのお気に入りの上の方、「管理ウェブ」「文学ウェブ」のすぐ下にあるフォルダ名は「ソバ」、「ルバーブ」、「オヤマボクチ」「ワサビ」など妙な植物名が続いている。
今日も夕食後一時間ほど、ワサビの種の採取から播種までの貴重な記事を発見して興奮してしまいました。
普通、貴重なノウハウなのでネット上になど公開しないはずなのだが……頭が下がります。
インターネットは悪魔の道具でもありますが、天使の道具でもあり、この記事はまさにインターネットが神の道具でもありうることを実感させるものなのであります。
やはり私は『ブヴァールとペキュシェ』を最後まで読まずに、自身がブヴァールかペキュシェとして生きることになってしまったのです。つまり、現実ではなく虚構を、書かずに生きてしまうような……。
傍目には何の意味もなく価値もないことにむしろ情熱を燃やす。
本当は小説も限りなく意味も価値もないことに近いのだけれど、書かれた言葉は意味を持ち、価値を持ち始める。それゆえか、厄介なことになぜか小説にだけは情熱が燃え立たない。
それというのも、すべてを肯定してしまう自分がいるのだ。
すべてを肯定してしまう視点に立っていては小説は書けない。
などとネガティブなことばかり書いて、定期的に読んでいただく方の創作意欲を殺ぐことになりはしないかと、どうも、心配です。
ブログを休んだ方がいいのかも。
さて、ネットを切断して、もう一度一太郎を開き、これまで書いた分を初めから読み返します。書けなければ読み返す。それしかありません。
2008年2月13日水曜日
憮然
数日前に印刷所から宅配便で届いた詩誌と請求書を見て、唖然とした。
先ず、表紙にアートポストを頼んだので、そこへまた屋上屋を重ねるような依頼をする訳もないのに、つるつるぴかぴかにPP加工されていて、その加工代金が何と300部で16,000円とある。?? 200部しか依頼しなかったのに、なぜ300部? ダンボール箱の中の雑誌を数えてみたが200部しかない。
控えめでつや消しな感じがよくてアートポストを指定しているのに、頼みもしないPP加工をされてしまい、しかも部数までごまかされている。。しかもネットで調べてみたら、よその印刷所ではPP加工料金が半値ではありませんか。
その上、表紙、本文の用紙の計算までが200冊でなく300冊で計算してある。
その点をメールで問い合わせたら、連休明けの本日ようやく返信があり、勘違いとかで計算しなおした金額を提示して来た。5000円ほど安くなっているがPP加工については300冊という数字は書かずに16,000円という計算のまま、知らん顔である。信じられない。
依頼もしないPP加工と合わせると、こちらの予定より21,000円も高くなってしまったことになる。
仕方ないから、明日、代金を振り込む。
けれどもこれで縁を切り、次回からは別の印刷所に移る。憮然。
たまたまGoogle Videoを見ていて、GoogleのIDを持っているのだから動画をアップロードできるのではないかと「Upload your videos」というボタンを押したらすんなりアップロード画面に入れた。あとは動画ファイルをflvファイルに変換、それをアップロードすればいい。
ということで、ついでにYouTubeのIDも取得しておいた。といってもちゃんとした動画撮影カメラは持っていなくてデジカメの動画撮影機能を使うのだが、デジカメの動画はmovファイル。それをflvに変換するフリー・ソフト使用方法も覚えた。いずれ動画をアップするかもしれない。
先ず、表紙にアートポストを頼んだので、そこへまた屋上屋を重ねるような依頼をする訳もないのに、つるつるぴかぴかにPP加工されていて、その加工代金が何と300部で16,000円とある。?? 200部しか依頼しなかったのに、なぜ300部? ダンボール箱の中の雑誌を数えてみたが200部しかない。
控えめでつや消しな感じがよくてアートポストを指定しているのに、頼みもしないPP加工をされてしまい、しかも部数までごまかされている。。しかもネットで調べてみたら、よその印刷所ではPP加工料金が半値ではありませんか。
その上、表紙、本文の用紙の計算までが200冊でなく300冊で計算してある。
その点をメールで問い合わせたら、連休明けの本日ようやく返信があり、勘違いとかで計算しなおした金額を提示して来た。5000円ほど安くなっているがPP加工については300冊という数字は書かずに16,000円という計算のまま、知らん顔である。信じられない。
依頼もしないPP加工と合わせると、こちらの予定より21,000円も高くなってしまったことになる。
仕方ないから、明日、代金を振り込む。
けれどもこれで縁を切り、次回からは別の印刷所に移る。憮然。
たまたまGoogle Videoを見ていて、GoogleのIDを持っているのだから動画をアップロードできるのではないかと「Upload your videos」というボタンを押したらすんなりアップロード画面に入れた。あとは動画ファイルをflvファイルに変換、それをアップロードすればいい。
ということで、ついでにYouTubeのIDも取得しておいた。といってもちゃんとした動画撮影カメラは持っていなくてデジカメの動画撮影機能を使うのだが、デジカメの動画はmovファイル。それをflvに変換するフリー・ソフト使用方法も覚えた。いずれ動画をアップするかもしれない。
2008年2月12日火曜日
感心しない気に入らない
創作の方、字数だけは1000字ほど増えた。この十倍書けば90枚になるが、、どうも感心しない、気に入らない。主人公を女性にしてスタートしたのがまずかったか。しかし男であっても事情は変わらないだろう。かといって猫や石を主人公にする訳にもいかない。
昔、ノートパソコンとデスクトップで別々の小説を書いたことがあった。といってもノートの方は30枚の短いものだったが。考えてみればパソコン2台を使わなくても、1台で2作を並行して書けないことはない。Aという小説のファイルを開いて書き、やがてそれを閉じてBという小説を書く。
はは、多分、二兎を追って一兎をも得ずになる。
今日午前11時にT中さんが切った胡桃の木をいただきに行く予定だったが、T中さんに用事が出来て延期。
それにしてもよく雪が降ります。今のうちに山奥へ行ってWasabia Japonicaを探して来たいのに、こう雪が多くてはいくら4駆でも車ごと遭難しそうで、山行きを決行できない。こんな寒い時期はやめて夏にでも行けばというが、夏は周囲全山みな緑で探しにくいのです。冬枯れの今こそ、緑が少ないので目につきやすいのです。
2月に播くのが発芽率がいちばんいいという記事を見たので、昼休みのわずかな時間にoyamabokuchiの種を30粒ほど、9cmポリポットに先行播種。休眠打破処理をしない乾燥しただけの種は発芽率30%くらいというので30粒播いてみた。冷蔵庫で処理した種は今月末か3月初めの予定。
明日はわが家の前の道路がちょっと先の稲荷神社の初午祭のために車両通行止め、歩行者天国となる。地元小学生が一時間、獅子舞や踊りを披露するという予定があるが、天候が悪く雪か雨の模様。
昔、ノートパソコンとデスクトップで別々の小説を書いたことがあった。といってもノートの方は30枚の短いものだったが。考えてみればパソコン2台を使わなくても、1台で2作を並行して書けないことはない。Aという小説のファイルを開いて書き、やがてそれを閉じてBという小説を書く。
はは、多分、二兎を追って一兎をも得ずになる。
今日午前11時にT中さんが切った胡桃の木をいただきに行く予定だったが、T中さんに用事が出来て延期。
それにしてもよく雪が降ります。今のうちに山奥へ行ってWasabia Japonicaを探して来たいのに、こう雪が多くてはいくら4駆でも車ごと遭難しそうで、山行きを決行できない。こんな寒い時期はやめて夏にでも行けばというが、夏は周囲全山みな緑で探しにくいのです。冬枯れの今こそ、緑が少ないので目につきやすいのです。
2月に播くのが発芽率がいちばんいいという記事を見たので、昼休みのわずかな時間にoyamabokuchiの種を30粒ほど、9cmポリポットに先行播種。休眠打破処理をしない乾燥しただけの種は発芽率30%くらいというので30粒播いてみた。冷蔵庫で処理した種は今月末か3月初めの予定。
明日はわが家の前の道路がちょっと先の稲荷神社の初午祭のために車両通行止め、歩行者天国となる。地元小学生が一時間、獅子舞や踊りを披露するという予定があるが、天候が悪く雪か雨の模様。
2008年2月11日月曜日
徒労の日
朝、雪かき。その後、あるウェブサイトのページ追加作業をボランティアで。
物書き作業は五歩進んだが、結局、五歩戻ってしまった。今日の分はまったく徒労。
どうも昨夜配偶者に聞いた現に進行中のあるimmoral な話に邪魔され、自分が作っている世界へ入り損ねたようだ。はじき出された感じがする。
もっとhard boiledじゃないといけないという気持ちになって五歩分をばっさり。
まだ双六をスタート地点に戻すことも可能(?)。
気分転換にこのブログのタイトル・バックの画像を模様替えしましたが、浮遊のイメージはそのまま。
こういうことになるとこどもみたいに夢中になって返事もしないほど集中する。
困ったものです。
物書き作業は五歩進んだが、結局、五歩戻ってしまった。今日の分はまったく徒労。
どうも昨夜配偶者に聞いた現に進行中のあるimmoral な話に邪魔され、自分が作っている世界へ入り損ねたようだ。はじき出された感じがする。
もっとhard boiledじゃないといけないという気持ちになって五歩分をばっさり。
まだ双六をスタート地点に戻すことも可能(?)。
気分転換にこのブログのタイトル・バックの画像を模様替えしましたが、浮遊のイメージはそのまま。
こういうことになるとこどもみたいに夢中になって返事もしないほど集中する。
困ったものです。
2008年2月10日日曜日
一歩進んで二歩戻る
毎週雪が降ります。それもさらさらで細かい雪。
明日の朝はまた雪かきしなくてはいけないだろうから、あまり夜更かし出来ませんね。
5行書いたら、駅へ向かった主人公がまた家へ戻ってしまった。
それでは閉塞的になってしまうので書くのを停止。
今ならまだ主人公を電車に乗せてどこかへ移動させることが出来るが、さて?
昨夜は、書いたものを印刷して赤ペンを入れているうちに「またこんなつまらないものを書いて」という気持ちが大きくなってきて、危ないから書くのはやめて、ジョイスの「エブリン」とル・クレジオの「リュラビー」を読み返した。
小説って、やっぱり書くより読む方が楽しい。
集中できるのは2時間。もっと書いてもいいが、0時過ぎると乱れる。翌日の仕事に差しつかえる。だからわが家では「馬車がカボチャに、御者がネズミに戻ってしまう時刻」になったらとっとと就寝することにしている。0時に寝て6時には起きる。書く時間は夜の数時間しかない。しかも書かないときは梃子でも動かない。
だから、書く時は2時間で最低5枚は書く。
多くを望まず、一人の人間が描ければそれで良し。
さて、丘を下った突き当たりの駅まで戻ろう。
「サンクチュアリ」を書いたフォークナーほどは無理にしても、可能な限りハード・ボイルド・エッグになること。そうでなければ小説など書けない。
とりあえず、負けないように、今夜は聴き忘れていたこの小説のBGMであるAnimalsのEric Burdon の声を聴こう。
小説を書くのは、進んだりバックしたり、双六に似ている。
あ、主人公は電車を乗り換えたが、家のある駅で降りずに都心に向かった。
どこへ行くのだろう?
まったく考え無しに、フリージャズもどきに書き始めてしまったので、私自身にもどういう小説になるのか、どういう結末になるのか、さっぱり見えていない。皆さんがきちんとモチーフや構成をきちんと考えて書き始められるのに、何も考えずに書き始めるなんて小説をなめすぎています。
ただのmemo
近親相姦は、一方が未成年であれば児童福祉法に触れるが、成人であれば触れる法律がない。
道徳的にはOUTだが、法的にはOUTにはならないのである。
さて……。
明日の朝はまた雪かきしなくてはいけないだろうから、あまり夜更かし出来ませんね。
5行書いたら、駅へ向かった主人公がまた家へ戻ってしまった。
それでは閉塞的になってしまうので書くのを停止。
今ならまだ主人公を電車に乗せてどこかへ移動させることが出来るが、さて?
昨夜は、書いたものを印刷して赤ペンを入れているうちに「またこんなつまらないものを書いて」という気持ちが大きくなってきて、危ないから書くのはやめて、ジョイスの「エブリン」とル・クレジオの「リュラビー」を読み返した。
小説って、やっぱり書くより読む方が楽しい。
集中できるのは2時間。もっと書いてもいいが、0時過ぎると乱れる。翌日の仕事に差しつかえる。だからわが家では「馬車がカボチャに、御者がネズミに戻ってしまう時刻」になったらとっとと就寝することにしている。0時に寝て6時には起きる。書く時間は夜の数時間しかない。しかも書かないときは梃子でも動かない。
だから、書く時は2時間で最低5枚は書く。
多くを望まず、一人の人間が描ければそれで良し。
さて、丘を下った突き当たりの駅まで戻ろう。
「サンクチュアリ」を書いたフォークナーほどは無理にしても、可能な限りハード・ボイルド・エッグになること。そうでなければ小説など書けない。
とりあえず、負けないように、今夜は聴き忘れていたこの小説のBGMであるAnimalsのEric Burdon の声を聴こう。
小説を書くのは、進んだりバックしたり、双六に似ている。
あ、主人公は電車を乗り換えたが、家のある駅で降りずに都心に向かった。
どこへ行くのだろう?
まったく考え無しに、フリージャズもどきに書き始めてしまったので、私自身にもどういう小説になるのか、どういう結末になるのか、さっぱり見えていない。皆さんがきちんとモチーフや構成をきちんと考えて書き始められるのに、何も考えずに書き始めるなんて小説をなめすぎています。
ただのmemo
近親相姦は、一方が未成年であれば児童福祉法に触れるが、成人であれば触れる法律がない。
道徳的にはOUTだが、法的にはOUTにはならないのである。
さて……。
2008年2月9日土曜日
存在の相対性原理
アイスキュロスの「オレステイア三部作」
乱暴に要約すれば将軍アガメムノンの妻・クリュタイメストラが愛人アイギュストスとともに、夫を殺害し、アガメムノンの子のエレクトラとオレステスが復讐のために母と愛人を殺すというストーリーなのだが、この古風なギリシア悲劇を、なぜ、今、想起するのかというと、この「オレステイア三部作」自体が浮気した妻による愛人と共謀のうえの夫殺し、さらにそれを知ったこどもふたりによる母殺しという、いわゆる家族、近親殺人が扱われているからだ。
ソポクレスの「オイディプース王」は子による父殺しと母親を娶るという近親相姦がテーマであるし。
夫殺し、妻殺し、子殺し、親殺し……現代日本も、あまりに近親殺人が多すぎはしないか?
紀元前五世紀の古代ギリシア人が悩んだ問題を、二千数百年後の現代人がいまだに解決できずに抱え込んでいるこの不思議。
domestic violenceというより、domestic homicide。
いちばん愛さねばならない存在を、ひとはなぜ殺すのか? なぜ?
仮の答
��以前、同じことを書いているかもしれない……大脳細胞老化現象認知記憶障害徐々進行)
��あ、今回書き始めたものとは無縁の話題です)
乱暴に要約すれば将軍アガメムノンの妻・クリュタイメストラが愛人アイギュストスとともに、夫を殺害し、アガメムノンの子のエレクトラとオレステスが復讐のために母と愛人を殺すというストーリーなのだが、この古風なギリシア悲劇を、なぜ、今、想起するのかというと、この「オレステイア三部作」自体が浮気した妻による愛人と共謀のうえの夫殺し、さらにそれを知ったこどもふたりによる母殺しという、いわゆる家族、近親殺人が扱われているからだ。
ソポクレスの「オイディプース王」は子による父殺しと母親を娶るという近親相姦がテーマであるし。
夫殺し、妻殺し、子殺し、親殺し……現代日本も、あまりに近親殺人が多すぎはしないか?
紀元前五世紀の古代ギリシア人が悩んだ問題を、二千数百年後の現代人がいまだに解決できずに抱え込んでいるこの不思議。
domestic violenceというより、domestic homicide。
いちばん愛さねばならない存在を、ひとはなぜ殺すのか? なぜ?
仮の答
わたしはわたしを愛するひとを愛する。つまり、人間がいかに相対的存在でしかないかということの証明。
けれど
わたしはわたしを愛さない者は憎み、殺さずにはいられない。
��以前、同じことを書いているかもしれない……大脳細胞老化現象認知記憶障害徐々進行)
��あ、今回書き始めたものとは無縁の話題です)
(ーー;)
来月初めの日曜に、県内の同人誌の協会の、二年に一回の文学賞選考会があるので、候補作を読み始めた。今のうちに目を通しておかなければ、本格的に書き出したらそっちのけになって意識の隅にも無くなってしまうだろうから。
10篇のうちすでに7編を読んでしまった。しかし、読むのがかなりつらい。
「50枚以内の小説」という規約のマイナス効果が現われたのか、小粒で単なるお話を書いた作品が多い。もっと書き込めばと思うが、10頁前後で終わらせているものが多い。しかも、なぜか単純に過去の出来事をあったように書いたものばかりで、現在を書いた作品が無い。同人高齢化の象徴なのだろうか。
自分の誌の推薦作を除いてあとふたつ、何とか読んでしまって、早く、自作に戻ろう。(あまり実況中継しない方がいいような気がする)
10篇のうちすでに7編を読んでしまった。しかし、読むのがかなりつらい。
「50枚以内の小説」という規約のマイナス効果が現われたのか、小粒で単なるお話を書いた作品が多い。もっと書き込めばと思うが、10頁前後で終わらせているものが多い。しかも、なぜか単純に過去の出来事をあったように書いたものばかりで、現在を書いた作品が無い。同人高齢化の象徴なのだろうか。
自分の誌の推薦作を除いてあとふたつ、何とか読んでしまって、早く、自作に戻ろう。(あまり実況中継しない方がいいような気がする)
2008年2月8日金曜日
人物名変更
昨夜書いた分を読みかえしているうちに主人公の名を変えたくなった。
原稿用紙に手書きの時代はそれをするとタイヘンで、全文書き換えだったらいいが、名前だけ訂正したら見落としがあって、印刷されてきて見たらまだ変える前の名前が残っていたりしてひどいめにあった。
それが今は、ワープロ・ソフトややテキスト・エディターの「検索と置換」を使えば一瞬にして名前が書き換え出来るので、実に助かります。
検索窓にたとえばこれまでの主人公の名前「秋海」と入力し、置換窓に新しい名前「ユビ」と入力し、「置換」ボタンを押すだけで、文頭から文末まであっという間に主人公の名前が書き換わる。便利なものである。
しかし、まだ名前が気に入らないから変えるかもしれない。ミレナは外国人だし……。
それにしても、なぜ自分が書くものがこんなにもおもしろくない、のだろう。
と言ったら、かつて、「自分で読んでおもしろくないものなどひと様に読ませるな」と言ったひとがいる。
それも一理あるが、そうはいかない。それに納得していたら二十歳の時に書くのをあきらめていただろう。
ま、自分が書くものをおもしろいと思うひととはあまり話したくないし、書いたものも読みたくない気がしますが。
とにかく今回は入院長期休暇明けでリハビリ中みたいなものだから、気負わないこと、自分が書くものがつまらないと思わないこと。ごく瑣末な掌編を書くのだと、そのくらいの低い志で一歩前へ。

昨年10月14日にホワイトリカーに漬け込んだヤマブドウがどうなったか、ちょっと試飲してみました。
色もやや薄めで、まだ辛い。氷砂糖が足りなかったようだ。やはり果実酒は甘くなることを恐れずに氷砂糖を入れ浸透圧を高めてやらないと、果実の成分が出て来るのも遅い。
氷砂糖を追加した。
忘れてしまって、一年以上放っておいた方が良さそう。
原稿用紙に手書きの時代はそれをするとタイヘンで、全文書き換えだったらいいが、名前だけ訂正したら見落としがあって、印刷されてきて見たらまだ変える前の名前が残っていたりしてひどいめにあった。
それが今は、ワープロ・ソフトややテキスト・エディターの「検索と置換」を使えば一瞬にして名前が書き換え出来るので、実に助かります。
検索窓にたとえばこれまでの主人公の名前「秋海」と入力し、置換窓に新しい名前「ユビ」と入力し、「置換」ボタンを押すだけで、文頭から文末まであっという間に主人公の名前が書き換わる。便利なものである。
しかし、まだ名前が気に入らないから変えるかもしれない。ミレナは外国人だし……。
それにしても、なぜ自分が書くものがこんなにもおもしろくない、のだろう。
と言ったら、かつて、「自分で読んでおもしろくないものなどひと様に読ませるな」と言ったひとがいる。
それも一理あるが、そうはいかない。それに納得していたら二十歳の時に書くのをあきらめていただろう。
ま、自分が書くものをおもしろいと思うひととはあまり話したくないし、書いたものも読みたくない気がしますが。
とにかく今回は入院長期休暇明けでリハビリ中みたいなものだから、気負わないこと、自分が書くものがつまらないと思わないこと。ごく瑣末な掌編を書くのだと、そのくらいの低い志で一歩前へ。
昨年10月14日にホワイトリカーに漬け込んだヤマブドウがどうなったか、ちょっと試飲してみました。
色もやや薄めで、まだ辛い。氷砂糖が足りなかったようだ。やはり果実酒は甘くなることを恐れずに氷砂糖を入れ浸透圧を高めてやらないと、果実の成分が出て来るのも遅い。
氷砂糖を追加した。
忘れてしまって、一年以上放っておいた方が良さそう。
2008年2月7日木曜日
干物や残骸をかき分けて
動画ファイルから音声だけを取り出せるフリーソフトでHouse of the Rising Sunの音だけをmp3ファイルにしてデスクトップに置いた。
時々これを小さく流しながら、燃え尽きてしまいそうな憤怒の情を掻き立てようという姑息で安易な魂胆ですが、今回のテーマ・ソングなのです。
むかし、一作書く間ずっとバッハの螺旋カノンばかり流していたことがあったが、あれはちょっと目が回るので今回は相応しくないのです。もっと卑小で卑近で猥雑でなければならないので、だからこそ敢えて、「朝日のあたる家」なのです。
ハード・ディスクの中の、「書きかけ」フォルダの中のファイルを皆開いてみたが、干物・残骸ばかりで参考にもならなかった。(ということは、その時期の私自身も干物・残骸に過ぎなかったと、いう逆説的証明でしかないのですが)
ま、とにかく一太郎を開こう。今回は一太郎でいきます。が、スピードが上がってきたらテキスト・エディターに切り替えるかもしれない(そんなことはあり得ない……)。
と書いてから、1時間十分後……
書き出しの練習をしていたら結構進んであきれた。スペース込みで624文字。井上光晴の「お菓子の時間」みたいな感じ。できれば「ナイヤガラ」みたいな短編(掌編)の方がいいんですが、今はそんな贅沢を言ってられません。
書きだしをたくさん書くという妙な癖は治っていないようです。
仮に付けた題名は安直に「朝日のあたる丘」(爆)、または「丘の上のユビ」(A・ジャリの「丘の上のユビュ」のパクリじゃないですか!! )
昔、文學界が丸山健二の短編を12ヶ月連続で掲載した。ある程度ストックがあっての連載か、締め切りに追われての連載かは知らないが、一ヶ月も休まず掲載されて、『水に映す』という一冊の短編集になった。「バス停」とか「青い帽子の女」は今でも印象深い作品です。
その後、井上光晴がもっと長い期間短編、掌編を連載した。彼は昭和56年4月号から昭和59年12月号まで、40篇連載した。それを本にしたのが『だれかの関係』(文藝春秋社刊)昔の文學界は面白かった。
ああして否応なく書き続けることが必要な時が作家にはあります。
少なくともプロは、私のように、「自分が書くものがつまらない」なんて死んでも言わないでしょう。
たったそれだけが、アマチュアとプロを隔てる差異に過ぎないのです。
長いこと書かなかったので、初めてスキーを履いた時のことを思い出しました。初心者なのにいきなり上級者コースの一番上までリフトに乗っていってしまったのです。どうやって降りるんでしょう、うぇーん。
まあ、ポンコツ自動車がまだ動くかどうか町内を試運転しているようなものです。国道へ出て高速道路に乗れたらしめたものですが、それはそれで暴走しそうな感じ。頭に鉢巻を巻いて、そこに鉛筆か蝋燭(横溝?)猛烈な形相ですな。
干物や残骸をもかき分けて、前へ、進め!
これって、書きながらそれをドキュメントしていることになりません?
あ、itu:kairouさんも書きながらドキュメントしてます。彩の国のお方はシーンとしていますので猛烈な勢いで書かれているのかも……拍手。
わ、Lydwineさん、2500字だそうですw。
わたしはええっと、Whaa、スペース込みで2325字とLydwineさんに猛迫。 でも (-_-)zzz
時々これを小さく流しながら、燃え尽きてしまいそうな憤怒の情を掻き立てようという姑息で安易な魂胆ですが、今回のテーマ・ソングなのです。
むかし、一作書く間ずっとバッハの螺旋カノンばかり流していたことがあったが、あれはちょっと目が回るので今回は相応しくないのです。もっと卑小で卑近で猥雑でなければならないので、だからこそ敢えて、「朝日のあたる家」なのです。
ハード・ディスクの中の、「書きかけ」フォルダの中のファイルを皆開いてみたが、干物・残骸ばかりで参考にもならなかった。(ということは、その時期の私自身も干物・残骸に過ぎなかったと、いう逆説的証明でしかないのですが)
ま、とにかく一太郎を開こう。今回は一太郎でいきます。が、スピードが上がってきたらテキスト・エディターに切り替えるかもしれない(そんなことはあり得ない……)。
と書いてから、1時間十分後……
書き出しの練習をしていたら結構進んであきれた。スペース込みで624文字。井上光晴の「お菓子の時間」みたいな感じ。できれば「ナイヤガラ」みたいな短編(掌編)の方がいいんですが、今はそんな贅沢を言ってられません。
書きだしをたくさん書くという妙な癖は治っていないようです。
仮に付けた題名は安直に「朝日のあたる丘」(爆)、または「丘の上のユビ」(A・ジャリの「丘の上のユビュ」のパクリじゃないですか!! )
昔、文學界が丸山健二の短編を12ヶ月連続で掲載した。ある程度ストックがあっての連載か、締め切りに追われての連載かは知らないが、一ヶ月も休まず掲載されて、『水に映す』という一冊の短編集になった。「バス停」とか「青い帽子の女」は今でも印象深い作品です。
その後、井上光晴がもっと長い期間短編、掌編を連載した。彼は昭和56年4月号から昭和59年12月号まで、40篇連載した。それを本にしたのが『だれかの関係』(文藝春秋社刊)昔の文學界は面白かった。
ああして否応なく書き続けることが必要な時が作家にはあります。
少なくともプロは、私のように、「自分が書くものがつまらない」なんて死んでも言わないでしょう。
たったそれだけが、アマチュアとプロを隔てる差異に過ぎないのです。
長いこと書かなかったので、初めてスキーを履いた時のことを思い出しました。初心者なのにいきなり上級者コースの一番上までリフトに乗っていってしまったのです。どうやって降りるんでしょう、うぇーん。
まあ、ポンコツ自動車がまだ動くかどうか町内を試運転しているようなものです。国道へ出て高速道路に乗れたらしめたものですが、それはそれで暴走しそうな感じ。頭に鉢巻を巻いて、そこに鉛筆か蝋燭(横溝?)猛烈な形相ですな。
干物や残骸をもかき分けて、前へ、進め!
これって、書きながらそれをドキュメントしていることになりません?
あ、itu:kairouさんも書きながらドキュメントしてます。彩の国のお方はシーンとしていますので猛烈な勢いで書かれているのかも……拍手。
わ、Lydwineさん、2500字だそうですw。
わたしはええっと、Whaa、スペース込みで2325字とLydwineさんに猛迫。 でも (-_-)zzz
蕎麦チップス製造失敗の巻
夕食後、30分ほどでさっさと「蕎麦チップス=おつまみ用揚げ蕎麦」の製造、あえなく失敗。
うっかりいつもの癖でソバ粉十割で製造してしまったので膨らまず、どうも固すぎる。
二八、または三七くらいの割合で小麦粉を混ぜた方が膨らんでサクサクするかもしれない。あるいはホットケーキ・ミックスを一割混ぜるとか?
固いけれど香ばしさは変わらず、おいしい。病みつきになりそう。(ん? ソバ粉の在庫がだいぶさびしくなってきました)
うっかりいつもの癖でソバ粉十割で製造してしまったので膨らまず、どうも固すぎる。
二八、または三七くらいの割合で小麦粉を混ぜた方が膨らんでサクサクするかもしれない。あるいはホットケーキ・ミックスを一割混ぜるとか?
固いけれど香ばしさは変わらず、おいしい。病みつきになりそう。(ん? ソバ粉の在庫がだいぶさびしくなってきました)
2008年2月6日水曜日
種種種 (@_@;)
Rabarbaroの種、到着。一昨夜注文して今日配達なので、最速。
絵袋の写真が本当に赤い。これくらい赤ければいいのだが、裏に張られた日本語の説明のなかに「強い日差しに当たると茎が赤くならずに緑になってしまうので注意して下さい」との断り書き。なるほど。(種の数、ほぼ50)
なぜか、イタリアン・バジルのダーク・オパールがおまけに付いて来た。バジルを使う料理などあまり作らないのでどうしよう。検索してみたら、名前の通り、バジルでも紫蘇みたいな色をしている。
昨年の秋にN君がカナダから持って来てくれたRhubarbの種を探し出し(種の数100以上)、昨日いただいたルッコラも含めて「げきから」、丸いズッキーニなどもみんなひとつの箱にまとめておく。軽井沢産のヤマブドウの種まで出てきた。こんなものは播いても植える場所が無いが、でも播いてみるかもしれない。oyamabokuchiの種も冷蔵庫に入っているし……頭が混乱しそう。
��そういえば、あの時のヤマブドウを漬けたホワイトリカーはどうなっているだろう。忘れていた)
Rhubarbはフランス語だとRhubarbeになるようだ。
早速、Googleの言語をフランス語に設定し、RhubarbeでWeb検索と画像検索。それでRhubarbe関係のウェブページのURLをマルチ翻訳にかけてみる。おお、先日のイタリア語や中国語よりずっと解りやすい。英語翻訳と同じくらいではないか、これだと少しはフランス語のウェブを歩くのに助けになるかもしれない。
余談ですが、このInfoseekのマルチ翻訳、テキスト翻訳の翻訳ボタンの下に「関西弁」にチェックを入れる窓があって、オンにすると翻訳が関西弁になって、笑ってしまいまんねん。
絵袋の写真が本当に赤い。これくらい赤ければいいのだが、裏に張られた日本語の説明のなかに「強い日差しに当たると茎が赤くならずに緑になってしまうので注意して下さい」との断り書き。なるほど。(種の数、ほぼ50)
なぜか、イタリアン・バジルのダーク・オパールがおまけに付いて来た。バジルを使う料理などあまり作らないのでどうしよう。検索してみたら、名前の通り、バジルでも紫蘇みたいな色をしている。
昨年の秋にN君がカナダから持って来てくれたRhubarbの種を探し出し(種の数100以上)、昨日いただいたルッコラも含めて「げきから」、丸いズッキーニなどもみんなひとつの箱にまとめておく。軽井沢産のヤマブドウの種まで出てきた。こんなものは播いても植える場所が無いが、でも播いてみるかもしれない。oyamabokuchiの種も冷蔵庫に入っているし……頭が混乱しそう。
��そういえば、あの時のヤマブドウを漬けたホワイトリカーはどうなっているだろう。忘れていた)
Rhubarbはフランス語だとRhubarbeになるようだ。
早速、Googleの言語をフランス語に設定し、RhubarbeでWeb検索と画像検索。それでRhubarbe関係のウェブページのURLをマルチ翻訳にかけてみる。おお、先日のイタリア語や中国語よりずっと解りやすい。英語翻訳と同じくらいではないか、これだと少しはフランス語のウェブを歩くのに助けになるかもしれない。
余談ですが、このInfoseekのマルチ翻訳、テキスト翻訳の翻訳ボタンの下に「関西弁」にチェックを入れる窓があって、オンにすると翻訳が関西弁になって、笑ってしまいまんねん。
2008年2月5日火曜日
対極にある諦念
このブログこそが、まさにリアルな私の「私小説」だ、というムチャクチャな牽強付会も成り立たないことはない。
あるいは……
小説という名の虚構の結構はすでに人間の外側には無く、むしろその内側の、微細であったり奇矯であったり誇大であったりする精神の働きにしか存在しないのかもしれない。
あるいは……
自分が今ここに在ることへのいささかのressentimentも感じない人間、物書きなど信用も愛惜もできない。
むしろ自分が今ここに在ることへの強いressentimentを感じているい人間、物書きだけが信用し愛惜するに値する、と思わざるを得ない。
そう?
やはり、至高のressentimentは、「人間をかくあらしめた神」へのこの上なく強く悲しいressentimenなのかもしれないよね。
あるいは……
小説という名の虚構の結構はすでに人間の外側には無く、むしろその内側の、微細であったり奇矯であったり誇大であったりする精神の働きにしか存在しないのかもしれない。
あるいは……
自分が今ここに在ることへのいささかのressentimentも感じない人間、物書きなど信用も愛惜もできない。
むしろ自分が今ここに在ることへの強いressentimentを感じているい人間、物書きだけが信用し愛惜するに値する、と思わざるを得ない。
ルサンチマン(ressentiment)はデンマークの思想家セーレン・キェルケゴールにより確立された哲学上の概念である。主に、弱い者が強い者に対して強い憎しみを抱いていることをいう。
そう?
やはり、至高のressentimentは、「人間をかくあらしめた神」へのこの上なく強く悲しいressentimenなのかもしれないよね。
文学を忘れてかくも物狂ひ
どうも積雪が40cmくらいあったらしく、庭の雪、家の前の道路の雪をトラックで搬出、自家用水呑水田の排水溝へ捨てること3回。
こんな日にむやみに走り回って事故でも起こしては損なので、社長兼小使いさんの特権を行使して仕事をサボり(爆)、またしても怪しいソバ打ち決行。
といっても自分で食べるのではなく、いつもまな板の上で私を睨みつけるガリラヤ湖の魚たちを釣って届けてくれる釣りキチKさんの宅へお届けする分。
ソバ粉500gにoyamabokuchiを2g。水295cc。ようやく慣れてきてむやみに打ち粉を飛ばさなくなったし、手際も良くなってきた。これまでよりかなり薄く延せるようになり、また切るのも蕎麦切り包丁の切れ味がいいせいか、切り幅も一定になり、あのうどんのような無骨な太さではなくなって来た。
それから、切り終わる直前にひらめいて、左端のソバを少し残して短冊形に切り、油で揚げてみた。
(画像クリックで拡大)
最近、あちこちの気取った蕎麦店など見かけるあれです。
これはお菓子風だが、麺として切ったもの(前日の売れ残り?)を短めに切り、それを揚げてサラダの上にトッピングするお店もある。
この揚げ蕎麦(蕎麦チップス?)の試作品を早速、試食。うーん、ソバ粉10割のせいか、噛むと香ばしくて、これはほんとうにおいしい、ぞ。
後日、これだけ作ってみる価値は十二分にある。
夜は、相変わらずWasabia japonicaについての記事を読みまくったり、国土地理院の地図をじっとにらみつけたり。今年はこれがテーマ。苗を買うという手もありますが、それでは面白くありません。
そういえばHさんからお手紙をいただいたので開封したらWild Rucolaの種が入っていて、うれしいおすそ分けでした。それがまた砂粒くらいの細かい種で、いや、これは種まきが微妙に面白そう。
Hさん、ありがとうございました。
昨夜ネットでオーダーしたイタリアの茎が赤くなるという(ほんとかいな)Rabarbaroの種も今日のうちに発送になったというメール着信。明日、配達になるかな?
しかし、傍目には文学を忘れてすっかり物狂いしているようにしか見えませんなァ。
久々に……ウァーン・゚・(ノД`)ヽ(゚Д゚ )ナクナ
今度こそ書かねば(汗々)、AnimalsのHouse of the Rising Sun をバック・グラウンドに流しながら。あ、そういえば思い出した。丸山健二に『朝日のあたる家』という小説があるはずだが、これは読んでなかった。
宣伝文にいわく
あ、井上光晴が帯文を書いているみたいです。
速攻オーダー。
Animalsの「朝日のあたる家」を聴きながら丸山健二の「朝日のあたる家」を読み、それから書こうか、自分のなかの憤怒をMaxにして。憤怒といえば、埴谷さんの『偉大なる憤怒の書―ドストエフスキィ「悪霊」研究』という翻訳がどこかにあったはず。
じきに転ぶかもしれませんが、ゆっくりスタートです。
こんな日にむやみに走り回って事故でも起こしては損なので、社長兼小使いさんの特権を行使して仕事をサボり(爆)、またしても怪しいソバ打ち決行。
といっても自分で食べるのではなく、いつもまな板の上で私を睨みつけるガリラヤ湖の魚たちを釣って届けてくれる釣りキチKさんの宅へお届けする分。
ソバ粉500gにoyamabokuchiを2g。水295cc。ようやく慣れてきてむやみに打ち粉を飛ばさなくなったし、手際も良くなってきた。これまでよりかなり薄く延せるようになり、また切るのも蕎麦切り包丁の切れ味がいいせいか、切り幅も一定になり、あのうどんのような無骨な太さではなくなって来た。
それから、切り終わる直前にひらめいて、左端のソバを少し残して短冊形に切り、油で揚げてみた。
最近、あちこちの気取った蕎麦店など見かけるあれです。
これはお菓子風だが、麺として切ったもの(前日の売れ残り?)を短めに切り、それを揚げてサラダの上にトッピングするお店もある。
この揚げ蕎麦(蕎麦チップス?)の試作品を早速、試食。うーん、ソバ粉10割のせいか、噛むと香ばしくて、これはほんとうにおいしい、ぞ。
後日、これだけ作ってみる価値は十二分にある。
夜は、相変わらずWasabia japonicaについての記事を読みまくったり、国土地理院の地図をじっとにらみつけたり。今年はこれがテーマ。苗を買うという手もありますが、それでは面白くありません。
そういえばHさんからお手紙をいただいたので開封したらWild Rucolaの種が入っていて、うれしいおすそ分けでした。それがまた砂粒くらいの細かい種で、いや、これは種まきが微妙に面白そう。
Hさん、ありがとうございました。
昨夜ネットでオーダーしたイタリアの茎が赤くなるという(ほんとかいな)Rabarbaroの種も今日のうちに発送になったというメール着信。明日、配達になるかな?
しかし、傍目には文学を忘れてすっかり物狂いしているようにしか見えませんなァ。
久々に……ウァーン・゚・(ノД`)ヽ(゚Д゚ )ナクナ
今度こそ書かねば(汗々)、AnimalsのHouse of the Rising Sun をバック・グラウンドに流しながら。あ、そういえば思い出した。丸山健二に『朝日のあたる家』という小説があるはずだが、これは読んでなかった。
宣伝文にいわく
底辺に生きる無気力青年の内面に無限に広がる自由に手出し出来る者はいない!今ようやく時代が追いついた秀作!
二畳半の監獄に収監された、看守も扱いかねる青年は、拾った少女に身を売らせその日暮らしをしていた。彼の罪状を決める裁判の間、青年の魂は郷里の村や町での日常を彷徨う。やがてその心は村を焼き払った不可解な事件にたどりつく。そして裁判は……精神の絶対の自由を描く。
あ、井上光晴が帯文を書いているみたいです。
不良少年の文学と言えば、人はきっと誤解してハハンと思うだろう。そうだ、この小説はいたるところに誤解と偏見を誘発する引き金を秘めている。井上光晴
速攻オーダー。
Animalsの「朝日のあたる家」を聴きながら丸山健二の「朝日のあたる家」を読み、それから書こうか、自分のなかの憤怒をMaxにして。憤怒といえば、埴谷さんの『偉大なる憤怒の書―ドストエフスキィ「悪霊」研究』という翻訳がどこかにあったはず。
じきに転ぶかもしれませんが、ゆっくりスタートです。
2008年2月4日月曜日
多分この冬いちばんの雪
朝から降り続いた雪がようやく止んだ。40cmくらい降ったと言うひともいる。
明日の朝は庭と道路の雪かき、片づけがタイヘンだ。多分、軽トラで何回か運ばないと雪の置き場所がないし、庭がぬかるむ。
いつもの動画サイトが昨夜は重くて切れ切れだったが、今日は回復しているようだ。
ただしダウン・ローダーでダウンロードしようとするとエラーになってしまう。何回試みてもダメなので、もしやまたかと思ってダウン・ローダーの作者のサイトに行ってみたら、やはりヴァージョン・アップされていた。なるほど、定期的にこういうイタチゴッコが繰り返されているのかと推理。
新しいヴァージョンのダウン・ローダーにしたら一回でダウンロード成功。ついでにThe House of Rising Sunもダウンロード。これはflvファイルのまま保存。そういえば先日ダウンロードしたコルタサルの映像の分割ファイルもそのままフォルダに入っている。いちいち変換するのが面倒なので、これもflvのまま保存しておいて、見たければFLVプレイヤーで見ればよし。
デジカメで撮影する動画はQuick Time Playerでしか再生できないmovファイルなので、これをWindows media Playerで見ることが出来るwmvファイルに変換し、それをブログにアップする実験をしてみようと、雪が降る景色をデジカメの動画撮影機能で撮影してみた。
しかし、再生してみたらつまらない映像なのでパソコンに移さずに削除。
浅間山が噴煙を上げたとか、そういう時には使えるだろう。
イタリアのRhubarbの種発見。

「この品種は特に、真っ赤なタイプです」って、ほんとうか?!
ことさら不自然な色合いの赤で、疑心暗鬼ながら、また期待はずれの可能性大なので一袋のみ注文。
というか、よい系統のが1本でもあれば、どんなご先祖が現われるか知れない種子による増殖ではなく、株分けで増殖するのが正解だとようやく解ったので。
つまり良い系統探しは種で、その増殖は株分けでということになります。
直接イタリアのサイトへいってみて、infoseekマルチ翻訳でウェブページ翻訳を試してみたがまったく動作せず。そりゃそうだよね。先日は中国語も試してみましたが、こちらは動作して翻訳結果が表示されましたがチンプンカンプンでした。
ちなみにイタリア語だとRhubarbではなく、Rabarbaro。
明日の朝は庭と道路の雪かき、片づけがタイヘンだ。多分、軽トラで何回か運ばないと雪の置き場所がないし、庭がぬかるむ。
いつもの動画サイトが昨夜は重くて切れ切れだったが、今日は回復しているようだ。
ただしダウン・ローダーでダウンロードしようとするとエラーになってしまう。何回試みてもダメなので、もしやまたかと思ってダウン・ローダーの作者のサイトに行ってみたら、やはりヴァージョン・アップされていた。なるほど、定期的にこういうイタチゴッコが繰り返されているのかと推理。
新しいヴァージョンのダウン・ローダーにしたら一回でダウンロード成功。ついでにThe House of Rising Sunもダウンロード。これはflvファイルのまま保存。そういえば先日ダウンロードしたコルタサルの映像の分割ファイルもそのままフォルダに入っている。いちいち変換するのが面倒なので、これもflvのまま保存しておいて、見たければFLVプレイヤーで見ればよし。
デジカメで撮影する動画はQuick Time Playerでしか再生できないmovファイルなので、これをWindows media Playerで見ることが出来るwmvファイルに変換し、それをブログにアップする実験をしてみようと、雪が降る景色をデジカメの動画撮影機能で撮影してみた。
しかし、再生してみたらつまらない映像なのでパソコンに移さずに削除。
浅間山が噴煙を上げたとか、そういう時には使えるだろう。
イタリアのRhubarbの種発見。
「この品種は特に、真っ赤なタイプです」って、ほんとうか?!
ことさら不自然な色合いの赤で、疑心暗鬼ながら、また期待はずれの可能性大なので一袋のみ注文。
というか、よい系統のが1本でもあれば、どんなご先祖が現われるか知れない種子による増殖ではなく、株分けで増殖するのが正解だとようやく解ったので。
つまり良い系統探しは種で、その増殖は株分けでということになります。
直接イタリアのサイトへいってみて、infoseekマルチ翻訳でウェブページ翻訳を試してみたがまったく動作せず。そりゃそうだよね。先日は中国語も試してみましたが、こちらは動作して翻訳結果が表示されましたがチンプンカンプンでした。
ちなみにイタリア語だとRhubarbではなく、Rabarbaro。
2008年2月3日日曜日
破壊的創造には憤怒が必要
いろいろネットをユリシーズして(さまよって)いるうちに時間切れ。
おいしい自家製キムチを作りたいと一家で意見一致し、ニラだけでなくセリも入れようということになった。無論、市販のキムチ・ベースを使うのだが、他の具材は多少の選択の余地はある。
刻んで混ぜるだけなのでそうたくさん要らないが、スーパーマーケットで売っている栽培物と違って短いので、それでも30本(株)くらいは欲しいところ。あまり遠くの山の中へ行くのも面倒なので、昨年から耕作を放棄したNさんの水田の際に崖があり、清水が湧き出している場所があるのでそこへ直行。すでに相当採られた形跡はあるものの、30本どころではなく採取。
その後配偶者とスーパーマーケットへ行き、魚醤は簡単には入手できないので、このあたりのひとたちがキムチというと必ず入れるイカの塩辛のほかに干しエビ(オキアミ)を購入。もう一品、これは直感的に入れたいと思っただけですが「酒盗」を購入したかったのです。でもなぜかその店舗には「酒盗」がありませんでした。どうして?
それにしてもこの頃、キムチ・チャーハンが多いような気がしますが……明日はバジル紛々たるスパゲティなどいかがでせう、お代官様。
昨夜のAnimalsのHouse of the Rising Sunについて、どこがいいのかというと、やはり若き Eric Burdon のあの若さに似合わぬドスの利いた歌唱の奥底から立ち上がってくるルサンチマンのようなもの。
まったく唐突に、やはり、破壊的創造には憤怒が必要なのだと思う。
神様、私に地球を壊すくらいの巨大な憤怒を下さい。 (嘘、嘘、冗談ですよ、機械仕掛けの神様a)
おいしい自家製キムチを作りたいと一家で意見一致し、ニラだけでなくセリも入れようということになった。無論、市販のキムチ・ベースを使うのだが、他の具材は多少の選択の余地はある。
刻んで混ぜるだけなのでそうたくさん要らないが、スーパーマーケットで売っている栽培物と違って短いので、それでも30本(株)くらいは欲しいところ。あまり遠くの山の中へ行くのも面倒なので、昨年から耕作を放棄したNさんの水田の際に崖があり、清水が湧き出している場所があるのでそこへ直行。すでに相当採られた形跡はあるものの、30本どころではなく採取。
その後配偶者とスーパーマーケットへ行き、魚醤は簡単には入手できないので、このあたりのひとたちがキムチというと必ず入れるイカの塩辛のほかに干しエビ(オキアミ)を購入。もう一品、これは直感的に入れたいと思っただけですが「酒盗」を購入したかったのです。でもなぜかその店舗には「酒盗」がありませんでした。どうして?
それにしてもこの頃、キムチ・チャーハンが多いような気がしますが……明日はバジル紛々たるスパゲティなどいかがでせう、お代官様。
昨夜のAnimalsのHouse of the Rising Sunについて、どこがいいのかというと、やはり若き Eric Burdon のあの若さに似合わぬドスの利いた歌唱の奥底から立ち上がってくるルサンチマンのようなもの。
まったく唐突に、やはり、破壊的創造には憤怒が必要なのだと思う。
神様、私に地球を壊すくらいの巨大な憤怒を下さい。 (嘘、嘘、冗談ですよ、機械仕掛けの神様a)
2008年2月2日土曜日
House of the Rising Sun
昨夜、中公版のチェーホフ全集に入っている「名の日の祝い」を再読。なぜこの小説が好きなのか判らないが、十年に一度くらい読む。この全集は今は宝物です。
(名の日の祝いとは、自分の洗礼名と同じ名を持つ聖者の祭日)
ジョーン・バエズ、ボブ・ディラン、ピンク・フロイドなども歌っているが、 House of the Rising Sun
はやはりAnimals。2005年版はこれ。やはり若い頃の方がインパクトがある。
ちなみに、House of the Rising Sun にはAnimalsの歌詞のほかにアメリカ民謡としてのTraditionalな歌詞がある。ジョーン・バエズ、ボブ・ディランはむしろこちらの歌詞だろう。
先ずはAnimalsのHouse of the Rising Sun の歌詞
次にTraditionalな歌詞
このように、Animalsの歌詞は「男唄」であり、ジョーン・バエズが唄ったTraditionalな歌詞は実は「女唄」なのである。ちあき・なおみの歌もまた「女唄」として歌われている。
「女唄」の切々たる情緒も捨てがたいが、個人的な好みから言えば、やはり野卑な男のルサンチマンがドーンと真正面から唄われているAnimalsの「男唄」にいかれてしまうのであります。
(名の日の祝いとは、自分の洗礼名と同じ名を持つ聖者の祭日)
ジョーン・バエズ、ボブ・ディラン、ピンク・フロイドなども歌っているが、 House of the Rising Sun
はやはりAnimals。2005年版はこれ。やはり若い頃の方がインパクトがある。
ちなみに、House of the Rising Sun にはAnimalsの歌詞のほかにアメリカ民謡としてのTraditionalな歌詞がある。ジョーン・バエズ、ボブ・ディランはむしろこちらの歌詞だろう。
先ずはAnimalsのHouse of the Rising Sun の歌詞
Animals Version
There is a house in New Orleans
They call the Rising Sun
And it's been the ruin of many a poor boy
And God I know I'm one
My mother was a tailor
She sewed my new bluejeans
My father was a gamblin' man
Down in New Orleans
Now the only thing a gambler needs
Is a suitcase and trunk
And the only time he's satisfied
Is when he's on a drunk
------ organ solo ------
Oh mother tell your children
Not to do what I have done
Spend your lives in sin and misery
In the House of the Rising Sun
Well, I got one foot on the platform
The other foot on the train
I'm goin' back to New Orleans
To wear that ball and chain
Well, there is a house in New Orleans
They call the Rising Sun
And it's been the ruin of many a poor boy
And God I know I'm one
-------
1. There is a house in New Orleans They call the Rising Sun
人が「ライジングサン」と呼ぶハウスがニューオリンズにある
2. And it's been the ruin of many a poor boy And God I know I'm one
そして多くの貧しい男たちの破滅がある
そして、おお俺は知っている、俺ももそのひとりなんだ
3. My mother was a tailor
お袋は、仕立て屋だった
4. She sewed my new bluejeans
彼女は、俺の新しいブルージーンズを仕立てた
5. My father was a gamblin' man
親父は、ギャンブラーだった
6. Down in New Orleans
ニューオリンズで飲んだくれ
7. Now the only thing a gambler needs
Is a suitcase and trunk
いまギャンブラーが必要なのは
スーツケースとトランクだけさ
8. And the only time he's satisfied
Is when he's on a drunk
そして彼が満足する時は
酔っぱらっている時だけさ
9. ------ organ solo ------
オルガン ソロ
10. Oh mother tell your children
ああ、お袋が、お前さんの子供たちに言う
11. Not to do what I have done
俺がしてきたことをしては駄目
12. Spend your lives in sin and misery
In the House of the Rising Sun
「ライジングサンハウス」で、
お前さん達の生活を罪深く、惨めに費やすなんて
13. Well, I got one foot on the platform The other foot on the train
さあ、俺は片足をプラットホームに片足を列車に乗せた
14. I'm goin' back to New Orleans
俺は、ニューオリンズへ行く
15. To wear that ball and chain
足枷の球と鎖を付けに
16. Well, there is a house in New Orleans
They call the Rising Sun
そう、人が「ライジングサン」と呼ぶハウスがニューオリンズにある
17. And it's been the ruin of many a poor boy
And God I know I'm one
そして多くの貧しい男たちの破滅がある
そして神よ、俺は知っている、俺もそのひとりなんだ
次にTraditionalな歌詞
House of The Rising Sun (Traditional Version)
There is a house in New Orleans
Call it the Rising Sun
And it's been the ruin
Of many a poor girl
And me, oh Lord, I'm one
If I'd listened what my mama said
Be at home today
Bein' so young
And foolish, my Lord
Let a gambler lead me astray
My mother was a tailor
Sews new blue jeans
My sweetheart's is a drunkarad, Lord
Drinks down in New Orleans
Go tell my baby sister
Never do what I have done
Shun that house in New Orleans
They call it the Rising Sun
Goin' back to New Orleans
Race is almost run
Goin' back to spend my life
Beneath, beneath, beneath, oh Lord
Beneath, oh now
Beneath the rising, rising sun
Now, now
You come on bye
-------
Traditional
伝統的(歌詞)
There is a house in New Orleans
一軒のハウスがニューオリンズにあります。
Call it the Rising Sun
それを「ライジングサン」と呼んで。
And it's been the ruin
そして、それは崩壊です。
Of many a poor girl
多くの貧しい少女の
And me, oh Lord, I'm one
そしてあたし、おお、あたしがその一人です。
If I'd listened what my mama said
あたしがママの言ったことを聴いてたなら
Be at home today
今日、うちにいてね。
Bein' so young
とても若くて
And foolish, my Lord
そして愚かな、ああ
Let a gambler lead me astray
ギャンブラーに私を堕落させて。
My mother was a tailor
私の母は仕立屋でした。
Sews new blue jeans
新しいジーパンを縫います。
My sweetheart's is a drunkarad, Lord
私の恋人は大酒飲みです、ああ
Drinks down in New Orleans
ニューオリンズで酔っ払っている
Go tell my baby sister
あたしの妹に言って。
Neあたしがしたことを決して、しないでって。
Shun that house in New Orleans
ニューオリンズのそのハウスを避けて。
They call it the Rising Sun
人はそれを「ライジングサン」と呼ぶ。
Goin' back to New Orleans
ニューオリンズに戻ります。
Race is almost run
ほとんど走り続ける。
Goin' back to spend my life
あたしの人生を過ごすために、戻ります。
Beneath, beneath, beneath, oh Lord
下と、下と、下に、ああ
Beneath, oh now
下に、いまも、おお
Beneath the rising, rising sun
あの「ライジング、ライジングサン」の下で
Now, now
いまも、いまも
You come on bye
あなたはさようならを言いに来る。
このように、Animalsの歌詞は「男唄」であり、ジョーン・バエズが唄ったTraditionalな歌詞は実は「女唄」なのである。ちあき・なおみの歌もまた「女唄」として歌われている。
「女唄」の切々たる情緒も捨てがたいが、個人的な好みから言えば、やはり野卑な男のルサンチマンがドーンと真正面から唄われているAnimalsの「男唄」にいかれてしまうのであります。
2008年2月1日金曜日
なぜか不意に
大手拓次を思い出し、青空文庫から「藍色の蟇」をダウンロードした。二階堂麦焼酎のCMさながら、一杯呑みながら声を出して朗読したいような詩がある。
碓氷峠を下った磯部温泉の温泉旅館の生まれで、ライオン歯磨きで広告コピーのようなものを書いていたらしいが結核で死亡。詩人とのつきあいも普通の人づきあいもきわめて少なく、生前はあまり理解者もいなかったようだし、詩集も死後の出版ばかり。
Wikipediaによれば、白秋や朔太郎に......「亜麻色の捲毛に眼は碧い洋種の詩人」「仏蘭西語の書物以外に、日本語の本を殆ど読んで居ない」と評されたらしいが、声に出して読んでみると意外といいのであります。
こういう詩を書けた時代の方がしあわせだったのかも。
あ、こんなに素晴らしいサイトがあったんですね。
かつて、仕事で毎年春に5回くらい磯辺温泉駅近くまで往復したことがあったが、気になりながらついに彼の詩碑とか何かがあるのかも確かめられなかった。炭酸泉を用いて焼いた磯部煎餅でも買いながら行ってみたいもの。
河原の沙のなかから
河原の沙のなかから
夕映の花のなかへ むつくりとした円いものがうかびあがる。
それは貝でもない、また魚でもない、
胴からはなれて生きるわたしの首の幻だ。
わたしの首はたいへん年をとつて
ぶらぶらとらちもない独りあるきがしたいのだらう。
やさしくそれを看《み》とりしてやるものもない。
わたしの首は たうとう風に追はれて、月見草のくさむらへまぎれこんだ。
仮面の上の草
そこをどいてゆけ。
あかい肉色の仮面のうへに生えた雑草は
びよびよとしてあちらのはうへなびいてゐる。
毒鳥の嘴《くちばし》にほじられ、
髪をながくのばした怪異の托僧は こつねんとして姿をあらはした。
ぐるぐると身をうねらせる忍辱は
黒いながい舌をだして身ぶるひをする。
季節よ、人間よ、
おまへたちは横にたふれろ、
あやしい火はばうばうともえて、わたしの進路にたちふさがる。
そこをどいてゆけ、
わたしは神のしろい手をもとめるのだ。
香炉の秋
むらがる鳥よ、
むらがる木《こ》の葉よ、
ふかく、こんとんと冥護《めいご》の谷底へおちる。
あたまをあげよ、
さやさやとかける秋は いましも伸びてきて、
おとろへた人人のために
音《ね》をうつやうな香炉をたく。
ああ 凋滅《てうめつ》のまへにさきだつこゑは
無窮の美をおびて境界をこえ、
白い木馬にまたがつてこともなくゆきすぎる。
創造の草笛
あなたはしづかにわたしのまはりをとりまいてゐる。
わたしが くらい底のない闇につきおとされて、
くるしさにもがくとき、
あなたのひかりがきらきらとかがやく。
わたしの手をひきだしてくれるものは、
あなたの心のながれよりほかにはない。
朝露のやうにすずしい言葉をうむものは、
あなたの身ぶりよりほかにはない。
あなたは、いつもいつもあたらしい創造の草笛である。
水のおもてをかける草笛よ、
また とほくのはうへにげてゆく草笛よ、
しづかにかなしくうたつてくれ。
球形の鬼
あつまるものをよせあつめ、
ぐわうぐわうと鳴るひとつの箱のなかに、
やうやく眼をあきかけた此世の鬼は
うすいあま皮《かは》に包まれたままでわづかに息《いき》をふいてゐる。
香具をもたらしてゆく虚妄の妖艶、
さんさんと鳴る銀と白蝋の燈架のうへのいのちは、
ひとしく手をたたいて消えんことをのぞんでゐる。
みよ、みよ、
世界をおしかくす赤《あか》いふくらんだ大足《おほあし》は
夕焼のごとく影をあらはさうとする。
ああ、力《ちから》と闇《やみ》とに満ちた球形《きうけい》の鬼《おに》よ、
その鳴りひびく胎期の長くあれ、長くあれ。
碓氷峠を下った磯部温泉の温泉旅館の生まれで、ライオン歯磨きで広告コピーのようなものを書いていたらしいが結核で死亡。詩人とのつきあいも普通の人づきあいもきわめて少なく、生前はあまり理解者もいなかったようだし、詩集も死後の出版ばかり。
Wikipediaによれば、白秋や朔太郎に......「亜麻色の捲毛に眼は碧い洋種の詩人」「仏蘭西語の書物以外に、日本語の本を殆ど読んで居ない」と評されたらしいが、声に出して読んでみると意外といいのであります。
こういう詩を書けた時代の方がしあわせだったのかも。
あ、こんなに素晴らしいサイトがあったんですね。
かつて、仕事で毎年春に5回くらい磯辺温泉駅近くまで往復したことがあったが、気になりながらついに彼の詩碑とか何かがあるのかも確かめられなかった。炭酸泉を用いて焼いた磯部煎餅でも買いながら行ってみたいもの。
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