2011年1月10日月曜日

「銀座線」16号、感想

「銀座線」16号(東京)

「一つと一人若しくは二人」岡田四月
 読後、時間を置いたが、この作品は妙に強く印象に残っていた。
 リアリズムの小説を規範としているひとには、実に「ありえない」小説である。
 私は、前に住んでいた地区のゴミ捨て場で手足首が切断された胴体を拾って(いや救い出して)来て、越して来たばかりのアパートの二階で胴体と同居、胴体を洗ったり拭いたりしている。それだけではない、勝手に「姉さん」と呼び、胴体に話しかけたりするのだが、首から上が無いはずの「姉さん」がたまたま不機嫌に返事をする。短いくても会話が成立する。この不機嫌な胴体との会話が実にいい雰囲気を出している。
 こうして、あり得ないことをいかにもありそうに書く、それこそがフィクション(虚構)の力であってこういう不思議な小説を成立させる。明らかに、リアリズムの小説とは別の読み方が必要である。
 結末で、気晴らしに外出した私が公園へ足を踏み入れた時、
 中央にいた四人の男の子が一斉に私を見、目が合うや、わあと跳ねて、走って、出ていってしまった。私は反射的に彼らを追った。ほとんど追い縋るように。なぜ、逃げるの。そう言いたい気持ちがあったのだろうか。息を切らしながら、思いを巡らした。そうだ、反応にもいろいろある。私が拒絶されたんだ。そんなに凄い形相をしてたのか。自分ではわからなくなってるのかもしれない。いっそ身の毛もよだつ何かになってしまえばいい。......以下つづく

 この結末の文章は、胴体が存在するという目に慣れない世界を描き出したこの短編をギュッと引き締めており、その違和感のようなものの重みを感じさせていて、とても良かった。

「朝の来ない夜」 石原惠子
 ひとつの家庭が描かれている。
 問題は父親である。大学病院の精神科に通い、睡眠導入剤だけでなく、安定剤や抗うつ剤まで処方してもらうようになっていた母が、とうとう入院せざるをえなくなったのも父のせいである。この父は経済観念がほとんどない。そして見栄っ張りで、今はほとんどアルコール中毒。こういうひとが夫であったり父親であったりすると妻や子は迷惑である。
 あったことをあったように書くリアリズムの小説で、あり得ないことはひとつも書いていない。

 (読みながら、従姉夫婦のことを連想していた。従姉も数年前から抑うつが強まってメンタル・クリニックに通っているのだが、その夫が実に妻の意見を聞かず、一方的に自分の考えだけを通したがるひとで、自分の通りにならないと怒る、怒鳴る。それが70代後半になって身体だけでなくメンタルな面にまで衝撃を与えるようになり、抑うつにとらわれて身動きが出来なくなった。たまたま会った時、従姉はこういった「私が具合が悪い、その半分以上があのひとのせいだよ」)

 案外、こういうタイプの困った夫、父親は多いのである。外に出ると他人には調子よく対応するくせに、身内とのコミュニケーション能力がまったく無い。こういう風通しの悪い父親を描いてゆけば、「朝の来ない夜」という題名はまさに必然に思える。こんな父親がいたら朝が来るという希望など持てない。捨てられたら捨てたい。まして書きたくもない。が、事はそう簡単ではない。
 kitaohiさんが「救いがないのが気にかかる」、あるいは「小説らしく人生の否定につながらないようにして欲しかった」と書かれている。私もそう思うが、なかなかそうは問屋が卸さなくて、「救いのない人生」や「人生の否定」と闘うべく、そのなかの不合理の客観化をめざして書かれるのが小説なのであって、だからこの作品はまさにひとつの家庭の裏側=夜を描いた作品として、書かれた通りに読み、受け止めるべきだと思う。

「半分神様」河井友大
 15号で記憶していた作者だが、今号は失礼ながら中身より先に題名にころっと参ってしまった。「半分神様」!! どんな神様?? とわくわくしながら読み始めた。
 前作同様、時間と空間はリアルな世界を形成していない。いつだかどこだか判らない場所だが、恋文の代筆を仕事としているアケミが持っている本(ほとんどいただき物)に『嵐が丘』、『源氏物語』、「アンナ・カレーニナ」などがあるのだから、少なくとも20世紀以降ではあると思うのだが、アケミの祖母、セイがかまどに火をつけて作る料理は「鶏肉の香草焼きとレンズ豆のスープとパンという献立。しかも住人のほとんどは字が書けない、読めない。
 うーん、時代や場所を特定しようとするのはやめておきましょう。勝手に、核戦争か何かでいったん人類のほとんどが滅亡した後の、復活しはじめた世界あたりを想起して、読み進めます。
 すると「オレンジ」という魚が登場する。正式名称は「オレンジトリケランス」というのだが、この魚を食べると老化現象が見られなくなる、つまり、食べていると寿命が延びる不老不死の魚であるらしい。
 ただし、そのようにオレンジを食べていれば老化せず、死なない世界から「あの山」に行ってしまうひとがいる。アケミの祖母も行ってしまった。「あの山」へ行ったひとはみな「いい人」で、「半分神様みたいなひと」なのだという。
 やがて「オレンジ」の漁獲量が減り、誰もが入手できる物ではなくなって来た。
 アケミにアケミ宛の恋文を依頼する若い男が現われた。彼は工面してアケミに「オレンジ」を届け続けた。それを知った隣人たちや周辺のひとびとがついにその「オレンジ」狙うようになった。
彼らに追われて、アケミと男は「あの山」に向かって走り出す。
 うーん、これでは感想と言うより要約に過ぎない。それだけ読者として単純に楽しんで読んでしまったんですね。
 寓話的といえば寓話的だが、かといって寓話的だけでは済まされない作品です。


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