2010年2月28日日曜日

忘れる可能性100%

 Eden Brent のアルバム「 Mississippi Number One」 を2回聴き、その後は相変わらず、執拗にランボーのL'etoile a pleure roseに曲がつけられたものを聴いている。面倒なので音声ファイル編集ソフト(もちろんフリーソフト)で5回繰り返すようにコピペを繰り返した特別編集版を作り、それを再生している。どうしてこんなに気に入ってしまったんだろう。
 これ、告別式で流してもらうのもいいなとか思いましたが、葬儀告別式はやらないように妻やこどもたちに言ってあります、(^_^;)

 聴いているうちに、いきなりイメージ。
 警察の留置場、取調室。27歳の女性。iPod。女性の十代の頃のヌード写真。女性の父親殺しの容疑に対する刑事と主人公との意識のズレ。(と書くとまるでエンタテインメントじゃない?)
 ひとばん眠ると忘れる可能性100%なので、ここに臨時にメモ。メモ帳に転記したら消します。
 題名はもちろん、「薔薇色の涙」。

2010年2月27日土曜日

幻視・幻聴・夢想・妄想

 電源のONが不調だった原因がバッテリーにあったのかどうか判断はつかないが、バッテリーを交換後、ノートパソコンの電源が入らないという現象は、一応、鳴りを潜めた。まだやや電源のタッチが重い感じはするが、電源が入ればOKとしておこう。
 新しいバッテリーが届く前にも、バッテリーを外し、AC電源のコンセントも抜いておいて電源ボタンを数回カチャカチャ押しておき、それからAC電源をコンセントに差して電源ボタンを押すと電源が入ることが判った。要するにバッテリーにもAC電源にもつながれていない状態で電源ボタンをカチャカチャすることで電源周辺の帯電が放電され、それで電源が入るようになるのか、とか科学的根拠のない想像をしていたが、これでしばらくはパソコンの買い替えはしなくてもよさそう。

 いろいろな因縁があり、管理しているウェブのコンテンツの一部を削除しなければならなくなったので、これを機会にサイトデザインを一新したいと思って無料テンプレートなどを見て回っているが、なかなか気に入ったテンプレートは見つからない。やはり自前で作成すべきか。

 この頃、ひとりの女性の姿や声が見えたり聴こえたりしている。彼女はすでに名前を所有している。なんて書いたら、それは幻視・幻聴・妄想・夢想だよと言われそう。
 もう少し彼女にdetailがついてくれば書き出せるのだろうけど、そのdetail自体が問題で、うんざりして書き止んでしまうことが多い。その繰り返し。
 ル・クレジオの女性主人公に近いような、そうじゃないような。
 残雪の「汚水の上の石鹸の泡」の書き出しの驚愕の一行を強く意識している。
 こんな風に書き出せたら、どんなにしあわせだろう。

 母が溶けて、たらい一杯分の石鹸水になってしまった。




2010年2月25日木曜日

今まで使わなかった機能

 昨夜、夕食後に友人宅へ出かけている間にある方から私に電話があり、留守だからまたかけ直せばいいものを、事情のよく判らない家人に向かって、ややこしい話をしたという。規約だの承認だの、そんなことは家人に呑み込めるはずもないのに、どういう神経?
 そういえば、わが家の電話には録音機能があったことを思い出し、取扱説明書を開いてみると、SDメモリカードを入れてあれば通話中の会話を最大60分まで録音できるではありませんか。SDカードはファックス受信のために既に入れてあるので、すぐにも使えます。
 昼間に老人が留守番をしていることもあり、振り込め詐欺とか怪しい電話への対策としてもこの録音機能は威力を発揮しそうなので、誰にも判りやすいように録音の仕方を印刷し、電話機に貼り付けた。
 今回のように、本人がいないのにややこしい電話があったときは、本人帰宅後に会話の一部始終を聞かせることができるし、便利である。この機能、家族全員が使えるようにしておいた方がいいだろう。

 一昨日注文したノートパソコンのバッテリーが届いた。早速、説明書に書かれている通り、5回の充電と放電を繰り返す。そんな面倒なと思ったら、バッテリーのキャパシティを最大限に引き出すための作業なのだという。
 それにしても新品なのだから今にも死にそうだった古いバッテリーと違って、充電も放電も時間がかかる。
 1回目、充電に2時間45分、放電に4時間!! さすがに新品だ。
 これでは一日一回の充電放電だってタイヘンである。
 放電し終わったら電源が切れるので、就寝時に放電を開始して寝ている間にさせるしかない。5回はともかく3回くらいは充電と放電を繰り返さないと。

 さて、そろそろ自分の同人誌の感想を書かなければ。編集時に読んではいるが、感想を書くとなると、もう一度読み直さなければ書けない。

 といいながら、ビル・エヴァンスの例の1980年のヴィレッジ・ヴァンガード最後の演奏をおさめた58曲入りのCDの、続きを聴こう。
 聴きながら録音するのが、結構油断できず、タイヘンなのだけど。

2010年2月24日水曜日

一種の荒行

 残雪研究第二号を読むのを一時中断して、最近送っていただいた同人誌をようやく通読した。これから感想を書こうと思うが、どうもこれが書きにくいことこの上ない。
 小説の中で人が生きるのも死ぬのも虚構ではあるが、現にその小説を読んでいる読者にとっては虚構内現実という現実であり、そこに描かれた事故としての死が、旧約的、古代ギリシア的な、運悪く落雷に撃たれたみたいな死や、たまたま犬っころが車に轢かれたみたいな死であると、非常にやりきれない。
 たまたま犬っころが車に轢かれたみたいな死が現代にないわけではないし、死者に死の意味がなく、生者に生の意味が見えない状況を提示した作者の焦点距離の深さには感心する。
 そういう意味のない死の上に残されて生きている者たちの小説が展開されているのだが、このあたりはネガティブすぎて読むのがきつかった。結末に至って生が意味あるものに見えて来て、生者は生の方に向かって歩みだすのが判るのだけど、それにしても、この小説のそもそもの出発点にある死、これは読者には否定しようもない。こういう視点で小説を書く物書きは少ないし、この作品自体が一種の荒行であることは事実なので誉めたいのだけど、さて、どうやって?
 単なる読者として書くのなら簡単だが、一応小説を書こうとする者は読者でありつつ書き手でもあるので簡単には書けない。書くことがみな自分に跳ね返ってくるので厄介なのです。
 少し時間を置かないと書けないような、時間を置くとますます書けなくなるような。
��結局、書いて「小説・書くひと=読むひと・ネット」の方にアップしました)

 今日はパソコンのバッテリーを抜いたまま。少し時間がかかっても起動しないことはなく、拍子抜けしたが、一日考えた末にネットでバッテリーを注文した。


 お口直しです↓ 。 このブログのタイトルバックに使わせていただいているトニ・フリッセルの写真がジャケットに使われている、ビル・エヴァンスのアルバム、「Undercurrent 」に収録されている曲です。 Dream Gypsyと Skating in Central Park
 

 

2010年2月23日火曜日

アナログなメモの力

 昼間は異常なく会計ソフトにデータを入力していたのに、夜になってまたパソコンの電源が入らなくなった。いつもだとACアダプタを外し、バッテリーも外してしばらく放置し、放電してやれば電源が入るようになったのに、今夜はずっとダメだった。これはいよいよ寿命かと最新のデータをバックアップせねばとあせって同じことを繰り返していたら、ふっと電源が入った。
 そこで、先ず、My Document全体を外付けHDDにコピーし、更に、メールソフトのアドレスとブラウザのお気に入りをエクスポート。会計ソフトや販売管理ソフトのバックアップデータも外付けHDDとフラッシュメモリに二重に確保。
 これで、パソコンにいつご臨終になられてもいい準備は出来た。様々なIDやパスワードは以前懲りたことがあって、A6版のメモ帳に手書きで記録してある。
 いい加減で新しいパソコンに買い換えた方がいいのかもしれないが、どこまで頑張れるか、妙なところで半分楽しみながらも意地になっている。
 ほかに不都合はなく、バッテリーを新品に換えれば解消するトラブルである可能性が大きい。ただ、万一バッテリーを新品に交換したにもかかわらず電源が入りにくいというトラブルが解消しなかったらと考え、戸惑っているだけ。
 パソコンをシャット・ダウンせず、スタンバイさせて電源は入れ放しという方法もあるが、半年、一年電源を入れっ放しというのは現実的ではない。
 今夜はバッテリーを抜いたままにして様子をみよう。明日になってバッテリーを抜いた状態で電源が入ったら、新しいバッテリーを購入してみよう。

 二段組見開き2頁のエッセイをストック。ちょっと窮屈なのでもう少し字数が欲しいが、4頁となると間延びしそうなので、いったんこれで終了としておく。
 以前はいろいろメモをしていたのだが、この頃はそのメモをすっかり取らなくなっている。それを反省して、100円ショップので購入したA6版メモ帳が1冊余っていたので、それを使うことにした。ID、パスワードなどもそうだが、アナログなメモの力、実はすごいのである。かつて書いた小説はみな、メモに書きつけた単語や数行から生まれている。


2010年2月22日月曜日

実にゆるい日曜日

 申告の時期だが慌てても仕方ない。今日は日曜なのでのんびりネットで一眼レフカメラのお勉強をしようと思っていたのだが、朝食時に母親に友達の家に蕎麦を打ってくれと頼まれたので8:30より道具を出して作業開始。40分ほどで切り終わってパック詰めしてポリ袋に密封したものを母親に渡した。それであっさり道具を片付けるのももったいないような気がして、もう一回打つことにした。妻の知りあいの尊敬する詩人に送ってあげたいのだけどまだ自信がないので、結局自分の分とM君の分で600g打ち、半分をM君に届けた。コーヒーをいただきながら小一時間ほど雑談。彼のパソコンも瀕死の模様。

 夜はまた例の海外の試聴サイトにでかけて行って、アーニー・ワッツの「Sanctuary」というアルバムの8曲を聴き、それからまたビル・エヴァンスのヴィレッジ・バンガードでの1980年の最後の録音、58曲入りのアルバムを聴こうとしたが、曲数が多すぎてどこまで聴いたか覚えていないので、また最初から聴き始めた。毎晩10曲ずつとか決めて聴く方がよさそう。それにしてもビル・エヴァンスのアルバムの数の多さ。
Albums 134
Titres 730
Vidéos 30
と表示されている。134枚。無論再リリースとか重複しているアルバムもあるのだが、それにしてもすごい。

100220ohinasama.jpg
 これは妻が友人から贈られたお菓子付きの雛人形を喜んで写真を撮ってくれと頼まれたもの。ありゃ、お内裏様の顔が日陰になってしまいました。
 なんとなく緩い日曜日。

 

2010年2月21日日曜日

男のひとの写真

 残雪研究第二号「現代主義文学における審美活動」を一読。

 創造しているとき、想像力はまるで意識ある夢遊病者のようです。


あなたが言うように、想像力とは主体と客体を疎通させる力です。


 残雪の発言のこのあたりは圧倒的に納得できる言葉だが、この対話の全体は、どうも三回くらい繰り返し読まないと把握できない。相当頭が悪くなった。

 昨日も、今日も、同人誌掲載作のへの感想や、終刊についてのメール、手紙を複数ずついただいている。
 どうも私が考えていたよりもショックを受けられた方がおいでになり、大反省。
 ある同人誌の、何となく兄貴のような感じでおつきあいさせていただいているAさんからも封書をいただいた。開封したら終刊のショックが記されていて、二枚の写真が同封されていた。一枚は近くの湖の湖面に野鳥が戯れている写真。もう一枚は湖面を背景に写真の左側にAさんご自身が写っている写真で、Aさん自身も野鳥になってしまったみたいな、邪念のないいい表情。
 男のひとの写真をいただいてうれしくなったなんて、生まれて初めてのことだが、ほんとうにうれしくなってしまった。この写真、大切にしよう。
 Aさんはパソコンもネットもしていないはずなので、手書きの手紙でお礼を書くことにしたが、あまりに久しぶりの万年筆だったのでインクが乾いて使い物にならない。しかたなく万年筆を解体してお湯に漬け、しばらく放置して乾いたインクの掃除をし、それから新しいインクカートリッジをつめてAさんへの返信を書いた。

反省:今後は手書きの手紙も書こう。いただいたメール、手紙には必ず返信しよう。それから送っていただいた同人誌の作品は必ず読んで感想を書こう。小説も発行ごとにきちんと書いて、どんなに気に入らなくても載せよう。 

 

2010年2月20日土曜日

浮遊

残雪研究第二号、小説「伝説の中の宝」(近藤直子訳)と、論文「残雪―宙吊りの場」(近藤直子)を読了。
 「伝説の中の宝」は、カフカ的な不条理というより、いかに人間が訳のわからない不合理によって動かされているかということを小説という言語表現で現前化している。見えるもの、判っていることだけを書く小説もあるが、残雪の場合、見えないもの、判っていないものを書こうとするので、こういうありえないことをあるように書くというややこしい方法になる。
 それから、「残雪―宙吊りの場」。
 そういえば、私自身がこのブログのタイトルバックに現在使用しているトニ・フリッセルの写真や、以前使用していた画像も、同人誌の終刊号に表紙に使った画像も、皆、女性が浮遊している画像で、無論これは偶然ではなく意識的なので、精神分析すればいったい何が出てくるのだろう。それにしてもどうしてこんなに浮遊している女性が好きなのか、われながら相当に怪しい。
 ひきつづいて小説「そろばん」を読むか、対談「現代主義文学における審美活動」という、残雪と暁芒の電子メールを用いた対話を読むか。どうも、後者が先か。

 今日は天候が良かったので、仕事の合間に道楽用ビニールハウス内に入り、Rhubarbの種3種類を300粒づつ播種。この中から3本、気に入った形質のものを発見できれば良い。
 育種学の本を検索してみたが、新本は結構高い。とりあえず、入門書のようなものを古書検索してみよう。

 



2010年2月19日金曜日

それだけしゃべれれば大丈夫

 午後三時過ぎ、時間が出来たのでTさん宅へソバ粉を届ける。奥さんはデイ・サーヴィスに行く日ではないらしく在宅。Tさんが淹れてくれたお茶をいただきながら雑談していると、こたつにもぐりこんでいては時々むっくり起き上がり、「おばさん、何の歌が好き?」と私に反復して同じことを訊く。私は男であるはずなのでおばさんではなくおじさんであるはずなのだけど、この場においてはおじさんであってもおばさんであっても差しつかえはないので、意に介さず「美空ひばりの愛燦燦」と答えると、安心したようにまたこたつにもぐりこむ。Tさんの家にいる間、おそらくこれが4、50回くらいは繰り返される。
 Tさんとしゃべっていると、たまに「それだけしゃべれれば大丈夫だ」と突っ込まれる。
「ははは、女房にはしゃべり過ぎって言われてます」と答える。すると奥さんはうれしそうに笑う。
 男のTさんにお茶の支度をさせるのは気の毒なので寄らないようにしようと思うのだが、つい上がりこんでしゃべってしまう。

 残雪研究2号、掲載されている小説3作のうち、冒頭の「伝説の中の宝」を読み始める。
 主人公の田じいさんとその奥さんであるばあさんが実に面白い。私のように現実的には何のためにもならないことに熱中してしまうタイプの人間はまさに田じいさんそのもので、まるで自分を見ているようなもの。
 現実的、実利的にしか生きないひとには理解出来ないだろう。現実に自己の生の価値を見いだせる人には小説という名の虚構装置などは必要ないのだし。(相変わらずの屁理屈、すみません)

2010年2月18日木曜日

うらめしや

 夕方、早めに帰宅できたので、だいぶ溜まってしまったそば殻と野菜くずの生ゴミを持って、久しぶりに畑へ。

100217saien.jpg

100217oyamabokuchi.jpg この時期の畑は凍っていて何も出来ないし、収穫できるものもなし、つまらないものです。
 そば殻を撒き、野菜くずは畑の隅に掘った穴にどどっと入れておしまい。思いついて、昨年初めて実が成った柿の木と玉ねぎに肥料を施す。
 振り向けば刈らずに放置したままのオヤマボクチ。何だかうらめしやといった風情。
 母親曰く「オヤマボクチ蕎麦なんかおいしくないんだから、畑のオヤマボクチは皆抜いてしまって、その分、たとえ五通りでもソバを播いた方がいい」
 なるほど、ごもっとも。
 オヤマボクチ栽培はやめるべきか、な。




 同人誌の終刊について、今日、2誌の代表の方からハガキをいただいた。ありがとうございます。

2010年2月17日水曜日

何て不思議な小説

 あわただしく終刊号を発送してしまったら、台風の目のなかにいるのかと思うくらいの静寂。
 これから先のことを考えるのには好都合。

 先週末に申し込みした「残雪研究第二号」が、今日、もう配達された。小説3編のほか、評論、対談、さらに論文2編で、本文180頁。
 実は、二男が現在住んでいる、数十年前に建築されたという古いマンションから歩いて行ける場所に研究会がある。いつか例会を拝聴できたらいいのだけど。
 私が最初に購入したのは「カッコウが鳴くあの一瞬」。
 立ち読みして、何て不思議な小説を書くんだろうと思い、そのままレジへ行った。新刊で1991年6月発行だから、あれからもう19年。



製粉の妙

 午前中、出かけていたのだが、Tさんが最後の玄ソバを挽いてほしいとひと袋置いて行ったというので、やむなく午後、製粉作業。先日、自分のは種用に5kgほど残してすべて粉にし、冷凍庫に入れてしまったので、コンプレッサーで製粉機を掃除して倉庫にしまおうと思っていた矢先だった。
 予定を変更して製粉作業開始。玄ソバ18,5kgを粉にして袋詰めするまで何と3時間。出来たソバ粉は13,2kgで歩留まり72,97%。やはりよほどの物好きでなければ自家製粉などするものではない。というか、自分のものはよいが、人のものまで引き受けない方がいい。ま、Tさんは蕎麦を共同栽培している相棒なので別ですが。
 ソバ粉の品質などお構い無しにただ挽いて篩うだけだったら2時間くらいで済むかもしれないが、風味のあるソバ粉となったらやはり時間と手間をかけることになる。今年でソバ栽培も蕎麦打ちも3年生、自家製粉は2年生になったが、ようやくそういう機微が解るようになって来たような気がする。
 蕎麦にはコシ、歯ごたえ、喉越し、風味、甘みなど微細な感覚表現があるが、やはりいちばん大切にしたいのは風味。コシのある蕎麦を打つのは難しくない。喉越しの良い蕎麦も打つのも難しくない。が、喉越しの良すぎる蕎麦はつるっと喉を降りていってしまって、かえって風味を味わうのを邪魔してしまうから感心したものではない。喉越しだけを言うのだったらうどんの方がいいに決まっている。蕎麦は蕎麦の風味があってこそなのだが、その風味がどこかに消えてしまっている蕎麦があまりに多すぎる。
 蕎麦の風味や甘みは蕎麦打ちの技術というより、むしろ製粉の仕方に相当依存するということも判った。田舎ではそば殻なども引き込まれた黒っぽい田舎蕎麦を好む人がいるが、わたしはそうでもない。どちらかといえば麺体は白っぽくて細めで、柳腰な感じの方が美しいし、おいしそうに見える。
 だから出来るだけ色白なソバ粉にしようと思うのだが、皮を剥いた抜き(剥き身)にする機械がないので皮ごと粗挽きする方法しかない。それを先ず篩いで皮だけ篩い出すのだが、砕けた皮の一部が篩いの目から落ちてしまうので少しは混じってしまう。これを「星」といって歓迎する向きもあるし、多少の混入には目をつぶらざるを得ない。
 粗挽きした時の一番粉、それからもう一度挽いて篩った二番粉まではほぼ真っ白。三番粉はややくすんだ色合いだが、ここまででやめて後の篩い下はみな捨ててしまえば、ソバ粉の歩留まりは悪くおそらく65%くらいかと思われるが、打った蕎麦は色が白い。ただし色白で美人であるが風味はやや薄い。蕎麦として上品ではあるけれど。
 そこでわたしはその三番粉の篩い下をさらに製粉機にかける。実はいつまでも粉にならず粗いまま頑張っているのはソバの実の緑色をした甘皮そのものや、その内側の部分なのである。最初に粗挽きした時に出る一番粉(御膳粉、更級粉)が白くて微粉であるが風味は薄いのに比べ、甘皮のあたりは風味、甘みが強い。ただし色は真っ白ではなくなり、緑がかった薄茶色になる。
 福井で蕎麦を早刈りして青みの強いソバ粉にし、越前蕎麦の評価を高めているらしいが、それはうなづけないことはない。それも甘皮まで挽きこんでこそなのだろうが、甘皮にも難点はある。風味や甘みは強いが、この部分だけをなめてみたり、蕎麦打ちしてみたら判るのだけど、いわゆるネチャネチャと「歯にぬかる」のである。ぬかるくらいだからつなぐ力は更科粉などの内層粉よりずっと強く、これらを混ぜた方が十割でもつながりやすくなる。
 粗挽きがうまいといわれるのは、風味の多い部分が適度に粗いために「ぬからず」しかも風味豊かであるからだろう。
 とにかく、一番粉から甘皮を挽きこんだものまですべてを混合した、いわば全粒粉にすれば問題なく打ちやすく、しかも風味があっておいしい蕎麦になるのではないかと、わたしは思うようになり、その線で製粉作業をする。

 (それから、甘みは乾燥しすぎると失われるような気がするのだけど、科学的根拠はない。この秋にテストしてみたい)


2010年2月16日火曜日

もう一度

o45hyoushi400px.jpg このところずっと、訳の判らない思わせぶりな書き方をしてきましたが、23年編集発行してきた同人誌を今日の日付の45号を以って終刊させることにしました。
 終刊のいちばんの理由は編集発行人自身の編集発行の姿勢のマンネリ化、惰性を感じたからです。
 そろそろ生まれ変わりたい、なんて言ったら笑われるでしょうが、要するにもう一度出発点に戻ってみたくなったのです。
 新しい酒は、新しい皮袋へ。


2010年2月15日月曜日

風味の不思議

 11日に打って冷蔵庫に保存していた蕎麦のことを思い出し、昼食に茹でてみた。一枚のザルに十割蕎麦半分、オヤマボクチ蕎麦半分盛って試食。十割蕎麦はやや切れ勝ちだったがオヤマボクチ蕎麦はさすがに切れない。コシや喉越しはどちらも悪くは無いのだが、かんじんの蕎麦の風味が弱い。数日置いたせいもあるかもしれないが、二八蕎麦を数日冷蔵庫に置いたものを食べてももっと風味がある。
 風味の強さから言うと、二八蕎麦>十割蕎麦>オヤマボクチ蕎麦の順。
つなぎに小麦粉が混じっている方が風味を感じ、十割や少量のつなぎしか使っていない方が風味を感じられないのは何故?
 私だけの感じ方かもしれないが、自分の感覚に沿うしかない。

 それから、蕎麦はやはり打ちたてか、せいぜいひと晩冷蔵庫で寝かせたものまでがおいしく、それ以上日を置くと風味が消えてゆく。

2010年2月14日日曜日

生きる自分と書く自分

 指定通りに、今日、印刷会社から宅配便で雑誌が届いた。
 相変わらず天候が悪く、ちらちら雪が舞っているので、発送作業に専念した。同人へ発送する分を宅配便で、県内の同人誌へ5部ずつ送る分をメール便で、これを先ず優先させて、何とか今日のうちに発送を済ませることが出来た。ぐうたらには珍しく、今回は事前に封筒、宛名シールなとを準備してあったのでこれまでになく作業が早く終了したので、引き続いて県内県外の個人の方への発送準備に突入。これも宛名シールを貼って雑誌を封入するだけなので30部があっという間に終了。明日、メール便で発送すればいいだけになった。
 一日で発送作業すべてが終わったのは生まれて初めてかもしれない。やれば出来るではありませんか。

 400字詰め原稿用紙2枚以内で小説を書くという会がある。入会させていただきたいような、どうせ書けないのだろうからやめておいたほうがいいような。

 しかし、多分、今後はまた本名ではなく筆名で書くことにした。
 生きる自分と書く自分は別の存在にしておいた方がいいという昔の考えに戻ってしまった。思い切った小説を書くには本名でない方が都合がいいに決まっている。

 それから、今後は少し雑誌の風通しを良くするために、たとえば枚数を4頁~6頁に限定してエッセイや掌編小説を、同人ではない方にこちらからお願いして書いていただけたらなどと夢想している。無論、原稿料も差し上げられないし、掲載料も頂戴しないニュートラルな頁なので、同人費を負担していただいている同人の皆様の同意を頂戴しなければならないのだけど。寄稿をお願いしたい方、ざっと考えても片手ではなく両手に余るくらい。実現できたらいいな。

 うひゃ~、気づくひとは少ないかもしれないが、ひとつミス発見(汗)。

2010年2月13日土曜日

 私は、通常、Sleipnirという国産のタブブラウザを使っていてネットサーフィンはそれで行っている。そこに更にHeadline ReaderというRSSリーダーを組み込んでいて、ブログや掲示板などRSSの更新情報をキャッチしているのだけれど、この頃めっきり、登録されたブログの更新頻度が落ちている。
 ブログ更新に飽きたり疲れた方、あるいは現在流行中のツイッターに夢中でブログ更新がおろそかになっている方、様々類推される。ブログはすっかり下火のようだ。 
 かくいう私もツイッターなるものに登録してのぞいてみたが、どうもかつてのミクシ同様、なじめずにさっさと退散した。
 幼い頃、「壁」に「さん付け」して話をしていたという伝説を所有する危ない私には、大勢とフォローしあうというツイッターの仕組み自体になじめないのであります(泣)。そんなくらいなら「壁さん」と話している方がまし、(やはり、危ない性格であります)。
 ブログを始める前にCGIの日記、その前には単なるHTMLで日記を書き始めた。それが200年12月29日。それから断続的にこのブログまでつながっている。
 小学校時代、あんなに日記が苦手だったのにね。

 多分、明日、同人誌の45号が宅配便で届くはずなので、それを発送するのに必要な3種類の挨拶文を書いた。ひとつは同人への文書。もうひとつは県内の同人誌の主宰者や発行者宛て。もうひとつは県内、県外の勝手に送付させていただいている皆様宛て。
 新しく生まれ変わるためには一度死ななければならない。


2010年2月12日金曜日

午ではない日に午

 町内の神社の初午が今年から午の日ではなく「建国記念の日」に変更された。平日の初午では人出が少ないというのが理由らしいが、午でない日に初午という妙。
 家の前の道路が歩行者天国になって車の出入りが出来ない。無理に出入りしようとすると非難囂々。朝早くに出て夕方まで帰宅しなければいいが、それもタイヘン。ということで、今日は外出せず。
 午後になって雨、霙でますます外に出る気にならず、つい、こね鉢を引っ張り出して、オヤマボクチ蕎麦を打つ練習、ソバ粉250gとオヤマボクチ、おおよそ1g。水回しは、今回は計量せずに勘で進めることとした。水を吸ったソバ粉がそぼろ状から小豆粒、大豆、もっと大きく小石状と自然に大きくまとまって来たところで加水を終了すればいい、その状態が判ったので、多分、もう水を計量しなくてもいいはず。
 ただし、オヤマボクチを入れたので、水回しを終えて大きな塊になった状態のものをポリ袋に入れて封をし、30分寝かせることにした。その間、ただ待っているのも退屈なので、別にソバ粉250gをつなぎ無しで水回しをし、こねて、延して、切ってみた。例の切り板として購入した30cm×90cmのパイン集成材板の上で、縦長に延してみた。まずまずうまくいったが、やや幅が狭く、打ち粉が板の外にはみ出してこぼれるので、やはり45cm×90cmは欲しい。この板は切り板(まな板)とし、別に少量打ち用に45cm×90cmの板を見つけて来よう。
 10割蕎麦を打って切り終えたのが35分後だったので、早速寝かせておいたオヤマボクチ蕎麦の延しに入ったが、こねるのに手に付くか付かないかの多加水だったのに、やはり先ほどの10割より硬い感じ。何とか30cm×70cmくらいに延し、それからまた切りに入るまで45分放置乾燥。でも切り始めるとまだ少し包丁に粘りつく。キッチンペーパーにサラダオイルをしみこませ、それで包丁の刃先に油を塗っては切り続けてようやく終了。これまででいちばん薄く延すことが出来たし、幅も1.5ミリくらいに納めることが出来た。
 10割蕎麦2人前、オヤマボクチ蕎麦2人前。これらを一応二つのフード・パックに並べ、さらにポリ袋に密封して冷蔵庫へ。これを自分だけで4回に分けて試食する。
 その一回目。夕食に10割蕎麦の方を1人前試食。

100211soba10wari.jpg

 10割なのに、結構、切れずにつながっている。
 雑に切って切り幅が不揃いなのと水切りが甘かったのが難点だが、もう少し集中力が持続してきれいに切れていたら文句なし。歯ごたえ良し、喉越し良し、風味良し。
 しかし、10割でこのくらいの蕎麦が打てたらオヤマボクチ蕎麦など要らないような気もします。ここ数年のオヤマボクチ狂いは何のためだったのかと、ため息吐息。
 黙って目の前に10割蕎麦と二八蕎麦を出されて、どっちがどうか間違えない自信はない。10割の方がピュアな感じはするのだが、単なる風味や食感だけでは判断がつかないではないか。

 夜はGIMPでまたフルカラーの表紙画像を作成してみた。別にフルカラーの表紙にする予定はないが、いつでも対応できるように、一応、試行。
 
 古い文庫本だと目がチラチラして活字が読みにくい。まじめに目薬を点眼しつづけた方がよさそう。いつだって三日坊主ならぬ三回坊主くらいで終わっていて、目薬を最後まで使ったためしがないのだから。

2010年2月10日水曜日

微妙な問題

 昨日、仕事でTさんの家に行き雑談。
 以前からオヤマボクチ蕎麦を打っているYさんにオヤマボクチ蕎麦の打ちにくさを話したら、ふと、「水を多めに水回しをし、なおかつ30分ほど寝かせてから捏ねに入る」のだと漏らしたという話。なるほど!!。
 それにしても捏ねに時間がかかり、延して切るのにまた乾燥させなければならないのに、また30分追加。オヤマボクチ蕎麦というのはなんとも厄介な蕎麦であります。さっと手早く打ってさっさとゆでて食べるのには向いていない。

 そのTさんに打ち粉の2kg入を頼まれたので、仕事で出たついでに製粉会社まで行って自分の分と2袋購入。これまでずっと打ち粉は使わず共粉というかソバ粉を打ち粉にしていたのですが、最近初めて専用の打ち粉を使ってみれば粒子が細かくて使いやすいことは事実。
 ただし、蕎麦湯のことを考えると専用の打ち粉では蕎麦の味が薄い。蕎麦と同じ共粉だと蕎麦湯がおいしいので、自分が食べる蕎麦を打つ時には専用の打ち粉は使いたくないような......。



2010年2月8日月曜日

頭が単純構造なので

 相変わらずGIMPの使い方やフリーで公開されているブラシ、チュートリアルなどの検索。ダウンロードしたブラシのファイルの合計がZIPファイルも含めて60MBを超えている。それをひとつずつ実際にGIMPに入れてみて、良ければ残し、要らないものはまた削除するという面倒な作業。GIMP用だけでなくPhotoShop用のブラシも使えるので、ネット上に公開されているブラシの数は半端ではない。
 様々な機能をすべて覚える訳には行かないし、チュートリアルを印刷して読みながらでなければとても最後までたどりつけない。
 何でも独学は時間がかかるのだが、とりあえずはこれで雑誌の装丁やカットなどをこなせればいい。
 どうも頭が単純構造なのでまだレイヤーがうまく使えず、一枚にすべてを張りつけたがる。
 それから、これまでウェブ用と印刷用で解像度を別物として意識してこなかったので、今さらながら、今後はウェブ用は96dpi、印刷用は300~400dpiときちんと選択しよう。(汗......ずぶのしろうとの反省)
 ネット上で使い方を学ぶのにも限度があるので、GIMPのガイドブックを一冊、Amazonで注文した。1500円のムック本。


 以下は最近ダウンロードした4つのブラシで遊んでみたもの。

lesson.jpg

 


2010年2月7日日曜日

ますます妄想激しいこの頃

 夕暮れ、ドドド......という音が聞こえたような気がしたが家にオートバイを置いていったので、そんなはずはないと思ったが、安物の門扉をあける音が聞こえたのでのぞいてみると、ギャッ、長男がオートバイを押して入ってくるではありませんか。50cc、500cc、そして今度は125cc。
 峠の道路には雪が残っているはずだし、君は、いったい、何を考えているの? (同じ年頃のかつての自分を想起すれば決して偉そうなことはいえないので黙っていましたが)

 すっかりお気に入りになってしまったPoetes & Chansonsシリーズのなかの一枚、「Arthur Rimbaud 」の8曲目、「 L'étoile a pleuré Rose」を唄っているのはColombe Frézinだが、作曲者であるHélène Triompheのことを検索してもこのCDがらみの記事以外ほとんどヒットしない。Hélène という名前からして女性であろうと思っていたが、かろうじてGoogleの画像検索でこの画像見つかり、やはり女性であることが判明。
 ただし、このPoetes & ChansonsシリーズにはほかにもHélène Triomphe作曲の歌があり、ことに「Jean Cocteau 」では収録全20曲中14曲が彼女の作曲なのである。
 あらためてこの「Jean Cocteau 」を聴きなおさなければならない。

 それにつけても、フランス語が自由自在に話せて聴けてパリをふらふら歩き回ったり、英語が自由自在でロンドンやミシシッピーやらで誰彼となく会話できたらどんなにいいのだろう......(ーー;)

 

2010年2月6日土曜日

一夜の夢想

世界が現状のようにあることへの怒り、それゆえ世界を詩的に捉え直したいという欲望、そういう怒りと欲望があるかぎり、私は詩を書きつづける。


 ある詩人の方が今夜、ご自分のブログでこう書き出されていて、思いがけず安堵した。ひとりでもこういう明確な意識を以って詩を書いているひとがいれば、見捨てたものでもない(もの、ね)。
 つづいてボードレールの散文詩「不埒なガラス売り」のことが書かれている。この光景がなぜかフラナリー・オコナーの短編いくつかと重なった。ゼラニウムの鉢が落下する。その他、彼女の短編にしばしば特徴的に現われる「悪意」のmovement。
 ああいう「悪意」のmovementを短編で書くのに魅かれます。私も書きたいのだけど......。

 この頃ずっと、文芸誌とか同人誌のあり方を真剣に考えさせられている。
 案外、ネット上だけにしか存在しないウェブ文芸誌もありかなと思い始めている。ネット接続が切れたり、ネットが崩壊するような事態に陥った時には消滅してしまう、砂上の楼閣ならぬネット上の楼閣としてのウェブ文芸誌。顔を合わせたこともない書き手たちの作品がウェブ上に並ぶ。
 ただしつまらない作品は載せないとか、いろいろ条件を考えてゆくと成立しそうもない。
 眠って起きたらパチンとはじけてしまう一夜の夢想。



2010年2月4日木曜日

ひとつずつ

 印刷版が手元を離れたので、今夜はWeb版の作成。前号は横着をしてHTML版は作らずPDF版だけアップして済ませてしまっているが、どうもPDFだけでは読んでいただくのに不都合な面もある。
 そこで前号のHTMLはまた後日作成アップするとして、今号はHTML版、PDF版両方を作成した。HTML版もWordや一太郎などのファイルからテキストファイルを用意しておけば、あとは以前から使用しているHTML版のテンプレートにテキストを流し込み、体裁を成形すればいいだけなので、横着はいけない。
 これで、印刷版とウェブ版を同じ日に発行&アップロードできそう。とにかくひとつずつクリアしていかなければ。

 明日は朝食後一時間ほど5~6人前の蕎麦打ちをして届けなければならない。その後家人の送迎やら、仕事上の訪問者ありなどで、自分は蕎麦会欠席なのだけど。

2010年2月3日水曜日

雪の花

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 雨から雪に変わり、降り始めはべたついた雪だったので、樹木に雪が積もって雪の花。寒。
 しかし浅間山の中腹には雪が積もっていなくて、何となくいつもとは違う雪の降り方。

 印刷会社へデータCDと出力見本を発送し、ようやく安堵。

 県内の同人誌に所属する方が、ご自身のブログで県内同人誌掲載作について読書評を書いてアップされていたので、許可をいただいて「小説書くひと=読むひとネット」に転載させていただいた。
 書きっぱなし、印刷されっぱなしではなく、このように読まれて書かれること。それをさらに作者が読む。この円環がとても大事。

2010年2月2日火曜日

いろいろ

 雑誌のデータ、出力見本、明日発送する準備完了。と思ったらミスが見つかって元原稿を修正、もう一度プリンタ・ファイルに書き換えてCD-Rに焼き直そうとおしたら、真っ新なCD-Rが見つからない。もう何年も買ったことがないのに、使うのはコンスタントに使ってしまっていたのでついに品切れとなったらしい。コンビニに行けば今でも買えることは分かっているが、明日の午前中に買って来てデータを焼けばいいので雪道を走るのはやめた。夕方から降り始めた雪が、もう10cmを越えている。

 さあ、これでいよいよ終わりは始まりである。というか、終わりにしないと始められない(何のことか)。ある挨拶文、A5用紙1頁を用意した。
 今後、また作品を書くことがあったら、以前のように筆名にしようと考えている。いろいろ考えることがある。風通しを良くするために枚数は制限されるが、ゲストの作品やエッセイを掲載したいとか、単に提出された原稿を並べるだけの編集発行人であってはいけないとか。いろいろ。



2010年2月1日月曜日

温泉、蕎麦、雑誌

 午前9時に送迎バスに乗り、帰宅は午後4時近く。温泉は熱めで寒い時期には温まって結構だが、サウナ並みの蒸気がむんむんとしていてたまらなくなり、露天風呂へ避難してこちらでゆっくり。
 しかし、自分が生活する地域の皆さんとの新年会って、神経使って、結構、疲れます。

 帰宅後、飲酒後は麺類がほしくなるという妙な法則通りに蕎麦が食べたくなり、夕食のメニューが決まらない配偶者はもろ手を上げての賛成。(自分じゃ何もしなくて済むものね~)
 コシのある蕎麦を固い、強(こわ)いとばかり言う老母が、今日は出先で夕食を食べてくるらしいので、それっとばかりに、自分の思い通りの蕎麦打ち決行。
 先日の蕎麦会でO君とソバ粉1袋を交換してきたのを思い出した。石臼挽きといっていたが、わが家のより細かい篩いでふるっているらしいので、それを400g、わが家にある甘皮部分だけを別に挽いた粉100g、それから中力粉100g。一応、ソバ粉500g、つなぎ粉100gの外二八で、水300gを用意、更にスプレーに水400gを準備しておき、水回しスタート。300gの水を3回に分けて入れたが、それだけでソバ粉が自然にまとまって大きな固まりになってきた。自家のソバ粉では更にスプレーで10ccずつ何回か加水するところだが、まったく必要なかった。加水率50%。5%近くも少なくて済むなんて珍しい。ひょっとすると、粒子が細かいほど吸水がよく、水を多く必要としないのかもしれない。
 茹でた蕎麦の見た目も緑がかった肌のきれいな麺体になり、食感、風味良し。
 残りはポリ袋に入れて密風し、さらに例のお持ち帰り用の透明なパックに入れて輪ゴムでとめ、冷蔵庫に保管。数日の間にまだ楽しむつもり。小食なひとなら3人前、大食漢なら2人前分。
 あ、4日にも蕎麦を打たなければいけなかった。

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 温泉から帰宅したら、詩誌が宅配便で届いていた。やはりベタの多い写真の印刷仕上がりがちょっと気に入らないが、印刷代金が安いので文句は言えない。
 ということで、次は自分の方の雑誌の発注、入稿の手配。何とか15日頃までに同人の手元に届くようにしたいが、それだと明日にもデータを発送しなければならない。