2008年2月7日木曜日

干物や残骸をかき分けて

 動画ファイルから音声だけを取り出せるフリーソフトでHouse of the Rising Sunの音だけをmp3ファイルにしてデスクトップに置いた。
 時々これを小さく流しながら、燃え尽きてしまいそうな憤怒の情を掻き立てようという姑息で安易な魂胆ですが、今回のテーマ・ソングなのです。
 むかし、一作書く間ずっとバッハの螺旋カノンばかり流していたことがあったが、あれはちょっと目が回るので今回は相応しくないのです。もっと卑小で卑近で猥雑でなければならないので、だからこそ敢えて、「朝日のあたる家」なのです。

 ハード・ディスクの中の、「書きかけ」フォルダの中のファイルを皆開いてみたが、干物・残骸ばかりで参考にもならなかった。(ということは、その時期の私自身も干物・残骸に過ぎなかったと、いう逆説的証明でしかないのですが)
 ま、とにかく一太郎を開こう。今回は一太郎でいきます。が、スピードが上がってきたらテキスト・エディターに切り替えるかもしれない(そんなことはあり得ない……)。


 と書いてから、1時間十分後……
 書き出しの練習をしていたら結構進んであきれた。スペース込みで624文字。井上光晴の「お菓子の時間」みたいな感じ。できれば「ナイヤガラ」みたいな短編(掌編)の方がいいんですが、今はそんな贅沢を言ってられません。
 書きだしをたくさん書くという妙な癖は治っていないようです。
 仮に付けた題名は安直に「朝日のあたる丘」(爆)、または「丘の上のユビ」(A・ジャリの「丘の上のユビュ」のパクリじゃないですか!! )

 昔、文學界が丸山健二の短編を12ヶ月連続で掲載した。ある程度ストックがあっての連載か、締め切りに追われての連載かは知らないが、一ヶ月も休まず掲載されて、『水に映す』という一冊の短編集になった。「バス停」とか「青い帽子の女」は今でも印象深い作品です。
 その後、井上光晴がもっと長い期間短編、掌編を連載した。彼は昭和56年4月号から昭和59年12月号まで、40篇連載した。それを本にしたのが『だれかの関係』(文藝春秋社刊)昔の文學界は面白かった。
 ああして否応なく書き続けることが必要な時が作家にはあります。
 少なくともプロは、私のように、「自分が書くものがつまらない」なんて死んでも言わないでしょう。
 たったそれだけが、アマチュアとプロを隔てる差異に過ぎないのです。


 長いこと書かなかったので、初めてスキーを履いた時のことを思い出しました。初心者なのにいきなり上級者コースの一番上までリフトに乗っていってしまったのです。どうやって降りるんでしょう、うぇーん。
 まあ、ポンコツ自動車がまだ動くかどうか町内を試運転しているようなものです。国道へ出て高速道路に乗れたらしめたものですが、それはそれで暴走しそうな感じ。頭に鉢巻を巻いて、そこに鉛筆か蝋燭(横溝?)猛烈な形相ですな。
 干物や残骸をもかき分けて、前へ、進め!


 これって、書きながらそれをドキュメントしていることになりません? 
 あ、itu:kairouさんも書きながらドキュメントしてます。彩の国のお方はシーンとしていますので猛烈な勢いで書かれているのかも……拍手。
 わ、Lydwineさん、2500字だそうですw。
 わたしはええっと、Whaa、スペース込みで2325字とLydwineさんに猛迫。 でも (-_-)zzz

6 件のコメント:

  1. きましたねぇ(ニッコリ)。なんか、おつうさんの様子を見ても、号砲で走り出した、というより、真っ暗な中をフラフラと彷徨っている感じですが、闇中にはふたりもいる気配があって、勇気づけられます。
    こけても、立ち上がって、進みましょうね。

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  2. 昔から構成だテーマだと考えないで書いてしまい勝ちでしたが、今回はまったく考えずに不意に走り出したようなもので、先行き不透明すぎます。フリー・ジャズじゃないんだから、もう少し考えてから走り出せばよかったかなと、ちょっぴり後悔。
     まあ、転んで立ち上がれなくなったら、その未完成をアップして恥さらしするのも同時進行ドキュメントでおもしろいかな? なんて、転ぶ前から開き直っちゃうわたしです。

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  3. ドキュメントもネタになります。
    やけっぱちだ、という話もありますが、笑。
    構成だテーマだと考えると脚本になってしまいそうで…。
    うまく補助線を消してあげればいいのだろうけれど…。
    それより、フリー・ジャズの方が、よっぽど小説としてのタマシイが動いて惹き付けられます。

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  4. フリー・ジャズというのも、あるいは一種の憑依かも……。
     至高の小説はイタコと同じ憑依の視点から語られるのかもしれませんし、至高の詩は、呪文の一歩手前でかろうじて踏みとどまっている言葉たちなのかもしれません。
     って、ほとんど、坊さんやけっぱちで意味不明な禅問答みたい。

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  5. 中島敦が、憑依される人間が最初の詩人(小説家)だったといった小説「犬憑」を書いていましたね。
    イタコに弟子入りでもしようかな???
    私が私小説的にドキュメントを書こうとすると、やはりテレがでてきちゃうんですよね。ようするに客観視しきれない、ということなんだろうと思います。テレて、作っていってしまう。脆弱だなぁ・・・。

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  6. 「書く私」のほかに、人物にピタッと張り付いて成りきってしまう「名優の私」がいればいいなあと思ったりして……。
     毎日コツコツ書けるタイプではないのでした。書ける時は書きますが、書けない時は書かない。お天気屋?

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