原稿用紙に手書きの時代はそれをするとタイヘンで、全文書き換えだったらいいが、名前だけ訂正したら見落としがあって、印刷されてきて見たらまだ変える前の名前が残っていたりしてひどいめにあった。
それが今は、ワープロ・ソフトややテキスト・エディターの「検索と置換」を使えば一瞬にして名前が書き換え出来るので、実に助かります。
検索窓にたとえばこれまでの主人公の名前「秋海」と入力し、置換窓に新しい名前「ユビ」と入力し、「置換」ボタンを押すだけで、文頭から文末まであっという間に主人公の名前が書き換わる。便利なものである。
しかし、まだ名前が気に入らないから変えるかもしれない。ミレナは外国人だし……。
それにしても、なぜ自分が書くものがこんなにもおもしろくない、のだろう。
と言ったら、かつて、「自分で読んでおもしろくないものなどひと様に読ませるな」と言ったひとがいる。
それも一理あるが、そうはいかない。それに納得していたら二十歳の時に書くのをあきらめていただろう。
ま、自分が書くものをおもしろいと思うひととはあまり話したくないし、書いたものも読みたくない気がしますが。
とにかく今回は入院長期休暇明けでリハビリ中みたいなものだから、気負わないこと、自分が書くものがつまらないと思わないこと。ごく瑣末な掌編を書くのだと、そのくらいの低い志で一歩前へ。
昨年10月14日にホワイトリカーに漬け込んだヤマブドウがどうなったか、ちょっと試飲してみました。
色もやや薄めで、まだ辛い。氷砂糖が足りなかったようだ。やはり果実酒は甘くなることを恐れずに氷砂糖を入れ浸透圧を高めてやらないと、果実の成分が出て来るのも遅い。
氷砂糖を追加した。
忘れてしまって、一年以上放っておいた方が良さそう。
ちょうど今私も、人称を替えようか替えまいか、迷っているところでした。できちゃうんですよねぇ、昔と違って。そして、挿入、入れ替えも簡単にできてしまう。だから、書きながらも、「あそこが気に入らん」と思っては、直しにいってしまう。全然前に進まない。
返信削除今も、言葉が足りん! と思って、書き加えていたら、昨日から前に進んでいないのに、スペース込みで2663字になってしまいました。後で、今度は刈り込みが必要になるんだろうなぁ・・・。
以前、テレビで大江健三郎が、原稿用紙を鋏で切り張りしているのを見たことがあります。
原稿用紙に手書きしている時代は一編書くのにどれくらい原稿用紙を無駄にしたでしょう。ワープロ、パソコンになって紙くずの山に埋もれなくなって良かったです。
返信削除書き出しからパソコンですから、今から原稿用紙に手書きせよということになったら、わたし、小説書くの、やめるかもしれません。
昨日書いたところを読み返し、そこから前へ進むのですが、Lydwineさんと同じであちこち躓いてしまって、昨日の続きを書くところまで進みませんね。ええ?! こんなこと書いたっけ……とか。
まあ、昨夜は書きすぎたので今夜は見直しだけで構いませんが。
一晩で5枚書いて、10日で50枚、20日で100枚? ふう。3月になったら締め切りカウント・ダウンでもしますか。
はさみで切り取ったものをカルタ取りのように、時系列にひろって、切り貼り。私が、混乱のあげくにやるのは、それです
返信削除年取って記憶力も薄れてますので、つじつまが合わなくなることが多いのです。大江健三郎さまとは、私ごとき、はるかに次元が違うのですが、ちょっと嬉しくなりました。
同人誌は、苦しむよりは、試行錯誤を楽しんで書くものだ、と思っています。皆様から、充実感が伝わってきますよ!
いや、多分、はさみで切って並べ替えするというアナログな作業も、Wordや一太郎でコピー&ペーストしたりするデジタルな作業も、言葉で世界をイマージュし構築するという意味では、同じ作業なのですね。
返信削除方法などは、どうでもいいんです。
問題は、いかに固有の視点、固有の世界、固有の物語を構築&表現できるか、それだけです。
私以外の誰も書けない、そういう小説が書けたらいつ死んでもいいんですが、書けないから、まだ往生出来ない中途半端な幽霊みたいに右往左往しているのですw。
ちくま文庫の宮沢賢治全集の「銀河鉄道の夜」は、書き直されていく過程も読めます。すると、最終版に紛れ込んでいる意味不明の科白が、じつは当初いた人物を削除してしまったのに、どうしてもひとつだけその人物の科白が残ってしまったのだとわかるのですが、コピー&ペーストも容易になった今、入れ替えをポンポンやっては、わけがわからなくなっていく、なんてことを何度繰り返したことか。Nさんのように、整理するためでなく、よりわからなくしちゃう悪い癖があります。
返信削除手書きとキーボードでは、やはりなにかが違うのではないか、と思っています。単純なところでは、やはり修正が簡便化したことで、必要な読み直しの頻度があがったのではないか、とか。
登場人物の名まえは難しいですよね。ロラン・バルトは、登場人物の名まえが決まらないから、小説を書けない、それさえ決まればすぐにでも書きはじめる、と言ったまま亡くなったとか。そういえば、私の今回の小説、誰の名まえも決めていませんし、出てきていないです。このままいくのかなぁ・・・。
確かに手書きとパソコン双方の長所、短所をうまく認識して使っていかないといけませんね。
返信削除この頃十作ほど同人誌の短編を読んだのですが、パソコンで自分の過去にあったことを書く、それだけで何となく小説になってしまったような、そういう作品が多くて辟易しました。
私の場合、書くたびに印刷にかけて、読んで赤ペンを入れ、翌日パソコンの電源を入れたら先ずその赤ペン部分を修正しながら昨日の続きを書き進めます。
それを反復しながらゴール!
書いている間中、印刷して用紙を無駄にしてしまいますので、手書きの頃の反古の山とあまり変わりはないですね。たくさんの紙を無駄にしないと小説が書きあがらないなんて。
安吾の書斎の写真を思い出します。