河原の沙のなかから
河原の沙のなかから
夕映の花のなかへ むつくりとした円いものがうかびあがる。
それは貝でもない、また魚でもない、
胴からはなれて生きるわたしの首の幻だ。
わたしの首はたいへん年をとつて
ぶらぶらとらちもない独りあるきがしたいのだらう。
やさしくそれを看《み》とりしてやるものもない。
わたしの首は たうとう風に追はれて、月見草のくさむらへまぎれこんだ。
仮面の上の草
そこをどいてゆけ。
あかい肉色の仮面のうへに生えた雑草は
びよびよとしてあちらのはうへなびいてゐる。
毒鳥の嘴《くちばし》にほじられ、
髪をながくのばした怪異の托僧は こつねんとして姿をあらはした。
ぐるぐると身をうねらせる忍辱は
黒いながい舌をだして身ぶるひをする。
季節よ、人間よ、
おまへたちは横にたふれろ、
あやしい火はばうばうともえて、わたしの進路にたちふさがる。
そこをどいてゆけ、
わたしは神のしろい手をもとめるのだ。
香炉の秋
むらがる鳥よ、
むらがる木《こ》の葉よ、
ふかく、こんとんと冥護《めいご》の谷底へおちる。
あたまをあげよ、
さやさやとかける秋は いましも伸びてきて、
おとろへた人人のために
音《ね》をうつやうな香炉をたく。
ああ 凋滅《てうめつ》のまへにさきだつこゑは
無窮の美をおびて境界をこえ、
白い木馬にまたがつてこともなくゆきすぎる。
創造の草笛
あなたはしづかにわたしのまはりをとりまいてゐる。
わたしが くらい底のない闇につきおとされて、
くるしさにもがくとき、
あなたのひかりがきらきらとかがやく。
わたしの手をひきだしてくれるものは、
あなたの心のながれよりほかにはない。
朝露のやうにすずしい言葉をうむものは、
あなたの身ぶりよりほかにはない。
あなたは、いつもいつもあたらしい創造の草笛である。
水のおもてをかける草笛よ、
また とほくのはうへにげてゆく草笛よ、
しづかにかなしくうたつてくれ。
球形の鬼
あつまるものをよせあつめ、
ぐわうぐわうと鳴るひとつの箱のなかに、
やうやく眼をあきかけた此世の鬼は
うすいあま皮《かは》に包まれたままでわづかに息《いき》をふいてゐる。
香具をもたらしてゆく虚妄の妖艶、
さんさんと鳴る銀と白蝋の燈架のうへのいのちは、
ひとしく手をたたいて消えんことをのぞんでゐる。
みよ、みよ、
世界をおしかくす赤《あか》いふくらんだ大足《おほあし》は
夕焼のごとく影をあらはさうとする。
ああ、力《ちから》と闇《やみ》とに満ちた球形《きうけい》の鬼《おに》よ、
その鳴りひびく胎期の長くあれ、長くあれ。
碓氷峠を下った磯部温泉の温泉旅館の生まれで、ライオン歯磨きで広告コピーのようなものを書いていたらしいが結核で死亡。詩人とのつきあいも普通の人づきあいもきわめて少なく、生前はあまり理解者もいなかったようだし、詩集も死後の出版ばかり。
Wikipediaによれば、白秋や朔太郎に......「亜麻色の捲毛に眼は碧い洋種の詩人」「仏蘭西語の書物以外に、日本語の本を殆ど読んで居ない」と評されたらしいが、声に出して読んでみると意外といいのであります。
こういう詩を書けた時代の方がしあわせだったのかも。
あ、こんなに素晴らしいサイトがあったんですね。
かつて、仕事で毎年春に5回くらい磯辺温泉駅近くまで往復したことがあったが、気になりながらついに彼の詩碑とか何かがあるのかも確かめられなかった。炭酸泉を用いて焼いた磯部煎餅でも買いながら行ってみたいもの。
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