2007年11月1日木曜日

バッハオルガン全集を全部聴こう

 先日、「マタイ受難曲」といっしょに購入したH・WALCHAの「バッハオルガン全集」、直接CDで聴くとドライブの回転音が耳障りでどうもいけない。そこでいったんiTuneに読み込ませたものを聴くことにした。どうせ買ったのだから全曲聴こうと思う。
 今夜は「6つのコラール」。
 バッハの音のパッセージというのは、やはり螺旋の階段である、それも神に一歩ずつ近づくための。
 しかし、CD10枚で2,000円切れているのですから、お買い得であります。ただし当然ですが困ったことに輸入盤は日本語解説がない。解説など無しにただ聴けばいいので、必要も感じませんが。

 またYouTubeで「Bach Organ」と検索すると、600を超える有名無名のオルガン奏者がバッハを演奏する動画がアップロードされていて、実に楽しい。ことに、無名というか、普通のオルガン奏者が自分でカメラをオルガンの横に置いてみずからの演奏を撮影したものをアップロードしている動画がたくさんあり、両手両足の動きが良く見えて実に楽しい。
 事実、Tarkovskyの「惑星ソラリス」に使われていた「BWV639」など誰が演奏してもそんなに違わないのが不思議。
 

 今夜はさる同人誌の小説を二編読み、さらに
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 この本の、結構長めな訳者解説を読んでしまった。本文より先に解説を先に読むのは悪い癖である。
 その後、本文を目で当たったら、なるほど素晴らしい描写、あるいは叙述(エクリチュール)であるらしい。
 (目当たりで小説の良し悪しを判断してしまうのはもっと悪い癖であるが、書き出しの、見開き2頁の目当たりでの判断というのは案外正確なものである。)
 
 いわゆるストーリー・テリング=物語るのではなく、あたかも憑依した巫女が語るように叙述する(または描写する)。
 ストーリー・テリング=物語る小説はエンタテインメントに過ぎないのかも知れず、むしろ小説の真骨頂は叙述(または描写)にある。
 しかも書き手はその叙述の主体などでは決してなく、むしろ憑依した巫女同様に、叙述する媒体であるにすぎない。
 作家などと言うのもおこがましい。
 小説の書き手は、単に、叙述する媒体に過ぎない。
 叙述する媒体はむしろ無名性、匿名性に身を置くべきである。
 そういう考えに立てば、虚構にまとわりつく、ある種の「嘘」をついているという疑念にも足をすくわれず、再び書くことも可能なのではないか? ひたすら叙述のみに徹して。
 
 くどいけれども、自分が願っているような小説を書きたいのなら、決して物語ろうとするな。描写、あるいは叙述に徹すること。
 

2 件のコメント:

  1. まだ間に合いましたら~!!
    ソバをいただきたいのですが、間に合いますでしょうか!!
    このところバタバタしていて、すぐに希望出来ませんでした!済みません!
    因みに当方のヤフーメールが不調でして、掲示板に書き込みで大変申し訳ありません。

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  2. sunameriさん、了解しました。
     まだ製粉所に持込してないので、お送りできるのは今月半ばくらいになると思います。
     その頃までに、以下のメッセージ・ボックスから郵便番号、住所、お名前、電話番号をお知らせ下さい。
    http://6009.teacup.com/bsnagano/mbox
     発送後にその個人情報を含んだメッセージは削除しますので。あ、そうだ、それから真空パックで1kg入ですので、数もお知らせ下さい。

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