2007年7月15日日曜日

わたしたちの夢祭り (1)

 姉はまだ生きているのだろうか。
 わたしはいつしか眠り、そしてまたいつの間にか目覚める。わたしに残された唯一の希望にさえ逆らうように、自動的に眠りこんでは目覚めてしまうこの不快な反復は、あとどれだけ辛抱したら、終ってくれるのだろう。
 二十四時間タイマーでONとOFFとをセットされたまま、いつまでも解除されないFMラジオ。その放送が不意に鳴りだし、また、いつとも気づかず止んでいるのとまったく変わらない反復が、わたしの体のなかの装置が壊れない限り、電源が切られない限り、いつまでも繰り返されるのだ。
 わたしは、意識が薄れたまま二度と目覚めない事態をひたすら待ち続けているし、姉はもっと強く願い、祈ってさえいるはずだった。
 部屋のなかは真暗闇だった。
 姉は雨戸をすべて閉めきってしまい、そのわずかな隙間にさえ、布テープを幾重にも貼りつけてしまった。だから、目を開いてみても閉じてみても暗闇のほかに何ひとつ見えないことに変わりはなく、わたしは目覚める度に飽きるほど確認させられているそのことをまた思い知らされ、再びすぐに目を閉じてしまうのだ。
 物音ひとつ聞こえなかった。
 だから深夜なのだと断定することは、今のわたしにはできなかった。実際には、自動車が連なり走るエンジン音や、人間の足音や会話、遊びまわる子供たちの喚声やルーム・エアコンの静かだが耳ざわりな排気音、様々な音が入りまじり、ひとつの聞き分けられない騒音となってこの部屋を取りまいているのかも知れなかった。
 だが、今のわたしには何も聞こえない。この張りつめた静寂は、むしろわたしの聴覚が音を感知できないまでに衰弱した証拠なのだと、わたしは思いたい。
 静寂も度を過ぎるとかえって鋭利なヴァイオリンの音に似て、針のように森閑と鼓膜を刺す。これは単にわたしの脳のなかで響いているだけの静寂なのか、それとも、すでにわたしを遠まきに包囲しているはずの死の世界の単音の響きなのだろうか。
 もう十数日か、あるいはもっと長いこと、わたしには何の変化もない。
 わたしがただひとつ願っている変化とは、こうして未だに何ごとかを考えているわたし自身の肉体が、すっかり活動を停止してしまうことだった。そうすれば、高校生のころに執拗に聴き続けたバッハの『無限カノン』にも似た、眠りと目覚めの果てしない堂々めぐりも終るはず。
 でも、まだわたしは生きている。
 ふくよかで柔らかなのが女性の身体の第一の特徴であるなら、今のわたしの体はその特徴にかなり欠如している。わたしはまだ二十一歳だったから、年齢だけは、未だ妙齢のと言われないこともないが、不健康に痩せ細っている姿はむしろ妙齢の醜女と形容した方が正しいかも知れなかった。薄っぺらなヒラメのようなわたしの体は、今、ベッドの上で仰向けに寝ている。それも、不確かな感覚に敢えて忠実に従って言えば、わたしは単に宙に浮遊しているにすぎない。 わたしは考えた。それは、こうして寝たまま無為に緩やかな死を待つようになるより更にずっと以前、多分、母の胎盤に流されないようにしがみついていた時からそうだったのだと。わたしだけではなく、姉も、死んだ両親も、人間すべてがそうなのだとさえ思えた。
 たとえば夜。すべての生き物が眠っていて、コンクリートで固められたビルディングとか、路上に違法駐車されたままの自動車とか、生ゴミ収集用の大きなブルーのポリ・バケツとかの、物体だけが占有する生物反応ゼロの光景のなかに、ポツンと置かれた一台の粗未なベッド。その上でわたしは両手を胸にのせ、両目を閉じ、死者であることを偽装するような格好で、身動きひとつしないでいる。正確に言えないが、それらの物体やわたし自身さえもほんとうは闇に隠蔽されていて、わたしはただその有様を、まだ死ぬこともできずにもて余している暇にまかせて、あれこれ想像しているにすぎないのだ。
 襖一枚隔てた隣の部屋には三つ年上の姉がいて、やはりわたしと同じように横たわり、身じろぎもせず蒲団のなかで死を待っている。更に壁を隔てた隣の部屋には、駅前でカレー・ハウスを営んでいる夫婦が枕を並べて寝ているのだろうけど、大声を張りあげて口喧嘩したりべたついたりしている彼らも、それぞれ孤独な寝顔で浮遊しているようにしか見えないし、襖もう一枚向こうには、顔を合わせる度に汚いものでも見たように大げさに視線をはずす、中学一年生のひとり娘が物体のように浮かんでいる。
 それから、このコーポラスとは名ばかりの内も外も汚れの目立つコンクリート製の建造物を囲んで、肉眼では限りも見えないほどの家々が連なり、それぞれの家にそれぞれの家族が、ひとりひとり浮遊しているのだ。家といっても、屋根と壁と床、簡略してしまえばそれだけの平面に囲まれているだけで、それらを取り払ってしまえば、人間も樹上の巣に眠る小鳥と大差ないのだ。

 わたしの暗い網膜に、不意にほの明るく、整然と並べられた雛人形がかすかな像を結び、そしてじきに消えた。その残像のなか、雛段の前に坐って嬉しそうに大きな市松人形を抱いているのは、まだ小学校にあがったばかりの、かつての姉だ。わたしに与えられたはずの市松人形も姉が独占してしまい、わたしは姉がいない時にしか触れることができなかったし、それも元通りの位置に飾っておかないと叱られるのだった。
 今日が三月幾日なのかわたしにはわからないが、雛祭りはすでに終っているはずだった。一週間前か十日前か、あるいはもっと前に。
 母がその都度、困惑した表情でこの雛人形は誰のものでもなくふたりのものだと諭した、あの雛人形と市松人形は今どこに、誰の手にあるのだろう。ふと、もはや埋め立て処理場のゴミの堆積のはるか下層に埋もれているような気がして、それならそれでわたしの一家の所有物にふさわしい壊れ方だとは思う。見知らぬ家の所有物として存在し続けてくれるよりも、むしろその方がわたしには嬉しい。
 六年前に父の事業が倒産し、負債のかたにめぼしい家財とともに運び出されてしまってから、わたしたち姉妹は、故意と自然の境界線あたりで雛祭りを忘れてしまっていた。

 わたしたちには生活費と呼べるほどのお金もすでになかった。あるのは一円や五円や十円硬貨ばかり数十枚、姉の部屋の向こうの、台所のテーブルの上に散らばっているはずだ。
 姉の名義のただひとつ残された普通預金の通帳も、残高がどれだけあるかわからない。初めから電気、ガス、水道料などを支払うために開設された口座だったので、今では自動振込も機能しなくなっているかも知れなかった。この部屋の家賃さえも引き落としできなくなっている可能性もある。管理人には、都合で父の出身地である松本へ二ケ月ほど行っていると断わってあるのだが、家賃の滞納が明らかになるまでには、わたしたちは死ねるだろうと思う。

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