2007年7月16日月曜日

わたしたちの夢祭り(2)

 死のうとしているのに食料品を買いこむのはひどく矛盾しているとは思うが、所持金のすべてで買いおきしておいた、安い袋入りのインスタント・ラーメンなどの食品もひとつ残らず食べてしまい、もうわたしたちの部屋には喉を通る物は何もなかった。何日か前に、隣の部屋から姉が懐中電灯片手にふらついてやって来て、それ以後わたしは姉の姿を見ていないのだけど、救急箱のなかにこんな物があったわと言って、ハーブ・キャンディを五個、サイド・テープルの上に置いていった。薬好きの姉と違って、わたしはその舌への強い刺激や薬臭い匂いが何より嫌いだったし、また、その糖分のもつカロリーのために更に一日か二日死が延期されてしまうのは、我慢出来ないことだった。
 姉が勤めていた事務機販売会社には、まだ彼女が受け取っていない最後の給与とわずかばかりの退職金があるはずだったが、正式に退職願いを提出するのでもなく、何の連絡もせずに欠勤し続けている姉は、頑なにそれを受け取りに行こうとはしなかった。あるいは会社の誰かが訪ねて来たかも知れないが、、わたしたちは部屋にいる時でもドアはロックしたままだったし、ノックされてもほとんどドアを開かなかった。わたしたちはもう誰にも用はないのだ。
 一度、長期にわたる無断欠勤は解雇となるので至急退職願いを持参の上出社されたい、という旨の書面が、社名入りの封筒に入れられて郵送されて来たことがあったが、姉のプライドはお金に完全に背を向けてしまっていたし、その時すでにわたしたちは決意した後だった。
 お金などあったところで、どうせあの連中にすべて取られてしまうのだからもう要らないのだ。彼らが会社まで押しかけて行き、そのことが社内中に知れ渡り、姉は専務と社長にまで注意された。その翌日から姉は出勤しなくなった。他人の目には愚かしいこととみえるに違いないだろうが、わたしがたとえば姉だったとしてもやはりもうあの会社へは行かないだろう。社内の誰もが、姉の出社しない理由を十分承知しているはずだ。
 姉が多分わたしのためにした借金が、二年半の問に八百万を超える額になっていた。うかつなことに、わたしは三ケ月前までそのことを知らなかった。それまで、姉はわたしに気づかれないためにどれだけ腐心しただろう。借り替えに次ぐ借り替えで業者の間をたらい回しにされているうちはまだしも、もうその最も質の悪い業者より先に借りる当てが無くなった時、柄の惑い男たちが朝と夜を狙ってしきりとドアを叩くようになった。彼らの考えていることは簡単だった。財産など何ひとつ無いわたしたちが借金のかたにできるものと言えばただひとつ、わたしたちが女であるということ、それだけだった。そうでなければ、姉のようにまともに保証人になってくれるような身寄りもない、ただの年若い事務員の女の子にそんな大金になるまで、彼らが黙って貸し続ける訳がなかった。
 彼らはいよいよ催促に乗り込んで来た最初の日から、わたしたち自身で探せないなら、自分たちがその種の仕事を世話すると言い、二度も三度も繰り返した。どんなに嫌でもわたしたちにはそうするしかないのだとも言った。そして彼らに強引に部屋に入りこまれた何度目かに、わたしたちはふたりの男に力づくで犯された。姉とわたしは幾日もほとんど言葉をかわせなかった。
 一週間ほど過ぎて、わたしはたいした覚悟もなくほんの気紛れに、彼らの言う通りの仕事をしょうかと姉に言ってみた。姉は怒って言った。気持ちの持ちようによってはどんをことをしても生きてゆける。その方が強い生き方と言えるかも知れない。そうやって一見自分を捨てたかに見える生活をしながら、実はきちんと自分を見失うことなく生きているひとだってたくさんいるはずだ。だけど、そうしてまで頑張らなくてはならない理由が、わたしたちにある? そう言われてわたしはあっさり黙った。
 姉がこれまでに返済した金額は、初めに借りた額の数十倍にはなっているはずだったから、今、わたしたちの身体と引き換えに要求されている負債は、すべてが金利で成り立っているのだ。借りたものに利子がつくというのもひとつの約束事かも知れないが、学校で教わった以上に、民主主義でもなく、自由主義でもなく、資本主義がこの世の運行のほとんどを決定しているのだと、わたしはつくづく思う。中国の今はもう亡くなってしまっているけど、毛沢東さんや周恩来さんにあの世で会えるとしたら、ひと言だけ訊ねてみたいことがある。
「あなた方と、たとえば自転車工場の工員さんたちと、同じなのですか、お給料」
 ほんとうにそうだとしたら、わたしは嫌がる姉を無理に引っ張って、借金を踏み倒したまま中国に住んでみたかったのだけど、それがただの夢想にすぎないことくらいわたしも承知していて、その上でなおほんの一瞬だけ甘い夢を見ただけなのだ。

4 件のコメント:

  1. これからどう展開するのでしょうか。楽しみに、読んでいます。

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  2. わ、Nさん、読まれているんですか、困りました。
     これって、パソコン以前、一代目の、液晶が5行分くらいしかなかったワープロで書いた相当古いもので、こうでもしないと最後までスキャニングしないだろうから、あえてここにアップしているんです。
     そうじゃなくても、もう厭になっていて、削除しようかどうしようか、迷っているんです。これはもうただの恥さらしだなあ、と。
     そういえば、これを読んだことのある同人は今ではU村さんひとりだけ……。

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  3. 晒してしまったからには、読まれますよ(^^)
    私なんて、完結したら一気に読もうと思って、コピペしてテキスト・ファイルで保存していますよ。小説は読まれるために生まれてくるのです。もちろん、読みます。

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  4. ファイル保存ですか。
    では、さっさとアップして、とっとと消去しますか。

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