価格にも驚いたが、4冊抱き合わせ販売にはあきれた。
独占禁止法でも抱き合わせ販売は禁止されているはずだが、判断は微妙。この4冊を1冊も持っていない人には好都合かもしれないが、このうちの1冊、2冊持っている者には、すでに持っていて不要なものまで抱き合わせで買わされることになる。私がそうである。憮然!!
1冊目の本は別に20000円のネット古書店があるので驚きはしないが、そこも以前は14000円だった。それから30000円になって今は20000円に落ち着いているが、さすがにまだ売れていない。
多分、この価格に右ならえをしているのだろうが、4冊抱き合わせ販売は悪辣としか言い様がない。
こうなると、再版しない出版社の方にも責任問題はありはしないか?
ちなみにこの版元(創業者は当県出身であるのでとても残念なのだが)のウェブで書籍検索窓にこの1冊めの書名を入れて検索してもまったくヒットしない。品切れだろうが絶版だろうが、かつて自社で出した本に愛着はないのか! 情けないことこの上ないです
。
あっちを見てもこっちをみても絶望的光景ばかり。
これで絶望的でない小説が書けたら、その方がよほど絶望的。絶望的な小説を提示するんだったら書かない方がまし?
(どなた様も、どうか、このあたりに突っ込みを入れないで下さいまし)
今朝は、暑くならないうちにと朝食後すぐに八十ん歳のスーパーお転婆ばあさんを連れて家庭菜園へ。修理から帰って来たミニ管理機を持っていって、雑草退治。年寄りは草、草とうるさいので、この際徹底的に草退治。
午後はやはり雑草が心配で、6月13日の記事にあるソバ栽培予定地へ行ってみたが、雑草は心配したほどではなかった。
前回、同じ場所を二度通るように丁寧に耕しておいたのがよかったようだ。トラクターの持ち主(畑の貸主)も来ていて少し会話。最近近くまで鹿が出没している、とか。え?! ソバは結構鹿の食害に遭うということを聞いたことがあります、(-_-;)。
夜、一向に書けない自分のことを考えているうちに、長野文学賞が創設された時の「文学の死の季節」という佐々木基一さんの文章を思い出し、掲載された新聞がどこかにあるはずだと探しに行った。あった。ドストエフスキーの「一杯の紅茶さえあれば、世界がひっくりかえってもかまわない」という言葉を引きながら、「しかし、外部との緊張関係を失った一杯の紅茶は、ただの一杯の紅茶でしかない」という怖ろしい帰結を提示されている。
また三島由紀夫の死について、「それは三島由紀夫という一人の作家の死であるよりもむしろ〝文学の死〟もしくは〝芸術の死〟といった方がより適切であるように思われた。まるで、文学あるいは芸術の生首がゴロリと足もとにころがっているような感じであった」と書かれていて胸を打つ。
ずいぶん前に神は死んだと宣告され、またこのように文学は死んだと宣告されているのに、それでもわれらは、生きて、書かねばならない。
(などとずいぶんパセティックでありますね)
そんな風に探し物をしていたら、若い頃に小さなコンクールで賞をもらったが同人誌には発表してなくて、初代ワープロ専用機RUPOのフロッピーが1DDでディスクが残っていても読み出し不可能な短編で、A4感熱紙に袋綴じになった「さようなら死者たち」というプリントアウト原稿が出て来た。
感熱紙である。クラフト封筒の中に入っていたので、若干印字が薄くはなっているものの読める。スキャニングできるだろうか?
また同人誌の創刊号に載せた作品をやはり袋綴じ印刷して、しかもクリムトの女性が眠るデッサンを無断借用した表紙までついたものまで出て来た。
ぱらぱら目を通してみた。
無駄はまったくなく一心不乱に書いていて、 実になつかしい。泣けるほどなつかしい。
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