サラ金の男たちがまだ姉の会社には顔を出さず、わたしたちの住まいに押しかけて来ていた頃、ある日、わたしは姉と一緒に部屋を出た。姉はわたしがいつものように図書館へ行くのだと思っていたのだろうけど、わたしは姉の乗った電車を見送ってから次の電車に乗り、都心に出て暇つぶしに何となく街を歩きまわり、何度か来たことのある美術館の開館を待った。そしてまだ誰ひとり入館者のいない館内を、丁寧にではなく、漠然と時間をかけて回った。こんなに人間の生気をかんじないでいられる場所はほかには思い浮かばなかった。
いつだったか、優生、「ゆうき」と読むのだけど、彼とふたりでこの美術館にやはり開館と同時に入ったことがあった。あの時、彼とはまったく会話をかわすことなく三時間以上そこにいたのだった。わたしは多分、絵を見るよりも彼の横顔を見ていただけだったかも知れなかったが、同じ空気を呼吸していただけで十分満ち足りた気分だった。今でも確かに好きだったとはっきり言えるのは、彼ひとりしかいなかった。彼もわたしを嫌ってはいなかったと思う。
もう十一ケ月前から彼には二度と会えないことになってしまっているが、その時の彼は中央の長椅子に坐ったまま長いこと動かなかった。わたしもそれを真似する格好で、目の前のエゴン・シーレの絵に視線を留めていた。シーレの絵のなかの痩せた人物たちが自分と同じ生き物のように思え、彼が立ちあがるまでわたしも動けなかった。
同じ絵の前で三十分ほど坐っていたわたしは、美大生らしい男女のお喋りに押し出されるようにして美術館を出た。
それからわざと山手線で遠回りして渋谷駅で降り、名曲喫茶で正午過ぎまでぼんやりしていた。外へ出ると背後から呼びとめられた。そして、その四十過ぎの男にレストランで食事をご馳走になり、タクシーで五分ほど行ったホテルの一室に連れて行かれた。
「今、君にはわたしが必要だということがひと目でわかったよ」 男は部屋に入るなり言った。
「そう、なぜそんなことがわかりました」
朝、わたしは姉に気づかれないように、いつもより少しだけ丁寧にファンデーションを塗り、口紅をひいたのだが、そんなことで男がわたしに目をとめたのではない。
「言ってみれば直感だね、ビリビリと感じるものがある」
男の言う通りだった。わたしは自分を売ってみたかったのだ。彼でなければほかの誰かにわたしは買われていただろう。
男は、平日にこんな風にしていられるからにはただの事務所勤めのサラリーマンとは思えなかった。、ノー・ネクタイのラフなブレザー姿や、尖った頬骨とメタル・フレームの眼鏡はそれでも調和していないことはなかったが、奇妙に目立つ長めの鼻と、充血気味の目がひどくうっとうしかった。
男は財布から一万円札を二枚出してわたしの目の前に突き出した。お金の交渉をどうしようか者えていたところだったので、わたしがびっくりして手も出さずにいると、男は更にもう一枚を財布から抜き出し、重ねてわたしの手に握らせた。こんなことに大金を情しげもなく浪費できる不思議さを押し殺して、わたしはその手をごく自然に姉のお下がりの濃紺のコートのポケットに入れていたが、目は男の顔を逃れて彼の背後に並べて飾られている、ゴヤの『着衣のマハ』と『裸のマハ』の複製画に向いていた。よりによってわたしの好きだった絵がこんな場所に飾られていることに動揺した。これからの一部始終をマハに見られるのだ。いつだったか、ゴヤ展で本物を見たことがあって、わたしはひどい混雑のなかでかなり頑張って見た記憶がある。
男はわたしに風呂を使うように言った。わたしはすでにわたし自身ではない誰かであるような気持ちになって、浴室まで歩いて行って、浴槽にお湯を入れ、そして裸になって身を沈めた。
すべては男の思うままに、またわたしの思うままにも進んでいた。その点では何の異議もなかった。わたしのコートのポケットには三万円入っているのだから。
間もなく男も浴室に入って来た。
「徹夜明けなんでね、早く家に帰って寝たいと思っていたんだが」
彼は浴槽のなかでわたしを後ろから抱えるような姿勢で沈み、わたしの豊かでもない胸を両手で覆い、そしてまださっぱり緊張していない下半身をわたしに押しつけて来た。右手がわたしのおなかに滑り落ち、そのまま恥丘の先端の更に先へ進みそうになった。わたしは体をよじり、両足に力をこめてそれを拒んだ。まだ体が暖まる間もなく、まして洗う間もなく、男はわたしを浴槽から上がらせ、バス・タオルでわたしの体と自分の体を簡単に拭いた。そしてわたしを抱きかかえて、見た目より軽いんだな、と言いながら広いベッドに運んだ。それから、わたしの体の隅々を検査するかのように、黙って、緩やかに、また激しく熱心にうごめいている。そんな男の頭のなかがわたしには少しも想像できなかった。暗い、光の無い脳しか想起できないのだ。男の脳は、わたしにはただの一個のレタスかキャベツにしか見えない。一枚一枚剥いていっても中には何もないのだ。目の上の天井に張られた大きな鏡のなかに見える女は、だけど何故かわたし自身のようには思えなかった。男に体を自由に扱われていることも、夢のように思え、現実感の余りの稀薄さにわたしは目を閉じた。わたしの頭だってキャベツなのかも知れなかった。サラ金の男たちの言う通り、ドライに割り切ろうと思えばいくらでも割り切ることができると思った。ただ、姉の言うようにそうしてまで頑張る理由があればだが、それが見当たらなかった。
姉の力で何とか高校を中退せずに卒業して、わたしは大手のスーパーに就職した。事務職を希望したが、初めは店舗でということで毎日レジに立った。そして三月もしないうちに辞めた。それから小さな設計事務所、パート・タイマーばかりを使っている下請けの電子部品製造の有限会社、一日中プレスの騒音に包まれていた金属加工所、どこも簡単な事務だったが三ケ月ともたなかった。その後は先ず姉が諦めて無理に勤めなくていいと言い、わたしもそれにあまえて職探しをしなくなってしまった。
病気さえ治ればじきに勤めに出られる。そう思ったのだった。わたしにはところ構わず失神してしまう訳のわからない病気があった。それは父の事業が倒産して、両親が死んでしまってから始まったのだったが、それでもその頃は季節が変わる毎に一度か二度で、わたしはただの貧血によるめまいくらいに考えていた。ところが高校を卒業して職につくと、頻繁に、それもかなり強く現われるようになった。家にいる時はわずかで、ほとんどは、よりによってそんな場所では困ると思うような場所で、わたしの横着な体は山猫ストライキを起こして卒倒した。
勤務時間中の発作がいちばん多く、わたしはじきにレジをはずされ、後方の通常はパート・タイマーの仕事である食品のパック詰めや値づけ作業にまわされた。それでもわたしの失神は治まらなかった。道路を歩いている時にも倒れた。一度は、地下鉄のホームで電車が入線して来る直前に失神し、隣に立っていた夜勤明けの消防署員のひとが体を引きとめてくれたから助かったものの、そうでなければわたしの体は電車に巻きこまれていたらしい。
どの職場でもすぐにてんかんだと噂されてしまったし、わたしに面と向かって言うひともいた。だが、それよりも我慢できなかったのは、ひと前でぶざまにひっくり返って寝ている自分の姿が、いつでも目の前でちらついていることだった。そのまま死んでしまう方がずっとましだった。
姉の言うままにわたしは幾つもの病院を転々とした。どこでも先ずは脳の検査に始まり、次々と数えきれないほどの診察や検査。心身症とか、自律神経失調症とかいう言葉が何度も耳元でささやかれた。冷泉のある湯治場で、温泉と冷泉に交互に入浴する治療法も一年の間に何回も滞在して試みた。おそらく、その間に姉は高利の金融に手を出したのだ。
勤めることを諦めると一時的に発作は減ったが、それもひと月ちょっとのことだった。家でできる仕事も見つけてはみたが、じきに仕事が切れてしまったり、納期が厳しすぎる仕事でかえって発作の回数を増やし、毎日決められた数を納められないわたしは一週間もしないうちに断わられたりした。そしていつの間にかわたしは姉に扶養してもらっているだけの、意気地のない生活に慣れていった。
お金もかからず、無為の時を首をすくめてやり過ごすことができる場所が図書館であると気づくのは簡単だった。図書館にいる間ずっと読書していた訳ではなかった。体裁を繕うために借りた本を広げたまま、ぼんやりとしている時間が多かった。そうやって魂が体を離れるようにして自分を見失っていると、自律神経失調症という呼称がまるで神を見失っている病気のようにも思え、かえってわたしは治そうとあがく気持ちを喪失したくらいだった。
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