2008年2月5日火曜日

対極にある諦念

 このブログこそが、まさにリアルな私の「私小説」だ、というムチャクチャな牽強付会も成り立たないことはない。

 あるいは……
 小説という名の虚構の結構はすでに人間の外側には無く、むしろその内側の、微細であったり奇矯であったり誇大であったりする精神の働きにしか存在しないのかもしれない。

 あるいは……
 自分が今ここに在ることへのいささかのressentimentも感じない人間、物書きなど信用も愛惜もできない。
 むしろ自分が今ここに在ることへの強いressentimentを感じているい人間、物書きだけが信用し愛惜するに値する、と思わざるを得ない。

ルサンチマン(ressentiment)はデンマークの思想家セーレン・キェルケゴールにより確立された哲学上の概念である。主に、弱い者が強い者に対して強い憎しみを抱いていることをいう。

 そう? 
 やはり、至高のressentimentは、「人間をかくあらしめた神」へのこの上なく強く悲しいressentimenなのかもしれないよね。
 

4 件のコメント:

  1. ふふふ・・・、なにやら、はじまりそうな気配が沸々と。
    > このブログこそが、まさにリアルな私の「私小説」だ、というムチャクチャな牽強付会も成り立たないことはない。
    ギョッ! 自分のブログから断片を拾い出して、書き出しにする、なんてことを考えていました。
    小説を書こうとすると、ときに、ルサンチマンに羨望を覚えます。弱者であることに諾々としている自分を見いだし、「怒り」にいたらない。ルサンチマンに対するルサンチマンて、ありなんでしょうかね??? 羨望、むしろ愛おしんじゃうんです・・・。あれ? 自己愛? やっぱり昴宿かぁ・・・。

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  2. あちゃ、非公開の記事をうっかり公開してしまって、とほほ、よくみれば、非公開に戻す前にLydwineさんからコメント頂戴してあるではありませんか(泣)。なんという早業!
     で、もう一度公開設定に戻しました。(^_^;)
     以前、HTML時代のウェブ日記を同人誌に2回載せたことがあります。偽創作日記抄とか何とかカッコつけて……私にはもう使えない手です。
     私の場合、どうせ討ち死には目に見えていますから、どうせだから正面から攻めることにします。
     じきに討ち死にしますが、笑わないで、ね。

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  3. 前回の小説を身近な人々に手渡しましたら、なんでこんなにいっぱい字が書けるのかと言われました。あらら、そこから話が始まりますか?(汗)
    だけど、そうかもしれない、とか思いました。
    ズレたり共感したり、何かがなければ文章として出力できないし、30枚なり100枚なりと書きつないでいくためには、それ相当の情念みたいなものが底の方で動いていないと、いっぱい字は書けないんじゃないかなぁ、と。小説でもブログでも。「ressentiment」の言葉で(自分勝手に)思い出したのは、そのことでした。
    Lydwineさんは、もうスタートしちゃったし、euripidesさんもなにやら始まっているような雰囲気ですし、私も昨夜、がんばりました。400字書いたら、疲れて寝てしまいました、笑。

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  4. 400字といえば、100枚なら100分の1、50枚なら50分の1はもう書いてしまったいうことですよ。
     Lydwineさんは1900字くらいらしいからもう4枚近く……100枚の25分の1! すごい。
     私はまだ0枚。頭の中でぐるぐる空回りしていますが、やっぱりネガティブな人間観に邪魔されています。ウァーン・゚・(ノД`)ヽ(゚Д゚ )ナクナ
     

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