『眼にて言ふ』
だめでせう
とまりませんな
がぶがぶ湧いてゐるですからな
ゆうべからねむらず
血も出つゞけなもんですから
そこらは青くしんしんとして
けれどもなんといい風でせう
もう清明が近いので
もみぢの嫩芽と毛のやうな花に
秋草のやうな波を立て
あんなに青空から
もりあがって湧くように
きれいな風がくるですな
あなたは医学会のお帰りか何かは判りませんが
黒いフロックコートを召して
こんなに本気にいろいろ手あてもしていただけば
これで死んでもまづは文句もありません
血が出てゐるにもかゝわらず
こんなにのんきで苦しくないのは
魂魄なかばからだをはなれたのですかな
たゞどうも血のために
それを言へないのがひどいです
あなた方から見たら
ずゐぶんさんたんたるけしきでせうが
わたしから見えるのは
やっぱりきれいな青ぞらと
すきとほつた風ばかりです
この引用の、もうちょっと後。
文学とは生きることだよ。見ることではないのだ。無論これは、坂口安吾が小林秀雄に向けて言った言葉。
それにしても、宮沢賢治のこの詩におけるというか、臨終が迫っての離人感、自分離れはすごい。生きてこういう自分離れを達成できたら、つまらない小説など書かなくても済むのだけど………………………………………………ねっ!
宮沢賢治の詩は、大好きです。
返信削除一面で朔太郎のように繊細だけれど、雪に負けずたわみながら伸びる樹の柔があるというか、不思議な透徹です。自分の視点だけでなく、相手の視点をさりげなく気遣う、これ、もう、生き様そのものか、人柄か。。。
そうですね、宮沢賢治は生きて得た言葉で書いているので、信頼感があります。
返信削除瀕死の状況なのに、
>あなた方から見たら
>ずゐぶんさんたんたるけしきでせうが
>わたしから見えるのは
>やっぱりきれいな青ぞらと
>すきとほつた風ばかりです
と、自分の視点と他者の視点のあいだを自由自在に行ったり来たり、すごいですね。