またぞろデジタル文学館などというウェブサイトを始めてしまったが、常に頭を離れない光景がある。
二年前にあるマイナーな作家がマンションから飛び降り自殺した。たまたま、その作家自作のホームページをお気に入りに入れてあったので驚いたが、しかし、ホームページのあちこちに尋常でない文章を見ていたので、半ばはやはりとうなづけないこともなかった。彼は死なざるを得なかったのだ。
問題は、残されたホームページの方である。管理者が死亡したにもかかわらず、ホームページは更新されないまでも、相変わらず彼が著名な作家と並んで撮影した写真などが表示されている。
このホームページのサーバー利用料は銀行口座から引き落としされているのだろうが、だとすれば、預金残高ゼロになるか、解約されない限り、ホームページは管理者不在のまま生き続けるのだ。これをわが身に重ねると、今夜は蒸し暑いはずだがちょっと背中が寒くなってくるが、私の場合はじきに口座に残高が無くなるので、金の切れ目が縁の切れ目とばかりに管理しているホームページは全部消えるだろうから、自分が死んだ後のことまで心配する必要はなかろう。
そんな暗いことばかりではない。この方も亡くなられたが別にサイト管理者がいたので、今でも存続していて、当時の日記とか裏表まで読めるのである。
たったひとりの理解者もいないケースと、たったひとりでも理解者いるケース。
「たったひとり」の相違がこんなにも大きいのだ。
そういえば、 今日も「Glaskins の永遠」は配達されなかった。
土曜日にオーダーしたのになぜ?
自動返信メールが届いたまま、以後は音沙汰なし。
まさか、あの会社が倒産したまま、ホームページだけが生きていたりして……。怖っ。ウァーン・゚・(ノД`)ヽ(゚Д゚ )ナクナ
ふと、藤枝静男の『空気頭』のある場面と、内田百閒のどの短編だったかの場面がそっくりなような気がして、確認したいのだが内田百閒の短編の題名が思い出せないし、筑摩の「内田百閒集成」のどの巻だったのかも忘れてしまっている。
妙に蒸し暑いので百閒先生の涼しい掌編を読みたいのだけど、さて、どこにあるのか?
先生はなぜか女性と並んで歩いている小説が多いのだが、あれも不思議だ。
女性と並んで歩いているうちに、いつの間にか妙な場所や場面に至っている。
あの手法、是非とも頂戴して自家薬籠中のものにしてしまいたいのだけど、難易度が相当に高そう。 そういえば町田町蔵氏ならぬ町田康氏も歩いているうちに妙な場所や場面に至っている小説を複数書いていますね。あ、あのひと、現代の百閒先生だったりして。Wha! 大発見。
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