2007年6月22日金曜日

この、敬服すべき自分離れ

 坂口安吾が小林秀雄を論じた「教祖の文学」に、なぜか宮沢賢治の『眼にて言ふ』という詩が長々と引用されている。これが全文かどうかは宮沢賢治全集に当たって見なければ判らないが、とにかく、「教祖の文学」から孫引きしてしまおう。(ふたりとも、喜ぶべきか悲しむべきか、著作権切れになってしまっている)
   『眼にて言ふ』

だめでせう
とまりませんな
がぶがぶ湧いてゐるですからな
ゆうべからねむらず
血も出つゞけなもんですから
そこらは青くしんしんとして
けれどもなんといい風でせう
もう清明が近いので
もみぢの嫩芽と毛のやうな花に
秋草のやうな波を立て
あんなに青空から
もりあがって湧くように
きれいな風がくるですな
あなたは医学会のお帰りか何かは判りませんが
黒いフロックコートを召して
こんなに本気にいろいろ手あてもしていただけば
これで死んでもまづは文句もありません
血が出てゐるにもかゝわらず
こんなにのんきで苦しくないのは
魂魄なかばからだをはなれたのですかな
たゞどうも血のために
それを言へないのがひどいです
あなた方から見たら
ずゐぶんさんたんたるけしきでせうが
わたしから見えるのは
やっぱりきれいな青ぞらと
すきとほつた風ばかりです

 この引用の、もうちょっと後。
文学とは生きることだよ。見ることではないのだ。
 無論これは、坂口安吾が小林秀雄に向けて言った言葉。
 
 それにしても、宮沢賢治のこの詩におけるというか、臨終が迫っての離人感、自分離れはすごい。生きてこういう自分離れを達成できたら、つまらない小説など書かなくても済むのだけど………………………………………………ねっ!

2 件のコメント:

  1. 宮沢賢治の詩は、大好きです。
    一面で朔太郎のように繊細だけれど、雪に負けずたわみながら伸びる樹の柔があるというか、不思議な透徹です。自分の視点だけでなく、相手の視点をさりげなく気遣う、これ、もう、生き様そのものか、人柄か。。。

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  2. そうですね、宮沢賢治は生きて得た言葉で書いているので、信頼感があります。
     瀕死の状況なのに、
    >あなた方から見たら
    >ずゐぶんさんたんたるけしきでせうが
    >わたしから見えるのは
    >やっぱりきれいな青ぞらと
    >すきとほつた風ばかりです
     と、自分の視点と他者の視点のあいだを自由自在に行ったり来たり、すごいですね。

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