販売単位がRootという表示だけに、種をまいた一年生のポット苗などではなく、やはり株分けしたであろう大きな株の鉢植えである。
なるほど、これでは海外へ送るのは不可能であるが、しかし、遺伝的形質をそっくり同じまま増殖させるのは、こういう株分け(根分け)、あるいはバイオテクノロジーを駆使したメリクロン培養しか方法はない。
種では、いわゆるF1(一代交配)ならばいいが、そうでない場合はどうしても茎の形や色などが揃わない。だから私の菜園のものも茎の太いの、細くて本数の多いの、茎がほとんど緑のもの、かなり赤っぽいものとばらつきが相当ある。しかも品種など表記されていなくて、種袋の表示はただのRhubarbであった。
しかし、気候、温度や光線の量も赤い色のつき方に影響を与えるらしい。
50%遮光すると赤みが強くなるとか、ヨーロッパでは日本の独活のように室(ムロ)栽培して赤くしているという不確定情報もある。
品種だけでなく、そういう気候、土壌、栽培方法の違いによる色の変化も調べてみなければならないだろう。
そこそこ赤味のある株に大きなダンボール箱を被せてしばらく遮光し、茎の赤味の変化を観察してみる価値はあるだろう、ねえ、ネクタリオ君。
翻訳ソフト、大活躍である。varietiesに「変化」という訳語が表示されて気に入らないので、辞書ツールにある単語登録で「 varietiy」を「品種」と登録したら、ようやく「変化」とは出なくなった。なるほど、自分で辞書を整備しないといけないのだ。
(そういえば、仏日翻訳ソフトってあるのだろうか、検索してみようっと)
お昼近く、従姉の夫であるK内さんがやって来て、車の中から発泡スチロールの箱を抱えて玄関へやって来た。
川釣りの天才、大漁のようで、またガリラヤ湖の魚到来である。天才、水ごとドッと家の発泡スチロールの箱に移し替えた。すごい数である。天才が帰ったあと、から揚げ(すずめ焼き?)にするためには背開きという彼の助言に従って、先ずは水を払って自然死(ちっとも自然じゃありませんが)していただき、それからおもむろにめったに使わない柳葉包丁を取り出し、いざ、背開き作業開始。
実は背開きにするなんて生まれて初めてなのです。何匹目かに左手親指の付け根あたりを包丁の刃先が滑り、かすかに傷。危ない危ない。
骨に沿って包丁の刃先を入れていけばよいので、それはまあむずかしくはないのだが、難題は、背開きにしていくと最後に残るお魚さんの顔(頭)である。これをどうやって半分に切り分けるのか。人間で言えば背後から後頭部に包丁を入れて開くようようなものである(何?この喩えは……)。切ろうとしても切れるものではない。結局、左手の親指と人差し指でお魚さんの東部を両側から挟むようにして支え、上部から一気に押し切りするしかないことが判った。いちばん大事なのは包丁の切れ味。
繰り返してゆくうちに、刃先がどのあたりを動いているか判るようになり、だんだん作業が早くなったが、それでも最後には腰が痛くなった。数えてみたらちょうど60尾であった。
捌かずに食べるだけの家人たちは「おいしい」とか言ってから揚げをバリバリ食べるのですが、かんじんの私はあまり手が出ないのです。
ネット上で少し反省することあり。少し静かにしよう。
ある方のメールで、三浦哲郎の「短編集モザイクⅢ わくらば」を購入したまま未読なのを思い出し、文庫を発掘。ぼちぼち体も楽になってきたので、手元に置いて読もう。
あまりキテレツな小説書こうとしないで、こういう短編を書く職人になってしまったらいいのだと、つくづく思う。(お前は、いったい何でそんなに身の丈に合わないことを夢想しているのだ?)
ヤフーオークションの出品者から、入金を確認、今日発送のメール着信。明日「種まきごんべえ」君が届く。うれしい。
いよいよ後には退けない。世間ではそんなこと無理だといわれていることに挑戦、ドンキホーテが風車に向かって突撃であります。ほとんど趣味の領域を逸脱していますが、何か、生まれた時からずうっと逸脱しているような気もしますので、まあ、いいか、ねえ、ネクタリオ君、Hoh!(ため息)。
さらば少年、それからの闇 百枚の扉の奥には、マルドロール
歌集『月光の揚力』(森島章人)より
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