2009年6月30日火曜日

作家としての立ち位置

 午前10時、テレビの配送業者来る。やはりあまり圧迫感がなくて、これくらいで良かった。大きな画面で騒々しい番組を放映されてはたまったものではない。
 11時、追加注文したSD種30粒入り5袋が届く。前もそうだったがエア・メールでなく船便だと8日かかる。早速、水に浸して吸水させ、夕方、播種。そういえば、前回は30粒入りが68粒と80粒で笑わせたが、今回は45,45,46,49,54粒と平均している。担当者が前回とは別のまじめな人だったのだろう、残念でした。
 ちなみに日本のような印刷された絵袋ではなく、ジッパー付きの小さなポリ袋にパソコンのシール印刷で種子名や会社名、そして発芽は20℃で7~14日かかり、植え付けは50cm離してと言う注意書きが印刷されたものが張られているだけ。これまで播いた品種のなかでもっとも期待出来そうなCrimsonな色合いなので追加注文したのだけど、これでダメだったらやめましょう、ね、プヴァール君。

 「生死の闘い」読了。じっくり、遅く読んでよかった。マルケスの短編を思い出したので、確認しようとしたが本が見つからない。福武の文庫本だったはずだが。
 残雪の短編を続けて読んでいると、作家としての彼女の立ち位置がよく見えて来る。それは現代作家の立ち位置とは明らかに違っている。むしろ、十九世紀以前の小説や神が存在した時代の叙事詩の書き手のような、だけど地を這うような主人公に背後霊のようにぴたっと張りついている。三人称で書いているのだけど、その彼や彼女の背中にぴたっとはりついて、見て、描写している。彼が幻を見ればいっしょに幻を見て、その幻を記述する。
 次は「美しく哀しい記憶」。いい題名だが、あれ、また書き出しは台所? 彼女の小説の場が台所とか、家の中が多いのは確かなんですが。
 全部読めたら感想が書けるだろうか。書ければいいんだけど。これだけの雑誌を無料で送っていただいたんだから、奮起しよう。


 

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