2008年5月31日土曜日

水木怜「不器用な愛しさ」(照葉樹5号)

 妙な言い方になってしまうが、小説というものが、人間という主体性のあるような無いような寄る辺無い存在の、悲しみや苦しみや喜びや不合理を描き出すものだと仮定すれば、この「不器用な愛しさ」は十分に小説たり得ている。
 主人公はひとりではなく、病院経営者一族の「私」であったり「母」であったり、「佳子叔母ちゃん」であったり、その夫「源三」であったり、「潤一郎叔父」であったり、その妻「志津代叔母ちゃん」であったりする。

 いわばこの一族全体が主人公なのだが、この枚数でよく誰に重きを置きすぎるのでもなく平均に、それでいてそれぞれの人間性を上手に描出したものだと感心した。

 この作品は明白な虚構作品として書かれているのではなく、現実世界をそっくり反射する鏡のようなリアリズムによって支えられている。
 それは、あるいは作者自身の現実から再構築されて形成された世界なのかもしれないが、それでも佳子なり源三なり、潤一郎なり志津代なりに、「こういう人間いるよな」というような強い実在感が感じられた。
 それはおそらく作者がそれだけ素材を客観化できた証しであろう。
 これまで読ませていただいた水木さんの作品のなかではいちばんの出来だと思います。

7 件のコメント:

  1. 感想をいただきましてありがとうございました。
    今回は、この作品を出したことにかなり後悔などしたりしていまして〜〜、というのは、もう少し長編に書くべきだったものを、こうして無理に
    ��00枚にとどめた感覚が残ってしまい、それが後悔に至りました。
    でも、好感を持って受け入れられて感謝します。
    ありがとうございました。

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  2. いえ、無理に長編でなくてもよかったと思います。
     結構人物がくっきり描かれているから、これでいいんじゃないでしょうか。
     

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  3. そうですか!
    嬉しいです。そう言っていただけると心が休まります。
    前向きに、また、次の作品を書きたいと思ってます。
    今は、構想の段階で、なんとなく気持ちが安定しない状況ですが
    書きたい....という気持ちに心がはやる感じです。

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  4. 久坂葉子を検索してましたら、4年前の12月11日のeuripidesさんに行き当たり、「りんご」を読みました。60年前に書かれた詩。なんと心に染みることでしょうか。真冬に植木鉢にリンゴの種を植えた人のことも分かりました。

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  5. 検索というのは、便利ですが怖いですね。
     久坂葉子を読まれてますか。青空文庫で6作品公開されていますが、読みたい作品はまだですね。
     富士正晴の「贋・久坂葉子伝」はずいぶん前に読みましたが。

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  6. 私は「幾度目かの最期」を読みました。21歳の大晦日に列車に飛び込み自殺をする直前まで、ぶつけるように書きなぐられた生の声なので、心に響きます。他のをすこし読みかけましたが、そのとき思ったのは、これはやはり自分も二十歳になって読まねばならない、それも現代ではなく、古い時代の二十歳の多感で未熟な、自家中毒状態みたいな娘に戻って、と。少女趣味な感傷が多く、ついていけないところも多く、これは、63歳の知恵で読んではいけない、と思いました。あの時代特有の感傷も理解しなくては。
    と言いつつも、やはり、いまはまりこんで読んでいる白洲正子の本、あふれる精神性と豊かさ、熟したまなざし、自由さ、貪欲さ、意地悪さ、温かさ、厳しさに、より強く惹かれてしまいます。このつまらない自分にくらべ、はるかに高い精神を持っている人って、とても、とても、魅力的です。

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  7. 私は「幾度目かの最期」、終わりまで読み通せず、途中で放り出した覚えがあります。
     私は、以前から広言していますが、普通より神経が太くてなおかつ本数が少なくてよかったと思っています。芸術に神経のナイーブさは必要ですが、自家中毒状態は傍で見ているとつらいですよね。本人もつらいだろうけど。
     白洲正子さんはすごいでしょうね。

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